第
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号
法華経の本尊としての畏茶羅 I信一 田 義 遜 1 道徳的次元の問題について 室 住 妙 32 開目抄鎖仰 (1) 科段 室 住 妙 46 デーヴァダvタの神通 長 谷 川 義 浩 . 78 華北農村の家族制について 町 是 正 91 一一同族的結合と家族構成の数量的芳全一一 田 アメリカ文学に於けるナチュラリズム形成 大 森 孝 131 とドライサーの位置について身 延 山 短 期 大 学 仏 教 学 会
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一、両密法華法の本尊の雑乱
末法に於ける法華経の行者として宗祖の弘通は、開宗以来諸法実相紗に所詞﹁地泊の菩薩の出現に非ずんば唱へが たき題目﹂︵七二七﹀と、佐後の﹁仏滅後二千二百二十余年一間作提未官有大目安茶維﹂ 提第一の本尊﹂︵吉川︶と、法華取要紗に﹁本円三法門型一立之−一四天四海一同妙法蓮華経広宣流布無レ疑者歎﹂ 等と見える。安国論に所謂﹁三界仏国﹂と仰せられたる、本門の戒壇完成即ち建立にあったのである。而 ︵ 目 安 茶 羅 の 讃 文 ︶ 即 ち ﹁ 一 閤 浮 ︿ 八 一 八 ︶ してかくの如き報恩紗に﹁末法のために仏留め置き給ふ、迦葉・阿難等、馬鳴龍樹等、天台伝教等の弘通せさせ給は ざる正法﹂︿一二四四﹀たる三大秘法の弘通は、妙法比丘尼御返事 dに出家修学の動機を述べられて 皆人の習はせ給ふ事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少の時より名号を唱へ候し程に、いさ L かの事ありて、此 事を疑ひし故に一の願をおこす と述べられて、南都の六宗、平安の真言・天台の二宗、鎌倉の禅・浄土の十宗を挙げ 此等の宗々の枝葉をば、こまかに習はずとも、所詮肝要を知る身とならばやと忠ひし故に、随分にはしりまはりて十一一十六の年より三十二に至るまで二十余年が問、国々寺々あらあら習ひ回りし程に、 一の不思議あり。我等のは かなき心に推するに仏法は−味なるべし。 三 五 五 三 ︶ 等と述べられて、天台伝教の弘め残せる神力別付の一大秘法たる題目に依て建長の開宗となり。爾来専ら法然の念仏 を無間業として折破し、佐後に至って本尊を莫定せらる﹂に当って、矛を両密の折破に向けたが、就中その根源を一 行の大日経疏に、所謂﹁今此本地之身又是妙法蓮華最浄秘処﹂ ︵ 正 戯 三 九 、 六 五 八 ﹀ 等の釈に発する顕密雑乱にあり となし。ために撰時紗には﹁善無畏一行をうちぬいて﹂ ︵ 一
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一 二 四 ﹀ 等 と 、 一行の大日経疏著作の顕末を詳述し、就中 ー当時の権実顕密の雑乱に就て 日蓮は真言・禅宗・浄土宗の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈党・安然・慧心等は、法華経・伝教大師の師子の 身の巾の三虫なり。此等の諸法の根元をた Y す、日蓮にあだをなせば;::災夫も大に起るなり。 ︵ 一O
五 一 ︶ 等と、特に一行の流を汲める台密の覚・証・然の顕密雑乱を指摘せられし如く、佐後の本尊莫定に当っては、一行に発 し特に法華唯一の密軌たる、不空の歓智儀軌を回る当時の両密の法華法の本尊の雑乱を指摘せられ、真の法華経の本 尊造立のための破邪顕正が、佐後弘通の中心であった。かくの如き当時に於ける両密の本尊雑乱の事実は、果密の覚 禅︵一一四三l
一 一 二 七 ︶ の党禅紗一二八巻︿仏全四五l
五一﹀。並に台密の承澄三二O
五二一八二﹀ の阿裟締紗二 二 八 巻 ︵ 仏 全 、 三 五 l i 四一︶、静然︵一一五二︶の行林紗八二巻︵正蔵七六︶等、宗祖と粗ぼ同時代の不諸紗に徹して明か で あ る 。 巳下是等の諸紗に見ゆる顕密雑乱の要点を挙ぐるならば、次の如くである。 件阿裟縛紗に依るに不空の儀軌は、添口開法華に依り不空に依て造られたる密軌であり、且つその目安茶羅は胎蔵畏茶羅に習ひ、宝塔品に依り﹁中胎二仏並坐、 八葉文殊等語化八菩薩、 四隅舎利弗等四大声聞﹂諭伽修法は寿量品の無 量寿命決定如来の真言に依る故に、 ﹁ 本 謹 二 門 之 説 白 叶 − 一 両 部 大 法 之 意 こ 仏 全 三 七 二 八 九 。 行 林 紗 七 六 一 二 七 ︶ 等 と 不空の儀軌を二門両部合成と解すること。 二元来ム口密に於ては釈迦大日同体説、東密には別体説なるも、何時しかか﹄る通念を越えて、東山知の党禅紗には寿 置 口 聞 の 釈 迦 を ﹁ 大 日 三 世 常 住 之 義 ﹂ 又 は ﹁ 大 日 所 変 之 釈 迦 ﹂ ︵ 仏 全 四 六 一 却 炉 ︶ 等 と 、 ム ハ 宥 義 に 依 て 一 貫 せ ら る h に至れること o
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右の如き義は一行の疏に発し、就中台密智液の作と称せらる h 蓮華三昧経即ち妙法蓮華秘宿三摩耶経︵不空訳、 続賊第三套五四O
九 ︶ に総別二釈ある中別釈中、宝塔品は全く儀軌の目安太店経に依り、寿日民品の下に至っては、中胎 の二仏を両部大日一体の変化身たる無長寿決定如来となし、此に顕密雑乱の中尊が釈成せられ、 ﹁ 妙 法 蓮 草 久 遠 実 〕 成如来、本来多宝塔中湛然常住、無長寿決定如来、法界定印﹂と説き、その頭上宝冠に二仏左釈迦即胎蔵大目、右 多宝即金剛大日を安し、八葉の四方は上行等本化四菩一階、 四錐は普賢等越化四菩薩を安し、釈迦大日一体の決定如 来を中尊とする。本門中心の長茶維を見るに至ったこと。 四且っか h る決定如来に対して、両密に於ては釈迦・多宝・弥陀等の諸説を見るに、台密に於ては阿裟純紗に﹁弥 陀釈迦不審事也。但釈迦為レ正﹂ へ仏全三六三九五︶等と釈迦を取るも、東密に於ては釈迦大目別体説なりし故か。 多く多宝を以て中尊とすること。 劃両密共に宝塔を法身、多宝を報身、釈迦を応身と解し、就中台密の阿裟紳紗には長茶羅を以て﹁三身即一四土不 二 ﹂ ︵ 仏 全 、 三 七 二 一 い 川 ︶ の 相 と 解 す る こ と 。対その他愛茶羅を台密の阿裟縛紗には、九識真如妙法心蓮﹂ 深 理 ﹂ ︵仏全、三七六九︶行林紗には﹁妙法蓮華経者実相之 ﹁ 八 分 之 肉 団 ﹂ ﹁ 相 妙 法 蓮 経 一 々 文 字 、 従 ニ 仏 口 − 出 皆 作 ニ 金 色 一 、 具 有 ニ 光 明 − 一 通 ニ 外 虚 空 こ ︿ 正 蔵 、 七 六 一 三
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︶等の釈に、諸紗の中に散見すること。 以上の如き両密の雑乱本尊を真の法華経の本尊とせられんとせられた構想は、早くも開宗七年後の文応元年の、唱法 ハ ニO
二︶に発し、弘長二年の顕語法妙には、 撃題目紗に﹁本尊並に行儀﹂ 善無畏・金剛智・不空・一行等の性悪の渋円、 一念三千の法門は天台智者の法門をぬるめるか﹂ ︵ 二 七 二 ︶ を始として、華厳並に真言の盗台に就ては、弘安元年の太田左衛門尉御返事に至る、実に二丁数回に及んでいる。又 不空の観智儀軌に就ては文永元年の法華真言勝劣事︵三O
四 ﹀ 以 来 、 善 無 畏 齢 ︵ 四 一O
﹀ 、 撰 時 紗 ︵ 一O
二 二 ﹀ 、 本 尊 問 断 A n 砂 ハ 一O
七三︶等に見ゆる外、文永九年の八宗違目紗︵五二八﹀ には蓮華三昧経が見ゆるに依れば、 −行に発し不空 の儀軌を廻って、就中蓮華三昧経に依る両密の法華・目安茶羅の四百余年に亘る雑乱は、聖人の当時全くその極に達して いたのである。されば違白砂には南都六宗を始め真言・浄土等諸宗の本尊を挙げ、 ﹁ 自 ユ 法 華 宗 − 外 真 言 宗 並 浄 土 宗 等 以 − 一 釈 迦 如 来 一 不 ν知 ν為 レ 父 ﹂ ハ五二七︶と述べ、更に華厳真宗の盗台を挙げ、最後に﹁諸宗之是非以レ之可 v札 ニ 明 之 ] 也 ﹂ 円 五 三 二 ﹀ と述べ、両密より此の経の一念三千を集回し、関本両紗を中心として、天台の一念三千を台密の理同事勝 に憧換し、彼の一念三千を像法過時の法となし、本門の事の一念三千の上に、両密の本尊雑乱を札明し、弘安元年の 太田左衛門尉御返事に 寿量品と申すは本門の肝心也。此品は一部の肝心、 一門聖教の肝心なるのみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大 要也。教主釈尊寿量品の一念三千の法門を証得し給ふ事は、三世の諸仏の内証等しきが故也。但し此法門に非=ズ釈尊一仏巳証一諸仏も亦然也。我等衆生の無始巳来六道生死の浪に沈没せしか、ム 7 教主釈尊の所説の法華経に奉レ値事 は、華厳・真言の元祖・法蔵・澄観・主口無畏・金剛智・不空等が、釈尊一代聖教の肝心たる寿景品の一念三千の法 門を盗み取て、自 ν本 自 の 依 経 に 不 一 ν説草厳経・大日経に有二念三千二云て取り入る、程の盗人にばかされて、本覚 深 く 然 見 を 執 す 。 無 レ 墓 無 レ 墓 。 ハ 一 四 九 七 ︶ 等 と 両 密 本 尊 の 雑 乱 の 根 源 を 指 摘 せ ら れ た る こ と は 、 綱 要 に 所 謂 ﹁ 破 一 一 彼 三 管 一 立 ニ 此 三 秘 一 、 廃 ニ 彼 両 部 小 畏 茶 開 純 一 一 顕 ニ 此 十 界 大 目 安 茶 羅 こ ︵全五五︶等と述、べられたるに徴して、御本尊奥定の意図が那辺にあられたかは想像に難くないの で あ る 。 二、観智儀軌之本門の本尊
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〕 然らば三秘随一の宗祖の木円の本尊は何かといふに、勿論佐前の唱題紗等にもその構想は拝せられるが、大体佐渡 を中心として佐後に具現せられたのである。即ち文永十年二月の妙法要茶羅供養事には、 ﹁妙法蓮華経の御本尊供養 候、此憂茶羅は﹂ ︵ 六 九 八 ︶ を始め、全年八月の経王殿御返事には、 ﹁ 本 尊 ︵ 御 ︷ 寸 ︶ は 正 法 像 、 法 二 時 に 習 へ る 人 だ に もなし:::此畏茶羅能々信ぜさせ給ふべし﹂ ︿ 七 五O
﹀ とも、全十二年の新尼御前御返事には、 ﹁此の御本尊は教主 釈尊五百鹿点却より、心中にをさめさせ給ひ;::此五字の大長茶脱税を﹂ ︵ 八 六 六 ︶ 等と述べられ、就中観心本尊紗に は﹁其本尊為レ体﹂等と八十九字に寄せて、始めて憂茶羅の相貌を示され、建治三年の日女御前御返事には﹁抑此御 本尊﹂等と最も詳細にこれ示され、 ﹁ 未 曽 有 の 大 憂 茶 ﹂ ︵ 一 三 七 四 ︶ 等 と 結 ぼ れ て い る 。 きれば宗祖に於ては右の如き目安茶羅本尊は勿論、伊東感得の随身仏を始め、後年宮木・四条氏の釈迦仏造立のことー 市 1 w 当 M d d y もあり、四菩薩造立のこともあったが、現に片岡随喜氏の御本尊集の一二三帽の外、身延曽存遠泊享師模写の二四幅 ︵写真帖の二八幅中四幅は上掲の重複︶の粗ぼ一五
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幅を見るに徴しても、亦文永より建治、建治より弘安と次第に 増加せる事実に依て、本門の本尊とは勿論造像を否定するものではないが、粗ぼ目安茶縦と解して大禍はなかろうと思 ぅ。由来日受茶羅の語は印度に於ては、仏教以前の吠陀時代から組織せられた軍隊等の意に用いられ、後に密教に踏襲 せられたものである。 即 ち 円 安 茶 羅 宮 川 口E
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と は 畏 茶 冨 mHV 色 白 ・ の 心 陪 又 は 本 質 の 義 あ る 基 訴 と 、 経]出の所有又は 成就などの義ある後接語とよりなった。道場、浄坦、功徳集等の義で、随って主体に依て統合成就せられた集問即ち 輪円共足の貌である。それ日女御前御返事に﹁首題の五字は中央にかかり::・十界一界もかけず一界にある也依 ν 之 日受奈維とは申す也﹂等と仰せらる﹄所以である。 ﹂れ師師が本尊略並に本尊に就て根本尊崇、 本 来 尊 雪 、 本有尊形 ︵ 全 三 三 九O
︶ の三義を挙げているが、第一は主体たる中尊に親しく、第三は愛茶維に親しく、第二は共通の意と解 せられるが、受奈総本尊には粗ほ三義を認められるのである。 建長五年題目を以て開教せられた宗祖は、文応元年立正安国論を著され、 ﹁ 二 一 界 仏 国 ﹂ を 以 て 立 教 の 制 格 と せ ら れ たが、これに先立って全年五月唱法翠題目紗を著されて、、法華行者の本尊並に行儀を述べられた中に 本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を害て本と可 ν 定 。 法師品並に神力品に見えたり。 又たへたらん人は釈 迦 如 来 ・ 多 宝 仏 を 室 百 て も 造 て も 、 法華経の左右に可レ奉 ν立 レ 之 。 又たへたらん人は十方の諸仏普賢菩薩等をも、つ くり書きたてまつるべし。 ︵ 二O
二 ︶ 等と三重に本尊の構想を述べられ、且つ﹁書ても﹂ ﹁造ても﹂と遊ばさる﹄如く、勿論造像の御思召もあったことは 観取出来るが、併し常に日本国中に身の置処なしと仰せられし如く、忍難弘通の御生況に於ては、御造像の時とては.
全く無かったことは、身延御入山後の晩年一尊或は四菩薩の造立の事実に依ても明かである。随って真間釈迦仏供養 は定本の文永七年は、浅川氏等の如く建治六年とすべきであろう。 右の唱題紗に次で本尊の構想並にその理論的根拠を明にせられたのは、二年後の弘長二年の上掲顕詩法紗の真言盗 台 ︵ 二 七 二 ︶ の文、就中四年後の文永四年の法華真言勝劣事で、此紗には先づ華厳・真言の訊惑を述べ、更に台密の 法草真言理同事勝の義に就て、威儀形色経並に油紙経に次で不空の観智儀軌を出して﹁於ニ仏説一者法華経有一一印真弓一口日 歎 ︵ 三O
五 ︶ 等と述べ、政同事勝を以て天台︵台街︶十基一一口︵東常︶の僻見となし、終に華厳真言の盗台の文を挙げ 大日経並諸大乗経之無始無終法身の無始無終也、非二三身之無始無終一。法華経五百堕点、 諸大乗経不 ν 確 、 伽耶之 始成確レ之五百座点也 u 大 日 経 等 諸 大 乗 紅 全 無 ニ 此 義 一 。 ︵ 三O
八 ︶ 自 レ 仏 外 之 天 間 ニ ・ 震 日 一 ・ 日 本 国 之 論 師 人 削 之 中 、 日 ニ 天 台 大 師 一 外 人 師 所 釈 之 中 、 一 念 三 千 之 名 目 無 レ 之 。 若 不 レ 光( 7 )
等と述べ、次で七義を挙げて此経の真言に勝る、よ日を聞かにし、就中その第七日弘に於て 念三千一者性悪之法門無 ν之、性悪之法門知レ之者仏菩薩普現色身、不動愛染等降伏十界之隻茶、三十七尊等同ニ本無 今 有 外 道 之 法 − 。 乃 至 華 厳 澄 観 ・ 真 ニ 一 一 口 一 行 盗 ニ 天 台 所 立 之 義 − 成 ニ 自 宗 義 一 鰍 。 ︵ 三O
九 ﹀ 等と寿量品の三身常住の本仏と天ム口の一念三千とを似拠として、両密の法前十目安茶経たる不空儀軌の附蔵式目安茶羅を一 往十界最茶羅の問拠として容認したることは、主口知川氏三蹴紗に 虚空の中に大日如来を中央として船蔵界の長茶縦断れさせ給ふ。 ︵ 凶 七O
︶ 等と述べられたるを始として、先の益口無長紗︵四一O
︶ 等上掲諸紗に儀軌中心の記述の見ゆるに依て、後の蓮華三昧 経の儀相も儀軌に準じて述べられたことは、報凶山紗︵一二一九︶等の記述に徴して明かである。且つ右の勝劣事の文に依れば、 一 念 三 千 に 依 る 諸 仏 詳 山 憾 の 並 日 現 色 身 に 準 じ て 、 一早く不動愛染の二明王が降伏形と して顕わされて居るが、これ勿論開宗の翌建長六年六月廿五日の二明王感見記︵二ハ︶ に由来するものであろうが、 併しこれが御本尊集第一に、文永八年十月九日﹁相州本間依智郷書之﹂と見ゆる。現存佐前唯一の目安茶羅︵長一尺七 寸七分、巾一尺九分。立本寺蔵、通称楊子御本尊︶には中央首題の両側に二明王が可惇
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、実件げロ号の種子を以 て記され、爾来日女紗に﹁不動・愛染は南北の二方に陣を取り﹂︵二二七五﹀と仰せられし如く、全長茶羅にそれを見 るのであゐ。併し上述の勝劣事には﹁降伏形﹂と述べられているが、併し迷流に当って二明王の擁護を表したとも拝 せ ら る − h が、矢張我等己心の一念三干の仏擁護として、鬼子母神・十経刺と同様に拝すべきであろう。又勝劣事の文 中三十七尊はこれ勿論金剛界の三十七尊なることは、 八宗達目紗に益事三昧経の﹁三十七尊住心城﹂ ︹ 五 六 ﹀ の 文 に 見る如く、これ一往仏菩薩の並日現色身の例として挙げるものと解すべきである。 上述の如く勝劣事には儀軌の外、成儀形色経、翰祇経を挙げて、法華にも印真言のあること証されているが、就中 形色経には法事長茶維の諸尊の威儀形色が説かれ、輸紙経に両部不二の秘経中の秘経といわれ、殊に大日の印真言が 説かれた経であるが、聖人は両経には依らず専ら不空の儀軌に依られたのであるが、儀軌は上述の如く船蔵量茶羅に 依り、中胎八葉を中心の第一氾の仏部とし、以内紛の十二菩薩を第二坦の蓮華部、 四天王不動︵西南隈、愛染なし︶等 の十六尊を第三坦金剛部とせる法華長茶羅である。而して更にこれを一行の所謂﹁今此本地身即是妙法蓮華最深秘 処﹂の意を以て釈したのが、今日智証作と呼ばる L 蓮華三昧経に於ては、上述の如く儀軌の中胎の二仏並坐に代える に、両部不二の大目の化身なる無量寿決定如来を以てし、 妙法蓮華久遠実成如来、本来多宝塔中湛然常住、其名ニ無量寿決定如来−。午結二法界定印二目有一三仏宝冠一、宝冠左.
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有ニ釈迦如来−是胎誠界毘慮逃那如来。右有ニ多宝如来一是金剛界毘虚遺那如来首在ニ塔中−。雲集分身同体自性毘庭過 那 如 来 海 尊 。 ︵ 続 賊 第 三 套 四 一O
︶ 等と中胎を釈し、八英中四方は本化、 四維は誼化の各四菩薩等と、儀軌の遮門宝塔品様式を、全く本門中心に釈され ているが、宗机の大目安茶八品の儀相は儀軌に発し、三昧経の顕密雑乱の儀相の上に、顕僻超過の純法華目安茶維を﹁日 蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟日出位尊・分身の諸仏すりがたきたる本尊﹂︵一三七五︶、 ﹁一念三千の法門をふりす
L ぎ た る 大 目 安 茶 羅 ﹂ ︵五三四︶として造立せられたのである。一、長奈羅に於けるご仏並坐
上述の如く佐前唯一の長茶縦には、首題と二明王のみで左下に御名花押があるが、第二の文永九年六月十六日﹁於ニ 佐渡国一凶レ之﹂の佐後第一に及んで、始めて首題の両側向ってた釈迦右多安の二仏の外二明王花押。第三より第八ま では図出の年月の御記入がなく、共に九年の下に集められているか、第三より第七までは二仏二明王のみで、第三は 御名が右下、花打が左下、第四より第七までは御名は逆に左下、花押が右下となって居る。かくて第八に至って二仏 の外、左に普賢・文殊別行に鬼子母神、左に智積別行十羅利二明王で中央下に御名花押で、花押は金剛大日の積子同 様 の ベ 鎖 ︿ m M M ∼一千を用いられ、就中讃文に妙楽の右に﹁当知身土﹂等十二字、左に﹁称此本理﹂等十二字の御記入が ある故に、通称一念三千御本尊と呼ばれているが、此の讃文は本尊紗の受持一議与の結文︵七一二︶ と同意と併すべき である。かくて九年の最後第九に至って、二仏の外に右に十方分身下に智積、左に遍十方諸仏下に文殊・普賢・十羅 剃。次の側右合利弗・日連・迦菜・初出延・須笠円提の五大泊甲子。 左に大荒天王・釈提桓因。 右第三列右に上行無辺J 行、左に浄行安立行と始めて本化の四大士を列したのであるが、大体以上文永九年に忠はる L 八幅中、前六幅は唱題 紗の第二構想、後の二幅は概ね第三構想︵二
O
二 ︶ に合致するか。最後に四菩薩を加えられて、三昧経の別釈に見 る。木門中心の構想が窺われるが、何れにせよ本尊紗以前の目喫茶羅の未完成梢恕時代のものといわねばならぬ。 更に此に注意すべきことは、右の第八の所謂一念三千御本尊には、首題の両側の向って左釈迦右多宝の上に、左に 多支真言に宝生の種子夜可制 H H 右に釈迦の頼子参ロ官じいが記されて居ることである。これ恐らく上掲の三昧経の法界定 印の決定如来の宝冠の、左釈迦附政大目、右多宝金界大日と見ゆるもので、これは決定如来の左右なる故に、向って は逆に右釈迦左多宝の両密の法長茶羅︵仏全、ゴ一七二七O
、全四六一七二︶の中出二仏の種子を記されたものである。 ﹂れ阿裟縛紗に﹁釈迦多宝左右異義下不レ岡山﹂の下に 一釈迦右多宝左是形也。多宝如レ入ニ禅定一尊左也、釈迦説法主是智右也。定左恵右可レ居事也。 一釈迦左多宝右、多 宝 自 レ 本 坐 一 一 塔 中 一 、 釈 迦 後 入 ν塔 坐 。 仰 問 問 准 一 一 客 人 一 会 v 坐 レ 左 、 世 以 レ 左 為 一 一 上 龍 − 是 饗 応 意 也 。 ︵ 仏 全 、 三 七 二 六 七 ︶ 等と述ぶる如く、前の釈迦右多宝左は三昧経宝冠の意、後の釈迦左多宝右は宝塔品の意である。故に宗祖は両密の長 茶維が、二仏即両部大日不二の立に依り、三昧経に依って入定の多宝五、説法の釈迦右の義に依らず、専ら宝塔品の 本坐の多宝右、後入の釈迦左の此経の立に依られたことはいふまでもない。且つ遺文中には三昧経の如く中尊を決定 如来と述べられたる文は一文もなく、明責訪法滅罪紗の﹁寿量品の釈尊﹂ ︿ 七 八 四 ︶ 、 報恩紗の﹁本門の教主釈尊﹂ ︵一二凶八︶等の如く、中央の題目を以て寿 E R 一 日 間 の 仏 と 解 せ ら れ た の で あ る 。 然るに上述の如く東密に於ては、三昧経に釈迦多宝即両郎不二の大日たる決定如来を中胎の主尊となし、且つ宝塔 品に﹁全身不散如入禅定﹂と説けるより法界定印の決定如来と、多宝如来と、多宝如来と解したのが東密雑乱の中心.
.
である。これ善無畏紗に 法華経の儀軌三二昧経︶には大日経・金剛頂経の両部の大日をぱ左右に立て、法華経の多宝仏をぱ不二の大日と定 めて、両部の大日をば左右の臣下の如くせりハ四一O
︶ とは党禅紗︵仏全、四六一同一一二店但﹂等に見る所である。されば宗祖は報恩砂に、 月氏には教主釈尊宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝成の小の雨の 下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上陀につかせ給ふ。此の大日如来は大日経の肋版界の大日、金剛似経の金剛界 の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従と定め、多宝如来の上陸に教主釈尊居させ給ふ。 ︵ 一 二 一 九 ︶ 等と正しく法華経の上に立たれて、彼一県密を決定如来を多宝如来と釈せる芯に立って、両部大日を多宝如来の郎従と 教主釈尊既五百塵点劫巳来妙党県満仏。大日如来・阿弥陀如来薬師如来等尽十方諸仏、我等本師教主釈尊所従也、 解し、此に断然顕密雑乱の誤と断ったのである。更にこの立を明にしたのが法華取要紗である。即ち全紗に依れば、 天月万水浮是也。華厳経十方台上毘成遮那、 大日経・金剛頂経両界大日如来、宝塔品多宝如来左右脇士也、例如ニ 世王両臣一。此多宝仏寿量品教主釈尊所従也。 ︵ 八 一 二 ︶ 等と重ねてム口密の釈迦大日同体説をも断ち、大口弥陀等尽十万の諸仏を始め、宝塔品の多宝如来をも釈尊の所従と釈 し、不空の儀軌に発した法草川安茶等に於付る雑乱が一掃せられて、寿景品中心の儀相を見るに至ったのである。 されば宗祖の目安茶羅中御本尊集第十八の文永十年本土寺版。並に身延曲 U 存一?師模写第八建治元年十一月には、右の 御釈の実証とも見るべき、中央首題の左釈迦・十方分身・右多宝・普憎の各中間に、三昧経に準じて、左金界大目、 船蔵大日を配列せる憂茶岡地ーは、これ全く両密の雑乱を此経の上に確立した実証と見なければならぬ。更に右の如き多宝如来を釈迦仏の所従となす文としては、文永十年の諸法実相紗に 宝塔品の中の二仏並坐の儀式を作り顕すべき人なし、是即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故也。されば釈 迦多宝の二仏と云ふも問の仏也。妙法蓮華経こそ木仏にては御座候へ。乃至本円寿日以品の右仏たる釈迦仏、述門宝 塔品の時涌出し給ふ多宝仏。 ︵ 七 二 四 ︶ 並に全年の叫責誇法滅非紗に 宝塔口聞の釈迦多宝生寸をば書けども、いまだ寿町口川の釈尊は山寺精舎にましまさず。 ︵ 七 八 四 ︶ 又す︿永十二年の曽谷入道搬許御世に 末 法 留 − 一 置 於 一 大 秘 要 一 、 所 調 法 砧 宇 佐 木 門 久 成 の 釈 尊 、 ︷ 玉 浄 世 界 多 宝 仏 、 於 ニ 大 宝 塔 之 中 一 二 仏 並 座 宛 如 二 日 月 三 十 方 分身諸仏乃至三仏充ニ満於二尊−之儀式。 ︵ 九
OO
︶ 町司と右の取一要紗弘寸の四砂は、何れも宝桔品の二仏並坐を以て受茶叩維の儀相とするが、その釈相は必ずしも一様ではな レ 4 即ち取要紗は﹁寿長教主﹂、実相紗は﹁寿去の士口仏﹂滅罪紗は﹁寿量の釈尊﹂目白川谷紗は﹁久成の釈尊﹂等と、二 れ い J T 単に誼円安堵品の二仏とせず、 一 一 仏 の 問 に 本 語 主 従 の 別 を 分 ち 、 実相紗・減非紗には共に宝塔品の二仏と説く が、菅裕紗は﹁一大秘法﹂、実相紗は﹁妙法蓮草経こそ本仏﹂等と共に一秘の五字に寄せて目安茶羅を説けることは、 許駅八幡紗に開宗以来の弘通を﹁妙法蓮司紅の七字五字﹂ ︵ 一 八 四 四 ︶ と述べ、本尊紗に神力別付を﹁南無妙法蓮華 村 和 五 字 ﹂ ︵ 七 一 二 ︶ と述べらる﹂如く、寿日乱 m 臥木仏は絞に﹁我説燃仏等﹂と説ける。我即ち伽耶の応身、並に諸経 m l J 出 品 仏 は 、 開日妙に﹁諸仏皆釈尊の分身﹂ ︵ 五 七 六 ︶ と説ける故に、実相妙には釈迦多宝を用の二仏、妙法蓮華経本仏 ︵ 七 二 四 ﹀ と説き、更に用の二仏を﹁事相に二仏と聞はれて、宝塔の中にしてうな守つき合ひ給ふ﹂とは、由来宝塔品を証前起後の品となし、 一往証前を謹円本門を起後と釈するが、これは天台の謹門正意の釈で﹁宝塔品より事をこと り、寿量品に説き顕し﹂等ハ八六七﹀ と一部唯本に立つ宗祖は、再往証後の意を塔中のうなづき合ひ、即ち二仏のムロ 議と釈されたものである。その合議の証明とは上掲法華真言勝劣事の所謂﹁三身之無始無終﹂ ︵ 三
O
八 ︶ 即ち寿量品 の古仏で、御義口伝に﹁無作三身宝号南無妙法蓮華経云也﹂ ハ 一 一 六 六 一 一 ︶ と、用の誼仏応身に簡んで題目を以て宝号 とせられたことは、憂茶羅の中尊に依て明かである。随って上拘諸妙に見ゆる誼門の多宝如来に対する、本門釈迦仏 寿量の古仏は畢寛題目を以て表せる、民受茶羅中尊と一体不二と解すべきである。 されば釈迦多宝に就ては上述の如き、誼門中心の用の二仏、並に越本の二仏の釈があり、畢寛観心本尊妙に 其本尊為レ体、塔中妙法蓮華経左右釈辿牟尼仏・多宝仏・釈尊脇士上行等四菩薩。 ︵ 七 一 二 ﹀ 仏として勧請せられたのである。これ正しく上述の両密に於て、三昧経に依て宝塔を法身・多宝︵定︶を報身・釈迦 ( 13 ) 等と釈されたる如く、二仏は笑和紗の如く用の仏として体たる総の本仏に統括せらる﹄と同時に、用の十界の別の二 ︵恩︶を応身と解し、憂奈即粧を以て不二の大日決定如来の、三身即一四土不二の雑乱の釈とは全く別なることは上述 の如くである。されば本尊紗の所謂妙法蓮華経は寿畳所詮の三身即一の寿量本仏、次のニ仏はか﹄る能詮の本門所説 の真笑を証し、重ねて能顕の真実報身を釈尊と、能説の教主に寄せて畢寛十七字を以て、寿量所顕の無作三身の意を 明にしたものである。されば上掲の諸紗に二仏を越本主従の別を以て述べらる﹄も全く此の意に外ならないことは、 関経偏に能詮は報身所詮は法身等と見ゆる所以である。これ輝師が妙宗本尊並に、二仏を姶本二覚並に境智に寄せて 釈 せ る ︵ 全 三 三 四 二 ﹀ も 亦 同 意 で あ る 。四、法
華 経2
ニ本
尊 上述の如く宗祖の本尊は、最初の唱題紗の杭恕中に﹁法華経乃至題目﹂と、能闘の経と能闘の題目とが挙げられ、 佐後に本尊を述べらる﹀に当っては、妙法長茶経供養の﹁妙法蓮華経御本尊﹂ ︵ 六 九 八 ︶ を始め、本尊紗の﹁塔中妙 法蓮華経五字﹂ ︵ 七 三 一 ︶ 実相紗の﹁妙法蓮華経本仏﹂ ︵ 七 二 四 ︶ 新尼御前御返事の ﹁ 五 字 の 大 要 茶 羅 ﹂ を 経 て、弘安元年の本尊問答紗に至っては、末代悪世の凡夫の木尊として﹁法華経の血目を以て本尊とすべし﹂ ︵ 一 五 七 コ一︶と、正しく此経所町の無作三身の宝サたる川旭日本尊たる、大豆奈縦を末法の本尊と定められ、先に唱題紗を与え われた清澄の大衆と同じく、全妙に﹁貫辺は地頭のいかりし時、義城一房とともに清澄寺を出で﹂おはせん人﹂ ︵ 一 五 八 六 ︶ 恐らく浄顕房に大国安奈経御本尊と共に問答紗を送られて、大長茶本尊の封体を明にせられたものである。され ば此紗は前後十三番問答より成り、就中最初の三問答が法華経本尊の根拠、第四以下の次の四問符が、上問八宗違目 砂と同一一論拠に立つ、諸宗本尊に対して題白本尊を取れる所以を明かにし、ゴ一に第八間以下五問答が当時に於ける顕密 雑乱の近因が、弘法の秘蔵全館・十住心論に於ける法華第三戯論、品川にム H 密の慈党の金蘇二経疏、符証の大日経旨帰等 の法華第二の邪義に依り、釈尊・天台の法華経本尊に対し大日如来本尊の邪説の根拠なりと指摘し、 ﹁ 釈 迦 多 宝 十 方 の詰仏に背き三大附を本とすべき鰍﹂ ︵ 一 五 七 六 ﹀ と結び。四に最後の第十三問答に至って、別して先づ弘法等三師 の求法弘通を詳説し、更に三国仏法弘伝史上に於ける、三一師以後四百余年に一日一る顕俗の雑乱を明かにし、終に上掲妙 社仏比丘尼御返事と同様十二歳以来の求法を述べ、 ﹁随分に諸国を修行して:::一切の経論を勘へて十宗に合せたる ハ 一 五 八 一 ﹀ 等と、当時の十宗の旨を明かにし、最後に﹁大日経は法華経より七重下劣の経也﹂ ︵ 一 五 八 二 ︶ と‘ 判 じ 、 か L る邪経に依る仏法の邪正乱る﹄こと四百余年、ために安国論を執筆すと述べ、就中承久の乱は両密邪法の 修法の招く処となし、以て法華経本尊莫定の由来を明かにし、 ﹁ 他 事 を 捨 て − h 此御本尊の御前にして、 二向に後世を いのらせ給ひ候へ﹂ ︵ 一 五 八 七 ﹀ と結ばれている。 右の如く本紗は第十三問答に於て、弘法以来四百余年に
E
る両密の顕密雑乱に依る、法華経本尊の隠淡を明かにし た故に、本紗は最初三問答に於て、先づ、その根拠を明かにするに当 4 て、最初に法華経本尊として題目を定め次に 経文並に人師の釈を挙ぐるに当って、先つ経証として法附品︵不須復安舎利︶、泊目繋経︵如来性品、 ﹁ 諸 仏 所 師 所 謂 法 也 、 是 故 知 米 恭 敬 供 養 、 以 ニ 法 作 巾 − 故 諸 仏 亦 常 ﹂ ハ 正 蔵 一 二 、 五 八 七 ﹀ の両文を挙げ、人師の釈として天台の法華三昧 の法華経本尊を挙げ、次に是等に対する天台等類似本尊として、 一に止観の四種三昧中常行・常坐・非行・非坐の 経 に 依 り ﹁ 欲 レ 見 = 分 身 釈 迦 多 宝 一 者 ﹂ ︵ 正 蔵 四 六 、 一 四 ﹀ 等の文に見るも、別に法華三昧に依れば矢張法華経本尊であ 々昧の弥陀本尊は、文殊間経等磁前禾顕真実の経の故に之を排し、半行半坐方等陀羅経︵正蔵二一、六四五﹀並に普賢 る。二に不空の法華儀軌を上げ﹁宝塔品の文によれり‘此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正怠にあらず﹂ r、、 五 七 四 ﹀ となし、最後に﹁上に挙ぐる所の本尊︵題目︶は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意 也 '-︿ 全 上 ﹀ と、法華経本尊即題目本尊とせられている。右の外両密の法華法の本尊としては、上述の如く東密に於 ては両部不二の多宝仏を取るが、台密には大日間体の釈迦又は弥陀の異説があるが、弥陀仏と取れることは当時念仏 全盛時代なりし故に、儀軌︵三昧経︶の中尊の無量寿決定如来を弥陀即無量寿仏と解した方もあったが、此の義に就 て宗祖は撰時紗にこれを不空の儀軌に由来すとなし 歓智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかけるは眼前の僻見なり竺O
一 一 一 一 ﹀阿弥陀説と不空の僻見と開札している。若しム口密の釈迦正意説としては、静然が行林妙に反に他の普賢説を排して、 専 以 ニ 釈 迦 − 可 レ 為 一 一 本 尊 一 、 所 以 者 何 於 ニ 法 華 経 一 為 ニ 能 説 教 干 一 一 、 於 ニ 同 史 茶 続 五 付 二 中 台 尊 −
U
間 一 一 此 仏 − 求 一 一 他 仏 一 哉 。 乃 至 以 ニ 他 仏 − 為 ↓ 一 本 尊 − 似 ν無 ニ 本 意 − 。 ︵ 正 蔵 七 六 、 一 二 七 ︶ ー等と説けるは、上述の両密の釈迦大日一体の二仏中、左の多宝の定に対する右の智の説法主たる応身仏なる故に、教 主本尊は正志に非ずと同比して、法華経の本尊として題日本尊を取らる所以である。 更に題目を本尊とするに就ては、第四問答以下凶問答に於てこれを明にしているが、先づ第四問答には当時に於け る十宗の本尊を挙げ、倶ふ一口・成山中六・律を釈迦劣応身、法相・コ玉川を釈迦勝・応身・草厳を台上釈迦報身、真言を大日 ︿法身︶浄土を弥陀、禅 h r e 釈迦 ︵ 応 身 ﹀ と な し 、 諸宗悉く仏を本尊とするに、 天台独り法華経を本尊とする義あり ︿ 一 五 七 四 ﹀ と は 、 八宗達目紗に﹁日コ法草宗一外真言等七宗、並浄土宗等以−一釈迦如来−不 v 知 v為 v 父 ﹂ ︵ 五 二 七 ︶ と 同 意であ令。されば又曽谷人道殿許御古には、 所 作 占 拠 誌 三 政 蒙 ニ 閤 魔 王 之 責 一 悔 二 此 道 界 一 、 不 空 三 政 還 渡 ニ 於 天 竺 − 、 捨 ニ ぃ 共 言 一 来 ニ 臨 於 漢 土 一 、 建 ニ 立 天 台 於 戒 坦 − 、 両 日 作 中 央 本 尊 置 ニ 於 法 華 経 一 等 是 也 ﹂ ︵ 八 九 七 ︶ 等とは矢張法華経の本尊は経に依るべき右一乱である。然るに第五問答に於ては儒家の三皇五帝を本尊とする如く、仏 家も亦釈迦を本尊とすべしとなし、第六問答に於ては釈迦を本尊とするに対し、法華経の題目を本尊とするに対し、 上述の経釈に寄せて 私の義にはあらず、釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く、法草経を以て 本尊とする也﹂ ハ 一 五 七 四 ︶等と述べ、法華経を以て﹁釈迦大日総じて十方諸仏﹂の父母即ち能生の故に本尊となすとなし、第七問答に至って普 賢経︵﹁三世諸如来種﹂、 ﹁ 仏 三 種 身 従 − 一 方 等 一 生 ﹂ ︵ の 文 を 引 き 此等の経文、仏は所生・法草経は能生、仏は身也、法華経は神也。然則木像両像の開眼供養は唯法華経にかぎるベ し 。 ﹂ ︵ 一 五 七 五 ﹀ 等と述べ、又先の四条金五日釈迦仏供養事には矢張右の説日賢経を引き、法報応の三身を挙げ 此三身如来をば一切諸仏必ず和具す。警へば月の体は法身、月の光は報身、月の影は応身にたとう。 一 の 月 に 三 の こ と わ り あ り 、 一仏に三身の徳まします。 この五山三身は法平経より外には全く候はず。 故 に 天 台 大 川 一 古 ﹁ 仏 於 三 刊 − 等 有 ニ 一 二 身 − 、 於 一 一 諸 教 中 一 秘 レ 之 不 ν伝 ﹂ 一 エ 々 。 乃 一 主 秘 レ 之 不 レ 伝 と か か れ て 候 ば 、 法華経の寿 H− 一 品 よ り 外 の 一 切 経には、教主釈尊秘して説き給はずとなり。 ︵ 一 一 八 三 ︶ 等とも述べらる﹂如く、経文は仏陀の格証に川市せて説ける故に、報応二身の能託能顕に山合せて、所証所副を三身具足 の法身と説くが、併し所証以後は神力別付の末法弘通の要一法の如く、能生能説の経典に即してその本尊を御義に所調 無作三身の山荒川マと見ゆる如く、題目をも亦本尊と呼ばる﹄所以である。若し本紗に不空の儀軌が見ゆるが、目喫茶羅の ﹁釈迦多宝十方の諸仏の御本尊﹂等と述べらる﹂如く、品交茶羅に於ける根本尊崇の主尊のみに就 語を見ざることは、 て述べられたるが為めである。されば宗祖御入山後常に御本尊を、釈迦仏・法華経又は単に釈迦仏・法華経と遊ばさ れたるは、全く今の問答紗の訟に依て明かである。
五 、
一念三千と本門の本尊
右の如く本門の本尊たる円安茶羅の中尊を題目を以て表し、且つ顕教諸宗の釈尊本尊、浄土の弥陀、真言の大日本尊 等に対し、仏を排して経に依り法師品・浬繋経を経証とし、 ﹁仏は所生・法華経は能生﹂と説かる L より、古来法本 尊説となす向もあるが、併し八宗違日紗には警職品の﹁今此三凶作﹂並に﹁我亦為町父﹂ ︵ 五 二 五 ︶ を引き、更に御本 尊集中文永に一、建治弘安各二は、一裕文として﹁今此三界﹂の文を記さる L 如く、出目は大日経の﹁我党本不生﹂、 金剛頂経の﹁諸法本不性﹂等の文に依る、不生隠符附字体大の大日素法身とは誤り、寿量品に明かなる如く伽耶の応 身、乃至五百塵点実成の報身に即したる無作三身なる故に、諸宗の単取三身随一の仏本尊に対し、能生の法華経に苛 せて所副の無作三身を題目を以て表されたものである。かくて弘法以来四百余年の釈迦大日不二一体、釈迦多宝は両 部大日不二、乃至塔は法身、多宝は報身、釈迦は応身等の一両自由の出密雑乱の本尊を、宝塔品の二仏に還元し、更に両 界の大目を二仏の所従となし、 一往出目法身本門の釈迦報身二仏応身の訟に依り、思十寛報身に即する法身即ち三身即 一寿呈の釈迦を以て本尊とし、報応単取の釈迦に的び、且つ末法弘通の題目を以てその宝号とせる故に、三秘開制の 時は本門の題目は法、本門の本尊に報出紗等の如く教主釈尊の仏を取られるに依て、諸宗の仏本尊に対すれば一作、法 本尊なるも、真言の大日等の法身に対すれば報身の仏本尊なることは明かである。而してか L る本仏の三身即一四士 不二の相を以て、本円の本尊たる大安茶とするのである。されば宗祖はか L る愛茶雑木尊を莫定するに当って、上掲 の八宗達目紗には禅宗を除く八宗を挙げ、 ﹁ 白 ニ 法 華 宗 一 外 真 言 等 七 宗 、 並 浄 土 宗 等 以 ヱ 釈 迦 如 来 一 不 レ 知 レ 為 レ 父 ﹂ ︵ 五 一 一 七 ︶ と 述 べ 、 天台の了念三千を出し次で華厳真言の盗台を詳説し、 蓮 半 三 昧 経 、 仏 政 経 ︿ 五 二 八 ︶ を引き最後に﹁諸宗之是非以 ν 之可 ν札 一 一 明 之 一 也 ﹂ ハ 五 三 二 ︶ と説き、就中上掲の法華真言勝劣事に﹁治不 v立二念三千一者、 十 界 目 安 茶 雑 本 無 A 7 有外道之法﹂ ︵ 三
O
九 ︶ を始め、草木成仏日決の﹁一念三千をふりす h ぎ た る 大 豆 奈 川 純 ﹂ ︵ 五 コ 一 四 ︶ 、 間 目 紗の﹁寿量文底の一念三千﹂ ︵ 五 三 九 ︶ 、 本尊紗始中終一貫の一念三千︵七O
二 ︶ 、実相紗の﹁事の一念三千の法門﹂ ︵ 七 二 四 ︶ 、義浄一房御書の﹁事の一念三千三大秘法﹂ ︵ 七 三O
︶、真問釈迦仏供養の﹁己心の一念三千の仏﹂ ︵ 山 五 七 ﹀ 、 日女紗の﹁一念三千自愛用身﹂ ︵ 一 三 七 五 ︶ 等と見ゆる如く、我が三身即一四士不二の大長茶に、全く木門寿 日”の事の一念三千即ち本尊紗に所前﹁所化同体﹂ 利の理事の広説話古境行の境の下所組事理に所依本尊﹁是如−一本尊弁一﹂ ︵ 七 三 一 ﹀ の上に説かれたものである。これ帥川が一念三千品川の十 ハ 全 ゴ 二C
二 一 ︶ と 述 べ た る 所 以 で あ る 。 されば上述の如く弘長二年の顕語、松紗以来諸宗の盗ム口を紋説し、終に開目紗に至って、 古都厳宗と真言との二宗は、総に盗んで臼宗の骨目とせり。 一 念 コ 一 干 の 法 門 は 但 法 草 経 本 門 寿 口 一 旦 品 の 文 の 底 に し ず つ め た り 。 ︵ 五 三 七 ︶ 等と述べ、更に誼本縁末理事の差降を明し、後に寿日品の﹁我実成仏以来﹂の文を引き、次で華厳・阿含・浄名・大 集・大日・仁王・無量義経・方便品の﹁我始坐道場﹂等の文を挙げ、 一一吉に大虚妄なりとやぶるも人なり。此過去市制はる h 時 諮 仏 は 山 口 釈 尊 の 分 身 な り 、 ︵ 五 七 六 ︶ 等と諸経の諸仏を悉く釈尊の分身となし。更に 法華経の種に依て天親菩薩は積子無上を立てたり、天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経大日経等の諸尊 の種子は皆一念三千なり。乃至法華経と大日経との勝劣と判ずる時、理同事勝の釈をつくれり、両界の目安茶羅のニ 乗作仏・十界互具は、 一定大日経にありや、第一の諒惑なり。 ハ 五 七 九 ︶等と両密の理同事勝等の釈は、悉く顕密雑乱本無今有の邪説となし。更に開日紗に次で一念三千に依り、木門の本尊 の意を明にしたのが観心本尊紗である。 きれば本尊紗は開巻第一に天台の一念三千を挙げ、第九番問答に至って百界千如と一念三干の同巽を明にし、 草 木之上不 ν置 一 一 色 心 因 果 一 木 削 像 十 本 レ 時 二 本 尊 − 無 益 山 ﹂ ︵ 七
O
三 ︶ と説き、一史に十番問符に経て次第に彼の理観を事観に 会 し 、 ﹁所詮非二念二一千仏称−者、有情成仏本一同二像之本尊有名無笑也﹂ ハ 七 一 一 ︶ と述べ、第二十番問答に至り無 主義経・方便口 m ・担架紅・龍樹︵大論︶ − 四 ぺ 一 州 玄 義 記 ︵ 均 正 ︶ 士 口 蔵 ︵ 遊 烹 ︶ 天 台 ︵ 玄 義 ︶ の 杭 疏 の 七 文 を 引 き 、 釈 尊同行呆徳﹂等ハ七一一︶ の三十三千に寄せて受持一政与を説き、最後に妙楽の﹁当知身土一念三千﹂等の理観結成の 二十四字を随義転用して、受持に似る事観結成の義を明かにし、次で諸経の浄土派に訪仏を悉く無常となし、寿量品 の﹁我此土安穏、天人前充満﹂の訟に依り﹁今本時﹂等の四十五字︵七三一︶ に背せて、此経の事の一念三千の実義 を引かにし、妙法五字に結べる神力別付の法となし、次で五字日正足の一念三千仏界総起の長茶羅を、﹁共本尊為 ν 体 ﹂ 与の八十九字に育て始めて本門の本尊大目安茶維を明らかにせられたのである。ポし御十午前吋集の文永九年第八の岳民茶羅 に、右の妙楽の文を詰 J X と せ る は 、 受 持 一 諒 与 の v J 処↑共同仏供養の﹁事の一念三千の仏﹂、即ふり仏界縁起の曇茶経の北日 現色身に外ならないからである。 かくて右の木尊の本尊を共現せられたのが、文永九年七月八日の所相佐波始闘の大 目 安 み 羅 で あ る 。 此の目安茶縦は目て身延に珍蔵せられたが、明治八年烏有に帰したが、幸往年速泊亨松写が御本尊写真帖第一に伝え られているが ﹁五十二歳佐渡、此本尊宗祖発給之大長奈雑也、絹地巾二尺八寸一分、長さ五尺八寸二分、外妙讃有 之、裏金同慶長十四日酉仲夏日速﹂とあり、玉沢域雲追師所前、明治叶七年八月写伝左の如くである。~曜豆ポtr~ 母E
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2
税制隙う刊室主主南無持国天王
南無無辺行菩薩
南
無
上
行
菩
薩
南
無
差
口
徳
等
諸
仏
制−−<i尽~南
無
多
宝
如
来
南
無
~~~材陣盟議南無釈迦牟尼仏
南無分身等諸仏
南
無
浄
行
菩
薩
南無安立行菩薩
南無毘沙門天王
不動明王
︵林ん字︶ 南無阿修羅王等 南無四輪王 南無大日天等 南 無 大 林 凡 天 王 等 南無文殊弥制等妙
法
蓮
華
経
南 川 出 品 一 口 利 弗 等 口 口 南無釈捉相閃等 南 側 ⋮ 大 月 天 等 南無天照八幡等愛染明王
︵
党
字
︶
南無広目天王
南 無 天 台 大 師 南 無 較 婆 南 無 見 草 婆 南 無 曲 歯 南 幅 一 華 歯 南無尽歯 南 側 ⋮ 鬼 子 母 神 南 無 多 留 置 南 無 無 献 足 南 無 持 胡 岐 路 南 無 山 年 諦 南無奪一切精気 南 無 伝 教 大 師 太 才 女永八年辛末九月十二 日 葉 一 御 勘 気 一 遠 一 流 佐 渡 同 一 、 同 十 年 大 才 笑 酉 七 月 八 日 図 レ 之日
蓮
此法華経大憂茶羅 仏滅後二千二百余年 一 閣 浮 提 之 内 未 曽 有 レ 之 日 蓮 始 図 レ 之花
﹁如来現在、猟多怨嫉 況減度後﹂、法華弘通 之 故 杏 扇 町 難 一 事 仏 語 不 レ 慮 也南無増長天王
十
甲
か L る大長茶羅は上述の如く、遺文中随処に不空の儀軌等の見ゆるにより、出国軌をの胎蔵式コ一一章受茶羅を襲用し、 彼の絵目安奈経或は種子に依る法長奈維を文字回受茶維となし、且つ彼の平面式と立体式としたもので、中央の旭日は中 台一両側最上坦の二仏・善徳十方・本化四大士は八葉諸尊は最上組、第二到一の遮化・戸闘・焚釈・日月天等は中品川一の通 市部、第三坦の克子母・十羅刺人師・四天王・二明王は下刊一の金剛部に相等するのである。且つ仏部の善徳十方は結 桂 川 L 依ることは、本尊紗の八品に異り広く法華三郎により、就中金剛部四天王中持同昆沙門の二天故に克子母・十羅 刺は陀羅尼品に見ゆるが、四天王は総じて依軌、二明王巾不動は儀軌に見ゆるが、要するに二明王は真言の修法に由 来、且つ建長感見の凶縁に依り上述
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如く﹁降伏形﹂ ハ 三O
九 ︶ として列せられた。就中天照八幡の同神は恐らく、 小 力 、 ん が 山 の 普 通 広 釈 の 広 願 の 下 に ﹁ 天 神 地 祇 衆 ﹂ ︵ 圧 政 七 四 七 七 九 ︶ とある等に由来するものであろう。併し問日紗には ﹁ 1苧厳大日経等諸尊の種子は皆一念三千なり﹂ ︵ 五 七 九 ﹀ と も 、 草木成仏口決には既に草にも木にもなる仏﹂ ︵ 五 と 仰 せ ら れ 、 院 虫 と 出 印 し て 蓑 虫 を 仏 に す る ﹂ とも遊ばさる h 如く二念三千義に依れば十界の依正何物か陥つべきものがあろう。されば本尊紗には一 四 条 金 五 円 許 御 文 に は ﹁ 龍 樹 笠 n 薩 は 法 華 経 の 不 忠 議 を 古 一 円 き 給 ふ に 、 ︵ 一 八 二 五 ﹀ 作十本門八品に寄せて円安一茶羅を述べられたが、併し建治三年の日女御前御返事には、 ﹁日蓮が自作にはあらず、多宝塔 小入牟尼位尊分身の諸仏すりがたきたる本尊也﹂ ︵ 一 三 七 五 ︶ と 述 べ 、 首題の五字は中央にか h り 、 四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦多宝木化の四十音薩肩を政ぺ ︵仏部︶、普賢・文殊 等舎利弗白連等を坐屈し、日天・月天・第六天の魔王・龍王・阿修縦︵法華部︶、其外不動・愛染は南北の二方に 陣を取り、悪逆の途多・愚痴の龍女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ思鬼たる鬼子母神十羅剃女等、加之日 本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩、天神七代地神五代の神々総じて大小の神祇等体の神つらなる。其余の用の神宣もるべけんや。是等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆一人ももれず、此御本尊に住し給ひ、妙 法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊と申す也。 ハ 一 三 七 五 ﹀ 等とは、当時図胤を具説せられたものであろう。更にかくの如き長茶維の依文として、諸法実相紗並に左の日女紗に は、共に方便品の﹁諸法実﹂、 令 排 出 川 の ﹁ 十 界 必 身 土 ﹂ 、 並に天台の文として ﹁ 実 相 深 理 本 有 妙 法 蓮 華 経 ﹂ の 三 文 が引かれ、就中日女紗には、更に伝教の文として﹁一念三千自愛用身、 自愛用身者出尊形仏﹂ ︵ 一 三 五 七 ・ 御義口伝 二六七一二帖紗円教三身下︶の文を引かれたることは、実相紗に﹁法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし﹂ ﹁是即本門寿量品の事の一念三干の法門﹂等と遊ばさる h 如く、妙法蓮華経の大憂茶維が事の一念三千、生仏同体・仏 界縁起の本有の尊形なる故に、 ﹁ 未 , 官 有 の 大 貝 喫 茶 縦 ﹂ と も 、 ﹁一闇浮提弟一の御本尊﹂とも仰せられた所以である。
六、三大秘法と長奈羅本尊の意図
宗祖末法弘通の正意は神力別付の題目にあったが、佐後に至っては法草取要紗に﹁我門弟順縁、日本国逆縁﹂ r、
/¥ 一 六 ﹀ と見ゆる如く、順縁の子坦には目安奈縦本尊を授与せられたが、常に別付の要法に寄せられたることは、妙法長 茶雑供養事に﹁妙法蓮華経の御本尊﹂ ︵ 六 九 八 ︶ 、本尊紗の﹁塔中妙法蓮華経﹂ ︵ 七 一 二 ︶ 、実相紗の﹁法界のすが た妙法起華経の五字﹂ ︵ 七 二 四 ︶ 、回仏未来記の﹁本門本尊妙法五字﹂ ︵ 七 四O
﹀、白谷紗に﹁一大秘法﹂ ︵ 九OO
︶ 白女紗に﹁首題の五字﹂ ︿ 一 三 七 五 ︶ 、問答紗の﹁法華経の地目﹂ ︵ 一 五 七 三 ︶ 等と、小尊又は総相を説かれたるに 依て明かである。 これ寿最品に滅後の衆生を失心不失心の二類に分ち、 失心に対しては ﹁是好良薬今留在此乃至遺 使還告﹂等と説かるるに依るのであゐが、然し不失心に対しては﹁此大良薬色香美味皆悉具足﹂とも説かる L 故 に 、義浄一房御室百には自らに寄せられて、寿註品の﹁一心欲見仏、不自惜身命﹂の文を挙げて、 日蓮の己心の仏界を此文に依て叫す山 o H ハ故は寿回収品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。︵七三
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﹀ 等と述べらる L 如く、末法一同の辺紋下杭の五字は、順械に於ては南無妙法起草経の七宇となり、真言の三密を亡国 の邪法となし、立正安国の三秘の妙行が以開せられるからである。これ本尊紗の妙観段に受持譲与に次で本門の本尊 が述べられ、流通段に至って﹁事行の南無妙法蓮華経並木門本尊未ニ広行一レ之﹂ ︵ 七 一 九 ︶ 等 と 、 順 縁 の 受 持 に コ 一 秘 の 二法を明にせられし如く、上利の諸紗も出目と同じく、要法の五字を以って表せられ、ことに問答紗の義に依られた るがためである。 かくて本尊紗御撰述の翌五月、上初義浄一房御告に始めて三秘の説を見、更に翌月の顕仏米米記には﹁本門本尊妙法蓮 華 経 令 四 広 − 一 山 岳 侃 三 布 於 閥 浮 提 一 鰍 ﹂ ︵ 七 問O
︶ と − 品 交 ﹂ 、 三 − 又翌月の沼木入道殿御返事には﹁寿長品仏与コ妙法五字乙 七 白 四 ﹀ とも、波木井三郎股御返事には﹁本門教主寺塔・:妙法法華経五字﹂ ︵七八四︶等と何れも三秘の二法を説き、 十二月の法華行者値難事には﹁本門本尊与ニ四菩降戒坦一南無妙法蓮華経五字﹂ ︵ 七 九 八 ﹀ と、始めて三秘を具説せら れているが、右の﹁四菩院の戒刈一﹂とはこれ先の本尊紗の流通段の末尾に、 ﹁ 此 時 地 涌 千 界 出 現 本 門 釈 尊 為 ニ 脇 士 一 、 一閤浮提第一本尊可レ立−一此凶こ等と述べらる﹂を、従来本円本尊の意と解するが、併し流通段の末法広布の下なる より、四海帰妙に依る本門戒氾の斡説をM m
すべきであろう、これ輝師も本尊弁に﹁如ニ後文−者或為コ別意一、至ニ前文− 則 直 銘 ニ 目 安 茶 縦 一 知 山 v疑 鍬 ﹂ ︵ 全 、 一 二 三 二 六 ︶ 等 と 述 べ ら る L 所以であろう。 それ全年の法華取要紗︵八一五︶にも三秘 を説き、かくて建治二年の報恩妙に至って 日本乃至一閲咋提一向に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所前宝塔の中の釈迦多宝外の諸仏、 U U に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒担。三には一同に他事をすて﹂南無妙法蓮華経と唱ふべし。 ︵ 一 二 凶 八 ︶ 雄一すと述べらる﹄如く、単に本尊を説く時には妙法五字を以てするが、三秘の二法乃至三法を具説する時には、題目の 五字の要法に対して、本尊を木門の本尊
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は定量品の釈尊等と、題目の法に対して仏を以て本尊とせることは、本尊 鈴に﹁妙法蓮草経左右釈辿多支釈尊脇士、乃至此仏倣﹂ ︵ 七 一 二 ︶ 等と説ける如く、一一一身具足の法身仏を以てせるこ とは、日女紗の﹁首題の五字﹂、問符紗の﹁法華経の出は﹂等と説けるも全く同意である。 然らば何故に実相紗に﹁法界のすがた妙法在筈経心五千︶と汎き、本尊紗には本円八口叩の儀相と説かれて目安茶羅本 尊を莫定せられたるかは、浄土宗に於て念仏に依て弥陀の浄土の似生を則する如く、宗組は本門八品に出われたる浄 土 を 本 尊 と し 、 唱題に依て裟婆即寂光を期するにあったことは、 同教の判ー持たる安凶論に妙法広布に依る ﹁ 三 界 仏 国﹂を期し、報思紗には、 ﹁極楽百年の修行は楠土一日の功に及ばず﹂ 三三凶九︶と念仏往生を肱し、本尊紗の﹁所 化同体﹂の上に広布と説き、如説修行紗には﹁天下回民諸釆一仏来乃至人法不名不死﹂等と説き、就小法華取要紗に は ﹁ 出 ニ 現 上 行 等 聖 人 一 、 本 円 三 法 円 建 ユ 立 之 − 、 一回天四海一同妙法蓮草経広宣流布無レ疑者欺﹂ ︵ 八 一 八 ︶ 等 と 述 べ ら れ た る は 、 本 尊 紗 の 末 尾 に 上 述 の 如 く 、 四 刊 汁 一 隊 出 現 に 依 り 本 尊 建 丸 一 即 ち 戒 州 一 の け パ 現 を 期 せ ら れ た る に 依 て 明 か で あ る 。 とれ諸法実相紗に、 口蓮一人はじめに南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へったふるなり、剰へ広宣流布の時は一同 に南無妙法廷辛経と唱へん事は、大地を的とするなるべし。 ︵ 七 二 七 ︶ と述べ、又撰時紗には、 日蓮が法華経を信じ始めしは、 日本凶には一滴一一徴照のごとし、法華経乞二又三人十人百千万億人唱え伝ふるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大担架の大海ともなるべし、仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。 ︵ 一
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五 四 ︶ 等と説かる L 如く、宗祖の四海帰妙の理似は本川八日間の浄土佐に所前﹁我此土安穏、天人市充満﹂と説ける如き、楽 土、即ち総勘文紗に 極楽者、十方法界正報有情、十方法界依報国土、和合一体三身即一、 四土不二法身一仏、 十 界 為 レ 体 法 身 、 十 凶 作 為 レ 心 報 身 也 、 十 界 為 レ 形 応 身 也 。 十 界 外 細 川 レ 仏 、 仏 外 無 二 十 界 一 、 依 正 不 二 身 土 不 二 、 以 二 仏 体 一 云 ユ 寂 光 土 一 。 ︵ 一 六 九 二 ︶ 等と説ける楽土の実現を以て、四海帰妙に依る本川の成坦の完成即ち建立の怠を解すべきである。されば遺文中古米 より真偽の論ある三秘紗の外に他に何等戒地控立等の文を見ざるのみならず、報凶山紗に三秘を日月説せる文中戒坦に就 ては単に﹁こには本門戒坦﹂とのみ述べられて、何等その形相等に就て述べざるは、戒則一は小権の戒叩一乃至叡山円峨 戒岨に見る如き、受戒の道場建立にあらずして、神力品に﹁如説修行所在国土汁至国中林中山谷順野﹂等と説げる如 く、如説修行の行者の住処即分の戒坦で、 ﹁二人三人十人百千万億人唱へ伝へ﹂て、四海帰妙の時を以て尚の戒川一を 期すべきである。英述、戒州一本ー尊の義あるに拘らず、富士門流等に於て勝地事坦建立の妄説は、全く机意に反するこ とは明かである。七、長奈羅とその相貌
上述の如く技本尊即長一茶維は、真言並に党証以来法華唯一の儀軌たる、不空一の儀軌を中心とせる法華法の顕密雑乱 い 山 内 見 奈 , 組 を 、 天 台 の 一 念 ゴ 一 千 義 に 依 り 正 し く 本 門 八 日 間 の 儀 相 と し て 、 仏 凶 作 縁 起 の 上 に 統 括 せ ら れ た 過 程 を 、 広 く 遺 文 の上に求め、コ一秘の妙行に依て四海帰命への依止処として、その一斑を述べたのであるが、勿論さりとて造縁を否定す るものではない。然らばか h る四海帰妙即ち法界成仏の依止処たる目安安羅は、御生涯川市して何耐図出せられ、更にそ の相貌は如何様なりしかに就てこれを見るに、現に上述の如く片川氏の御本尊集の一二三一附と、身延品目存述山古了師棋 写の二四幅︵二八幅中五、七、一一七、二八の四幅は前者と重複︶と計一四七一帆が数へられる。勿論これ等は時代に依 り共略一様ではないが、その時代的変選は桜神第廿二号の抑制﹁大昆茶経儀相の研究﹂の附図に依て知られたい。ムソ は此に是等に就て図顕年代、 観 請 式 、 主文、花押に就て之の大綱を述べることにする。
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六 五 右の一二四幅中御凶凶作次なきもの一九で、一市文小他の語文あるも、疋像未弘の大円由民茶維の讃文なきもの四三、大 本場と認められたゐもの文永十一年十二川の波本山中岡山川で、現似仲間妙木寺政︵御本尊集第十六︶の一幅を見るので あ る 。 且つ御本尊集小にはす人永八年最初のを初子御本尊、 第八を一念三千御本尊等と通称せられるものに、 文永に 五−建治に六、弘安に七の十八を数える如く、迫文と同椋木宗に於ては弦茶縦とも木尊とも呼ばれることは今日も同 株である。又布の通称に依れば一念三千、ムブ此三凶作、病即消滅、祈務等詰文に依て呼ばれている。か L る経疏の讃文とL
て は 州 知 E恩義経の﹁四十余年末川山真実﹂を始め、方便品の﹁要当説呉笑﹂、聖職 u m の ﹁ ム 7 此三界﹂、法師口聞の﹁若於 一 一 割 中 ﹂ 、 ﹁ 巳 今 当 説 ﹂ 、 ﹁ 猶 多 怨 嫉 ﹂ 、 の 三 文 、 宝 塔 口 問 の ﹁ 背 是 ↓ 以 笑 ﹂ 、 安 楽 行 日 間 の ﹁ 多 怨 刻 信 ﹂ 、 寿 日 一 旦 品 の ﹁ 余 止︿化者﹂、 ﹁是灯良薬﹂の二文、神力口聞の﹁四句要法﹂、薬王口川﹁病之是薬﹂、担架経如来竹品の﹁諸仏所師﹂、病 現品の﹁か是一二病﹂︵正政二一四三ご、党行口山の﹁而有七子﹂ ︵ 人 丁 上 四 三 一 ︶ の コ 二 V ︿ 、 釈 畿 の ﹁ 巳 ム 7 当 妙 ﹂ ︵ 三 下 三七︶、文句記の﹁頭破七分﹂ ハ 一
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四 二 ︶ 輔行の﹁当知身土﹂ ︵ 五 ノ 三 二O
左 ︶ 、 依源集の﹁持者問罪於無間﹂ ︵ A 1 エ 二 六O
四︶等単複二三所にこれを見るが、右の釦く何れも諸経の一致文と、信誇の要文のみである。 次に長事羅図顕の変遷の上に就ては、上述の如く最初佐前の郎日二明王に発し、佐渡に至って引っ二仏を加え、文 殊普賢、見子、剃女に及び四菩院を加える等、概ね唱題紗の杭恕に合致する様である。終に文永十年本尊紗の撰述と なり、人エ年に所詰佐渡始顕となったのであるが、木尊紗には八日間の儀相と説かれたが、始顕本尊は報山内山紗に﹁釈迦、 多 宝 外 の 訪 仏 ﹂ ハ 一 二 四 八 ︶ 宅と見るかく、広く法草三部に依られて誉総十方を仏部に加えられているが要するに勧詰 式に就ては叉永時代は総帰命、恕治以後は四聖帰命であるが、勿論説尊に就ては広路要必ずしも一様ではないが、就中、 引 い 部 に 就 て 見 れ ば 、 叉 、 永 、 建 治 に は 菩 紙 、 十 万 を 見 る が 、 弘 安 日 付 依 は λ f jく之を除き、本円八口叩のむく二仏四弘前のみとな かくの釦く弘安に至つては、全︿八日聞の儀作を中心として純法部長謀総となっためであるが、此の時に至って更に ~ ﹃たのであるcT
し文永楚比に見ゆる一向都大日はこれ全く駒山首抑制乱を加却した取委卸等の芯に仏られたものである。 −つの愛牝は、往年山川樗士に什似て託児せられた、長引先縦に於ける荘判の作近である c 此の和泣は独りロ反発縦のみで なく、道又の上のれ杵に於ても見らる− h ことは、きねて鮮木教授が大前年縦三C
二︶号に実罰せられてレる P 即ち動本 噂に於ては弘宏一死年四月廿一日、3
本ゴ寸政優婆牢日専授与の恥仰木尊集第四八まで、迫文に於ては全年五月廿二日の訴同 御告までは、金剛界の大日の和子守鐙︿戸空子を問レ。 又仰木尊は人ゴ年七月実和寺恥の伽本尊家釦む九、道又は人工今六月 廿二日の目女御前和返事以後は、両部不二一字金将の大日の称子戎勃噌臨σ
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に安ったことである c これに対し ては宗祖御自身に於ては、遺文等にも何等伽説明も見なレ故に何故かは全くこれを知ることは出来なレが、時真一 τ 一 口 帥 が 多く焚字を花押の代りに使用せるに mおったことは確かであるcE
つ中関に於ては署名を草告で普くことから紅ったとい ふ 如 く 、 党字の花押は悉昌宏字の草書体といえよう、 往古に花押を署名に代えたのが、後世は署名と重複して用いら る L に至ったといひ、 又花押は草書以外に縁起よい字或は、 正反対の字を用いたともいはれている。これに就ては撰 時紗に三度の高名の下に 殊に真言宗が此国土の大るなわざはひにて候なり、大蒙古を制伏せん事京三一い叫に仰せ付けらるべからず。若大事を 真言師調伏するならば、 いよ/\いそいで此酎ほろぶベし。 ハ −