イギリス資本主義成立史上の「生産者の資本家への 推転」(2)
その他のタイトル The Way in which "The Producer becomes a Merchant and Capitalist" (II)
著者 矢口 孝次郎
雑誌名 關西大學經済論集
巻 2
号 1
ページ 28‑48
発行年 1952‑02‑29
URL http://hdl.handle.net/10112/15873
一︑独立小生産者肝!小織元︵以上前号︶ き今A
ま え
カ イギリス脊示主義成立史上の
﹁ 生 産 者 の 資 本 家
二`独立小生産者府の分解
︱‑l.マニュファクチュアの検証︵以上の中一部本号︶
四`十八批紀における発展 五︒﹁生産者の・商人への上昇的推進﹂
独立小生産者層の分解
さて生産者が資本家となる途ほ︑上述の如き独立小生産者の中の一部が漸次に経営の規模を拡大してゆく過程に見
出されるが︑そのことは︑同時に他の多くのものがその経営の独立性を失い︑後には生産手段をも手離して賃努慟者
矢 ヘ
口
の推轄﹂
孝 (二)
一八
次
郎
一 九
の地位に下降してゆく過程をも含むのであって︑そこに独立小生産者層の分解が認められる°然しこの分解が如何に
して行われたかは極めて複雑な問題であって︑そこには内的要因とともに穂女の外的要因が媒介となつて働いていた
ことを認めねばならない°然し前に述べたような問題との関連からみて︑ひと先ずその基本的要因として︑直接生産
者自らの有する経済的地位︑特にその経済的独立を保証するものとしての土地所有の関係の変化に着目することは誤
でないであろう︒この点に関連して︑いわゆる富農層の成立が問題としてとり上げられるのであるが︑それは如何な
る意味においてであろうか︒いま高橋教授によればそれは次の如く説かれる︒すなわち先ず﹁農民層の分解は︑農業
̀︑︑︑︑︑︑
生産においても工業生産においても︑同時的に・並行的に・資本関係
11
産業資本のための内部市場を創り出してゆく
過程﹂と考えられ︑それに応じて﹁農業部門においても︑資本制生産の端初形態は︑独立自営農民層のもとにおける
農業経営の拡大:
. .
. .
のうちに自生的に成立したように︑工業部門においても︑資本制生産の端初形態は︑産業的中産
者層
のも
とに
おけ
る工
業経
営の
拡大
・・
・・
・・
のう
ちに
自律
的に
形成
され
た﹂
と︒
︵﹁
構造
﹂/
lこの点は認められねばならな
︱ ︱
︱
10
頁
ぃ°然し︑問題はそれだけのことには止らないのであって︑むしろ︑その分解によって生じた新な関係が重要である
が︑それについては教授は進んで次の如く簡潔に指摘される︒すなわち﹁富裕な農民層から︑工場主なり借地農業経
営者なりが分出すると共に︑より貧困な農民は︑土地を失い機械を捨てて︑嘗ての﹃仲間﹄であったマ=一ュファクチ
同•)
︱ ︱
9 1
0頁
ュア乃至借堆農業経営者のもとに︑自己の努働力の販売者として再び立ち現われるであろう﹂と︒︵この点
︑
︑
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︑
︑
︑
を更に当面の問題に関連して集約的にいえば︑﹁裕顧な農民
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ys
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s
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は彼らの家畜を売つて数台の織機を
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︑
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買うであろう︑そして彼らは工場主
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になるであろう︒より貧困な農民たちほ︑彼らの努働者
o u
v r
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に
イギリス査本主義成立史上の﹁生産者の賽本家への推轄﹂
裕なるョウマンは︑ ぎ見解︑或はその場合の経営の拡大は職場の拡大のみに重点が存するという如き見解を蔵するとすれば︑その点は後に説くが如く疑問とされねばならない°然し︑当面の問題として︑直接生産者の資本家への推韓が︑農民層の分解乃至富裕なる農民の成立に密接に結び付くということ︑そのことは否定されない︒ところで︑ここには︑この問題に関する全而的解釈を試みようとするのではなく︑むしろ︑従来の解釈において比較的等閑親されていた若干の点を指摘
前にも述べた如くドッブは﹁家内的生産者がどの程度まで依存的となるかを決定する要因は︑原料の供給の源泉に
Do bb ,
近いか遠いかということよりも︑恐らくその生産者自身の有する経済的地位
e c o n o m i c
st
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であ
る﹂
(s tu di es ,
底
01 49
となし︑それを土地所有の有無に見出している°然しこの場合の土地所有とは︑ただ土地所有そのことだけを)
意味するのではなく︑それと彼らの工業︵織布︶経営との間の次の如き関係を意味するものであることを︑注意して
おかねばならない︒すなわち︑土地所有に基いて﹁相当期間に亘つて︑食料及び原料の自給をなすこと﹂のできる富
﹁商人たる買手の与えてくれる信用や思顧から超然として︑買手や販売の時期を選択し︑時期を 富裕なる農民の成立について しておきたいと思う︒ その見解の背後に︑
イ ギ リ
k査本主義成立史上の﹁生産者の査本家のへ推轄﹂
ーということである°換言すれば以上の如き意味において︑農民層の分解乃至富農層の成
同上
︱‑
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八
な る で あ ろ う
﹂ ( ー よ 頁
立が︑生産者の資本家への推轄に関して問題としてとり上げられるのである︒但し以上の如き見解に関しても︑もし
マ =
lュファクチュアの形成はかかる富農層乃至産業的中産者層によつてのみ推進されたという如
゜
の点に関連して富裕なる農民の成立が問題となるのである︒ 一年中の或る時期には︑家族の者の生計を維持するために︑将
来の生産物を買手の下に担保に入れなければならなかった﹂という状態にあったのである︒︵戸︒立豆苗穿
es .)
かくし
﹁原料の買入れ︑市場の朕況︑乃至製品の販売︒代金の回牧の期間︑それらのことに関
する極く僅かな不利な事情も︑彼らの立場を絶望的ならしめ︑将来における隷属化の條件をつくり出すに十分であっ
た ︒
. . . . . .
織機を資本家の手中に集中せしむる傾向を増大せしめたものは︑かかる層の職人の貧困とその結果として
の負債に対する必要であったことは︑殆んど疑のないところである﹂と︒︵戸註︒︶このように︑独立生産者層の分解
の事情は、彼らの一部'~むしろ大部分ー~の者の間における貧困の増大に求められ、更に遡つてそれが士地所有の
如何に求められているのである︒然しそれは単なる土地所有を意味するのではなく︑織布における利澗の作出︑従っ
て資本の蓄積の横杵となるが如き土地所有を意味するものであることは上に述べた如くである︒独立生産者層の間に
おける分解の要因の基本的なものが土地所有関係の変化に存するというのは︑かかる意味においてであつて︑またそ
さていわゆる富農層の成立に関する一般的解釈はしばらく別として︑イギリスにおけるその事情は如何なるもので
あったか︒この点に関しては既に大塚教授によって基本的な展墜が与えられており︑またそれが一般に認められてい︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑る以上︑それに多くのものを附け加える必要はないようであるが︑わが国におけるそれを続る若干の見解には必らず
イギ
リス
賽本
主義
成立
史上
の﹁
生産
者の
賓本
家へ
の推
韓﹂
て貧しい生産者にあっては︑ る数週間も前に原料を買い込むだけの現金を持たず︑ 待って高く売れるならば︑それまで待っことができた﹂のに対し︑土地を所有せず﹁生計の必要のために織布に頼らざるを得ない貧しい小屋住農はこれらの利盆を1つも有しなかった︒すなわち︑彼はその織物を売却し代金を回牧す
そこで先ず大塚教授の説くところの要点を見よう︒それによれば︑十四批紀半以降︑イギリスにおける﹁荘園制度
下における農奴の標準的負担たる﹃賦役耕作﹄
p r e d i a l s e r v i c e
(或いは﹃努働地代﹄
l a b o u r r e n t )
は全而的に﹃金
納化
﹄ co mm ut at io n
され始めおそくも十五泄紀半頃迄に農民の領主に対する負担︵所謂封建地代︶の形態は︑物納
地代の段階を経ることなく︑一挙に︑貨幣地代の姿を一般にとるに至った︒
. . . . . .
此の賦役義務の定額貨幣への金納化
と並行して生じた他の︱つの顕著な現象は﹁土地市場﹂
l a n d ma rk et
は︑農奴の経済的地位をいちちるしく向上せしめた︒﹂かくして早熟的な解放状態に逹し︑﹁向上の途を辿った農民層
の裡から、其の上層として・・・・・・典型的自営農民」たるョウマンが成長してきたのである。(噂〗
i-仝^)然るにそれの成立︑すなわち保有地の売買の頻繁に行わ
れ始めたことで︑﹁その結果として︑富農は貧しい隣人たちの保有地を次第に買牧︒兼併し︑
規模の拡大された保有地における富農の漿業経営形態も亦︑毛織物工業におけるそれに並行して︑貨銀努慟者を屈傭
する賽本主義的経営︵産業資本︶に推韓せんとする傾向を漸次示し始めたのである︒卜
1=
‑1
の所謂﹃小人島的資本
家﹄
L i l l i p u t c a p i t a l i s t
がユ
Jわ
いで
ある
︒﹂
腔約
しそ
れと
とも
に
せられながら︑領主の側においても亦︑﹃直営地﹄
de me sn e
の利用方法を変ぜざるをえなくなった﹂が︑それは領主
達が直営地の自已経営を廃して︑これを一︐定の期限を附して貸附け始めたことである︒これが旧来の﹁慣習小作﹂g
st om ar y t e n u r e
に対して︑﹁定期小作﹂
l e a s e h o l d t e n u r e
といわれる新しい借地形式であった°然るにこの場
合︑その借手たるものは︑﹁右に述べた如き早熟的な農民事情のもとにおいては︑自然主として農業資本家︵産業賽 しも疑問とするところがないとはいえないのである︒
ィギ
リス
査本
主義
成立
史上
の﹁
生産
者の
査本
家へ
の推
韓﹂
﹁農民の側におけるかような動向に対応し︑且つ牽引 かようにして漸く
ィ妾リス査本主義成立史上の﹁生産者の査本家への推韓﹂
﹁序
説﹂
本家︶即ちかの保有地の規模を拡大し漸く近代的経営様式へ推韓しつつある富農たらざるをえなかった﹂と︒︵↓
1 1 1↓↓ 1
町頁︶以上の如き解釈はほぼ等しいかたちにおいて高橋教授によっても説かれている︒([[[正↑︶
︑︑
︑
さて以上の如き解釈はイギリスにおける農民層の分解乃至富農層の成立の基本的屎睾を示したものといえるであろ
う︒然るにそのような解釈がひとたび資本主義成立に関する範疇論
( 1 1
抽象︶と結び付けられると︑しばしば︑その
過捏における︱つの側面だけが強調されて他の側面が殆んど無親されるに至るのである︒ということは︑例えば富疵
層l l
借地農業経営者
1 1 産業姿本という等式に結び付けて考えられる場合︑富農層の成立及び経営の拡大が︑産業資本
一般の成立乃至拡大に抽象されて︑それに基く解釈のみが強調されるに至るのである°範疇的にいえば︑借地農業経
営者は産業資本家であって︑その限りにおいて賃努働の雇傭によって︑その資本を増殖するものであることは︑いう
までもないことである︒また遡つていえば︑彼らの成立が︑彼らが努働生産性の上昇によって生じた余剰を掌中に牧
め︑かくして貨幣形態における富を蓄積していったことによるものであることも誤りではない︒然し乍ら︑貨幣経済
の発展が農民経済をとらえ︑それに浸潤してゆくという場合︑また更にそれによつて富農層が形成されてゆくという
︑︑
︑
場合︑抽象化された産業姿本の形成乃至増殖の過程のみを考えるのでは不十分である︒のみならず︑その成立や発展
を︑いきなり範疇的に考えられた前期的査本による生産者の搾取と対比して︑現実においても︑それと全く異なる成
立や発展の過程を辿ったものの如く解するのは誤りである︒われわれは史実の網羅を求めるものではないが︑貨幣経
済の農民経済への浸澗は︑そのような解釈に見られるよりはやや複雑であったと考える︒
そのことはこの問題における権威と目されるトウ︱︱ィによっても明らかに示されるであろう︒すなわちトウニイ
よれ
ば︑
﹁そ
れは
︑
張する点はこうである︒先ず彼によれば︑ するという自然的結果を有したこと﹂を説いている︒
﹁土
地
は︑農民層の間における生産力の上昇がその一部の者における富の蓄積の要因であることを認めつつも︑他方におい
て﹁農業においても︑慣習は或る程度においては商業によって破攘されたこと︑また商業は財産所有の不平等を促進
R•
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その点に関して彼が特に主
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.
59
﹁富農層が漸次形成されてゆく過程は三つの仕方に見出される︒第一は裕
繭な者達が隣人の土地の一部を買い占めてゆく方法であり︑第二は村落によつて周囲の未占有地が植民されてゆく方
法であり︑第三は曾つては領主が自ら占有していたがいまや:・・・・農民に売却し或は貸与するに至った土地を︑自己の
慣習的保有地に併せ加えてゆく方法である︒﹂
( 9
i 汗︶かくして平等であった農民の土地保有の間に再配合
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p ︑
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が進行するのであるが︑それは基本的には如何にして行われたか°史料の示すところに
殆んど慣習的小作人自らの隊伍の中における商業的諸力の働らきによつて行われ︑また中泄末期
における農村生活の一特質であったと考えられる旺なる土地買入れによつて行われ︑更にいえば︑慣習の支配と並ん
で認められる個人間の現金関係の増大に基いて行われた﹂のである︒
(1
年5}かくして﹁土地市場﹂が成立し︑
投機I日d
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n
が行われるに至るのであるが︑そこに農民層の分解︑富農層の成立の重要な契機が存する
のである︒トゥ=一ィが﹁小人島的資本家﹂
L i
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.
と称するものはかくして成立した富農
•(p.
81)
層を指すのであるが︑その性格は︑彼らの成立を以つて﹁零細商業主囃﹂
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y
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ci
al
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︵諄︶その契機を﹁零細土地投機﹂
pe
tt
y
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nd
speculat
io
n
と解しているこ亡に明示されている︵咋奇︶ことを忘
れてはならない︒トウ︱︱ィの語調乃至論旨から察すれば︑富農層としての﹁小人島的資本家﹂の成立乃至その富の蓄
ィギ
リス
安本
主義
成立
史上
の﹁
生産
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査本
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韓﹂
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ィ妾リス安本主義成立史上の﹁生産者の安本家への推轄﹂
] 五
e n c l o s e d h o l d i n g
として土 積には︑本来の生産者としての活動よりも︑むしろ商人的性格の活動が重要な契機となつているものと考えられる︒
ハイア土埴の買い集めを行ったのみではなく︑﹁余分の土地を賃借し︑また同時
に︑自己の保有地の一部ー│それは場所の不便な土地︑或は作業の困難な土地︑或はその他の理由で自己の手中に維
持するに価しない土地ー—を貸応していた」(呻虹)のであって、このような転貸
sub-letting,su bt en an cy
の関係
において︑彼はいわば中間搾取をする中間地主
i n t e r m e d i a t e l a n d l o r d
的存在となった︒︵宅迂︒一然も﹁転貸のみが︑
これら小人島的資本家の黙心にやり始めたやり口ではない︒それとともに︑これら農民は土地の売買を行い︑その結
果︑当然にその取引において仲介業者として働らく土地商人
l a n d ag e n t
ば︑更に遡つてこれらの富農層は如何にしてそれらに必要な富を蓄積したか︒ をも用いていたのである︒﹂︵豆至︶然ら. トウーーイはそれを︱つの
pn mu m
に求めることを斥けてはいるが︑然もなお﹁隣人の不運に際して金や殻物を法外な利李で貸与することによ
つて︑その不運を利用する悪辣な高利貸業者が︑中泄村落においても決して稀な存在ではなかった﹂ことを強く指摘
している︒︵咋年︶誓に︑ドップもまたトウニィの権威に依拠して次の如くいつていることを附け加えておきた
ぃ︒すなわち︑十六批紀において﹁われわれは︑開放耕地制度の外で︑一割の保有地
地を借地する借地農による独立の農耕経営が著しく発展したことを知つている︒これら¢者の中に︑富農図乃至ョウ
マンが存在していたが︑その中の重要部分を占める者達は︑その繁栄に従って自己の七地を借地乃至買入れによって
ス ク ワ イ ア バ ー ス ン マ ル ス ク ー
次々と拡大し︑また恐らくは︵郷士︒教区牧師︒麦芽製造業者︒穀物商人等とならんで︶貧しい隣人に対する高利貸︒
( D o b b
̀ )
St ud ie s, p .
125 となり︑十七批紀末には︑賃努働者の雇傭に基く相当の規模の借池農業経営者に生長していった﹂と 例
えば
︑
彼らは以上の如き方法によ.つて︑
C h a p .
ニの
点
ところで︑他方︑周知の論争においてドップはスウイージーの批判に答えて︑この時代における﹁農村における富農
(k
ul
ak
)
経営の意義は︑どんなに高く評価しても過大にすぎることはないという証拠は盆々多くなってきている︒
彼がきわめて古い時代に︑自分より貸しい小屋住農の努働を雇傭し︑十六冊紀にはかなり広汎な規模で新しい改善さ
れた囲込農法の開拓者になっていた﹂と称して(‑二嘆疇濯五正頁︶富農の意諦を重要観していることは事実である︒然
し乍らその際彼が脳裡に描いている富農屑とは︑実に上述の如き性格のものとして把えられていることを忘れてはな
らない︒それは範疇的に考えられた産業資本家的性格をもつものでなく︑現実には︑むしろ著しく商人的性格をもつ
ものであった︒いな︑性格的にいうならば︑合理的11経営的利潤獲得︵経済学的には等価交換︶の志向によって性格
付けられたものというよりは︑むしろ非合理的11投機的利潤獲得︵経済的には不等価交換︶の志向によつて性格付け
C 1 )
られたものであるとすらいえるであろう︒かくて︑ここにも範疇の適用に関する︱つの問題が存する︒
さて最後に︑以上の諸焦と関連して︑
ないであろう︒例えば︑彼は以上の如き富農層の成立に関する地域的影響を説明するについて︑﹁富農層の形成につ
となしているが︑︵合託︶更にすす
そ の 主 著 の 第 二 部
んで後のHンクロージュアの展開に関しても︑終始この点に関連せしめて説明していることは︑
﹁資本家的農業への移行﹂
P a r t J
r,
T
he Tr a n s i t i o n t o C a p i t a l i s t A g r i c u l t u r e
特に第一章﹁新なる農村経済﹂
I[
Th e N ew Ru r a l E co no my
の章
︵豆
咋●
●
177ー・ 230)
において最も明瞭に読みとることができる︒
いての最も強力な力は︑疑もなく︑商業の拡大と農業に対するその反映である﹂ しての商業の発展を強調していることを︑ トゥ=ーイが︑更にこの時代の農業上の変化と発展の契機として︑外的要因と
一言附加しておくことは︑彼の全般の論旨を理解するについて無盆では
イ妾
リス
査本
・主
義成
立史
上の
﹁生
産者
の査
本家
への
推韓
﹂
一 六
一 七
は︑いまの問題と離れる故に省略せざるを得ないが︑われわれが重ねて指摘しておきたいことは︑農民層の分解にお
︑︑
︑
いても︑その内的要因と称するものは︑恒に何らかの外的要因を媒介として始めて現実に認められるということであ
る︒外的要因を媒介としない内的要因というが如きものは︑客観的現実の批界︑またはその理解においては成立し得
ない︒とはいえ︑われわれは内的要因よりも外的要因に決定的重要性をもたしめねばならないなどと主張するもので
︑︑
︑︑
︑
はない︒われわれは当面の問題の理解に関し︑前者の重親がしばしば後者の理解を歪めていることを指摘したいので
C 2 )
ある
︒
( 1 )
農民暦の分解に関するトウニイの見解について.今までに比較的詳しく紹介されたものとしては.内田千里氏﹁﹃ヨーマン
lJ
I﹄の成立﹂︵高橋氏﹁成立﹂所牧︶がある︒
︑︑
︑︑
(2)この点に関して•Fップは「私はこれを二者の相互作用と見ている0尤も私が内部的矛盾に第一次的重点をおいていること
は事実である﹂と述べている.,C﹁経済研究﹂二の一.五︱︱一頁︶なお`F
ップの所論の狸解に詞して河野健二教授が﹁
Fップは
内的要因と外的要因の相互作用を認める立場にいる︒だから`彼は封建制の内部構造が外的要因と無関係に.それ自身の力で 常に発展し`変化するとは考えない︒⁝⁝だから彼は`俗流理論にたいして.商業が封建反動と結びつく事例をあげて︑これ を批判するが︒そうかと言って彼は俗流理論の哀返し︑すなわち商業は甜建制の分解をもたらすのではなくして︒常にこれを 阻害する.したがつて封建制の分解は`常に内的にのみ行われるといった見解に組するわけではない﹂といつているのは正し
い︒︵﹁思想﹂==三五号二八頁︶
味に関して. また白杉庄一郎敬授の見解は更に進んでいる。すなわち数授は、マルクKの「近批的生産方法がその第一期たるマー—ュファク︑︑︑︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑̀
チュア時代に発展したのは︒ただ︒その條件が中世内部で生み出されていたところにおいてであった﹂という周知の言葉の意
︑︑
︑︑
︑
﹁私は賽本制生産方法の安本︑主義的ないし常利主装的性格と世界的性格とは.すくなくとも発生的には︑・・・・・・賓
ィギリk
安本主森成立史上の﹁生産者の査本家への推轄﹂
債格革命について
制生産を組織した安本であるか否かは別問題である︒
イギリス賓本主義成立史上の﹁生産者の表本家への推轄﹂
本制生産方法にまで止揚された封建的生産方法そのものが具有していた商品生産的性格・したがつてそれを規定した中世商業 に由来するところがあると考える﹂︵同著﹁近世西洋経済史研究序説﹂︱
‑ l
︱七 頁︶
といわれ︒更にこの段階における産業賽本 と商業資本との関係については﹁衰本制生産方法の十分に発展しない段階においては︒生産方法そのものが世界市場を形成す るといつても︑その機能は商業査本に委任されざるをえない︒そしてそこに︑産業査本が自主独往の段階に到逹するまでは︑
商業資本に隷屈せざるをえない狸由がある﹂︵同上
. ‑ I ‑
︱︱
︱︱
一頁
︶と
され
る
0
商 業 乃 至 商 業 査 本 の 機 能 を 査 本 制 生 産 方 法 の 成 立の内的要因︵乃至條件︶を規定したものとして積極的に認める数授の見解は十分注目さるべきであろう
0
但し`それが安本
以上の如く︑独立小生産者層の分解を生じたのは︑土地所有における彼らの経済的地位の変化と考えられるが︑更に
それ以外の要因として何が認められるであろうか︒この点に関し︑ドップの指摘する如く︑十六批紀においては︑根
本的要因としては︑エンクロージュア︒修逍院の解散︒封建家臣団の解体等によつて︑多数の貧民が創り出され︑か
くして生じた労働力の供給の過痕が賃銀低落への必然の傾向を蔵していた︑というィギリス全般の努働市場の朕態が
︑
︑
︑
︑
︑
︑
考えられねばならない︒それが独立生産者の牧入に影唱を与えない筈はなかった°然し乍ら右の如き一般的根本的要
因の外に︑特にこの時期において︑賃銀ーーょ広くいえば生産者の牧入ーーとに︑極めて不利な影響を与え︑彼らを貧窮
と負債へ追いやったものに︑物価の騰貴︑従って賃銀の相対的低落を生ぜしめた要因のあったことをあげておかねば
ならない︒この問題は既に古くから殖目され来った問題であるが︑特に毛織物工業に関しては︑例えばヒートンによ
一 八
ィそリk賓本主箋成立史上の﹁生産者の賽本家への推轄﹂ 一般にこのように く
て︑
一 九
つて次の如く明白に指摘されている︒すなわち﹁一五八八年から一六七六年に互る期間は︑織布エや紡毛工の賃銀に
変動のなかった時期であるが︑他方一般物価には極めて著しい騰貴が見られた︒この物価騰貴は︑
(1 )
頭における躊貨貶質によるものであり︑またほぽ一五七0年に至ってイギリスの物価に影響を与え始めた南米の鉱山
から
の銀
の流
入に
よる
もの
であ
った
︒・
・・
・・
・一
五七
0年以後の一批紀間に物価は二倍になったと称しても過言ではない
であろう︒この騰貴の賃銀労働者に対する影響は極めて深刻であった︒なるほど︑努働者がその工業上の経営のほか
に︑農耕や家畜の飼育を行っている場合は︑その限りにおいては食料について市場の供給に頼る必要はなかったであ
ろう︒;
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然し主食たる穀物の供給は︑特にペン=ーン丘陵地帯の不毛な地方に居住する者にとつては︑これを他に仰
がざるを得なかった︒そして︑小麦・燕麦・ライ麦等の価格騰貴は週賃銀の.購買力に極めて深刻な影響を与えた︒か
一方には産業の著しい拡大が認められ︑また多くの織元が富裕となる途を歩みつつあったことを承認するとし
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ても︑他方においてこの国の貧しい階級の人々は窮乏線上に生活していたと結論せざるを得ない﹂
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格革
命﹂
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の影轡が︑物価に対する賃銀の遅れとして現われてきたことは︑既に^ミルトンなどの研究(睾這~一によつて統計的に示されているが、それが織物工業における直接生産者の生活を脅
威し︑彼らを一層の窮乏と負債へと迫いやったのである︒然しその影響は﹁純然たる賃銀努働者﹂に対して最も激し
かったとはいえ︑独立生産者もそれを脱れるものでなかったことは︑紙に一言した如くである°再言すれば︑この価
格革命は︑他の要因と相侯つて独立生産者に対しては分解的影響を与えた︒それはこうである︒.先ずこの時代の典型
スモール•マスクーズ
的の生産者は小親方であるが︑元来﹁彼は単なる努働者ではなく︑商人であり︑生産と消費との関連を維持する
一部は十六批紀初
家階級が生誕することに対しては︑ 商人の連鎖の中における最少の環であった°然し彼の資本は僅少であって︑供給と需要︵原料の購入と製品の販売ーー筆者︶の両者と接触を保っためには︑より大なる資本家の協力を必要とした︒﹂然るに﹁この依存関係が急追した段階に至ると︑それは負憤ーーすなわち不当な條件による前貸ーーという形態をとるに至ったのである﹂︒
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一般には信用の供与であり︑この時代にも︑それが生産力の拡大を導いたことはアンウィンも寄
2
)負債そのものは︑
認めているが︑それが不当なる條件による場合には︑その高利の関係
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を通じて︑独立生産者を抑圧し︑彼を
して事実上の賃努働者に下降せしめる要因となったのである°然し乍ら︑その反面︑分解の他の極として︑これら小
生産者の一部が︐前述の場合とはまさに逆に資本家に推転する場合のあったことも忘れてはならない︒すなわち﹁他
一歩上昇すれば︑努働しつつあるこれらの親方は独立の資本家となった︒:・・・・ヨークシ7やデウォンの
小屋住農や小農業家が織元に発展した如く︑十余の諸州でョウマン達がイギリスが後年に産業上の制覇を確立するた
めの開拓者としての役割を果しつつあった﹂のである︒全追時見秤罪5b
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の上昇に関しても﹁価格革命﹂は重要なる要因となった︒すなわちドップの説く如く︑﹁生産者の踪伍の中から資本 方において︑
一六批紀における急激なる物価の変動と︑その結果としての実質賃銀の低落及び
﹃利詢ィンフレーション﹄が少なからざる原因となった3
ーー
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lー︑七れに附け加えねばならないことは︑貧しい隣人の犠牲において高利によってかなりの利得が得られたということである」と。(g註豆s•
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12 6)
われわれはこの時
代のイギリスの独立生産者層の分解を理解するについて︑かかる要因が強く働いたことを忘れてはならない︒本項は
( 2 )
そのための注意を喚起するために加えられたものである︒
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成立
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生産
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汚点と目されて末た錨貨貶質︒即ちホオトリの所謂﹃英國史上唯一の員に邪惑なる貶質﹄
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19 30 ,
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16 7)
も亦.ヘンリ八世↑の第三十四年に開始したのである︒﹂
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︵小松芳喬﹁封建英國とその崩
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﹁ 債 格 革 命
﹂ を 以 て 甑 に 内 在 し て い た 貨 銀 低 落 の 條 件 を 現 実 化 し
` む し ろ 促 進 し た 契 機 と 考 え
` 更 に`そのことを遥じてそれが狐立小生産者暦の分解の要因として働いたこと`またそこに分解の現実が認められることを述べ たのである︒従つて﹁債格革命﹂が分解の起動力であるなどと主張しているわけではない︒
周知の如くこの問題は古くから着貝されたところであるが.それを明確に一問題として提起したのはハミルトンの研究
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, であり︑その日細は`更に債格革命が近代零︵本
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主 義 の 勃 興 に 影 嘔 を 呉 え た こ と
︑ そ れ も 貨 銀 低 落 へ の 影 馨 を 源 じ て 行 わ れ た こ と を よ り 朋 白 な ら し め た 彼 の 論 文
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いて︑まさに誦説としての一つの理論となった°然るにL i
この理論はその後ケインズの採るところとなり。債格革命による「利潤インフレーション」•
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労働 者の賃銀を低落せしめ︒また従って生活ホ準を下降せしめ`それらを通じてイギリ
K産業の拡大をもたらしたのである.と説
かれるに至った︒
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19 30 )
然るにその後このようた見解に対し種々の批判が加えられ
たが︑その代表的のものの一っが︑不フの批判J.
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1937
である︒それはイざリス及びフランスの場合に関する広汎な批判であるが︑いま イ寺リスの父銀低落に関する点のみクと兄れば.先す仮はぐ︑ルトンの低拠した玩町か.例たはウイーベ`及ひての油礎であ るロジャースの如く古いものであることを指摘する︒ょって新なる史料に照して見るに.それらは`より多くの職種の労働者 について`各種の生活費︵例えば種々の品目の食料品・燃料・住居費︶を考慮し︒また都市と農村との差別を考慮に入れなけ ればならないという︒これらの考証の結果.いい得ることは.先ず`物債の変動は普誦考えられるよりも更に複雑であるこ と.また長い時期に一旦る怖債の上昇が査本主義の勃興にとつて重大なる意箋をもっという思い付き易い推定には警戒を要する
( 1 )
ィギリk
安本主義成立史上の﹁生産者の賽本家への推轄﹂
である故に︑後日改めて言及したいと思う︒ ィギリk
賽本主義成立史上の﹁生産者の賽本家への推轄﹂
ということである︒なるほど"アメリカからの貴金属の流入は`物債を騰貴させることによって"労働者の賃銀を低落せしめ
た0
然し労働者の実質の所得は必らずしもロジャー
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時代以木考えられているほど著しく低落したとは考えられない
0
また怖 債の騰貴については.貴金属の流入よりもむしろ錨貨貶質が大いに関係がある︒ーー!かくて・アメリカからの貴金属の流入及 び通貨此質による剌激が産業の発展に如何.に影嘔したかは.國により`時期によって種々異らざるを得ない`と︒
さ て こ の よ う な 批 判 は ド ッ プ も 一 応 認 め て い る
︒ 然 し 彼 は そ の 批 判 の 上 に 立 つ て
. 更 に 進 ん で 次 の 如 く 主 張 す る
︒ す な わ 芝ぐ︑ルトンやケインズの如き主弧を如何に且るかについては意見は必らずしも一致しない
0
然し貴金属流入による影響が 大であったことは否定出来ない0とはい.を問題はそのことにあるのではなく•それが如何に影褪を奥えたかという点が重要であるが`この点はその祉会の労働市場の朕態如何•特に産業源備軍の大きさにかかわるのである.と。このような点から
﹁貴金属流入の結果`如何なる傾向が生じたかは・全く労働体制の性格に依存する﹂というマックス・ウニバーの言を引用し ている0然るにイそリスの現実を見るに。十六世紀における労働市場の瓶態は既述の如き供給過網であり•その故に債格革命 が以上の如き影聾を奥えることになったのである`と︒
( S t u d i e s ,
pp
,
2 3 5 ‑ 8 )
われわれが債格革命を以て分解の媒介的契機と
考えるのは.かかる観点からである。なほ`債格革命にも関説しつつ経済全般の展開を概説したものに、最近•
G . N . C l a r k , Th e W ea lt h o f E ng la nd r f om 1象
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(H om e, U n i v .
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があるQ
なお︑上述の如き独立生産者層の分解に関連して更に考慮しなければならない問題として︑彼らの原料購入及び製
品の販売に関する関係︑すなわち市場の関係があるが︑それはむしろ商人が生産を支配する途に結び付いているもの
マー一ュファクチュアの検証
四