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『宗教研究』季刊第5年第3輯(*117号)

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(1)

――目次――

1,

ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて,辻直四郎,Naoshiro TSUJI,pp.1-30.

2,

『菩薩』発生の意義と菩薩道の教学的展開,布施浩岳,Hirotake FUSE,pp.31-46.

3,

聖アウグスチヌスにおける理性と信仰(1),精神史的宗教哲学序論の一章,吉満義彦,Yoshihiko

YOSHIMITSU,pp.47-86.

4,

菩提心について(2),西義雄,Yoshio NISHI,pp.87-109.

5,

道安の業績について,小田原尚興,Shōkō ODAWARA,pp.110-133.

6,

タブーの心理,竹中信常,Shinzyō TAKENAKA,pp.134-155.

宗教関係主要文献目録,pp.156-158.

Posted in 1943

(昭和18)年

(2)

﹁、ヤジェル・グェ■−ダの分流に関する偉詮

諸種のプラーナは、ヤジェル・ヴェーダの分流及び自ヤジュル・ヴェーダの海瀬に閲し∵興味・ある俸説を載せ

てゐる。轟も廉く知られてゐるゲイシュヌ・プラーナ三・五二i二九によれぼ.ヴァイシャンパーヤナに二 十七人の門人があゎ、ヤージェニャヴァルキヤもその一人であつた。ある時ヴァイーシャンパーヤナは−メール山 上の聖仙の集合に映席した馬.婆羅門殺軍の罪に間はれ.門人をして螢罪法を行はしめんとし・宅ヤージュニャ

ヴァルキヤは、微力なる他の門人の力を借カサ、唯一人でこれを遽行せんと申出た所、却て師の怒に梱れ、既に

畢召した知識全部を返還せよと迫られ宅そこで彼はこれを吐出ト、他の門人は鵜鴇︵ti琵ri︶となつて、彼の 吐渇した血にまみれた祭詞︵y含意i︶を食つた。故に彼等はタイツティサーヤ︵ぎ葺r雷︶と稀せられる。叉 彼等は師命に従つて前述の頃罪法を行つたが故に︵芭眉旦、チャラカ・アドヴァサユ︵C罵pk監㌻警yll︶とも 呼ぼれる。故に於てヤージュl二∵ヴァルキヤ.は師の許を去カ、太陽神を讃美してその思惑を乞ひ、神馬の形相を ヤージュエヤヴァルキヤをめぐりて

ヤージェニャヴァルキヤをらぐりて

直 四 郎

32Ⅰ

(3)

ヤーぎニャ写ルキヤをめぐ打て

現ぜる︵晶i首註雪且太陽紳よカ、ヴァイシャンパーヤナにも知られてゐなかつた新鮮な︵息首ぎ且祭 詞の啓示を受け!ヴァージン︵讃jin︶十五派の開組となつ宅 ︵一︶

現存プラーナの成立は全て新しい上はいへ、自ヤジェル・ヴェ∴ダの起源を太陽神に膵することは、既にプリ

︵二︶ ハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドに見え、上記の停誼は、未刊行の一プラ.−フマナ中にも含まれてゐると いふ故、その起源は意外に古い時代に沸るものかも知れ・ない?勿論かかる停訣に変質を求めることは困難である

が、ヴューダ研究者に輿へる示唆なしとしない。一、ヴァイシャンパーヤナを以てヤジェル・ヴェーダの鼻絶と

なすこと、二、ヤージェニャヴァルキヤを始組となすヴァージャサネーイン派の海瀬を、チャラカ・タイツティ

サーヤ汲︵後世所謂黒ヤジュル・ヴ・ェーダ汲︶よカ新しい上すること、=﹁黒白雨ヤジェル・ヴェーダ次の間に

反目あカしこと、軸ちこれである。

註一宮買p芦P∽︰掛dl富n⋮m賢覧−ぎi畳啓思鼻罠ne笥nミ萱彗a吾en詳by嘗nte・﹁太陽神に由来するこ れ等の静輝ある祭詞は、ヴァージャサネーヤ・ヤージュニャヴァルキヤにより宣示ふらる。﹂象・Y豊mIIH・−−○︰膏ya旨 c腎眉竃kam旨a首竃d賀−笥d昔−a爵n・﹁余が太陽神より獲得せるアーラ言カも亦知らるべきなり。﹂ I囲に以下ブリハッド・アーラ⋮ ラーアマナの引用はマーディヤンディナ本に擦った。雨支次の所停を国別し、或は並聾する必要ある時は、夫々頭文字K又 はMを附加した。 堅一Cb警di由r釦hm眉a︵音≠OP冨s・Eb琶叫−旨dr且壱・2呂d=○吉倉舛首亭re焉nSi2遥n訂t哲賢1凛p

d宰卜痘Onderd謬倉n㍉、■言邑.¢n岩ed−A芦訂tterk・盆eR¢eks−Dee−舛Ⅰ︵−芝ぎp・−芦

32ま

(4)

\ 二、プリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドに於けるヤージェニャヴァルキヤ 印度の俸承が一致して自ヤジェル・ヴェーダの開祀と仰ぐヴァーわヤサネーヤ・ヤージェニャヴァルキヤに関 する年代・俸記に就いては、文献の徴すべきものがない。或はグァージャサニの後裔とし︵例へぼマヒーダラ︶、 或はブラフマラータの子︵ゲイシュヌ・プラーナ三・五・二︶又はデーヴァ﹂フ一夕の子︵バーガヴァク・プラー ナ一二・六・六四︶と偉へ、或はヤジュニャヴァルカの後裔 ︵例へばシャンカラ︶ と云はれてゐるが、これよ ヵ歴史的に確資な端蘭を牽見する七とは出席ない。これに反し精兵脛的蕃資は:ブ㌢ハッド・アーラニヤカに戟 せられてゐるパ即ちヤージュニャグァルキヤには二人の夫人があり、マイトレ1・▲イー及びカーティヤーヤー㌃と 辞した。後者は普道の女性に■過ぎなかつたが、前者は習畢的頭儀の所有者であつた。ヤ1・ジェニャヴァルキヤが 俗塵を避けて遊行生活に入るに際し、マイトレーイ一夫人に輿べた教 ニヤカニ・四及び四・五参照︶。又このウパニシャッドの第三者及び第四懇はヤージェニャヴァルキヤ・カーン ダ 王の宮廷に開かれた哲尊大討論禽には、有名なウッダーラカ・アールニ・ガウクマも参加し、これとヤージェニャ ヴァルキヤとの問答も哉せられてゐる ︵〓書二丁七参照︶。然し同書の末尾に附せられた白ヤジュル・ヴェーダ 相侍の系譜に従へぼ、ウバグェーシーートアルナ︹アウパヴェーシ︺璽サッダーラカ︹アーんニ︺ − ヤージュ

ニャグァルキヤの順序に師資相承を侍へ、

ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて

, t \ ゝ − ▲\ ヽ ︵一︶ 簡単匠の間に師弟の関係が存したかの如くであい曳 この系譜の一般 三 ・、 ゝ 323

(5)

イ 的性質から判断して、必しも悉く信するに足少ないが、的確な反意の車げられない限カ、ヤージェニャヴァルキ ヤの生涯のある時期に、グッダーラカを師としたと考へても何等の支障はない。要するにブザハッド・アーラニ ヤカ中に硯はれるヤトジェニャヴァルキヤは、血あカ肉ある資在の哲単著を漁想せしめ、決して古代の畢匠に託 して新しい哲畢を宣揚した形跡は認められない。 註二 この停承を疑ふ聾者もある。特にdm2註苧a孟宗空Fattacha喜のⅠ邑.Ant.㌣雲文−諾ぎpp.−中平−−−−眉p.−宗 参照。倍ヤージュ土ヤヴァルキヤの生地に関しても定説なく、或はクル・パッチャーラ、或はゲイデーハと想像されてゐる。 .〇p・Cit・p・−霊−p●−苫、やー∞00参照。 三、シャタバク・ブラーフマナに於けるヤージュニャヴァルキヤ ウパニシャッドを除くシャタバク・ブラーフマナ中に於けるヤージュヱヤグァルキヤに就いて述べるに尭だち、 このブラーフマナの構成を概観するに、便宜上次の四部分を直別し得る。︵既に述べた如くMはマーディヤンディ ナ派所俸、Kはカーングァ派所停を指す。︶ ♭l 厨 Q 廿 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 壇Ⅰく︵in已・茸hqヱ ︰舛くⅠをヱ l−11∴く︵岩︶ くⅠⅠ−︼∴舛 ︼nI∼函HHH Ⅰ.− <Il︵内︶ ︰くIll卜1只ⅠⅠ ︰unIl︻・−−︼]︻く ● \ 四 32年 メ

(6)

ー ー ′† 十 、櫓 ) この中Aは、祭式の規定説明を木簡とするシヤクバク・ブラーマフナの棺婁部で、0はその補遺をなし、ヤー ジェニャヴァルキヤはこれ等両部分の中に、祭式の権威として名を魂はしてゐる。又Dは内容よカ見て、他のヴェ ーダに於けるアーラヤニカ及びウパニシャッドの部分に相嘗し、最後の追加部分たるは明瞭である。これに反 しBは、アダニ.チャヤナ ︵火壇築造祭︶ を主題とし、シヤーンデイブヤを樽威と仰いて、一同もヤージェニャ ヴァルキヤの名を奉げてゐない。恐らく嘗て猫立の一書をなしてゐたものを、ヴァージャサネーイン次がそのブ ラーフマナ中に編入Lたものと考へられる。 文麒としての成立順序よカ考へる限カ、AとDとの間には、相嘗の距離があカ、祭式単著としてAの中に重き をなすヤージュニャヴァルキヤと、哲単著としてウパニシャッド中に名高きヤージェニャヴァルキヤとは、果し て同二なカヤ否やのを抱かざるを得ない。然しこれは、プラ,フマナの祭式紳撃とーウパニシャッドの梵我 哲拳とを年代的に哉然と分離し、一人にして両方面を代表することが出発ぬといふ猫断的見解に執はれた結果に 過ぎぬと鳳ふ。 今AとDとの中間に位するCの部分に就いて見るに、腰式単著ヤージェニャヴァルキヤと曹聾者ヤージェニャ ︵ニ︶ ヴァルキヤとの間には、何等の堵壁も認められない。即ち一一・四・二・一七、一二・四・一二〇、一三・五・ ︵︶ ︵

ニ三ハに於て、彼は祭式単著としてその知識を示してゐるが、一・三二・二−四㌧・六・二−●

六・三は、何れも彼とゲイデーハ王ジャナカとの密壕な関係堅狙し、その内容も瞑想的で、哲単著ヤージェニャ ヴァルキヤを換想してゐる。更に一一・四二ニ・二〇は、ゲイデーハ王ジャナカと開聯しっつ而もヤージェニャ ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 32S

(7)

メ ヴァルキヤを以て、ミトラゲインダー祭の正俸を栂ぐ者としてゐる故、祭式単著ヤージェニャヴァルキヤと曹単 著ヤージェニャヴァルキヤとが、同一硯されてゐると云はねぼならぬ。 既に述べた如く、プリハッド・アーラニヤカの記載は、哲聾者ヤージェニャヴァルキヤの両目を躍如たらしめ てゐるのみならず、その私生活の一端にすら簡れてゐる。虚心坦懐にこれを讃む者は、決してその抹殺論に賛同 することはあるまい。戯しチャラカ・アドヴァリュを辛辣に論難する彼と、ジャナカ王の恩寵を得て幽玄の哲理 を開示する彼とを、別人硯するてとも亦明に不可能である。何となれぼその結果、サッダーラカ・アールニを始 めとし、ヤージェニャヴァルキヤと並び挙げられる人物に就いても、その祭式畢着たると曹単著たるとの資格に 経って、各竺一人を恨足せざるを得ぬに至るからである。例へばシャクバク・ブラーフマナ一・一二・一〇の みならす、プリハッド・アーラニヤカ四・一・四に出で、且つジャイミニーヤ・ブラーフマナ一・二二 − 二五 に於てもジャナカ王と同時代の人とされるバルク・ヴアールジュナ・アーダニダニーシヤ 竃等ktl£r貰p紆・ ︵六︶ 已忌汗yp︶、シャタバク・ブラーフマナ四・六・一・九に車げられ、プりハッド・アーフニヤカ五・一四・八及びジ ︵七︶ ヤイミニーヤ・ブラーフマナ一・二二−−二五たよれぼジャナカ王と同時代に屠するプディラ・アーシュヴアク ラーシュゲィ・ヴァイヤーダラバディヤ︵聾l竃pA芸、諷琶賢禦ま <已y勘gF蔓与且 の如き特殊な名稀は、決し て同名異人改を支持するものではない。 ︵八︶ 縫って祭式単著条暫単著として一人のヤージェニャヴァルキヤを認めるのが、最も愛嘗な辟結である。但Lそ の篤には、ブラーフマナ紳革新とウパニシャッド哲拳斯とを年代酔に直別する固定戟念を打破せねぼならぬ。如 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 326

(8)

 ̄・←′ ● ちサグ・ヴェーダに始まる一元思想︵特に一〇・二一九参照︶は l、アクルヴァ・ヴューダ︵特に一〇・七及び八

参照︶を経て進展し、ブラーフマナ文献衷育成した祭式単著問に栂承せられたに相違な

上、膜令表面に現れた所は断片的であカ、常に祭式の説明に随伴して幽玄の深趣に乏Lくとも、既にブラフマン ︵梵︶及び、アートマン ︵我︶の観念も見え、少くも一部の単著は、祭式紳撃の傍に哲学問題にも没頭し、剃帝利

族の間にぺかかる高伺な問題に興味をもつた著のあつたことは明瞭で、ゲイデーハ王ジャナカはその代表的人

物と稀し得る。恐らぐ始め哲畢詭は別俸として口授され、後背畢の流行するに至つて猶立のウパニシャッドとL

て編纂されたものと息はれる。故に哲畢説の興起と、文献としてのウパニシャッドの成立との問には、相常長い

年月を置いて考へねぼならぬ。勿論ヤージュニャヴァルキヤが兜づ祭式単著として括躍し、晩年専ら哲拳問題に

沈潜したと見ることに支障はないが、要は年代上の錯誤を憂慮して哲単著ヤージェニャグァルキヤを抹殺するの

早計たる鮎を指摘せんと欲するにある。

附記一同様にシヤーンディりヤに関しても、アグニチャヤナ祭の稽威者と、所謂シヤーンデイリヤの教義の

開示者とを同一硯すべきや否やの問題が起る。。シャタバク・ブラーフマナを上記の四部分に分つ時、Bは金牌と して猫立の師資相承系譜︵宙旨舛.P㌢¢︰茸h宮内芦㌢仏︶を有し、嘗て一書を紗成したことは否めないが、 祭式の規定を主とする部分︵雷岩≦1Ⅰ擁︰国王lI−火Ⅰ︶と、所謂アダニ・ラハスヤの部分竃H︰只∵舛ⅠⅠ︶

とは、内容上に国別があゎ、成立年代にも差のあつたことは明瞭である。殊にシヤーンデイリヤの教義は、既に

ヤージュニャヴてルキヤをめぐりて 、 327

(9)

附託こ プサハッドl・アーラニヤカのマドゥ・カーンダのみならず、ヤージェニャプァルキヤ・カーンダの系

譜にも、彼の名のない鮎が不審とされてゐるが、絶じてこの部分は、グァージャサネーイン次に傍題る曹拳敦の

結集で、その中心人物よカ造に彼の編纂であるとすれぼ、その・俸承は理論上結集者乃至編纂者に始まるのが嘗然

で、ア・ジェニャヴァルキヤの名が、ヤジェル・ヴェーダ全醍に封する系譜にのみ拳げられてゐるのも故なしと 、

しないb但L上記雨カーングの系譜も起漁を梵に測らして神話的要素を含み、頗る混乱の跡を示してゐるが政に、

これよカ歴史的尊者を推論することは困難である。

註一¢・堅○−訝nb甥哨︰出uddh篭−p・∽00ーn・−︸崇①訂hredeニ首ぎi飢hp倉n−p・染透”出百繁治ヨ∴訊受h恩qp買i乳亭空耳 p・料渋い 岩野邑On巴†舛eith︰くediOIndeメ月︸p.−芦 八 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて ウパニシャッド暫拳の完成を漁合し ︵拙著﹁ウパニシャッド﹂三八ぎ四一頁参照︶、マーディヤンディナ本シー ヤクバク・ブラーフマナ一〇・六・四i五はカーンヴァ本ブザハッド・アーラニヤカの胃頭に置かれてゐる。 而してこの教義に於けるシヤーンディザヤの名は、プリハッド・アーラニヤカに於けるヤージェニャヴァルキヤ の如き有機的関係を示してゐない。故掟この教義に閲する限カ、後世の候託と目する飴地は侍魂つてゐる。ヴュ ーダに関する拳詮は個々の特殊事情に依各し、早急な一般化は惧しまねぼならぬ。又喜入とてヤージェニャヴァ ルキヤの名と結合される哲畢説が、悉く彼に蓼したと考へるほど単純ではない。沈んや単に彼の名を冠するスム サティ、シクシャーの類に於てをや。 328 て ヽ

(10)

聾−アダニホートラ祭に陳聯する臍罪法。ジャイ、、:一−ヤ・ブラー7マナ丁五九は、これをヴァージャサネーヤの静とし て畢ぐ。 社三 アダニホートラ祭の密意に閲す。cf●︼出H●−タ<監bS︵An忌kb笥na︶︰Aまa Or・−メ甥〇・l会・ 鞋四 アダニホートラ祭の密意に閲す。之の問答はジャナカ王の優越に終り、ブリハッド・アーラニヤカ四・三・一はその結 束に開設してゐる。倍この問答にはシュダェ一夕ケートゥ・アールネーヤも参加し、且つ内容的には有名な五火の教義に類 似してゐる。 詮五 神格の数に関する問答で、ゲィダグダ・シャーカリヤの末路を停へてゐる。象●辱首己p H芦¢︶J出Ⅰ︻●宗−ヨ・ 証六 この箇所の直後に ︵四・六・一・九︶、ヤージェニャヴァルキヤの名が挙げられてゐる。 鞋七 cf.訝舛.の.−.−−可−昏ぎ竜p<.ドー﹂㍉声−.穿貰aA晋已araA含︵♭出ヨ00ーed.A已倉邑g﹀も同人と思は れる。 註八 鹿著﹁吠陀文単に現はれたる倫理観﹂ 岩波講座 倫理畢 昭和十五年、六〇・−−六︼京、﹁ウパニシャッド﹂ラジオ 新書七五 昭和十七年、ニー− 二二頁参照。 四、シャクバク・ブラーフマナ以外に於けるヤージュニャヴァルキヤ イ ジャイミニーヤ・ブラーフマナ ヤージェニャヴァルキヤの名は、自ヤジェル・ヴェーダの侍承と不可離の関係にある。贋汎なブラーフマナ文 献中、彼の各を奉げる駈で重要なのは、サーマ・ヴェーダ朗巌のジャイミニーヤ・ブラーフマナのみである。こ の書は言語文牒に於ても、頗るシャタバク・ブラーフ寸ナに類似し、長文の想應箇所を含んでゐるが、今は唯ヤ ヤージェニャヴァルキヤをめぐりて

(11)

●l ージェニャヴァルキヤに関係ある箇所に就いてのみ検討することとする。 一、J出l・−?︹⊥巷︶︰訂舛サ甲−・丁ヂ︵ひー∞︶もer邑\もAO狐出国ll二]筈ぎpp・00法1器〇・アダニホー トラ祭の璽息に関するヤ1■ジュ三ヤヴァル≠ヤとウィデーハ王ジャナカとの問答。J出I﹂やiniF︰訝宍−ⅠI﹂・ 払﹂−柏は特に密接な関係を示してゐる。≠C已pnd︰○訂rentliオhe什J2.mi−専守守詳m昔風Jざ邑・en岩ed・ A芦訂若rk.監eReek班︶Dee=︵−写苧p.0000一箪碧e㌢t眉已hp]汐品hm苫pinthe舞茸身p■r票enSi。ロl ︵−話手p.−声備後に説くヴァードゥーラ・ス.−トラ︵アヌヴアーキヤーナ︶︰A告Or・lメ誉・童もこの箇 所に相應する。 二、J出Ⅰ.乱−乳=2㌻n㌣夢s12.min官・野針hm眉pinAus竜賢、Am蒼rd書こ芝○壱?Pアールニ・ ガウクマ ︵= ダニヴェーシヤ、プりヤ・ジャーナシュルテーヤ・カーンドゲィーヤ、プディラ・アーシュヴアクラーシュゲィ ・ヴァイヤーダラバディヤの五大草薙門が、ゲイデーハ王ジャナカ貯アダニホートラ祭の密意を間ひ、王の知識 の卓越を認める一節。内容上直接に相應するのではないが、少くも輪郭物語に関しては、シャクバク・ブラーフ マナー〇・六・一並にチャーンドーギヤ五二一−一八と比賛し得る。前者は、アダニ・ヴァイシュヴァーナ ラの密意に閲しアシェグアバティ・カイケーヤ王に教を乞ふ婆羅門の中に、アルテ・アサバグェーシ、プディ ラ・アーシュヴァ空アーシュゲィ・ヴァイヤーダラバディヤを萄町後者はーアートマン・ヴァイシュヴァーナ ラの顧義に闊トアーシュグアバ≠ィ・カイケ一芸に教を乞ふ婆薙門中に、ウッダト・ラカ・アールニ・ガウクマ、 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 1 \ 一 一〇 330

(12)

′ プディテ・アーシュヴアクラーシュゲィ・ヴァイヤーグラバディヤを拳げてゐる。 ニ﹁J厨l■芦−宗︰雲仙如︼−・P−1皐︵︶er邑JAOS劇壇liI︵−害柏︶、pp・0000ー100挙 ジャイミニーヤ・ブラー フマナ一・五九はアダニホートラ祭に関するヴァージャサネーヤの詮せ奉げ、シャタバク・ブラーフマナ一二・ 四・一・一〇に相應する。 四、J厨Ⅰ−・可ヂ・ヨ︰掛厨如i・P佃√Oer邑JAOS国賓︵−00簑︶ニ学吋軍⊥套−已.屈首己p肖∵率ゲイデーハ 王ジャナカに促されて、ヤージュニャヴァルキヤとゲィダグダ・シャーカ.りヤとの間に展開する神格の数に閲す る問答。前者の優勝に終る。 五、JせIH・桓慧r⊥崇這︰訝ニーP−﹂十少︹空岩d︰○謡re声量heオJタ■pp.00ー1芦p.笥.リグ・ヴェー ダ八・一〇一二四に閲し、ヴァージャサネーヤの訣を拳ぐ。但しシャクパタ・ブラーフマナに錐へば、ヤージェ ニャヴァ ルキヤ白身はヮグ・グェーダの詩句︵pr且劉bpェsrO 乳首ypm宣言︶に封し、滞日の詮を抱いてゐ たと云はれる︵笛ib・旭︰e罫hp雪e⊇d召y肯y恩讐鳶y⋮︼乱cぎぎy叫=l冒pl一n2・で謡▼已・厨ge−ing 寧せ出∴舛−1︶H邑rOd・p・舛舛舛Ⅰ−n・−︶。 以上によカ明なる如く、ジャイ、、三−ヤ・ブラーフマナがプアージャサネーヤ・ヤージュニャヴァルキヤの名 を奉げる時は、常に胡應箇所をシャクバク・ブラーフマナ中に碍摘し得る。ジャう、=丁ヤ・ブラーフマナのプ ︵一︶ ラーフマナ文献に於ける関係年代を、故に詳論する意固はないが、これをパンチャゲインシヤ・ブラーフマナよ ︵こ︶ 少古しとする詮には全面的に反封し、且つ趣めて稀な例外を除き、一般にジャイミニーヤ・ブラーフマナはシャ ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 一一 33工

(13)

ヽ・ 一二 ヤージェニャヴァルキヤをめぐりて タバク・ブラーフマナすらよカ新しいとす信る旨を記するに止める。ヤージュニャヴァルキヤに関する相應箇所 が、南ブラーフマナに存する限カ、ヴァージャサネーイン沃のブラーフマナに優尭を認めることは、極めて自然 な推論である。果してジャイミニーヤ・ブラーフマナ丁五二菅頭︵︰訝舛−Ⅰ・声−・仏︶は、シャタバク・ブラ しか ーフマナの特徴ある文句、﹁されど然なすべからず﹂︵訂d l:邑試npk害y賢︶を以て、﹁ある聾者﹂︵eke−已﹁P ︵三︶

g■づせH・A・00・βに封する非難をも収録し、ジャイミニーヤ・ブラーフマナ一・五一−1大五の起源を奈遽に求

むぺきかを明示してゐる。 註−C芝野nd︰○磨r①n已t hetJ出︶pp・−∽−旭00一句乱宗5.診訂出r夢m眉p−Q已3ttaこ誌−︸pp●舛づⅠⅠⅠ−舛函Ⅰ−pp●

舛彗1Il舛出国い雪ま昌Ca−and O≠.内註h望OS.Ⅰく ︵−詣ジpp.平㍍丁⊥㍑岩−∃︵−追撃pp.−○怠⊥○きRi職扁dp

出r騨hman莞︵−琵○︶−p・〆p・念︺つb¢Re−・pnd憎hぎs・〇f th⑬くed払anddすⅠ︵−琵e−p●−平 準−特に冠ⅠⅠ・建−−柏遥︰野内HI・㌢柏・の1望㌔・昏︼ぎd︰○房ren邑h象冠−pp・∽∽−∽♂p・当−已・只e卓 出SOS Hメp●琵○● 撃ニ≠C已賀d︰音胃昌邑官t旨−pp●貿−彗−The欝inthe只者已竃reC.Ⅰ−p●−○柏−毘.舛eitb望OSIく﹀p. の皆−Ri讐象F出rahmanas−p●舛● p、グァードゥーラ・スートラ 既に述べた如ぺ、ジャイミニーヤ・ブラーフマ三・一九︵イの一重屑︶ に相首する箇所は、ヴァードゥー ラ・スートラに附属するアヌヴアーキヤーナ︵A。tpOr﹂メ︼諾き︺言・竃︰p・008の中にも磯見される。この 332

(14)

l l 、1 −

スートラが他のシュラウタ・スートラ主趣を異常し、純然たるブラーフマナ的部分を伴ふことは注目に伍する。

このアヌヴアーキヤーナの言語文題は、シャタバク・ブラーフマナ及びジャイ、、=丁ヤ・ブラーフマナの散文匿

最も近いが、その費見者カーラントも、シャタバク・一ブラーフマナとの年代閲係に就いては、定見に達しなかつ

たかの如くである︵箪A象野草Ⅰくら・00¢壱きヨ︶pp・¢ヂ⊥茎も・−ぷ。然しゲイデーハ王ジャナカとヴァ ージャサネーヤ︵・ヤージェニャグァルキヤ︶との問答は、その本源をヴァージャサネーイン沢の文献に求むべ

く、吾人は一般的にシャサパタ・ブラーフマナを以て、ヴァードゥーラ・スートラ・アヌヴアーキヤーナよカ古

いと考へる。特にパシュバング︵供教条︶に関するアヌヴアーキヤーナ ︵A象pOr.Ⅰく、易〇.巴1ムや∵雪√]若. −1−可︶は、シャクバク・ブラーフマナ二・七及び八を改定してゐると信するが、その論接は祭式の細事に亙

るが故に、故には省略することとした。

ハ、シヤーンカーヤナ・アーラニヤカ ニ同に亙玖ヤージェニャヴァルキヤの名を載せてゐるが、九・七はヴァージャサネーイ・サンヒクー五・四三 む引用し、一三二は明にプリハッド・アーラニヤカ四・四及び五の影響を示し、何れもこ伊書の新暦に廃し七 濁立性に乏しい。 五、ヤージェニャヴァルキヤを繰る人々 ヤージュニャザァルキヤを必ぐりて 一三 ー 333 モヽ

(15)

ヤーゾユニャダァ叶ルキヤをめぐ鴎て 一四 サージュニャヴァルキヤの年代を詮葦ノる焉には、彼と同時代の人物に、一瞥を按ずる必要がある。彼と並び拳 げられ、或は彼と論戦を交へ畠者につき、個々に検討することは紙幅の許さぬ所であるから、故には唯彼と最も 緊密な関係にあるジャナカ王と、サッダーラカ・アールニ一族とを問題となすに止める。 ︵︼︶ イ、ゲイデーハ王ジャナカ 哲畢を愛好したこの賢王が、ヤージュニャヴァルキヤと不可分の関係に於て、シヤクバク・ブラーフマナ、ブ ザハッド・アーラニヤカ、ジャイミニーヤ・ブラーフマナ、ヴァードゥーラ・スートラ・アヌヴアーキヤーナに 見えることは既に述べた。 ︵二︶ ︵三︶ 伺ジャイ、三−ヤ・ブラーフマナは王とスチック・シャイラナとの・問答を奉げ︵丁二四五︶、又サブタラー トラ祭の遽行者としてゐるが︵二・三〇三︶、その年代に開Lては何等の悠揚をも提供しない。この外古いブラ ーフマナ文献中、王の名を載せる箇所としては、タイツティザーヤ・ブラーフマナ三・一〇・九・九が知られて ゐる。このブラーフマナの言語東榎は、タイツティリーヤ・サンヒクーの散文に此しても遜色ないが、その編纂 年代は必しも古きを要せす、且つ後世の筑入に属する部分も恕像される。上記の箇所は全く史資と交渉なく、ジャ ナカ王と﹁重蔵﹂との問答に開Lて神話的雰囲気に包まれ、王の生時を去る既に速いのを恩はしめる。 ︵四︶ プりハッド・アーラニヤカニ・一二︵カサシークキ・ウパニシャッド四二参照︶によれぼ、カーシ王アジャ 一夕シャトル 人Aj賢p藍rtl内禦y且 は、ジャナカ王の名草を羨望Lてゐるが、これを俳輿に有名な摩掲陀王阿 334

(16)

廃港と同二硯すべき確讃はない。、▼妄アジャ一夕シャトルの子︵エバドラセーナ︵字㌢dr霊np倉賢い邑r雲且 は、アールニ︵−−サッダーラカ︶の呪岨を蒙ったといふ ︵シャタパタ・ブラーフマナ五・五・五二四︶。若し アジャ一夕シャトル及びバ.ドラヤーナを、マガダ王統の歴史と調和し得れぼ、ジャナカ王並にヤージェニャグァ ルキヤの年代決定に、重要な示唆を得る。然しその結果ヴューダ文麒史も・亦徹底的再検討を要す一るに至るは炭を 容れぬ。敵に今通説に従つてこれを拒否すれぼ、ジャナカ王をラーマーヤナに於けるシーターの父と阿品する と育とに拘らす、ヤージェニャプァルキヤの年代は再び積極的根掠を失ふ。 社︼ ≠岩aa。莞宇穿ith︰宕diOInd牒㌍く∴−it・︶−雷︻and︰ロ慧J出inAu等已亡﹀pp∴∽訂よ○可. 註l一色●Jロー缶Ⅰ.−P P 撃ニcf・訝爵忘s舛ヨ.欝ごj賀詩聖毒ta邑r昔 話四 以下の問題に関しては特に、宅eb雫︰碧①出ist。づ﹃。柚inP巳t・p・−∽00︶p・良筆穿itbJおA.S︵−苫00︶、pp.∽芸− ∽豊、<ediOInd¢呵♪p﹂∽−p・0000cumn・−○−p.柏遥参照。 ︵一︶ p、サッダーラカ・アールニ・ガウクマ サッダーラカ如祭式単著として又暫単著として、ヴェーダ文献︵特にシャタパタJブラーフマナ︰ブリハッ ド.アーラニヤカ、チャーンドーギヤ︶の中に重要億億置を占めてゐることは、周知の寄算である。ジャイミニ ︵二︶ −ヤ・ブラーフマナも亦屡々アールニの名を奉げてゐる。1侍アールこ・ヤシャスダイン︵ジャイミニーヤ・ブラ ーフマナ二・八〇︶もサッダーラカを指すものと偲はれる。 ヤージュエヤプァルキヤをめぐりて 一 介 、 ▼′ 一五 33S

(17)

サージュニャヴァルキヤをめぐりて 一大 ︵三︶ 古いヴューダ文献に見えるアールニなる名栴は、必しも常に同一人物を指す臥のと見る必要はないがこれを否 定する澄接もない。少くも新しい文献に於ては、アールニとあつて特にガウクマ或はサッダーラカなる稗呼の附 加されてゐない時でも、明にサッダーフカを指してゐる場合がある。例へぼジャイミニーヤ・ブラーフマナ一・ 二七一− 二七三︵=象計nd︰D註JせinAtlSき巳−ぎ.誤︶は、アールニ、ジーヴァラ・カーⅥノーエフーディ、 アシャーダ・サーヤヴァサ、インドラディユムナ・バールラヴェーヤの四大婆羅門のドゥール︵菅野︶詩頒に関 する論議を戟せてゐるが、単にアールニとあつて、特別の規定がない。然し最後の拳匠名は、既に車げたシャタ パタ・ブラーフマナ一〇・六・一及びチャーンドーギヤ五・一一首一八にも見え、アルナ・アサパヴェーシ ︵或はサッダーラカ・アールニ︶並にプディラ・アーシュヴァ■タラーシュゲィ・グァイヤーグ﹂フバディヤと同時代 の人であ斗このプディラがアールニ・旦りクマ ︵=サッダーラカ︶、ヤー㌣ニャヴァルキヤ及びジャナカ王 と同一時代の人たるは既に知られてぁる故 ︵特にジャイミニーヤ・ブラーフマナ一・二二 − 二五参照︶、上記 のアールニがウッダーラカを指す鮎に、殆ど衆の飴地がない。故に今カータカ・サンヒクー及びパンチャゲイン シャ・ブラーフマナに見えるアールニをも、サッダーラカと同一視し得るならば、その生時はブラーフマナ交戯 の盲啓成立時代に潮る。この鮎はウッダーラカの父アルナ・アウパダニーシに関する箇所に徹しても支持される。 叉シャタバク・ブラーフマナ二・四・三二の侍へるカホーダ・カサシータキと:ブリハッド・アーラニヤカ ︹四︶ ニ丁五・一に於てヤージュ云ヤヴァルキヤと同時代の人とされるカホーラ・カサシータケーヤとは、恐らく同人 であると想像されるが、シヤーンカーヤナ■アーラニヤカ一五の師資相承系譜に碓へぼ、カホーラ.・カサシーダ 336

(18)

キはウッダーラカ・アールニを師としてゐる。これ亦サッダーラカの生時の比絞的古きを指示Lてゐる。何とな れぼ吾人はこのカホーラを以て、恐らくカサシータキン沢の開祀を指すものと認めてゐるからである。 サケダーラカ・アールニがヤージェニャヴァルキヤの師であつたか香かは暫く措き︵上記第二節及びその註一 参照︶、彼がジャナカ王及びヤージェニャヴァルキヤと生時を同じぐしたことは疑ない。然るにその出現がカサ シータキン沢の創始と相前後し、且つカータカ・サンヒクーにすらアールニとして戟せられてゐると推定するな ら 註一≠旨acd。ne宇穿ith︰宕diOInd①叫S・七・︵−it.︶⋮C巴and︰せas旨inAロ笥ahl、pp.建001随芦 鼓エ ゴくe象O ln爵舛Ⅰ−p●の柏いC巴pndOp.のit.p.建¢. 鼓三 特に舛S亘工Ⅰ・の︰p・夢−こ蛤︶くⅠⅠ・00︰p●芦♪つHI●¢︰p.コ.柏−憎出国舛Ⅰ芦−.P A⊇葛冒す︰舛S舛ⅠIH.−匝︰ p・−声♂免・AitAII・−・♪Jqp貯ⅠⅠ・P−−穿ith︰碧①Ai−a蒜笥Ara電路a︵−冨︶−p・賢−n・ 註四 或は父子?▼ ▲已・A⊇膏1Ar眉i−A⊇葛笥︰内患訂k診1内岩蟄akT内岩富akeya. ︵一︶ ハ、アルナ・アサバグェ﹂シ サッダーラカの父と目されるアルナ・アサバグェ一−シ︵プリハッド・アーラニヤカ六・五・主の系譜参照︶の 名は、既に杢ての黒ヤジ虻ル・ヴューダ本集の散文中にも現れ、タイツティリーヤ・ブラーフマナ二・一・五・ 二、三二二・五・三、シャクバク・プラーフマナ二・二・二・二〇にも見えてゐるが、最も興味あるは、シ ャタバク・ブラーフマナ︼〇・六・一︵上記第四簡イ項の二番︶で、これに相督するチャーンドーギヤ五・一一一 l ヤージュ 主ヤダァルキヤをめぐ却て 一七 337

(19)

ーL J:う?ヽ己rl − ︵一︶ 一﹁ シュヴュータケートゥ・アールネーヤ サッダーラカの子シュヴェ一夕ケートゥ・アールネーヤ・アサッダーラキも、屡々ヴェーダ史戯中に名を留め、 シャタバク・ブラーフマナ、プリハッド・アーラニヤカ ︵六・二∴一︶、チャーンドーギヤ、カウシ一夕キ・ウ へ二︶ パニシャツド ︵一二︶の外、ジャイミニーヤ・ブラーフマナにも載せられてゐるが、カサシークキ・ブラーフ ︹三︶ デーハ王ジャナカ及びヤージェニャヴァルキヤと同時代に屈したと息はれ、アーパスタンバ・ダルマ・スートラ マナ︵二六・四︶よぉ盲げ文献には蟄見されない。ゝヤクバク・ブラーフ三二丁六・二・一によれぼ、ゲィ 一・二・五・四 − 六が、彼を近代の人︵寧ヨ雲責︶と目してゐることよカ、的確な結論を抽拭することは許されな い。 伺カータカ・サパニャッドによわ有名なナチケ一夕スとの関係に就いて一言する必要がある。タイツティり﹂ ヤ・ブラーフマナニ丁子八・一はナチグークスを畢にウシャッざヴァージャシュラヴァサの子としてゐるに ヤージュニャヴァルキヤをめぐpて 一八 −一八は、彼の代カにサッダーラカ・アールニの名を額げてゐる。このウパニシャッドに於けるサツダーラカ の重要性を息へぼ、父子の名を置き換へた理由も想像され、アルナ・アサバグェーシはプディラ・アーシュヴァ タ弓てトシュゲィと同時代の人と認むべく、従つてヤ﹂ジェニャヴァルキヤとも略時代を共通にしたものと推定さ れる。かくLて白ヤジュル・そーダの始組の出現は、黒ヤジュル・ヴェーダ本集完成以前にあるこ 註︼ <●岩gきn已丁只eith︰づ邑icIn訝舛∽.声 338 −

(20)

過ぎないが、カータカーサバニッャッド]・二には、﹁︹ヤマ日くJ疲︵−−ナチケ一夕スの父︶は従前の如く欣 然たらん。∼サッダーラカのチアールニ︵A墓巴註Ar鼻=ナチグークス︶はわれよカ解放せられた聖・1 ︵五︶ 彼は怒を去斗心安けく夜をいねん、死紳の口よカ繹放せられたる卿を見て﹂とある。即ちナチケーダスをアサッ ダーラキ・アール土と解して、シュヴェ一夕ケートゥと同一視Lてゐるかの如くである。然し元釆雨着の間紅 は何等の関係も認められない。唯名稀に類似の鮎があカ︵・ke訂あ‖・k賢︶−グァージャシュラヴァサもサツダ

ーラカ・アールこも共に族名によつてガウクマと呼ぼれ、且つプエッド・アーラニヤカ六・五・三の系譜が﹂

︵六︶ ヴァージャシュチプァスークシュザ∼サパヴューシーーーアルナざサッダーラカの順に師資相承を俸へてゐ ︵七︶ る等の尊貴によ斗サパニシ・ヤツド作者が混同したものと考へられる。 註∵声害莞d⋮宇家−FJ・蓋iニndの⋮三−1−・︶盲de軍Se−p打e−u毒n穿ch・句es−邑き︵−屋壷・ 堅−︷・慧−く・C已and︰出面m−出inAu蓋Eら200ーⅠⅠ・琵=Ca−andOp●Cit●誉.−声 望 ¢f・宕dicIn倉ニーーp・芸︵−i−・︶蒜eilF︰家1−1ri慧二皆5官−a︵−芸︶︸pp・穿く一声ヨーRi竃d昌raぎ賀aS ︿−琶︶、pp・念−患√吋・声内岩e︰His−OryOf宰a昌a罫s−r詳−P書naこ琶−p.∽P 畠四諸種の解樺の内、次の勲等家は正鵠を得てゐる。Hiueb→a邑︰Au昌r註manas邑g邑笛訝n︵−琵︶﹀ワ]ロゴ Ch警琶tieニnd・AIlt・葛Ⅰ苫屋−p・抽出∽cumn・ぷcご・岩cumn・∽00盲−○︰岩室ha・g邑s訂d︵−買︶︸ p・−柏−象●p■慧. 慧 アウッダーラキ・アール宗ナチケータスを指すに気付い哀最初の要は出邑¢y︵GGAぷぷJ芦−p●−ぷであ るといふ。Of・宅①b雫︰穿eHistOryOニ邑・巨・らー彗−n・勿論正しくはアウッダーラキ・アールネーヤとあるべきで ヤージュ ニャグァルキヤをめぐりて ︼九 339 \

(21)

ある。 註六 eh・舛u罠・づ丑乳rp房淡pGp星野mp︵富国.P▼p−︶. 註七.但しアミニダガティのダルマバリーク¥−に、景笥打監u又は岩訂k旨がウッダーラカの超白銀の子ときれてゐる のは︵。Pト星雲︰m夏賢etu−p・詮−︶、恐らくカータカ・ウパニシャッドに基づき、更に語形を賢et詩etロに近づけたも のか。 ︵一︶ ホ、カサスルビング・アサッダーラキ 偽名稀よぉ判じてウッダーラカと親繚関係にあつたと息はれる人に、カサスルビング・アサッグーラキがある。 ︵二︶ 果してシュヴュータケートゥの兄弟甘参つたか香かは、確定できないが、その各は既に古いヴェーダ文厳に見え てゐる。アールニ︵=サッダーラカ︶とアシャーダ・サーヤヴァサとが同時代の人なることは.前にも述べたが ︵上記口項参照︶、ジャイミニーヤ・ブラーフマナ二・三九三J三九七︵=2︼呂d︰せ琵J厨iLAtl等詮壱〇. −監︶は、これ等両者の封話を載せ、且つクスルビンダ・アサッダエフキ︵苧⋮bindpAlldd筈ki︶の所詮をも ︵三︶ 挙げてゐる。又同プラ﹂フマナ二・四≡∴=g邑Op・已声∴甥P−雷︶に従へぼ、プラグァティ・カーシヤー ンテーヤはクスルビンダ・アサッダーラキの門人であつた。然しシャタバク・ブラーフマヱ二・二三二三 ︵円︶ によれぼ、ブローチィ・カウシヤーンべーヤ・カサスルビンディがクッダーラカ・アールニに師事したと云ふ。 爾書の記載を調和させることは甚だ困難で、恐らく俸承の間に過誤を生じたものと考へる? 註∵﹂?召告雪Ind・、st・メp・買い岩a旦。n各・穿itb︰宕diのⅠ邑e珂H−p﹂謡、p●−課、ⅠⅠ、p.芦 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 二〇 340

(22)

へ、−ヤージェニャヴァルキヤの年代 以上曙べた所よカヤージェニャヴァルキヤの年代を決定するに足る積極的事賞は得られないが、これ、を綜合す るに、彼と最も密接に関係する人物の名は、屡々シャタバク・ブラーフマナよカ古い文政中にも載せられてゐる のを知つた。言語文題を主として、ブラーフマナ文献を新吉の詩風に分ち得ても︵拙著﹁ウパニシャッド﹂一四 貢参照︶、請書に現れる人名に就いて見れぼ、互に交流して判然たる時代の国分は消失する。ヤージェニャグァ ルキヤを積る畢匠は、普通ブラーフマナ文献の古暦︵西暦前凡そ九〇〇1七〇〇年?︶と考へら弟るものの中 にも現れ、それ等の箇所を全て著しく後世の追加・塩入と断定し得ざる限カ、彼等の活動期はこれ等の文献の成 立以前に廃したと推定される。経つてヤージェニャヴァルキヤの年代も、備に西暦前凡そ七五〇卜・七〇〇年に 比定して、以下の論述の一接鮎になさん・と欲する。 ヤージェニャヴァルキヤをめぐりて イ 彗一・内覧昌⊇雰l計A仁義−賢i︰謹∃︷.柏.柏.−∽い増出国招Ⅰ汁−㌢−○も誉甘号鴇Ⅰ・デーヂ常吉恕東雲・柏柏・−ヱk宇 苫⊇bind已ri罫tr佃肯︶・ 彗︼ p蒜畠ti↓h沙富覿む温風こ旨萎bi鼠官等邑帯藍彗br註詰C腎﹃掛違㌔誉Ca訂nd︰○諾renuithetJ出−p・準 備L出−.謡︰○苫te−JAOS舛舛烏H−ワ∽畑のに関してはC巴a畠︰せ望−諾i︰門︸Au箋註−︶p−∽○胸参照。

詫四 p;ti↓ha訂急ぎl訂笥げka宏u㌢江見小月u金工沙ka曾ll膏占br註ヨ篤讐竃Ⅰロuま遥、皐 GOp出Ⅰ・P㌍ 馬r鼠i

ぎ急釦mbeyp舛呂岩邑︶iコ旨︶∴望書邑ie−d︰碧のAth讐房男訝琶dtl−つ警官tha由r旨墓J盲−ワーーP 名将Ⅵ綴字軋

も動揺多く﹂目す且iは憎蒜言tiのプラークリット形である。

二︼

(23)

ヤージェニャヴァルキヤをめぐりて

二二

財産の俸承は、ヤージェニャグァルキヤを以て、畢にシャタバク・ブラーフマナに於ける権威と認めるのみな

らす、ヴァージャサネーイン波の始祀として、ヴァージャサネーイ・サンヒクーも亦太陽神よ少彼に啓示された

ものと信じてゐる。果して首ヤジュル・ヴューダのサンヒクーとプ・ラーフマナとの関係は、黒ヤジェル・ヴュl ︵一︶ ダに於けるマントラとブラーフマナ部分とのそれと異サー全く並行的蟄達の跡を示し、ヴァージャサネーイ、・サ ンヒクーの或る部分は、寧ろシャクバク・プラーラマナを換足してゐるとさへ鳳はれる。即ち、<班IlI.空fin. ︰註i一汁sぎn阜賢。式hiはマントラではなく、雷−Ⅰ・p︰ドープ已彗s琴⋮:式h昔e邑t已啓pより混入 したもので、由様の寄算は<班﹂コⅠⅠ・書︰雷iく・P、リ00 に於ても認められる。又シャタバク・ブラーフマナ

二・三・四二〇・﹂⊥六の記載は、そこに集められ空ハ偶のマントラの春季乞、サンヒター中に裸足してゐな

いのに、現存のヴァージャサーネーイ・サンヒクー三二一ざ一六はこれを収録してゐる。而もこれ等の過誤

がマーディヤンディナ波及びカーンヴァ涯雨侍本に等しく蟄見されることは、その既に二大流刑以前に滴るを示

してゐる。

然らば自ヤジェル・グェーダの始組たるヤージェニャヴァルキヤの功績は何れの鮎に存し、又ヴァージャサネ

ーイン涯聾達史の何廃にその位置を輿ふべきかの問題が起る。喜入はマントラとブラーフマナとを分割して編纂

した鮎に彼の新機軸を認め、浅春ヴァージャサネーイ・サンヒクー一ざ一〇及びシャタ・バクブラーフマナ一

∼五の原形、即ちプロト・ヴァージャサネーイ・ヴェーグの創始者として、ヴァージャサ.ネーイン派の発頭に ︵二︶ その位置を輿へる。シャタバク・ブラーフマナの成立に関しては、斯界の櫓威着たゎし故カーラント教授の研究 342

(24)

」 に啓蟄された併甚だ多いが、今論摸・考澄・参考文献の詳細を他日に譲カ、ヴァージャサネーイン波及びその聖 典の成立に就き、≠私見の要領を簡単に列車すれぼ次の如くである。 鞋一−β⊥腰弱巴i義S出E材uメp・蓋−n・∴○巴邑AO=舛︵−眉︶−p●−∽柏⊥筐∴夢e訝intbe声音已笥琵﹂も. 00ヾ−n●﹂● 堅−2−a基︰碧e訂inthの只者ま竃reC●Ⅰ−IntrOd邑i宍√已.舛ei昌宏○∽才︵−琵ジpp.芝ひ1毘㌢ 大、シャタバク・ブラーフマナの成立に就いて ヽ イ﹂黒ヤジェル・ヴェーダなる名は、元釆自ヤジュ/ル・ヴH−ダ沃より見てつけた歴稀で、自ヤジェル・ヴェ ーダ次の前身︵名稀不明、サッダーラカはこの波の亘匠か︶も、マントラとプラーフマナとの南部分を交錯する ヴェーダを有してゐたと息はれる。ブザハッド・アーラニヤカ六・五・ニ石系譜が、ヤージェニャヴァルキヤを 以て、﹁太陽神に由釆する浮輝ある祭詞﹂の宣示者となしつつ、.而も彼と太陽神との間に、十二代 ︵ヴアーチュ 及びアンビニーを除くも十代︶を挿むことは、この間の消息を反映するものか。 p、グッージャサネーヤ・ヤージェニャヴァルキヤ︵ヴァージャサニの子? 括動期は西暦前凡そ七五〇f 七〇〇年?︶の出現によ少、ヴァージャサネーイン沃即ち白ヤジェル・ヴェーダ波の猫立を見宅プラーナの俸 詮はこの寄算を反映する。−彼の功績は、祭式の諸鮎に閲し新見解を出したのみならす、膏秀のヤジェル・ヴュー ダの鹿織を改良し、マントラとブラーフマナとの南部分を別個に収録する編纂法を創始した鮎に存する。彼はま ヤージュー−ヤニヴァルキヤ㌣めぐりて 二三 343

(25)

l ニーニ ハ、ヤージェニャヴァルキヤの後、その撃沈により補修されたヴ与−ダを、備にプロト・ヴァージャサネーイ・ ヴェーダと辞し、その内容をプロト・ヴァージャサネーイ・サンヒクー︵現存の≦誓こ十〆く芸Ⅰ−∴粥Ⅰに相 督す︶とプロト・シャタバク・プラーフマナ壷在のシ、ヤクバク・ブラーフマナA部、即ち欝寓Ⅰ十ヂ暫罠 IlヨⅠ に相嘗す︶とに分つ。勿論プロト・シャクバク・ブラーフすナと維も、サージュ土ヤヴァルキヤの編著 そのままではなく一首兼の侍承を主としつつ、必要ある時はヤージュニャヴァルキヤを槽威者として奉げ、そ 説を尊重したもので、時には彼燭特の祝すら含まれてゐる︵?g・抄出害HI・P−・柑︸訝内Ⅰ・傘・∞・旭・上記第四 簡イ項の五番参照︶。叉y萱づ景ぎibr掛hmp息−ノ二蔓・乳首芦−sllb増亭Ⅰ<∵∽・土石︶に関する論寧を批 判し、その文献を列車する演を避けるが、ヤージェニャヴァルキヤとバーニニと、を同時代に置く誼の、吾人の見 解と相容れぬは明瞭である。但し若しこの名が、シャタバク・プラーフマナの一部を指すものと恨足すれぼ、恐 らくそのA部が最もこの名に通常するか.と考へる。 −﹁チャラナゲィユーハはヴァ−ジャサネーイン流に十五或は十七涜の別あカとしてゐるが、現存の文厳に徹す る限久代表的なものは、マーディヤンディナ浜とカーンヴァ派とのみである。ヴァージャサネーイ・プラーテ ィシャーキヤの記載、アーパスタンバ・シュラウク・スートラの引用︵く悪賢呂2y註pき 亘且ps呂eyin菩︶その 他断片的引用によつて知られる文献は、自ヤジュル・ヴェーダ涜が必しもこの二流に限られなかつたことを敢へ てゐるが、その重要性に於て上記の二大況に比肩し得るもの嫁なかつたと信じる。 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて た曹単著として群を披き、その教諭は長く沢内に俸承された。 二四 344

(26)

南淡の差異は、サンヒクーに於けるよカ、ブラーフマナに於て邁に著しい。殊にそのA部は南淡の直別の最も よく蟄揮された部分で、常にプロト・シャタパタ・ブラーフマナに立脚しつつも顧著な相違を含み、且つ各々文 法的特徴を示してゐる。然し言語内容の差異を基礎として、両者の何れかを他よカ古いと断定することは許され ない。何れ︰にせよ両派の分岐は、ヴァージャサネーイン派の歴史の最初期に屠し ︵西暦前凡そ六五〇年?︶、分 沃の後も密接な交渉を持旗したに相違ない。何となれぼ爾後の追加部分に於ても、両派の文献は並行的聾達の跡 を示し、その範囲・内容も殆ど全く同一、であるからである。 ホ、アダニチャヤナ祭に関する隈カ、ヴァージャサネーイン渡は雷初よカ自家の所俸七炊き、特にシヤーンディ ザヤを樽威と仰ぐ脚偉のアダニチャヤナ書に依存してゐたと息はれる。これを整理して白沢のブラーフマナに追 加したものを、現存シャタバク・ブラーフマナのB部︵抄出害ゴトl舛︵国︶芸mま岩国H﹂国ヨIl∵訝丙﹂ヨⅠI −∴粥l︵舛−Ⅰ︶空ヒピ.く∽只∵艮ⅠⅠ−⊥︹舛︶ とする。この内祭式の規定を主とする部分と、瞑想的要素多き所謂アグニ ラハスヤの部分︵巴[崗√択=火iI︶とは、内容的に直別せらるべく、成立の年代にも後発の差のあつたことは、想 像に難くない℃然し共にアグ一事ヤヤナ祭を中心として、猫立の師資相承系譜︵払出岩国・PP、¢、出首qp舛﹂コ. PヰYを有し、夙に一書の饅裁をなしたものと云はねぼならぬ。但しアダニラハスヤ部の特異性を顧慮すれぼ、 嘗てウェーベルがマーディヤンディナ本シャクバク・ブラーフマナ一f九の六十葦よカ成る寄算に照らし、所 謂.讐忠首已hp︵已∵﹃賢・乳吋茸・Ⅰく・ド筈︶を以てこの部分に擬したことも故なLとしない。今声部を全龍と してA部と比較するに、措離・用語を異にする鮎抄からす、特にperず誉m・hisぎri苫m︵過去を表はす完了形︶ ヤージュニャヴァルキサをめぐ¶て 二五 345

(27)

W Y −

ヤージェニャヴァルキヤをめぐりて

二大

の使用率は、A部に於けるよカ造に低く、南部が別個に成立したことを澄明してゐる。現存の形態に就いて見れ ぼ、カーングァ本のB部はマーディヤンディナ本のそれを移植したものと考へられる。何となれぼカーンヴァ沃 は日豪のサンヒクー︵≦蔚∵彗ヨ・柏・月号ld扁各erp・念可︶に封すを非難︵訝旨.言l1.研.∞.00︶を含む箇所 をも、そのまま採用してゐるからである。即ちカーンヴァ沃はマーディヤンディナ派に於て既に固定せるB部を 借用t、而も白波の見解に鍵うてこれを改訂するを怠つたものと思はれる。

へ、以上説明した二大部分はダァージャサネーイン波のヴェーダの基本部と云ふべく、サンヒクーとブラーフ

マナとは密接に封應してゐるが、残飯の部分に於てこの緊密性は著しく弛緩し、サンヒクーに於ても、ブラーフ

マナに於ても、補遺として追加された部分なることは明瞭である。シャタバク・ブラーフマナに於てマーディヤ

ンディナ本第十二巻及びカーンヴァ本弟十四巻が、ぎdh㌢mェ﹁中央の撃︶なる名辞を有することは、0部 ︵恥宮舛丁舛HiI㌦嵐円舛iIT雲︶が嘗て狽立の壷位を構成したことを知らしめ、D部曾岩曇ヂ静内 国王︶はプラグァルギヤ祭及びブザハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドを含んで、最後の附加部分と認めら れる。両派のブラーフマナが、A部に於て示す封立関係は、故に蟄見せられす、C部及びD部の言語文題は、概 ねマーヂ。ヤンディナ本のA部と一致するが、カーンヴァ沢の特徴を示す鮎も亦抄くない。OD南部の起汝を両

派の何れに求むべきかは明瞭でないが、少くも純然たるマーディヤンディナ流閉俸のものとは稀し難い。マーデ

ィヤンディナ本一一・五・九は明にカーンヴァ本五・八・二の借用で、前者の一二・四・二・八は後者の三・丁

二丁二−三を漁足して始めて了解される。要するに各畢波の特徴をなした言語上の差別の意識が既に衰へた時

(28)

代に、兜づカーンヴァ流により結集され、後マーディヤンディナ流によつて採用補修されたものと説明し得る。 かくして南淡の分裂とトウパニシャッドをも含む商流のヴェーダの完結との間に、約百年の歳月を辞すとすれ ぼ、西暦溺凡そ六五〇﹁五五〇年を以て、現存ヴァージャサネーイ・サンヒクー並にシャタバク・プラtフマ ナの成立期間と仮定し得ると考へ篭 _t

上兼ヤージェニャヴァルキヤ及びシャタバク・ブラーフマナに関して述べた私見は、・一般に承認されてゐるヴ

ェーダ文献の年代と安協し・、これに抵閲する資料には﹂拓香的態度を探つて禿たが、最後竺見奇矯な畢詮も、

強ち不可能でないことを示す一事例を螢げておく。

ダヤイミニーヤ・ブラーフマナ一・三三七 − 三三八︵=C已呂d︰せ琵J出inAl−芸phl∴若・↑昂Yによれぼ、 ブラフマダック・チャイキクーネーヤ・グールビヤ︵野註︸ゴ乳首訂C2.ki訂neyp冒−bす£は、プラヤーナジッ トの子にしてコーサラ王なるプ.ラフマダック︵詳旨n已註各㌘訝e鼻i訂甘k呂邑y。r萱︶のブロー亡ク察官 になつたと云ふ。果してこの王が阿閣世王と同時代の人波斯医王︵守野蒜n昔什㌔琵en乳旦の子であるならば︵赤 沼智幸、﹁印度併教固有名詞静典﹂一〇四貢参照︶、ジャイ、、=丁ヤ・ブラーフマナの完成は彿陀以前であゎ得な

い。

このブラフマダック王に閲し、他のヴ干−ダ文献に記載あるを知らないが、・ブラフマダック・チャイキクーネ ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて 二七 347

(29)

ーヤの名は、一ジャイミニーヤ・ブラーフマナ一・三三ニ〓=︷ぎーぎdO守註・誉・−−00︶並にプリハッド・アーテ ニヤカ一二二・二四にも見え、ジャイミニーヤ・ウパニシャッド・ブラーフマナ一・三八・一及び一・五九・一 一∼ニ正於て.は、、明にグールビ ナ・グールビヤ︵C已kit首冒p ヒ巴bgÅ︶もこれと分離することは出奔ない。チャーンドーギヤは同朋Ⅶ於てプ ラグァーノハナ・ジャイヴァワをも墓げてゐるが、同書五・ニ丁一及びプリハッド・アーラニヤカ六・二・一によ れぼ、この王とシュヴェ一夕ケートゥ並にその父サッダーラカ・アールニとは同時代の人である。上に車げたジ ャィミニーヤ・ブラーフマナ一・ニ二二七 −ニ三八に於て、ブラフマダック・チャヤイキクーネーヤを非難する

ガルナス・アールクシャ去−ヤナ曾首琵

てアールニよかドゥール詩頒を革んでゐる︵同書一・三一六、箪︹已gdOp・註・p・警β。恐らくジャイミニー ヤ・ウパニシャッド・ブラーフマナ一・三八・四に於てジャイヴァり王と問答するガルーナサ・アールクシャー カーヤナ・シャーラーヴァティヤ︵曾訂n監p㌣k笛k首膏於苛邑呈と同人で遜ると息はれる。 かくの如き関係をたどれぼ、結局ウッダーラカ、シュヴューノタケートゥ、従つてヤージェニャヴァルキヤも、 ブラフマダック・プラーセーナジク王と同時代に廃することとなカ、従兼併教以前と目されてゐたヴェーダ文献 の年代は動路し、ヴァージャサネーイン瀕の起源に関する吾人の見解も、根底よカ覆される。 勿論個々のヴェーダ文献は、長期に亙夢殿多の改筑を経て成立したもので、その一箇所により金程の年代を決 発することは出奔な、い℃又、コーサテ囲の王統に新吉数人のプラセrナジづト及びブラフマダックが存在したか ジャーユニャヴァルキヤをめぐりて 二八 348

(30)

一・ ■ + 隆昌地とバーニニの生地との地理的関係によつて説明される︶、ヤージュニャヴァルキヤとバーニニとを同時代 ニがヴェーダ語に精通ししっつ而もヴァージすサネーイン沃の文法的特徴を考慮せざ少しこと︵普通はこの沃の

見解を許せぼ、必ずやグェーダ単著の脳裡に、幾多の古き問題が新しき面貌を呈して去凍するに相違ない。バーニ

羅門は、ヴューダ文献に関する限カ、擬古的語法文牒の使用を糖緯したと見るのは不日然であらうか一。若しこの

あカ、これによつて直ちにヴェーダ語にょる著作が断絶したといふ確澄はない。バーニ三以後に於ても保守的婆

バーニニとの年代関係を額げて反封するであらう。然し。ハーニニ文典の規定せんとしたのは、所謂バーシャーで

以後まで引き下げて考へることは、厳封に不可能であらうか。単著は恐らくブラーフマナ文献の言語を顧慮し、

再検討を要するのではあるまいか。ヤージェニャヴァルキヤ及び彼を続る人々の年代を、略彿陀の時代或はそれ

簡イ喧参照︶、故に皐げた推論を軽々に看過するに忍びない。雄飛畢界の通念とされるヴューダ文献の年代は、 然し吾人は、ジャイ、、二l−ヤ・ブラーフマナ、をシャクバク・ブラーフマナよカ新しいと主張しつつも︵上記第四

蒼かも明陵でない。且つ不確賢な固有名詞を基礎として、慶汎及結論を抽出する危険も、充分に知られてゐる。

︵ど︼竃試旨︶に置く説 ︵上記第六簡ハ項参腐︶、プリハッド・アーラニヤカにアジャ一夕シャトルの名の出るこ と ︵上記第五節イ項参照︶、アーバスクンバ・ダルマ・スートラがシュヴェ一夕ケートゥを﹁近代の人﹂︵p⊇rp︶ と目してゐること∴上記第五節二項参照︶等.既に反駁し毒されたと息はれる諸問題は、絶好の支持を提供し、

脈々相通じて新たに解溌を迫るであらう。

パァニニ文典によつて規足され、やがて聖俗一般の文章語・文単語に固定し窄言語に封する距離は、依然とし

ヤージュユヤグァルキヤをめぐりて \・ 、 ︼ ∵∵十∵∴、 二九 349

(31)

てヴェーダ文献相互の関係年代を測定する一基準となヵ得るが、一その絶封年代は著しく低下せざるを得す、ヴェ ーダ研究が少からぬ混乱に陥るのは想見に難くない。然し文献拳は能ふ限か事資の眞相に肉薄せんとする試み軋 過ぎない。殊に確資な歴史を背景にもたぬヴェーグ文戯峯の如きは、各研究者の主観的推量に倹つもの多く、資 料の解繹及び債値判断に宥壊の差を禿たすことすらある。故にヴェーダ畢の興味があゎ、進歩がある。甲論乙駁 葵んぞ意に介するに足らん。一小事資と錐も獣殺するに忍びず、敢へて二言した次第である。 ヤージュニャヴァルキヤをめぐりて / 350

(32)

て 一

﹁ は し が き

彿教の術語から韓用又は誤用せられて一般用語となつてゐるものゝ相常数にのぼることは周知の尊貴で、人間、

餓鬼、畜生、縁起、往生等は英一例であるが、斯くの如きは彿教が、日本に倦凍Lてよ少既に千数百年を経過し

て、日本文化の血となヵ肉となつてゐる逐託することの一斑である。とはいへ、現在の沸教々囲が種々なる意味

に於て難鮎を有つことを予も亦否定するものではない。然しながら、夫れ故に悌教の凡てを排撃せんとする向が

ぁヵ叉あつたことは、日本文化から謂ぼ其精細基地を排除せんと企固するものであつて、吾等日本人としては斯

くの如き態度に賛同しかねること言ふ迄もない。日本古釆の文革美術、建築等から沸教文化を差引けぼ飴すとこ

ろ僅少であゎ、或は親方によつては何ものも璃らぬと言ひ得るからである。

さゎながら、大東電戟勃聾してよカ眈竺年有年、泰ビルマの両隣教囲を新に東亜共栄圏内へ加へ得るに至つ

て、日本沸教者の使命の益々重負を加へ禿れる時、日本悌教の在力方、方途が改めて問題とならざるを得ない。

﹃菩薩﹄糞並の意義と菩薩道の敦畢的鹿野

﹃菩薩﹄螢生の意義と菩薩道の教摩的腋開

布 施 浩∵ 岳

三一

(33)

・ ■−− 、∴ †・・∴ヽ・‘−・ 三一 ﹃菩薩﹄教生の意義こ菩薩遭の数畢的展開 例へぼビルマ泰の僻教が原典併教なるに此して支部日本の彿教は漢詩僻教であり、彼は小乗、是は大乗であると は周知の爾彿教に横はる痕本的難鮎であり溝である。然るに日本併教家の態度によカ此の港が池ともなヵ撃とも なるに相違ないからである。彼をしてわが大乗悌教に和協せしむるか、われを捨て1彼に和するか、或は暫定的

′ 、

に彼我折衷主義を探るか、意見の分れる廃であカ、終発の方途に迷はしむる所以でもある。 日本沸教は最近−彿教者自鰐並に大方寛政者の努力斡旋によカ東亜の盟主とLrの立場を牽揮し興隆の一途を 迫力つゝあるかの如くにも見えるが、又親方を換へれぼ其俸、滅亡の一途を辿カつ1あカとも看撤し得よシ。戦 時下、各方面に統制の強化せらるべきは雷然であカ、従って各種宗教国餞も国策の線に泊うて統制されねぼなら ぬが、\さればとて園内宗教の一を探って他の凡てを其の一色に塗カつぶすことは出舜ない相談である。宗教画鰭 としての杜倉茂設、行事其他に一致行動を探るべきは戦時下首席の急簡であるが、恨少にも安協し得ざるものあ るを忘れてはなるまい.。それは宗旨である。こゝに硯資の根本問題として統制と宗旨てふ深穿が構ってゐるので、 ︵一︶ 一歩過たんか日本悌教は滅亡の悲遥を招くものなること捏奨宗史の示唆する所である。 斯くて、園内並に共柴圏全般に亙力宗教特に悌教家の前途には軽舟宗教的暗雲の低迷するものあるを感するの みならず、鎌倉時代巳後聾達し凍れる日本彿数々単には新なる見直しを必要とするもの多々ある如くであつて、 今や、彿典の理解に於て特にこの感を深うする。こ1に扱はんとする菩薩遣もこ紆課題の一であつて、大乗併教 の一特質を物語るものであると共に、この間題の理解は同時に刻下の急務たる日本彿教の﹃よさ﹄を的確に把捏 せしむる所以の一であると信ずる。 352 ●

(34)

〓、原始併教と菩薩道 僻在世の嘗時よカ、稽もすれぼ出家修行を重税するあまカ、悌教に隠遁的気分の存有ゼるは彿典全般に渡る否 定し得ざる寄算であゎ、従つて仝餞的には在家解脱を困難成する風あゎしを否み得ない。彿典に慶祝せらるゝ物 語牒が概ね出家得道に辟結せられる事賢が是を証する。彿陀在世中は、繹迦卑屈の現前する寄算に上り、出家在 家両者の杜合生酒に於けるこの矛盾を緩和することが出奔たやうでもあるが、併城後となるや、彿陀を憧憬する あまカ、彿陀を目標とする出家修行が益々重税せられるやうになつた。それは、小乗三蔵の内容特に律歳の規定 及び論戒に於ける階位詮の如き説明が出家者なる比丘に便宜であり懇切で一あるによつて知られよう。所謂比丘の 二召五十戎の如き是を物語るもので、在家信者は是等の規定を賢修し得ないから、在家の身をもつて彿道を成す ることは出秀難かつた理である。世間の費生産業に従事しっゝ而かも同時に彿遺を行ずることは庶始係数の在力 方に潜ては存在し得潅いので、勢ひ出家して修行に専念するか又は今生の得腕は断念して秀世得腕を期するよカ 他に在家信者への道は開かれてゐなかつた。反之、出家者なる比丘は、彿陀の邁教の如く戒律を厳修するを得た から、彿陀の如く成飾への道を歩まんものと専心に努力したが、修行に専念する程に益々解脱の困脱なるを自覚 するに至つたやうである。初信の人間よカ悌陀に至る道程即ち断惑と階位との説明が次第に複雑化し、遮に阿見 達磨併教を生める事賓が是を証する。 斯く七比丘等は﹂解脱の困難なるを目覚しっゝも其原因を自己の業障によるものとのみ考へたから、彿陀を目 ﹃菩薩﹄襲塵の意義と菩薩揖の敦畢的展開 三三 353

(35)

宗主■与立㌣ ヽ ﹃菩薩﹄斐坐の意義と菩薩道の敦畢的展開

三田

槙とする自己完成に向つてのみ其仝精細を傾注せきるを得なかつたので、僻教徒特に比丘衆は益々隠遁的となカ、 好んで阿蘭若に居力修行に専念するの風となつ宅こゝに後世﹃二乗者﹄と記される在り方が存する。斯かる結 果は在家も共修行を徹底する篤には出家せざるを得なかちたから、彿散々圏の隆盛は必ずしも囲家の隆盛を伴は す、教囲は唯国王外護の有無によつてのみ盛衰を反復したに過ぎない。 要するに原始悌数々囲にあオては、終始二早目己完成にのみ焦慮する比丘衆と並行して、今生に於て救はるべ き途無く唯比丘衆を供養することによつてのみ釆世得脱の慰安を得てゐた養家信者の一国があカ、而かも雨着の 修行生活には得益に於ける一致鮎を見出し得なかつた。所謂保守的なカし小乗僻教の択隋がこゝに存する。 三、菩薩道の蟄生と大乗彿教 大乗儒教はこの短を補ふべく聾達せるもので、菩薩道の提唱が即ちその凍れである。日々夜々、自我の完成の みを心懸けて唯夫れのみ鱒終り、非我の思慮た省ざる修行の徒労に終るべきは絶封的個人の存在し得ざるによつ て肯ける筈である。非我を離れて自我無く、自我の完成は非哉の自戒に於てゞなけれぼならぬといふ鮎に覚醒せ る大乗彿教は、それ故に原始擁敬を二乗小乗と腰斥せるにて、之を草間乗繚覚乗と呼び、而かも葦聞衆に彿弟子 を配せるは根本儒教己釆陰に内戚せられたる此の個人主義的短所に気附けるを託する。そして緑魔衆は彿城後大 乗蟄生巳前の遁世的彿教着流を網羅するものと看撤し待よう。 潮くて非我の自我ならざる単なる自己完成を目指す個人成偶の不可能なるに菅沢せる大乗悌教徒は白から堺証 354

(36)

法的論理を用てその費践原理を詭明する代旦に、人間と彿陀との中間に位して、人でもあり彿でもあゎ、而かも 人に非す彿に非る菩薩の存在を説くに至つた。経つて、斯かる菩薩の行篤郎ち菩薩道こそは衆生成俳の可能を説 くと同時に、自己の完成即ち成彿蘭非我の成悌によつて在り得ることを事例を以て強調せるものである。この傾 向の尭づ畢的に説示せられたるが初期大乗経典に見える禰勒、阿閃、弼陀の信仰であゎ、文殊、普資、蓼背信仰 の如きも亦この潮流の産物である。阿禰陀如釆の本願に﹃善意の一切衆生が成併せざれぼ我れ亦正撃紅とらじ﹄ と説かるゝは.一切衆生なる非我の焼餅により始めて摘陀の成僻もあ力持ることを本願形式にて詮明せるに過ぎ ない。而かも斯く具鰹的に且つ極めて目然に説示せら る字句にのみ眩惑されてゐて其底意を見ざれぼ、本経の慣値は牛滅するであらう。観音がニT工二身を視じて衆生 得睨の要請に應ずるのも、観音の完成は衆生の完成によつて蕗力得ることを観音の悲願に寄せて解力易く詮いた に過ぎなれ。只、前者に死の生的、後者に生の生的色彩を帯びるに至れるを異とするのみである。 然るに、具餞的論明或は要請の満足に急にして永遠の浮土に瞬間の背景あるを忘れ、或は浮土を天界東方、西 方等の他方世界に指示して此土の連カを忘れたるが如きは反つて蹄記法論理の堕落害しくは過失であカ、且つ夫 れ専の緒方立相は飴耳佐多岐多様であつたから、是等を更に否定し綜合する必要に迫られるに至つ宅般若、経 歴、法葦の菩薩教としての立場がこゝにある。即ち般若は理論的に党づ否定の綜合を試みたるも難解の故に大衆 に向かす、椎摩も亦小乗の短を補ふべく党づ椎摩居士に寄せて菩薩遺を強調したのであつて、聾聞衆を所謂二乗 根性の政に歴斥し、更に浄土を説明して﹃値心是菩薩渾土﹄等と云へるは其の現れであるが、啓開衆の凡てに維 ﹃菩薩﹄聾塵の意義と菩薩遽の敦盛的展開 三五 355

参照

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