冬休みを利用して「ホロコーストの記憶を歩く」フィールドワークへ行ってまいりました。
8 日間(実質5 日間)で3ヶ国訪問するという強行軍。オランダ⇒チェコ(プラハ・テレジン)⇒ポーランド(アウシュビッツ・
クラクフ・ワルシャワ)をまわりました。
ホロコーストは、人々がふつうに暮らしている生活の中で起こった出来事。すぐそばで起きた事実。訪れた国々には、いつ
でも歴史に触れ、学べる場所がたくさんあり、そして、それを学ぼうと方々の国から来訪されており、またそれを受け入れる
体制がありました。国をまたいで感じたことは、どの国でも、この負の歴史を受け止め、そして記憶に留めようとしている
こと、そして大切に語り継ごうとしているということでした。
◆オランダ(アムステルダム) ~昨年度の平和劇「アンネの日記」はここから~
日本から飛行機で11 時間。オランダとの時差は8 時間。着いた頃には夕方でした。
早速アンネが暮らしていた隠れ家へ。小雨の降る中、向かったアンネの隠れ家。
「こんな風に隠れ家へ向かったのかな」と劇のことを思い出したりもしました。
ここはチケットを予約しないと入れない、世界中の人が注目している場所です。
翌朝は、連行された後に一時的に身を置いていたオランダ劇場跡(現国立ホロコースト記念館)へ。
時間の関係でゆっくりと見て回れず残念!
↑ アンネも聞いていた 西教会の鐘の音を聞きました ↑ チケット制でも長蛇の列 ↑ オランダ劇場跡 国立ホロコースト記念館 ↓ ↑ Amsterdam 地名の由来となったダム広場 (アムステル川をせき止めていたダムがあった場所) 王宮と新教会が近くにあります ↑ 運河(人工的に造られた水路)が多く 船舶が通るときにのみ橋が挙がる「跳ね橋」 があります ↑ ←アムステルダム中央駅 東京駅のモデルとなった 赤レンガ作りの駅 昼間と夜とでは、 雰囲気が まるで違う ←ゴシック様式の 新教会 流石は芸術の街 街並みもキレイで どこでも絵になる 街にアートが あふれている→ 次はチェコに移動 プラハを拠点に テレジンへも 行きます! ←NIJNTJE ナインチェ(蘭) 昨年亡くなられた ブルーナさんも オランダ生まれ to be continued…前回に引き続き「ホロコーストの記憶を歩く」フィールドワーク報告の第2 弾!
オランダ・アムステルダムから飛行機で向かった先はチェコのプラハ。ナント、1 時間半で着きました✈
◆チェコ(プラハ) ~中欧最古のユダヤ人街がある場所~
日本では、クリスマスが終わるとお正月となるのですが、ヨーロッパではまだまだクリスマスホリ
デー!夜になるとマーケーットも開き、中央広場もクリスマスムード一色でした。
ここプラハでは、まず
中欧最古のユダヤ人街へ。ホロコースト記念館のほか墓地やシナゴークと
呼ばれる教会などへも行きました。途中のお店の入口前の足下で見つけたプレート。先日石岡さん
に教えていただいた「つまずきの石」です。ホロコーストで犠牲になった方が最後に住んでいた
場所であり、その方がここにいたという証。10cm 四方の真鋳のプレートには、名前・生まれた年・
死亡した年と場所が刻まれていました。生存者が周りからいなくなった時に“つまずいて”忘れな
いようにと、次世代へ語り継ぐために今もこの石は埋められているそうです。
↑1389 年には反ユダヤ暴動が あったと記されているプラハ。 ユダヤ人地区に入るとすぐに このダビデの星とヘブライ語が 目に入りました ←プラハ市街 ↓プラハ城 ↑ 旧新シナゴーク シナゴークとはユダヤ 教徒の祈りの家 教会堂のことです ↑ 2 枚のプレートには共に『CRUELLY MURDERED BY NAZIS IN AUSCHWITZ (アウシュビッツにてナチスに残酷に殺さ れた)』と 刻まれてありました。 いよいよ次回は テレジンへ! ハンナの過ごした 収容所はいったい どの様な所だったの でしょうか ← 旧ユダヤ人墓地 い ち ば ん 新 し い も の で 1787 年。この年にユダヤ 人墓地は廃止されました ↑スペインシナゴーク 入口横にある カフカの像 当時の埋葬について → ↑ 当時の写真や文書 などの資料がたくさん→ 展示してありました ↑ ハヌカ祭で 使われる燭台 大きさやデザイン も様々 シナゴークには、 装飾品や銀器などの日用品 ユダヤ民族に関する資料が 展示されています ↑ 厳かな雰囲気の シナゴーク内部↓
前回に引き続き「ホロコーストの記憶を歩く」フィールドワーク報告の第3 弾!
今回の旅行で唯一の連泊できたのがプラハ。2日目は今回一番の目的の場所です。
◆チェコ(プラハ~テレジン~プラハ)
現地でツアーを予約して、いざテレジンへ!一つの街がまるごとゲットーとなったテレジン。
広大な敷地の中でしたが、現地ガイドの方も同行されたので、主要な場所へつれていってもら
えました。ただ、お話が英語だったので理解できないこともありました。それでも、私たちの
目に飛び込んできたものは、ここで何が起きたのかを知るに充分なものでした。ハンナと兄の
ジョージは、間違いなくここにいたのです。
↑ダビデの星 ナチスの収容所開放 70 周年の時に つくられた記念のモニュメント→ 収容所の入口にはスローガン であったこの文字が。 『働けば自由になる』 独: Arbeit macht frei→←当時の収容所一室の再現 (ミュージアム) 高い壁に周囲を覆われ → 自由に出入りするることは できなかった テレジンでは 2 ヶ所ミュージアムに行きました。 著名な文学者や音楽家・芸術家もたくさん収容さ れていたテレジン、それについての展示も多くあ りました。体験を描くことで後世に伝えようと、 絵画もたくさん展示してありました。 今回の劇中劇「ブルンディバール」の展示もあり ました。今では、世界中にこの子どものための オペレッタが広まっているそうです。 テレジンへのフィールド ワークの後は夜行列車で ポーランドへ移動! 早朝からアウシュビッツ へ向かいました。 to be continued… ← 実際に使われていた収容所の一室 窓や洗面所もあり、ストーブも置いてあ ったようだ。この部屋に何人の人がすご していたのだろうか?多い時にはあふ れかえっていたのだろう。視察のある時 は、快適に過ごしていると見せかけるた めに、テレジンから他の収容所へ移送さ れたという。 ↑収容所近くに は無数のお墓が ありました 洗面所やシャワー室 → 実際には使うことは なかったと言われる これも視察の目を ごまかすためのもの だったのだろう ←最初に面接を 受けたところ 火葬場 → ↑ ←長い洞窟を出た 先にあったのは 射殺場と絞首刑場
前回に引き続き「ホロコーストの記憶を歩く」フィールドワーク報告の第4 弾!
チェコのプラハから夜行列車でポーランドのクラクフへ移動しました。そして向かった先は・・・
◆ポーランド(クラクフ~アウシュヴィッツ、ビルケナウ)
クラクフへ早朝に到着し、
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡」をめぐるツアーに参加
しました。ここは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが国家を挙げて推進した人権差別による
絶滅政策により一番多くの犠牲者を出した最大級の強制収容所であり、絶滅収容所でした。館内の
展示によると、1940~1945 年に130 万人がアウシュヴィッツに移送され110 万人が死亡したとされ
ています。その90%はユダヤ人だったそうです。アンネもここにいました。そして、今年の平和劇
で登場するハンナは、テレジン収容所からここに送られ、そのままガス室へ送られたのです。
このような過ちが二度と起こらないようにと、
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡」は
1979 年に世界遺産として登録されました。
このような棟がたく さんありました。最 初は 1 階建てだった ものが、足らなくな り 2 階建てに増築さ れたそうです。その 作業もユダヤ人が強 制労働させられたと か。棟内は資料館に なっていす。 ↑ 収容所の入口にはスローガン であったこの文字がここにも。 『働けば自由になる』 独: Arbeit macht frei↑ ←掲載しきれないほどの 当 時 の 写 真 や 資 料 が ありました ←バラックのような建物の中 には 3 段ベッドが所狭しと 並ぶ。縦に寝ていたそう。 暖炉もあるが、燃料もなく 当時は役には立たなかった という。 当時使われていたトイㇾ→ to be continued… 遺体焼却炉 ↑ ← 実際に使われていた収容所の一室 寝返りもできないような 3 段ベッド <アウシュヴィッツ第一収容所跡> 先ず訪れたのは第一収容所跡 この収容所へ送られた人々は労働力 があるかないかで選別され、労働力 のない老人や子どもたちは、すぐに ガス室に送られ毒殺された↓ 数えきれないほどの日用品の数々 義肢や義足などの補助用具 大小さまざまな靴 そして名前の書かれたかばん ↑集団絞首刑場 ↑棟の間にある死の壁(射殺場) ↑収容所の周囲を囲って いた有刺鉄線の鉄条網と 見張り小屋 ←ツィクロン B こ れ が 毒 ガス の もと → この天井 の小窓から ガス缶を投げ入れたのです どれほどの尊いいのちがここ で失われたのだろうか… 強制労働の他 人体実験も 行われた。 1 日の食事 ↓ <アウシュヴィッツ第二収容所跡(ビルケナウ)> そして、広大な土地に数多くの収容所があった第 2 収容所跡へ 入口から内部へ 続く 1 本の線路 ↓ ↑この貨物車で 人を移送していた 壊された収容所 ↓ 煙突だけが残る ↓アンネはココにいた? アウシュビッツから クラクフへもどって きました
to be continued…