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雑誌名
井上円了センター年報
号
15
発行年
2006-09-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002773/
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拙円了センター年報
Annua/ Re?orl∈of the lnoue Enroro Cenler Vo∠15
東洋大学
ひOO需コロ 井r円.∼と夏目漱石ー裸足のソクラテス山崎甲.− 井ヒ円rの学問観と理学論 森川滝太郎・⋮⋮ ,,.21 圓了における真如ー大台教学から日蓮へ 高橋直美・・.・. 修学期における井L円rの座標︵報告︶ 清水乞,、、 井ヒ円了とその家族ー生家の慈光寺と栄行寺を含めて 日本の哲学教育史における﹁哲学﹂の外延と内包 高瀬武次郎年譜稿ー東洋大学の漢学者たち2、のこ 開国への階梯1象山ヒ書﹂︵天保十三年︶考 小池喜明・. 第11期研究員の研究報告・⋮⋮・・−・蛎 ヘ イ センター日誌⋮°⋮⋮⋮°°°°8 3 2戊. 43 ⋮61 三浦節夫・・ 柴田隆行⋮ 吉旧公.平 ﹁25 5 161141 113
井上円了センター年報
Annual Report of Inoue Erlryo Centet
Vo1.15
第五期研究員の研究報告
二〇〇三年四月∼二〇〇六年三月
桶谷秀昭 研究テーマ ﹁日本人の遺訓 その他﹂ 研究報告 ﹁日本人の遺訓﹂については別紙に記載。その他の 研究について。 一、コ幅田徳三とその弟子たち﹂︵研究発表、平成一 七年七月一二日、如水会館︶ 二、﹁近代ヨーロッパ精神史と北村透谷﹂︵シムポジ ウム、北村透谷研究学会主催、出席者 平岡敏夫 ︿筑波大名誉教授﹀、富岡幸一郎︿関東学院大学教 授﹀、新保祐司︿都留文科大学教授﹀、桶谷透昭︶平 成一七年六月四日神奈川近代文学館講堂。 概要 著書﹃日本人の遺訓﹄文藝春秋・文春新書、平成一 八年三月二〇日発行 書き下ろし二六〇枚。日本武尊から三島由紀夫にい たる二千年の日本の歴史から、三四人の文人、武将、 思想家、志士の﹁最後の言葉﹂にふさはしい文言を えらび、その語録を論評することによる日本人の精 神史のこころみ。 神作光一 研究テーマ ﹁東洋大学ゆかりの文学者たちの研究 とりわけ 歌人を中心として ﹂ 研究報告 明治・大正・昭和・平成という近・現代において、 本学は実に多くの歌人たちを歌壇に送り出して来 た。その数は、おおむね八〇人前後に及んでいるか と思われる。 367 第五期研究員の研究報告本学の図書館や校友会事務局、井上センター事務室 などを中心に、まず資料集めにかかった。しかし、 この仕事は、予想外に時間がかかり、容易ではなか った。そこで、国会図書館、近代文学館、詩歌文学 館、各個人の短歌文学館へも、たびたび足を運ん だ。 その結果、本学ゆかりの歌人六三人の評伝と作品の 実例を示した﹃東洋大学の歌人﹄という一冊が、大 滝貞一・神作光一・高久茂・中根三枝子の四名の編 で、平成一七年一一月に勉誠出版から刊行されるこ とになった。神作光一は、この本の中で、小泉菱 三・愛沢恒雄・池田富三・神作光一の四名分を担当 した。これを第一段階と受けとめ、今後もこつこつ と努力を重ねていきたいと考えている。 概要 著書﹁東洋大学の歌人−大滝貞一・神作光一・高 久茂・中根三枝子編﹂勉誠出版株式会社︵全四一一 頁︶、二〇〇五年︵平成一七年︶二月一〇日刊 神作光一は、上記の本の中、次の四名分を分担し、 その評伝を書き、短歌作品の具体例をも掲出しつつ 執筆した。 小泉菱三︵一四∼二四頁︶ 愛沢恒雄三=∼三三頁︶ 池田富三︵一二九∼=二四頁︶ 神作光一︵一八六∼一九六頁︶ これを第一段階とし、今後もこつこつと努力したい と思う。 小池喜明 研究テーマ ﹁武士と開国﹂ 研究報告 昨年の﹁儒者と開国ー廣瀬淡窓﹂︵センター年報一四 号︶に続き、現在は、佐久間象山、会沢正志斎等の 儒者の開国論を準備中。これを今年の年報に発表 し、次年度は、最後の論として、越後長岡藩の開国 論者たちをテーマとし、井上円了の啓蒙思想の原点 を探る。 368
概要 論文﹁武士と開国︵続︶﹂東洋大学井上円了センタ ー年報、一三号、一三一∼一八七頁、二〇〇四年七 月二〇日 ペリーが来航し交易をもとめた時、交易とは相互交 易であるべきで、そのためには日本にも蒸気船が必 要だから、この機会にペリー艦隊四隻を購入しろと 幕府に献策した御家人が居た。兵法︵武士︶のダイ ナミズムである。また、別の御家人は﹁一時ノ敗﹂ による﹁順銀﹂︵賠償金︶の可能性にも言及し、損得 的視点から開国を説く。いずれも武士本来のプラグ マティズムである。だがかれらが説くのは、つねに 幕府﹁直貿﹂であり、商人の参入を認めない。 論文﹁儒者と開国ー廣瀬淡窓﹂東洋大学井上円了セ ンター年報、一四号、一三三頁∼一七六頁、二〇〇 五年九月二〇日 廣瀬淡窓といえば、一般に、幕末期有数の教育者・倫 理学者として知られるが、その出自︵豊後日田の豪 商︶から知られるように、彼には出色の経世論的発 想とその展開が見られる。本稿は、その中に見られ る異色の開国論に注目した。 柴田隆行 研究テーマ ﹁日本の哲学教育の応用範囲について﹂ 研究報告 神田道子前学長は、学長当時︵二〇〇二年一二月︶、 本学の教育目標の一つとして﹁哲学をコアにした実 力ある社会人の育成﹂を掲げた。これは、井上円了 が哲学館を開設したとき以来の本学の目標である。 だが、その際の﹁哲学﹂とはどのような外延と内包 を有するものであったか。あるいは、現在どのよう なものとしてそれは構想されるべきか。このことを 明らかにするために、私は、本センターの第三期研 究員となって以来これまで、東洋大学を含む日本全 国の大学の哲学教育の実態調査をおこなってきた。 その結果、すでに容易に予想されたことではあった が、とりわけ国立大学では、帝国大学時代以来哲学 科が一貫して少数の学生を対象にした専門教育を展 369 第五期研究員の研究報告
開する一方、教養教育としての哲学には、人事も含 めて、あるいは人事的問題ゆえに︵?°︶、無関心を 決め込んできたことがわかった。他方、私立大学で はかなり幅広く哲学を捉え教育する傾向が早くから 見られたが、京都の大学は国立大学方式をいまだに 踏襲している。しかし、一九九一年の大学設置基準 改定による教育課程再編でいわゆる教養課程が消滅 すると、教養教育としての哲学はもとより、哲学科 でさえいわゆる純粋哲学や哲学史の講義が激減し、 応用哲学系の科目が増え、倫理学などはいまや生命 倫理か環境倫理でしか存在しえない状況にある。こ うなると逆に﹁哲学とは何か﹂が問題になる。この 原理的な問題を真剣に悩み、試行錯誤を繰り返しな がら、教育現場で実践的に問い進めたのは、哲学科 の教員でもなければ、さいきん流行の人間科学部や 学科の教員でもなく、理工系大学の﹁哲学﹂担当教 員であることが、調査の結果、明らかになった。日 本における哲学教育の新たな方向性は理工系大学か ら生じるのではないかというのが、私の結論的仮説 である。 概要 一、論文 日本の哲学教育史︵下の一︶ ﹃井上円了センター年報﹄第一二号二七三− 一九七頁︶、二〇〇三年七月二〇日 二、論文 日本の哲学教育史︵下の二︶ ﹃井上円了センター年報﹄第=二号二〇七ー 一二九頁︶、二〇〇四年七月二〇日 三、論文 日本の哲学教育史︵下の三︶ ﹃井上円了センター年報﹄第一四号二〇九ー 一三一頁︶、二〇〇五年九月二〇日 四、翻訳書 フィヒテ﹃現代の根本特徴﹄ 哲書房、﹃フィヒテ全集﹄第一五巻所収。六ー 370
五、 六、 七、 二五三頁、解説四六九ー四七一頁、二〇〇五年 四月 翻訳書 チェシコフスキ﹃歴史知序論﹄ 御茶の水書房、良知力・廣松渉編﹃へーゲル左 派論叢﹄第二巻所収、一ー=○頁、二〇〇六 年二月 学会発表 ZO﹁∋巴一゜・一而≡コσq&①﹁〇一︷け﹁①日一2芦σqい︶ N巨 ウ巴①巳g訂oD買①︹ゴ900﹁一① H巳2コ①江○コ巴OΩ㊦o力O=ω⇔古忠吟ら①﹁ ウ①已隅ひ①ひ7 ブ○房∩ゴ9、二〇〇四年一〇月二三日、ベルリ ン︵ドイツ︶ 学会発表 甘器守已昌匹﹀已、窪Oo一︷江×日巳o﹁o力9巴゜力忌゜・胡窪− °り㊦@津↑o﹁oコN<oコon9日゜・°Z①合富田コ§匹 きω廿田口 ↑08コN<o=白D9日−○㊦ω①=ω0プ①津N已内剛而一㊦゜<°、 二〇〇五年一一月一五日、キール︵ドイツ︶ 島田茂樹 研究テーマ ﹁井上円了と︿妖怪学﹀の研究﹂ 研究報告 近年、急速な物質文化の進歩、繁栄が著しいが、そ の反面、あたかもそれらに逆行するかのような動き たとえば、あまり物質的には裕福ではなかった が、なぜかしら活気に満ちあふれていた昭和三〇年 代への懐古、あるいは、占い、心霊、異形のもの ︵妖怪など︶、新宗教⋮⋮など、非科学的、超自然 も の 的な対象への興味、憧憬1も社会現象として取り ざたされている。その中で、殊に妖怪ブームの影響 も反映してか、井上円了博士の名前がマスコミ上に 登場する頻度が増加傾向にあることは否めない。そ よしあし のジャンルは、内容の善悪は別問題として、田中聡 著﹃怪物科学者の時代﹄︵晶文社︶、安斎育郎著﹃人 371 第五期研究員の研究報告
はなぜ騙されるのか﹄︵朝日文庫︶、水木しげる著 ﹃神秘家列伝・其ノ参﹄︵角川ソフィア文庫∀⋮⋮和 ミ イ ラ 田はつ子著﹃木乃伊仏﹄︵ハルキ・ホラー文庫︶⋮⋮ そして﹃井上円了・妖怪学全集・全六巻﹄︵柏書房︶ ⋮⋮と多種多様である。 そこで本研究は、それらの状況を鑑みて、次の二つ の局面から円了博士の︿妖怪学﹀にアプローチを試 みてきた。まず、膨大な︿妖怪学﹀に関する著作 ︵単行本︶、論文等を再度分類・整理したものを基礎 資料とし、一つ目は、その現代的意義、すなわち上 記のような社会現象の中でいかなる思想的意義を有 するのか、または発揮し得るのか、という点。二つ 目は、その基礎資料中に存在する河童や天狗などの 民俗学的な妖怪から、円了博士独自の解釈である迷 信の類の妖怪に至るまでといった、広範囲にわたる 妖怪たちをその記迷によってまとめ、一種の﹃井上 円了妖怪学事典﹄なるものを作成しようとする点で あった。ただ残念なことは、その成果をはっきりと した形で公表できなかったことであり、それは取り も直さず、筆者の怠慢によるものと反省している。 清水乞 研究テーマ ﹁後期井上円了の思想 修身教会運動を中心とし て﹂ 研究報告 哲学堂を中心として修身教会運動を行う時期を井上 円了研究システムの第四期︵第一期︰慶応二年、石 黒忠恵の私塾に入門してから明治一〇年、出郷するま での在郷修学時代。第二期︰明治一〇年、東本願寺教 師教校を経て上京、東京大学予備門入学から明治一八 年、東京大学哲学科卒業までの学生時代。第三期︰明 治二〇年哲学館設立から明治三九年、哲学館大学退隠 までの大学経営・教育時代。第四期 明治三九年から大 正八年、大連で客死するまでの哲学堂を中心とする修 身教会運動・社会教化活動の時代︶と設定。行動軸と 372
して﹃南船北的集﹄、理論軸として﹃奮闘哲学﹄、 ﹃哲学新案﹄︵その他随筆を含む︶を対象として井上 円了の﹁行動と思想﹂を検討した。その際、巡講地 における行動パターンに注目した。円了の理念は ﹁新宗教の創設﹂︵明治一八年の宣言が源淵︶にあ り、本部を置かず、地方の自主性に任せることであ ったが、行動パターンとしては、地方行政機関と東 本願寺の地方寺院組織を十二分に活用していること が知られる。哲学館拡張趣旨の説明と資金募集を目 的とした﹃館主巡回日記﹄でも一部みられたことで ある。﹃南船北馬集﹄では、行動記録に加えて巡講 中の感慨を詠った漢詩が多いことである。この内容 と随筆︵例えば﹃日本周遊奇談﹄、﹃円了漫録﹄︶とは 落差があり、他の著作に反映されているとはいえな い。講演の主題は詳細に報告されているが、具体的 には著作から判別し難い。第四期のみを考察するこ とに無理があることを反省し、目下、第一期から考 察を始めている。 末次弘 研究テーマ ﹁井上円了とその時代﹂ 研究報告 井上円了が学生のとき哲学を学んだ井上哲次郎の思 想を研究した。﹁教育勅語﹂の注解書である﹃勅語 術義﹄と﹃国民道徳概論﹄については﹁日本近代化 における西欧的なものと日本的なものとの葛藤﹂ ︵﹃井上円了センター年報﹄九︶について触れたが、国 民道徳論と和辻く倫理学Vとの関係を明らかにしよ うとした。それと同時に、井上円了も影響を受けた と思われる井上哲次郎の﹁現象即実在論﹂を解読す ることに努めた。 概要 論文﹁和辻︿倫理学﹀における共同体論﹂﹃東洋大 学大学院紀要﹄第四二集、一二二︵一︶∼一〇一︵二 二︶、二〇〇五年三月 373 第五期研究員の研究報告
井上円了が東京大学在学中に学んだ哲学者・井上哲次 郎は明治期の終りに﹃国民道徳概論﹄を発表すると 共に、国民道徳運動を展開する。明治期末、井上哲 次郎に学んだ和辻哲郎は師に批判的で、大正教養主 義の方へ向かうが、昭和期に入ると、﹁私﹂から ﹁公﹂11天皇へ収敷する﹁倫理学﹂を確立するにいた る。国民道徳論と対比しながら、和辻︿倫理学﹀に おける共同体論の構造分析をとおして、その問題点 を明らかにした。 高橋直美 研究テーマ 一、井上圓了と日蓮 二、妖怪学研究 研究報告 一、 井上圓了と日蓮 井上圓了は浄土真宗の寺に生まれるが、その死 後には日蓮宗の寺に葬られている。なぜ、実家の 寺は世襲制であり、弟が跡を継いでいたにも関わ らず、﹁念仏無間地獄﹂とした日蓮宗の寺なのだ ろうかに焦点を当てた。 圓了の著作を読むと、﹁真如﹂という言葉を諸 所に顔を出しているのがわかる。この﹁真如﹂は 仏・宇宙の真理という意味で使用されているが、 ﹁日本仏教﹂等を読むと、同じ﹁真如﹂という言 葉を使用しているが、実際にその意味するところ が宗派により異なっていることがわかる。 また、﹁妖怪学講義﹂にも﹁真怪﹂というもの が登場し、その﹁真怪﹂を言い換えたものが﹁真 如﹂であることが理解できる。 これらを総合して考えると、圓了の発想は日蓮 宗︵圓了のいう実際宗中の智宗︶に最も近いように 思われる。 二、妖怪学 本年度は今野圓輔、五来重、江馬務等の著作を 中心に調べた。妖怪に関しては、柳田國男同様、 民俗学的な研究が不可欠であると考えられるが、 なぜ、圓了にはそれがないのか。﹁妖怪学講義﹂ 374
で妖怪を体系・分類化したこと、妖怪を怪現象と して科学的に解明しようとしたことを考え合わせ ると、圓了は妖怪を自然科学的・現象的に存在す ると認めたことになる。現象的に認証したという ところに圓了の妖怪博士たる面目躍如があるので はないだろうか。 概要 著書﹃日本女性文学大事典﹄日本図書センター、斉 藤史二二八∼一二九頁︶、芝木好子二四四∼一四 五頁︶、二〇〇六年一月二五日初版発行 斉藤史、茂木好子の生涯と作品鑑賞︵文学事典︶ 論文﹁井上円了の﹃妖怪学﹄ー序論﹂﹃井上円了セン ター年報﹄=二号、井上円了記念学術センター、五 七∼六九頁、二〇〇四年七月 明治という時代の世相と迷信・文明開化における人間 の心の暗闇を、哲学によって解明しようとした圓了 の妖怪学について、その組織的構造や真怪・仮怪を解 明した。 論文﹁法華経信仰初期の宮沢賢治が体得した日蓮教 学についてー大正七年の書簡を中心にー﹂﹃ライフ デザイン学研究﹄一号、東洋大学ライフデザイン学 部、三五∼四八頁、二〇〇六年三月 宮沢賢治は、大正七年二月二日父宛書簡で初めて法 華経信仰を宣言した。大正元年一一月三日父宛書簡 では﹃歎異抄﹄の第一ページを以て全信仰とすると しながらも、なぜ日蓮主義を選んだのかということ を幽霊に対する恐怖や自然観︵アミニズム的発想︶ から考え、大正七年の書簡に見られる賢治の日蓮教 学︵即身成仏・草木成仏︶を考察。 瀧田夏樹 研究テーマ ﹁井上円了﹃南半球五万哩﹄の意義﹂ 研究報告 円子最後の世界旅行は、周知のように当初計画を大 きくはずれ、ノルウェー海を含む全地球をその軌跡 に収めている。しかもなお旅行の名称は﹁南半球﹂ 375 第五期研究員の研究報告
にこだわる。円了は﹁南半球﹂という言葉で何を指 そうとしていたのだろうか。この言葉には、﹁全地 球﹂といった言葉の抽象性を脱し、実に具体的に地 球ないし世界を把握した者の、ごつごつした歓びが 感ぜられる。 研究員は、機会をとらえ、本年二月二〇日から三月 一日までの一〇日間、自費でニュージーランドの四 都市を訪問し、不思議な感動を追体験することが出 来た。円了はその旅行記で、鯨に汐を吹きかけられ たり、洋上を雄大に飛翔するロイヤル・アルバトロ ースに感動したこと、或いは日本の南極探険隊との 遭遇に、淡々と数ページを割いているが、その一つ 一つが、いかに強烈に作用し、円了自身を変えてい ったかが深く納得できた。南半球体験こそ、円了を 北極にも向かわせた最大の動機であったろう。第一 回目の世界旅行でヒントを得た﹁大教育﹂という目 標を、みずから実行し実現した円了の婆を、この旅 行記に見ることも出来るのである。 概要 書評﹁﹃うたかたの恋の真実﹄ーハプスブルク皇太子 心中事件﹂仲晃著、青灯社刊︵二〇〇五年 二月︶、 三一一頁、﹃週刊ポスト﹄第三八巻第九号、小学館、 一四四∼一四五頁、二〇〇六年三月三日 一八八九︵明治二二︶年一月二九日夜、ウィーンの 皇太子別荘で起った、ルードルフ皇太子の心中事件 を中心に据え、ハプスブルク王家の悲劇的な運命を、 従来の研究や考証をもとに、精細に再現してみせた、 日本人の手になる好著である。第一次大戦勃発の発 火点ともいわれる、次の皇太子フランツ・フェルディ ナントのサラエボでの暗殺をも含め、隠された事実 を猟奇的に追うのではなく、新時代にはそぐわなく なった王制の古さと、それにたずさわった人々の生 身の苦しみが現代にも伝わってくるように叙述され ている点を評価した。 新田幸治 研究テーマ ﹁井上円了の漢詩集﹃襲常詩稿﹄ ﹃詩冊﹄﹃屈護詩集﹄ 376
の自筆稿本三集の訳註﹂ 研究報告 上記研究テーマに従って、筆者及び本学出身者中村 聡︵玉川大助教授∀、長谷川潤治︵長岡高校︶、横打理 奈︵東洋大非常勤講師︶、坂本頼之︵東洋大非常勤講 師︶の分担による訳註をすすめている。 概要 論文﹁季布彙布列伝﹂管説、﹁東洋文化﹂無窮会創 立九十周年記念論集、復刊、第九五号︵通刊第三二 九号︶、財団法人無窮会、=二七∼一四九頁、平成 一七年一〇月二〇日 著作者司馬遷が、恥辱を越えて生きたのは季布、薬 布が奴隷に身をおとしながらも、自己の才能をたの み、自らの世界を描き得たことへの共感によること を論じた、司馬遷は﹁錐往古烈士、何以加哉﹂と結 ぶ意を察する。 三浦節夫 研究テーマ ﹁転換期と人間ー井上円了と清沢満之を中心にー﹂ 研究報告 今期の研究では、初年度に近代仏教の開拓者である 井上円了と清沢満之の比較研究をまとめることがで きた。この比較研究は行動面にとどまったので、今 後、思想面を加えて完成したいと考えている。 その他の研究成果として、井上円了の研究を行った が、これまで円了の思想と行動を体系的に解明した 研究はなかったので、これをテーマとして資料再収 集を行い、それぞれにまとめて研究発表と論文執筆 を行った。この研究はまだ基礎的段階であり、今後 も取り組みたいと考えている。 概要 論文﹁井上円了と清沢満之ー近代仏教におけるエリ ートの軌跡と特質﹂﹃近代仏教﹄一〇号、七五ー九 二頁、二〇〇三年五月二五日 論文﹁井上円了と清沢満之ー二人のエリートの関係 とその資料﹂﹃井上円了センター年報﹄一二号、三 377 第五期研究員の研究報告
七ー六九頁、二〇〇三年七月二〇日︵﹃近代仏教﹄一 〇号の同名の論文を増補したもの︶ 発表﹁井上円了と新仏教運動﹂第一二回日本近代仏 教史研究会夏期研修会、二〇〇三年九月六日 論文﹁解説1井上円了と世界﹂﹃井上円了選集﹄二 三巻、東洋大学、四九八ー五一九頁、二〇〇三年一 一月一五日︵﹃井上円了・世界旅行記﹄柏書房に収録。 また、同じく﹃井上円了センター年報﹄一三号にも再 録︶ 論文﹁解説ー井上円了と著述﹂﹃井上円了選集﹄二 五巻、東洋大学、七五三ー七八九頁、二〇〇四年三 月二〇日︵﹃井上円了センター年報﹄=二号に﹁井上円 了と著述−井上円了略年譜・井上円了著述目録・﹃井上円 了選集﹄目次﹂に再録︶ 論文﹁東洋大学学長 大倉邦彦﹂﹃大倉山論集﹄五 〇号、三七ー六二頁、二〇〇四年三月三一日 発表﹁井上円了とその時代﹂第=回日本近代仏教 史研究会夏期セミナー研修会、二〇〇四年九月一八 日 その他﹁知られざる生涯学習の源流ー東洋大学の創 立者・井上円了﹂﹃大学時報﹄二九九号、九六−一〇 一頁、二〇〇四年一一月二〇日 その他﹁井上円了ノートー海舟と円了﹂﹃校友茨城﹄ 一五号、四頁、二〇〇五年三月一日 その他﹁東洋大学井上円了記念学術センター﹂﹃日 本の大学アーカイブス﹄全国大学史資料協議会編・ 京都大学学術出版会刊行、二八二ー二八九頁、二〇 〇五年一二月二〇日 発表﹁井上円了の初期思想ー排耶論以前﹂第二二回 日本近代仏教史研究会研究大会、二〇〇五年六月四 日 発表﹁哲次郎と円了の宗教観の比較﹂、﹁宗教と社 会﹂学会 第=二回学術大会、二〇〇五年六月= 日 発表﹁日露戦争前の宗教論争ー哲次郎と円了を中心 として﹂第一三回日本近代仏教史研究会夏期セミナ 378
ー研修会、二〇〇五年九月一日 論文﹁井上円了の﹃世界初行記﹄補遺ー第一回欧米 視察の旅行日録﹂﹃井上円了センター年報﹄一四号、 四一ー八二頁、二〇〇五年九月二〇日 論文﹁井上円了の初期思想ー﹃真理金針﹄以前﹂﹃近 代仏教﹄二二号、近刊予定。 宮内敦夫 ﹁﹃井上円了の教育理念﹄の英訳﹂ 研究報告 この冊子は二〇五ページであるが、本年度は予定ど おり時間がとれず一八〇ページまでしか訳せなかっ た。翻訳したものは同僚の英語母国人にチェックを してもらい構成する手順で進めている。遅れを取り 戻して一八年度には終了したい。 一八年度の異文化理解に関する授業で学祖について 話す必要があり、そのレジメを書くために改めて ﹃井上円了・世界旅行記﹄︵柏書房、二〇〇一三と高 木宏夫先生の﹃井上円了の世界﹄︵二〇〇五︶を読 んだ。外国の国民性や文化を日本のそれと比較して 考える場合たいへん示唆に富むものが書かれている ことに気づいた。同時に、一冊の本を訳すにもその 元となる資料を読んでいなければいけないのだと痛 感した。 全文の翻訳が終わったら、全体の統一をはかり、必 要な用語の注釈も書かなければならないと考えてい る。公表できる翻訳とするために今後とも努力した い。 森川滝太郎 研究テーマ ﹁事績が示す井上円了の意図﹂ 研究報告 井上円了は、東洋大学の前身である哲学館の創立を 始めとして、多数の幅広い事績を残している。これ らを年代的に整理し、東洋大学が今後に目指すべき 379 第五期研究員の研究報告
方向を探る上での参考として、その意図したところ の体系的な把握を試みること、これが本研究の主た る目的であった。 始めに、円了の人材育成手法などに着目しながら、 哲学館設立の精神を確認することによって、円了自 身の理念の出発点を検証した。次に、円了の教育展 開手法などに注目しながら、哲学館から東洋大学に 至る運営経過を追尾することによって、円了理念の 実現状況を集約した。 これらを受けて、円了の理念設定手法を参考にしな がら、今後の大学の展開方向を想定することによっ て、将来に向けた理念の策定方策を考察し、全体と しての纒めを行った。その内容は、﹃井上円了セン ター年報﹄第一四号に﹁事績が示す井上円了の意 図﹂と題する論文として発表した。 さらに、この研究結果を踏まえる形で、﹃井上円了 センター年報﹄第一五号に発表すべく、﹁井上円了 の学問観と理学論﹂と題する論文の作成を行った。 その内容は、哲学館開設の前後から刊行された円了 の代表的な著作を参照して、円了の学問観の骨格と これに関連する理学論の展開とを概観したものであ る。とくに、円了が哲学と理学とを対置しながら描 いた学問の枠組みの把握を通して、各方面に適応可 能な幅の広い﹁ものの見方と考え方﹂の形成手法を 考察した。 概要 論文﹁事績が示す井上円了の意図﹂﹃井上円了セン ター年報﹄第一四号︵二〇〇五年九月︶、一九∼三九 頁 哲学館︵後の東洋大学︶を創立した井上円了は、西 洋学を背景として、東洋学の学問的な真価を検証し、 哲学あるいは宗教に関連する多くの著書を刊行する など、人材育成から社会貢献に及ぶ幅広い事績を残 しているが、これらを年代に沿って把握し、その意 図したところの集約を行った。 具体的には、円了の成し遂げた仕事とその生涯とを 重ね合わせ、提示部として洋学校入学以前から東京 大学卒業までの勉学、展開部として哲学館と附属図 380
書館の設立、そして再現部として哲学堂の建設、の 順に全体を構成し、円了の事跡をなぞりながら、そ の意図の方向性の把握を試みた。 山崎甲一 研究テーマ ﹁井上円了とその時代﹂ 研究報告 円了の思想の特質を、鴎外、漱石、芥川ら三人の文 学者の視点で、多角的に相対化する作業を試みた。 とくに円了の無位無官主義の生き方に焦点を当て、 在野の学者・教育者としてその真価を発揮した円了 の人間性の最も如実な形態をそこに見て、これを、 やはり同様な生き方・流儀で通した漱石を中心に対 比することで、より普遍的、立体的に描き出す作業 を継続した。 今期研究の成果は、﹁井上円了と夏目漱石﹂のタイ トルで論文を年報第一五号に掲載する。 概要 論文﹁子規と﹃坊っちゃん﹄﹂﹃東洋﹄第四一巻第三 号、東洋大学通信教育部、二五∼三六頁、平成一六 年六月 ﹃坊っちゃん﹄成立のモチーフと主人公と清との関係 を分析した。従来母や変人説を背景とする作品末尾 の解釈を、むしろ亡友子規の存在を底辺に据えて読 むべきことを論証した。 学会発表﹁骨拾ひ﹂、川端文学研究会第三〇回大会、 平成一五年六月二二日 数次の年月を経て成立している川端の初期作品の主 意を改めて検討し直した。とくに作品末尾に表現さ れる﹁桃﹂の意味との関連から研究史を洗い直し私 見を述べた。︵研究会の年報﹁川端文学への視界﹂ ︵二〇〇七・六︶に寄稿予定︶ 学会発表﹁漱石の修善寺の大患﹂、発表要旨︰﹃東洋 学研究﹄第四二号︵平成一七年三月︶に掲載、東洋 大学東洋学研究所公開講座、平成一六年一一月六日 ﹁死の実存的把握をめざして﹂という設定テーマの一 つの具体相を、漱石の修善寺の大患と呼ばれる死の 381 第五期研究員の研究報告
体験に見た。漱石の生涯において死の現実と直面し たその回想的エセー﹁思ひ出す事など﹂を中心に、 稀有な体験が死をどの様に凝視させ、自己の文学に 位置づけようとしたかを分析した。 学会発表﹁近代作家の死生観−芥川、川端、鴎外、 漱石、安吾ー﹂、発表要旨︰﹃東洋学研究﹄第四三号 ︵平成一八年三月︶に掲載、東洋大学東洋学研究所 研究発表例会、平成一七年七月九日 ﹁近代作家の死生観﹂という設定テーマの一端を、芥 川と川端を中心に、鴎外、漱石、安吾にも言及しな がら、銘々の作家の、生と死を含み込んだその境界 の具体相を確認した。 吉田公平 研究テーマ ﹁東洋大学の漢学者たち﹂ 研究報告 東洋大学に奉職した漢学者の中で一際特色が鮮明な のは、近代陽明学運動の推進役を果した東敬治・生 田正奄・柴田甚五郎の活躍である。東敬治が東洋大 学に奉職する機縁は不明である。井上円了と直接学 談する機会がその契機になったのであろうが、それ を資料的に確認することは、まだ、なしえていな い。本研究は東洋大学の大学史の一面を明かにする と共に、日本近代において漢学が果した役割をも明 らかにすることを目的とする。基本資料の整理を続 行中であるが、近い将来に、中江藤樹後学の基本資 料を公刊できるまで整理読解が進んだ。また、中心 人物である東敬治の年譜考を発表ずみである。柴田 甚五郎・生田正奄についても整理を続けることにし たい。関係者関係資料が全国に散在しているが、中 国・日本哲学の現代的意義を明らかにすることを目 的として研究を継続する。 概要 論文﹁夏目漱石と心学ー﹃門﹄における﹃菜根課﹄ を手がかりにー﹂﹃東洋志典学研究﹄二〇号、一三 五ー一四六頁、東洋古典学研究会、二〇〇五年一〇 382
月一日 東洋大学に在職した東敬治が編刊した﹁標注菜根謹﹄ が夏目漱石の﹃門﹄の中に登場していることを手が かりにして、﹁心学﹂と漱石文学との関係を論じた。 論文﹁﹃正堂先生古稀壽言集﹄と﹁桂島往訪記﹂に ついて﹂﹃白山中国学﹄一二号、二三1四〇頁、東 洋大学中国学会、二〇〇六年三月 ○日 東洋大学に在職した東敬治が陽明学会を組織し、﹃陽 明学﹄を主幹したが、晩年に父東崇一の故蹟を訪問 した﹁桂島往訪記﹂、及び東敬治七十歳を寿いた知友 の寿言集を翻刻した。近代陽明学運動の中心人物の 人脈を明らかにしたものである。 論文﹁東正堂の藤樹後学資料の書写﹂﹃井上円了セ ンター年報﹄一四号、八一一丁一〇七頁、二〇〇五年 九月二〇日 東正堂が収集整理した中江藤樹後学関係の書写経緯 を再確認した。本資料は柴田甚五郎所蔵に帰したが、 東洋大学に寄贈された。天正唯一の写本資料であり、 この研究により、東洋大学が近代陽明学運動の拠点 であったことを明らかにした。 383 第五期研究員の研究報告
センター日誌
主な活動記録
平成17年度 6 6 1 31 5 9 22 4 11 8 第5期研究員・客員研究員全体会︵第6回︶ 資料寄贈︵盧野敬子氏 東京都中野区︶ 調査依頼︵東洋大学人事課∀ 運営委員会︵第1回︶ 資料貸出︵東洋大学井上円了記念博物館︶ 調査依頼︵橘有三氏 北海道紋別市︶ 清澤文彌太所長が辞任 第6期所長に穐山幹夫氏︵経営学部教授・常 務理事︶が就任 学祖祭︵東京都中野区蓮華寺︶ 新潟県越路円了会文化講演会︵講師︰三浦節 9 20 8 7 31 23 17 20 27 25 17 8 10 25 6 29 26 夫︹専任研究員︺﹁井上円了とその家族﹂︶ 第5期研究員・客員研究員全体会︵第7回︶ 運営委員会︵第2回︶ 哲学堂公園施設運営協議会︵三浦専任研究員︶ 調査依頼︵NHK﹁迷宮美術館﹂︶ 資料調査︵杉本欣介氏 新潟県新潟市︶ 資料貸出︵東洋大学図書館板倉分館︶ 調査依頼︵中園久佐世氏 神奈川県相模原市︶ 高木宏夫﹃井上円了の世界ー初代所長論文集 ー﹄刊行 ﹃井上円了センター年報﹄第14号刊行 調査依頼︵Oo合詳Ω一己。p↓冨ごユく隅・。一身。﹁ 9︷8σqoO三ωδコ。︹∪。。巳巴uo巳窪。。ω︾O。冨亭 日oコ[o︹日6・9蔓︶ 第5期研究員・客員研究員全体会︵第8回︶ 資料寄贈︵山田喜彦氏 鳥取県三朝町︶ 資料貸出︵東洋大学図書館板倉分館︶ 平成17年度﹃井上円了の教育理念﹄読後感想 38411 16 5 29 21 12
E7
1 15 12 文コンクール・井上円了の教育理念から未来 を考える小論文コンクール選考委員会︵第1 回︶ 哲学堂祭︵東京都中野区哲学堂公園︶ 資料調査︵小倉欣一氏早稲田大学文学部教 授︶ 資料調査︵東洋大学図書館︶ 平成17年度﹃井上円了の教育理念﹄読後感想 文コンクール・井上円了の教育理念から未来 を考える小論文コンクール選考委員会︵第2 回︶ 平成17年度﹃井上円了の教育理念﹄読後感想 文コンクール・井上円了の教育理念から未来 を考える小論文コンクール実行委員会︵第1 回︶ 資料調査︵熊崎脩氏 名古屋市天白区︶ 資料調査︵中山和彦氏 東京慈恵会医科大学教 授︶ 2 ●62
125
3 ■ 16 10 6 23 資料調査︵田村晃祐氏 東洋大学名誉教授︶ 資料調査︵風間真知子氏 東京都足立区︶ 資料調査︵東洋大学社会学部︶ 資料調査︵亀山松雄氏 新潟県立長岡高等学校 同窓会事務局長︶ 資料調査︵高橋健吉氏新潟県越路円了会前会 長︶ 運営委員会︵第3回︶ 資料貸出︵東洋大学図書館広報誌﹃コスモス﹄︶ 資料調査︵高橋由香里氏 ﹃中外日報﹄東京本 社編集課長︶ ﹃井上円了の教育理念﹄刊行 385 センター日x執筆者紹介 山崎甲・・ 森川滝太郎 高橋直美 清水乞 i浦節夫 柴田隆行 「f田公’ド ノ]・池喜明 第5期研究員・文学部教授 第5期研究員・工学部教授 第5期研究員・ライフデザイン学剖助教授 第5期客員研究員・名誉教授 専任i研究員(教授) 第5期研究員・社会学部教授 第5期研究員・文学部教授 第5期研究員・文学部教授 炸上円rセンター年報 第15号 2006年9月20日 発行 編集 東洋大学井上円了記念学術センター 発行者 所長 穐山幹夫 東京都文京区[’“山5−28−20 〒112−8606 ]∼・1.03−3915−7555 装頓者 蟹江征治 印刷所 ㈱明文社