写
し
霊
場
と
新
規
霊
場
開
設
の
実
態
に
つ
い
て
柴
谷
宗
叔
序
論
巡 礼 研 究 を 進 め て 行 く に あ た っ て 全 国 各 地 に 成 立 し た 西 国 三 十 三 所 ・ 四 国 八 十 八 ヶ 所 の 写 し 霊 場 の 存 在 は 無 視 す る こ と が で き な い。 ま た、 昭 和 後 期 か ら 現 在 に か け 不 動、 薬 師 等 の 新 規 霊 場 の 開 設 も 相 次 い で い る。 し か し な が ら こ れ ( 1) ら 地 方 霊 場 に つ い て の 包 括 的 か つ 本 格 的 な 研 究 論 文 は ほ と ん ど な い と い っ て よ い。 こ の た あ 実 態 を 調 査 研 究 す る 必 要 が あ る と 考 え た。 写 し 霊 場 と は、 西 国 あ る い は 四 国 に 真 似 て 作 っ た 地 方 の 霊 場 の こ と で あ り、 前 者 は 三 十 三 観 音、 後 者 は 八 十 八 か 所 と な っ て い る の が 特 徴 で あ る。 霊 場 の 再 興 あ る い は 開 設 は 大 き く 分 け 四 期 に わ た っ て そ の 波 が あ る。 第 一 期 は 江 戸 時 代 中 期 か ら 後 期 に か け て の 写 し 霊 場 の 開 設。 第 二 期 は 明 治 の 廃 仏 殿 釈 の 後 の 再 興 で あ る。 第 三 期 は 巡 礼 が 盛 ん に な っ た 昭 和 の 戦 前 で あ る。 そ し て 第 四 期 は 昭 和 四 十 年 代 後 半 か ら 各 地 写 し 霊 場 の 再 興 と 新 規 霊 場 開 設 が 相 次 ぐ。 こ れ に つ い て は 霊 場 創 り の < 仕 掛 け 人> が 関 わ っ た 例 も 見 受 け ら れ る。 ま た こ の 過 程 で 同 一 地 域 に 複 数 の 同 名 霊 場 が 併 存 す る 事 態 も 生 じ た。 た と え ば、 大 阪 府 の 旧 河 内 国 内 に は 西 国 の 写 し 霊 場 と し て 同 名 別 個 の 二 霊 場 が 現 存 す 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て-73-密 教 文 化 る。 交 野 ・ 枚 方 ・ 寝 屋 川 周 辺 の 河 内 西 国 三 十 三 所 霊 場 ( 以 下 ﹁ 北 河 内 ﹂) と、 東 大 阪 ・ 八 尾 周 辺 の 河 内 西 国 三 十 三 所 霊 場 ( 以 下 ﹁ 中 河 内 ﹂) で あ る。 な ぜ 同 名 の 霊 場 が 成 立 し た か 調 べ て い く う ち、 上 記 の 現 存 二 霊 場 以 外 に も 河 内 西 国 霊 場 が あ っ た こ と が わ か っ て き た。 少 な く と も 五 つ の 系 統 が あ り、 同 系 統 の 札 所 の 変 遷 を 加 え れ ば 十 種 類 が 確 認 で き た。 時 代 の 流 れ で 衰 退 と 再 興 を 繰 り 返 す う ち、 い く つ か の 系 統 の 札 所 が 現 れ、 相 互 に 干 渉 の な い ま ま、 別 系 統 の 霊 場 が 同 名 を 名 乗 る と い う こ と が 起 こ っ た。 河 内 西 国 の 同 名 霊 場 の 成 立 を 中 心 に、 地 方 霊 場 の 開 設 あ る い は 再 興 が ど の よ う に 行 わ れ た の か を 明 ら か に し た い。
第
一
節
霊
場
開
設
の
時
期
ま ず、 霊 場 の 再 興、 開 設 が 行 わ れ た 時 期 に つ い て 考 察 し て み る。 大 き く 分 け 四 期 に わ た っ て そ の 波 が あ る こ と が わ か る。 霊 場 の 規 模 は 国 単 位、 郡 単 位、 郷 村 単 位 と さ ま ざ ま で、 中 に は 一 寺 の 境 内 に 作 ら れ た も の も あ る。 が、 こ こ で は 郷 村 単 位 以 上 で 各 札 所 に 堂 の あ る も の を 対 象 と す る。 写 し 霊 場 の 最 も 古 い も の は 鎌 倉 時 代 初 期 に 成 立 し た 坂 東 三 十 三 所 で あ る。 源 頼 朝 開 設 は 伝 承 に し て も、 天 福 二 年 ( 一 二 三 四) 沙 門 成 弁 三 十 三 所 巡 拝 八 溝 寺 ( 坂 東 二 十 一 番) 参 籠 の 記 録 が 残 っ て い る の で そ れ 以 前 の 成 立 は 確 実 で あ ( 2) る。 さ ら に 室 町 時 代 ま で に 秩 父 三 十 四 所 が 開 設 さ れ て い る。 ま た 室 町 時 代 後 期 以 降 各 地 に 西 国 の 写 し 霊 場 が 成 立 し て い く が、 確 認 の 取 れ る も の は 多 く な い。 数 多 く の 霊 場 が 創 ら れ た の は 江 戸 時 代 以 降 で あ る。 第 一 期 は、 江 戸 時 代 中 期 か ら 後 期 に か け て で あ る。 四 国 遍 路、 西 国 巡 礼 が、 そ れ ま で 僧 侶 の 修 行 で あ っ た も の が、一 般 庶 民 に 普 及 し た 時 期 で あ る。 多 く の 民 が 巡 拝 す る よ う に な っ た と は い え、 実 際 何 か 月 も か け て 故 郷 を 離 れ る と い う の は、 ご く 一 部 の 富 裕 層 に 限 ら れ、 多 く の 人 に と っ て は 夢 の ま た 夢 で あ っ た。 講 を 作 っ て 代 表 が 参 拝 す る と い う 形 式 も と ら れ た が、 み ん な が 回 れ る よ う に と い う 願 い を か な え る た め に 考 え 出 さ れ た の が、 写 し 霊 場 で あ る。 四 国 あ る い は 西 国 に 模 し た 霊 場 を 近 く に 作 っ て し ま お う と い う も の で あ る。 領 民 が 他 国 に 流 出 す る の を 嫌 っ た 為 政 者 が 関 わ っ た 場 合 も あ る と い う。 近 松 門 左 衛 門 の 曽 根 崎 心 中 (元 禄 十 六 年= 一 七 〇 三) で 有 名 な 大 坂 三 十 三 所 を は じ め、 播 磨 西 国 ( 寛 文 五 年= 一 六 六 五)、 洛 陽 三 十 三 所 ( 寛 文 六 年= 一 六 六 六 以 前)、 和 泉 西 国 (元 禄 三 年= 一 六 九 〇)、 阿 波 西 国 (東) ( 宝 永 七 年= 一 七 一 〇)、 近 江 西 国 (享 保 年 間= 一 七 一 六 ⊥ 二 六 以 前)、 摂 津 国 三 十 三 ヶ 所 (享 保 年 間)、 江 戸 三 十 三 観 音 (享 保 年 間)、 河 内 西 国 ( 弘 化 二 年= 一 八 四 五 以 前) な ど の 西 国 写 し 霊 場、 小 豆 島 八 十 八 ヶ 所 (貞 享 三 年= 一 六 八 六)、 摂 津 国 八 十 八 ヶ 所 (安 永 六 年= 一 七 七 七)、 淡 路 四 国 ( 天 明 四 年= 一 七 八 四)、 伊 予 大 島 准 四 国 (文 化 三 年 目 一 八 〇 六)、 知 多 四 国 ( 文 政 七 年 目 一 八 二 四)、 篠 栗 八 十 八 ヶ 所 ( 嘉 永 七 年= 一 八 五 四) な ど の 四 国 写 し 霊 場 の ほ か、 寛 政 十 二 年 ( 一 八 ( 3) ○ ○) に は 真 言 宗 の 四 国 に 倣 っ て 創 ら れ た 浄 土 宗 の 祖 師 巡 礼 で あ る 法 然 上 人 二 十 五 霊 場 も 成 立 す る。 第 二 期 は 明 治 の 廃 仏 殿 釈 の 後 で あ る。 多 く の 寺 院 が 廃 寺 と な る な か、 巡 拝 の 便 を 考 え て 霊 場 の 復 興 が 図 ら れ る。 四 国 八 十 八 ヶ 所 も そ う で あ っ た。 高 知 県 は 特 に ひ ど く 影 響 を 受 け な か っ た 札 所 は な い と い っ て い い ほ ど で あ っ た が、 明 治 二 十 年 頃 ま で に 再 興 さ れ た (平 成 六 年 ま で 札 所 確 定 が で き な か つ た 三 十 番 旧 土 佐 一 宮 を 除 く。 な お、 三 十 番 は 明 治 ( 4) 九 年 に 安 楽 寺 と な っ て い る。 現 在 の 札 所 は 善 楽 寺)。 同 様 の こ と は 各 地 の 写 し 霊 場 で も 行 わ れ た。 力 の な い 小 さ な 寺 院 ほ ど 影 響 は 大 き か っ た。 中 に は 札 所 の ほ と ん ど が 壊 滅 し た 地 域 も あ っ た よ う だ。 河 内 西 国 ( 北 河 内) も そ の 一 つ で 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-75-密 教 文 化 あ る。 そ れ が 明 治 二 十 年 に 再 興 さ れ た の で あ る。 多 く の 札 所 が 無 く な っ て し ま い、 新 た に 創 る 形 で の 再 興 し か な か っ た の で あ ろ う。 篠 栗 八 十 八 ヶ 所 も 本 寺 が な く な っ て し ま っ た の を 高 野 山 か ら 南 蔵 院 を 迎 え 同 三 十 二 年 に 再 興 し て い る。 巡 拝 者 の 復 活 に 併 せ 霊 場 の 新 設 も 行 わ れ、 島 四 国 で あ る 周 防 大 島 八 十 八 ヶ 所 ( 同 二 十 二 年)、 因 島 八 十 八 ヶ 所 (同 四 ( 5) 十 一 年) な ど が 開 設 さ れ て い る。 次 に 巡 礼 が 盛 ん に な っ た の は 昭 和 の 戦 前 で あ る。 比 叡 山 へ の ケ ー ブ ル の 開 通 が 昭 和 二 年、 高 野 山 が 同 五 年 で あ る こ と か ら も、 各 地 の 寺 社 へ の 参 詣 が 盛 ん で あ っ た 時 代 で あ る こ と が わ か る。 大 正 デ モ ク ラ シ ー か ら 続 く 経 済 成 長、 第 二 次 世 界 大 戦 に 突 入 す る ま で そ の 繁 栄 期 は 続 き、 そ の 時 期 に 合 わ せ て 新 た な 霊 場 も 創 ら れ た の で あ る。 昭 和 七 年 に 近 畿 全 域 を 対 象 と し た 新 西 国 三 十 三 所 霊 場 が 地 方 新 聞 社 合 同 の 企 画 と し て 開 設 さ れ る。 河 内 西 国 ( 中 河 内) が 創 ら れ た の も 同 五 年 で あ る。 一 種 の バ ブ ル と も い え る 戦 前 の 一 時 期 で あ る。 短 期 間 で は あ っ た が 同 時 期 に 各 地 で 霊 場 の 再 興、 開 ( 6) 設 が 行 わ れ た。 南 知 多 三 十 三 観 音 (同 四 年)、 佐 渡 新 四 国 (同 六 年)、 多 摩 八 十 八 ヵ 所 (同 九 年) な ど で あ る。 こ れ を 第 三 期 と す る。 が、 戦 争 で 巡 拝 ど こ ろ で は な く な り、 ほ ど な く 衰 退 し て し ま う。 そ し て、 昭 和 四 十 年 代 か ら、 各 地 写 し 霊 場 の 再 興 と 霊 場 開 設 が 相 次 ぐ。 こ れ が 第 四 期 で あ る。 戦 後 の 高 度 成 長 が ピ ー ク を 迎 え、 経 済 的 に 豊 か に な っ た 時 代 で、 マ イ カ ー で の 観 光 旅 行 が も て は や さ れ た 時 期 で も あ る。 霊 場 巡 り も 観 光 要 素 が 強 く な り、 西 国 三 十 三 所、 四 国 八 十 八 ヶ 所 な ど へ の 参 拝 者 が 年 々 増 え て き た。 旅 行 社 の バ ス ッ ア ー も 数 多 く 出 る よ う に な る。 そ れ と 同 時 に 忘 れ 去 ら れ て い た 写 し 霊 場 の 再 興 が 盛 ん に な っ た 時 期 で も あ る。 阿 波 西 国 ( 東) ( 昭 和 四 十 七 年)、 播 磨 西 国 ( 同 四 十 九 年)、 河 内 西 国 (中 河 内) ( 同 五 十 年)、 さ ぬ き 三 十 三 観 音 ( 7) ( 同 五 十 四 年)、 摂 津 国 三 十 三 ヶ 所 ( 同 五 十 五 年)、 摂 津 国 八 十 八 ヶ 所 (同 五 十 五 年) な ど が 次 々 と 再 興 さ れ た。
ま た、 四 国 八 十 八 ヶ 所 の 番 外 霊 場 の 中 で 由 緒 寺 院 を 結 ん だ 四 国 別 格 二 十 霊 場 が 同 四 十 二 年 に 開 設 さ れ た。 そ れ に 漏 れ た 番 外 寺 院 を 中 心 に 結 成 さ れ た 新 四 国 曼 茶 羅 霊 場 も 平 成 元 年 に 誕 生 し た。 さ ら に、 こ う し た 巡 礼 ブ ー ム を 当 て 込 ん で、 新 た な 霊 場 を 創 ろ う と い う 動 き も 起 こ っ た。 従 来 の 観 音、 弘 法 大 師 と い う 範 疇 を 超 え、 新 た な 本 尊 巡 礼 と し て、 不 動、 薬 師 な ど が 考 案 さ れ た の で あ っ た。 ま た、 真 言 系 の 寺 院 を 中 心 に 七 福 神、 十 三 仏 と い っ た 札 所 は 少 な い な が ら 複 数 本 尊 を 回 る 手 軽 な 巡 礼 も 各 地 で 盛 ん に 開 設 さ れ た。 こ う し た 中、 同 地 域 に 全 く 同 名 の 霊 場 が 並 立 す る と い う 事 態 も 起 こ っ た。 大 阪 府 の 旧 河 内 国 地 域 に あ る 河 内 西 国 が そ れ で、 第 二 節 で 詳 述 す る が、 江 戸 時 代 以 降 五 系 統 十 種 類 を 確 認 し た。 徳 島 県 に も 同 名 の 阿 波 西 国 三 十 三 所 霊 場 が 二 つ あ る。 徳 島 市 周 辺 北 部 (東) と、 美 馬 ・ 三 好 市 周 辺 (西) で あ る。 本 稿 で は ( 東) ( 西) で 区 別 し た。 ( 東) は、 徳 島 市 周 辺 南 部 に あ る 阿 波 秩 父 霊 場、 阿 南 市 以 南 に あ る 阿 波 坂 東 霊 場 と セ ッ ト で 阿 波 百 観 音 を 形 成 し て い る。 四 国、 西 国 等 の メ ジ ャ ー な 霊 場 を 回 り 終 え た 人 た ち が、 さ ら な る 心 の 癒 し を 求 め て か、 は た ま た 観 光 ス タ ン プ ラ リ ー か、 い ず れ に せ よ 次 々 と 霊 場 を 求 め て 巡 る の で あ る。 坂 東、 秩 父 を 皮 切 り に、 地 方 の 移 し 霊 場 を 発 掘 し て 回 り 始 め る。 私 自 身 も そ う で あ っ た。 そ れ に 呼 応 す る か の よ う に 各 地 霊 場 の ツ ア ー も 企 画 さ れ る。 千 葉 県 銚 子 市 ・ 満 願 寺 住 職 の 平 幡 良 雄 師 が 主 宰 す る ﹁ 巡 礼 の 会 ﹂ な ど が 最 た る も の で あ る が、 同 師 は 地 方 霊 場 発 掘 と 併 せ て、 そ の 巡 拝 の た め の ガ イ ド 本 の 発 刊 も 多 数 し て い る。 こ う し た 中、 仕 掛 け 人 と し て 登 場 し た 下 休 場 由 晴 氏 や 冨 永 航 平 氏 が 新 し い 霊 場 開 設 と、 そ の ガ イ ド 本 著 述 に 傾 倒 す る の で あ る。 こ れ に つ い て は 第 三 節 で 述 べ る。 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-77-密 教 文 化 第 二 節 複 数 の 河 内 西 国 三 十 三 所 霊 場 に つ い て 私 が 河 内 西 国 霊 場 を 巡 拝 し た の は 平 成 五 年 の こ と で あ る。 こ の 時 点 で 同 名 の 二 霊 場 が あ る こ と を 知 っ て い た。 ﹁ 北 ( 8) 河 内 ﹂ は、 寝 屋 川 の 実 家 に ﹃ 西 山 浄 土 宗 在 家 勤 行 式 ﹄ と い う 経 典 が あ り、 そ の 巻 末 に ﹁ 北 河 内 ﹂ の 札 所 の 御 詠 歌 の 一 覧 が 載 っ て い た。 ま た、 西 国 五 番 葛 井 寺 に 参 拝 し た と き に 寺 内 に 掲 示 し て あ っ た 案 内 に よ り ﹁ 中 河 内 ﹂ の 存 在 を 知 っ た。 葛 井 寺 で ﹁ 中 河 内 ﹂ の 納 経 帳 (寺 の 住 所 入 り) を 購 入 し、 一 枚 も の の 案 内 図 と 併 せ て 参 考 資 料 と し た。 ﹁ 北 河 内 ﹂ に は 専 用 納 経 帳 が な く、 白 紙 納 経 帳 に 集 印 し た。 実 家 の 檀 那 寺 で あ っ た 三 十 四 番 光 林 寺 (交 野 市 星 田) の 紹 介 で ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 め ぐ り ﹄ ( B 2) と い う 小 冊 子 を 入 手、 参 考 に し た。 全 国 各 地 の 霊 場 巡 り を す る う ち、 単 に 参 拝 す る だ け で な く 巡 礼 研 究 へ と 首 を 突 っ 込 む こ と と な っ た わ け だ が、 河 内 の 同 名 霊 場 の 存 在 は 常 に 気 が か り で あ っ た。 そ こ で、 な ぜ 同 名 の 霊 場 が 成 立 し た か を 調 べ よ う と 思 い 立 っ た。 摂 津、 和 泉、 播 磨 等 各 国 の 写 し 霊 場 は 各 国 一 つ が 通 例 で あ る。 そ れ よ り 小 さ な 単 位 の 郡 単 位 あ る い は 村 落 単 位 の 写 し 霊 場 は 多 く あ る が、 一 国 単 位 の 写 し と い え ば 一 国 に 一 つ と い う の が 当 然 と 考 え て い た。 と こ ろ が 河 内 に は 複 数 あ る。 そ れ が 不 思 議 で 調 べ て い く う ち 当 初 考 え て い た 二 箇 所 の み な ら ず 少 な く と も 五 種 類 の 系 統 が あ り、 未 確 認 の も の も 含 め れ ば そ れ 以 上 に な る と い う こ と で あ る。 な ぜ 河 内 で そ う い う こ と が 起 き た の か を 調 べ て み た。 現 存 す る 霊 場 の 歴 史 か ら そ の 推 移 を 見 て み る。 ﹁ 北 河 内 ﹂ は、 明 治 二 十 年 ( 一 八 八 七)、 大 阪 ・ 高 麗 橋 の 足 袋 店 ・ 岩 木 屋 の 津 田 元 治 郎 ( 一 八 一 四-八 九) が 発 起
人 と な り、 現 在 の 札 所 に 観 音 像 を 奉 納 し て 回 っ た の が 始 ま り で あ る。 各 札 所 に は 本 尊 と は 別 に 元 治 郎 が 納 め た 観 音 像 が 安 置 さ れ て い る の を 私 は 確 認 し て い る。 観 音 堂 が 本 堂 と 別 に あ る 寺 は 観 音 堂 本 尊 と し て い る 場 合 も あ る が、 多 く の 寺 は 本 堂 脇 陣 に 安 置 し て い る。 こ の 観 音 像 は 西 国 三 十 三 所 ( 以 下 ﹁ 本 西 国 ﹂) 本 尊 の 写 し で あ る。 従 っ て ﹁ 北 河 内 ﹂ の 場 合 こ の 観 音 像 は 本 西 国 の 札 所 番 号 の 本 尊 と 同 じ で あ る、 御 詠 歌 も 同 様 で あ る。 各 寺 独 自 の 御 詠 歌 は 無 い。 浄 土 系 の 寺 が 多 い こ と も あ っ て 本 堂 本 尊 は 阿 弥 陀 如 来 が ほ と ん ど で あ る。 あ く ま で 観 音 は 付 け 足 し で あ る こ と が わ か る。 特 に 浄 土 真 宗 の 寺 で は 宗 旨 上 原 則 阿 弥 陀 一 尊 と い う こ と も あ り、 観 音 は 大 事 に さ れ て い な い 場 合 も あ る よ う だ。 枚 方 市 の 郷 土 史 家 ・ 中 島 三 佳 氏 方 に 保 存 さ れ て い る 明 治 二 十 年 発 行 の ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 順 拝 詠 歌 ﹂ (B) の 奥 付 に は、 ﹁ 信 州 善 光 寺 大 本 願 講 発 起 人 津 田 元 治 郎 世 話 方 講 中 ﹂ と あ り、 元 治 郎 は 講 元 を し て い た 信 心 深 い 人 で あ っ た の で あ ろ う。 元 治 郎 は 文 化 十 一 年 ( 一 八 一 四) 磯 島 村 ( 現 枚 方 市) の 神 野 家 の 二 男 と し て 生 ま れ、 の ち 岩 木 屋 ( 9) に 婿 養 子 に 入 っ た と さ れ る。 中 島 氏 に よ る と、 故 郷 に 恩 返 し を す る 意 味 で、 江 戸 時 代 に あ っ た と い う 河 内 西 国 霊 場 の 復 興 を 志 し、 観 音 像 を 奉 納 し て 回 っ た と い う。 扁 額 や 納 経 用 の 木 版 も 同 時 に 奉 納 し た と い う。 ﹁ 北 河 内 ﹂ は 明 治、 大 正 期 に は よ く 巡 拝 さ れ て い た が、 昭 和 に な っ て 廃 れ、 戦 後 は 参 拝 す る 人 も い な く な っ て い た。 昭 和 五 十 三 年 に 中 島 氏 が こ の 詠 歌 集 を 自 宅 で 見 つ け、 大 塚 日 出 男 氏 ら と ﹁ 宿 場 町 枚 方 を 考 え る 会 ﹂ を 結 成、 参 拝 者 を 再 び 増 や そ う と 再 興 を 試 み、 同 六 十 一 年 に ガ イ ド 本 ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 め ぐ り ﹄ ( B 2) を 発 刊 し た。 し か し 寺 院 側 か ら の 霊 場 会 結 成 の 動 き は な か っ た と い う。 ( 10) 私 が 巡 拝 し た 時 (平 成 五 年) に は 無 住 の 寺 が あ り、 全 て の 納 経 は で き な か っ た。 ま た 兼 務 住 職 で 不 在 が ち の 寺 も あ り、 納 経 に 困 難 が 伴 う。 檀 家 寺 が ほ と ん ど で、 一 部 の 寺 以 外 は 巡 拝 者 受 け 入 れ に 熱 心 で は な か っ た。 浄 土 真 宗 の 寺 で 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
密 教 文 化 ( 11) は 観 音 経 や 般 若 心 経 が あ げ ら れ な い な ど、 巡 拝 環 境 は 良 く な く、 現 在 で は ま た お 参 り す る 人 が ほ と ん ど い な い 状 態 に ( 12) な っ て い る。 私 が 巡 拝 し た 時 も あ る 札 所 寺 院 で ﹁ 納 経 す る の は 三 年 ぶ り ﹂ と い う 話 を 聞 い た ぐ ら い で あ る。 こ う し た こ と か ら 納 経 に 関 す る 苦 情 も 多 く、 寺 院 側 の 霊 場 会 が な い 状 態 で は 受 付 窓 口 が 機 能 し な い の で、 ボ ラ ン テ ィ ア で ガ イ ド 本 を 出 し た 宿 場 町 枚 方 を 考 え る 会 で は、 相 次 ぐ 苦 情 と 問 い 合 わ せ に 音 を 上 げ、 事 務 局 機 能 を 代 行 す る こ と も で き ず 困 惑。 ガ イ ド 本 発 行 だ け で は 済 ま な い と し て、 初 版 本 三 千 部 完 売 後 絶 版 と し、 再 版 を 断 念 し た と い う。 以 来、 北 河 内 ( 13) の 巡 礼 は 事 実 上 廃 れ て し ま っ て い る。 現 在 も 自 坊 の ホ ー ム ペ ー ジ で 河 内 西 国 の 紹 介 を し て い る 寺 に し て も ﹁ 現 在 は 巡 礼 す る 者 は ま ず い な い ﹂ と 言 っ て い る ほ ど で あ る。 ﹁ 中 河 内 ﹂ は ど う か。 河 内 西 国 霊 場 会 発 行 の ﹃ や す ら ぎ の 古 里 河 内 西 国 巡 礼 こ こ ろ の 散 策 ガ イ ド ﹄ ( D 6) に よ れ ば ﹁ も と も と 江 戸 時 代 か ら あ っ た も の で す が ⋮ ⋮ ﹂ と あ る。 そ こ で そ の 典 拠 を 調 べ て い っ た の だ が、 こ れ は 取 材 を 進 め る う ち、 現 存 札 所 の こ と を 指 し た も の で は な く ﹁ 河 内 西 国 ﹂ と い う 名 の 霊 場 が 江 戸 時 代 に あ っ た と い う こ と を 述 べ て い る に 過 ぎ な い こ と が 分 か っ た。 現 存 の 札 所 の 原 型 と な っ た の は、 意 外 に 歴 史 が 新 し く、 昭 和 五 年 で あ る と い う。 縄 手 村 (現 東 大 阪 市) の 往 生 院 の 豊 島 英 海 師 が 中 心 と な り 旧 中 河 内 郡 内 の 寺 院 に 呼 び か け 結 成 し た。 そ の 設 立 に は 当 時 珍 し か っ た 大 型 オ ー ト バ イ を 使 っ ( 14) て 東 奔 西 走 し た と い う エ ピ ソ ー ド が 残 っ て い る。 同 年、 同 院 か ら 発 行 さ れ た ﹃ 河 内 新 西 国 三 十 三 霊 場 順 拝 の し ほ り ﹄ ( D) に は ﹁ 河 内 新 西 国 ﹂ と あ る か ら、 発 足 当 時 は ﹁ 新 ﹂ の 名 を か ぶ せ、 別 の ﹁ 河 内 西 国 ﹂ が 存 在 し て い た こ と を う か が わ せ る。 し か し 戦 中 戦 後 は 衰 退 し、 巡 拝 す る 人 が い な く な っ て い た と い う。 そ こ で 昭 和 五 十 年 に 至 っ て 八 尾 市 の 山 田 大 氏 に
よ っ て 再 興 が 計 画 さ れ る。 山 田 氏 は ガ リ 版 刷 り で ﹃ し ほ り ﹄ を 復 刻、 同 五 十 一 年 に は 寺 院 側 が ﹁ 河 内 西 国 霊 場 会 ﹂ を 結 成 し た。 ﹁ 新 ﹂ が 入 っ て い な い こ と に 注 目 し て ほ し い。 山 田 氏 に よ る と、 結 成 総 会 時 に 別 の ﹁ 河 内 西 国 ﹂ が あ る こ と は 知 ら な か っ た と い う。 丁 度 ﹁ 北 河 内 ﹂ が 衰 退 し て い た 時 期 に あ た り、 知 ら な か っ た と し て も 止 む を 得 な い だ ろ う。 つ ま り こ こ に 同 名 霊 場 が 併 存 す る 事 態 と な っ た の で あ る。 ま た、 こ の 時 に 不 在 が ち で 納 経 困 難 な 一 部 の 札 所 の 差 し 替 え が 行 わ れ た。 朱 印 の な い 札 所 に は 新 た に 作 っ て 配 っ た。 山 田 氏 は 奉 賛 会 を 結 成、 同 五 十 二 年 か ら マ イ ク ロ バ ス で の 巡 礼 を 企 画 し、 巡 礼 者 増 へ の 努 力 を 続 け て い る。 同 五 十 四 年 に は 専 用 の 納 経 帳 も 作 製 さ れ た。 そ の 後、 巡 拝 者 の 便 を 考 え 納 経 困 難 な 一 部 札 所 の 差 し 替 え が 何 度 か 行 わ れ た。 そ の 結 果、 現 在 で は 南 河 内 ま で を 含 む 広 範 囲 の 霊 場 と な っ て お り、 巡 拝 バ ス を 含 め 一 定 の 巡 拝 者 を 確 保 し て い る。 が、 皮 肉 な こ と に 開 創 に 関 わ っ た 本 家 本 元 と も い え る 往 生 院 は 納 経 困 難 寺 院 と し て 差 し 替 え ら れ、 現 在 は 札 所 か ら 外 れ て い る。 し か し、 な ぜ 元 々 中 河 内 だ け だ つ た の が 南 河 内 ま で 広 が っ た の か。 山 田 氏 か ら の 取 材 で は ﹁ 私 的 に は 北 河 内 の 存 在 を 知 っ た 今 に な っ て 思 え ば 本 来、 北、 中、 南 の 別 霊 場 が で き て 百 観 音 巡 り が で き る の が 良 か っ た と 思 う の だ が、 中 河 内 に い つ の 間 に か 南 河 内 の 寺 院 が 入 っ て き て し ま っ た。 私 の 知 ら な ( 15) い う ち に 決 ま っ て い た。 寺 院 側 の 都 合 だ っ た よ う だ ﹂ と い う。 少 な く と も 昭 和 五 十 一 年 再 興 時 の 設 立 総 会 議 事 録 に は 南 河 内 の 寺 院 の 名 は 無 い。 同 議 事 録 で は 納 経 困 難 寺 院 の 問 題 点 を 指 摘 し て お り、 札 所 差 し 替 え を 示 唆 し て い る。 が、 五 十 一 年 時 点 で の 差 し 替 え で は ま だ 中 河 内 に と ど ま っ た。 寺 院 側 に 取 材 し た と こ ろ、 南 河 内 に 広 が っ た の は 昭 和 五 十 六 年。 同 年 十 月 に 八 尾 西 武 百 貨 店 で 出 開 帳 を す る こ と と な っ た。 そ の 企 画 中 に 納 経 困 難 か つ 出 開 帳 に 非 協 力 的 な 寺 院 を 差 し 替 え る こ と と な っ た と い う。 そ の お り、 一 部 寺 院 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-81-密 教 文 化 (16) か ら ﹁ 巡 拝 者 を 増 や す た め に、 自 力 で 客 を 集 あ る こ と の で き る 有 名 寺 院 を 入 れ よ う ﹂ と の 提 案 が あ っ た と い う。 そ の 結 果、 南 河 内 地 域 に あ る 叡 福 寺 と 楠 批 庵 が 加 入 す る こ と と な っ た。 番 外 も 三 か 寺 か ら 五 か 寺 に 増 や し た。 し か し 札 所 選 定 に つ い て は、 一 部 寺 院 か ら の 圧 力 が あ っ た こ と が 推 定 で き る も の の 確 認 で き て い な い。 現 在 の ﹁ 中 河 内 ﹂ の 札 所 本 尊 は ﹁ 北 河 内 ﹂ と 異 な り、 本 西 国 を 踏 襲 し て い な い。 あ く ま で も そ れ ぞ れ の 札 所 寺 院 本 尊 が 本 尊 で あ る。 従 っ て 一 部 寺 院 で は 本 尊 が 観 音 で な い 場 合 も あ る。 地 蔵 と か 阿 弥 陀 と か、 観 音 霊 場 と し て は 不 思 議 な 形 で あ る。 ﹁ 北 河 内 ﹂ の 場 合 本 堂 本 尊 が 阿 弥 陀 で あ っ て も 必 ず 元 治 郎 の 納 め た 観 音 を 札 所 本 尊 と し て 記 載 し て い る。 と こ ろ が ﹁ 中 河 内 ﹂ の 場 合、 ガ イ ド 本 に 堂 々 と 観 音 以 外 の 本 尊 を 記 し て い る の で あ る。 脇 持 に 観 音 が 祀 ら れ て い る、 あ る い は 本 堂 と は 別 に 観 音 堂 が あ る と い う わ け だ が、 記 述 が 統 一 さ れ て い な い。 観 音 巡 礼 と い う よ り 三 十 三 所 を 回 る こ と に 重 き が 置 か れ て い る よ う で あ る。 御 詠 歌 に つ い て は 本 西 国 と は 別 の も の を 各 札 所 が 持 っ て い る。 元 々 か ら 有 っ た 寺 院 も あ る で あ ろ う し、 昭 和 五 年 の ﹁ 新 西 国 ﹂ 開 設 の 際 に 作 ら れ た の も あ る だ ろ う。 一 部 寺 院 は 後 述 す る 別 の 系 統 の 河 内 西 国、 或 い は 全 く 別 の リ ー グ と も い え る 河 内 飛 鳥 等 の 霊 場 の 札 所 と 重 な っ て お り、 そ れ と も 共 通 す る 御 詠 歌 で あ る。 ま た、 昭 和 後 期 以 降 に 新 設 さ れ た 大 阪 十 三 仏 等 の 霊 場 に 新 た に 参 加 し た 場 合 も 踏 襲 し て い る と い う こ と も あ る。 ま た ﹁ 中 河 内 ﹂ の 場 合、 再 興 時 の 経 緯 か ら、 納 経 し て 回 る と い う こ と に 重 き を 置 か れ て い る。 こ の た め、 住 職 ま た は 代 理 人 が 寺 院 に 不 在 が ち で 納 経 不 能 あ る い は 困 難 な 寺 院 を 排 除 す る の に、 た び た び 札 所 の 差 し 替 え を 行 っ て い る。 そ の 経 緯 は 別 表 に 記 し て お い た。 ( 17) そ の 他 の ﹁ 河 内 西 国 ﹂ に つ い て は、 上 野 勝 己 氏 が ﹃ 石 川 三 十 三 所 の 成 立 と 変 遷 ﹄ の 中 で 言 及 し て い る。 氏 は 河 内 西
写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
密 教 文 化 (18) 国 関 係 の 関 連 文 献 と し て 次 の 資 料 を 挙 げ て い る。 ( 19) A 上 山 昭 則 ﹃ 河 内 三 十 三 所 詠 歌 と 十 七 番 宇 山 村 奥 堂 院 ﹄ ( ﹃ ま ん だ ﹄ 二 十 八 号、 平 成 八 年) 所 収 の ﹃ 弘 化 二 年 改 河 内 西 国 三 拾 三 所 詠 歌 ﹄ B 2 大 塚 日 出 男 ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 め ぐ り ﹄ ( 昭 和 六 十 一 年、 宿 場 町 枚 方 を 考 え る 会) 所 収 の ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 詠 歌 集 ﹄ C ﹃ 河 内 一 州 三 十 三 所 霊 場 案 内 ﹄ ( 明 治 前 ・ 中 期、 妻 谷 民 三 郎 編) D 川 口 蓮 海 ﹃ 河 内 新 西 国 三 拾 三 霊 場 順 拝 の し ほ り ﹄ ( 昭 和 五 年、 往 生 院) D 1 ﹃ 河 内 西 国 三 十 三 所 設 立 総 会 議 事 録 ﹄ ( 昭 和 五 十 一 年) D 3 ﹃ や す ら ぎ の 古 里 河 内 西 国 巡 礼 案 内 記 ﹂ (昭 和 五 十 年 以 降、 河 内 西 国 霊 場 奉 賛 会 編) D 5 ﹃ 河 内 西 国 巡 礼 案 内 図 ﹂ ( 昭 和 末 頃、 河 内 西 国 霊 場 奉 賛 会 編) ( 20) F 田 中 智 彦 ﹃ 近 畿 地 方 に お け る 地 域 的 巡 礼 地 ﹄ (﹃ 神 戸 大 学 史 学 年 報 創 刊 号 ﹄ 平 成 八 年、 神 戸 大 学 史 学 研 究 会) ( 21) G 北 川 宗 忠 ﹃ 全 国 ﹁ 三 十 三 所 巡 礼 ﹂ 総 覧 ﹄ ( 平 成 七 年、 流 通 科 学 大 学) 所 収 の G 1 ﹃ 河 内 西 国 巡 礼 案 内 記 ﹄ な ど に よ る 十 七 世 紀 後 半 の ﹁ 河 内 国 三 十 三 所 ﹂ G 2 ﹃ 河 内 一 州 三 十 三 所 順 礼 道 中 記 ﹄ (文 化 九 年) G 3 明 治 二 十 年 の ﹁ 河 内 西 国 三 十 三 所 ﹂ ( B に よ る) G 4 昭 和 五 年 の ﹁ 河 内 新 西 国 三 十 三 所 ﹂ ( D に よ る) G 5 昭 和 五 十 年 頃 の ﹃ 河 内 西 国 巡 礼 案 内 記 ﹂ ( D 4)
私 の 当 論 文 で は、 さ ら に、 次 の 資 料 を 追 加 す る。 B ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 観 世 音 詠 歌 集 ﹄ ( 明 治 二 十 年、 津 田 元 治 郎) ( B 2 の 元 資 料、 中 島 氏 所 蔵) D 2 ﹃ 河 内 新 西 国 霊 場 御 案 内 ﹂ (昭 和 五 十 年 頃、 山 田 大 編) D 6 ﹃ や す ら ぎ の 古 里 河 内 西 国 巡 礼 案 内 こ こ ろ の 散 策 ガ イ ド ﹄ ( 平 成 十 五 年、 河 内 西 国 霊 場 会) E ﹃ 河 内 西 国 順 拝 コ ー ス ﹄ ( 昭 和 初 頃 か) 上 野 氏 に よ る と、 弘 化 二 年 ( 一 八 四 五) の ﹃ 河 内 西 国 三 拾 三 所 詠 歌 ﹄ に 記 さ れ た 札 所 寺 院 が 北 河 内 に あ り ( A)、 そ れ と 地 域 と 一 部 寺 院 が 重 な る も の の 番 付 か ら 見 て 別 の 系 統 と い え る の が 現 在 の ﹁ 北 河 内 ﹂ ( B)、 明 治 前 期 の ﹃ 河 内 一 州 三 十 三 所 霊 場 案 内 ﹄ に 見 え る 旧 河 内 国 全 体 に 広 が る 広 域 霊 場 ( C)、 現 在 の ﹁ 中 河 内 ﹂ の 原 型 ( D) と い っ た 四 系 統 が あ る こ と が わ か る (表 参 照)。 河 内 西 国 の 歴 史 に つ い て 田 中 智 彦 氏 は ﹃ 近 畿 地 方 に お け る 地 域 的 巡 礼 地 ﹄ で 承 応 三 年 ( 一 六 五 四) 以 前 と し て い る ( F) が、 札 所 の 詳 細 が 述 べ ら れ て い な い の で、 ど の よ う な も の で あ っ た か を 確 定 す る の は 困 難 で あ る。 上 野 氏 は 元 文 三 年 ( 一 七 三 八) に 枚 方 中 宮 の 西 方 寺 に 河 内 西 国 三 十 三 度 回 向 の 如 意 輪 観 音 石 仏 が 造 立 さ れ た こ と、 A の 資 料 を 示 し た 上 山 昭 則 氏 が F を A と 把 握 し た の は 妥 当 と 評 価 し て い る と 述 べ て い る。 こ の こ と か ら F は A に つ な が る 系 統 で あ る こ と が い え る。 ま た、 北 川 宗 忠 氏 は ﹃ 全 国 ﹁ 三 十 三 所 巡 礼 ﹂ 総 覧 ﹄ ( G) で 文 化 九 年 ( 一 八 一 二) の ﹃ 河 内 一 州 三 十 三 所 巡 礼 道 中 記 ﹄ ( G 2) を 挙 げ て い る。 こ れ に つ い て も 詳 細 は は っ き り し な い が、 上 野 氏 は こ れ を C に つ な が る も の で は な い か と 推 測 し て い る。 次 に A と B の 関 係 で あ る。 こ れ に つ い て 上 野 氏 は 別 の も の で あ る と し て い る。 確 か に 札 所 の 番 付 な ど か ら は そ う い 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-85-密 教 文 化 え る で あ ろ う。 中 島 氏 を 取 材 し た と こ ろ、 A 十 四 番 の 万 年 寺 が 明 治 の 廃 仏 殿 釈 で 廃 寺 と な り B 三 番 の 浄 念 寺 に 仏 像 を 移 管 し て い る こ と を 指 摘、 全 て の 検 証 が 済 ん で い る わ け で は な い が A に は 廃 仏 殿 釈 で 無 く な っ た 寺 が 多 い と い う。 私 の 調 査 で も、 廃 寺 と な っ た A 十 六 番 観 音 寺 本 尊 が B 十 九 番 西 雲 寺 に、 A 二 十 八 番 観 音 寺 本 尊 は B 番 外 光 明 寺 に 移 管 さ れ た こ と が 判 明 し た。 ま た B 番 外 須 弥 寺 に は A 三 十 一 番 だ っ た こ ろ の 額 が 残 さ れ て い る。 B を 作 っ た 津 田 元 治 郎 氏 は ﹁ 復 興 ﹂ と 言 っ て い る こ と か ら、 A を 復 興 し よ う と し た が、 札 所 の 寺 の 多 く が 廃 仏 殿 釈 で 無 く な っ て し ま っ て い た た め、 や む な く 明 治 二 十 年 当 時 現 存 し て い た 寺 院 を 札 所 と し て 再 編 成 し た の で は な い か と い う こ と で あ る。 今 後 の 検 証 が 必 要 で は あ る が、 地 域 的 に は 重 な る の で 推 測 と し て は 成 り 立 つ で あ ろ う。 ま た、 松 原 市 文 化 情 報 振 興 事 業 団 の 出 し た 小 冊 子 ﹃ 第 十 八 回 特 別 展 河 内 西 国 巡 礼 と 松 原 ﹄ ( 平 成 十 九 年) に は C と D を 足 し て 割 っ た よ う な 一 枚 物 の 案 内 図 ﹃ 河 内 西 国 巡 拝 コ ー ス ﹄ ( E) と い う 資 料 も 示 さ れ て い る。 富 田 林 ・ 浄 谷 寺 に 保 管 さ れ て い た も の の コ ピ ー が 松 原 市 ・ 西 方 寺 に あ っ た と い う 資 料 で あ る。 C に 重 な る 寺 院 も 半 分 近 く あ る が 札 所 番 付 が 全 く 異 な る。 書 か れ た 住 所、 駅 名 な ど か ら 昭 和 初 期 に 作 ら れ た も の の よ う だ が、 上 野 氏 の 示 し た 四 系 統 以 外 の も の で あ る こ と は 札 所 番 付 な ど か ら み て 明 ら か で あ る。 こ れ に つ い て も 詳 細 は 今 後 の 検 証 が 必 要 で あ る。 い ず れ に せ よ、 さ ま ざ ま な ﹁ 河 内 西 国 ﹂ の 巡 礼 が あ つ た こ と は 確 か な よ う だ。 C も E も 現 在 確 認 で き る の は コ ピ ー の 資 料 で あ り、 そ れ ぞ れ の 論 文 が 書 か れ た 時 点 で は 原 本 が 有 っ た ら し い の で あ る が、 現 在 で は 原 本 の 所 在 が 分 か ら な く な っ て い る と の こ と で 存 在 自 体 が 確 認 で き な か っ た。 つ い 最 近 の 資 料 で す ら こ の よ う な 状 態 で あ る の が 写 し 霊 場 関 係 の 研 究 の 困 難 さ で あ る。 そ れ ゆ え に 今 分 か っ て い る こ と を 書 き 留 め て い く 必 要 性 を 感 じ る の で あ る。
以 上 を ま と め る と、 ま ず A の ﹁ 河 内 西 国 ﹂ が F の 延 長 線 上 に 江 戸 時 代 に 北 河 内 に 成 立、 さ ら に A の 区 域 を 外 し た C の 前 身 と み ら れ る G 2 の ﹁ 河 内 一 州 ﹂ が 江 戸 後 期 に 中 ・ 南 河 内 に 開 設 さ れ る。 明 治 の 廃 仏 殿 釈 を 経 て、 A が 廃 れ 明 治 二 十 年 に B の ﹁ 河 内 西 国 ﹂ が 開 設 さ れ る。 昭 和 五 年 に な っ て D の ﹁ 河 内 新 西 国 ﹂ が 中 河 内 に 開 設 さ れ る。 同 時 代 に 別 ( 22) 系 統 の E ﹁ 河 内 西 国 ﹂ も 存 在 す る が あ ま り 知 ら れ な か っ た。 C は 昭 和 五 十 年 頃 の 三 宅 徳 和 会 ( 松 原 市) の 奉 納 幕 を 最 後 に 衰 退 し て 無 く な っ て し ま う。 D は 昭 和 五 十 年 ﹁ 河 内 西 国 ﹂ と し て 再 興、 札 所 の 差 し 替 え を 行 い な が ら 現 在 に 至 る。 こ の 間 一 部 札 所 の 異 な る 六 種 の 番 付 が で き る ( D、 D 2、 D 3、 D 4、 D 5、 D 6)。 一 方、 衰 退 し て い た B を 紹 介 す る 冊 子 B 2 が 昭 和 六 十 一 年 に で き 一 時 的 に ﹁ 北 河 内 ﹂ が 再 興 し た が、 現 在 ま た 衰 退 の 道 を た ど っ て い る。 こ れ が 現 時 点 で の 私 の 結 論 で あ る。 問 題 は 昭 和 初 期 に 中 河 内 に 並 存 し て い た C、 D、 E の 扱 い で あ る。 こ の 時 期、 衰 退 し て い た と は い え 北 河 内 の B を 加 え 四 系 統 が 存 在 し て い た こ と に な る。 C、 E に つ い て は 南 河 内 を 含 ん だ 霊 場 で あ る。 C は﹁一 州 ﹂ の 名 を 冠 し 別 霊 場 で あ る こ と を 確 認 で き る が、 同 一 寺 が か ら ん で い る こ と か ら、 そ れ ぞ れ 時 代 的 に は 微 妙 に ず れ て い る と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う。 同 名 霊 場 の 違 う 札 番 に 同 じ 寺 が 加 入 し て い る と は 考 え に く い か ら で あ る。 D は ﹁ 新 ﹂ を 冠 せ て い る の で 別 と 考 え て も C と E の 関 係 が 不 明 で あ る。 地 域 的 に 重 な り 半 数 近 く の 札 所 が 重 な る と い う こ と か ら 改 組 と も 考 え ら れ る が、 そ れ に し て は 番 付 な ど が 違 い す ぎ る の で あ る。 C が G 2 か ら の 改 組 と 考 え ら れ る と い う こ と は 前 述 し た が、 旧 札 所 の 西 方 寺 (松 原 市) か ら の 取 材 で、 明 治 の 廃 仏 殿 釈 で 近 在 の 神 宮 寺 (現 屯 倉 神 社) か ら 本 尊 を 移 し た と い う 話 を 聞 い た こ と か ら も 証 明 で き る。 G 2 に つ い て は 札 所 番 付 が 確 認 で き な い が、 廃 仏 殿 釈 以 前 の 札 所 が 判 れ ば C と の 関 連 が は っ き り す る で あ ろ う。 ま た 同 様 の こ と が 各 地 で 行 わ れ て い る は ず で あ る。 北 河 内 で も 廃 仏 殿 釈 で の 札 所 移 動 が あ っ 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-87-密 教 文 化 た こ と は 前 述 の 通 り で あ る。 第 三 節 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て 河 内 西 国 ﹁ 中 河 内 ﹂ の 再 興 が 昭 和 五 十 一 年、 ﹁ 北 河 内 ﹂ は 同 六 十 一 年 で あ る こ と を 前 節 で 記 し た。 戦 後 の 高 度 成 長 が 終 わ り 経 済 的 に 豊 か に な っ た 時 代 で マ イ カ ー で の 観 光 旅 行 が も て は や さ れ た 時 期 で も あ る。 霊 場 巡 り も 観 光 要 素 が 強 く な り、 西 国 三 十 三 所、 四 国 八 十 八 ヶ 所 な ど へ の 参 拝 者 が 年 々 増 え て き た。 旅 行 社 の バ ス ッ ア ー も 数 多 く 出 る よ う に な る。 そ れ と 同 時 に 忘 れ 去 ら れ て い た 写 し 霊 場 の 再 興 が 盛 ん に な っ た 時 期 で も あ る。 近 畿 地 方 で も 播 磨 西 国 ( 昭 和 四 十 九 年)、 摂 津 国 三 十 三 ヶ 所 (同 五 十 五 年)、 摂 津 国 八 十 八 ヶ 所 (同 五 十 五 年) な ど 次 々 再 興 さ れ た。 ま た、 こ う し た 巡 礼 ブ ー ム を 当 て 込 ん で、 新 た な 霊 場 を 創 ろ う と い う 動 き も 起 こ っ た。 従 来 の 観 音、 弘 法 大 師 と い う 範 疇 を 超 え、 新 た な 本 尊 巡 礼 と し て、 不 動、 薬 師、 愛 染 な ど が 考 案 さ れ た の で あ っ た。 昭 和 後 期 か ら 平 成 に か け、 こ う し た 新 霊 場 開 設 に 尽 力 し た の が、 元 河 内 長 野 市 助 役 で 古 寺 顕 彰 会 を 設 立 し た 故 下 休 場 由 晴 氏 ( 一 九 二 七-二 〇 〇 三) と 大 阪 市 在 住 の 宗 教 ジ ャ ー ナ リ ス ト 冨 永 航 平 氏 ( 一 九 三 六-) で あ る。 ま た、 真 言 系 の 寺 院 を 中 心 に 七 福 神、 十 三 仏 と い っ た 札 所 は 少 な い な が ら 複 数 本 尊 を 回 る 手 軽 な 巡 礼 も 各 地 に 盛 ん に 開 設 さ れ た。 昭 和 四 十 年 代 以 降 の 新 設 霊 場 に つ い て は、 現 段 階 で は 学 問 的 に は あ ま り 大 き な 意 味 を 成 さ な い か も し れ な い。 た だ、 調 べ て い く う ち 明 治 か ら 昭 和 に か け て 開 設 さ れ た 霊 場 に つ い て、 す で に 背 景 ほ か が わ か ら な く な っ て い る 場 合 が 多 い こ と が わ か っ た。 資 料 が ほ と ん ど 残 っ て い な い の で あ る。 歴 史 学 的 に は 意 味 が な い と い う こ と で 残 さ れ な い の で あ る。
寺 院 あ る い は 仏 具 店、 観 光 業 者 等 の 金 儲 け の た め に 作 ら れ た と い う 経 緯 も あ る か も し れ な い。 巡 礼 者 も 一 時 期 の み で 廃 れ て い る と い う 例 も あ る。 実 際、 平 成 に な っ て か ら も 京 阪、 近 鉄 な ど 電 鉄 会 社 が そ の 年 限 り の 沿 線 の 巡 礼 コ ー ス を 作 っ て 観 光 客 を 集 め た 例 が あ る。 と は い え、 巡 拝 し た 人 が 居 る と い う 事 実。 実 際 何 人 が 回 っ た か と い う 数 値 的 把 握 は 困 難 で は あ る が、 そ れ を 事 実 と し て 書 き 留 め て お か ね ば、 歴 史 に 残 ら な い と い う 危 機 感 を 持 っ た の も 事 実 で あ る。 そ こ で、 最 近 の 社 会 現 象 と し て 把 握 す る た め、 昭 和 後 期 以 降 に 開 設 さ れ 現 在 ま で 続 い て い る 霊 場 に つ い て、 そ の 典 型 例 を 取 材 し た 結 果 を 記 し た。 現 時 点 で の 調 査 報 告 で あ る。 下 休 場 氏 は 昭 和 四 十 六 年 の 尼 寺 三 十 六 所 巡 礼 を 皮 切 り に、 近 畿 三 十 六 不 動 霊 場 ( 同 五 十 四 年)、 西 国 四 十 九 薬 師 霊 ( 23) 場 ( 平 成 元 年)、 近 江 湖 北 二 十 七 名 刹 霊 場 (同 四 年)、 西 国 愛 染 十 七 霊 場 ( 同 五 年) な ど の 開 設 を 手 が け た。 尼 寺 巡 礼 は、 下 休 場 氏 と 親 し い 中 橋 久 代 さ ん が 夫 の 家 出 を 悩 み 尼 僧 を 志 し 昭 和 三 十 年 代 に 尼 寺 を 巡 拝。 夫 の 帰 宅、 死 去 を 経 て、 か つ て 久 代 さ ん が 回 っ た 尼 寺 巡 拝 を 広 げ た い と い う 夫 の 遺 志 に 沿 っ て、 当 時 新 西 国 三 十 三 所 観 音 霊 場 の ガ イ ド ブ ッ ク を 執 筆 し て い た 下 休 場 氏 に 依 頼 が あ り、 霊 場 の 組 織 化 を 行 っ た と い う も の で 他 の 霊 場 と は 成 り 立 ち が 違 う。 そ の 後 は ま さ に 霊 場 を 創 設 と い う の が ふ さ わ し く、 本 尊 巡 礼 で あ れ ば、 そ の 地 域 の 著 名 な 寺 を ピ ッ ク ア ッ プ、 霊 場 開 設 を 働 き か け る と い っ た 風 で 仕 掛 け 人 と し て 動 い た と い う。 霊 場 が で き れ ば 古 寺 顕 彰 会 ( の ち 巡 礼 顕 彰 会 と 改 称) で 納 経 帳、 掛 軸 な ど を 作 製。 御 詠 歌 の な い 寺 に は 作 っ て あ げ た と も い う。 巡 礼 顕 彰 会 の 事 務 局 で 下 休 場 氏 を 支 え て き た 曽 和 静 代 さ ん は 言 う。 札 所 の 寺 院 は 真 言、 天 台 を 中 心 に い ろ ん な 宗 派 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-89-密 教 文 化 が あ る の で、 し が ら み が あ っ て ま と ま り に く い。 在 家 が 事 務 的 な こ と を す る こ と で 維 持 し や す い 面 が あ る と か。 だ が、 ガ イ ド 本 の 印 税 と 納 経 帳 等 の グ ッ ズ の 売 り 上 げ で 会 の 運 営 を し て き た が、 下 休 場 氏 の 死 去 以 後、 本 の 版 権 が 遺 族 に 移 っ て し ま い、 会 の 運 営 は 苦 し い と い う。 霊 場 会 に 運 営 を 任 せ て し ま う 下 記 の 冨 永 氏 と は 運 営 方 法 が 異 な り、 今 後 と も 同 様 の 形 態 が 維 持 で き る か は 不 明 で あ る。 一 方、 冨 永 氏 は 昭 和 五 十 七 年 開 設 の 中 国 三 十 三 観 音 霊 場 を は じ め、 九 州 八 十 八 ヶ 所 霊 場 ( 同 五 十 九 年)、 九 州 三 十 六 不 動 霊 場 (同 六 十 年)、 東 北 三 十 六 不 動 尊 霊 場 (同 六 十 二 年)、 関 東 三 十 六 不 動 霊 場 ( 同 六 十 二 年)、 四 国 三 十 六 不 ( 24) 動 霊 場 ( 同 六 十 三 年)、 新 四 国 曼 茶 羅 霊 場 (平 成 元 年) な ど 矢 継 ぎ 早 に 霊 場 開 設 に 関 わ り、 現 在 ま で 続 い て い る。 冨 永 氏 の 場 合 は、 自 ら 仕 掛 け る と い う よ り、 霊 場 を 開 設 し よ う と 考 え て い る 寺 か ら の 相 談 を 受 け た の が 始 ま り と い う。 昭 和 四 十 年 代 後 半 に 岡 山、 広 島 の 真 言 宗 の 寺 を 中 心 に 山 陽 路 に 観 音 霊 場 を 作 ろ う と い う 機 運 が あ っ た。 そ の 段 取 り を し て い る う ち、 山 陰 も 含 め た 中 国 地 方 全 域 に 広 げ て い く こ と に な り、 現 在 の 中 国 観 音 霊 場 が 出 来 上 が っ た の が 同 五 十 七 年 で あ る。 そ の 後、 全 国 各 地 の 不 動、 薬 師 な ど の 霊 場 創 り を 手 が け る。 冨 永 氏 が 霊 場 創 り を す る 時 に 札 所 選 定 の 条 件 が あ る と い う。(1) 本 堂 の 本 尊 ま た は そ の 本 尊 を 祀 る 別 堂 が あ る こ と(2) 住 職 が 常 に 居 る こ と(3) 大 型 バ ス の 入 れ る 道 と 駐 車 場 が あ る こ と-で あ る。(1) は 本 尊 巡 礼 で あ る の で 脇 持 で は だ め だ と い う こ と で こ れ は 哲 学 と し て わ か る。(2) は 常 時 納 経 が で き な い の な ら 参 拝 者 が 困 る、(3) は 団 体 バ ス 巡 礼 を 想 定 し て の こ と で あ る。 選 定 に 当 た っ て は 必 ず 自 分 で 参 拝 す る。 相 談 を 受 け た 時 点 で ま ず 霊 場 発 足 の 期 日 を 決 め、 半 年 ぐ ら い で 作 っ て し ま う と い う。 当 初 リ ス ト に な か っ た 寺 院 が 加 入 し た い と い う こ と も た び た び だ と い う。 そ の あ た り は 寺 院 側 と の 関 係 で、 多 く は 語 ら な い。 が、 見 え な い 面 が あ る の は 事 実 で あ る。
そ し て 霊 場 会 が 発 足 す る と 寺 院 側 に 管 理 を 任 せ て し ま う。 自 ら は ガ イ ド ブ ッ ク を 出 版 す る だ け で あ る。 印 税 だ け は 確 保 し 霊 場 運 営 に は 関 わ ら な い。 こ の あ た り が 下 休 場 氏 と 手 法 が 違 う 点 で あ る。 ま た、 下 休 場 氏 が 関 西 中 心 の 活 動 で あ る の に 比 し て 全 国 に わ た つ て い る の が 特 徴 で あ る。 東 北 か ら 九 州 ま で の 霊 場 創 り を し た 昭 和 六 十 年 代、 四 国 に 新 し い 八 十 八 ヶ 所 を 創 る 事 業 と 取 り 組 ん だ。 ﹁ 新 四 国 八 十 八 ヶ 所 ﹂ と 銘 打 ち ﹁ 最 後 の 仕 事 の つ も り だ っ た ﹂ と い う。 リ ス ト を 作 り 前 記 の 条 件 で 札 所 を 選 定 し て い く。 弘 法 大 師 ゆ か り の 神 社 も 含 め た 神 仏 混 交 の 霊 場 で あ る。 さ ら に、 別 格 二 十 霊 場 と 提 携 し て 百 八 霊 場 を 作 ろ う と い う 話 に も な っ た。 と こ ろ が 冨 永 氏 の 弁 に よ る と 四 国 八 十 八 ヶ 所 霊 場 会 か ら 再 三 圧 力 が か か っ た と い う。 辞 退 す る 寺 院、 冨 永 氏 と 衝 突 す る 寺 院 等 も あ り、 た び た び 札 所 を 入 れ 替 え た と い う。 四 国 霊 場 会 と は、 最 終 的 に ﹁ 八 十 八 ヶ 所 ﹂ の 名 称 を 使 わ ず ﹁ 新 四 国 曼 茶 羅 霊 場 ﹂ と す る こ と で 折 り 合 い、 平 成 元 年 に 発 足 さ せ る。 し か し こ れ が 冨 永 氏 の 最 後 の 仕 事 と は な ら ず、 そ の 後 も、 道 元 禅 師 を 慕 う 釈 迦 三 十 二 禅 刹 巡 拝 ( 平 成 八 年)、 中 国 四 十 九 薬 師 霊 場 ( 同 九 年)、 九 州 四 十 九 院 薬 師 霊 場 ( 同 十 一 年)、 中 部 四 十 九 薬 師 霊 場 ( 同 十 一 年)、 東 海 四 十 九 薬 師 霊 場 ( 同 十 二 年) な ど、 新 た な 霊 場 創 り は 止 む こ と が な い。 冨 永 氏 に 取 材 に あ た つ た 時 に、 こ の 本 尊 の 霊 場 は ま だ こ の 地 域 だ け で き て い な い と い う 例 の 話 を 聞 い た。 と い う こ と は そ の 地 域 に ま だ 開 設 の 余 地 が あ る こ と を 言 っ て い る に ほ か な ら な い。 も っ と も、 下 休 場 氏 の 場 合 も、 病 床 で 近 畿 地 蔵 霊 場 の 開 設 を 考 え な が ら 果 た せ ず に 死 去、 い ま だ そ の ま ま に な っ て い る と い う 話 を 曽 和 氏 か ら 聞 い た。 手 が け な が ら 未 完 の 霊 場、 ま だ 誕 生 す る 余 地 は あ り そ う だ。 こ う し て 新 霊 場 が 全 国 各 地 で 誕 生 し て い る 訳 だ が、 そ の 背 景 に は 四 国 遍 路 に み ら れ る 隆 盛 を 見 て、 納 経 料 収 入 を 得 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-91-密 教 文 化 た い と い う 寺 院 側 の 計 算 も 見 え 隠 れ す る。 つ ま り は 金 儲 け で あ る。 が、 霊 場 の 札 所 に な っ た か ら と い っ て、 儲 か る と は 限 ら な い。 四 国 遍 路 と 異 な り 同 じ 人 が 何 度 も と い う の は め っ た に な い。 従 っ て 開 設 当 初 は 多 く の 参 拝 者 で に ぎ わ っ て も、 数 年 す る と 閑 古 鳥 と い う こ と に も な り か ね な い。 実 際、 新 四 国 曼 茶 羅 霊 場 で は 日 に 数 人、 場 合 に よ っ て は 参 拝 ゼ ロ と い う 日 も あ る と 聞 く。 ﹁ 儲 か る ど こ ろ か 手 間 ば か り か か っ て ﹂ と い う 声 も 聞 く。 原 則 巡 拝 者 受 け 入 れ 態 勢 を 常 時 整 え て い る と い う の が 札 所 選 定 の 条 件 だ っ た は ず で あ る。 し か し、 こ う な っ て き て は 納 経 の た め に 住 職 あ る い は 代 理 人 が 必 ず 寺 に 常 駐 し て い る と い う の は 困 難 で あ る。 私 が 参 拝 し た 時 に も 留 守 と い う 寺 が い く つ も あ っ た。 納 経 が で き な い と 巡 拝 者 か ら 苦 情 が 出 る。 い き お い そ の 霊 場 の 評 判 が 下 が り、 さ ら に 巡 拝 が 減 る と い う 悪 循 環 で あ る。 ま た、 住 職 が 病 気 で 入 院 し た り、 死 去 後 の 代 替 わ り が う ま く い か な か っ た り と い う こ と も 起 き て く る。 尼 寺 三 十 六 所 巡 拝 で は、 代 替 わ り で 男 性 が 晋 山 し 尼 寺 で な く な っ た 所 も あ る。 尼 寺 で な い と 意 味 が な い の で、 霊 場 会 で は 適 宜 札 所 の 入 れ 替 え を 行 っ て い る と い う が、 一 時 的 に 札 所 空 白 が で き た り し て い る。 ま た、 あ ま り 頻 繁 に 札 所 が 変 わ る と 巡 拝 者 が 戸 惑 う と い う こ と に も な り か ね な い し、 設 立 当 初 の 趣 旨 か ら か け 離 れ て く る 懸 念 も あ る。 再 興 さ れ た マ イ ナ ー な 写 し 霊 場 も 同 様 の 問 題 を 抱 え て い る。 元 々 小 さ な 寺 院 が 多 い 上、 兼 務 住 職 あ る い は 一 部 無 住 と い う ケ ー ス も 有 る。 納 経 帳 を バ イ ン ダ ー 形 式 に し て、 不 在 の 時 は 箱 の 中 に 入 っ た 朱 印 済 み の 用 紙 を 持 ち 帰 っ て も ら ( 25) う よ う に 工 夫 し て い る 霊 場 も あ る が、 盗 難 の お そ れ が 常 に つ き ま と う。 管 理 上 や む を 得 な い の で あ ろ う が、 堂 は 閉 め 切 っ た ま ま で 仏 像 も 見 え な い な ど 興 醒 め で あ る。 寺 院 側 が 熱 心 で な い 場 合 も あ り ﹁ 最 近 で は 回 る 人 が い な い ﹂ ( 北 河 内) の よ う な 状 態 に な っ て し ま う。
結 論 第 一 節 で、 多 く の 霊 場 開 設 の 時 期 は 江 戸 中 期-後 期、 明 治 二 十 年 代 以 降、 昭 和 の 戦 前、 昭 和 四 十 年 代-現 在 の 大 き く 四 期 に 分 か れ る こ と を 明 ら か に し た。 い ず れ も 四 国、 西 国 巡 拝 が ブ ー ム に な っ た 時 期 と 重 な っ て お り、 本 札 所 に あ や か り 霊 場 が 創 ら れ て い っ た、 あ る い は 衰 退 し て い た 霊 場 を 復 興 し た と い う も の で あ る。 巡 拝 ブ ー ム の 時 期 と そ の 背 景 を 考 察 す る と、 戦 争 な ど で 疲 弊 し た 中 か ら ま ず 経 済 復 興 が 行 わ れ る。 そ の 後 生 活 に 余 裕 が 出 て く る と 巡 拝 に 向 か う。 さ ら に 高 度 成 長 が 止 ま り 停 滞 期 に さ し か か っ た こ ろ に、 心 の 癒 し を 求 め て 巡 拝 に 出 る。 最 初 は 四 国、 西 国 の 本 札 所 が に ぎ わ い、 そ の 後 ブ ー ム を 当 て 込 ん で 写 し 霊 場 が で き る と い う 構 図 が 見 え て き た。 つ ま り 経 済 成 長 と は 少 し タ イ ム ラ グ が あ る の で あ る。 第 二 節 で は、 河 内 西 国 で 同 名 霊 場 が 並 立 し た 実 態 を 明 ら か に す る こ と が で き た。 歴 史 的 に は ﹁ 北 河 内 ﹂ の 方 が 古 く か ら あ っ た が、 ﹁ 中 河 内 ﹂ が 昭 和 五 十 年 の 再 興 時 に 北 河 内 の 存 在 に 気 付 か ず 同 名 霊 場 が 誕 生 す る こ と に な っ た の は、 本 論 文 で 述 べ た 経 緯 の 通 り で あ る。 そ し て 同 六 十 一 年 に ﹁ 北 河 内 ﹂ が 再 興 さ れ る と、 併 存 す る こ と と な っ た の で あ る。 そ し て ﹁ 北 河 内 ﹂ が 再 興 当 時 の 札 所 を 固 守 し て い る が 故 に 一 部 納 経 困 難 で 衰 退 し て い る の に 比 し て、 ﹁ 中 河 内 ﹂ は 巡 拝 者 優 先 で 納 経 困 難 札 所 を 適 宜 差 し 替 え な が ら、 そ の 範 囲 を 南 河 内 に 広 げ 名 刹 を 取 り 込 む こ と に よ っ て、 巡 拝 者 に 魅 力 的 な 霊 場 と し て P R し、 新 た に ガ イ ド ブ ッ ク も 作 り、 現 在 な お 巡 拝 者 を 多 く 集 め る 霊 場 と し て 存 続 し て い る と い う 対 照 的 な 推 移 を た ど っ て い る こ と も 報 告 し て お き た い。 ま た、 江 戸 時 代 以 降、 河 内 だ け で 少 な く と も 五 系 統 十 種 類 の 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
-93-密 教 文 化 西 国 写 し 霊 場 が あ っ た こ と も 確 認 で き た。 歴 史 的 な 経 緯 の 中、 明 治 の 廃 仏 殿 釈 を 境 に 江 戸 時 代 と は 札 所 を 差 し 替 え た 札 所 再 興 が 行 わ れ た こ と も 確 認 で き た。 こ の こ と は 河 内 以 外 の 地 域 に も 言 え る こ と で あ る と 思 う。 検 証 は で き て い な い が、 昭 和 期 に 再 興 さ れ た 霊 場 の 多 く は、 明 治 の 廃 仏 殿 釈 を 経 て、 江 戸 時 代 の 元 々 の 霊 場 と は 札 所 が 異 な っ た 形 で 再 興 さ れ て い る の で は な い か と い う こ と で あ る。 全 国 各 地 の 写 し 霊 場 に つ い て 同 様 の 調 査 を 行 う の は 膨 大 な 時 間 を 必 要 と す る の で、 今 後 の 課 題 と し た い。 第 三 節 で は、 現 在 次 々 名 乗 り を 上 げ て い る 新 規 霊 場 に つ い て <仕 掛 け 人> の 存 在 を 明 ら か に し た。 歴 史 研 究 で は 今 を 軽 視 し が ち で あ る が、 今 回 の 研 究 を 進 め て き て、 明 治 -昭 和 と い っ た 近 過 去 の 資 料 が 意 外 に 保 存 さ れ て い な い こ と が 判 明 し た こ と に か ん が み、 現 状 を 書 き 留 め て お く こ と が、 将 来 の 研 究 に 必 要 で あ る と 判 断 し た か ら に ほ か な ら な い。 昭 和 四 十 年 代 以 降 の 巡 礼 ブ ー ム に 乗 っ て、 不 動、 薬 師 と い っ た 新 た な 本 尊 を 主 体 と す る 霊 場 が 次 々 創 ら れ て い っ た。 そ こ に は 寺 院 の 金 儲 け と い っ た 側 面 も あ る が、 下 休 場、 冨 永 両 氏 と い う < 仕 掛 け 人> が い た こ と が 大 き な 要 因 と も な っ て い る。 ま た 両 氏 が 関 わ っ た 霊 場 以 外 に、 岩 坪 眞 弘 ・ 前 高 野 山 真 言 宗 教 学 部 長 ら が 中 心 と な っ て 昭 和 四 十 六 年 に 開 設 さ れ た 淡 路 島 七 福 神 な ど 寺 院 主 導 で 設 立 し た 霊 場 も 少 な く な い。 さ ら に 平 成 十 三 年 に 開 設 さ れ た 役 行 者 霊 蹟 札 所 巡 礼 の よ う に 寺 院 主 体 な が ら そ の 接 着 剤 的 に 動 い た 白 木 利 幸 氏 ( 一 九 六 三-) と い つ た 新 進 の 仕 掛 け 人 も 出 て き て い る。 ま た、 同 二 十 年 に は 近 畿 圏 百 五 十 二 の 寺 院 と 神 社 が 手 を 組 ん だ 神 仏 霊 場 が 開 設 さ れ た。 が、 紙 幅 の 関 係 か ら 本 稿 で は 省 略 し た。 新 規 霊 場 開 設 や 霊 場 再 興 に は < 仕 掛 け 人> の 存 在 が あ る。 と こ ろ が 限 定 さ れ た 地 域 の み で の 活 動 だ と、 他 の 霊 場 の 存 在 を 知 ら ず に 同 名 霊 場 が 並 存 す る 事 態 に な る こ と を 河 内 西 国 の 例 で 明 ら か に し た。 関 係 資 料 が 少 な く 聞 き 取 り に よ
る 取 材 し か で き な か っ た 部 分 も あ る が、 こ れ ま で 本 格 的 な 研 究 が な さ れ て こ な か っ た と い っ て よ い 分 野 だ け に、 開 設 に ま つ わ る 経 緯 の 調 査 研 究 そ の も の が 新 規 分 野 の 開 拓 と い う 意 義 が あ る も の と 考 え る。 註 ( 1) 地 方 霊 場 に つ い て の 研 究 は、 個 々 の 霊 場 の 地 域 的 な 研 究 や 調 査 報 告 は 多 い が、 包 括 的 に と ら え た 論 文 は 田 中 智 彦 氏 の 遺 稿 集 ﹃ 聖 地 を 巡 る 人 と 道 ﹄ (岩 田 書 院、 二 〇 〇 四) ぐ ら い で あ る。 ま た 現 在 の 新 設 霊 場 ま で を 対 象 と し た、 本 格 的 な 研 究 は ほ と ん ど な さ れ て い な い。 (2) 福 島 県 棚 倉 町 の 都 々 古 神 社 の 十 一 面 観 音 像 の 台 座 に ﹁ 右 成 弁 修 行 三 十 三 所 観 音 霊 地 之 間 於 八 溝 山 観 音 堂 上 院 参 籠 三 百 ヶ 日 (中 略) 天 福 二 年 七 月 十 九 日 ﹂ と の 日 付 入 り の 記 載 が あ る。 新 城 常 三 ﹃ 新 稿 社 寺 参 詣 の 社 会 経 済 史 的 研 究 ﹂ (塙 圭 旦 房、 一 九 八 二) P p 4 6 6-4 6 7 ( 3) 田 中 智 彦 ﹃ 聖 地 を 巡 る 人 と 道 ﹄ (岩 田 書 院、 二 〇 〇 四) P P 2 2 7-2 3 8 ﹃ 全 国 霊 場 巡 拝 事 典 改 訂 新 版 ﹄ (大 法 輪 閣、 二 〇 〇 七) P P 9 1-9 2、 1 4 0、 1 5 4、 2 5 9-2 6 2、 2 8 1-2 8 3、 2 9 4-2 9 7、 3 0 9 -3 1 5、 4 3 8-4 3 9 ﹃ 全 国 霊 場 大 事 典 ﹄ ( 六 月 書 房、 二 〇 〇 〇) P P 6 3 8-6 4 2、 6 8 0-6 8 3、 6 9 9 -7 0 2、 7 1 0-7 1 7 9 2 3 -9 2 4 拙 著 ﹃ 公 認 先 達 が 綴 っ た 遍 路 と 巡 礼 の 実 践 学 ﹄ (高 野 山 出 版 社、 二 〇 〇 七) P P 1 2 4-1 5 5 ( 4) ﹃ 公 認 先 達 が 綴 っ た 遍 路 と 巡 礼 の 実 践 学 ﹄ P P 2 1 6 -2 17 (5) ﹃ 聖 地 を 巡 る 人 と 道 ﹄ p p 2 2 7-2 3 8 ﹃ 全 国 霊 場 巡 拝 事 典 改 訂 新 版 ﹄ p p 2 8 1-2 8 4、 3 0 3 -3 0 8 ﹃ 全 国 霊 場 大 事 典 ﹄ P P 7 0 7 -7 0 9 ﹃ 公 認 先 達 が 綴 っ た 遍 路 と 巡 礼 の 実 践 学 ﹂ P P 1 2 4-1 5 5 ( 6) ﹃ 聖 地 を 巡 る 人 と 道 ﹄ P P 2 2 7-2 3 8 ﹃全 国 霊 場 巡 拝 事 典 改 訂 新 版 ﹄ P P 1 3 6-1 3 7、 1 5 0-1 5 4、 2 2 2-2 2 4、 2 9 0 -2 9 3 ﹃ 全 国 霊 場 大 事 典 ﹄ P p 4 6 7 -4 6 8、 4 8 4 -4 8 7、 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
密 教 文 化 6 1 1 -6 1 4、 6 8 8-6 9 1 ﹃ 公 認 先 達 が 綴 っ た 遍 路 と 巡 礼 の 実 践 学 ﹄ P P 1 2 4-1 5 5 (7) ﹃ 聖 地 を 巡 る 人 と 道 ﹄ P P 2 2 7-2 3 8 ﹃全 国 霊 場 巡 拝 事 典 改 訂 新 版 ﹂ p P 1 7 7 -1 7 9、 2 5 9 -2 6 2 ﹃ 全 国 霊 場 大 事 典 ﹄ P P 4 8 9-4 9 0、 6 5 5-6 5 8 ﹃ 公 認 先 達 が 綴 っ た 遍 路 と 巡 礼 の 実 践 学 ﹄ P P 1 2 4 -1 5 5 ( 8) 昭 和 後 期、 交 野 市 ・ 想 善 寺 発 行 ( 9) ﹃ 磯 島 と 明 照 山 正 光 寺 ﹄ (正 光 寺、 一 九 八 ○) p p 1 6 -1 8 ( 10) 二 十 一 番 雲 林 寺 ( 11) 浄 土 三 部 経 以 外 の 読 経 を 拒 否 さ れ た ( 12) 十 四 番 西 方 寺 ( 13) 十 六 番 想 善 寺 ( 14) ﹃ 岩 瀧 山 往 生 院 六 萬 寺 史 ﹂ (往 生 院 六 萬 寺、 一 九 七 九) P 8 (15) 昭 和 五 十 一 年 十 一 月 二 十 日、 於 勝 軍 寺 ( 16) 現 札 所 寺 院 か ら の 聞 き 取 り で あ る が 取 材 源 秘 匿 の た め 省 略 ( 17) ﹃ 太 子 町 立 竹 内 街 道 歴 史 資 料 館 館 報 ﹄ 第 八 号 (同 館、 二 〇 〇 二) P P 8 1-9 9 ( 18) A、 B 等 の 記 号 に つ い て は、 当 論 文 構 成 上 の 整 理 で 付 け 直 し た の で 上 野 氏 の 論 文 と は 異 な る ( 19) p p 7 2 1-7 5 ( 20) P 4 9 ( 21) P P 1 1 1-1 1 2 (22) ﹁ 河 内 一 州 ﹂ 五 番 龍 泉 寺 (富 田 林 市) な ど 複 数 の 札 所 に 奉 納。 幕 に は ﹁ 楽 な 巡 礼 溢 る る 功 徳 河 内 西 国 ﹂ と 記 さ れ ﹁ 一 州 ﹂ の 字 は な い。 三 宅 徳 和 会 は 昭 和 三 十 八 年 の 結 成 で、 現 在 に 至 る ま で 四 国 ・ 西 国 ほ か 各 地 の 霊 場 を 巡 礼 し て い る。 昭 和 五 十 年 代 に 河 内 西 国 以 外 に も 四 国 八 十 八 ヶ 所 な ど に 幕 を 奉 納 し て い る。 な お、 C の 編 者 妻 谷 氏 の 孫 が 同 会 に い て、 当 時 す で に 廃 れ て い た 二 州 ﹂ の 記 述 に 基 づ い て 札 所 に 奉 納 し た と 上 野 氏 が 推 測 し て い る が、 妥 当 で あ る と 思 え る。 し か し な が ら、 今 回 妻 谷 氏 の 曽 孫 で あ る 妻 谷 信 氏 に 取 材 し た と こ ろ ﹁ 父 や 曽 祖 父 か ら 何 も 聞 い て い な い ﹂ と の こ と で 確 認 は 取 れ な か っ た。 同 会 の 資 料 に も 四 国 八 十 八 ヶ 所 奉 納 の 記 録 は 残 っ て い た が 河 内 西 国 に 関 す る 記 録 は 確 認 で き な か っ た。 上 野 氏 論 文 で も 推 定 さ れ る よ う に、 奉 納 当 時 す で に ﹁ 一 州 ﹂ 巡 拝 は 廃 れ て い た こ と も あ り う る。 明 治 の 妻 谷 氏 の 案 内 書 ( C) に 基 づ い て 奉 納 し た も の の、 実 際 は 別 の ( D 2 ま た は D 3) し か 機 能 し て い な か っ た と い う こ と が 考 え ら れ る。 (23) ﹃ 尼 寺 三 十 六 所 法 話 巡 礼 ﹄ ( 朱 鷺 書 房、 一 九 八 八) ほ か
( 24) ﹃新 四 国 曼 茶 羅 霊 場 を 歩 く ﹄ (新 人 物 往 来 社、 一 九 九 〇) ほ か (25) さ ぬ き 三 十 三 観 音 霊 場 な ど く キ ー ワ ー ド V 巡 礼、 写 し 霊 場、 河 内 西 国 写 し 霊 場 と 新 規 霊 場 開 設 の 実 態 に つ い て
(2)
A Study on the Establishment of Replicated Pilgrimage
Sites and New Pilgrimage Sites
SHIBATANI Soshuku
A study of pilgrimage in Japan cannot ignore the existence of
nationwide local imitations of the Saikoku Thirty-three Temples
Pilgrimage route and the Shikoku Eighty-eight Temples Pilgrimage
route. In the late Showa era, several new pilgrimage routes concerning Fudo or Yakushi came into existence. I discovered that the periods
when pilgrimage routes in Japan came into existence can be divided
into four groupings: mid- to late-Edo period, after the late 1880s or
1890s (Meiji 20s), prewar Showa era, and the late 1960s (Showa 40s) to the present. All of these correspond to periods in which the Shikoku
and Saikoku pilgrimage routes were successful. After considering the
several Kawachi Saikoku routes in Osaka, I summarized the sequence
of events in which the pilgrimage routes of Kitakawachi and
Naka-gawachi re-arose independently and without communication, so that
there was duplication in names. I also confirmed that during and
after the Edo period there were at least five groups with more than
ten kinds of pilgrimage routes in imitation of the Saikoku
pilgrim-age in Kawachi. After studying the circumstances of newly created
pilgrimage routes that are appearing in rapid succession today, I
examined the existence of two shikakenin.
英
文
要