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1""-日本甲殻類学会理事で医師の小田原利光博士 が突然、黄泉の固に旅立たれた 。村岡健作氏から平 成16年10月18日に昨17日朝小 田原先生が亡 くなら れたと電話で知らされた。村岡氏からは平成16年 10月8日に先生が5 日に入院されたとメー ルがあ り,東洋近代美術の田口道夫さんからも 小田原先 生が入院されたという知らせを受けたばかりの時 であった 。お見舞いにも行けず,平素お世話にな りながら,ご無沙汰ばかりしており,昨年の学会 には, 富士宮市が行 っている 「フードバレー構想J
の講演会に講師を頼まれていて 二 日とも講演と重 なってしまった事から,先生を追悼し偲ぶ事が出 来なかった 。 小田原先生に最初にお目にかか ったのはずい ぶん前になるが,昭和59年の秋,神奈川県横浜市 青少年会館で開催された第22
回 日本甲殻類学会研 究発表会で,私がタカアシガニの研究について発 表をした時である 。以前,麻布十番の先生のご自 宅の一部が小田原甲殻類博物館として解放されて いた時があ った。私の親類が麻布十番の上にある 麻布材木町に住んで、いた事もあり,学生時代には 折に触れ材木町には出掛けていた 。時には買 い物 に十番まで出掛けた 。十番は私にと っても親しみ のある町なので,先生のお宅に伺 った時その話を して 一時を過ごした 。勿論先生が収集された膨大 な甲殻類の標本も見せて頂いた 。 この頃の私は , タカアシカ、、ニの研究を始めたばかりで,試行錯誤 の時代であった 。先生から沢山の示唆を頂き現在 までこの仕事が継続できたのは,この時,先生か ら頂いた多くの ヒントがあ ったればこそである 。 私はその後,日 本大学の下回臨海実験所で卵の培 養から幼生,そし て完全飼育によるタカアシガニ の新生稚ガニを作る事が出来たが,先生は時々に お声 をかけて下さり,幼生飼育の様子や経過など を尋ね られ,成功した時にはことのほか喜 んで、下 さった。 日本大学商学部教授 安 原 健 允 私は西伊豆の戸田村を中心にタカアシガニの研 究を継続している 。戸田村には,小型機船底曳き 網漁船が10隻許可されていて操業している 。 この 漁船が時に珍しい駿河湾の深海生物を漁獲し港に 運んで、くる 。 これらをもら って, 戸田村が駿河湾 深海生物館 (開館時には駿河湾深海生物博物館, 後に改称) を従来あ った村立造船郷土資料博物館 に併設した 。後で記すオランダのライデンにある 国立自然史博物館教授のホルトハウス博士を先生 がお連れ下さ った事は,戸田村としてもこの館の 建設に関わ った筆者としても光栄な 事であ った。 先生と戸田村との おつきあいは, ずいぶん古く からの事であ ったと伺った事がある 。戸田村の診 療所にお知り合いの医 師が勤務されていた事。 ま た,先生がよく話された ,慈恵医科大学で生物学 担当の中沢毅一教授が駿河湾奥の蒲原に駿河湾生 物研究所を開設され,ここで桜エピなどの研究を されていた事にもよると思われ,小田原先生が懐 かしそうに 当時の事 を話された時が昨日のように 思われるのである 。先生は,松崎プリンスホテル にもよくお泊まりにな っておられた 。何時も奥様 とご一緒である 。一度,先生から松崎にいるとの お電話を頂き,ホテルに伺 った事があるが, 戸田 村の見晴らしの良いホテルにもおい でになり ,そ のホテルで昼食のこ、相伴に預か った事 もあ った。 先生との会話は何時も甲殻類のことであ った。 先にも触れたが,エピ類の分類では世界的権威 で我が国の研究者もホ ルトハウ ス先生の薫陶を 受 けた人も少なくない。昭和61年10月21日- 22日, このホル トハウス先生が戸田村の駿河湾深海生物 館に小田原先生,当時神奈川県博物館学芸部の村 岡健作先生,熊本大学天草臨海実験所にお られた 山口隆男先生とご一緒に来られた。その日の夕方 は漁船から水揚げされた漁獲物を 丁寧 に仕分けし(C A N C ER ) に論文を書かれている 。医師として 診察に当たられ,多くの公職をなされながら,甲 殻類研究にかけられた情熱は後輩としての我々に 多くの教訓を与えて下さった。 日本甲殻類学会は,最初,