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附編 自然科学的研究

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(1)

鹿田遺跡から出土したメロン仲間cμ鋤鰯s物loL.の種子

附編 自然科学的研究

嘱 鹿囲遣蹄から出土したメロン仲間《拓斑翻s摺翻◎L.の種子,

特に雑草メ瞬ン型の小粒種子について

      大阪府立大学農学部助教授藤下典之

 本邦でメロン仲間(Cμ鋤禰s鞭/oL.)の種子を出土した遺跡は,1988年2月現在109個所に

およんでいる。その遺跡数を時代別にみると,縄文晩期1,弥生40,古墳22,奈良・平安16,

中世13,江戸3,複合または時代不明確14となる。それを地方別でみると,畿内が最も多く

(図394参照),九州の南部と東部,四国,および秋田,岩手より北からの出土はまだない。こ れらの事実より,本邦では約2,300年も前から,かなり広範囲の地域で,メロン仲間が利用さ れていたことが裏付けられる。しかし,その栽培が何時ごろから,どのような様式で行われて いたのか,あるいはその種類がマクワであったのかシロウリであったのかなどを明示すること は,現在の時点ではまだ極めて難しい。ただし,上記の各時代ごとの種子の大きさには特徴が あり,中でも弥生時代の遺跡からは,本邦に自生する現生の雑草メロンの種子によく符合する 小粒種子が高い頻度で出土している。そしてこれらの種子は出土遺構(井戸・溝)や伴出遺物

(炭化米,男根や鳥形の木器),あるいは現生の雑草メロンの特性(小果で未熟の内は強烈に 苦く熟しても甘くならない)や利用方法(お盆に仏壇に供える風習が各地に残る)などから,

       く  リヨらめ

祭祀儀礼的に利用された可能性が非常に大きいと考えてきた 。弥生時代のものが現生の雑 草メロンと同じような特性を持ったものであったとしたら,それらは住居周辺の空地や河川敷 池畔などで,毎年放任状態で採集(収穫)できたであろうから,特に栽培を必要としなかった と思われる。そして,これら弥生時代のメロン仲間は,日本の古くからの各種伝統文化や,イ ネを始めとする各種栽培植物同様に,中国大陸や朝鮮半島から渡来し,有史前に帰化したもの であろうと筆者は考えてきた。現在,メロン仲間の本邦への渡来経路や古代の種類を明らかに する目的で,中国や韓国を訪ね共同研究の足がかりを得つつある。研究がこのような進展状況 にある時,岡山大学医学部構内の弥生時代の鹿田遺跡から,メロン仲問の小粒種子が出土した との連絡をうけ,さっそく岡山大学埋蔵文化財調査室から資料を借用して計測調査した。その 結果,井戸1から出土した801粒が,すべて雑草メロンの,中でも最も小粒なタイプのもので あることが判明した。既往の筆者の調査研究の中で,1遺構から出土した種子全部が雑草メロ ン型の小粒種子であったのは,長崎県の弥生中期の里田原遺跡(429粒)のみであっただけに,

鹿田遺跡の新知見はメロン仲間の,特に雑草メロンの系統発生学的研究(ルーッ探索)のうえ

一443一

(2)

自然科学的研究

で,極めて重要な示唆を与えるものとなろう。

 種子の計測方法は従来どおりで,水につけられていた種子を,実験室内の直射日光の当たら ない場所で自然乾燥させたのち,完形成熟(正常)種子, しいな (無受精または未熟によ る),奇形種子,部分欠損種子に分け,完形成熟種子全粒の長さと幅を0.hmまで読みとれる目 盛り入りのルーペで計測した。

 出土種子が,メロン仲間の現生の種類のいずれに類似しているかをみるために,植物分類学 上の変種(たとえばネットメロン,マクワ,シロウリ,雑草メロンなど)ごとに,多数の品種        ぜから 

      く  や系統について種子の長さと幅は計測してすでに求めてある。また,栽培や採種環境によって        く レ  

種子の長さと幅が変動しにくいことも(厚さは影響される)確認ずみである。ここでは,それ らの計測資料の中から,雑草メロンについては日本産の中で最も種子の小さい宇久島の UK4_3系統と,最も大きい六島のMU−15−11系統を,マクワについては日本産の 真桑瓜

と中国産の 大黄皮 を,シロウリとモモルディカメロンについては日本産の 米山シロウリ と ババ殺し の浅沼③系統をそれぞれ選び,それらの種子の大きさ(長さと幅)の変異を図 391に示した。供試した種子は,いずれも遺伝資源保存用に自殖を繰り返したもので,温室礫 耕栽培して得た果実の1果から,100粒を無作意的に抽出し,出土種子と同じ方法で計測した。

調 査 結 果

 鹿田遺跡からのメロン仲間の出土種子は,時代の新旧に関係なく,いずれも井戸からのもの であった(表22)。出土種子数をみると,弥生時代の井戸1からは包含層の明確なもの不明確 なものを合わせて,完形成熟種子のみでも767粒, しいな と部分欠損種子を加えると801粒 となり,一つの遺構(井戸)当たりの種子数としては多い方である。一方,古墳時代や8・9 世紀の井戸からは,1〜6粒しか発掘されていなかった(表22)。

 弥生時代中期後半の井戸1からの出土種子は,全粒が長さ6.Omm以下の雑草メロン型の小粒 種子で(表22),包含層を考慮しない全種子の平均長は4.12mm,平均幅は2.03mmとなり,現生 の雑草メロンの中でも最も小粒の部類(図391UK4−3)に相当するものであった。同一の井 戸の中でも,上層の時間的に新しい41層整理No 1と整理No豆の種子は,下層の43層整理No皿,

IVの種子より一見して大きく(図版85と図392),種子の大きさと果実の大きさとの間に平行関 係があることから,41層の果実は43層のものより少し大きめのものであったと推定された。同 じ遺跡内でもより新しい時代の遺構から出土した種子の方が微妙に大きかった事例は,弥生中       く   

期の池上遺跡(大阪)の内と外の環濠でもみられており,生活の知恵からより大きな果実を 選んで利用または栽培していた可能性が考えられる。遺跡ごとの出土種子100粒の大きさの変

一一 S44一

(3)

1 1

表盤 鹿田遺跡より出土したメロン仲間磁翻甜$卿翻◎L.の種子 完形部分平均長平均幅長参照 No出土箇所    発掘年月日

推定時代

正常しいな奇形 欠損計測数 mmmm 長さ/幅6.Omm ネ下

6。1〜 @8.0

8.1mm ネ上図版 1井戸1      840801弥生時代 中期後半36000364.552.202.06360039385 (41層) Hク       840803〃       〃1318001314.972.392.071310039285 (警10) 393 ク       840807〃      〃33024023303.891.922.023300085 (43層)86 IVク       840808〃      〃2700002703.941.972.002700039385 (籠状木製品の底部) V井戸13      840810弥生時代  後期末30068a7.823.402.3005339385 (聾7) wク       840816〃       〃30044a7.973.762.1202239385 (鉢の中)(警2) w井戸15      840725古墳時代  初頭101017.03.12.2501039385

w

井戸20      840224

8〜 9世紀

600068.103.912.0703339385 (聾2) a完形正常種子以外に,部分欠損種子の中で長さまたは幅のみ計測できるものも加えた。

…o已

\\. 一A・   41/ノ ー一坤一S3

一、m\

01m 図390 井戸一1 縮尺1/30

9

§ § くゐひ § ← θ

(4)

自然科学的研究

異を,弥生時代の主だった遺跡について示したのが図392である。鹿田遺跡井戸1から出土し た種子の大きさの変異は極めて小さい(粒揃いが良い),のに対して,図の右側に示した板付,

池上,日高遺跡からの出土種子の変異は大きい(粒揃いが悪い)。これは左側に示した鹿田と 里田原遺跡の種子は,図391の現生種子の大きさの変異と対比させると明らかなように,雑草 メロンのみの種子で,特に鹿田遺跡の井戸1の43層のそれは,おそらく1果分または全く同じ 系統(種類)の果実に由来する種子と推定できる。これに対し右側の遺跡の種子は,6.Omm以 下の雑草メロン型の小粒種子と,6.1〜8.Ommのマクワ・シロウリ型の中粒種子を,ほぼ同率に 含んでいることを示していよう。このような板付,池上,日高遺跡からの種子の大きさの変異

4

3

2

幅mm

UK−4−3

(雑草メロン)

膏瞬謬

4

3

2

3 4 5 6

Mu一ユ5一且

(雑草メロン)

縞舗寮

3 4 5 6

4

3

2

幅mm

眞桑瓜

(マクワ)

司懸

幅mm

4 5 6 7

4

3

2

婆殺し 浅沼系

(モモルディカメロン)

ぷ嬉

総 鵬    馳 囎

6 7 8 長さmm

図391現生のメロン仲間C粥翻摺∫釧ηeめLの種子の大きさ    〔1個の果実から無作為抽出した100粒の長さと幅の変異〕

一446一

(5)

鹿田遺跡から出土したメロン仲間cμ梛煽3耀/oL.の種子

のひろがりは,マクワ,シロウリなどの栽培種が本邦に渡来し始めた,あるいは栽培が始まっ たころの,種内分化の不完全な,あるいは遺伝的に雑ぱくな種子の様相を示唆しているもので もあろう。鹿田遺跡の井戸1の43層からの出土種子と,里田原遺跡からの出土種子の平均長と 平均幅は偶然にも一致している(表23)が,両者の大きさの変異は明らかに違っている(図 392)。このことから里田原遺跡の種子には雑草メロンの違った系統の種子が混ざっている可能 性も考えられ,平均値だけからの比較と結論には問題をはらんでいることを暗示している。

幅mm

幅mm

鹿田一II  井戸1・41層

鹿田一田  井戸1・43層

池上WK181  MB58

       謁騰輪騒       鍵欝        ♂鱒岬翫幽    。呂鰯響鱒⑱

4 5 6 7 8

幅mm   3    4    5    6長さmm 4    5    6    7    8長さmm

 図392鹿田遺跡および弥生時代の主要遺跡から出土したメロン仲間の種子の大きさ       〔遺構または包含層別に無作為抽出した正常完熟種子100粒の長さと幅の変異〕

  長さ6.Omm以下:雑草メロン型小粒種子,6.1〜8.Omm:マクワ・シロウリ型中粒種子    8.1mm以上1モモルディカメロン型大粒種子

一447一

(6)

自然科学的研究

 弥生後期末の井戸13,古墳時代初頭の井戸15および8〜9世紀の井戸20からの出土種子は,

粒数が少ないために多くは言及できない。しかし,弥生中期後半の井戸1からの種子とは,大 きさが歴然と違い,6。Omm以下の雑草メロン型の小粒種子は全く含まれず,長さが6.1〜8.Omm のマクワ・シロウリ型の中粒種子と,長さが8.1mm以上のモモルディカメロン型の大粒種子と をそれぞれほぼ半数ずつ含んでいた。

 鹿田遺跡から出土した種子の井戸別または包含層別の平均長と平均幅を,既に調査済みの50 粒以上を出土した他の遺跡別のそれらとを,同一の図の中に示したのが図393である。この図 からも井戸1の種子がきわだって小さいことと,井戸13,20の種子が逆に非常に大きいことが よくわかる。

 既往の100粒以上を出土した遺跡ごとの,出土種子数,大きさなどを年代順に示したのが表 23であり,それを日本地図の中にまとめ扇形グラフで示したのが図394である。図394からは,

弥生時代の出土種子には遺跡の地理的位置に関係なく,雑草メロン型の小粒種子(黒塗りの部 分)が高頻度に含まれ,モモルディカメロン型の大粒種子は皆無に近い。それが古墳時代から 奈良・平安時代の種子になると,逆に雑草メロン型が激減し,モモルディカメロン型の大粒種 子(小点をうった部分)が,都宮官衙あとから多量に出土するように変っている。そして,中 世以降は現在のマクワ・シロウリ型の種子の大きさの変異に近くなっている。

 なお,図394からもわかるように,現在までのところ青森,秋田,岩手の各県より以北の地 域からは出土がなく,これは気温が低いために栽培が困難であったためとも考えられる。しか

幅mm

㊥鹿田遺跡 鶴他の遺跡

    磯IV

仁/皿

雑草メロン型 小粒種子

鯵夢

マクワ・シロウリ型   中粒種子

     晶

  馨⊇轡馨

ぶ響霧馨

 モモルディカメロン型    大粒種子  V田鯵

長さmm

図393鹿田遺跡の井戸または包含層別(1〜圃)ならびに遺構当たり50粒以上を出土した遺    跡別の種子の長さと幅の平均値

1〜IV:井戸1弥生時代中期, V〜W:井戸13弥生時代末, W:井戸ユ5古墳時代 Wl井戸208〜9世紀

一448一

(7)

1 ぱ 1

表盤 メ圏ン仲間の種子を遺構当たり伽粒以上出土した遺跡別の種子の大きさ 、」曳出土種子

計測

平均長平均幅長さの比率(%) 時代別遺 跡府県推定時代

退    構 総数a

種子数mmmm 長さ/幅 6.Omm ネ下

6.1〜 W.Omm

8.11nm ネ上 鬼 虎 川大阪弥生前〜中期1061066.633.122.1218811 池   上大阪〃中期初葉

0302MB59 環濠

約1,5001005.952.852.0847530 板   付福岡〃 〃中葉以後G25 No.214711005.812.852.0363370 鹿   田岡山〃 〃後半1地点井143層井戸3301003.891.922.0210000 弥   生 里 田 原長崎ク中期4291003三891.922.0210000 瓜 生 堂大阪ク   〃3LR22    ピット6411006.483.062.1122780 新   保群馬〃後期初頭〜前半

KKI3C    溝

1231236.563.152.0821790 日   高〃後期KK14     溝2211006.152.862.1536640 古   墳古   留奈良古墳S402    流路4181007.473.522.1286131 難 波 宮大阪7世紀前半

66次D区6ANW

6,2371007.773.652.1225840 藤 原 京奈良6AJEE−1     溝多量1007.843.692.1215049 平 城 京

6AACVSI4

多量1008.103.802.1304654 奈良・平安長 岡 京京都8世紀7ANESH SD1301溝1231007.443.532.1076726 平 安 京9世紀末〜10世紀初HKPRSEO3  井戸1021008.063.792.1204060

多賀 城

宮城

8〜9世紀

P0〜11世紀

SK512  土墳跡

約1,0001008.423.992.ll02476 後   田山形井戸1006.883.282.09275122

鳥羽離宮

京都鎌倉TB71SE1000 井戸1211006.623.262.0314833 草戸子軒町広島鎌倉後半〜室町前半8LCE, SE1817井戸2,7751006.883.322.076904 中   世尾   道鎌倉〜室町井戸3071007.533.602.091918 塩 田 城長野ク  〜  〃SJW−14, B 4池?1011016.543.252.012980 江 上 B富山

V潟

中世 N

SDO70    溝

9,4361007.994.021.9834156 水 原 城1007.623.622.1037027 江   戸

西洞院河

黶@  橋 京都 結江戸初期

]戸

ST7805    溝 R8,MN−67 110 T21 100 P00 7.21 V.10 3.46 R.41 2.08 Q.08 16 R 55 W9 29 W a各遺跡とも本表にあげた遺構から出土した種子数のみを示し,遺跡全体からの数ではない。

9

§ §. § §

(8)

自然科学的研究

 馨Cμ鋤煽3勿εloL.の種子出土遺跡 馨雑草メ・ンの自生地

●長さ6嚇下(雑草メ・ン型)

   長さ6.1〜8。Omm    (マクワ・シロウリ型)

   長さ8ユmm以上    (モモルディカメロン型)

〔コ弥生 一」奈良・平安 一翻?「

一江戸

鳥羽離宮

叢鍵鶏

◎♂睡1       剛

古留(古墳時代)

図3鱗 メロン仲間C粥翻摺∫s摺eめLの種子出±遺跡の分布     と遺跡別出土種子の大きさ

〔遺跡ごとに無作為に抽出した100粒の計測結果(長さ別の比率)を扇形グ  ラフに示した〕

一450一

(9)

鹿田遺跡から出土したメロン仲間Cμ閲煽3働鋤Lの種子

し,気温の高い九州の南部や東部,あるいは四国からメロン仲間の種子出土がないのは,遺跡 数そのものが少ないとは言え,奇怪とさえ感じられる。特に四国の場合,内海をへだてた本州 側の海岸近くの各地の遺跡からその出土があり,瀬戸内を始めとする多くの離島(自生の確認 できた島数は75)に雑草メロンが現生している事実からしても不思議でならない。また,メロ ン仲間の種子を出土した古墳時代の遺跡そのものは多いにもかかわらず,遺跡当たりの出土種 子数は少ないのが現状である。これらの問題点は今後の発掘成果によって解決されよう。

 包含層にわずかなずれはあったが,一つの井戸から801粒もの雑草メロン型の,種子も果実 も利用(食用も含めて)価値のほとんどなかったと推定される極めて小粒の種子が,まとまっ て出土した事実は極めて興味深い。これらの種子を包含していた41・43層には,多量の有機物 と種子が含まれていたというが,メロン仲間以外の種子(植物)の種類や伴出遺物が明らかに なれば,これらのメロン仲間の種子のもつ意義ももっと明確になろう。43層では籠状の木製品 の底部から270粒も出土していることから見て,これらの種子は機械的に投げ入れられた(捨 てられた)とは考えにくく,最初に述べたように,やはり祭祀儀礼となんらかの関わりを持つ ものではなかろうか。鹿田遺跡の井戸1や里田原遺跡の特殊遺構からのように,雑草メロン型 の小粒種子のみがまとまって出土してくるような事例(弥生前期の上の島遺跡(兵庫),同前 期末の東奈良遺跡(大阪)にも類似の様相がうかがえたが,遺物逸散)が集積すると,中国や 韓国に比べて本邦における雑草メロンの自生頻度が高く,その分布域の広いことなどから,雑 草メロンの本邦原産説も考えてみる必要がでてくる。この説を裏づけるためには,縄文遺跡か らの出土が待たれることになるが,それほどに鹿田遺跡からの雑草メロン型小粒種子のまと まった出土は,メロン仲間の系統発生学的研究の上で,大きな意義を持つものである。

1

2

3

4

5

藤下典之 1976,Cμ%輪s働ε/o(マクワウリ,シロウリなど)の出土種子について,板付,福岡市埋蔵文 化財調査報告,351105−109

藤下典之 1980,池上遺跡より出土したC%%批swloの種子について,特に現生のメロン仲間の種子およ び他の遺跡から出土した種子との対比,池上,四ッ池,大阪文化財センター,6:105−124

藤下典之 1980,本邦各地の遺跡から出土したウリ科植物の遺体について,考古学,美術史の自然科学的研 究,日本学術振興会,東京,223−233

藤下典之 1981,草戸千軒町遺跡から出土したC%cμ殉swloおよび加g閲α批s伽γ碗αの種子について,草 戸千軒町遺跡,1979:54−61

藤下典之 1984「出土遺体よりみたウリ科植物の種類と変遷とその利用法」古文化財編集委員会編『考古 学・美術史の自然科学的研究』628〜644同朋社

一451一

(10)

心 口

N

(11)

岡山市鹿田地区出土・弥生時代の乳歯

麓 岡幽市鹿圏地区出土・弥生時代の乳歯

       岡山大学歯学部教授 小田嶋 梧 郎       繕 言

 岡山市鹿田町二丁目,岡山大学医学部附属病院外来診療棟改築予定地BD−30区の発掘調査 に際し,昭和59年(1984)4.月24日,遺構から弥生時代後期中頃と推定された壼棺一2が出土した。

 その壼棺内埋土4層(図395),すなわち暗黒〜灰色硬質粘土層に包含されていた多数の歯冠 片らしきものを見たので,丁寧に水洗を施した結果,乳歯歯冠の検出に成功した。

      エ   弥生時代後期の壼棺(土器棺)出土例は,沖積層遺跡の倉敷市上東遺跡で2例(近藤義郎

1951,間壁葭子 1958)があり,数基の土器棺が丘陵遺跡から出土した例は赤磐郡山陽町山陽 団地の四辻土墳墓遺跡(神原英朗 1973),津山市下道山遺跡(栗野克巳 1977)などの報告 がある。最近の壼棺出土例として,『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告39』,「旭川放水路(百間 川)改修工事に伴う発掘調査1,百間川原尾島遺跡1」(岡山県文化財保護協会 1980)で3 基が出土し,いずれも壼形土器内部の土を丹念に調査したが,灰色粘土内からの骨や副葬品ら        く   

しき遺物は発見されなかったと報告している。

 今回出土した鹿田遺跡からの壼棺一2の形態は,頸部から上を打ち欠いた壼形土器(長頸)を 身とし,完形の鉢形土器をふせて蓋としたものである。図395に示した壼棺一2の遺構平・断面 図は,身である壼形土器から打ち欠かれて切り離された部分,すなわち頸部から口縁部にかけ ての部分が壼形土器の底部付近に据え置かれていた。

 完形した土器棺を計測すると,高径(上下径)45.4cm,口縁部の外[コ径23.6cm,内口径 22。Ocmで,口縁部から頸部にかけて切り離された壼形土器(身)の最大囲径126cm,最大幅 39.Ocm,その口部14.0×17.5cmであった。

 身である壼形土器の口部の大きさからして,生後問もない乳児遺体を直接納め,手厚く葬ら れたと推察でき,しかも1個体の乳歯のうち半数の歯冠が鑑別できたことは,これまでにその 例の無いことから,口腔解剖学はもとより,考古学上に貴重な研究資料となるであろう。

 古代の墓制である遺体埋葬施設としての壼棺に関する考古学的研究は,私の専門から外れる ので,言及を差し控えるが,壼に遺体を納めて埋葬するという風習が弥生文化の及ぶほぼ全域 に広がり,頸部から口縁部にかけての部分を身である壼形土器から打ち欠き,その壼の口から 遺体を納める場合,小児ではいったんほかの場所で遺体を腐敗させたのち,二次的に容れた蔵        く ヨ 

骨器のような改葬墓の一種と考えられている。蔵骨器は火葬の風習が広まるとともに作られ       く め

始め,特に岡山県下の陶棺は古墳時代であって,それ以前の後期弥生式土器,すなわち遺体 埋葬用に壼を利用した風習は興味深いものがある。

一453一

(12)

自然科学的研究

 弥生時代の後期,西暦2世紀から3世紀にかけての時代,この岡山県全地域独特の土器文化

  く ら 

が存在し,そのうちの壼棺内部から出産後間もなく死亡したと推定される乳歯を検出できた ことは必然的かもしれないが,物的証拠としての過去の人類の乳歯を入手できたという詳細な

      く  リユユ 

報告例は文献渉猟しても見当たらないので,古代人の乳歯の鑑別記録は今回をもって嗜矢とな るであろう。

      資料ならびに砺究方法

       く   

 岡山市鹿田町二丁目,岡山大学医学部附属病院敷地内は周知の鹿田遺跡で,同大学附属病 院外来診療棟改築に際し,岡山大学埋蔵文化財調査室(室長・近藤義郎教授)が昭和58年

(1983)7月末から発掘調査を開始した。翌年(1984)4月24日,鹿田地区BD−30区の遺構から,

弥生時代後期中頃と推定された壼棺一2が出土した。

 壼棺一2の保存状態は良好で,棺内埋土が4層に区別され(図395),その第1層は開口部か らの流入粘土の暗灰色軟質粘土層である。第2層は炭化物および微細砂混入の暗茶褐色微砂粘 土層で,部分的に暗灰色粘土が見られ,第1層と第2層とは蓋部陥没による土砂の流入した層 である。第3層は棺埋置初期の棺内堆積物で,極めて硬く締まった暗灰色硬質粘土層である。

第4層は炭化物片を包含し,硬く締まった暗黒〜灰色硬質粘土層で,この層の底面から厚さお よそ1cm前後ほど削り取って観察すると,歯片らし

き遺物を多数見出したので(図395A印),直ちに細      S欝1/20 い竹製楊枝を用いて丹念に水洗した結果,明らかに

乳歯の歯冠片であることが分かった。

 そこで,エナメル質の歯冠表面を補強する目的で,

パラロイド15%溶液にて処理したのち,各歯冠片を 検索資料とした。

 各乳歯形態からの年齢推定は,身である壼形土器 の口部の大きさ,並びに最近の法歯学実際面で十分

        ヨ 

証明可能である。すなわち,その決定的主要因子        く め

は,Schour and Massler(1940)による乳歯発生の 時間的経過と萌出の順序,および歯の正常な発育経 過に関する図,青木(198醐の歯牙発育機転のレ ントゲン線解剖学的研究,特に乳歯の石灰化の時期 における表などによって,今回の検出乳歯が生後間 もなく死亡した乳児のものであることが類推される ので,検索資料の歯種鑑別は低倍率実体顕鏡下で観

署・2鍮診

3.⑭鵬一竃.騒rn

 慧羅。⑪曝。糧鱒鴫

図395 壺棺一2の遺構平・断面図

 (盒印は乳歯の出土位置を示す)

一454一

(13)

岡山市鹿田地区出土・弥生時代の乳歯

察し,欠損箇所の多い乳歯・歯冠を,それぞれの部分的特徴から判断する方法をとった。

       所 見

 1。左・上顎乳中切歯LL

 歯冠幅5mmの歯冠唇面から見て,その近心半部の欠損箇所があるものの,切縁と遠心縁との なす角,すなわち遠心切縁隅角は約100°で,著しく丸味をおびた角を示す。この隅角徴が極め て著明であることから,左上顎乳中切歯を鑑別した(図396)。

 また,左上顎乳中切歯の決め手になる遠心切縁隅角の隅角徴のほか,歯冠・唇面の外形にお いて,その欠損部を復元すれば,歯冠長と歯冠幅がほぼ等しい丸味をおびた方形をなすことが 分かる。そして,遠心縁が外方へ強く凸轡し,その轡曲頂は遠心縁のほぼ中央に位置する発育 期の特徴を具えている。なお,切縁側から見たとき,近心半部欠損のため,遠心半部の遠心縁 に向う傾斜を比較することはできないが,遠心半部の唇面は平滑で膨らんでいて,唇面隆線お よび唇面溝は認められない。また,歯頸側に沿う横走隆線もない。

 歯頸縁あるいは歯頸側は鋸歯状縁をなし,未完成の歯冠の発育経過を示すところからも,生 後間もない乳中切歯であることが類推できる。更に,歯冠が完成して,歯根の形成が開始され

ると,歯は顎骨の組織内で移動を始めることなどからも,乳歯の年齢推定は裏付けられる。

 2.右・左上顎乳側切歯至」,旦

 歯冠の歯i頸側付近は未完成で鋸歯状縁をなし,歯冠長(5,6mm)が歯冠幅(5.2mm)よりやや 大きい(図396)。

 歯冠唇面の外形は,著明に丸味をおびた台形をなし,保存状態の良好な歯冠部である。

 切縁の近心半部はほぼ直線をなすが,遠心半部は上方へ向って傾斜し,その全体観は逆

『へ』の字形,すなわち逆屋根形である。

 未完成の鋸歯状歯頸側縁は,軽度に歯根方向に凸愛している。

 近心縁はほぼ直線を画き,遠心縁は外側方に強く凸轡する。

 切縁と近心縁のなす近心切縁隅角が約80°であるのに反して,切縁と遠心縁のなす遠心切縁 隅角は角を示さず,著明な丸味を帯びる隅角徴のあることから,検索資料が右上顎乳側切歯で あることを先ず鑑別した。なお,唇面全体が平滑で,しかも膨らみをもち,その膨らみの頂点 が左右径の中央からやや近心よりにあることなどの特徴も鑑別の参考とした。

 上顎乳側切歯は上顎乳中切歯に比べて,細長く全形も小さいが,検索資料が上顎乳側切歯で あるという決め手は隅角徴であり,また左右の鑑別も,乳中切歯より隅角徴が一層著明に現わ れているので容易であった。しかも,この検索は,1個体の乳歯群であることがほぼ確実と なった矢先であったため,鑑別は更に容易となった。

 3.右・左下顎乳側切歯可,「『

一455一

(14)

自然科学的研究

a

b

       。『〆         図396 乳切歯群の各歯冠唇面観(斜線部は未完成並びに欠損箇所)

      M:近心,D:遠心, a:近心切縁隅角, b:遠心切縁隅角

 下顎乳側切歯と上顎乳側切歯とを比較するとき,その両者の形態が類似し,大きさ以外では 区別し難い。

検索した下顎乳側切歯の歯冠幅は右4.8mm,左4.6mmで,上顎のものより細長く,特に右側の乳 側切歯の上下径は左右径より大きい逆台形を示している(図396)。

 左下顎乳側切歯は歯頸側付近の歯冠部分が未発育で鋸歯状縁をなし,上下径と左右径とがほ ぼ同じであるが,歯冠幅の小さい点で鑑別可能である。

 歯冠の唇面観で,切縁の近心半部がほぼ直線をなし,遠心半部は下方へ向って斜めに傾く。

そこで,切縁とほぼ直線をなす近心縁とでできる近心切縁隅角は,切縁の遠心への傾斜が強い

一456一

(15)

岡山市鹿田地区出土・弥生時代の乳歯

ために約85°前後の鋭角を示すが,切縁と遠心縁のなす遠心切縁隅角は著しく鈍円となるので,

その隅角徴は著明である。

 この隅角徴は,上顎乳側切歯の場合とほぼ類似しているが,下顎乳側切歯のほうが一層著し

い○

 歯冠の唇面は平滑で,かつ膨らみがあり,その頂点は左右径の中央より近心にあるので,切 縁から見ると,面全体の傾斜は近心半部が遠心半部より強い。

 なお資料から,下顎乳中切歯の検出はできなかったが,下顎乳側切歯との鑑別は容易である。

すなわち,大きさは下顎乳側切歯のほうが下顎乳中切歯より大きく,下顎乳中切歯に隅角徴は 見られないばかりでなく,その歯冠唇面の膨らみの頂はほぼ中央に位置するからである。

 4 乳犬歯

 上・下顎並びに側別で,乳犬歯らしい歯冠片を探したが,決め手になるほどの大きな歯片が 見付からなかった。その理由は,生後間もない乳犬歯は発育が遅く,石灰化開始時期が胎生

5ヵ月,歯冠の完成がおよそ生後9ヵ月目であるがためである。

 5 右・左上顎第一乳臼歯』,辿

 欠損箇所の多い歯冠咬合面から上顎第一乳臼歯を鑑別できたのは,咬頭並びに結節の位置的 関係から推考し得た結果である。

 検索した左上顎第一乳臼歯の歯冠幅は7.6mmで,咬合面の頬側半部が完形を保ち,最も長い 頬側縁がほぼ直線を画きながら近心%を頂として前方に凸轡し,遠心縁もほぼ直線を画き,発 育良好な大きい頬側咬頭とその咬頭頂が近・遠心径のほぼ中央に位置している。

 また,近心頬側隅角が約80°の鋭角をなし,遠心頬側隅角が約100°の鈍角をなす隅角徴,お よび咬合面の頬側縁に近心頬側結節と遠心頬側結節とを認めた(図397)。

 近心頬側結節は近心頬側隅角にある小結節で,近心頬側溝によって頬側咬頭と境され,遠心 頬側結節は遠心頬側隅角にある小結節で,前者よりも大きいことなどから,左上顎第一乳臼歯

を鑑別した。

 なお,部分的ではあるが,遠心辺縁稜は幅細く低いことと,近心辺縁稜が幅広く高いことも 左右側の鑑別の根擦となった。右上顎第一乳臼歯の検索は,左上顎第一乳臼歯の鑑別をまって から,決め手となる形態学的特徴で判別したが,欠損あるいは未発育の歯冠咬合面の頬側半部

という極く限られた解剖学的咬合面観からの鑑別である。

 6.右・左下顎第一乳臼歯下],『

 下顎第一乳臼歯の形態学的特徴である咬合面の外形のうち,解剖学的咬合縁で近心縁の傾斜 が強いことに注目し,先ず左下顎第一乳臼歯の鑑別の決め手とした(図397)。

 また,近心頬側咬頭と近心舌側咬頭との位置および大きさ,並びに高さなどが主要な鑑別点

一457一

(16)

自然科学的研究

mm,

         図397 鑑別できた乳臼歯群の咬合面観(斜線部は欠損箇所)

       M:近心,D:遠心, c:近心頬側隅角, d:遠心頬側隅角        B:頬側咬頭,e:近心頬側結節, f:遠心頬側結節        R:近心頬側咬頭,S:近心舌側咬頭, T:遠心舌側咬頭

となった。すなわち,下顎第一乳臼歯の咬合面の外形は長方形で,近・遠心径が長く,頬・舌 径が短い。解剖学的咬合縁において,頬側縁が最も長くほぼ直線をなし,舌側縁,近心縁,遠 心縁もほぼ直線を画くが,このうち近心縁の傾斜が強い特徴と,近心縁に沿う近心辺縁稜の高 いことが先ず鑑別の根援となる。

 近心頬側隅角部が強く突き出るので,頬側縁と近心縁とのなす近心頬側隅角は鋭角となり,

舌側縁と近心縁とのなす近心舌側隅角は角を示さず,丸味を帯びて鈍円となる著明な特徴を 左・下顎第一乳臼歯は示している。

一458一

(17)

岡山市鹿田地区出土・弥生時代の乳歯

 次に,咬合縁に沿って近心の大きな咬頭が明瞭で,頬側半部の約%を占める近心頬側咬頭と,

舌側半部の約%を占める近心舌側咬頭とがほぼ同高をなし,突起のように見え,中央溝が頬側 に向って凸轡することなどから,観察資料を左・下顎第一乳臼歯と鑑別した(図397)。このこ とによって,右側の判別は容易であった。すなわち,舌側半部の約%を占める遠心舌側咬頭の 存在と,大きく高く突出する近心舌側咬頭との位置的関係によって,しかも咬合面の近心と遠 心との欠損箇所があっても,近心縁の傾斜が強いことが予想され,この乳歯片が右・下顎第一 乳臼歯であることの鑑別は容易であった。

 7.左・下顎第二乳臼歯「▽

 欠損部分の広い歯片から,検索資料が左・下顎第二乳臼歯であると鑑別した理由は,歯冠幅 が大きく,固有咬合面の形態予想で近・遠心に長い矩形を示し,舌側に突き出た2個の咬頭の 位置的関係などからである(図397)。

 下顎第二乳臼歯の咬合面は,下顎第一大臼歯の基本型と酷似していることから,先ず遠心咬 頭の欠損部に注意し,2個の咬頭が頬側のものか舌側のものかを判別した。すなわち,仮りに 遠心咬頭が存在し,他の4咬頭は咬合面を十字形に4等分する配列で各隅角部を占めるとすれ

ば,遠心咬頭は遠心頬側咬頭と遠心舌側咬頭との間で頬側よりに位置する。

 そこで,この資料を見ると,近心舌側咬頭と遠心舌側咬頭とがほぼ同大で舌側に並び,両咬 頭の頂がほぼ同高で,前者からの近心舌側三角稜と後者からの遠心舌側三角稜とは共に発育良 好であるなどの特徴を具えている。

 以上の観点から,左・下顎第二乳臼歯であることを鑑別した。

       考 察

 紀元前後の約500年余に亘る我々の祖先が使用した弥生式土器のうち,日用器の壼を転用し て,永い眠りにつく吾が子を埋葬するための壼棺内部から,生後間もなく死亡したと類推する 1個体のみの乳歯群を検出できたことは奇遇であった。しかも,複数の遺骸埋葬を否定する証 拠となり,考古学史上に貴重な資料となった。

 文化財保護法の第57条では,土地を発掘して埋蔵物であると認められた文化財を埋蔵文化財        く   

と呼んでいるが,岡山市鹿田町二丁目,鹿田遺跡内における岡山大学医学部附属病院外来棟 改築予定地の発掘調査は,昭和58年(1983)7月末からおよそ1年間をかけて行われた。

      く   

 昭和59年(1984)4月24日,同地区BD−30区の遺構から,弥生時代後期中頃と推定された 壼棺一2が保存状態の良いまま出土した。壼棺が出土したからには,必ず乳歯エナメル質が存 在すると確信した。しかしながら,果して1個体のものであるかどうか不詳であった。

 壼棺内埋土第4層を約lcm前後削り取り,丁寧に水洗を施した結果,多数の歯片の検出に成 功した。

一459一

(18)

自然科学的研究

      図399歯の形態学実習用モデルの咬合面と 図398 歯の形態学実習用モデルと対比した乳切歯群       対比した乳臼歯群

 私は岡山大学施設設定委員会・埋蔵文化財保護対策検討専門委員会の委員である関係上,岡 山大学埋蔵文化財調査室(室長・近藤義郎教授)の援助を受け,出土した壼棺内部から検出でき た乳歯の鑑別に専念した。

 乳歯の研究が難しいのは,完全な形態を具えた標本が得にくいばかりでなく,まして古代に         く の

遡っての乳歯の研究に至っては文献渉猟しても無いことから,乳歯の鑑別で先ず1個体のもの であるかどうかを実体顕微鏡下で観察した。次いで,欠損箇所の多い乳歯の歯冠片が,いずれ の顎のどの歯であるかの鑑別を行った。この鑑別法に際して,乳歯の形態学に関する成書並び

   く    カ

に参考書はもとより,1個の歯にその歯種のすべての形態学的特徴が現れているとは限らなく とも,参考モデルに歯の形態学実習用模型(NATURAL DENTAL STUDY MODEL No. B4−

309,NISSIN DENTAL PRODUCT INC.)を選んで観察した(図398・399)。

 土中において長期の保存に耐え得た弥生時代人の乳歯を掘り出し,丹念に検索するとき,各 乳歯の歯冠部のみで乳切歯,乳犬歯,乳臼歯のいずれかを決定する歯種の鑑別,これらが上顎 のものか下顎のものかを決定する上下の鑑別,乳切歯群と乳臼歯群での順位の鑑別,右側のも のか左側のものかを決める顎側の鑑別などの鑑別法によって,以下に挙げる10本の乳歯が鑑別

できた。

1.左・上顎乳中切歯 2.右・上顎乳側切歯 3.左・上顎乳側切歯 4.右・下顎乳側切歯 5.左・下顎乳側切歯

LL

』」

6.右・上顎第一乳臼歯』

一460一

(19)

岡山市鹿田地区出土・弥生時代の乳歯

 7.左・上顎第一乳臼歯巴

 8.右・下顎第一乳臼歯一司  9.左・下顎第一乳臼歯「「

 10.左・下顎第二乳臼歯「マー

 各顎各側5本ずつ,総計20本の乳歯のうち,その半数を鑑別できたわけである。このことに よって,壼棺内には1個体の遺体のみで,複数の遺骸埋葬を否定する証拠となった。

 また,頸部から上を打ち欠いた壼形土器の口部から,生後間もなく死亡したと思われる乳児 遺体を頭方から納めたのち,完形の鉢形土器をふせて蓋し,穴を縦から横に掘り,棺をやや斜 めに安置して埋葬したと考えられる。

 壺に遺体を埋める風習は,弥生文化の及ぶほぼ全域に広がっていて,これに使用される壼は        く ヨ 

口部を打ち欠いて鉢で蓋をし,遺骸のほとんどが小児か未成年のものと考えられていた。そ れは打ち欠いてあっても,壼の口からは遺体を直接納め得ないという理由で,ほかの場所で遺 体を腐敗させたのち,二次的に挿入したとしている。たしかに,小児や未成年の遺体であれば 壼の口からは納め得ない大きさである。今回の出土例の場合は,二次的に容れたものではなく,

死後直接に壼内へ納めて埋葬したと考えるのが妥当であろう。その理由は,生後間もない乳児 の遺体を,ほかの場所で腐敗させたものならば,壼の口縁部(内径22.Ocm)から十分に納めら れ,わざわざ頸部から上を打ち欠く必要は無いからである。

      結 語

 岡山市鹿田町二丁目,岡山大学医学部附属病院外来診療棟改築予定地BD−30区の発掘調査 に際し,昭和59年(1984)4月24日,弥生時代後期中頃と推定された壼棺一2が出土した。

 その棺内埋土第4層,すなわち暗黒〜灰色硬質粘土内を丹念に調べた結果,多数の歯冠片を 検出した。

 エナメル質の補強を目的として,パラロイド15%溶液で処理したのち検索資料とし,各歯片 を実体顕微鏡下で観察した結果,その形態学的特徴から,左・上顎乳中切歯,右・左・上顎乳 側切歯,右・左・下顎乳側切歯,右・左・上顎第一乳臼歯,右・左・下顎第一乳臼歯,左・下 顎第二乳臼歯など,10個の乳歯が鑑別できた。

 これらの乳歯は1個体のものであって,歯根形成のない乳歯発生の時間的経過から,生後間 もなく死亡した乳児の歯冠であると類推した。

 なお,頸部から口縁部にかけての部分を,身である壼形土器から打ち欠き,その壼の口から 乳児の遺体を直接納め,完形の鉢を蓋して丁重に埋葬したものと推察する。

稿を終るに当たり,本研究に直接,御援助並びに御助言をいただいた岡山大学埋蔵文化財調

一461一

(20)

自然科学的研究

査室長・近藤義郎教授,同調査室・吉留秀敏助手に深甚の謝意を表します。また,御協力をい ただいた埋蔵文化財調査室員並びに関係各位に対し心から御礼申し上げます。

1)近藤義郎:備中国都窪郡庄村出土の弥生式壼形甕棺.古代学,1,134−136,1952.

2)岡山県教育委員会1岡山県埋蔵文化財発掘調査報告39,旭川放水路(百間川)改修工事に伴う発掘調査1.

  岡山県文化財保護協会,123−128,1980.

3)甲元真之,山崎純男:弥生時代の知識.1版,東京美術,東京,137−155,1984.

4)間壁葭子:岡山の歴史と文化一岡山の陶棺一.福武書店,岡山,41−72,1983.

5)鎌木義昌:古代吉備国論争(下);シンポジウム・考古学からみた吉備一前吉備について一.山陽新聞社,

  岡山,188−205,1979.

6)小野忠煕:乳臼歯を出土した弥生式甕棺.私たちの考古学,6,17−18,1955.

7)潮見浩1山陽地方における弥生時代の墓制一広島県発見の3例を中心として一.古代学,霧,190−198,

  1959。

8)水内昌康:備中矢坂山出土の2個の銅鎌i.古代吉備,2,73−75,1958。

9)小野一臣1備中清音村三因の合口土器.古代吉備,2,76−78,1958.

10)岡山県教育委員会:岡山県埋蔵文化財報告3,浅口郡鴨方町本庄出土の壼棺,46−50,1973.

11)岡山県教育委員会:岡山県埋蔵文化財発掘調査報告52,百間川当麻遺跡2,旭川放水路(百間川)改修工事   に伴う発掘調査W,24−32,1982.

12)岡山市教育委員会1岡山市埋蔵文化財分布地図.岡山市埋蔵文化財分布図No.23,同地図・地名表編.

  23−30区,15,1983、

13)鈴木和男:法歯学.3刷,永末書店,京都,86−112,1982。

14)Berkovitz, B.K, Holland, G.R. and Moxham, BJ.:.4εo/oμγαrlαsα%∂/εがboo〃(ゾo励αηαr(脇兄Development of the   dentitions. Wolfe Medical Publications Ltd., Holland,173ゴ80,1978.

15)青木貞亮:歯牙発育機転のレントゲン線解剖学的研究23,521−597,625−684,709−759,1930.

16)DuBrul, EL:Sτ6舵γ念o鋤醐αr()働夕.7th, ed. The C. V. Mosby Company, London,266−273,1980.

17)Sicher, H. and Bhaskar, S. N.:0γわα%ξo伽ん斑oZo9夕α閲醐b砂olo9夕.7th, ed. The C. V. Mosby Company, St.

  Louis,298−329,1972.

18)古田美子:口腔解剖学提要一歯の編一.1版,金原出版KK,東京,163−261,1978.

19)藤田恒太郎:歯の解剖学。21版10刷,金原出版KK,東京,109−124,1982.

20)白数美輝雄,中村正雄,古橋九平:歯の形態学.2版2刷,医歯薬出版KK,東京,215−247,1981.

21)小田嶋梧郎1口腔解剖学・図説・歯型彫刻術式.1版,メヂカルフレンド社,東京,63−79,1982.

22)Osbom, J.W.:Acompanion to dental studies. Vol.1βook 2, D吻α1αηα夢㈱夕αη在励り戊olo8夕.1st. ed. Billing and   Sons Ltd., London,145−148,319−326,1981.

 本論文は,1985年4月14日発行,岡山歯学会雑誌第4巻,第1号,47−55に掲載されたものの転載である。

一462一

(21)

鹿田遺跡出土ガラス澤

3 鹿圏遺跡出土ガラス津

       一分析結果に関するコメントー

      東京国立文化財研究所三浦定俊       株式会社ニコン苅谷道郎

1.はじめに

 岡山県鹿田遺跡(岡山市鹿田2−5−1 岡山大学医学部外来診療棟改築予定地)より出土 したガラス津資料を分析した結果について,簡単に考察する。

 本遺跡は岡山大学埋蔵文化財調査室によって発掘調査がおこなわれ,いくつかの遺構でガラ ス澤が出土したが,それらの遺構の内,次の4遺構からの資料について分析を行った。分析は 藁科信行氏(ニコン相模原製作所)に依頼した。

  ①井戸1    弥生時代中期後半   附図3・図16   ②土墳318   弥生時代中期後半   〃3・図36   ③土墳202   弥生時代後期末    ク5・図174   ④一号炉    古墳時代初頭     〃6・図227  分析結果の報告は表25を参照。

2.資料の外観

 いずれの資料も灰色をして空隙が多い。子細に見ると,暗緑色不透明で滑らかな部分や,未 溶融部も見られる。また,おそらく柔かい内に引っ張って筋のようになったと考えられる部分 などもみえ,以前,百間川遺跡で発見された「ガラス津」と同類の資料である。

3.分析結果について

 資料が不均質であることを考慮すれば,場所・時代の異なる4つの遺構から出土したガラス 淳は,土墳318の資料にFe203が多く, MgO,

CaOが少ない傾向が見られるものの,ほと 表24鹿田遺跡と百間川遺跡で出±したガラス       澤に含まれる主成分の比較

んど類似した組成と考えてよい。これらのガ ラスは,SiO2−A1203−Na20−K20−MgO−CaO

−Fe203を主成分とするガラスで,いわゆる ソーダ石灰ガラスとくらべ,MgO/CaOの比 が高いことが特徴である。

      (単位は%,±の後は標準偏差)

 先に分析した百間川出土のガラス津と今回

鹿田遺跡 百間川遺跡

S輌02 60.7±1.8 62.6±L8

Na20 9.4±O.4 11.5±1.2

K20

2.0±0.6 L3±0.3

MgO

5.7±1.3 4.9±1.1

CaO

3.6±LO 2.6±0.5

A▲203 9.7±1.7 9.5±2.0

Fe203 5.1±1.9 4.2±LO

一463一

(22)

自然科学的研究

のガラス淳を比較してみると,表24のようになる。

 双方を比較すると,各成分とも類似しているので,鹿田遺跡出土のガラス津も百間川遺跡出 土のガラス津同様,土(花闇岩風化土)と砂(SiO2とFe203を含む)と植物灰(Na20−MgO

を多量に含む)を出発物質としている可能性が強い。

鹿田遺跡臨土のガラス澤分析結果

         株式会社ニコン相模原製作所硝子製造部技術課藁科信行

1 試料:分析試料を右表に示す。

2 前処理      表25鹿田遺跡出土のガラス澤成分分析表   分析用試料として,ガラス津を超音波洗浄

器で洗浄し,付着物を取り除いた。尚,この 際,ガラス棒にて試料を突き,砕けたものも

除いた。

3 分析方法  1)分解・定量法   ① SiO2以外の成分

    試料をHFとHCIO4で加熱分解。 HCl    で溶解し,、この溶液にて,1.C. P発光分

   光装置(セイコー電子製SPS1,200)で    定量。

  ②Sio2

    試料をNa2CO3で融解。凝集重量法・A。gite輝石, A。。,thiteアノーサイト,

      α一Quartzα一石英    1.C, P発光分光法で定量。       C,i,t。b、lit,クリストパライト,

      Metasilicateメタ珪酸  2)X線回折      注

       試料は不完全なガラスであり,ガラスと結晶が混在し    理学電機製 RAB一豆で測定。    ている。そのまま組成分析し・さらに結晶分のみ鉱物        組成の同定をX線回折にて行った。

4 分析結果1表25に示す。

 出土遺構名

ャ分 ①井戸1 ④1号炉 ③土椥02 ②土榔18 Sio2 59.79 58.08 62.57 62.28

Na20 9.98 9.12 9.29 9.05 K20 L21 1.69 2.87 2.22 MgO 7.02 6.23 5.86 3.53 CaO 4.79 3.50 4.07 2.03 SrO 0.05 0.04 0.04 0.02 A1203 7.84 12.40 8.67 10.02 Fe203 5.46 3.94 2.95 7.96

Tio2 0.64 0.51 0.37

 已O.43

ZrO2 0.11 0.02 0.04 0.02

MnO 0.19 0.47 0.47 025

CrO3 0.05 0.05 0.05 0.05 CuO 0.01 0.Ol 0.01 0.Ol

Ig」OSS

P000°CIH 2.10 2.42 1.83 1.58

Total% 9924% 98.48% 99.09% 99.45%

Ca(Fe, Mg) aAl2Si208 CaMgSi206 SiO2

X線回折 Si206 Augtse

@ Sio2

Anorthite Metasilicate

@Sio2

α一Quartz

Cristobalite Cristobalite

一464一

(23)

せ 工

(24)
(25)

1地点遺構一覧表

互地点遺構一覧表

〈1>

〈2>

〈3>

〈4>

〈5>

():復原値または復原形

〔〕:残存値

◎:遺物または包含物量が著しく多い

○:遺物または包含物量が多い

△1遺物または包含物量が少ない

×:遺物または包含物量が著しく少ない

遺構・遺物番号は、本報告書で前述した遺構・遺物番号とすべて対応する。

時期は以下のように表記した。

弥生時代;鹿田・中・3〜後・4期,弥生時代〜古墳時代初頭;鹿田・中・3〜古・1期 弥生時代後期;鹿田・後・1〜4期,弥生時代後期後半;鹿田・後・3〜4期 図番号は関連する図番号のすべてを記した。

掲載頁は初頁の番号のみを記した。

また,本報告書の本文中で取り上げた遺構以外の遺構については,遺構全体図(附図)の図番号を記した。

〈1>

〈2>

      表鱒 亙地点竪穴住居一覧表

(1):一次住居,(2):二次住居,(3):三次住居を示す。

遺物は,当住居に伴う遺物のみをあげ,混入したと思われるものは除外した。

規模(cm)

遺       物 備 考 時  期 図番号

田号 地 区 平面形

長軸 短軸

面積(㎡)

毒高 奥高

1 BC30 (1)楕円 (660) (600) (29.05) 5 1 高杯(14) 鹿田・中・3期 9〜12 22

(2)円 660 600 29.05 5 1 壼・甕・高杯・台付壼・把手(1・4・5・7・8・13

̀15・17・19〜21・24・25)、石匙・砥石(S1・2)

埋土中 鹿田・中・3期

壼・甕・高杯・鉢・台付壼 i3 。7 ・6 ・9〜12・18・22。23)

P4出土

2 AY 31・32 (1)(円) 貼り床あり 鹿旺中・3期 13〜15 26

(2)(円) (650)

壼・甕・高杯・鉢・製塩土器・器台(]・5〜10)

ホ鐵・石錘・スクレーパー(S3〜5)

埋土上層に

ト土塊炭 サ材

鹿田・中・3期

3 BD 31・32 (1)

i不整隅丸方

360 330 (10.38) 4 甕(9) 鹿田・中・3期 41・42 52

(2)円 460 〔395〕 (15.49) 4

(3)円 510 〔410〕 (20.56) (5) 甕・高杯・製塩土器・手捏ね土器 i2〜8・10〜14)

鹿田・

縺E2a期

壼(1) P1出土

4 BC31・32,

@BD31 不整隅 ロ方

600 440 24・67 5〜6 壼・甕・高杯・鉢・台付鉢・製塩土器(1〜18) 鹿田・後2期 43・44 54

5 AY〜BA R0〜32

ω隅丸方 546 512 24.19 4 1 炭化物集中 鹿田・

縺E2期以前 45〜50 56

(2辰楕円 800 700 (33.46) 4 1 砥石(S10) P7出土

Y化物集中

(3)円 〔850〕

6 1 壷・甕・高杯・鉢・台付鉢・製塩土器(1・2・4〜

P2・17〜26・33〜36・38〜40)

S板岩剥片接合資料(S15)

鹿田・

縺E2a期

一465一

参照

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