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この神通は四﹂仰の理を観じ修して得た智慧力が漏尽智通でこれを得て悟りを聞くとされている︒漏とは相似のこ
とであり︑煩似断尽の後に得られる神通知H意力であゐから︑仏教の目的そのものであり︑前の五神通とは村泊ζい
っても自ら起を異にするようである︒
又︑倶舎前には宿命︑天限︑漏尽の一二辺を三明と名づけるのは︑三際の間以を浪治するからであり︑一一一際の
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三位の生死の苦しみに迷ふことでありそれを明了に断ずるからであると説かれている︒
似合論第二十七に
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山に
六柏
あり
︑
一には神境智託述︑二には天眼智託辺︑ゴ一には天耳容証辺︑
四に
は他
心知
日日
辺︑
五には日住山念
ハ通の中︑第六は唯聖のみなりと雌も︑然も共の前の五は川共生も亦付す﹂とあって︑漏尽通は聖者の一山幻であっ
( 81 )
知け
託通
︑ ハに は漏 尽智 一汁 通な り︒
て別扱いとなっている︒そして前五神通は凡夫も得られ︑児八生といって山神蓄類等も得られるとされている︒あな
がち仏や悟りを聞いた阿続出でなくてもねられるとされる︒
大知日度論第二十八にも﹁五一泊は是れ注目院の所付なり︑今六神通に住せんと欲すと言うは是れ仏の所得なり﹂とい
司て耐尽通を九円む六和通を仏のみの得るところであって五利通を別に扱うのである︒
同系列のものが法不経序口聞と詐臨
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とに述べられ五泊ハ辺についての名目が見えている︒
又︑南伝大政経六十三には五利泊について詳説し﹁村変︑天耳界智︑他心智︑宿住陥念智︵宿命活︶有情死生
智︵a天眼通︶の五の慨間的神通﹂とあって︑五神通を以て低俗的活力としている︒
故に漏尽通は仏教独自のものであり︑漏を尽した阿羅漢と仏の備えるものであり︑五通は凡慌の仏弟子も外道等
も程度の差はあっても具えることが出来たようである︒︵仏所行讃受祇恒精舎品第二十には外道のことを五一山神仙
子と記してある︶
り丹
︑修
道 と 神 通
阿総渓は三明六通をその資格として見えているといわれ︑又実際に諸経典には阿総淀川町をねたところの仏治子は皆
何等かの形で神通を行っている︒
神通力は仏教の目的である生死迷妄の世界を離れて間禁の境地に達しようとする修道にどうレう意義をもつであら
うか
︒
( 82 )
神通力は南伝六十三に依ると﹁定の特別自には神通の功徳あり﹂とあって︑禅定に入って心の訓練の浅深の程度によ
﹃て程々の神通が得られると説かれている︒道を求めて行ずる精神統一のための禅定を修するときにその功徳として
与えられるものであるようである︒
法華経に﹁欲を離れ︑常に空間に処し︑深く禅定を修して五神通をねるを見る﹂とあるのも禅定によって神通力を
ねていることを物語っている︒換言すれば︑修道の副略物としての所産であって︑修道の目的として修めるもので
はない様である︒
②
③
むしろ釈尊のとった態度は神通を禁止されていられるのである︒釈尊自身事火外道であった三迦葉を帰伏させた折④ とか︑初利天に登られて生母に教を垂れさせた時には神通を行ったとあるが︑それは大智度論二十八に﹁五欲を離れ
詩禅を得て︑慈悲あるが故に衆生の為に神通を取って諸の希有奇特の事を現じ︑衆生の心をして清浄ならしむ︒何と
なれば︑若し希有の事無くんば多くの衆生をして得せしむること能はざればなり﹂とあるように︑それは衆生誘引の
ための方便として用いられたのであり︑いたづらに奇特の神通をひけらかしたのではない︒
このことは神通を尊としとする人達や︑神通に依って導きがなければ度し件ないときに︑神通の正しく行える上足の@
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P︶尊者等によって行われ︑外道を調伏せしめられているのを見ても
神通力は衆生誘引のために行われたのである︒
故に神通力は人々に誇示して何等かの為に神通を得て神通を行うのではなく︑衆生済度の一助として行い又在るの
であ
る︒
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ヴァダッタ︵ロミ主主宮︶の神通く83)
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lヴァダッタの性格と神通
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デlヴァダッタはかなりの高年に述しても聖県を件なかったらしい︒デlヴァダッタと同じ頃出家した釈迦族の抜
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ニロの六人は阿羅漢
となったが︑デ1ヴァダッタのみが煩悩を断尽することが出来なかったらしい︒﹁六人漏尽件阿羅漢︑阿難侍仏不尽
諸漏調達一人空無所獲﹂
︵五 分律 巻三
︶
経典には︑デ|ヴァダッタが出家后他の仏弟子と同様熱心に修道した有様が記されている︒
﹁調達出家し︑比丘と作り十二年中善心修行し︑経を読み経を諭し疑を問ひ法を受け坐禅せりその時仏の所説の法を
皆悉く読諭す﹂十詞律三十六
﹁六万の法皿作を請し精神修行して十二年に満つ﹂大智度論
デiヴァダッタも多年にわたって精進して怠らなかったようであるが︑仙の上﹂
の弟子に比べて仲々迫を件られなM m
かったようである︒
一 ア lヴァダッタも釈尊と同じ釈杭の出身であり︑同じ刺惰利階級でもあるので︑教団内においても尊敬されても居
たであらうし︑又日身心中では相当の日負するところがあったと思われる︒後に神一泊を以て阿剛山太子の供養を何て・
仏と対立するようになってから白騎となって表白している仏に対する態度に
﹁砂 川患 い安 定
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に ︶
は和性我れに勝れず︑
彼の 竹田 佳誌 にし て釈
R家に生る︑我れ亦性程い訟にして釈家に生る﹂
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﹁我れに三十相あり︑仏に減ずること未だ幾ばくならず・::・若し大衆制約せば仏と何ぞ異らん﹂
︵大 智度 論二 十八
︶
心84)
調枠三十六︶と︑あり又
とのデlウァタッタの釈尊と同格制するまでになった惰慢の心が︑何等の形で以前から心中に巣食っていたからこそ
修道の念も怠たり勝ちであったのではないかと思われる︒
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ヴァダッタのこのような恨の心に加えて︑嫉心や名聞利養の念に強かった性格であったということはジャ1タ
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