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真宗研究48号 010廣澤晃隆「終末医療について――ビハーラに学ぶ――」

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Academic year: 2021

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終末医療について

ー ー ー ビ ハ

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ラに円子ぶ||| 悌光寺派

は じ め に 身近かな家族の死というのが一番ビハ l ラに関わる大きな動機である。平成七年に母が肺癌で亡くなり、翌年祖 母が大腸癌で亡くなった。その年の暮れ、今度は父に胃癌が見つかった。父の場合は早期発見ですぐに手術をし胃 を四分の三ほど摘出し今は何とか元気に暮らしている。しかしこう次々と家族の者が癌になり死という現実に立ち 向 か わ さ れ る と 、 いやがおうにも人の死、 そしてその死に至るまでの家族の関わり合いということについて具体的 な問題として私自身に突きつけられてきたのである。 ある御門徒に長岡西病院のビハ l ラ病棟へボランティアで参加されている方がおられる。そういった悶々とした 気持ちもあった所にその方からの誘いもあって、新潟県長岡市にある長岡西病院のビハ l ラ病棟へ足を運ぶように なったことである。 ところがいざ足を運んでみると、これから確実に死にゆく方々にどう接したらいいのか、 また何を語ったらいい

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のか。自分の家族の死と勝手が違うその関わりの中で、全く何をどうしていいのかわからず、すぐにお手上げ状態 になってしまった。ピハ l ラ病棟に関わった事の重大さに後から戸惑ってしまい、何度もやめようかと思ったこと である。実際一時は遠のいた時期もあった。そういう中でまた続けていくことになったのもそこに関わる方々のご 苦 労 と 熱 意 、 また自分に対して、このままでいいのかという自問自答から、現在も細々と通わせてもらっている次 第 で あ る 。 自分自身、死というものがいかに人ごとであるかということを、 ピ ハ l ラに通わせてもらう度に感じさせられる。 家族の死、特に母の死ということについては想像を絶していた。こんなにも落ち込むものかとは思ってもいなかっ た。そういった自分の中での悶々とした気持ちを、 ビハ!ラに関わることによっていつしか晴らされるかのごとく 思い、通わせて頂いていたのであるが、 そういう他律的な態度と偽善的な態度が、通う事にますます自己嫌悪とな ってくるのである。未だに一体自分は何をビハ l ラに学んでいるのかわからないし、様々なことが問われてくるの で あ る 。

病院の本来の目的

現代、誕生の場面と死の場面を見ると、昭和二十年代、 三十年代くらいまではだいたい家庭であった。 お産の場 合は産婆さんが来てお産をした。 ところが現在ほとんど産婦人科の病院のベッドで産まれる。産まれる場所が畳の 上から病院のベッドの上に変わってきた。 そ れ と 同 様 に 、 死を迎える場所も家の畳の上から病院に変わってきた。しかし本来病院というのは死を迎える場 所ではない。病院は病気になったり怪我をした時に治療を受けるために利用する場所であって、社会復帰が目的の 終末医療について 九

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終末医療について

場所である。本来死ぬために行く場所ではなかったわけである。 ところが第二次世界大戦の後、状況がいろいろと 変 わ っ て き た 。 一つには医療機関の数が多くなり、開業医や病院のベッドの数も増えてきた。そして国民みんなが 社会保険や国民健康保険に加入するようになり、 それによって医療費の支払いがそれほど大きな負担にならなくな った。あるいは医学や医療を利用するための知識や情報が手に入りやすくなり、 することの方が便利になった。 それらの諸々の理由で病院を利用 一 九 七 七 年 、 はじめて病院死︵五

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・六%︶が、家庭死︵四九・四%︶を上まわった。人々の死に場所が家庭か ら病院へと移り変わった最初の年である。現在日本では九O%以上の人が病院で死を迎えることを選択している。 そ の 理 由 と し て は 、 ①癌の告知が完全でないため患者さんは最期まで治ると思っている。 ②自宅での介護がむずかしいと家族が思う。 ③自宅で最後を迎えるのがおそろしいと家族が思う。 ④自宅に設備がない︵患者用の部屋︶。 ⑤親戚がかなぜ入院させないか。とうるさい。 な ど が あ げ ら れ る 。 本来、病院という所は社会復帰をするのが目的であって死ぬための場所ではない。 であるから死を迎える場所と しての設備もなかったし、医者や看護婦も患者が死を迎えることへの対応や訓練も考えられてこなかった。しかし そういう中で病院で自分の最期を迎える人がほとんどの時代、 いまだに病院はその対応について困惑している状態 である。病院の目的が時代とともに移り変わってきたのである。 一九九七年六月、脳死が人の死として認められた。これによって条件つきで脳死者から臓器移植が容認されたわ

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けである。臓器を部品のようにやりとりする生命の物化。延命ということと臓器移植ということも、人間の生命に とってこれから考えていかなくてはならない重大な問題である。生命の問題は山積みである。 仏教における臨終行儀 日本ではその昔、人聞は亡くなって身体に岨が沸くまでは死んだとは認めなかった。もう動かなくなって初めて 死んだとはっきり理解できる。しかし愛しい人を亡くした場合その死は認めたくない。亡くなってから埋葬するま で食事を供えたり添い寝をしてある期間をおく、 それが﹁もがり﹂という風習である。 仏教が日本に入ってくると同時に火葬の習慣が入ってきた。そして東洋医学のもとになる医療・看護の新しい知 識や方法が一緒に入ってきた。唐招提寺の鑑真和尚は医僧としても有名である。目は悪かったが薬の匂いや舌で翫 めたりすることによって薬の分量を調節し何に効くかをよく知っていたそうである。 全国にあった国分寺も今の国立病院の機能をもっていたと言われている。単に僧侶がいて仏教行事を執行したり、 経典が納められであるだけの寺ではなく、 そこには医僧もいたし薬もあった。場合によっては今の保健所的な機能 も果たしていたようである。 だんだん時代がたつと、臨終の時の作法が中国を経て日本に入ってきた。特に仏教の戒律を説いている﹃律﹄の せんぴょう 方では看護とか医療に関する記述がたくさんある。そこでは看護のことを﹁謄病﹂という。そして死にゆく者の 看取りをどうするかということが﹁臨終行儀﹂として伝わり日本でも発展した。それは平安時代中頃からいろいろ な 記 録 に 出 て く る 。 いよいよ死を迎える場合にはどうするか、あるいはどこで最期を迎えるか特別な場所が用意さ れた。それが往生院とか無常院︵京都・嵯峨野往生院跡が現在も残っている。大がかりなものとしては宇治の平等 終末医療について

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終末医療について 院 で あ る ︶ と呼ばれるものである。あるいは仲間同士でお互いに最期を看取ろうと結衆ができたりした。源信僧都 の﹃往生要集﹄には、阿弥陀仏の手から五色の糸を引いてきて病人がその糸の端につかまり、 お念仏を称えながら お浄土へ迎えられる儀式が述べてある。死の不安をもっ衆生に、 そういう形で阿弥陀の浄土へ迎えられるという確 信を持たせたのであろう。 ﹁ 臨 終 行 儀 ﹂ で は 、 そういった死に向かう人たちの病気の症状に合わせ周りの人がどういうお世話をするかとい うことがこと細かに書いてある。ものが喉を通らなくなったらどうするのか、目が見えなくなったらどうするのか、 あるいは下顎呼吸の状態になったらどうするのかと。有名なものとしては良忠上人の﹃看病御用心﹄がある。 江戸時代になって今の日本人のもつ死とか葬儀の原型というものがだいたいできてきたようである。それが現在 に 及 ん で き た 。 では具体的に浄土真宗では﹁臨終行儀﹂をどのように行ってきたか。地方によって昔から﹁ご相続﹂というもの が あ っ た 。 いよいよ死期が近い時に住職に枕元にきてもらい、あらためて念仏の教えを聞かせて頂く。そして最期 を迎えるのである。その場には家族や親戚の人達も集まり、 そういう現場に立ち会うことにより念仏の教えがその 家族の者にも相続されていった。そういう習慣がごく最近まで残っていたのであるが、第二次世界大戦後、急激に 減っていき、現在ではほとんど見られなくなった。

四長岡西病院ビハ

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ラ病棟

新潟県長岡市に古代インドの言葉で﹁ビハ l ラ﹂、安らぎの場所と名付けられた病棟がある。平成四年五月に日 本に初めて誕生した仏教によるホスピスで、鉄筋コンクリート五階建て、十五科の診療科目を有する総合病院。こ

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の最上部五階にビハ l ラ 病 棟 が あ る 。 毎朝八時半から病院内にある仏堂でビハ

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ラ僧によって勤行がつとめられ、 その後十五分から二十分くらいの法 話。仏堂にはテレビカメラがついていて仏堂へ来れない方にもベッドの中からでも法話を聞けるようになっている。 ベッド数は現在二十七床︵増床の予定︶ で、各室にはサンルームやベランダを設置、 さらにファミリーキッチン を備えた食堂、休憩や宿泊もできる家族室、 いろいろな催しが行われる談話室といった施設がある。 ドクターは二人ご人は麻酔科の医師︶、看護婦十数名、 ソ l シヤルワ l カ I 、 理学療法士、常勤のビハ l ラ 僧 で構成される。そこにボランティアの方やビハ l ラの会の会員である僧侶が毎日交代でつとめる。だいたい次のよ うな仕事が主だった一日の仕事であるが、 なかなか丸一日つとめることは難しい。 午前八時半から勤行・法話。 その後その日の申し送り事項と確認。各部屋を訪れお話をする ︵その日の体調や状 況による︶。入浴のお手伝いなど。昼食の手伝い。 午後からはまた各部屋を訪問。 二時頃ティ l タイムで談話。晴れの日は外へ散歩。水曜日・火曜日にはカンフア レンスがある。午後四時タ時の勤行。 また年間の行事についても各宗派で担当を分けて行っている。 一月初釜・もちつき 二月節分・浬繋会 三月ひなまつり・お彼岸 四 月 花 ま つ り ・ お 花 見 五 月 藤 見 六月遺族会 七月流しそーめん 八月孟蘭盆会 九月お月見・お彼岸 十月紅葉狩り 十一月遺族会 十二月成道会 お 楽 し み 会 な ど 。 そして、定期的な学習会が行われる。 その学習会などで取り上げられる問題として、告知と QOL ︵ ク オ リ テ ィ l ・オプ・ライフ川質の高い生き方 の問題である。告知率や告知の問題点、 そして患者の緩和ケア・痛みのコントロールに重点が置かれている。 ま た 終末医療について

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終末医療について 四 患者の必要性にいかに応えられるかが問題となる。告知問題も QOL の問題も非常に大切なことで難しい問題であ る 病棟では看護婦が精一杯患者中心のケアを目指し努力して成果を上げている。家族から﹁良い看取りができた。 看護婦さんから本当によくして頂いた﹂という声は多く聞かれる。しかし充分な看護ができ、最期まで苦しまず過 ごせたという事で真のビハ

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ラケアと言えるのだろうか。それでターミナルケアの問題が解決するのならば必ずし も仏教者が関わる必要もない。今、 ターミナルケアの現場で討議され実施されているのは科学的見方であり、患者 の表面的なケアをいかに対処していくかが中心である。そういう中で、仏教の救い、必要性はどこで見いだされて くるのであろうか。 そこのところがはっきりしてこない。そこの所が現在問われているとろである。 五仏教における﹁死ぬこと﹂ の意味 一番患者さんに問われることで応えることが難しいのが、﹁死んだらどうなるのか﹂という問いである。直接質 問されると戸惑うばかりである。しかしこれが一番の問題なのだ。﹁明日のこともわからないのだから、 死んだ後 のことはわかりません﹂、あるいは﹁死んだら何も残りません﹂などという応え方は決してできない。これから死 が目前に迫っている方には絶対に言えない言葉である。だからといって﹁仏さまになるんですよ﹂とか﹁お浄土へ 還るんです﹂ともしらじらしくて言えないし、私自身そう言える自信がない。 ホ ス ピ ス 、 キリスト教ではよく﹁天国へ召される﹂﹁神の国へ生まれる﹂と言うそうであるが、仏教も同じよう に﹁浄土へ還る﹂﹁仏さまに成る﹂と言ってもいいのではないかと医師や看護婦にも言われる。実際、時と場合に よってはそう応える場合もある。そして素直に納得して下さる方もおられる。しかしそう言っている自分自身が納

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得いかないのである。それは一時しのぎの出まかせであり、ごまかしでもあるのだ。 そういう場面に出あった時ほど、私は一体どういった未来を持った存在で、 どういう過去を生きてきた存在なの か。その未来と過去がはっきりしていない中で現在に何を目的に生きているのだろうかと、痛切に問われることで あ る 。 しかしそういった死に対する質問に対して、 その問われていることの根底には何があるのだろう。﹁死んだら何 処へいくか﹂という聞いより、 そういう不安に対して、今が何かはっきりしない、あるいは自分の居場所がみつか ら な い と い っ た 、 そういう言葉にならない心の奥底の訴え、問題があるように感じられるのである。何故そういっ た聞いが出てくるのかという、 そ の 心 の 声 、 それは現在の身の置き所がはっきりしていない、 そういう悩みが実は 大きな問題として訴えられているのではなかろうかと思われるのである。 そういう中で同朋大学の田代俊孝先生の講義を伺ったり著書を読ませて頂き、 いろいろな示唆を受けたことであ る。それは生死を超える道として﹁観無量寿経﹄が大事であるということである。 夫の王を殺され、今、自身も死に直面している。死をいかに受け容れるかである。その過程は

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・ キ ュ ー ブ ラ ー・ロス博士のいう死に対する﹁否認﹂﹁怒り﹂﹁取引 L ﹁ 抑 欝 ﹂ ﹁ 受 容 ﹂ と い っ た 種 々 の 段 階 す ら 読 み 取 れ る 。 厭苦とは、死の﹁否認﹂ であり、悪子と罵る激しい﹁怒り﹂がある。また、﹁願わくは世尊、広く憂なきと 欝 こ 」 ろ 状 を 態 説 で き あ(た る三ま え な ら ば ﹁我、当に往生すべし。﹂と﹁取り引き﹂すら見られる。 さらに愁憂樵停の﹁抑 ﹃観無量寿経﹄における章提希の救いを、精神科医の E ・ キ ュ ー ブ ラ l ・ロス博士の提唱した死への五段階説と 照らし合わせて考察していこうという視座である。 確かに死を目前にしておられる方の姿を見ていると、﹁否認﹂﹁怒り﹂﹁取引﹂﹁抑欝﹂ の繰り返しと言っていいと 終末医療について 五

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終末医療について ー ム ノ 、 思う。穏やかそうにしている方でも不安と恐怖に毎日おののいている。 では﹁死の受容﹂ということについてはたして﹃観無量寿経﹂ ではどう説かれているのか。 田 代 先 生 は 、 かくして、章提希は﹁得益分﹂にて、﹁廓然として大きに悟りて無生忍を得﹂と記されるように生死を出離し たのである。すなわち、浄土H無生の宝国︵﹃観念法門﹄︶ へ 往 生 し た の で あ る 。 と説かれる。しかしこの﹁無生忍﹂ということが問題である。 田代先生は、この﹁無生忍﹂を親驚聖人の ﹁ 浄 土 和 讃 ﹂ で 無生忍 ふたいのくらゐとまうすなり かならずほとけになるべきみとなるなり ﹃ 定 親 全 ﹄ と左訓によって釈し、﹁正定取県不退転﹂と同意義に理解していると言われる。あるいは﹁尊号真像銘文﹄を引かれ、 勢至菩薩、のたまはく、我本因地以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人帰於浄土といへり。我本因地 と い ふ は 、 われもと園地にしてといへり。以念仏心といふは、念仏の心をもてといふ。入無生忍といふは、無 生忍なり。今於此界といふは いまこの裟婆界にしてといふ也。摂念仏人といふは、念仏の人を摂取してとい ふ。帰於浄土といふは、念仏の人おさめとりて浄土に帰せしむとのたまへるなりと。 ﹃ 定 親 全 ﹂ 三 ・ 八 と、﹁現生不退﹂で理解しているのである。 しかし、これは私自身の問題であるのだが、この﹁無生忍﹂を我が悟りとして受けとめてしまうのである。もし くは悟りの到達点といったような感覚で受け取ってしまう。 つ ま り E ・ キ ュ ー ブ ラ l ・ロス博士のいう死に対する ﹁ 否 認 ﹂ ﹁ 怒 り ﹂ ﹁ 取 引 ﹂ ﹁ 抑 欝 ﹂ ﹁ 受 容 ﹂ と い っ た 種 々 の 段 階 を 、 最後に死が受容でき、もう悩まなくなるような﹁楽﹂が訪れるかのごとく受け取ってしまうのである。 一つ一つ階段を昇るように解決していく、 そ し て そ ﹀ つ い ﹀ つ

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﹁楽﹂を求める方法として ﹁観無量寿経﹄を読んでしまいがちになってしまう。ビハ

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ラでの対応も自ずとそうな ってしまっているのではなかろうか。また患者さんからも﹁楽にしてほしい﹂という悲痛の叫びを聞かされると、 何とかしなければという気持ちになる。仏教によって患者さん自身の死が受容でき、安穏な世界が聞かれるかのご とく錯覚してしまうのである。 お恥ずかしいことではあるが、 しかしこういう危険性はどこまでもつきまとうので ある。人聞が願う﹁楽﹂と、仏から願われている﹁楽﹂とはどういう違いがあるのだろうか。 _..L. /¥

について ﹃浄土論註﹄には楽を三種に分けている。 楽 に 三 種 あ り 。 一つには外楽、謂く五識所生の楽なり。二つには内楽、謂く初樟・二禅・三禅の意識所生の楽 なり。二一には法楽楽、謂く智慧所生の楽なり。 ﹃ 真 聖 全 ﹄ 四 現 在 、 やはり終末医療においてもまず求められる﹁楽﹂と言えば﹁外楽﹂であろう。これは欲界の楽と言われる。 一応五識が楽になれば安心である。医療現場においても痛みを取り除くことが第一に行われ、麻酔科の専門の医師 が 必 要 と さ れ る 。 二つめの﹁内楽﹂とは色界の楽と言われる。禅定に入ることによって意識が楽になるということであるが、これ は 音 楽 や 芸 術 な ど 、 もしくは自然に触れることによって乱れた心を落ち着かせ、平静さをとりもどすということで はなかろうか。これもかかせないケア l の 一 つ で あ る 。 そして三つめが﹁法楽楽﹂と言われるものである。これは智慧所生の楽と言われる。 智慧所生の楽は、仏の功徳を愛するより起これり。これは遠離我心と、遠離無安衆生心と、遠離自供養心と。 終末医療について 七

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終末医療について )¥ この三種の心、清浄に増進して、略して妙楽勝真心とす。 ︵ ﹃ 同 ﹄ ︶ これはどういうことを言うのであろうか。﹁智慧所生の楽﹂とある。智慧は無明の閣を破る光明である。その智慧 は我心を遠離し、無安衆生心を遠離し、自供養心を遠離する。如来の智慧のはたらきにより我執・法執が破られる ことを遠離というのだろう。 そ し て 、 ﹂の楽は、仏を綾じて生ずるをもってのゆえに。 ︵ ﹁ 同 ﹄ ︶ とある。どこまでも人聞の側には﹁法楽楽﹂という﹁智慧所生の楽﹂は生まれてこない、仏を縁じて生ずるものだ と 言 わ ん と し て い る 。 また親鷺聖人の﹁御自釈﹂ の﹁信楽釈﹂を見てみると、 すなわち利他回向の至心をもって、信楽の体とするなり。しかるに無始より己来、 し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽なし。法爾として真実の信楽なし。ここをもって無 一切群生海、無明海に流転 上功徳、値遇しがたく、最勝の浄信、獲得しがたし。 一 切 凡 小 、 一切時の中に、貧愛の心常によく釜? U を汚し 膜憎の心常によく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸うがごとくすれども、 す べ て ﹁ 雑 毒 ・ 雑 修 の 昔 主 己 と 名 づ く。また﹁虚仮・諮偽の行﹂と名づく。﹁真実の業﹂と名づけざるなり。この虚仮・雑毒の善をもって、無量 光明土に生まれんと欲する、これ必ず不可なり。 ︵ ﹁ 定 親 全 ﹄ 一 ・ 一 二 O ︶ 親鷺聖人の非常に厳しいお言葉が述べられている。こういうことから見ても、人は一生死ぬまで﹁否認﹂﹁怒り﹂ ﹁ 取 引 ﹂ ﹁ 抑 欝 ﹂ の繰り返しであるということであろう。個人的に﹁死の受容﹂ということはありえないというこ とが教えられているように思う。人間の側に﹁死の受容﹂は不可能であるにもかかわらず、そこに﹁死の受容﹂が できるかのごとく、死を目前に迎えた患者さんに接する倣慢さを、実は私の問題として突きつけられてきているの

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で あ る 。 そ の ﹁ 死 の 受 容 ﹂ の 不 可 能 な 我 々 衆 生 に 、 その歩みを親驚聖人は﹁三願転入﹂をもって導いて下さる。 ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に 方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。 く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、 ここをもって、愚禿釈の管、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸説口の仮門を出でて、永 日 疋 親 全 ﹄ 一 ・ 三 O 九 こ の ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の文を貫いているのが、最後の﹁難思議往生を遂げんと欲う﹂という言葉ではなかろうか。これ は﹁化身土巻﹂に一京される、十九願・二十願における﹁就行立信﹂﹁就人立信﹂の歩みにおいて出遇ってきた十八 願である如来の本願力、 つまり欲生心が根底に流れている。 ﹁ 信 巻 ﹂ に お い て 、 信 楽 の 字 訓 に 、 ﹁楽﹂はすなわちこれ欲なり、願なり、愛なり、悦なり、歓なり、喜なり、賀なり、慶なり、 ︵ ﹃ 定 親 全 ﹄ 一 ・ 一 一 五 ︶ と 言 わ れ る よ う に 、 ﹁ 楽 ﹂ の 一 番 は じ め は ﹁ 欲 ﹂ 、 つまり欲生があらわされている。 ま た 、 ﹁欲﹂はすなわちこれ願なり、楽なり、覚なり、知なり。 ︵ ﹁ 同 ﹄ ︶ とあるように、﹁楽﹂と﹁欲﹂は呼応しているように読める。 そして欲生心とは、すなわち 如来、諸有の群生を招喚したまうの勅命なり。 ︵ ﹃ 定 親 全 ﹂ 一 ・ 一 一 一 七 ︶ ということであるのだ。これが阿弥陀の大悲心であり、この心に出遇うことによって章提希は廓然大倍として無生 終末医療について 九

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終末医療について 四

忍を得ることができたのである。その無生忍の悟りはどこまでも如来の側にある。凡夫である我らの側は常に﹁否 認 ﹂ ﹁ 怒 り ﹂ ﹁ 取 引 ﹂ ﹁ 抑 欝 ﹂ の 繰 り 返 し し か な い 。 善導大師は章提希の悟り︵得忍︶を第七華座観と見た。 しかしそれで腰をおろしてしまったり、停滞してしまっ たわけではない。﹁否認﹂﹁怒り﹂﹁取引﹂﹁抑欝﹂という苦しみは一息一息襲ってくる。大事なのはその中での歩み ということであろう。どんなに無生忍を得たからといっても章提希一人、﹁否認﹂﹁怒り﹂﹁取引﹂﹁抑穆﹂という苦 しみの中を歩むことはできない。そしてこれから先も同じである。そこに第九真身観としての無量寿仏や第十観音 観・第十一勢至観として、周りの方々、 そして自分自身がいよいよ見出せるかどうかではなかろうか。そこに人と 人との関係がいよいよはっきりしてくるのではないかと思うのである。そしてそういう関係を通して自分自身の居 場所というか存在がはっきりしてくるのであろう。それは限られた﹁いのち﹂であったとしても広大無辺際なので ある。拝み拝まれる世界、 それが相念じあえる世界であると思う。それは一瞬の想念であったとしても、人間の思 い計らいを超えた尊い一瞬であり、 それがしいては過去・現在・未来を貫くのである。 ﹁死の受容﹂というものは一人で背負い切れるものではない。そこに家族であれ、親戚であれ、 その方に関わっ た人みながその方の﹁死﹂を共有することが仏仏相念の意味であろう。﹁死﹂は個人のものではないのである。 本来の章提希のいう廓然大悟という、無生忍の意味があるのではなかろうか。﹃観無量寿経﹂はそういう念仏を すすめる経典であると善導大師は古今措定して下さったのである。そしてその伝承を法然・親驚はそれぞれの時代 において身をもって生き、己証されてきたのである。 親鴛聖人の言行録である﹁歎異抄﹄ の 第 十 五 章 に 、 ﹁ 浄 土 真 宗 に は 、 今 生 に 本 願 を 信 じ て 、 かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ﹂とこそ、故聖人 のおおせにはそうらいしか。 ︵ ﹃ 定 親 全 ﹄ 四 ・ 二 九 ︶

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とある。本当の廓然大悟の無生忍とは彼の土においてのはたらきである。今生においては﹁否認﹂﹁怒り﹂﹁取引﹂ ﹁ 抑 響 ﹂ の繰り返しである。その中で一瞬でも無生忍を覚知する、 そのよろこびは無生忍を得たに等しいというこ とではなかろうか。だからこそ本願を信じ、念仏申さんと思い立つ心が﹁欲生心﹂として生じてくるのである。章 提希はそういう信を頂いた。そういう恒沙の信に支えられている念仏の道がすすめられていたのである。これが如 来の方から願われている﹁楽﹂ということではなかろうか。 註 ︵ 1 ︶﹁ホスピス・緩和ケア白書﹄︵日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団刊︶ ︵ 2 ︶ ﹃ 仏 教 と ビ ハ 1 ラ運動﹄田代俊孝著︵法蔵館刊・一九九九年︶ 終末医療について 四

参照

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