}Jg 頭 霊k 観 論 七四
B
U
頭
数
観
論
回
遼
正
知
第 章 綿 論 第一節 題 轄 との題躍は甚だ困難である。それは阻害金睦に丘って解醐押せねばならぬからであるが、今はたどその大略を要越す る も の で あ る 。 本化別闘の敬観とは、越化の敬一観に簡んで、とれと同等に非る旨 b L 普 一 口 一 家 せ し も の に し て 、 換 苧 一 一 目 す れ ば 、 宗 祖 日 蓮 袈 人の御弘通遊ばされし敬観は‘天台‘倖敬等の唱導せられし敬観とは異りある乙とを表明したのである。 本化と呼ぶは語化と直分し・別頑と稿ふは﹁涌出口問﹂の別命、﹁神力品﹂の別誓別付に基けるものにして、宗起の化 導 b L 稀揚したる諾である。所謂﹁文句﹂の第九巻に別顧散化とあるは是である。 敬観とは救は敬相にして樺隼一代の説法を判稽分類せしもの、その説明的解轄を極めで公平に通覧すれば、大乗、 小乗、櫨敬、賓獄、顕致、密敬、等が一目の下に瞭然として解るのでるる。而してそとを宗甑の鯛眼にて細夫漏さ十 大判宏樺せられ、以てその弘訟の所依たるべきの経典を指示せられたるを一五ふのである o 観とは観心にして敬相研究に所依の経典を定め、更に百尺竿頭一歩を進めて質修賓行の境に入り、敬相所詮の毘理を韓認して賓際の正法正義を 修得する、之れ則ち宗祖の正法弘通の正意たる観心である。 第 = 節 第 三 の 法 門 祖師日蓮大聖火が鎌倉時代の四魔紛然たる悌敢界に立給ひて、本化別頭の宗旨を建設せらる h k 営りでは、共布敬 の方法も亦随て一準にはゆくべくも泣かった。乃ち組書﹁三津抄﹂に依て宗組一代の化導の弐第を瞥めて見るに、仕作 渡巴前と砕﹁渡在島中と、佐渡己後との医別が明かに認められる。所謂佐前佐後によって法門敬義に洩探があるのであ る。されば吾人は一様に之が研究を忽にすべからざるは無論であって、況してや一般の宗曲学者が異論なく分別して、 佐渡巴前は序分、在島は正宗分、佐渡巳後は流誼分と一再ふに於てをやである。而して其の聞に一貫せる主義の主張せ ら る a A ものが怠ければならねととは叉営然である。佐前は樫賓相劃忙して、諸宗の邪義を問責するにも、亦自己の主 義 b L稜表せらる L にも、従容として猫ほ謹底を聾されないかの謹あるも.決して天台、惇散の飴流を酌むで甘じられ たのでは左い。叉叡山の台密、東寺高野の虞言を崇拝して、世人を時過したのでも友い。営初より此等の諸宗義と別 なる所の本化的眼光の下に、別頭の敷観を有して居広れたのである。故に十八歳より三十二歳まで、鎌倉、叡山、南 都、高野に m 目撃せられたる白結果は遂に新たに本化別頭の宗旨を創唱せざるを得ないと云ふ場合に及んだのである。 そは建長五年四月サ八日故郷房州清澄寺に於て四衆を集めて聞大格言を呼披し給ひし時、巴に本化別問の主義主張の 峻乎として抜くべからざる、前代諸宗の見解に異るものあ却しゃ明かである。されば開宗の営初より、高も此等前代 の諸宗に左担せられざりしゃ勿論である。然るに何ぞ女々しくもその後塵を拝するが如きととがるらうか。唯蝉凡要す }lg 顕 教 観 論 七 五
}JI] iii'i 教 事 見 論 七 六 るに所破の難易上.弘通の便 T 警守姑らく善巧方便の手段を取ってその論鋒を柔げ.天台や真言を味方の如く見せか けられしものにして、別に天台、民言に追従するのでは・なかったのである。 ﹁常怒抄﹂に﹁日蓮が法門は第三の法門也﹂︿一六四八﹀と云はれて居るが‘之れに依って佐前の樺貰相封も、在烏の 本被相封も、佐後流通の化導も.皆との﹁第三の法門﹂てふ立脚地の上に創唱せられたととを明らかにして居られる のである。されば彼の激烈なる四個の格言も、諸宗無得道堕地獄の根源てふ強義の折伏も‘之れに依って生じたので るる。智浅く罪深き末法下機の衆生を揺取して、事も遺漏・泣く唱題せしむる易修易行も、亦之れに依って唱導せられ たのである。されば叉との﹁第三の法門﹂は宗祖をして悪口罵恒三刀杖瓦石の諸難を招致せしめ、持叉、宗祖をして市内 年救議、僻減後未曾有の大宗教を建設せしめたのである。爾らぽ宗甑の一期は正に﹁第コ石法門﹂を以て一貫せるも の と 断 言 し て 樺 り た し 、 号 一 口 挨 ゆ れ ば 本 化 別 頭 の 敬 観 は 質 に 此 の ﹁ 第 三 の 法 門 ﹂ を 基 礎 と せ る も の に し て ﹁ 第 三 の 法 門 ﹂ は佐前佐後に一貫せる大主義大主張である。されば之れより章を改めてその大要を示す。但し以下本題を迷ぷるに営 つ之、章を分ち段を設けて詳説するととたく.唯だ謹意的に大綱を要論するものである 第 二 章
S
t
l
頭教
キ
目
本化別顧の敬相を越ぷるに営って‘血判が種々錯綜分岐しては居るが、之れを一概念の下に綜合すれば、線論に於 て論じたる﹁常誌抄﹂の第三の法門の主張に纏められるのである。 今詳しく述べんため﹁常芯抄﹂の要文を抜翠すれば、 組 テ 御 心 へ 候 へ 。 法 華 経 ト 興 計 爾 前 経 一 引 キ 向 写 判 守 ュ 勝 劣 潰 探 寸 営 分 跨 節 の 事 有 = 一 二7
様 一 . 日 蓮 が 法 門 は 第 三 の 法 門 也 。世 間 主 粗 如 w 夢 , 二 一 を ぽ 申 J と も 、 第 一 二 三 不 b 申 ザ 候 。 第 三 ノ 法 門 は 天 台 妙 拙 調 停 敬 も 粗 一 示 内 ト モ 之 ヲ 未 m 事 畢 一 所 詮 譲 訓 興
2
末 法 之 今 ﹃ 也 丘 五 百 歳 は 是 也6
2
六 四 八 ︶ 多くの御妙判を網羅して設かんととは、仲々の難事たるを以て、今は便宜上、此の御遺文に就て別現の敬相を趨ぷる と と に す る 。 先 づ 三 ﹂ 僚 と 一 式 へ る 法 門 を 読 き ‘ 戎 に 営 分 跨 節 を 論 じ 、 終 り に 得 径 上 よ り 第 = t u 法門を明して本誰即ち台営の置別を 耕 ぜ ん ・ と す る も の で る る 。 組文中に有三様とある。とれに就ては古来種々の異説あるも、天台宗に立てる法門、即ち三種の敬相と見るが正賞 で あ る 。 その三種の敬相とは ハ 一 一 ︶ 根性融不融敬 ハ 一 一 ﹀ 化導始格不始終敬 ハ 一 二 ﹀ 師弟遠近不遠近敬 の三である。とり三種町教相は天台大師が法華経を基礎として伸一代の諸粧を判樺せられた白であって、則ち三積の 敬相は法華経に典醸を有してをるのである。されば、 第一根性融不融教とは法華経趣門の三周説法の中では法読周と、聾説周とに撮って一代経の樫賓を判じたもの宅あ る。而してその判敢に約散と約部とのこ様がある。約教では前三︿蔵通別の三敬︶を樺と錯し、後一 ︵ 国 歌 ︶ を 賓 と されてある。市して穫は不融教で、賓は前週敬である。之を圃示せぽ、 }JU 頭 設 観 論 七 七}JG 頭 数 観 論 七 八 ︷ 前 = 一 ︵ 戴 通 別 ︶ : : : 標 救 : ・ : ・ 根 性 不 融 通 救 約 敬 ム ︷ 後 一 ︵ 固 ︶ : ・ ・ ・ ・ 質 救 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 根 性 融 通 救 ム ∼ な る α 此の場合、後一の固殺は爾前の園、法華の同共に同等なれば、天台では今回背岡両牒無殊と主張し、華肢及 び方等般若の国救は執れも、法華の園教と共に根性融通として同一成備を許されてゐる。故に苅る論賭に於ては、法 撃と爾前の勝劣を云云するととは出来たい。是に於て約部の判揮が必要となる。部類の上では爾前四味は樫で法華の 醍醐味だけが賓散である。反言すれば、前四味の諸経は不融敬で、濁り法華経のみが融語教となるのである。之を闘 一 広 せ ぽ 約 部 F司−−'−ー『、 後 前 一 四 味 味 擢 救 ︵ 華 最 、 阿 合 、 方 等 、 般 若 ﹀ : ・ ・ : 根 性 不 融 通 救 質 教 ︵ 妙 法 蓮 華 経 ﹀ : ・ : ・ 根 性 融 通 敬 となる。との第一敬相中約部には前四味を不融通救と論巴ても、繭前の固其者には何等の痛揮を感じたい。そは法華 経に於て爾前の食法を開合して妙とするが、爾前の固だけは共催で開舎を要せぬのである。即ち約部より論ぜるは、 唯だ表面に禽法を存する上より奪って解樺するものにて、所詮繭前の固敢に成備を許してをることは明白である。次に 第二化導始終不始終敬とは‘之れ三周説法の因縁誰周に依って、如来化導の始、中、格、即ち種‘熟、股の三径を 論じて樟隼の化導に始格を明すと‘明さどるとを国別せしものにして、大通結縁の時法華の下種谷を興へし化導を始 と詩し、中間の前回味の化事及び今呑の化導を熟径と侍し、今の法華経の化事を股径の態とするのである。 之を圃示せば、
,一回A・H・『 不 始 るム
器 能
敬 敬 | { 」 ( 中 格 始 間 救 敬 及 | | び 現 過 爾 在 去 前 の の の 法 法 諸 華 華 経 経 経I I I
熟 脆 下 種 袋 え J、 1iit: 主主 さ札ば法華経は始修救にして、爾前経は不始抑和歌である。始絡を究めた救は究寛成悌の法であり、始格を明さどる救 理は未究克の法なることは首探の結論である。乍然、台家低於ては総ての上より此賠までは論及し友いのである。矢 張り繭前艇の固叡の機に肱径を許して、法華艇に成僻せる者の多くは二乗の輩に初心の菩躍にして、との者は過去の 大通の法華経に下種し、爾前維に熟徒し、法華艇に脆徒を見たものとし.化導の始絡を二一来と初心の菩薩に約して立 つるが天台の所立である。則ち国款の菩薩は、爾前も法華も同様に股径の入位を認めて今関土日国固瞳無殊になってゐ る。
第三帥帰還近不遠近訟。之は本門書量日間に依り立論せしものであって、師匠の悌の遠近、及び弟子たる一切衆生の 遠近に就て説明したのでるる。言換ゆれば、師弟の遠本を顕示したのが法華経であり、師弟共に近成始畳であると左 を明したのが繭前経である。即ら此遠近不遠近に依って櫨質を判別したものとするが台宗所立の義である。︿玄義一、 十 一 丁 ︶ 宗副は専ら此第三ω
敬相に撮られたのである。然れども、之をズ台と同様に解緯せられたのではたい。昨唱だ第三の 敬相の名 H b L 借りて、櫨貨のみならヂ本語をも判樺せられ‘而して自家の立脚泡を明らかにせられたのである。要す るに、天台風に論守れば唯だ擢寅二散を判守るに過ぎ子、その上擢賓の聞に峻別を認め得たい、しかるに宗凪は三種 の救相乞共催襲肘せられ守して・唯第三救刷のみに依って諭明せられたのは明白に天台宗と見地を異にする誇擦であ見
。
面 且 毒 主 観 §』 p;<匂 七 九Jjl] 頭 ま
t
親 論 丹、。
る 。 ﹁ 守 護 国 家 論 ﹂ に 一 広 く 、 常 詰 ノ 天 台 宗 ノ 島 一 者t
於 計 雨 前 一 許 守 モ 営 分 ノ 得 道 て 於 宅 自 義 一 狛 不 レ 許 計 晶 画 分 ノ 得 道 す っ 一 六O
︶ ム ﹂ 、 如 斯 に 第 一 ニ m U敬相主以て繭前無得道を論十る貼は天台家の第三救相とは大に遠ふととろである。叉第三敢相れら で左ければ‘同じ法華経でも爾前無得道は一足へぬのである。第一政相や第二教相の法華経である・ならば、法華が爾劫問 の得道を立誠に許して居るのである。 Nハ 下 と の 事 を 一 途 弐 明 瞭 た ら し め ん と す る も の で あ る 。 右 に 依 っ て 明 ら か ・ な る が 如 く J 師弟の久遠を顕したのが本円であり、師弟共に近成始魔在るととを説いたのが爾前 匙門の諸経となる。しかして、斯様に判轄するのが宗組の所立である。之を宗岨は遺文の中に斯ふ記されてゐる。﹁治・ 病抄﹂に 今 本 門 と 控 門 と は 教 主 巳 に 久 始 の か わ り め 、 一 疋 云 挽 子 叉 水 火 也 。 一 試 云 ︵ 二O
九 九 ︶ と の た ま ひ 、 ﹁ 翻 心 本 隼 抄 ﹂ に は 論 出 レ ハ 共 敬 主 ザ 非 自 始 成 正 畳 ノ 樫 隼 一 所 設 F 法 門 モ 亦 如 U 天 地 ↓ 。 一 式 云 ハ 九 四 一 ︶ と仰せられ‘更に﹁十法界抄﹂ m 二九二﹀には 越 門 一 二 但 日 疋 読 す 始 費 十 回 外 五 共 て 未 一 平 必 ぇ 明 = 於 本 費 本 有 〆 十 界 五 共 ザ 。 一 氏 一 石 と明言ぜられた。猫ほ﹁開白抄﹂上巷ハ七六六﹀には一一暦精細に分轄せられた。即ち、 註門十四品二向に爾前に同・チ、本門十四品も涌出書量の二口聞を除ては皆始成を存せり 9 云 一 五 と、乃ち此等の御妙判が如何に本化の立脚地 bL 鮮明ならしめてをるかは容易に認められるととろである。要するに第 三ω
法門を以て立論の基賠として、樫貨のみなら歩、本語までも判定せられたのである。故に本門を以て遠近散と儒し、繭前謹門を一束して不遠近敬の分際と判十るのがん一京凪の所立である。市して以上は唯だ普通に敬相上より文字的 に許制押したのみであるが、更に進んで﹁常忍抄﹂の所謂首分跨節の上より論やれば如何、今はとの方面より一切の敬 判 乞 試 み る 。 され官営分跨節とは如何たるものか、先づその語義を解樺すれば、﹁営分﹂とは百分に相営する謂ひにして、自分の 分段 bL 守る乙とであり‘障って共の反面に他のもの L 存在を認め、且つ他。ものに封し何等の交渉も関係も干渉もし ないことである。﹁跨節﹂とは節肢を跨越するの詞ひにして、自身に他のものを包容して自他の差別的節肢を撤慶する ととであり、随て跨節の前には彼比の封立を見たいことでるる。故に営分は相封性であり‘跨節は結劃性である。と の二顧の義を立て込一代の諸粧を判轄するに三極の敬相を用ひて行くのが、支那の天台であり、また宗岨の常用され た と と ろ で る る つ 故 に ﹁ 常 忍 抄 ﹂ に ﹁ 法 華 経 ト 典 = 爾 前 経 − 引 キ 向
Z
判 勺 = 勝 劣 議 傑 サ 営 分 跨 節 の 事 有 三 ニ v 様 一 。 ﹂ と 云 は れ 、 妙 融 市 大 師 は ﹁ 玄 義 ﹂ こ の 巻 に 依 っ て ﹁ 轄 畿 ﹂ K . 営 分 内 通 山 於 一 代 誌h q
今 a 使 チ 成 山 相 待 て 跨 節 ︽ 唯 在 = 今 経 一 悌 意 内 非 同 出 旭 川 z 今 = 也 と云はれたのである。即ち官分は一切経の上に在りて、跨簡は唯法華経のみでるる。営分とは大乗.小乗、樺敬、貰 敬等であって、跨節は唯だ法華のみに限るのである。此上より一切経を分類し設営すれば、法華は嘗分跨節の二者に 泊予るが、他は唯だ前者のみである。 蕊に注意すべきは‘相待妙と絶封妙との関係、即ち法華の妙と他経の妙との関係である。営分は相待妙にして繭前 匙本に通じ‘跨節は絶待妙にして越本二門に限る。 乃 ち 弐 圃 の 如 し 、 別 頭 華k 事E 論 F、
≫
O
頭 差t 親 論 A 営 分 相 待 妙_J_
『I
I
法 爾 華 前 | | 本 逃 般h"llPJ華 設ー一愈一妙 含l
但愈無妙 等l
一 一 一 鹿 一 妙 若i
一 一 食 一 妙 門 ー ﹁ 因 妙 巣 食r u
司 司 − P 門l
r
因 果 倶 妙 ﹂ 土 砂 陸 軍 主 ﹄ 法 門l
明 構 明 朗 宜 妙Ji
法華l
︷ ︷ 本 門l
関越頴本妙 営分即ち相待の上から論守れば、阿合経は小乗哉のみなれば妙が縫いが、華厳、方等、般若には大乗の国政があるか ら同じく一分の妙を有してをる。しかし一妙と一五ふ鮪で法華と同様に共通してはをるもの L 矢張り愈法を有ってをる 故に之を相待妙と一足ふのである。法華の賞分に就て一五はど純園調妙にして愈法はないが、本遮乞相封する場合には法 門は因妙果鹿と一五はねばならぬ。即ち因果の上より一五へば九回作が働界と融通して妙と一足は札るが、悌界は未頴の久議 質成で爾前と同じく始成正畳であるから、因同市の闘係より島妙を分たねばならぬ。しかし本門に於ては因果供妙にし て、即ち純闘濁妙中でも純の純なるものである。されば迩門では因果業別であるが‘本門では因果倶に妙である。則 ち仰の久遠質成の設は本果妙、本因妙にして、とれが鵜て無絡の悌界無始の九凶作を開顕せしものたれば、因果二つな がら妙の妙たる屈を究克したのである。之は相待妙の上から批判したのである。次に.跨節即ち絶待妙は今経に限り 雨前には之無しと論 A Y る所以は‘則ち m 似の経々には開顕の説無きな以てどある。叉本謹二門を絶待妙と一疋ふのも開閣制 の説有ればである。されば控門の絶待は擢 E 買の開顕にして、本門の結待は本遮の同頴である。即ち、 3 寺!﹃開催瀬賞l
湾 門 戸 出荷妙!日開迩顕本|本門︸となるのである。との開顕の法門は爾前諸経には絶無にして、爾前では徹頭徹尾危妙相待である。樫を閉して貰を顕すが如きは、分持 の向山りでは友いのである。樫を閲して買となし格る・それが結劃である。即ち相手のある聞は結封とは一式へない。し かして法華経に於て始めて此結封の法門が顕れたのである。故に雨前には妙はあるとしても、それは取るに足らぎる ものである。換言すれば‘開危妙に非やして割鹿妙である。故に絶封の上より之を一五ふたらぽ妙とは稿し得ぬのであ る。此黙に於て爾前の固は、到底法華の聞に及ぶぺくもたいのである。然るを天台は爾前の闘を開合せやして、その ま L に匹剛胆無殊の読を唱へたが、宗祖は開顕せない聞は相封の妙で矢張り食の係費であるとされて、之を別教と見ら れ、法華の濁一の妙をぽ強く主張されたのでるる。而して絶作妙に於ても、閃 A A を設いたのが謎円であって‘果上に 就て論明して久遠木地を顕したのが本円である。即ち謹門は因の絶待妙でるって、本門は果上の開顕である。されば 営分の説明は一牲にして、跨節は蒋牲の読明主なる。一言ひ換ゆれば‘樫置の開顕は一往の設にして、本避の開顕は一持 牲の論である。故に相特妙、絶待妙の宜義を究聾したものは、本門法華の需景品に限るのである。︹︵﹁輝鏡﹂二手﹁玄 義 ﹂ 七 骨 玉 丁 ﹁ 記 ﹂ 九 . ﹁ 常 思 抄 ﹂ 一六四八、﹁十法界抄﹂二八八﹁営体義抄﹂九九七、﹁立京間抄﹂千六十九|七十 J 等参照す o U 之を要するに、天台は逝門に依て関陣無殊を主張し、宗祖は本門に依って般質、本述の和遣を論じられた のである。故に天台は大小、構賞、本誌を論守るに聞睦向的の唯一泊眼を離れや、而して第一第二の教相の分買を超えた ぃ。之に反して宗匝は﹁日蓮が法門は第三の法門也﹂てふ旗職鮮明友る立脚地に立って、権買‘本避を論断せらる L 所、明断にして理義判然たるものがある。 共に得径の方面から論やる。との得徒は宗敬上甚だ重要たるものであって、上越の議論の如きは島一向的判轄である が、此得径は賓際的詮明である。故に智力の側に於ては唯だ敬法の洩深、優劣を分うものにして、賢際伸法は利得.の }Jq 頭 書士 現 諭 i¥
,SI] 頭 差t 署員 言d、− u出 丹、 問 得不に於て、共敬法の有効無効が判明せられるのである。布敬又は救消てふ思想も、買にとの得徒の有無より生やる ものである。蓋し得徒門の必要注るは言を竣たざるととろである。 今得径の上より三種の敬相を見るに、第一の教相に於ては約我約部共に爾前の同人に悌乗の得遣を許してをる。即 ち雨前の敬法の感化を受けて閲端なる得道あるを是認するのみならや、初心の菩薩及び二乗営分の得道を許してをる 斯様に爾前絞営分の得待あるを認めて、唯帽礼法華のみが得徒あると一足ふものに非歩、即ち小一飛にも遇別諸経にも、そ れぞれ、得従を明したものとする。 第二の敬相に於ても、爾前の国人には法華経と同じく股径の得遣を許して居る。此貼に於ては第一の敬相と異らぬ が、前戸ニ教の三乗と閤敬の初人とには、種股の二日伶を奪って興へぬのが第一敬相との違ひである。され戸﹂是等のもの にも、熟谷だけを許してあるから、雨前都知得遣と論告する需にはゆかぬのである。斯くの如く第一第二の救相に於て は構貨を排別しても、爾前の国人に股径を許し、三散の三飛にも常分の得道、即ち二一飛に断見思、菩薩に断無明を日必 認してをるのは、撃寛之は綾門三周の敬設に基いた設なるが故である。 されぽ漣門に爾前の得遣を認めてをる経文を引用するならば. ﹃ 序 品 ﹄ 日 諸 漏 巳 = 聾
Z
︵ 爾 前 の 二 乗 に 断 見 思 を 許 す ︶ ﹃ 方 便 口 問 ﹄ 日 除 = 並 口 薩 家 ノ 信 力 闘 笠 岡Z
者す︵爾前の菩薩に断無明を許す﹀ ﹃ 聖 職 日 開 ﹄ 日 見 日 諸 菩 薩 ノ 授 記 作 品 抑 ↓ 。 ︵ 繭 前 の 菩 薩 の 股 径 を 許 す ﹀ ﹃化城喰品﹄日 過 = 三 百 由 旬 一 。 彼 土 得 レ 問 。 ︵ 雨 前 の 二 乗 の 断 見 思 を 許 す ﹀ ﹃ 従 地 涌 出 口 問 ﹄ 日 始 見 = 我 身 ↓ 入 山 如 来 慧 ↓ 。 ︵ 雨 前 の 菩 薩 に 股 徒 を 許 す ︶︵涌出品の文は本門の経文なれ
E
も、顕本以前の経交友れば‘今は暫く控門に属して之を引用す。﹀ 乃ち、此等の経交を見ても謹門には爾前の得遣を認めねばならねことに・なってをる。故に第一第二の戦相段、‘即ち遮 門の敬相部門では、爾前の得道を印許せざるを得ない。 要するに、天台は控門弘通の導師友れば第一第二の敬相を正意として開宗し、雨前に得遣を許し、標音壁用の主義 を採用したのである。而して只約部の上より法華経を正依としたまでどあってベ若し夫れ﹂天台の意から申さぽ、第 三の救相の如きも等ろ第一第二の敬相の意を少しく潤色したに過ぎぬのである。﹁玄義﹂︵一、十了﹀に今昔相封に約して 説いて居るのが何よりの読擦でるる。是に於て乎、宗祖が第三法門の立脚に位して、大いに法華本門の絶待妙を提唱 して侃 k 詩 k 、天台の昧賭を楠ひ、以て僻敬諸宗に見えざるを得雪るととになったのである。 第三の敬相に於ても、天台は﹁玄義﹂︵設問︶に説いてあるが、それは唯だ約時の本語判のみにして約設には及ぼ友 ぃ。隠って時節の久近‘即ち窟目新のみでは本漣といふととは判然しないのである。要するに、天台は矢張り第一第二 の立脚地から第三を説くのであり、本語てふことを時節の奮新に契合せしめたのみであるから甚だ捜碍である。また ﹁文句﹂︵九、問十四丁﹀等には果日祉を論じたのみで.因袋は設かない。則ち同頓の行者に於ては、控門本門の入賞を 論ぜやして、唯だ共増遁損生をいふに過ぎぬのである。此の如くに天台は国間無殊と話し‘爾前得遣を許すからして 第三の敬相は立つるも、其置は第一第二の敬相の意に過ぎない。故に逃門の分部門 b E 脱出するととを得ないのである。 斯様に謹門限 b L 以て本門を解轄したのが天台であるから、伎の宗を捕して越両本裏とも‘ 一 部 唯 逃 と も 一 五 ふ の で る る 乃ち宗祖が﹁未事畢﹂と許せられたのはと L で あ る 。 宗祖は本門弘通の導師なれば、専ら第コ万救相に依りて、樫貰、本越、 一 代 の 諸 経 を 判 じ て . 伸 敬 諸 ︷ 一 部 の 革 命 を 呼 ‘ }JU 頭 教 観 論 八五}JQ 頭 霊t 親 論 八六 擁されたのである。しからば抑も‘告示組の眼に映じたる第三の救相とは如何なるものであるか。 惟ふに、宗祖は人師論師の末躍に拘束せらるるが如き卑い見識の方ではなく、直ちに本経に向って研究の歩を進め て悌救の債値を根本的に判定するのが宗組の持論であった。されば第三の敬相主用ひたればとて‘天台の解樺・なぎに は 頓 着 せ ・ 歩 、 所 謂 本 化 眼 を 以 て 本 門 書 量 品 を 解 明 伸 し て 、 一代伸哉の慣値を定めたのである。則ち﹃書量口問﹄に﹁一切 世間天人及阿修羅﹂とあるのは、爾前、謎門、一二一乗の行人をば未断見思.即ち一惑未断の荒凡夫、と解躍し、︵﹁十法界 抄 ﹂ 二 八 七 の 如 し ﹀ ﹁ 業 於 小 法 ﹂ と あ る を 、 樺 漣 を 方 便 の 小 法 二 一 一 立 夏 品 を ば 如 来 内 詮 の 大 法 を 宜 一 弔 さ れ た も の と し
λ
﹁ 常 忍 抄 ﹂ 一六四七の知し︶﹁我貰成悌巴来﹂とあるを、繭前、控門を未頴民賓と説いたものと解樺された。︿﹁十法界抄﹂二 八七﹁関目抄﹂七九O
の如し︶皆とれ宗祖濁得の見地である。 宗祖は斯る見解の下 K .自己の立脚地を定めて宗旨を開創されたのであるから、開宗の営初より問筒格言を主張し 諸宗無得道を論告されたのは寧ろ営然の事であらねば友らぬ。左に二三組者を引用してとの主張を詮撮立てれば、先 づ﹁守護国家論﹂に、 常 詮 天 台 宗 事 者 、 於 = 爾 前 一 許 立 品 分 ノ 得 道 − 。 於 = ・ 日 義 二 小 レ 許 = 営 分 ノ 得 道 − 。 ︵ 二 六O
V
と 、 論 旨 淘 に 鮮 明 と 一 試 は ね ば な ら ぬ 。 ﹁ 唱 題 抄 ﹂ に は ‘ 叉法華経の本門にしては爾前の固と謎時の固とを操ヲ事不審なき者也。︵三四O
︶ と 謹 言 せ ら れ 、 ﹁ 十 法 界 抄 ﹂ に も 同 様 の ・ 文 義 が あ る 。 日 く 於 苦 闘 前 J 中 一 且 , 詩 戸 法 華 ザ 許 = 於 三 乗 常 分 ノ 得 道 目 。 所 調 種 熟 脆 ノ 中 , 熟 筏 ノ 位 ナ3
是 心 同 遮 門 J 設7
9
本 門 観 心 ノ 時 ニ 立 H 疋 貫 一義 一 云 云 ︵ 二 八 九 ﹀ と論じてをられる。更に一居明細に設かれたるは﹁営陣義抄﹂にして、 繭前述門ノ菩薩二分雄日有勺断感詮理義分−。封守本門−之時五品分ノ断惑 7 非 一 ﹂ 跨 節 断 惑 一 被
2
2
未断惑一也。然者菩薩 鹿 虞 得 入 ト 繕CZ
嫌 訂 二 乗 ↓ 之 時 興 勺 一 位 得 入 ノ 名 − 也 D 故 一 繭 前 謹 門 ノ 大 菩 嵯 ヵ 詮 = 得 僻 ノ 蓮 華 ↓ 事 n 本 門 ノ 時 也 。 異 質 ノ 断 惑 ハ 開 封 シ 書 量 J ↓ 口 問 ↓ 時 也 。 との文を細讃精請すれば、斯謹の意義は愈々明瞭たらざるを得たい。加之﹁本隼抄﹂に第五重の三段を明す下に於て 繭 前 遮 門 ノ 困 救 2 倫 * 非 日 僻 因 一 ︵ 九 四 二 ︶ と詑かれである。寅に痛切明白 ξ 稽すぺきである。査し久近、本速の分岐せらる L 所以の如何に深遠たる理由を包有 してをるかど粗ぼ解するを得るのである。詮歩る所、此等の交は皆第三の法門に依って模挫の得径を奪ったのである されば縦貫相釘といふも、天台の判轄とは同じからや、況してや木控相封の化導に於ては、ム口家の所談とは玄かに呉 って居るのである。乃ち約時の本越は台家の所判にして、我家宗組の判轄は約時、約設に百一って・本越を論ゃるのであ る。台家に於ては唯だ果径の虚貰に約して本語 b L 論やるも宗岨は因果供に本越に約して虚質を究明せられた。故に樫 賞、本法、約時、約説、因徒、呆徒、執れにもせよ、第三敢相を専用し給ひしが宗組一期の化導たりしを深︿思はね ぽたらねのである。されば‘﹁日蓮が法門は第三の法門也﹂とは貰に宗岨が悌敬諸宗の入師に特殊たる旨を表白せられ た 金 一 宮 口 な り と 云 ふ も 敢 て 過 言 で は た い 。 悲に注意すべきは需量品開顕の上で、本謹一部を鶴見出せられたのは﹁十章抄﹂の中に所謂、遊門は本門の依義判文 の綱格に依られたのであって、無得道の法門をそのま L 費川せられたのではたい。則ち木門書量品の義に依って、設 JJO 量貞 教 観 論 fl. t}JI] 頭 差
t
観 ヨ提出陶 d岡 A , 、 、 門 の 経 文 を 判 じ . 一部を唯本門書量日間と見倣し、二十八品悉く得道救と詩して、繭前経に営ったものであって、機質 の起謹も天台の如く手緩くはないのでるる。 一例を架ぐれば﹃聾職品﹄に﹁唯我一人能稔救護﹂とあるが、とれを謹 門の賞分で言へば雨前経の僻と同様に、始成正血児の樟迦如来の救済力を説いたもので.慈悲の分量が繭陀や制捜師と相 連 b ることは認め得ない。則ち樺隼が抄武装三兆の唯我一人能局救護者であると同時に‘踊陀は西方極端ポ世界の唯我一 人能お救説者である。之れ即ち相封的各修各行の悌にして、怖に樺質の差を判然立つるべからざるも、若し本門需品恩 品の義主以て此文を判守る時は﹁唯我一人﹂とは久速の本僻樟隼一人の貫在を設きしに外たら歩、伺って、繭陀や柴 師 b L 非話した玄告と成る。随って﹁能震救護﹂とは本悌耀隼の絶封的大慈記力を開示したる経文にして、繭陀鎖師の 相封的小一組訟の存在を認めないととになるのである。此の如く控門は本門の依義判文の綱格によれば、此一文だけで もん必附無間前なも.諸︵一市無得道論でも言へることになる心である。同じ法華経でも誼門より眺むるのと、本門から見 るのとは、そこに吾川出の相遥あるものにして、則ち天台は遮円から見たが、宗岨は本門から見て庚く一部を解樺し・ 進んな一代位乞批判されたのである。それ故に宗組。化導を本面控裏とも、 一 部 唯 本 と も 一 足 ふ の で あ る 。 宗 祖 が 遮 門 を依用するに付て、依義判文の綱格により給ひし文詮を一一一翠ぐれば、 ﹁ 法 華 一 ・ 取 要 抄 ﹂ に 一 匹 く 、 白 ニ 方 便 品 − 至 = 子 人 記 品 − 八 品 − ↓ 有 = 二 意 − 。 自 L 上 向 レ 下 次 第 三 讃 勺 之 、 第 三 菩 薩 、 第 二 = 二 乗 、 第 一 二 三 凡 夫 也 。 自 = 安 繋 行 日 間 \ 勧 持 、 提 襲 . 賓 格 . 法 師 : 逆 弐 = 讃 い 之 以 = 滅 後 ノ 衆 生 ↓ 鳥 レ 正 : 在 世 ノ 衆 生 ヲ 詩 L傍 ト 。 以 = 滅 後 一 論 レ 之 王 法 千 年 、 像法千年 n 傍 也 。 以 = 末 法 ↓ 時 レ 正 ト 0 末 法 ノ 中 以 −B
蓮 ↓ 詩 レ 正 ト 也 。 ︵ 一O
一 二 九 ﹀ との文に﹁謹讃﹂とは本門の義に依って迩門を判じて、末代日蓮を正と話すと讃了し玉ひしものにして﹁関心本曾抄﹂に も 同 様 の 文 が る る 。 述 門 十 四 品 、 正 宗 八 品 、 一 位 見 山 内 之 , 以 さ 一 乗 五 時 日 正
t
以 茎 口 薩 凡 夫 芸 崎 山 傍 ト 0 再往考な之t
以 = 正 像 末 ノ 凡 夫 ↓ 誌 は 正S
正 像 末 , = 一 時 , 中z
t
以 = 末 法 J 始Z
P
正 中 J 正 ↓ 。 ︵ 九 四 二 ︶ ﹁ 本 隼 抄 ﹂ に は 一 位 再 往 と 一 冨 ひ 、 ﹁ 取 要 抄 ﹂ に は 順 讃 逝 讃 と 一 民 へ ば . 語 は 襲 。 て を る も ‘ 意 は 同 一 で あ る 。 更 に ﹁ 薬 王 品 得 意 抄 ﹂ に は 、 自 = 分 別 功 徳 品 − 十 二 品 A 正 三 寄 量 品 タ 末 代 之 凡 夫 〆 可 同 行 ぇ 様 傍 三 方 便 品 等 J 八 品 ヲ 可 内 需 = 修 行 − 様 ヲ 設 タ 也 。 然 内 此 輔 衆 王 品 n 方 便 日 間 等 之 八 品 蛙 = 寄 量 品 ヲ 可 習 慣 行 ベ 様 , 読 ま 品 也 。 ハ 五 三 四 ︶ 営抄は寄量品より流通分の経文を眺め、本門流通の経文より本門迩門の費用を論じて傍 Ebt 示 し 給 ひ し も の に し て 、 矢 張 り 一 部 唯 本 の 文 で あ る 。 更 に ﹁ 四 菩 一 睦 造 立 抄 ﹂ に は 、 末法の始 a には一向に本門也一向に本門の時なればとて誼門を捨 v ベ き に あ ら や 。 於 司 法 華 経 一 部 一 前 十 四 品 を 捨 沙 べ き 経文佐川凶之レ。本越の所判は一代謹棋を三重に配嘗する時爾前迩門は正法像法或は末法は本門の弘マらせ給ヲペき時也 今の時は正には本門傍には遮門也。遊門無得遁と一再 9 て越門を捨てて一向本門に心K
入 レ さ せ 給 ヲ 人 々 は 。 い ま だ 日 蓮 が本意の越川を習はせ給はざるにとそ以テの外の僻見也。︵一八五七﹀ と 一部唯本傍意正意の差とそあれ、本挫 U L愛用せられたるととは明白である。されE
最 も 肝 要 な る と と は ‘ 害 且 賓 の 一品が宗凪の敬相皐上に於ける生命にして、とれより出でて一代悌敬の判轄と成り‘樫逃諸宗の折伏と成り‘本掛働見 用の法門となったのである。蓋し、書量品たかりせば宗闘なしと断言して樺らぬものである。﹁日蓮が法門は第三の法 門也 ω ﹂ と は 賞 に 不 磨 の 格 言 で あ る 。 .80 頭 毒主 現 論 A 九.BO 頭 数 書面 論 丸 0 さて、斯様に宗甑が本化別頭の敬相を判躍して、本門書量品を撰取し玉ひし所以は、・弐に述ぷる別踊観心の大法乞 顕示せんが鵠である。されば.敬相部は蕊にとどめて、進んで之れより本化別踊の翻心の大要を記す。 第 三 章 jJIJ 頭 観
,
r
,
,
抑も観心の説明は至難と一疋ふべきである。そは質修賀行して.自己がその境に安住してとそ.その民趣味が知れるも のたれば、之を言僻の上に設越するの難きは一五ふまでもなきところである。さで本化輔自の智限に映じたる所謂別副 の観心談とは如何。之に O き最も正確なる方法として組判の明文に依って申さば、 ﹁ 治 病 抄 ﹂ に 云 く 一念三千ノ観法に一つありつハ謹二三事なり。天台倖敬等の御時には理也今は事也。観念すでに勝る故−−大難久色まさ る。彼は遮門の一念三千此は本門ノ一念三千也。天地はるかに殊也こと也と。御臨能の御時は御心へ有るべく候。 C二
O
一 ニ ﹀
と 一一韻直ちに何人も容易に台賞観心所談の上に、本語、事理の大差あるを認知し得るのである。 天台大師は此一念三千の観法に就いてはつ止観﹂第七﹁正観章﹂の下に於て趨ぺて居られるが、此天台の解轄は迩 門方便口聞の諸法宜相の文に依って建立せられたものにして、汎く法華一部の精髄を護揮したものでは・泣い。共詮擦に は迩門弘通の後梅者たる妙柴大師は﹁弘決 L 一 一 一 ノ 上 四 丁 に ﹁ 今 約 法 華 謹 理 ﹂ と 一 エ ひ 、 叉 ﹁ 一 部 之 仙 人 共 成 国 一 東 問 権 妙 悶 ﹂ とある。乃ち之れに依って見るも天台観むの程度は自ら明かにして、宗凪の所判また決して潤断的諮附に非ざる事附 白であ渇 3 則ち如何にしても、天台は越門漣哩の立脚地の上に長政観を組織しをるものと一去はざるを得たい。然るに本門弘通の大導師たる宗組に至つては,大いにその面白を殊にしてをられ、伎の本隼抄、開目抄等に於て盛に一念三 千を明すもの、皆本門書量品の妙文に根醸して居られるのである。今関目抄上を拝讃すれば、 一念三千の法門は但法華経の本門書量品の文の底にしづめたり。ハ七五一﹀ とあり、共他に引詮すべき明文は多 K 之 を 奔 し 得 る が 、 そ の 中 、 ﹁ 十 章 抄 ﹂ に 日 く 、 一 念 三 千 と 申 λ 事は遮門にすらたほ許されや何=況+爾前に分たへ ハ 絶 V た る 事 な り 。 一 念 三 千 の 出 庭 は 略 開 一 一 一 之 十 如 重 相 ・ な れ
E
も 義 分 は 本 門 に 限 ん O 爾前は謹門の依義判文匙門は本門の依義判交友り。但同県置の依文判義は本門に限る べ し 。 ︵ 六 七 五 ︶ と、明かに一切経判轄の大樫を法華本門に定めてをられる。乃ち動かすべからざる無上命令は買に本門の確保する所 である。而も一念三千の法門に至。ては、建門は有文無義なれE
も‘本門は文義倶に具足したる民貫教と示されてゐ る。されば此本門を自義主援の立脚地として堂 k たる大哲理を唱導せられたのが本門の尊師たる祖師みへ聖人その入に 外ならぬのである。而して台家は心法妙に約して一念三千の観法を立てしを以て、共親心は因分にして、迷中の理性 である。乍然営家は悌法妙に約して一念三千の観法を立てたるが故に、共闘心は果分であり‘悟上の事具である。そ とで心法妙と僻法妙との謹白を設くには、先づ三法妙を解明押せねばならぬ。その三法妙とは彼の﹁心伸及衆生、是三 無差別﹂と云ふ法門にして、心と併と衆生との三法を一匹ひ、之に妙と名づけるは、との三者が不思議にも相即回融し て不離無別の関係を有し、以て此駐舎を現出するが故である。換言すれば、此三者の何れより見るも不可思議であり 妙である、即ちとの三法は盆に不可思議なる法なるを以て之を妙と補したのである。而してとの三法を因果に配営す れば、衆生と心法とは因分にして、悌は呆分となる。叉修性、事理、迷悟に配すれば因分の法は性なり、理なり、迷 .BU 頭 孝士 重 量 論 九別 頭 華
t
事 足 論 先晶 なりであワて、果分の法は修たり、事なり、悟なりである。故に衆生と心法の二妙は、迷中理性の法門となり、之を 締法妙の悟上修顕の事より奪ふ時は.無明の漣域に堕される、所謂コニ千在理同名無明﹂である。されば天台は三者 の中吾人自身の心より入って、寓法の妙を極めむとして一念三千観を建立するのであるから此救護は必中迷中の理性 に属する。故に此組織に依る天台の謹門の翻心は、因果の上より一再ふ時は因分であり、事理の上から論やれば理性と 一広ふべきである。先師が天台の観心を評して無明縁起の法門と一疋ひ、営家の翻心を怖界縁起の法門と都したのは、誠 に千古の確論と思ふ。されば営家の一念三千は三法妙の中では榔法妙、則ち久遠質成の抽仰の身上より論ぜしものにし て 、 果 分 事 具 の 法 門 と 成 る の で あ る 。 ﹁ 立 正 観 抄 ﹂ ︵ 一O
六 九l
七O
﹀には排る意味を詑してλ
取 意 ︶ ﹁ 此 一 念 = 一 千 は 閃 分 にあらやして果分たり‘日蓮の所立は巳に一念三千の観心を働界の上に立てたる本地難思の境智の妙法にして、との 妙法は謎門の僻輩口薩の考へ及ぶ所にあらや、ましてや凡夫二乗の徒之を解し得ぺからや、﹂と説明されて居る。悌と衆 生との聞が此の如く天地懸隔したるを謹慎せしめん止するには、智力的観心の到底及ぶ所にあら歩、却って篠 h 生併 め関係を遠ざけるのみである。則ち此場合には事相行儀の信心が必要とたる o さ れ ば ﹁ 間 信 五 回 m抄﹂には信仰に依つ て併と衆生とが一致冥合する皆を詳論して居られるのでるる。 台家の観心は因分理性の法門・なれば自己の心法を観じて三千三諦の妙理を領納するととが向来る。叉斯くする必要 も自然生じて来るのである。蕊に於て台家は観念法行を以て宗旨と震さねばたらぬととに友つてゐるのである。営家。 は果分の故に悟上事具の法門を設きしもの在れば、卑しき我等の智解を以て直ちに之を識得するととは不可能である 唯だ仰いで如来の金言を信じ‘以て僻陀の境界に到達するより外に遣はたく、則ち宗祖が受持信行を以て宗旨を立て られたのである。尚ほ宗組は開目抄上ハ七六五﹀には樺隼の瀬本に約して一念三千の観法を説明して乞られるが、是を以て直ちに智力的責行門を開かれたのではない。そは﹁本隼抄﹂︵九三八、九四九﹀に於て果分の一念三千の観法主 ば、妙法五字に牧めて、受持信行するととを奨め給ふに照して‘自ら明らかである。組巴て宗祖は本隼抄、開目抄、 営関義抄、十法界抄等の諸費に於て、 一 a念=千十界互具の義を説明されしは唯だ是妙法の法韓を説明したるものにし て‘直ちに是を以て我等賞地の行法を論じたのではたい。其理由如何、宗血は行門としては遮門の一念三千の観門す らも難修難行にして、末代の機には誼はぬと立てられてをる。ハ具さには﹁四信五品抄﹂の如し︶夫を況してや本門事時 量本地難思の一念三千の観法を以て、直ちに末代幼稚の我等衆生の行法と錯すは全く望むべからざるととろである。 末代の我等は名字却の行者にして一念信解初随喜の分費なりとは宗祖一期の御主張であるのである。 但葱に注意すべきは、臨書中、間間観念の行、即ち観行即の行者を許すが如き御文章 b t 拝するととであるが、共一 部 を 問 さ ぽ 、 ﹁ 十 章 抄 ﹂ ︵ 六 七 五 ︶ 心に存 λ べき事は一念三千の観法・怒り。とれは智者の行解なり。 とあり、叉﹁唱法華題目抄﹂ C ニ 四 一 ︶ 患者多き世とたれば一念三千の観を先とせや其志あらん人は必や習皐して可し親日之ヲ。 2と仰せられ、叉﹁持法華問答抄﹂︵四七
O
﹀ 上根上機は観念観法も然るぺし。 とあり、その外﹁国浦抄﹂には 所 詮 入 計 十 木 法 一 天 民 猫 朗 之 法 門 無 径 也 助 行 − 一 A 可 片 岡 用 ュ 也 。 ︵ 二OO
八 ︶ と一不され‘此等の御妙判が勘もすると五日等初心の行者を謬らしめる恐れがある。乍然此等の御文章は唯だ台徒誘引の≫
O
頭 華t
観 論 九B
’
頭 教 観 論 :h. l''l 善巧方便に過ぎねか、雨らざ札ぽ妙法の法瞳を門徒心得の鴛に御一不し遊ばされしものにして.末代法華の行者の宣行商 に於ける行儀を設かれたのではないっ﹁固満抄﹂に﹁助行可レ用也﹂とあるも、常途の一部賢略の謂諦を﹁助行﹂に用ゐ 給ひしと同様に見倣すべきではたい。讃経は有径の間行、止観は無篠の助行、袋、無篠その聞の径庭察知すぺきであ る。﹁所詮入末法天真濁朗之法門無径也﹂とは台徒の一念三千観を結封に非認せしもの、﹁助行可用也﹂とは合徒誘引の 詩めに且く興へた善巧方便であるとと明らかである。されぽ此文を以て営家の観心助行を詮操立てんとするは甚だ謂 れなきととである。抑も末代は﹁智者﹂とか﹁上根上機﹂とか申す観行即の行人はたいのであるが、只如斯にのみ一五 つては観念の行を絶封無上のもの k 如く確信しをる台徒に、信仰主義の真髄を知得ぜしむるととは不可能である。例 せば哲皐者に宗敬を説くに、最初より信仰のみを云ふも効果薄ければ、先づ宗教は背惑を基礎として信仰を勧むるも のなりと説いて之を誘引するに同じである。則ち観行を以て末代に於ける上根上機に約したものとするも不可、叉助 行に観行を許すとするも不可、要するに宗祖は﹁四信五品抄﹂に於て末代法華の行者の位置 bL 定め之を決して名字即 と 詩 し 、 一念信解初随喜の行人には翻行等の諸行を禁止せられて、但信無解の易行を主張されてをるのである。別一言 すれば‘唯悌輿備の高速なる境界を説いた本門の大法は‘五日人小智小才P
到底究壷すべからざるととろにして.畢覚 悌の悲智に依託陣仰するでふ皐純たる信心でなくてはたらねのである。而して若し組判の上に於て観法を勤むるもの ヨベ爾らざるものとるるを拝さば、但是台撃の徒を誘化せんが篇と.妙法本腫の上に於ての説明に過ぎざるものと思 ふべきである。更に吾等の行位に於て、智力と信仰との矛盾をその佳放置せられしものに非る旨を承知せねばならぬ のである。斯くの如く宗甑の行門に於では信仰唯一論を主面せられたるを以て‘其信仰の劃象は妙法統一論に在ると 巾して差問へはないのである。抑も彼の一念三千とか一心三観など一民ふ法門の説明は、妙解門白部円であって妙行門の分域ではないのである。即ち信仰的。範囲では左いのである。されば哲皐的の攻究や組理的の説明等は之を妙解門 に於て聾すぺきものにして、之を妙行門に於ける信仰と混滑すべきではたい。 天台は一念三千の妙解門を取って以て‘直ちに妙行門に鷹用して之を像法時代の上根上機に相醸した修行として主 張したのであって、唯一絶劃の妙法をぽ一念三千の法門に横充して、法華三昧を修行せしめたのである。換言すれば 絶釘の妙法を三千三諦に演縛したのである。則ち庚時の手段に依って肝要を揖げたのである。故に其著﹃三大部﹂に は、即ち﹁玄義﹂に妙法を解樺するに、五重玄義に約して縦設慌詮無蓋に説明されたるが如き、﹁文句﹂に一部の妙典 を解轄するに、因縁、約敬、本建.観心の四門を立て L 説明されたるが如き、﹁止観﹂に十大章を設け‘十境十飛に経 て観訟の義を説寵されたるが如き、皆此意に外ならぬのである。要するに、天台は﹁無量義経﹂に所謂従一出多的の 傾向を有し、宗凪は﹁法華経﹂の所謂従多陣一的の傾向と一疋へるのである。天台は宗敬の最大要素たる信仰の方面を 略して‘唯だ智力的方面に偏したかの観あり、所謂哲串的にして宗敬的趣味を闘いて居るのである。宗躍は之と異り 同より共立脚地は結封無上の妙法の哲接的見地の上に宗敬的の行儀、信仰を供へてをられたのであって、所調虞時を 捨てて肝要を取られたのである。故に諸御書に於て種々の方面より解騨を施されてをるが‘要は妙法統一論に蹄する のである。詳しく言へば悌々相封.本化迩化相割・樺貨相封、本挫相劃等の諸法門を設かれてをるが、結局は妙法統 一論に蹄するのである。市して妙法五字を把持する方法として信仰唯・一論に牧まるのである。されば﹁本掌抄﹂に於 て探速なる一念三千論を妙法五字に詰論され t 居 る 。 即 ち 、 不 日 識 司 一 念 三 千 ザ 単 位 − − A 伸 起 副 大 慈 悲 ↓ 。 妙 法 五 字 ノ 袋 , 内 = 裏 司 此 珠 ↓ 令 山 王 ヲ 懸 回 米 代 幼 稚 , 頚 一 。 ︵ 九 四 九 ﹀ と、乍然、斯様に一念三千の如き精織を極めた議論を摘いて、僅かの五文字 K 要約するととは、華寛非論理には非る }.Jg 量 丘 数 観 論 九 五
}.J:] liJt ま 士 翻 論 九
,
、
か、退沙的、素朴的には非るか等の錠ひ左きにしも②らやであるが‘宗副は御堂日の中に這般の泊息を侍へられて、﹁問 信 五 口 問 抄 ﹂ に ‘ 問 ヲ 汝 何 リ 不 日 制 制 = 進 二 念 三 千 ノ 観 門 寸 唯 令 リ ャ 唱 一 一 題 白 許 づ 。 答 テ 日 夕 日 本 ノ 二 字 通 龍 一 − 聾 シ テ ム ハ 十 六 園 之 人 畜 財 三 モ 不 L残 サ バ 氏 ノ 隔 出 子 = 宣 無 司 令 七 十 筒 園 、 妙 築 ノ 一 区 タ 略 ソ 撃 で 経 題 ↓ 玄 E 牧 山 一 部 ↓ 。 叉 去 ク 時 ν 架 で 界 如 ↓ 兵 士 揺 日 三 千 ↓ 。 文 殊 師 利 控 日 曜 阿 難 骨 骨 者 三 曾 八 年 之 間 J 僻 語 奉 叶 之 ヲ 題 目 妙 法 蓮 華 経 ↓ 共 キ 下 三 領 解 シ テ 一 五 ク 如 是 我 聞 ト 云 一 五 0 ︵ 一 五 四 二 ﹀ と記されたるが如き‘題目受持の理由を説明して明白である。猪又ベt
野 抄 ﹂ に は 、 今末法に入 P ねれば飴艇も法華経もせんハ詮﹀なし但雨無妙法蓮華経なるべし。かう申シ出Z
て 候 も わ た く し ︵ 私 ︶ の 計ZK
はるらや。緯迦多賀十方ノ諸僻地涌千田作の御計ζ也。此雨無妙法蓮華艇に飴事をまじ︵交︶へばゆゆしきひが ︵ 僻 ﹀ 事 也 0 ︵ 一 七 一 七 ﹀ 冒 と あ る 。E
に営今の時代に埴へる易修易行と一五はざるを得ねのである。又﹁高橋抄﹂には、 末訟に入 η たば迦薬阿難等文殊蹴勅菩薩等製玉観一音等のゆづられしととろの。小乗経大乗経誼に法華経は文字はあり とも家生の病の築とはなるべからや。所謂病は重し柴はあさし。共時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字の五宇を 一 閤 浮 提 の 一 切 衆 生 に さ づ く べ し 。 ︵ 一 二 七 七 ﹀ とも明言せられてをる。以て如何に五字受持の至妙至賓なるかを思はねば・ならね次第である。更に﹁同信五日間抄﹂に は 斯 く 附 加 へ て ‘ 直 官 時 持 = 此 粧 ↓ 者 非 レ 亙 山 二 経 一 。 専 持 題 目 不 は 雑 品 徐 文 ↓ 向 レ 不 許 可 一 経 ノ 讃 諦 ゴ 何 − − 祝 ャ 五 度Z
。 ︵ 一 五 四 一 ︶ と 一 去 は れ 、 叉 ﹁ 取 要 抄 ﹂ に は 、於 宅 末 法 一 者 大 小 櫨 貰 顕 密 共 畠 有 け 敬 : 銀 河 出 得 道 二 閤 浮 提 皆 僑 ヨ 説 法 斗 回 宅 。 筋 三 逆 縁 ザ 但 限 引 妙 法 蓮 華 経 F 五 宇 一 一 耳 。 乃 至 日 蓮
4
5
、 庚 略 ↓ 好 品 肝 要 ↓ 所 謂 上 行 菩 薩 所 偉 ノ 妙 法 蓮 華 麗 J 五 字 也 。 ハ 一O
四 二 ﹀ とも一式はれた。此等は皆、妙法統一論、信何唯一論の立脚地より見た本化の燃犀なる論鋒である。斯く論じ来れば、 裁に一つの誤解乞招く虞れがある。即ち讃諦誘法論である。そは上来の文字の中に讃経を否認せられた所あるを見て 直ちに法華艇の護請を以て語法罪なりと思ふは、大なる僻見と云はねばならね、何となれば妙法の民意を得来りし上 に‘共経文 bL 観じ来れば七官向。文字悉く妙法の信仰 bL 勧奨せざるはなしであって、妙法の信仰を把持せんとする者が 之 を 一 説 諭 す る は ι 買に之れ妙法受持の助行に非 A T して何であらう。何ぞその助行を白して飴経讃請の語法と同一蹴する ととが出来ゃうか。吾人は断じて共不可を主張するものである。されE
讃諦助行論は今の主論に非ざるを以て之に止 め る 。 さて如斯に論じ来れば.勢ひ三大秘法論と妙法統一論.信仰唯一論との関係を論ぜねばならぬが、要するに宗凪の 三大秘法論は此の妙法統一論信仰唯一論を完成せんが矯めに建設せられた形式に外友らぬ。されE
其形式の大成は身 延に於て始めて成されしものにして‘之を以て働敬諸宗弘統一すべき方策として門子壌越を指導せられたのである。 思ふに、三大秘法論も畢党は妙法統一論信仰唯一論たるに過ぎ友い。何となれば三大秘法論即唯一の妙法たればで ある。則ち唯一の妙法主所信の境に約して本隼と名け、持戒に約して戒壇と稽し、口唱に約して題目と名けたのであ る。猫詳言すれば、行者信仰崇拝の境的として本寧を要し、行者が信受奉行する稿名を要するから題目となり、此本 隼に劃して此題目を唱ふる者、須らく敬鹿至誠を以て動作せ・ヂんぽあらや。是に於て本門戒壇の成立を見るのでるる 要するに三者は貰に唯一妙法の質説であり.唯一信仰の表白でるる。三大秘法論と妙法統一論と信仰唯一論との闘係 別 頭 数•
諭 九 七BO 頭 毒
t
観 論 九 A は斯くの如くである D ︵ 報 恩 抄 下 参 照 ︶ 之を要するに、宗副胞の一念苫一千論は仰いで愈々共高きに蔚く可く‘臨むで径々共探きに感 4 1 るのみである。叉妙法 統一論‘信仰唯一論に至ては、国満至極なる宗救組織にして、紛糾雑嵐せる思想、宗救国仲今日の時機に正しく趨犠せ る行門と稽賛ずべきである。想ふて誌に至れば本化の宗や幽主にして簡明、宗岨の識や該博にして高速深遠たるを蝿 ゆるのである。唯だ我等は何いで信 4 1 べく‘備して讃じ挙るの外なき弐第である。 第 四 章結
論
宗組は第三の敬相を府ひ‘ 一面に樺挫の諸宗を無得道と論告し‘ 一面に本門書量の一念三千の法門を掲げ来って、 之を妙法に結蹄し‘而して僻敬諸宗の統一を計り.但信無解の易行佐立てて末代の下機を躍し、国浦・なる平民主義の 一大宗散を建設された末法の導師たるととは前に略越せる如くでb
る。而して宗組の御生涯を一貫せる大思想は賞に 妙法統一論である。共妙法統一論主主張された所以は組ぼ組判の明文に依り知り得るととであるが、共妙法統一論を 知る捷俸は何か‘そは宗組が一期賞身の大事と何せられた伎の佐渡始顕の大量茶臨棋を拝するに若くはない。此長茶羅 は題目の光明に十周作を包み照したる隼形にして、妙法の下に十凶作の貫在乞詮明したるものである。妙法以外に割蟻的 個立を許さない。換言すれば.妙法を離れては樺隼たく・多費伸たく、本化たく、連化なく、天上界なく、人間界な しでるる。即ち妙法に順ぜざるものは働たりとも之乞諦法と嫌ひ、無聞と破するのでるる。宗祖の所謂念悌無聞も此 意義主出でたい 0 ・況や共巳下をやである。故に妙法の中心を離れては如何なる悌、如何なる菩薩が設かれた法門であ っても.そは無関諭と在り‘亡凶論となるのでるる。叉妙法に順ぜぬものは一切その存在を認めないのである。斯様に妙法を中心として十法界の統一を計ったのが長茶羅本隼の営相である。 上来述べ来った所は、本化別頭の敬観を唯だわづかに共梗概を系統的に羅列したに過ぎねのであって、彼の一念ご一。 千論の質問の如き、妙法統一論の完成の如き、信仰唯一論の現前の如き‘または種熟脆法門の如きに至つては殆んど 未だ説き到らないが、斯くの如きは到底、今の小論文の翠す所に非守、若し強て之を趨ぶれば‘断片的不得要領に陥 り、只荘漢として雲を撞み、風を捉ふる底の感るるぺきを以て、今は只僅かに本化別闘の救視の大要を系統的に論述 したるものである。 惟ふに、敬視は以て大に支離滅裂其底止する所を知らざるが如き帥救各宗の E 邪を札明ずるには快くべからざる重 要在る敬義である。換言すれば‘俳散の各︷一万祇を統一綜合するの問題には、必要寸時も忽にすべからざる救誌にして ま た 僻 散 々 理 史 の 端 医 謹 上 、 必 A Y 接鯛せざるべからざるの問題である。さればそ白設相の本陣たる一念三千論に至って は、之を僅かに俳敬内部に閉息せしめやして、堂々と枇舎の島一卑に提供して共異債を定むべきであらろ。即ち科事、 宗教の比較研究に、或は哲撃、敬育、政治、道徳等と宗教との関係を比較研究する上に於て、本門事の一念三千論は 最も大なる人生観、最も大なる世界観を包有せる大哲理であり、未だ欧米諸島 T 者の夢想し能はぎるほどの教理たれば とれを研究して世に紹介するは質に本化の末撃たる我等の任務であらねばならぬ。 されば、妙法統一論、信仰唯一論は敬相論. 一 A 念三千諭に依って討究精震せられたる最後の賓賜にして、人心統率 の 標 的 、 宮 内 議 日 前 同 行 の 根 本 宗 義 と し て 、 民 基 日 完 美 の 行 円 で あ る 。 吾 人 は 須 ら く と の 高 妙 な る 行 門 を 敬 一 不 せ ら れ た る 宗 祖 の大慈悲を感侃せねばならね。市して我等共流を汲む者は宜しく此民妙の大法を宣一不するととに勉めねばならぬ。山一旦 に徒らに悠 k 閑日月を娯み千載の好機を失墜して可ならんやである。願くは諸先聖の膜尾に附し‘且つは同信の者相 }lg 頭 敬 叡 論 九 九
}JO 頭 教 観 論
一
O O 助け、相携へて.旺んに大法宣布の洪誌を策さんととを欣求切望するものである。 宗艦大聖人﹁報思抄﹂に示して日く‘ 日蓮が慈悲断、大ならば南無妙法蓮華経は寓年の外未来までもたがるハ流布︶べし。日本閣の一切衆生の盲目をひら ける功徳あり。無間地獄の道をふさぎね。此功徳は博敬天台にも超へ龍樹迦葉にも勝れたり。極端官官年の修行は積 土の一日の功に及ば歩。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮が知日のかしときにはあらや時 の し か ら し む る 耳 。 ハ 一 五O
九 ︶ ム ﹂ 、 叉 ﹁ 如 詮 修 行 抄 ﹂ に 示 し て 日 く ・ 法華折伏破樺門理の金言なれば。絡に樫敬楼門の輩ラを一人もなくせめをとして法王の家人となし。天下寓民諸乗一 品抑乗と成て妙法濁り繁昌せん時。寓民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らぽ。吹ク風枝をならさや雨壌を不 L砕Z
代 は 義農の世となりて今生には不鮮の災難を梯ひ長生の術を得。人法共に不老不死之理顕れん時を各各御菅ぜよ。現世 安 穏 の 詮 文 不 日 可 円 有 山 疑 ヒ 者 也 。 ハ 九 六 八 ﹀事成院日毒師三その殺事
山
田
英
毒
第 章事戚院白書簡に劃する考究
第一節 書 師 の 遺 品 及 遺 蹟 角岡山妙光寺は害師剛時の業を成ぜし地にして、E
つ同山三十五世の倖燈たり。同寺に臓する葬師の遺口聞は 一、剛略原本七品位・現行の捌略と何等の相蓮無く、其第一巻表紙裏に三寸に二寸位の日本紙の貼紙あり。共の文に日く 一 月 三 星 心 呆 清 滞 ノ 樺 一 一 付 日 書 云 ク 右様史記天宮書索隠繭雅ナリ、大辰ハ房心尾也冠註授=考要一心ノ三塁一名=大果−中大星矯明堂天子之正位也、前昼 太 子 後 星 庶 子 史 記 本 − 一 一 再 大 星 天 王 前 後 皇 子 属 云 云 房 ニ 四 星 心 ノ 三 星 尾 − 一 九 星 ア リ 一 五 一 五 右 楳 恐 一 フ グ ハ 斯 様 ナ 底 ヨ リ 出叉卓氏藻林家偏起心一ニア夫婦之象−故−一嫁スル者名テ以テ儒レ候一匹云宋唐以下ノ天文志ヲ検セパ而共義徒明ナラ ン東宮蒼龍ハ房心尾ノ惣名ト見ヘタリ。 右貼紙の文何人の註なりや知ら予。筆勢甚だ難解なり。初めの白書一五くの字、﹁日書云々﹂とも見ゆ。書公の筆勢に似 る も 未 だ 詳 な ら 歩 。 一、御本簿一幅、此の外角田山檀越諸家中に十岡本を教ふるも、皆同型左り。即ち中央題目の下に日蓮と大室内し其の 事成院日審師とその教事。
事成院自審師とその致事