特集論文
OECD における農業環境問題をめぐる活動と議論
佐々木 宏樹
Activity and Discussion on Agriculture and
the Environment at the OECD
Hiroki SASAKI
OECD Trade and Agriculture Directorate
This paper introduces recent activity and discussion at the OECD on agriculture and the environment. The OECD plays a significant role in policy design related to agriculture and the environment as well as other important fields. At the OECD, the most recent and important issues are discussed among the 3 member countries based on analytical papers that are prepared by the Secretariat. In this study, after a quick review of the history of the OECD Joint Working Party on Agriculture and the Environment, the latest important themes are introduced. Recently, in addition to the collection of information for a cross-country comparative analysis, the OECD started to work on economic (quantitative) policy analysis in order to dispatch policy messages. Understanding and following the discussion not only allows us to grasp the pressing short- and long-term policy issues faced by developed countries, but also provides a vital starting point for research conducted by agricultural economists and scientists.
Keywords: OECD, Agri-environmental Policy, Agri-environmental Indicator, Integrated Model, Conservation Auction, Climate Change
OECD 貿易農業局
※本稿における意見にわたる部分は全て執筆者の個人的意見であり、OECD の公式見解を示すものではない。本稿は、科学研究費補助金 基盤研究(C)(課題番号 958020)による研究成果の一部である。
はじめに
OECD(経済協力開発機構、Organization for Economic Cooperation and Development)は「経済成長」、「開発途 上国援助」、「多角的な自由貿易拡大」を三大目的とし、市 場経済を原則とする先進国 3 カ国で構成される国際機関 である。OECD では、この三大目的に限らず、政治・軍 事を除いたあらゆる分野の問題を取り上げて、研究・分析、 政策提言を行っていることから、「世界最大のシンクタン ク」と称される。また、「クラブ的性格」と呼ばれるように、 政策協調を図る議論を主体としているため、OECD は世 界が直面する問題に先駆的に取り組み、国際社会の政策 リーダーとしての役割を果たすことが可能である。国際的 な相互依存が高まりつつある中、先進国が互いの政策につ いて密に議論を重ね、国際的摩擦が生じないように調整す る必要性が高まっており、その政策協調の役割を担ってい るのが OECD である。 OECD の組織は「理事会・委員会」および「事務局」 の 2 つから構成されている。OECD 全体の活動について 検討する理事会に加え、全体で 20 以上の委員会が多岐に 亘る分野において活動している。OECD の最高機関であ る閣僚理事会は年 回開催されているが、同閣僚理事会は、 G8 サミット か月前に開催されることから、閣僚理事会
織として JWP が設置され、現在にわたり農業政策と環境 問題にかかる諸問題についての検討が進められている。 JWP 発足当初は、価格支持政策による過剰生産や集約度 の高い農業生産による環境問題、および貿易自由化のコン テクストで農業環境問題が議論されていた。輸出国側は、 農業自体が環境に対して加害者であるとの認識があり、正 の外部性の存在には一定の理解を示しつつも、農業政策は 農産物生産から「デカップル」された政策で対応可能と考 えていた。すなわち、農業保護政策は、生産を刺激し、多 くの場合、「市場の失敗」をより悪化させ、環境も悪化さ せる(「政府の失敗」をもたらす)という主張である(坪 田ほか 996)。一方、輸入国側は、何らかの「支持政策」 (Production-linked support)の必要性を主張した。つまり、 農業の外部性をめぐる輸出国・輸入国の対立は、正の外部 性である多面的機能の有無ではなく、政策手法の相違によ るものであった2。OECD(200、2003)では、議論の過 程を通して、多面的機能をめぐる政策事項について、合理 的な分析枠組みを構築し、それに基づき透明で客観的かつ わかりやすい議論を行うことの重要性が示された(荘林、 2009)。 昨今では、環境の議論が農産物貿易自由化交渉における 大きなテーマとなっていないこともあり、農業環境指標の 開発3や各国政策の総括的整理を目的とした政策インベン トリの整備を通じた加盟国の情報収集と共有、加えて定量 的な政策分析等が実施されてきた4。他の国際機関と比較 した OECD の特色が、「政策メッセージの発信」であるこ とを考えると、指標やインベントリによる現状把握や定量 的な経済・政策分析モデルの開発そのものに加え、これら をベースにした加盟国間の自由な議論から生まれる政策提 言 や 議 論 の 方 向 性 も 重 要 で あ る。 ま た、JWP で は、 OECD 事務局が準備する専門的ペーパーに基づく政策議 論だけでなく、各国政府が自国の政策動向や政策分析を紹 介するラウンドテーブルのセッションが毎回の会合で設け られており、政府間の情報交換・共有のために利用する国 も多い。 したがって、農業と環境問題に先駆的に取り組んできた JWP の動きを追うことによって、農業と環境分野におけ る先進国の最新の政策動向を把握することが可能である。 さらに、農業と環境分野に限らず、事務局が使用する定量 的な分析手法は、当該分野の専門家である事務局エコノミ ストだけでなく、加盟国の研究機関や大学等との密接な協 力関係・連携のもとに開発されることも多く、アカデミッ の議論はサミットにおける議論の方向性に大きな影響を与 えている。一方、事務局には、経済学、法律、自然科学等 を専門とする職員が勤務し、議論のベースとなる専門的な ペーパーの執筆を通じて各種委員会活動を補佐している。 さて、農業と環境分野は、農業委員会と環境政策委員会 の 下 部 組 織 で あ る「 農 業 環 境 合 同 作 業 部 会(Joint Working Party on Agriculture and the Environment:. 以 下、JWP)」で議論される。JWP は 993 年以降、夏と冬 の年 2 回開催され、事務局スタッフの執筆したペーパーに 基づいて議論が行われているほか、加盟国の最新の政策動 向について情報交換する貴重な場になっている。これまで、 国内では、JWP の活動が断片的に紹介されてきたものの、 昨今では、各国の農業環境の現状把握から分析へと流れが 変わりつつあり、この過渡期に具体的な分析内容や分析作 業に関連するアカデミックな議論を紹介することは、政策 担当者及び研究者にとって有益であると考える。 本稿では、まず第 章において、OECD の農業と環境 をめぐる歴史と経緯についてとりあげる。第 2 - 5 章では、 農業環境指標の開発(第 2 章)、農業環境政策インベント リの整備(第 3 章)、農業環境政策分析モデルの開発(第 4 章)、農業環境政策ガイドラインの策定(第 5 章)等に 関する OECD の活動と個別課題について、各国の政策動 向やアカデミックな潮流とあわせて紹介する。おおまかに は、第 2・3 章は OECD による加盟国の現状把握に関する 分析作業、第 4・5 章はこれらの政策情報を基にした分析 と政策メッセージの発信についての活動である。最後に、 第 6 章では、OECD の今後の分析と「農業と環境」分野 におけるわが国の対応について論じ、結語としたい。
1 .OECD における農業・環境分野の活動:その推移
OECD 環境政策委員会は、従来から積極的な活動を行っ てきた。欧米諸国において、地下水汚染、土壌浸食等の原 因の一つとして生産刺激的な農業政策が問題視されるよう になると、985 年に OECD 環境政策委員会において、環 境政策の面から農業政策をどのように改善していくべきか について検討が開始された。985 年から 992 年にかけて 行われた議論では、農業が環境汚染にどのような影響を及 ぼしてきたのか、また今後の農政の対応について問題提起 が行われた。このような OECD における農業と環境をめ ぐる初期の動きは邦訳として OECD(993)によって紹 介されている。 993 年には、環境政策委員会及び農業委員会の下部組クな面からも、わが国研究者の注目を大いに集めるものと 考えられる。
2 .農業環境指標の開発をめぐる OECD の活動
OECD では、「農業環境指標」を「OECD 加盟国の政策 担当者にとって重要と特定される、農業活動に起因する環 境に働きかける要因、環境の状態、環境へのリスクあるい は環境の変化にかかる生データを組み合わせた集約的な尺 度」と定義している(舟木、2004)。農業環境指標の開発は、 993 年の JWP 設置とともに開始され、各指標ごとの専門 家会合やワークショップを通じて検討が行われた。農業環 境指標のフレームワークに関する 997 年の第 版、3 指 標の策定状況を中間報告した第 2 版、そして一応の取りま とめとなった 200 年の「農業環境指標(第 3 版)」の発行 の後、さらに開発が必要な指標について、指標ごとの専門 家会合が各国で開催された。2008 年には、これら会合に おける勧告に基づいて収集されたデータを整備し、第 4 版 となる OECD (2008) が刊行された(表 )。 OECD の農業環境指標は、 ◦農業環境状態を変化させる要因(Driving force):農 業生産、土地利用、養分(窒素・リン)使用、農薬使 用、エネルギー消費、水使用 ◦上記原因による環境状態の変化(State):土壌の質、 水質、大気の質、生物多様性、農薬リスク ◦環境状態の変化に対する応答(Response):農場管理 の 3 つに分類され、これらの関係を DSR(Driving Force-State-Response)フレームワークと呼んでいる(図 )。 OECD(2008)の策定に至る経緯において、指標群は、 窒素・リン収支などの OECD 加盟国内で汎用性の高い「コ ア指標」と地域性の高い「リージョナル指標」に分類され た。わが国が重視していた国土保全指標や景観指標は、関 心が日韓や欧州の一部の国に限られるため後者に位置付け られている(表 2)。 図 1 DSR フレームワークと対応する指標 出典:OECD(2008)より筆者作成 表 1 農業環境指標関係出版物 出 版 物 発行年 農業環境指標(第 版)(概念と枠組み) 997 年 0 月 農業環境指標(第 2 版)(課題とデザイン) 999 年 0 月 農業環境指標(第 3 版)(方法と結果) 200 年 3 月 990 年以降の OECD 加盟国の農業に関する環境パフォーマンス 2008 年 3 月 990 年以降の OECD 加盟国の農業に関する環境パフォーマンス(第 2 版)【概要版】 20 年(予定)農業支持・保護が農業の集約化を促進し、農業が環境に 負の影響を与えるとの国際的な認識の中にあって、日本は、 稲作のように環境負荷が少ない持続可能な農業もあり、農 業の持つ正の外部性も指標に入れるべきであると主張し た。 わ が 国 が 重 視 し て い た 国 土 保 全 機 能(Land conservation function)に関する指標をめぐる議論につい ては、西尾(200)によれば、「各国とも自国の農業を維持・ 発展させるのに有利な指標を作らせたいという思惑もあっ て、作業が難航した。(中略)水田が洪水防止機能を持つ としても、冬に雨が多くて洪水の起きやすいヨーロッパで は、農地は洪水の被害者で、洪水を防止しているとはいえ ないと反論され、水田特有の指標でなく農地一般に使える 指標にすることが強く求められた。(中略)洪水防止とい う表現には反発があったため、途中過程で水流出調整容量 (Water buffering capacity)という名称が提案されたもの の、最終的には水保持容量指標(Water retaining capacity indicator)とされた。これなら、水田以外の農地一般が水 を保持して農地外に流出を減らす意味として使用できると いうわけである」とあり、欧米諸国との認識の違いや当時 の交渉担当者の苦労の一端を伺うことができる。 200 年から 2004 年にかけて行われた指標ごとの 7 つの 専門家会合のうち、日本は 2003 年に国土保全指標の専門 家 会 合 を 主 催 し た。 こ の 会 合 で 得 ら れ た 勧 告 (Recommendation)を踏まえて発展・策定された指標の ひとつが、水保持容量指標であり、OECD(2008)でも日 本の政策を評価した章において、正の外部性に関する代表 的な指標として掲載されている。 この水保持容量指標は、面積当たりの保水可能量として、 次式のように簡潔に定義される。 () ただし、Wp:保水可能量、Ai:土地利用 i の面積、Pi: 土地利用 i の保水能力、i =畑地、水田、耕作放棄地。図 2 に日本の数値を紹介する。同一指標による各国間の比較可 能性と指標の厳密さの間にはトレードオフの関係がある が、OECD の指標は簡便さを重視しているため、農地面 積(特に水田)と保水可能量がほぼ線形関係にあることが わかる。 表 3 では日本の農業環境指標と OECD 平均との比較を 掲載した。OECD(2008)の国別分析の章によれば、日本 の近年の政策は既存の農業環境プログラムを強化するもの であると評価しつつも、農薬や肥料使用、栄養過剰の数値 は OECD 標準よりも高く、農業環境政策の前進は、生産 物関連の高い農業支持措置が行われているという背景を考 慮して評価されるべきである、と苦言も呈されている5。 また、表 4 でこれらコア指標の一例として、「窒素収支」 の各国データを示した。窒素収支は、国全体の窒素のイン プット量からアウトプット量を差し引きしたもので、総バ ランスや農地面積 ha 当たりの養分量 kg で表示する。 窒 素のインプットは 、肥料、家畜ふん尿、降雨、微生物に よる窒素固定、種苗等から、アウトプットは農産物や飼料 作物生産によって圃場外に搬出される窒素を中心に推計さ れる。 OECD では、この窒素収支、リン収支、農薬のように、 圃場外への流出量や地下水中の濃度などは、国と地域の多 様な要因により大きく異なるため、国全体の収支バランス のほか、この 0 年における変化量の増減も重視している6。 表 2 OECD における農業環境指標 指標の種類 関心国 コア指標 栄養収支(窒素、リン) -農薬(農薬使用量、農薬リスク) -エネルギー(エネルギー消費) -土壌(土壌流亡等) -水(水利用量、水質) -大気(温室効果ガス等) -生物多様性(品種、野生種等) -農場管理 -リージョナル指標 (関心国が開発すべき指標) 景観国土保全(洪水防止、水源涵養等) ヨーロッパ日本・韓国 (注)コア指標は、汎用性が高く OECD として開発する指標とされているため、特段の関心国は示し ていないが、200 年から 2004 年にかけて指標ごとに開催された専門家会合をホストした国(OECD, 2007, pp. 25 参照)は特に強い関心を有していると考えられる。
出典:OECD(2008)より筆者作成
図 2 国土保全指標の例(わが国農地の保水容量)
出典:OECD(2008)より筆者作成
事務局および加盟国は、これまで 0 数年にわたって開 発してきた指標を自国の政策分析に活用させる方法を模索 してきており、一部の国で実際の政策の立案や分析に利用 が図られているものの、データ不足や政策への関連性の問 題から、殆ど活用していない国も多い。 このような中、200 年 3 月スイスにおいて、農業環境 指標の活用状況や今後の開発について議論するワーク ショップが開催された。事務局は、各国が共通して関心の ある指標に焦点を絞って作業を続けることとしており、 20 年に「990 年以降の OECD 加盟国の農業に関する環 境パフォーマンス」の概要版を出版する予定である(表 )。 今後、我が国が国土保全や水田の生物多様性等正の外部性 指標について、対外的(国際的)説明や国内における政策 分析、立案等に必要なものとしていくのであれば、関心国 と連携し、JWP に随時インプットしていく努力が必要と 考えられる。 OECD 加盟国全体にとってみれば、農業環境指標の開 発および報告書の発刊は、各国の農業環境をめぐる状況を 比較可能な形で整理した、初めての機会となった。また議 論の経緯を通じて、各国のおかれた状況や歴史的背景の認 識、農業活動とこれにともなう環境影響がいかに多様であ るかを改めて確認する場でもあった。しかし、OECD の 指標は、国全体でのトレンドを観察するには有効ではある ものの、先述のように実際の政策分析への利用は限られて おり、十分な活用が図られていない。これは、一国内にお いても、生産活動、農業政策、農業環境政策の影響が多様 であり、必ずしも国レベルの指標だけでは十分でないこと に原因があると考えられる。このような多様な影響を把握 するには、国(マクロ)レベルの指標だけではなく、今後 は、これを補完する指標開発、すなわち地域(メゾ)レベ ル、農場(ミクロ)レベルの指標についても、その利用目 的や開発にかかる時間とコストを勘案し、検討していく必 要がある。無論これらは、各国に課せられた課題であろう。 また、定量的な経済モデルによる政策分析に農業環境指 標を組み込む動きも活発化しているが、マクロ-ミクロの どのレベルの指標を用いるかによって、どのような経済モ デルを構築するのかも変わってくる。このため、分析の目 的(国全体の政策の影響か、よりスケールダウンした農場 レベルの分析か)など、その目的と一長一短のモデルの特 徴を合わせて考慮する必要があるため、モデルによる農業 表 4 OECD 加盟国の窒素収支 注:窒素バランスの変化は カナダ +80%、ハンガリー+ 60%、ギリシャ- 50% 出典:OECD(2008)より筆者作成
環境政策の分析に際しては、政策担当者、自然科学者、経 済学者一体となった検討を推進していく必要がある。
3 .農業環境政策インベントリの整備に向けた
OECD の活動
前章の農業環境指標の開発と並んで、OECD では、加 盟国の農業と環境を巡る状況を把握する活動として、「農 業環境政策インベントリ」の整備を行っている。OECD 事 務 局 で は、 加 盟 国 の 協 力 の も と、The Inventory of Policies Addressing Environmental Issues in Agriculture(以下、インベントリ)をウェブサイトで公開しており7、 政策担当者だけでなく、研究者に対しても有益な情報を提 供している。なお、現時点では、わが国の政策は、持続農 業法、有機農産物の表示、特別栽培農産物の表示、悪臭防 止法、水質汚濁防止法、土壌汚染防止法、環境アセス法、 研究開発が掲載されている。インベントリは、環境問題に 対処する農業政策(農業環境政策)だけでなく、農業生産 に影響を及ぼす環境政策も含め、OECD 諸国の広範な政 策を整理している。200 年に刊行予定の OECD (200 a) (以下、ストックテイキングレポート)は、インベントリ をもとに 90 年代半ば以降の政策措置について、環境目的 や政策手段ごとに整理し、OECD 加盟国の政策動向を把 握したものである。 表 5 に、ストックテイキングレポートで整理された一覧 表を掲載した。本レポートによれば、取引可能な許可証な どの経済的手法については、農業以外の産業で大きな役割 を担っているのに比べ、米国や豪州などごく限られた国で のみ実施されており、規制的手法が最も広範に利用されて いる政策となっている。豪州やニュージーランドが、主に 規制によって農業環境問題に対処している一方、EU 諸国、 ノルウェイ、スイス、米国などは、さまざまな環境直接支 払いを実施している。環境直接支払いは、農地において、 正の外部性や公共財供給(景観や生物多様性)に寄与する 特定の農法を採択した場合に、政府が農業者に対して直接 補助金を支払う政策であるが、この農業環境支払いの大部 分は、実際の環境効果ではなく粗放的「農法」の採択に対 して支払われるものである8。また、EU 諸国、米国、ス イスでは、クロスコンプライアンスが大きな役割を担って いる。わが国は、環境直接支払いやクロスコンプライアン スが導入されて間もないことから、総支持に占める割合は 小さいものになっている。 また、農業環境政策の評価方法は、多くの国で発展しつ つあるものの、農業環境問題の地域性や環境評価の複雑性 (データ収集を含む)から、実際の評価については、長期 間を要し、容易ではない。
4 .OECD における農業環境政策分析モデルの開発
(1)SAPIM (Stylised Agri-environmental Policy Impact Model)の開発 OECD では、農業(環境)政策と環境の因果関係を明 らかにするため、2005 年より独自の農業環境政策分析モ デルの検討に着手した。農業環境指標開発やインベントリ の整備によって収集した加盟国のデータを利用した政策分 析を行うことを狙いとしており、OECD の活動が次のス テップに進むうえで、大きな変化といえる。同年、議論の キックオフとなる経済モデル専門家会合が、OECD 加盟 各国および事務局の専門家の参加者を集め開催された。会 合は()事務局による分析モデルの提案、(2)各国のナショ ナル / 地域モデル報告、(3)ディスカッションで構成され た。 ()では初期的結果として、OECD における農政改革 や農業支持の分析で蓄積がある部分均衡モデル PEM 表 5 OECD 加盟国における農業環境政策手段の整理 注:NA は適用されていないか、ごくわずか、X は重要度低、XX は重要度中、XXX は重要度高を意味する。また、 AUS はオーストラリア、CAN はカナダ、JPN は日本、KOR は韓国、MEX はメキシコ、NZL はニュージーランド、 NOR はノルウェイ、SWI はスイス、TUR はトルコ、US は米国を表す。
(Policy Evaluation Model)9および多変量解析である SEM
(Structural Equation Model)0を用いた窒素収支分析結果
が OECD 事務局より示された。
(2)では、分析・データの成熟度が高い米国の USMP (現 REAP, Regional Environment and Agriculture Programming Model、2007 年 公 表 )、 カ ナ ダ の CRAM (Canadian Regional Agricultural Model)に加えて、日本、
スイス、ノルウェイ、フィンランド、ドイツ、ベルギー(フ ランダース)よるナショナル / 地域モデルが報告された。 (3)では、PEM の環境問題への適用に関する議論に加 えて、SEM による窒素収支と政策の因果関係に関する分 析作業の提案や FAO での分析事例(Bessler, 2003)に基 づく報告が行われたものの、参加者のほとんどがエコノミ ストであったこともあり、経済理論に基づかない多変量解 析モデルの環境分析への適用に懐疑的な指摘が多かった。 OECD 事務局と加盟国専門家間での活発な議論の末、 地域的な相違が大きい農業由来の環境影響を的確に分析す ることに重きをおき、結果的に OECD では、Lichtenberg
(989, 2002)、Lankoski and Ollikainen(2003)に理論的
基礎を置く、ミクロレベルの経済モデルである SAPIM (Stylised Agri-environmental Policy Impact Model) が開
発された。
SAPIM は、農場レベルの農業者の意思決定を分析対象 とし、政府介入のない場合の農家利潤最大化の水準 (Private Optimum)、 社 会 厚 生 最 大 化 の 水 準(Social
Optimum)を算出し、各政策シナリオの分析結果を 2 つ の水準を参照しながら比較する。社会厚生水準は、農家利 潤から、直接支払いなどの政策導入に伴う財政負担、外部 経済、外部不経済を差し引きすることで算出される。技術 的には、経済モデルと自然科学モデルの融合であることか ら、両面の知識が要求される一方、アイディア自体は、基 本的な環境経済学のフレームワークに準拠し、政策の影響 を数値で把握できることから、政策担当者への説明が容易 である。 社会厚生関数: (社会厚生水準)=(農家利潤)-(財政負担額)-(環境負荷)+(環境便益) モデルの開発は、OECD 事務局と加盟国との連携のも とに行われ、フィンランド、スイス、米国のケーススタディ に続き、わが国も分析に参加し、OECD(200b)が執筆 された。SAPIM は、農場レベルのモデルであるが、代表 的な農場を想定していることから、より面的な広がりを もったモデルとしても解釈可能であるうえ、モデル名の通 り、分析モデルを “Stylized” するため、地理的条件や農業 環境の違いを考慮した各国比較もある程度可能になる。 SAPIM は、我が国が長年主張してきた地理的条件によ る環境影響の多様性をある程度分析可能なモデル構造と なっており、水田を他の土地利用形態と連続性を持った形 で同モデルに組み入れることで、これまでのような特別扱 いではない形で水田の機能を位置づけることが期待され る。さらに、ヨーロッパの伝統的な粗放的農業に基づく半 自然農業環境(semi-natural habitat)とは異なり、人の手 が入って適切に管理されることで環境便益が向上する土地 利用形態である水田についての国際的理解を深めることも できる。国内に対する意義では、政策企画・立案時点で、 新たな農業環境政策の事前(ex-ante)シミュレーション として活用することが可能である。 (2)SAPIM の特徴と概要 SAPIM の特徴は、経済モデル(生産関数)と自然科学 的な環境モデルを融合した点にある。モデルのイメージを 図 3 に示した。ケース は水質、ケース 2 は緩衝地帯にお ける生物多様性、ケース 3 は農地土壌の炭素固定といった 外部性を扱う場合の構造である。例えば、ケース におい て、窒素、リンは農産物生産量を推計する窒素反応関数と 水質影響を推計する自然科学モデルにおいて共通の変数で あるため、「慣行農法に比べて、化学肥料を半減させた場 合に、直接支払いが行われる」という政策ショックを与え た場合、農産物生産量と水質影響は同時に変化する。私的 最適化の下では、農業者は自らの利潤を最大化するように 窒素とリンの投入量を決定するが、社会的最適化の下では、 政府(厚生経済学上の Social Planner、社会的な立案者) が水質悪化という外部不経済も加味した上で社会厚生水準 を最大化する窒素とリンの投入量を決定する。したがって、 図では政策の導入によって変化する変数(ケース では窒 素やリン、ケース 2 では緩衝地帯の面積、ケース 3 では有 機物)が反応関数と技術モデルに共通するという点に加え、 農産物生産による農家利潤と環境影響のトレードオフの関 係が示されている2。
また、経済モデルと自然科学モデルの融合という点に加 えて、土地利用変化の明示的なモデル化がもうひとつの特 徴である。図 4 において、縦軸は農家利潤πと社会厚生水 準 sw、横軸は農地の質 q を示している。π、π2、sw、 sw2、はそれぞれ、農産物 と農産物 2 の利潤と社会厚生 水準である。ケース の場合、いずれの農産物に関しても、 社会厚生水準が利潤を上回っている。つまり、ネットで見 て、正の外部性を発揮しているということである。このと き、私的最適化での土地利用は、 まで農産物 を、こ れ以降は農産物 2 を作付けすることで利潤を最大化でき る。一方、社会的最適化では、この境界 が変化する。ケー ス で、 が の左に位置しているのは、外部性の大き さに由来するものである。この図では、より粗放的に生産 される農産物 2 の作付面積を拡大することが、最適となっ ている。一方、ケース 4 では、いずれの農産物に関しても、 社会厚生水準が利潤を下回っている。これは、欧米各国が 暗黙のうちにおいている仮定であり、農業の正の外部性の 存在は認識しつつも、ネットでは、農業生産は負の外部性 を生じさせていることを示している。つまり、農業がネッ トで正の外部性を生じさせている場合には、ケース から 3 のいずれかの場合に該当することを示す必要がある。 図 3 SAPIM のイメージ
以下、SAPIM における土地利用の決定方法を数式で表 現する。まず、農地の質がスカラー で表されるとする。 ここで、 の最小値は 0、最大値は と規準化し、生産関 数は規模に関して収穫一定であると仮定する。 生産関数を以下のようにおく。 (2) ここで、 は作物 を生産するための生産要素である。 面積あたりの利潤を表す利潤関数は、 (3) ここで、 は作物 の価格、 は生産要素の価格である。 農業者が、農産物 および農産物 2 の生産から利潤最大 化を行うのであれば、以下の式を最大化するように農産物 の面積 を選択する。 (4) なお、 は累積分布関数、 は密度関数を表し、 連続で微分可能と仮定する。さて、 の低い地域に作付け される作物 の作付面積 は以下の通りに定式化される。 (5) ここで、農産物 と農産物 2 の境界を示す の水準は 以下のように定義される。 (6) すなわち、農産物 と農産物 2 から得られる利潤が同じ となる境界線が となり、そのときの農産物 2 の作付面 積は以下の通りである。 (7) さて、社会厚生関数をSW とする時、生産者の利潤式 から窒素流出被害、国土保全便益、生物多様性便益、土壌 炭素固定等の便益を差し引きするによって、社会厚生水準 図 4 土地の質に差異がある場合の私的最適化・社会的最適化における土地利用変化 出典:OECD(200b)より筆者作成
が (8)式のように得られる。 (8) ここで、Damage は窒素流出や温室効果ガス排出等の外 部不経済、Benefit は生物多様性や土壌炭素固定等の外部 経済である。なお、これらの外部性を表現する場合は、貨 幣換算に単位をそろえる必要があるため、「物理的な表現 方法(例えば kg/ha)×限界的貨幣評価(例えば円 /kg)」 として、物量単位を貨幣単位にそろえる必要がある。 SAPIM では、最後に()肥料税、(2)面積支払い、(3) オークション型環境支払い、(4)生産調整(production quota)などの政策ショックを与えた際の、社会厚生の変 化を比較するのである。 (3)SAPIM の問題点と今後の活用 日本を対象とした SAPIM の分析結果は別稿に譲るが、 OECD 自身も指摘するように、現状のモデルでは解釈の 簡便さを優先しているため、以下の 2 点について注意が必 要である。 .モデルでは需要サイドを加味していないため、価格 が外生的に与えられている。本来、政策ショックは、 供給の増減を通じて価格に影響を与えるが、マイク ロモデルである SAPIM は、これらのフィードバッ クを取り込んでいない。 2 .土地利用区分がシステマチックに単純化されてい る。現実的には、窒素流出などは土地利用区分をま たいで、他の土地利用区分にも影響を与える。 SAPIM は OECD による農業環境分野におけるはじめて の計量的分析モデルであったものの、定量的な分析モデル を通じた政策メッセージの発信に対して、どの国からも強 い反対の意向がなかった。むしろ、今回ケーススタディに 参加した 4 カ国からは、いずれも強力なバックアップがあ り、JWP としてもモデルによる政策分析を行う準備は整っ たと考えて差し支えないだろう。 SAPIM のように、自然科学的見地と経済モデルを融合 したモデルは、政府機関のみならず、研究者にとっても興 味を引く分析ツールである。近年では、2009 年 3 月に、 欧州に拠点を置く複数の学会が、農業と環境に関する大規 模なコンファレンス Integrated Assessment of Agriculture and Sustainable Development (AgSAP)をオランダで共 同開催し、欧州をはじめアメリカ大陸やアジアからも多数 の参加者を集めた。本コンファレンスのテーマは、文字通 り自然科学をベースとする環境モデルと経済学モデルの融 合であり、経済学者、自然科学者が一同に会した3。 こういった試みはまだ始まったばかりであり、主に物質 の動きや変化プロセスを重視する自然科学者と、インプッ トと環境アウトプットの関係性を出来るだけ簡略化した上 で、経済モデルに融合しようとする(例えば、有機肥料 トン投入あたり、何トン温室効果ガスが発生するか)経済 学者では、その考え方に距離があるものの、AgSAP では 多くの成功事例も報告されており、わが国研究者の関心を 集めるものと考えられる。
5 .農業環境政策ガイドラインの策定をめぐる
OECD の活動
(1)農業環境政策ガイドラインの策定 「費用効率的な農業環境政策の制度設計と実施に関する ガイドライン」(以下、ガイドライン、OECD, 200c)は、 政策担当者に対し、政策立案の際に参考となる「基準」を 提供するために策定された。このため、農業環境政策とし て代表的な直接規制、環境税、農業環境直接支払い、取引 可能な許可証に焦点を当てているが、OECD として特定 の政策を推奨するものではなく、いかなる状況でどのよう な政策が行われているかを整理し、目標達成のために政策 担当者の理解を深めることが目的である。当初、SAPIM の結果を用いた分析が期待されたが、モデル開発に長期間 を要したため、定量的な分析結果を明確にリンクさせるこ とは困難であった。ただ、各種ワークショップで得られた 知見や農業環境指標・インベントリの情報、さらに同時期 に行われたクロスコンプライアンスに関する分析作業の成 果も盛り込み、報告書が完成した。 ガイドラインでは、政策担当者と農業者間の情報の非対 称性に対処するための政策である「オークション型環境支 払い」に多くの記述が割かれている。わが国ではこのよう な政策手段についてはあまり紹介されていないことから、 ガイドラインの記述や関連論文の記述を引用しつつ、オー クション型環境支払いの概要と課題等を紹介したい。 (2)オークション型環境支払い OECD 諸国で一般的な環境支払いは、レファレンスレ ベルを超えて設定される環境目標を達成した農業者に対し て、固定された一定額の直接支払いを行う方法である (fixed rate payment approach)。しかし、この方法は、農 業者の遵守費用の差異や供給される環境財の生産性の違いが加味されていないため、環境支払いの費用効率性を損ね てしまう。 仮に、慣行農法に比べた減農薬・減化学肥料に対する環 境支払いについて考えてみよう。これまで、相対的に農薬・ 化学肥料の投入量の少ない農業者は、多投している農業者 よりも大きな参加インセンティブが働く。なぜならば、農 法転換や遵守にともなうコストが少なくて済むからであ る。したがって、本来参加すべき農業者が参加しないとい う「逆選択(adverse selection)」問題が生じる。結果的に、 追加的な環境便益は小さく、参加者に対して過剰な補償 (overcompensate)が生じてしまう。また、一般に、農業 者は遵守費用等の情報について優位性を有している(「情 報の非対称性」)。つまり、農業環境プログラム参加による 追加費用や利潤に対する影響については、農業者が十分な 情報を持っているのである。したがって、プログラム責任 者(政府)の提示する金額が高すぎれば、農業者の真の機 会費用を交付金額が上回ることになり、効率性をゆがめて しまう。我が国の「農地・水・環境保全向上対策」の営農 支援部分も同様に、交付単価は全国一律であり、農業者の 異質性(heterogeneity)は考慮されていない。 これら環境支払いに伴う、逆選択や情報の非対称性に対 処するため、近年オークションによって、農地所有者が各 種環境保全プログラムに対する自らの遵守コストを申し出 る政策の検討と導入が各国で加速化している4
。Latacz-Lohman and Schilizzi(2005)が EU5 カ国の農業省に対 して行った郵送調査によれば、オークション方式を用いた 政策が全くないと回答した国は、スウェーデンとベルギー だけであった。また、オークション型環境支払いは、値づ け機能(Price Discover Mechanism)も有している。一般 に環境財の価値評価は困難であるが、生産者が真の費用を 申し出れば、政府はその価値を把握できる。 オークション型環境支払い政策の呼び方は各国によって 様々であるが、仮に「グリーン・オークション」と呼ぶこ ととする。このグリーン・オークションは、国際的に政策 面での関心が高く、各国ではオークションの理論研究を踏 まえた経済モデルによるシミュレーションだけでなく、被 験者を用いた経済実験による検証が活発に行われている。 既に欧米で実施されているグリーン・オークションは、政 策目的や制度のデザインが多岐にわたっている。米国 CRP の 環 境 便 益 指 標(Environmental Benefit Index: EBI)やオーストラリア Bush Tender の生物多様性便益 指標(Biodiversity Benefit Index)の様に、客観的な環境
指標が既に整備されている場合はこれを用いている。環境 サービスごとにウェイト付けをした指標を用いることがで きれば、様々な環境プログラム(水質改善、土壌流亡、農 地の温室効果ガス貯留等)を同時に扱うことができるので ある。一方で、これらの指標が未開発の場合は、単一の環 境プログラムを対象とするオークションにならざるを得な い。
さて、理論面では Latacz-Lohmann and Von der Hamsvoort (997)が従来のオークション理論を援用し、グリーン・オー クションに関する分析を発表し、直近の実験経済学による 実証研究の多くやガイドラインでも彼らの理論が引用され ている。以下、彼らの理論的説明に基づき、グリーン・オー クションの構造を紹介したい。 (3)グリーン・オークションの構造 まず、農業者は、自らの入札に対しては私的情報を持っ ており(私的価値オークション)5、オークションの勝者(農 業者)が自らつけた入札金額と等しい額を受け取る(差別 価格オークション)と仮定する。通常通りの農業生産活動 を行った場合の収入をπ0、環境に優しい農業生産や土地 管理行為を行った場合の収入をπとすれば、入札額 b に よって行政機関と契約に至った場合、つまり、農業者が直 接支払金額 b を受け取って保全行為を行う場合の効用は U(π+b)となる。なお、効用関数は単調増加で、2 回微分 可能なフォンノイマン・モルゲンシュテルン型効用関数で ある。また、入札額 b で契約に至らなかった場合、入札 者の効用は U(π0)となる。π0-πは機会費用を意味す
る。㌼ をオークションの約定価格(market clearing price) とすれば、入札額 b が ㌼ を下回るときに契約が成立する ので、(9)式で表されるように、通常の農業生産活動を行 うより期待効用が高ければ、農業者はこのグリーンオーク ションに参加する。なお、当然、入札者は、入札時点では ㌼ の水準が解らない。 (9) f(b)が分布関数F(b)の確率密度関数である時、入札 b で契約に至る確率は(0)式で与えられる。 (0) したがって、(9)式は()式の様に記述可能であり、 危険中立的な参加者の場合、単純に利潤最大化を目指す。
() ()式を b について微分して 0 と置くとすると(2) 式を得る。 (2) 最適な入札額 b*は、(2)式を b について解くことで得 られる。 (3) グリーン・オークションにおける上限価格の期待値βは、 一様分布であると仮定する 。一様分布の密度関数 と分布関数は(4)式によって与えられる。 (4) (3)式および(4)式また、 以下の入札は経済的に 意味を成さないため、危険中立的な参加者の最適入札戦略 は(5)式で与えられる。 (5) 次に、理論から想定される状況を図で示す(図 5)。環 境支払いが従来の固定価格方式の場合は、機会費用曲線が 供給曲線となる一方、差別価格オークションでは入札曲線 が、一様価格オークションでは機会費用曲線が供給曲線と なる。理論上は機会費用よりも高い金額で入札することが 最適な行動となる(例えば Krishna, 2002 )。 また、XU、XDをそれぞれ一様価格オークションと差別 価格オークションによって提供される環境便益とすれば、 各オークションの費用効率性は、以下の式によって定義さ れる。 一様価格オークションの費用効率性を CEu とすれば、 (6) 一方、差別価格オークションの費用効率性を CEDとす れば、 (7) 固定価格型の直接支払いと双方のオークションの比較に は、図 5 から明らかなように、環境支払いの固定額、一様 価格における約定価格の設定、目標とする環境水準(XU、 XD)など様々な要因が影響を与える。これまでの研究では、 図 5 環境支払の理論的考察: 固定価格、一様価格オークション、差別価格オークション
どちらの費用効率性が優れているかについての明確な結論 は得られていないため、状況に応じた手法を選択する必要 がある。 (4)オークション型環境支払いの課題と展開 しかし、ガイドラインでも指摘されているように、グリー ン・オークションが万全の政策であるとはいえない。第 に、取引費用(行政費用)の問題である。高い取引費用は 参加農業者数を抑制し、入札による競争を促すというオー クションのメリットを失うことになる。一方で、米国にお ける CRP の事例では、取引費用は総費用の 3%に過ぎず、 次 第 に % 程 度 ま で 下 が る と い う 研 究 結 果 が あ る (Heimlich, 2007)。第 2 に、談合などの戦略的入札(strategic bidding)の課題である。一般に、オークションは、参加 者が少なければ活発な競争は期待できず、談合のリスクを 高める。また、複数回のラウンドは一回のみのラウンドに 比べて、入札者が最低価格(reserve price)を学習するこ とから、効率性が減少することが知られている(例えば、 Latacz-Lohmann and Schilizzi, 2005; Hailu and Schilizzi, 2004)。 これまで、実験経済学を用いた実証面からの研究も行わ れているものの、未だ完全に明らかになっていない部分は 多い。わが国での分析は非常に限られているが、川崎ほか (2009)は、実験経済学を用いて、グリーン・オークショ ンの大きな課題のひとつである農業者の環境基準の遵守に 着目して、一様価格オークションと差別価格オークション の比較を行っている。グリーン・オークションの検討に際 しては、欧米に比べて小さい農地、モザイク上の土地利用 と複雑な農業環境、農村コミュニティーの結びつき等わが 国独自に試行錯誤しなければならない課題も多く、フルス ケールで行う前の実証事業や、所与の条件をわが国の実状 に合うようにセッティングした経済実験が必須である。同 時に、客観的な環境インデックスの整備も急務である。 また、オークション型環境支払いの議論は、農業者自ら が費用効率的な手法を選択して環境目標を達成することに つながるため、ガイドラインの大きなテーマでもある環境 支払い政策が「何にターゲットを置くか」という議論とも 密接に関連する。一般に、窒素流出量など環境影響そのも のにターゲットをおく政策はパフォーマンス・ベース、一 方、農業者の農薬・肥料・燃料などの投入量や技術選択に おく場合はインプット・ベースと呼ばれる(図 6 参照)。 これまでの研究から、インプット・ベースの政策は、農業 者自らが費用効率的な手段で排出・流出削減する選択肢を 制限することが指摘されている(例えば、OECD, 2007)。 このため、「方法」ではなく「出口」に着目することによっ て、農業者に対して方法の選択幅を与えることが重視され つつあるものの、政策としての実際の適用を考えると、農 業者の外部性に対する寄与度の不確実性から、その利用は 限定的である。例えば、非点源からの肥料・農薬流出プロ セスは、気候やその他環境条件によって大きく変動する。 対処方法としては、農場レベルではなく地域的にある程度 まとまった単位で評価する政策(ambient-based measures) がある。この政策は農場レベルでのパフォーマンス・ベー スに比べて外部性の計測は容易であるが、理論研究が示唆 するところによれば、個々の農業者のインセンティブをど のように刺激するかという制度設計の点上の難しさを含ん でおり(例えば、Horan et al., 998; 2002)、学術的な実験 による検証が行われているものの実際には適用されていな い。 ガイドラインでは、グリーン・オークションをはじめと した経済的手法だけでなく、規制的手法、税、取引可能な 許可証、クロスコンプライアンスやこれらの諸政策手法の 効果的な組み合わせ(ポリシーミックス)について、各国 の事例や学術論文を紹介しつつ、政策担当者に対して、費 用効率的な政策選択にあたって「ものさし」を提供するこ とを目的としている。 各国間あるいは地域間の生産技術・生産環境の多様性を 認識すれば、すべての条件のもとで、共通に推奨されるベ ストな政策は存在しない。多様な条件に見合うように、対 象 を タ ー ゲ ッ ト し、 条 件 に あ っ た(targeting and tailoring)制度設計を行うために、地方政府が積極的に政 策づくりに参画すべきである。
6 .今後の分析とわが国の対応
既に述べたように、OECD では、各国の関心事項に基 づき事務局が準備した専門的ペーパーに基づいて議論が行 われる。言い換えれば、短期的あるいは中長期的に国際的 関心が薄い分野については、分析や議論の俎上にのぼるこ とはない。したがって、OECD で議論されている内容は、 農業環境分野における先端の政策議論が行われていると いっても過言ではない。 JWP が 2009 年以降もっとも力を入れている分野は、気 候変動に関するスタディである。OECD の作業計画は通 常 2 カ年であるが、気候変動に関しては、前半 2 年で基礎的な分析を行い、後半 2 年で政策メッセージを発すること としている。気候変動政策の分析に関して、JWP は他の 国際機関や各国研究機関に比べると後発であるが、「農業 分野に特化し」「自由な雰囲気の議論によって構築される」 「政策分析」という OECD の強みに、加盟国の多くが期待 を寄せている。分析の柱は、2009 年 OECD 閣僚理事会に おける「グリーン成長に関する宣言」を踏まえ、農業分野 のあるべき姿について、低炭素社会のシナリオを描く「2050 年を見据えた農業のあり方についてのシナリオ分析(低炭
素社会low carbon economy の実現に向けて)」である6。
また、200 年 7 月の FAO・イタリア政府と共催のワーク ショップ(専門家会合)の開催によって、シナリオ分析へ のインプットが期待されている7。 さて、993 年以来の JWP の活動を見てみると、現在は かつてのような国益を主張して議論がぶつかり合う場面は ほとんど見られない。ただ、分析作業が深化し、経済学的 (あるいは技術的な)内容に議論が及ぶ場合、いわゆる大 国とそれ以外の国の発言水準の違いが大きいように感じら れる。とりわけ、米国、フランスの発言および会議後の書 面コメントのレベルの高さや充実度から、ERS (Economic Research Service)やINRA(Institut national de la recherche agronomique)といった研究機関との十分な連 携を伺い知ることができる。我が国においてもより一層、 科学者、専門家の適切な関与のもと、体系的に OECD に 対応する体制を構築する必要がある。一方、研究者にとっ ても、世界が直面する社会経済問題に率先して取り組んで いる OECD の議論の中には、豊富な研究テーマが存在し ていると考えられる。 また、米国、欧州各国など、農業分野の気候変動対策、 生物多様性の保全対策など、積極的に施策を検討している 国の間では、自国の政策を正当化する理論や国際的枠組み の構築などへの JWP の利用可能性が模索されている。わ 出典 : OECD(200c)より筆者作成 図 6 農業生産と農業環境外部性
が国は 996 年以降、任意拠出に基づく農林水産省からの 職員派遣を通じて、JWP の活動に積極的に関与してきた ところであるが、JWP の議論からどのような結論を導い ていくことが我が国に重要であるかを今一度議論する必要 があると考えられる。
引用文献
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OECD (200c), Guidelines for the Design and Implementation of Cost-effective Agri-environment Policy Measures. OECD, Paris, France. OECD の全体像に関する邦語書籍は極めて限られている中、村 田(2000) は そ の 役 割 や 活 動 内 容 に 関 し て 解 説 し て い る。 OECD の歴史、加盟国、目的、特色、優先課題等は OECD 東 京センターホームページをあわせて参照されたい。(http:// www.oecdtokyo.org/index.html) 2 多面的機能と政策については Seneca 2stホームページ「農業 の多面的機能:それを守るための政策と改善するための政策(荘 林 幹 太 郎 )」(http://seneca2st.eco.coocan.jp/working/shobayashi/ 0.html, 200 年 3 月 5 日アクセス)が詳しい。 3 農業環境指標開発の経緯は舟木(2004)が詳しい。 4 JWP では、993 年の活動開始から 0 年の成果を OECD (2004) としてまとめている。(http://www.oecd.org/dataoecd/5/28/ 3393449.pdf, 200 年 3 月 6 日アクセス) 5 国別セクション「日本」については、OECD のホームページに 仮訳が掲載されている。(http://www.oecd.org/dataoecd//29/ 4080265.pdf, 200 年 3 月 6 日アクセス) 6 西尾道徳「環境保全型農業レポート:No.4 OECD の指標で みた先進国農業の環境パフォーマンス」もあわせて参照された い。(http://lib.ruralnet.or.jp/libnews/nishio/, 200 年 3 月 日 アクセス) 7 OECD のホームページを参照されたい(http://www2.oecd. org/agr-envdbo/index.asp, 200 年 3 月 5 日アクセス)。 8 環境支払いについては、第 5 章において述べる。 9 PEM をわが国の農業環境分野に適用した分析としては、小林 (2005)がある。分析の対象作物をコメに限定し、市場価格支持、 生産物に対する直接支払い、投入財補助、作付け割り当て(減 反面積)、転作等助成金といった政策変数を分析対象に含め、 いずれの政策が最も国土保全機能に大きな影響を与えるかを検 証した。分析結果によれば、市場価格支持よりも転作助成金や 直接支払いのほうが大きな影響を及ぼす可能性があることが明 らかとなった。また、OECD による日本の農政改革 について の分析(OECD、2009)でも PEM を使用した分析が行われて いる。 0 SEM のわが国での適用例は、佐々木(2005)、國光(2006)が ある。
このほかの分析例として、Lankoski et al. (2004), Ollikainen
and Lankoski (2005) および Lankoski et al. (2006)がある。
2 仮にケース から 3 の全ての要素によって SAPIM を構築する ならば、反応関数は「投入財・緩衝地帯・有機物と生産量」の 関数になる。一方、自然科学モデルは「投入財と水質影響」、「緩 衝地帯と多様性」、「有機物と炭素貯留量」の関数の和で構成さ れる。 3 AgSAP ホ ー ム ペ ー ジ (http://www.conference-agsap.org/、 200 年 3 月 5 日アクセス)でオランダ農業・自然・食品品質 大臣 Gerda Verburg 氏の基調講演をはじめ全報告要旨が確認 可能である (Van Ittersum et al Eds, 2009)。
4 オークション研究の歴史は長く、ミルトン・フリードマン(959 年 Uniform-price auction を発表)やウィリアム・ヴィッカリー (96 年 Vickrey auction を発表)の一連の研究以来、その理 論は飛躍的に発展した 。オークションは、財に対する価値評 価の仕方(私的価値オークションと共通価値オークション)や オークションフォーマット(封印型と公開型)、支払いのフォー マット(ファーストプライスとセカンドプライス)などに分類 可能であり、古くから財の効率的な配分手法として広く用いら れてきた。 5 私的価値オークションとは、芸術品や骨董品のオークションの ように、財に対する価値評価が他の入札者と独立しており、入 札事前と事後で変化しない場合のオークションである。一方、 共通価値オークションとは、債権や採掘権入札のように、入札 者にとって共通に価値があることが見込まれているものの、実 際にどれだけの価値があるのか、転売時の市場価格(商品の共 通価値)をあらかじめ知ることはできないという特性をもって いる。 6 シナリオ分析は政府ベースだけでなく、民間企業も作成してい る。例えば、マッキンゼー・アンド・カンパニー(2009)を参照。 7 また、このシナリオ分析を補完する以下の各種バックグラウン ド・スタディも行われる予定である。加えて、温暖化同様グロー バルな問題として深刻な水問題は、温暖化と不可分であること から、両分野横断の分析も行われる予定である。 ◦気候変動と農業(影響、適応策、削減策)についての総合 的レビュー ◦土地利用・土地利用変化及び林業(LULUCF)-生産、貿 易への含意 ◦カーボン・アカウンティング、ライフサイクル分析 ◦耕種分野の削減策 ◦畜産分野の削減策 ◦温暖化および温暖化政策と農家行動の関係 ◦農業分野における気候変動政策のインベントリー整備 2 年ぶりに開催された OECD 農業大臣会合(200 年 2 月) では、閣僚から OECD 農業委員会に対して、気候変動に関す る分析を中心的作業のひとつとして取り組むよう要請があり、 コミュニケにも記載されることとなった。