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経営組織概念と組織の論理

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経営組織概念

組織の論理

序 昌  極めて多数の人々の協力によって行われる今日の経営は組織を離れては考えられない。経営はいつどこをとっても當に 組織的関連が見られる。両者間の関係も、グーテンベルクがいうように、単に派生的偶然的ではなくむしろ本源的必然的 であって、経営の発展はこの事実をいよいよ明白にする。今日の経営は経済や技術の進歩に対応して次第に大規模化して いるが、それは一方では分担関係や人妻関係並びに労使関係の複雑化、管理者と従業員闇の物理的社会的並びに心理的な 長距離化、疎遠化であって、そのこと自体が経営の意志決定や経営行動における齪鶴、摩擦、矛盾などの原因となり、 調整と協力を困難ならしめ、他方では経営の弾力性や適応性を減退せしめる。つまり、レスリスバーガーのいわゆる経営 の内部的均衡はもちろん外部的釣合を困難にする。ところが困難が増し矛盾が大きくなればなるだけその打開もますます 必要となり、そのキーポイントとして経営における組織聞題の重要性も加速度的に増加して死活問題となる。特に今日、 技術革新との関連において組織問題が如何に緊急重大なものとなっているかはわれわれの日常の経験の示すところであ る。それにも拘らず組織の本質の理解せられることの如何に少いかもまたわれわれの日常の経験の示すところである。ア        メリカにおいてさえそうであることをバーナードやサイモンは指摘する。ともかくこのような事情から経営組織の研究も      経営組閣概念と紹織の論理       二一   一

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     経営組織概念と組織の論理       二二 必然的に促進せられざるを得ず、かくてそれが近時における経営研究の中心をなすに至ったことも当然といわねばならな い。けれども、本来組織そのものが多面的存在であるように﹁経営組織﹂もそうでありいろいろに取扱うことも出来る。 現に多様な組織研究が存在するが、それも形式的表面的なものが多い。学問的には元より実際的要求に応ずるにも先ず理 論的基礎の確立が必要であって、それらが果して本格的な組織研究として真に実際界の要求を溝すに足る基礎理論である かどうか、それは如何なるものか深い反省を必要とする。  いうまでもなく、われわれの問題は常に経営学であり、経営学的組織研究である。単に経営組織についての研究でさえ あれば何でもよいというものではない。われわれにとっては、経営組織に固有にして、必然的な﹁見地﹂からの﹁経営 組織﹂研究が問題である。そのためには何よりも﹁経営組織﹂の経営学的概念の確立が問題である。そして従来の経営組 織研究の批判的考察を通じてそのような経営学的組織論を確立することこそここ数年来のわれわれの課題であって、拙稿        ﹁組織学と経営学﹂は主として経営学的組織論の方法問題を、 ﹁経営学的組織概念の発展﹂は主として対象問題を取扱う ことを目的とした。その際、われわれは﹁経営と組織と管理との関係﹂から従来の経営組織研究を管理学的と組織学的と に大別し、経営学的組織論を両者の両極的対立の統一において考えた。組織概念についていえば、組織を﹁経営のための 組織﹂と見る管理学的と﹁経営という組織﹂と見る組織学的との対立を﹁経営における組織﹂として統一的に把握しよう としたのであった。しかし、そこではなお消極的考察に止っていたので、ここではその続稿として一歩進めて経営学的組 織概念を問題とし、特にその論理的構造を中心に考察したいと思う。ところがこのような図は学説史的考察を媒介とする ことなしには形式的なものとなる危険性がある。だからわれわれはここでは経営組織に関する諸学説の論理的構造の批判 的考察においてこれを試みるほかはない。  然るに、見地の問題から概念の問題に進めば事態は必ずしも簡単ではない。組織概念は前に明らかにしたように、同じ

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耀 く管理学的或は組織学的とはいっても、その内部においては異り得るし、また変化するから、これを如何に選び如何に配 列するか、シェンプルークのいわゆるG。言鐸§σq§山○凱ロ琶αQがそれ自身一つの問題となろう。しかしわれわれは上述の 対立を﹁組織の論理﹂の展開という点から典型的に考え、先ずル・タートルの組織有機体説から出癸して、一方では管理 学的組織論に属するグーテンベルクの組織道具説へ、他方では組織学的︵或いは社会学的︶組織論に属するレスリスバ ーガーの組織社会体系説への対立的発展として批判的に考察したい。それは単なる形式論理的なものではなくその根抵た る﹁経営組織﹂からの存在論的批判たるべく、存在から概念へと共に概念を通して存在へでなければならない。これによ         って経営学的組織概念の論理的構造ーオイレンブルクのいわゆる﹁組織の秘密﹂i解明への道を準備したい。  ところで、このような企図はバーナード・サイモン理論を考慮することなしには行われ得ない。それはこのような批判         的研究が既に彼等によって照る程度まで試みられているからである。彼等の理論は宣揚博士によって紹介されて以来学界 の﹁共同財産﹂となり、今日これにふれることなくしては組織問題を論じ得なくなった。その意義は管理学的組織論の痛 烈にして徹底的な批判によって組織の論理に一転機を齎らせる点にあり、この点がら経済学におけるクインズ革命に準じ て経営学特に組織論におけるバーナード・サイモン革命︵しd麟コP国﹃匙1ω一80づ一㊤コ 男ΦぐO一に匡O口︶といっても過言ではあるまい。        形式的には、 ﹁公式組織の社会学﹂ ﹁組織の解剖学と生理学﹂を目指し﹁医学﹂を狙うものではないから一応広義の組織 学的組織論とも考えられる。しかし実質的にみると、特にバーナードについて見ると、それは﹁経営と組織と管理との関 係﹂を認め、それらを積極的に基礎づけようとしているのであって、この点からは組織学的であるよりは経営学的であり         −むしろ経営学的組織概念への道を示すと見ることが出来る。われわれは諸学説の研究に当ってバーナード・サイモン理論 を前提しこれを深めこれを越えるのでなければならない。  ①切卯藍碧負ρり↓冨閃ロ憂目8ωoh岳①国xo二二︿ρ中①冨8’臼88一国二﹀畠8ぎ犀冨二く①︼WΦげ乏くδ♪冒山&.L8コ口■メぞ斥      経営組織概念と組織の論理      二三

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▼     経営組織概念と組織の論理       二四 .② 彦根論叢三〇号。 ③彦根論叢三七号。 ④ 国巳窪げξαQ”閃.一Up・ωO①冨一B巳。・瓢費○お帥巳。・簿一〇p一〇9. ⑤馬場敬治、経営学と人間組織の問題、同稿、人間組織の研究における向後の展開の為に、PR五ノ七、経営学の到達点と向後の進  路、経済評論三十一年二月号、バーナード組織理論と其の批判︵上︶、米国経営学︵上︶など。 ⑥田杉競監訳、経営者の役割、日本版への序文、参照。 ⑦田β。ヨ胃90・H二〇お四巳N㊤江8目窪竃碧⇔σq①目①艮層喝・一こ。⊆・.9日81国こ︾匹貢ぎ幹︻鶴二自切。言託。がやBO・ ③ 拙稿、バーナード組織理論の一考察、彦根論叢三四号参照。 二 組織有機体説とその批判  一 ル・タートルの有機体説  管理学的組織概念にもいろいろな見解があり、今日その最も典型的なものは構造説であるが、出発点としてここではそ れと対照的な有機体説を取上げる。組織有機体説は歴史的には組織構造説や組織社会体系説に先行し、必ずしも学問的立 揚を自覚するものとはいえないが、論理的には両者と対照的であり、 ﹁組織の論理﹂の解明にはその検討を必要とするか らである。  一般に有機体観は古くから殆んどすべての社会科学の分野に行われたが、今日では過去の考え方といってよいであろ %。しかし、組織の問題については今日でも屡々行われている。有機体︵O円ぴq四時 ωヨ︶と組織︵。目σq鋤巳囲臨8︶とはその語が 示す通り、一見極めて密接な類似性をもち、組織現象の説明に便利であるだけでなく、特に共同体観と結びつくからであ        る。これは米英仏にもない訳ではないが、特にドイツに見られ、共同体観とともにドイツ国民性に根ざすと云、又よう。そ        の典型としては一般組織論ではニックリッシユを、経営組織論ではル・タートルをあげ得よう。組織理論の進んだ今日、

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これを正面かち主張するものは少いが有機体的説明方法を利用するものは極めて多い。ピーターセン・プラウマンなどそ の最たるものであるが、近代理論の代表者たるジ。ウンズでさえそうであ猛。ここではその最も典型的なル・クート牌の 見解を検討しよう。  さて、彼によれば﹁組織﹂や﹁組織すること﹂という言葉は自然科学の用語に由来する。 有機体は生物体で、特別の機能を営む一 連の器官をもち身体に連結され、その綜合作用によって生活表現が行われる。人間はかかる生命ある有機体である。われわれは自己 の内観から有機体の連結されている諸器官が相互に調和していることを知る。一の器官は他の器官に依存している。器富は相互に補 完し合う。器官の機能が誤れば、有機体の生活が損われる。最高能率をあげるには、有機体はその性質に最も適する作業環境にある を要する。  器官は二つの方向にその重要性をもつ。それは第一に全有機体の部分であってこの有機体に結びつけられねばならすその綜合作用 において全体を促進し阻害しではならない。しかし第二に、器官は独立的であり、この方向においては、それ自体の目的決定に適応 せねばならない。更に、身体としての有機体︵9αq帥巳ωヨ器自国。壱2︶を区別せねばならない。それは諸器官の総体であって、個 々の器宮は共同目的たる労働に互に連結せられ、有機体の活動を形成するものである。  ところで、経営もまた生命ある有機体である。経営は人間や動物の如き自然的生成の有機体 ︵冨巳=8ゲσq①芝。巳露興○お雪7 ω白話︶に対して人為的形成の有機体︵犀言。。二ぎ﹃σq⑦。・。訂ゑ窪①目9σQ鋤巳。。乗口ω︶である。 経営有機体においても経済体と経済生活と が区別せられる。経済体は諸器官の一定の継続的経済活動への綜合を示し、経営の生活任務は継続的な経済活動すなわち財貨の生産 と販売である。経営の器官は個々の財産部分、資本部分及び人間である。個々の器官は自然的有機体におけると同様に正確に合目的 々に相互に調和している。経営有機体の生活、生活遂行、生活活動は自然的有機体にて観察し得ると同様な経過を示している。  しかし、人為的有機体と自然的有機体とには区別もある。自然的な人間有機体は生長し自ら発展するが、単為的な経営有機体は一 度形成せられるとそのままである。それは自ら変化しないで、外界の生活現象が任務を変化せしめるにつれて適応せねばならないが その特色として、無限定な継続性をもつこととなる。更に自然的有機体においては、器官の発展や結合が自然に合目的々に行われ、 生活過程も或程度まで自然に規定せられ、それ以上は人間理性がこれに干渉せねばならない。人問が生活営為のためにもつ原理i 八時間労働、八時聞睡眠、八時間享楽一1は自然的有機体にも人間の組織的干渉のある例でこのような規定︵渕①σq①げ︶は強い程度に 経営組織概念と組織の論理 二五

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    経営組織概念と組織の論理       二六 人為的形成の経営有機体には必要となる。それは生活活動や生活過程の形成につき詳細にして広汎な規準を必要とするのである。  彼は以上の論述が組織の本質の認織を可能ならしめるとして﹁組織﹂概念を規定する。先ず﹁組織する﹂とは、ω器官を作って有機 体に結合すること、②器官を有機的に形成すること、すなわち器官を任務に適応させること、㈲生活現象を有機的に形成すること、す なわち生活現象をその有機体や器官に出来るだけ適合せしめ、合目的々に作用し得るようにすることであると見る。﹁組織﹂はω個々 の器官の合目的々形成の度合、②器官の有機体への合目的結合の度合、㈹生活現象の合目的々形成の度合、㈲上述の目的達成と確保の ための特別な施設︵器官︶に従っていろいろであり得る。要するに、組織とは器官と有機体の形成でその目的の最良の達成を考慮せる 生活活動である。  2 そ の 批 判  以上最も典型的なル・タートルの有機体説を紹介したが、有機体説は何れも似たりよったりである。それはともかく、 われわれはこれを如何に解したらよいであろうか。先ず、組織限定の問題であるが、この点有機体説はこれを﹁経営とい う組織﹂として無限定に広く解し、このような有機体とその生活の合理的形成を説くだけで、方法論的自覚をもたない。 つまり、経営と組織と管理も、また組織と組織体とも区別することが出来ないのである。もちろん有機体説でも限定は可 能ではあるが、一般に無限定的に物的組織と人的組織とを共に有機体として同一視するところに特色が見られる。しかし 組織とは何かを真剣に問題としょうとするとき限定が必要となり、限定の仕方が問題となるのである。  そこで、次に、その根抵たる組織観が問題となる。組織有機体観を組織機械観と比較すれば直ちに明らかなように、そ        ヘ   ヘ   ヘ   へ の第一の特色は組織を有機体として内観しその統一が冨謬9自σQ帥巳。。目に従うと見る点において生物学的組織観であり、 本来の意味での甘琴辞ざコ舘巷胃器跨であり、第二に組織を部分からなる全体として特に全体的関連において全体主義的に         ヘ    ヘ    ヘ   ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    へ 見る点において全体主義的組織観ということが出来る。要するに、有機的関係に﹁組織の論理﹂を見るものである。以下 これらにつぎ考察しよう。

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       へ   る  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ リ  先ず第一に有機体説は組織を生物的なもの、人体的なものとして特に目的関連的に内観しようとする。生物特に人聞も 自然物として因果関係を無視出来ないが、目的意識をもち、自由行動をとる点にて他の物的存在と異る。有機体説は人間 特に入体を有機体の典型とし、組織をもかかる生命ある有機体と見てその構成や生活を内観する。組織は一面道具性、身 体性をもち、他面全体性、主体性をもつが、有機体説は主として後者を内観する。組織にはル・タートルのいうように統       ヘ   ヘ       ヘ   へ 一のいろいろな形態があり、程度がある。組織統一の上限は有機体であり、下限は機構、或いは構造であるとも考えられ る。統︸性、全体性、主体性という点から見れば、有機体はこれを完全に示し、組織の理想とも見えるであろう。そこに 有機体説の根拠があるといえるであろう。会計学における静態観、動態観、有機態観と対応して組織論においても静的、       ⑥       . 動的、有機的組織概念が区別せられる。それは右の理由によるといえよう。しかし常に理想と現実とは混同してはならな い。そして内観にせよ、外観にせよ、問題はその内容の客観的把握であって、それには内観が同時に外観であり、外観が 同時に内観であるという見方が成立せねばならない。  次にこれと密接に関連する有機体説における組織の統一原理を考察しよう。組織すなわちオーガニゼーションとオーガ ニズムとの関連は語源の示す通り密接である。単に統一という事実から見れば、両者間に差異がなく等しく生物学的統一 原理が作用し、かくてオーガニゼーションがオーガニズムと見徹されることにも一理あるといえるであろう。しかし両者 間の関係はどこまでも類似であり、比喩である。類似を同一とし無差別とするとき誤りとなる。有機体説の維持し得ない         ことは既に古くマックス・ウェーバーの示す通りで、ル・タートル自身これを認めざるを得ない。有機体説が組織を有機 体であるといいながら、自然的有機体と人為的有機体︵組織︶ とを区別せざるを得ないのはこのことを示すものに外なら ない。       、  そこで、統一原理の相異として先ず有機体の自然性と組織の人為性をあげねばならない。かって,明らかにしたように、      経営組織概念と組織の論理       二七

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     経営組繊概念と組織の論理       二八﹂ 組織は単なる秩序や体系などと見ることによってどこまでも拡げ得る。事実、組織概念は社会科学から自然科学の天体や 物質や細胞の構造に至るまで拡張せられる。しかし、経営学にとっては当然に限定が必要で、その際一方では自然的生成 と入善的形成の別が、他方では物的秩序や構造と人間的秩序や組織の別が決定的である。本質的に異るものを抽象化する ことによって、同一視することは問題の性質上許されない。組織はどこまでも人魚の目的行動と関連し主体的形成行為を 通して成立する協力体系に外ならない。その他のすべての特色はここから出てくる。かくて、次に有機体における結合関 係や統一性は自然的なるが故にまた直接的連続的強制的必然的であり、一定の自然的方式をもっている。然るに、組織は これに参与するかどうかは一応人聞の自由意志的選択により、その統一性はどこまでも人為的であって、人聞的努力によ        る矛盾と対立の克服という直下で間接的であり、部分相互間の関連は不連続の連続として行為的である。組織は人間結合 として多即一、一多多の弁証法を示している。組織がフォーマルとインフォーマルの統一をなすのも弁証法的といわねば ならない。有機体ではフォーマルとインフォーマルの区別は成立しない。更に、有機体における全体性は先天性、所与性 のものである。組織における全体性︵従ってモラールやリーダーシップ︶はむしろ組織を構成する全員の意志決定︵号。芭。〒 臼跨ぎσq︶や伝達︵OOヨ圏P目録一〇⇔一HO昌︶の関係を通して実現すべき課題性のものである。部分は全体の部分として連続的であ り、独立の部分として非連続的である。全体は非連続の連続であり、部分の自己否定の肯定として成立つ。組織は部分と 全体との弁証法であり、そこには完結ということはない。組織が人聞の形成的努力の如何により要素の総和以上であり得 るゆえんである。組織法則はこれを意味ナる。更に、有機体の成長は直接に生物的な生命現象の表現であり、組織の発展 は矛盾の解決として飛躍的であり、その生命は自然的生命と異り、組織行動による目的の実現のうちに認められ、理論的 に永続的であり得ることル・タートルの認める通りである。その他、内的及び外的適応性の問題についてもこれまでと同 様に考えることが出来る。

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      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  最後に、有機体説の全体主義的組織観についてこ言せねばならない。ル・タートルがいうように、有.機体の部分や器官 が独自の機能を営むにしても、それは有機体の中においてであって、それから独立ではあり得ない。独立は死を意味する 器官は﹁全体のための器官﹂であって、有機体は常に﹁全体﹂としてのみ存在する。そこでは﹁部分より全体﹂が﹁人よ り組織﹂が重視される。組織をかかる有機体と見るところに有機体説の特色があるのであって、それは組織を全体性の方 向において全体主義的に見る見方を意味している。有機体説と全体主義思想や共同体観とはどの方向でも結合している。 ところが、有機体説の全体主義組織観は何れかといえば根本において組織否定の思想を含んでいる点に注意を要する。有 機体説の予想する組織形態は軍隊組織︵巳ヨQ蔓。垣戸巳N巴8︶ないし直系組織︵一ぎΦ。・αq碧剛・蝕。口︶集権組織︵8葺﹃p。欝。山 。お節巳鎚江。口︶上からの組織︵8マ鎚。乏昌。お露圃N巴8︶であって、そこでは諸部分の統一を表現する指導者が一切で、指導者 癌組織と見られている。組織が各人各部の協力でありながら、各人各部が無視されて形式的な全体のみが重視せられるか らである。全体主義必ずしも真の全体を重視するものではなく、組織の全体的一面を高揚するにすぎないからである。換 言すれば、多即一の面を高調して.一心多の面を無視する。この点、有機体説は組織の﹁あるべぎ相﹂を説くもので、次に 見る構造説の権威主義的組織観に通じ両極は一致するこ乏を思わせる。ともあれ、次に触れるバーナード.サイモン理論 の伝統的組織論批判がこの有機体説にもそのまま妥当することは改めて岸里を要しまい。

 3 発展の方向

 以上の如く組織と有機体とはその本質を異にする。それを混同する故に有機体説は誤りであり、誤りであるが故に実際 的にも危険をもつている。例えば、戦前のわが国の軍隊は明白に有機体説に立っていた。それは組織有機体観が如何に危 険であるかを実証したものとして興味深い。組織は有機的ではあっても有機体ではなく、その性質上全体と部分との間に 矛盾や摩擦のあるのは当然で、そこにこれを除き統一を保持しようとする主体的作用としての組織活動の意味がある。然      経営組織概念と組織の論理      二九

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     経営組織概念と組織の論理       三〇 るに有機体説は組織の事実上の矛盾性を無視し.直接的な統一的調和の保持と命令即実現の可能という観念的ないわば予定 調和的仮定に立つ。かかる仮定が如何に危険であるか説明を要しない。事実を無視し理論を問題にしない有機体観に立つ 経営は必然的に失敗するのみ。有機体説は事実の認識において誤りであるから実際的にも危険である。ここからも組織そ        .⑨ 、 、 、 、 のものへ、現実的な組織理論の確立へという方向に向わざるを得ない。しかしそれには古くテンニエスが有機体的なゲマ         ヘ   ヘ   ヘ インシャフトから機械的なゲゼシルヤフトへの発展を説いているように近代的な組織構造説を経過せねばならない。 ①渡瀬浩、経営有機体と社会有機体、商学論集一ノ一参照。 ② 拙著、フェイヨル管理論研究、一七四頁以下参照。 ③Z言冠δ。﹃出こU巽≦①αq︾信h奢母旦闇OHαqβ・巳。・国江8一ち博ρ ④℃Φ8屋8印刷コ。芝田口Pじd口ω冒①。。ω○お印巳N卑剛。昌目窪ζ雪鋤σq①ヨ①三=置。。.署為P一碧.  ζ葵冒σq=8刈.や﹄鍵● ⑤ 一ΦOoロ茸ρしd①昌δび。・oお曽巳G。卑一8一一8PGoω﹁δ1一伊 ⑥山城章、経営学的組織観PR、第五巻第十号参照。 ⑦ζ鎚毛Φσ臼︸OΦ器8ヨ⑦=①︾自。。母N①N霞芝置ω①塁。訂h巨①げ村PちB.ω.望県捗 ⑧ これらの点についてはbd餌旨費負。℃・。罫胃℃。c。悼︷︷・ を参照せられたい。 ⑨テンニエス著、杉之原寿一訳、ゲマイシャフトとゲゼルシャフト︵岩波文庫︶参照。          三組織構造説とその批判 旨。口。ω”ζ.口ご国×Φoロ帯く①U①o一ω一〇昌  ゴ司グーテンベルクの道具説  上述の如く管理学的組織論特に組織構造説は最初の近代的組織研究であるばかりでなく今日最も広く行き互っている見 解で、テイラー・フェイヨルの時代から今日まで米墨独仏の組織研究が殆んどすべてこれであるのは周知の通りである。

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これを理論的価値なしとして顧みないのは余りに形式的であろう。といって、これ以外に組織論なしとするのは盲目的と       −      ① いうの外はない。どこまでも批判的でなければならない。われわれは、 ﹁寂麦を弁ぜぬ﹂がためではなく、諸学説の歴史 的意義と限界を知って、歴史的背景の上に立ってわれわれの問題を展開するのためにも、先ずこれを取上げねばならない と考える。バーナード・サイモン理論もこの批判の上に立っている。もちろん管理学的組織概念といっても、その申には 組織を何と見るかによって差異がある。これもいろいろにわけられるがわれわれの問題にとって重要なものは組織をメカ ニズムと見る構造説で、それは上述せる組織をオルガニズムと見る有機体説と対立的である。ここではその最近の代表者       ② としてグーテンベルクを取上げる。  さて、グーテンベルク経営学の特色は経営を生産要素の結合過程として経済的に把握する点にある。彼はドイツ経営学の伝統に従 っで、経営組織を生産要素の一と見る。彼によれば、生産要素は先ず基本要素と管理要素に分れる。前者は労働給付、労働手段、材 料であるが、労働給付は更に﹁対象関連的﹂と﹁管理的﹂に分れる。後者が管理要素で生産の第四要素である。この管理要素からは 計画と組織が派生する。彼にとっては組織は﹁経営のための組織﹂として派生的要素にすぎない。彼がかかる管理学的見解を積極的 に主張する理由は次の如くである。  ﹁一切の経営現象の秩序は人間の意識的に形成する手段、従って経営計画と経営組織に基づく。﹂ 計画は経営の規律たる﹁秩序の 設計﹂であるが、組織はこの﹁秩序の実現﹂である。﹁組織﹂という言葉は多様の解釈が可能である。 組織は﹁計画された秩序の実 行のみならす、秩序の設定それ自身を指すことも出来る。経営における起動的形成的な力までも組織概念に採り入れることが出来       ヤ  し  し  へ  し  ぬ  ミ る。組織概念をこのように規定するときは内容的に非常に広く解することになるから、結局、経営即経営組織︵⇔d書誌①げ職鉱。ずじd雫 ↓昌。げωo国σq鶴巳鈴寓。誉︶という公式にさえ達する。﹂  周知の通り、ドイツではボグダノブ、プレンゲ、シュパン、ニソクリソシュなどみな組織を広く解し、特にプレンゲは組織学的組 織論の先駆者である。それにも拘らす、グーテンベルクがこれらの見解に反対する理由はどこにあるか。  ﹁このように組織概念を狭くすることの利益は、生産過程における欠陥が計画の不十分性にも経営組織の不十分性にも、最後はな お経営指導の人的不十分性にも帰せしめられ得ることを考えるならば明らかとなる。レ﹁経営組織は経営指導ρ﹃延長された腕﹄ に 経営組織概念と組織の論理 一一 ’

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経営組織概念と組織の論理 三二 すぎない。L要するに、﹁経営組織はつねにただ﹃奉仕的﹄または﹃道具的﹄性格をもつにすぎない。﹂﹁組織は常に目的への手段であ って、自己目的ではあり得ない。﹂組織に一つの偶像を見ることも出来す、また組織を呪咀することも出来ない。﹁組織は所与の秩序 または目標を具体化するために人が経営において用いる一つの道具以上のものであり得ないし、またあってはならない。﹂  しかし、その﹁経営のための組織﹂という場合、組織とは如何なるものであるか、彼は組織的過程の特質を次の如く考える。組織 的努力の対象たる経営過程は無限であるが、それらは相互に無関連なものとしては決して組織的事実をなすものではない。しかしそ れらが一つの具体的経営において相互に生産的結合をなすに至るならば、それは一つの組織的現象となる。この過程がそのような性 格をもつのは技術的過程としてではなく結合過程としてである。 ﹁組織の本質は異質的要素から一つの統一ある生産的単位を形成す ることにある。﹂それは経営者の命令権︵︾8黒目昌σQ。・器。窪︶による経営.過程の基準たる﹁規定﹂︵”①αq①冨コσq9︶として現われるか ら、経営組織の内容はこの﹁規定﹂であって、その妥当範囲と強度とはいろいろであるがこの規定の支配が一般化するにつれて経営 過程も﹁言入老化﹂されることは明らかである。要するに、彼の組織観は道具観であり、組織概念は規定説であり、構造説或はは機 構説である。その組織は明らかにフォーマル・オーガニゼーションである。  2 そ の 批 判  経営組織が何よりも﹁経営のための組織﹂であることは否定出来ない。ところで、これを合理的に形成するには経営の ﹁目的﹂を知ると共に﹁組織﹂を知らねばならない。管理学的組織論も組織理論を前提し、自らこれを求めざるを得ない。 近代がゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ進んだように、組織観も有機体観から機械観、構造観へ進むことは当然と いえよう。しかし、それが﹁組織の論理﹂として妥当するかどうか。  先ず、われわれにとって第一の問題は、上述の如く、組織限定の問題すなわち組織をどこに見るかの問題である。・換言       ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   へ すれば﹁経営と組織と管理との関係﹂の問題である。有機体説は経営即組織として無限定的に考えたが道具説は﹁経営の ための組織﹂として一応限定し、それも一定の理由に基づいて主張する点一歩前進といえる。ただ問題はその限定の仕方 が妥当であるかどうか、限定における観点と内容の問題である。

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 そこで、次に組織観即ち組織を何と見るかが問題となる。いろいろ検討を要するがここでは互に関連する二点を考察し よう。この道具観は前の有機体観と比較すれば直ちに明らかなように、第一の特色は組織を道具として外観し、組織が、       ヘ へ あ へ        冨≦。。。hヨ9冨巳8に従うと見る点にて物理学的組織観であり、魯σq言①①ぼσQ昌胃8翁といえる。第二は組織を経営者の権        ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ 威乃至命令権による﹁規定﹂と見る点にて権威主義的組織観といえるであろう。要するに、その特色は物的機械的関連に ﹁組.織の論理﹂を見ようとするところにある。  さて、道具観は組織を経営の道具として外観するだけで経営と組織との必然的関係を認めず偶然的派生的と考える。そ して組織を道具として用いるものは組織の外に立つ人闇であるから、そこでは﹁組織よりは人﹂が重要と考えられざるを 得ない。誰でも知っているように、組織︵O壇σq四昌一N餌該O口︶の語源はギリシャ語のオルガノン、ラテン語のオルガヌムで本来 道具︵≦ΦH障N①口ぴQ︶を意労し、組織はオルガンの一定の関係からなる機械高は構造とも見られる。なるほど組織の道具性は 否定し得ない。恰もわれわれの主体的自己が身体的自己を道具としてもっことによって初めて真に行為的であり、主体繭          で謬り得るように、 経営も組織を道具としてもっことによって現実に経営の自己形成一経営の維持と発展、安定と進 歩fを期することが出来るからである。この意味にてグーテンベルクの主張にも一理のあることは否定出来ない。しか しこれを単に経営の外におき道具として外観するに止るところに問題があるのである。組織を利用すると考えられる人間 自体、サイモンの指摘する通り、組織を離れてはあり得ず﹁組織における人間﹂として組織的に行動する外はないから     である。  これと関連して組織の統一原理が問題となる。単に統一という事実或は結果のみからは組織も道具や機械も区別せられ ず、等しく物理学的特に機械的原理が作用するとも見得るであろう。 ドイツ経営学ではよく経営構造︵頓Φ三①訂げβ。。。阜 bd。一ユ㊦訂。。需鼻言円︶と経営生活︵bd①叶目一①一ωび①ぴΦ︼ρ︶とが対照せられ、経営組織も経営生活の営まれる基礎であり、通路であり、      経営組織概念と組織の論理       三三

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     経営組織概念と組織の論理      三四 秩序であり、規定であると解せられる限り、経営構造と同じ意昧にも解され、組織は単に物理的法則に従う組織構造 ︵。お僧三N巴8ω俘ロg霞①︶になってしまう。彼が.﹁組織の本質は異質的要素から一つの統一的な生産的単位を形成すること にある﹂というとぎ、その異質的要素が問題であるが、組織を﹁結合過程﹂と見、 ﹁規定﹂とする限り、それが人間の外 に物をも含むと解さざるを得ない。一般に、よく物的組織や人的組織などといって人間と物との同一視の行われるのもこ れがためである。単に諸部分間の秩序的統一という点からは組織も機械や構造も確かに類似している。しかしその類似は あくまで外面的なものにすぎない。機械は統一原理が外から与、尺られるものであるに対し、組織は統一原理を固有のもの として内に含むものである。構造はメカ晶ズムとして冨≦の鼠巳①。冨巳8に従い、インプットとアウトプットとの因果関 係に従うシステムやサーヴォメカ晶ズムと見られる限り主たると物たるとに拘らず広く用いられるが、組織はオーが昌ゼ ーションとしては、組織の論理に立つ﹁人間組織﹂に限定せらるべきである。グーテンベルクが﹁経営士経営組織﹂に反 対して組織を限定する意味もここにある筈であるのに、組織を道具と見ることによって組織を構造や機構と混同しその表 現たる﹁規定﹂を組織と取違えて、限定する意義を失ってしまうこととなる。組織の論理がメカニズムの論理と全く異る ことを明らかにすべきである。  最後に、権威主義的、合理主義的、形式主義的組織観の問題がある。管理学的組織論において組織は例えばグーテンペ        ルクの如く経営者の命令権或いはディヴィスその他の如く経営者職能要するに権威が中心に考えられる。そこでは組織は 最高任務の一方的な委譲分担の関係或はその規定で、結局は命令系統︵Oず餌一口 O困 OO目PbP曽訂α︶ よりなる権限と責任の階層体 系︵ぼ①旨旨どoh帥ロ酔自津団国巳器超。冨一ぼ一算団︶に外ならない。ここでは組織は集権組織︵8馨冨=N巴9αq缶巳葺けδp︶、上から.         の組織︵8ちム。奢昌。国σq雪幽N匿8︶ であり、いわゆる軍隊組織︵巳一一B蔓¢需鼠。おき凶鎚甑。コ︶に外ならない。 ここでは組 織は権威圭義的なものであり、命令の権威は部下によって当然そのまま守られるものという前提に立っている。それは明

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らかに人聞をピヨ霞匿。8H心し窪αq冒$Hぎαq巷冒8筈するものである。 ここでは目的手段の関連から組織原理に従い合 理的な組織形成が可能とされるが、それは組織における人聞の非個人的な組織関係の一方的高揚を意昧b、組織をそのよ うな関係や秩序の幽鑓ヨ⑦≦。鱒、いわば経営要求の形式的表現と見るものである。要するに、ここでは組織は目的に対して ﹁あるべぎもの﹂ ﹁ありきたもの﹂ ﹁あり得るもの﹂であ・って、必ずしも﹁現にあるもの﹂とは限らない。これらの前提 を現実から吟味し両考間のギャップに対する批判をめぐって組織理論は﹁進展するが、それは、内容的にはバーナードによ         って、方法論的には主としてサイモンによってなされるのである。

 3 発展の方向

 以上の如く組織構造説の特色は同時に欠陥であって、それは組織を外観するだけで内観を忘れ、これを道具乱して組織        における人間を真に生ける行為的人間として、すなわち霧二巴。目℃。。・訟甑①げ①匿く一9焦鵠¢珍山⇔争窪。鼠ゲβヨきげ①ぎαQωと して把握し得ない点にある。経営組織が問題である限り、経営のための﹁仕嘉の組織﹂の合理的形成が申心であり、この 点から科学的管理法の根本思想が人間の前に仕事を考えるのもそれ自体としては間違いとはいえない。しかし形式的な仕 事の機構や構造のみを組織と混同するや間違いとなる。如何なる組織にせよ、経営学で問題となる限りい入間の問題を離 れて組織を考えようとするのは本末顛倒というの外はない。組織構造説が人聞を問題とするにしても、それは非個人的な 組織的尋問たる道具性においてであって人間を人間として取扱うものではない。仕事の組織の根抵に人間の組織を認めね ばならない。このような﹁組織の論理﹂の新展開は組織学的組織論の先愚者たる祉会体系説にまたねばならない。管理学 的組織概念の抽象性、形式性、権威主義、合理主義も料る程度まで打破せられることとなる。 ①馬場敬治、米国経営学︵上︶九頁参照。 ②Ω葺gび2αq”国二〇顕民﹃σq§島臼bdo巳①びω三答ω畠ゆ︷邑①穿ゆ     経営組織概念と組織の論理 しd畠。H噌ωω﹂ひ賜−霜O. 邦訳一七三頁i一七八頁参照。     三五

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    経営組織概念と組織の論理       三六 ③O霊爵①お℃団こ日冨津ρ。g一80︷ζ暮pσq①巨撃∬℃℃・Ol一〇● ④Oh葦。ぎピ一日冨些Φ霞窪錺。粘﹀餌諺ご禦冨江。♪℃し㎝暁捗 ⑤西田幾多郎全集第八巻、三木清著作集第七巻参照。 ⑥oD一日op踏二︾島ヨぢ禦嵩江くΦじdΦ冨≦oさ悼巳aこ乙㎝刈’℃・周く塗       ・ ⑦∪恥く飼即Oこ↓ケ①閏§締ヨ雪月巴。。o﹄60b竃碧魎αqΦ営①葺しO㎝ご切お毛♪b”6冨○﹃σQ陣三N碧δコ。出ぎ含ω茸ざおミをあげ  よう。その他殆んどすべてがそうであるといってよい。 ③9<のp薯じd9胃.︸ゆ。簿。㌣直℃竃p岩αq①日Φ葺=£O上弓■ωeU歪。冨5ε・9叶二〇﹂刈ω. ⑨Gっ一日◎P8●急f唱6黒栖℃﹂心。。.や旨P ⑲ω一ヨopε■9f℃レ抵臨● 四組織社会体系説とその批判  一 レスリスバーガーの社会体系説  有機体説と構造説とは生物学的と物理学的との対立を示すにしても自然科学的でることにおいては同様であって、それ では﹁組織の周辺﹂を撫でることは出来てもその真髄に達するを得ない。それら組織観の根本欠陥が全体の前に部分を忘 れ、 ﹁人間﹂を軽視ないし無視した点にあること繰返し述べた。そしてこの点の意識的な考慮こそ正に組織学的組織論、 特に社会学的組織論の功績であることも前にふれた。もちろん経営における人間の問題、人間関係の問題、人間組織の問 題は全く無視されたのではなく相当古くからいろいろな形で注意はされていたけれども、これを。崔巳。巴卑℃肩80﹃とい        う実験的方法にて理論的体系的に展開し、新時代への端緒を開いたのは何といってもメーヨーであり、メーヨー・グルー プであった。これも今日殆んど紹介し尽され、常織化したともいえるが順序としてここではその中心人物の一人たるレス        リスバーガーの組織理論を概観しよう。

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       ろ  た  ヘ  ヘ  レスリスバーガーはかの有名なホーソン実験の結果を整理研究し、これが実際への適用を論ずるに当って先ず﹁経営﹂を産業組織 (一、潮雲巴。目σq山踏N簿一8︶と把握、社会学でいう﹁社会的体系﹂︵G・09巴q・鴇8日︶に外ならないとして組織理論を展開する。彼は すべての産業組織たる経営が必然的に経済的職能ーバーナードのいわゆる臥8。氏く魯窃。・iと個別従業員に満足を与える職能すな わち社会的職能ーバーナードのいわゆる①窪9窪。冤iという二大職能をもち、これから外的釣合︵Φ×叶①目昌偉自H げ帥一節口O①︶の問題と内 的均衡︵ぎ8ヨ巴①ρ巳=鐸ご日︶の問題という二大問題が生することを説き、産業組織を分析して次の如く論ずる謁        で  も  ミ  へ  た  産業組織を社会体系と見るために、彼は先ず、これら二大職能及び二大聞題との関連から、これを技術的組織 ︵8。げ巳。巴。﹁σqキ       へ  も  ヤ  ヨ 雪白菖8︶と人間組織︵嘗ヨ磐Q同σQ餌巳墨瓢。コ︶に区別する。前者は経済職能を営むのに不可避的な物的環境︵冨毬8巴①昌く岸op日①昌け︶ で気候風土や生産諸要素の論理的な組織である。後者は共通目的  全体組織の集合目的  に向って協働する多数個人からなる組 織である。両者は相互に関連し相互に依存し合う。       カ  め  人間組織においては先ず個人︵ぎ巳く一含巴︶の性質が問題とせられる。各個入はその個人的背景や社会的経験を異にし、作業情況       も  ミ や条件も異り、その要求や信念や価値規準や心情も異る。人間組織は文化的背景一生活様式、行動規準  を異にし、心情︵。。①〒       む  ヤ  も  も  ヤ 江8田富︶を異にする個人からなるのである。しかし、入間組織はかかる個入の複数以上のものである。それは社会的組織︵の09巴 費σQ9巳舞江8︶である。組織を構成する管理者、技術家、監督者、作業員や事務員は日々互に交渉し合い、このような結びつきから    ヨ  あ  も  ヤ 一定の関係様式︵冨#Φ旨ωo︷H忌事一8ω︶が形成せられるが、これが社会的組織をなすのである。従業員の多くはこの関係様式を明 白にして必然的な真理と認容し、これに従って反応するようになり、各人の行動もグループ内の行動もグループ問の行動もそれぞれ の関係様式にて表現せられるのである。それらの行動様式は個人の性質から理解されるように、単に、経済的或は論理的思考からな るよりむしろ心惰の体系︵。・栃8日。︷ω窪二日①算ω︶をなしている。        へ   も   た   も      カ   も   た   へ   も  ところで、この社会的組織は、上述のところがらも明らかなように形式組織︵h自差巴。目σq餌巳N鷺一8︶と無形式組織︵一二自ヨ巴 。蹟9巳N餌江8︶とに分れる。形式組織は多くの階層からなり、それらは技術的生産という基本職能を有効に遂行するために、従業員 間のあるべき諸関係を表現する秩序、政策、規則、きまりなどからなる。それは経済的目的と協働確保を狙うものである。普通に組 織は青写真や組織図に表現せられるが、そこにはそれでは認識し得ないωo日Φ臣﹃σqがある。それが無形式組織の問題に直ならない。 それは形式組織が説明し得ない日常の対面接触からなる第一次集団や非公式無形式に集団を成立せしめる心情や価値を中心問題とす る。それはあらゆる層に存在し、これなくしては形式組織も長く存続し得ない。形式組織と無形式組織とは社会的相互作用︵。。093    経営組織概念と組織の論理       三七 、

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経営組織概念と組織の論理 三八 一艮Φ轟9一8︶の相互依存的局面である。       .       も  で  し  も  ミ  社会絹織にはいま一つの局面として観念的組織︵達8δσQ8巴。嶺。巳N鋒一曾︶すなわち全組織に宿る価値を表現する.﹁観念や信念 の体系﹂︵亀。・け①筥。︷置。霧釦巳げ①=①︷ω︶とこれらの価値を組織する﹁指標﹂︵。・団ヨげ。﹃︶ がある。これらの体系は形態を異にし作 用を異にし、これまで体系的な研究はされなかったもので、彼は一般的な三体系として費用の論理、能率の論理︵心情の論理を区別 する。  ヤ  ヘ  ヤ  ぬ  ミ  費用の論理︵一。σq一。oh8。。叶︶は主として技術的組織に適用せられるが、時には人間的組織にも、しばしば﹁能率﹂という表現の下 に適用せられる。しかし彼においては費用の論理は﹁費用﹂を指標とする観念の体系を意味し、それは形式組織の価値の一を表現し 人間組織を技術的生産の任務に関連せしめるものである。この費用の論理と密接に関連し、従業員の協働を評価するいま一つの観念     へ   ぬ   ゐ   ぬ   も の体系が能率の論理︵一〇σq80h①頃一9①口。団︶に外ならない。 これは﹁協力﹂ ︵。o−o℃①鎚甑。コ︶ を指標として組織せられ、形式組織 のいま一つの価値を表現するものである。それは従業員が論理的存在で、何物も経済的動機を妨げないことを前提している。最後に も  る  り  る  も 心情の論理︵一〇σq80hωΦコ鼠B①鼻ω︶といういま一つの観念の体系がある。それは組織内の諸集団の人間相互関係︵ぎ9跨ロヨ。コ同午 ﹃凱。 ︶のうちに成立する価値を表現するもので、その適用範囲は極めて広い。  以上いろいろに分析したが、社会的体系の諸部分は相互に関連し相互に依存し、その一部における変化は他の部分における変化を 伴い互に反応し合って均衡条件が満されるときそれは均衡状態になり、部分間の変化率の差が不均衡の条件となる。主要な不均衡は 二つあるが、その第一は技術的組織と社会的組織における変化率の不一致で、技術的革新が急速に、人間関係の十分な考慮なしに行 われる時常に抵抗の心情を産むこととなる。第二は観念的組織と現実の作業状況との変化の不一致である。観念組織の論理は経営内 の人々の心情のみならす自然発生的な無形式集団を考慮しないことが屡々であり、具体的な状況から遊離し勝ちでその結果、人間関 係は歪曲されてしまうのである。  要するに、人間協働の限界は形式組織によるよりは無形式組織によって決定せられ、協働はすべてが必ずしも論理的組織の問題で はない。それは社会的規範、慣習、伝統、情況に反応する日常習慣方法を予想するのである。人間関係の考慮なくては有効な作業関 係は不可能である。 / 2 そ の 批 判

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芝  構造説が組織の合理性形式性の面を抽象的に問題とするにすぎなかったことを思えば、社会体系説が初めて組織を組織 として具体的に考察し、新しい組織理論への道を開いたということの意味も理解せられるであろう。しかしそれはわれわ れの問題に対して如何なる意昧をもつか。  先ず、第一の組織限定の問題から考えよう。構造説はこれを限定しようとしたけれども、ここでは最初から﹁経営とい う組織﹂を問題とし﹁経営即経営組織﹂として出発するから、これは問題とならない。レスリスバーガーにおいては経営 の要素はすべて組織の要素である。いわゆる技術的組織・一物的環境や構造−1から人間組織、観念組織に至るまですべ て組織であるとすればその点で.は構造説と同様に組織を構造や機械やシステムと同一視することとなる。もちろん、かく 広く解し、その内部において技術的組織、人聞組織、観念組織聞の相互関連や依存関係め解明も必要ではあるがそれらが すべて果して組織理論本来の問題かどうか特に検討を要する。そのためにも先ず組織限定を問題とすべぎは明らかであ る。、そこで形式的にはともかく実質的には彼の社会体系説の真意も無限定ではなく組織を社会的組織即ち社会体系に限定 する方向にあると見ねばならないであろう。しかしそれにしても不徹底たるを免れず、これを徹底的に展開するのがバー ナードであることを指摘しておきたい。  そこで次にその組織観を考察しよう。その特色は有機体説、構造説と較べて見れば自ら明らかとなる。先ず第 は組織 を経歴や心情を異にする個人間の相互関係、相互交渉の型︵腿件§器。貼ぎ§邑象一8。=三29。。9ロ︶、要するに社会体系 ︵ω09巴超。。♂8︶と見、本来酌意味での。お餌三母ユ9巴ε冒8。ずを試みる点にて社会学的組織観であるということである。 要するにそれは人間の社会関係に﹁組織の論理﹂を見ようとする。  組織を単に有機体として目的論的に内観するのもまた単に道具として機械論的に外観するのも組織本来の見方でないこ とは前に述べた。組織はバーナードがいうように、本来的に目的を意識し自由意志に基づいて分担協働する入間行為の秩      経営組織概念と組織の論理       三九

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     経営組織概念と組織の論理       四〇         序的統一、すなわち行為体系であるからである。それは内的統一として内観し得ると共に外的統一として外観し得るにし ても、内観即外観、外観即内観が組織本来の見方であること前述の通りである。然らば社会学的組織はどうであるか。そ れは明らかに、分析論理からする外観に外ならない。先ず、 一般に体系とは部分と部分との相互依存関係からなる全体と 見られるものの総称であって、入間の相互関係なる揚合が社会体系である。この﹁社会体系﹂の確立は、ヘンダーソンに         よれば、パレトーの功績であって、これはパーソンズ、バーナード、レスリスバーガーなどにそのまま援用されている。         もちろん、目巳Φ子8qに立つか碧ま口ひ8蔓に立つかによって説明の仕方は異るにもせよ、とにかく社会体系説におい ては嚇酔叶①醤ω少げφ訂乱。が。・。。巨。・岩冨日が。円σqp巳N巴自である。しかしその意味での組織は﹁組織せられたるもρ﹂の分 析的一面であって、そこでは組織が如何にして成立し形成せられるかを問題としない。そこではただ結果としての組織の 分析が行われるに止まり、 ﹁組織すること﹂つまり成立や形成が直接問題とならないからその意図にも拘らず表面的形式 的見解に止まらざるを得ない。なるほど組織は一面において個人の集合以上の社会体系である。組織はその中にある個人 の意志決定や行動に影響を及ぼすものとして行為の﹁揚﹂であり、環境として﹁世界﹂性をもつ。しかしそれは前に指摘 した通り、組織の一面であって、それは人間行為と離れ難く結び付いている。バーナードは個人の組織的人格と個人的人 格を区別するが、組織は両面を含むのである。個人的人格の否定は組織的人格の肯定であり、組織は否定と肯定、分析と綜 合との統一として成立つ。つまり、組織は弁証法的な存在である。単なる分析のみからは把握されない。そしてかかる否 定的肯定は一定の権威ないし影響力の下に行われるのでこの点からバーナードは組織を単なるω8剛堅。・岩言日と見ないで 。。e8ヨほ8。践言舞巴簿。け一く一号①ωとしその行為的存在たることを示している。組織現象は成立も行動も変化も行為的であり 弁証法的であると云わねばならない。レスリスバーガーの所説もここからのみ十分に理解し得るものとなる。  第二に、ここでは組織は形式組織ーー人為的に﹁組織せられたもの﹂ ﹁形成せられたもの﹂一と無形式組織  自然

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的に﹁組織になったもの﹂ ﹁生成ぜるもの﹂一とが区別せられ、これに応じて観念組織も区別せられる。これが重要な 認識であることはいうまでもない。しかしその特色は特に無形式組織に重点をおき人間関係の意義を高調する点にある。 有機体説がゲマインシーヤフトとゲゼルシャフトを説ぎ自然的有機体と人為的有機体を説くのもここから見直すときその新 しい意味も理解し得よう。また構造説においては組織といえば専ら形式組織のみが考えられただけに、社会体系説が無形 式組織を重視するのも理解に難くはない。しかし、区別と共に両者の関係の認識が更に重要であって、現実の組織は既に バーナードが示す如く、形式組織と無形式組織との弁証法的統一にあることはいうまでもない。この点についても社.会体 系説の説明では不充分というの外はない。  最後・に社会体系説は有機体説の失体主義的組織観、構造説の権威主義的組織観に対して、個人主義的、民主主義的組織 観に立つといえるであろ、う。 ﹁全体﹂といい﹁権威﹂というも、絶対的なものではなく、相互関係、相互交渉、相互影響 によって決定せられるものであり、組織全体の目的、も個々人の満足を媒介にして初めて可能である。費用の論理、能率の論 理も心情の論理に現実的基礎をもつことは開らかである。かくて、ここから上述の集権組織︵。魯甫農NΦ餌。圏σq騨三N卑一8︶、上 からの組織︵8唱己。≦口。お簿巳N巴8︶に対して分権組織︵匙Φ8導薄塗餌。お卑巳N餌江8︶、下からの組織︵げ。洋。日出。。お①巳N簿一。コ︶ が主張せられることとなるのである。例えば、サイモンが組織における伍Φ。邑8−日田ぢαqを問題とするに当り、トップマ ネジメントを重視するドラッカーとは反対に第一線の作業員に焦点を向けていることやブラウンが徹底的な個人主義的組        織を主張するのはこのことを示すものである。しかし、それは如何に重要だとしても何れも一方的で﹁組織の論理﹂とい う点から見れば単に上からの組織が本来の組織であり得ないように単に下からの組織も組織であり得ないであろう。そう ではなく、上からの組織は同時に下からの組織でなければならず、下からの組織は同時に上からの組織でもなければならな い。そうでなければ組織は真に組織として現実に働き得ないであろう。ここでもまた分析論理は﹁組織の論理﹂としては      経営組織概念と組織の論理      、四一

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     経営組織概念と組織の論理       四二 固有のものではなく弁証法的論理こそそれであることを示している。

 3 発展の方向

 われわれは以上において一応社会体系説の意義と特色を明らかにしつつその論理的構造を批判したがこの方向を徹底的 に推進して劃期的な一般組織理論を確立するのがバーナードであり、特に組織における意志決定過程を中心に深化するの        がサイモンである。サイモンは松田助教授によって詳細にして的確な紹介が行われているが、経営学的組織球の問題とし ては、な齢残された問題もあるように思われる。またこれらを根本的に批判し、一方では拡充すると共に他方では真に理 論的に深化し、その集大成を試みつつ独創的な組織学説を展開するのが馬場博士であること上述の如くである。しかし、 それが理論的に整備せられたとしてもその根本方向が社会体系説的であるとすれば上述の批判はまた組織学説への批判で        もあり得る。われわれが窮鼠博士の説を高く評価しつつも、これに全面的に従い得ない理由がそこにある。そこでわれわ れにとってはいま一つの新たなる発展方向が問題とならざるを得ない。それは一方では社会体系説、組織学説を対象的に 限定し他方では管理学説をも方法的に生かして﹁経営組織﹂を然るものとして把握する経営学的組織論への道である。つ まり経営のために﹁組織すること﹂において経営という﹁組織せられたるもの﹂を見、経営における﹁組織せられたる もの﹂において﹁組織すること﹂を見る行為的主体的な﹁組織の論理﹂の確立の道である。われわれはかかる道を、上述 のように一般の理解とは異ってバーナード・サイモン理論の根抵に見出し得ると思う。われわれが本論の出発点において 指摘した経営学的組織論の立場は実はかるる学説史的研究の結論であったのである。ところで、このようなわれわれの見 解は最近における馬場博士の組織学説の新展開により少くとも対象の面に於いては馬場博士の見解に接近することとなつ だ。最後にこの点につぎ考察することによって一応の結論としたい。  ①ζ曙ρMこ↓二品自白碧軍9一Φ日ωoh自。昌冒含ω什白鼠Ω<一守鎖焦§=O器辱↓冨ωo。一巴甲。乞①ヨωo州きぎ含ω叶﹃冨一Ω丘一7 \

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 N自。鉱O許一〇ホ. ②閃8叶匡﹃げ9αq①が男︸こ蝉民望。﹃op芝.︸こ竃睾ρσq①旨①暮p巳チ⑦妻oH冨H=8¢.冨●㎝望一ま。。9 ③しd費口p。匡響↓冨司ρ昌。昏。器。︷昏①国×①8江くρ唱.δ. ④℃碧ωo房層↓こ↓冨Qり09既ω岩器ヨ=8野牢Φ密。①−<一凶● ⑤ゆ讐旨費倉。噂.9樽;や謡hh・ ⑥”o簿三δげ巽αq①び。マ鼻.り℃●㎝㎝r ⑦ω一Bo戸ε.9什﹂℃’強〆 ③ω陣ヨop8.。搾層で.悼捗∪目自白5℃’閃こ目冨義倉。。二。。o隔冨き餌σqΦヨΦ箕”やωω’しdNo≦p>ご8●。瞬酔. ⑨松田武彦、サイモンの組織理論、米国経営学︵上︶、参照。 ⑩ 拙稿、経済学・組織学と経営学、PR第六巻第九号、組織学と経営学、彦根論叢第三十号、参照。

五結

言  以上われわれは典型的な経営組織観を発展的に考察し、その根祇をなす﹁組織の論理﹂を批判して来た。そして、経営 組織は道具説の﹁経営のための組織﹂と有機体説や社会体系説の﹁経営という組織﹂との統一として正に﹁経営における 組織﹂と考えざるを得ないことを明らかにした。この点について馬場博士はこれまで﹁経営組織の組織理論﹂は単なる経 営組織論ではなく、経営学そのものであると主張され、 ﹁経営という組織﹂説、グーテンベルクの﹁経営即経営組織﹂説 であった。馬肉博士の本格的な﹁経営学﹂とはω﹁仕裏の組織﹂の経営学、捌﹁価値の流れ﹂の経営学、圖﹁組織におけ る人間関係﹂の経粛学、囚﹁技術と経営﹂の経営学、㈲﹁経営と社会﹂の経営学の綜合を意味する。ところで、私見によ れば、同じく組織理論といってもqD㈹と他とでは意味が異る。そこで、問題は﹁経営の凡ての側面を単に組織理論として        統一的に把握ぜんとするのは無理という外はない﹂ということであった。ところが、博士はその後﹁狭義の組織理論﹂と      経営組織概念と組織の論理       四三

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     経営組織概念と組織の論理      四四 ﹁広義の組織理論﹂の区別を認められ、前者は田㈹の綜合であり、後者は前者を中心とする五つの綜合であるとされるに     至った。この限定された意味では私見からもそう遠くはなく、この点ではむしろわれわれも馬揚博士に従うことが出来る ことをよろこぶものである。ただ問題は経営組織における﹁組織活動﹂の意味である。また﹁組織理論﹂の意味である。 更に﹁組織の論理﹂の構造である。組織理論はこれを単に﹁組織せられたるもの﹂に限定せねばならないかどうか。反対 に﹁組織すること﹂をこそ問題とすべきか。われわれは、真に﹁経営組織﹂を経営組織として見ようとするならば、組織 理論はそのように単に一面的に見るのではなく、両者を統]的に見ることを、すなわち﹁組織すること﹂において﹁組織 せられたるもの﹂を、 ﹁組織せられたるもの﹂において﹁組織すること﹂を見ねばならないと思う。要するに﹁組織の論 理﹂を組織形成の論理として行為的主体的に把握すべきことがわれわれの学説史的考察からの結論である。この点、改め て博士の所説に学びつつ更に検討して見たいと思う。 ①上掲拙稿、組織学と経営学。二八頁。 ② 馬場敬治、理論経営学及び経営政策論の重要内容についてPR七ノ九、 本格的な経営学の現成を望めて、PR、八ノ八、参照。

参照

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