井伏鱒二作品本文の諸問題・調査報告
−﹃夜ふけと梅の花﹄所収作品と﹁へんろう宿﹂を例にしてー
第
一
節
は
じ
め
に
井伏鱒二は、半世紀を超える文学活動の間、翻訳を除いても四 〇〇字詰原稿用紙に換算して三万枚を超える作品を書き続けた。 のみならず、機会ある毎に自作に手を加え続けていたのは周知の ことであろう。 周知のこととは言っても、現状は、一斑を以て全豹を推すに過 ぎない。具体的に言えば、作品のそれぞれについて、いずれの段 階で、どの程度改訂されたのかといった点について精確に調査し前
田
貞
昭
田
中
雅
和
た資料を、まだわれわれは持ち合わせていないのである。井伏研 究において、本文推移の調査は緒に就いたばかりと言っても過言 ではない。現状では、とりあえず、試行的調査を行なって、問題 の所在の見当をつけてみることが必要であるだろう。ただし、本 稿の調査は、ある底本を選定して、それに校訂を施すことまでも 射程に収めたものではない。やがて、その作業へと繋がるであろ うが、今回は、諸本文の実態調査というところにとどまる。 本稿では、第一に、初出本文と初刊単行本本文とを、もっぱら、 表記という観点から比較検証し ︵第二節︶、さらに、初刊単行本 一貫収録時の改訂ぶりを、筑麿版全集収録時の加筆・訂正と比較する ︵ 第 三 飾 ︶ 。 一般に、作品は、自筆原稿・初出本文・初刊単行本という段階 を経る。慎重な井伏文学研究者であれば、いずれの本文に拠るか ば別にしても、初出誌紙、初刊単行本、筑摩版全集、自選全集を 手許に置いて参督するのは常識であろう。後年の著者の判断の介 在しない本文を求めて、従来は、とりわけ初出誌紙を重視してき たように思う。だが、初出誌紙の誤記・誤植は少なくない。作品 構想時・執筆時の著者が想定した本文を、初出本文がどの程度ま で反映しているのかということを、いま一度問い直してみる必要 はないだろうか。 作品の文学的達成といった点からみても問題はある。 例えば、 ﹁へんろう宿﹂ である。﹁へんろう宿﹂を初出 ﹃オー ル読物﹄一九四〇年四月号の本文によって論じることか適切であ るか否か、疑問は残る。現行の ﹁へんろう肩﹂ は、黒い浜紗と緑 色の浜木綿との鮮やかな対比の点綴によって締めくくられる。 目を覚まして出発するべき ﹁私﹂ の中では、前夜、隣室で語ら れた ︵へんろう宿︶ の奇妙な由来帝が尾を引き、その感覚の名残 の中にいた。しかし、その名残の感覚は、第一に、子供たちか学 校という社会的枠組みの中に吸収されていること、第二に、老婆 二真 の挨拶言葉が出立を促すものであったことによって、一夜の奇妙 な幻想とも現実ともつかぬ由来辞として ︵旅先の体験︶ の領域に 封じられつつある。この ︵旅先︶ の空間から ︵日常︶ の空間へ帰 る、微妙な揺らぎの時空において、﹁私﹂ の日は、黒い浜砂と線 の浜木綿という対照的な自然の様相へと転じられる。コントラス トの明瞭で確固とした自然物と出会うことで、﹁私﹂ の確実な目 覚めが保証される、あるいは、そうした ︵自然︶ の確固たる姿は、 ﹁私﹂ に日常の世界への帰還を保証する。と同時に、奇妙なこと だが、もう一つの作用をもたらす。︵へんろう宿︶ の横手の砂地 に生えた浜木綿の存在感は、また、この不可思議な ︵へんろう宿︶ の体験そのものが確実に存在したことをも、否定のしようのない 事実として認知することを ﹁私﹂ に迫る。作品末尾における自然 の姿は、前夜の奇妙な由来欝の領域からの覚醒を求めると同時に、 日常的社会の外部にある ︵へんろう宿︶ の存在の確実さをも物語 るといった両義性を帯びて出現する。 もう少し遡って、末尾部分をたどってみよう。﹁私﹂ は、女た ちの姿格好を見比べて、血縁関係のないことを確認する。それが 確認されることで、︵へんろう宿︶ の由来諸が夢ではないことが 保証される。だが、子供たちが学校という国家体制の中に取り込 まれていることも明かされる。体制の外側にあるはずの ︵へんろ
う 宿 ︶ の 住 人 と 見 れ ば 、 こ れ は 、 矛 盾 で あ る 。 こ こ に お い て 、 ﹁私﹂ は、 ︵へんろう宿︶ の空間そのものへの揺らぎを感じずに は済まされない。そうした揺らぎが生じるのは、ここで、 ︵へん ろう宿︶ の由来辞か語られることを許す ︵夜︶ の時間から、社会 制度の存立する ︵朝 ︵昼︶ ︶ の時間へと移行させられるからであ る。極老のお婆さんの挨拶は、そうした昼間の領域への出立を促 すものである。 このように加筆部分に至る以前の先行記述を読みとってみれば、 この両義的性格を帯びた作品末尾は、作品の先行記述を受けて、 ︵へんろう宿︶ の存在感とその揺らぎを象徴する、絶妙な結びで あると評さなければならない。だが、この末尾は、一九四〇年五 月、河出書房から刊行された ﹁痍鵡﹄ の段階で付け加えられたの であって、初出 Fオール読物﹄ 本文を偏重すれば、この加筆部分 は論述の対象から除外しなければならないとする立場もあり得る。 いま ﹁へんろう宿﹂ の例を引いたが、個別の作品の本文の優劣 を文学的価値の側面から直接に論じるためには、それこそ個別事 象として考察しなければなるまい。本稿では、初出本文と初刊単 行本本文との関係を総体として扱うために、もっぱら、表記の観 点に絞って、初出と初刊単行本という二種の本文を検証してみる ことにしたい。膨大な井伏著作全部を対象にすることも手に余る。 今回は、第一創作集 ﹃夜ふけと梅の花﹄ ︵新潮社・一九三〇年四 月︶ 所収作品を調査対象に選んだ。 第 二 に 、 ﹁ へ ん ろ う 宿 ﹂ 本 文 の 推 移 過 程 を 追 う ︵ 第 四 節 ︶ 。 ﹁へんろう宿﹂ の初出以降自選全集までの本文︵末尾部分に限定︶ を追うことで、通時的な推移・改稿の一端を示し、さらに、土佐 方言を文中に取り込んだ箇所を取り上げて、一位の表記体系に収 めてしまう場合、引き起こされる問題についても考察してする。 なお、資料整備と F夜ふけと梅の花﹄ 所収作品に関わる部分と をもっぱら前田が担当し、﹁へんろう宿﹂を中心として、国語学 に関わる部分をもっぱら田中が担当した。
第二鮨 第一創作集r夜ふけと梅の花﹂所収作
品 −初出と初刊単行本本文−
井伏の第一創作集 ﹃夜ふけと梅の花﹄ は、新潮社から、新興芸 術派叢書の一冊として、一九三〇年四月三日に発行された。四六 判、目次二頁、本文二五二頁、定価五〇銭である。 収録作品は以下のようである ︵本書の底本として使用されたと 推定される掲載雑誌とその発行年月を左に小書きした︶。 三頁朽助のゐる谷間 ﹁創作月刊﹂一九二九年三月 炭鉱地帯病院 ﹁文芸都市﹂一九二九年八月 山椒魚 r文芸都市J一九二九年五月 ジヨセフと女子大学生 ﹁ 新 漸 し 一 九 三 〇 年 一 月 埋 憂 記 ﹁文芸公論﹂一九二七年九月 休憩時間 ﹃新青年L一九三〇年五月 シグレ島叙景 F文芸春秋﹂一九二九年一一月 鯉 〓ニ田文学﹂一九二八年二月 生きたいといふ ﹁近代生活J一九三〇年一月 岬の風景 r鷲の巣﹂一九二六年八月 遅い訪問 コ二田文学﹂一九二八年七月 寒山拾得 三 頁 ∼ 四 〇 頁 四 一 員 ∼ 五 二 頁 五 三 頁 ∼ 六 二 頁 六 三 頁 ∼ 七 九 頁 八 〇 頁 ∼ 一 〇 五 真 一 〇 六 頁 ∼ 一 一 七 真 一 一 八 頁 ∼ 一 四 一 頁 一 四 二 頁 ∼ 一 四 八 真 一 四 九 頁 ∼ 一 五 三 頁 一 五 四 頁 ∼ 一 七 六 頁 一 七 七 頁 ∼ 一 九 二 真 一 九 三 頁 ∼ 二 〇 一 頁 r陣痛時代﹂一九二六年一月 うちあはせ r文学界﹂一九二五年l月 夜ふけと梅の花 r文書都市﹂一九二八年三月 屋根の上のサワン ﹁ 文 学 J 一 九 二 九 年 一 一 月 一び書の蜜蜂 二 〇 二 頁 ∼ 二 一 一 頁 二 二 一 頁 ∼ 二 二 九 五 二 三 〇 頁 ∼ 二 三 八 頁 二 三 九 頁 ∼ 二 五 四 頁 四貢 ﹁新文学準備倶楽部﹂一九二九年七月 右に掲げた内、﹁岬の風景﹂ の初出は F陣痛時代﹄一九二六年、 ﹁夜ふけと梅の花﹂ の初出は F鉄鎚﹄一九二五年と推定されるが、 現在のところ未確認である。 ﹁山椒魚﹂ の初出 ︵初出標題 ﹁幽閉﹂ ︶ は F世紀﹄一九二三年 七月、﹁鯉﹂ の初出は F桂月﹄一九二六年九月である。この二作 品は、ともに初出誌から再掲誌に至る段階での改稿が最も大きく、 ﹃夜ふけと梅の花﹄再録時点での改稿は非常に少ない。初出から 雑誌再掲までの両作品の本文推移については、高沢健三 ﹁井伏文 学 の 成 立 過 程 − ﹃ 幽 閉 ﹄ か ら ﹁ 山 椒 魚 ﹄ コ 灰 鉱 地 帯 病 院 ﹄ ま で ー ﹂ ︵ ﹃ 桐 朋 学 報 ﹄ 二 八 号 ・ 一 九 七 八 年 一 二 月 ︶ 、 和 田 利 夫 ﹁ ﹁鯉﹄ の成立と背景﹂ ︵ ﹃日本文学﹄ 二四巻一号・一九七五年
一月︶ の調査があるので、詳細はそちらに譲る。 ここでは、右に掲げた ﹃夜ふけと梅の花﹄ 刊行直前の雑誌掲載 本文から、 ﹃夜ふけと梅の花﹄ 収録本文への推移過程の検証を行 なうことにしたい。 個別の本文を問題にする前に、 ﹃夜ふけと梅の花﹄ 全体として の問題を先に二つ取り上げておく。 第一は、﹃夜ふけと梅の花﹄ 本文全体を規定する、校訂・組版 などの基本方針である。その大略は、以下のようである。 仮名遣いは断わるまでもなく歴史的仮名遣いで、本文は漢数字 を除いて総ルビ、行末のぶら下げ組を禁じて、原則として、行末 の 句 読 点 を 省 く こ と は な い 。 会 話 を 示 す ﹁ ﹂ の 中 で は 、 会 話 末 の句点は省くことが原則だが、多少その原則に外れる箇所がある。 漢字同字の繰り返しは、反復記号﹁々﹂を用いる。平仮名同字の 一字分の繰り返しについては、反復記号 ﹁1﹂ ﹁ゞ﹂を使用する 作品群と、それを全く使用しない作品群とに分かれる。また、平 仮名固字の二字文分の繰り返しには、反復記号﹁ノ\﹂もしくは ﹁ぐ﹂を使用する箇所と、反復記号を使用しない箇所とかあり、 必ずしも統一されていない。なお、初出誌紙と比較すると、送り 仮名は少なく送る傾向にある。 第二は、全作品に及ぶのではないが、複数の作品を集成した作 品集としての性格に関わった改訂である。﹃夜ふけと梅の花﹄ 収 録時に、﹁岬の風景﹂ と ﹁寒山拾得﹂ では、他の作品では全く見 られない大幅な削除かあるか、これは、同じ要因に基づいた改訂 で あ る 。 まず、﹁岬の風景﹂。単行本においては、主人公﹁私﹂か、み ち 子 に 英 語 を 教 え る 場 面 − ﹁ 彼 女 は 早 口 に 小 さ い 声 で 、 私 の 訳 述する通りを諸諭した。それ故第一章は二十分もたたないうちに 終ったのである。﹂ の後は、一行空けて、場面が替わる。初出で は、右の引用の後、みち子の訳述ぶりを具体的に確認する場面が 次のように続いていた。 ﹁も一度訳してごらんなさい﹂ 彼女は、再び訳しはじめた。 ﹁第二早、雲。カールさんは今は最早⋮⋮﹂ ﹁雲を眺めることを⋮⋮です﹂ ﹁ 第 一 章 、 雲 。 カ ー ル さ ん は 今 は 最 早 、 雲 を 眺 め る こ と を 好 む や う に な り ま し た 。 そ の 雲 と い ふ の は ⋮ ⋮ ﹂ ﹁カールさんがすでに・⋮︰です﹂ ﹁ カ ー ル さ ん か す で に そ の 名 前 を 識 つ て ゐ た 、 夕 暮 れ 時 の 美しい雲でした﹂ 五頁
だから課業の最後に、私は彼女の誤訳を指摘することは出 来なかった。 ﹁寒山拾得﹂ 初出本文では、食堂に貼られたポスターの図柄が 次のように記述されていた。 ︵室の壁にかけてあるビールのポスター二枚は、この店での 唯一の室内装飾品であって、且つそれは少なからず私達をよ ママ ろこぼせた。何となればそのうちの一枚には、等身大以上大 きさの半身美人が笑ひを含みながら私の方を見てゐて、また 佐竹の方をも見てゐたのである。そして他の一枚には、ピエ ロがおかしな身振りをしなからしかめ面で笑ってゐたのであ るが、彼は少くとも、私達の遊興の者ったれてゐることを嘲 笑してゐるのではないらしかったので、彼に好意がもてた。 彼は実によく笑ふ奴であった。そこで屡々私達も鏡舌を止し て彼の方を向いて笑ったのである。︶ 単行本では、右の段落が削除されている。 ﹁岬の風景﹂ の箇所は、﹁朽助のゐる谷間﹂ で ﹁私﹂が朽助に 英語を教わる部分と類似し、﹁寒山拾得﹂ の方は、既に東郷克美 六頁 ﹁﹃くつたく﹄した ﹃夜更け﹄ の物語 − 初期井伏樽二について ー ﹂ ︵ ﹁ 成 城 国 文 学 論 集 ﹄ 一 三 輯 ・ 一 九 八 一 年 三 月 ︶ に 指 摘 が あるように、﹁夜ふけと梅の花﹂ に類似場面がある。 いずれも、数年来の作品を ﹁夜ふけと梅の花﹄ という第一創作 集に集成した際、似通った場面が複数の作品に出現することを避 けた結果だと考えてよい。この二箇所は、校訂・組版の方針と同 様に、個別の作品内部の問題を超えた次元での改変・削除である。 これ以外は、表現の洗練、作品内部の事実関係の整理といった、 個別作品それぞれの内部の論理によって行なわれる改訂と見られ る。﹁朽助のゐる谷間﹂ における推移の例から検証する。 F創作 月刊﹄一九二九年三月号掲載の ﹁朽助のゐる谷間﹂本文 ︵部分︶ を 掲 げ 、 ﹃ 夜 ふ け と 梅 の 花 ﹄ 収 録 時 と の 異 同 箇 所 に 波 線 ⋮ を 引 く。その横に、該当箇所の ﹃夜ふけと梅の花﹄ 所収本文を小書書 で記す。︵なお、特に断わらない限り漢字は、いわゆる新漢字を 用い、ルビは省く。以下同様。︶ 新築家屋は、六畳と四畳半と広い土間とを主要な部分として ゐた.。そして家屋の設計と材料とは、朽助のこれまでの住ひ
と寸分も連はなかった。のみならず六畳の窓の外には杏の木 植 ゑ 更 に まで撃てあって、要扇d家の東側には藁囲ひの牛小屋と小 便 所 さ へ も あ っ た 。 た ゞ 古 い の と 新 し い の と が 異 な る 点 で あ ったのだ。私は苦笑しながら推察した。この家屋を設計した でなく 男は、模倣性が強かったばかり司嘩瑚0、何といふ経済家を 安直 兼ねてゐたことであらう。山間の農民は、これ以上に瑠璃で 考案 軽便な家屋の設計は萄顧できないのである。六畳の部屋は居 間と食堂と寝室と応接間とを兼ね、四畳半の部屋は夜具と柳 押人 行李とを入れる確刃緑であり、且つ叱られた幼児が逃げ込ん で泣き叫ぶ場所である。 引用箇所に出現する本文推移の様相を仮に分類してみれば、第 一 、 現 行 の 歴 史 的 仮 名 遣 い の 規 範 に 照 ら し た 改 訂 ︵ ﹁ 植 え ﹂ 1 ﹁植ゑ﹂ ︶、第二、誤記・誤植の改訂 ︵ ﹁安倍﹂ 1 ﹁安直﹂、 ﹁考察﹂1﹁考案﹂.︶三、送り仮名の削減︵﹁更らに﹂1﹁更に﹂、 ﹁ 押 入 れ ﹂ I ﹁ 押 入 ﹂ ︶ 、 第 四 、 表 現 の 洗 練 ︵ ﹁ で は な く ﹂ 1 ﹁でなく﹂ ︶ − 以上の四種に分けることができる。もちろん、 仮の分類であって、第二に分類した ﹁安値﹂1﹁安直﹂ は、執筆 時の井伏の意図も自筆原稿においても﹁安値﹂ であった可能性も ある。そのように解釈した場合は表現の洗練に分類するべきであ る。この例では、誤記・誤植の訂正なのか、表現の洗練であるの か、確定する材料がなく、一応、右のように分類した。以下、本 稿の分類も、必ずしも厳密なものではないことを断わっておく。 右掲以外の本文異同は以下のようである。先に初出F創作月刊﹄ ﹁朽助のゐる谷間﹂本文を掲げ、1の後に、﹃夜ふけと梅の花﹄ 所収﹁朽助のゐる谷間﹂本文を掲げる。異同を分かりやすく表示 す る た め に 、 適 宜 、 該 当 箇 所 に ー を 施 し 、 ︹ ︺ 内 に 注 記 を 加 えた。なお、同一語句で重出する場合は、一例をもって代表させ たものもある。なお、先述したように ﹃夜ふけと梅の花﹄ 本文は 総ルビであるが、必要以外の箇所は、原本のルビを省いた。 七頁
︹誤記・誤植の訂正︶ 瑚胡してくれた1過.増してくれた 木立を縫刃て1木立を縫引て 私が彼を剖剖たてるためらしくl私が彼を鮎惑たてるため IbL′\ 喝の音は1咽の音は 名前はタエト申します1名前はタエトd申します 外に出ると﹂いつの間に1外に出ると1いつの間に 滝は印刻刺功の力で1滝は日 劇コ均の力で 剥ぐりぬいて1剥ぐりぬいて 牛のなきご刹1年のなきご刹 掛けか刻らてゐた1掛けか弓らてゐた 支到られてゐた1支↓られてゐた 潅木の向刃側1潅木の向引側 ︹これは﹁むかふ﹂のり音便とみた場合。﹁むかふ﹂の 終止形と見る見解もある。その場合は、﹁向ふ﹂である。︺ ふる刻た1ふる↓た ヽヽヽ二尺の鯉がぽんと1二尺の鯉がぽんと ヽヽヽ この谷かしぐれ池1この谷かしぐれ池 卵を抱え lさせましたれど1卵を抱可させましたれど 八頁 死んでしもたです1死んでしもたで刺す や り ま し た の 瑠 朝 雨 朝 1 や り ま し た 叫 雪 椚 朝 各 に あ た る と 思 刃 て 止 め て 1 各 に あ た る と 思 引 て 止 め て 注 網 ま で 加 へ て あ っ た 1 注 割 ま で 加 へ て あ っ た 蒲団を一枚抱刻て1蒲団を一枚抱可て 欄 は 彼 を 連 れ 帰 る た め に 1 利 は 彼 を 連 れ 帰 る た め に 土間の側に立って1土間の咽に立って 日 ロ の 緩 徐 調 の 役 目 1 匂 ロ の 緩 徐 調 の 役 目 谷 間 に は 夜 の 周 が 一 ば い た ち こ め 1 谷 間 に は 夜 の 頭 が 一 ば いたちこめ 私 は 彼 女 の 掌 を 二 本 の 指 で つ ま ん で み て 1 / 1 私 は 彼 女 の 掌を二本の指でつまんでみて1/ マッチの籍から嘲木をぶちまけた1マッチの箱から軸木を ぶちまけた 弱みましたわ1咄みましたわ 池 は 二 つ の 湾 を 持 ち は 朝 め て ゐ た 1 池 は 二 つ の 湾 を 持 ち は uめてゐた そ し て 絹 助 の 言 ふ と こ ろ に よ れ ば 1 そ し て 珂 助 の 言 ふ と こ ろによれば 現 は し て ゐ た の で あ る 1 現 は し て ゐ た の で あ る 1
朽 助 は 耳 鳴 り か す る と 言 ひ だ し て 1 し き り に 1 朽 助 は 耳 鳴 り が す る と 言 ひ だ し て 、 し き り に 羽 根 を 瑚 さ め て 1 羽 根 を 朝 さ め て 細 叫 黒 色 の 一 線 1 細 り 黒 色 の 一 線 ︹旬銑点の変更︺ 帯をしめなはしたが常に1帯をしめなはしたが1常に 立ち上がると1ひきずるほど長いもので1立ち上がるとひ きずるほど長いもので 彼に告白したならば彼は狼狽と絶望とを1彼に告白したな らば1彼は狼狽と絶望とを 運動してやらなくてはなるまい1場合によっては1連動し てやらなくてはなるまい1場合によっては これはうまいぜ﹂1これはうまいぜ1﹂ ︹この句点は ﹃夜ふけと梅の花﹄所収本文の原則に外れ る。以下同様。︺ 一つの巨大な岩石の方に向つて1遠くから1一つの巨大な 岩石の方に向つて遠くから ︹ただし、この読点は、﹃夜ふけと梅の花﹄所収本文で は、行末に位置するために省かれた可能性もある。筑摩 版全集でも、ここに読点はない。︺ あ の 岩 を 割 る ん だ ら う ﹂ 1 あ の 岩 を 割 る ん だ ら う 1 ﹂ バ ッ ハ へ 火 を つ け た ん で す の ﹂ 1 バ ッ ハ へ 火 を つ け た ん で すの1﹂ 音 が き こ え ま す わ ﹂ 1 音 が き こ え ま す わ 1 ﹂ こ と ゝ と 思 っ て ゐ る ら し い 1 そ し て ダ ン ス ガ ー ル 自 ら は 1 こ と ゝ と 思 っ て ゐ る ら し い 1 そ し て ダ ン ス ガ ー ル 自 ら は び っ し ょ り 汗 で す ﹂ 1 び っ し ょ り 汗 で す 1 ﹂ 鯉 に 似 た ろ な ら ば と て 1 所 詮 は 魔 物 な れ ば 1 鯉 に 似 た る な ら ば と て 所 詮 は 魔 物 な れ ば あっちの家で寝起きしたろ﹂1あっちの家で寝起きしたろ1﹂ からだに毒だぜ﹂1からだに毒だぜ1﹂ け れ ど 私 は 1 昨 夜 は い か に 自 分 が タ エ ト 1 け れ ど 私 は 昨 夜 は い か に 自 分 が ク エ ト 彼 の 両 方 の 手 を 私 の 方 に さ し 出 し て 彼 自 身 の 手 相 を 1 彼 の 両 方 の 手 を 私 の 方 に さ し 出 し て 1 彼 自 身 の 手 相 を 若 く し て 海 外 に 遊 び 、 生 家 に 居 難 し 1 さ れ ど 五 十 歳 前 後 1 若 く し て 海 外 に 遊 び 、 生 家 に 居 難 し 1 さ れ ど 五 十 歳 前 後 富 貴 栄 達 は 意 の 如 く な る 等 な れ ど も 1 元 来 こ の 人 は 1 富 貴 栄 達 は 意 の 如 く な る 等 な れ ど も 元 来 こ の 人 は 九頁
︹ F夜ふけと梅の花﹄ 所収本文では、この読点は行末に 位置するため、削除された可能性もある。︺ 伐採大連は谷間いっぱいに斧の音を1伐採夫達は1谷間い っぱいに斧の音を これこそご着眼だります1これこそ1ご着眼だります ︻接続詞の改変︺ 句u可彼の目には常に1彼の日には常に 割り可彼は何故、私にタエトのことや1彼は何故、私にク エトのことや 句u.可彼は事実、夕食がすむと蒲団を1彼は事実、夕食が すむと蒲団を ヨ 彼 女 は 仕 事 の 手 を 休 め て 1 彼 女 は 仕 事 の 手 を 休 め て 嘲り可私はこれまでに、朽助の掌ほど1割増私は、朽助の 掌ほど 瑚叫d朽助が目を開いた時には←朽助が目を開いた時には ︻ 語 句 の 増 補 ︺ 彼 は し か つ め ら し く 私 に リ ー ダ ー の ← 彼 は し か め つ ら し く
笥
1
私
に
リ
ー
ダ
ー
の
一〇薫 香 の 木 と 葉 の 反 面 を 照 ら し て 1 杏 の 木 と 菓 封 の 反 面 を 照 ら して 完 全 な 日 本 語 で 去 年 は 1 完 全 な 日 本 語 で 召 − 去 年 は 午後の太陽と光線は、彼女の裸体の上にも1午後の太陽と 光線dは、彼女の裸体の上にも 祈 り が 終 る と 彼 女 は 二 簡 づ ゝ 1 祈 り が 終 る と 彼 女 は 司 叫 の に も 二 箇 づ ∼ 噛み殺すとは何で.割剥1噛み殺すことは何出刹JJ割増が.朝 琳 朽助は七十幾つの年齢をして、ちょっと拗ねて1朽助は七 十 幾 つ の 年 齢 を し て 笥 川 ﹃ 粕 、 ち ょ っ と 拗 ね て 私はとんでもない了見を1私は瑚嘲とんでもない了見を 朽助は感動と驚きの言葉で1朽助は感動と驚きdの言葉で 巨大な溝布であった1﹂嘲功巨大な藩布であった 朽助は一箇所に立ちどまって←朽助は成.利一箇所に立ちど まって 彼は私から腕をふりほどいて1彼叫羽は私から腕をふりほ どいて ︹漠字の改変︵明白な誤植は除く︶ ︺姿嘩1姿嘲 ︹一箇所を右のように改訂するが、他の箇所は初出﹁姿 健﹂ のままで改訂されていない。︺ 醐つばさうに1醐つばさうに 噛ましやかに1劇ましやかに 副鏡1嘲鋳 鋼は1欄は 収喝ぶりを1収噂ぶりを 育て親たる雌瑚1育て親たる雌周 年の瑚中1年の瑚中 ︹初出では三箇所に ﹁脊中﹂とあるが、それ以外は全て ﹁背中﹂ となっている。﹁脊中﹂ の箇所のみ改訂︺ 往刻した1往倒した 周って1嘲って 刈皿1痢皿 谷を刻んで1谷を鯛んで 回って1嘲って 収璃期1収嘩期 うでぐみ 腕 組 み ば か り し て 1 腕 組 ば か り し をさなご 偏頗の幼な児が1煽嘘の幼児が た と 仮令1仮令へ お 落 さ う と し て 1 落 と さ う と し て たけ 丈 け の 長 い 1 丈 の 長 い て 今 更 ら 申 し 立 て 1 今 更 ろノしろ 後 ろ へ 走 っ て 1 後 へ 具合ひであった の 水 面 に 浮 か ん で 1 水 で いま 芸面 上 申に具ぐ走
豊禦書芸冒
て で あ っ た の で 踏 忙 台 く 喘つ 噛り 密林 は は て J 三 薙 じ み 騰ふ回 き め せ み ほ 倒 た て 台票ど舌 せ は う ち 1 忙 し く 三 回 ほ ど 舌 う ち か 1 喀 じ つ て み せ て か 1 嘔 じ り は じ め た なきたふ され1密林は薙倒され 〓 頁 ︹ 送 り 仮 名 の 改 変 ︶ むれ 毛虫の群れ1毛虫の群 h ソ か も の か た 理科物語1理科物語り おろか 思 か な こ と 1 愚 な こ と あら 長く現れた−長く現はれた われ 苦れが脚の真下に1吾が脚の真下に おのづか 白 か ら た て る 響 き 1 自 ら た て る 響 きみ ず か 輔 は 自 か ら の 1 燭 は 自 ら の 止二ちい 大 い に 恥 ぢ 入 っ た 1 大 い に 恥 入 っ た あ く る ひ 翌 る 日 の 朝 、 朽 助 は 1 翌 日 の 朝 、 朽 助 は しあ 幸せと長寿とを1幸はせと長寿とを まれ 世 に も 稀 れ な る 1 世 に も 稀 な る うや 崇ひ孝養に1崇まひ孝養に け む り 水 煙 り 1 水 煙 しげ 山腹の茂1山腹の茂み ︹反復記号の改変︺ 毎 日 毎 日 1 毎 日 々 々 ︹初出F創作月刊﹄本文では、この語句が ﹁毎日/毎日﹂ と 二 行 に わ た っ て い る 。 そ の た め 、 初 出 で は 反 復 記 号 の 行 頭 で の 使 用 を 避 け た 処 理 と 思 わ れ る 。 ﹃ 夜 ふ け と 梅 の 花 ﹄ 所 収 本 文 で は 、 こ の 部 分 は 一 行 に 収 ま っ て い る 。 ︺ 恭 々 し く 1 恭 し く こ の 家 の 方 が よ さ 可 う で が す 1 こ の 家 の 方 が よ さ 剖 う で が す ︵湊字から仮名への改変︺ 一二頁 工 事 が 続 い て 笥 ま し て 1 工 事 が 続 い て 剖 剖 ま し て 土煙が瑚叫のぼり1土煙が封印のぼり ︻仮名から農事への改変︺ 目をさまして瑚ると1日をさまして見ると ︹字句などの削除︶ ﹁ 朽 助 ! ま だ 寝 て は ゐ な い の か ? ﹂ 4 利 の 心 感 は 鼓 動 L q1..痢め語感叫ぶl風ユJ叫ql11﹁朽助! まだ寝てはゐないの か ? ﹂ またと咄見られんぢやろ1またと見られんぢやろ 詰襟を着た劃つ引っ叫少女1詰襟を着た少女 毛虫増を1毛虫を 彼女が裸体であつたから瑚ので、1彼女が裸体であったか ら で 、 水は印がJ瑚横なぐりの風を1水は様なぐりの風を 朽 助 の 視 線 を 避 け る た め に 笥 寝 床 に 1 朽 助 の 視 線 を 避けるために1寝床に そして私はq叫剖瑠璃、朽助の掌ほど1また私は、朽助の 掌ほど
私や朽助増は木の下から現はれて、娃防の上に出た1私や 朽助は木の下から現はれて、堤防の上に出た 瑚 ヨ 彼 は 自 分 の 羽 音 の 1 枚 は 自 分 の 羽 音 の
︻
段
落
の
改
変
︶
県庁まで出かけて行っても述べなくてはなるまいq14私は 出発した。1県庁まで出かけて行つても述べなくてはなるま い = 私 は 出 発 し た 。 ︹ そ の 他 の 改 変 ︺ 行きづ戻りづしますぞ1行きu戻りuLますぞ 池 は 日 本 政 府 が 許 可 し 命 令 し て ∃ 1 池 は 日 本 政 府 か 許 可 し 命 令 し て づ ヨ る − 珂伺叫明朝瑚惑蕗に描いた1瑚副山川Hmコ判周朝路に描いた 杏 の 木 の 残 っ て ゐ 増 と こ ろ の 1 杏 の 木 の 残 っ て ゐ 瑚 と こ ろ の 演 説 を d く と こ ろ は 1 演 説 を 8 く と こ ろ は そ し て そ l 嘲 姿 態 の ま 1 で 1 そ し て 司 り 刃 姿 態 の ま ゝ で し 剥 れ ど 私 ら も 1 し 増 れ ど 私 ら も 私 ら も 、 こ れ を か け て み た 瑚 1 私 ら も 、 こ れ を か け て み た 瑚 お湯からとび出して来て、..﹁増血.卵融割司]﹁パリq利d 習 q l な る ほ ど 1 お 湯 か ら と び 出 し て 来 て 、 瑚 璃 痢 廟 u た / . カ ゐ ま ! ﹂ な る ほ ど 這 ひ ま は っ て ゐ 増 の で あ る 1 這 ひ ま は っ て ゐ 初 の で あ る 刃 割 増 痢 匂 d 毛 虫 が 1 期 倒 d 刈 剖 嘲 毛 虫 が 流して瑠瑚べきで1流して瑚る1.べきで そ の 鯉 と い ふ 到 鋤 は 1 そ の 鯉 と い ふ 叫 は首
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心を感傷的にさせるもので嘲引1心を感傷的にさせるもの で 刻 . 瑚 強かったばかり瑠瑚瑚01強かったばかり瑠勾引 こんなつらい目に逢ふとは夢にも思嘲瑚刃増1こんなつら い目に逢ふとは夢にも思叫割増増力増 窓を半分ほど嘲り可1窓を半分ほど嘲明てl 別に居眠りしたる覚えはない咄1朝っ椚嘲1別に居眠りしたる 覚えはない司郎朝 力一ばい働くことができ割やうに私達を1力一ばい働くこ とができ割判やうに私達を あ の 当 り 目 つ き 1 あ の 瑚 朝 刊 4 割 目 つ き 一三頁全智全能の主粛1おたづねいたします。1全智全能のヨ叫 おたづねいたします。 L j d L l 良 . 嘲 が ら l 私 に 掌 を さ し 出 し て 1 璃 誠 司 叫 が ﹂ 当 時 私 に 掌をさし出して そして私はこれまでに、朽助の掌1割増瑚嘲、朽助の掌 地面を見つめながらヨJ叫1地面を見つめながら嘲り璃 一本の利の下へ行って見物して1一本の刹功の下へ行って 見物して 淘叫水の池の姿が1濁引水の池の姿が お し 寄 せ て 剰 増 水 は 1 お し 寄 せ て 習 水 は 自分がその土間に立ってゐるかのやうに周章てはじめた瑚 叫 召 瑚 1 日 分 が そ の 土 間 に 立 っ て ゐ る か の や う に 周 章 て は じめた功.召叫 人々嘲朽助に反感をもって1人々胡朽助に反感をもって 綿は真黄色瑚花や純自嘲綿毛の実を1綿は真黄色の花や純 白の綿毛の実を 自分自身を冷静にすること嘲できなかった1日分自身を冷 静にすることができなかった 小 鳥 に 嘲 召 1 小 鳥 を 瑚 司 可 ︹誤記・誤植の継承︺ くれとい刃たら ︹くれとい引たら︺ 言ふなとい刃たら︹言ふなとい引たら︺ 部下を率叫て ︹部下を率瑚て︺ 思ぶとります︹思引とります︺ 思刃たれば ︹思うlたれば︺
嘲
棒
︹
咽
棒
︺
一四頁 ︹ 誤 植 の 新 た な 発 生 ︺ 弁護士の要職におりでになる1弁護士の要職にお刻でにな る だんだら染めの棒を喝.つ瑚測量師を派遣して1だんだら染 め の 棒 を 笥 測 量 師 を 派 遣 し て F夜ふけと梅の花﹄ の文選・植字担当者は特定できない。作品 によって分担が決められたのか、一定の字数によって決められた のか資料がないため不明だが、例えば ﹁シグレ島叙景﹂ の担当者 と ﹁朽助のゐる谷間﹂ の担当者とは別人であったようだ。﹁シグ レ島叙景﹂と対比しながら、﹁朽助のゐる谷間﹂ の組版の状況を 眺めてみよう。﹁朽助のゐる谷間﹂ と ﹁シグレ島叙景﹂ では、記号類の処理の に多少の相違が認められる。その指標となるのは、反復記号の使 用ぶりと、会話末の句点処理の相違である。 反復記号の使用ぶりは以下のようである。雑誌初出﹁シグレ島 叙景﹂本文では、全部で四七箇所に反復記号﹁ゝ﹂もしくは ﹁ゞ﹂ を使用している。これに対して、﹃夜ふけと梅の花﹄所収﹁シグ レ 島 叙 景 ﹂ で は 、 そ の 全 て の 反 復 記 号 が 本 字 に 戻 さ れ て い る 。 ﹁シグレ島叙景﹂ を担当した ﹃夜ふけと梅の花﹄ の文選工は、反 復記号﹁1﹂ ﹁ゞ﹂を決して使用しないで活字を組むのである。 書き入れのある雑誌初出を ﹁シグレ島叙景﹂印刷の際に使用した と思われるのだが、その点、﹁シグレ島叙景﹂担当者は、原稿に 忠実であったとは言えないだろう。 一方、﹁朽助のゐる谷間﹂ では、︹反復記号の改変︺ に具体例 を掲げたように、三箇所を除いて、忠実に初出に従っている。例 外 の 三 箇 所 の 内 一 箇 所 は 、 初 出 本 文 が 二 行 に わ た る 場 合 で あ り ︵ ﹁毎日々々﹂1﹁毎日/毎日﹂ ︶、もう一箇所は、﹁々﹂がな くても通用する ︵ ﹁恭∼しい﹂1﹁恭しい﹂ ︶。﹁朽助のゐる谷 間﹂本文には反復記号を使用しても差し支えない箇所が見受けら れるのだが、初出本文に反復記号が使用されていない限り、﹃夜 ふけと梅の花﹄本文でもそれを使用しない。つまり、反復記号の 使用という点では、﹁朽助のゐる谷間﹂ の担当者は、かなり底本 に忠実である。 会話末の句点処理ではどうか。会話中の文章が完結した場合、 そ の 会 話 末 の 句 点 は 省 い て 直 ち に 鍵 括 弧 で 括 っ て し ま う の が 、 ﹃夜ふけと梅の花﹄ の組版方針であった。ところが、﹁朽助のゐ る谷間﹂ 担当者は、省くべき句点を、計八箇所にわたって組んで しまっている。その八箇所に一貫した原則はなく、その会話末の 句点は雑誌初出 ﹁朽助のゐる谷間﹂ には全くないのだから、この 点においては、 ﹁朽助のゐる谷間﹂ 担当者は全く不徹底である。 ︵﹁姿倒﹂1﹁姿嘲﹂が統一されていないのも、担当者の不徹底 の例とも考えられる。︶ これに対して、 ﹁シグレ島叙景﹂ の方では、 ﹁?﹂ ﹁!﹂ が使 用されない三〇箇所ほどの会話末は、全て直ちに鍍括弧で括られ て、会話末の句点を誤って組むというミスは一度も犯していない。 このように ﹁朽助のゐる谷間﹂と ﹁シグレ島叙景﹂とでは相矛 盾する組版作業が行なわれているわけで、少なくとも、﹁朽助の ゐる谷間﹂ の担当者と ﹁シグレ島叙景﹂ の担当者は別人であった と考えてよいだろう。 会話末の句点 ︵これは誤植と考えられる︶ や反復記号の使用ぶ りの相違は、著者の意向というよりも、組版担当者の作業中の注 一五頁
意密度あるいは考え方の相違か多分に影響しており、組版工程上 の問題として処理すべきものである、と判断してよいだろうか。 こうした組版担当者の差がどのような形で本文に影響を及ぼして いるのかは、興味のある点である。しかし、複数の担当者が﹁夜 ふけと梅の花﹄ の組版に関わった以上のことは、現時点では、言 及すべき材料がない。今は、以上の指摘にとどめておきたい。 さて、初出雑誌から ﹁夜ふけと梅の花﹄ への推移過程を示した が、その推移過程で指摘できることの一つは、雑誌掲載時の誤記 ・誤植の訂正である。殊に音便形の誤記・誤植を、歴史的仮名遣 いの原則に従って改訂しようとする点が目立つ。新人作家たちを 集めたとはいえ、﹁朽助のゐる谷間﹂を載せた r創作月刊﹄は文 芸春秋社発行の雑誌である。一応は商業雑誌と言えるものであっ て、それでありながら、こうした誤記・誤植を多数含んでいる。 これは、﹁夜ふけと梅の花﹄所収作品の多くが発表された舞台が、 同人雑誌か半商業誌であるのだから、雑誌初出時の本文には、相 当に多くの誤植があったということを推測させる現象である。ま た、誤記・誤植の継承は、ほとんどが歴史的仮名遣いに関わるも のである。表音的性格を失った部分において、歴史的仮名遣いが、 当時の筆者・校正者・文選工にとっても、負担を強いた例と考え ら れ る 。 一六頁 もう一つ挙げるぺ書は、送り仮名の削減である。﹁朽助のゐる 谷間﹂ で、その送り仮名の増減を異なり語数で見ると、初出に比 べて、一九語で送り仮名を減らし、八語で送り仮名を増やしてい る。これは、﹃夜ふけと梅の花﹄ が、浜数字を除いて全ての漢字 にルビを施すという方針と関わっているようだ。ルビが浜字の読 みを示すことは言うまでもない。送り仮名も、漢字の読みを示す という機能を持つ。﹃夜ふけと梅の花﹄ が総ルビを原則としたこ とは、送り仮名か果たす役割の相当部分が、ルビによって代行さ れることを意味するのであって、送り仮名の削減は、それと相関 関係にあるものだと考えられる。 ただし、このことは、一つの問題を窄んでいる。総ルビであっ た ﹁夜ふけと梅の花k所収本文を底本にして、新たに、ルビなし もしくはパラルビで版を組む場合の問題である。先述したように、 ﹁夜ふけと梅の花﹄ 以前の雑誌本文で複数の読み方の可能性かあ る漢字の読み方は、比較的多く仮名を送ること、もしくは、ルビ を振ることで示されていたと考えてよい。﹃夜ふけと梅の花﹄ に 収録される際、総ルビを原則としたことと引き替えに、送り仮名 が減らされる。これ自体は、何の問題も起こさない。ところが、 送り仮名が減った ﹃夜ふけと梅の花﹄収録本文を底本にして、新 たな本文を組むとき、送り仮名とルビとの組閑関係を無視すると、
著者の ︵意図︶した読み方が失われてしまうという現象が起こり かねないのである。このことについては、後で具体的に触れるこ とにしよう。 先に具体的に本文を引いて改訂を示した箇所と、本質的に変わ らない様相を呈していることは了解されるだろう。部分的な掲出 によっても推移を示し得るように、作品構造や文体に根本的な変 化をもたらす頬の改訂は皆無で、誤記・誤植の訂正や表現の洗練 とでも称すべき範疇の改訂であったが、それが、多少とも作品の 内容と関わる点かないでもない。分類項目の一つに︻接続南の改 変︶を掲げたように、接続詞の削除が五箇所にある。叙述︵内容︶ と叙述︵内容︶との関係に対して、語り手が示す判断が接続語と して表示される。すなわち、接続語が示されているということは、 一旦、語り手の内部を通過した後で、叙述されていることの明瞭 な指療となる。換言すれば、語り手を表面上から消して、客観的 事実提示の方向を目指すとき、接続語は消される。この﹁朽助の ゐる谷間﹂は、やがて、筑摩版全集段階で、語り手にして主人公 である﹁私﹂が大きく後退するのであるが、接続語の減少は、 ﹁私﹂ の後退現象に繋がるものであろう。︻字句などの削除︺ の 最 初 に 掲 げ た ﹁ 私 ﹂ の 感 慨 − ﹁ 私 の 心 臓 は 鼓 動 し て 、 声 の 語 尾 が ふ る へ た 。 ﹂ − の 削 除 も 同 様 の 方 向 性 を 示 し て い る 。 ﹁ 私 ﹂ の存在が作品世界から後退するベクトルが強く働くのは筑摩版全 集段階であるが、その微かな兆候が見られる。だが、それは、ま だ、筑麿版全集本文の地点から振り返った時に、ようやく改稿の 方向が明瞭になるものにとどまっている。 以上見てきたように、初出雑誌から初刊単行本への推移は、誤 記・誤植の改訂や、字句などの訂正にとどまっている、というこ とができる。別の言い方をすれば、﹃夜ふけと梅の花﹄ における ﹁朽助のゐる谷間﹂ の作品構造や文体は、雑誌掲載時の構想や文 体意識の範疇の外に出るものではなく、その範疇内にあって、雑 誌掲載時の不備を補う質のものであったのである。 ﹁朽助のゐる谷間﹂ では、ほぼ全ての例を掲げてみたが、他の F夜ふけと梅の花﹄収録作品で、誤記・誤植の訂正や、表記の改 訂例などを挙げておこう。︵ ︶内に雑誌掲載時の療題を掲げて、 1の後ろにr夜ふけと梅の花﹄所収本文の表記を記し、適宜該当 箇所に傍線 − を引いた。 ︹誤記・誤植の改訂︵仮名遣いにかかわるものは除く︶ ︺ 脊姻︵﹁炭鉱地帯病院﹂︶1奇相 ひどい日に遭はれた ︵ ﹁炭鉱地帯病院﹂ ︶1ひどい目に道 は割れた 一七頁
必要は再現嘲り︵﹁うちあはせ﹂︶1必要は嘲り 河司︵﹁寒山拾得﹂︶1河萄 嘲本︵﹁寒山拾得﹂︶1瑚本 はからかであらq会話 ︵ ﹁岬の風景﹂ ︶ 1ほからかであら 引会話 行き刊側部刃であらう︵﹁岬の風景﹂︶1行き割割旬刃で あらう 派手だったかも剖しれない ︵﹁岬の風景﹂︶1派手だつた か引しれない かさlして見た︵﹁夜更と梅の花﹂︶1か劃して見た 性質とd瑚嘲づ可ゐたのである︵﹁夜更と梅の花﹂︶←性質 句uqも叫つでゐたのである 思ひで屈した心を︵﹁尾根の上のサワン﹂︶1思ひ瑠屈し た心を 幼な児が眠る時のやうに1私も蒲団を︵ ﹁屋根の上のサワ ン﹂︶ 1幼な児が眠る時のやうに1私も蒲団を 桜の枝は私達の手にふれた太い幹から簡素な ︵﹁休憩時間﹂︶ 1桜の枝は私達の手にふれた1太い幹から簡素な 石垣間に ︵﹁一び卓の蜜蜂﹂︶ 1石垣倒閣に ク司スケ ︵﹁一び幸の蜜蜂﹂︶ 1ク刊スケ 一八頁 貴殿嘲いくぢないと︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1貴殿印刻融い くぢない 判明司行きの鉄道︵﹁ジョセフと女子大学生﹂︶1カ.叫苛 司行きの鉄道 嘲気の歯︵﹁ジョセフと女子大学生﹂︶1嘲気の歯 利は私の部屋の窓を見上げながら狼狽して ︵ ﹁シグレ島叙 景﹂︶ 1域は私の部屋の窓を見上げながら狼狽して m歴史的仮名遣いの誤りの改訂︺ つか刹て ︵﹁山椒魚﹂︶1つか弓て 抱刻て ︵﹁山椒魚﹂︶1抱ペて 沿刃た書笈︵﹁うちあはせ﹂︶1沿引た書笈 鉢権利︵﹁うちあはせ﹂︶1鉢植剥 さびはひ ︵﹁うちあはせ﹂︶1さ叫はひ ︹幸い︺ 老叫込んだ青年︵﹁うちあはせ﹂︶1老り込んだ青年 あ咽たゞしい ︵﹁うちあはせ﹂ ︶1あ瑚ただしい 刻かしい ︵﹁岬の風景﹂︶1朝かしい 朝かしい ︵﹁寒山拾得﹂︶ 1朝かしい 震刹︵﹁岬の風景﹂ ︶1震可 入れ換えlて︵﹁夜更と梅の花﹂︶1入れ換ペて
酔つばら引ほど︵﹁夜更と梅の花﹂一︶1酔つばら刃ほど 携刹て︵鯉︶1携ペて 向刃へ ︵﹁埋憂記﹂︶1向刊へ 練習のつ叫でに︵﹁埋憂記﹂︶1練習のつりでに 邸宅の塀に沿ぶて︵﹁埋憂記﹂︶1邸宅の塀に沿引て こわれつゝあった︵﹁遅い訪問﹂︶1こ増されつ1あった 心さ増がば︹心騒がは︺ ︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1心さ璃が ま 手がふるえlるので︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1手がふる↓るの で 沿刃て歩く時には︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶←沿引て歩く時に ま 植刻ます︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1植刹ます をりますゆ刻︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1をりますゆ刹 それにともなうl︵﹁ジヨセフと女子大学生﹂︶1それにと もな刃 向刃の竹薮︵﹁ジヨセフと女子大学生﹂︶1向刊の竹薮 瑚かしな男︵﹁ジヨセフと女子大学生﹂︶1利かしな男 大亀裂がはりり︵﹁生きたいといふ﹂︶1大亀裂がは叫り つ叫でに彼女の部屋の鴨居も︵﹁シグレ島叙景﹂︶1つり でに彼女の部屋の鴨居も 入江は朝の満潮をた1えlて ︵﹁シグレ島叙景﹂︶1入江は 朝の満潮をたたペて つかまえlようと試みた︵﹁シグレ島叙景﹂︶1つかま弓よ うと試みた ︹湊字の改変︵誤植改訂を含む︶ ︺ 倒︵﹁埋憂記﹂︶1割倒 ︹一箇所のみ改訂。他の箇所は﹁憶﹂ のまま。︺ 期難︵﹁埋憂記﹂︶1鋤難 伺朝へば水稲荷に願掛けして︵﹁蝮憂記﹂︶1例へば水稲 荷に願掛けして 倒朝へは自分は最早雨ざらしの側臥だと︵﹁埋憂記﹂︶1 朝へば自分は最早雨ざらしの痢帆だと 現せかけて︵﹁埋憂記﹂︶1増せかけて 刺い間︵﹁埋憂記﹂︶1飼い間 安倒な︵﹁埋憂記﹂︶1安圃な 鳴け足︵﹁埋憂記﹂︶1咄け足 朝からない︵﹁炭鉱地帯病院﹂︶1瑚からない ガ則︵﹁山椒魚﹂︶1璃則 一九頁
瑚返された︵﹁夜更と梅の花﹂︶1珂返された 萄︵﹁岬の風景﹂︶1朝風 叫鳴︵﹁岬の風景﹂︶1圃場 小量︵﹁岬の風景﹂︶1少量 瑚理の節に︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1瑚理の節に 朝音︵﹁一びきの蜜蜂﹂︶1観音 少しばかりの鋼業︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1少しばかりの副 業 剣鋸︵﹁一びきの蜜蜂﹂︶1月鎮 硝魂いたしました︵﹁一びきの蜜蜂﹂︶1園痢いたしまし た 欄好の機会をえらんで︵﹁ジョセフと女子大学生﹂︶1嘲 好の機会をえらんで 一磯の汽船︵﹁シグレ島叙景﹂︶1一鯛の汽船 煙嘲︵﹁シグレ島叙景﹂︶1煙刻 ランプを噴けて︵﹁シグレ島叙景﹂︶1ランプを喝げて 雲嘲や磯きんちゃくのたぐひ︵﹁シグレ島叙景﹂︶1雲丹 や磯ぎんちゃくのたぐひ ︻ 送 り 仮 名 の 改 変 ︺ 二 〇 頁 難しい ︵ ﹁埋憂記﹂ ︶ 1難かしい 厭 や な 顔 ︵ ﹁ 埋 憂 記 ﹂ ︶ 1 厭 な 顔 一と群れとなって ︵ ﹁シグレ島叙景﹂ ︶1一群となって 右に掲げた諸例は、雑誌掲載時の本文が、相当程度の誤記・誤植 を含んでいて、初刊単行本収録の時点で、それが正される様相を 示すものであり、いずれも、﹁朽助のゐる谷間﹂ において指摘し た現象である。 これだけ指摘すると、F夜ふけと梅の花﹄所収本文が完壁であ ったと誤解されるかもしれない。が、初出誌における誤植を正し たのに比べると圧倒的に少ないが、以下のような新たな誤植が、 F夜ふけと梅の花﹄ 段階で発生している。 適 切 な も の で ヨ だ ︵ ﹁ 鯉 ﹂ ︶ 1 適 切 な も の で 望 ﹁ の だ 御蛸拶︵ ﹁鯉﹂︶1御嘲拶 私増初夏の窓の風景に全く調和する彼女の新鮮な姿をこの 上なく好んだ。︵﹁岬の風景﹂︶1私嘲初夏瑚窓の風景に全 く調和する彼女の新鮮な姿をこの上なく好んだ。 下駄をはいて来封か靴をはいて来粛引か、︵﹁休憩時間﹂︶
1下駄をはいて釆顎が靴をはいて来倒.う引か、 これを彼に寄贈したい志に1諸君のご賛成を願ひたい。 ︵﹁休憩時間﹂︶1これを彼に寄贈したいといふ私の志しに1 諸君のご賛成を願ひたい。 谷川の樵の木のあるところのヨつの︵﹁一びきの蜜蜂﹂︶ 1谷川の椎の木のあるところの同山﹂ノl円の 白状で剖叫ものでありませうぞ ︵﹁一び書の蜜蜂﹂︶1白 状で瑚ものでありませうぞ ﹁瑚まl引愉気こんでは毒だぜ﹂ ︵﹁シグレ島叙景﹂︶1 ﹁割引恰気こんでは寺だぜ﹂ F夜ふけと梅の花﹄ 所収本文全体を通して見たときに窺えるこ とがらで、﹁朽助のゐる谷間﹂ の項では触れなかった点、あるい は、言及の不十分だった点について以下に述べる。 まず、ルビの問題である。送り仮名とルビが機能的に同質のも のであることは既に述べたが、﹃夜ふけと梅の花﹄が総ルビであ ることを利用した表現方法か見られる。 甚 だ し く 外 れ た も の で あ っ た 。 ︵ ﹁ 朽 助 の ゐ る 谷 間 ﹂ ︶ 1 も の 甚だしく外れた服装であった。 これは、﹁もの﹂ 1﹁服装﹂という書き換えというよりも、ルビ を意識的に利用した方法である。ただし、﹁夜ふけと梅の花﹄ に おいて、組版のシステムを利用する例は、他に余りないようでは あ る 。 ルビと送り仮名との関係で、今後、考慮すべき事例を呈示して いるのは、︻送り仮名の改変︶ に、﹁シグレ島叙景﹂から引いた ﹁一と群れとなって﹂1﹁一群となって﹂ である。 ﹁シグレ島叙景﹂ の初出﹃文芸春秋﹄ は全くルビを振っていな い。﹃文芸春秋k本文で、﹁一と群れとなって﹂ の表記が採用さ れているのは、﹁ヒトムレ﹂と読まれることを期待しているから である。﹁一群﹂という表記では ﹁イチグン﹂と音読される可能 性が高い。総ルビを原則とする ﹁夜ふけと梅の花﹄本文では、送 り 仮 名 ﹁ と ﹂ と ﹁ れ ﹂ を 省 く が 、 こ の 場 合 は 、 ル ビ に よ っ て 、 ひとむれ ﹁一群となって﹂と読み方が示される。ところが、﹃夜ふけと梅 の花﹄ の次の再録書である Fシグレ島叙景﹄ ︵実業之日本社・一 九四一年三月︶ では、ルビがなく、﹁一群となって﹂という表記 が採用されている。これでは、r文芸春秋﹄ 及び F夜ふけと梅の 花山 で示されていた﹁ヒトムレ﹂という読みはされないであろう。 この後に﹁シグレ島叙景﹂を収録した、新潮文庫﹁夜ふけと梅 二 一 頁
の花﹄ ︵新潮社・一九四八年一月。のち F山椒魚﹄と書名変更︶、 井伏鱒二選集第一巻F屋根の上のサワン﹄ ︵筑摩書房・一九四八 年三月︶ も、ルビなしの ﹁一群﹂ である。ようやく、定本 ﹃夜ふ けと梅の花﹄ ︵一九八四年九月。限定版、一九八四年一二月︶ に ひとむれ おいて、﹁一群﹂ とルビが振られて、﹁ヒトムレ﹂という読み方 の指示が復活する。ルビと送り仮名の相関関係を無視すると、こ のような現象が生まれる。 もう一つ、﹁シグレ島﹂ から例を挙げれば、雑誌初出﹁兎の幼 な児﹂という表記が、F夜ふけと梅の花﹄所収本文では、送り仮 う さ ぎ を さ な ご 名 ﹁な﹂ が省かれて、﹁兎の幼児﹂となった ︵ただし、﹃夜ふ けと梅の花﹄ 所収本文でも、﹁朽助のゐる谷間﹂ や﹁屋根の上の を さ ご サワン﹂ には ﹁幼な児﹂と送り仮名﹁な﹂を送った箇所がある︶。 そのためであろう、新潮文庫 ﹁夜ふけと梅の花﹄ 以下、定本﹃夜 ふけと梅の花﹄ も含めて、全てルビなしの ﹁幼児﹂という表記に なり、送り仮名もルビもなくなってしまっている ︵定本 ﹃夜ふけ をさなご と梅の花﹄ では、﹁朽助のゐる谷間﹂ の ﹁幼児﹂ には、﹁幼児﹂ とルビがある︶。再録を重ねる過程で、ルビも送り仮名も削除さ れた結果、﹁オサナゴ﹂ という読み方は見失われてしまったので あ る 。 ﹁シグレ島叙景﹂ の F文芸春秋﹄ 掲載本文では、﹁翌る朝は潮 二二頁 か干潮であった。﹂とあった一文は、﹁夜ふけと梅の花﹄ 所収本 よ く あ さ し お か ん て う 文では ﹁翌朝は潮か干潮であった。﹂となる。これは、﹁翌朝﹂ の読み方の変更があったのか、あるいは、誤植が生じたのか判断 できないが、実業之日本社版 ﹃シグレ島叙景﹄ 以下の再録書は、 ルビなしで、﹁翌朝は潮が干潮であった。﹂という本文を採用す る。そのようにして、﹁ヨクチョウ﹂と音読みするか ﹁ヨクアサ﹂ と音訓を交えるか、あるいは、﹁アクルアサ﹂と完全に訓読みす るか、ということが分からなくなっている。少なくとも、初出の ﹁アクルアサ﹂という読み方の可能性は、ほとんど完全に排除さ れ、﹁ヨクアサ﹂ か ﹁ヨクチョウ﹂ かいずれかの可能性を示しな がら、新しい再録書が刊行される事態が生じている。 これ以上例示することはしないが、底本の素性への顧慮が払わ れなかった ︵例示した場合は、ルビと送り仮名との相関関係への 視点を欠落させた︶ 結果、何度かの再録過程で、著者の ︵意図︶ した読みは見失われていったと評きなければならない。これは、 行末の句読点の処理にも関わってくる問題であり、問題の根本は、 底本の性格を十分に考慮しなかったところにある。 次に、語句の訂正によって、作品内事実の矛盾を解消すること になる例を、一つだけ挙げておこう。﹁寒山拾得﹂後半、﹁私﹂ と佐竹が寒山拾得を真似て、笑い合おうとする場面である。そこ
では、佐竹=拾得、﹁私﹂=寒山という関係になっていたのだが、 初出﹃陣痛時代﹄ では、佐竹の姿か、 徹されるのは、筑摩版全集の段階である。例えば、 ︵幾らか寒山先生に似て来たのである︶ く れ と い ふ た ら ← く れ と い う た ら 率 ひ て 1 率 ゐ て とあった。これは、﹁拾得先生﹂ でなければならない。誤植とい うよりも、誤記と称すべきものであろうか。これが、F夜ふけと 梅の花﹄ では、 ︵幾らか拾得先生に似て来たのである︶ と正される。こうしたように、作品内の事実関係の整理が、﹃夜 ふけと梅の花﹄ 収録段階で行なわれる。 ﹁朽助のゐる谷間﹂ において初出の誤植が残り、また、新たな 誤 植 が 生 じ て い た の は 先 に 触 れ た と お り で あ る 。 同 じ よ う に 、 F夜ふけと梅の花﹄全体を見渡しても、新たな誤記・誤植が発生 していることは先に掲げた。 では、それらが、いつの時点で正されているのか、ごく僅かで あるが、その改訂時点を見ておく。 ﹁朽助のゐる谷間﹂本文で、完全に現行の歴史的仮名遣いが貫 の 例 は 、 い ず れ も 、 筑 摩 版 全 集 段 階 で 正 さ れ る 。 歴 史 的 仮 名 遣 い か 現 代 仮 名 遣 い か と い う 二 項 対 立 的 発 想 で 、 ど ち ら か に 統 一 さ れ が ち で あ る が 、 単 純 な 統 一 性 追 求 と い う 姿 勢 を 貫 く の が 正 し い か 否か疑間もないわけではない。その点については、第四節で述べ ることにしよう。 ﹁生きたいといふ﹂から次に引く文の内、二つ目の読点は誤植 であろう。 彼女の意志は、医学の趣旨に応じては、ゐたが、多量の出 血は彼女の怒鳴り声をひどく弱らせた。 しかし、F夜ふけと梅の花﹄所収本文では、 彼女の意志は医学の趣旨に応じては、ゐたが、多量の出血 は彼女の怒鳴り声をひどく弱らせた。 二三頁
と、読点を一つ削除しているだけで、﹁ゐたが﹂ の前の読点はそ の ま ま で あ っ た 。 よ う や く 、 次 の 再 録 書 、 井 伏 蹄 二 選 集 第 一 巻 ﹃屋根の上のサワン﹄ ︵筑摩書房・一九四八年三月︶ において、 彼女の意志は医学の趣旨に応じてはゐたが、多量の出血は 彼女の怒鳴り声をひどく弱らせた。 と正される。同様の箇所は、﹁シグレ島叙景﹂ にもあって、オク ツの失踪に狼狙する伊作が語る、 オタツらは木のかげにも、岩のかげにもいっそ見当たりませ ん だ 。 という部分は、初出、﹃夜ふけと梅の花﹄所収本文ともに同一で あり、次の再録書である Fシグレ島叙景﹄ ︵実業之日本社・一九 四一年三月︶ で、 オタツらは木のかげにも、岩のかけにもいっそ見当たりませ な ん だ 。 二 四 頁 と正される。 井伏には作品内部の時間的矛盾に対して案外無頓着なところが 見受けられる。﹁さざなみ軍記﹂ には、中山薫﹁井伏鋒二 Fつば なつむうた﹄ のルビ﹂ ︵ F桜陵文集﹄ 三九号・一九九五年三月︶ が指摘するように、太陰暦でありながら﹁寿永三年正月三十一日﹂ なる日付が登場する。似たような例は、F夜ふけと梅の花﹄所収 作品でも見られる。r文芸都市﹄掲載﹁夜更と梅の花﹂本文でも、 同作品の ﹁夜ふけと梅の花﹂掲載本文でも、冒頭近くの、村山十 書と出会った日付が﹁三月二十日午前二時頃﹂.となっていて、作 中の手紙の日付﹁二月二十一日夜﹂と矛盾する。コ二月二十日午 前二時頃﹂が ﹁二月二十日午前二時頃﹂と改められたのは、筑麿 版全集収録時であった。ただし、筑摩版全集を含め諸本とも手紙 の日付は ﹁二月二十一日夜﹂とする。日常の生活感覚からは、こ こは﹁二月二十日夜﹂とあるべきところだろう。﹁さざなみ軍記﹂ の ﹁正月三十一日﹂ の例は、筑摩版全集でも、そのままである。 初刊単行本で生じた誤記・誤植、また、雑誌掲載本文から継承 した誤記・誤植は、順次改訂されてゆく。右に挙げた手紙の日付 のように、完壁とまでは許しにくいところも残るが、だいたい筑 摩版全集収録時において、そうした誤記・誤植の改訂は終わると
見てよい。あるいは、それは、本格的な著者自身の作品の見直し が、この機会に行なわれたということを意味していると考えられ る。 全体の分量に比べると、僅かな具体例しか挙げられなかったが、 これらを眺めてみると、初出誌と ﹁夜ふけと梅の花﹄所収本文と に関して、次のようなことが指摘できる。 第一に、初刊単行本﹃夜ふけと梅の花﹄収録の時点で、いずれ の作品にも井伏の筆が入っていて、初出の誤記・誤植は、初刊単 行本F夜ふけと梅の花﹄所収本文において、相当程度訂正されて いる。ただし、新たな誤植の発生がないわけではないし、完全に 正されたわけでもないが、訂正された誤記・誤植に比べると、そ れは、圧倒的に少ない。﹁夜ふけと梅の花﹄所収作品は一九二〇 年代後半に発表されたもので、その発表舞台は、同人雑誌が大半 を占めるのであるが、全体を通じて言えば、歴史的仮名遣い ︵殊 に音便形︶ の誤りが多く見受けられる?専門の校正者かいなかっ たという事情があるのだろうが、この時期の初出本文に関しては、 特に歴史的仮名遣いの正確さという点で注意を要する。 第二に、作品内事実関係の矛盾が気づかれる限り改訂され、ま た、大幅な改変を伴わない範囲内で、表現の正確さを求めようと している点が認められる。 第三に、文体・作品構造において、その骨格を改変するような 大幅な変化は認められない。︵どこまでを文体の変化と呼ぶかは、 判断の分かれるところであろう。接続語が削除される傾向が若干 は認められる。﹁埋憂記﹂ では七箇所で接続語に関わる削除があ り、﹁遅い訪問﹂ でも同様な処置が六箇所ある。これも、語り手 の生の判断が表現の上で消えて行く方向を示すものではある。だ が、筑摩版全集収録時の変化と対比してみれば、それほどの変化 はないと考えてよいだろう。︶ 第四に、一個の作品内部という観点だけではなく、r夜ふけと 梅の花﹄ 所収の他の作品との類似場面が削除されているように、 一個の作品集、ひいては、井伏鱒二という著者名を冠された作品 群としての判断が働いている。 これらの諸点を指摘で書る。 少なくとも、表記という側面、また、表現の正確さという点か ら見る限りにおいては、初出誌よりも、﹃夜ふけと梅の花﹄ の方 が整えられた本文を提供していることは動かない。また、第三に 指摘したことから判断すれば、構想・執筆時に最も近接した時点 で、誤記・誤植を訂し、的確な表現によって、著者が ︵意図︶す る本文を実現しているのは、初刊単行本r夜ふけと梅の花﹄ の本 文ということになる。 二 五 頁
印刷による流通を前提とする近代の出版物の場合、極言すれば、 活字に組まれて初めて、作品は、その形態を完成するといっても よい。初出誌紙における著者校正も、活字組版による流通段階の 姿をとった本文を目にして行なわれる。その意味では、著者校正 は見逃せない。しかし、当時の著者校正には大きな限界かあった ように思われる。第一に、限られた時間の中での作業であること、 第二に、当時の活版印刷の制約から、行や頁を超えた直しがどこ ま で 可 能 で あ っ た か と い う 点 で 制 約 が あ る こ と ー こ う し た 阻 害 要因が働いていたのは、雑誌初出本文の誤記・誤植が相当程度に わたっていることによって明らかだ。 自筆原稿執筆時に著者が想定していた本文は、ようやく、活字 に組まれた初出誌紙面において、流通する形態としての完成に至 る。ただし、上述のように、初出雑誌掲載時の著者校正には必ず しも十分な余裕が保証されてないことが想像される。初刊単行本 用の原稿は、普通には、雑誌掲載本文に著者か書き込んだものが 使用される。このとき、著者は一応現実化された本文︵雑誌掲載︶ を手にして、それに書き込み、あるいは削除を施して、改訂を指 示するわけで、初出時の著者校正を除けば、ここで初めて、流通 形態を採った本文に拠る検討・推敲かなされる。このことの意味 は大きい。作品あるいは本文を非常に抽象化して捉えたとき、そ 二 六 亘 れがどのような文字によって、どのような体裁の紙面に書かれて いるかという形而下的要素は、作品の純粋な受容に関わりのない 不純物として捨象されるかもしれない。しかしへ 事実として、手 書き文字と印刷文字の差は、われわれの印象を大きく支配してい るのではないか。手書き文字によって書かれた本文と、斉一化さ れた印刷文字によって記された本文との間には、情報量やノイズ において、大きな隔たりがある。近代の作品が印刷されて完成す るという立場に立って、印刷形態における作品の完成を目指せば、 印刷文字の斉一的表現の中において、細かな表現の善し悪しや、 句読点の位置の判断がなされなければならない。 印刷時代にあっては、著者自身の意識としても、自筆原稿は、 字義通りに ﹁原稿﹂ であって、活字に組まれる前段階としてあっ たと思われる。実例を示してみよう。現在、 ﹃夜ふけと梅の花﹄ 所収作品の自筆原稿を見ることはできない。それ以外で、たまた ま写真版などによって見ることができた二つの例を引いてみよう。 一つの例は、F作家自作朗読集﹄ ︵朝日ソノラマ・一九六一年 一一月︶ 収録の ﹁ ﹃山椒魚﹄ について﹂ という文章である。 ﹃作家自作朗読集﹄ は、作家が自ら自作を朗読しソノシートに 吹 書 込 み 、 そ れ ぞ れ 自 作 解 説 を 付 し た も の で あ る 。 自 作 解 説 ﹁ F山椒魚﹄ について﹂ の自筆原稿の写真と、自筆原稿から起こ
した文章が、福山市教育委員会社会教育部文化課扁﹃井伏鱒二の 世界﹄ ︵井伏鱒二追悼一周年記念実行委員会・一九九四年一一月 四日︶ に収められている。それに拠ると、自筆原稿では ﹁諦観L とあるべき三筒所が全て ﹁諦感﹂と書かれている。﹁衣食住﹂と 一般に書かれる箇所が ﹁居食住﹂とあり、﹁尻切れとんぼ﹂とあ るぺ書ところが ﹁尻切れとんぼん﹂ と記されている。いずれも、 現在の表記習慣からすると無理がある。井伏白身の ︵意図︶ した のとは、違った書き誤りとでもいうべきものが、このように自筆 原稿には残っている。 これらの誤記の頬は、印刷された段階では、全て﹁諦観﹂ ﹁衣 食住﹂ ﹁尻切れとんぼ﹂と正されている。校正段階の手入れがあ ったと考えてよいだろう。 もう一例は、戦前のものである。 ﹁老僕のゐる風景﹂ という標題を持つ原稿の写真が ﹁井伏鱒二 の世界﹄ アサヒグラフ別冊 ︵一九九二年六月二五日︶ に掲載され ている。一九三一年二月号の ﹃改造﹄ に ﹁丹下底部﹂として発表 した際に使用されたものらしく、原稿には、﹁改造二月号創作﹂ などという文字とともに、赤字による組版指定がある。 ﹁老僕のゐる風景﹂という標題も初出では﹁丹下氏邸﹂と変更 されたのだが、例えば、原稿の文字が初出では1の後のようにな っている。 私は風呂場のかげからのぞ書見して、刻檻の光景を眺めた。 1私は風呂場のかげからのぞき見して、瑚檻の光景を眺めた。 い つ も お 前 は 、 ヨ こ の 柿 の 木 の 痛 へ 左 の 足 の 踵 を 載 せ て1いつもお前は、必朝.刊この柿の木の癖へ左の足の踵を載 せて さういふ具合に叫瑚けざまに1さういふ具合に月例けざま ︹ただし、原稿の元の字は ﹁上仰け﹂とあり、それより やや薄い文字で、原稿に直接 ﹁仰向け﹂と書き込み訂正 されている。これは、数行前に ﹁仰向け﹂ とあるのに合 わせたと考えられる。︺ に 該当箇所を引かなかったが、原稿の ﹁辺郁﹂ ﹁広大﹂ が、それぞ れ﹁達郎﹂ ﹁虜大﹂ に字体が直されている例もある。ここに掲げ たのは、冒頭の僅か六〇〇字程度の中で見られたものだが、これ だけの変更である ︵このことは、先に触れた著者校正が、この 二 七 頁
﹁丹下氏邸﹂発表の際に行なわれたであろうことを推測させる︶。 この二つの例のように、活字化を前提とした自筆原稿は、それ 自体として完結する完全な代物ではないと考えてよいのではない だろうか。著者校正が、自筆原稿の誤りを訂正しているように、 自筆原稿は、やはり、完成以前なのである。作家によっても、ま た作品の執筆事情によっても区々であろうが、﹁ F山椒魚﹄ につ いて﹂ や﹁丹下氏邸﹂ によってその一斑を窺う限り、自筆原稿を 軽視すべきではないにしても、自筆原稿には出版に至るまでの一 段階としての位置を与えるがふさわしいと判断される。