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清岡卓行「手の変幻」について

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Academic year: 2021

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示即山

清岡卓行﹁手の変幻﹂について

現在五十五才で詩、小説、評論、 創作力を発揮している清岡卓行 c 彼が昭和四十一年に出した評論集﹁手の変幻﹂について 考えましたことを述べてみたいと思います。 ﹁手の変幻﹂は、その﹁あとがき﹂にもありますよう K 苛人間のあるときの手の表情が、その人間全体とどのよう に関わるかという問いを密かに持ち続けて、奇妙左強迫観 念に漕かれたように L 手の表情に関する思いを、美術、文 学、音楽、映画、写真左ど広い領域にわたって述べたもの です。最後に目次をあげていますが、ご覧になるように非 常に広範囲にわたっています G そのどれもが興味深いもの ですが、ここでは、その冒頭にあります司失われた両腕! と 、 口 の ビ ー ナ ス L を取りあげてみたいと思います。 たくさんの項目の中から、この一文を取りあげましたの は、この﹃ u 失われた両腕 L が、あとに続く多彩な﹁手の変 幻﹂のバリエーション K 比べて一つの特異左位置を占めて いると考えられるからです。 それば一つには、他の文章の素材が、写真であれ、彫刻 エッセイ左どに旺盛な

二十一回生

であれ、絵画であれ、映像であれ、そのいずれもが、対象 となる﹁手のかたち﹂がそこにあるのに対して可失われた 両 腕 L だけは、﹁手の不在﹂

κ

向けての連想であるからで す。また一つには、他の文章中の﹁手﹂が一つのイメージ としてとらえられているのに対して司失われた両腕 L だけ ば、イメージの限定を逃れているからです。例えば、目次 の五番目の文章は、東京オリンピックの女子体操の花と言 われたペラ H チャスラフスカの手と、同じく東京オリンピ ックで活躍し、東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボー ルチlムの選手の手について書かれたものですが、この中 で、清岡は、前者の手は﹁勝利の差恥﹂を、後者の手は ﹁青春のはかなさ﹂を究極的に表現しているのではないか と手の表現するイメージを限定しているの陀対して、可失 われた両腕 L では、本文中のことばを引用してみますと、 司令、ロのビーナスの失われた両腕は、ふしぎなアイロニー を呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆 K 可能 念あらゆる手への夢を奏でるのである

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ということはでも わかりますように﹁手の不在﹂

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﹁可能﹂なあらゆる手への 1

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-夢と広がりをもって表現されています。 以上のことを考えてみましでも、この町 u 失われた両腕 n﹄ の一文は、他の部分

κ

対して単に特異左位︶置を占めてい ると言うだけで左く、清聞が、かくも執槻に追い続けた ﹁手の存在﹂の意味を解き明かす重要な一文と考えられま す 。 したがって、ここではまず、﹃。失われた両腕

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の本文を 通して、﹁ビーナスの失われた手﹂が、何を意味している かというととから考えてゆきたいと思います。 まず、本文中からビーナスの失われた手 K 関する部分を 引用してみましょう。 ①彼女が、こん左にも魅惑的であるためには、両腕を失っ てい左ければなら左かったとぼくは、ふとふしぎな思いに とらわれたことがある。 ②彼女は、その両腕を故郷であるギリシアの海か陸のどこ か、いわば生ぐさい秘密の場所にうまく忘れてきたのであ っ た 。 ③彼女は、その両腕を自分の美しさのために無意識的に隠 してきたのであった。 よりよく国境を渡って行くために、そしてまたよりよく 時代を超えて行くために。このことは、ぼくに特殊から普 遍への巧まざる跳躍であるようにも思われるし、また部分 的左具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉迫である ようにも思われる。 ④大理石でできた二本の美しい腕が失われたかわりに存在 れ た と し た ら 、 ぼくは一種の怒りをもって、 その真の原形 すべき無数の美しい腕への暗示という、ふしぎに心象的念 表現が、思いがけなくもたらされたのである。

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何とい う微妙な全体性への羽樽きであることだろうか。 ⑤おびただしい夢を字んでいる無 ⑥両腕が、損われずにきちんとついていたとしたら、そこ

κ

は、生命の変幻自在な輝き左どたぶんありえ念かったの で あ る 。 ⑦美術品であるという運命をに左ったと、ロのビーナスの失 われた両腕は、ふしぎなアイロニーを呈示するのだ。ほか ならぬその欠落によって逆に可能念あらゆる手への夢を a 奏 でるのである。 つまり、ミロのビーナスは、その両腕とひきかえに﹁原一 形とは比較にならない程の魅惑﹂を、また﹁特殊から普遍 への飛躍﹂を、またそれ以上に﹁豊暁左夢﹂を手に入れま一 す。ミロのビーナスは両腕を失うことによって、特殊左時 代、国境を超越して真の美術品︵芸術品︶としての価値を もつことができたと清岡は一言います。しかも清岡は、この ビーナスの﹁おびただしい夢を字んでいる無﹂の状態に愛 と呼んでもいい程の感動を覚え、すべてのミロのビーナス の失われた両腕の復元案︵たとえ、どん左に素晴らしいも のであろうとも、限定されてあるととろの左んらかの有︶ を拒否します。本文中から引用しますと、﹁選ばれたどん 左イメージも、すでに述べたように失われていること以上 の美しさを生みだすととができ左いのである。若し、真の 原形が発見され、そのことが疑いようもなくぼくに納得さ れ ま す 。

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れたとしたら、ぼくは一種の怒りをもって、その真の原形 を否認したいと思うだろう。まさに、芸術というものの名 において。﹂と断言します。これらのことばには、清岡の 単なる美術品の運命

κ

対する興味、またはミロのビーナス に対する愛着以上のものがあるよう K 私

κ

は感じられるの で す 。 もう一度、引用の②を見ていただきたいと思います。 ﹃ u そのとき彼女は、その両腕を故郷であるギリシアの海か 陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきた のであった L という部分です。自らの両腕を故郷のどこか にたむけることによって﹁生臭い秘密の場所﹂との訣別を 果たしたミロのビーナスは、その﹁美しき﹂を﹁特殊から 普遍への巧まざる跳躍﹂によって、﹁部分的左具象の放棄 による、ある全体性への偶然の肉迫﹂を克ち得た。言い換 えれば、ビーナスは両腕とともに﹁故郷﹂を葬り﹁美﹂の 普遍と全体性を選ぴ取ったのである。 つまり、ここで言う司失われた両腕 L というのは、何か をやりとげるため

κ

﹁故郷﹂を捨でなければなら左かった 者が、やむなく陀左っていく宿命の暗示 K 他念ら左いので は念いでしょうか。 清岡が、そのよう

κ

ビーナスの失われた﹁故郷﹂す左わ ち﹁生臭い秘密の場所﹂

κ

ついて語る時、そこには、やは り彼自身の捨ててこ左ければなら念かった﹁故郷﹂がオ l ハ ! 日 ア ッ プ し て い た は ず で あ り 、 、 、 、 ロ の ビ ー ナ ス の 運 命 は 、 彼自身の選ぴ取ってきた人生を暗示しているように感じら 原 形 わ か 発 見 さ れ 、 そのことが疑いようもなくぼくに納得さ れ ま す 。 彼の﹁故郷﹂というのは、かつての日本の租借地、関東 州の大連︵現在は中国に含まれているが、戦時中は、いわ ゆる満州と呼ばれた地方とともに日本の植民地となって、 大勢の日本人が移り住んでいた。清岡の両親は高知県出身 であったが、父親が満鉄の土木技師であったため、大連 K 移住し、そこで清岡は生まれた。﹀で、日本の敗戦ととも K 外国と念ってしまいます。清岡は、その大速について彼 の詩可一地球儀﹄の中で次のよう

κ

言 い ま す 。 ﹁ 大 連 、 ダ ル エ l 、タ l リェン。それは小声で言わなけ れば友らないが、かれのふるさと。いや、ふるさとと呼ぶ ことはでき左い。かれの生まれた土地、かれの育った土地 である。それが懐かしいのは当然である。﹂と語り、限り 左い愛情を抱いていますが‘しかし、それはすでに幻の都 会で、彼の現実の生活をときたまでも支えてくれる地盤で はない訳です。清岡の﹁故郷﹂はこのよう

K

して、戦争とい う日本の歴史の大き念流れの中で、拒みようも念く失われ、 捨てることを余儀なくさせられた場所、切左い思いを常陀 喚起させられる場所となるのです。しかし清岡は、自ら ﹁ふるさとは忘れることができる/﹂と叫ぶのである。先 程、引用した詩篇 7 地球儀﹄の中から引用してみます。 ﹁アルジェリア。︵フ−フンスの植民地であった︶かれは ふと連想する。そこで生まれ、そとで育ったにちがい念い、 多くのフランス人の子弟のことを。見たこともなく、いや、 今まで

κ

思い浮かべたこともない、青年たちゃ少女たちの 3

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-ことを 0 フランス映画のフィルムでも、そのよう念青春の ドラマを、目近に眺めたことはなかった。かれは、何とな く、呼びかけてみた︿なる。きみたちはフランスの本国に 帰りたまえ、率先して、親たちを説き伏せ‘あの、伝統の 固に帰りたまえ、ふるさとは、忘れることができるもの左 の だ 、 と 。 かれは、口をついて出ょうとしたその言葉に、自分で驚 く。ふるさとは忘れることができる/今度は、かれの心の 方が、その言葉を追いかけはじめていた。﹂ K 示されるように清岡は、最もいとしい現実である﹁ふ るさと﹂を放棄し︵しかも積極的 K ︶﹁生きるとは/屈す ること左く選びつづけること﹂とくり返す詩篇﹁大学の庭﹂ の中にあらわれるように、﹁美しいものにおいて自己を実 現する/そのきびしく結晶されたかたち﹂を選ば念ければ なら左いと自分自身に呼びかけます。つまり、彼の﹁ふる さと﹂リ﹁アカシヤの花咲く大連﹂の街並みは﹁どのよう

κ

大きな一輪の現実の花も/空想の花束 K はおよば左い﹂ と決意されたのである。 清岡は、生まれて育った故郷である﹁大連﹂す左わち現 実の﹁ふるさと﹂を﹁忘れる﹂ことによって、逆に﹁夢﹂ 同も似た美しい﹁ふるさと﹂への希求を絶対化することを 得るのである。さらに、それは、彼の文学精神のふるさと をも育むのである G こうして、両腕を失うことによって、より普遍的な﹁美﹂ を選びとったと、ロのビーナスと、愛惜してやま左い現実の ﹁ふるさと﹂を忘れることによって、より本質的な﹁ふる さと﹂への豊焼左﹁夢﹂を選び取った清岡は、重なり合う の で あ る 。 しかも、清聞にとって失うもの、忘れることができると 叫ばれるものは、績民地であったがゆえに敗戦とともに外 国と在った﹁ふるさと﹂だけに限らないと思われます。彼 の詩﹁思い出してはいけ念い﹂の一節、 そのとき、ふと吹き抜けて行った 競馬場の砂のように挨っぽく 見知らぬ犯罪のように生臭い 季節はずれの春。 それとも、それは秋であったか? 風に運ばれながらぼくの心は歌っていた

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もう愛してしまったと。 に象徴されているように、愛するものの出現によって念さ れた自己放棄ーーー彼は青春時代町 u より純粋に生きるため には﹁死﹂を選ぶより道はない

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という論理、いわゆる ﹃u 純潔の論理 L を実践すべく生きていて、彼の後輩であり、 同じよう左生いたちを持つ原口統一二︵﹁二十歳のエチュー ド﹂の著者︶は、いわば清聞に影響され、死をもってその 苛 純 潔 の 論 理 n b を完結させるわけなのですが、清岡の場合 は、愛するもの︵清岡の妻になる女性︶の突然の出現に よって、それを放棄してしまいます。そういった自己放棄 ーーー青春との訣別をも含んでいると考えることができる と 思 い ま す 。

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考えられることは、清岡の作品に共通する﹁やさ しさ﹂﹁あたたかさ﹂﹁悲しみ﹂それらすべてが、先にあ げたような﹁ふるさと﹂や﹁青春﹂の喪失感に裏うちされ ているということです。 清岡は限定された﹁有﹂を捨てて、豊焼左﹁夢﹂を字ん でいる﹁無﹂を選びつづけることで、彼の創作活動のパネ とし、しかも影のようにつきまとう喪失感からも決して逃 れようとはしない。 この喪失の﹁悲しみ﹂を、もの言わぬ﹁手﹂

Il

− − 自 分 の内面をかくも知実 K 表現しながらしかも常 K 沈黙を守っ ている﹁手﹂ーーーは、象徴的に表わしているとは考えら れ念いでしょうか。 ︵ 参 考 資 料 ︶ 次 ﹁失われた両腕ミロのグィ l ナス/思惟の指||半醐 思惟像︵広隆寺︶

K

/映像の心像||アンリ・コルピ﹃か ︿も長き不在﹄/指の先の角砂糖||萩原朔太郎﹃との手

K

限るよ﹄/勝利の差恥と修さ||東京オリンピックから /演奏の手|| 1 求 心 と 遠 心 、 2 詩の中のオ!ボイスト、 3 絵画の中の演奏ノ決死の手の蘇生||島尾敏雄﹃出発は 遂

K

訪れず﹄/女の手の表情

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1

1

差じらいの魅力︵ボッ ティチェリ﹃グィ l ナ ス の 誕 生 ﹄ ︶ 、

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祈りのはげしさ ︵ グ リ ュ l ネグアルト﹃キリストの醸刑﹄︶、 3 生活の年 輪︵レン.フラント﹃ユダヤの花嫁﹄︶、 4 想像させる情念 自 と 底 L ま す ︵喜多川歌麿﹃物思恋﹄︶、 5 現実と非現実のあわいで ︵ コ ロ l ﹃ 読 み さ し て ﹄ ︶ 、 6 始源へ糊る愛︵モジリアニ ﹃ジャンヌ・エピュテルヌの肖像﹄︶、 7 二つの遥しさ ︵マチス﹃パラ色の裸婦﹄・レジエ﹃昼食﹄︶︶ 8 親と幼 い子︵吉本隆明﹃佃渡しで﹄・岸田劉生﹃麗子坐像﹄・国 吉康雄﹃母と娘﹄︶、 9 愛の虚妄︵アントニオ l ニ の 作 品 か ら ︶ 、

ω

寒酸と屈辱︵一フングとキャパの写真から﹀、日自 由をめぐって︵シュルレアリストの詩作品から﹀﹁あとがき﹂ ︵ 参 考 文 献 ︶

O

手 の 変 幻 美 術 出 版 社

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日 本 の 詩 集 団 清 岡 卓 行 詩 集 角 川 書 店

O

現代詩文庫 M M 思 潮 社

O

新選現代詩文庫 m M

O

吉本隆明全著作集 7 動 草 書 房

O

日本教養全集日 原口統三﹁二十歳のエチュード﹂角川書店

O

ア カ シ ア の 大 連 講 談 社

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フ ル ー ト と オ ー ボ エ グ

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海 の 瞳 文 芸 春 秋

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鯨 も い る 秋 の 空 講 談 社

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花の操穆 M

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サ ン ザ シ の 実 毎 日 新 聞 社

O

現代芸術論叢書 ﹁ 詩 と 映 画 / 廃 虚 で 拾 っ た 鏡 ﹂ 弘 文 堂 ︵ 熊 本 信 愛 女 学 院 教 諭 ︶

参照

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