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災害後のPTSD : 見落とされがちな人を見落とさない

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Academic year: 2021

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災害後の PTSD

― 見落とされがちな人を見落とさない ―

岩 井 圭 司

日 本 森 田 療 法 学 会 雑 誌

巻 第 号 平成

Japanese Journal of MORITA THERAPY

(2)

年の阪神・淡路大震災後にも 年の東日 本大震災後にも,精神科医をはじめとする医療従 事者は,真っ先に被災者の心的外傷後ストレス障 害(PTSD)に関心を寄せた。そして間もなく, 「PTSD は意外に少ない」という言説が広まった。 しかし,ほんとうにそうだったのか。ここでは, そのことについて 年の時点から再考してみ たい。

Ⅰ.阪神・淡路大震災の“しばらく後”に

まず,阪神・淡路大震災後 年 か月∼ 年 か月の時点で兵庫県精神保健協会こころのケア センター(当時)が行った,仮設住宅および復興 住宅の住民を対象にした調査(加藤ほか))の結 果を紹介する。厳密な PTSD 診断のために,構 造化面接法である Clinician Administered PTSD Scale(CAPS)が用いられた。 そこでは,同こころのケアセンターの被災者相 談業務の中では %弱にすぎなかった PTSD が, 調査対象者の . %に見出された。PTSD と診断 された被災者の中には,それまでにこころのケア センターのスタッフと接触していた人が少なから ずいた。彼らの PTSD は見逃されていたのであ る。災害後の被災住民を対象とした精神保健活動 では,PTSD を実際より低く評価してしまう可能 性があることが示唆された。また,震災後 年を 過ぎてから PTSD を発症した例も観察された。

Ⅱ.災害後 PTSD は少ないのか

多いのか?,ではなく

大規模自然災害とい う 予 期 せ ぬ カ タ ス ト ロ フィーの後に,PTSD というやや目新しくも非日 常的な診断名が臨床家の目を引き,ある種のブー ムを起こした後にやがて収束する,ということが 繰り返されたわけである。「精神的被害は PTSD として現れるばかりではない」「PTSD に目を奪 われて,被災者のそれ以外の苦悩を忘れてはなら ない」,と。それは確かにそうである。 しかし,「PTSD は意外に少ない」と言うとき の,「意外に」に込 め ら れ た 援 助 者,専 門 家 の “期待”と“楽観”(日和見?)に対して,われ われはもっと意識的であらねばならないのではな いか。 また,おそらくこういった現象は,PTSD とい う病態に限ったことではないだろう。災害後の精 神保健活動では,被災者のニーズと復興期の日常 生活ストレスをややもすると過小評価しがちな局 面があるのではないだろうか。 そう考えてくると,問題は「PTSD は少ないの か多いのか」ではない。PTSD が過剰診断されて いないか, あるいは PTSD が見逃されている(過 少診断されている)いるのではないか,を絶えず 検証するという臨床家の意識こそが求められてい るように思われる。 ■第 回日本森田療法学会 シンポジウムⅡ:地震被災者のトラウマケアと森田療法

災害後の PTSD

― 見落とされがちな人を見落とさない ―

岩 井 圭 司

(兵庫教育大学大学院 人間発達教育) 日本森田療法学会雑誌 ; - ,

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Ⅲ.見逃されがちなこと:

トラウマ反応を見る目

そしてその際,災害後の被災者支援に求められ るのは, 一人たりとも見逃さない”という姿勢 ではなく,こぼされがちな被災者を受け止めてい くという姿勢でありシステムであると思われる。 それも,(PTSD というよりも広く)トラウマ反 応に苛まれた被災者を見逃さない,ということで ある。 現行の PTSD 概念の“狭量さ”については, すでに蟻塚) が指摘しているとおりである。DSM-や ICD- の PTSD 診断基準では,心 的 外 傷 体 験後 か月以降の発症は「遅延発症」として,稀 なこととされている。しかし,蟻塚によれば,太 平洋戦争末期の沖縄戦を経験した住民では,戦後 数十年を経てのトラウマ反応の発現はそれほど稀 有なことではなく,また,戦後 年を超えて継続 する命日反応型うつ状態,嗅覚領域のフラッシュ バック,対人的孤立による老年期の一過性精神病 状態,トラウマ記憶の幻覚化,認知症に現れる戦 争記憶等々といった,これまで PTSD の診断で は顧みられることの少なかった様々な症状が見ら れたという。 蟻塚の指摘するようなトラウマ反応の超遅延発 症・超遷延ではないが,阪神・淡路大震災後にも, 震災後 年目よりも 年目において相談件数の増 加を見た(図))。こぼされがちな被災者を受け 止めていくには,長期的な支援が必要である。

Ⅳ.苦いカルテから「記憶のケア」へ

不幸な転帰をとった症例に学ぶ,というのは, 医学医療の基本である。「苦いカルテに学ぶ」な どという言い方がされることがある。被災体験に 関して言うならば,被災の記憶を語り継いで行く ということは,将来への災害への備えとしても重 要である。にもかかわらず,近代以降のわが国で は,この災害伝承というものがややもすると等閑 視されがちであった。 東日本大震災後には,岩手県宮古市姉吉地区の 「此処より下に家を建てるな」という昭和 年の 大津浪記念碑が有名になった。記念碑の教えを 守った同地区の住民に死者は出なかったのである。 姉吉地区のケースが有名になったのは,それが 良き例外であるからである。明治 年および昭和 年の三陸海岸の津波では多くの死者が出,多く の記念碑が作られた。が,そのような記念碑のほ とんどは,時間の経過とともに忘れ去られてし まっていた。実に,「失敗は人に伝わりにくい」 「失敗は伝達されていく中で減衰していく」(畑 村))。 阪神・淡路大震災後の相談件数:震災後 年目と 年目 日本森田療法学会雑誌 第 巻 第 号 年 月

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災害伝承は,将来の防災・減災のためにだけ重 要なのではない。それは同時に,遺族へのケアと しての機能をもつ。 大切な人を災害で失った者は,故人や災害の記 憶が風化していくことを恐れる。自分たちの記憶 から故人が消えたならば,故人が生きていたとい う事実自体が葬り去られてしまうのではないか。 遺族はそう考えて,世間が災害を忘却していく中 で,愛しい故人の思い出と辛い災害の記憶を抱き 続けながら,ときに孤立無援感を深めていく。 もし,この列島に住む人すべてが何らかの意味 で災害の記憶と向き合い続けるならば,遺族の孤 立感は深まらずに済むのではないか。それが私の 言う「記憶のケア」である。

阪神・大震災後に“見逃されていた”PTSD を 発見した経験から,トラウマ反応を見逃さない長 期的な被災者支援が必要であることを述べた。ま た,被災記憶の伝承が将来の災害への備えとなる ばかりではなく,遺族のケアとして機能すること を主張した。 )蟻塚亮二:沖縄戦と心の傷:トラウマ診療の現場か ら.大月書店, . )畑村洋太郎:失敗学のすすめ.講談社, . )岩井圭司:被災地のその後 ― 阪神・淡路大震災の 三三ヶ月,「こころのケアセンター」編: 災害とト ラウマ ,pp - ,みすず書房, . )加藤寛,岩井圭司:阪神・淡路大震災被災者に見ら れた外傷後ストレス障害:構造化面接による評価. 神戸大学医学部紀要, ( - ); - , . 日本森田療法学会雑誌 第 巻 第 号 年 月

参照

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