密 教 文 化
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室
灌
頂
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は じ め に 密 教 の 曼 茶 羅 や そ れ に と も な う 彫 像 の ま つ る べ き ﹁ 場 所 ﹂ を 記 録 し た も の は、 あ ま り 多 く 現 存 し な い が、 そ れ で も な お 聖 教 類 や 図 像 と そ れ に も と つ く 指 図 の 中 に も み と め る こ と が で き る。 云 う ま で も な く そ の ﹁ 場 ﹂ と は 密 教 の 理 論 を 具 体 化 し た 礼 拝 対 象 の 本 質 的 な か ま え か た を 示 す も の で あ る が、 古 く か ら 師 資 相 承 を も っ て 入 念 に 説 き あ か さ れ て き た と い え よ う。 今 日 わ れ わ れ が そ れ ら の 一 部 分 を 切 り と っ て 歴 史 的 に さ か の ぼ り、 あ る べ き 本 来 の 姿 に 復 原 で き る の は、 す ぐ れ た 阿 閣 梨 の 指 導 と、 そ れ に 携 わ っ て き た 僧 侶 の 不 断 の 努 力 の た ま も の に 他 な ら な い。 こ こ で は、 そ う し た 伝 承 の 記 録 や 指 図 あ る い は 修 法 と の 相 互 関 係 を 通 じ て、 藤 原 時 代 か ら 鎌 倉 時 代 に み ら れ る 御 室 を 中 心 と し た 両 界 曼 茶 羅 の ﹁ 場 ﹂ す な わ ち 堂 内 に あ る べ き 位 置 を 史 的 に 考 察 し よ う と す る も の で あ る。 ま た 末 尾 に 加 え た ﹁ 五 大 虚 空 蔵 座 居 諸 図 像 ﹂ 一 巻 は、 そ の 彫 像 の 一 場 ﹂ を 確 認 で き る 一 史 料 に す ぎ な い が、 そ の 当 時、 常 喜 院 の 心 覚 が こ う し た 記 録 を 整 備 し な が ら 図 像 集 の 一 つ と し て 名 高 い 別 尊 雑 記 五 十 七 巻 の 一 部 を 完 成 し て い っ た と 考 え ら れ る か ら で あ る。 そ の 原 本 は、 お そ ら く 手 控 え と な り 常 に 珍 重 さ れ て き た に ち が い な い。 こ こ に 心 覚 阿 闊 梨 の 周 辺 を め ぐ る 問 題 も、 と う ぜ ん、 か か わ り あ っ て く る わ け で あ る が、 今 は 史 料 を あ げ る に と ど め る。 一 承 元 二 年 ( 一 二 〇 八) の 正 月 十 八 日、 後 高 野 御 室 道 法 阿 闊梨 (一一 六 六-一 二 一 四) は、 高 野 山 へ 御 参 詣 に な ら れ た。 そ し て 帰 京 後 ま も な い 二 月 九 日 に は 最 勝 四 天 王 院 の 検 校 に 補 せ ら れ た の で あ る。 こ の 守 覚 の 高 弟 道 法 阿 闊 梨 が 文 治 六 年 い ら い 勅 を う け、 禁 中 に 真 言 の 秘 法 を 勤 修 す る こ と 前 後 四 十 四 回、 い ず れ も 法 験 を あ ら わ し、 そ の 賞 を み ず か ら 門 弟 に ゆ ず ら れ た と い う 史 実 な ど は、 今 も な お ﹁ 仁 和 寺 御 伝 ﹂ (顕 謹 書 写 本) を は じ め と す る 二、 三 の 仁 和 寺 系 史 料 が 語 り つ た え る と ( 1) こ ろ で あ る。 し か し こ こ を 細 部 に わ た っ て 調 べ て ゆ く と、 同 じ 仁 和 寺 御 伝 で あ っ て も、 次 の 箕 面 寺 御 参 詣 に 関 す る 記 録 は、 た だ 顕 誰 書 写 本 の 系 統 に し か 見 出 す こ と が で き な い。 ミ ノ ヲ ﹁ 同 四 月 十 日、 摂 州 箕 面 寺 御 参 詣、 同 自 廿 七 日 丁 卯、 於 (朱) ﹁ 賀 陽 殿 ﹂ 高 陽 院 殿 令 修 守 護 経 法 給、 伴 僧 廿 口、 十 二 天、 聖 天 供 在 之、 御 本 尊 新 被 図 之、 成 身 会 曼 茶 羅 也、 閏 四 月 四 日、 御 結 願、 勧 賞 賜 二 口 、 法 院 寛 喩、 権 律 師 顕 位、 同 入 月 二 日 己 巳、 於 同 所 為 院 御 祈、 被 修 五 大 虚 空 蔵 法、 伴 僧 廿 口、 同 十 月 十 六 日 戊 午、 八 幡 宮 御 参 詣 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二、 一 五 五-六) こ れ に よ る と、 承 元 二 年 の 春 た け な わ、 四 月 十 日 に 阿 闊 梨 道 法 は、 摂 津 国 の 箕 面 寺 に 御 参 詣 に な っ て い る、 こ の 箕 面 寺 は、 光 台 院 御 室 道 助 の と き す な わ ち ﹁ 建 保 四 年 六 月 二 十 六 日 己 未、 以 摂 津 国 箕 面 寺、 永 可 為 仁 和 寺 之 末 寺 由、 被 下 宣 旨 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二-一 五 九) と あ る よ う に 建 保 四 年 ( 二 二 一 六) 頃 に は 既 に 仁 和 寺 の 末 寺 に な っ た と こ ろ で あ る、 し た が っ て 古 く か ら 御 室 と は 関 係 の 深 い 寺 で あ っ た こ と が 知 ら れ る。 さ て 道 法 は 二 十 七 日 に は い っ た ん 京 に も ど り 桓 武 天 皇 皇 子 高 陽 親 王 の 邸 宅 ( 賀 陽 殿 と も し る す) で 守 護 経 法 を 七 日 問 い と な ん で い る。 そ の 時 の 集 会 の 状 況 を 考 え あ わ せ る と、 ﹁ 伴 僧 廿 口、 十 二 天、 聖 天 在 之 ﹂ と い う か ら 通 常 の 規 模 で そ れ ほ ど 大 が か や の い ん か り な も の で は な か っ た に ち が い な い。 高 陽 院 邸 と は、 修 法 の 道 場 と し て も 著 名 な と こ ろ、 道 法 が 後 に た び た び 訪 れ て お り こ こ で 彼 の 主 要 な 修 法 が 晩 年 ま で 行 わ れ て い た。 場 所 は 平 安 京 左 京 中 御 門 の 南、 西 洞 院 の 西、 堀 川 の 東、 大 炊 御 門 の 北 に あ っ た と い う。 ﹁ 聖 天 ﹂ 以 下 の 記 述 を み る と、 こ の 高 陽 院 で は 守 護 経 法 の 御 本 尊 を 新 し く 描 か せ し め、 そ れ が 金 剛 界 成 身 会 曼 茶 羅 で あ っ た と の べ て い る。 こ の 記 録 す な わ ち マ ン ダ ラ を 成 身 会 と 記 す 部 分 は、 た し か に 他 の ﹁ 仁 和 寺 御 伝 ﹂ の 諸 本 に は 欠 け て い る。 た と え ば こ の 四 本 の う ち で も 心 蓮 院 本 が や や 近 い が そ の 守 護 経 法 の 本 尊 を 知 る よ し も な く、 た だ 伴 僧 の 数 を 二 十 と 記 す の み で あ る。 以 下、 真 光 院 本 や 御 室 代 々 略 記 か ら で 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 ( 註) ほ か に 群 書 類 従 本 第 六 七 (伝 部)、 真 乗 院 本、 壬 生 家 旧 蔵 本 が あ る が、 す べ て A 本 に 帰 す る の で 省 略 す。 は ま っ た く そ の 本 尊 の 何 た る か を 推 定 す る こ と は で き な い。 こ う 考 え て み る と 道 法 の 守 護 経 法 に か か わ る 成 身 会 曼 茶 羅 は 顕 謹 書 写 本 に よ つ て の み 見 出 さ れ た と 云 っ て よ い。 と こ ろ で 真 言 密 教 で は 古 く か ら 仁 王 経 法 や 孔 雀 経 法 お よ び こ の 守 護 経 法 は 秘 修 の 三 大 法 と い わ れ て き た が、 こ れ ら の 修 法 に は そ れ ぞ れ 御 本 尊 が あ っ て、 そ れ は と く に 守 護 経 所 説 の 曼 茶 羅 を か け る こ と に な っ て い る。 守 護 経 法 の 場 合 は、 金 剛 界 の 大 日 如 来 像 で、 マ ン ダ ラ は 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 第 九 巻 陀 羅 尼 功 徳 儀 軌 品 に 説 く 金 剛 城 曼 茶 羅 ( 大 正、 一 九、 五 六 六 b-c) で あ る。 ま た 本 尊 曼 茶 羅 は 金 剛 界 三 十 七 尊 曼 茶 羅 で 外 金 剛 部 は 入 方 天、 梵 天、 地 天 な ど の 十 天 を 描 い た も の で あ る。 守 護 経 法 は 鎮 護 国 家 は も と よ り 延 寿、 祈 雨、 止 雨、 除 病、 滅 罪 の た め に 修 し た も の で あ る が、 仁 和 寺 に お け る 成 身 会 マ ン ダ ラ と そ の 三 昧 耶 形 の 造 形 上 の 意 識 を み て も ほ ぼ 鎮 護 国 家 法 と し て 確 立 し た 礼 拝 対 象 を 推 考 す る こ と が で き る。 そ れ は 守 護 経 法 の 本 尊 を も と め る 方 法 と し て、 ﹁ 五 仏 を 本 尊 と し て 各 々 の 種 子 や 三 形 等 を め ぐ る 伝 も あ り ﹂ ( 薄 草 紙、 秘 砂、 乳 味 砂 の 第 十-十 四、 四 巻 抄 二) と い う 伝 承 が 諸 本 に み ら れ る 点 で あ る。 そ こ で 御 室 に お け る 金 剛 界 三 昧 耶 曼 薬 羅 お よ び 成 身 会 三 摩 耶 形 マ ン ダ ラ の 存 在 を た し か め つ つ、 ま た そ れ が 後 に 説 明 す る 真 言 入 祖 御 影 と ど の よ う に か か わ り あ っ て く る の か、 御 室 側 よ り み た 小 野 仁 海 僧 正 記 の 引 用 文 を 検 討 し な が ら 考 察 を す す め る こ と に し よ う。 仁 和 寺 の 草 創、 由 緒、 伽 藍、 鎮 守、 ま た 御 室 直 轄 あ る い は 御 室 御 所 と な っ た 諸 院 の 由 来、 規 模 な ど を 記 し た ﹁本 要 記 ﹂ 一 巻 (仁 和 寺、 御 一 四 〇 箱、 た て 三 二・ 六 セ ン チ、 一 紙 長 四 八・ 三 セ ン チ、 紙 数 は 長 短 あ り 四 十 九 枚) に よ る と、 円 堂 院 の 項 で、 と 記 し て い る。 小 野 仁 海 僧 上 の 述 べ る と こ ろ に よ れ ば、 仁 和
寺 の タ ツ ミ ( 南 東) に 御 室 開 創 の 第 一 代 寛 平 法 皇 の 念 論 堂 と し て 八 角 堂 が あ り、 そ の 中 に 金 剛 界 三 昧 耶 の 金 銅 の 板 マ ン ダ ラ が 安 置 さ れ て い た と 伝 え る の で あ る。 こ の 三 行 は 本 要 記 と 同 系 統 の 本 寺 堂 院 記 も 全 文 が 一 致 す る か ら そ の 当 時 の 確 か な 伝 承 と し て う け と め る こ と が で き る。 こ こ に い う 仁 和 寺 円 堂 ﹁ 宇 多 ﹂ と は 済 信 の ﹁ 北 院 御 室 御 記 云 ﹂ に 引 用 さ れ 一 為 後 門 勅 願、 昌 泰 二 年 被 遂 供 養、 以 円 城 寺 為 供 養 御 導 師、 曼 茶 羅 供 色 五 十 口 ﹂ (本 要 記) と あ る か ら 堂 は 昌 泰 二 年 ( 八 九 九) に 供 養 さ れ、 そ の 時 の 導 師 を 円 城 寺 の 僧 が つ と め た の で あ ろ う。 こ の よ う に 御 室 に お け る 当 時 の 天 台 方 と 成 身 会 マ ン ダ ラ の 関 係 は、 後 で ふ れ る よ う に 幽 仙 律 師 を 暗 示 す る の に ふ さ わ し い 一 例 と し て う け と め る こ と が で き る。 す な わ ち、 本 要 記 に の べ る 参 語 集 第 二 に は 東 寺 の 西 院 を 模 し て 創 建 し た と 伝 え る 南 御 室 に 次 の よ う な 伝 承 を み と め る。 ﹁ 私 云、 以 此 記 西 院 模 様 可 知 之、 安 置 成 身 会 曼 茶 羅 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二 -三 一 九)、 ﹁ 三 僧 記 類 聚 第 十 二 云、 南 御 室 安 置 成 身 会 マ タ ラ 有 何 故 乎 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二 -二 二 〇) こ の 南 御 室 で は、 成 身 会 マ ン ダ ラ が 十 二 世 紀 の 始 め 頃 か ら 安 置 さ れ、 法 皇 御 諦 経 の 礼 拝 対 象 と し て は 欠 く こ と の で き な い 鎮 護 国 家 の 具 象 的 な パ タ ー ン を 形 成 し て い た と 考 え ら れ る か ら で あ る。 三 僧 記 類 聚 第 十 二 で は 続 け て、 こ の 成 身 会 に つ (梵 字) い て 師 は ﹁ 代 々 帝 王 御 法 事、 金 剛 界 成 身 マ タ ラ 被 供 養 之 ﹂ と 答 え て い る く ら い で あ る。 文 中 に み え る ﹁ 代 々 の 帝 王 の 御 法 事 に は ﹂ と は、 い っ た い い つ 頃 か ら 始 め ら れ た 法 事 を 指 す の か、 に わ か に 断 じ が た い が、 仁 和 寺 史 料 を 参 照 す る と 相 当 古 く か ら あ っ た と 考 え ら れ、 弘 法 大 師 空 海 と の 関 係 は 改 め て 指 摘 す る ま で も な い。 し か し 守 護 経 法 の あ り か た や こ れ を 本 尊 と す る 天 台 系 の 成 身 会 マ ン ダ ラ と の か か わ り あ い を み る な ら ば も う 少 し 天 台 側 か ら の 成 立 事 情 も 考 慮 し て み る 必 要 が あ る よ う 思 わ れ る。 こ こ で と り あ げ て い る 円 覚 図 の 成 身 会 三 形 は 古 徳 記 を 引 用 し て 次 の よ う に の べ る。 ﹁ 古 徳 記 云、 入 角 御 堂、 号 円 堂 院、 寛 平 御 願、 安 置 金 剛 界 丹 七 尊 井 外 院 三 摩 耶 形、 延 喜 三 年 三 月 廿 六 日 供 養 之、 而 改 造 之 後、 同 五 年 三 月 廿 六 日 辛 酉﹁ 八 専 ﹂、 又 供 養、 法 皇 崩 御 後 式 部 卿 改 之、 ﹁ ニ イ 五 イ ﹂ 天 慶 三 年 三 月 廿 七 日、 供 養、 修 復 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二-二 八 〇) こ れ に よ る と 円 堂 は 円 堂 院 と 号 す る 入 角 御 堂 よ り な り た ち、 中 に 成 身 会 す な わ ち 金 剛 界 三 十 七 尊 な ら び に 金 剛 部 外 院 の サ マ ヤ 形 を 安 置、 そ れ ら を 延 喜 三 年 ( 九 〇 三) に 供 養 し た と い 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 ( 2) う も の で あ る。 そ の 供 養 会 は ﹁ 曼 茶 羅 供 記 ﹂ に 延 喜 四 年 説 を あ げ て は い る も の の 導 師 に 益 信 僧 正 を 迎 え て 請 僧 が 百 口 と 伝 え て い る か ら 相 当 大 が か り な、 し か も 円 堂 改 造 の 際 よ り も 当 初 の 集 会 の あ り か た の 方 が 盛 大 で あ っ た と み な す こ と が で き る。 こ う し た 経 過 は 鎮 護 に お け る マ ン ダ ラ が 本 尊 と な り う る よ う に 成 身 会 三 形 が 両 界 マ ン ダ ラ に 匹 敵 す る 礼 拝 対 象 と し て そ の 地 位 を、 す で に 有 し て い た と 推 考 す る こ と が で き る。 そ れ は 堂 内 を 荘 厳 す る 壁 面 の 八 祖 像 の あ り か た を 考 え て も 守 護 経 と の 密 接 な 関 連 性 を 指 摘 す る こ と が で き る。 本 要 記 を は じ め と す る 図 イ の A・B本 図 ( 46・60頁参 照) に み る よ う に、 北 よ り(1) 龍 猛(2) 龍 智(3) 金 剛 智(4) 不 空(5) 善 無 畏(6) 一 行(7) 恵 果(8) 法 全 の 順 に 左 へ 廻 り、 一 周 し て い る、 壁 面 の 真 言 伝 持 の 八 祖 像 は、 さ ら に 本 寺 堂 院 記 や 本 要 記 の 裏 書 に み る よ う に 上 障 子 内 外 と 下 壁 に 分 け て 八 祖 像 と 祖 師 像 の 描 写 が、 実 際 に 整 え ら れ て い た と み る べ き で あ ろ う。 メ モ に よ る と 次 の よ う に み え る。 ﹁ 円 堂 院 障 子 図 上 障 子 内 外 (頭 書) ﹁ 或 記 云、 良 為 初、 逆 廻 之 ﹂、 艮 面 北 龍 猛 南 龍 智 内 北 弘 法 南 実 恵 巽 面 北 金 剛 智 南 不 空 内 北 真 雅 南 真 然 坤 面 東 善 無 畏 西 一 行 内 東 真 済 西 真 紹 乾 面 南 恵 果 北 法 全 内 南 宗 叡 僧 正 右 聖 宝
蜜
第 一 祖 達 磨 大 師 第 二 祖 恵 可 大 師 第 三 祖 僧 瑛 大 師 第 四 祖 道 信 大 師 第 五 祖 弘 忍 大 師 第 六 祖 恵 能 大 師 第 七 祖 行 基 菩 薩 第 八 祖 竪 真 和 尚 ﹂ 件 写 本 弐 部 己 講 顕 呆 云 々 こ れ は 本 寿 堂 院 記 に よ る も の で あ る が 本 要 記 ( 仁 和 寺 史 料 二-三 三 六-七) 円 堂 院 御 影 に は、 ま た 別 の 配 置 が あ っ て、 或 記 云、 仁 和 寺 円 堂 院 御 影 次 第 (仁 和 寺 史 料 二-二 八 二) に は 上 障 子 面 は ほ ぼ そ の ま ま と し し、 下 壁 は 後 で ふ れ る 祖 師 像 を 東 北 角 よ り 描 い て い る の で あ る。 下 壁 ﹁ 可歎﹂ 東 北 角 南 達 磨 和 尚 北 恵 嘉 禅 師 東 南 角 東 堕 真 和 上 西 行 基 西 南 ゝ 南 恵 能 北 弘 忍 西 北 西 道 信 東 僧 環 ま た 上 障 子 裏 に は 東 北 角 よ り 八 人 の 祖 師 像 を 描 く。 東 北 北 弘 法 大 師 南 桧 尾 僧 都﹁ 貞歎﹂ 東 南 東 高 雄 僧 正 正 真 観 真 雅 真 済 西 南 南 円 覚 寺 僧 正 北 真 紹 僧 都 禅 林 寺 西 北 西 後 僧 正 真 然, 北 南 池 院 僧 都 聖 宝 益 信 已 上 教 乗 房 説 こ の 中 で 後 者 の 弘 法 大 師 以 下 の 八 祖 師 像 は、 灌 頂 院 マ ン ダ ラ の と こ ろ で ふ れ た い と 思 う が、 こ の 成 身 会 と 伝 持 入 祖 像 と 弘 法 以 下 の 祖 師 像 の 三 段 階 の 堂 内 荘 厳 は、 守 護 経 法 を 背 景 に は し て い る も の の 円 堂 院 以 後 の 十 二 天 ・ 五 大 尊 の 尊 容 と も ま っ た く 関 係 が な い と は 云 い が た い。 た と え ば、 後 壁 の 五 大 尊 は 仁 王 経 法 の 本 尊 と し て、 鎮 護 国 家 法 に か か わ り あ っ て い る か ら で あ る。 こ の か か わ り あ い を 結 ぶ 要 素 と し て 厚 造 紙 を あ げ る こ と が で き る。 厚 造 紙 の 守 護 経 法 の 項 に 守 護 国 界 経 法 委 在 次 第 ﹁ 就力﹂ 付 二 金 剛 界 成 身 会 一行 レ 之 須 弥 山 頂。 想 ニ バ ー ン、 件 但 落 絶 里 悪 五 字 一。 変 成 二 七 宝 宮 殿ー。 庵 字 変 成 レ 塔。 塔 変 成 二 大 日 如 来 一 三 身 仏 果。 自 受 法 楽 故 流 二 出 三 十 七 尊 及 外 部 天 等 一。 被 二 囲 続 恭 敬 一説 二 三 密 法 一 如 来 拳 印 加 持 七 処 ﹂ (大 正、 七 八、 二 八 三 b) 金 剛 界 成 身 会 に つ い て こ れ を 行 ず る。 須 弥 山 上 に バ ー ン、 ブ ー ム、 タ ラ ク、 キ リ ー ク、 ア ク の 五 字 を 想 え。 変 じ て 七 宝 の 宮 殿 と な る、 庵 字 変 じ て 塔 と な る、 塔 変 じ て 大 日 如 来 と な る、 自 受 法 楽 の ゆ え に 三 十 七 尊、 お よ び 外 部 天 等 流 出 し て、 囲 続 恭 敬 せ ら れ て 三 密 の 法 を 説 き た ま う。 こ の 厚 造 紙 は、 守 護 経 を い わ ゆ る 経 法 の エ ッ セ ン ス と し て と ら え た も の で あ る が、 ﹁ 自 受 法 楽 の ゆ え に 三 十 七 尊 を 流 出 し て ﹂ と い う 説 は、 今 ま で 取 り あ つ か っ て き た 円 堂 す な わ ち 八 角 御 堂 に 安 置 さ れ た 金 剛 界 三 十 七 尊 外 院 三 摩 耶 形 に よ く 一 致 す る も の で あ る。 そ し て こ の 理 論 を 守 護 経 法 に よ っ て 具 体 的 に 造 形 化 し た も の で あ り、 こ れ が 厚 造 紙 の 頭 書 で 注 意 し て 写 し て い る ﹁ 付 二 金 剛 界 成 身 会 一行 之 ﹂ と の べ て い る 一 行 で あ る。 こ れ を 円 堂 の 後 壁 に 照 合 し て み る な ら ば、 実 厳 律 師 が 写 し た と い の 次 の 東 宝 記 第 二 の 引 用 文 は、 律 師 自 身 が 直 面 し た 暗 示 と し て と ら え る こ と が で き る。 本 寺 堂 院 記 裏 書 に ﹁ 円 堂 後 壁、 十 二 天 ・ 五 大 尊 被 書 之、 見 実 厳 律 師 記 畢、 東 宝 記 第 二 載 之 ﹂ (仁 和 寺 史 料 二-二 八 一) と あ る の が そ れ で あ る が、 十 二 天 ・ 五 大 尊 の 配 列 は 御 修 法 の 内 部 荘 厳 の 方 法 を 想 定 せ し め る も の で あ る。 と こ ろ で、 こ の 円 堂 の 成 身 会 三 十 七 尊 の 解 釈 を 展 開 す る と 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 罵 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 図(イ)成 身 会 三 形 (第1図A・B本 参 照) 図(口)御 室 灌 頂 堂 内陣 (第6・7図A・B本 参 照) 図(ハ)東 寺 灌 頂 院 指 図 (第8図C本 参 照) 図(二)安 養 谷 塔 扉 の 尊 位 置 (第9図A・B本 参 照) 図(ホ)醍 醐 灌 頂 院 内陣 (D本)
( 3) 愛 染 王 マ ン ダ ラ と の 関 係 が 円 堂 に お い て は 生 じ て く る。 こ の ( 4) 円 堂 内 に 愛 染 王 図 が あ っ た こ と は、 常 喜 院 心 覚 の 別 尊 雑 記 ( 大 正 図 像 部、 三、 一 八 四) に も ﹁ 仁 和 寺 円 堂 様 私 加 之 ﹂ と 註 記 が あ り 伝 承 の 確 実 な こ と が 知 ら れ る。 ﹁本 寺 堂 院 記 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二-二 八 一) に も、 こ れ を 踏 襲 し て 一 円 堂 愛 染 王 図、 別 尊 雑 記 有 之 ﹂ と し る し て お り ﹁本 要 記 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二-三 四 一) に も 著 者 が ﹁ 私 云、 心 覚 阿 閣 梨 別 尊 雑 記 此 図 像 載 之 ﹂ と 加 筆 し て い る ほ ど で あ る。 本 要 記 に よ る と、 か っ て 円 堂 内 の 愛 染 王 像 が あ っ た と い う が、 こ れ は 円 堂 経 蔵 愛 染 王 曼 茶 羅 の 中 尊 を 説 明 し た も の と は 別 の 一 尊 と み る べ き も の で あ る。 円 堂 の 経 蔵 の 項 で、 愛 染 王 に つ い て 三 僧 記 類 聚 第 七 を 引 用 し て、 ﹁ 三 僧 記 類 聚 第 七 云、 円 堂 愛 染 王 事、 覚 教 法 印 云、 円 堂 様 ト 云 ハ、 同 所 御 経 蔵 ナ ル 愛 染 王 万 タ ラ の 中 尊 ノ 様 ヲ 云 ナ リ、 但 於 円 堂 元 来 被 行 愛 染 王 御 念 説 事 ハ、 被 安 計 七 尊 三 形 ヲ 愛 染 王 ト 習 也、 其 内 中 台 ヲ 愛 染 王 ト 可 云 歎、 故 僧 正 如 此 被 示 云 々、 ﹂ (仁 和 寺 史 料 二 -三 四 〇-一) と あ る よ う に、 成 身 会 三 形 の 金 剛 界 三 十 七 尊 三 形 は、 そ の 本 身 が 金 剛 サ ッ タ で あ る が た め に 三 十 七 尊 を 春 属 と し た 愛 染 王 と 同 一 視 し う る 要 素 を 図 像 上 の 観 想 の 方 か ら う ち 出 し て い る の で あ る。 そ し て 図 像 上 の 愛 染 明 王 を 円 堂 様 と 称 す る 一 形 式 の 呼 称 は、 こ の 御 室 円 堂 に よ っ て い た 事 が 知 ら れ る。 こ れ は 心 覚 が 注 目 す る 以 上 に、 興 味 深 い 問 題 で あ る。 現 存 す る 鎌 倉 時 代 の 作 例 で こ の 図 像 に ほ ぼ 等 し い の は、 第 二 図 ( 60 頁 参 照) に み る 太 山 寺 蔵 愛 染 曼 茶 羅 で あ ろ う。 こ れ を 円 堂 様 と 称 す る た め に は、 修 法 も 相 当 さ か ん に 行 わ れ た ら し い。 た と え ば 御 室 の 愛 染 王 の 記 録 を み る と、 ( 5) 仁 和 寺 御 伝 の 顕 謹 書 写 本 に の べ る 有 名 な 守 覚 が 行 じ て お り、 建 久 六 年 ( 一 一 九 五) 八 月 一 日 の 項 に、 ﹁ 為 中 宮 御 産 御 祈、 如 法 愛 染 王 法 被 行 之、 伴 僧 十 口、 敬 愛 護 摩 宮 御 方 ﹁ 後 高 野 御 室 ﹂ 調 伏 護 摩、 安 井 宮 僧 正 同 十 三 日 結 願 了 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二-一 五 〇) と あ る 記 述 で あ る。 と く に こ の 如 法 愛 染 王 法 に は 朱 書 の 割 註 が 付 さ れ ﹁ 本 尊 始 被 図 絵 之 ﹂、 愛 染 王 法 の 本 尊 を 始 め て 図 絵 し た こ と が 知 ら れ る。 こ れ は 本 尊 が 経 法 と と も に 注 意 さ れ て い る の で 史 料 的 価 値 が き わ め て 高 い。 さ ら に 仁 和 寺 内 の 円 城 寺 に は ﹁ 或 記 云﹁ 千 記 云 ﹂、 益 信 僧 正 建 立 也 ﹂ と い う 伝 承 が あ る が、 こ れ を そ の ま ま 信 じ て こ の 益 信 の 構 想 に よ る も の か、 十 分 検 討 し な け れ ば な ら な い が、 そ の、 護 摩 堂 に 壁 画 が 描 か れ て い た と い う。 配 置 は 第 五 図 ( 61 頁 参 照) に み る よ う に 御 室 灌 頂 堂 曼 奈 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 ○金 輪 七 宝 廻 之 仏 眼 〇五 大 尊 掲 磨 万 タ ラ ○大 日 智 拳 印 四 方 四 波 羅 蜜 ○愛 染 王 十 六 位 欲 触 ○仏 眼 七 曜 金 輪 ○観 音 と あ り 当 時 の も っ と も 信 仰 の 厚 か っ た 諸 像 を と り あ げ て い る。 そ の 金 剛 界 大 日 如 来 の 下 段 中 央 に は 愛 染 王 を 配 し て い る ( 6) の で あ る。 こ の 金 剛 界 大 目 を 中 尊 に 置 き 愛 染 王、 五 大 尊 掲 磨 マ ン ダ ラ を 配 す る 堂 内 壁 画 の 荘 厳 方 法 は、 他 に あ ま り 類 例 を み な い 壁 画 で あ る が、 実 厳 律 師 の 記 録 に も 記 す よ う に 円 堂 に お け る 東 宝 記 第 二 の 引 用 ﹁ 仁 和 寺 円 堂 後 壁、 十 二 天、 五 大 尊 被 書 云 々 ﹂( 仁 和 寺 史 料 二-二 三 七) と は、 図 像 学 的 に も 五 大 尊 が そ れ ほ ど か け は な れ た も の で は な か っ た こ と を 物 語 っ て い る。 こ の 円 堂 後 壁 と 当 時 の 塔 内 部 の 考 え 方 を 総 合 す る と 御 室 の 密 教 が 鎮 護 国 家 の 修 法 に、 盛 行 を き わ め て い た こ と、 共 通 し た 師 資 相 承 に あ っ て、 と く に 院 家 内 の 延 寿、 護 国 豊 穣 を 重 ん ず る 気 風 を う か が う こ と が で き る。 し か も、 そ う し た 部 分 的 な 作 例 の 記 録 が 仁 和 寺 史 料 に 散 見 す る の で あ る。 と こ ろ が こ の 五 大 尊 の 存 在 は、 仁 王 経 法 で は 云 う ま で も な い が、 次 に の べ る 宮 中 真 言 院 御 修 法 に お い て 時 に 重 要 な 役 割 を は た し て い る 点 も 見 逃 す こ と が で き な い。 ( 7) 第 三 ・ 四 図 ( 60・61頁 参 照) に み る 真 言 院 は、 承 和 元 年 に 空 海 の 奏 請 に よ っ て 宮 中 の 勘 解 由 司 庁 を 曼 茶 羅 道 場 と し、 堂 舎 の 結 構、 仏 像 の 造 立、 行 事 の 威 儀 な ど、 す べ て 唐 の 青 龍 寺 の 風 を 移 し て、 毎 年 正 月 後 七 日 の 修 法 を 行 い、 修 法 院 と も よ ば れ た。 画 面 は、 右 に 後 七 日 の 阿 闊 梨 の 宿 坊 と す る 長 者 坊、 左 に 荘 厳 を 整 え た 壇 所 を 表 現 し て い る。 と も に 南 面 を 示 し、 長 者 坊 は 上 部 を 霞 で 仕 切 り、 霞 の 間 か ら 桧 皮 葺 入 母 屋 造 の 棟 を の ぞ か せ て い る。 は な ち い で 南 面 は 四 間 で、 南 の 広 廟 は 吹 放 し の ま ま 放 出 と し て お り、 母 屋 と の 境 は、 西 の 一 問 を 妻 戸 と し、 他 は 蔀 ら し く、 い ず れ も 明 け 開 け て 内 部 の 明 障 子 を 示 し て い る。 西 面 は、 南 の 広 痛 に 接 し て 簑 子 張 り、 屋 内 と の 境 に は 格 子 を 入 れ、 西 廟 三 問 の 北 の 柱 か ら 西 に 向 け て 立 蔀 を 立 て、 通 路 を 隔 て て 壇 所 に 対 す る。 く つ ぬ ぎ ま た 南 廟 の 西 の 下 に は 沓 脱 が あ り、 沓 脱 の 下 か ら 壇 所 の 腋 戸 の 下 ま で 厚 板 の 渡 橋 を 設 置 し て あ る。 南 痛 の 西 二 問 目 に 巻 縷 繧 の 冠 に 繧 の 跣 腋 の 炮 を つ け た 平 装 束 の 官 人 が 背 面 を 見 せ て 座 し て い る が 御 衣 捧 持 の 蔵 人 ら し く
痛 の 下 の 南 側 に は 褐 冠 姿 の 所 の 衆 が 屈 ん で、 傍 に 立 つ 狩 衣 姿 の 沓 持 の 童 の 方 を 振 返 っ て お り、 背 後 に 白 張 の 召 具 二 人 が 従 っ て い る。 西 面 の 立 蔀 の 前 に も、 狩 衣 姿 の 童 と 大 童 子 が 立 っ て い る。 壇 所 は 築 垣 を め ぐ ら し た 南 の 小 庭 か ら 一 段 高 い 土 壇 の 上 の 廟 か ら 母 屋 を 吹 抜 屋 台 と し て 鳥 轍 し、 内 部 の 荘 厳 を 示 し て い る。 母 屋 の 正 面 五 間 の 間 に は 浄 薦 を か け 連 ね て 壁 代 と し、 そ の お と し か け 中 央 の 三 問 に 落 掛 を 設 け て 五 大 尊 の 画 像 を か け て い る。 不 動 を 中 心 に 東 に 降 三 世 と 金 剛 夜 叉、 西 に 軍 茶 利 と 大 威 徳 と す る が、 不 動 と 大 威 徳 の 他 は 立 像 と し て 居 る の で、 平 治 二 年 真 言 院 御 修 法 記 の 指 図 に ﹁ 五 大 像 絵 像 三 幅 坐 像 也 ﹂ と あ る 絵 像 と は 相 違 し て い る。 こ れ も 春 記 長 暦 四 年 十 月 十 九 日 条 に ﹁ 真 言 院 五 大 尊、 十 二 天 像 等、 終 年 序 朽 損、 乃 以 丹 後 講 師 政 円 令 絵 図 ﹂ と あ る よ う に 度 々 か き 改 め ら れ た の で あ ろ う。 尊 像 の 前 の 板 敷 に は、 そ れ ぞ れ 花 机 一 脚 を 立 て、 そ の 上 に 花 瓶 二 口、 関 伽 火 舎、 仏 供 の 杯、 鉢、 盤 を す え、 机 の 左 右 に そ れ ぞ れ 灯 台 を 立 て て い る。 こ の 灯 台 の 軸 は、 中 尊 寺 の 遺 品 同 様、 上 部 を 大 面 取 と す る が、 台 を 円 座 と せ ず に、 角 材 を 組 違 い と し て、 宮 廷 使 用 の い わ ゆ る 牛 糞 ま た は 菊 座 な ど と 形 式 を 異 に し て い る。 母 屋 の 東 南 は、 中 央 の 二 間 に 胎 蔵 界 曼 茶 羅 を 描 き、 そ の 左 右 の 小 問 に は 浄 薦 を か け て 壁 代 と し て お り、 西 面 も、 中 央 の 二 間 に 金 剛 界 曼 茶 羅 を 描 き、 左 右 に 浄 薦 を か け て い る。 こ の 両 界 曼 茶 羅 は 貞 観 十 六 年 以 来 の 規 定 で 三 代 実 録 元 慶 八 年 三 月 二 十 六 日 條 に は 東 寺 の 宗 叡 が 奏 請 し て ﹁ 奉 為 国 家 造 胎 蔵 金 剛 両 部 大 曼 茶 羅、 安 置 宮 中 修 法 院 持 念 堂 ﹂ と し て い る。 南 面 の 痛 と の 境 は、 吹 放 し の ま ま で、 幕 を 張 り わ た し た こ と を 線 だ け で 示 し、 内 部 を 透 せ て ﹁ コ ン ノ ウ ス キ ヌ ノ 也、 シ タ ス カ ス 也 ﹂ と 註 記 し て あ る。 東 西 の 曼 茶 羅 の 前 の 床 上 に は そ れ ぞ れ 胎 蔵 壇、 金 剛 壇 と い っ て 中 央 に 蓮 花 を 現 は し た 花 形 の 壇 を 据 え、 と も に 壇 の 四 隅 け つ に 概 を う っ て、 五 色 の 糸 を 引 き め ぐ ら し、 花 瓶 を 立 て、 四 面 と も 中 央 に 関 伽 火 舎 を 備 え、 そ の 左 右 に 仏 具 の 盤 や 杯、 鉢 を 並 べ、 壇 下 の 四 隅 に 灯 台 を 立 て て い る。 修 法 は、 金 剛 界 と 胎 蔵 界 を 隔 年 に 行 う の で 図 は 胎 蔵 界 の 修 法 を 表 現 し て、 東 面 の 胎 蔵 壇 の 中 央 に 仏 舎 利 を 納 め た 金 銅 の 塔 を 安 置 し、 そ の 前 に 入 幅 金 輪 を お い て い る。 併 設 の 瓶、 鈴、 五 鈷、 三 鈷、 独 鈷、 娼 磨 な ど の 仏 具 は 省 略 し て い る が、 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 壇 下 の 西 側 中 央 に 礼 盤 一 基 を 据 え、 上 に 半 畳 を 敷 い て 修 法 の 阿 閣 梨 の 座 と し、 傍 に 脇 机 を 立 て、 上 に 漉 水 器 と 塗 香 器 を 置 き、 南 側 に は 天 皇 の 御 衣 の 筥 を の せ た 机 を す え て い る。 母 屋 南 面 の 痛 と の 境 の 下 長 押 に そ っ て、 中 央 に 高 麗 端 の 畳 を 敷 い て 長 者 の 座 と し て い る。 癩 は 土 間 で 南 面 七 間、 白 壁 四 間 に、 唐 屋 敷 と 丹 塗 の 円 柱 に よ る 三 戸 が 点 在 し、 扉 は 何 れ も 内 部 に 押 開 い て、 東 西 と も に 半 開 き の 扉 の 端 を の ぞ か せ て お り、 東 戸 の 前 に は 石 階 を 設 け て い る。 こ の 戸 口 の 入 口 は 伴 僧 の 座 で、 東 の 第 二 間 か ら 西 の 第 三 間 に か け て む し ろ を し い て お り、 さ ら に こ の 上 に 畳 を 敷 い た ら し い が 明 り よ う で な い。 戸 口 か ら 見 え る 着 座 の 伴 僧 六 人 は、 銀 地 で 白 を 表 現 し た 抱 裳 形 式 の 浄 衣 に、 白 の 小 袈 裟 を か け て い る。 東 廟 は、 十 二 天 供 と し て、 十 二 天 の 絵 像 を 東 側 に 八 天、 北 面 と 南 面 に 各 二 天 つ つ 上 長 押 に か け て、 天 別 に 机 を 立 て、 関 伽、 火 舎、 花 瓶 盤、 鉢 な ど の 仏 具 を 供 え、 机 の 左 右 に 灯 台 を 立 て て 灯 明 を 供 え る の を 例 と す る の で、 図 は 東 側 の 北 端 か ら 一 問 に 二 軸 つ つ 多 聞 天、 伊 舎 那 天、 帝 釈 天、 火 天、 炎 摩 天、 羅 刹 天 と そ の 仏 像 を 表 現 し、 南 よ り の 水 天 と 風 天、 北 面 の 日 天 と 月 天 は 壁 の 影 と す る が、 南 面 の 地 天 と 梵 天 は、 そ の 仏 供 を 省 略 し て い る。 西 痛 は 北 側 に 息 災 壇 を 設 け る の を 常 と す る が、 図 は 柱 の 問 を す べ て 白 壁 と す る だ け で 鈍 色 姿 の 法 師 二 人 を 配 し、 御 修 法 中 の 雑 役 勤 仕 の 東 寺 の 職 掌 を う か が わ せ る。 屋 外 の 土 壇 の 下 の 小 庭 の 東 西 に は 落 葉 樹 が あ り、 西 側 の 樹 の 下 に 石 灰 の 小 壇 を 設 け て 神 供 所 と し て い る。 周 囲 に は 築 垣 を め ぐ ら し、 南 痛 に 続 く 東 側 の 土 壇 の 上 に は そ れ ぞ れ 板 葺 の 腋 戸 を 設 け、 白 木 の 戸 を 内 開 き に し て い る。 ま た 南 面 の 築 垣 外 の 正 面 中 央 に は、 桧 皮 葺 切 妻 造 の 南 門 の 棟 を の ぞ か せ て い る。 以 上 の 画 面 は、 修 法 前 の 堂 中 の 舗 設 装 束 を 示 し て い る の で あ る が、 金 剛 壇 の 北 に 安 置 す る 孔 雀 明 王 の 木 像 や 東 痛 北 側 の 天 部 像、 床 上 の 阿 闊 梨 の 礼 拝 の 座 な ど、 す べ て 省 略 し、 年 度 に 当 る 胎 蔵 壇 の 舗 設 も、 密 教 の 荘 厳 と し て 詮 索 が 困 難 で あ っ た に し て も、 す べ て 簡 素 な 描 写 を 示 し て い る。 こ の 中 に あ っ て、 五 大 尊 像 と 天 部 像 は、 画 像 で あ る た め で も あ る が、 動 物 や 春 属 ま で 子 細 に 表 現 し て い る の が 注 目 さ れ る。
こ の 真 言 院 は、 安 元 三 年 四 月 二 十 八 日 に 焼 失 し た の で あ り、 愚 昧 記 安 元 三 年 四 月 二 十 八 日 條 に は ﹁ 真 言 院 払 地 為 灰 儘 云 々 ﹂ と 見 え、 さ ら に 五 月 二 日 條 に ﹁ 伝 聞、 真 言 院 本 尊、 両 界 丼 不 動 本 尊 云 々 等 焼 失 了 云 々、 又 二 間 十 一 面 同 焼 了 云 々、 可 憾 事 也、 此 院 未 有 火 事、 今 度 始 焼 也、 外 記 今 度 以 顛 倒 例 勘 乏 ﹂ と あ っ て 造 立 後、 た び た び 修 築 を 見 た が、 こ の 時 に 至 っ て 始 め て 焼 失 し た こ と を 伝 え、 画 面 に は 焼 失 以 前 の 真 言 院 の 規 模 を う か が う こ と が で き る。 こ の 真 言 院 は 御 修 法 の 道 場 と し て、 き わ め て 重 要 で あ っ た こ と は、 今 ま で の べ ら れ た 事 も あ る が、 そ の 中 で も っ と も 重 要 な 両 界 マ ン ダ ラ は、 ま た 二 方 で は 灌 頂 堂 で も 礼 拝 対 象 と し て 主 要 な 位 置 を し め て い た。 し か も、 そ れ は 壁 画 に 描 か れ て い る 入 大 師 影 と の 不 可 分 の 関 係 に お い て 成 り 立 っ て い る も の で あ る。 従 来 の 灌 頂 堂 に 関 す る 史 料 は、 ほ ぼ 次 の 三 っ で あ る。 ( 東 大 寺 続 要 録 ﹁ 諸 院 ﹂、 ﹁ 続 々 群 ﹂ 十 一、 二 八 九 a) 東 大 寺 真 言 院 灌 頂 堂(1) ﹁ 大 仏 殿 之 前 當 二 東 塔 西 塔 之 中 一、 忽 建 二 五 間 四 面 之 灌 頂 堂 一、 令 下 安 二 両 部 九 幅 之 曼 茶 羅 一 定 二 置 廿 二 口 僧 一勤 中 修 息 災 増 益 法 上 ﹂ (茶 イ) (2) ﹁ 真 言 院 南 向 堂、 安 二 両 界 萬 随 羅 八 祖 影 等 一、 弘 法 大 師 於 二此 所 二灌 頂、 阿 伽 井 在 二 堂 西 二、 善 無 畏 三 蔵 話 レ 之 云 々、 天 人 守 二 護 此 井 一、 則 在 二 石 足 形 一當 院 口 伝 ﹂ ( 南 都 七 大 寺 巡 礼 記、 東 大 寺 ﹁ 続 々 群 ﹂ 十 一、 五 五 六 b) 神 護 寺 灌 頂 堂(1)﹁ 一 灌 頂 院 供 僧 六 口 六 間 桧 皮 葺 堂 一 字 在 二 面 庇 戸 四 具、 南 在 又 庇 同、 三 昧 耶 戒 道 場、 正 面 蔀 六、 東 西 脇 真 戸 各 一 具 右 承 平 実 録 帳 云、 六 門 桧 皮 葺 根 本 真 言 堂 一 字 在 二 面 庇 戸 七 具、 在 額 云 々 日 本 紀 日、 空 海 僧 都 新 建 二灌 頂 堂 一 云 々、 奉 ニ 安 置 胎 蔵 界 曼 茶 羅 金 泥 一 鋪 云 々、 金 剛 界 曼 茶 羅 一同 一 鋪 ﹂ ( 神 護 寺 文 書) い ず れ も、 空 海 以 降 の 伝 承 を う け つ い で き た も の で あ る が 仁 ( 8) 和 寺 の 場 合 も そ の 例 に も れ な い。 灌 頂 堂 は 南 面、 内 陣 の 東 酉 は 七 間、 南 北 四 間、 礼 堂 ( 内 陣 の 前 部) は 東 西 七 間、 南 北 三 間 か ら な っ て お り、 図 は、 こ れ ら の 全 部 を し め し て ﹁ 此 図 尊 勝 院 宮 御 灌 頂 記 有 之 ﹂ と 朱 書 が あ り、 い わ ゆ る 灌 頂 堂 の 指 図 で あ る こ と が 判 明 す る。 こ れ に は 裏 書 が あ っ て 次 の よ う に の べ ら れ て い る。 ﹁ 中 御 室 御 灌 頂 記 匡 房 記、 次 於 仁 和 寺 灌 頂 堂 行 事、 件 堂 三 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 間 四 面、 南 有 又 庇、 件 又 庇 三 間 称 礼 堂、 礼 堂 西 有 妻 庇、 落 板 敷 也、 南 庇 与 礼 堂 之 間、 有 戸 五 問、 件 御 堂 母 屋 与 庇 之 間 引 慢、 件 母 屋 内 東 西、 立 供 養 法 壇、 東 胎 蔵 西 金 剛 界、 件 御 堂 東 西 壁、 有 八 大 師 影、 始 自 龍 猛、 件 壇 影 等 尋 常 事 也、 古 徳 記 云、 同 灌 頂 堂、 女 御 倫 子 造 営、 式 部 卿 宮 御 女、 桧 皮 葺 五 間 四 面 堂、 但 元 三 問 也、 今 度 加 二 ケ 間 図 絵 両 部 曼 茶 羅 ・ 真 言 八 大 師 影 各 一 鋪、 寛 弘 七 年 三 月 五 目、 供 養 之、 済 信 僧 正、 女 御 従 一 位 源 朝 臣 倫 子 式 部 卿 宮 御 女、 ﹁ 孫イ﹂ 造 営、 元 永 二 年 四 月 十 三 日、 回 禄、 ﹁ 保 安 二 年 十 一 月 廿 一 日 壬 午 供養﹂ 御 願 文 云、 柱 絵 胎 蔵 金 剛 三 摩 耶 形 蓋 模 前 規、 両 部 万 茶 羅 者 新 図 也、 八 大 師 真 影 者 旧 像 也 云 々。 ﹂ こ の 裏 書 に は 二 つ の 古 記 録 が 引 用 さ れ て い る。 一 つ は ﹁ 中 御 室 御 灌 頂 記 ﹂ で あ り、 も う 一 つ は ﹁ 古 徳 記 ﹂ で あ る。 と も に 視 点 を 異 に し て い る が 後 者 が 詳 し い こ と は、 供 養 や 回 禄 の 年 号 が 記 録 さ れ て い る こ と で も 明 ら か で あ ろ う。 前 者 の ﹁ 中 御 室 ﹂ と は、 仁 和 寺 第 三 代 ﹁ 覚 念 改 覚 行 ﹂ の こ と で 承 保 二 年 ( 一 〇 七 五) よ り 長 治 二 年 ( 二 〇 五) ま で 活 躍 し た が、 若 く し て 亡 く な っ た 名 僧 で あ る。 孔 雀 経 法 に す ぐ れ た 効 験 を え た こ と は 仁 和 寺 御 ( 9) 伝 ( 心 蓮 院 本 ほ か) に 年 代 別 に 列 挙 さ れ て い る。 と く に 注 意 し た い の は、 別 尊 雑 記 五 十 七 巻 を 著 わ し た 心 覚 の 師 の 一 人、 成 就 院 寛 助 に つ い た の が ち よ う ど こ の 頃 で あ っ た と い う 記 述 で あ る。 顕 謹 書 写 本、 仁 和 寺 御 伝 に よ る と 寛 治 六 年 に ﹁ 教 授 寛 助 ﹂ と 伝 え る よ う に、 す ぐ れ た 図 像 の 専 門 家 が 周 囲 で 活 動 し て い た こ と は 見 逃 す こ と が で き な い。 と い う の は、 古 記 録 に み ら れ る マ ン ダ ラ や 八 大 師 影 画 像 の 配 置 に 対 す る 関 心 事 は、 こ と 御 室 に 関 す る か ぎ り ﹁ 寛 助-心 覚 ﹂ あ る い は ﹁ 兼 意-心 覚 ﹂ と い う 二 つ の 系 統 に は 強 く 見 う け ら れ る か ら で あ る。 た と え ば 中 御 室 の 生 涯 の う ち 図 像 と 経 法 と の 関 係 を 明 示 し て い る 例 を 顕 談 書 写 本、 仁 和 寺 御 伝 に も と め る と、 (1) ﹁ 康 和 元 年 二 〇 九 九) 卯 己 五 月 十 九 日 於 西 第 二 僧 房 、 為 院 御 祈 、 被 行 六 字 経 法 、 伴 僧 八 口 ⋮⋮十 二 天 兼 意 、 ﹂ (2) ﹁ 同 七 月一 日 、 於 鳥 羽 殿 寝 殿 、 令 修 孔 雀 経 法 、 初 度 、 賞 譲 於 寛 助 、 令 任 権 律 師 、 ﹂ (3) ﹁ 康 和 二 年 ( 一 二 〇 〇) 辰 庚、 七 月 六 日 ⋮⋮一 日 之 内 被 造 立 御 等 身 像 云 々 、 同 十 月 二 日 甲 午 、 尊 勝 寺 諸 堂 御 仏 、 具 図 絵 形 像 、 以 諸 宗 名 徳 、 被 行 彼 尊 法 、 其 中 金 堂 御 仏 、 ﹂ (4) ﹁ 同 三 年 ( 一 一 〇 一) 、 四 月 十 日 、 於 仙 洞 基 隆 卿 亭 、 安 置 御 等 身 五 大 尊 、 被 行 五 大 壇 法 、 ﹂
( マ ヽ) (5) ﹁ 同 六 月 一 日、 院 安 染 王、 一 日 令 図 絵、 一 日 御 修 法、 被 修 一 時、 ﹂ (6) ﹁ 同 四 年 ( 一 一 〇 二) 正 月 廿 六 日、 今 日 公 家 於 中 殿 南 庇、 被 供 養 御 等 身 五 大 尊、 ﹂ の 六 項 も 挙 げ る こ と が で き る、 こ の う ち(1)(2) は、 そ れ ぞ れ 心 覚 の 師 に あ た る 兼 意、 寛 助 が 中 御 室 の 集 会 に い た こ と、 と く に(1) に み え る よ う に 成 蓮 房 兼 意 は 康 和 三 年 に 高 野 山 に 登 山 す る 以 前 に、 京 都 に お い て こ の よ う な 六 時 経 法 の 十 二 天 を 配 役 さ れ て い る 事 は 興 味 深 い。 文 中 に ﹁ 為 院 御 祈 ﹂ と あ る の は 同 二 年 の 項 に、 朱 書 の 割 註 に て ﹁ 白 川 ﹂ と み え る こ と な ど か ら、 白 河 院 の 為 に 御 祈 願 し た も の と 解 釈 さ れ る。 そ の 理 由 は 中 御 室 が も と も と 白 河 院 第 三 御 子 の 出 身 で あ っ た た め に 先 師 に た い す る 御 供 養 の 意 を 強 調 し た も の と 考 え ら れ る。(3) は 一 日 の う ち に 等 身 像 を 造 立、 尊 勝 寺 諸 堂 御 仏 形 像 を 描 い た の で あ る が、 尊 勝 寺 と は 仁 和 寺 の 塔 頭 の 一 つ で ﹁ 真 光 院 以 西 也、 号 尊 勝 院 山、 云 尊 勝 寺 山 謬 歎 ﹂ ( 仁 和 寺 諸 院 家 記、 顕 謹 寺 寿 院 本) と あ り、 一 条 記 に は と く に 快 禅 律 師 の 旧 跡 だ と 伝 え て い る。 し か し こ の 諸 堂 の 仏 教 像 が い っ た い 何 尊 を 指 し て い る の か 現 存 の 史 料 で は 知 る よ し も な い。(5) は 愛 染 明 王 を 一 日 で 図 絵 せ し め て 修 法 を 行 い、(4)(6) は 仁 王 経 法 の 本 尊 で あ る 五 大 尊 を 安 置 し て、 そ れ ぞ れ 供 養 法 を 秘 修 し て い る。 こ の よ う に 中 御 室 覚 行 が 短 い 生 涯 の う ち、 そ れ も 灌 頂 を う け た 直 後 に 鳥 羽 殿 を 舞 台 と し て 毎 年 毎 月 と い っ て よ い ほ ど、 霊. 験 あ ら た か な 修 法 を つ ん で い る こ と は 院 家 が 祈 願 を 重 要 視 し て い た も の と し て 注 (10) 意 さ れ な け れ ば な ら な い。 さ ら に つ け く わ え る な ら ば 既 述 の 灌 頂 堂 指 図 の 裏 書 に 引 用 さ れ て い る ﹁ 中 御 室 御 灌 頂 記 ﹂ は、 彼 の 伝 記 の 前 後 関 係 に よ っ て、 寛 治 六 年 ( 一 〇 九 二) の 項 に 頭 書 の 朱 に て ﹁ 匡 房 朝 臣 御 灌 頂 記 草 也 ﹂ と あ る か ら そ の 頃 に 起 草 さ れ た も の と み て 誤 り あ る ま い。 そ れ は、 そ の 次 の 行 に 生 年 十 八 の 事 跡 を し る し て ﹁ 於 観 音 院 御 灌 頂、 十 八 ﹂ と あ る こ と か ら も 容 易 に 推 考 す る こ と が で き る。 と く に 同 じ 仁 和 寺 内 の 南 面 に あ っ た 観 音 院 の 項 に は ﹁ 南 面、 法 皇 離 宮 也 ﹂ と あ る こ と な ど か ら 中 御 室 が 若 く し て 灌 頂 を う け た 観 音 院 が そ の 灌 頂 堂 と 並 べ て 建 立 さ れ て い た は ず で あ る。 と こ ろ で、 こ の 灌 頂 堂 の 両 界 マ ン ダ ラ の 位 置 と 真 言 八 祖 像 の 荘 厳 の し か た を、 こ の 中 御 室 の 記 述 お よ び 古 徳 記 の 記 録 に よ っ て 理 解、 し よ う と す る な ら ば、 平 安 時 代 の 様 式 を う け つ い だ 典 型 的 な 作 例 を い く つ か あ げ な が ら 再 検 討 す る 必 要 が あ 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 る。 と い う の は た と え 指 図 が あ っ て も 画 像 の 広似 置 を 明 示 し て い る も の は、 さ ほ ど 多 く 類 例 を 見 出 し え な い か ら で あ る。 本 寺 堂 院 記 (仁 和 寺、 御 一 四 〇 箱) 一 巻 は、 た て 三 二 セ ン チ、 全 長 四 五 〇 セ ン チ、 料 紙 は 鳥 ノ 子 紙 を 用 い、 顕 謹 自 筆 本 と 考 え ら れ て い る も の で あ る が、 そ れ に よ る と 所 収 の 指 図 A 本 ( 62 頁 参 照) を、 (1) 図 絵 両 部 曼 茶 羅 ・ 真 言 八 大 師 影 各 一 鋪。 (2) 柱 絵 胎 蔵 金 剛 三 摩 耶 形 蓋 模 前 規、 両 部 曼 茶 羅 新 図 也、 入 大 師 真 影 者 旧 像 也 云 々。 と 記 録 し て い る。﹁ ( B 本) 図 の 本 要 記 も 同 文 ﹂ (1) は 寛 弘 七 年 ( 一 〇 一 〇) 三 月 五 日 に 済 信 僧 正 ( 号 北 院、 長 元 三 年 六 月 十 一 日 入 滅 七 十 七) が 供 養 し た と 記 す か ら 藤 原 も 十 一 世 紀 初 め の 配 置 と み な け れ ば な ら な い。 (2) は 元 永 二 年 (一一 一 九) 四 月 十 三 日 に 回 録 し た 願 文 の 内 容 で 柱 絵 の 金 胎 三 マ ヤ 形 に ふ れ、 両 部 マ ン ダ ラ は ﹁ 新 図 也 ﹂ と し、 八 大 師 の 真 影 は ﹁ 旧 像 也 ﹂ と 述 べ て い る。 こ こ で 始 め て 灌 頂 堂 の マ ン ダ ラ と 八 祖 に つ い て 新 旧 の 区 別 が あ る こ と を 明 ら か に し て い る。 し か し 柱 絵 に は 割 註 が あ っ て ﹁ 元 永 二 年 ( 一一一 九) 十 一 月 十 一 日 壬 午 供 養 ﹂ と み え る と こ ろ か ら、 い ず れ に し て も 十 一 世 紀 初 期 に は 仁 和 寺 内 に こ う し た 配 置 が 受 け つ が (11) れ て い た こ と は 確 か で あ ろ う。 A・B本 ( 第 六・七図 62 頁 参 照) の 内 陣 を 総 合 し て み る と 順 序 を 次 の よ う に め ぐ る こ と に な る。 東 へ 胎 蔵 界 マ ン ダ ラ、 西 へ 金 剛 界 マ ン ダ ラ を 配 し 八 大 師 影 は 中 御 室 灌 頂 記 に ﹁ 始 自 龍 猛、 件 壇 影 等 尋 常 事 也 ﹂ と 記 す よ う に(1) 龍 猛(2) 龍 智(3) 金 剛 智(4) 不 空(5) 善 無 畏(6) 一 行(7) 恵 果 (8) 弘 法 の 順 に、 礼 堂 を と お っ て 内 陣 の 西 南 隅 よ り 西 壁 を 一 鋪 つ つ さ ら に 南 東 隅 よ り 南 壁 に お よ ぶ。 と こ ろ で 世 に 東 寺、 仁 和 寺 観 音 院、 尊 勝 寺、 最 勝 寺 の 四 つ を 勅 願 灌 頂 と 称 し て い る。 し か し ﹁ 密 教 辞 典 ﹂ 上 巻 ( 四 一 〇-四 一 二 頁) に は 灌 頂 院 の 説 明 に 御 室 仁 和 寺 を 欠 い て お り ﹁ 東 密 史 上 有 名 な る も の に 東 寺、 高 野 山、 東 大 寺、 神 護 寺 等 の 灌 頂 院 あ る。 ﹂ と 四 ヶ 所 を あ げ て い る に す ぎ な い。 本 論 は そ の 一 部 分 を 補 な う も の で あ る が、 仁 和 寺 灌 頂 堂 の 内 部 と 東 寺 灌 頂 院 の い わ ゆ る 正 堂 を 東 宝 記 (東 寺 蔵) 所 収 の 指 図 と 比 較 し な が ら、 内 陣 の マ ン ダ ラ ・ 入 祖 の 配 置 が い ず れ の 系 統 の も の か 検 討 し よ う と す る も の で あ る。 東 宝 記 所 載 の 指 図 は、 G 本 ( 第 八 図 63 頁 参 照) に 収 め ら れ て い る。 そ の 様 式 は 弘 法 大 師 が 在 唐 中 の 青 龍 寺 の 形 式 を 伝 え た も の と し て 名 高 く、 創 建 は 大 師 の 高
弟 実 恵 僧 都 に よ っ て 承 和 十 年 ( 八 四 三) 頃 に 竣 功 さ れ た。 そ の 構 造 は も と 五 間 四 面 正 堂 一 宇、 七 間 二 面 礼 堂 二 宇、 五 問 二 面 護 摩 堂 一 宇 の 三 宇 か ら な り、 正 堂 は 南 面、 内 陣 に 東 西 二 壇 を 配 し て 東 壇 に ﹁ 上 鈎 天 蓋 ﹂ と 記 す の で あ る が、 と も に 八 葉 蓮 花 の 天 蓋 を つ る。 東 壇 の 壁 面 に は 胎 蔵 界 マ ン ダ ラ、 西 壇 の 壁 板 に は 金 剛 界 マ ン ダ ラ を か け る。 入 祖 像 は 会 理 僧 都 の 筆 と 伝 え、 東 西 北 の 三 方 の 内 壁 に 図 画 す。 順 序 は 南 東 隅 よ り 始 め ら れ て お り ﹁ 祖 師 名 字 ﹂ に 一 伝 受 隼 第 三 云、 吏 串 灌 頂 堂 賠 図、 ( 東) 胎 蔵 界 ( 梵 字) ア ー、 善 無 畏、 一 行、 恵 果、 弘 法、 ( 東 北) 実 恵、 真 雅、 ( 西) 金 剛 界 ( 梵 字) バ ー ン、 金 剛 薩 埋、 龍 猛、 龍 智、 金 剛 智、 ( 西 北) 不 空、 宗 叡 云 々、 勧 修 寺 類 秘 抄 云 ﹂ と 伝 え る と お り で あ る。 こ れ を 祖 師 像 と し て 生 存 年 代 の 順 に 整 理 す る な ら ば、 東 宝 記 第 二 ( ﹁続 群 ﹂ 十 二、 二 七-八) の 所 説 と 仁 和 寺 灌 頂 院 と は ま っ た く 一 致 す る。 す な わ ち 中 国 か ら 日 本 に わ た る 法 灯 が(1) 金 剛 薩 埋、(2) 龍 猛、 脇 士 三 入、(3) 龍 智、 脇 士 三 入(4) 北 壁 東 壁 金 剛 智、 脇 士 二 人、(5) 不 空、 二 入、(6) 善 元 畏、 脇 士 三 人、(7) 二 行、 三 入、(8) 恵 果、 二 人、(9) 弘 法、 三 御 子 実 恵、 ソ ワ カ タ 実 恵 次 北 壁 真 如、(10) 実 恵、 恵 運、 真 紹、(11) 真 雅、 真 然、 源 仁、 肥 満 セ ル ハ 真 然 (12) 宗 叡 峯 敦、 禅 念 に よ っ て 両 界 マ ン ダ ラ を と り 囲 む と い う 仕 組 み に なつ て い る。 さ ら に 峯 載 の 筆 と 伝 え る 南 方 東 端 の 壁 上 に は ( 梵 字) ア 字、 同 じ く 西 端 壁 上 に ( 梵 字) バ ー ン 字 を 配 す。 割 註 に 一 蓮 花 上 月 輪 月 輪 中 書 字 両 界 同 也 ﹂ と あ る か ら 両 界 の 月 輪 観 の 表 象 で あ る こ と は い う ま で も な く、 院 内 の マ ン ダ ラ に 関 す る 荘 厳 の あ り か た と し て は、 ま っ た く 完 成 さ れ た 様 式 が 当 初 か ら そ の 構 想 の 中 に あ っ た と み な け れ ば な ら な い。 た だ し 北 壁 の(10)、(11)、(12) を 主 体 と す る 絵 像 に つ い て は ﹁ 隆 海 法 印 記 云、 北 壁 影 像 者、 紀 納 言 子 息 観 賢 僧 正 弟 子、 寛 権 為 二 東 寺 凡 僧 別 当 一 之 時、 追 所 二 図 絵 一 也 云 々、 依 二 此 記 ︼、 桧 尾 貞 観 寺 後 入 唐 三 祖 影、 後 代 追 加 也、 可 レ 尋 二 正 記 一 記 異 本 作 説 也、 ﹂ と あ る よ う に 東 宝 記 第 二 に 引 用 す る ﹁ 隆 海 法 印 記 ﹂ に よ れ ば 観 賢 の 弟 子 寛 権 が 東 寺 凡 僧 別 当 で あ っ た 時 に 追 加 し た も の だ と 伝 え、 さ ら に 建 久 の 初 年 に こ れ ら の 像 が 剥 落 し た の で 守 覚 親 王 が 法 眼 行 宴 に 命 じ て さ ら に 祖 師 像 を 補 彩 さ せ た と い う。 す な わ ち ﹁ 柱 絵 等 零 落 之 問、 建 久 初、 新 有 二 沙 汰 一 守 覚 法 親 王 被 レ 仰 二 談 行 宴 法 眼 一。 被 レ 図 レ 之、 其 後 建 長 四 年 九 月 二 日 炎 上 之 時、 於 二 列 祖 図 絵 壁 板 一 者 取 出 了、 当 時 柱 絵、 定 任 二 建 久 図 歎 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 建 久 図 在 レ 別。 ﹂ ( 東 宝 記 第 二、﹁ 続 群 ﹂ 十 二、 二 七 a) と 記 す よ う に、 遅 く と も、 炎 上 し た 建 久 四 年 (一一 九 三) ま で に は 補 彩 し 終つ て い た と 考 え ら れ る。 こ の 建 久 四 年 迄、 ま た こ の 前 後 の 時 代 は、 仁 和 寺 に も 記 録 が あ っ て、 東 寺 周 辺 で は 集 会 に 際 し て ま た さ ま ざ ま な 行 事 に お い て マ ン ダ ラ ・ 十 二 天 等 の 整 備 が 行 わ れ て い た 時 期 と み ら れ る。 東 寺 灌 頂 院 に お け る 両 界 マ ン ダ ラ に つ い て、 ﹁ 長 者 補 任 云、 建 久 二 年 辛 亥 十 二 月 廿 八 日、 東 寺 灌 頂 院 供 干 時 寺 務 養、 依 二 修 理 二 也、 但 両 界 曼 茶 羅 新 模 レ 之、 大 壇 金 剛 界 後 讃 僧 四 長 者 正、 片 壇 延 呆 法、 依 二 別 仰 一 也、 色 衆 滑 口、 委 記 有 二 別 紙 一 云 々 ﹂ ( 東 宝 記 第 二、 ﹁続 群 ﹂ 十 二、 二 八 b) と の べ、 さ ら に さ か の ぼ っ て 天 永 年 問 の 項 に、 ﹁ 或 記 云、 天 永 三 年 十 月 廿 日、 灌 頂 大 阿 閣 梨 長 者 寛 助、 敷 曼 茶 羅 等 皆 悉 被 二 新 写 一 云 々 ﹂ ( 東 宝 記 第 二、 同、) と 記 し て い る。 こ の 天 永 年 間 の 敷 マ ン ダ ラ は、 東 寺 に 現 存 し 重 文 に 指 定 さ れ て い る が、 破 損 が は な は だ し く 今 後 の 修 理 が 期 待 さ れ る も の で あ る。 と こ ろ で 建 久 二 年 (一一 九 一) の 後 謹 僧 正 の 前 後 関 係 を さ ぐ っ て も 東 寺 灌 頂 院 の 修 理 が 完 成 し て そ の 落 成 供 養 の 導 師 を つ と め た と い う 記 述 は、 ほ か の 二、 三 の 史 料 ( 東 寺 長 者 補 任 第 二 巻、 真 言 諸 寺 院 記 籠 二 巻、 後 七 日 御 修 法 阿 闇 梨 名 帳 一 巻) か ら も た し か め ら れ る と こ ろ で あ る が、 真 言 伝 法 灌 頂、 師 資 相 承 血 脈 第 一 巻 な ど を み る と、 こ の 二 目 後 の 十 二 月 三 十 目 に は ﹁ 後 謹、 六 条 壇 所 に お い て 伝 法 灌 頂 を 行 讃 に 授 く ﹂ ( ︻、 血 脈 類 集 記 第 六 ﹂ も 同 じ) と あ る か ら 当 時 は 次 々 と 多 忙 を き わ め た ら し い。 い ず れ に し て も 建 久 二 年 の ﹁ 長 者 補 任 云 ⋮⋮但 両 界 曼 茶 羅 新 模 レ 之 ﹂ と い う 記 録 は、 灌 頂 の 際 に 新 た に 修 理 し 模 写 さ れ た も の と み な け れ ば な ら な い。 と こ ろ で こ の 東 寺 と 御 室 に お け る 灌 頂 院 の 両 界 マ ン ダ ラ お よ び 八 大 師 影 の 位 置 が ほ ぼ 同 じ 形 式 を 踏 襲 し て い る 事 実 は、 そ の 建 久 二 年 よ り さ か の ぼ る こ と 四 十 年 余 の 東 宝 記 第 四 (. 続 々 群 ﹂ 十 二、 八 四 b) を 参 酌 し て も 次 の ご と き 結 び つ き を 伝 え て い る。 ﹁ 保 延 五 年 己 未 五 月 十 四 日 仁 和 寺 二 品 親 王 高 野 御 室 覚 法 為 二 美 福 御 産 門 院 御 祈 一、 令 レ 修 二 孔 雀 経 法 一 給、 同 十 八 日、 皇 子 御 誕 生、 近 衛 院 是 也、 依 二 彼 勧 賞 一、 東 寺 春 節 灌 頂 令 レ 復 二 奮 儀 一、 而 以 二 件 一 会 一 於 二 仁 和 寺 観 音 院 一可 レ 令 レ 修 之 由 被 レ 申 二 請 之 一、 即 官 符 施 行 畢、 保 延 六 年 庚 申 三 月 十 二 日、 於 二 観 音 院 一 胎 蔵 界 灌 頂 始 行、 当 年 東 寺 灌 頂 金 剛 界 也、 ⋮⋮任 二 大 師 奮 記 一、 被 レ 修 二 春 秋 二 季 灌 頂 一、 東 寺 甲 年 胎 蔵、 乙 年 金 剛 界、 観 音 院 甲 年 金 剛 界、 乙 年 胎 蔵 也 云 々 ﹂。 こ れ に よ る と、 保 延 五 年 五 月 覚 法 法 親 王 は 東 寺 春 季 灌 院 を 奮 儀 に 復 し、 仁 和 寺 観 音 院 に お い て 修 行 す べ き む ね を 伝
え て い る。 と く に 保 廷 六 年 (一一 四 〇) に 胎 蔵 界 の 灌 頂 が 仁 和 寺 観 音 院 に お い て 始 行 さ れ た と い う こ と は、 院 内 の 両 界 マ ン ダ ラ ・ 八 大 師 影 の 配 置 が 東 寺 か ら 仁 和 寺 へ そ っ く り 移 し か え ら れ た と み る べ き で あ ろ う。 こ の 経 過 は A・B・G図 ( 62 1 63 頁 参 照) の 指 図 に よ っ て も 明 ら か で あ る が 東 宝 記 第 二 ( ﹁ 続 々 群 ﹂ 十 二、 二 九 a) に は、 と く に 東 寺 の 灌 頂 院 の マ ン ダ ラ が 絵 師 勝 賀 法 橋 の 手 に な る も の だ と 伝 え て お り、 敷 マ ン ダ ラ は 天 永 三 年 ( 一一一 二) に 長 者 寛 助 の 時、 絵 師 賢 禅 に よ っ て 新 写 さ れ た と い う 史 実 も 注 目 す べ き で あ る。 こ の 間 の 事 情 を 東 宝 記 第 二 (﹁ 続 々 群 ﹂ 十 二、 二 九 a) に ﹁ 私 云、 桧 尾 僧 都 所 レ 図 曼 茶 羅 破 損 之 問、 於 二 両 界 曼 茶 羅 一 者、 建 久 二 年 後 讃 僧 正 寸 務 時 被 レ 新 二 写 之 一、 絵 師 勝 賀 法 橋 也、 於 二 敷 曼 茶 羅 一者、 天 永 三 年 寛 助 僧 正 寺 務 時 二 新 写 ジ 之、 絵 師 賢 禅 大 法 師 也、 以 二 其 労 一被 レ 補 二 威 儀 師 ー畢、 自 二天 永 三 年 一至 二建 久 二 年 一、 経 二 八 十 年 一 当 時 所 レ 懸 両 界 曼 茶 羅 者、 願 行 憲 静 上 人 大 勧 進 之 時、 永 久 年 中 令 レ 図 二 絵 之 一、 寒 典 主 書 レ 之、 於 二 根 本 曼 茶 羅 一者、 永 仁 七 年 令 レ 安 二 置 宝 蔵 一畢、 長 筥 一 合 納 レ 之 敷 曼 茶 羅、 当 時 所 レ 見 二 在 宝 蔵 一、 是 天 永 図 書 本 歎、 両 界 同 尊 形 也、 金 剛 界 者、 一 会 曼 茶 羅 也、 両 界 同 加 二 図 外 部 天 等 一、 ﹂ と 伝 え て い る よ う に 両 界 マ ン ダ ラ、 敷 マ ン ダ ラ に つ い て 天 永 三 年 ( 一一一 二) 以 降、 永 仁 七 年 ( 一 二 九 九) ま で の 事 跡 を 記 し て い る。 と く に 天 永 以 降 は ﹁ 裏 云 ﹂ と あ っ て ﹁ 至 徳 二 年 九 月 尊 形 廿 六 日 宝 蔵 掃 除 之 時、 見 二 宝 蔵 内 一、 右 本 両 界 図 マ タ ラ 朽 損 散 々 破、 ﹂ す な わ ち 普 段 つ か わ れ て い た 灌 頂 道 具 用 の 両 界 マ ン ダ ラ が 十 二 世 紀 初 よ り 十 四 世 紀 の 後 半 に か か る 一 七 三 年 間 に は、 ﹁ 朽 損 散 々 破 ﹂ と あ る よ う に 相 当 い た み が ひ ど く な っ て い た と い う。 こ の 経 過 を ま と め る と 次 の よ う に な ろ う。 こ の 記 録 の う ち 建 久 二 年 の 両 界 マ ン ダ ラ の 新 写 は 宅 間 派 の 絵 師 勝 賀 に よ っ て 完 成 せ ら れ た と み る べ き で あ る が、 東 宝 記 の 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 記 述 ば か り で な く 仁 和 寺 側 の 史 料 か ら み て も ほ ぼ 同 様 の 史 実 が 判 明 す る。 顕 謹 書 写 本 の ﹁ 仁 和 寺 御 伝 ﹂ 守 覚 の 項 に は、 同 じ 宅 間 勝 賀 が 十 二 天 屏 風 を 写 し て い る 場 面 に ぶ つ か る。 ﹁ 建 久 二 年 亥 辛 某 月 日、 東 寺 灌 頂 院 十 二 天 屏 風 新 奉 写 依 朽 損 也、 会 毒 宅 間 法 橋 勝 賀、 種 子 令 書 之 給 ﹂ ( 仁 和 寺 史 料 二、 一 四 九) こ の 十 二 天 は 東 寺 灌 頂 院 所 蔵 の も の で、 ﹁ 依 朽 損 也 ﹂ と 付 記 し て い る か ら 両 界 マ ン ダ ラ と と も に 相 当 い た み が は げ し く 敷 マ ン ダ ラ を 新 写 し た 賢 禅 は そ の 労 を も っ て 威 儀 師 に 補 せ ら れ た ほ ど で あ る。 勝 賀 は 宅 間 為 遠 の 長 男 で 鎌 倉 初 期 を 代 表 す る 絵 仏 師 で あ る が、 灌 頂 院 マ ン ダ ラ を 荘 厳 す る 勝 賀 筆 の 十 二 天 は 東 寺 に 現 存 し て い る。 す な わ ち 各 扇、 た て一 二 〇 セ ン チ、 よ こ 四 二 セ ン チ の 絹 本 著 色、 描 法 は 衣 文 線 は 肥 痩 の あ る 蘭 葉 描 で、 彩 色 は 比 較 的 う す く 宋 風 仏 画 の 新 鮮 な 趣 が あ る。 さ て、 次 の 本 寺 堂 院 記 (仁 和 寺 史 料 二-三 〇 〇) に は、 御 室 の 安 養 谷 を 一 霊 験 地 也 云 々 ﹂ と よ び、 そ こ に は 当 初 よ り 存 在 し て い た と い う 安 養 谷 塔 扉 の 八 部 衆 を 写 し と ど め て い る。 第 九 図 (63 頁 参 照) は ﹁ 三 僧 記 類 聚 第 七 ﹂ を 引 い た も の で あ る が 北 西 よ り 右 回 し て(1) 天 左 手 持 舎 器 盛 花、(2) 薬 叉 右 持 刀、(3) 阿 修 羅 赤 色 三 面、 三 目 四 習、 持 日 月 弓 箭、(4) 堅 那 羅、 持 笛 歎、(5) 龍 二 拳 向 合、 立 二 頭、 若 諸 龍 印 歎、 頭 有 龍 形、(6) 乾 闊 持 轄 鼓、 頂 有 馬 頭、(7) 迦 楼 羅 以 似 鳥 養 吹 箏 藁、(8) 摩 喉 羅 伽 の 天 龍 八 部 を 描 い て い た。 こ の 安 養 谷 の 塔 扉 の 荘 厳 は、 八 部 衆 で あ る だ け に、 既 述 の 守 護 経 法 と 成 身 会 マ ン ダ ラ や 両 界 の 伝 持 の 八 大 祖 師 像 な ど の、 主 と し て 鎮 護 国 家 の 修 法 に か か わ り あ っ て 育 ま れ て き た 諸 形 態 と 比 較 し て 考 え て み る 必 要 が あ ろ う。 こ の 八 部 衆 は 仏 の 春 属 と し て 仏 法 を 守 護 す る た め に 再 構 成 さ れ た も の で、 十 大 弟 子 と と も に、 こ の 塔 を 囲 続 護 持 し て き た も の で あ る。 し か し 安 養 谷 の 場 合 は 十 大 弟 子 が 欠 け て い る。 し か し、 こ の 場 合 は 特 別 な 意 味 を も つ も の で は な く 簡 略 化 さ れ た も の も あ っ た と み る べ き で あ ろ う。 本 要 記 (仁 和 寺 史 料 二-三 五 〇) に も 転 写 さ れ て お り ﹁ 師 上 座 筆 云 々 ﹂ と 註 記 が あ り 伝 承 の 確 実 な こ と が こ の よ う に し て、 東 寺、 御 室 の 相 互 関 係 に お い て 判 明 す る。 し か も、 こ こ で は 灌 頂 院 の 両 界 マ ン ダ ラ、 入 大 師 影 は 一 貫 し た 類 似 性 を 認 め る わ け で あ る が、 醍 醐 の 場 合 は ど う で あ ろ う か、 こ れ も 密 教 辞 典 に 欠 い て い る。 康 治 二 年 官 符 云、 件 灌 頂 院 者、 前 大 僧 正 定 海、 且 鎮 護 国 家、 且 為 一 院 御 殊 発 弘 願 所 建 立 也、 ( 中 略) 天 承 元 年 十 一 月 廿 五 日 ⋮⋮毎 日 修 両 界 供 養 法 並 礼 繊。 又 月 日 勤 仕 入 大 祖 等
御 影 供、 別 行 毎 年 一 度 結 縁 灌 頂 大 会、 所 奉 祈 国 家 安 穏 ・ 法 皇 万 歳 之 寳 算 也。 天 結 構 之 趣 同 東 寺 灌 頂。 ( 醍 醐 寺 要 録 第 十、 中、 五 四 五、 以 下、 赤 松 教 授 の 新 要 録 に も と つ く。 こ の 康 治 二 年 ( 一 一 四 三) の 官 符 に よ る と、 天 承 元 年 (一一 三 一) 十 一 月 十 日 よ り 毎 日 両 界 の 供 養 法 が 修 め ら れ、 入 大 祖 師 の 御 影 供 は も と よ り、 年 度 毎 に 結 縁 灌 頂 が 厳 修 さ れ た こ と が 知 ら れ る。 別 項 を 参 酌 し て も ﹁ 座 主 次 第 云、 裏 書 云、 灌 頂 院 結 縁 灌 頂 始 行 事。 自 天 承 元 年 十 二 月 十 九 日、 至 承 久、 九 十 年 云 々 ﹂ ( 五 六 八) と あ る よ う に 天 承 元 年 二一三一) に 開 始 さ れ て か ら 承 久 の 頃 ( 一 二 一 九) ま で の 約 一 世 紀 問 に ま た が る 結 縁 灌 頂 の あ り か た を 考 え る と、 こ れ は 次 に の べ る D 本 (46 頁 図 ホ 参 照) の よ う に 両 界 マ ン ダ ラ や 五 大 尊 帳、 三 尊 帳 等 の 整 備 が ま っ た く ゆ き と ど い て い っ た 時 期 と み な す こ と が で き よ う。 一 本 尊 事 慶 延 記 云、 奉 安 置 大 日 ・ 薬 師 ・ 釈 迦 各 三 尺 白 壇 定 肇 作 云 セ。 両 界 曼、 茶 羅。 治 承 記 灌 頂 堂 内 庫 図 云、 三 尊 帳、 五 大 尊 帳、 十 一 二 入 東 在 之、 多 聞 帳 西 在 之、 ( 醍 醐 寺 新 要 録 第 十、 中、 五 四 八) 本 尊 に つ い て は 慶 延 記 を 引 用 し な が ら も、 伝 定 肇 作 と 伝 え る 三 尺 の 白 壇 像 に よ る 大 日、 薬 師、 釈 迦 如 来 の 三 尊 を 配 し て い る。 こ の 三 尊 形 式 は あ と で ふ れ る が 同 じ 塔 中 の 遍 智 院 灌 頂 堂 の 場 合 と 同 じ よ う に 大 変 興 味 ぶ か い 問 題 で あ る。 す な わ ち、 こ の 三 尊 を は さ み 東 西 に 両 界 マ ン ダ ラ を か け た の で あ る。 そ の 位 置 は 治 承 年 間 の 頃(一一 七 七-一一 八 一 年 頃) 以 降 に 記 録 さ れ た 写 本 か ら 八 大 師 影 を 含 め て 次 の よ う に 解 釈 さ れ る。 三 宝 院 編 絵 図 類 所 収 の 醍 醐 寺 新 要 録 第 十 の D 本﹁ 灌 頂 堂 ・ 内 庫 図 ﹂ に よ る と 西 南 隅 よ り 西 壁(1) 金 剛 薩 垣(2) 龍 猛(3) 龍 智(4) ( マ ヽ) 金 剛 智(5) 不 空 か ら 東 南 隅 へ う つ り 東 壁(9) ﹁ 文 珠 ﹂(8) 善 元 畏(7) 一 行(9)﹁ 青 龍 ﹂(10) 弘 法、 さ ら に 北 壁 に は 北 東 隅 よ り(11) 桧 尾 (12) 石 山(13) 延 命 院(14) 小 野 僧 正(15) 般 若 僧 正 尊 師(16) 貞 観 寺 と あ り、 南 壁 に 東 へ ( 梵 字) ア 字、 西 へ ( 梵 字) バ ン 宇 を 配 す る の は 礎 形 と し て 東 寺 灌 頂 院 を ま っ た く 模 倣 し た も の で あ る。 内 陣 は 東 へ 胎 蔵 界 大 曼 茶 羅、 西 へ 金 剛 界 大 曼 茶 羅、 金 剛 界 マ ン ダ ラ の 西 北 後 に﹁ 多 聞 帳 ﹂、 二 間 お い て 真 北 に﹁ 三 尊 帳 ﹂、 そ の 面 前 に﹁ 不 断 香 ﹂ を 置 く。 胎 蔵 界 マ ン ダ ラ の 東 側 に い た る と、 北 に は ﹁ 五 大 尊 帳、 南 に は [ 十 二 天 ﹂ を 置 く。 こ れ ら の 配 置 を 仁 和 寺、 東 寺 の A・B・G本第 六・七・八 図 ( 46 頁 の 図 ロ、 ハ、 ホ 参 照) と 同 じ 形 式 で 図 解 す る と 次 の よ う に な る。 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 切の 史 的 考 察
密 教 文 化 第1図 (A本)仁 和 寺 円堂 「成 身 会三 形 マ ンダ ラ壁面 八 祖 指 図 (本 要 記) (B本)(本 寿 堂 院 記) 第2図 愛染 曼茶羅(重 文)太 山寺蔵 第3図A 宮 中真 言 院 曼茶 羅 道 場 「中 央 に五 大 尊、 右 に 胎蔵 界 マ ンダ ラ、左 に 金剛 界 マ ンダ ラ」 (年 中行 事 絵 巻、 住 吉 模 本)
第4図B 宮 中真言 院指 図(承 元四年写)東 に胎蔵界、西に金剛界、 中央に大、軍、 不、降、 金の五大尊、さ らに十二天を配す。 第5図 左、御室円城寺護摩堂壁画 顧 謹本仁和寺諸院家記) 右、真乗院灌頂図 伺 う 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 第6図A本 仁 和 寺 蔵 灌 頂堂 図(本 寿 堂 院 記 に よ る)内 陳 の東 に 「胎 蔵 界 曼茶 羅」 西 に 「金 剛 界 曼茶 羅 」 第7図B本 仁 和 寺 蔵 灌 頂 堂 図(本 要 記 に よ る)内 陳 の東 に 「台 万 タ ラ」 西 に 「金万 タ ラ」
第8図C本 東 寺 灌 頂 院 指 図(東 宝 記、 第 二、 内陳 の東 に 「胎蔵 大 マ タ ラ」 西 に 「金 剛 マ タ ラ」 第9図 A本(本 要 記) B本 安養堂塔扉 に八部衆 の指図 (本寿堂院記、 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察
密 教 文 化 第10図 (A本、 御 室 伝法 堂 指 図 「治承 二 年 」(本 寿 堂院 記) 第11図 C本 舎 利 会 指 図 「建 保 六 年 」 (本 要記) 第12図B本 本 要 記
こ こ で 容 易 に 注 意 さ れ る 点 は、 八 大 師 の 順 序 が 東 寺 の 灌 頂 院 の 形 式 を 踏 襲 し て い る も の の 不 空 と 善 無 畏 の 間 に(6) ﹁ 文 殊 ﹂ を 加 え、 一 行 と 弘 法 の 問 に 通 常 わ れ わ れ が ﹁ 恵 果 ﹂ と 呼 ん で い る お 祖 師 を(9) ﹁ 青 龍 ﹂ と 記 入 し て い る こ と で あ る。 こ れ は 長 安 の 青 龍 寺 の 先 師 の 一 人 で あ る 恵 果 阿 闊 梨 の こ と で あ る が、 こ う し た 呼 び 名 が、 こ の 当 時 す で に 小 野 の 一 派 に 伝 承 さ れ て い た と な け れ ば な み ら な い。 し か も 図 に 記 入 さ れ た 例 と し て は 他 に 類 例 を み な い。 醍 醐 に お け る 結 縁 灌 頂 は、 新 要 録 第 十 を 信 頼 す る か ぎ り、 天 承 元 年 (一一 三 一) だ と 記 録 さ れ て い る。 そ れ は ﹁ 弘 仁 三 年 十 一 月 十 五 日 弘 法 大 師 於 高 雄 寺、 修 金 剛 界 灌 頂 ﹂ に の べ る の と 同 じ よ う に ﹁ 天 承 元 年 十 二 月 十 九 日、 於 三 宝 院、 被 始 置 結 縁 灌 頂 金 剛 界 ﹂ ( 醍 醐 寺 新 要 録 第 十、 五 八 〇) と あ っ て や は り 金 剛 界 か ら 始 行 さ れ て い る。 そ れ よ り の ち 鎌 倉 末 期 ま で の 記 述 は 限 ら れ る が、 康 正 三 年 ( 一 四 五 七) に も な る と、 ﹁ 康 正 三 年 結 縁 灌 頂 記 云、 ⋮⋮伝 法 結 縁 重 子 年ヲ 一 錐 然 ニ ト 於 内 陣ノ 構ーニ 者、 両 壇ノ 荘 厳、 諸 祖ノ 影 像、 並 三 尊 帳 等 干 今 不 整 司 是 自 然 之 怠 慢 也 ﹂ ( 同、 五 九 四) と 伝 え る よ う に 十 五 世 紀 中 頃 に は、 両 壇 を は じ め と し て マ ン ダ ラ も 含 ま れ る 両 壇 の 荘 厳 や 八 大 師 影、 ま た 不 断 香 の 奥 に 位 置 す る 三 尊 帳 な ど、 荘 厳 形 式 が 当 初 よ り 多 少 崩 れ て い っ た の も ち よ う ど こ の 時 期 で あ っ た と 考 え ら れ る の で あ る。 と こ ろ で こ の 醍 醐 に お け る 道 場 荘 厳 の 八 大 師 影 は 順 に 一 影 つ つ と り あ げ る な ら ば、 そ の 影 像 を か け て 供 養 す る 法 要、 正 御 影 供 が い と な ま れ た こ と は む し ろ 当 然 の な り ゆ き と い え よ う。 醍 醐 寺 の 文 治 四 年 (一一 八 八) の 院 宣 に よ る と、 勤 行 の 順 序 を は っ き り 定 め て い る。 ﹁ 文 治 四 年 院 宣 云、 毎 日 礼 俄、 月 月 入 大 師 並 諸 祖 師 等 影、 勤 行 不 怠、 薫 修 年 積。 九 月 十 五 日 龍 猛 菩 薩 御 影 供 事 ⋮⋮四 月 十 五 日 龍 智 菩 薩 御 影 供 事 御 仏 供 米 七 升 二 合、 以 久 元 名 田 所 当 内、 用 之。 入 月 十 五 日 金 剛 智 三 蔵 御 影 供 事 ⋮⋮六 月 十 五 日 不 空 三 蔵 御 影 供 事 ⋮⋮十 一 月 七 日 善 無 畏 三 蔵 御 影 供 事 ⋮⋮ 十 月 八 日 一 行 阿 闊 梨 御 影 供 事 ⋮⋮十 二 月 十 五 日 恵 果 阿 闊 梨 御 影 供 事 ⋮⋮三 月 廿 一 日 弘 法 大 師 御 影 供 事 ﹂ ( 醍 醐 寺 新 要 録 第 十、 五 五 九) も と よ り 東 宝 記 第 四 (﹁ 続 々 群 ﹂ 十 二、 九 五 〇) に 述 べ る よ う に 灌 頂 院 御 影 供 の 始 ま り は、 長 者 補 任 を 引 用 し て ﹁ 長 者 補 任 云、 延 喜 十 年 庚 午 長 者 観 賢 律 師、 三 月 始 行 二 東 寺 御 影 供 一 ﹂ と あ り 東 宝 記 下 同 文 を 踏 襲 し て い る が、 長 者 観 賢 権 少 都 が 延 喜 御 室 灌 頂 堂 曼 茶 羅 周 辺 の 史 的 考 察