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附属中学校寺門正入

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Academic year: 2021

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(1)

31

国語科における教育実習の現状と問題点

一一

セ語環;境としての問題一

附属中学校寺門正入

 国語科における教育実習の現状と問題点を考えるとき,確かに国語科実習生を対象としたいくつかの 事象をとらえ,それらを課題とすることはできるであろう。しかし,今,国語科が教育実習生を受け入 れるに当たって最も悩む問題は,国語科実習生だけではなく,教科を越えた実習生全体にかかわる言語 の問題である。教育実習生五十余名が,約一月にわたって,直接・間接に言語活動をするわけであるか ら,そうしてそれは前後期の二回になるわけであるから,その言葉環境としての生徒への影響は多大で あると言わねばならない。新指導要領にも,その総則9の(1)で「学校全体における言語環境を整え,生 徒の言語活動が適正に行われるように努めること。」と述べられているように,学校教育における重要 な課題として言語環境を整えることがとりあげられているとき,実習生のもたらす影響を無視すること はできない。また,逆に生徒の立場に立って考えるとき,正しい臼本語が使えない実習生に,教師とし ての信頼をおくことはできなくなってしまうから,その実習生から学びとろうとする姿勢そのものが薄 れてしまい,実習生に「実習がやりにくい。」という嘆きを生ましめる結果ともなりうるのである。例        ゆ えば,提出されたノートに,実習生が赤ペンで「教下書をしっかり読みましょう。」と記入してやった としたら,それで中学生が意欲的に教科書を読み,誠実に授業を受けようとする気持ちになれるかどう か,誰しもが疑問をもつであろう。このように,生徒への影響の面からも,実習の効果的成立という面 からも,実習生が正しく日本語を用いることは重要な意味をもつのであるが,現状はどうであろうか。

 以下,実習生の履習簿の記録の中から,誤用例をとりあげてみた。送りがな等については,かなりの 許容例が認められているのであるが,中学校の現場にあっては,指導者は本側に従うべきであるという 観点からとりあげたものがいくっかある。なお,履習簿は指導教官に提出して指導を受けるものであり,

公的な意味を有するものであると考え,今回の調査の対象としたものであり,おおむね授業の板書にあ らわれ得るものであると言えるであろう。 (実習生55名中,無作意に28名を選んで誤用例を挙げる)

       1 知的妊気心の旺盛さに感心した。

観察しようと思った丁丁です。

強慢な先生になっている。

教壇に立つと急がしくなる。

ある程度静感したほうがよい。

研究授業に望む心構えが悪い。

漢字のあて字的用法の例

(好奇心)    一端作業をやめさせて指示する。 (一 旦)

(次 第)    忙がないと研究授業ができない。 (急がな)

(傲 慢)    まずい点を指適する。      (指 摘)

(忙しく)    引き越み思案になってしまう。 (引っ込み)

(静 観)    茶談会が終わって   (座談会?茶話会?)

(臨 む)    少レ速金点がすぎたようだ。   (早合点)

(2)

32

茨城大学教育学部教育研究所紀要,第12号,特集

もっと撤底してやろう。

教成とはいえ困ったことだ。

お茶を濁すことは絶体しない。

どうしても講議調になる。

元ばりたいと思います。

別の対策をも考じている。

終わるのが以外にはやかった。

除々に真面冒になってくる。

責極的なのを見て驚いた。

熱心な練習ぶりに関心した。

校長先生の講和があった。

始めての授業だったので……

(徹 底)

(教 生)

(絶 対)

(講 義)

(頑張り)

(講じて)

(意 外)

(徐々に)

(積極的)

(感 心)

(講 話)

(初めて)

そんな授業は欠レてできない。

生徒の動きを適確にとらえる。

まずい点も多くさんあった。

結極ばらばらになってしまう。

考える観点にも一里がある。

他方面にわたって考える。

教えることが二二条件である。

大変でも点添してやる。

決局できないでしまった。

帰環巡視の目的とあり方を考える。(机 とても真険に考えている。

.全裏できないのでは困る。

(決して)

(的 確)

(沢山?)

(結 局)

(一 理)

(多方面)

(最 低)

(添削?)

(結 局)

  間)

(真 剣)

(全 然)

2 字形の似ている文字を用いた例

観察することが三態な段階   (可 能)

と或い気味の一日だった。   (と惑い)

能度を改めない生徒がいる。   (態 度)

学級の新役員の照介があった。  (紹 介)

もとの生活に房る。       (戻 る)

実験を併う授業はむずかしい。

テニスの始きな者が多い。

教材研究が慌しくて疲れる。

こういつた面素が続きそうだ。

面詰は行事が多くて……

(伴 う)

(好 き)

(忙しく)

(状 態)

(近 頃)

       3.意味の似ている文字を用いた例

地震の震れが一度おさまってから(揺れ?)    年齢の差でずいぶん異うものだ。 (違 う)

人間は総て三面性をもっている。 (全 て)    いろいろと悩つた挙句     (迷った)

  4.

そろそろ終りに近づいて…

果してできるだろうか。

確めてみることが大切だ。

関心をひき起してやりたい。

謡えりまでに提出する。

送りがなのっけ方が正しくない例(許容されているものもある)

 (終わり)

(果たして)

(確かめて)

(起こして)

 (帰 り)

有意義に過すことにする。   (過ごす)

少くともこれだけは…     (少なく)

騒しかった生徒たちが… (騒がしかった)

暖い目で見守ってやりたい。   (暖かい)

話しを聞いていると,      (話 を)

      5.

少しつつわかってきました。

ねらいのとうりの活動をさせる

かなづかいが正しくない例

(ず つ)    教師みつから考えることが…  (みずから)

(とおり)

      6.その他,字形の整わないものなど

これらについては,印刷の都合で例を挙げることを省略するが,「教育実習の手びき」81〜82

(3)

寺門:国語科における教育実習の現状と問題点 33

 ページに具体的に挙げられているものの多くが,実習生の記録にそのままにあらわれてくることを問 題点として指摘しておきたい。このことは,筆順に関しても同様である。

 以上は主として表記上の問題点を拾ったものであるが,ことばづかい全体を,生徒にとっての言語環 境としてみるとき,文姿が整っているかどうか,適切な語句が用いられているかどうか,接続詞の用い 方が正しいかどうかなども,重要な問題となってくる。実習生の多くが教壇で悩むのは,実はこのこと に関するものが多いのだが,今は,教室での記録はないので,同じく履習簿の中から,それらを類推す ることのできる「不適当な表現の例」を挙げてみると次のようなものがある。

      7.不適当な表現と思われる文(章)の例

  今日は中間テストで,生徒たちはがんばっていたようです。監視していて,生徒ひとりひとりが…

     テストではあっても,教育現場にある者としては,生徒を監視するという言葉はっかいたく      ない。教師と生徒の人間関係を考えた言葉を選んでほしいものと思う。

  授業をした先生から「自信をもってしゃべることが大切だ。」という反省がでた。

     授業での発問や指示・説明を「しゃべる」という感覚でとらえているとしたら,これは教育      実習をする資格がないと言うべきだろう。

  生徒の立場に立って行動や会話をしてあげれるようにすべきだと思った。

     1 あげる」は下一段活用動詞で,これを可能の表現にするには「あげられるjにするべきで      ある。中学生には,文法上の誤りの例として示す見本のようなものである。

  生徒の授業態度は極めて悪かった。しかるに,授業内容は思うように進まなかった。

     こういう論理の展開では,生徒は理解できないから,なるほど授業は思うように進まないだ      ろうと思われる。

  附中の先生方の授業を見て,はやく先生つぼくなりたいと思った。

     気持ちはよくわかるが,こういう表現があるのかどうか……。

 そのほかにも「生徒は先生のすることをわりとよく見ているものだと思いました。」という表現には,

生徒の実態把握の甘さか表現のあいまいさかのどちらかがあると考えられるし,「あまり能動的にする と何をしでかすかわからない。」という表現には,生徒に対する姿勢の不遜さが感じられるというよう に,問題のある表現が多い。

 以上,教育実習の問題としては誠に鎖末な部分のようであるが,直接生徒の指導に当たっている国語 科としては重要な問題なので,あえて挙げてみたものである。基本実習をする大学三年生が,これらの ことを理解していないはずはないと思うし,よしんば誤って理解しているにしても,気づきさえずれば 正しく改めるにそれほどの困難があるとも思えない。むしろ,こうした表現がなされてしまうところに,

実習生として実習に臨み,生徒に接することの:重大さに対する認識の甘さがあるのではないかと思われ る点が問題なのである。履習簿について言えば,提出をして指導を受けるということについての真摯に 学ぶ者としての誠意に欠けるという点が問題なのである。そうした面から,今後の教育実習のために,

  (1)教育実習オリエンテーションにおいて,「手びき」の「漢字を正しく書き・使うために」を使

   って指導を徹底するとともに,実習生として言語活動を適正にすることの重要さを十分に認識さ

   せるような指導をすること。

(4)

34 茨城大学教育学部教育研究所紀要,第12号,特集

  (2)実習校においても,教科の指導を越えて,こうした言語活動の面の指導をいっそう充実させる    ようにすること。

などを新たな課題として研究する必要があろう。さらには,こうした面のことが,一朝一夕には成らぬ 習慣的一面をもつことを考えると,大学生活の諸々の場面で,言語活動の誤りがチェックされうるよう

にしてゆくことも,教育学部としては,是非必要なことではないだろうか。

 終わりに,言語活動について触れたある教育実習生の反省文を,参考のためにあげておく。

     何から書いたらよいか(反省が)たくさんあり過ぎて(困るほどである。)まず,言葉の問題,

    自分の思うこと,言いたいことを生徒たちに正確に伝えることのむずかしさ,伝えられないこと     のもどかしさ。教えることに言葉はっきもの,言葉を媒体として教育は構成されているのだろう。

    媒体そのものを自分で把握できなければ,教育そのものもいいかげんなものになってしまうだろ     う。また,別の意味で,思った言葉をそのままなんの配慮もなく口に出すことは,生徒を傷つけ     ることを知った。言ったあとで,生徒のほうを見ると,授業の態度の変わったことに気づき,な     にげなくその生徒のいる班に行き声をかけると,態度がもとにもどっていった。

    教師になる以前に,言語活動を自分のものにすべきであろうと痛感した。

 実習を経験することによって,このような反省をし,それを新たな課題とすることは,実習生にとって は価値のあることかもしれない。しかし,これらの実習生に指導される中学生は,一回一回を貴重な学習 として実習生に接しているのであり,そのマイナス効果は大であると言わなければならない。実習生にと っても,実習の場にあっては,実習の場でしか経験できない課題にこそ取り組むべきであって,ここに挙 げた言語に関する問題は,むしろ実習よりはるかに前の次元の問題として解決されるべきではないのだろ

うか。

参照

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