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フランツ・ブレンターノの時間論(3)
水 地 宗 明 (6)第四期理論への移行(1901−1904) 第三期理論はおよそ10年後に御破算となった。それが放棄されるに至った理 由は,一口で言えば,いわゆるレイスムスの成立であった。また,より具体的 に言えば,それは,まず一切の抽象名詞が厳密な哲学的表現からは抹消される べきこととなったということ,そしてさらに,第三期理論の一つの支柱を成し ていたところのく内省概念〉の理論が否定されたこと,などであった。この第 三期理論の廃棄に関して,A.カスティルは填る個所で次のように簡単に説明 している。 けれども時がたつうちに,内省概念についてのこの理論の全てが覧る修正を受けねば ならぬこととなった。この修正は,ブレソターノがigO1−1906年に遂行したところの, そしてこれをもって,私見によれば,形而上学においてアリストテレス以来最大の進歩 工) が達成されたところの,存在論のレイスムス的改革の,その帰結であった。 ‘レィスムス’ (モノ主義,英語だと‘reism’。‘thing’を意味するラテン語 ‘res’ ゥらの造語)という用語はブレンターノ自身が用いたものではなくて,ポ ーランドの哲学者Tadeusz Kotarbinski(1886−1981)が1929年に出した『認 の 識論,形式論理学および科学方法論の基礎』と題するロシヤ語の書物の中で初 めて用いられた(コタルピンスキー自身の証言によれば)もののようである。 コタルビンスキーはブレンターノの弟子のK.Twardowskiの弟子であったが, 1) A. Kastil (1938), ‘Zeitanschauung u. Zeitbegriffe’, p. 93. 2) Elementy Teorii Poxnania, Logiki FormalneJ一 i Metodologii Nauk, Lvov, 1929 (2d. ed.,1961).なおこれの英訳が次のものである。 Gnosiology, The Scientific/Ap・ ptoach to the Theory of Knowledge, Oxford and New York,ユ966.2 彦根論叢i 第224号 後期のブレソターーノの思想を全然知らないで,独立に‘モノ主義’を主張した のだそうであるが,後にツワルドウスキーにその類似性を指摘されてからブレ ソターノを読み,その後発表した(英語あるいはフランス語による)論文で, 3) ブレンターノを‘モノ主義者 として認めている。 とeSt一いえ,〈モノ〉の概念の内包と外延に関しては,コタルビンスキーの理 解はブレンターノのそれとはかなり異なっているのであって,それゆえブレン 4) ターノ学派のA.カスティルは, ‘レイスムズとい.う用語を採用したけれど .も,ある機会に次のような注釈を加えている。 人がブレンターノに感謝しなければならない多くのことが,彼の名前抜きで伝わっセ 5) いるということも,.黙過されるべきでない。その一例は,今述べられた竹野的言語手段 (synsemantische Sprachtnittel)め理論である。 B.ラッセルはこの理論に高い価値を 認めた。彼はそれを「論理学と哲学に対して広範な意義を有する発見」と呼んでいる 6) が,しかし,それがブレソターノとマルティの多年にわたる協同作業の産物であること 3) T. Kotarbinski, ‘Pansomatism’, Mind (1955); ld., ‘Franz Brentano comme reiste’, Revue Internationale de Philosophie, XX(1966),459−476.この最後の論文 の英訳が,L. McAlister, ed., The Philosophy of.Brentano, London,1976,194−203 に収められている。なおコタルビンスキーの哲学に関しては,P. Edwards, ed., The EncycloPedia of PhilosoPhy, vo1.4,36!−3を参照。 4)なおクラウxの弟子Katkovの次のことばを参照:……Jener allgemeine erkennt− nistheoretische Standpunkt・・・…den ein nicht unmittelbar der Brentanoschule angeh6riger Denker, T. Kotarbinski, seh’r glttcklich “Reismus” genannt hat. (G. Katkov, Untersuchungen xur Werttheorie una’ Theodixee, 1937, p. 147.) 5) ブレンターノ自身はmitbedeutende(od. mitbezeichnende)Worteなどと呼ぶこ とが多かった。マルティの用語ではSynsemantikaである。字義上は, J. S. Millも 採用した中世のsyncategorematicumに近いが,理論内容はブレンターノの方がはる かに徹底的である。 6)B. Russell, Our Knotvledge of the External World, 2d.ed.1928,独訳1926, Lecture Vll ad finem: This fact has a very important bearing on all logic and philosophy, since it shows how they differ from the special sciences.なおラッセルはその 個所でこの理論をLWittgensteinに帰している。他方,後者はその著書Tractatus Logico−Philosophicus(1921)の序文において,「自分がここで書いたことは,細部に おいては必ずしも自分の創見ではないが,一々出所(Quellen)を明示しない。自分が
フランツ・ブレソターノの時間論 ㈲ 3 を知らない。これに反して,ポーランドのレイストたちの指導者であるコタルビンスキ ーは,ブレソターノを今世紀における「レイスムスの創始者」として,はっきりと承 認している。とはいうものの,この人自.身は,われわれはくモノ〉という普遍概念に包 摂されうるものだけを思うことができる,という(レイスムスの基本)命題に,唯物論 7) 的解釈を与えたのだが,これはブレソターノの意図によりも,むしろ現代の物理主義 (Physikalismus)の意向に合致する。ブレンターノにおいては,モノという名称は, 物質的なものに劣らず非物質的なものをも包含する。すでにデカルトもまた,零次元的 8)な魂を‘思うモノ’(res cogitans)と呼んでいるように。 しかしブレンターノのレイスムスの理論を全般にわたって論述することは, この論文の主題でない。ここでは時間論に関連する諸点のみを取り上げてみた い。 第三期のブレンターノの見解によれば,例えば‘ひとりの過去の哲学者’と いう表現において,‘過去の’という形容語は,形容される‘哲学者’を実在的 なものから非実在的なものへ(物から非物へ)転化せしめるけれども,とはい えこの‘ひとりの過去の哲学者’という非物は,或る意味で存在しており,事 9) 実性を有し,われわれの表象や判断の対象となりうるのであった。しかしレイ スムス的改革の結果, ‘時間’・‘現在’・‘過去’・‘未来’などのみならず, 考えたことを,他人が先に考えていたか否かということは,自分にとってどうでもい いことであるから(well es rnir gleichgtiltig ist, ob…)」という意味のことを述べて いる。そのこともあって0.クラウスは,そしてまたカスティルも,何らかの経過で ウィトゲンシュタインはマルチ/がすでに発表していた理論を知って利用したのでは ないか,と疑ったようである。しかしいずれにせよ,ウィトゲンシュタインやラッセ ルの思想は,この点では,ブレンターノのそれほどに行き届いたものではなかったよ うである。Cf.0. Kraus, Zur Kritik von Bertrand Russells”Analyse des Geistes“, Archiv fabr die gesamte Psychologie, vol. 75 (1930), pp. 289−314; Brent. (1930), p. 189, n. 82. 7) カスティルは多分R.Carnapらを考えているのである。 Brent.(1933), Kategor. p. 364, n. 5, p. 391, n. 3. 8) A. Kastil (1951), Die PhiZosoPhie F. Brentanos, p. 24. 9) Cf. Brent. (1930), Wahrheit u Eviden2, pp. 169f, n. 12.
4 彦根論叢 第224号 現在のもの’・‘過去のもの’・‘未来のもの’などまでもが表象されえない こととなった。なぜか。 この改革は,まず抽象名詞の廃棄という仕事から始まった。1901年の初め頃 ヱの までのブレンターノの抽象語についての理論は,次のようなものであった。例 えば‘赤さ’(R6te, redness)という抽象名詞には,次のような意味において, これに対応する概念および事物が存在する。というのは,そもそも赤さは何か の赤さとしてのみ考えられうるのであって,したがって‘赤さ’の概念と‘赤 いもの’(赤さをもつもの)の概念とは不可分の一対を成しているのである。 それゆえ,このような二つで一組の概念を彼は,相関的な対概念(概念対, korrelative Begriffspaare)と呼んだ。そして,もし一つの赤いものが存在して いるならぽ,それの内に,それの(ある意味で)一部分として,赤さという何 かが内在するのであり,そしてすでに古代のギリシア語の文献においてもしば ユユ しば言われているように,赤いものは赤さによって赤いのであり,また美しい ものは美しさによって美しく,丸いものは:丸さによって丸く,賢いものは賢さ ユ う によって賢いわけであるQ 周知のようにアリストテレスは,一つの具体的なものにおいて,それの形相 と質料(素材)を区別したのだが,ブレンターノの上記の理論がこのアリスト テレスの形相論の延長線上にあることは,一見して明瞭であろう。クラウスも こう述べている。 (ブレソターノの)この理論は,アリスhテレスのあの教説を計る仕方で正当化する 13) ための一つの試みにほかならなかった。 10) ここで言う抽象語(Abstrakta)は,普遍語と必ずしも同じでない。例えば‘人間 性’は抽象語だが, ‘人間’はそうでない。文法用語である‘抽象名詞’と‘普通名 詞’の区別を参照。 ユ1)例えば,プラトン『大ヒッピアス』287cd. 12) Brent. (1930), pp. 74, 186f. A. Marty (1910), Kasustheorien, pp. 94f. 13) Brent. (1930), p. 187, n. 67.
フランツ・ブレン子心ノの時間帯 (3) 5 以上は,およそ1901年の初め頃までのブレンターノの思想であった。さてそ の頃に,A.マルティは言語に関する諸問題と,それらに対する彼自身の解決 の試みについて,ブレンターノの意見を求めていたのだが,一連の往復書簡に よる両者のこの討論の過程において,ブレンターノの方が1901年3月のマルチ リ ィ宛の手紙の中で,抽象名詞についての自己の従来の理論を否定する見解を表 エの 明した。その際の彼自身の説明によると,旧理論は次のような思考過程を経て 成立したものであるという。例えば生えているしっぽ’があるとすれぽ, ‘しっぽを生やしているもの’が存在するわけであるし,またこの両者のどち らも他方なしには考えられることができないのであるから,この両者は相関的 な対概念である。そしてこのような相関的関係から類推して,‘赤さ’と‘赤さ をもつもの’などの(抽象語に関する)相関的関係が考案されたわけである。 しかし,ブレソターノは,この過去の彼自身の思考経過を次のように批判し ユの た。尾は尾をもつ動物(例えば鳥)のく物理的部分〉である。物理的部分は, それの全体から切り離されて単独に存在することも可能である。それゆえ, ‘尾’と‘生えている尾’とは厳密には同義でないQ他方, ‘赤さ’と(赤い ものによって) ‘もたれている赤さ’とは全く同義である。なぜなら,ブレン ターノの意見では,赤さは赤いものから離れてそれ自身だけで存在することが できないからである。それゆえ赤さを尾になぞらえて物体の一部分であるかの ユ う ように取扱うことは不当であろう。 もちろん以前のブレンターノも赤さを赤いものの物理的部分とみなしていた う わけではない。マルティの証言によると,後者がヴュルツブルクでブレソター ノを聴講したとき(したがって1868−70年の頃か),すでにブレンターノは赤 14) lb. pp. 73−5. 15) この間の事情については,同書p.209,n.145におけるクラウスの説明を見よ。 16)物理的部分,論理的部分,形而上的部分の区別については,Brent.(!956), Die Lehre vom richtigen Urteil, pp.51f.を参照。 17) Brent. (1930), p. 73, A. Marty (1965), Psyche u. SPrachstruktzar, 2d ed. pp. 217f. 18)Marty, op. cit.219.なおC. Stumpfはこの「形而上的部分」の代りに「心理学的 部分という用語を用い,E. Husserl(Log. Unters)もこれに従ったのだという。
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さや色などを形而上的部分と呼んでいたという。にもかかわらず,それはある 程度物理的部分になぞらえて考えられていた,というわけである。つまり,赤 さはなるほど赤いものから物理的に独立して存在しえないけれども,思考の対 象としては独立に存在しうるとみなされたのであろう。 さて以上のような反省を経てプレγターノは,1901年3月には,次のような 結論に到達していたもようである。すなわち,抽象語は単な:ることばであっ て,これにぴったり対応する概念はない。われわれは(例えば)赤さを表象す ることはできないのである。また, ‘赤さ’に対応するものも,どこにも存在 しない。物体の中にも,われわれの心の内にも,存在しないし,成立しないし いかなる意味においてもありはしない。「赤いものは赤さによって赤い」とか, 「赤いものの内には赤さがある」などという言い方から,赤さという何かがわ れわれによって表象されえ,肯定されうると信じるのは,ことばを話す人類の 一般的な錯誤(ein allgemeiner Irrtum der sprechenden Menschheit)とでも 言うべきものだろう,そしてアリストテレスもまた,入間の聞で一般的なこ の誤謬に感染したのだ,という意味のことを,彼はマルティに宛てて書いてい 19) る。 かくして,「赤さがある」とは「何かが赤い」とか,あるいは「何か赤いも のがある」などの表現の,代替的便宜的な,しかし厳密には不当な表現だとい うことになる。なぜなら,「何か赤いものがある」という文中の1ある’は本 来の意味で用いられているのだが,「赤さがある」と言うときの‘ある’は転 19)Brent.(1930),73.しかしこの点に関するアリストテレスの真意については,後に なってブレンターノは見方を変えたようである。例えば1911年に出た『アリストテレ スと彼の世界観』において彼は,形相と素材は(日常言語の表現法に譲歩することに よってアリストテレスが考案した)擬制(Fiktionen)であり,しかもそれらが擬制で あることをアリストテレスは意識していたはずだという,驚くべき解釈を立ててい る。Brent., Aristoteles und seine Weltanschauung, pp.46f.,59.なおこの問題に関 しては,Brent.(1966), Die Abkehr vom 2>ゴ’chtrealen, pp.232−4におけるクラウ スの質疑とブレンターノの応答(1912年12月)を参照。また1916年にも彼は,「可能 性,不可能性,非有などが表象の対象には絶対になりえないことが,アリストテレス 自身には分かっていたのだ」と言っている(Abkehr,292)。フランツ・ブレンターノの時間論 (3) 7 義的である。というのは,「赤さがある」と言うとき,われわれが表象し,か つ肯定しているのは,赤いものであって,他方‘赤さ’なるものは,表象され ていないし,ましてや肯定されてはいないのである。それゆえ‘赤さ’は単な ることばにすぎず,なるほど文法的には名詞であり,文の主語となりうるのだ ヨの が,心理学的あるいは論理学的には,名称とは言えない。つまり論理学的に正 しく表現された命題の主語や述語にはなりえないものなのである。 周知のようにノミナリズム(普遍唯名論)と呼ばれる思想は,普遍はすべて 単なる名称であって,この名称に対応する観念も実在物もありはしないと主張 するのだが,それまでノミナリズムに反対の立場を堅持して来たブレンターノ も,1901年には,「ノミナリズムに対して一つの譲歩をおこなわねばなるまい」 と告白している。とはいえ, ‘赤さ’は抹消されても, ‘赤いもの’という普 遍的表象(概念)は残されたのであるから,この譲歩はノミナリズムへの降伏 を意味するものではなくて,むしろそれに反対の立場(いわゆる概念論)を一 つの誤謬から解放したものとみなされるべきだ,とブレンターノ自身は弁解し 21) ている。 ま なお抽象語の批判に関して, (ブレンターノ自身が触れている)歴史的なこ とを若干付記すると,すでに1670年(24歳の頃)にライプニッツがこう書いて いる。 次のこともまた,ここで注意しておくだけの価値があるように(私には)思えた。と いうのも,世間では反対の意見が普通だからである。すなわち,正確に哲学する際に は,具体的なことば(concreta)のみを用いるべきである。アリストテレス自身はたい 20)文法上の名詞と論理学的(あるいは心理学的)な名討との区別については.例えば Brent.(1930), pp.78f.,81などを参照。なお彼は1905年8月に次のように語ってい る。rすべての名詞と形容詞が真実の名称であり,哲学者によっても名称として使用 されうるのだという偏見は,かつてアリストテレスにおいてそうであったように,今 日でも全く一般的である,と言えるであろう。」Ahkehr, p.329. 21) Brent. (1930), p. 75. 22) Brent. (1925), Psychol. 1[, pp. 2!5, 304; (1930), 75; (!933), 7; Marty (1910), 95ff.
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ていはそうしたのだと私には思える。……だが彼の追随老たちは……。なぜなら具体的 なもの(concreta)が真に物(res)である。抽象的なもの(abstracta)は物でなく,物 の様態であり,そして様態はたいがいは物の知性に対する関係,あるいは現われる能力 23) (現われかた)にほかならない。 また,(彼が57歳のとき,1704年5月に第一草稿を書き上げ)死後1765年に 出版された『新人間知性論』(皿,23,1)においても,ライプニッツはこう論 じている。 われわれの心に入って来るのは(賢い,熱いのような)具体的なものであって,(賢 さ,熱さのような)抽象的なものではない。……人はこれらの偶有的なもの(accidents) が果して真実に存在するものであるか否かをすら,疑うことができよう。事実,それら の多くは単なる関係である。われわれはまた次のことも知っている。最大の困難を提供 するのも抽象的なもの(les abstractions)である一もしわれわれがそれらの皮をむこ う(徹底的に調べよう)とするならば一ということを。スコラ哲学者たちの微細な区 別立て(subtilit6s)を知っている人には,このことがよく分かっている。しかし彼らの 作り出す最もよく繁った茨ですら,たちまち消え失せることであろう。もし人が抽象的 な存在を追放し,話すときには通例具体的な表現のみを用い,また学問上の論証におい ても,実体的な主語を表わす語以外のことばを使わないだけの用意ができたならば,で ある。 以上のライプニッツの発言は,この問題に関して反アリストテレス的な立場 に立ったブレンターノの信念の(心理的な)一つの支えとなったことであろう と想像される。とはいえ彼の抽象語批判は,ライプニッツのそれよりも,もっ と徹底的であった。 さて以上の理由で抽象語は,なるほど実用的には便利だが,厳密な哲学的表 現からは抹消されねばならないとすれば,時間論においても,‘時間’,‘現在’, ‘過去’,‘未来’などの用語は,厳密な概念規定の際にはもはや使用できない 23) G. W. Leibniz, Dissertatio de stilo Philosophieo IVizolii, p, 147 Gerhardt.フランツ。ブレンターノの時間論 (3) 9 ことになるだろう。というのは, ‘時間’や空間’も(むろん,これらは多義 的な語であるが,しかし通例は)抽象名詞であるように思えるからである。だ から,すでに1901年にブレンターノはこう述べている。 というわけで,真実には空間と時間もまた,実際に存在する何ものでもないことにな ろう。とはいえ(この主張をもってしても)われわれは依然として観念論者たちから遠 24)く隔っているのであるが。 また,少し後になって,1905年8月16日付の論文でも,彼は抽象語について (特1’q‘空間’について)こう書いている。 われわれは一つの言語を用いるが,これはわれわれの作品ではなくて,われらが民族 の伝統から継承されたものである。この民族(民衆,Volk)なるものはしかし.言語形 成に際して,自己の正しい見解と謬見との両方から必然的に影響される。そしてわれわ れは,たとえわれわれ自身がその誤謬から解放されている場合でも,語る際には,それ 25) ら(謬見)に何ほどか調子を合わせないわけにはいかない。民衆は超実在論的見解に傾 いている。彼らはこう信じる。もしだれかが健康であるならば,彼の内には一つの健康 (eine Gesundheit)が留まっている。彼が大きいならば,彼の内には大きさがある、彼 が判断するならば,彼の内には判断作用あるいはまた判断(ein Urteilen oder auch ein Urtei1)がある。……そして彼らは,何かが場所的に規定されているという代りに,「そ れは一つの場所をもつ」,「或る空間内にある」,「或る空間を充たしている」と言うので 26) ある。 ここで空間について彼が言っていることは,そのまま時間についても当ては まるのである。 24) Brent. (i930), p. 75. 25)例えば,コペルニクスの地動説を信じる人でも,日常の談話では,太陽が東から昇 って西に沈むなどと言う方が便利であろう。(これはブレンターノが何度か用いた例 である。) 26) Brent. (1966), 327.
10 彦根論叢 第224号 そして1914年にも彼はこう述べている。 無始無終の一つの時間というものが存在するとだれかが主張するならば……。時間と 空間は抽象語のうちに数え入れられるべきであるように見える。その場合には,時閻よ アラ りもむしろ時間的なものが,また空間よりもむしろ空間的なものが存在するのである。 それゆえこの時期(1901年頃)以後のブレソターノの時間論では,時間では なくて時聞的なもの(ein Zeitliches)が考察の対象となった。存在しているの は,またわれわれによって表象されえ,肯定されうるのは,ただ一つの時間 (die Zeit)ではなくて,多数の時間的に規定された物(zeitlich bestimmte Dinge)である。そして時間的なものは時間によって時間的であるわけではな い。だから「時間とは何か」という問は,例えば「二つの物が同時にあると言 われて正当である場合に,この二つの物はどこで一致しているのか」とか,あ るいは「二つの物が,一方はより先の(より早い)ものとして,他方はより後 のものとして互いに隔っている場合に,この二つの物はどこが違っているの か」とか,あるいは「同一の出来事が最初は未来のものであったが,今は現在 のものであり,やがて過去のものとなるであろう,ということは何を意味する ヨ か」などと言い換えられねばならないであろう。 さてしかし‘色’(Farbe)や‘時間’は抹消されても,‘色あるもの’(Far− biges)や‘時間的なもの’は残されたのであるから,同様に,‘現在’・‘過去’・ ‘未来’などは廃棄されても, ‘現在のもの’や‘過去のもの’などは,これ まで同様に論理学的な名詞として使用されてよいのではなかろうか? 答は否 であった。しかし,この結論へ行き着く道は,ブレンターノにとっては必ずし も平担ではなかったようである。 第三期理論によれば, ‘現在のもの’や‘過去のもの’という概念は,いわ ゆる内省(反省)概念である。つまり,われわれが自分の下した或る判断の内 27) Brent. (1933),9. 28) Kastil (1938), 88.
フランツ’ブレンターノの時間論 (3) 11 容を内省し表象することによって,この種の概念は形成されるのだと考えられ ていたわけである。例えば「:丸い四角はありえない」という判断の内容を表象 することから, ‘不可能なもの’の概念がいわぼ間接的に形成されるのだ一 というのも,赤いものを直接に見る(直観する)ようには, ‘不可能なもの’ を直接に知覚(直観)することはできないのであるから一というふうに考え られていたわけである。そして‘過去のもの’や,現在のもの’という時間的 な〈概念〉も,感覚やプμテレステーゼ(これらは既述のように第三期以降は 一種の判断であるとみなされた)への内省に基づいて形成されるのだと考えら ヨ れたのであった。 ところで,1901年3月にブレンターノの抽象名詞抹消論に接したマルティ は,直ちにそれに賛成したばかりでなく,すでにその年の内に,そこからさら に一歩も二歩も進んだ主張を展開した。それは,いわゆる判断内容も抽象名詞 同様に単なることばであって,われわれによって実際に表象されているもので はない,という主張であった。判断内容(Urteilsinhalt)とは,表象(あるい は概念)の内包(lnhalt)になぞらえて,ブレンターノとマルティが造語した ラ 用語であるらしく,例えば「Aは不可能である」という判断の場合だと,その 内容はrAが不可能であること」(that A is impossible)である。しかしマル ティのこの提案をブレンターノは当初は受け入れなかった。あるいは,前途に 横たわる飛び越えがたいほどの巨大な深淵を,彼はぼんやりと予感したのでも あろうか。 そして1903年1月7日付のマルティ宛の手紙ではブレンターノは, (むろん 抽象名詞に対応する非物を除外して)すべての非物(Nichtreales)について, ら 次のような妥協的な理論を提示している。すなわち,非物も事実性(Tatsach一 一ichkeit)を有するのであるが,しかしこのことは,当該非物が何らかの物に依 存(付随)するかぎりにおいてのみ可能なのである。例えば‘見られるもの’ 29) 「彦根論叢」第217号,12−14参照。 30)Brent.(1966),12(F. Mayer−Hillebrandによる解説). 31) ‘事実性’は抽象名詞であるから,ここでは便宜的に用いられているのであろう。
12 彦根論叢 第224‘号 うは一つまり見られるものであるかぎりでの見られるものは一見るものが存 在するかぎりにおいてのみ,存在することができる。とはいえ,むろん見るも のが見られるものを作り出すわけではない。 (何かによって作り出されるもの は,物である。)むしろ,見られるものは見るものに伴われて存在するのであ る。 非物は擬制(作りごと,Fiktionen)ではなくて,随伴者(Konkomitanzen)である。 すなわち,独立に成立し存在し滅ぶところの何らかの物があり,あるいはあらぬこと 33)の,単純な論理的帰結なのである。 同様に,この提案に従うならば, ‘過去の徳川家康’も出る意味で今なお存 在しているのであるが,それは,かつて家康が存在したという事実に伴って, 過去の家康が今なお一種の事実性を保有するからである。もし家康というもの がいまだかつて存在しなかったとすれば, ‘過去の家康’も事実性を有しない ことになろう。 しかし,或るものが他のものに依存してのみ存在しえ,表象されうるのだと すれぽ,しかもそのものは他者に働きかけることも,他者から作用を受けるこ ともできないものだとすれば,そのようなものの存在それ自体と,さらに表象 可能性すらも怪しくなるのは当然であろう。そして,もしわれわれがAを思っ ているように見えても,Aのみを単独に思うことは決してないことが明瞭であ り,Aを思っているように見えるときには,(Aとは全く異類の)BやCも常 に思われているのであれば,実際にはAは思われているのではなくて,BやC をやや複雑な仕方でわれわれは思っているのではなかろうか,という疑念が生 じることは避けられないであろう。 32)一般的に言うと‘思われるもの㍉あるいは‘意識の対象’である。これらはすべ て非物である。第三期の理論からすると,Aは見られているものであることは,「私 はAを見ている」という判断の内容への反省から知られるのであろう。 33)1903年に書かれたブレンターノの手紙の一一節。Brent。(1930), p.209. 34) Cf. Brent. (1966), 342.
フランツ・ブレンターノの時間論 (3) 13 35) 果然,8か月後の1903年9月10日付のマルティ宛の手紙でブレンターノは, 一切の非物を一括して否定しようとする彼の試みを報告して,次のように述べ ている。 私は一つの新しい試みを行なっている。思考内存在(entia・rationi$)をすべて作りご と(Fiktionen)として把握する,したがってまた,それらの存在を否定する,試みを, である。この試みは完遂可能であるように見える。……この問題は,一語でたくさんの 思考活動に奉仕しようとする言語の速記術的性格,および言語は(他の語句と)共同で 初めて一定の意味を表わすような語(mitbezeichnende W6rter)を制作するという事実 との関連においてのみ,理解されうる。 ‘Aの有’(Sein von A)とか, ‘有るA’(seiendes A),その他同様の内容をもつ (いわゆる)内省表象は,こしらえもの(存在しないもの,Undinge)であることが判 明する。真実に存在するのは,内的対象の一つまり,思う者である私自身を対象とす 36) る一諸経験である。またもし私が「Aはあった」(A三st gewesen)と言うならば,こ れは私がAを或る時間的様態で肯定することの表現である。また私が「あった(過去 の)Aはある」(ein gewesenes A ist)と言うならば,これは私がこの時間的様態で肯 37) 定する自己の思考を正しいとみなすことの表現にすぎない。 以上で暗示されたような思考過程を経て,この問題について彼は(1903∼4 年頃には)次のような結論に到達した。 ‘過去のもの’や‘未来のもの’は, 35)Op. cit. pp.108f.但しBrent.(1930)J p.209, n.145によると,この手紙は1904 年9月10日付である。 36)例えば「ひとつの惑星がある」と私が言うとき,私はひとつの惑星を表象し,肯定 し,またそのように肯定する自己を内的に知覚しているのだが,その際「ひとつの惑 星があること」とか,「ひとつの惑星の有(存在)」とか,「ひとつの有る惑星」が私 によって表象されているのではないし,私の心の中にあるのでもない。 37)つまり,この場合の「ある」は本来の意味でのそれ,すなわち「存在する」という 意味の「ある」ではなくて,或る判断が真であるという意味をもつにすぎない。つま り上文は,「Aがあったと肯定する者は正しく肯定する」という意味である。それゆ え「あったA」なるものは,実は表象されていないし,肯定されてもいないのであ る。 N
!4 彦根論叢 第224号 例えば‘思われるもの’(ein Gedachtes)とほぼ同様に,それ自身で単独に一 定の意味をもつ(一定の概念を表わす)語ではない。というのは,「思われる ものがある」という文において,ことばの上では思われるものが肯定されてい るけれども,実際に肯定されているのは,それを思うものである。r思われる ものAがある」という文は,哲学的に正しく表現されるなうぽ,rAを思うも のがある」となる。より具体的な例を挙げると, 「信じられる悪魔がある」と いう文は,むしろ「悪魔を信じる者がいる」と表現されるべきである。われわ れが悪魔を信じる人間(の存在)を肯定しても,悪魔(の存在)を肯定したこ とにはならないであろう。また,すでに表象の段階においても,「思われるも の」ということぽを聞く人は,思う者を表象し,さらにこの「思う者」が思う 「何か」をも表象するであろうが,しかし,「思われるもの」は全然表象され き ていないのである。 もちろん, ‘過去のもの.や‘未来のもの’は‘思われるもの’と全く同種 のことばではない。(思われるものは,思うものがいなければ,思われるもの ではありえないが,過去のものは,だれもそれを思っていなくても,過去のも のである一或る意味で)。しかし過去ρものは過去のものとしては今存在し えないこと,他者に働きかけたり,他者から働きかけられることができないこ となどの点で,思われるものに類似しているのである。 かくして1903年9月,あるいは遅くとも1904年夏までには彼は,時間,現 在,過去,未来,存在などの抽象名詞のみならず,現在のもの,過去のもの, の 未来のもの,存在するものなどまでも,概念ではなく,単独では肯定されるこ とも表象されることすらもできない単なることばにすぎない,という結論に 到達iしていた。そして1905年8,月に書かれた短い論文の中で,彼はこう語って 38) Brent. (1930), 79. Cf. Brent・ (1925), 229. 39) Brent. (1966), p. 406, n. 7. 40)存在するものとは,肯定されてしかるべきものである。それゆえ‘存在するもの’ の表象とは, ‘何かを正当に肯定する者の表象である。つまり,何か(例えば潤る 天体)が事態で,そして肯定者が正態で表象されるだけである。存在するものとして の存在するものは,表象されていない。
フランツ。ブレソターノの時問論 (3) 15 いる。 もし人が真実には名称(Name)でない或る語を名称と解するならば,そしてその見 掛け上の名称によって表現されているはずの概念を追求するならば,実際にはいかなる 概念もそれに結びついていないのであるから,当然(その概念の)定義において入びと は一致しえないであろう。そしてこのことによってまた,概念の源泉についての理論も 救いようのない混乱におちいるであろう。かくして,誤信された名称の誤信された概念 が,われわれの有するすべての概念は直観(感覚と内的知覚)から生じるという重要な 事実の,さまざまな形での誤認への機会となった。実際,有・非有・必然性・可能性の 諸概念は,否,美しさ・大きさなどの概念すらもが,いかなる直観からも生じないので あるが,しかしそれは単に,これらの概念が実は全く存在せず,当該名詞が真実の名で ないという理由によるのである。同じことが,時間・現在・過去・未来,否さらに,現 在のもの・過去のもの・未来のものという概念にもあてはまる。これらは,心理学,認 識論および存在論が,ここでおしなべて共通に,致命的なまでに(この謬見に)感染し なければならなかったのはいったいどうしてなのかという事情を示すための.たしかに 4.t) 十分な諸賢であろう。 さて現在のもの・過去のもの・未来のものなどが真正の概念のリストから抹 消されたことによって,ブレンターノの時間論は新たな課題を背負うこととな った。それはつまり,われわれが或るものを現在の,過去の,あるいは未来の ものとして単に表象する(ように見える)ことは,いかにして可能であるの か,さらにまた,直観されるプロテレステーゼの狭い時間的視野の外の,耐雪 的概念的諸規定に,われわれがどのようにして到達するのかという疑問に,従 42) 来とは異なる仕方で答える仕事であった。 そしてこの課題を解決するために彼は当初(1902年から1905年にかけて), 彼がかつて心的現象の(判断とは根本的に異なる)一つの基本部類として確立 43) したはずの表象という部類を,放棄しようとすら試みたと伝えられる。しか 4!) Brent. (1966), 329. 42) Kastil (1938), 93. 43) Kraus (1919), 21; Kastil (1938), pp. 93f.
16 彦根論叢i第224号 し,この試みに関する彼自身の書きものはほとんど公表されていないので,詳 細はわれわれには不明である。 とにかく,この試みは結局は放棄され,その後に提出されたのが,レイスム ス的改革の一環となったところの,表象様態の理論であった。 ブレンターノはこの新しい思想(表象否定論)を極めて明敏なやりかたで,あらゆる 方面へと追究し,またそれを反論に対して,特にマルティの異論に対して防衛しようと 努めたのだが,結局は再びそれを手放さねばならなかった。否そればかりか,しばらく は投げ捨てられていたあの石材(つまり表象)を,まさしく全時間論の礎石(かなめ 石)として据えるにいたったのである。すなわち彼は, (心的作用の)時間的諸様態を なるほど依然として保持したが,しかしそれらを第一次的には(判断作用に帰属せしめ るの ないで)表象作用へ移し替えたのである。 例えば判断する働きをこは,肯定するのと否定するのとの区別がある。肯定も 否定も判断であり,しかも同一の対象にかかわりうるのだが,判断の仕方(様 態,対象へのかかわり方)が対照的に異なっている。また感情にしても,広義 の愛すると憎む(陽の感情と陰の感情,例えば希望と失望)とでは,どちらも 情緒的な動きではあるが,動き方,対象へのかかわり方が,対照的に異なって いる。それゆえ心的作用の同一基本部類内での(対象の差異ではなくて)作用 そのものに見られるこのような差異を,ブレンターノは様態(Modi)の差異と 呼んだ。そして,心的作用を三つの基本部類に大別した場合,第二と第三の部 類には幾つかの様態差が見られるけれども,第一の基本部類である表象作用に は,どのような様態差も見いだせないというのが,ブレンターノの長年にわた る持論であった。この見解を放棄して,表象にも様態の差異があることを彼が 44)1905年5月22日付の手紙にその痕跡がある。Brent・(1966), pp・122f.(注47を参 照)。 45) Kastil, loe. cit. 46)水地「フランツ・ブレンターノの表象理論」(「彦根論叢」第210号),pp.35f.,39− 41.
フランツ・ブレンターノの時間論 (3) 17 ユわ 初めて主張したのは,1905年頃のことであった。そこしてその際に彼がまず考 えた表象様態は,時間的様態であった。 表象作用にも様態の差異があると彼が考えるに至った主要な理由は,願望に 関する次のような考察であった。われわれは或るものAを今あって欲しいと願 望することもあるし,過去のいついつにあって欲しかったとか,将来の或ると きにあって欲しいと願望することもできる。それゆえ願望には時間的様態の違 いが見られるわけである。そして願望はむろん判断ではなくて,情意の一種で ある。では願望のもっこの時間的様態は,判断から願望へ分与あるいは伝達さ れたものであろうか。 しかしわれわれは次の事実に注目しなけれぼならない。現在あるいは未来に かかわる願望は,その願望の対象が現在あるとか,ないとか,将来実現される だろうとか,されないだろうとかの判断を伴うことなしに,起きることができ る。(むろん,その種の判断が願望の基盤となっていることも,しばしばある けれども。)例えば,私は第三次世界大戦が近い将来にも遠い将来にも起きな いであろうことを切望するけれども,それが起きるであろうか否かについては 判断できない。同様にわれわれは,現在消息不明の或る人について,今生きて いて欲しいと願望することができる。 したがって,感情的な心的作用に見られる時間的様態は,必ずしも判断作用 から転移したものではないことになろう。とすると,判断にも情意にも互いに 47)1905年5月22日付のマルティ宛の手紙の中で,ブレンターノはこう述べている。 「私は付言しなければならない。私がアリストテレス(の心的作用を思考と情意に二 分する説)から私自身に戻って来て,表象を(判断とは)異なる一つの基本部類と して確立するとすれば.その際私は直ちにこの部類に対して,(1)時間の諸様態(die Modi der Zeit)を表象様式(Vorstellungsweisen)として,(2)さらに(二つ以上のメ ルクマールの)結合作用を,認定する。」(Ab々ehr, PP.122f・).この手紙によって,表 象様態論の成立は1905年(かその前年)とされるわけである。Brent.(1930), p.206, n. 139: (1966), Abkehr, p. 408, n. 19; Kraus (1919), pp. 21, 27 note. 48)Cf. Kasti1(1938),94.しかし主要な理由はむしろ彼の自己観察であったと言えるか も知れない。議論はこの場合はむしろ裏づけのためのものである。Cf. Brent。(1928), 正「ISツchoJ.1[[,49.
18 彦根論叢第224号 独立に高聞的様態が見いだされるのであるから,この様態は両者の共通の基体 ユの である表象作用に由来する可能性が大きい。 なお,願望にかかわる理由のほかに,他の理由として彼は,われわれが運動 らの するものを具体的に表象できるという事実を挙げている。運動の表象には時間 の表象が含まれているとすれば,この事実は,時間的差異がすでに表象段階で 現われていることの一つの証拠となりうるであろう。 とすると,われわれは次のように考えるべきであろう。問題が時間的差異に 関しない場合でも,例えば「この犬は黒い」という判断と「あのねこは黒い」 という判断とは,対象が異なるので,別種の判断であるが,この対象の違いは 判断の段階で初めて現われるのではなくて,すでに表象の段階で生じ,それが 判断にも(場合によっては情意にも)影響を及ぼすわけである。そして時間的 様態に関しても事情は同様だと思われる。すなわち,「Aがある」と判断する 場合と,「Aがあった」と判断する場合とでは,どちらの場合にもわれわれは Aを肯定するのだが,しかしこのそれぞれは,異なる時聞的様態での肯定作用 である。そしてその時間的様態は,実はすでに表象作用にそなわっていたもの である。つまり前者の場合には,われわれはまず現在様態でAを表象し,かつ それを現在様態で肯定するのだが,野老の場合には,Aを過去様態で表象した 上で,それを過去様態で肯定するわけである。これらの判断の時間的様態は, うり 表象めそれによって決定されるのである。 なお,表象の時間的様態について,ig11年発表の論文「表象作用の様態につ いて」においてブレンターノは次のように断言している。 いかなる判断も質の何らかの様態(肯定か否定の様態)を欠きえないように,そして われわれはこのことを(人間についてだけでなく)すべての判断する者に関して主張す ることができるように,何らかの時間的様態があらゆる表象作用に絶対に必要であり, 49)Brent.(1925), Psychol.皿,148(1911年発表),(1928),49(1911年以後書かれた ものか),(1976),RZK., p.23(ユ914年夏論文)。 50) RZK., p. 22. 51) Psyehol. ll, 148, Abkehr, 227.
フランツ・ブレンターノの時間論 ㈲ 19 そしてこのことは人間と動物に関してのみならず,一般にあらゆる表象する存在者に関 して,安全に断言されうるであろう。このことは,対象のない表象作用はないという命 52) 題と同じ確かさで妥当するのである。 すでに幾度も言及したように,動詞は時間語(Zeitwort)と呼ばれることも あるくらいで,時称は通例動詞(その他の述語づけの部分)に見いだされ,命 題の主語となる名詞や形容詞にはそなわっていないのだが,この点では誤りは 言語の側にある,ということになるだろう。 (7)第四期(およそ1905−!917) 私はここで便宜的にブレンターノの晩年の約12年問(およそ67−79歳)を彼 の時間論の第四期と名づけて一括するけ’れども,これは彼の時間論がこの期間 内には全く変化せず一定していたという意味ではない。むしろ幾つかの重要な 点で彼の思想はこの;期間内にも変動したのである。とはいえ,この時期の彼の 思想は一貫してレイスムスと表象様態論に基づいており,この点が,第一∼第 三期理論に対する第四期理論の最大の特徴と言えるであろう。 a.時間直観の素材 いわゆる時間直観に際して素材となるのは,第四期理論では,われわれ自身 の表象作用(さらに判断作用,もしくは情意作用)の或る種の様態から成る短 かい連続物である。 (心的作用の連続物であるから,むろん空問的なものでは ない。) 第三期理論では,時間直観の素材は或る種の判断作用の或る様態から成る連 続物であった。つまり,感覚およびそれに伴うプロテレステーゼ(以前感覚) は一種の肯定判断であり,そしてこれらの肯定判断の時間的様態が(ある一瞬 間においても)無数に存在して,時間的で連続的な変化を呈示する,と考えら れたのであった。したがって,この点では,第四期理論は第三期理論を全く否 52) Psychol. ff, 144. 53) OP. cit. 148.
20 彦根論叢ee 224号 嘱し去ったのではなくて,依然として様態差異説の立場に立脚しながら,それ らの をより深めていったものと言えるであろう。 (上述のように,プロテレステー ゼという用語も依然として保持されたが,但しその対象は第一次的には衰象様 55) 態だということになった。)というのも,すでに触れられたように,表象の時 間的様態は判断と情意にいわば伝染するのであるから,判断作用に時間的様態 が見いだされることは,第三期においてと同様に,依然として承認されている のだからである。だから,表象様態論に反対したマルティに対して,ブレンタ ーノは次のように語っている。 私は現在の,過去の,等々の時間的差異を表象作用にそなわる特殊な部類の様態(つ まり時間的諸様態)に還元することになったけれども,このことによって,それらの差 異をさらに判断作用の様態の差異としても把握することをやめようとしたわけではな い。……表象作用は判断作用の基体であり,自己の差異によって判断をも分化(種別 56> 化)せしめるのである。むろんまた(広義の)愛の諸作用をも(種別化せしめる)。 それゆえ時間直観の素材は外的物理的な現象ではなくて,第三期理論におい 57) てと同様に,内的心的な現象である。 (われわれが知覚する)時間的差異は表象作用の様態に由来するのであれば,そして また後者は,当該表象に基づく判断と情意をも変容せしめるのであれば,これらの時間 的差異自体をも,さらにまた静止と運動にかかわる諸差異をも(アリストテレスや近代 の多くの哲学者に従って)われわれの外的(感覚的)直観の対象の差異の下に包括しよ 58) うと欲することによって,われわれは誤りを犯すことになろう。 さてそれでは,時間直観の素材(感覚と以前感覚に含まれる表象作用の時間 54) 「彦根論叢」第217号,7−8. 55) Cf. A. Kastil (1938), 95. 56)1906年3月の手紙の一節(Abkehr, pp.160f.) 57) 「彦根論叢」第217号,10−11. 58) Brent. (1928), Psychol. III, pp. 69f.
フランツ・ブレソターーノの時間論 (3) 21 的諸様態の連続物)について,やや具体的な一例を挙げて説明してみよう。今 くらやみの中にいるわれわれの前で五つの異なる色(青,黄,緑,赤,白)の 光が一つずつ順次に瞬間的に明滅するとしよう。最初の青い光がひらめくと き,それはわれわれによって現在態(G)で表象され,かつ肯定されるであろ うが,それが消え,直後に黄色い光がひらめくとき,今度は後者が現在態で表 象され,かつ肯定される。他方青い光もわれわれの意識内ではまだ消え去らな いで,ある過去態(Vi)で表象され,肯定される。そして第三の緑の光がひら めくときには,これが現在態で,また黄色の光ぱVlの,そして青い光はV2 の過去態で表象され,肯定される。このようにして最後に白い光がひらめく ときの,表象の時間的諸様態の関係を粗っぽく図示するならば,次のようであ る。 青 黄 緑 赤 白 V4 XV3 X V2 N Vi G J むラ この図で水平の直線は第一次対象(感覚的直観の対象)の系列を表わす。J は今の一瞬における自己である。Jから出ている直線G, Vi, V2などは,直 観(表象および肯定)の時間的諸様態の一部分(実際には無数である)を表わ す。なお,この図には示されていないが,Jは(感覚作用およびそれらの対象 59) この図は正確にブレンターノが書いたとおりのものではないが,ほぼ同様のものを 彼自身が或る機会に(肥る目的で)書いている。Abkehr 159(1906年のもの), PSNchol. 皿,50(1911年以後か)。しかし五色の光の例は筆老がカスティルから借用したもので ある。A. Kastil(1938), pp.95ff.なおカスティルは,実際のプロテレステーゼの長 さはもっと短いかも知れぬと断わっている。
22 彦根論叢第224号 とともに)内的知覚によって知覚されるわけである。 b.時間的様態の正斜様態への包摂 上述のように,表象作用にも様態の差異があるという見解に彼が到達したの は1905年忌,早くてもその前年のことであって,その際まず考えられたのは時 60) 間的様態であったと推定される。とはいえ表象の様態には,時間的諸様態以外 にも,さまざまなものがあるという事実に,彼は早くから(あるいは当初か ら)気づいていたようである。これらの(時間的様態を除く)諸様態は,すべ て一括して正態(Modus rectus)と斜態(Modus obliquus)と呼称された。こ の呼称が公刊されている文献上で初めて現われるのは,1906年2月に書かれた 61) 論文「対象について」においてであろう。 正斜態表象の一つの典型的な例はく何かを思う者〉という表象である。 (こ こで‘思う’は,すべての心的作用を包括する広義のそれである。)例えば〈桜 の花を愛するひとりの人〉をわれわれが表象するときに,われわれは桜の花を も,愛する人をも表象しているわけだが,しかし前者を表象する仕方(斜態) と後者を表象する仕方(正態)とは,ブレンタP・一一ノによれば,かなり異なる。 というのは,この場合愛する人はいわばまっすぐに,いわば直接に表象されて いるのだが,桜の花はいわば間接的に,いわぽ折れ曲った仕方で表象されてい るのである。そして,われわれが桜の花を愛する入を肯定するならば,桜の花 をも或る意味で肯定するわけだが,しかし後者の肯定は,桜の花がその人によ って愛されていることの肯定であって,桜の花が今存在するという肯定ではな い。他方,桜花を愛する人は,存在するとして肯定されるのである。したがっ て,この肯定が真である場合には,桜花を愛する人は存在するが,桜花は必ず しも存在しない。かくして正命での肯定と斜態での肯定とは,全く異類の肯定 なのである。とはいえ古態と平平は二つの作用ではなくて,一つの作用の(同 時に生起する)異なる様態である。つまり,何かが斜態で表象されるときに 60)注47で引用されたブレソターノの手紙の一節,およびAbkehr p.62における Mayer−Hillebrandのことばを参照。 61) Abkehr, 330一一40.
フランツ・ブレソターノの時間論 ㈲ 23 は,必ず他の何かが正態で表象されているわけであるが,この二つの何かは一 62) つの作用によって表象されるのである。 ところで正肉の表象それ自体には種別の差異はなさそうであるが,斜態の表 ラ 象には,その対象の種脚こ従って,多くの種別が見られる。 斜態は厳密には一つでなくて,むしろ多様に種別化されている。斜態が量的関係を, あるいは因果関係を,あるいは心的作用の対象へのかかわりを,あるいはその他のもの を取扱うのに応じて,尉態はそれぞれ異種のものとなる。否そればかりか,心的なかか わりが肯定する判断作用か否定する判断作用か,等々によっても,斜態は別種のものと 64) なるのである。 さてこのようにして,彼が当初に(といっても約10年の長期間にわたって) 考えていた表象の様態は,大別して時間的諸様態と正斜様態であって,この両 者は統合されえないものとみなされていたのである。例えば1906年3月に彼は ラ 時間的様態を「表象の様態の一つの特殊な部類」と呼んでいるし,また1911年 の『心理現象の分類』の付録論文においても,両者は全く種類の異なるものと う して取扱われている。 ところで正斜様態は,ブレンターノによると,関係的なものと密接にかかわ っている。なぜなら,すべて一組の正斜様態での表象は一組の関係的なものの 表象であり,また何らかの関係的なものが表象されるときには,いつでも一組 さり の正斜様態が必要なのである。そして正態で表象されるものがこの関係の基 底(Fundament)と,また斜態で表象されるものが端末(Terminus)と呼ば 68) れる。 62) OP. cit. 218. 63) Kastil (1951), Die PhilosoPhie F. Brentanos, p. 168. 64) Brent. .Psychol. ff,145. 65) Abfeehr, 160. 66) Psychol. E, 143, 145. 67) 1房4.145,Kategor.169, RZK.122,124など。 68)関係の‘基底’と‘端末’という用語は古くからのものだが(「彦根論叢」第210号,
24 彦根論叢 第224号 ただし関係的なものにも2通りあって,(a)関係の基底が存在するならば,そ の端末も必ず存在するものと,(b)基底は存在していても端末は存在する必要の ないものとがある。例えば「この山(が高くある)よりも高い山」は前者の例 で,「悪魔を信じる人」は後者の例である。それゆえブレンターノは,前者の ような関係物を本義(あるいは狭義)での関係物と,また後者のような関係物 を広義でのそれ,あるいは関係包めいたもの(Relativliche)と呼んで区別する ことがある。しかし両者とも広義では関係的なもの(Relativa)であり,どち アの らも一組の正態と斜態で表象されるのである。 さてそこで,仮にもし時間的なものの表象が一種の関係的なものの表象であ るとするならば,表象の時間的様態は正斜態に包摂されうるはずであろう。そ してまた実際,何かを過去のもの,あるいは未来のものとして思う表象は,関 係的なものの表象に(少なくとも)酷似しているのである。 というのも,1915年2月4日付のブレンターノの論文によれば,過去のもの と未来のものは,現在のものと譲る関係に立つ場合にのみ,表象されえ, (翻 る意味で)肯定されうるのである。それゆえ過去のものの,あるいは未来のも のの認識とは,実は現在のものの認識一つまり,その過去のもの,あるいは 未来のものから前方へ,あるいは後方へ何ほどか隔っているものとしての現在 マ のものの認識一にほかならない。 この点を彼は次のように説明している。およそ過去にあったものとは,現在 のものから一定の時間的隔りをおいて(例えば1時間前とか3年前とかに)あ ったものである。この場合に隔りが(客観的に)不定だということはありえな い。そこで,仮にもし現在あるものがすべて滅びてなくなってしまったとすれ ぽ,今から1時間前のものも,3年前のものも,なくなる(そのようなものと p.42,n.55),この区別をブレンターノが重視し始めたのは,正斜様態の理論を思い 付いてからのことであろう。なおPsorchol.9, p.293, n.2参照。 69)Psychol. fi,134, RZK.126,128,カスティルはしかしこの区別を適切でないとし て批判している(次注で挙げた個所で)。 70) Cf. RZK. p. 227, n. 108. 71) RZK, 114.
フランツ・ブレソターノの時間論 (3) 25 72) して肯定されえない)わけである。未来のものに関しても,同様のことが言え る。 しかしそうだとすると,過去のものや未来のものは関係的なものであり,ま たしたがって時間的様態は正斜様態の一種目考えられてよいはずであるが,ブ レンターノはこの点でもかなり慎重であった。1915年2月8日付の手紙の中で も,彼はこの問題に関して次のように述べている。 どうして彼(マルティ)が表象様態の差異をすべて否定しようとしたのか.私は理解 に苦しむ。彼が時間的様態に賛成できなかったのであれば,まだその他に正態と斜態の 差異が残っていた。…… 人が何かを過去の,あるいは未来のものとして肯定する場合に,いつでも他の何かを も現在のものとして肯定するのであるから,過去および未来の時間的様態をも単純に斜 態として理解するように誘惑される人があるかも知れない。つまり,私が何かを1時間 前にあったものとして肯定するならば,その何かよりも!時間後のものとしての自分自 身を正道で肯定し,他方あの!時間前にあったものをば,私のそのものに対する時間的 関係の端末として,単に斜態で肯定するであろう,というわけである。……しかしわた しの意見では,このような包摂によっては,時間的様態をまだ十分に正当に評価(説 73) 明)することはでぎないであろう。 いったいどのような理由が,彼をしてこの包摂をちゅうちょせしめたのであ ろうか。 (未完) 72)悲劇記入アガトンは「ただ一つ神さまにもままならぬことがある。起きてしまった ことを起きなかったことにすることが。」と歌って,後年アリストテ’レスの賛同を得 たが(Arist. Eth. A「icom. VI 2,1!39 b!0f.),ブレンターノによれぽ,この見解は必 ずしも正しくない。神が現在あるものをすべて滅ぼしうるとすれば,かつ,神自身が 時間的変化を超越したものであるならば,である。(ブレンターノ自身は,この最後 の条件を否定するのだが。) 73) Abkehr pp. 278f.