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貨幣とは何か? : J.カルトゥリエの《貨幣的アプローチ》

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(1)チ 一. ロ. プ. ア. 的. 幣 貨. Ⅰ Ⅰ Ⅰ 1ノ. ウ岡. ト. ン ノ. カ. カ Ⅰ. 宙 Ⅰ y. Mone. O. g. S Ⅰ eⅠⅠ Ⅰ 1 te ゐ ". nⅠ 0 Ⅰ Ⅱ ea m. J.. ワ・. 伍 e. t. S o Ⅰ 1. W"". カ. 何. ま 6. と. 幣. 貨. 1. 問題の所在 欧米における 正統派経済学の 圧倒的支配のなか、 G. ドゥルプラスと E.J. ネルの編集によって、 ポスト・ケインズ 派やマルクス 派などの異端派に 属する論客たちが 結集した "MoneyinMo. はon". が 出版された " 。 この著作は、 貨幣が本質的な 役割を果たさない 一般均衡論のフレームワークや 短期的不均衡においてのみ クに 対する批判. 貨幣が重要であ るとするフィッシャー 以来の数量 説 的なフレームワー. いわぬる新古典派批判. を共通のテーマとしている。. たしかに、 実物的ア. プローチをその 基礎とする正統派経済学に 対する批判という 点において、 また、 いずれの論者も マルクス、 ケインズ、 あ るいはカレツキの 影響を受けているという 点では足並みをそろえており、. 一部共通するところはあ っても、 それぞれの論者による 貨幣論には確固たる 共通の土台というも のはなく、 今のところ、 それぞれ異なる 分析手法に基づいて 議論を展開しているというところが 現状であ. る. " 。 それでは、 異端派の貨幣論の 理論的構成において 足並みがそろわない 根本的な原. 因 はどこにあ るのだろうか。 われわれがみるところ、 貨幣的経済学の 構築にあ たって「貨幣とは. 何か ? 」という最も 基礎的かつ根源的な 問いに対する 答えが異なっている 点にその一因があ る。 さらにまた、 異端派においても、 実物的アプローチに 属する貨幣の 定義. ( 機能主義的な. 共有している 論者が多 い ことが、 代替理論の共通の 土台づくりをさらにいっそ. う. 定義 ). を. 困難なものにし. ていると考えられる。 金融の革新が 進展し 、 種々の金融商品が 現代においてもなお 次々と産出されている 目前の経済 において、 たしかに、 現代の経済状況を 直接分析するためのフレームワークの. 構築が急務であ る. ことに誰も異論はないであ ろう。 しかしながら、 「貨幣とは何か ? 」という問いに 対して明確な 答 えを見いだすこと、 そこから出発して 一歩一歩段階を 踏みながら、 代替理論を練り 上げ、 鍛え上 げてい く作業をおろそかにすることはできない。. 現代における 正統派経済学の 隆盛には、 様々な. 理由が考えられうるが、 その 一 っとして以下のような 理由が挙げられよ. う. 。 すな ね ち、 正統派 経. 済 学が現在もなお 経済学徒たちにとって 魅力的に映るのは、 決してそれが 現状分析にすぐれてい るからではなく、 どの標準的なテキストにおいても 描かれるような 確固たる基礎理論. (. ミクロ 経. 済学 ) が存在しているからであ る。 この盤石な土台とは、 方法論的個人主義に 立脚した市場経済 理論であ り、 その究極の姿がフロー・. ド ブリュ一型の 一般均衡論であ ろう。 ワルラスやメンガー. らの登場によって 経済学史上に 位置づけられる 限界革命以来、 現代に至るまで 多くの経済学者た ちを魅了してきた 原子論的な市場経済理論に. 対して、 現在もなお、 異端派から様々な 批判が提示.

(2) 片岡. 2. 浩二. されているが、 しかしながら、 代替的な市場経済理論の 構築へと向かわずにそこにとどまってい る限り、 それは外在的批判にすぎない。. というのも、 正統派の理論家たちが 立てた問い、 すなわ. ち 、 市場経済における 諸個人の自由で 独立した行動はいかにしてコーディネートされるのか、. いう市場経済の 探求にとって 欠かすことのできないプロブレマティークそれ ことなしには、 市場経済理論を 思考することは 不可能だからであ. ーディネーションを 相対. ( 実物的な ). る. 明. と. 自体に介入していく. 。 正統派は、 そのようなコ. 価格メカニズムに 求め、 市場には自己調整メカニズムが. ビ. ルト・インされていることを 証明しようとしてきた。 このように、 たとえ分析のフレームワーク が異なっていたとしても、 代替的な市場経済理論にとって 0 行為のコーディネーションがいかにして. 中心的な問題も、 市場における 諸個人. 行われるのか、 そのための中心的要素は 何であ るのか、. という点に求められねばならない。. 換言すれば、 市場経済の働きを 理論的に説明するための 最小. 限 必要な仮定とはいかなるものであ. るのかが明示されねばならないのであ. 替する貨幣論がテストされるのは、. それがこの問いに 十分な答えを 用意することができるのかど. る。 実際、 正統派に代. うか、 にかかっている。 したがって、 「貨幣とは何か ? 」という問いに 対する答えは、 裏 を返して 言えば、 市場経済における 諸個人の取引を 可能にする原理的な 仕組みを説明するものでなければ ならない。 われわれがイメージする 市場経済とは、 語の強い意味において 分権 的な経済であ る。 その観点からすれば、 ワルラス流の 一般的均衡論のような、 取引する際の 各取引主体の 意思決定 が 奪われた集権 的なモデルによっては 捉えることのできない 問題を探求する 必要があ ろう。 すな ね. ち、 事前のアプリオリな 調整が不在のもとでの 諸々の分権 的な意思決定が 有効な (e穣 ctive). ものとなり、 それらが一定の 秩序を生み出す 条件 克 する条件. ). ( 不均衡であ. るにもかかわらず 市場の合意が 成. とは何であ るのか、 という問題であ る。. 実は、 こうしたプロブレマティークを 設定し、 正統派とは根本的に 異なる答えを 提示しようと しているのが、 冒頭で挙げた 著作にも名を 連ねている J.カルトゥリ ェ であ る。 彼は 、 自らの市場. 経済の分析方法を、 実物的アプローチと 対置してく貨幣的アプローチ》と は、. 称している。 彼の眼目. 新古典派の一般均衡論に 代替する市場経済理論を 構築し、 それに基づいて、 ケインズ や カレ. ッキの経済学を 再構築することにあ る。 本稿の目的は 、 彼の貨幣論. そしてそれは 市場経済 理. 論 でもあ るのだが -一の理論的射程を 確認しつつ、 それがもつ代替理論構築のための. 可能性を探. っていくことであ るり。 われわれは、 前稿で、 貨幣が制度であ ることを強調しようとした。 し、. ただ. 貨幣が制度として 定義されるとしても、 その制度の具体的内実が い かなるものであ るかが明. 示されねばならない。 本稿では、 正統派のみならず、 異端派においてもしばしば 見られるような 貨幣の機能主義的把握の 倒錯性・虚構性を 別 扶 した上で、 カルトゥリ ェ が提示する代替的な 貨幣. 論を取り上げ、 市場経済理論における 制度としての 貨幣の位置価を 明確にすることによって、. 貨. 常論の新しい 地平を探ることにしよ. ぃ在. l) G. ドゥルプラス /E.J. ネル (14). 2) 編者によるイントロダクション (14) 参照。 もちろん、 異端派の分析にそれぞれ 違いが存在 するのと同様に、 正統派にも理論的にそれぞれ. 異なるヴァージョンが 存在することは 言うまでも. ない。 したがって、 ここでは、 正統派を方法論的個人主義に アプローチ. ). を擁する学派のことを 総称するものとしてお. 立脚し、 自然主義的な 価値論 {. ( 実物. 的.

(3) 貨幣とは何か ?. 一 J. カルトゥリ ェ のく貨幣的アプローチ》 -一. 3. 3) 例えば、 福岡正夫は、 「元来経済上の 意思決定がすべて 分権 的になされる 市場体制に、 なぜな にほどかの秩序が 生成されるのか」、. という問いに 対して、 「ワルラスの 思想を踏襲した 一般均衡. 論 」が、 未解決な問題を 残しつつも、 「この問いに 答えを与える 一つの標準的図式として、 でもなお揺るぎない 地位を保っている」 (C 7). 3. Ⅰ. 今日. 項 ) と述べている。. 4) ただし、 直ちに付け加えておかねばならないが、. 本稿の目的は、 カルトゥリ エ の貨幣論を取. り上げ、 その理論的内実を 解明することを 第一義としているが、 彼の様々な議論. (彼の研究は、. 重農主義者や 重商主義者に 関するものや 一般均衡論の 批判的検討、 さらに、 マルクスやケインズ の理論的再構築の 試み等、 その範囲は多岐にわたっている に関する規定に 絞って検討していることを. ). のうち、 本稿では制度としての 貨幣. 断っておきたい。 カルトゥリ エ が自身の貨幣論の 全体. (6) (12) (13コを 挙げておく。 なお、 日本でカルトゥリ エ の 貨 幣的 アプローチを 踏襲している 文献として、 海老塚 明 (15コおよび (16 第 1 章参照。 本稿にお. 像を簡潔にまとめたものとして、. コ. けるカルトゥリ エ の貨幣論の検討は、 海老塚による 解釈から多く 示唆を受けている。. D. 貨幣の機能主義的定義が 依拠する仮説 1. 貨幣の技能主我的定義 かつて、 J.R ヒックスは、 「貨幣とは何か ? 」という問いに 対して、 次のように答えている。. 「貨幣はその 機能によって 定義される。 すなわち貨幣として 使われるものは 何であ れ貨幣であ る。 換言すれば、 「貨幣とは貨幣が 行なうことであ る。」ところで貨幣の 機能には 3 通りのものが. 存在する。 すなわち計算単位…として の貯蔵 手段として機能すること、. 機能すること、 支払手段として 機能すること、 および価値. これであ る。 ((20J 1 頁 ) 1) 」. このように、 通常、 貨幣は、 これら三つの 機能一一ただし、 上述の支払手段としての 機能は、 交換. ( の媒介 ). 手段あ るいは流通手段機能とも 呼ばれる一を 果たすモノとして 定義される。. こ. のような定義においては、 貨幣がモノであ ることが当然視されており、 それは、 特殊な財、 商品、 資産であ るとみなされている。 そして、 貨幣について 書かれた多くの 教科書. (あ. るいは専門書. ). では、 これら三つの 機能のうち支払手段あ るいは交換手段としての 機能が説明される 際には、 経. 済 学者にとって 馴染み深い物々交換から 貨幣を媒介にした 交換への発展の 歴史が書き添えられる ことになる。 その場合、 アプリオリに 共有されている 観念は、 貨幣がモノであ るということ、 市 場 経済の登場人物であ る近代的な合理的個人一それが 経済人あ るいは経済主体と 呼ばれよう が、 商品所有者や 財所有者と呼ばれようが -一が特殊なモノとしての 貨幣に先行して 存在する、. ということであ る。 すな ね ち、 市場社会あ るいは欲望の 体系としての 市民社会に生きる 自由で独 立した近代的な 個人による自発的な 交換を起点として、 自生的であ れ何であ れ、 貨幣は、 既存の 多様な商品の 世界に、. あ. とから、 特殊な機能あ るいは質を付与された 財や商品、 資産としてその. 世界に適合するように 導入されることになるのであ. る。. 例えば、 C. メンガ一の販売可能 度 (Absat㎡哲 Mgkeit). あ. るいはケインズの. 流動性㎝ quid ㎏ ). といった概念は、 これまで、 種々の貨幣論において、 貨幣を含む様々な 実物あ るいは金融資産に. 適用可能なものとしてしばしば. 利用されてきた。 これらの概念が 貨幣に適用されることによって、. 貨幣の特殊性が 説明される。 貨幣に関する 機能主義的な 議論のエッセンスは、 これらの概念に 端 的に現れている。 例えば、 機能主義的な 定義について 疑問を提起する 猪木武徳も 、 自ら貨幣を独. 特な モノであ るとする見方に 囚われている。.

(4) 片岡. 4. 浩二. 「貨幣論のテキストでは、 貨幣とは、 勘定の標準単位 単位で表された. ( たとえば 円. とかドル ) で測られ、 その. 負債を、 確実性をもって 返済することができるきわめて 流動的な資産、 と定義さ. れている。 この定義自体に 含まれる「確実性をもって」とか「きわめて」という. 言葉が示すよう. に、 どの貨幣が貨幣たりうるかは 相対的な要素が 入らざるを得ない。 " 貨幣と貨幣類似資産の 間 はは. " 貨幣, 性". の濃淡のあ る多くの資産が 並んでいる。 まさに時代により 国によりその 濃淡の深. さと幅が異なっているのであ. る。 そればかりではない。 あ る人々によって 十分. とされたものが、 別の人々にはあ まり. " 貨幣的 ". " 貨幣的 ". であ る. とは認めがたいという 場合もあ る。 すな ね ち、. 貨幣は名詞としてよりも、 形容詞として 用いられるべき 特性をあ らわしているともいえるⅡ. ((22J 91-2 頁 ) ,, このような猪木の. 疑問は、 それ自体としては 正当であ ると思われるが、 貨幣というモノに 付与. されている特殊な ,性質、 すなわち流動,性 という概念自体について 疑問を提起していないという 点 で、 きわめて不十分な 問題提起と言わねばならない。. というのも、 猪木が、 メンガ一の貨幣発生. 論 において重要な 役割を果たす 販売可能 度 という概念について、 吉沢英成の議論 " の概念自体すでに 貨幣を含意している」. ( 同上、. を. 引き、. 「そ. 101 頁 ) と述べているのとまさに 同様のことが、. 流動性という 概念にもあ てはまるからであ る。 流動性という 独特な,性質もまた、貨幣を前提にし てはじめて定義可能なものとなるであ. って、 それ自体、 他の資産と同様に、 貨幣に適用される 概. ではない。 また、 販売可能度や 流動性は、 実物・金融資産に 前もって存在する 性質ではな. {. 貨幣的にのみ 規定されるものであ り、 しかも、 実際に貨幣に 変換されることによってのみ 事後的 に 確証されるような 予想や期待に 基づく評価から 生じる。 このような販売可能度や 流動性につい. ての誤解は、 後で述べるように、 貨幣と実物資産や 金融資産との 混同、 端的に言えば、 貨幣と資 本との混同のもとで 生じる。 だが、 今ここでわれわれが 主張したいのは、 このような誤解を 正す ことではない。 むしろ、 このような誤解の 背後にあ る貨幣 観 が重大な過ちをおかしているという ことであ る。 貨幣というモノに 関する機能主義的な 議論は、 貨幣を経済諸主体の 選択の対象とな るような特殊な 経済財とみなすことによって 特殊な経済的対象とみなされているのであ. 成立する。 貨幣は、 需給法則の適用を 受けるような る。 実際、 貨幣というモノの 特性やそれが 果たす機能、. さらにはその 価値や数量にばかり 目が奪われてしまうのは、 市場経済理論を 財や商品の世界から 出発して展開する 諸仮定に依拠しているからであ 産 等に付与された 特殊な性質のゆえに 貨幣たり か、 という点に注意が 向けられることになろ る. う. る。 この場合、 貨幣は、 耐久的な財,商品・資 ぅ. るのであ るから、 このモノの特殊な 性質とは何. 。 そして、 次のような疑問が発せられることにな. 。 私的な消費の 対象ではない 貨幣をなぜ受け 取るのであ ろうか。 それを受け取る. 要が存在する と。. ). ( プラスの需. 以上、 諸個人にとってプラスの 価値が存在していなければならないのではないか、. たとえ特殊な ,性質をもっているとしても、 物々交換とまさに 同様に、 価値 物と 価値物の交換. という実物主義的な. 視点から類推すれば、 貨幣もまた、 何らかのかたちで 価値を有していなけれ. ばならない、 ということになる。 ここで、 経済主体が一堂に 会し交換が同時に 行われるワルラス 的な一般均衡モデルとは 異なり 継起的な経済を 対象とする重複世代モデルを て貨幣が有するプラスの. 取り上げてみよう. り. 。 このモデルでは、 時間を通じ. 価値の存在、 すなわち貨幣の 価値貯蔵 機能について 明らかにしょうとし. ている。 そこでは、 無限 期 にわたって続いていく 経済の中で有限期間しか 生きられない 二世代の. 主体、 老人と若者との 間の交換が取り 扱われている。 各主体の生命の 長さは同じであ るが、 その.

(5) 貨幣とは何か ?--J. カルトゥリ エ の ゑ 貨幣的アプローチ》. 前半期であ る若年期において 利用可能な初期賦存量はすべて. 一 -. 5. 後半期における 老年期に持ち 越すこ. るとされる。 この場合、 老人の側からは 提供できるものが 何もないため、 老人と 若者との間で 交換が成立しない (欲求の二重の 一致が成立しない ) 。 ここに、 価値貯蔵 手段とし ての貨幣が導入されるなら 事態は一変する。 最初の時点で 老人が紙切れを 貨幣として受け 入れさ とが不可能であ. せることに成功したとすれば、. この老人は財をもって. い. なくとも、 若者と交換することが 可能と. なる。 しかしながら、 若者が貨幣を 受け取るのは、 次の期の若者がそれを 貨幣として受け 取って くれると予想するからであ る。 したがって、 経済が有限 期 ではなく無限に 続いて. い. くことを仮定. する限り、 そしてまた、 その紙切れが 無限の将来にわたって 価値貯蔵 手段として通用することが 信頼されている 限り、 それはプラスの 価値を持ち続ける、 とされている。 有限期の経済が 想定さ. れれば、 それは最終期の 主体にとって 何ら価値をもたない 紙切れでしかなくなり、 また、 その 前 0 期においても 貨幣は価値をもたなくなり、 このように、 遡っていくと、 結局最初の時点で 老人 が差し出す紙切れは 貨幣として受け 取ってもらえなくなる。 このようなモデルにおける 貨幣は、 諸個人の選択に 従属する価値の 貯蔵 手段でしかない. ". 。. こ. こでは、 貨幣を貨幣として 需要するかどうかは、 異時点間の最適な 資源配分という 文脈に沿って 自発的に交換を 行 う 諸主体の選択に. 依存している。 われわれは、 ここで経済的選択の 対象として. の貨幣の需要、 端的には、 資産選択の一つの 手段という点に 貨幣の本質を 見いだそうとする な 議論の背後にあ. る仮説について 考えねばならない。 すな. よって時間を 通じて購買力を. ね. よ. う. ち、 最初のデータに 応じて、 貨幣に. 移転するかしないかを、 さらにまた、 貨幣経済か非貨幣経済かを. することのできるような 主体を想定することが 引き起こす問題について 検討しなければな. 選 らな. ぃ 。 このことを次節で 考察することにしょ. 2. く 自然》の領域からく 社会》の領域へ. 上述のように、 貨幣経済か非貨幣経済かを 選択することができる 主体を想定した 機能主義的な 貨幣の議論が 抱える問題とはいったい 何であ ろうか。 それは、 この ょ うな視角のもとでは、 市場 経済における 個人と社会の 関係、 あ るいは、 市場経済における 諸個人の社会的関係の 形成という きわめて基本的な 問題を考察することができない、. ということであ る。. あ. るいは、. こ. う. 言ってよ. ければ、 こうした問題はすでに 解決済みであ る。 というのも、 社会や社会的なるものはいったん. 後で、 ブロックとしての 諸個人の集計的結果や 合意によって 構築されるのであ り、 社会は個人に 同質化 (個人に還元 ) されてしまっているからであ る。 この場合、 個人と社会、 私. 消し去られた. 的なものと社会的なものの タ /A.. 間には、 もはや距離が 存在しない。 この点に関して、 M. アグリ ェッ. オルレアンは 次のように指摘している。. 「なによりもまず、 それは社会の 首尾一貫性という 問題を隠蔽する。 というのは、 合理性の原 則があ らゆる個人に 共通の前提とされ、 この原則のもとで 社会化がすでに 獲得されたものとされ ているからであ る。 つまり社会的なるものは、 さまざまな個別的調停がもたらす 結果として自動 的に組み立てられるのであ る。 合理的主体の 優位性はまた、 次のような還元主義的な 仮説へとゆ きつく。 この仮説によれば、 あ らゆる組織形態は、 その最も複雑な 形態でさえも、 基本的な諸行 動の総和として 分析されうるのであ る。. 」. ((1 12 頁 ) コ. したがって、 こうした仮説のもとでは、 それを信じる 者たちによって 意識されることはほ と ん どないが、 逆説的にも、 諸個人を社会あ るいは社会関係の 外部に放逐して し ま とになる。 す う.

(6) 片岡. 6. なね. 浩二. ち、 市場経済に登場することになるアクターは、. 「社会化がすでに 獲得されたもの」として. 定義されてしまうために、 すでにつねに、 充溢した意味を 獲得したゑ人間》 二 主体として想定さ れる 6)。 この 26 な 主体は、 市場経済への 参加能力をすでに 獲得済みのものとして、. ば、市場社会を作り 上げる主体二市場における 社会的関係の 外部にい 市場社会. (貨幣経済 ). と 非市場社会. (非貨幣経済 ). さらに言え. ろ 超越的存在として. 君臨し 、. をも選択可能なものとして 位置づけられるこ. とになる。 換言すれば、 欲求する主体と 欲求される 財 との間の関係、 および彼らによって 相互に 結ばれる諸関係は、 社会の外部に、 いわばく自然》の 領域に移動させられることになるのであ る。. 以上のような 仮説に基づけば、 諸個人は、 市場経済における 社会的諸関係の 外部で定義される ことになる合理性を 有する主体であ ると同時に 、 財や生産物 期 賦存星をすでにもっており、. のリスト、 すなむち 初. 自発的な交換が 可能なポジションに 位置づけられる。 そして、 彼. らは、 市場経済の覚部において 存在する財の 空間、 おいて定義可能なものとなる。. (使用価値 ). あ. るいは、 諸 財の分業における 彼らの位置に. まさしく、 このことが機能主義的な 貨幣理解が依拠する 仮説に他. ならない。 これまで、 経済学を市場分析の 科学たらしめてきた 数量化あ るいは同質化の 問題、 具 体 的には、 価格、 賃金や利潤といった 数量の問題は、 実際のところ、 市場経済における 社会的 諸 関係の外部に 存するく自然》の 領域において 取り扱われてきたのであ る。 したがって、 市場にお ける諸個人の 富の獲得競争は、 市場の覚部で 定義され、 仮構的に案出された 寓話の中で思考され てきた、 ということに 帰着するであ ろう。 あ. らかじめ規定された 財 、 商品、. あ. るいは資産から 排除されながらも、. に 導入されると 同時に、 その中で特殊なポジションを. とからそれらの 世界. 占めるモノとして 貨幣を定義する 機能主義. 的な把握の背後には、 以上のような 仮説が潜在しているのであ 支えることになっているのであ. あ. り、 それが貨幣の 定義を根拠づけ. る。 市場における 社会的関係の 外部で、 財と 個人の関係、 あ るい. は諸個人間の 関係を 、 く人間》の労働や 効用、 稀少性や合理性、 効率性によって 基礎づける価値 理論家たちにとっては、 貨幣の問題は、 上述の姉つの 機能を遂行するモノとしての「貨幣の 論への統合」. 価値. ((4) P.366) の問題でしかない。 そのような試みを 行う者にとっては、 貨幣はまこ. とに奇妙で神秘的なモノに 映るに違いない。 例えば、 マルクスと同様に、 貨幣の本質と 起源につ いて分析し、 現代の貨幣理論家たちにも. 少なからず影響を 与えているメンガーは 、 「それ自体と. しては何の使用目的にも 役立ちそうにもない」 物の論理に…矛盾するかにみえる. 事象」. ((25)381 頁 ). ( 同上、. 貨幣の一般的受領性について「. 事. 380 頁 ) であ ると述べ、 次のように指摘してい. る。 「あ る資産財が、. その持ち主によって 、 彼にとってより 有用な他の財と 交換されるというので. あ れば、 それはどんな 平凡な人間の ,悟性にも納得のいく 合目的的な事象であ る。 ところが、 あ. ら. ゆる文明諸国民のもとで、 つねに経済活動を 行なう何千もの 主体が 、 最も有用な商品すらも、. そ. れ自体としては 無用の小さな 金属片や、 また鋳貨と同様に 通用する紙片. に. 交換した いと 思っているだけでなく、. ( 銀行券や国庫証券 ). そのために熱心に 努力しているのが 見られるのであ るⅡ. ( 同上 ). メンガーは 、 「どんな平凡な 人間の悟性にも 納得の い く合目的的な 事象」を生む「事物の 論理」、 すなわち ぺ 自然》の領域に 貨幣を基礎づけ よう とするのであ るが、 この「事物の 論理」の方が 逆 に 、 倒錯的思考に 基づいていると 言わねばならない。 すな ね ち、 ぺ 自然》の領域で 定義された 主.

(7) 貨幣とは何か ? 一 J. カルトゥリ ェ のく貨幣的アプローチ》. 体や財についての 考察に基づいたモノ. ( 商品 ). とモノ. (商品 ). 観念に依拠する 限り、 貨幣的交換は 不思議な現象にみえるであ. 一. 7. との間の交換というアプリオリな ろう。 しかしながら、 市場社会に. おいて、 すなわちく自然》の 領域ではなく、 く 社会》の領域において 経済生活を営むわれわれに とって、 貨幣的交換は 、 く 自然》の領域には 還元不可能な 社会的現象として 存在している。. かくして、 われわれの初発の 問題設定は、 貨幣経済として 市場経済を理論化するためにも、. 始. 源 にあ ると同時に根本的な 基底をなしているく 自然》の領域における 財や主体というアプリオリ な観念からいかにして 脱するのか、 ということになろう。 したがって、 われわれにとっては、 く 自然》の世界を 基底にもつ市場経済理論が 生み出した空白の 領域、 すな ね ち、 く 社会》の領域. へと視点を移すこと、 このことが、 代替的な市場経済理論を 構築するために 不可欠となる。 さら に 貨幣もまた、 モノという次元から、 それを描写するのに 適切なく社会》の 領域へと移動させね. ばならないのあ り、 そのためには、 貨幣を市場における 取引を可能にする 社会関係として 定義し 直す作業から 始めねばならない。 それでは、 貨幣が市場における 取引を可能にする 社会関係であ るということは、 いったい何を. 意味するのであ ろうか。 それが意味しているのは、 貨幣が何よりもまず、 諸個人による 自発的な 交換に先行する 存在であ ることに他ならない。 すな ね ち、 貨幣とは、 合理的な諸主体が 行. う. 自発. 的な交換一一その 原基的形態が 物々交換であ ることは高 6 までもな い 一一 によって生み 出され、. 特殊な,性質を 付与されたモノ 以外の何ものかであ る。 カルトゥリ エ はこうした観点から 貨幣を捉. する貨幣とは え、. 「あ る種の対象、 あ. るいは特殊な 財ではなくルールの 総体」 (Cll) P.61)、 すな. のコーディネーションの 中心的要素」. ね. ち、. 「市場. ((9) p.1) として定義している。 以下において、 彼が定義. 具体的にいかなるものであ るかをみていくことに. しよ. Y王. 1) ヒックスは、 その後、 貨幣の定義に 変更を加えている。 貨幣の本来的な 機能は、 価値の標準 と 支払手段であ. るとして次のように 主張している。 「現金支払い. 「現金での」支払い. 「即金での」支払いまたは. はけっして販売を 行 う 唯一の方法ではなく、 またはたぶん 最も重要な方. 法でもな い ことは、 個人的に最も 共通した経験から 明らかであ る。 私は 、 街を歩いて い て、 新聞 を 購入する際には. 現金を支払うこともあ る。 しかし、 毎朝、 家に新聞. 販売店に注文することもあ る. 1. 部を配達する 2. 6. に新聞. る。 そのとき、 新聞を受け取るたびに 支払わず、 請求書が送られてく. 月末まで待つのが 通常であ ろう。 その場合、 私は配達してもらった 新聞について 新聞販売店に. 対して債務を 負っている。 支払いは、 債務の清算の 形で行われる。 たしかに、 取引の は 購入の. ). ( 販売また. 一般的形態をとるのは 後者であ る。 ((21 47 頁 ) ケインズの流動性 選好論 に代表さ 」. コ. れる貨幣の価値貯蔵 機能については、 「貨幣への交換可能性の 用語を除いては 流動性は定義でき ない」. ( 同上、. 49 頁 ) がゆえに、 この機能は貨幣に 本来備わっている 機能ではない、 と述べてい. る。 この主張は、 カルトゥリ エ とともに、 計算単位と支払手段とを 貨幣の本源的な 様式とみなす. われわれにとって、 非常に興味深い 論点を提供している。 しかしながら、 貨幣が「市場の 作用を 円滑にするために 工夫されたもの」. ( 同上、. 3 頁 ) であ ると考えるヒックスの 貨幣 親 は、 われわ. れの貨幣 観 とは真っ向から 対立するものであ る。. 2) この叙述は、 猪木自身も脚注で 触れているように、 F.A. ハイエクがケインズ 主義的な貨幣 管. 現 に対して批判を 行っているのと 同様の意図が 暗示されている。 ハイエク. ((19) 60-63 頁 ) 参.

(8) 片岡. 8. 浩二. 昭。. 3) 吉沢英成 ((27) 紐,9 頁 ) 参照。 4) P.A サミュ エ ルソン (26 参照。 このモデルの 平易な解説として、 岩井克人 (23) 参照。 コ. 5) 換言すれば、. もし貨幣よりも 価値貯蔵 の. よ. り. よい 手段. (高 い. 利子を生む耐久助 ) が存在すれ. ば 貨幣の需要はゼロであ る。 このような場合、 経済主体に貨幣を 保有させるために、 他の資本財 と競合しないようなアド・ホックな. 仮定が必要となるであ ろう。. 6) 近年、 異端派にも影響を 与えている情報の 非対称性や限定された 合理性といった 議論は、. こ. のような想定から 脱却することができ、 また、 市場経済の特性を 示すうえでも 無視することがで きない重要な 論点を提供している. よ. うにも見える。 しかしながら、 これらの議論は、. 「水平的な」. ((10) p.5) 主体間の次元を 問題にし、 そこにとどまる 限り、 市場経済の表層部分しか 捉えてい ないことになる。 自律した諸主体の 行動に対する 制約条件を次々と 列挙し、 それらが彼らの 行動 に影響を及ぼす. (あ. るいは限定を 加える. ). 問題の探求は、 実際のところ、 どこかで暗黙のうち. に、 く 自然》の自律した 主体を想定してしまっているように. 思われる。. Ⅱ・支払システム 一 制度としての 貨幣 一 それでは、 諸ルールの総体、 すなわち制度としての 貨幣は、 どのように規定されるのであ か。 カルトゥリ エ は、 制度としての 貨幣を、 最も抽象的なレベルにおいて、. ろう. 三つの構成要素から. 成るく支払システム》として 捉えている "0 すなね ち、 支払システムは、 「共通の計算単位」、 「貨幣鋳造 (monn 町 ㎎ e)」の様式、 「収支残高清算」の 様式の姉つから 成っているものとされる。 そして、 これら三つの 構成要素は、 以下のような 市場経済に固有の 二つの原則を 説明するもので なければならないとされている。 冒頭で述べた. よう. に、 支配的経済学に 代替する貨幣理論は、 市場経済のワーキンバを 説明でき. るものでなければ 不十分な意義しかもちえみり。. まず、 市場経済理論が 解決しなければならない. 根本的な問題が 設定されるのであ るが、 彼はそれを、 「諸個人は、 どのようにして 市場を通じた 彼らの富の客観的な 評価によって 社会化されるのかを. 示す」. ((2) P.132) ことに求める。 市場を. 通じてのみ、 諸個人の富の 評価が社会的に 決定されるのだとすれば、. その評価メカニズムがいか. なる社会的様式のもとで 成立し、 また、 諸個人がどのように 行動し、 彼らの市場での 活動がいか なる結果を生むのかが 明らかにされねばならない。. そこで、 カルトゥリ ェ は、 市場経済を説明す. るためには、分権 化と相互依存性という 二つの原則を 満たすものでなければならないと. 主張する。. 彼によれば、 市場社会は、 「個人的なものと 社会的なものとの 間の分離」 ((8) p,242) によって 特徴づけられる。 すな 的. ね. ・全体主義的ではない. ち、 一般均衡論における 裁定者 ). (競売人 ). なるものが存在しない. 市場経済では、 不均衡であ るにもかかわらず. ( 集権. (静態的な均衡状態と. 適. 合しているかどうかとは 無関係に ) 、 諸個人が自分自身の 意思決定に従って、 取引を遂行するこ とができる. (分権 化 ). のであ るが、 それらの行為の 意図せざる結果には、 常に市場における「社. 会的なサンクション」 ((11) P.60) が待ち受けている. ( 貨幣的等価の. 原理に基づく 相互依存性 ) 。. それでは、 この両者を説明することが 可能な貨幣論とはいかなるものであ 的にみていくことにしよう。. るのか、 この章で具体.

(9) 貨幣とは何か ?___T. カルトゥリ エ のく貨幣的アプローチ》. 1. 共通の計算単位. 一. 9. 市場経済の共通音譜. カルトゥリ ェ が提示する貨幣的アプローチは、. 経済的な大きさ、 およびその測定が 何であ るの. か 、 という問題から 出発し、 市場経済における 最も重要な存在として、 実物的ではなく 名目的な. 計算単位を挙げる。 「計算単位は 価格の表現を 可能にする。 この単位が物的な 量. (例えば、. 金属の重さ. ). によって. 定義されるかどうかは、 実践上は重要性を 有するが、 不可欠なものではない。 価格理論の ね. ち、 価値論の、 筆者加勢諸個人が 財の言語を話す. (財はそこでは. @すな. 共通の知識であ ると仮定さ. れる ) のと同様に、 貨幣的アプローチの 諸個人は計算単位で 話す。 ((1lJ P.74) 」. 貨幣経済で話される 唯一の共通言語は、 共通の単一的な 計算単位であ ると定義される。 すな. ね. ち、 諸個人間で取り 結ばれる経済的諸関係が 量的な形態をとるのは、 単一の計算単位を 通してで あ. り、 実物的な単位を 通してではない。 これに対し、 一方で二人の 個人が彼らの 関係に特有の 計. 算単位について 合意に達し、 他方で別の二人の 個人が別の単位を 採用するとしても、 これら二 つ の 関係は貨幣経済に 属さず、 非貨幣経済に 属する。 カルトゥリ ェ とともに、 貨幣的アプローチを. 採用する ドウ ルプラス等が 指摘するとおり、 単一の計算単位は、 「諸主体問の 関係の貨幣経済 へ の 従属の前提条件であ るから、 計算単位を定義する 手続きついての 全ての主体に. よ. る受容を双提. とする」のであ り、 こうした手続きはにの 計算単位が可能にする 自発的な…諸関係とは その手続きが 同じ経済のあ らゆる主体の 外部にあ るという点で、 公的なものであ. る」. 異なり、. ((5 p.33)。 コ. この計算単位の 先行的規定は、 かつてケインズによって 述べられたとおりであ る。 F 貨幣論』の 冒頭において、 ケインズは、 「計算貨幣」こそが「貨幣理論の 本源的概念」. (C24J 3 頁 ) であ. る. と 述べている。. 「計算貨幣は、 繰延 支払の手段であ る契約であ る債務および 売買契約の付け 値であ る価格 表と ともに現われる。 このような債務と 価格 表 とは、 それらが口頭で 述べられようとも、 または焼い た煉瓦や紙の 書類に記帳 することによって 記録されようとも、 計算貨幣によってしか 表示され ない。. 」. ( 同上 ). この計算貨幣は、 「貨幣それ自体」、 すなわち「交換の 媒介 物 それに先行する. 」. ( 同上、. 」. ( 同上 ). とは区別されており. 概念として位置づけられている。 「貨幣それ自体」は、 債務契約や価格契約がそ. の 引き渡しによて 履行される手段であ ぃ. え. り、 「計算貨幣とのかかわりでしか 存在することはできな. 4 頁 ) のであ る。 ケインズは、 この「計算貨幣」を 別のレベルから、 すなわち財の. しているというよりも、 むしろ与件として 定義している。 統一的な計算単位 の 存在は、 市場経済の境界を 確定し、 そこにおける 諸個人の経済的活動を 同質的な次元で 捉える. 価値の次元から 演縄. ことのできる 唯一の手段であ る。 このように、 ケインズと同様に、 カルトゥリ エ は、 計算単位を、 「論理的に経済に 先行する社会的与件」. ((11)P.74) として経済理論の 出発点に据えている。. 諸. 個人の市場経済における 私的な意思の 表現は共通の 計算単位への 準拠によってのみ 可能であ り、 それは、 物理的に異質な 財を同質化することのできる. 唯一の単位であ る。 名目的計算単位の 先行. 性は、 すでに、 貨幣をモノというレベルから 捉える視角を 拒否している。 繰り返して言えば、 幣 とはすでに社会的与件として 存在している 特殊な言語のごときものであ ノというレベルでは 捉えきれない 一つの社会的な 様式を指示しているのであ. 貨. り、 その意味では、 モ る"。. 市場経済において、 数えること、 測定することは、 計算単位を通して 以外には不可能であ る。 価格、 賃金、 利潤といった 数量的諸概念は、 貨幣を通して 以外には存在しえない。. したがって、.

(10) 片岡. Ⅰ0. 浩二. 価値論で双提されるような「財の 自然的空間」 ((8) p.234) とは異なり、 幣的なもの」. 「市場経済の 空間は貨. (ibid.)であ る。 経済的数量は 、 財の物理的な 数量や体化された 労働 量 といったも. のに帰着するのではなく、 そのような自然的対象の 総体の外部にあ る、 市場経済に固有の 社会的 に実在する抽象的な 数量となる。 したがって、 共通の計算単位は、 「諸個人間のコミュニケー、ン コ. ンの第一義的な 概念」. (C1l)P.74)であ ると同時に、 市場における. 富に対する唯一の 共通の測. 定単位でもあ る。 それでは、 この共通の計算単位のもとで、 市場における 経済諸主体の 取引はいかにして 行われ. ることになるのだろうか。 そもそも彼らが 自由で独立した 経済主体として 市場で活動できる 条件 とはいったい 可であ るのか。 この疑問に答えるためには、 一般的に受領される 支払手段を創造す ィ. る様式、 すな. ね. ち、 貨幣鋳造の様式へと 議論を移さねばならない。. 2. 貨幣鋳造の様式 ここでまず、 貨幣鋳造の様式について 述べる双に、 われわれが一般に 貨幣と呼んでいるもの、 すなわち一般的受領性を 有する支払手段についてカルトゥリ. エ がどのように 捉えているのか、 そ. こから始めることにしょう。 一定の計算単位で 構成された支払手段の 存在は 、 財の需要の原理からは 演縛 することはできな い 。 支払手段の一般的受領性もまた、 演 縄 することは不可能であ. 計算単位の規定と 同様に、 社会的与件であ り、 純理論的に. る。 水平的に位置づけられる 諸個人間では、 他者の支払能力や 他者に. よって受領される 支払手段についての 情報は欠如しているのであ. 格、. あ るいは私的なものと 社会的なものとの. 領性は 、 諸個人の「水平的」性格からは 関係が存在することを. 想起させる。. り、 そのことが市場の 分権 的,性. 分離を特徴づける。 また、 この支払手段の 一般的受. 演縄 しえな い 個人と全体との 間の「垂直的」. ((10 p.5) コ. すな ね ち、 共通の計算単位と 一般的受領性を 有する支払手段. の 存在は、 価値論によって 基礎づけられるような 市場の交換の. 論理には従属せずに、 市場の交換. り、 貨幣主権 ( かつての君主や 現代の中央銀行 ) と 密接に関係している。 この一般的受領性をもっ 支払手段の存在は、 購買 ( 支出 ) と販売 (収入 ) とを分離し、 市場経済における 諸個人の関係を 計算単位で評価される 関係 (会計的関係 ) へと 還 元 する。 ただし、 購買 ( あ るいは販売 ) は 、 財と 財の交換、 すなわち価値 物と 価値物の等価交換 ではなく、 支払手段は、 計算単位で測られた 額 だけ販売者に 移転する手段にすぎない。 支払手段 は、 財の購買を可能にしたり、 負債の関係を 終わらせるがゆえに 一般的に受領されるのであ って、 それ自体を成立させるための 社会的与件であ. それが価値をもっているからではない。. すな. ね ち、. 貨幣は 、 他の富と並んで 選択の対象となるよ. うな資産の一つではない。 一般的受領性を 有する支払手段は、 諸個人の初期賦存量を 構成するよ うな富の世界には 帰属しない。 また、 富 それ自体も貨幣的現象であ って、 私的な意味で (私的な 効用や主観的な 欲望に基づいて ) どれほど富裕であ るとしても、 一定量の計算単位、 すな ね ち、 あ る一定額の計算単位で 作成された支払手段を 入手することができなければ、 諸個人は市場経済 には属しえない。 逆に言えば、 前章で述べたように、 貨幣の価値貯蔵 手段機能の重視は、 貨幣を 特殊な財とみなす 問題 構制 においてのみ 妥当するのであ り、 そのような問題 構制 にあ っては、 貨 幣を初期賦存星としての 財の空間に還元してしまうことになる。 それでは、 カルトゥリ エ が規定する貨幣鋳造の 様式とはどのようなものであ るのか。 彼は 、 「諸個人が支払手段にアクセスする 仕方」. (Cll)P.75) を「貨幣鋳造」と 呼んでいろ。. この貨幣.

(11) 貨幣とは何か ? 一 J. カルトゥリ エ の ぺ 貨幣的アプローチ》. 11. 一. 鋳造の様式は、 市場における 取引とは根本的に 異なる特殊な 様式であ る。 というのも、 この様式 によってはじめて、 諸個人が他の 個人からの支払に 依存することなく、 他者から独立して 市場で. 自由に行動し、 予想に基づき、 自らの意思決定による 計画を遂行することを 可能にするからであ る。 逆に言えば、 貨幣鋳造の様式が 存在しなければいかなる 取引も行われない、 ということにな る 。 この貨幣鋳造の 様式を金属貨幣システムと. 信用システムのそれぞれについてカルトゥリ. エが. どのように説明しているのかをみていくことにしよう。 信用の存在しない 純粋な金属貨幣 る. ( 全通貨 ). システムでは、 諸個人の保有する 金の造幣局に. よ. 刻印によって 諸個人は貨幣を 人手することができる 。 まず第一に、 計算単位は金の 重さに ょっ. て 定義される。 すな ね ち、 1 ドル 二 X グラムの 金 、 というよ. (1/x) ドルの法定価格をもっことになる。. ム当たり. に。 このケースでは、 金はⅠグラ. う. 金は単なる私的な 富ではなく、 貨幣鋳造の. ルールによって 規定される「社会的な 富 」であ り、 このように「鋳造される 対象」のことを 彼は、. 「貨幣鋳造の 元手 (suppoれ demonnWage). 」. (Lll) p.65) と称している。 一般的に受領される 支. 払 手段は 、 金ではなく、 刻印された 金 鋳貨であ るが、 諸個人が貨幣にアクセスできるためには、. 金を保有していなければならない。 して鋳造してもら. ことに. ぅ. ょ. 金を保有している 者は、 その全てあ るいは一部を 支払手段と. り、 貨幣を入手することができ、. として行動することができる。. この貨幣鋳造の 手続きが市場経済の 分権 的性格を特徴づける。. それでは、 現代の信用システムにおいて、. 金に相当する 貨幣鋳造の元手は 何であ ろうか。 まず、. 計算単位は、 ドルというように、 名目的に定義される。 すな 1. ドルはあ くまでも. 1. 市場において 自由で独立した 主体. ね. ち、 金属貨幣システムとは 異なり、. ドルであ る。 貨幣鋳造は、 私的な銀行と 個人との間で、 当該個人の利子を. 含めた返済能力の 評価に関する 合意に基づいて 行われる。 あ る個人への私的な 銀行による支払手 段の発行は、 その個人によって 計画されたプロジェクトが、. 将来、 富を生み出す 能力とかかわっ. ている。 この能力、 つまり、 予想される将来収益の 現在における 評価に基づいて 銀行は支払手段 の発行を検討する。 この操作は 、 先の金属貨幣システムと 同様に、 市場における 等価交換といっ た 関係を表すのではない 特殊な関係を 含意している。 ここでの貨幣鋳造の 元手となる富は、 客観. 的で現存する 会といったものとは 異なり、 将来の期待収益 だし i は利子率. この「資本の. ). (y) の現在割引価値. (y/(1+ り、. た. として評価される 抽象的で主観的な 富 、 すなわちく資本》であ る。 利子率は、. 貨幣化」. (Cll) P.71) を成し遂げる 際の重要な変数となる。 信用システムでは、 貨. 幣 鋳造の元手となる 富は、 潜在的な富であ り、 将来の期待を 通して以外には 評価されえない。. こ. の評価は、 実際に市場によってのみ 実証されるものであ る。 資本評価の不安定性は、 信用システ. ムの決定的な 特徴であ る。 ただし、 ここで注意しておかねばならないことは、 者の合意. ). のみによって、 貨幣. ( 一般的に受領される. 私的な銀行と 個人との間の 負債の交換 支払手段. ). (両. が発行されると 考えてはならな. い、 ということであ る。 私的な主体間の 合意のみによって 貨幣が内生的に 発行される、 と主張す. れば、 それは誤りであ る。 このように発行される 内部貨幣は、 一般的受領性を 有しているだろう か。 確かに、 私的な銀行が 発行する債務証書. ( 内部貨幣 ). は、 諸個人のそれよりも 容易に受領さ. れるであ ろう。 しかしながら、 私的な銀行それ 自体は、 「中間的、 あ るいは諸個人の 部分的な集 権 化」 ((11) P.69) を構成するにすぎず、 私的な主体. (個人であ. れ、 銀行であ れ ) が発行するの. は 、 私的な支払手段にすぎない。 一つの銀行の 地位はその顧客の 総計にすぎないのであ. るから、. 誰もその銀行が 破産しないという 確信をもちえない。 このことは、 ただちに「銀行間の 清算手段.

(12) 片岡. Ⅰ2. 浩二. (C7J P.169)という問題を 引き起こす。 諸個人の債務証書が 他者によって 受領. は 何であ るのか」. され難むのとまさに 同じ理由がここにあ ては. にあ る場合に発生するマイナスの 収支残高. ま. ろ。 すな. ( 赤字 ). ね. ち、 諸個人の取引の 結果が均衡の 外部. の清算がどのように 履行されうるのか、 とい. うことであ る。 したがって、 中央銀行の存在あ るいは最後の 貸手の存在は 、 「それなしで 済ます ことのできるような 冗長な要素ではない」. ((2)P.137)のであ り、 私的な合意に 基づく信用と 貨. 幣とは根本的に 異なるのであ る。 だからこそ、 競争状態になく、 私的な利潤のロジックに 従属し ない. 中央銀行が、 銀行の債務証書. (銀行貨幣 ). の、 それより上位にあ る厳密な意味での 貨幣への. 変換を保証するのであ る。. いずれにしても、 諸個人は貨幣鋳造の 様式によって 市場の自由を 獲得するのであ るが、 彼らは また、 共同のルールに 属しているがゆえに、 支払の共同体の 構成員となるのであ る。 それでは、 先ほど述べたように、 分権 的な支払による 取引の結果が 不均衡に終わり、 またその ょ. うな結果に終わることが 常態だとすれば、 その結果はどのように 表され、 また、 どのような 事. 態 がもたらされるのであ ろうか。 この論点は、 カルトゥリ エ の言う収支残高清算の 様式と密接に 関わっている。 節を改めてこの 様式について 考察しよう。 3. 収支残高河 算 の様式. 寅幣的 ネットワークと 官の再 柏築 一一. 分権 的な仕方で行われる 経済諸主体の なね. 支払は、 諸主体間の貨幣的ネットワークを. 生み出す。 す. ち、 市場が終了する 期末おける諸個人の 相互依存関係は 、 次のような「支払マトリックス」. ((9)p.6)0. によって表される. 0. a12. .‥. ain. 接. 0. …. ル". 缶,. 缶'. "". 0. A=. ただし、 このマトリックスにおける h. a" 。 は個人 h の個人 k への支払を表す。 第 h 行の合計は個人. の総支出を示しているのに 対し、 第 k 列の合計は個人 k の総収入を示している。 経済全体の収. 入の総計は支出の 総計に必ず等しい. (行の総額が列の. 総額に等しい. ). が、 各個人についてみれば、. 限らない。 むしろ、 通常は等しくならない。 すな ね ち、 各個人 は支出を決定することはできるが、 収入を決定することができない。 したがって、 各個人には、. 支出と収入は 必ずしも等しいとは. それぞれゼロではない 赤字と黒字の 収支残高が発生する。 この収支残高の 存在こそ、 は、 「貨幣理論のコア」 は、. あ. る意味で. (L1l)P.76) に位置づけられるものであ る。 諸主体の赤字や 黒字の発生. 市場経済の分権 性の証であ り、 それぞれの個人の 支出と収入とを 均等化させるようないかな. る事前的な調整も 存在しないことを 示している。 彼らの活動は 均衡に従属していないがゆえに、 自律的に意思決定を 行 う ことができる。 二者間で自発的に 結ばれる契約. (市場の合意 ). は 、 必ず. しも社会全体の 状況を知らずとも 結ばれるのであ る。 そのような諸取引は、 一般的に均衡しない。 収支残高の発生は、 とりわけ信用システムにおいては、. 赤字の諸主体による 債務の不履行という. 問題を引き起こす。 返済不可能であ ることによって 、 彼らが行った 市場の合意それ 自体が疑わし いものとなろう。 それでは、 不均衡が常態となる 市場経済は、 赤字の発生による 市場の合意の 不.

(13) 貨幣とは何か. ?. 13. 一コ .カルトゥリ エ のく貨幣的アプローチ》 一. ろうか。 さらに、 支払システムそれ 自体の存立不可能性、 すな ね ち、 危 機の可能性へと 導かれるのだろうか。 貨幣的等価の 原理に基づく 収支残高清算の 様式が介在して 成立へと導かれるのであ. くるのは、 まさにここにおいてであ る。 貨幣経済は、 正統派が貨幣発生論にお. し. 、 て 好んで用いる 物々交換経済ではない。 物々交換経済. れば、 財と 何とが交換されるので、 各人は受け取ったものに 等しい価値を 与えることになり、 等価性の原理は 個々の交換において 確認されるに 違いない。 しかしながら、 貨幣経済では 事情は 異なる。 貨幣経済では、 財に対して財を 交換するのではないのだから、 それぞれの交換 (購買あ であ. るいは販売. ). において、 等価性が遵守されたかどうかを. 確認することはできない。 というのも、. 先に述べたように、 貨幣は財に等しい 価値を有しているがゆえに 財を購買するのではないからで あ る。 貨幣は価格をもつ 財ではない。 したがって、 貨幣的等価性の 原理は、 市場の取引期間の 期 末 における購買と 販売の総体の 水準において、 すなわち上の 支払マトリックスの 水準においてし か確証されえない。 この水準において D@支 残高清算の様式が 介在してくるのであ る。 り. 「銀行に対して 赤字を抱えている. 出さねばならない。 " 定義に. ょ. 個人は、 市場の終了時点で 彼の赤字を清算する 手段を見つけ. り、 収支残高は市場の 終了時点で計算されるのだから、. 財 市場は. 閉じられている。 赤字の個人にとっての 唯一の可能性は、 黒字の個人から 必要な支払手段を 手に 入れることであ る。 彼が通常実現しようとする 手であ. ネットワーク. それによって. (言勧田人間の支払の. よる. 総体 ) において明らかになるゼロではない. (LZ) P.139)を意味する。 残高の清算は、. 収支残高は 、. 社会的な水準において. 行われ、. 等価性を回復させ、 社会的に承認された 諸個人の富の 総額を決定することができる. のであ る。 したがって、 赤字の清算. り. ち、 貨幣鋳造の元. 」. 「等価性の原理の 侵犯」. あ. {すなね. る資本、 筆者 加劉 の一部の売却であ る。 a(nl)P.72). 貨幣白9. 形成に. 操作は、 借入か彼の富. 富. (資本 ). ( 収支残高清算の. (あ. るいは次期への 繰り越し. ). は、. 新しい債権 ・債務関係の. の所有の再分配・ 再構築に帰結する。 この場合、 資本がとる形態は 様々で 様式の具体的内容に 応じて異なる. ). 、 ここに資本の 保有に関する 選択の間. 題 、 すなわち流動性 選 好の問題が生じるのであ る。 流動性 選好論は 、 赤字をカバーするために 形 成された資産市場における 資産の選択と 関係しているのであ って 、 単なる貨幣の 価値貯蔵 機能の 問題ではない。. それでは、 金属貨幣システムにおける 収支残高についてはどうであ ろうか。 これは、 自動的に 清算されることになる。 市場の取引期間の 期末に流通することを 終えた 金 鋳貨は、 造幣局を通じ て新しい余資産として 金属の形態に 戻される。 したがって、 赤字の額は、 そのまま 余 資産の損失 に 等しくなるのであ. るが、. あ. たかも黒字の 個人が赤字の 個人から金を 取得したかのように 清算さ. れる。 ここでも、 富の再構築が 形成されることになる。 純粋な金属貨幣システムでは、. 諸個人が. 遂行する支払は、 現存する余資産保有に 限定されているため、 システムが危機に 陥ることはない。 以上のような 等価性の原理は、 会計的均衡 (個人の総支出 二給 x 入 ) の原理とも呼び るであ ろう。 そして、 このような等価性の 原理は、 支払マトリックスに 示されるような 諸個人間の貨幣 的関係 (貨幣的ネットワーク ) の形成において、 諸個人が網の 目の一つであ ることを確認させる のであ る。 また、 収支残高清算の 様式において 諸個人に対して 遂行されるサンクションの 存在や り. う. 貨幣鋳造の様式は、 貨幣的ネットワークが 自由で独立した 主体による自発的な 諸契約の総体とし て 形成されるにもかかわらず、. であ る。. それが非自発的に 形成される相互依存関係でもあ. ることを示すの.

(14) Ⅰ. 4. 片岡. 浩二. それでは最後に、 これまでみてきたカルトゥリ エ の貨幣論が、 われわれが疑問 規 した貨幣把握、 すな ね ち、 貨幣を特殊なモノとして. るのかを確認することに 2. 0. 定義する機能主義的な 貨幣把握とはいかなる 点で異なって い. 、 本稿を締め括ることにする。. ハ任. 1) 以下のカルトゥリ エ の貨幣論については、 主として、 カルトゥリ. エ (9) (11) (12) 、 アグリ. エッタ / カルトゥリ エ (2コに 依拠している。. 2) ここで、 カルトゥリ エと 同様に、 ケインズの計算貨幣概俳の 本源性を重視し、 「制度としての 貨幣」 ((17 3 頁 ) の側面を強調する 長谷田彰彦の 示唆的な言葉を 援用しておこう。 「実物の世 コ. 界、 それは古典派の 経済学者達が 風にそよぐ貨幣のべ イル の奥につねに 浮動の調和に 向うものと. 生産と、 分配と、 消費の秩序であ るが、 この実物の世界は 確かにかれらのいうよ. 信じていた財の う. に、 貨幣のべ イル を通してしか 見られない。 もちろん、 かれらの貨幣ベイル 観の意味するとこ. ろは、 貨幣は名目的物価水準を 決定する要因であ るだけであ って、 実物世界の均衡にはなんの 影 響ももたないとするものであ. るが、 われわれはむしろ、 貨幣ベイルの 積極的な役割に 注目したい。. つまり、 貨幣経済においては 実物の世界が、 貨幣によって 統一的に、 全体像として、 表現される ということであ る。 そして、 貨幣ベイルが 風にそよぐならば、 実物の世界の 全体像も風にそよが ざるを得ないのであ る。 人々はそれ以覚に 実物の世界をとらえる 術を知らないからであ る。. 」. (同. 上、 4 頁 ) また、 共通の計算単位についての 貨幣的アプローチに 基づく研究として、 C. ベネ ッテ ィモ 3). も参照。. M. カルトゥリ ェ の貨幣的アプローチの 射程. 暫定的帰結一一. これまでの議論からも 分かるように、 カルトゥリ エ は、 期首において 貨幣鋳造の様式に 基づき. 発行された支払手段が、 市場の取引が 終了する期末においてすべて 消失するものと 仮定している。 なぜであ ろうか。 彼に. ょ. れば、 市場とは諸個人を 社会化する機構、 すな ね ち、 彼らを共通の 計算. 単位で社会的に 測定された一定の 大きさとして 承認する機構であ る。 換言すれば、 市場とは、 そ. れぞれの個人の 富の総額を社会的に 決定する機構であ り、 この市場を働かせるのが 支払システム であ る。 この支払システムを 構成する要素のうちの 一 つ 、 様式についてか. レ. (信用システムにおける. ). 貨幣鋳造の. トゥリ ェ は次のように 述べている。. 「貨幣鋳造のレーゾン・デートルは、 等価物間の交換ではなく、 市場に介入する 能力の獲得で あ. る。 価値の概俳は、 資産. ( ストック ). を支払能力. ( フロⅡに転化させるような. 操作とはかか. わりがない。 貨幣鋳造によって 貨幣はその資本形態から 脱し、 資本は貨幣化されるのであ るⅡ. ((11)P.79) 金属通貨システムでは、 鋳造された金は、 取引が行われる 期間内に存在する 期末に消滅する ( ストック ). ). が、. フロ一であ って、 ストック あ. ( 資産 ). ではない。 貨幣鋳造の操作によって、 資産. る一定額の計算単位で 作成された支払能力. ( フロ. そして、 市場が終了する 期末においては、 フロ一であ る貨幣は資産 ならない。 貨幣鋳造の元手と 貨幣. (支払手段 ). 場 が社会的に承認、された諸個人のポジション の. メカニズムを. (期首に創造され. ゴ に変換されるのであ る。 ( ストック ). とが混同されてはならないのは、 ( 彼の富の総額 ). に変換されねば. その混同が 、 市. を決定するメカニズムであ. り、 そ. 作動させるのが 制度としての 貨幣であ ることを見失わせ、 貨幣の問題を 単なる 富.

(15) 貨幣とは何か ? 一 J. カルトゥリ エ のく貨幣的アプローチ》. の 選択の問題に. 解消させてしまうからであ. 一. 15. る。 したがって、 われわれが最初に 疑問 規 した特殊な. モノとして定義する 機能主義的な 貨幣把握によっては、 市場のワーキンバを 特定化し解明するこ とはできない。 さらに、 貨幣鋳造の様式は 、 必ずしもすべての 諸個人が市場に 参加する能力を 有. しているわけではないことを 示す な ルールであ. (貨幣にアクセスできない. るが、 水平的に並べられた 諸主体. ての貨幣や労働力を 保有する主体. ). (実物あ. 集団の存在を 示す ) 上で非常に重要. るいは金融資産、 そして特殊な 資産とし. から出発する 市場理論では、 交換関係ではない 特殊な関係を. 射程に入れることはできない。 最後に 、 繰り返しになるが、 カルトゥリ エ の貨幣把握に 基づき、 「貨幣とは何か. ? 」という問い. に答えておこう。 機能主義的な 貨幣把握によれば、 貨幣とは、 アプリオリに 与えられる n 個の財. (n+1). の リストに付け 加えられる. 番目の財として、 特殊な財であ るということになる。. しか. しながら、 貨幣とは、 プラスの価格をもつ 財でもなければ 諸個人の選択に 従属する価値の 貯蔵 手 段 でもない。 貨幣をモノという 次元で捉えるのではなく、 市場経済の双提となるべき 社会的な様 式と捉える限り、 貨幣というモノが 独特なのではなく、 貨幣経済 市場経済. (市場経済 ). が非貨幣経済. (非. とは根本的に 異なり、 独特なものであ ると言うべきであ ろう。 貨幣とはモノではなく、. ). 市場のコーディネーションの 様式であ り、 市場の合意を 形成することを 可能にするがゆえに、 れわれはそれを 社会的与件として、 市場経済理論の 出発点に据えなければならないのであ. わ. る。 貨. 幣と資本とを 混同している 限り、 貨幣管理についての 裁量 か ルール か 、 という論争の 枠組みから. 抜け出ることは 難しいであ ろう。 この問題については、 さらに検討を 要するが、 貨幣が分権 的な 市場経済を成立させる. (不均衡であ. るにもかかわらず、 市場の合意が 成立する. ルールの総体であ り、 かつ、 それは主権 と密接に関わっているということが ば 、 裁量 か ルールかという 問 い 自体が棄却されるだろう。. や価値. (あ. ための根本的な. 明らかにされるなら. というのも貨幣の 概念それ自体が 私的. な活動からは 演縄 不可能であ り、 私的な活動とは 区別された主権 に でいるからであ. ). よ. る管理や裁量の 概念を含ん. る。 さらにまた、 貨幣と資本との 混同は、 貨幣経済の安定性の 問題を貨幣の 数量. るいは一般物価水準. ). の間 題 に還元してきた 原因の一つをなしている。. カルトゥリ エ. の 貨幣的アプローチに 基づけば、 貨幣価値の問題は、 貨幣鋳造の元手の 評価に関する 問題に移動. することになるであ ろう。 すな. ち、 貨幣主権 にとって重要となるのは、 金の法定価格であ り、. 資本の評価にとって ね. 根本的な変数となる 利子率であ ろ 、つ 参考文献. Ul M. アグリエッタ /A. オルレアン『貨幣の 暴力』井上泰夫Ⅰ斉藤日出治 訳 ,法政大学出版 コ. 局 , 1991 年. 2) Aglie はa,M.etCa Orl色町,A.(ed.),劫. 正目七. ラク笘. elier,J,,ordremonetaire des economies de marche,in A 笘Iieはa,M. et. 0. 0% ア. 廿獲午. Ⅰせ. s0 がひ 名抑. Ⅰ. クケ召. , O.Jacob,. [3]@ Benetti,C , ,@Economic@monetaire@et@econom@@ Eco 竹 0 笏 [4]. Ⅰ. せ. a 也ゅ ha. れろ. Ⅰ. 998.. de@troC@ la@question@de@1'@unit@de@comte@commune,. を, Vo1.38.No.1,1985.. ,TⅡe@ambiguity@of@the@notion@of@general@equilibrium@with@a@zero-price@for@money,@in D せ JePぬce,G.. Ⅰ竹ガⅣを朋. E.. Ⅰ・. 億ガ, /,1996. (5) Boyer-Xaambeu,M.-T.etDeIepIace,G.etGilIa. Ⅱ. d,L.,Versuneb. や o1oが e desre が mesmon. 芭ぬlre,.

(16) Ⅰ. 6. 片岡. 浩二. CndルわれとⅠi co 移 0 笏 イ%ohfiaがせ, No.18, 990. 召. て. Ⅰし. 6J C 町立e Ⅱ e 「, J.,m Ⅰ. る. Ⅰ. de a vdeur ou h 芭 t色 odo ㎡ e mon6%re:. o Ⅱe. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. d'un cho 汝 , ぢco 移 o 佛 f. esterms. し. めpziq%ge,Vo1.38,No.1,1985.. [7]. 1ヵ ぺ. 土工ⅠⅠ. 廿ve 》 etl;ar6%ⅠⅠ teIp 丘俺 tⅠⅠ on del;apens Oe 芭 de Ke. nlcemo. る. Ⅰ. 止五. les.CaJ 召ぬ. ⅠⅡ. ヒ Ⅰ. d@, economic@politique , 14-15,1988. ,しmode dlaccord m 肛chmd:mon. [8] L'i 俺 c ガ. ノン. C9]. そⅠ. (1. Ⅰ. aspay 血 entsystem, ㎝Ⅰ d. reproduc 伍on,. 笏 Ⅰ脚色 0, 笏 笏 せ0 , Ⅰ. Ⅰ. さ. 丘. hn,H.(edJ. Ⅰ. 995.. 995.. ㎝ m ㎡ on,1996.. ぬ M0%%0ie,n. 巧 economy,mnD6%. 荻 dd3 ⅠⅠ1㎡ 打 csmnamone. 1. ( Ⅰ 2). qui Ⅰ b e, № Jacob,AetV. Ⅰ た. , Money ). る. 0 移 soc ⅠのⅠタイサぴ笏0 れⅠ 几鋒 , よ U lrmna 比紅飢, 1995.. , M0ney. do]. ㎡e ve Ⅱ sus. , Pa3 Ⅱentsystems Ⅰ. Ⅰ. もⅠⅠ. リヶ. 『. ⅠⅠ. ce,G.d. 移 dN. を. ぱ, E.. J. 佗d , 1996. ノ. ( Ⅰ 3) % Ⅰ 4). ㎡e,objetic0n0I ㎡ queou. る monn. Ⅰ. 丘. appo れ soci 杣?, 笏 佛り0, Ⅰ 997 Ⅰ. Deleplace,G. ㎝ d NellE.J,,(ed.),Moo 移吃 ノイ 移 MOotio 竹 , MacMilIm,1996.. (15) 海老塚 明. 「貨幣と経済学批判. 」『一橋論叢. ティーク. J. ベネ ッ ティ、 カルトリエによる 経済学批判のプロブレマ. 91 巻 5 号,19 組年 5 月. (16) 海老塚 明 Ⅰ磯谷明徳Ⅰ植村博泰『社会経済システムの 制度分析. ユ. 名古屋大学出版会, 1998. 年. (17) 福岡正夫. 丁. 貨幣と均衡. ]. 創 支社,1992 年. C18) 長谷田彰彦「貨幣は 純資産であ るか」『東京学芸大学紀要』第 3 部門社会科学, 1974 年 9 月 (19) ハイエク,F.A, 『貨幣発行自由化論Ⅰ川口慎二 訳 ,東洋経済新報社,1988 年 (20) ヒックス, J.R, 『貨幣理論Ⅰ江沢太一Ⅰ鬼木再訴,東洋経済新報社, 1972 年 [213. , 『貨幣と市場経済』花輪俊哉Ⅰ小川 l英治 訳 ,東洋経済新報社,1993 年. (22) 猪木武徳Ⅰ経済思想』岩波書店, 1987 年 (23) 岩井克人「無限性の 経済学」『日本経済新聞』 1986 年 9 月色 13 日 (24 ケインズ, J.M. 『貨幣論 1 : 貨幣の純粋理論Ⅰ小泉 明 Ⅰ長澤 惟恭訳 ,東洋経済新報社, 1979 コ. 年. (25コメン ガコ C. 『一般理論経済学』 旺. 26. コ. S打 nueIson,P.. ん A Ⅱ eXactc0nsump. con ㎡vmceofmoney,. (27 コ. 2. 吉沢英成『貨幣と. ア0 Ⅰ 伽 ⅠⅠ ワ. 八木紀一郎 他訳 ,みすず書房, 19糾年 廿on-l0 荻 modelofinte. 0/ クoltticaⅠⅠ co. Ⅰ. ナ笘. 0. チク笘りノ. , 1958. 象徴』日本経済新聞社, 1981 年. Ⅱ. est. (December).. ⅤⅠ 士. h or ㎡thoutthe. social.

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参照

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