「はざまでゆれ動くことJの教育的意義に関する一考察
人 間 教 育 専 攻 現代教育課題総合コース 本 多 謙 一 郎
はじめに
近年、青少年による殺傷事件が引き起こされ た際、その背景として「よい子」に育てられた ことの問題が取り上げられることがあるD 子ど も達が fよい子」に育てられることで、健全な 成長が果たせず、心に「闇jを抱える状態に陥
っている場合があるとの捉えであるD
学校においても、殺人等の「加害者」を生み 出さないことにつながる取り組みを進めていく 必要はあるが、上記のような「よい子Jに育て ることに問題があるという視点を、そのまま学 校教育の現場に生かすことは難しい。学校は、
理想、の子ども像に向かつて子ども達が成長して いくことを支援する場であり、理想に向かう「よ い子Jを育てる場とも言えるからである。
ただ、「よい子」に育てることの問題を、理 想設定の問題、現実把握の問題、理想追求の道 筋の想定・決定・実行の問題だとして捉え直す ならば、学校教育のあり方を考える際にも考慮、
すべき事柄となる。
本研究は「よい子」に育てることの問題を捉 え直すことで、理想への直線的追求だけでなく、
「理想と現実のはざまでゆれ動くJという心的 現象が生じる事柄にも教育的意義があることを 見出し、「加害者」を生まないことにつながる 学校教育のあり方を考察していくものである。
1 現代の社会問題と向き合う学校教育 まず、現在の青少年の「犯罪凶悪化」言説の
指導教員 小 西 正 雄
誤謬を明らかにすることによって、青少年の「心 の闇J についての捉え直しを行い、この考察の 中で、社会問題や「教育改革」に向き合う学校 教育の場に生じている問題を明らかにする。生 じている問題とは、①問題への対処策が「加害 者Jを生み出す要因とされる「よい子Jに育て
る方策へと回帰していること、②教育に対する
「信頼性の揺らぎJをとどめるために行われて いるはずの「教育改革jの取り組みが、逆に教 育に対する「信頼性の揺らぎ」を引き起こして いる場合があること、である。
学校教育に投げかけられる問題はどれも重要 な問題であるが、即時的・即効的な対応だけで は、上記のような問題を新たに発生させてしま う危険性もある。よって、学校においては、あ やふやな言説に惑わされず、「教育に対する信 念(理想、と情熱)Jをもとに、長期的な視野で のたゆまない取り組みがなされることが望まれ るのであるO
2 理想への直線的追求の問題 ー「よい子jに育てることの問題一
学校教育において理想が保持されることに意 味があるように、教師や親が理想像を内包した 期待を、子ども達に対し、保持・表明すること には大いに意味がある。しかし、その期待の保 持・表明の仕方によっては、子ども達に悪影響 を与えることもある。これが、「よい子Jに育 てることの問題の一側面である。教師や親の、
1i
ウi
子ども達に対するまなざしゃ関わり方によって は、子ども達に「自主性の減退Jや「柔軟性の 未発達・狭い視野で、の停滞」といった問題を生 じさせ、質的成長(i意味生成の精神フ。ロセスJ を経ること)の不足や「自己実現」への道程を 閉ざす事態にまで陥らせる危険性を苧んでい る。最悪の場合、殺傷事件の「加害者」を生み 出すことにもつながる。「よい子」と称せられ る子ども達のこうした危険性を減らすために は、教師や親には、子ども達の姿を理想像へと 最短距離で直線的に近づけたいという「誘惑j
に取り込まれない姿勢や子ども達との間に双方 向的な関係を築こうとする態度が求められる。
また、「よい子Jに育てることの問題は、子 ども達が人間形成をしていく際の乗り越えるべ き課題を示唆している。それは、多様な経験を 通し「意味生成の精神プロセス」を経る機会‑
f擬似自己jから脱却する機会を持つことであ る。教師や親・社会や文化によって形成された
「よい子」の仮面を脱ぎ去り、自分の歩む道を 自分で想定・決定・実行することにより、子ど も達自らが「自己実現jの道程を歩むことがで きるようになるのである。
3 理想、と現実のはざまでゆれ動くことと 人間形成
「よい子Jに育てられた者に問題が生じるの は、「即時的・即効的な対応」、「効率的な取り 組みJ、「直線的な成長の推進Jがあまりにも重 視されることで、その者の人間形成に必要な事 柄までもが排除されてしまったことによると考 えられるD 排除されたものには、「悪Jや「苦 悩jといったものが含まれる。「悪Jや「苦悩j
は、無分別に称揚できるものではないが、「悪J の両義性や「苦悩j の根源的意義を考える時、
こうしたものの安易な排除は、逆に大きな問題
を引き起こす原因となるo 子ども達は、「悪j
や「苦悩Jに正面から向き合うこと、理想、の設 定に迷い、現実の把握に悩み、現状から理想像 へのアプローチを様々に経験すること、つまり、
「理想と現実とのはざまでゆれ動く jという心 的現象を経験することにより、等身大の自分・
他者を理解する機会が与えられ、「自尊感情」
を育てることができ、人間理解を深め、人間的 な振る舞いを身に付けることができる。
fはざまでゆれ動くことJの教育的意義を実 際に生かした教育活動が行われている学校とし て、伊那小学校と堀川小学校を挙げることがで きる。両校においては、長年にわたり、細やか な子ども理解をもとに、挫折・失敗などの経験 をも大切にした教育実践・教育研究を進め、子 ども達の自然で、「人間性j あふれる成長を促 している。学校という場が、人間形成の場(i意 味生成の精神フ。ロセスJや「擬似自己」からの 脱却の機会が生起する場)として機能し、成り 立つためには、両校のように、各学校において
「はざまでゆれ動くこと」の必要性が意識され た教育理念が生かされ、具体化され、実行性が 上げられていくことが望まれる。
おわりに
理想、に向かつて進んでいくことに、教育的意 義があることは明らかである。しかし、人間形 成を豊かに行っていくためには、理想、と現実の はざまで、多様な状態を経験し、自分の生き方 を自ら考え、決定していくことによる学びが必 要である。「加害者」を生まないことに寄与す る学校教育のあり方も、対処療法的な取り組み のみでは創り得ない。一度、「人間性jの追求 という課題にまで立ち返り、教育に対する信念 を豊かにすることにより、ようやくなし得るこ
とができるものだと言えるのである。
‑72一