愛知県立大学
竹中研究室
ゼミ論集
巻頭言
2008 年度竹中ゼミでは,「地中海ヨーロッパにおける水資源と持続可能な開発」を中心テーマとしつ つ,身近な地域を切り口とするフィールド重視の勉強を積み重ねてきた.本ゼミ論集は,2008 年 12 月 21 日(日)に実施した後期巡検(野外調査実習)の成果を集成したものである.論集の作成にさいして は,受講生一人ひとりが巡検で得た知見を下敷きに,追加調査も行いつつ自分なりに内容を発展させた. 執筆者は,次年度に卒業論文作成を控えた学部3 年生と卒論を課されていない夜間主の 4 年生で,3 年 生にとっては,本論集が卒論の予行演習的な意味をもつ. 巡検では,名古屋国際会議場のある白鳥公園から七里の渡しの船着場があった宮の渡公園にかけての 区間,そして黒川の親水公園から水分橋にいたる黒川の区間を中心に歩き,補足的に都心の納屋橋地区 を訪ねた.宮の渡公園では,NPO 法人「堀川まちネット」の清掃活動に参加し,副理事長の川口正秀 氏から貴重なお話をいただいた.お世話になった方々に御礼申し上げる. 本ゼミ論集は,全部で9 篇の論から構成されている.それらを大きく整理すると,堀川を取り巻く都 市空間の歴史的なりたちを論じたもの(赤塚),堀川の汚染問題やその解決策について論じたもの(藤原, 丹羽),堀川を中心とする都市空間の再生について,現在進行中の施策に関する検討(前川)や外国の 事例との比較考察(新井)を行ったもの,視野をやや広げて長良川の水辺環境について論じたもの(瀬 木),観光の観点から水辺空間の活用法について比較考察したもの(粉川),その他,水資源問題(澤田) や干潟を含む河川環境(池)に焦点を当てたものとなる.当然のことではあるが,内容的に未熟な部分 があり,事実関係の取り違いもないわけではない.しかし,それらの問題点も,ゼミ生の努力と成長の 現段階を示すものと考え,指導教員があえて手を加えることなく,極力オリジナルの状態で公表するこ とにした.著作権に関しては,違反行為がないようふだんから指導を徹底しているつもりであるが,あ りうべき問題については,初学者ゆえのケアレスミスとしてご海容くださると幸いである. 2009 年 7 月 1 日 竹中克行目 次
人々の生活と川との関わり―堀川周辺における町の跡地をたどって―(赤塚由)・・・・・・・・・・・3 水資源の汚染と浄化に関する取組―堀川を事例に水資源との「共生」を考える―(藤原千夏)・・・・11 木曽川導水事業からみる水問題(丹羽理絵)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19 「母なる川」堀川―名古屋のシンボルとしての復活にむけて―(前川夏子)・・・・・・・・・・・・・25 名古屋堀川の水質汚染と改善のための取り組み―イギリスのマージ川の事例から活かせるものとは―(新井綾那)・32 人々の求める川―長良川をとりまく環境に視点をあてて―(瀬木ももこ)・・・・・・・・・・・・・41 水と観光(粉川伊久美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48 水不足,汚染から水商品化へ(澤田恵)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55 庄内川流域と藤前干潟(池聡美)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61薪の問屋,貯木場など名古屋城下町の物資輸送にとっ て大きな役割を果たしてきたといえる.このように商 業が発達してきたことが分かるような,様々な貯木場 や魚問屋などが現存していることから当時の様子が見 えてくると思うので,分析したいと思う.
Ⅱ.名古屋における水道事業と市民の
水に対する意識
水道事業について まず初めに,水道事業についてみていく.名古屋 市に現在のような近代的な水道ができたのは,大正3 年(1914 年)の 9 月である.この頃はまだ,井戸水 や川の水を使用する人が多かったため,給水戸数は約 7 千戸しかなく,給水人口も約 2 万 5 千人と少数であっ た.しかし,市民の衛生思考が普及し,水道の便利さ や利益が認められるようになり,昭和元年には給水戸 数が約7 万戸で,普及率が 42.1% に上昇した.終戦 時には一時的に普及が低くなったが,その後また急 速に普及が高まり,昭和42 年度には給水戸数が約 52 万戸で,給水人口が約193 万人にもなったという. ここで1 戸当たりの消費量をみてみると,昭和 26 年度には1 ヶ月間に 9.2 m3あったものが,42 年度に は18.6 m3と約2倍にも増加したことが分かっており, 平成17 年(2005 年)には,給水量が年間約 2 億 9,847 万m3となっている.ここから分かることは,名古屋 市に水道という設備ができてからまだ100 年と経っ ていないのに,水道の急速な普及により便利になった ため,300 年近く頼ってきた堀川の存在が市民の中で 薄れつつあるのではないかという点である.今では当 たり前の水道が,人々の意識を川とのつながりから遠 ざけているのではないかと思う. 名古屋市民への水の供給は,木曽川の水が犬山の左 岸で取り入れられ,パイプによって市内に運ばれ提供 されるため,「犬山のような鬼門にあたるところから くる水は飲めない」とか,「これまで飲んできた井戸Ⅰ.はじめに
水と人々の生活は密接に関わっており,私たちは水 なしでは暮らしてゆけない.昔も今も,川は人々の生 活に多くの恵みをもたらしてきた.飲み水の摂取から 始まり,廃水に至る暮らしの用から,田畑の灌漑,物 資の運搬とその用途は多岐にわたっている.我々の生 活において身近で大切な水だからこそ,私たちはうま く付き合っていかなければならない.そのためには 様々な工夫が必要で人々は古くからそれを考えてきて いるはずである.水と生活についての結びつきを,川 と生活といった一見それほど我々の生活と直接の結び つきがないように思われる側面から探っていきたいと 思う.私はこのレポートで,特に名古屋の人々の生活 と堀川がどのように結びついているかを,今でも残さ れている様々な跡地に注目しながら考察していこうと 思う. こうした観点から本稿では,名古屋の代表的な川で あり実際に足を運んで見た堀川とその周辺から,人々 の生活の中で川がどのような位置づけをされているか という点に注目したい.そこでまず本稿の前半では, 名古屋市民の生活のあゆみについて調査してみたい. 名古屋市における水道事業の発展や,普及に伴う水辺 の環境の変化やそれに基づく問題点と解決策などにも 触れたいと思う.そこで,市民の水や環境についての 意識調査のアンケートを用いて分析したいと思う.後 半では,人工公物である橋に焦点を当て,その造りの 工夫や利便性などから,人々と川とのつながりをみて いこうと思う.また,今でも残されている商業の跡地 や,よりよい水利用のための利水・治水施設にも着目 して,その関係についても述べようと思う.最後に, 堀川周辺の環境を調べると共に,名古屋城下町の発展 を支えてきた川と生活についてまとめようと思う.例 えば,堀川の開削によって,建築に必要な木材や石材 の輸送をはかり,城下町を発展させてきたことからみ て,堀川の水運は,上流にある材木商や塩,米,魚,人々の生活と川との関わり
―堀川周辺における町の跡地をたどって―
赤塚由(2006 年度入学)
水がどうして飲めないのか」という苦情もあったそう で,初めのうちは水道給水も市民に歓迎されなかった そうだ.しかし,給水の普及宣言や人口の増加によっ て,需要が増していったという背景がある.やはり人 は,便利になると次第に慣れていき,それが当たり前 だと感じるようになってしまうものであろう. 次に工業用水道は,上水道と比べ遅く昭和36 年 (1961 年)2 月に給水が開始された.それ以来,地下 水のくみ上げによる地盤沈下の防止と産業の基盤整 備を目的として給水している.平成17 年(2005 年) の給水量は,市の工業用水道が年間約2,427 万 m3で あり,愛知県の工業用水道が年間6,547 万 m3となっ ている.また下水道をみてみると,明治41 年(1908 年)から下水を目的として整備がすすめられてきたが, 河川の汚れがひどくなったことから,昭和5 年(1930 年)に日本で初めての散気式活性汚泥法による下水処 理を掘留し,熱田区で開始し,いち早く近代下水道の 整備をはじめている.市の発展とともに下水道の拡張 工事をすすめ,平成16 年度(2004 年)には,人口 普及率が98.0% となっている.市内には現在 15 の下 水処理場があり,その整備方式は,市域の約4 割に あたる庄内川以北や東部の丘陵地などにおいては分流 式下水道であり,その他の約6 割の区域では合流式 下水道となっている.また,すべての処理場の合計で 年間約4 億 m3の下水を処理していて,名古屋市にお ける下水道処理地区の図(図1)をみてもわかるよう に,堀川の周辺には下水処理施設が多く分布している. ここから読み取れることは,堀川周辺の下水道の整備 はほぼ整ってはいるが,半分以上が合流式下水道であ ること,つまり川にとってはいい方法ではない形式の ものであることで,堀川の水質が汚染され続けていく のではないかという点である. 市民の水に対する意識 次に,市民の環境に対する意識について考察する際 に,まず水と関わりのある緑について少し触れてみた いと思う.名古屋市における緑についてだが,名古屋 市の緑の現況及び推移を示す指標として,5 年毎に緑 図 1 下水道処理区域図 (資料)『なごやの下水道(平成18 年度)』名古屋市上下水道局(http://www.city.nagoya.jp/_res/ usr/36445/web-chap02-2.pdf)の論文から引用.
NPO 法人堀川まちネット,クリーン堀川,全名古屋 ライオンズクラブ,堀川1000 人調査隊,ゴンドラと 堀川水辺を守る会などがある.どの団体も願いは同じ で,堀川を元通りのきれいな名古屋を代表する川にし たいという気持ちから始まり,名古屋市の活性化にも つながる祭りの復活や地域住民の美化意識を高めても らうためのものなど,市民の思いがつまった団体が数 多く存在していることは事実である.しかし,こういっ た意識は,水質汚染や環境破壊につながるとして問題 になってきてからの行動であり,川を見直さなければ ならないと気付いてから始まったものといえるのでは ないかと思う.つまり川の汚染問題は,便利になった 世の中のせいであるとともに,市民の川に対する意識 の低下によるものであると考える.そこで,人々の川 に対する意識はどうあるのか,あるアンケートを参考 にする. 「水と緑に対する市民の意識」を調査するための, 平成17 年(2005 年)7 月の名古屋の市政アンケー トによると,その結果から次の点が明らかとなった. 名古屋の水辺面積についてどう思うかという質問で は,「どちらかといえば多いと思う」28%,「どちら ともいえない」25%,「どちらかといえば少ないと思 う」11%,「少ないと思う」10%,「わからない」1%, 無回答1%,「多いと思う」が 14% という結果となっ ている.また,河川やため池の水質についての質問へ の回答として,「どちらともいえない」21%,「汚い」 17%,「わからない」5%,「どちらかといえば汚い」 36%,無回答 2%,「きれいである」3%,「どちらか といえばきれいである」は16% という回答であった. そして,緑地面積についての質問では,「どちらかと いえば緑が豊かである」が37%「どちらともいえない」 は19%「どちらかといえば緑が少ない」は 23% で,「わ からない」が3%,無回答 1%「緑が少ない」は 9% で「緑 が豊かである」は8% であった.そして,自宅の庭な どに緑を増やすことについての質問では,「環境がよ くなるのであれば増やしてもよい」が42%,無回答 5%「増やしたくない」は 3%,「すでに家庭において 取り組んでおり,これ以上緑を増やす場所がない」が 29%,「自宅に庭やベランダなどがないため,緑を増 やすことができない」が14%,「どちらかといえば増 やしたくない」は7% となっている.(この市政アン ケートは,市内に居住する満20 歳以上の外国人を含 む市民2000 人を対象とし,住民基本台帳及び外国人 登録原票をもとに無作為で抽出し,郵送方法をとり, 回収率は50.3% であったものである.) 被率の調査が行われている.緑被率とは一般に,樹林 地,草地,農地等の植物で被われた土地面積の,市 域の全体面積に対する割合を示したものである.名 古屋市における緑被率は平成17 年(2005 年)には 24.8% となり平成 2 年(1990 年)に比べると 5 ポイ ント減少している.これは,土地利用形態の変遷から もわかるように宅地や道路の面積が増えている一方 で,農地や森林などの緑被地が減少しているためであ る.また,緑地の減少に伴って,緑のまとまりや連続 性も失われてきている. 平成12 年度に,野生動植物に関する専門の学識者 を中心とした「名古屋市動植物実態調査検討会」を設 置して調査及び検討を進めて作られた「レッドデー タブック2004 なごや」(これは,名古屋市内に生息・ 生育している絶滅のおそれのある野生生物への理解と 認識を深めるとともに,各種開発事業の環境影響評価 などの際に自然環境の保全に対する配慮のための基礎 資料とすることを目的としているもの)によると,名 古屋市には,動物は昆虫類を中心に約3,000 種,植物 は約1,000 種生息しているという.緑地や水面の減少 などを反映して,植物は平均してどの種も絶滅の危険 性が高く,動物では広範な生息域を必要とするほ乳類, 良好な水辺環境を必要とするは虫類や両生類の絶滅の 危険性が高くなっているという.また,名古屋市東部 の丘陵谷間に点在する湿地は,ミズゴケ類,食虫植物, 東海地方特産のシラタマホシクサ等によって構成され る植物群落域があり,周辺一帯の湧水部にはトウキョ ウサンショウウオがわずかに生息しているそうだ.堀 川を例にみてみても,現在のように多くの市民活動に よる清掃や環境保全活動が始まる前には,鳥も魚もい なかったという話を聞いた.しかし,現在はだいぶよ くなり,かもやかもめなどの渡り鳥も来るようにまで 回復していた.元々堀川にいた生物よりも,外来種の 方が多く生息しているというお話からも,水質汚染や 川辺の環境が長年に渡って変化することで,多くの自 然サイクルが崩れてしまったということが分かった. 現在名古屋市内には,川や池などの水辺に関心を 持って活動している団体が数多く存在し,活発に活動 を行っている.川近くの地元の人たちでつくられ川の 清掃を中心に活動している団体や、 川や池などを中心 に自然観察会を定期的に開催している団体,そして市 内から市外まで広い範囲の水辺の生き物調査に取り 組む団体,ため池を中心に学術的に研究している団体 など様々な団体が存在している.特に,堀川を主な 活動拠点としている名古屋の主となる市民団体には,
このアンケート結果から,名古屋を水の多い都市で あると認識する市民の割合は高いが,水質に対する不 満は多く示されていると読み取ることができる.また, 緑が豊かであると感じる市民が比較的多く,環境がよ くなるのであれば自宅の庭などに緑を増やしてもよい と思っている市民も多いということが分かり,つまり 水や緑といった身近に自然が存在していることについ ては目を向けているが,自分1 人ではどうすること もできないことについては深く考えていない傾向にあ るように思う.私個人もそうだが,自分たちと直接深 い関係がないと思われることから目をそらしているよ うな気がする.簡単なことはできても,誰かがなんと かしてくれるだろうとか,今まで平気であったように これからも大丈夫だろうとか,自分一人の力ではどう にも変わらないだろうという気持ちでいる人が,川に 対しては多いのではないかと思った. また,別の質問の雨水浸透施設の設置についてで は,「わからない」12%,「関心がない」4%,「集合住 宅などで設置する場所がない」が30%,「関心はある が,設置したいとは思わない」は8% で,「環境が良 くなるのであれば,今からでも設置したいと思う」が 4%,「すでに設置している」が 2%,無回答 5%,「費 用負担があまりなければ,今からでも設置したいと 思う」が10% で,「環境が良くなるのであれば,自 宅の新築や改修などの際に設置してもよいと思う」 は5%,そして「費用負担があまりなければ,自宅の 新築や改修などの際に,設置してもよいと思う」が 20% という結果であった. また,河川などの水質改善や維持管理および街の緑 の保全や維持管理のために協力をすることについての 問いでは,「意見提案などを行う」が96 人,「個人的 に清掃活動などを行う」は157 人,「団体に加入し清 掃活動などを行う」が135 人,「調査活動などに参加 する」は74 人で,「自然観察会などに参加する」は 165 人,「特にない」が一番多く298 人,「わからない」 が165 人,「その他」55 人,無回答が 70 人であった. ここから,市民の「雨水地下浸透」に対する意識は 高く,雨水浸透施設を設置してもよいとの意見が多く あったが,河川などの水質改善や維持管理および街の 緑の保全や維持管理のために協力をすることについ て,「特にない」「わからない」といった消極的な意見 が多くあったことから,理解はしていて環境に対する 意識はあっても,実際に行動に移そうとする人の方が 少ないということが読み取れる.水辺環境の整備や川 の浄化とともに,人々の川に対する意識も向上させる 必要があるように思う.昔に比べそれが低くなってい ることも,水質汚染の原因の一つであると思うからで ある. そこでまず,都市生活に関する課題として,雨水の 表面流出量の増加が挙げられる.都市化の進展で不浸 透面積が拡大したことにより,降った雨は地表を流れ て,下水道へ流入し,下水処理の負担を増やしている といえる.また,直接河川へ一斉に流れ出すことで洪 水の危険性が増しているので,雨水の表面流出量を削 減することが重要となってくる. 次に,合流式下水道の改善が挙げられる.名古屋で は,古くから下水道が整備され,市域の約6 割が合 流式下水道で整備されているが,合流式下水道は,あ る一定以上の雨が降ると雨水とともに,汚水が河川に 流れ出てしまうことがある.そのため河川の水質を向 上させるために,合流式下水道の改善が必要であると 考える.我々市民にとっては難しい考えかもしれない が,行政と協力していくとこもこれから求められると 思う.実際に堀川付近で合流式下水道を目にすること ができたが,下水が一気に川にそのまま流されること を想像したらぞっとした. また,都市における未活用な水資源を見直す必要が あるだろう.市内に降る雨やビルの地下に漏出する地 下水,下水再生水は都市の中では限られた貴重な水資 源であるが,あまり活用されていない.これらの水資 源を活用することも必要である.それから,水や動植 物との関わりについても考えなくてはならないと思 う.農地の減少とともにため池・農業用水路などの水 域が減少し,水辺に生息する多くの動植物が見られな くなってきたことから,都市の暮らしの中では,水や 動植物との関わりが希薄になってきているといえる. 水や動植物との関わりの回復を図ることも関係してく ると思う. それから,災害時のために生活用水の確保もしなく てはならない.現在は,一般家庭や工場の井戸を災害 用の応急井戸として登録し,災害時の協力を求めてい るが,停電時には使用が困難になることも予想される. そこで,停電時にも対応できる災害用応急井戸が必要 となる.かつては名古屋にも,田畑,ため池,森林が 広がり,降った雨を貯めたりしみこませたりする自然 の洪水調節機能があったが,都市化が進むと,雨水を 貯めたりしみこませたりする田畑がなくなり,地表が コンクリートやアスファルトで覆われることになる. そのため,地表を流れる雨水の量が増して,短時間の 降雨でも川や下水道の能力を超えて,道路冠水や床上
浸水などの浸水被害を招いてしまう.平成12 年 9 月 には,東海地方は愛知県を中心に記録的な大雨となり, 浸水等により大きな被害を受けた.このような浸水被 害対策として,名古屋市では雨水貯留施設の整備や道 路浸透桝を設置し,雨水を貯めたり地面にしみこませ たりするなど,地表を流れる雨水の量を減らす対策を しているそうだ.一般家庭でも,雨どいから落ちてく る水を地面にしみこませたり,タンクにためたりする ことで流出抑制が図れるそうなので,個人レベルでも 行うべきだと思う. 名古屋市の環境を守るには,名古屋に住む人,働い ている人,すべての人が関係者である.だから,市民, NPO,事業者,行政など,立場の異なる人々が,お 互いの個性や役割を認め合いながら,対等の立場で力 をあわせることが求められると思う.これらいろいろ な立場の人々が連携をして,みんなで名古屋の町の復 活をめざしていくべきである.
Ⅲ.橋作りや利水施設の工夫と役割
ここで一度,話題を人からものに移してみていきた いと思う.川と人の生活について考察するためには, 水を利用するために作られたものを見ていく必要があ る.街を見渡しても目につきやすく,人が直接利用す る橋はその一つで,今でもそのまま残っているものが ほとんどである.しかし,ただ単に人が渡るためだけ に作られたわけではなく,様々な工夫も施されている ことに目を向けてみたいと思う. 昔から人々は川を渡るためにいろいろな橋を工夫し て作ってきた.1 番簡単な,木を切ったものをそのま ま川に渡したものから始まり,石を使ったりつり橋 だったりアーチ状にしたり,ワイヤーを使ったり鉄や コンクリートを用いたりして,材料や形によって,強 度や景観に配慮した様々な工夫が次々と生み出されて きた.堀川周辺を散策した時も,多くの橋をみた.小 さくて古いものから堂々としているものまであった が,それぞれの橋にはそこに作られた意味がきちんと あり,様々なことに役立っているといえる.都市に大 きく架かる橋であるなら,その景観に配慮した造りに なっていたり,災害の経験を生かして造られていたり する. たとえば例として,岐阜県本巣郡穂積町を流れる長 良川の支流,五六川の流末に五六閘門または牛牧閘 門と呼ばれる樋門(水門)がある.この水門は,長 良川からの逆流による水害から穂積町を守るために, 1907 年(明治 40 年)に造られたものである.この 水門は,二連アーチの水路に観音開きの鉄扉4枚を備 えている.長良川が増水するとその水位差によって, 鉄扉が自動的に閉まって,逆流を防止するというもの であるようだ. ところが近年,長良川堤防の改修工事や排水機場の 設置など治水工事の進展によって,水門による逆流防 止の役割は不要となった.しかし,「不要」として壊 してしまってよいものだろうかという疑問がある.こ の地方は,土地が低く昔から常に水害を受け,人々は 水との闘いを余儀なくされてきた所であるからだ. そこで,人々は江戸時代から輪中をつくり自衛して きたが,それでも安心できないので,穂積の住民は水 門をつくって水害を防ごうとした.水門の建設には長 良川下流側の住民の反対にあったが,1754 年(宝暦 4年),穂積の本田代官となった川崎平右衛門の力で, この地に初めて木材で水門が造られたそうだ.その 後,1907 年までの 153 年間に 4 ∼ 5 回建て替えられ, 1907 年に「人造石」工法で永久的な水門を造ったと いう経緯がある.この工法は「コンクリート」工法が 普及する以前の工法で,わが国の左官の伝統的技法で ある「たたき」を利用した珍しい工法である.岐阜県 内に現存する水門の中で,唯一の「たたき」構造物で ある.従って五六閘門(水門)は,地域における長い 治水の歴史を物語る貴重な土木遺産であるといえる. なので,治水史または土木技術史上の遺産として保存 され,付近の堤防には桜の木を植え,地域の人々の憩 いの場,治水の歴史が学べる場所となることが期待さ れているそうだ. また,少しはなれて世界中にある橋にも目を向けて みようと思う.橋の形式の1つとして,運搬橋という ものがある.川を跨ぐ背の高い構造物からゴンドラが 吊り下げられているという構成の橋で,歩行者や自転 車はこのゴンドラに乗って対岸まで移動する仕組みに なっている.これは,船の航行を妨げないように工夫 された形式であり,また長い傾斜路をもつ巨大な橋を 造らずにすむ解決策であったといえる.この運搬橋が 初めて建設されたのが,1893 年に作られたスペイン にあるビスカヤ橋である.ビスカヤ橋はスペインのネ ルビオン川に架かっている世界最古の運搬橋であり, ビスケー湾に面した港湾都市ビルバオの河口付近にあ り,ポルトゥガレテ地区とゲチョン地区を結んでいる. さらに2006 年 7 月 13 日,世界初の運搬橋であるこ とや,その実現のために革新的な技術を用いた鉄製の ワイヤーが使われたことなどが評価され,ユネスコのⅣ.堀川における川周辺の環境
城下町名古屋は木曽川を防衛の第一線として,濃尾 平野の中心につくられた町である.それだけに,川か らうける恩恵に乏しく,堀川の開削以来,水運に力が 注がれてきた.堀川は,城下町建設とともに開かれた 川であるので,川がなかった当時の人々にとっては, この川は生命の川となり,経済発展の糧となり,川筋 には商家が軒を列ねた.堀川の開削によって,建築に 必要な木材や石材の輸送をはかり,城下町の発展をね らったものといえるようだ.堀川の水運は,上流の材 木商や塩・米・魚・薪の問屋,屋橋の南の米蔵,白鳥 の貯木場・船蔵など,名古屋城下町の物資輸送の大動 脈の役割を果たしてきたといえる. 堀川の川筋を中心に名古屋の商工業が発展してきた ことは,現存する町の名前からも知ることができる. 大船町,船入町,米屋町,塩町,木挽町,堀江町など が例に挙げられる.この辺りには,味噌や醤油の問屋, 塩の問屋,肥料の問屋などが立ち並んでいた.例えば 塩町は,遷府当時は堀川片町といい,1667 年(寛文 7 年)に塩町上之切と改め,さらに 1686 年(貞享 3 年) に塩町となっていて,今でも塩屋孫左衛門や塩問屋弥 兵など昔の問屋の名前の流れを引く名塩食品などが大 船町にあるように,塩との関係は深いといえる.また, 堀川の川筋に並んだ米・塩・薪炭・肥料などの土蔵の 中には,石段が川にむかって造られ,川端の石畳の通 ずるつくりになっているものがある.すなわち,蔵の 下が船着場となっていたのである.現在でも,表通り は2 階建てでも川に降りてみると,その下にもう一 階分のつくりがあって,階段になっている建物が多い. このことからも分かるように,多くの問屋は堀川と共 に生き続けてきたといえる. また,川筋を東に上がっていくと,茶屋,伊藤屋, 世界遺産に登録され,現在もまだ使用さているそうだ. そのほかにも,土地空間の違いによって様々なト リックを使って動く橋が世界には多く存在している. 面白いなと思ったので,ここで少しだけ紹介しようと 思う.架橋によって水上交通が妨げられてしまう場合 に,橋を移動することで船舶の交通を可能にするとい う工夫がなされているものを可動橋といい,特に海抜 が低く水運の盛んなオランダには多くの可動橋が存在 し動作回数も多いらしい.船が通る時に回転して船を 通過させる旋回橋という作りや,橋がそのまま上昇す る昇開橋,橋脚を水平移動し固定されている部分に引 き込むようにした構造の引込橋,また蝶番でつないだ 橋桁をつなぎ,折りたたんで格納する折畳み橋や,橋 桁を水面に沈めることで船の通行を可能とするタイプ の降開橋などがある.しかし,航路を確保する場合に 道路側の交通が遮断されたり,可動部の保守に手間が かかったり,架橋技術の進歩で橋下の空間が大きくと れるようになったことなどから新規の架橋は少ないそ うだ.人は便利になるためなら何でも作り,反対に都 合が悪くなると壊したり改造したり中止したりするの だなと感じ,当たり前かもしれないが,人間を一番に 考えて全てが作られていると思った. また,堀川巡検時に実際に見たものの中で1 番気 になったものは,港とは違った船着場の工夫である. 水面の高さが変わって垂直に動いてしまうから,ポー ルにチェーンがかかっていた.この場所では,人が乗 るやかた船を使っているから,人が乗り降りしやすい ように高さを常に一定にしておきたいということから の工夫らしい.こういった,人による人のための工夫 が身近なところで行われていることを知り,実際に見 て回れてよかったと思う. 写真 1 ビスカヤ橋(スペイン) (資料)Wikipedia「ビスカヤ橋」より.両替商,伝馬問屋,飛脚問屋(信書,金銀,貨物など を送達する業務を仕立てることを請け負った問屋), 酒・瀬戸物商などが集まっている.反対に川の西側に は,米・塩などの問屋がある.堀川沿いには材木商が 多く,特に東側に現在でも多いが,これは城下への運 搬の便を考えたものと思われる.堀川上流の,今はい かだものぼってこないような辺りに材木関係の店が並 んでいる.江戸時代の古い地図を見ると,堀川東岸に 木挽町,元材木町など木材に関係のある町名がみえ, その仕事場があったところであることが分かる.この ように,今でも残る町の名前からも,昔の人々の暮ら しが見えてくるのは面白いと思った.そもそも堀川と 木材の結びつきは,堀川の開削とともに始まり,福島 太夫正則が堀川ぞいの,白鳥地内に大池を掘らせ太夫 堀と呼ばせ,最初は木材置場となっていた. ここで詳しく材木商がこの場所で発展したわけにつ いて説明すると,まず,1615 年(元和元年)に徳川 家康の命令により,木曽谷が尾張藩の領になり,木曽 の材木が木曽川をくだり,桑名・熱田と水運によって 白鳥に運ばれることになった.そのため,やがて熱田 に木材所が設けられ,白鳥御材木奉行がおかれるなど, 木曽谷からの木材搬入に対する体制が整えられた.木 曽谷の材木は,石高に直すと,約7 万 3000 石と推計 され,その増収分によって,財政は裕福になったとい われている.つまり,尾張名古屋は城でもったと言わ れているが,木曽でもったとも言える.材木商の発展 のおかげで名古屋市が発展したと言っても過言ではな く,それはつまり堀川のおかげだといえる.しかし, 現在でも船も入れない納屋橋以北の堀川の東側に材木 商が多いのは,木材業の中心であった元材木町・上材 木町・下材木町といわれた3 つの町と木挽町に居住 する材木商のほかは,屋号に材木屋とつけることが禁 じられ,この3 つの町の者に限り,古渡・日置付近 に木場をもつ特権を与えていたからだといえる.これ らの町の名前とは業態の分布図を表したものが次の図 2 である. また,堀川は電車とも関わりを持っている.名鉄瀬 戸線に堀川駅という駅があった.堀川と瀬戸線とは何 の関わりもないように思われるが,瀬戸線が堀川まで 敷かれたとこには深い意味があるそうだ.瀬戸線は古 い歴史を持った鉄道であり,名古屋市と瀬戸町をつな ぐ唯一の交通機関として始まった.これは,中央西線 の名古屋・多治見間が開通されて,駅を持たない大曽 根を中心とする有志の人々による停車場設置の働きが けによるもので,その設置の条件として,貨物誘致策 を求められ,瀬戸・大曽根間に交通機関を設けること になって創立された.そして堀川駅は,開設にあたっ て貨物取扱駅としたので,堀川の船便と貨物連絡がで きるようになり,取扱数量は著しく増加した.また, 瀬戸方面からの陶土や陶磁器類は堀川駅まで瀬戸電で 運ばれ,堀川を使って名古屋港に送られていた.食料 品や燃料や原材料などは堀川まで船で運ばれ,逆に貨 物車に乗せて瀬戸方面に運ばれていた.以上のことか ら分かるように,堀川の水運は,瀬戸電と結びつくこ とによって名古屋東部ともつながり,この地域の発展 に貢献したといえるので,堀川駅の開設意義は大きい といえる.思わぬところでも堀川は名古屋の発展と生 活に関わっていることが分かった.
Ⅴ.おわりに
本稿を通じて明らかになったように,堀川と人々の 生活との関係は,古くからの町の名前や,今でも残っ ている商業の跡地,そして様々な工夫が施された橋や 水門などから,堀川開削から非常に密接に関わってき 図 2 堀川地帯における業態別戸数の分布 (資料)『名古屋の川と橋』の15 頁より.たといえるのではないだろうか.人々の暮らしにおい て,川は必要不可欠な存在であることは明らかで,単 なる飲み水としての役割にとどまっていないことが分 かった.堀川の水運を利用しようという目的をもった 人が,進んで堀川端に住みつき,町並みを形成したと いっていいだろうが,それらがいつ,どのように形成 されたのか分からない部分もある.しかし,現存する ものから推測することによって,昔からの生活がみえ てきたり,都市発展の経緯が分かったりするのだ. 川と人々とが密接に関わっていることは色々な面か ら知ることができたが,昔と今とではその関わり方が 異なっていると考える.川を利用することで都市の発 展や生活の利便性などが向上してきた,というような 以前とは反対に,今では川が人の生活から離れていっ てしまうことからくる川への意識,と結びついている ように思う.川をこれ以上利用するという観点ではな く,昔のように戻そう,きれいで生活や街の景観の中 に溶け込ませようとする運動が広がってきているのだ から,意識的に川を生活の一部であると思わざるを得 なくなっているように感じた.自ら汚してしまった川 を甦らそうというきっかけで見直されている川との暮 らしは,これからもっともっと深くなっていくべきで あり,環境について考え始める人も増えていくと同時 に,私たちを支えてくれた川に感謝し,共存していく 姿勢が大事だと思う. また,NPO 法人堀川まちネットの川口さんのお話 を聞き,市民の意識改革は非常に効果があると思った. 「川に負荷を与えない生活を心がけることが大切です」 とおっしゃっていたのが印象的だった.一人一人の心 がけで,少しでもゴミについて気にしたり水について 気にしたりするだけで,環境は変わってくるのだとい うような内容であった.また,清掃活動をして初めて みえてくる生活習慣状況もあるそうだ.気づいたとき にするのとしないのだけでも変わってくるなら,気づ いてやっていこう,と思うきっかけになった.企業や ボランティアの人たちがいるから自分は関係ないと思 うのではなく,ちょっとしたことでも自ら行動するこ と,そしていいと思ったことは続けること,それが環 境にも私たちにもいいことなのだという気持ちでいる ことが大切だと思えた. 文献 伊東孝(2000):『日本の近代化遺産』岩波新書. 久住典夫(昭和50 年 3 月):『名古屋市の川と橋』名古屋市. 大野一英(昭和47 年 12 月):『名古屋人をささえた川』. 早川文夫(昭和50 年 9 月):『生活・住宅・環境』名古屋大学 早川研究室編. 名古屋市総務局行政企画部統計課(昭和44 年 3 月):『市民生 活のあゆみ』. 保屋野初子(2003):『川とヨーロッパ―河川再自然化という思 想』築地書館. フレッド・ピアス(2008):『水の未来―世界の川が干上がると き』日経BP 社. http://www.city.nagoya.jp/_res/usr/36445/web-chap02-2.pdf. Wikipedia.
は十分な量を確保できるかという量の問題,そして3 つ目に分配の問題である.分配の問題とは,地球上に もともと水資源が少ないことや地域的分布,気候的分 布が原因で水資源の分布がアンバランスになっている ことから,それをどのように解決していくかというも のである. 1995 年に世界銀行によって発表された「水資源の 危機に直面する地球」という報告書によれば,世界人 口の約4 割にあたる 20 億人が恒常的な水不足に直面 している.特に,アジア・中部ユーラシア・中近東・ アフリカなどにこの問題を抱える国が数多くある.ま た,水質悪化で約10 億人が安全な飲料水を確保でき ないでいる.これらの人々は,病原菌を含んだ水やヒ 素など有害物質を含んだ水を飲まざるを得ないのだ. 水不足の原因としては,人口増加や経済成長に水資源 の開発が追い付いていないことが挙げられるのだが, ここまま開発が追い付かないと,特に発展途上国の農 業が大打撃を受けるだろうと言われている.また汚染 の原因は,下水や農薬,産業廃棄物によって生じてい る.WHO の報告では,水に関わる病気で子供たちが 8 秒に 1 人死亡し,淡水魚の 20% にあたる種が水汚 染によって絶滅の危機に瀕している. その一方で,世界の水の使用量に関して言えば, 1995 年の世界銀行による調査では,1950 年と比較し て約2.6 倍増加しており,同時期の人口の伸び 2.2 倍 を上回るものであった.これには工業用水・農業用水・ 生活用水の3 つが含まれるが,特に生活用水は約 6.7 倍と急増している.特にアメリカ・日本など先進国の 水の使用量は発展途上国に比べ多くなっている. 以上見てきたように,発展国に住む私たちには信じ がたい事実であるが,世界ではこのような水分配の不 均等が起こっており,この問題は早急に解決が急がれ る問題なのである.特に,水不足に苦しむ人々や汚染 された水が原因で死んでしまう人々が多いことは,世 界規模で考えなければならない深刻な問題である.こ の事実を踏まえ,私たちは日本における水との関わり
Ⅰ.目的
人間が生きていくために,水は必要不可欠な要素で ある.限られた資源であるにも関わらず,蛇口をひね れば水が出てくることが当たり前である日本におい て,私たちはその事実を忘れがちである.同時に,生 活において便利さを優先させてきた結果,知らずと水 環境を汚染してきた.様々な環境問題が生じた結果, 私たちはその改善に努め,水環境は良くなりつつある. しかし,依然として問題や課題が山積みなのも事実で ある. そこで今回のレポートでは,最初に私たちにとって 水資源とはどのようなものなのか,また,現在生じて いる水資源に関わる問題を調べ,世界や日本がどのよ うな水環境におかれているのかを把握すると共に,水 の重要性について再確認したい.続いて,具体的な事 例として堀川の例を挙げ,水環境を改善するためには 何が必要で,何が課題となのかを考え,最終的に,水 との「共生」とはどのようなことなのか,また,自分 なりの 「理想の堀川」 の在り方を考えていく.Ⅱ.水資源と汚染
水環境問題 まず始めに,そもそも水資源とは何を指すのか.そ れは,私たちが実際に利用することができる淡水のこ とを言う.地球上にある淡水の割合は水全体のわずか 2.5% であり,しかもこの大部分が南極や北極の氷で ある.川や沼,地下水など私たちが利用できる部分の 割合がわずか0.8% しかないのである.この数字だけ を見ても,水資源は限りのある大切なものであること がわかる. では,今日,この水資源に一体何が起きているのだ ろうか.基本的に水資源に起こり得る問題は3 つに 分類される.1 つ目は私たち人間が生きるために安全 な水を確保できるのかどうかという質の問題,2 つ目水資源の汚染と浄化に関する取組
―堀川を事例に水資源との「共生」を考える―
藤原千夏(2005 年度入学)
方を考えなければならない. では,日本の状況は一体どのようであろうか.日本 は,気候的には世界有数の多雨地帯であるアジアモン スーン地帯に属していて年降水量が多い.これによ り,1 人当たりの水資源量がある程度確保されている ので,多少の水不足が発生することはあっても深刻に なることはない.では,日本の抱える問題とは何なの か. まず,日本も世界と同じように水汚染の問題は深刻 である.もともと人々は地下水を汲み上げて生活用水 として使用していたのだが,汚染の進行により飲めな い地下水が増加した.地下水は,排水などから汚染を 受けやすく,特に大腸菌に汚染されていることが多い. 産業発展に伴い,トリクロロエチレンやテトレクロロ エチレンのような化学物質に汚染された地下水の増加 や硝酸性窒素の増加による水の汚染も危険視されてい る.これらの原因は全て,人間生活に伴う工場や生活 排水にある. また最近挙げられる問題として,水道水に対する不 安感の増加というのが挙げられる.近年,水の商品化 がどんどん進み,スーパーやコンビニなどに多くのミ ネラルウォーターが陳列されている.水道水の検査基 準はミネラルウォーターの製造基準よりも数倍厳しい のにも関わらず,水道水の品質に不安を抱く消費者は 多い.そこで,水道当局は高度処理を用いて,さらに 安全でおいしい水道水を供給することが求められてい るのである. さらに私たちが忘れがちな側面として,日本が「水 の輸入大国」であるということが挙げられる.日本は 食料自給率から見てわかるように,多くの食糧を外国 から輸入している.例えば,農作物を育てるのに多量 の水が必要である.これは,農作物を輸入する=それ に使われた水を輸入するということなのである.つま り,もし国内でそれらの農作物を育てた場合に使わな ければならない水を消費することなく,間接的に輸入 しているということである.日本は水資源に恵まれて いるように見えるが,それは多量の食物を海外に依存 しているという前提があってのことである. 以上見てきたように,日本は水環境にとても恵まれ た国の1 つである.そのことを理解した上で,私た ちは身近な水環境との付き合い方を考えていくべきで あり,水資源を大切に守っていかなければならない. 続いて,名古屋を代表する堀川の事例を挙げ,汚染 された経緯や浄化活動,さらに堀川に関連する都市開 発について調べ,私たちが身近な水資源とどのように 関わっていけばよいのかを考えていく. 堀川の今昔 堀川がまだ清流であった頃まで時代を遡ってみる と,江戸時代に辿り着く.当時,もちろん水質調査な どが行われているはずがないので,残された史料から 断片的に堀川の様子を推測したものである.初めに, 堀川に生息していた生物に関して見てみよう.ある人 が堀川について詠んだ句に「月見舟 湧かれてくる 鰯かな」というのがあり,「鰯」が登場する.また, 今の中区二丁目あたりに住んでいた丸屋正七と言う人 が,1844 年から「堀川のはえ(銀鮒)」を売り始め, それが大正時代まで名古屋名物とされていた.さらに, 1850 年には「堀川の西岸で魚を取ること,日置橋と 古渡橋との間も蜆を取ること」が禁止されていたのが 解除された.このように,以前は,近海を泳いでいる 鰯が潮の流れにのって堀川に入り,鮒が名古屋名物に なり,下流部では潮干狩りが行われるほどであった. それほど川の水質は良く,生物が住むのに適していた のである. また,水泳も行われていたという記録も残されてい る.1754 年に今の住吉橋下流の西岸に尾張藩によっ て小屋が建てられ,「水稽古」の場所に定められていた. 図1 を見てもわかるように,川岸には桜が咲き乱れ, 花見船が行き交い,泳ぐ人の姿も見られた.当時の堀 川は人々の憩いの空間としても重要な役割を果たして いた. では,なぜ堀川は汚れてしまったのか.名古屋は江 図 1 堀川花盛(うちわ) 数千本の桜が咲き乱れ,川には舟が行き交う. (資料)名古屋堀川ライオンズクラブHP から抜粋.
戸時代,行政・商業の町として栄えてきた.しかし, 政治の中心が東京へと移ったことにより従来の都市構 造が変化した.世の中は殖産興業の時代へ突入し,名 古屋もその波に遅れまいとして様々な産業整備が行わ れた.その結果,名古屋は産業都市に変化し,繊維産 業や陶磁器産業など軽工業を基盤に機械工業など重工 業へとシフトしていった.また,それに伴い,1876 年には約13 万人であった人口が 1926 年には 80 万人 にまで増加した. このような背景の下,人々の生活も変わり豊かに なった.1912 年に下水道,1914 年には水道の使用が 始まった.水道ができたことにより人々は井戸水を組 んで運ぶ重労働から開放され,下水道のおかげでトイ レは水洗式になり,衛生面で改善された.しかし,道 理ではあるが,水汲みの重労働がなくなれば水の消費 は増える.1 人あたりの消費量が増え,人口も増えて いるにも関わらず,完成当時の下水道には処理場がな く汚水がそのまま堀川に垂れ流された.ちなみに,汚 水と一言で言っても昔の汚水と今の汚水とでは水質の 状態が全く異なる.まず,トイレが汲み取り式であっ たころ,糞尿は肥料として再利用されていたので河川 へ排出されることがまずなかった.続いて,風呂は一 般家庭に普及しているものでなく,多くの人が銭湯を 利用していた.もちろん,石鹸・シャンプー・リンス などはなく,ぬか袋が使用されていた.洗濯に関して も,中性洗剤・柔軟剤・漂白剤は使われておらず,あ くや米のとぎ汁で洗っていた.台所でも油はあまり使 わず,食料が今ほど豊富でなかったため,食べ残しを 捨てることもなかった.このように昔の汚水は環境へ の影響が今ほど強くなかったのである. 産業排水も時代と共に悪化した.江戸時代は,名古 屋城下や近郊の人々の消費を満たす少量生産だった が,産業の発展と共に日本全土や世界を市場とする大 量生産になった.安くて良いものを生産して,産地間 競争に勝つことが第一の条件であったため,排水処理 に費用をかけることが考えられていなかった.それど ころか,水環境を守るということに関心が向けられて いなかった時代なのである.例えば昔の瀬戸では,瀬 戸川が景気のバロメーターになっていて,陶磁器製 造で排水が白く濁っているほど景気が良いということ で人々は喜んでいたらしい.堀川の汚染もまた名古屋 の繁栄の結果だったのだ.こうして,堀川の汚濁は都 市発展と共に急速に進行し,1965 年ごろには汚濁の ピークに達した.水中の有機物の量を表す数値を表わ すBOD(生物化学的酸素要求量)は,1 リットルあ たり50 ミリグラムを超えており,「死せる川」と呼 ばれた.
Ⅲ.堀川の浄化
以上見てきたように「清流」から「どぶ川」と化し てしまった堀川にもだんだんと人々の関心が寄せられ るようになる.また,下水道設備の改善や1970 年に 制定された「水質汚濁防止法」により排水規制が強化 されるなど,少しずつではあるが堀川の水質が改善 されていった.1975 年以降は BOD 数値が 1965 年の 10 分の 1 までになり,コイやフナが住める程度にま で改善したという.では,実際にはどのような取り組 みが現在行われているのか.市民団体・行政という2 つの視点からその取り組み見ていく. 市民団体の取組 まず初めに,市民団体の取組についてである.近年, 環境に対する関心が高まっていることもあり,堀川の 環境に関心を持つ人も増加し,様々な市民団体が堀川 再生に向けて活動している.その中で,今回は「堀川 まちネット」と「ライオンズクラブ」の活動について 述べていく. 堀川まちネットは,前身である「あつたっ子」の時 から数えると20 数年前から活動している割と古い団 体である.主な活動としては,熱田の魅力や歴史を市 民に向けて発信する「あつたっ子」の発行,宮の渡し 公園周辺の清掃活動,堀川まつりの開催など堀川と深 く関わった企画やイベントを開催している.堀川巡見 の際に,清掃活動に参加させていただくことができた が,印象としては学生が多いように感じた.お話の中 図2 小塩橋における BOD の変遷 昭和42 年(1967 年)には約 55 ミリグラムに達した. (資料)名古屋市HP から抜粋.でもおっしゃっていた通り,昔は50 ∼ 70 代の年配 の方が中心であったが,近年学生の参加が増えている ようである.それには,ここ4 ∼ 5 年で社会全体の 環境に対する意識が変わったということが考えられ る.若い層の人々が環境に関心を持ち,積極的にこの ような活動に参加するということはとても良い傾向だ と感じた.実際に拾いに出てみると,短時間のうちに 意外とゴミが集まった.特に植込みの中に空き缶が捨 てられていることが多く,中にはラーメンがどんぶり ごと捨てられていたり,炊飯器が捨てられていたりす るのを目の当たりにした.とは言え,このように公共 の場にゴミを捨てる心無い人はごく一部だそうで,こ れらの人は深夜に家庭ごみを袋ごと捨てに来たり,自 転車に乗りながら不要なものを捨てて行ったりするそ うだ.それらは敢えて目につかないところに捨てる傾 向にある.これには,ここ数年で家庭ごみの分別が強 化されたことにより,それを面倒くさがる人などが出 てきたということが原因として考えられる.環境のた めにと何かを変えると,他方でそのしわ寄せが生じて しまう.市民の思いを一つにすると言うことは,一筋 縄ではいかないのだと感じた. また,毎年の恒例行事となった「堀川まつり」では, そのルーツを辿ると江戸時代にまで遡る伝統的な「ま きわら船」を復活させ堀川に浮かべるということが行 われている.近年では参加者が1 万人を超えるなど, 特に若者が参加しやすい行事へと変わっていくことが 期待されている. 続いて「ライオンズクラブ」だが,これは1999 年 に結成された新しいボランティア団体である.「私た ちは,堀川の浄化・美化運動を通してやすらぎのある 街づくりに貢献します」という基本理念のもと,堀川 の浄化・美化に特化した運動を展開している.特に「堀 川1000 人調査隊」の活動は活発であり,2 月 11 日 現在,参加者は919 隊 10,634 人に達している.調査 隊は,定点観測隊,自由研究隊,堀川応援隊に分かれ, 各隊で堀川の水質調査や研究を行っており,定期的に 調査結果発表や情報交換の場を設けている. 2 つの団体に共通していることは,堀川に関する活 動を通して人が人の輪を呼び,だんだんと拡大の方向 に向かっているのだと言うことである.堀川は誰かが 守ってくれるのではなく,私たちみんなで守っていく のだ.それぞれのホームページなどで活動内容などを 見てみると,そんな思いがとても伝わってくる. 行政の取組 続いて,行政の取組として,ここでは堀川水環境改 善緊急行動計画を取り上げる.堀川水環境改善緊急行 動計画とは,21 世紀の日本にふさわしい健全な水循 環系の構築が重要であることから,水環境の悪化が著 しい河川,都市下水路,ダム貯水池などにおいて,水 循環改善に積極的に取り組んでいる地元市町村などと 河川管理者・下水道管理者及び関係者が一体となって 策定する 「水環境改善緊緊急行動計画」 に基づく水環 境改善政策を推進していくものである. 現在の堀川の問題点は,水中の有機物が酸素を必要 としない嫌気性分解をし,メタン,アンモニア,硫化 表 1 計画のゾーン別の概要 ゾーンⅠ ゾーンⅡ ゾーンⅢ・Ⅳ 目標 水遊びが楽しめる川を目指す. 都心の水辺とし て,清潔感があ り,コイなどの 魚の姿が見える ような川を目指 す. 人 々 の く つ ろ ぎ・憩い・遊び の空間となる川 を目指す. BOD 3 mg/l 以下 5 mg/l 以下 8 mg/l 以下 DO 5 mg/l 以下 5 mg/l 以下 2 mg/l 以下 濁度 5 度以下 10 度以下 10 度以下 臭い パルプ臭発生の原因を抑制. ヘドロ臭発生の要因を抑制. ヘドロ臭発生の要因を抑制. ゴミ 雨天時や不法に 投棄されるごみ 抑制,不快感軽 減. 雨天時や不法に 投棄されるごみ 抑制,不快感軽 減. 雨天時や不法に 投棄されるごみ 抑制,不快感軽 減. (資料)名古屋市HP を参考に自ら作成. 図 3
水素などを生成してしまうことによる悪臭発生,水質 汚濁と水中の低酸素化による生物多様性の不足,浮遊 物質の流入や水の滞留による水の濁りが主として挙げ られる.そして更に元を辿れば,人間生活による汚水 の排出や堀川の少ない自己水源が挙げられる.行政は これらの問題点を解決するために平成22 年を目標に 具体的な水環境改善を目指している.目標とする河川 環境は,魚が泳ぐ姿が見られる川,上流部の水辺で遊 べる川,中下流部の沿川でくつろげる川,舟遊びがで きる川である. この目標を達成するための具体的な施策として,河 川事業は河川水へのDO(溶存酸素)補給,ヘドロの 浚渫,河道内のゴミの除去,河道内植生の創出による 栄養塩除去・水量の確保などが挙げられ,下水道事業 では,合流式下水道の改善,下水処理場における処理 水質の向上が挙げられる.さらに,モニタリング調査 を実施し,施策の効果の把握,問題点発見,データ蓄 積により水質向上を目指すとともに,定期的に協議会 を開き,計画のフォローアップをする. このような政策に加え,堀川には様々な浄化装置が 設置されている.ここでは,エアレーション施設,ゴ ミキャッチャー,植生について説明する. まず,エアレーション施設だが,これは水中に酸素 を供給することで生物が住みやすい環境を作ると共に 河川の自然な浄化機能そのものを促進し,悪臭を抑制 する機能を持つものである.仕組みは図のように,水 中の酸素濃度の低い堀川の水を汲み取り,それに酸素 発生装置を用いて精製した高濃度酸素を溶かし,元通 り川に戻すというものである. 続いて,ごみキャッチャーについてである.ごみ キャッチャーというのは一般公募で決定された愛称で あり,正式名称は「堀川浮遊ゴミ除去施設」と言う. 水面に浮かぶゴミを除去することで,景観が向上され る他,落ち葉などの自然ゴミも取り除くことができる ので,ヘドロ発生を防ぐ効果も期待されている.この 装置は潮の干潮を利用しているもので,仕組みは図を 参照する. また,アシを植生して窒素やリンなどの栄養塩を除 去するという取り組みもされている.期待される効果 としては,それ自体が生物の住み家になるということ や植物が植わることで良好な景観を作り出すというこ とである.さらに,きちんと適切な管理を行えば半永 久的に植生の効果が見込める. 堀川巡見の際に実際に宮の渡し公園に植生された葦 を見たが,冬であったので景観という意味ではあまり 綺麗なものではなかったが,春になり葦が緑色になる と池に緑が増えて景観もよくなるであろうと思った.
Ⅳ.堀川を生かす環境都市整備
堀川が 「どぶ川」 と化してしまった時代には,人々 は川の存在を見捨て,建物は川に背を向けて建てられ ていた.浄化活動が進み水質がある程度戻ってくると, 再び建物は川に面して建てられるようになってきた. 私たちは,400 年の歴史を持つこの堀川を存分に生か して都市整備を進めるべきである.それが,地域の独 自性を生み出し,街の賑わいを創出し,さらに堀川再 生につながるからである. ここでは,納屋橋地区にスポットを当て,納屋橋 南地区私有地の整備活用について述べる.この地区 において,活発で魅力的な水辺空間を作り出すため に,民間事業者から私有地の活用プランを募集した. 平成20 年 4 月 7 日に 366 案の中から最優秀プラン が決定し,平成21 年 3 月 31 日までには事業が開始 図 4 エアレーション施設の仕組み 図 5 ごみキャッチャーの仕組みされる予定である.このプランを考え出したのは, (株)WOOD FRIENDS であり,2 月 10 日に正式名 称「HOTORIS」に決定された. まず,この施設のコンセプトは,名古屋「初」名古 屋「発」であり,地域文化に密接した魅力的な景観と 街の賑わいを創出することを目指している.「名古屋 に暮らす人々がこの地に息づく伝統や文化を再発見 できる場所を造りたい」「名古屋の人々が,日常的に 喜びや楽しみを感じられる空間にしたい」「名古屋を 知らない人々からも親しまれる新しいスポットにした い」「地域の人々が集い,交流することができる拠点 にしたい」「そこから,新しい文化を発信していきたい」 そんな思いでこの整備は始められた.この納屋橋地区 は,納屋橋やサイアムガーデン(旧加藤商会)など古 いものと,アクアタウン納屋橋やこれから完成する納 屋橋ルネサンスタワーズなど新しいものが融合する都 心で唯一の場所でもある. 歴史ある建物として,ここでは旧加藤商会に関連す る取組について述べていく.この建物は,歴史的建造 物の再生・利用と川沿いの良好な景観の創出が融合す ることで,名古屋独自の街の景観を作り出すことに貢 献しているものと思われる.建物自体は,1931 年ご ろに貿易を行う加藤商会の本社ビルとして建設され, 1935 年∼ 1945 年ごろまで当時のシャム国(現在の タイ)の領事館が置かれていた.その後は所有者が変 わり,広告塔として使用されることになったことから, 2000 年に保存要望が出され,2001 年には国の登録有 形文化財に登録されるに至る.現在,地下1 階は 「 ギャラリー堀川」 と名付けられ,堀川の情報発信と交 流の場として活用され,1 ∼ 3 階はテナントを公募し, タイに食品製造業を有する会社が経営するタイ料理店 となっている.タイ料理店が置かれたことは歴史的観 点から考えても相応しく,また名古屋の地で本場の味 を堪能できることは,名古屋の国際性の評価も少し上 がったのではないかと松原市長は語る. この計画は,「歴史的建造物の保存と活用」「中心市 街地活性化のための拠点づくり」「堀川再生の新ビル・ 堀川の情報発信基地としての活用」という3 つのコ ンセプトを元に進められ,今後も旧加藤商会ビルは堀 川の情報発信の場,地域の憩いの場として人々に愛さ れる場所の1 つになるであろう. 次に,これから2013 年に完成予定の新しい施設が ある.それが,「納屋橋ルネサンスタワーズ(仮)」 で 写真 1 アシが茂る堀川の様子(春∼秋) (資料)名古屋市HP より抜粋. 写真 2 納屋橋 (資料)納屋橋PROJECT より抜粋. 写真 3 堀川沿いから見た旧加藤商会 写真 4 親水広場の様子
ある.これは,旧加藤商会の雰囲気と呼応したデザイ ンなどを取り入れ街並みとしての調和を保ち,堀川沿 いであることを十分に生かした緑化空間を設けること で人々の憩いの場になることを目指す.また,都心の 利便性,快適性,エンターテイメント性を兼ね揃えた 複合施設になることを目標にしている.
Ⅴ.結論
水資源というのは私たちにとって最も身近であり, それを汚すことは私たちの生活もまた悪化するという こがわかった.世界ではもっと深刻な水問題が存在し, 世界銀行が発表して世界に衝撃を与えた「20 世紀は 石油をめぐる戦争だったが,21 世紀には水をめぐる 戦争が起きるだろう」という警告が表しているように, これから水をめぐる紛争が起こらないという保証はな いので,私たちは水について今後さらに真剣に考えて いく必要性がある.とはいえ,突然何かを大きく変え ることは難しいので,私たちは私たちのできることか ら始めたいと思う.例えば,食後の皿洗いの際に,付 いた汚れはふき取ってから洗い始めることや,風呂の 残り湯を洗濯に利用することなど簡単なことから始め ればいいのだと考える.さらに関心が高まれば,前に 紹介した市民団体のボランティアに参加したり,実際 に川に出かけてみて現状を把握したりするというのも よい.いくら行政が水環境改善のために頑張っても, 市民がそれに無関心なら意味がない.行政・企業・市 民団体,そして私たち1 人 1 人が改善に向けて思い を1 つにして協力し合うことが重要である.しかし, 巡見の際にも聞いたように,特に企業は業績のために 環境活動に取り組むという傾向が強く,地域住民と協 力して成し遂げたという感覚は薄い.さらに,市民団 体と協力すればもっと良い改善の仕方ができると思わ れるのだが,それも未だ不十分だそうだ.改善のため には,多くの行政機関が関わっていて,さらに,多額 の費用がかかる場合もある.資金力のある行政や企業 と現場をよく知っている市民団体が協力してこそ,低 コストで効率的な改善が行えるのではないだろうか. 行政や企業などから発信して市民1 人 1 人に興味や 関心を持たせ,街全体に改善の意識が浸透すれば,水 環境だけでなく自然環境全体に良い影響を与えられる と考える. 私の考える理想の水辺空間とは,ふと立ち寄りたく なる空間である.スペイン・サラマンカに滞在中にト ルメス川周辺を何度も散歩した.トルメス川周辺は緑 が豊富であり,またローマ橋という石造りのとても綺 麗な橋がかかっている.そこから見ることができる川 の風景はとても素晴らしく,また,橋の向こう側の川 沿いに続く散歩道は,所々にアートが施されており歩 いていてとても楽しい.時には友人たちとおやつなど を持って川沿いに座り,何時間もおしゃべりをしなが ら過ごすこともあった.日本・名古屋でそれと同じこ とを求めるのは難しいことではあるが,イメージとし ては「都会の中のオアシス」というのが理想である. 緑の少ない都会であっても,堀川沿いに行けば緑が いっぱいで,川の風景を見て癒される.そして,川沿 いでカフェでも飲みながら何時間も友人たちと居たく なるような場所.それが私の理想とする水辺空間であ る. 現在,堀川の浄化活動も活発になり,それと並行し て着々と堀川を活かした水辺空間が作り出されてい て,とても良い傾向にあると思う.しかし,人の集ま るところには,それなりに環境を汚す要因が潜んでい るのも忘れてはならない.特に,景観を崩さないよう にゴミ箱の設置を増やすなど,川沿いでのゴミのポイ 捨てを防ぐような工夫がされるといい. 環境問題というのは,何かを行えばすぐにそれが良 い結果として現れるわけではないので,長期的に考え なければならない問題である.私たちが過去の歴史の 中で人間の生活を重視して水環境を汚し,それが公害 などの形で自分たちに返ってきたという事実を決して 忘れてはならない.水環境を含む生態系そのものも私 たちと同じように生きているのだ.人間は自分たちの 利便性ばかり考えるのではなく,開発を進めるときに 自然環境のことも考慮に入れなければならない.水環 境を良好に保ちながら街づくりをすること,それこそ が水との「共生」につながり,私たちの未来もより良 いものになるに違いない.名古屋・堀川から発信し環 境に対する意識を高め,それが県全体,さらに広範囲 まで浸透すればいいと思う. 文献 松原武久(2006):『なごや環境首都宣言∼トップランナーは, いま∼』ゆいぽおと. 和田安彦・三浦浩之(2002):『水を生かす循環環境都市づくり 都市再生を目指して』技報堂出版. 杉山美次(2007):『ポケット図解 最新水の雑学がよ∼くわか る本』秀和システム. 三和総合研究所(2002)」『手にとるように環境問題がわかる本』 かんき出版. アースデイ2000(1999):『地球環境よくなった?』コモンズ.堀川まちネット(http://horikawamachi.net/). 名 古 屋 堀 川 ラ イ オ ン ズ ク ラ ブ(http://www.horikawa-lions. com/). 堀川1000 人調査隊(http://www.horikawa1000nin.jp/). 名 古 屋 歴 史 ワ ン ダ ー ラ ン ド(http://itou1.cool.ne.jp/rekisi/ rekisi-index/indexrekisi.htm). 納 屋 橋PROJECT(http://nayabashi.woodfriends.co.jp/index. html). 名 古 屋 市(http://www.city.nagoya.jp/kurashi/seikatsu/ dourokawa/horikawa/).