はじめに― 2 つのナショナリズム― マルタでの冷戦終結宣言から 10 年以上が経過した現 在,「ポスト冷戦」はもはや死語になりつつある。しか し冷戦終結前後に旧ソ連を中心に吹き荒れたナショナリ ズムは,今日でも依然として世界各地の安全保障に潜在 的紛争原因を残している。チェチェン,ドニエストル, 南オセチア,アブハジア,ナゴルノカラバフ,コソボ, 北アイルランド,クルディスタン,パレスチナ,アフガ ニスタン,カシミール,ウイグル,チベット,台湾,ア チェ,その例は枚挙にいとまがない。本稿はナショナリ ズムを安全保障の見地から考察する。ナショナリズムは, 他の学問領域には還元できない国際政治学(安全保障 論)独自の視点で分析・評価されるべき側面を持ってい る。 「ナショナリズム」「民族」は,統一的な定義がなく, 混乱を招きがちな用語である。本稿の「ナショナリズム」 は,「国家ナショナリズム」と「民族ナショナリズム」の 両方の意味を持つ。前者は,「自分が所属を意識する国 家への一体感と忠誠心」すなわち「愛国心」を,後者 は,「自分が所属を意識する民族への一体感と忠誠心」, すなわちコナー (W. Connor) の言う「エスノ・ナショナリ ズム」を意味する1。本稿がナショナリズムをこのよう に定義するのは以下の理由による。(1)「愛国心」という 一般的なナショナリズムの定義だけでは,国内少数派民 族の自民族に対する忠誠心・一体感が,また,ある国内 の多数派(あるいは少数派)民族が他国で少数派(ある
ナショナリズムと安全保障
長谷川将規 *
Nationalism and National Security
Masanori HASEGAWA*
This article considers nationalism in terms of national security. Nationalism has been one of the most important causes of war and closely relative to international political structure (anarchy). Therefore, nationalism should be viewed and explained not only from the viewpoint of history, sociology, or anthropology, but also from the viewpoint of interna-tional politics (security studies). This article is composed of five chapters. Chapter 1: The Virtue and Vice of Nainterna-tional- National-ism. Chapter 2: Anarchical Nationalism: The General Cause of Nationalism from A View of International Politics. Chap-ter 3: The Various Causes that Exalt or Soften Nationalism. ChapChap-ter 4: Implication of Nationalism in National Security. Chapter 5: The Future of Nationalism.
The future trend of international politics will depend on that of nationalism. The reality of Samuel Huntington’s best selling book The Clash of Civilizations that has been an object of discussions at almost all national academies will also depend on the future trend of nationalism in North Atlantic states and Islamic world.
Vol. 39, No. 1, 2005 *総合文化教育センター 講師 平成 16 年 9 月 30 日受付 1 「民族」の厳密な定義は困難であり,それは砂漠で 蜃気楼を追いかけるに等しい。浅井信雄「民族世界地 図」(新潮社,1997 年)9–10 頁。例えば,民族の定義 にかかわる次の質問に,果たして何人が即答できるだ ろうか。米国人は一つの民族か。パレスチナ人はパレ スチナに住むアラブ人にすぎないのか,それとも独立 した一民族か。レバノンのイスラーム・ドルーズ派, キリスト教マロン派,インド・パンジャブ州のシク教 徒,米国ユタ州のモルモン教徒はどうか。「部族」や 「氏族」は,「民族」とどう違うのか。部族が民族の下 位集団であるというのならば,どの程度の規模ならば, 部族は民族になるのか。 本稿は,民族の定義の厳密な追求の困難さと不毛性 を考慮し,「出自の共有を信じている人間集団」とい うコナーの定義を参考に,「出自の共有を信じ,特定 の領域に深い結びつきを持つ人間集団」として民族を 定義する。これが,民族を他の集団(例えば宗教集団 やテロ組織など)と大まかに区別する必要最小限と考 え る か ら で あ る 。 Walker Connor, Ethnonationalism (Princeton: Princeton University Press, 1994) p. xi.
いは多数派)となっている自民族に抱く一体感が2 ,そ してそれらに起因する紛争が,いずれも対象外になって しまう。(2) 逆に「民族ナショナリズム」だけでは,広く 普及しているナショナリズムの定義(愛国心)を無視す ることになる。また,過剰な愛国心を背景にした一国中 心主義(例えば米国)や拡張主義(例えば中国),それ らに起因する国際的な緊張や紛争が対象からもれてしま う。(3) さらに,この 2 つのナショナリズムのどちらが欠 けても,今日の民族紛争の中心「国家統一 vs. 民族独 立」3が,明瞭かつ体系的に捉えにくくなってしまう。 2つのナショナリズムは,ときに一致し,ときに対立 する。ポーランド,アイルランド,日本などのように単 一民族国家に近い場合,あるいは多民族国家でも漢人や ロシア人などの支配的民族にとっては,この 2 つのナ ショナリズムはほぼ重なり合う4 。逆に,国内少数派民 族が所属国家よりも自民族に忠誠心・一体感を持ち,自 治や分離独立を願い,国内多数派民族がこれに強く反対 する場合,2 つのナショナリズムは「国家統一 vs. 民族独 立」という形で鋭く対立する。2 つのナショナリズムの 優劣は,事例により異なる。国家ナショナリズムが欠 如・崩壊し,民族ナショナリズムによって分裂する国家 (ソ連撤退後のアフガニスタンや冷戦終結前後のユーゴ スラビア)があれば,強力な国家ナショナリズムによっ て民族ナショナリズムの分裂作用がある程度克服された り,抑え込まれている国家(今日の米国や中国)もあ る。 およそどんな国家・民族であれ,その独立と繁栄を願 う以上,程度の差こそあれナショナリズムは存在する。 ナショナリズムが完全に欠如した国家・民族というもの はありえない。したがって,問題は,ナショナリズムの 存否ではなく,そのバランス—危険なバランスか否か— である。ナショナリズムが極度に高揚し,一般民衆の熱 狂を伴う強硬的・排外的態度の表明,根拠のない近隣国 の脅威の煽動,異民族への差別・虐殺,抑圧的政治体 制,自国の文化・歴史の優越性誇示,他国の文化・歴史 への誹謗中傷,歪曲・捏造された宣伝などが見られ,し かもエリート層がこれらを抑制せずにむしろ利用して煽 動するとき,ナショナリズムは危険水域に入る。 本稿の構成は以下のとおりである。第 1 章は,安全保 障の観点からナショナリズムの功罪を考察し,その高揚 と衰退はどちらも危険なことを論証する。第 2 章は,ナ ショナリズムが,他の学問領域には還元できない国際政 治学(安全保障論)独自の視点から説明される必要があ ること,すなわち,ナショナリズムが国際政治のアナー キー性と密接な関係にあることを論証する。第 3 章は, ナショナリズムを高揚,緩和させる具体的諸要因を確認 する。そして以上の議論を念頭に,第 4 章は安全保障政 策におけるナショナリズムの含意を,第 5 章はナショナ リズムの将来を考える。 1.ナショナリズムの功と罪 日本の代表的な現実主義者,高坂正堯は,かつてナ ショナリズムを「必要ではあるが危険でもある感情」5と 評した。ナショナリズムは,もろ刃の剣であり,功罪を 併せ持つ。 1–1 ナショナリズムの危険性 高揚したナショナリズムの危険性は明白である。それ は,しばしば抑圧的政治体制や民族差別の温床となり, トルコのアルメニア人虐殺やドイツのユダヤ人虐殺の悲 劇をもたらした。そして国際的には,以下の理由から危 機と戦争をもたらしてきた。 (1) ナショナリズムの制御困難性:ナショナリズム は,一定の水準を超えて過熱すると容易には沈静化せず, しばしば不可逆的に暴走し,制御困難に陥りがちである。 政府は強硬な世論に迎合して非妥協的で硬直した外交を 余儀なくされるので,対外的緊張が高まり,それがまた 一層,民衆のナショナリズムを加熱させる6。 (2) ナショナリズムの自己予言性:ナショナリズムの 喚起・高揚はときに自己予言的悲劇をもたらす。国家 X のエリート層が国家 Y の脅威を訴えて喚起させたナショ 2 例えば,アルメニア,アゼルバイジャン(ナゴルノ カラバフ)のアルメニア人。ロシア,モルドバ(ドニ エストル),バルト三国,中央アジア諸国のロシア人。 セルビア,ボスニア,クロアチアのセルビア人。米国, イスラエルのユダヤ人。 3 例えば,インドネシアとアチェ,イリアンジャヤ。 ロシアとチェチェン。中国とチベット,ウイグル。イ ラン,イラク,トルコとクルディスタン。グルジアと 南オセチア,アブハジア。モルドバとドニエストル。 スペインとバスク。セルビアとコソボ。 4 しかし,常に重なるわけではない。民衆が既存の国 家体制の腐敗や抑圧や弱体化に憤り,民族ナショナリ ズムに立脚した新しい国家体制を望むとき,国家ナ ショナリズムと民族ナショナリズムが矛盾する事態が 生じ,革命につながるかもしれない。1–1(9) を参照さ れたい。 5 高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮社,1996 年)166 頁。
6Edward Mansfield and Jack Snyder, “Democratization and War,” Foreign Affairs, Vol. 74, No. 3, 1995, pp. 87–89.
ナリズムは,今度は逆に Y の X への脅威感と反感を高揚 させて,Y のナショナリズム高揚を招く。すると X は Y の脅威を現実のものと確信し,X のナショナリズムが一 層高揚する。そして,それがまた一層 Y の X への脅威感 と反感を高揚させて Y のナショナリズムを加熱させ,X と Y は危険なスパイラルに陥っていく7。 (3) 急激な軍拡の誘発:ナショナリズムの高揚は防 衛意識や膨張志向を強めるため,しばしば急激な軍拡に つながり 8,国家(民族)間のパワーバランスが不安定 になる。パワーで優る側はこの機会を利用しようとする ので,また,パワーが劣る側はパワー格差が拡大しジリ 貧状態になることを恐れるので,予防攻撃と先制攻撃の 誘因が生じる9 。 (4) 保護貿易主義:ナショナリズムの高揚は,保護 貿易主義,あるいは経済的自給自足への願望に由来する 侵略につながる場合がある。これは,世界恐慌以降の世 界経済ブロック化と経済的自給自足のための植民地追求 が第 2 次世界大戦の遠因となったように,既存の国際秩 序を動揺させる。 (5) 国境線の変更:ナショナリズムの対立は,政党 や階級の対立と異なり,国境線の変更(少数派民族の分 離・独立,それによる隣国への領土割譲や国家分裂)に つながる。これは多くの場合,①当事国にとって生存の 危機であり,それゆえ激しい反発を招く。また,②国家 間のパワー関係を変動させ,当事国のみならず周辺国の 安全保障や死活的利害にも重大な影響を及ぼすため,周 辺国の介入も招きやすい10 。さらに,③しばしば支配的 民族を少数派に転落させ,民族間のパワー関係を変動さ せる。モルドバやバルト三国のロシア人,クロアチアの セルビア人などが陥り,将来,北アイルランドの英国系 プロテスタントも陥りかねないこの恐怖は,武力行使を 含む激しい抵抗運動を招きやすい。 (6) 同一民族の共感と介入の誘惑:同一民族が複数 の国家に散在する場合,国内の民族紛争に,同一民族の 共感から近隣国が介入し国際紛争につながるおそれがあ る。1992 年 3 月,モルドバ・ドニエストル地方のロシア 系住民とモルドバ政府軍との戦闘では,ロシア各地から コサックが志願兵として参戦し,またモルドバのスネグ ル大統領はロシア第 14 軍の関与を指摘してロシアを激 しく非難し,対ロ宣戦を議会に迫った11。1998 年 8 月, コンゴでツチ族系バニャムレンゲ人の主力部隊が反乱を 起すと(コンゴ内戦),ツチ族が実権を握るルワンダは 反乱軍支援の軍事介入を行い,コンゴ政府側にはジンバ ブエ,アンゴラ,ナミビア,チャドが参戦し,内戦が国 際紛争にエスカレートした12 。 (7) 戦略としてのナショナリズムの誘惑:①国家は, しばしば,対立する国家の民族ナショナリズムを煽動・ 利用する誘惑に駆られる。例えば,19 世紀末以降のロシ アは,オスマン・トルコ領内のアルメニア人ナショナリ ズムを利用してトルコ領進出を企てた。1930 年代後半の ドイツは,チェコスロバキアのズデーテン・ドイツ人を 利用してズデーテン地方を割譲させ,さらにはスロバキ ア人の独立運動を利用してチェコスロバキアを解体・占 領した。冷戦期のソ連,中国は,アジア・アフリカ諸国 のナショナリズムを利用して,西側陣営に政治的揺さぶ りをかけた。イラン・イラク戦争では,両国とも,互い に敵国内のクルド人勢力を支援し敵の動揺を狙った。自 国領内の民族ナショナリズムを他国に利用される国家は, 領土保全への重大な危機を抱えるだけに,当然強く反発 し,両国間に緊張が生じる。また,既に紛争や戦争が生 じている場合には,他国によるナショナリズムの煽動は 7 例えば,91 年 9 月以降に本格化したクロアチアとセ ルビアの戦闘。また,この懸念があるものとして,米 国同時多発テロ後の米国と一部イスラーム諸国。 8 例えば 1933 年から 39 年にかけて驚異的に上昇した ドイツの軍事力。Randall L. Schweller, Deadly Imbalance (New York: Columbia University Press, 1998), pp. 57, 90.最 近では,ヒンドゥー・ナショナリズムを象徴するイン ド人民党のバジパイ政権は,98 年 3 月の政権樹立から 2ヶ月たたないうちに 24 年ぶりの核実験に着手した。 同政権の下,2000 年度のインド国防予算は前年度比 28%増で過去最大の伸びを示した。『世界年鑑 2001 年 版』223 頁。また中国の国防費は,1989 年以来,13 年 連続で 2 けたの伸びを示している。『世界年鑑 2002 年 版』168 頁。 9 パワー関係の不安定と戦争の因果性は,Stephen Van Evera, Causes of War (Ithaca: Cornell University Press, 1999) pp. 74–86を参照。 10 例えば 1971 年の第三次印パ戦争の勃発において, 東パキスタン(現バングラデシュ)の分離はパキスタ ンにとって,(領土の死活的部分を喪失するという意 味で)生存の危機であるとともに,東西からのインド 挟撃を不可能にし,逆にインドはその恐怖から解放さ れるため,印パのパワー関係を大きくインド有利に傾 かせるものであった。将来考えうる例では,例えば, コソボの分離とアルバニア併合はアルバニアとセルビ アのパワー関係に,アブハジアと南オセチアのロシア への帰属替えは,ロシアとグルジアのパワー関係に, 甚大な影響を及ぼすだろう。 11 『朝日新聞』1992 年 3 月 18 日,5 月 21 日および 26 日。 12 『世界年鑑 2001 年版』372–373 頁。
それらを一層悪化・長期化させる。②いくつかの政権は, 自国民のナショナリズムを煽動することで権力基盤強化 と国内統一をはかろうとする。これは 1–1(1)(2) の危険を 生む。クロアチアのツジマン,セルビアのミロシェビッ チ,黒人農民の支持を獲得するために白人農園主への黒 人農民の略奪行為を賞賛したジンバブエのムガベ,歴代 の中国共産党,韓国,北朝鮮の政権などが,印象的であ る。 (8) ナショナリズムの伝染:①ある民族のナショナリ ズムと分離独立運動が,国内の別の民族のナショナリズ ムをも刺激し,分離独立運動がドミノ理論的に波及し, 国家は秩序を失い,最悪の場合には分裂・崩壊する。過 去にオスマン・トルコ,オーストリア・ハンガリー,ソ 連,ユーゴなどがこれに陥り,今日ではインドネシア, 中国,ロシア,グルジアなどにこの危険が潜在する。② ある民族のナショナリズム高揚が,敵対する別の民族に 脅威感を与えて対抗的ナショナリズムの高揚を招く。例 えば,ソ連・ロシアに対するグルジア人ナショナリズム の高揚は,他方でグルジア語の強制などグルジア内のオ セット人,アブハジア人への抑圧を招き,彼らのナショ ナリズムを高揚させた。ナゴルノ・カラバフ問題をめぐ るアゼルバイジャン人のナショナリズム高揚は,アゼル バイジャン内のレズギ人の脅威感を高め,彼らの民族ナ ショナリズム高揚と自治・分離運動を促した。コソヴォ とヴォイヴォディナの併合を狙うミロシェビッチの大セ ルビア主義は,クロアチア人の脅威感を高めて彼らのナ ショナリズム高揚とクロアチア独立を招き,それが今度 はクロアチア内のセルビア人の脅威感を高めて彼らのナ ショナリズムを一層高揚させ,悲劇的なクロアチア内戦 につながった13。 (9) 2 つのナショナリズムの矛盾,革命:支配民族の 自民族への忠誠心(民族ナショナリズム)が,既存の国 家体制への忠誠心(国家ナショナリズム)と大きく矛盾 する場合,彼らは既存の国家ナショナリズムとそれに立 脚する国家体制を否定し,自身の民族ナショナリズムに かなう新たな国家ナショナリズムを喚起させる可能性が ある。フランス革命,太平天国の乱,ケマルのトルコ革 命,イラン革命などが示すように,これは革命の引き金 となり,革命は多くの場合,他国の干渉を招いて国際紛 争と戦争の引き金となる14。 1–2 ナショナリズムの必要性 しかし,高揚したナショナリズムの危険性が明白であ る一方で,過度のナショナリズムの衰退や軽視もまた, 安全保障上,次の問題を生じさせる。 (1) 国家主権の軽視:例えば,領海侵犯,自国領土 の不法占拠,内政干渉などの傍観である。これらは国家 の死活的利益である領有権,独立権を脅かし,国家威信 (後述)を大きく傷つける。しかも,領域問題は,竹島 や西沙・南沙諸島の例が示すように既成事実化しやす い。鈍感な傍観が既成事実を生み,(初期段階の毅然と した態度があれば顕在化しなかったかもしれない)領域 紛争につながる15。 (2) 効率的なパワー利用と国益追求の妨害,軍の弱 体化:国家ナショナリズムが過度に衰退した国は,国内 の分裂と混乱に陥り,自国のパワーを国益達成のために 効率的に利用することが困難になる。また,国民全体の 国防意識の衰退,軍の士気と団結力の弛緩による内部か らの軍の弱体化によって,安全保障が損なわれる。そし て,これらが対外的に過度に露見した場合には,国家威 信(後述)が失墜する。ソ連崩壊前後,ソ連,ロシアの 国内政治の混乱と軍の規律の乱れがしばしば報道された が,これは世界中にかつての超大国の凋落ぶりを印象づ けた。 (3) 夢想的な国際主義,現実的な国際協調の妨害: 国家の否定,国家への嫌悪感の高揚は,しばしば夢想的 な国際主義につながりやすく,それは地に足のついた現 実的な国際協調を逆に困難にする。国家のエゴや利害と 無関係な真の国連軍を創設せよ,それまでは自国部隊を 戦闘行為に参加させるような国際協力はできない,と いった理想論は,理想として崇高かもしれないが,現実 には国際協調の単なる妨害にすぎない16 。 13 高橋通浩『改訂版 世界の民族地図』(作品社,1997 年)275–276 頁。北川誠一「アゼルバイジャン」「レズ ギ」『世界民族問題事典』(平凡社,1995 年),34 頁, 1227頁。マイケル・イグナティエフ(幸田敦子訳) 『民族はなぜ殺し合うのか』(河出書房新社,1996 年) 40-42頁。 14 革命と戦争の因果性については,Stephen M. Walt, Revolution and War (Ithaca and London: Cornell University Press, 1996) pp. 5–6. 15 例えば,自国領土に近隣国が異議を唱えて「領土問 題の存在」を訴えたり,自国領土を不法占拠した場 合,これを傍観していると,次に相手は「領有権棚上 げ」や「共同管理」,あるいは「領有」を主張し始め, さらには第三国への開発許可などを独断的に行うよう になるかもしれない。こうして自国の領有権は次第に 曖昧にされていく。 16 示唆を受けたものとして,奥村房夫『国際政治の省 察』(前野書店,1975 年)96 頁。
(4) 国家の崩壊,周辺国の介入,国際テロ組織の浸 透:国家ナショナリズムの過度の停滞や衰退は,国家の 分裂,崩壊,無秩序状態につながる。例えば,アフガニ スタンの場合,パシュトゥン人,ハザラ人,タジク人と いった民族ナショナリズムや地方軍閥の跋扈によって健 全な国家ナショナリズム(「アフガン人」意識)が育た ず,それがこの国の分裂と無秩序を継続させてきた。 ユーゴスラビア崩壊の遠因も,各民族における国家ナ ショナリズム(「ユーゴ人」意識)の脆弱さにあった。ま たソマリアは,かつては過剰な国家ナショナリズム(大 ソマリア主義)さえ見られたが,現在では「ソマリ人」 という国民意識が崩壊し,ソマリ人社会に古くからある 氏族意識が跋扈し,国内は完全な分裂状態にある。しか も,このような破綻国家は,周辺国の介入を招きやすく, また国際テロ組織の格好の活動拠点にもなり,単なる国 内問題を越えた国際的な緊張をもたらす。 (5) 国家威信の失墜:過度のナショナリズム衰退は, (1)や (2) を通じて,「国家威信」—自国の「パワー(国 力)」と「意志」に対する他国の評価—を失墜させ,次 の問題を生じさせる。①国家 X が自国のパワーを他国へ の影響力に転換するためには,国家威信の確立が,すな わち「X はパワーがあり,国益追求のためにパワーを利 用する強い意志を持っている」ことを他国が認めている ことが,必要不可欠である。したがって,もしも国家威 信が失墜してしまったら,すなわち「X はパワーがな い」,「X は自国のパワーを利用する意志がない」と他国 に認識されてしまったら,国家 X がいくら現実にパワー を持っていたところで,宝の持ち腐れになってしまう17。 ②他国の侮蔑と過小評価を招き,相手国の非妥協的態度 や脅迫的要求,さらには侵略的行為を誘発してしまう18。 ③同盟国の自国への信頼性を低下させ,同盟関係を動揺 させる。④ ASEAN 地域フォーラム (ARF) や全欧安保協 力会議 (OSCE) などのいわゆる「多国間安全保障対話」を 自国の国益にそって有効活用することが困難になる。な ぜなら,多国間安全保障対話を自国の国益にそって有効 活用するためには,自国の発言が他国に対して一定の影 響力・説得力・信頼性を持つことが必要不可欠であり, それはまさに自国の国家威信によって支えられるからで ある。 国家威信は,とかく「つまらない面子」や「時代錯 誤」と受け取られがちであり,その失墜は,他国による 武力行使や侵略,都市の破壊や人命の喪失に比べて,明 示的ではなく顕在化しにくいため,危機感が持たれにく い。しかし,そうであるがゆえに,その失墜は危険であ り,長期的にじわじわと国益と安全保障を蝕んでいく。 2.アナーキカル・ナショナリズム―国際政治か ら見たナショナリズムの一般原因― 米国の著名な国際政治学者ウォルツ (K. Waltz) によれ ば,国際政治の構造は,侵略を防止し国家の「生存」を 保障してくれる中央政府が存在しない「アナーキー(無 政府)構造」であり,武力行使や侵略が潜在的に可能で ある。それゆえ,国家は,自国の防衛(生存確保)を常 に懸念し,そのためのパワー追求に従事せざるを得なく なるという19 。筆者の考えでは,ナショナリズムは,こ の国際政治のアナーキー構造と密接に関係しているよう に思われる。実際,この構造下では,国家・民族が生存 と繁栄を望む限り,ナショナリズムはほとんど必要不可 欠である。なぜなら,生存のためには一定のパワーが必 要であるが,ナショナリズムは,自己と国家・民族を同 一視し,熱烈な忠誠心を持ち,国家・民族のためには死 をも恐れない最強の兵士と民衆(軍事力,共同体内部の 団結力)を提供するからであり,他国との経済競争に勝 ち抜き富を蓄積するための統一的・効率的な経済基盤 (経済力)を提供するからである。 もっとも,以上のアナーキー下での「防衛」(生存確 保)だけに依拠したナショナリズム論では,単純すぎる との批判を招くだろう。実際,シュエラー (R. Schweller) も指摘しているように,国家には現状維持国と修正国が 17 国 家 威 信 と 影 響 力 の 関 係 は 以 下 を 参 照 。 Robert Gilpin, War and Change in World Politics (Cambridge: Cambridge University Press, 1981), p. 31.
18 例えば北方領土問題へのロシアの態度には,この国 家威信が影響している。つまり,この問題での弱腰な 態度は,「ロシア弱体化」と諸外国に解釈され,将来 のロシア外交に禍根を残す—「強いロシア」のイメー ジがあったならば避けられたであろう相手国の強硬的 態度や要求を招く(例えばフィンランドの南カレリア 返還要求やチェチェン問題への国際介入)—という考 慮がある。また 2 島返還と 4 島一括返還をめぐる日本 側の動揺は,日本外交の分裂を印象づけ,日本の国家 威信を失墜させ,ロシアの消極的態度を助長した。 19 Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics (New York: Mcgraw-Hill Publishing Company, 1979), pp. 88, 91, 102, 118, 126.ウォルツは「生存」の意味を具体的には 述べていない。本稿では「生存」は,①独立・自主性 (同意なしに制約や義務を一方的に押しつけられるこ とはない),②基本的政治体制の維持,③領土の重要 部分の維持,を意味する。これらのいずれの侵害も生 存の危機である。
あり,後者は自国の生存を危機にさらしてまでも侵略を 追求するかもしれない20。なぜなら,アナーキー構造は, 侵略や武力行使を取り締まる中央政府が存在しないの で,「防衛」だけでなく「侵略」の誘因も提供するから である。しかし,このことは,前述のアナーキーとナ ショナリズムの関係を否定せず,むしろ支持するもので ある。なぜなら,侵略国にとっても,ナショナリズムの 恩恵(強力な軍隊,国民の忠誠心,統一的・効率的経 済)は必要不可欠だからである。実際,これまでの歴史 上,侵略国は常に強力なナショナリズムを喚起させてき た。 要するに,国際政治のアナーキー性ゆえに,国家・民 族は「防衛」あるいは「侵略」を考えるようになり,そ のために構成員の忠誠心・団結心,一定の強さを持つ軍 隊,統一的で効率的な国民経済などを必要とし,ナショ ナリズムはそれらの提供に大きく貢献する。それゆえ, エリートがしばしばナショナリズムを喚起し,民衆の側 もまたそれを支持するという誘因が,国際政治の構造上, 常に潜在することになる21。国際政治の構造がアナー キーである限り,ナショナリズムは強弱の波こそあれ消 滅しそうにない22。 しかし,ウェント (A. Wendt) によれば,「アナーキー」 といっても,その文化(規範,すなわち,アクター間で 共有される基本的な考え方や価値観)に応じて様々なバ リエーションがある。ウェントによれば,イスラエルと パレスチナの過激派,南北朝鮮,ツチ族とフツ族のよう な例外を除き,現在の国際関係は,「ホッブス的アナー キー」(お互いを「敵」と認識し,その生存を認めない) ではなく,「ロック的アナーキー」(お互いを「ライバル」 と見なし,その国家主権すなわち相手の最低限の生存を 認めた上で競争が展開される)である。また今日の北大 西洋諸国は,ロック的アナーキーから「カント的アナー キー」(お互いを「友」と見なし,対立してもそれを武 力で解決しようとはせず,外部の脅威に対しては協力し て戦う)に近づきつつあるという23。 たしかに,ウェントの言うロック的アナーキーならば, 侵略者が跋扈するホッブス的アナーキーよりも生存の不 安が少ないため,その分だけナショナリズムは高揚しに くくなるだろう。しかし,現実の民族紛争は,ロック的 というよりもホッブス的である。例えば,チェチェン人, クルド人の生存自体は,ロシア,トルコは否定しないで あろう。しかし,チェチェン人,クルド人にとって,彼 らの独立や自治が認められない限り,まさに彼らの「国 家」としての「生存」は否定されているのである。 また,互いの生存を保障するロック的アナーキーで あっても,国家・民族の競争と栄枯盛衰が依然として存 在する以上,国家・民族は生存と繁栄のために構成員の 忠誠心を高めて一定の軍事力・経済力を維持させざるを えず,ナショナリズムの誘因は存続する。しかも,弱体 化したエリートが,権力基盤を強化するために対外的脅 威を煽ってナショナリズムを喚起しようとするかもしれ ない。このとき,この国家は周辺国には侵略者に見える ので,周辺国は安全保障上の考慮から対抗的にナショナ リズムを喚起させるかもしれない。 さらに,その実現性自体が極めて低いと思われる「カ ント的アナーキー」でさえも,対立と競争が(抑制され 20 Schweller, Deadly Imbalance, pp. 21, 33.
21 これは,ナショナリズムが,エリートの煽動によっ て無から捏造されるイデオロギーではないことを示し ている。エリートの煽動が民衆のナショナリズムを高 揚させるのは,既にその下地が民衆に実在するからで ある。だからこそ,エリートの言説が歪曲と誇張を含 むにもかかわらず,その中のある部分が民衆の琴線に 触れてナショナリズムが喚起される。ところで,今日 の通説は,民族とナショナリズムを「近代においてこ そ始めて開花する現象」と捉えている。関根政美「ナ ショナリズム」『世界民族問題事典』825 頁。しかし筆 者は,スミスが「エスニック中心主義」あるいは「エ スニック主義」と呼んでいるようなナショナリズムの 雛形が,既に近代以前から存在していたと考える。ア ントニー・ D ・スミス『ネイションとエスニシティ』 巣山靖司・高城和義他訳(名古屋大学出版会,1999 年)21, 39–40, 57–61 頁。したがって,本稿第 2 章が主 張するアナーキーとナショナリズムの関係は,基本的 には近代以前のアナーキーとエスニック主義の関係に 対しても該当すると考える。むろんこのことは,ゲル ナー (E. Gellner) やアンダーソン (B. Anderson) が指摘す る近代特有の諸条件(資本主義,均質的な教育制度, 活字印刷物などの普及)が,ナショナリズムをより明 確・強力・広範囲なものにする上で決定的役割を果た したことを否定するものではない。アーネスト・ゲル ナー『民族とナショナリズム』加藤節監訳(岩波書 店,2000 年)。ベネディクト・アンダーソン『増補 想 像の共同体』白石さや・白石隆訳(NTT 出版,1997 年)。 22 むろんナショナリズムに代わる民衆動員の有効で強 力な他の組織原理が登場した場合は,この限りではな い。しかし,今日,宗教や階級などいくつかの候補は 存在するが,ナショナリズムに取って代わるまでには 至っていない(第 5 章で後述)。
23 Alexander Wendt, Social Theory of International Politics (Cambridge: Cambridge University Press, 1999), pp. 261, 268, 279–285, 297–299.
た形ではあれ)残る以上,先のロック的アナーキーの場 合と同様に,ナショナリズムの誘因は消滅しない。また, 今日の EU のようにカント的世界が加速促進され国民国 家の壁の重要性が低くなった場合,それまで既存の国民 国家の国家ナショナリズムに抑えられていた少数民族の 民族ナショナリズムが逆に噴出するかもしれない。 本稿は,アナーキーがナショナリズムの唯一の原因で あると主張しているのではない。ナショナリズムの原因 は多様であり,それぞれのナショナリズムにそれぞれの 原因がある。しかし,国際政治のアナーキー性とそれに 起因する 2 つの動機―「防衛」と「侵略」―によって,ナ ショナリズムは国際政治上,一層喚起されやすく,高揚 しやすく,再発しやすいものになっている。 3.ナショナリズムを高揚,緩和させる諸原因 前章は,ナショナリズムを発生・高揚させる国際政治 上の一般原因を扱った。しかし,ナショナリズムの危険 な高揚を予防・抑制するためには,より具体的で(可能 ならば)操作可能な諸原因を確認する必要がある。 3–1 ナショナリズムを高揚させる諸原因 (1) 脅威感の高揚:前述のように,ナショナリズム の高揚は,アナーキー構造下の戦争の潜在性と,そこか ら生じる安全保障(生存)への脅威感に密接に関係して いる。スミス (A. Smith) が指摘しているように民族とナ ショナリズムの雛形になった近代以前の「エスニックな 共同体」と「エスニック主義」の起源は,戦争,生存の 脅威と密接な関係にあったし24 ,近代ナショナリズムの 起源とされるフランス革命においても,国民意識高揚の 原動力となったのは革命フランスの生存への脅威であり, さらにその後のプロイセン,スペイン,ロシアへのナ ショナリズムの拡散もまた,ナポレオンの脅威と対仏戦 争を通じてであった25。近代国際システムの過酷な競争 の中で生存の危機に直面した国家・民族は,明治の日本 やケマルのトルコに見られたように,エリートと民衆そ れぞれの側からナショナリズムを高揚させた。2001 年 9 月の米国同時多発テロでも,米国の国家ナショナリズム は最高潮を示した。 (2) 人口構成の激変:レバノン,パレスチナ,コソ ボの例が示すように,対立関係にある民族 A, B におい て,B(イスラーム・シーア派住民,パレスチナ人,ア ルバニア系住民,モスレム人)の人口が A(キリスト教 マロン派,ユダヤ人,セルビア人)よりも急激に増加す る場合,A はこれを脅威と感じ (1) につながるので,また Bは自信を持ち要求を釣り上げるので,AB 双方の民族 ナショナリズムが高揚するおそれがある26 。 (3) 帝国・国家の弱体化:オーストリア・ハンガ リー,オスマン・トルコ,チトーのユーゴ,ソ連などの 例が示すように,既存の帝国・国家体制の弱体化は,そ れまで各民族を抑えてきた重しがなくなるので,また, 秩序が崩壊し民族間の緊張が高まって (1) につながるの で,民族ナショナリズムの噴出を招くおそれがある。 (4) 敵対的な,あるいは分離独立を正当化する国際 規範の普及:イスラエルとパレスチナ,ルワンダ内戦で のツチ族とフツ族のように,「相手の生存を認めない」, 「武力行使は正当化される」という敵対的な「国際規範」 (国家・民族間で共有される考え方,価値観,共通認識) が支配的な場合,国家・民族間の緊張は高まって (1) に つながり,ナショナリズムは高揚する。そして,敵対的 規範がさらに普及・強化され,対立は泥沼化する。ま た,国連憲章および国際人権規約の第 1 条に象徴される 「一民族一国家」の国際規範は,国家を持たない民族の 分離独立要求に正当性を与え,彼らのナショナリズムを 刺激・促進し,民族紛争を生む火種を内包している。 (5) 国際機関・国際法の衰退:国連などの代表的な 国際機関の機能不全,信頼感喪失が限界を超えてしまっ た場合,あるいは国際法の信頼性が揺らぎ,国家主権の 規範(お互いの存在は認めるという最低限の合意)が軽 視されるような事態は,国際的な緊張を高め,(1)(4) につ ながり,ナショナリズムの高騰につながる。 (6) 権威主義的な政治イデオロギー:指導国の命令 と被指導国の服従を前提とする権威主義的イデオロギー が支配する国際関係(例えば冷戦時の共産主義諸国の関 係)においては,①誰がリーダー国か,またリーダー国 はどの程度まで他国への指導・干渉が許されるのかをめ ぐって対立が生じやすいので,②服従国の国民は自国の 独立が侵害されていると感じるので,③各国のエリート 層は支配の正当性をイデオロギーに依存しているため, 同じイデオロギーを異なって解釈している他国エリート を非難せざるを得なくなるので,各国の国家ナショナリ 24 スミス『ネイションとエスニシティ』46–50, 66–67 頁。注 (21) も参照されたい。 25 栄田卓弘「ナショナリズムの史的考察—近代の双面 神—」 同『 近代イギリスの自由と歴史』( 大明堂, 1997年)178–180 頁参照。 26 人口構成の変化とコソボ,ボスニアの紛争の因果性 については,サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』 鈴木主税訳(集英社,1998 年)396–398 頁。
ズムは高揚しやすくなる。典型的な例がソ連を頂点とす る国際共産主義であり,ハンガリー動乱,チェコスロバ キア事件,中ソ対立,中越戦争などが示すように,西側 陣営よりも共産主義陣営にはるかに多くの離脱や紛争が 生じたことは注目に値する27 。そして興味深いのは,上 記①②③が,今日隆盛を見せているイスラーム復興運 動—それは「一人の元首のもとに単一のカリフ国家」28 を 理念とする—にも該当しそうな点である。 (7) 宗教,規範の異質性:対立状態にある国家・民 族が,それぞれ異なる宗教・規範グループに属している 場合,ナショナリズム対立はより暴力的で長期化しやす い。しかも,同じ宗教・規範グループに属する第三国の 介入を招き国際紛争にエスカレートしやすい29 。 (8) 「ナショナリズムを利用した強硬外交は有効であ る」という信念:この信念を持つ国家・民族は,ナショ ナリズムの高揚を利用した強硬外交を続けやすい。しか も,1–1(1) のナショナリズムの制御困難さと不可逆性に よって,こうした国家・民族はやがて民衆のナショナリ ズム高揚をコントロールできなくなり,外交の一層の硬 直性・非妥協性が生じる。そしてそれは,3–1(1) の国際 関係の緊張につながる。 (9) 宗教のナショナリズムへの導入:宗教によって補 強され宗教色を前面に押し出したナショナリズムは,従 来の世俗的ナショナリズムよりも民衆の心を深く支配し, より熱狂的な団結心・忠誠心をもたらす。そしてそれゆ えに一度高揚すると,その暴力性は,より激しく制御困 難になるおそれがある。パレスチナにおけるハマスの台 頭やインドのヒンドゥー・ナショナリズムが象徴的であ る。 (10) 経済および生活環境の悪化:経済格差や失業の 増大,天然資源の搾取や公害は,自分達が他民族に抑圧 されているという被差別・被害者意識を生じさせ,潜在 的な民族対立やナショナリズムの感情を顕在化・先鋭化 させる30 。 (11) 情報の不透明性:エリートが情報を独占し,ナ ショナリズムを煽動するための歪曲・捏造された宣伝が 容易になる。また (12) を助長する。 (12) 敵意に基づく教育:ナショナリズムの必要性 (1–2 参照)を考えれば,各国が自国の歴史と文化に誇り を持たせる教育を行うのは当然である。ただし,それが 過剰であったり,特定の近隣国への敵意に基づく場合, 危険なナショナリズムの温床になる31 。 3–2 ナショナリズムを緩和させる諸原因 (1) 緊張の緩和,脅威認識の低減: 3–1(1) の逆であ る。定期的な安全保障対話などの信頼醸成措置,紛争地 域への国際部隊駐留は,その有効な手段になりうる。ま た,地位や生存に不安を抱える指導者は,対外的脅威を 煽ってナショナリズムを煽動しがちである。関係国や国 際機関が,彼らの地位や身の安全を保証するシグナルを 送ることは,この危険性を低減させる。 (2) 共存を認める規範の普及:相手の生存の承認, 条約の遵守,少数民族の自治権の承認,これらの規範の 普及は,3–1(1)(4) を防ぎ,3–2(1)(3) に役立つ。 (3) 国際機関,国際法の信用,権威: 3–1(5) を防ぎ, 3–2(1)(2)に役立つ。 (4) 宗教,規範の共通性: 3–1(7) の逆である。ただし 第 2 章が示唆するように,同じ宗教・規範グループの民 族・国家であってもナショナリズム対立が完全に消滅す ることはない。 (5) 「平和主義」の国内規範:国家や軍事力に否定的 な「平和主義」の規範が強力な国家では,ナショナリズ ムは高揚しにくい。もっとも,この規範に過剰に拘束さ れている国家は,逆に 1–2 で指摘した諸問題を抱えるこ とになる。また,近隣に 3–1(8) の国家・民族が存在する 場合,彼らのナショナリズムを高揚させ,その格好の餌 食になりやすい。 27
以上は,Stephen M. Walt, The Origins of Alliance, pa-perback edition (Ithaca and London: Cornell University Press, 1990), pp. 35–36から示唆を受けた。 28 中田 考「イスラーム主義とシャリーア」山内昌之 編『イスラム原理主義とは何か』(岩波書店,1996 年) 102頁。 29 サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』鈴木主悦 訳(集英社,1998 年)30 頁。 30 例えば,1981 年のコソボでの騒乱(アルバニア人の 高失業率と貧困)。89 年 6 月のウズベキスタンでのウ ズベク人によるメスフ人襲撃(経済格差,失業,公 害)。92 年 4 月のロサンゼルス暴動(コリア系米国人 の経済進出に対するアフリカ系米国人とヒスパニック の反感)。現在のアチェの分離運動(インドネシア政 府の資源搾取,公害)。石田信一「コソヴォ」『世界民 族問題事典』430 頁。青柳清孝「ロサンゼルス暴動」 同上,1235 頁。高橋清治「ソ連民族強制移住」同上, 616頁。帯谷知可「フェルガナ事件」同上,973 頁。
Emmerson, “Will Indonesia Survive?,” p. 100. 31 良く知られているように,米国では一般的に幼稚園 児の段階から,国旗への忠誠の誓い (Pledge of Alle-giance)が行われる。また今日の中国の歴史教育は,過 去に日本から受けた侵略の経験を考慮に入れても,反 日的要素が過剰であるように思われる。古森義久『日 中再考』(産経新聞社,2001 年)219–223 頁。
(6) 「ナショナリズムを利用した強硬外交は無益かつ 危険である」という信念: 3–1(8) の逆である。相手国に この信念を浸透させ,3–1(8) の信念を抱かせないこと, 3–1(8)の信念を持つ国家には安易に妥協しないことが重 要となる。 (7) 経済および生活環境の改善: 3–1(10) を防ぐ。た だし,良好な経済が逆にショナリズムを高揚させてしま う場合もある。ケベックの場合,経済的自立の自信が, カナダからの分離独立を促進させている。また,貧しい 民族への政府の支援は,旧ユーゴのクロアチア人やスロ ベニア人が感じたように,自分達の富が搾取されている という感情を豊かな側の民族にもたらし,彼らのナショ ナリズムを高揚させるおそれもある32 。 (8) 情報の透明性: 3–1(11)(12) を防ぐ。 操作可能な原因は少ない。例えば 3–1(2)(6)(7)(9) はほと んど操作不可能であり,3–1(12) の矯正要求は,内政干渉 と見なされ,逆に対象国・民族の反感とナショナリズム を高揚させかねない。3–1(4)(5) の防止と 3–2(2)(3) の促進 も,操作不可能ではないにしても,どこまで戦略的に短 期間で行えるのか疑問である。3–2(7) も,どの程度まで 行えば良いのか,確実に成果を生むのか,疑問が残る。 結 局 , ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 危 険 な 高 揚 を 防 ぐ に は , 3–2(1)(6)(8)などに頼りつつ,個々のケースの特殊事情に 配慮した予防と対症療法に努めるほかない。 「ナショナリズムの高揚」は「戦争の勃発」とイコー ルではない。たとえ関係国・民族間でナショナリズムが 高騰しても,それを危機の段階にとどめ,戦争を阻止す ることは依然として可能である。しかし,その段階にな ると,既に一般的な危機管理や戦争抑止の問題であり, それは本稿の考察範囲を超えている。 4.安全保障政策におけるナショナリズムの含意 (1) バランス確保の重要性と困難さ:ナショナリズム で重要なのはバランスであり,その高騰も停滞も安全保 障上危険である( 第 1 章)。 しかし, 現実の国家は, 往々にして過去の経験に束縛されて極端に走りがちであ る。例えば,日本は過去の経験(ナショナリズムの高騰, 強硬的・硬直的外交,戦争の惨禍)から,戦後は一転し て,国家,ナショナリズム,軍事力に否定的な極端な 「平和主義」の国内規範が普及し,この規範は今日もな お,日本の現実的で柔軟な安全保障政策を阻んでいる33。 逆に中国,韓国,北朝鮮は,過去の経験(ナショナリズ ムが適切な時期に喚起されず国内統一と近代化に遅れを とり,欧米列強あるいは日本の侵略を招いた)から,一 貫して国威発揚(特に反日ナショナリズムの養成)に努 めてきた。特に現在の中国共産党政権は,共産主義の信 用が急落し国内統一の手段としてナショナリズムに頼ら ざるを得ないため,またそれゆえに民衆のナショナリズ ムに迎合しがちなため,さらに,ナショナリズムに訴え ないと逆に反政府勢力がナショナリズムを利用するおそ れがあるため,今後もナショナリズムの高騰が懸念され る34 。 (2) 国家威信追求のバランス: 1–2(5) で述べたよう に,ナショナリズムの衰退は国家威信の衰退をもたらし, 国家威信の衰退は国家の安全保障と外交能力を大きく傷 つける。しかし,国家威信が重要である一方で,その無 分別な追求は,逆に他国の反発や脅威感の高揚を招き, 外交上マイナスになる。ソルトレークシティー五輪での 米国の露骨な国威発揚が,各国の困惑と反感を招いたこ とは記憶に新しい35 。 (3) 制御困難さへの警戒:ナショナリズムが激しく高 揚すると,それを制御して以前の水準に沈静化すること は困難である (1–1(1))。高揚したナショナリズムは,加熱 した世論に迎合する硬直的な強硬外交をもたらし,柔軟 な外交戦略を困難にする。安全保障と国益追求のために ナショナリズムが必要不可欠な一方で,その安易な煽動 は危険である。 (4) 衰退期にある国家への配慮:第 2 章や 3–1(1)(4) で みたように,生存への脅威は,ナショナリズムを高揚さ せる高蛋白の栄養素である。ナショナリズムや国力が衰 退している国家を侮って過酷な要求を押しつけ,不必要 にその国のナショナリズムを刺激してはならない。それ は,ワイマール共和国や戦前の中国の例が示すように, 32 イグナティエフ『 民族はなぜ殺し合うのか』 40, 214–217頁。 33 「平和主義」の規範と日本の対外政策については, Thomas U. Berger, “Norms, Identity, and National Security in Germany and Japan,” in Peter J. Katzenstein, ed., The Culture of National Security: Norms and Identity in World Politics, New York: Columbia University Press, 1996, pp. 317–356.「平和主義」の規範は第 2 次大戦後のドイツ にも大きな影響を及ぼしたが (Ibid., p. 355), 1999 年の ユーゴ空爆参加が示すように,ドイツは,日本ほどに はこの規範に拘束されていない。
34 “A Chinese Puzzle,” The Economist, April 21st 2001, P. 53.
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『朝日新聞』2002 年 2 月 7 日第 3 面,2 月 25 日夕刊 第 1 面。
国民の復讐心を喚起し,ナショナリズムに火をつけ,将 来の災いにつながるおそれがある。 (5) 「ナショナリズムに立脚した強硬外交は有効」と いう信念を与えてはならない:この点は 3–1(6), 3–2(6) で 指摘したとおりである。この信念を強く持つ国家とそう でない国家との関係は,今日の中国,韓国,北朝鮮と日 本との関係が象徴するように,悪化しやすく改善しにく い。前者は後者の譲歩によって増長し,ナショナリズム に立脚した強硬外交に味をしめ,それを繰り返し利用す る。そしてそのことが後者の度重なる譲歩と抑圧感・屈 辱感を招き,今度は逆に後者のナショナリズムを高揚さ せるおそれがある。現在の中国,韓国,北朝鮮が反日ナ ショナリズムの有効性を信じていることに加えて,現在 の日本が「平和主義」の規範に拘束されているため,こ の懸念は今後も存続する。 (6) 自己予言性への警戒: 1–1(2) で指摘したように, ナショナリズムの喚起はしばしば自己予言的悲劇をもた らす。他国の想像上の脅威を不必要に強調し国内のナ ショナリズムを煽ることが,結果的に他国に脅威を与え 他国のナショナリズムを高揚させてしまう。米国(対イ スラーム諸国),中国,韓国,北朝鮮(対日本)などに あてはまる懸念である。 5.ナショナリズムの将来 ナショナリズムは,全体レベルでも,また個々の国 家・民族レベルでも,たえず変動しており,しかも変動 が規則的ではないため,その動向の的確な予測は難しい。 ①そもそもナショナリズムの現状を判定すること自体が 困難である。例えば,民族紛争の単純な数の増減に焦点 を当てるのか,それともそれが生じている地域の国際政 治上の重要性(重要な天然資源が絡んでいたり,大国が 関与していないか否か)に焦点を当てるのかによって, ナショナリズムは,衰退したとも,依然活発だとも,評 価可能である36 。②ナショナリズムは,全体的には高揚 期であっても,その中で一時的に停滞・下降局面を示し たり,逆に全体的に停滞・下降期であっても,その中で 一時的に高揚局面を示したりする可能性がある37。③さ らに,ナショナリズムは,外部の突発的事件によってし ばしば急騰することがあり,これも的確な動向予測を困 難にさせる。ここ数年では,NATO の中国大使館誤爆や 海南島米中偵察機衝突,日本の歴史教科書選定,米国同 時多発テロなどにおける,中国,韓国,米国の,ナショ ナリズム急騰が印象的であった。 以上の困難さを認めつつ,今後のナショナリズムの動 向を占う上で注目される諸要因を挙げるとすれば,以下 のものがある。 (1) 民主政治の規範の普及:何人かの論者によれば, 民主国間の関係は,民主国と非民主国,あるいは非民主 国同士に比べてはるかに平和的であり,対立を武力では なく協議によって解決する傾向を強く有するという38 。 仮にこの命題が正しければ,民主政治の普及は国家ナ ショナリズムの危険な衝突を部分的に緩和させるかもし れない。しかし,次の点も留意すべきである。①民主化 は,多文化主義などの国内少数派民族を尊重する風潮を 生み出し,それによって彼らの民族意識が高まり,自 治・分離独立運動が促進される可能性がある。②セルビ アとクロアチア,アルメニアとアゼルバイジャン,チェ チェンに対するロシアのように,民主化途上の国家は, 支持基盤強化のためにしばしば好戦的ナショナリズムを 煽動する39 。③成熟した民主国の代表とされる米国こそ, 世界で最も国家ナショナリズムが強烈な国家の一つであ る。④中国や中東諸国の場合,民主化や自由選挙は,逆 にナショナリズムを前面に押し出した反欧米政権を登場 させる可能性が高い40 。 36 テッド・ガーは,1990 年代初めをピークに族紛争は 減少していると指摘し,「わずかな幸運と多くの国際 的関与があれば,民族紛争の全盛期は,過去の世紀の ものになる」と述べている。Ted Robert Gurr, “Ethnic Warfare on the Wane,” Foreign Affairs, Vol. 79, No. 3, 2000, p. 64.しかし,民族紛争の数の増減だけで民族問題の 現状と全体動向を即断することは,誤審につながる。 ナショナリズム,民族紛争の動向を評価する上で重要 なのは,単なる数の増減よりもその内容(どこで民族 紛争が生じており,どんな状況にあるのか)である。 例えば,アフリカの小国での民族紛争とロシア,中国, 中東が絡むそれとでは,国際システム全体への影響に おいて,重大な相違がある。 37 したがって,1990 年代初めをピークに民族紛争が減 少している,という先のガーの指摘を正しいと仮定し ても,21 世紀のナショナリズムと民族紛争がそのまま 衰退に向うとは即断できない。高揚期での一時的な停 滞・下降なのかもしれない。
38 Thomas Risse-Kappen, “Collective Identity in a Democ-ratic Community: The Case of NATO,” in Katzenstein, ed., The Culture of National Security, pp. 357–399; Bruce Rus-sett, Grasping the Democratic Peace: Principles for a Pos-World (Princeton: Princeton University Press, 1993).[ 邦 訳:ブルース・ラセット『パクス・デモクラティア』
鴨 武彦訳(東京大学出版会,1996)]。
39 Mansfield and Snyder, “Democratization and War,” pp. 79–80.
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(2) グローバリゼーション(資本,商品,情報,ア イデア,人間,環境問題,病原菌などの大陸間にまたが る相互依存ネットワークの増大)41 :これがナショナリズ ムの高揚と衰退のいずれをもたらすのかは即断しがたい。 双方の要素が存在するからである。グローバリゼーショ ンは,EU に象徴される経済的相互依存による国家統合 の進展,民主政治の規範の普及,民族問題への国際的関 心の高まり,国際組織による予防外交の促進などを生 み,ナショナリズムの緩和・衰退を促すかもしれない。 しかし逆に,①民族間の接触の増大から各民族がそれぞ れの文化的差異に敏感になる,②持てる民族と持たざる 民族の経済格差が拡大する,③電子メディアの発展に よって「遠隔地ナショナリズム」42 が高揚する,④国民 国家の力が弱まり,それまで国家ナショナリズムに抑え 込まれていた少数派民族の民族ナショナリズムが噴出す る,などの理由から,ナショナリズムの高揚を促すかも しれない。 (3) ハイテク兵器の発展と普及:ミアシャイマー (J. Mearsheimer)によれば,大量動員に依存する軍事システ ムは,兵士と民衆の支持・忠誠心を獲得するためナショ ナリズムに頼りがちになるが,専門知識が必要なハイテ ク兵器に依存する小規模軍事システムは,大量動員を必 要としないため,戦略的にナショナリズムを喚起する必 要性が減少する。したがって,核兵器を中心とするハイ テク兵器の普及は結果的にナショナリズムを緩和させる ことになるという43 。しかし,この主張は,世界最大の ハイテク兵器国家である米国に強烈な国家ナショナリズ ムが存在することを考えると,説得力に乏しい。 (4) 階級:今日,共産主義の権威がほぼ失墜し,し かもこれに代わる新たな階級の理論も台頭していないこ とを考えると,階級がナショナリズム以上の影響を今後 の国際政治に及ぼすとは考えにくい。また,労働賃金の 階層がしばしば民族の層に一致していることを考えると, 1992年のロサンゼルス暴動(経済的に成功した韓国系と 経済的貧困に苦しむ黒人・ヒスパニック系の衝突)が示 唆するように,今日の階級対立は,労働者と資本家より もむしろ民族間の対立につながり,(後述するように,宗 教と結びつく場合を除けば)ナショナリズムを相殺・緩 和するよりも,むしろ促進させそうである。 (5) 宗教:宗教とナショナリズムの関係については次 の 2 点に注意が必要である。①宗教が原因に見える国際 紛争の中には,実際には(宗教そのものによってではな く)ナショナリズムの作用によって生じているものが存 在する。②宗教には,「ナショナリズムを超越する作用」 と,逆に「ナショナリズムを補強・強化する作用」の正 反対の作用が存在する。まず①であるが,宗教の教義そ のものがナショナリズムと無関係に紛争を引き起こすの ではなく,むしろ (A) 宗教の違いに起因するナショナリ ズムが緊張と紛争を生じさせる,あるいは (B) 宗教が,ナ ショナリズムを喚起・強化し大衆動員をはかる手段とし て,エリート層に戦略的に利用されてナショナリズムに 取り込まれ,そのナショナリズムが緊張と紛争をもたら す,という例がしばしば存在する。 (A)に関しては,例えばボスニア紛争の場合,異なる 宗教を持つセルビア人,クロアチア人,モスレム人の対 立は,実質的にはナショナリズムの衝突である。たしか に彼らは人種的には南スラブ系で同じであり,宗教の違 いが彼らの民族意識に大きく影響している(実際,シオ ニズムのように,宗教は民族意識の決定要因になる場合 さえある)。しかし,彼ら三者間の対立の背景にあるの は,「同じ人種だが宗教が違う」という意識ではなく,宗 教や歴史経験の違いから生じた「我々は違う民族である」 という意識である。つまり,実質は宗教対立というより も民族対立であり,ただ彼らの民族意識の主要因が宗教 だったのである。 (B)に関しては,例えば今日のインド人民党が象徴する ヒンドゥー・ナショナリズムは,宗教を利用したナショ ナリズムという性質を色濃く有している45 。またシオニ 41 グローバリゼーションの定義は以下を参照。Robert
O. Keohane and Joseph S. Nye Jr., “Globalization: What’s New? What’s Not? (And So What?),” Foreign Policy, No. 118, Spring 2000, p. 105. 42 市民権を得た移住先の国よりも想像上の故郷の方に 強い愛着を持ち,その故郷を政治的に支援しようとす るナショナリズム。大澤真幸「遠隔地ナショナリズム」 『世界民族問題事典』822 頁。米国のアイルランド人, アルメニア人,ユダヤ人,ドイツのトルコ人などにそ の傾向が見られる。
43 John J. Mearsheimer, “Buck to the Future: Instability in Europe After the Cold War,” International Security, Vol. 15, No. 1, 1990, pp. 21, 29. 44 宗教とナショナリズムの関係について,特に筆者が 示唆を受けたものとして,酒井啓子編『民族主義とイ スラーム』(アジア経済研究所,2001 年)i–x, 3–31, 33–67頁。マーク・ユルゲンスマイヤー『ナショナリ ズムの世俗性と宗教性』阿部美哉訳(玉川大学出版 部,1995 年)。 45 小川 忠『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭—軋 むインド—』(NTT 出版,2000 年 2 月)54–55, 76–79, 106, 153頁,および,賀来弓月『インド現代史』(中央 公論社,1998 年)166–170 頁を参照。