• 検索結果がありません。

-2-

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "-2-"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Ⅳ 『静岡民友新聞』明治

40

年∼

42

年に掲載された芸能記事

(抄録)

この資料は、1994 年度、小二田研究室の卒業論文「静岡の興行史∼明治四十年から四 十二年∼ (澤西未来)の「付録」として添付された『静岡民友新聞』中の、芸能記事の」 抄出コピーを、杣幸子が、マイクロフィルムによって確認の上入力したものである。この 僅かな引用からだけでも、全盛期の浪曲や映画の進出など、この時期の静岡の芸能文化の 賑わい、面白さを感じ取ることが出来るし、このような新聞記事の利用価値の高さを認識 するに十分であると思う。今後、この作業は継続して行く予定である。電子テクストとし て保存しているので、作業が進めば様々な形での検索も容易になることが期待される。と 同時に、東京の役者や講釈師・浪曲師の来静記事に関しては 『近代歌舞伎年表』や『講、 談明治編年史 『講談大正編年史』等との突き合わせによって、更に研究が深まることが』 期待される。 なお、収録に際し、読みやすい資料を提供することを第一に、現代仮名遣いとし、漢字 は現在通行の字体に改め、句読点を付し、また、ふりがなは殆ど省略した。 *******************

明治四十年

〈一月五日〉 ●初春の若竹座 少し遅れて二幕目から見たが、狂言は層(かつ)て当地で興行をした ことのある『娘義太夫』と云うので、今度で二度見た概して幕の取合せと云い、台帳と云 い喰い足りない処がある。それに二日目であったから万事打合せがととのわなかったは止 むを得ん、然し俳優は払(そろ)って居る方である。先ず役々に就いて云って見れば、佐 . 藤の川口法明、之は此劇の立役で筋を起す主導者の一人としては、少し悪が利かないで此 . の日は甚靡(どう)した訳か六幕目の小佛峠下の場を直ぐに大詰めにしたが、此幕で仙太 に銃を擬られた時などは誉め様がない。黒田の浦田娘千代は折檻される時這麼(こんな) .. 場は旧劇にもよくある形で無難の方である。其から秋山に突然逢うての思入れから家へ帰 ってのこなし、又父が秋山に娘を妻に持って呉れと頼んで居るのを聞て居る間の娘気の羞 かしさの表情などは上出来であった。二役およねは十六とは思えなかったが愁嘆の模様、 。 、 仙太の写真を貰ってから仙太を覗うあたりは良い出来であった 花村の秋山信一は儲け役 .. 品もよし。都の浦田時兼ははまり役でない。成程学者だと合点も出来なければ零落の場で . は全く裏店の爺である。立廻は此の一座の得意とする処と見えて何れも手に入って居た。 鈴木の島村金之助は軍人上りのキビキビしたのを見せた客に向って浦田の家を尋ねるあた.. りは愛嬌、何の都合か島村宅の場を見せられなかったのは残念であった。森の墨染仙太は . 流石は一座の大立物だけあって提灯を持てゆする時の気の変わる処から小佛峠で妹に邂逅 して名乗るあたりの仕種抔は感服した。之も大詰の切腹を見せないので物足りない。中村 .. の竹本春梅は流石十八番だけあって十種香も無難だし高座から秋山を見付ける処又蘇生し て後ち気が変って発狂の振りは手に入ったもので此の日の一等である。二役小梅の母親も 軽く出来た。其他仕出しも相当の出来で、唯だ墓地の場で高田と藤澤の真似をさしたのは 贅であった。其と大詰を切り上けたので折角の狂言を打壊して客にワーッと言わせたのは 質(ただ)すべき一事である (文緒)。 〈一月八日〉

(2)

●千鳥座 今八日より二の替り 一番目 「新年の松」 十四場 、 、 、 、 、 、 、 向島茶屋 土手殺しの場 太三郡槍引の場 茶屋座敷 親族会議 品川海岸 内山賢齋邸 桔梗屋小桃宅、魚屋太吉宅、三五郎宅、花月座敷、定子自殺の場、三五郎改心の場 大広 間能舞台 二番目 「小櫻三吉」 四場 向島観桜、植半門前、同座敷、東京新富座舞台矢矧の□ (役割)魚屋多吉、蜂須賀小六実は佃與吉(菊池)入れずみ三五郎、日吉丸實は小櫻三吉 (東)内山賢齋、家令杉本常行(大島)母みの、平川則義、家扶太田三太夫(尾□)道具 屋太三郎、不夏小路伯爵(若月)刑事近藤、野武士、道具屋(若浪)児分三太、刑事大森 武蔵(月岡)宇木田兵吾、岩間太郎實は市川新若(浪岡)菊屋女中おとく、書生太田、野 武士(月島)若妓□、三五郎女房おうめ、狂言方竹柴芳三(小瀧)高利貸慾太、料理番定 吉、野武士(吾妻)親族奥平□次、書生柴田(足立)陸軍大佐鬼田房、婆おつめ、大倅大 九郎實は坂東團次(坂井)夭人定子、與吉女房おかつ(水野)此外英国俳優ジョンブラオ ンの登場あり 此一座の前狂言では流石座長だけに菊池の芸風は垢抜けて居て、出る幕々に中々趣があっ.. た。浪岡のワイコックは寧ろ殺して遣った嫌があったが、後の小櫻長吉は大きい。月岡も .. .. 少しおこせついては居たが可なりであった。又女形では花形には乏しいが然し東は中々振 . って居って傾城の出なぞは華やかであった。尚水野の小粋なのや、小瀧の真面目に務める.. .. 優も居るで前狂言では日暮里附近の場は稲妻を遣って背景も中々良かった。今度の狂言に も大道具小道具を新調して本郷座敷を見せる相だ (文緒)。 〈一月二十九日〉 ●若竹座の『巳(おの)が罪』 子役が呼物と成って近来稀な人気を博して居るが、此 少年俳優の出る迄の幕は動(やや)ともすると欠伸を催うさすのは、僅か二三優が真面目 ( ) 。 。 に演 し て居るのみに起因すると思う 二少年を紹介する口上は少し管々しい感がした 然し観客(けんぶつ)をひくだけの事はあって、根本海岸の場で小川寅之助の玉太郎が正..... 弘を羨み又巳(おの)が母と知らずして環の後影を見送るあたりから後ち環と対座して若 しやお母様ではありませんかと覗き込む科(しぐさ)なぞは一座を背負(しょっ)て立つ の概があって、涙を催させた技量は立派なものである。此場の佐藤の作兵衛も思ったより .. は良い出来で寅之助と意気が合って居って、只だ物語が彼れでは未だ環の胸を抉る丈の力 。 。 。 がなかったのは惜い 中村の環は座中で最も働いて居った 之も寅之助が出てから生きた .. ... 両優の愁嘆は確かに見せ場である。小川正太郎は歳もいかないだけに見劣りはしたが感心 ..... と言うべきである。甲岩の場が僅かに両少年のみで舞台が兎に角持てたのは賞するの価値 があった。他の優は言うの値がない (ふみ緒)。 〈二月十五日〉 ●若竹座 当興行での見物は切狂言の喜劇である。遉は独の文豪コッツェビューの原著 丈けにソツがなく笑わせた、で皆良く軽く動いて居た。只だ難を云うと中村の文夫の衣装 .. である。彼れでは如何にも野良息子か野幇間としか見えない。今一つは少佐も大尉も原作 では予備か後備であるのに現役としたから大尉が若すぎる。彼靡(あんな)に若くて放心 家とは合点が出来ぬのみか無事に奉職出来ぬ筈である。一番目は後半を見たから何とも云 えぬが、徐来ごろつき物やピストル物のみなれば聊か面白い感がした。新来の優では原田 .. の久世友房が通夜の場で玉川清を辱しめる処などは良かった。此も中村の丁山が最も活動 .. して居った。花村の篠山を刺すの形や通夜の場で辱しめに堪え兼ねて友房に嫁に貰って呉 ..

(3)

れと迫るあたりは感心であった。花村の篠山六兵太は大団円で服部の清を罵り腕を折る科 .. .. (しぐさ)も又白(せりふ)もキビキビして左も苦々しかったが、肝腎の服部が見ごたえ .. が無かった。其他佐藤の丁山の親吉倉鉄三も可成で、根津権現の場で心機一転する思入れ .. 等此等は先ず曰うべきものであろう (富美緒)。 〈二月十七日〉 ●安くない役者の艶聞 目下若竹座に出勤中の新俳優連は懐中が暖かいと見えて市内双 街へ繰込む向も多い由なるが、中に秋月喜好と呼び、此頃子分與太郎を務むる男は、何時 か蓬莱楼新店の姐さん株の一枝と名乗る歌舞の菩薩の利益に絆されて通い、廓の大門を潜 る数も重なりて、花魁も岡惚の安くなき仲らいとなるに付け宿へは寄付かず名古屋山三を きめ居りて未だ鞘当は無けれども、抦にない山三抔をきめずに舞台の上の與太さんを眞妙 に務めて人気を落さぬが肝腎肝腎。 〈四月三日〉 ●豊竹呂昇 女義界の大立者豊竹呂昇は今回当市に来り千鳥座に例の嬌音を弄する事と なり、毎夜多大の人気を以って迎えられて居る。此前に彼れの当市に来たのは一昨年の夏 であったが、優雅にして気品ある其肩衣姿は毫も以前に変る事はないが其語口に至りては 確かに一段の円熟を加えたようである。あの嬌艶にして流麗なる喉は動(やや)もすれば 華麗に走り過ぎ為めに情感に訴うるの点において聊か欠くる処ありしものの如くなりし が、今日では円熟のお陰に此欠点もなくなり、それに第一彼れの欠点と思われし泣過ぎの 甘ッたれ口調が無くなった。之は何となく前受をあせるように聞え感服しなかったのであ る。それと又時々馬鹿高い聲を出す悪癖があったが今は之も少なくなったようである。要 するに彼れは女性なるが為めに、浄瑠璃は怒鳴るもの叫ぶものとの旧式の観念に養われし 一部の黒人がる人からは重きを■(お)れぬようであるが、実際における技倆は非凡な処 がある。あれだけの聲があって又それを自由自在に使いこなし、而かも小気味よき口捌き を以て明晰に語りわけ、原作を読んだ事のない者にまで徹底的の感興を与え得るものは一 二の大家を除くの外には恐らくあるまいと思われる。呂昇は遊芸系の中心と称せらるる名 古屋の出身である。彼れの芸術の優秀なるは即ち其出身地の然らしめしものであろうか。 中年大阪に出で専心修行し今も尚お習練怠らずとの事であるが、彼れは亦独り芸術に秀づ るのみならず人格高き婦人である。彼れを知るの人は、芸人社会にも此種の常識を有し人 格ある者あるかを怪しむ位であるそうだ。名古屋に在りし時の彼れの師匠の土佐太夫と大 阪に出でし後の師匠の呂太夫とは、いずれも良家に人と為り素人より本職になった人で、 腹からの芸人でないそうな、が彼れをして人格なき芸人の間に在りて 失わしめざり しものは此腹からの芸人ならぬ師匠の薫陶も与かって力があるのであろう。尚且つ呂昇は 実に幸運な芸人である。即ち彼れは芸人の最大要素たる容貌の美と気品の高きと豊富なる 音聲とを有して居る。技術は修養の功によりて上達し得べきも、此三者は先天的によらね ば得られぬのである。此三要素も揃い体格もあり姿勢も立派なり又三味線もうまく、痰を 吐いたり鼻汁をかんだり汗だらだらの湯呑沢山という醜態も見せず、兎にも角にも彼れは 娯楽の供給者としての芸人の美点を悉く備えて居る。是等も其抜群の技芸と相待って今日 の人気を呼ばしむるのであろう。因に彼れは本名を永田仲子といい、本年三十四歳の年増 を通り越した老美人である (△△生)。 〈四月十一日〉 ●若竹座見物 今度は毛色の変った出物があると言うので出掛けて三幕目から見た。森 . の古武石大尉は瀟洒(さっぱり)と遣ってのけた。三幕目返し庭園の場で中毒の科(こな

(4)

し)は毒の廻る具合左もこそと思われたが今一と意気の考案がほしいもの。然し二番目に 丹助の毒死と云う同じ型が控えて居るので仕憎くい処もあろう。二役古松松蔵の扮装は申 分ないとして、今日演せるには髷は甚麼(どんな)ものか。五幕目返しの最後は、舞台が 暗過ぎた加減か細い処まで見えなかったのは遺憾である。其れに遠見がきかない。原田の .. 。 ( ) 常盤男爵は表情が乏しく風采が揚がらない 中村の園枝は無難兒玉の河林育堂白 せりふ.. .. は打て付けの箝り役だが、扮装から科(こなし)から那れでは。端敵である東の横山長作 . 牧野公爵の話を聞いて園枝の素性の解る一伍一什(いちぶしじゅう)の思入れは結構。齋 . 藤其人の禮吉幼稚く遣ってのけた。二番目はお派ちがいの出し物だが、久しく旧劇に遠ざ. ▲ ▲ ▲ かった見物には目先が変って良かった。森の苦心甲斐に何れも良く動いた。中にも兒玉の .. 権三は前役より出来ばえがあったが、ギクギクするのが傷である。森の丹助はチョボに乗 . っての振事は良いが、死と覚悟しての遅れはちとくどい。扮(つくり)は心配甲斐のあっ た様な無い様な 下座との打合せも調のって居なかったものか拍子抜けの感じがした、 。(富 美緒) 〈四月十八日〉 ●若竹座劇評 地方はおしなべて甘い芸題で押通すが習いを、正劇の銘うって『やどり 木』と据えたは嬉しかったが、惜いかな看客に観識(め)がない為めに動(やや)ともす ると芝居に成ったのは残念と言わねばならぬが、場面で目先を変える為に五幕目を築土八 幡社と搗き換えたは買って遣るべきである。幕を追うて言おうなら、三幕目浅尾家玄関之 場で送り出された泰子の父高浪の西山良輔は、新派に良くある型で落着きが皆無で殆ど喜 .. 劇中の一員としか思えぬ。森の牛島省吾、着付け科(しぐさ)は酔漢と合点出来たが、次 . 幕へかけて遂に酔客と成り済せなかった。茲が看客との相談物である。此場の原田の浅尾 .. 男爵は、扮には申分ないとして、牛島を叱責するに気が這入って居ず重みもない。松村の .. 國井巡査は軽く出来た、返し國井の宅は少し喰い足りぬ点があった。四幕、浅尾庭園は如 何にも不自然の庭で、那れでは遉に満足する者は独もあるまい。中村の昭子は、後家を張 .. って正氏夫婦から叔母さんと事えらるる身にしては若過ぎたと言う事は大詰まで付いて廻 って居った。然し、若夫婦の睦さに嫉妬を起す丈けて、毒婦となっていけず弱過ぎていけ ぬを程よく演て居たのは千両。五幕、築土八幡境内はお待ち兼ねの見世場で、仕出し同様 の國井父娘は問わず奈落から石段を登る心で中村の出は凝ったもの。森中村の顔合せ、牛 .. ... 島が実の妹とて中村の昭子に其不心得を責むる調子、頑として肯(きか)ぬ女の片意地両 .. 々相待って当夜第一の出来だが、森の引込みより寧ろ中村の落胆(がっか)りしてへたば . .. 、、、 る幕切れを採る。六幕、浅尾応接室は此処に原田の浅尾信輝が板付きと成って居るのが抑 、 .. (そもそも)の誤りで、主人がぽつねんと独り応接室にあるはどうした訳か。西山謙一に 、、、、 対し其妹たる泰子の引取り方を迫るのも気乗がせぬ 中村の昭子は飛込んでからの気息 い。 ( .. き)せき切って信輝に離別一條の成行を問う科(こなし)は、之れだけでは何の故えに気 息(いき)切れするのか合点がまいらぬ。病気とあれば少々激し過ぎはせぬか。櫻井の泰 .. ( ) 、 。 子は謙一から一伍一什 いちぶしじゅう を聞ての述懐 時々平常に返るはちと強すぎた 然し正氏に頼る辺りは御尤も。大詰、昭子病室。中村の昭子はヒステリー患者と見えた。.. 西山親子が下手から上手の信輝の前まで来て何やら辞儀するは蛇足である。森の牛島が妹 . の依頼で泰子を刺す時、櫻井は悲鳴を挙げたが、後に牛島の泰子さんご苦労でした云々の .. 言葉があって昭子の病床に近づくのを見れば承知と思われる。一歩退いて考えると事は突 嗟に属する。然らば矛盾と思う。此の刃傷騒は、一同が并(なら)び大名然と澄して居る のは余りに大胆過ぎた。東の正氏は前後通じて先ず無難だが、今一と気息(いき)の奮発 . が欲い。泰子死せりと聞きし昭子の翻然悔悟するを見て、森の牛島が夫れだから女は…… . で見得と成ったのは幾分恕す事も出来るが言わずもがな (文緒)。

(5)

〈四月二十一日〉 ●千鳥座見聞記 歌舞伎座の勧進帳に千鳥座の弁慶上使、偶然か故意か這麼(こんな) 真似はして貰いたきものなり。先ず小町奴東の花嫁の三幕目より見聞せし仔細物語らん。 茲に役人の気乗りのせぬと申すは余の儀にあらず、諸士に控えし面々が忍び笑いはハテ不 心得では御座らぬか。喜撰の小町奴長吉惜いかな上方弁が瑕、他はきびきびとして結構。 .. 、、、、 太喜五郎の仁王力松は押出しよく、鶴三郎の稲荷九郎は台詞と扮(つくり)とそぐわねぇ .... ... 、、、 様だ。高麗蔵の雛鶴は太夫の重みがない。力松打返し辻堂の場は先ずしんみり、余り御馳... 、、、、 走沢山で手廻り兼ね一番目の尻切れは何の事やら。弁慶上使の場で、團之助のおわさが一 ... 等の出来で達者には演ったが、こせつくのと床(ちょぼ)に乗っての振事が時々男に成っ 、、、、 たのは良くない。太喜五郎の弁慶は珍しい型、珍しい次手に侍従が切腹してからの物語を .... 看客御承知と抜きにした事、其れに橘珏の侍従太郎今少し丈をやりたいものなり。新之助 .. ... の信夫「言う聲さえも……」の床に箝らず手負の台詞とは受取り難い。兎にあれ床は聞き ものなり。大切闇闘では背景の蛍が反って人目を牽いた様に思われた。鶴三郎の頼光、金 ... 、 、 の烏帽子にして欲しいと桟敷の御常連より御聲懸り 那れが烏帽子と言うものか知らんか 袴垂は立派。寡聞不才牛頭を被れる鬼童丸を知て滝夜刃姫の之れ有るに吃驚す。二人獅子 は御苦労。駄評は此位にして何れ彼の桟敷の御常連より拝聴して。 〈五月七日〉 ●端午の節句 五日は日曜なり。又五月の節句にあたりしかば市中は何となしに賑わい たり。芝居は千鳥座千百八十三人、この揚り高百九円三十銭。若竹座は千二百二人、この 揚り高七十円十六銭にて何れも大入を占め、寄席も文楽亭二百三十三人、揚り高十一円五 十九銭、共同亭二百十人、揚り高十一円五十五銭、開情亭八十五人、揚り高三円九十銭、 壽亭三十八人、揚り高一円五十二銭なりし。 〈五月十九日〉 ●千鳥座芸評 当興行の千鳥座は訥升(きのくにや)独り芝居たるは言うを待たない。 先訥升の主殿は、父の勘気を受けても出使せんとの苦忠の程は見えないが、御前で平家没 .. ( ) 、 落に事寄す舞の差す手引く手の科 こなし は充分で諫言となっても気が這入って居たが 惜しいかな、梅舎の甲斐が手答がなかった。二役訥升の浅岡は、上使のお入後の愁嘆が一 .. .. 日中の出来で思わずホロリとせしめた。橘珏の忠左衛門も主殿の本心を聞いての嘆きを片 .. 。 、 倉に憚がりて出来したと紛らす辺は出来したものなり 次の小磯ヶ原も訥升橘珏のみだが 。 ( ) 、 橘珏の仁衛門は軽く出来た 訥升のお静は禮三を断念 おもいき る思入れも良かったが .. .. 眼が明いての喜びも捨て難たかった。喜撰の禮三は先ず無難の方である。此場の子役は無 .. 下にけなしたものでもあるまい。切で訥升の貢は拵に申分なく、万座で万乃に恥しめられ .. 口惜しがるのも良いが、余り芸がさっぱりし過ぎて物足らぬ感がした。寧ろ、後に万乃を 手にかけて心付き変わったと思いし刀も本物なりしに気付きての気の変りを採る團之助の ... 万乃は腹のない役だけに無事であったが、是に引替え百之助のおこんは腹の要る役で、折... 紙探捜の為め貢に愛想尽しは其の苦節を看客が察したか如何に。紀升の喜助は前役綱宗公 .. の方出来は上なるべし (文緒)。 〈五月二十二日〉 ●若竹座劇評 今度蓋を開けた芝居は 元より千鳥座と鎬を削るの覚悟だから、一座気が這入って神妙に 勤めて居った。見せ場である大川端は、七代目家元の新内の妙技を聞かせられて、火入の

(6)

遠見が蓋の開く前夜にまで苦心しただけあって、光線の具合も少し明る過た嫌いはあった が 那れ以上を望むには電気の設備を変えねばなるまい。二三役々に就て言わうなら、富 . 士井の長井兵助は居合腰が喝采。花井梅子の乎子舞姿は良かったが、三幕目辺までは調子 .. .... が通らなかった。然し、花月楼奥座敷で山本に逢うと『山本さん』と可懐(なつか)しが る抔、捨て難い処もあった。曙楼で山本と縁を切るのは腹が足りぬ様だ。大詰で峰吉の出 、 。 。 まで十五分程 加賀太夫に連れて舞台を持ち繋いだのは感心 松村の赤堀治助は安っぽい .. 秀吉に鉄砲を喰って、本田に女へ手出をするなと言われた時の馬鹿はきかない。齋藤の本 .. 田要三、太鼓か銀行員か要領を得ない扮装を何とか考案ありたい。意気の合てたのが取得 。 、 。 。 である 中村の宇治八重 扮装は結構 山本と秀吉が手を引くのを見て妬くのも軽いもの .. 山本の女房お関は、夫を気支い八重に頼みに来る役だが今一気息(いき 。原田の山本吾) .. .. 三郎は、曙楼でお梅に酒をかけられカッと成ってよろけながら打てかからんとする科(こ なし)は良かった。吉原雀の相方での引込は芝居に成った。吉田は役事に大向からうけた .. が、少し場当りを遣り過ぎはせぬかと思う。然し幇間の役で秀吉から□頭(はな)を貰う て、踊っての引込は甘い。森の箱屋峰吉、花月楼で赤堀に呼ばれうかと来て逃げ出すのを . 、、 呼び戻される段取で、齋藤が悪かったには違いないが、戻り方が不自然になった。二百円 の効能を聞れる時の空々しさは良かった。大川端の立廻はあっさりと遣ってのけたのは申、、、、 分なし。二役池上の納所は端役だが軽いもの。唯だ池上の坊主で、大師の歌を引いて戒め た南無阿弥陀仏は悪である (文緒)。 〈六月十六日〉 ●立花亭と清風 末広亭清風が、七間町立花亭の席開きに招かれ十六日より興行すべき 事は既報の如くなるが、同人は関西派浪花節の頭領にて評判高く人気湧が如くなるが、其 ( ) 。 、 。 今 いまそ の閲歴を左に紹介すべし 同人は伊勢四日市立町に生れ 今年四十一歳なり 本名を秦彌之松と云い、父は書画好きの貸本屋なりし。清風は幼少の時より遊芸が好きに て、十二歳の時東京浅草猿若町に芝居茶屋をしていたる森川という叔母を頼って上京し、 故人の仁右衛門が未だ我童といいし時分、早速弟子分になりしが、さて思う程に面白くな きに、一層落語家にと当今売出しののしんの検査を受け、切前を一年半余やり居りしも、、、、 又面白く無いて飛出し、故郷に戻る途中、名古屋にて吉川辰丸の浮れ節を聞き、太く感じ たるも当時はそれで飯食う程の考えもなく、四日市に戻り遊び居りしが、恰度大坂から竹 本山四郎が乗込み来り。父も共に大の義太好きなれば、早速に山四郎の弟子となりて大坂 に行き、初代源太夫の家に足を停めたけれど又飛出し、桑名燕尾という講談師と一所に田 舎廻を始め、都徳丸という浮れ節が四日市へ来りし時、同人の弟子となり所々興行中、事 情あって其座を飛出し、伊勢の松坂で吉川辰丸に出会し。当時は小龍と名乗りたり。其後 父の勧めにより絵草子屋を開業したのが十八歳の時、されども一旦芸人になった清風、堅 気はつとまらず桑名に飛び出し大坂に行き、初代姉川定吉、吉田音丸、廣澤虎吉に従て稽 古をなし名古屋に来り。辰楽と名乗りて看板をあげ居る内、辰丸乗込み同人の幼名辰次の 名を貰い國定忠次、観音丹次が十八番で非常なる人気を得、二代目辰丸となり二十歳の時 東京へ初代辰丸と共に乗込み浜町の久濱亭が初目見得なりし。其後辰次は元大阪町の若松 亭に初看板を揚げたるが、上方節をやるものは虎丸に吉之助、辰丸と辰次の四人のみなり し。其時辰次は本所緑町に家を構えたるが、二十三年八月十七日、辰丸が同家にて虎列剌 (コレラ)病の為めに死し、家族を引取った為め非常なる艱難に陥りたるも、勝気で人に 敗るがきらいなれば耐忍して、遂に今日の人気を博し得たるなりと。因に同人は内藤新宿 に家を構え、静岡へは二十年前に来たことありしと。又同人は立読みにて凡て上品に語り 出し、語りぶりも苦心の結果新たに案出し、武士道発揮に勤めつつありといえば、従前の 浪花ぶしとは違い、紳士間に喝采を博すべしと。

(7)

〈六月二十二日〉 ●清風を聴く 立花亭に連夜大入好景気を占め居る清風は、昨夜もよんどころなき贔屓 筋から招かれて上京し当席を欠勤したるが、今夜からは欠勤は愚か先夜来の埋合せに大車 輪で勉強する由にて、一昨夜もお詫の心で一席景物に語った。切前のは鳥渡(ちょっと) 、 、 、 躓きがあったが 切の清風に至っては 吾人門外漢には細評は出来ぬが遉は軽妙なもので 折々落語の趣味や義太夫の調を加味して演じ、夫れが良く調和して居って、浪花節以外に 或何者かを聴くの思がして、処信の筋のみを聴くものなりとの考えを音律亦た聴くべきな りと翻えしたり (文緒)。 。 、 ●千代子の剣舞 京童はいう 一時非常に鼻下長蓮や学生を騒せた女剣舞金房千代子も モウ目当に行く客はなくなったと。処が、其千代子が開情亭に柳枝一座と興行している。 どんな事をやるのかと一昨夜一寸覗いて見た。千代子の舞台顔は評判の如く嬌冶を極めて 愛嬌あり。気合と吟聲は、金房冠一郎というもの勤む女の腕として三尺五寸を抜く其の鞘 放れのよさ感服したり。横払いも甘(うま)し、正面抜打は今少し左の肱の延びて欲し。 稲妻返しもよく切れたが、納めの時、目の玉が一寸鯉口に気を取られたるは惜し。側面の 突は先ずよしとして、左抜き抜き損じのあったのはお気の毒。双手を縛して抜く、全く腰 の工合なり双手の抜刀これ又よし。舞も刀法に叶いたるが、刀を背に廻すの際、中指と食 。 。 指の間に刀を挟みしは如何 居合術は刀を腕にて抜んとするにあらず心より抜くものなり 気合のみちきる阿吽の呼吸を計り気合をかくるは、演者の為め大に利するものなり。宜し く注意すべし阿々 (寧章投)。 〈六月二十五日〉 ●清風逸話 何故芸人になった? 末広亭清風は同志会の頭取をつとめ、目今立花亭で客に息をもつかせぬ快弁をふるい、食 ず嫌いの耳を驚かし、客種としても中以上を引つけて、毎夜の大入を占めている。時世浪 花節というのは落語と講談と義太夫とをうまくつきまぜて、従前の浪花亭を地に糸に乗せ るものをいうのであります。 清風の父は伊勢四日市立町の貸本屋で、都徳丸が浮れ節の本を借に来る、懇意になる、一 時弟子同様になると親兄弟が喧しい。其も其の筈、東京銀座一丁目伊勢伊時計店は清風の 兄。芸人になるのが大反対で、勘当されて了った。其時分清風の芸人になろう目的は「美 い着物を着て美い女と遊ぶには芸人になるに限る、堅気は駄目だ金がなくて恁うやろうと するには泥棒だ、泥棒より芸人の方がよかろうよ 。好こそ物の上手なれ終に今日の盛名」 を博し得たのだ。 〈六月二十七日〉 ●清風逸話 日本一! 末広亭清風は同志会の頭取をつとめ、目今立花亭で客に息をもつかせぬ快弁をふるい、食 ず嫌いの耳を驚かし、客種としても中以上を引つけて、毎夜の大入を占めている。時世浪 花節というのは落語と講談を義太夫とをうまくつきまぜて、従前の浪花亭を地に糸に乗せ るものをいうのであります。 俺にゃ分らねぇが清風の奴、教育が慥にあるに違ぇねぇ。弁口といい中々立派なものだ。 如何しても堪らねぇから初日からかかしッこなしさ。昨夜もやめようと思って我慢したが 、、、、、 尻がムヅついて敵わねぇ。ママよで駆出したら辰廣がやっていたがうめい 「左様よ、俺。 、、、 んとこの弟子も夕飯そこそこで出て了う、余り可笑しいンんで尋ねたら二晩行ただけだと

(8)

いうがね、帰りの遅え所で見ると毎晩らしいよ、今夜もまた 。隅の方で「そうそう毎晩」 々々、誰れが行かねぇでいられるもんけぇ、あいつは日本一だ 。一同聲を揃えて左様々」 々日本一!(湯屋の立聞き) 〈八月十三日〉 ●静岡の夏芝居 此夏場は若竹座が一手販売の姿で、連中の付込みも多く、其段取が一番目に時代物、次が 浄瑠璃物と世話場、夫れから鳥渡(ちょっと)賑かな立廻りを見せて、大切に静岡のお客 。 、 の御機嫌を伺って打出そうと言った献立 もう二三日でお別れだから細評はお預りとして 一番目で宗之助の袈裟、綺麗には出来たが少し落着きを缺いて居ったが、亘との別れの盃 ... は良かった。春五郎の衣川は他の役々から見て見劣がし、團吉の亘は難なく、長之助の胡 ... .. ... 蝶の前は綺麗と言う丈け。訥子の盛遠、之も同優としては一日中の不出来小さい感がした .. が如何。文覚と成ってから見直したが、 要するに瀧の場は景物、道具もお持参と聞いた が左程感心しない。中幕は宗之助の朝顔、拵えも科(こなし)も良いが、虫が知らずかと ... 思えないのが瑕で、床(ちょぼ)に乗っての振も軽く、引返しての徳右衛門に引張られる 辺り 又心ばかり焦心って後を蹤 した うての科 こなし は結構 贅沢を言えば床 ち、 ( ) ( ) 。 ( ょぼ)を何としかして欲い。下ではお園の顔の拵えが強きに失した憾がある。然し六助と 知っておぼこ気のほの見えるは嬉しい。訥子の六助は見違えるほど大きく、無念の思入も .. 良くウンと踏み 石の減込む道具は細い。淀五郎の老婆は味に乏しく、長之助の斧右... ... 衛門は達者で、上で泣た涙を下で拭うた。二番目では淀五郎の彌兵衛は、貫目があまりな ... さ過ぎた。春五郎の祐範は無難であろう。訥子の安兵衛で難を言えば悪徒の嗅(におい) ... がしたのと刀の扱の拙なのとである。大切の團吉の菊之助は、看破されての気の変りは承 .. 知出来たがチト切れなかろうぜ。淀五郎の番頭は軽かった。先ず此位にして、道具が綺麗 ... になった手次手に障子を張り替え給えと御注意して置く (文緒)。 〈九月二十八日〉 ●若竹座 来る三十日より五日間開催する日本活動写真会の大相撲写真は到る処好評に して、本年五月場所回向院の実況より数十番の取組は毎夜写真を取替えて見せるよしなる 、 、 ( ) が 余興写真としては 東京新橋吉津商店が特約店たる仏国プテー会社の十万法 フラン ( ) 、 。 、 懸賞着色写真人形の結婚 四十分間映写 にして パテー会社創立以来の大傑作 映写中 、 、 ( ) 或は魔術的なるあり 或は美麗なる景色あり壮大なる大建築物あり 総て仏国巴里 パリ 全市の風景を利用して撮影せし趣味の深き。是迄輸入せりとし活動写真中、右に出るもの なき傑作なりと云う。又吉津商店技師が苦心せし結果撮影せし一千余尺の富士登山の実況 、 、 、 。 は 去月初旬の光景にして 男女学生の団体 大坂名優中村雁次郎一行下山の有様等なり 其他、常陸山横浜出発加賀丸乗船の写真は、到る処洋装姿の常陸山が顕れ大喝采なりと。 〈九月二十九日〉 ●若竹座の活動 東京大相撲活動写真は愈々明三十日より開場する事になりたるが、既 報の如く写真中に富士山の実景もあり地理的教育上大関係あれば、成るべく多数有志家の 観覧に供せんとて会主は県庁、裁判所を始め各官衙の重なる人々新聞記者、県会議員、市 、 、 、 、 会議員 弁護士 医師等の各方面に亘れる紳士を招待する由なれば 定めし盛況なるべく 又大相撲写真の初日取組は左の如くなるが、本年五月場所回向院相撲場の外部の光景と梅 ヶ谷、常陸山部屋の稽古の実況より順次取組に掛るべしと。 霞ヶ浦 上ヶ汐 鶴 渡 海 山 稲 川 龍ヶ波 西 郷 小常陸 碇 潟 大 港

(9)

有 村 谷の音 緑 島 五所車 有 明 甲 朝 嵐 加増山 稲瀬川 小 柳 藤見嶽 谷の川 伊勢濱 玉 椿 荒 岩 両 国 朝 汐 錦 洋 常陸山 逆 鉾 国見山 大 砲 梅ヶ谷 番外 太刀山 片福面 波の音 尼ヶ崎 駒ヶ嶽 玉 椿 平田山 〈十月二日〉 ●大相撲活動写真 一昨夜より開場の若竹座日本活動写真会は、開演間もなく木戸締切 りの盛況にて、当夜映写せし写真は例の五月場所回向院大相撲、富士登山、大洪水等其他 余興なりしが、大相撲は殆んど実物を見るに異らざるより取組毎に喝采わくが如く、観客 中には常陸山とか梅ヶ谷とか夫れぞれ贔屓力士の名を呼わるものありて、宛然相撲場に入 りたるの観ありし。又、中村雁次郎が富士山より上る処など同様の喝采を博し、其他余興 外国輸入写真等も頗る好評なりし。

明治四十一年

〈一月二十六日〉 ●若竹座のお伽劇 『新桃太郎』と『五條橋』 一家団欒して楽しむべき新趣味劇として、兼て児童教育の為にお伽倶楽部が計画せるお伽 芝居は、愈々来月一日より三日間、午後正五時より開演の筈にて、芸題は一番目尾上新兵 衛氏作新桃太郎五幕、二番目巖谷小波氏作五條橋一幕と定りたるが、演者は何れも教育あ る文士連なる上、作意には勉めて訓意を含め、桃太郎が山遊びに兎と熊の角力(すもう) をとり兎が熊に勝しに対しては、午睡をして亀に負けたる兎も油断大敵の意を悟れば大力 無双の熊にも勝つと教訓させ、鬼が島征伐の出陣に蟹が磯の小猿に出会しては、犬と猿の 和睦して共に力を恊せんと云うとを聞き、平素は仲の悪い間柄もいざとなれば心を合せる 流石は日本に生れた者じャなァと恊心一致の美質を褒めさせ、犬を主力の歩兵に擬し、雉 は敏活の働きに騎兵とならせ、猿の軽捷を工兵として、日本一の黍団子を軍隊活動の根元 たる輜重に比べしなど全局の作意巧妙に、結局桃太郎の凱旋には、参観の児童をして「桃 から生れた桃太郎」を合唱させて歓迎の心を顕わさしむる用意面白く、尚幕合には、毎幕 にちなみある唱歌の譜を楽隊に奏楽させ子供等に自由に合唱さすべしと云えば、幼き連中 の満足は今より思遣るるなり。入場券は市内各書店にて販売する筈にて、一等五十銭、二 等三十五銭、三等二十銭、子供十銭にて、学生は三等券を求むべしと云う。而して収入の 剰除は江原素六翁設立の成美学校基本金に寄附すべき約束なりと。 〈一月三十日〉 ●若竹座お伽芝居筋書(上) ▲新桃太郎 (序 幕) 春景色の野山、変装の子供三五人唱歌を唄い出でて山より下り来る。爺婆が見付け、何時 聞いても心地良いは子供の聲だが、子供一人も無いのが悲運じゃと嘆く。子供は爺の姿を 認め花咲村へ行く道を尋ね、靴の紐の解けたるを婆に結んで貰い行く。爺婆は後姿を見送 ってホロリとなる。天から授からぬものは仕様もなければ、人の子は我が子と思うて可愛

(10)

がって遣りましょうと語り合い、爺は山に行く。後に婆は河へ出て洗濯し居る所へ、流れ 来りたりし桃を拾い、折宜く来りし飼犬の四郎を山へ爺さんを迎いに遣る。婆は喜んで桃 を抱えて帰る。 (返 し) 爺婆の住家 爺は犬の四郎に裾を噛えられながら来たり。婆の大きなものを拾うたというを、牡丹餅か 餡ころ餅かと訝り、大きな桃を抱え出せしを見て躍り上がって喜び、鉢巻掛にて切り割る と、中から赤児の生れ出でたるに、二人は狂人のようになって喜び桃太郎と名を命(つ) ける。飼犬の四郎は飛び込んで来て背に乗って貰う。爺さんは早く大きくなって馬に乗る のが見たいものだとニコニコする。 (二幕目) 熊阪山の兎角力 樵人二人、近頃頻りに鬼ヶ島の鬼が渡って来て山を荒し村を荒す事を語って居る裡に、熊 笹のザワメクに驚いて逃げ出し、後に桃太郎は飼犬の四郎と共に、兎に桃の旗を担がせ熊 を連れて出で来り。弁当を喰いし後に運動せようという。兎は競争を行らんというと、犬 は笑って『お前は昼寝をして亀に負けたじゃないか』と相手にせず、熊は力自慢で相撲を 取ろうと云い出したのに賛成して兎と取らせる。兎は油断をせず、熊の隙を狙って破り倒 す。桃太郎は、兎は油断して亀に負け、熊は油断して兎に負ける、油断大敵とは此事だと 教訓し、咽喉が乾いたから湯を沸せと、落葉を拾わせる裡、犬は鬼の足跡を嗅ぎ出し大騒 ぎとなりトド鬼の乱暴を訴える。之が動機となって桃太郎鬼ヶ島征伐の軍議となり、大急 ぎにて一同引揚げる。 (三幕目) 猿が復讐の出陣 親猿は子猿と共に井戸端で蟹を釣って居る裡に、鬼ヶ島より渡り来りたる赤鬼、子猿の隙 を狙って捕える。親猿は小猿を助けんと一心に立廻り、遂に自分が引掴まれて行く。子猿 は後を追って嘆き叫ぶ処へ、桃太郎は武装をして四郎と共に出で来る。四郎は猿を見付け 飛び掛り、猿と犬との大喧嘩がある。桃太郎二疋を押し分け、様子を聞いて犬と共に大に 同情し遂に征伐の供を許し、小猿は喜び、此姿では御供しても恥かしければ一寸武装をし て来るべしと山に入る。入違いに、雉は長槍を下げて、我が領分へ無断で踏み込むは無礼 な奴と四郎に突いて掛る。四郎は桃太郎様、鬼ヶ島御征伐の途出に無礼とは素方の事だと 切結ぶ。雉は大に驚いて降伏し従軍を願い出で、翼があらば飛行自在斥候、騎兵の御役に は立とうかという。茲に猿が工兵の服装にて来り、犬の歩兵、猿の工兵、雉の羽叩きに目 潰しが効けば騎兵に砲兵を兼ねたようなものだという所へ黍団子を輜重と為し、歩、騎、 砲、工、輜重と揃うて、之で満足と舟の用意に取掛る。 〈二月一日〉 ●若竹座お伽芝居筋書(下) ▲新桃太郎 (四幕目) 鬼ヶ城の蟹料理 鬼の大王は今日誕生日というので、大酒盛に鬼共、踊るやら、唄うやら、大騒ぎを為し居 、 、 。 る所へ 金棒を曲られたる青鬼大急にて馳付け帰り 人間の小童が攻め込んだと注進する 見る間に雉の斥候、岩崖の上から覗き居るから大騒ぎとなり、之から犬の猿の打入り混戦 の結果、遂に散々敗北し、大王は桃太郎に生捕られたる上海岸に引出さる。 (五幕目) 桃太郎凱旋 、 。 大王は眷属の鬼共一同を生捕られたりと聞いて 最早此上は敵わぬと宝物を出して降参す 桃太郎は以後の懲しめと大王にお灸をすえ、鬼共に宝物を担がせ凱旋す。 ▲五條の橋 小波氏が書き下せし牛若丸三幕の中(うち 、昼間は五條の橋賑いて、庶民群集し放下を)

(11)

舞わせて楽しみ居る。軈て放下も行きし後、二三の民町(ちょうみん)の世間話に、昼間 は賑わしけれど夜間には大入道が出て太刀を奪うという風説じゃとソコソコに入る。景色 が夜になると弁慶出で京伝の太刀を奪い、牛若に遭って散々に悩まされ遂に降参して家人 となる。 〈二月二日〉 ●昨日のお伽噺 昨日は、午後一時より開場主唱者の開会の辞、江原氏の演説、来島氏 のお伽噺あり。今日は、午前九時より聯隊の兵士千二百余名が入場して、来島氏の軍人に 対する話とお伽芝居あり。午後は、尋常の二三年生のためにお伽噺ありて、夜は昨夜の如 くに桃太郎と五條橋の芝居があります。 〈三月七日〉 ●開情亭の今輔 落語界でも一寸評判のよい今輔であるから、毎晩大入で先ず先ず結構 な次第である。一体落語は、今はそろそろと厭かれて来た気味がある。厭かれたから衰え るのは已を得ぬが、多くは落語家そのものに研究心の乏しいと云うこともその一つであろ う。どうも今の落語家の口から滑り出る話と云うものが、千篇一律で現代の要求から遙か に遠ざかったもので少しも溌溂な所がない。落語の改良は芸界の要求である。尤も浪華ぶ しが、武士道鼓吹とか何とか人を馬鹿にしたような調子で市井の間に喝采されて居るから 見れば、落語にも亦何とか工夫がないでもなかろう。まあどっちにしても、一夕鬱を抱い て席亭に足を運ぶものは、高座の電気燈に映じた落語家の頗る楽天的な風彩に接して、兎 に角無我の界に追込まるる丈は採ってやって差支えなかろう。今輔も安心すべし。その他 の先生達も、未だ暫くは天下泰平の夢が貪れようか (△●生)。 〈三月十七日〉 ●若竹座の見物 一昨日は初日にて総幕出揃いとならず、今回の狂言『義理の世界』は 一座が度々演じたる事とて、初日にも似ず各優の意気投合せり中にも (境)の組頭初五、 郎は活気あって如何にも鳶の頭らしく (千坂)の初五郎女房お咲も先もって適り役 (伊、 。 藤)の悪婆お勘は表情に欠くる所あれど科(しぐさ)に難なく (根岸)の僧正念は落付、 がありて一寸涕をこぼさせ (横濱)の乾分傳六(武田)の同じく源太共に難はなく (小、 、 松尾)の芸妓小花チト、ハイカラの所あれど近来の芸妓はあんなものならん。当日は非常 の大入、之も一座大車輪の為めなるべし。 〈三月二十四日〉 ●若竹座の「対面」 まだ見ねば訳らねど、悪漢の為めに最愛の子を奪われ死せしと思 いし親子の愁嘆、舩夫の救助に依って再び茲に親子の対面と云える三行からの長々しき芸 題なれば 大抵筋は読めて居る 菊池 境や根岸にはお手のものであろう 実際の処、 。 、 。 、「義 理の世界」の方は余り時代が遅れて居る気味があったから、今度の対面で若しその弊があ りとすれば大に工夫するがよかろうと思う。何しろ全十幕の内、龍爪山大蛇危害の場から 同山下奇遇の場迄、電気仕掛を以て文明的十三段返しとか云える大袈裟な道具なれば、見 物は自然足が多かろう。 〈四月十日〉 ●花々しき若竹座 菊池、境の一座が若竹座に開演せし以来、劇を替うること五たび。 浅草常盤座に於けると人情気質を異にする静岡に於て、兎角の批評ありたるにも拘らず相 応の入りを持続し居りたるは、一座の技量のある所なるべし。五の替り「五大力富五郎」

(12)

は、新派たる一座には稍々畠違いの感なくばあらざれども、場割筋書は稍々劇として迎う るに足るべく、役廻りも不自然ならで夫々技能を発揮するの余地あるものの如く見受けら 。 、 。 る 仲の町夜櫻仇討と云うので 恰かも花時の花々しき舞台面は目の保養には上乗ならん 尚お、九日(三日目)より大詰に紅葉山人の原作喜劇「夏小袖」三場を出す筈にて、境若 狭の得意満面を伺うべしその場割役割は左の如し。 ▲場割 灰吹屋椽先意外縁談の場、塀外詫事駈落相談の場、奥庭大金盗み奇縁結婚の場 ( ) ( ) ( ) ( ) ▲役割 灰吹屋五郎右衛門 境 千代和七 村井 番頭佐助 川崎 若旦那徳之助 中山 娘お染(木村)仕立屋娘お八重(水谷)下男権平(伊藤)金貸金兵衛(横濱) 〈四月十八日〉 ●千鳥座の初日 坂東秀調一座の千鳥座は、一昨日を以て初日の幕を開けた。拙者が行 ったのは午後七時頃 『糸櫻本町育』は、時間の都合上後二幕を残して次の『千代萩』に。 移ろうとして居る際であったから、之は評なし。秀調の政岡、元より悪かろう筈なく、他 の役者も勉めたりと云うべく、大詰のお染、久松野崎村の場では、秀調のおみつ一人の舞 台手に入ったもの。初日の事とて、少々幕間の長いのに不平を洩らす人も無ったでは無い が、其は致方も無こととして、好劇家は必ず一度は行って見るべき芝居だろう。拙者も久 し振の月明りをほくほく者で家に帰った (拙者)。 〈四月二十三日〉 ●奈良丸の座布団 去る二十一日、駿東郡御殿場駅附近に於て、列車に轢かれたる白き 、 、 もの線路の上に横わり居れるを見出したる駅夫は 是は的切轢死人ならんと大騒ぎをなし 近づき見れば何ぞ図らん白綸子の座布団二枚にて、段々調べて見ると、是は甲州から静岡 に乗込むべき吉田奈良丸が列車に乗込中、乗客多くして下敷をなし居りしものが、如何な るハヅミにや車室より落せしものなりと人々大笑をなし、直に同座布団同日午後八時二十 七分当駅着列車にて送り越したりと。 〈四月二十四日〉 ●初日の奈良丸 二十二日編輯の締切を待って、初日の奈良丸を聴くべく若竹座へ足を 運んだ。何が扨て日本一と名乗る程あって、若竹座の前は緑門暖簾などで華やかに飾って ある。午後七時と云う時刻には最う満員の盛況であった。前座が三席済むと、吉田奈良丸 は悠然として演座に現われる。聴衆は割るるばかりの喝采を以て迎えた。見た処風采は余 。 『 』 、 、 り上った方でない 演題は 殿中の切腹 と云うので 是は耳新らしいと注意を払ったが 奈良丸にしては余りに要領を得て居らぬと思った。次は『義士大評定』であった。前のよ り演り難いものではあるが、此の方は大に引立って居た。慾を云えば、最う少し聲を欲し かった。初日は長途の旅行の疲労もあるからと断って居たので、二日目からは大に力める 。 。( ) と云う意味であろう 文学的か武士道的かそんな事は云うの必要はないと思う 春濤生 〈四月二十五日〉 ●千鳥座の秀調 来る二十七日まで興行の由なるが、二の替り琴責、十種香はともに奇 麗。殊に琴責に秀調が独得の三曲を演じ、中にも三味線は頗る喝采。此幕に岩永(花蝶) の人形振はなくもがな、優が兎角衣紋を繕うに力むるは目觸り。重忠(梅太郎)は初役と 聞きしが、初役にしては能く演じたり。唯だ気の入らぬが疵。十種香に勝頼(花蝶)と謙 信(仲十郎)の長ならぬは何う云う訳か。濡衣(梅太郎)の着付も妙に感じたり。奥庭の 人形振は云う迄もなく軽妙、花道の引込みまで流石は大歌舞伎。初日以来の大入は全く優 の力なるべし。

(13)

〈六月十日〉 ▲若竹座 雲右衛門の浪花節は今晩からだ。是はどうでも聞かずばなるまい。雲を好い ... とするもの悪いとするもの、それは聞く人に依って勿論違う。音に響いた雲、天下を独歩 しようとした雲が、箱根山を徒歩で越して静岡へ来て足を停めようとは、是は浪花節宗拝 の連中に取っては有がたい仕合せである。雲の価値は聞いたら訳ろうから、この人の性格 を一寸照会しよう。遠くから見ると傲慢のようであるが、近寄ると中々の愛嬌ものだ。鳥 獣を愛すること非常で、色々な小鳥、犬などを何処へ行くにも連れて居る。それから釣魚 が道楽だ。昨日も早速市役所から鑑札を受けて、城内の濠へ出掛た位だ。それから酒を飲 むことは全(まる)で論外であるが、冬期に於て一日五升平均の酒量が、四月から十月時 分まではぐっと減ってウイスキーが漸と一本位だろう。別段是と云って際立った特徴もな いが、彼の潔癖は夥しい。そうして少々短気だ。女には決して近かぬそうで、之に朝起を 加えて咽喉の保護をするのだそうだが、毎日五升も煽りつける酒量は咽喉には害にはなら ぬものか。兎に角一寸奇人である。美当は浪花節で二十万も作ったそうだが、雲は浪花節 で二十万の借金を作ったそうだけれど、今度九州へ帰って一廻りやれば雲右衛門会から十 万円は確かに入ると云って居る。金なんぞには余り頓着しないので、支配人が非常に骨が 折れる訳だ。 〈六月十二日〉 ●初日の雲右衛門 初日の雲を聴く。流石は雲右衛門だ、総ての点とは云わぬが多くの点に於て浪界の王と称 せらるるに恥じぬ。去年大阪から非常な勢で東京へ入った雲右衛門は、一挙にして満都の 浪界を風靡して揚々として引き上げたが、今度の上京は更に他の手腕を以て人気を鐘(あ つ)め、桃中軒最後のお土産興行として横浜を初め東海山陽の各地を興行して九州に帰る と云う。その事が既に雲を大きくするのだ。武士道鼓吹を楯として旗揚をしたのは彼の奇 抜な思付であったに相違ないが、武士道鼓吹と云うことは浪花節その物に取っては敢て当 らずと思う。雲を聴いて、雲の特徴を調べて見ると、彼の聲には充分の余裕のある事、節 、 。 廻しに奇麗な調和を認める事 表情に富んだ地の調が人を牽き付ける力が強い事等である 此の三つの特徴があれば浪花節としては殆ど完全と云ってもよい。彼の節廻しは敢て新し くはないが、その遣う所の地語が悉く文として恥じないのは嬉しい。浪花節も雲に到って 初めて芸術の仲間入りが出来ると云いたい。初日は堀部安兵衛を演った。生立と高田の馬 場と聟入(むこいり)とに分けて三席殆ど三時間に渉った。難を云えば、安兵衛の性格が 浪花節一流の型に箝(はま)って居て充分に活躍しなかった事と、語り物として余りに部 分的であった事であるが、それは雲だから責めて見たいと思わるる迄で、雲でなかったら 大目に見て置いてもよいのである。兎に角雲は聲が豊富だ。あの豊富の変化に富んだ聲は 三時間をぶっ通しに語り続けても疲れを認めぬのは豪(えら)い。そうして彼は前座を多 く使わぬ。前座の為めに奪わるる時間は極めて少ないから、木戸も割合に安い訳だ。尚お 一つ言いのこしたことは、雲の語る所、多少自ら高く標致する趣はあるが、衒気と稚気を 脱して居ることどんな階級に聞かしても決して恥しくない事である。彼は武士道を鼓吹す と云うよりも、美に憧がれて居るものと見た方が適当であろう。二日三日と聞いたら尚お 彼の特徴と欠点とが明かになるであろうが、暫く休ませた聲だからと云われた初日の雲を 聞いての感想は凡そこんなものである。 〈六月十九日〉 ●東京文士劇来る

(14)

劇壇廓清の要求から同志が段々と集って出来上った文士劇に、毎日派、早稲田派とある。 早稲田派の方は西劇の紹介に任じ、毎日派は新旧の調和を計って更に新らしい正劇を示そ うとするのである。今度、この毎日派から別に旗幟を新たにした東京文士劇会が、その第 一回の旗揚げとして、明二十日から五日間千鳥座で興行して、劇の真趣を世間に問わんと するので、何様その勇気の盛んなのには敬服する。例の石川半山氏は、同会の理事として 監督の任に当り、阪東秀調は技芸上の顧問として力を寄せ、岡、岡本、荒川博士等も亦同 会を援護するとの事である。又、先代秀調の娘にして今の阪東秀調たる阪東のしほも、こ の一行に加わりてその妙技を奮うとの事である。この団体の顔觸は 、 、 、 、 、 、 、 、 栗島狭衣 高梨俵堂 小口紫水 葛□文子 坂田秋峰 増永春美 高瀬桂葉 木村好文 山本暁雨、加藤櫻舟、林華村、阪東のしほ、尾上梅太郎 の諸氏で芸題は 一番目、岡本綺堂作、由井正雪(三幕)二番目山崎紫紅作かめわり柴田(二幕)大詰ツル ゲーネフ原作栗島狭衣□案喜劇ひとり娘(一幕)中幕鬼一法眼三略巻(菊畑) である。劇壇廓清を標榜せる諸氏の手腕は、我々も見て置く必要があると思う。 〈六月二十三日〉 ▲若竹座…岡山孤児院慈善演芸会……岡山孤児院と云えば、創立以来二十年を経過し、最 ... 初からの収容孤児は二十名に及び、現在孤児七百二十二人、事務員、教師、主婦、看護婦 百余人総て躬行実践主義で、その規模の大きい事は日本にはその比を見ない。院長石井十 次氏の如きは実に慈善事業の最たるものであるが、七百余人の孤児を収容して、之を遺憾 なく教育して一定の職業を与える迄にはその費用は決して少くない。凡そ、事業と云う事 業の内で、慈善事業ほど維持の困難なものはない。そこで、種々な方法を以て天下慈善家 の同情に訴えては拡張をして来たもので、今度の慈善演芸界も元より之に外ならぬ。来る 二十七、八、九三日間毎日午後七時開会にて、その演芸番組は左の如く、入場料は之を寄 附金と称し、入場券は五十銭(一等)三十銭(二等)二十銭(普通券 、学生小児は半額) に対し夫々引換る筈である。 ▲第一日 帝國マーチ(岡山孤児院少年音楽隊)開会之辞(静岡新報社主筆)阿古屋胡弓 調(孤児院少年音楽隊)ウーベルチケール(同上)剣舞(有志令嬢)初音之曲琴六段乏曲 (清水千勢子、同光子、同益枝子)近江八景之詩吟(入江大九郎)孤児院実況の活動写真 (二千尺)ヴイオリン(相宗氏)義太夫三十三所壺坂寺の段(小野寺糸子嬢)余興活動写 真番外ダンス ▲第二日 愛國マーチ(岡山孤児院少年音楽隊)開会之辞(静岡民友新聞主筆)長唄鶴亀 の曲(孤児院少年音楽隊)千鳥の曲(同上)越後獅子(清水千勢子、同光子、同益枝子) 近江八景之詩吟(入江大九郎)孤児院実況の活動写真(二千尺)剣舞(有志令嬢)義太夫 政岡忠義の段(小野寺糸子嬢)余興活動写真、番外ダンス ▲第三日 視捷マーチ(岡山孤児院少年音楽隊)開会之辞(静岡公報社主筆)元禄花見踊 ( ) ( ) ( ) ( 、 りの曲 孤児院少年音楽隊 六段之曲 同上 梅の春の曲 同上 鶴亀の曲 清水千勢子 同光子、同益枝子)近江八景之詩吟(入江大九郎)慈善菓子販売、孤児院実況の活動写真 (二千尺)剣舞(有志令嬢)バイオリン(相宗氏)義太夫阿波の鳴戸(小野寺糸子嬢)余 興活動写真、番外ダンス 尚お二十七、二十八両日は少年娯楽会を開き、午後一時より午後五時迄入江氏のお伽噺、 活動写真、少年音楽等あり。会費金五銭なり。 〈七月二十九日〉 ●若竹座活動大写真 先に当市若竹座にて多大の好評を以て迎えられたる東京エムバテ

(15)

ー活動大写真会は、第二回目興行を昨二十八日より来月一日迄五日間同座に於て開演する 由。同会の写真は、他に類例なき極彩色、又は天然色写真大部分を占め、写真は毎夜過半 数以上取替え映画する筈なれば、喝采を博するは勿論なるべく、中にも大強賊、星月会旅 行、海底旅行、鐘楼守孝女の仇打等は一段の好評なるべし。初日は各等(一等三十銭二等 二十銭三等十銭)十銭均一場代なく、学生小児には割引券を配布せり。 〈八月五日〉 ●蘆幸を聴く 七間町文楽亭で去る一日から開演して居る、浪花節元祖東京浪花亭駒吉 改め蘆幸を昨夜一寸聴いて見た。演題は十八番の『曲垣平九郎』だけあって、中々咽喉も 節廻しも宜かった。一寸奈良丸に似て温順(おとな)いく、長閑な三味線との配合は妙で ある。大相撲連の贔屓は大したもので、聴きに行ってるものも随分多く、中には浪花節で は蘆幸が第一だと褒めて居るものもあったが、自分も宜く迂鳴ると褒めて置く。併し、今 少し聲を上げればと望嘱の念も起らぬでは無い 兎に角にも 蘆幸と云えば各地で喝采 や。 、 ( んや)と云われて来たのだから、夕涼に乗じて得意の咽喉を聴くも宜かろう (春浪生)。 〈八月二十一日〉 ●歌六一座評判記 目下千鳥座に興行の中村歌六、中村時蔵一座は、序幕『お目見得暗 闘 、一番目『黒手組廓達引 、中幕『忠臣講釈』彌作の鎌腹、切が『蓮生坊』黒谷の庵』 』 。 ( ) 、 。( ) 、 室である 一番目の 時蔵 役助六 先ずお目見えと見て置けば好い 歌六 の紀文は 流石に老巧意見の條りも申分はない。そこで今回の呼物は、無論中幕の彌作である (歌。 六)の彌作は、啻(たた)に芸の枯れて居る許りでなく、彌五郎の帰宅を喜ぶ挙動(こな し 、七太夫の自殺を止めての動作(しぐさ 、同人を打止めての見え真に息をもつかせ) ) ない。軽妙の文字も優の動作(しぐさ)を形容するには不足であろう (時蔵)の彌五郎。 は神妙に演じ居るだけ彌作との呼吸も合い、トド七太夫に秘密を話したと聞いて驚く動作 (しぐさ)介錯まで好い。彌五郎であった切の蓮生坊に (時蔵)の玉織は仲々美しい。、 。 ( ) 、 物語りになってから所作の手振りは一通り 愁嘆も先ずあんなものか 歌六 の蓮生坊は 是れ又老巧と云う外はない。物語りになってよりは一層好かった。唯、折々ケレンの見ゆ、、、 るのが疵とも云うべし。何れにしても、両優毎幕車輪の大働き。殊に時蔵は、序幕からの 出通し。好劇家は是非一回見て置くべしだ。 ●若竹座の好人気 昨二十日開場したる佐藤歳三一座の演劇(しばい)は、芸題が嘗て は万都の士女を泣かしめたる『不如帰』なれば元より悪かろう筈は無けれど、非常の好人 気大入にて喝采を博し居れりと、誰しも一度は見て置くべき近頃稀なる好演劇ならん。因 に、明二十二日には両替拍子の総見物ありと。又、本日は軍神社の花火あれど休場せず、 特に本日に限り開場時間を正午十二時に繰上げ、明後日よりは四時開場すべし。 〈九月八日〉 ▲若竹座の藤澤浅二郎 六日を初日に開演したる島田新平一座の客員として出勤せる藤 澤浅二郎は、兼て島田新平が東京に在りし頃、藤澤の紹介にて本郷、東京其他の各座に出 勤したる縁故ありて、今回島田が開演準備の為め在京中、幸い藤澤が高田河合其他二三の 人と野州塩原に避暑旅行を終えて帰京したれば、東京座秋興行準備に未だ四五日の間あれ ば、同優を強て客員として招きたるなり。又、今回同優は故紅葉山人の新講和を藤澤自ら が脚色したる原著、東西短慮の刃とて、徳川時代の短気ものとアラビアンナイトの小話中 の短気ものとを対照して綴りたる短慮の刃のみを勤むる約束なりしも、当地は始めての事 にて、余り骨惜をするようでは看客に対して済まぬ訳なりと、更に一番目『嫁ヶ淵』にも

(16)

校長下瀬に扮して特技を振い 『短慮の刃』には思切り藤澤型に人を酔わせ居る由。、 〈十一月二十五日〉 ●若竹座の評判 女寅、九團次は当市にて久々の開演、殊に女寅の累、政岡、九團次が 仁木、忠彌を演ずると云うので初日以来の大入り。若竹座は近来になき大景気なり。今、 役々に就き素人評を試むれば、女寅の累は流石は老巧。身売りの件より土橋迄、此処と云 う申分はなけれど、土橋となってはチト凄味に欠けて居る感がある。與右衛門との立廻り は奇麗。花道の時も大喝采でありし。二役政岡は、経験のある役の事とて悪かろう筈が無 い。茶の湯の仕舞も確かなもの。彼の長き間見物に息をも吐かせねは、優の腕なり。愁と なりては、少しく腕に任せて演りすぎはせぬか。三役忠彌の女房おせつは、男勝りで忠彌 に取りては出来過た女房と云って宜しい。九團次の與右衛門は、品のある所以前由緒ある 與右衛門と見える。累の殺しはクドからずして好し。二役八汐は立派なり。今少し悪が利 たらと云う節もあれど、総体に老巧の腕が見える。三役の仁木は、流石は座中の大立物、 苦笑いよりそり身になっての引込まで大歌舞伎を見る心地せり。四役忠彌はお手のもの。 石を投げての見えは故人左團次其儘にて、伊豆に名前を問われ忠兵衛と答えての引込は軽 く、立廻りは高島屋一家の専売にて割るる許りの喝采なりし。紅若の金五郎は達者に演し 居れり。二役の沖の井は可もなし不可もなし。三役伊豆の守は落付きもありて好く、幕切 も申分なし。成次郎の松島は、仕草に難はなけれど台詞に曰くあり。市五郎の男之助は奇 麗と云って置けば宜しい。二役藤四郎は意外の出来、忠彌へ意見の條りもシンミリとして 好し。市作の栄御前、蔦之助の小槙、母親おむつは評なし。先ずは斯なもの、兎に角初日 以来の大入は女寅、九團次の大働き。好劇家は是亦一回見物するの価値あるべし。 〈十二月二日〉 ●若竹座見物 二十九日稍々遅れて二の替りを見物に行く。一番目『夜討曾我』は館の 対面を見たばかり。紅若の頼朝どうしても受取れず。様之助の景高、稍々心ありての仕草 .. ... 。 、 、 。 と覚ゆ 市五郎の仁田 貫目が足らぬばかりか 芸が余りに態とらしく殆ど成って居らず ... 蔦之助の五郎丸は評に入らず。九團次の時致、流石と思わしめたれど顔が余りに寂しいは... ... 如何、忠孝の義心は先ず無事ならん。子役蔦丸の犬坊丸、殺風景な場所だけに舞台を活か .. すだけの情味は充分、芸も亦望みあり。中幕『壺坂』は、見物の注意を牽きし幕だけに全 体に於て活きて居たり。澤市内では、女寅のお里、テキパキせざるは玉に疵。九團次の雁 .. ... 九郎はユトリがあって隙さぬ所を取る。此処では紅若の澤市大出来なり。胸のモヤクヤを .. 絃に紛らすあたり十分の出来。観音堂では女寅の働き力あり。谷底へ行って成次郎の観世 .. ... 音、只綺麗の出来と申さん。澤市の目が開いて怪しみ且つ喜ぶ所女寅、紅若車輪にやって .. .. 。 、 。 『 』 退けたり 最後に観音を宙に吊った処 舞台面霊光輝いて心地よし 二番目 八百屋お七 では、見世の場にて様之助の傳吉、瀧三郎の家主相応の出来。市五郎稍々気焔が上り、紅 ... ... ... . 若のお杉忠義ぶり顕われて宜く、九團次の久兵衛落着あって申分なく異見の場など殆ど斧 . ... 。 、 。 、 、 穿の跡を認めず 豹次郎の丁稚 市作の手代丸で拵えもの 奥座敷へ行って 女寅のお七 ... .. .. 流石はお手のもの、此の処専売とや申さん。櫓の場に及んで人形振殊に艶なり。成次郎の... 吉三顔の宜かりしが取柄と云わば足らん。兎に角、この一行が地方へ出ても投げやりの踊 を見せぬ所は見上げたもの。若竹座を済まして浜松へ乗込む由なるが、此分ならば大に持 てることならん。 〈十二月十日〉 ●八百蔵と宗十郎 ▲八百蔵と静岡

(17)

(佛心小路清心亭での小供芝居) 私の生れは上方ですが、十三四の頃この静岡へ参りまして、三年ばかり小供芝居に加わっ て居りました。その頃、新通の佛心小路に清心亭と云う寄席とも付かず劇場とも付かぬ小 屋があって、それへ出て居ったものですが、小供の時分の三年をこの静岡の御厄介になり 。 、 、 ましたので殆ど静岡ッ児のように見られたものです それから 十六の時一寸甲州へ入り 間もなく東京に出て八百蔵を名乗りました。その後、確か二十三歳の時と記憶して居りま すが、寺町の若竹座へ参った事があります。それから四十九才の今日迄、一回も御当地へ 足を向ける機会のなかったのが、今度図らずも千鳥座で御目見得をすると云うのは何とな く懐かしいような気が致します。芸術に対する苦心と申しましても別段思い当る事もあり 。 、 。 ません 只 長い間の劇の変遷に連れて絶えず修養と工夫とを怠らなかったと云う丈です 今度の『吃又』なども、小供芝居時代に習得った型に、團十郎のは何処が宜いとか高島屋 の型では何処が宜いとか、それを彼方此方と参酌して自分の工夫をも混え、進んだか退い たかは兎に角、幾分か変化の跡はあると思います。それに、当今は見物が長いものを喜ば れませんから、かの『助六』の如き充分に踊れば二時間と四十分費りましたものが今では 其所此所と抜いてそれでも一時四十分位は費ります。何れの時代にも時代精神と云うもの がありますから、劇の如きも自然それに伴って行かなければ駄目ですが、何が扨て今日は 脚本が欠乏なのと新機なものの上、場に多大な時日を要するのと、今一つは俳優の養成に 困難なのとで、到底今の処は過度時代と申す外はありません。團十郎などが、晩年跳を減 、 、 じて三つの振を一つにし 後の二つを腹で見せて見物に飲み込ませることをやりましたが 是は劇の進歩と云うよりも身体の都合が多かったので、それを我々が宜いことだと真似て 見ても大抵は失敗に終ると申すような訳でありますから、立派な時代芸術と云うものが成 立つのは実際いつの事かと少々は心細く思って居る位です。 ▲宗十郎の苅萱 (千鳥座初幕苅萱桑門筑紫車榮(いえづと )) 苅萱は、享保二十年豊竹座で人形芝居に興行されましたが、演劇の方は先代即ち六代目 宗十郎の未だ源之助時代に、大阪で修行中彼の地で出来た新狂言です。只今では、苅萱と 云って高野山の一齣のみを中幕に演ずるのが普通ですが、今度は序の狐川の渡し場、監物 太郎館の場、女人堂の場高野山の場、都合四幕の並べ方にして私が苅萱道心を勤めるので す。六代目宗十郎は新洞左衛門と苅萱の二役を勤め、いつも好評であった為め家の狂言に なり、六代目宗十郎の歿後は訥升時代から高助の晩年まで此狂言を数度演じましたし、地 。 、 方興行の御目見得には必ず此狂言を出物に致して居りました 夫で此高助の晩年の苅萱は 私の源平時代で八歳の折、始めて横浜の蔦座で石童丸の役を勤め、二十歳の時、奥州米澤 へ巡業中、矢張此狂言を出しまして、私が女之助と苅萱の二役を演じました。此時の一座 、 、 、 、 、 は片市 女寅 私の顔振是が私の苅萱の初役で 二度目は二十歳の時 横浜の蔦座で演じ 、 、 其後は其処此処で勤めますが 兎に角此狂言には幼少の時から浅からぬ関係がありまして 父高助は平素は温順しい人でしたが、芸道にかかると愛情などは忘れて、私が石童丸を泣 きの涙で勤めたと云う珍談もある位です。 何しろ、高野山の場などは子供と二人限りなのですから、動(やや)もするとだれる所が 、、、 あるので、重複な箇所は省いて昔から見れば余程簡単に演って居ります。併し成丈は先代 、 。 の型は崩さぬ方針を採って苦心し 只だ段切が平凡であるから次のように改めて見ました ソレは、石童丸が三重の鳴物で揚幕へ這入ると、一人木舞台に残って本鐘を聞かせ、泣き 上ると一緒に最う一ツ鐘を入れ、立上って膝を払うのが三度目の鐘で正面を切って法衣の 袖を払うと以前石童丸に引かれて切れた袖に気づき思入で涙を拭き、石童丸を見送る思入 で三足前へ出て、左の足を引くのが木の頭で左の袖を捲いて泣き上げ悄然とし上手に這入

参照

関連したドキュメント

・座長のマイページから聴講者受付用の QR コードが取得できます。当日、対面の受付時に QR

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

支払方法 支払日 ※② 緊急時連絡先等 ※③.

今回の SSLRT において、1 日目の授業を受けた受講者が日常生活でゲートキーパーの役割を実

使用テキスト: Communication progressive du français – Niveau débutant (CLE international).

[r]

[r]

目について︑一九九四年︱二月二 0