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象の重さを量る話 -『三国志』曹沖伝、教材としての可能性-

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(1)象の重さを量る話. 論 考. 象の重さを量る話. −『三国志』曹沖伝、教材としての可能性 −. 教育学研究科言語文化系教育. 岡 田 充 博 1. と伝播の諸相という点でも、この話は知的興味を誘う. いきなり旧い教材を持ち出すことになるが、明治. 魅力を持っており、それは小学児童から中高生、さら. 四十三年の『尋常小学読本』(第二期国定国語教科書). には大学生・社会人までをも対象とすることが出来そ. に、「かしこい子ども」と題して次のような話が見え. うに思われるのである。. 1). る 。. なお、あらかじめ断っておくと、この「象の重さを 量る」話については、すでに幾つもの論考が発表され. 昔ある國で大きな象の目方をはからうとしました. ており、関連資料についても出揃った感がある。した. が、どうしてはかつてよいか分りませんでした。. がって拙稿は、主としてそれら先行研究の成果に依拠. その時そこに居た一人の子どもが、. する、その点ではオリジナリティに乏しいものとなら. 「そんなら私がはかつて見ませう。」. ざるを得ない。しかし、僅かながらも新見を添えるこ. といつて、まづ象を船にのらせました。さうして象の. とは可能であろうと考えている。. 重みで船の水につかつた所にしるしを附けました。 それから象をおろして、その代りに石をたくさんつ. 2. みました。さうして前にしるしを附けておいた所ま. さて、象の重さを量る賢い子供の話は、もとは何に. で船が水につかつた時に、その石をおろして、なん. 基づいているのであろうか。『尋常小学読本』には挿. どにもはかりにかけて、その目方を知りました。. 絵があり、そこには船に乗った象と、それを見守る人 達の姿が描かれている。彼等の髪型や服装を見ると、. 幼い頃の記憶をたどれば、恐らく誰もが聞き及んだ、. 明らかに中国風の出で立ちである 4)。. あるいは絵本や読み物で目にした覚えのある難題譚で. ここから想像できるように、この話は実は中国から. あろう。小さな子供が大人も及ばぬ知恵を発揮する設. 伝わって来ている。魏・呉・蜀の抗争で知られる後漢. 定と、アルキメデスの原理による謎解きの面白さは、. から三国の歴史を記述した正史、陳寿の『三国志』魏. 子供達の心をとらえるには恰好の素材と言える。その. 書巻二十に、曹操の息子達の伝記がある。その一人で. ためであろう、この話は戦前の教科書に限らず、戦後. ある曹沖の伝の冒頭は、次のようなエピソードで飾ら. も昭和三十年代頃まで、小学校の教科書にしばしば登. れている。今鷹真・小南一郎・井波律子訳『三国志 Ⅱ』. 2). 場している 。 ただそれ以降、賞味期限としての鮮度を失ったため. (筑摩書房・世界古典文学全集第二十四巻B、1982 年) を借りて紹介しておこう(58 頁)。. か、あるいは他の理由によるものか、姿を消すことに とう. あい. そうちゆう. そうじよ. なって久しいようである 3)。近年、大学の授業のなか. 鄧の哀王曹沖は字を倉舒という。年少ながら聡明. で取り上げてみても、この難題譚を初めて聞く学生が. で理解力があり、五、六歳にして、智慧のはたらき. 増えつつあるように感じられる。小稿は、今や埋もれ. は成人のようなところがあった。当時孫権が巨大な. かけた教材となったこの故事に、物語の伝播という視. 象を送り届けて来たことがあった。太祖はその重さ. 点から再度光を当ててみようとする試みである。物語. を知りたいと思って、その方法を臣下たちに訊ねた. 自体が持つ面白さは無論のことであるが、原話の所在. が、誰もその原理を見出すことができなかった。曹. 86. そんけん.

(2) 沖はいった、「象を大きな船の上に置いて、その水. くすよう命じた 14)。. のあとがついている所にしるしをつけ、それとみあ う重さの物を載せれば、計算してわかりますよ。」 5). 太祖はたいそう喜んで、すぐさま実行した 。. 天神が投げかける難題は、「二匹の蛇の雄雌」に始 まり、「真四角な木の本末」「雌馬の親子」の判別など 九つの多きに渡るが 15)、その第三問が、次のような. 「かしこい子ども」の話は、これに基づくものだっ. 遣り取りとなっている。. 6). たのである 。 曹沖の話は、三国から降って唐代、児童向け教科書 7). として編まれた李瀚の『蒙求』にも収められ 、一層. 天神はまたまた問いを出した。 「ここに大きな白象がいる。その重さはいかほどあ. 広く知られるようになった。人々は当然これを、歴史. るか」. 的な事実として読み継いだのである。事情は近代に. 君臣ともども協議したが分かる者はなく、全国に. 至っても同様で、中華民国さらには中華人民共和国に. 募っても分かる者はいなかった。大臣が父に問うた. 8). おいても、この話は教科書に取り入れられ 、子供達 に愛読されていたようである。. ところ、父はこう教えた。 「大きな池で象を船に載せるがよかろう。船がどの. しかし、この話の来歴はさらに古く辿れることが、. 深さまで沈んだか、船にしるしをつけておく。つ. 現在では分かっている。すでに早く 1930 年に、中国. ぎに重さを計っておいた石をこの船に積み込むの. の著名な歴史学者陳寅恪は、「 三国志曹沖華佗伝与仏. じゃ。しるしのところまで水か来たら、象の重さが. 教故事」と題する論文. 9). のなかで、象の重さを量る. ぞうほうぞうきよう. 話が仏典『雑宝蔵経』の巻一に見えると指摘している。. 知られよう」 さっそくこの智恵をかりて答えた 16)。. その後、中国では季羨林 10)・銭鍾書 11)、日本では柳 田國男 12)・田中於菟彌 13)によっても指摘されたこの. 『雑宝蔵経』は二世紀頃以降の成立と推定され、北. 仏教故事は、 「棄老国」の話として知られる物語である。. 魏の延興二年(472)、西域の僧の吉迦夜と中国の僧. 下にあらすじを記しておく。. 曇曜によって漢訳された 17)。つまり、この仏典が漢. . 語で読まれるようになったのは、曹沖や彼の伝を記し はるか遠い過去の世に「棄老」という名の国があ. た陳寿が生きた時代(3世紀、後漢から西晋にかけて). り、老人は皆遠方に放逐される慣わしであった。こ. よりも、さらに遅いことになる。となるとこの難題譚. の国に一人の親孝行な大臣がいて、年老いた父を捨. は、漢代に始まる仏教の中国伝播のなかで(あるいは. てるに忍びず、地下の密室に匿っていた。. 古来からの中印交流の中で仏教とは別に)、口頭伝承. あるとき突然、天神がこの国に現れて難題を持ち. として早くに伝えられていたと考えられる。『三国志』. 出し、それが解けなければ国を滅ぼすという。恐れ. の記事を信ずるとすれば、曹沖は偶々その話を聞き及. おののいた国王は、臣下達を集めて協議したが、誰. んでいたことになるが、殿中に暮らす幼児一人だけが. も解き明かせる者はいなかった。その大臣が家に. それを知っていたというのは、些か不自然さを伴う。. 帰って父親に相談すると、父親は「たやすいことだ」. これはやはりインド渡りの難題譚が、曹沖の聡明さを. と言って、難題を解く方法を教えてくれる。. 示す恰好の話柄として採り入れられ、伝説・実話化し. その後も天神は、併せて九度にわたって難題を持. ていったものであろう 18)。陳寿と同時代の晋の文人、. ちかけるが、いずれも大臣の父親の智恵で解決する. 虞溥が著した『江表伝』もこの話を採録しており、当. ことができた。天神は満足して国王に多くの財宝を. 時それが人口に膾炙していたことが推測される 19)。. 与え、国を守護することを約束する。. ところで、「象の重さ」の原話をインドの難題譚と. 喜んだ国王が大臣に礼を言うと、彼は難題の解決. 見なすに当たっては、検討しておくべき資料がもう一. 法が、いずれも彼の父親から教えられたものであっ. つ存在する。それは東晋の符朗『符子』に載る次のよ. たことを告白する。王は、大臣の父親を厚くもてな. うな話である。. して師と仰ぎ、以後、老人の遺棄を禁じ、孝養を尽. 教育デザイン研究 創刊号 87.

(3) 象の重さを量る話. 北方の人に、燕の昭王に「養奚若」という巨大な. さは、 時代と国境を越えて人々の心を捉えたようである。. 豚を献上する者がいた。その使者は言った、「この. 『今昔物語集』の巻五・天竺部に 「七十余人流遣他国国語. 豚は大きな厠でなければ住まず、人糞でなければ珍. 第三十二」と題する話がある。物語の冒頭は、次のよ. 味としません。今、百二十歳になり、人は豕仙と呼. うに始まっている 24)。. しちじふにあまるひとをたこくにながしやりしくにのこと. んでおります」。王はそこで豚役人に命じてこれを 養わせたが、十五年すると、大きさは沙山のようで、 足はその体の重みに耐えないほどとなった。王はこ. いまはむかしてんぢく. たこく. ながしや. 今昔、天竺ニ七十ニ余ル人ヲ他国ニ流遣ル国有ケリ。 その. おい. あひ ぐ. てうぼ. 其国ニ一人ノ大臣有リ。老タル母ヲ相具セリ。朝暮ニ けうやう. かぎりな. かくのごと. すぐ. あひ. れを異として、秤役人に命じて橋形の横木でこれを. 母ヲ見テ、孝養スル事無限シ。如此クシテ過ル間ダニ、. 量らせたが、十本を折っても重さが量れなかった。. 此ノ母既ニ七十余リヌ。……. すで. しちじふに. そこで水役人に命じて舟を浮かべて量ったところ、 その重さは千鈞もあった。……20). 『雑宝蔵経』の原話では老いた父親であったが、こ こでは七十を過ぎた母親になっている。年齢の設定は. 燕の昭王ということであれば、時代はさらに遠く戦. ともかくとして、父親から母親に変わっているのが注. 国期にまで遡る。宋の呉曾『能改斎漫録』は、曹沖の. 目される。というのは、我が国の棄老説話に登場する. 故事を取り上げてこの話を引き合いに出し、 「舟を使っ. 老人は多くが母親であり、そうした日本的な特徴が既. て物を量る方法は、すでに燕の昭王の時代にあったこ. に現れているからである。この点、中国の棄老説話が. とが知られ、鄧哀王曹沖に始まったわけではない」と. 父親によって占められるのと対称的で興味深い。. 述べる. 21). 。同様な議論は清朝に至っても見られ、桂. さて、孝行な大臣は老母を棄てるに忍びず、密かに. 馥『札樸』巻三の「以舟量物」は、『三国志』の曹沖. 土の室を掘り、そこに母親を匿うことにする。こうし. の故事について「古えにも此の方法はあった」とし、. て年を経るうち、解き明かさなければ七日のうちに国. 『符子』を引いて「思うに後人の智恵が古えと偶々合 致したものであろう」と結んでいる. 22). を攻め滅ぼすとして、三つの難題が隣国から持ち込ま. 。そうだとす. れる、例の展開となる。その難題とは「牝馬の母子」. れば、船による重量測定は中国古来の方法ということ. と「木の本末」、そして最後が「象の目方」であり、. になるが、呉曾や桂馥のように『符子』の記事をその. 多すぎる嫌いがあった『雑宝蔵経』の九つの難題は、. まま信じてしまうのは問題であろう。続く話の展開は、. 説話の基本的なパターンである三つに絞られ、具体的. 「この豚は、燕の宰相の進言で屠殺され、食膳に供さ. で人々の興味を引きそうなものが選ばれている。しか. れた。するとその夜、豚が宰相の夢枕に立ち、人糞を. もその三つの難題の順序を入れ替え、「象の目方」を. 食う日々から解放され、魯津の河の神である亀に生ま. 最後に置いているのは、これが殊に面白いとされたこ. れ変わることができたと礼を言う。後に宰相が魯津を. とを示しているように思われる。. 渡ると、赤い亀が現れ、彼に璧玉を献上した」といっ. 説話以外の幾分変わったところでは、時代を降って. たもので、多分に志怪小説的な要素が強い。また、 『符. 謡曲のなかに、その名も「象」と題する作品がある。. 子』以前の文献に同様な話が見られない点からしても、. こちらは『雑宝蔵経』ではなく、『三国志』に基づい. 資料としてさらに古い時代にまで遡らせることは難し. ている。シテ(主人公)の名は蒼舒 25)で、彼が象の. い。従って、この話も曹沖の故事と同じく、おそらく. 重さを量ってみせるのであるが、ただ、この曲では曹. は後漢三国の時代にインド伝来の難題譚をもとに成立. 操の息子ではなく、臣下という設定に変えられている。. したものであろう。. 舞台には、先ずワキ(わき役)の魏太祖(曹操)が登. 結局のところ、「象の重さ」の原話は、やはりイン ドとみるのが妥当と考えられるのである. 23). 。. 場し、彼の治世下、太平と繁栄がもたらされているこ とを述べる。続いてツレ(助演役)が象の献上を報告 するくだりから、一部を引用してみよう 26)。. 3 インドに原話を持ち、中国で曹沖の故事となった「象 の重さ」の話は、日本にも伝えられた。難題譚の面白. 88. つれ いかに申上候。毎年のごとく魏の民共。象を 捧奉り候.

(4) わき こなたへひかせ候へ. 棄老譚が語られ、短文の多いこの随筆集のなかで最も. つれ 畏て候. 長い文章となっている。四十になった者を殺させる日. わき 天晴猛き象の勢ひ。かかるすさましき其形ち。. 本の帝に難題を持ちかけ、国を奪おうとするのは唐の. 何と此象の重さをはかるべき者や有。誰にても出. 帝、難題を解いて国を救うのは、親孝行な中将の七十. (で)てけふの遊びの叡覧にいれよと申候へ. みかど. もろこし. 近い両親という設定である。難題は三つで、第一が「木. つれ 実々象の形ちといつぱ。常の獣にかはり。長. の本末」、第二が「蛇の雄雌」、そして第三が所謂「蟻. といひ重さといひ。中々はかるべき者は有まじと. 通し」の難題で、七曲がりにくねった玉の穴に糸を通. 存候。誰か罷出(で)て叡慮にまかせ。象の重さ. せというもの。糸の端に蟻を繋いで穴に入れ、もう一. をはかり候へ. 方の出口に蜜を塗って蟻を誘う方法が解答である。こ. して一声 花かづら。かざしつれてや舞人の。酒宴. の難題は、日本でも『神道集』の所収話や奈良絵本の 物語などへと引き継がれてゆくが 30)、その原話・類. の中に。出にけり さしこゑ 是は蒼舒と申者なり。扨も太祖のたまは. 話となると、南伝大蔵経、ギリシア神話、孔子説話、. く。象の軽重をはかれとの御事うけたまはり。某. チベット古典劇にも繋がる世界的な広がりを見せる. 只今御酒宴の御座に進み出(で)。象の重さをは. 31). かりつつ。叡覧に入申べし。. して、いま一度中国に立ち帰って、「象の重さ」に関. 。ただ、この話については稿を改めて論ずることに. 連する資料を付け加えておきたい。 象の献上も、太平を祝う魏の民衆からという設定で、 敵国呉の孫権の名はない。おそらく目出度い祝いの席. 4. で演じられたものであろう。この後、蒼舒が船を使っ. 日本に渡った「象の重さ」の難題譚は、早く『今昔. て見事に象の重さを量ってみせたところで、「…象の. 物語集』の例が示すように、人々の興味と関心を引く. 重さを 扨こそ知たれ。是々とて。叡慮に叶へ たて. 話柄だったようである。ただ、それが民話として広が. まつるも。曇らぬ御代に 住人の。曇らぬ御代に 住. るに当って致命的だったのは、象に匹敵する巨大な動. 人の。智恵の鑑と 成にけり」と謡い納められている。. 物が我が国に棲息していなかった点であり、結局「牛. この他、民話の「姥捨て山」にも、「象の重さ」の. の目方」の話となって、姥棄山難題譚の片隅にひっそ. 難題譚は流れ込んでいる。柳田國男「親捨山」の論考. りと命脈を保つことになった。一方、中国においては. で知られるように、日本の棄老説話は四つの型に分け. 歴史上の実在人物曹沖と結びついた結果、こちらも無. られる. 27). が、そのうちの難題型と呼ばれる話群は、. 名の老人の知恵を語る民話としては、広まる途を失っ. 先の『雑宝蔵経』『今昔物語集』の系列に属する内容. たようである。そのことを具体的に物語る資料として、. である。大島建彦「『姥捨て』の昔話と伝説」および. 敦煌文書のペリオ 2721 号『雑抄』を挙げることがで. 「昔話『姥捨て』資料一覧」の詳細な調査によると、. きる。ここでは棄老国の話が時代を殷に遡らせ、紂王. 老人が解いてみせる難題は凡そ八種類に分類すること. 治下の話に翻案されている。八十になった老人を殺す. ができ. 28). 、そのなかに「牛の目方」がある。つまり、. この国で密かに老父を養うのは、二人の孝行な兄弟で. 象のいない日本の民話では、それに変わる最も重い動. あるが、紂王が金千斤を懸けて天下に問うた骨奴国か. 物として牛が選ばれたのである。ただ如何せん、牛の. らの難問は、次のように語られている。. 重さでは象の迫力に及ぶべくもない。そうした事情に よるものであろう、この難題が登場する話は、他と比. 後に北漢の骨奴国から一本の木が贈られたが、太. べると極めて少なくなっている。大島氏の統計によれ. さは同じで漆が塗られており、本末を判別出来な. ば、奥羽・関東・中部地方を中心に計十七話で、総話. かった。また雌馬の母子二頭、毛色も同じ姿形もよ. 数八百七十八の二パーセントに過ぎない. 29). 。. く似たものがあり、黄色い蛇の一つがいで雄雌の分. なお、『今昔物語集』よりも古い棄老説話の資料と. からないものがあった。天子はそれを弁別すること. しては、『枕草子』の第二百二十七段「社は」が知ら. が出来ず、かくて国内に布告した。 「もしも木の本末・. れている。ここでは蟻通明神の名の由来となる難題型. 馬の母子・蛇の雌雄をよく見分ける者がいれば、賞. 教育デザイン研究 創刊号 89.

(5) 象の重さを量る話. 金千斤をあたえよう」と。. る。宋の費袞『梁渓漫志』に載る一文がそれで、拙訳. しかし数ヶ月を経ても弁別できる者は現れなかっ. によって下に示しておく。. た。そこで二人はひそかに匿っていた父親に訊ねた ……32). 智恵の端緒は、人なら誰もが持っている。ただ智 恵が人より優れた者がその端を開き、後人が類に触. この話の難題は、 「木の本末」 「馬の母子」 「蛇の雌雄」. れてそれを発展させてゆくと、不可能なことは無く. の三つとなっている。つまり、曹沖と結びついて実話. なるのだ。魏の曹沖は五六歳で成人の智恵があった。. となった「象の重さ」は、老父の知恵からは除外され. かつて孫権が巨象を送り届けてきたことがあり、曹. ざるを得なかったのである。. 操はその重さを知りたいと思った。そのとき曹沖が. 現代の中国においても、丁乃通・劉守華・林継富を. 言った、「象を大きな船の上に置き、水の痕の至っ. はじめとする民話学者の調査によって、難題型の棄老. た所に刻みをつけ、あとで物を量ってこれに載せて. 説話は四十篇近く採取されているが、その中に「象の. ゆけば、比べて知ることができます」と。曹操は大. 重さ」の難題は見当たらない. 33). 。つまり、実話化し. 変喜んでこれを実行した。. た曹沖伝説を避けて別の難題へと話柄を広げているこ. 本朝の河中府の浮き橋は、鉄牛八頭でこれを繋い. とが、明らかに読み取れるのである。こうして中国に. でいたが、牛一頭が数万斤近くの重量であった。治. おける「象の重さ」の話は、学術的な箚記や随筆のな. 平中に、急な増水で橋の綱が切れて牛が河に沈んで. かで、専ら史実をめぐる考察として論じられることに. しまい、これを引き上げることの出来る者を募った。. なった。たとえば、先に紹介した呉曾『能改斎漫録』. 真定府の僧侶の懷丙は、二艘の大きな舟に土を盛り、. や桂馥『札璞』の一文などは、その代表的なものであ. 鉄牛を挟んで繋ぎ、大木を使って棹秤の形のように. ろう。他に清の何 『義門読書記』には、この話の真. した。そして牛を掛けて徐々に舟の土を取り除いて. 偽を疑う、次のような論も見られる。. ゆくと、舟が浮き上がって牛が水上に現れ出た。こ のことを転運使の張燾が奏上し、紫衣を賜ったので. 孫策は建安五年(200)に亡くなり、この時、孫. ある。これは思うに曹沖が遺した考えによったもの. 権が初めて国事を統括した。建安十五年に至って、. であろう 37)。. 孫権は歩騭を交州(広東、広州からベトナム北部に かけての地)の刺史に派遣し、士燮は兄弟を率いて 騭の命令を奉ずるようになった. 34). 。この後であれ. 「曹沖称象」の場合と同じく、浮力の原理を利用し ての引き揚げ作業だった訳である。ただ、説明が簡略. ば、或いは巨象を送り届けることも出来たであろう。. に過ぎるところがあって、一度に鉄牛を浮上させ得る. しかるに曹沖はすでに建安十三年より前に亡くなっ. ものかどうか些か疑念も残る。そこでもう一篇、同様. ており、この事が虚飾された作り話であることが分. な作業の過程がより具体的に記されている文章を、清. かる。象を船に置いて水痕を刻むのは、算術の中に. 朝の文献から紹介しておくことにする。. そうした方法があったのではないだろうか。『能改. 阮元の『 経室集三集』巻二に「記任昭才」と題す. 斎漫録』は、『符子』所載の燕昭王が大豕を水官に. る一文がある。この文は、彼が浙江在任中に目を掛け. 命じて舟で量らせた事を引いている. 35). 。. ていた潜水の達人、任昭才に関する記事である。文章 の前半には、浙海を知り尽くした彼が語る海中の様子. 何 の論証は、孫権の勢力が南地(象の生息する地. が綴られ、これはこれで興味深い。しかし注目すべき. 方)に及び、交流が始まった時点を根拠に進められて. は後半で、こちらは海中に沈んだ大砲を引き揚げる、. おり. 36). 、彼もまた『雑宝蔵経』棄老国の話を知らなかっ. 次のような話になっている。. たことが分かる。また『符子』の話を実話と考えてい る点は、呉曾や桂馥と同様である。. 私が獲た安南の大銅砲は重さ二千余斤もあり、甚. さて、こうして筆記の類を渉猟してゆくと、歴史学. だ精巧雄壮で、大変愛重し、兵船にこの砲を載せて. 的な考証とはやや異なる興味深い記事にも行き当た. いた。が、ある時つむじ風に遭って温州(浙江省). 90.

(6) 三盤の海底二十丈の深さに沈み、引き上げられなく. るようにさえ思われる。また棄老譚の老人は、国難を. なってしまった。. 救う智恵によって自身の存在価値を示し、国王はそれ. そこで私は、行って策を講じるよう昭才に命じた。. を知って棄老の慣わしを廃止した。だが、総ての老人. すると彼は八艘の舟を使って、それを二つのグルー. がそうした役立つ智恵を持つであろうか?そうでない. プに分け、一グループの四船は中を空にし、一グルー. としたら、智恵を持たぬ老人には、存在意義がないの. プの四船には碎石を満載した。そして自身は八本の. であろうか?あるとすれば、それは思想としてどのよ. 太い縄を引いて海底に潜り、沈没船の四隅に繋いで、. うに掬い上げることができるのであろうか? 智恵な. その四本の端を四艘の石船のグループに繋いだ。繋. く成すところもなく老境を迎えた私にとって、棄老譚. ぎ終わると、その石を取って、第二グループの空船. は極めて切実で重い、アクチュアルな問題として立ち. に入れた。これで石船は空船に変わり、数尺ほど浮. 上がってくるのである。. き上がった。つぎに残る四本の縄の端を、第二グルー プの石船に繋ぎ、繋ぎ終わると、また石を取って第. 注. 一グループの空船に入れた。これでさらに数尺浮き. 1) 『日本教科書大系・近代編 第七巻 国語(四)』. 上がった。このようにして数十回、数日をかけて、 38). 船は砲とともに総て水面に浮上したのであった。 …. (講談社、1964 年)による。 2) たとえば昭和二十四年、二十八年の学校図書『二 年生のこくご 下』、昭和三十四年の同『わたした. 先の鉄牛の引き上げ法と同じ原理であるが、こちら. ちのこくご 二年下』、昭和二十七年の日本書籍『国. の方が工程の説明が詳細で分かりやすい。ただ阮元は、. 語三年の一』がある。. 『梁渓漫志』の記事については触れておらず、失念し. 3) この点については精査しておらず、正確ではな. ているか、あるいはこれを知らなかったようである。. い。なお、国語ではなく理科(?)の教科書でこの. 「象の重さ」の話からは論旨が少々ずれた感もある. エピソードを読んだ記憶があると、学生から教示を. が、浮力の原理は、このような見事な応用で現実に役. 受けたことがあるが、これについても未確認。識者. 立てられていたのである。. の示教を乞う。 4) 象の重さを量る話は、『尋常小学読本』では、も. 5. う一つの「かしこい子ども」の話とセットになって. 以上、『三国志』曹沖伝の「称象」の故事をめぐっ. 掲載されており、こちらの挿絵も中国風の出で立ち. て、関連する文献を紹介しつつ若干の考察を加えてみ. となっている。参考までに下に紹介しておく。. た。謎解きの面白さに加え、原話、翻案、類話と広が. ある家のにはに大きな水がめがあつて、雨水が一. る資料には、教材に適したものも少なくないように思. ぱいたまつてゐました。一人の子どもが水がめの. われる。これらの資料の何をどのように用い、一連の. ふちへ上つて、遊んでゐるうちにふみはづして、. 授業あるいは講義を組み立ててゆくかについては、大. かめの中へおちました。すてておけば、すぐ死ん. 学での拙い実践をもとにした、私なりの大まかな構想. でしまひます。居合せた子どもは皆うろたへてさ. はある。しかし、これはむしろその方面の専家の教示. わぎました。. を待つべきであろう。先ずは資料集として小論を結ぶ. その時一人の子どもは大きな石を持つて來て、力. ことにして、最後に一言付け加えておきたい。. まかせに投げつけました。それがため、かめに大. 幼い王子の知恵を語る「象の重さ」の話は、遡れば. きな穴があいて、水が流れ出ましたから、子ども. 敬老の精神を説く難題型棄老譚に行き着く。中国、日. はあやふい命をたすかりました。. 本そして韓国にも広く伝わるこの伝承は、過去の物語. この話は、宋の政治家・歴史学者として著名な司. として読み過ごされる。しかし、山に遺棄する弊習こ. 馬光の幼年時代のエピソードで、釈恵洪『冷斎夜話』. そないにせよ、「棄老」は現代の私達の生活あるいは. 巻三「活人手段」や『宋史』巻三百三十六・司馬光. 心の中で、果たして消滅しているであろうか。むしろ. 伝に収められ、中国では広く知られている。. それは様々に姿を変え、隠微なかたちで広がりつつあ. 5) 『三国志』の原文は次の通り。. 教育デザイン研究 創刊号 91.

(7) 象の重さを量る話. 鄧哀王沖字倉舒。少聰察岐嶷、生五六歳、智意. 曹沖称象の故事を小学教科書で学んだとの記述が見. 所及、有若成人之智。時孫權曽致巨象、太祖欲知. られる。. 其斤重、訪之羣下、咸莫能出其理。沖曰、置象大. 9) 同論文の初出は、 『清華学報』六巻第一期(1930. 船之上、而刻其水痕所至、稱物以載之、則校可知. 年)。後に陳寅恪の論文集『寒柳堂集』(上海古籍出. 矣。太祖大悦、即施行焉。. 版社、1980 年)に収められた。. 曹沖伝のこの箇所には、実はテキストによる異同、. 10) 季羨林「印度文学在中国」(初出誌未詳、1958. 衍文・誤字と思われる箇所等があるけれども、話の. 年)。同論文は、後に『中印文化関係史論文集』 (生活・. 内容を追う上では問題ない。上文は中華書局刊行の. 読書・新知三聯書店、1982 年)、『比較文学与民間. 点校本正史によって引用したが、そうした文献学的. 文学』(北京大学出版社、1991 年)、『季羨林文集. な諸問題については、呉金華氏に『三国志校詁』(江. 第四巻:中印文化関係』(江西教育出版社、1996. 蘇古籍出版社、1990 年)、『古文献研究叢稿』(江 蘇教育出版社、1995 年)、『三国志叢考』(上海古 籍出版社、2000 年)などの労作があり、教示を受. 年)などに収録。 11) 銭鍾書『管錐編 第四冊』(中華書局、1979 年) の「160 全晋文巻一百五十二」。. けるところが極めて多い。因みに呉氏によれば、 「有. 12) 柳田國男「親棄山」。同論文の初出は『少女の友』. 若成人之智」の「之智」二字は衍文(『叢稿』206 頁)、. 昭和二十年(1945 年)二月・三月号で、『村と学. 「斤重」は「斤量」の誤り(『叢考』91 頁)。 6) 曹沖の故事を教科書に取り入れたのは、実は、 この明治四十三年の『尋常小学読本』が最初ではな. 童』(朝日新聞社、1945 年)に収められた。『柳田 國男全集』(筑摩書房、1998 年)では第十四巻(ち くま文庫本では第二十三巻)に所収。. い。明治十五年、宮内省より刊行の修身教科書『幼. 13) 田中於菟彌「インド説話の流伝に関する私見」. 学綱要』は、巻六にこの故事を載せ、また同巻に司. (『 早 稲 田 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 紀 要 』 第 11 号、. 馬光の話も収める。つまり『尋常小学読本』は、 『幼. 1965 年 )。 同 論 文 は、 後 に『 酔 花 集 』( 春 秋 社、. 学綱要』巻六から二つの話を選んで採録したものと. 1991 年)に収録。. 考えられる。『幼学綱要』に関しては、横浜国立大. な お、 岩 本 裕『 イ ン ド の 説 話 』( 紀 伊 国 屋 書 店、. 学府川源一郎氏(国語教育)より教示を得た。同書. 1963 年)も、『雑宝蔵経』棄老国の難題譚とその. は『日本教科書大系・近代編 第二巻 修身(二)』. 伝播について論じている(82 〜 83 頁)。ただ、 『三. に収められている。. 国志』曹沖伝との関わりについては論及がない。. 明治期において曹沖の故事を修身や国語の教科書. 14) 『雑宝蔵経』は、『大正新脩大蔵経』の第四冊・. に採録した意図、その背景となる「子供」観等につ. 本縁部下に所収。同話は巻一に「棄老國縁」と題し. いては、考察の対象とされるべき重要な問題を含む. て見える(449 〜 450 頁)。またこの話は、唐の釈. であろう。ただ、それを論じ得る知識が私にはない. 道世『法苑珠林』巻四九の棄父部第四にも、そのま. ため、小稿では取り上げることを控える。. ま引かれている。. 7) 『蒙求』の巻下に、春秋時代、斉の管仲が道に迷っ て老馬の知恵を借りた故事と並べ、「管仲隨馬、倉. しておくと次の通りである、. 舒稱象」と題して収められている。. ① 二匹の蛇の雄雌の鑑別。. 8) 季羨林は論文「印度文学在中国」(注 10 参照). 解答:柔らかなものの上に置いてみて、暴れるの. のなかで、幼年時代に小学校の教科書でこの故事を. が雄、じっと動かないのは雌。. 学んだと述べている。. ② 眠っている者が覚めた者と呼ばれ、覚めた者が. また留学生から得た情報によれば、中華人民共和 国となって以降も、一部の教科書にはこの話が採録. 92. 15) 『雑宝蔵経』の九つの難題とその答えは、列挙. 眠っている者と呼ばれるとは誰のことか。 解答:学人(修行者)。凡夫からすれば覚めた者. されていたようである。近刊の金東勛主編『朝漢民. だが、阿羅漢からすれば眠っている者。. 間故事比較研究』(遼寧民俗出版社、2001 年)所. ③ 白象の重さを量る。. 収の金寛雄「“ 棄老型 ” 故事的三個亜類型」にも、. 解答:既出。.

(8) ④ 一掬いの水が大海の水よりも多いとは、どのよ. ある。これについては、季羨林「三国両晋南北朝正. うな道理か。. 史与印度伝説」(『季羨林文集 第八巻:比較文学与. 解答:清らかな信心をもって、一掬いの水を仏や. 民間文学』所収)を参照。. 僧、父母や苦しむ人に施せば、その功徳で数千万劫. 19) 『江表伝』は散逸して伝わらないが、 『芸文類聚』. にわたって福を受ける。海の水がいくら多いといっ. 巻九十五・獣部下・象に、「江表伝曰」としてこの. ても、たかだか一劫のことに過ぎない。. 話が収められている。なお、文の冒頭は「孫權遣使. ⑤ 痩せこけた飢餓の人よりも餓えの苦しみがひど. 詣獻馴象二頭、魏太祖欲知其斤重……」で始まり、. い者はいるか。. 贈られた象は二頭になっている。. 解答:三宝を信ぜず、父母や師長に孝養をせずに. 20) 『符子』は散逸して伝わっていない。この一節. 餓鬼道に墜ちた者は、その百千万倍もの餓えの苦し. は、『芸文類聚』『初学記』『白孔六帖』『太平御覧』. みを味わう。. などの類書に引かれているが、重さを量るくだりが. ⑥ 手足に枷をはめ、首には鎖をかけ、火によって. 詳述されているのは、『太平御覧』巻九百三・獣部. 満身焼け爛れた人より酷い苦しみの者はいるか。. 十五・豕の引用文である。各書を比較して見ると異. 解答:来世で地獄に堕ちた者の苦しみは、その. 同が少なくないので、便宜上、厳可均の『全晋文』. 百千万倍も凄まじい。. 巻百五十二・符朗の項から、該当箇所の原文を引い. ⑦ 容姿端麗な美女に勝る女人はいるか。. ておく。. 解答:三宝を敬信し、父母には孝行で精進・持戒. 朔人有獻燕昭王以大豕者、曰、養奚若。使曰、. に励む者は、天上世界に生まれると、美女の百千万. 豕也、非大圊不居、非人便不珍、今年百二十矣。. 倍もの麗しさになる。. 邦人謂之豕仙。王乃命豕宰養六十五年、大如沙墳、. ⑧ 栴檀の角材の本末の識別. 足如不勝其體。王異之、令衡官橋而量之、折十橋、. 解答:水に投げこめば、根の方が下に沈み、先の. 豕不量。又命水官舟而量之、其重千鈞。……. 方が上に浮く。. 21) 『能改斎漫録』巻二・事始。『符子』からの引用. ⑨ 同じ毛色体格の牝馬の母子の識別。. を省略して示せば、当該箇所の原文は次の通り。. 解答:草を与えてみて、一頭に先に食べさせ、自. 予按、符子曰……云云。乃知以舟量物、自燕昭. 分は後から食べるのが母馬。 これらのうち、仏教の教理に関わる抽象的な議論. 時已有此法矣、不始于鄧哀王也。 22) 『札樸』巻三・以舟量物。『三国志』『符子』か. 以外の具体的な難題、すなわち①③⑧⑨は、他の仏. らの引用を省略して原文を示せば、次の通り。. 教説話や後世の民話にもしばしば登場する。. 魏志鄧哀王沖…… 案古有此法。符子曰、……. 16) 第三の難問の原文は次の通り。 天神又復問言、此大白象、有幾斤兩。群臣共議、. 此事在魏太祖前。蓋後人之智偶合於古耳。 23) 田中於菟彌「インド説話の流伝に関する私見」. 無能知者。亦募國内、復不能知。大臣問父。父言、. は、「象の重さ」について『雑宝蔵経』の難題譚を. 置象船上、著大池中、畫水齊船深淺幾許。即以此船、. 紹介した後、次のように述べる。. 量石著中。水没齊畫、則知斤兩。即以此智以答。. この話に関する古い出典を、私は未だ見出せな. 17) 鎌田茂雄・他編『大蔵経全解説大事典』(雄山 閣出版、1998 年)59 頁。. いが、この話が現在もインドの民話として語ら れていることをインド人から聞いた。その人は. 18) 『三国志』には、曹沖の故事以外にも、仏典と. U.P.(ウッダル・プラデーシュ)の出身で、子供. の関わりが指摘される記事がある。たとえば前掲の. の頃この話を聞き、絵本でも見たことがあるとい. ぶつ せつ な によ ぎ いき いん ねん ぎよう. 陳寅恪論文は、名医華陀と『仏 説㮈女祇域因縁経』. う。『雑宝蔵経』にあるこの話が、現在まで語り. の神医祇域(耆婆とも記す)の話との類似を指摘す. 伝えられているということは、古くから北インド. る。また、蜀書・先主伝が記す劉備の容姿の特徴、. に普及していて、それが仏教説話として伝えられ. 「垂臂下膝(腕を垂らすと膝にまでとどく)」は、仏 典にしばしば見える「世尊三十二大人相」の一つで. たものであろう。(111 頁)。 曹沖の故事と『雑宝蔵経』との関係については、. 教育デザイン研究 創刊号 93.

(9) 象の重さを量る話. 田中論文は一貫して慎重な態度を崩さず、曹沖の話 が事実である可能性も否定していない。しかしその. 29) 「『姥捨て』の昔話と伝説」の第二表による(『日 本の昔話と伝説』118 〜 119 頁)。 . 結びは、「インド説話が仏教文献を通さずに中国に. 30) 『神道集』所収の「蟻通し明神の事」、貴志正造. 流伝したことも考慮しなくてはならないのではない. 『神道集』(平凡社・東洋文庫、1967 年)の現代語. かと考えるのである」と締め括られている。. 訳がある。奈良絵本「蟻通明神のえんぎ(仮題)」、. 24) 今野達校注『今昔物語集 一』(岩波書店・新. 横山重・松本隆信『室町時代物語大成 第二』(角. 日本古典文学大系、1999 年)による。同書および『今. 川書店、1974 年)に収載。ほかに「横座房物語」 (『室. 昔物語集』の諸注釈によれば、この棄老説話は、他. 町時代物語大成 第十三』)の所収話も、 『神道集』 「蟻. に『打聞集』下などにも見える。. 通し明神の事」とほぼ同じ内容。. 25) 「蒼舒」は、古代伝説で有虞高陽氏に仕えたと. 31) 『南伝大蔵経』の「大隧道本生物語(マハーウ. される八人の賢者、「八愷」のうちに見える名前で. ンマッカ・ヂャータカ)」の難題譚、ギリシア神話. ある。ここでは曹沖の字を意識しつつ、シテの名に. のダイダロスが巻貝に糸を通す話、梁・殷芸『小説』. 選んだのであろう。なお、曹沖の字「倉舒」も、蒼. などに載る孔子説話(九曲の明珠に糸を通す)、チ. 舒に肖っていると考えられる。. ベット古典劇「ギャサ・ペルサ(文成公主とティツ. 26) 田 中 允 編『 未 刊 謡 曲 集 十 一 』( 古 典 文 庫、 1968 年)による。同書の解説(25 頁)によれば、. ン公主)」の難題譚など。 こうした難題譚の類話に関しては、稲田浩二編『日. 下村本(天理図書館所蔵、京都下村家旧蔵本)、佐. 本昔話通観 研究篇1 日本昔話とモンゴロイド』. 野本(金沢市在住宝生流佐野家所蔵、江戸前期写本). 『同 研究篇2 日本昔話と古典』(同朋舎、1993、. に所収。能楽研究所蔵謡名集(近世中期写)、吉田. 1998 年)の「難題問答」 「難題話」の項を参照した(タ. 名寄、明治の松尾名寄などに散見するのみという。. イプ番号 811 〜 824)。但し、同書の詳細な調査も、. 近世初期頃の作と推定されるが、作品としての出来. 当然のことではあるが完璧ではない。. 映えについては、「簡単な脚色の短篇で、能として. 32)『雑抄』は全一巻、原注に『珠玉抄』 『益智文』 『随. の面白味はなく、キリは型の振付が困難で説話を聞. 身宝』などの別名が付されている。黄永武主編『敦. かせる効果しかない」とある。. 煌宝蔵』第 123 冊(新文豊出版社、1985 年)478. 27) 柳田の四分類をもとに、それぞれ 「もっこ型」. 〜 480 頁。該当箇所は 479 頁下段。文字不明の箇. 「難題型」 「福運型」 「枝折り型」 と呼称される。. 所は□、異体字や他字との通用、あるいは誤字と考. 「もっこ型」は、ある男が親をもっこに入れて山に. えられるものは( )内に示し、句読を施して引用. 棄てると、ついてきた息子がもっこを持ち帰ろうと. しておく。. する。男が訳を尋ねると、こんど父さんを棄てる時. 後有北漢骨奴国獻一木、□(麁?)細頭尾一種、. に使うと言われ、非を悟って親を連れ帰る、という. 復以膝(漆)之、不辯頭尾。復有草馬母子兩疋、. 粗筋。「福運型」は、ある女房が夫に姑を棄てさせ. 一種毛色刑(形)模相似、復有黄虵壹雙不知雄雌。. るが、善い姑は福運に恵まれ、悪い女房は不運に終. 天子不辯、遂訪告国内、若有人能辯木之頭尾、馬. わるというもの。「枝折り型」は、山に棄てられる. 之母子、虵知(之)雄雌、賞金千斤。經數月、無. 母親が息子の帰り道を案じ、迷わないように木の枝. 人能辯。其子二人遂私問蔵父曰、……. を折って道標とし、それを知った息子は母親を連れ. 33) 丁乃通『中国民間故事類型索引』(中国民間文. 帰る、というもの。無論、複数の型が複合した話も. 芸出版社、1986 年)の 981 番「隠蔵老人智救王. 多い。. 国」、劉守華「従 “棄老” 到 “敬老” −評一組関于老. 28) この論考は、大島建彦『日本の昔話と伝説』(三. 94. 人的習俗伝説兼談伝説和故事的転化」(『比較故事. 弥井書店、2004 年)に収載。「姥捨て」の難題は、. 学』上海文芸出版社、1995 年/『比較故事学論考』. 蟻通し・木の本末・馬の親子・蛇の雌雄・牛の目方・. 2003 年)、金寛雄「“棄老型” 故事的三個亜類型」 (金. 灰の縄・打たぬに鳴る太鼓・その他の八つに分類さ. 東勛主編『朝漢民間故事比較研究』遼寧民族出版社、. れている。. 2001 年)、林継富「従 “棄老” 到 “敬老” − “老人是.

(10) 個宝” 故事解析」(劉守華主編『中華民間故事類型. 孫權曽致巨象、曹操欲知其重、沖曰、置象大船之上、. 研究』華中師範大学出版社、2002 年)、祁連休『中. 而刻其水痕所至、稱物而載之、則校可知矣。操大. 国古代民間故事類型研究』(河北教育出版社、2007. 悦而行之。本朝河中府浮梁、用鐵牛八維之、一牛. 年)など。林継富論文によれば、難題は「闘鼠(大. 且數萬斤。治平中、水暴漲絶梁牽、牛没於河、募. 鼠を退治する)」「黄金を探す」「水源を探す」「怪物. 能出之者。眞定府僧懷丙、以二大舟實土、夾牛維之、. を殺す」「蛇の雌雄」「木の本末」「蟻通し」などで、. 用大木爲權衡状、鈎牛徐去其土、舟浮牛出。轉運. 「象の重さ」は挙げられていない。. 使張燾以聞、賜以紫衣。此蓋因曹沖之遺意也。. 34) 士燮は南地を治めて人望があったが、建安十五. 38) 実はこの一文も、銭鍾書『管錐編』の「全晋文. 年、交阯(交州に同じ、漢の武帝の時に交州と改. 巻百五十二」に既に指摘されており、新発見資料と. 称)が孫権の統治下に入ると、帰附して左将軍を受. いうわけではない。『 経室集三集』は四部叢刊初. 任した。『三国志』巻五十二の呉書・歩騭伝は、建. 編に収められており、該当箇所の原文は、句読を施. 安十五年の記事に続けて「南土之賓、自此始也(南. して示せば次の通り。. よしみ. 方の地域が呉と好を結ぶようになったのは、このと. 余所獲安南大銅砲重二千餘斤、甚精壯、甚愛重. きからなのである)」と記す。何 の議論は、これ. 之、兵船載砲。嘗遭颶、沈於温州三盤海底深二十丈、. を踏まえている。. 不可起。余命昭才往圖之、昭才用八船、分爲二番、. 35) 『義門読書記』第二十六巻・三国志・魏志に見. 一番四船空其中、一番四船滿載碎石、自引八巨繩. える。原文は次の通り。. 入海底、繫沈船之四隅、以四繩末繫四石船爲一番。. 孫策以建安五年死、時孫權初統事。至建安十五. 繫既定、乃掇其石入第二番之空船、是石船變爲空. 年、權遣歩騭爲交州刺史、士燮率兄弟奉節度、此. 船、浮起者數尺矣。復以二番四繩之末、繫二番之. 後或能致巨象。而倉舒已于建安十三年前死矣。知. 石船、繫既定、復掇石入第一番空船、是浮起者又. 此事之妄飾也。置船刻水、疑筭術中有此法。能改. 數尺矣。如此數十番、數日之久、船與砲畢升於水. 齋漫録引符子所載燕昭王大豕命水官浮舟而量之. 面矣。……. 事。 36) なお、注 5 に挙げた呉金華『三国志校詁』は、 何. [追記]. のこの一文を取り上げて反論を加えている. 脱稿後、高校古文・漢文教科書の最新版を通覧した. (126 頁)。呉氏は、健安五、六年の孫権は政権の. ところ、教育出版の『精選古典漢文』 『新版古典』に『三. 座に就いたばかりで、魏に好を求めることもあり得. 国志』曹沖伝が収録されていた。高校教材としては、. るとの見方を取り、さらに象の搬入を、士燮帰順後. あらためて注目され始めたということであろう。. の交州からと限定することはできないとする。つま. また府川源一郎氏より、「象の重さを量る」方法は. り呉氏の批判も、「曹沖称象」を事実と見ての立論. 抽象的な理論の要素を含んでおり、小学校教材として. である。同書には『雑宝蔵経』に関する指摘はなく、. 取り上げた場合、理解できない児童もいるのではない. その後、『三国志叢考』に至って初めて言及がある. か、との指摘をいただいた。確かにその虞れは十分に. (91 頁)が、両話の類似を述べるに止められており、. あり、拙稿はこうした問題への配慮を欠いた前提に. 影響関係等については論じられていない。. 立って書き進められている。この点を反省すると同時. 37) 『梁渓漫志』巻八、 「稱象出牛智」。原文は次の通り。. に、その上でなお、 「曹沖称象」の故事と関連資料の(小. 智之端、人皆有之。惟智過人者能發其端、後人. 学校から中学・高校に渡るそれぞれの)教材的な価値. 觸類而長之、無所不可。魏曹沖五六歳有成人之智。. を問うてみたい。御意見、御示教を希う。. 教育デザイン研究 創刊号 95.

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