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論文審査の結果の要旨
氏名:林 智草
専攻分野の名称:博士(芸術学)
論文題名:2楽章構成ピアノソナタの変遷
-ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを中心として- 審査委員:(主査) 教授 蛭子 麗貞
:(副査) 教授 池田 直樹 講師 綿村 松輝 : 講師 金澤 正剛
本論文は、18世紀から19世紀への音楽史の流れ、すなわち古典主義時代からロマン主義時 代への変遷期において、ピアノソナタの特徴にどのような変化が起こったかを、2楽章構成の作 品を取り上げて分析、研究したものである。その際、特にこの時代音楽史を先導したことで知ら れるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作品と、同時代の典型的な作曲家とみなされるム ツィオ・クレメンティとフリードリヒ・クーラウの作品を比較することによって、同時代のピア ノ音楽の一般的傾向と、それとは異なる独自の道を歩んだベートーヴェンの特徴の違いを明確に 実証する結果となった。
第1章序論では、まず16世紀イタリア起源の「ソナタ」という楽曲がその後たどった道を概説 し、バロック時代のソナタ、さらにはヴィーン古典派のソナタの特徴を簡潔に説明した上で、ベ ートーヴェンに至る歴史を述べている。そしてヴィーン古典派のピアノソナタが3楽章構成を標 準としていたのに対して、ベートーヴェンはその初期のソナタで4楽章構成へと曲全体の規模の 拡大を試み、成功している。にもかかわらず、彼が残したピアノソナタ32曲のうち、2楽章構 成の作品は6曲を数え、しかもその中にはこの分野における最後の作品である作品 111 も含まれ ていることに着目し、彼がそのような作品を残したことの意義について考えることが、本論文の 出発点となったことを説明している。
次に2楽章構成のソナタはベートーヴェン以前にも存在したことを指摘し、その代表的なイタ リアの作曲家であるアルベルティ、デュランテ、ガルッピらの作品の特徴を概説した上で、それ らが一般に「イタリア様式ソナタ」と呼ばれていることを説明している。さらにヨハン・クリス チャン・バッハやヨーゼフ・ハイドンの2楽章構成ソナタについても述べた上で、先行研究の説 明に進む。ベートーヴェンの先行研究は、言うまでもなく非常に多数に登り、世界中で行われて いるが、2楽章構成ソナタに関しては、余り研究されていないのが現状である。筆者は、ベート ーヴェンのピアノソナタを取り上げた Jun Kwon のシンシナティ大学提出の博士論文の内容をか なり詳細に述べている。その結果、過去におけるベートーヴェンのピアノソナタに関する研究の 大部分が4楽章構成の作品についてのものであること、2楽章構成の作品に関するものも存在す るものの、それはいずれもベートーヴェン以前の作品を比較対象としたものばかりであることを 指摘している。彼と同時代の作曲家による2楽章構成ピアノソナタとの比較研究が必要であり、
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それが本論文の目標であることを述べている。この点は、2楽章構成ソナタの本質を探る意味で も、本論文の内容を充実させている。
そこで第2章でムツィオ・クレメンティを、第3章でフリードリヒ・クーラウを取り上げ、い ずれの場合もまずその生涯と作品全体を概説した後に、2楽章ピアノソナタを一曲ずつ詳細に分 析している。ベートーヴェンと同時代の作曲家の代表として、この二人を取り上げ、彼らが残し た2楽章構成ピアノソナタを分析した上で、それをベートーヴェンの例と比較して、その違いを 詳細に分析している。クレメンティとクーラウを選んだ理由は、当時のピアノ界でその作品が一 般社会で最も評価されていて、人気も需要も高かったことによるという。
分析にあたっては各楽章の楽曲構造と調性構造を表で示し、2つの楽章を調性、テンポ、拍子、
形式、モティーフに関して調べた上で、その特徴を指摘するという方法をとった。そしてその結 果得られたのが、次のような特徴である。
これら2人の作品例では、2つの楽章は同じ調性を共有しており、しかもそれは例外なく長調 である。しかもその際、調号が少なく、平易で弾きやすい調が選択されている。また両楽章とも に急速なテンポが選ばれているが、異なる拍子が選択されている場合が多い。また両楽章が同じ 音楽的素材によることはなく、音楽的には全く無関係である。形式は第1楽章がソナタ形式、第 2楽章がロンド形式というのが標準で、それ以外の例は極めて少ない。
これらの特徴から得られる結論は、これら2人の作曲家の2楽章構成のピアノソナタは、従来 のヴィーン古典派の3楽章構成のソナタから、緩徐楽章または舞曲楽章を省略したもの、すなわ ち第1楽章と終楽章を組み合わせたものであるということである。そしてそれは取りも直さず時 代の要求に応えたものと推察される。すなわち音楽のパトロンが王侯貴族、または教会であった 18世紀までとは異なり、19世紀に入るとブルジョワジーの台頭、さらにはピアノの普及に伴 い、家庭で音楽を楽しむという習慣が定着するようになる。その結果、従来のように聴いて楽し む音楽ではなく、自分で演奏して楽しむ音楽が求められるようになり、それも特に人気上昇中の 独奏楽器であるピアノのために、平易だが演奏効果が高い曲が求められるようになった。特にク レメンティの場合、演奏家、作曲家としてばかりでなく、教育家として多くの弟子を持ち、実業 家として楽譜の出版も手掛けていただけに、そのような時代の傾向を敏感に感じ取り、アマチュ ア演奏家のための曲として2楽章構成ピアノソナタを作曲した可能性が高いものと思われる。一 方クーラウは、最初の3楽章構成の作品を基本とし、それもかなり長大な作品を手がけている。
ところが 1821 年以後、急に 2 楽章構成のソナタ、それも小規模な作品を手がけるようになった 背景には、出版社から小規模な作品を求められた可能性が高い。しかも彼はその後、さらに短い ソナチネの作品を多く手掛けるようになり、それも 3 楽章構成よりも 2 楽章構成をとるようにな る。すなわちクレメンティもクーラウも、時代の要求に応じて 2 楽章構成のピアノソナタを作曲 するようになり、しかもアマチュアの演奏家の好みに合わせて、ほぼ決まった形でこれらの作品 を書いたものと思われる。ベートーヴェンと同時代の代表的作曲家を取り上げ、多数に登る曲の 比較分析を行った視点は、貴重な考察であり高く評価したい。
それでは第4章のベートーヴェンの場合はどうであろうか。筆者はベートーヴェンのソナタに
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ついて一般的に「初期」「中期」「後期」と分けるのではなく、平野昭氏の 7 期分類法を取り入れ 解釈しているところが興味深い。ベートーヴェンが残した 2 楽章構成のピアノソナタ 6 曲を分析 した結果、定型は一切存在せず、1 曲ごとに手法を変え、常に新たな様式を探求していたことが 分かる。すなわち調性は、両楽章とも同じ長調という例もあるが、6 曲中 3 曲までは第 1 楽章が 短調だが、第 2 楽章は同主長調となっている。テンポは両楽章とも急速楽章である場合もあるが、
どちらかの楽章が緩徐楽章である場合が多い。形式は第 1 楽章がソナタ形式、第 2 楽章がロンド 形式という場合もあるが、それよりも以前には見られなかった形式、たとえば変奏形式とか、中 にはフーガを用いた例さえもある。2楽章構成とはいえ、中には長大な作品も含まれ、技術的に も内容的にもアマチュア向きではない作品が多い。この時代はまさにピアノという楽器が急速に 進化を遂げた時期にも当たり、それに応じてベートーヴェンが新しい発想を得てそれに従って作 曲を行ったとも推察できるが、いずれにせよ彼は時代の流れとは無関係に、自己の楽想の赴くま まこれらの作品を作曲したものと考えられる。
ここで特に注目されるのは、これら 6 曲のうち 3 曲までが第 1 楽章を短調、終楽章を長調とし ていることである。そのような特徴は他の作品分野にも見られ、特に2つの交響曲、すなわち第 5番と第9番が注目される。ただし交響曲の場合は終楽章がアレグロのフォルティッシモで終わ ることから、「苦悩から歓喜へ」を表現しているのに対して、2楽章構成ピアノソナタの場合は ゆっくりと静かに終わることから、「苦悩から慰めへ」を表現しているようにも思われる。
この考察は、非常に説得力があり、論文の価値を高めている。
第 5 章結論として、クレメンティとクーラウの例が、従来のソナタから派生した2楽章構成ソ ナタの典型であるのに対して、ベートーヴェンは両楽章の対比と統一性の両面を同時に確立させ ようと試みた。その結果、ベートーヴェンのソナタは、既成概念に囚われずに、自己の理想と好 奇心を可能な限り具現化した個性的な作品であることが明白となったと考えられる。
すなわち本論文は、2楽章構成ピアノソナタを分析することによって、ベートーヴェンが時代の 傾向に囚われずに、独自の個性豊かな作風を開拓したことを実証した。
更に、論文研究者でありながら、演奏者の視座を保ちながら、論文作成に繋げたことは、高く評 価されるものと判断する。
尚、本論文の音楽事項に関する書式は、日本音楽学会が策定したルールを基準として書かれてお り、博士論文としてのクオリティを充分満たしている。
よって本論文は、博士(芸術学)の学位を授与されるに値するものと認められる。
以上
平成 26 年 1 月 20 日