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バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリ ティ

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(1)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリ ティ

その他のタイトル Barnand's Theory of Communication and Authority

著者 飯野 春樹

雑誌名 關西大學商學論集

巻 13

号 1

ページ 1‑22

発行年 1968‑04‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021263

(2)

(1) 

バ ー ナ ー ド に お け る

コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と オ ー ゾ リ テ ィ ー

飯 野 春 樹

は し が き

バーナードの理論は近代管理学の始祖とみなされ,その著書『経営者の役 割』はすでに経営学における古典の地位を確立している。バーナードを抜き にしてアメリカ経営学を語ることはもはや不可能である。 「経済学において,

ケインズが果したとまったく同じ役割を,バーナードが経営学において果し

(1) 

つつある,といっても決して言いすぎではないであろう。」

伝統理論と対比して種々の画期的な貢献がみられるうち,かれのコミュニ

(2) 

ケーション理論やそれと関連するオーソリティー理論は,とくに重要な概念 となっている。筆者はかつて,「経営管理と権限理論」(京大経済論叢,第

81

巻 第

1

号,昭和

33

1

月)においてバーナードのオーソリティー論を検討した が,それはこの方面での最初の文献の一つに属するものと思われる。そこで ほオーソリティーの受容面を強調することとなったが,それはバーナードの オーソリティー理論の一面にすぎず,客観的権威としてのコミュニケージョ ンの性格については言及するにとどまっていた。その点では不備であったと 言えなくもないが,本稿では一部分この不備をおぎなう意味をもかねて,か れのコミュニケーションとオーソリティー理論の意義を検討したいと思う。

(1) 

古瀬大六「経営学のすすめ」,経済セミナー,

1966

年1

2

月号,

33

頁 。

(2) authority

は「権限」と訳すのが通例である。 しかしそれは,ここでの「公式 的権威」ないし「客観的権威」のみを示すニューアンスをもつので,われわれは

「権威」を採り,時としては文脈上「権限」をも用いる。

(3)

(2)  バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

バーナードの『経営者の役割』第三部の諸章にみられる複合公式組織にお

オーソリテイー

ける諸要素,たとえば専門化,誘因,権威,意志決定などに対するかれの取 扱いは,伝統的な組織論におけるそれとはいちじるしく相違し,近代的組織 論に対するもっとも顕著な先駆的貢献の主要部分をなしている。

コミュニケーション(伝達)について独立の章はないが,コミュニケーシ ョンこそバーナード理論においてもっとも重要な地位を占めている。おそら くかれは, コミュニケーションを最初にもっとも強調した一人であろう。組 織成立に必要な条件としてコミュニケーションが指摘され,それは他の二条 件である「共通目的」と「協働意欲」とを結合する重要な要因とみなされる。

「共通目的達成の可能性と人間の存在—その人々の欲求がかかる共通目的 に貢献する動機となっている―とは,協働的努力の体系にとっての相対す る両極である。これらの潜在的なものを動的ならしめる過程がコミュニケー

(3) 

ションである。」 これを組織の定義「意識的に調整された二人以上の人々の

(4) 

活動や諸力のシステム」においてみれば,コミュニケーションは調整されたに もっとも強く関連する。コミュニケーションなくして調整

coordination

なく,

(5) 

調整なくして協働の成果はえられない。 「組織の創造的側面は調整である」

調整のための組織権威の維持,したがってコミュニケーション受容の必要性 が組織維持にとって必須であることは,のちに一層明らかになるであろう。

さらにコミュニケーションの重要性についてバーナードは,「組織の構造,

広さ,範囲はほとんどまった<コミュニケーションの技術によって規定され るから,組織の徹底的な理論においては, コミュニケーションが中心的地位

(6) 

を占めよう」とのべている。すなわち,コミュニケーションの必要性が単位 組織の規模を制約し,したがって複合組織の構造を規定する重要な要因とな

(3)  C.  I.  Barnard,  The Functions of the Executive,  1938, p. 89.  (4)  ibid.,  p. 73. 

(5)  ibid.,  p. 256.  (6)  ibid., p. 91. 

(4)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) 3) 

るのである。のみならず,多くの単 位組織より構成される複合組織にお いて,各単位組織相互間はもちろん,

単位組織内の諸個人を結びつけて,

それぞれを一つの調整されたシステ ムとするものはコミュニケーション の機能である。いわゆる組織構造,

換言すれば複合公式組織(ヨリ狭く みて管理組織)はのちにみるように,

バーナードにおいてはコミュニケー ション・システムとみなされる(上図参照)。 この点はバーナード理論の理 解に当って極めて重要である。各管理者はコミュニケーション・センターで あり,かれがコミュニケーション・システムを通じてうる情報のいかんは,

かれの管理者としての職能(とくに意志決定機能)遂行の成否を規定し,ま たかれの行なうコミュニケーションの適切さは,のちにみるようにかれの権 威確立に必要な一条件となる。

本節ではまず,組織の一要素であるコミュニケーションの方法や技術につ いて,さらに単位組織の規模を制約し,複合組織の構造を規定する要因とし てのコミュニケーションを考察しよう。

コミュニケーションの方法は,言語が中心であるが,動作やサインなどに よる単純な方法でも可能である。バーナードの造語になる

observationalfeel ing(以心伝心とでもいえよう)はもっとも微妙な他の方法であり,言葉を用

いずにその場の情況のみならず意向をも理解するような能力を指す。コミュ ニケーションの技術のいかんほ,多くの組織にとって重要な問題となってい る。たとえば,耳にきこえ,目に見える範囲の合図によって動く昔の軍団編 成と,種々の無線機などの通信技術をもつ近代的な軍隊組織を考えてみても よいだろう。コミュニケーションの適当な技術がないために,組織が特定の 目的を採用しえないこともある。

小人数で簡単なことをやるにも,コミュニケーションによる調整がなけれ

(5)

4 (4) 

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

ば協働の効果は期待できない。石を動かすときの掛け声のごときである。自 分の目的を知り,協働する他の人々のしていることを知らなければ,チーム ワークは成立しない。 「基本的に,コミュニケーションは目的をその達成に 必要な具体的行為――—何を,いつ,どこでなすべきか に即して言いかえ るのに必要である。このために環境の諸条件と行為の進行状態を知ることが

(7) 

必要となる。」 コミュニケーションが効果的になされるためには,特定のコ ミュニケーションのチャネルが必要となり,それとともにリーダーが必要と される。リーダーのもとにいかほどの人数が適当であるか,すなわち,単位

(8) 

組織の規模は,「効果的なリーダーシップの制約によって規定される。」 そし てこれらの制約は,次のようなコミュニケーションにかかわる四つの条件に 依存する。これは伝統的な「管理限界」に対する一つの説明である。

(a)

目的が単純でないとき,すなわちその要求するものが複雑で明白でない とき,情況が正確に調整された行動を必要とするとき,あるいは必要な個人 的行為の性質が行為者(ないしリーダー)によって把握されにくいときには,

そうでない場合よりヨリ多くのコミュニケーションが必要となり,したがっ て単位組織の規模は制約される。

( b ) 言葉によるコミュニケーションがむづかしいような,コミュニケーショ ン過程の困難さは,有効に伝達しうる人数を制約する。

( c )コミュニケーションがどの程度必要か_たとえば,各人がお互いの行 為や情況全体を見ることができれば,その必要性はすくない―‑―によっても 制約される。習熟した常規的な作業などでは,コミュニケーションの必要度 はすくない。

( d ) 人数が増加するにともない,各個人間の関係のみならず,個人と集団間,

さらに集団相互間の関係もまた急速に増大する。これら諸関係の複雑度はリ ーダーの能力を制約する重要な要因である。

このように,主としてコミュニケーションの必要にもとづく諸要因が,単 位組織の規模を制約する。その制約は非常にきびしいので,この制約以上に

(7)  ibid., pp. 106107. 

(8)  ibid., p. 107

.以下は

pp.107  109

による。

(6)

バーナードにおけるコミュニケーツョンとオーソリティー(飯野) S)  5 

組織が成長するためには,単位組織を基本組織とする複合組織形態をとらね ばならない。バーナードの組織理論は,まず理念型的な単純組織(ここでの 単位組織)に即して構成されるが,その理論ほかかる複合公式組織への展開 を通じて,修正されることなく適用可能となる。ここに,いわば下から上へ の積み重ねによる組織構造観がみられることに注意しなければならない。

かようにコミュニケーションは,いかなる組織—単純組織であれ,複合 組織であれ一ーにおいても必須の一要素である。それは単位組織の規模と複 合組織の構造を規定する。そして複合組織が拡大されるほど,全体を調整す べきコミュニケーションの機能は重要となる。

二つ程度の単位組織の場合には必ずしもそうでないが,いくつかの単位組 織が一つの複合組織に結合されるときには必ず,コミュニケーションの必要 上,単位組織にはリーダーすなわち管理者がおかれ,さらにその上に順次上 位の管理者がおかれて管理組織が構成される。管理職能に専門化するかよう な管理組織は,全体系を公式的なコミュニケーションによって調整するため に必須であり,したがって管理組織は,各管理者をコミュニケーションのセ ンターとし,管理者間をつなぐコミュニケーションのチャネルをもった,コ ミュニケーション・システムとみなすことができる。コミュニケーション・

システムあるいは調整のシステムとしての管理組織は,あたかも人体におけ . . . . . . .  

る神経系統のように,組織の外部環境への適応,すなわち組織維持の作用を ヨリ効果的に行なうという専門的機能をになう。

このようなコミュニケーション・システムについて,バーナードは二つの 問題を検討している。一つはコミュニケーション・システムの形成原理であ り,他は管理職能との関連についてである。ここではふれないが,客観的権 威のシステムとしてのコミュニケーション・システムの問題は次々節のテー マである。

バーナードはその著第十二章第二節「調整のシステム」を,複合組織での コミュニケーション・システムの性格における規定的諸要因の考察にあてて

(9) 

いる。それらはことさら解説を要しないと思われるので,列挙するにとどめ

(9)  ibid., pp. 175  18

 

1. 

(7)

(6)  バーナードにおけるコミュニケーツョンとオーソリティー(飯野)

よう。

(a)

コミュニケーションのチャネルは明確に知らされていなければならない。

( b ) 客観的権威は,組織のあらゆる構成員に対するコミュニケーションの明 確な公式的チャネルを必要とする。

( c ) コミュニケーションのラインは,できるだけ直接的か,または短かくな ければならない。

( d ) コミュニケーションの完全なラインが通常は用いられねばならない。

( e ) コミュニケーション・センターとしての役目を果たす人々,すなわち役 員や監督者の能力は適格でなければならない。

(f)

コミュニケーションのラインは,組織が機能している間は中断されては ならない。

(g)

すべてのコミュニケーションは認証(権威づけ)されねばならない。

のちに一層明確になるように,「コミュニケーション・システム,あるいは それを維持することは,公式組織の基本的な,本質的な継続的問題である。

有効性ないし能率―すなわち組織の存続要因ーーに関する他のあらゆる実

(10) 

際的な問題はそれに依存している。」

第二の問題は,管理職能との関連,すなわち,「全組織の努力の調整のため

(11) 

にのみ存在する全体としての管理組織の機能」の見地からすれば,コミュニ

(12) 

ケーション・システムの形成と維持は,管理職能の第一位にあげられる。

「コミュニケーションの明確なシステムの必要性が,組織者の第一の仕事を

(13) 

つくり出し,それが管理組織の直接起源である。」 したがって,コミュニケ ーションのラインを規定する組織構造の形成と,管理者の配置(コミュニケ ーションは人を媒介としてのみ行なわれるゆえ,それがコミュニケーション の手段を確立することとなる)とが問題となる。通常の管理職能の分類では,

organizing

staffing

の問題である。これら二つの公式的なコミュニケーシ

(10)  ibid.,  p. 175.  (lf)  ibid.,  p. 216.  (12)  ibid.,  pp. 217226. 

{13)  ibid.;  p. 217. 

(8)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) 7)  (14) 

ョン問題に加えて,バーナードが非公式管理組織の存在を指摘し,それを維 持することがコミュニケーションの必要欠くべからざる手段であることを強 調している点に注目しておこう。

コミュニケーションは,バーナードによってこのように強調され,それが かれの組織理論における一つの特徴ともなっているのである。

組織理論はしばしば,古典理論,新古典理論(人間関係論)および近代理 論とに分類される。われわれは当然,バーナードを近代理論の始祖とみなす のであるが,いまここで従来のそれぞれの理論におけるコミュニケーション

(15) 

の取扱い方をみておくのも無駄ではなかろう。

古典派では,下方へのコミュニケーションという形での命令(たとえば

「命令の統一」におけるごとく)を考察する程度で,コミュニケーションそ れ自体の問題をほとんど強調していない。上方その他の方向へのコミュニケ ーションについても考えていないわけではないが,せいぜい,フェイヨルの

「渡り板の原理」や,二つの部門間で問題がおこれば共通の上長にまでさか のぽって解決されねばならぬという,ライン組織の原則に一層忠実なような 場合である。

コミュニケーションが組織における重要問題であるという認識が一般化し たのは,アメリカでは

1930

年代以降,わが国では戦後のことであろう。その 場合,ホーソン実験の,とくに面接計画にみられるような,また人関関係的 技術としての集団討議や社内報の刊行などにみられるような,人関関係論に おけるコミュニケーションの重視が注目されよう。人間関係論では,公式的,

非公式的コミュニケーションの区別や,人関の感情的で非合理的な性格に由 来するコミュニケーションの障害とそれに対する対策,さらには伝え方,聞 き方の指針などがその中心問題となっているといえよう。

(14) 

公式組織における非公式組織の必要欠くべからざる機能の第一に,コミュニケ ーション機能があげられる

(ibid.,p.  122)

(15) 

以下, この問題の記述は,

E. P. Learned and A. T.  Sproat,  Organization  Theory and Policy,  1966, pp. 77  82

  に負うところが大きい。

(9)

(8) 

バーナードにおけるコミュニケーツョンとオーソリティー(飯野)

Learned

SproatI

ま,コミュニケーションの障害,とくに非合理的な障 害が人間関係学派の特別な関心事であったという。それらは,(

1

)ある言葉が,

人の経験,価値や信念,態度のいかんによって,異なる人に異なる意味をも つという語義上の問題,・ ( 2 ) 自分の確信する信念と対立するようなメッセージ は,これを受け取りにくいこと,(3)多くのコミュニケーションには表面に出 たものと背後にかくれたものとの双方があり,後者が一層重要なこと,(4) 上 位者のステイタスや威信は,自由な上方へのコミュニケーションを妨げやす いこと,(5)相互交換ないし二面交通の必要性があること,などである。これ らの障害を克服する技法として,たとえば次のようなものが提唱される。 ( 1 ) 文書よりも口頭によるコミュニケーションの重視ー―—対面的会話や集団討議 の効果からみて,(

2

)非誘導的面接法一ーかくされたものを明確にする,(

3

) 命 令指示よりも問題提起一「組織距離」をちじめ,有能で自信ある部下を育 成しうる,(

4

)出来るかぎり事実をして語らしめる一「情況の法則」は個人 的な命令よりも抵抗を生まない,(

5

)聞く感覚能力を養い,真に他人尊重の気 持をもつこと―これらの特性なしには他のヨリ特殊なやり方を用いても効 果がないなどがそれである。このように人間関係論が主として非合理的な 障害を重視したのに対し,サイモンなどはすでに早くから,人間の意識的作 用にもとづくコミュニケーションの障害を指摘し,のちにはコミュニケーシ

ョンと組織との間の複雑な相互関係にヨリー層の検討を加えている。

近代理論は,人間関係論が見すごしていた,システムの各部分を相互に結 合するメカニズムとしてのコミュニケーション・ネットワークを重視する。

近代理論の一側面は,システムにおけるコミュニケーション・ネットワーク の研究である。それほ,意志決定の特定内容を形成しうる一要因としてのネ

ットワークを問題にする。

ついでながら,ここでバーナードのコミュニケーション論に対する

Lea‑

medとSproatの評価を検討しておこう。

「古典論者の取扱いに比較して,コミュニケーションはバーナードからヨリ

大きい強調を受けた。……この領域へのバーナードのおそらくもっともオリ

ジナルな貢献は,〔

1

〕コミュニケーションが明確で,実行可能で,受け手の

(10)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) (

9) 

個人目的と組織目的に対する考えと一致するのでなければ,それは力をもち えない,というかれの明察である。かれのその他の議論はまった<古典的立 場をしのばせるように思われる―とくに〔

2

〕公式的チャネルの強調と〔

3

(16) 

特殊な諸規定において。」

1

〕については,のちにみるコミュニケーション(命令)が受容されるた めの条件であるが.とくに古典理論に対するバーナード理論の意義からすれ ば,これだけではあまりに低い評価にすぎるように思う。〔

2

〕と〔

3

〕ほ,コ ミュニケーション・システムの構造原理をのぺた第十二章第二節にかかわる

(17) 

ものである。〔

2

〕しまサイモンも批判するところである。バーナードが客観的 権威の体系あるいは公式組織構造のみをコミュニケーションのシステムとみ なしたところに問題があろうが,かれが非公式組織のコミュニケーション機

(18) 

能をも重視していることほ,この批判をかなり軽減させるであろう。〔

3

t

こ ついてほ,たしかに伝統的な「組織原則」論を思わせる部分がなくはないこ

とを認めざるをえない。ただし,組織構造形成原則そのものを取扱うか否か が,伝統的と近代的とを区別する基準とならぬことは注意するまでもなかろ

ぅ。それはつねに組織問題の基本的課題である。

しかしバーナードが,単なる組織構造形成論にすぎなかった伝統理論を,

主としてコミュニケーションの観点から再検討して近代理論の基礎を作り,

さらにコミュニケーションと関連してかれ独自のオーソリティー理論を構成 したことを忘れてはならないであろう。ここにわれわれの問わんとするコミ ュニケーションとオーソリティー問題の中心点があり,出発点がある。節を 改めて論ずることにしよう。

バーナードは組織の本格的研究を妨げてきた要因として,権威の法律学説

(16)  ibid.,  p. 78.〔

i

ま筆者による。

(17) 

「バーナードのコミュニケーションの議論

(pp.175181)

ほ,かれがコミュニ ケーションのチャネルを権威のチャネルと同一視しているために,幾分そこなわれ ている」

H.A. Simon, AdminrativeBehior,p. 155. 

(18)  Barnard, op. cit., p. 122, pp. 223226. 

(11)

10 (10)  バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

と人間行動の経済的側面の誇張の二つを挙げている。少なくともこの二つの 伝統理論に内在的な仮説を打破して新しい組織理論を構成することが,バー ナードの問題意識をなしている。前者について,かれは「組織の一般的特質 に対する研究を妨げていたものは,おそらく国家と教会の本質に関する長い 思想史であろう。この思想の中心は権威の起源と性質に関連するものであっ て,そこから出てきた法律万能主義が社会的な諸組織の本質的事実を認めさ

(19) 

せないのである」という。そこでかれは,このような伝統的な法律学説とも 矛盾しないのみならず,それらをも説明しうる組織理論ー一社会的な諸組織

(20) 

の本質的事実としての「調整と意志決定の過程」を認める本格的組織理論 一の構想に腐心し,国家についてはエールリッヒの『法社会学の基本原 理』に啓発されて「法の源泉は,いかに制定されようとも,支配者,立法者 あるいは法廷ではなく,家族や種々の共同社会に組織された人民なのであ

(21) 

る」との理解に到達し,同様に権威についてはその源泉を人々の受容

ac;cep tance

に求めることによって,これを解決しようとしたのである。

伝統的組織論において,組織は,一般に,上から下への権限委譲関係を基 礎にして成立する統制,支配の機構とみなされ,上位者は当然に,部下に命 令し,行為せしめる権力

power

をもつものと前提される。それは法律的解 釈であり,いわゆる'「上位権限説」に内在する思考である。それは,バーナ ードのいう「国家と教会の本質に関する思想の長い歴史」をもつものである。

およそ,管理や組織に関する理論や技術は,その社会におけるもっとも基 調的な組織体に即してもっとも高い水準に達しているといえよう。現代では 大規模な経営組織における展開がそうである。しかし伝統的な経営管理論,

とりわけ組織綸は,むしろそれ以前の社会におけるもっとも基調的な組織体 というべき,したがって高度な管理技術,組織技術をもっていた,国家(行 政組織),教会(宗教組織)あるいは軍隊をそのモデルとして展開されたとい っても誤りではなかろう。そこでは権威主義的思想が支配的である。スージ ャネンは次のようにいう。 「機能的管理の組織モデルはマックス・ウェーバ

(19),  (20)  ibid.,  Preface, p. ix.  (21)  ibid.,  p.  x. 

(12)

バーナ・ードにおけるコミュニケーショソとオーソリティー(飯野) 11) 11 

ーと合法的支配(権威)

rationalauthorityの理論にさかのぼる。かれは合法

的権威の正統性を『他の人々によって行為基準として問題なしに服従される ような意志決定をなす権力』と前提する。この思考ー一~権威は下方へ委譲さ れる一はハイアラーキーの制度と同様に古い。いく世代もの間,『少数者は 生れながらに命令者となり,多数者は生来服従者となってきた o』•…••官僚制 の主要仮説ー一権威の下方への委譲一~秩序ある,静態的な封

(22) 

建主義の世界から引き出されている。」 かくしてかれは,伝統的組織論の特 徴を「権威の下方への委譲」

thedownward delegation of authorityに求め,

このような仮説から命令の統一,管理限界,例外原理などの伝統的組織原則 が派生すると考える。

バーナードをして「権限受容説」的側面を重視せしめた時代的背景につい ては,バーナード自身による説明はなく,またわれわれの当面の関心でもな いが,再びスージャネンによると次のように言えよう。アメリカ社会にとく に顕著なように,現代における自由,民主主義,科学および技術が,機能理 論(伝統理論)の基礎となっていた静的,階層的価値体系を変化させた。

「現代文明の特質ほ,民主主義と科学という二つの影響力によって主として 規定されてきた。進化的管理論は民主主義と科学とを,管理の実践にも管理

(23) 

の理論にも統合されねばならぬ動的要因とみる。」 スージャネンのいう進化 理論は近代理論を意味し,そこでの特徴は「権威の上方への委譲」とみなさ れるのは興味深い指摘である。ちなみに,わが国で最近バーナード理論がか くも広く受け入れられはじめた理由は,概括的に言えば,敗戦による伝統的 価値体系の崩壊なくしては考えられないであろう。

さて,バーナードはかれの理論を人間論からはじめ,協働理論から組織理 論にいたることは周知のところである。組織理論は「理念型的な単純組織」

に即したものから,複合公式組織,管理組織へと適用される。われわれが現 実に当面する組織は,まさに複合公式組織の構造であり,それは一面からみ

(22)  W.W. Suojanen,  The Dynamics of Management, 1966, pp. 3 4. 

(23)  ibid.,  p.  iii.

スージャネンの理論の一部は,拙稿「図解経営管理論の展開」

商学論集,第

12

巻,第

1

号に紹介されている。

(13)

12 (12) 

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

れば「調整のシステム」であり,コミュニケーションのシステムである。組 織は,それ自体を維持するために調整されねばならず,調整を可能ならしめ るべき種々の機構と力とを保有しなければならない。かような力は,組織に 内在する非人格的な性格をもっている。いわゆる組織の公式的側面,主とし て客観的権威の側面であり,伝統理論がもっばら取扱う側面である。これが 否定されるならば,組織は成立しえない。

しかし,その動機充足をめざして自由意志をもって主体的に行動するとい う人間理解から出発したバーナード理論では,このような客観的権威にのみ とどまることはできない。ここに全人格としての人間と,調整の事実によっ て非人格化された組織,したがってその構成要素である人間活動との対立が 存在することは指摘するまでもなかろう。およそ「協働は個人の動機をみた

(24) 

すためにのみ結成される」のであり,個人が個別的にうる満足以上のものを 組織は分配しうることが必要である。調整にもとづいてこそ,協働は個々の 努力の総計以上の成果を生産し,それを誘因として分配することができる。

(25) 

協働意欲をもって調整の要求に服し,「人格的行動の自由を放棄する」のは,

それと引換えにヨリ大きい満足の保証があるためである。それゆえ,個人が 満足をえ,協働に参加している以上,組織の行使する力に同意し,それを容 認し,受容することを意味するとバーナードは前提する。かくてバーナード の協働理論,組織理論には,つねに各構成メンバーの同意が前提され,権威 の場合も例外ではない。命令の受容なくして調整はありえないのである。も ちろん,協働が貢献を誘引するに足る誘因を提供しえず,また力の使用が過 度にわたれば,組織表現としての権威などの諸力は否定される。国家の場合 でも,「専制の企図は革命か内戦によって清算される。権威はつねに,それが 適用される人とともにある。強制はこれとは逆の幻想を起させる。しかしカ の使用は,まさにその事実によってかえって要請されている権威を破壌す

(26) 

る」とバーナードはのべている。

かようにバーナードは,権威を取扱うに当って,伝統理論に固有な客観的

(24)  C. I. Barnard, op. cit., p. 44. 

(25)  ibid., p. 84.  (26)  ibid., p. 183. 

(14)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) 13)  13 

権威のシステムをコミュニケーション・システムの観点から再検討して,こ れをその一側面とし,他方,個人の同意ないし受容の側面を取り入れる。後 者は,権威の主観的側面であり,個人的決定の問題である。 「権威ほ,一方 では,個人の協働的態度に依存し,他方では組織のコミュニケーション・シ

(27) 

ステムに依存する」のであり,このことはもっとも端的に権威の定義に示さ れる。すなわち,「権威とは,公式組織におけるコミュニケーション(命令)

の性格

thecharacter of a communication (order)  in a formal organization 

であって,それによって,組織の貢献者ないし構成員が,コミュニケーショ

(28) 

ンを,自己の貢献する行為を支配するものとして,受容するのである。」「こ の定義によれば,権威には二つの側面がある。第ーは主観的,人格的であり,

コミュニケーションを権威あるものとして受容することである。第二は客観 的側面―それによってコミュニケーションが受容されるコミュニケーショ

(29) 

ンそのものの性格 である。」 したがって,バーナードの権威理論を「受 容説」とのみ規定することは不正確であり,それはいわゆる「上位権限説」

―公式的権威の構造―と受容の概念とをともに包含する。伝統理論にお

(30) 

けるがごとき前者のみの強調が,誤った管理実践をもたらすのである。

すでにのべたようにバーナードは,権威に関する伝統理論すなわち権威の 上方からの下降理論に対して,むしろ権威の下方からの上昇理論をもつこと によって,伝統理論の欠陥を克服しようとした。ここにバーナードの,とく に権威理論構成の苦心が存したところであろう。かれはまず,現実の組織に

(31) 

おいていかに(客観的)権威が効果的でないかを観察し,権威は「受容」を ともなうことなくして真の権威たりえないことを確信する。

ところで権威は一面において「公式組織におけるコミュニケーションの性 . . . . . . . .  

格」である。公式組織に関連をもたない人々に対するコミュニケーションは 意味をもたない。たとえ公式組織関連においても,それが適切でなければ受 容されることはない。さて,コミュニケーションは,「それが組織情報の源泉

(27)  ibid.,  p.  175.  (28),  (29)  ibid.,  p'.  163.  (30)  ibid.,  p.  286, p.  289.  (31)  ibid.,  pp.  161 163. 

(15)

14 (14)  バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

—コミュニケーション・センクー――—から発するときには,個人的源泉に よるときよりも権威の推定

thepresumption of authorityをもつ。……もし

上位の職位から送られるコミュニケーションが,その職位にふさわしいすぐ れた視野と展望とにうまく一致しているならば,人々はこれらのコミュニケ ーションに権威を帰属せしめる。……これが職位の権威

authority of posi tion

である。……しかし,ある人々はすぐれた能力をもっている。かれらの 知識と理解とは職位と無関係に尊敬をかちうる。ただこれだけの理由で,人 はかれらの組織における発言に権威を帰属せしめる。これがリーダーシップ

(32) 

の権威

authority of leadership

である。」 職位の権威とリーダーシップの 権威とがともに発揮されれば,通常,権威の確立は容易である。わが国の多 くの組織において,年功序列にもとづくリーダーシップ不足が,新しい時代 の組織運営の大きい欠陥となっていることは残念である。 「この客観的権威 は,その職位あるいはリーダーがつねに適切な情報を受けている場合にのみ

(33) 

維持される。」 したがって「客銀的権威の維持は,組織におけるコミュニケ

(34) 

ーション・システムの運用いかんに依存する」こととなる。そのためコミュ ニケーション・システムは,すでに管理職能の一つとしてみたように,職位 と人(リーダーないし管理者)とについて適切でなければならない。かよう に権威が受容されるためには,その前提条件として,コミュニケーション・

システムの効果的機能がなければならず,すでに記述した第十二章第二節の ごときその諸原則の考察が必要となるのである。 「このコミュニケーション

・システム,あるいはそれを維持することは,公式組織の基本的な,本質的

(35) 

な継続的問題である」ゆえんである。

しかしながら,「権威の決定は個人の手中にある。たとえば,権威あるこれ らの職位を占める人が現実に不適格であり,情況を知らず,当然伝えるべき ことを伝達しないとき,あるいはリーダーが(主としてその具体的行為によ り),リーダーシップというものが個人の組織との関係に内在する本質的な性

(32)  ibid.,  p.  173.  (33)  ibid.,  p.  174.  (34)  ibid.,  pp. 174175. 

(35)  ibid.,  p.  175. 

(16)

バーナードにおけるコミュニケーツョンとオーソリティー(飯野) 15)  15 

格に依存していることを暗黙のうちにも認識しえないときには,権威はもし

(36) 

それがテストされれば,消滅するであろう。」

いまや,受容の条件などをヨリ具体的に考察すべきときとなった。節を改 めて論じよう。

前節では,組織表現としての権威について考察した。組織は全体として調 . . . . . . . .  

整されるために客観的権威を維持することが必要である。しかしそれは,個 々人の同意ないし受容によってはじめて意味をもつ。もし各人がコミュニケ ーションを受容して,必要とされる調整された活動を提供することがなけれ ば,組織は存立しえないからである。各管理者(上位者)が権威を持ちうる のは,部下にコミュニケーションを行ない,それを受容させて,部下をして 必要な実行をなさしめうるときである。

「人は,つぎの四条件が同時に満足されたときにはじめてコミュニケーショ

(37) 

ンを権威あるものとして受容でき,また受容するだろう。」 すなわち,

(a)

コミュニケーションを理解でき,また実際に理解すること。たとえば外 国語で命令しても,理解できないかぎり,そのコミュニケーションはおよそ 権威をもちえない。

( b ) 意志決定に当り,コミュニケーションが組織目的と矛盾しないと信ずる こと。受令者が理解している組織目的と両立しえないと信ぜられるコミュニ ケーションは受容しえないであろう。そのような命令が必要な場合は,一見 矛盾するようにみえることが,そうではないことを説明し,あるいは論証し ておくのが賢明である。

( c ) 意志決定に当り,コミュニケーションが自己の個人的利害全体と両立し うると信ずること。組織の貢献者となり,実際に貢献を提供しつづけるかど うかという個人的決定は,基本的には,組織からえられるネットの誘因の大 きさに依存する。もしコミュニケーションが組織との結合からえられるネッ

(36)  ibid., p. 174. 

(37)  ibid., p. 165

.以下の記述は,

pp. 165 166

.による。

(17)

16 (16) 

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

トの利益を破壌するような負担を含んでいると信ぜられるならば,もはやこ れを受容すべき理由は存しない。

( d )精神的にも肉体的にもコミュニケーションに従いうること。もし人が命 令に従う能力をもたなければ,明らかにその命令は違反されるか,あるいは,

よくても無視されるにちがいない。泳げぬ人に河を泳いで渡れと命令するの は,このよい例である。

以上が,コミュニケーション受容のための四条件である。永続的な組織に おいて慎重に発令される命令は,通常この条件を満たしている。しかしこれ だけで,重要で永続的な協働の確保が可能なのかという疑問があろう,なぜ なら原則的にも実際的にも権威の決定が下位の個人にあるとみなされるから である。バーナードはこの点について,個人の意志決定は,(

a

)以上の四条件 のほかに,次の(

b), (c)

という条件のもとで,行なわれるゆえに可能となると

(38) 

いう。これら三条件は,受容面からみた権威の安定性を促進する作用をもつ。

( a )上述したような,服従されえない命令,あるいは服従されないような命 令は発令されないという原則ほど,良い組織において十分確立されている管 理原則はない。のちにみるように,「上位権限」の考え方は,組織運営上,上 位者にとっても下位者にとっても便利なものではあるが, も し 通 常 の 「 権 限」思考にもとづいて管理が実践されれば,必ず失敗するにちがいない。管 理者としてほ,権威が受容に依存することをあくまで理解しておくことが必 要である。

(b)

各々の個人には無関心圏

zoneof indifferenceがあり,その圏内では,

命令はその権威の有無を意識的に反問することなく受容しうる。無関心圏ほ バーナードに特有な概念で,次のように説明しうる。上位者の発する命令を すべて,受令者の受容可能性の順に並べると,第一には確実に服従されない 命令がいくつかあり,つぎに多かれ少なかれ中立線上にある第二のグループ があり,最後に問題なく受け入れうる第三のグループがあると考えられよう。

この最後のグループのものが無関心圏内にある。個人はこの薦内にある命令 を受け入れ,権威の問題に関しては命令が何であるかについて比較的に無関

(38) 

以下の記述は,

ibid.,pp. 167  17

 

1

による。

(18)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) (

17) 17 

心である。このような命令は,組織との結合関係をもったときにすでに当初 から一般に予期される範囲内にある。たとえば,クイビストとして一定の契 約のもとに就職すれば,「これをタイプせよ」という命令ほ,その書類の内容 のいかんにかかわらず,無関心に受容するがごとくである。

組織の提示する誘因を前提にして,一定の組織上の役割を受け入れたとき に,各個人には一定の無関心圏が設定される。これは組織人格の一面でもあ

(39) 

り,また公式組織との関係から生ずる「道徳準則」の一側面でもある。無関 心圏の広さは,基本的には,負担に対する誘因の大きさによって規定される。

しかし無関心圏外の命令は,いずれも受容されないと誤解してはならない。

無関心圏は,前述した(

a), (b),  (c),  (d)

の四条件を具備した通常の命令を,む しろ無意識的,自動的あるいは慣習的に受容する範囲であり,ことさら権威 受容の個人的意志決定を要しない範囲である。したがって組織は,通常,ぁ らゆる手段を用いて無関心薦の拡大をはかるのが得策であると考えるであろ ぅ。しかし,時には受容するかいなかが重大な個人的意志決定を要するよう

(40) 

な命令もあろう。その場合には,単なるコミュニケーションのみならず,組 織としては追加の誘因と説得(強制力すなわち制裁をも含めて)を行なって 受容を迫ることとなろう。権威が受容されうるすべての範囲を「受容圏」と みなせば,それは無関心圏よりも広い概念となろう。目的にいだく信念のい かん, リーダーシップのいかんによってほ, t まるかに無関心圏外の命令でも

(41) 

受容されることがある。

かようにバーナードは,無関心圏の概念を導入することによって,一方で 自由意志をもつ人間の個人的意志決定力を理論的に貫徹しつつ,他方で客観

(39)  ibid., p. 270. 

(40) 

その結果,個人は組織を去ることもあろうが,普通ほ適当な方便によって命令 を回避するだろう。

(41) 

バーナードは,「リーダーシップの権威が職位の権威と組合わされると,組織と

の確立した結合関係をもつ人は一般に権威を認め, t まるか無関心圏外にある命令で

もこれを受け入れるだろう」

(ibid.,p.  174)

とのぺ,また,時には誘因と負担の打

算をこえた命令でもこれを受容させることこそ, リーダーシップ,とくにその道徳

的創造性機能の作用となろう(第十七章参照のこと)。

(19)

18 (18)  バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野)

的権威の安定性を保証しようとするのである。

( c ) 集団として組織に貢献している人々の利害は,個人の主観あるいは態度 に,上述の無関心臨の安定性をある程度まで維持するような影響を与える。

これは非公式組織の第二の機能一「貢献意欲と客観的権威の安定とを規制 . . . . . . . .  

(42) 

することによって公式組織の凝集性を維持する機能」一を意味する。

組織の能率は個人が命令に同意する程度によって影響されるから,命令が 誰にも受容不能な場合は別として,組織伝達の権威を否定することは,その 組織との関連からネットの利益を確保しているすべての人々にとって一つの 脅威となる。したがって,いつでも大部分の貢献者間には,自分らにとって 無関心圏内にある命令は,すべてその権威を維持しようとする積極的な個人 的関心がある。この関心の維持は主として非公式組織の機能である。かよう に非公式に成立した共同体の共通感は,人々の態度に影薔を与え,かれらに,

無関心圏あるいはそれに近いところにある権威を個人として問題にすること を忌避させる。この共通感を形式的に述べたものが上位権威の仮構

fiction of superior authority

である。すなわち,権威は上から下へ下降し,一般的 なものから特殊的なものに至るという考え方である。かように非公式組織に よる支持が,多くの場合,公式組織の客観的権威を維持する機能を果たし,

(a), 

( b ) の二条件とともに,つねに客銀的権威が確立しているという外見を呈 する。 「仮構」という言葉はこのような外面的行為を説明するものとして使 用される。もちろん,客観的権威が不適切に行使され,その結果,非公式組 織の支持を失えば,権威は破壊されることは言うまでもない。

上位権威の仮構は,次の二つの理由から必要と認められる。

( 1 ) 民主的社会においては,個人の組織上のいかなる行為も,本来は自己の 責任において命令受容の適否を意志決定した上で,なさるべきである。しか し一般に,人は組織における自己の行為に対して責任回避をしたがるから,

たとえば軍隊においてよくみられるように,「上官の命により」止むをえず行 為をしたという方が個人としても気楽である。上位権威の仮構は,組織決定

—その調整的性格の事実によって非人格化されている行為一~をする責任

(42)  ibid.,  p.  122. 

(20)

バーナードにおけるコミュニケーションとオーソリティー(飯野) 19)  19 

を個人から上方へ,すなわち組織に委譲する過程である。

( 2 ) この仮構から,重要なのは組織の利益だという非人格的な見方が生ずる。

もし客観的権威が恣意的な,いわぱ単に気分的な理由で侮辱されるならば,

いいかえれば,実質的な個人的利益を本当に守らないで,故意に個人的利益 のために組織要求を曲げようと企てるならぼ,それは組織自体を意識的に攻 撃することとなる。組織を窮地におとしいれておくことは許さるべきことで はない。上位権威の仮構を組織構成員に教え込むことは,組織維持に当って の効果的手段であろう。

かように上位権威の仮構ほ,上位者にとっても下位者にとっても支持され がちである。

以上にみたように,ただ受容可能なコミュニケーションだけが一般に発令 されるように注意されている場合には,それらは大部分が個人の無関心圏内 にはいり,また共同体意識がたいていの貢献者の動機に影響を与えるので,

コミュニケーションの権威ほ貢献者によって維持されることとなる。

かように受容面に関する三条件を通じて,バーナードはかれの全理論体系 と論理的に首尾一貫する権威理論を構成する。個人人格と組織人格,個人的 決定と組織的決定など,個人と組織の関係につねに内在する問題は,権威理 論においては権威の受容と客観的権威との形で表現される。いずれの場合に も一方を他方につなく•ものは誘因の理論,すなわちモーテイベーションの問 題である。権威受容の基礎は,各個人が組織によって十分動機づけられてい ることである。したがって誘因の方法と説得の方法(制裁を含む)とが用い られることを要するが,本稿はこの点についてのべる場所ではない。権威受 容の問題は,基底的には誘因の問題に帰しうることを指摘するにとどめよう。

しかしそれだけではない。

「個人が組織の命令ないし要求に同意するかいなか,すなわち個人がそれに 権威を与えるかどうかの問題は非常に複雑である。それは次のような諸事情 に依存する。すなわち,権威を否定した場合に制裁が用いられるならば,そ の制裁によって修正される,命令の積極的ないし消極的誘因としての効果。

個人が組織から派生する道徳準則をもっているかどうか。特定の要求に関し

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