組織分析への権力関係的視角 --M.クロジエの所説をめぐって --
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(2) 特質や機能様式の経験実証的な解明がなされ、そこにみられる多くの要素が、 組織における権力関係の問題と密接に結びついているという結論に導かれる 。 そこで第二の事例研究では、この権力関係の問題に焦点がおかれ、それをめ ぐる各個人や下位集団間のパラレルな戦略的行動の検討を通じて、. 「イく確実. 性—権 力」の仮説を基礎づける経験的資料が明らかにされる 。 次いでこれら. の資料からの理論的一般化を通じて組織分析への権力関係的視角の確立がは かられ、更には、その一般的図式を官僚制の経験的諸要素と結びつけること によって 、官僚制組織の権力関係的モデルの定式化が試みられている 。 そし て. この官僚制組織のパタ. ‘ ノを、フフノスの文化システムに固有な諸特質. と関連づけることによって、その特殊フランス的な性格の解明がはかられる ばかりでない 。 それをよりどころにし、更には若干の比較文化論的視角や歴 史的展望をもふまえたアプローチの下に、全体社会のレベルにおける種々の 制度的連関や最近の組織文化の動向にまでおよぶ、 巾広い範囲にわたる考察 がなされている 。 かくて、クロジェの関心は決して単なるミクロ的な組織や 官僚制の問題領 域のみにとどまるものではない 。 たとえばその分析レベルも、経験実証的な 事例研究のレベルにはじまり、組織理論のレベルにおける 一般化から、更に はマクロ的な全体社会のレベルにおける考察にまでおよんでおり、そこには、 行為の一般理論の下に、組織理論と文化システム論の統合をはかろうとする クロジェのなみなみならぬ理論的野心のほどもうかがわれる 。 クロジェのこ の著書が、単に官僚制や組織の問題の理解にと って有用であるばかりでなく、 フランスそれ自体の理解にと っても有用であるといわれるゆえんである 。 しかしながら、本稿ではこのようなクロジェの所説の全般に言及しようと いう意図はない 。 ここでは、われわれの関心はせまく、彼の所説の理論的中 核をなす 、 「組織分析への権力関係的視角」に限定され、その図式の明確 化 をはかることにねらいがおかれる。そうしておくことが、関連する彼の、 他 の様々の興味ある所説をより適切に理解するのに有用であるばかりでない 。. -2 2 0( 4 0 1 7)-.
(3) それ自体を独自にとり出してきても、クロ ジェの この「権力関係的視角」は、 フォーマル組織の新しい分析視角をうちたてるものとして、組織の分析理論 においてきわめて有用な意義をもつのである。かくの如く、クロジェの所説 にふくまれる組織分析のフレームワークが、組織理論に新しい分野をきりひ らく 、一種の パ イオニア的意義をもつ労作であるとすれば、それをほり下げ ることによってその図式を明確にすることにも大きな意義が出てこよう 。 ゎ れわれが、あえて早熟にすぎる批判よりも、まずは、できるだけクロジェの 所説そのものに忠実であろうと心がけるゆえんでもある 。 注. 1 1 1. 本苔は著者自らの手により、 1 9 6 4年に英訳されて tる ヽ 。( M.Crozier,The Bureau crat i c. 9 6 4 .)本稿におけるクロジェの 1 / 斤 点 の検討は、も Phenomen on,1. っぱら 、こ の英語版. によ っている 。. 1.組織理論の展開と権力の問題 クロジェが、 一般にいわゆる官僚制の逆機能的現象をとくに研究の対象に えらんだ 一つの理由は、そもそもかかる病理的現象が、 一種の功理主義的合 理性に根ざす組織の目標達成の論理と、それぞれの文化的システムに特徴的 な一般的な行動様式や価値体系によ って 基本的に規定されてくる成員に対す る社会的コントロールの手段との相対的な非両立性に由来するものであり、 それはまさに、彼が行為の 一般理論の下に統合しようとした組織理論と文化 システム論の 二つの領域の交錯する戦略的要衝に位謹する問題だからに他な < I I. らない 。 けだし 、 このような、多分に、組織. H的に対する成 員の 抵抗に根ざ. す組織の病理的現象を 、 とりわけ行為者の主観的意図や目的論的連関に中心 をおく行為理論の立場からみれば、組織における各個人や. F位集団の権力を. めぐるパラレルな戦略的行動の展開は、まさにそのために有用な、 一つの統 ー的視点としての重要な 意義をもつ存在なのである 。 かくてこのような、ク ロ ジェの 理論的野心にもとづ く研究}.の戦賂的配應が、彼を して 組織分析に. -2 2 1( 4 0 1 8)-.
(4) おける権力関係的視角の意義をとくに重視せしめるゆえんのものであるのは いうまでもない 。 しかしそれにもまして、権力の問題を重視するク ロ ジェの問題意識が、組 織に関するわれわれの直接的な日常的体験に由来していることは、社会学的 組織論の基本的性格にふれる彼の次の所説にも明らかであろう 。 「 社 会的ゲ ームのフレームワークまさにそのものと、すべての自由になしうる活動の巾 を制約しているせまい限界を理解すべく組織の社会学が科学的に基礎づけよ うとしているのは、組織における成員や部下の抵抗という事実と、それのも 1 21. つ決定的重要性をわれわれに直観せしめる様々の経験に他ならない 。」更にク ロジェは、あたかもこの問題を無視しては、真の意味の組織の記述的分析や 現実的認識はありえないといわんばかりに、. 「真に現実的にみれば、およそ. そこに、権力関係の問題の全くみられない組織とか、その権力関係の展開を ある程度まで抑制しようとする何らかの社会的コントロールのメカニズムが 全く作用していない組織などはありえない 。権力関係という問題は、まさに われわれがいたるところで、組織において直接的に体験している最とも生々 1 3 1. しい日常的事実である」とも指摘している 。 かくて「組織における人々や各 集団の行動や態度は、彼らの間に展開している権力関係の問題にふれずして 1 41. 説明することはでぎない」というのがクロジェのとる基本的立場となってい る 。 しかるにクロジェによれば、意識的、無意識的にせよ、この権力関係の問 題を正面からとりあげることを回避しようとする根強い傾向がこれまでの組 織理論の展開を支配してきた 。 その結果、コミュニケーションやモラール、 モチ ベ ー ション、リーダ ー シップなどの諸問題は広く理論的にもとりあげら れ、実証研究や実験も活発に行われているのに、組織における権力関係のポ ヂティプな分析は、ここ数年前の段階にいたっても、なおマキュアベリやマ 1 5 1. ルクスの時代と殆んど大差がない。 1 6 ). クロジェはその一般的理由として次の二点をあげている。. -222 ( 4 0 1 9 )-.
(5) 1 1 )権力の問題は、糾織論で取扱いのきわめてむづかしい複雑な問題である. という方法論的理由 。 たとえばそれは、組織行動の理解にはじめて科 学 的 方法が適用されはじめた 当時、社 会心理 学者達がきわめて成果の大きい方 法とみなした 一元的な刺激――ー 反応型の関係があてはまり 、それによ って 処理しうるが如き、単純なものでも、予定可能なものでもない 。. 1 2) 権力の行使については、それ自体に独自の価値の 含蓄が伴うというイデ オロギー的理 H 」。 いうまでもな く、 これもこの問題に対する研究者の態度 に大きな影博をおよぱしている 。 これらの点を組織理論の展開に即して検討を加えたのが、次の如きクロジ 1 71. ェの典味ある論 i 義である 。 まず初期のテイラー. ( F .W.Taylor)に代表される古典的な合理 主義理論の. ドでは、権力の問題は全 く無視される傾向にあ った。 第一 に、成員を、管理者 の意思に完全に従属する受動的な用 具 としてとらえるメカニカルなフレーム ワーク の下では、そもそも成員の抵抗やそれ に伴う社会的コントロールが大 きな問題となりうるわけはなく、ましてや、権力をめぐ って展開される複雑な諸関 係を処理しえないばかりでない 。 彼らが、他方では、部下達を支配し、取りしま る方法の問題のみにあまりにも腐 心 しすぎていた過去の専制的遺物 を一掃する ことに心がけたのも事実である 。 彼らは、そのためには先駆者のサンーシモ ン (Saint-Simon) がと なえた如 く、「人間に対する 支配」から、「物 事 に 対 する管理」に転換する必要を感じ、人間的リーダーシップにかえて、経済的 刺激と技術的 コン トロールを強調してい くことによ ってそ れがなしうる とみ なしたのである。 勿論、実際にはこのような方法で権力関係を抑制しきれるものではない 。 しかし彼らはこのような幻想にわざわいされて 、彼 ら自身の提唱している事 柄それ 自体が、実は近代的組織の権力構造に様々の重要な結果をきたしてい ることにはついに理解がおよばなか ったのである 。 ちなみにクロジェは、「実 際には、唯 一 最善の方法という理念は、その唯 — •の合理 的解決策を発見 し、. -2 2 3( 4 0 2 0)-.
(6) うちたてる任務をもつ経常者の手に、他のすべての県]寸]のも つ粁慣や権利を うちくだくのに必要な絶対的権力をもたらす手段として利) i Iされたのである っ そしてこれは近年の社会の歴史の中でも最 とも ~(l?f な バラ l、,·"/クスの — • つで. あろう 。 『 人 間に対する支配 』 を 『 物事に対す る管 理 』 におきかえようとす る科学的管理法の先駆者達の斗いは、ボルシ ェ ビキーのそれと同様に、往々 にして、管理する者と管理される者のひら きを い っ そう拡大するだけの結果 1 81. に終っている」とのべている 。 これと同じことは 二十枇紀初頭のマルキスト達についても多分にあてはま る。 たしかに彼らは、当時の資木 主義社会のすべての諸問題を、権力関係 の 弁証法にてらして眺めていたが、未来の問題になると、古典的組織論と同様 のいきづまり状態に彼らもおち入らざるをえなかった 。 かの有名な、レーニ ンの「ソビエト・ プラス・電化」という社会主教に関する定義に象徴される ように、所有関係が消滅 したあかつ きには、結局、. 「 物 事 に対する管理」が. 一切の権力の問題の解決につながるという立場を彼らはとらざるをえなか った のである。. f しか ・ 1 -、クロジェのいつよつに、古典的組織論で理想とされたが如き、 組織の一切の構成と運営が、厳格に、唯 一 最善の方法のみにもとづく、完全 に合理的なシステムを想定すれば、そこには権力関係の展開しうる余地の全 1 91. くないことは自明であろう 。 そこでは各人のとりうる方法は、唯 一の最善の ものだけにかぎられている 。 各人は自己の課業の遂行においても、他者の課 業に関する意思決定をなすにあたっても、事実上、いかなる自由な選択の余 地も、自由裁 量 もないのである 。 それゆえ、 自己の行動が他者にとって全面 的に予定可能であるばかりでなく、他者の行動も自己にと って全く予定可能 で計算のぎくものになってくる 。 このような状況の下では、人々は自分自身 のとりうる行為について、他の代替的可能性を否定されているかわりに、い かなる種類の対人的依存関係からも自由であることができる 。 とりうる活動 の方向が唯 一つだ けしかないという状況の下では、何人も、組織あるいは他. -2 2 4( 4 021)-.
(7) の特定個人にとくにとり人 って、その行動を左右するということはできない 。 そこにはいかなる交渉の余地もないのである 。 このように、何人も、いかな る他者の行動をも自由に変えさせることができないという脈絡の下では、権 力関係の展開する余地は全くありえない. J. 何故なら、権力の本質的メルクマ. ールは、いうまでもなく、人間の行為が、支配やコントロールを通じて、他 の人間の意思によ って 変え られるとい うことにあるからである 。 しかしもちろん、このような、完全に合理的な組織システムというものは、 近代組織論の某本的仮説をなす、. 「制約された合理性」という人間の本質的. 属性にてらして現実にはありえない 。 いいかえれば、それは権力関係の展開 ' 1 0. していない組織は実際にはないということにも等しい。 人間関係論は、このような古典的組織論のメカニカルな命題に決定的とも いうべき打撃を与える重大な挑戦をなした 。 彼らは、人間的要素が決定的に 厘要な意義をも っていることを誰の目にも明らかにすることによって、権力 関係の問題を理解する重要な突破口をきりひらいたのである 。 たとえば、経 済的刺激のみで人間の行動が完全に規定されることはなく、感情的諸要素が 活動に大きな影臀力をもっているという彼らの見解を是認するならば、いず れ、組織における権力構造が人々の惑情や行動に大きな影響をおよぼし、彼 等のなしうる適応のパターンや実践をも大きく左右するという点をも卒直に みとめぬわけにはいかないであろう 。し かし人間関係論もやはり権力の問題 を正面からイ本系的にとりあげようとはしなかった。彼らは主に作業集団にお ける成員間の日常的な対人的相互作用やインフォ ーマルな関係に焦点を合わ せて、組織全体の権限の階層的構造の問題を必ずしも十分に考慮には入れな かっ'た。 たしかにこのような方法でも、自生的なリーダーシップの出現を説 明することはできよう 。 しかし組織のトップからビエラルヒーを通じて下部 に向ってなされる権限の行使やそれに伴って生じる権力争いが、成員の活動 にどのような影響をもたらすかという点はそこからは説明できないのである 。. G. ホーマンズや L. セイルズ, W. F. ホワイトなどに代表される相互. -22 5( 4 0 2 2)-.
(8) 作用 学派では、相 瓦 作用 の変 化が、成 f lの感情や 態度 に 大き な影憫を ' j -え 、 それが活 動に も変 化 をおよぼ す とし\う侑l J. ' . ' . i .から、これらの,: _ つの 相関連 する 内 部変 数 の 中でも、. て従来は、. とくに相互 作用 という変 数 の意義を軍 視 している •. そし. 「惑情 」という 要・素に軍きをおきす ぎる (項向があ ったと tヽう詑識. の下に、できるだけオペレーシ ョナルに、成員 の具体的な測定可能な行動 の 観察に も とづいて相互 作用 のパタ ーン を明かに し、そ れを 感梢 や活動などの 変炊と関連づけて とらえようとして おり、相 F f .f l :J1の方向やひん 度、持続性 に大 きな影 悶 をお よぼ す物罪的な技術的構造 や作業の流 れ 、. T程などの n ' iに. も考察がおよんでいる つ かくてそこには、ある意味でのテ イラーヘの復帰が みられるともいえるが、クロジェはもこの点から「かかる相斤作用学派 の アプ ローチには彼らが花しくも批判した古典理論のメカニカルなモデルと同様な 単純 さをいくつかの点でもついま 一つの 刺激ー反応 利 のパ ター ンとも いえる 1 1 1 1. 性格がみられる」 と指摘し て いる っ また、より深いレベルでは、権力の問題を阿避 しようと するこのような人 間関係論の態度は保 守屯義 的思想に根ざすとこ ろがあると クロ ジェぱ 指摘し ている 。 すなわち彼等は、不満や対立、ならびに集団的慈藤を伴わず して 、 人間関係的諸問題の解決が可能だとみなしており、それらのものを、開放社会が II~. 進歩 のために支払わねばならぬ不可避的な代 償 とは 考えないというのである 。 もっとも人間 関係論 の中でも 、リー ダーシノプを主題とするレヴィン 一派 のアプローチはさほど単純に権力関係の問題を回避したわけではない 。 しかし 彼らとても、長らくリーダーシ ップの社会 学 的側面や組織構造的側面を無視し てきたがゆえに、権力の問題をめぐって牛じる様々の抗争や特殊な結合関係 あるいは交渉などの諸点を十分に理解するまでにはいたらなか った とクロジ 1 1 3 1. ェは指摘する 。 彼 等 も能 率向 卜 .という観点から組織の問題にとりくんだが、 その当初の意図は、参加的リーダーシ )プ (Permissive l eadersh i P) の優越 性 を明 らかにすることと 、 それを人々に 体得 させるための最善 の方法を 、いさ さか素朴な 方法で探究することだけにとどまって いた へ しかしそこでなされ. -2 2 6( 4 0 2 3)-.
(9) た様々の闊在研究は、多 くの イ 11 1な r ; n載をもたらすも のであ ったが、必ず し よならなか った 、 た と えば:祁 ドか ら最 とも も彼 らの仮況をうら づ け るも のに 1 評判 の 良い監腎者は、最 と も民. t的な監腎者というよりば、むしろ組織内で. より大な る影憫力をも った監腎者であ ったり、権威七義的リ ー ダーが民 屯 的 14 1. i. リー ダー こお と らず良 しヽh 梵箱をおさ めてし ヽると い うボ冽もあらわれ て いる 。 貞甫な調査研究では、多く また人間関係トレーニ ン グの 実質的効果に関する 1 の人々が疑問に思 っ たとおり、各人 の担粁す る職務 や 、 それをとりま く権力 の関連構造を 全く ぬきにしてなされるその よ うなトレー ニ ングでは、人々 の 態度を変えることに必ずしも役に\[たない ということを示すぱ っ きりとした 結県がでた 。 そこで研究者達は 、 その 教訓を牛か して 、組織 の構造的側面を もっ と とりあけ、関連づけ て いこうとする新 しい方法の工夫もしたが 、 それ とて も、彼らの闊育研究がそ の厘 要性を立証 した と ころの権力の問題を統合 , 1 5 1. す る まで にはいた って いないとクロ ジェ は指摘 している 。 しかしクロシ ェ によれば、これらの様々 の経験 の つみ捐ねから 出 てく る論 理や、それをめぐる溢,;義に全く成果がみられなか ったわけではない 。 たとえ ば、カーン. ( Rober t Kahn)やタンネンバウム ( Arnold Tannenbaum) などの. 社 会心理 学 者、カートライト ( Dorwin Cartwri~ht ) やフレンチ ( J.P. R .French) — 派の 小 集団心理学者、更にはより人類学的傾向をおびたダルトン. ( Melville. D a l t o n)やマ ー チ ン ( NormanM a r t i n) などの社会 学 者がコントロールや権力 の問題を七題とする組織の研究にとり くみはじめ て いる 。 しかしながら、こ の新しい分野へのア プ ローチは、彼らがついに権力の問題を 主題にえらんだ その期におよんでも、なお、それをさまたげる諸要素が活発に作用している かの如くに 、依 然として 、 至極厄 介 な暗中模索の観を 呈 している 。 クロジェによれば、このような躊躇やためらい、あるいはおよび腰 的 な態 度は 、一 方の 、厳格 な古典的合理 t義者による、かたくなな人間関係論的ア プローチ の排斥 と、他方の、これまた厳格な「人間関係論者」による 一 切 0) 合理的諸問題の無視と結びついているようにみえるという 。 たとえ ば 、も し. -2 2 7( 4 0 2 4)-.
(10) 調整や命令への服従、ならびに生産意欲が、経済的刺激制度だけでもたらさ れるとするならば、つまり人間関係 の領 域が 全く 無視されてしまうならば、 もはや権力の問題が重要• となってこないのはいう までもない 。 しかしそれと. 同じことが、逆の形で人間関係論にもあ てはまる 。 もしわれわれが、満足と 生産性との完全な等式が参加的リーダ ーシ. ・ 1 プの下. で達成されう ると信 じる. ならば、やはり権力の問題の本格的な研究の必要は 出 て こない 。 そこでは極 カ、参加的リーダ ーシ ノプの促進をはかり、それによ って 権力. t義的諸嬰素. ができるだけすみやかに霧散するようにつとめるだけでよいからである 。 しかし、クロジェによれば、このような一種の便法や近道にたよ っている かぎり、権力の問題のもつ真の意義の現実的認識はありえない 。 したがって 本当に権力の問題をとりあげていこうとすれば、まずそこには近道がないと いうことをよく理解し 、合理 的な目的 達 成にかかわる問題と、組織を構成す る生きた人々に関する問題の両者に同時に直面していかねばならないという 認識が必要である 。 しかしたとえこの 二つのアプローチを、ともに必嬰なも のとして受人れたとしても、なお事実上は両者をきりはなしたままで、別個 に扱うということもありうるだろう 。 すなわち、 一 方では. H的設定と I j的達. 成を旗印とする 合理 性と技術の世界があり、他方では、それと別個に、人間 問題やモラール、人間組織の世界があ って、それぞれが独自に 研 究される べ き別個の世界として存在するが如き扱い方は、多かれ少なかれ今 [ lも一般的 にみられるところである 。 ところでこのような口先だけの統 合をこ え、各々の決定因 ( d et e rm i nan ts) のセットが、互いにいかに他方のセットの適用可能性の限界をなしているか の理解を可能ならしめて、両者の真の統合をはかるうえで有川なフレームワ ークをもたらすものとし てク ロジ ェが注 Hす るもの こそ、近代組織論 の新 合 ii~. 理主穀と意思決定論的ア プローチの最近の展開に他ならない 。 古典的組織論では、労慟者はあたかも手をも つだけの存在とし て扱われ て いた 。 それに対して人 間関係論は、労慟者が感情をもっていることを強調す. -2 2 8( 4 0 2 5)-.
(11) る. しかしいうまでもなく 人間は 「F」 と 「 ハ ー ト 」 だ け を も つ 存 在 で は な \、. 人間は 「 頭 」 をも →てしヽる ^ これは人間は、みづから意息決定をなし、. ' l1 「 こ I己のゲームを / , . r iしる i ' li hをそ なえた 人格的 独i lヽる・. u本た る こ とを意 味 して. 人間は忍 息 決 定 者 であ り、問題解決者なの である. 0. このようなとらえ. i : 「 登思決定 」 とし\う人 間 の合 則的行動 に 統•概念を 方の ドに 、 近代糸l織 論 I 求めるばかりでなし¥- 「制 約 さ れ た 合 f 用性 」 と し ヽう 、 人 間 の 本 質 的 属 性 に 根. t( / ) ドに、合 f 用性 を制約す る各 種 の 涅 なる,渚要 因 のセ さす )店本的仮, i 時 に分 析す ることをも 叶能に してし \ る ^ クロジ. T. ぱ 、. I. 卜を同. 「そのようなアプロ ー. jに関する渚問題をより現‘だに即 して取扱 うこ とを可能にするもの チは、権 }. である . なぜなら、それは各行為者、あるし 1は そ の 槌 団 の も つ 合 理 性 と 、 そ の合岬性を 制約 している人. ! i i関係 ( 1 ( 、 J 議要因 の影 得 力 の 両 者 を同時に考察する. 1 f能 にするからである 」 と指 摘 して 、ここ に 日己 の頃 要なより 1 i 1 rを求 こ とを 1 めるが 、 とくに 、 J ふ 本 的 に は 「 制 約 さ れ た 合 即 性 」 に 根 ち す 「不確実性」の 概念 が 、そ の 権力関係的視 fりにお t ヽ て. • つ の 中心 (1(、J 位訳を占 めてくる 。. クロ. シ T によれば、あらかしめ予定の困難な様々のイく確実性の源呆に対処する能 ) Jに もとづ tヽ て 、エ キ ス パ ー ト の 権 力 か 成. , ' r .してくる 。 か く て 各 個 人 や. ド位. 比[ . t /の間にイ;確‘兵性 の領 域 を め ぐるパラレル な 権 力 関 係 が 展 開 す る が 、 ク ロ シェは 根 本 的 に 、 か か る エ キ ス パ ー ト の 権 力 に 対 抗 す る 必 要 性 か ら 、 制 度 的. J よ烈にも とづくマネシメン トの権 力 の 展 開 を と ら えている 。 かくて 、ー イく確実 りの .. つの 中心、点 があるか、 性 と権 力 関 係 の密 接 な 関 連 に 、 ク ロ シ ェの分 析視 1 彼の 次の所説にもそれがよ く示されて い る。 「 慈 息 決 定 の問題に確 率論の 応. H Jを叶能な らしめ た小確実性をめぐる論議は、,,,]時、イく確 実性 の 領 域 を め. i緒 的 反応を ぐって 展 開 さ れ る 権 力 な ら び に 依 存 関 係 が ひ き お こ す す べての U 考應に人れ る新 し い 方 法 を も き り ひ ら く も の で あ る 。わ れわれ のみるところ 、. ( 0の研究は 、 こ の 分 野 の す ぺ て の 将 米 の 進 歩 に と って決定的な 意義 をも この 1. i t界と心↑j りの って いる 。 何 故 な ら 、 合 理 性 の l n n. l i t界 が 統 合 さ れ る の は そ こ で あ. り 、 か つ そ こ の み で あ る か ら で あ る 。」. -2 2 9( 4 0 2 6)-.
(12) 以上のように、組織分析への権力関係的視角の展開にあた って、クロジ ェ は近代組餓論のフレームワークを原要なより所としているが、その彼にと っ ても、 近代組織論のア プローチに全く不満がないわけではない 。 とりわけク ロジェが強調するのは、近代組織論ではせ っかくのその有用なフレ ームワー クを、これまでのところ、殆んど管理レベルにおける意思決定問題だけにし か適用しておらず、部下の行動の解明のためには必ずしもそれが十分に活用 されていないという点である 。 いうまでもな く、クロジェにいわせれば、そ れが、近代組織論において権力の問題が十分にとりくまれ ていない一つの大 きな理 由にもな っている 。 そしてクロジェの「..…•マーチ・サイモンの 貢献 は決定的ともいうべき直要な意義をもつとわれわれは信じている 。 しかしな がらあえていえば、かの 二つのアプ ローチ (人間関係論と新合理主義)を統 合しようとする彼らの意図は、さほど 満足のいく成功をおさめているように はみえない」という論評も、この点とけっして無関係ではないであろう 。 元来、意思決定者、あるいは問題解決者という人間モデルが、管理者ばか りでなく、部下にも適用されるべき、人間の 一般性モデルであるのはいうま でもない 。 そもそも、部下や成員にも何らかの自主性があればこそ、彼等の 抵抗という重要な現実が組織に 生じ 、権力関係的視角にも大きな意義が出 て くるのである 。 かくて「部下の抵抗」という点に、問題認識の甚本的出発的 をおくクロジェのアプローチが、近代組織論の人間モデルに重要なよりどこ ろをおくのは、次の彼の主張を待つまでもなく、すでに明らかであろう 。 け だしクロジェは、. 「部下達は、自分独自の諸問題について論 i 義をし、それに. ついて交渉をなすことのできる自由な人格的主体であり、権力構造に従属す るばかりでなく、それに積極的に加わっていく自由な人格的主体とみなすこ とができる 。 もちろん部下達のもつ自由の程度はさほど大きくはないかもし れない 。 また外部からー 客観的にみれば、彼らの行動は相当程度に非合理的動 機によって規定されているようにみえるかもしれない 。 しかし彼らにと って II~. は、それが合理的、つまり適応的であることを忘れてはならない 」 と屯張す. -2 3 0( 4 0 2 7)-.
(13) るのである ^. , t. i ll~I C r o z i e r. TheB u r e a u c r a ti cPhenome n o n,1 9 6 4. p.8 .6 . 1 21 , h , d. .p. 1 31 i b i b. ,o .139 1 41 , h i d.p .1 07. .1 4S . 1 51 , h , d. .p. 4 5 . 1 61 , h,d.p.1 1 71 1 b 1 d. .p p .1 4 6-1 5 0 . 1 81 , h i d.p .l 5i 1 91 , b , d. p1 5 7 . 1 1 0 1 , h , d. .p .1 5 7 I l l ) 1 b 1 d.p .1 4 7 .1 4 i. 1 1 2 11 b 1 d. .p .1 1 7 . 1 ] 3 1 , h,d.p .1 . is . 1 1 4 1, h , d. .p. 15 11 h 1 d..p 1 4 8 . 1 1 6 1i b , d.p 1 4 9 1 1 1 7 , b , d. .p .1 5 9. 1 1 8 1, b , d. .p .1 5 0. 2.煙草工場の 事例 ここでクロ ジェの 権力関係的視角による戦賂的行動モ デルの解 H ) I( ! )1 l ¥ :要な , 1 1. 経験的素材である煙草.[場の事 例 に Iを向けるとしよう , まずそこで i l : 11さ れるのが、この工場の組織にみられる次の 二 つの対 象的な巾 実の存 在であ る ~ I 1 ) 第 一 •に高度の官僚制 化 によって、権限の階層的ラインの面においては 、. 古典 ( I り合理主義者の理想とした、権力関係の全くみられない 、完全 に合理的 な組織を強く再現するかの 如 く、没人格的な諸関係がきわめて支配的で、人 格的依存関係や恣意的コントロールが殆んどみられないという事態が ~Ji 許な. ことである 。宜僚 制 を発達させる 一つの大きな 根拠は、 「;r a nに対する支月じ」. -2 3 1( 4 0 28)-.
(14) から「物事に対する竹坪」への転換によ って 、. . t ) Jの権力 1 関係や依 { t -関係の. 消滅をはかるということにあった 。 没人格的規削による拘束はあるが、個人 的影開力や恣慈的命令による拘束のない I l界力可 i僚制の刑想とする 1 1芥であ 應想をかなり高疫に f 本現した状態にあるといえよ る。この」..場の組織はこの I う。 ちなみに、この「.場の所屈する惇光公社の全体の糾織は高度に中央. 1 tt i ! :. 化されており、各」ー.場はきわめて多くの没人格的な規則を通して政府部局内 の本社から,;狙 ¥lコントロールを受けてしヽる 。 かくて[場 Kとし\えども、 1 1 , i ; ; ; 的な運就におし\て、さほと大きな「 1 1 ! 1裁:代の余地はなし‘ 。 ' ! : .Lうるたし\てし\ の事柄について、府理者逹のとるべき反応は、規!!りによ ってあらかしめ固定 心じた行動をと る。 加えて、 化され ており 、部下達もそれを承知で、それに 1 よく発達した先任権制度 (seniority system) が、昇進をはじめとする様々の 重要巾項につしヽて、. I 一.役の部 I くに対する恣意的介人をイヽ."[能にさせてし\るば. かりでない 。 たとえ. t役がそのような試みをなしても、それは、 M払 j , ; J心 0 ). 結束による部ド逹の強い抵抗を招くという、フランス 'i'•: 僚制に如片な特'質が、. この簡向をいっそう助長させている 。 また人 0補充は、それぞれの附 I 粁化し ている職能的範店ごとに、外部から個別的になされ、役割間の移動もきわめ て非伸紛的であることから、コミ. _ J _. ニケーションがイ、. ・I 分で附附間の孤{[か. いちじるしい 。 このような様々の要因があいまって、権限関係は高度に没人 格化され、ヒエラルヒーのラインの面における人格的コントロールは大きく 減退し、部ド逹は. t位者の恣意的介入や影堺力から殆んど完全に保護されて. し ヽ る。. ( 21 この工場の社会システムにおける第..の軍要な ' FXは、行為者のとるべ き行動を予定しておくことに困難のある領域、とりわけ保全システムの領域 をめぐって、交渉ならびに権力関係の全体的システムの展開がみられること である 。 第一 図にみられるように、この「.場の牛産の作惚場レベルで登場してくる キ.な下位見間は、監督者と牛産労働者ならびに保令労 f 軌者の;.者である. -2 3 2( 4 0 2 9)-. r. →.
(15) の一ー. 者 の関係で it ll すべき対照的な ij~ 実は、本来のラインの. I : 司である監督. 者が、 ' I ' .産労働者に対して影府力やコントロールを失っているのに対して、 別のライン部門に属する保全労 1 動者が 、牛廂労働者に強しヽ影閻力をもぢ、後 者が前者に依存し、従属しているということである 。 1 呆全労働者逹ぱ、保令 職能の領域や、保全労倒者と牛産労働者の関係に、監付者逹が少しでも立ち 人ってこようとすると 、 強 く これを撃退する態度を 一 •貫させており 、 監腎者. 達も甘じてこの状況をうけ人れ 、賠 に敗者としての立場から 、逃避とい う形 で ごれに適/,~;. している 。. 図 1.煙 草 工 場 の 組 織 図 ンス政府. 涵屈亙] 公社本社. r一. ¥ .. ・ 一―------ - -~- -- -・ -・ -2 3 3( 4 0 3 0)-. 一 . ノ.
(16) このような 竺者の関係の背后には、次の ― : .つの爪要な事夷がある っ ①第 一 は原料の鯛整の特殊な困難さから 、機械の故障がひんばんに起り、 これがこの工場の技術的構造の最大の泣所とな っていることである っ ②第二 に、機械の故障は、 J j事が規則化されているこの「.場において、予 定が困難な、殆んど唯—•の大きな不確実性の源泉であるということである ^. たしかに、椴械が故障した場合にとるべき手続は規削に よって 定めてお く こともできよう 。事実、仕事の配分の手直しや、貨令の調整の 仕方につい ての詳細な規定がもうけられている 。 しかし機械の故隙がいつ起り、その 修理にどれぐらいの時間を嬰するかということをあらかじめ規則で定め て おくことはできない 。他のす ぺての 活動が所定の手統に よってきわめて蔽 密に規定され、拘束されているのに 、機械の故障について のみ、完全な不 確実性が存在するということは、この問題のもつ意義をいちじるしく爪大 なものにする 。 ③第三は、保全労慟者が機械の故障に対処しうる唯一の存在ということである 。 機械が 故障した際にたよりになる唯一の存在である保全労慟者の立場は、彼ら の工場における権力的地位をいちじるしく強くする 。 その意味で機械の故障と いう不確実性は、彼等の権力的地位の重要な基盤である 。 ここから、その 地 1 立、)純持 ・強化をめざして、他者による 、保全問題の領域への 一 切の介人を. 排撃する 、強い、 一貫した彼らの戦略的パターンが生れてくる 。 こうして保 全労働者のなしていることを理解し、チェックできるものは、彼以外に誰も いないという状況がつくりあげられるのである 。実は、これは、保全部門そ れ自体についても多分に妥当する 。 各保全労 f 前者には、数台の特定の機械が 個別的に割り 当てら れており、それらの機械の保全と修理に つ いては、その 人間が単独で全責任を負っている 。 そこでは原則的に、同じ保全労慟者達の 間でも、軽々しく、他者の仕事の内容には立ち入るべぎでないという慣行が 支配しているのである 。 ところが、生産労倒者は機械の故障のなりゆきのいかんによ っては様々の. -2 3 4( 4031)-.
(17) 不便や不利益をこうむることになる 。 たとえば、作業の中断によって生じた 牛産の遅れをとりもどすための苦労が並み大抵のものでないこともある 。 ま た故障の修理が長びくと、配置転換で、いやなよごれ仕事にまわされたり、 気の合う仕事 仲間と別れて淋 しい思いをすることもある 。 安定性が大きな l i l i値をも っている 枇界で、ひとたび機械が故障すると、ど んな結果がそれにつづくかわからないという事 態は、大きな不安とな って全 体に広がっていく 。 かくてこの状況に対処しうる唯 一 の存在である保全労慟 者の行動は、生産労慟者にとってきわめて重要なものになってくる 。 それゆ え、生産労慟者が保 全労 働者の頗色をうかがい、保全労{動者が生産労倒者に 影欅力をおよぼす態度をとるとしても、それはさして不思 i 義ではない 。 もし 保 全労 慟者がその気になれば、修理期間をいくらでも長びかせて、生産労倒 者に様々の迷惑をおよぼすこともでぎるのである 。 かくて保全の領域をめぐ って あらゆる情緒的反応を伴 った生々しい権力関係の展開がみられるのであ る。 いうまでもなく、この状況の下でもっとも恵まれているのは 1 呆全労慟者で ある 。 他の集団 の行動は規則に 拘束され て自由裁恨の余 地もないのに、規則 による予定の困難な不確実性の領域を活動の舞台にしている保全労働者のみ は、いぜんとして大きな自由裁殿をもち、他者に影褥力をおよぼしうる立場 にある 。 しかし彼らの権力といえども不安定な面がないわけではない 。 それ は公式的に認められた権限に巾米するものではない 。 生産労{動者の公式的. t. 司は監督者である 。 したがって、油断すれば、彼らの権力もすぐさま他者の 挑戦にさらされるおそれがある 。 そのために保全労{動者にも 一種の不安感が ある 。 彼らがとくに結束をかためて、監督者に強い態度で出るのも、もちろ ん、ここのところと密接に関連している 。 集団の結束は、他の集団の攻撃か ら身を守り、個人的な妥協におち人らないようにするための爪嬰な戦略であ るが、その際、攻峡性は、集団的抗争において、 I 叶結を固めるための 一 つの 軍要な価値をなすのである ,. -2 3 5( 4 0 3 2)-.
(18) 生産 労(動者は、自己のおかれ て いる従属的立場に、内心、 1 廿りを惑 じない. l z わけではない 。 しかしそ れをあからさまに 表面に出すわけにはいかない o / らは個人的に自己の機械を担当 して いる保全労働者の f助け と好 意を必要と してい るばかりでない 。 集間的にも彼らは保 全労 働者と 手を 組むこ とによ っ てのみ、自分達の恵まれた立場が維持できることを知 って いる の 彼らは、フ ランスの通常の丁J易ではめ ったに得られないような高度の身分的安定性をも つとと もに、. 卜.位者からの 恣意 的影欝力か らも保 護され て高度の人 格的独 立. 性をかちえており、これは守らねばならない 捐要な 価値である と惑じてい る。 また、作業 鼠 に関する管理者との交渉においても、保全労 i 動者と手をにぎ っ て お く方が有利である 。 彼等 と組むかぎり、. スト ライキを なしても成 功 は. まちがいないが、彼らと手を切るとそれは疑わしい 。 かくて彼らは、組合の 団結と労{動者階級の連帯性という名目の下に、保全労慟者 の リーダー シソ 7゜ を受け入れる 。 かくて明らかに、各集団の戦略的行動の中心には権力の問題がある 。 たと えば保全労慟者のとる単純かつ強固な戦略も、彼らの重要な権力の源泉であ る、不確実性の領域を保有することにねらいがあるのはいうまでもなく、そ のために彼等は外部からの 一 切の介入を排除する 一貫した態度をと って いる。 たとえば生産 労慟者ならびに監督者が、いかなる形にせよ保 全問題の領域に 立 入ることを断固としてしりぞけねばならない 。 機械運転 工の 許すべからざ る罪は、機械をやたらとかぎつけまわることである 。 1 呆全や修理の技能内 容 も、秘密裡に保 っていかねばならない 。 それゆえ、およそそれに関する何ら の説明もなされることはない 。 それは生産労慟者の理解してはならないこと なのである 。 保 全労 慟者達の技能は、因習的な職人芸と殆んど変らない 。 彼 らは工場にある 一切の設計図や青写真を無視して、結局、それらを無用の存 在にした 。 すべての技能上の秘訣は、共に衝きながら、見よう見まねで習得 していかねばならない 。 その学習過程は苦痛にみちており、若年者によくみ られるいらだたしい反応にも、それが反映されている 。 そこには、. -23 6( 4 0 3 3)-. 昔なが.
(19) らの徒弟制度が今もなお牛き残 っているかの 如くである り きびしい規律や、この第/,月の職務,~ の戒律に 対する 完全な服従、ならびに 彼らの. . ・ Ii]であ る保全 t任の 一種の偶像化は、保全労働者の集団行動のいま. 一つの屯嬰な但] I面であるが ,これらも. K記 のような戦賂の存在によ ってはじ. めてその意味が適確にとらえられよう 。呆 ( 全部 門の躾間が、その掌握してい る権力の源泉を確保していくためには他の見団に容易につけこまれるような 隙や弱点を部外者にさらしてはならないのである 。 このような角度から眺めると、保全労慟者が監督者に公然と敵対的態度を とる理由もおのずから明らかであろう 。監督者達は、生産労倒者をめぐり、 保全労慟者と直接に対峙する立場にある公式. . ・ Iの唯 一 の職位である 。しかも、. 保全労働者にはない権限が監督者にはある 。 ところが保全労働者にしてみれ ば、監督者がその権限を行使して、機械保全の問題や生産労働者との関係に 介人してくることを防がねばならない 。 かくて、すでに高度にルーティン化 された没人格的な官僚制システムの下において、生産労 f 動者に対してもみる べき影愕力をもたない弱い立場の監督者に、ことあるごとに加えられる保全 労慟者達の攻撃は、権限を主張しようとする監督者の意図をす翡折させ、志気 を沈滞させるうえにきわめて有効であ ったのである 。 これと対応する事実は、この工場の管理者達の間でも見出すことができる 。 この工場の主な管理スタッフは工場長と次長、保全主任、コントローラーの 四名である 。職 制. tは、保 全主任の職位は、次長の職位よりも F位である 。. しかし日常の工場の運営においては、保全主任が中心的役割を果し、大きな 影響力をもっている 。 それに対して、工場長や次長は、高度のルーティン化 や本社への集権化のために、 H常の運営面では殆んどみるべき自由裁凩の余 地をも っていない 。 したが って丁.場長や次長も、. 1 呆全 t任の協力なしに 1 よ円. 滑な工場運営は期しがたい 。 かくて工場長が、工場の社会システムにおけるゲームの. t人公たる唯 一 の. 機会は、作業場の新設とか、新しい設備のレイア ウ トの計 画な らびに実 施な. -2 3 7( 4 0 3 4 )-.
(20) どの大規模な変革がなされる場合にかぎられる っ その場合には様々の非 I !常. ! 的諸問題が出てきて、工場長が菫要な意思決定をなす機会がふえ、これが I 頃のゲームの性格を一変させる 。 それゆえに、工場長の戦略 1 よ、工場の技術的な改革をめざして戦うことに ある 。 もし、大規模な変革がむつかしいようであれば、彼はより規模の小さ い補修や改造のためにも心をつくす 。 しかしいずれにしてもこれらのために は、本社からの多額の予尊の獲得が必要であるために、け っ してそれも容易 なことではない 。、煙草の場合、販売価格に占めるコストの割合はきわめて小 さく、煙草専売事業からもたらされる財政収入の総額は多分に政治的に決定 される販売価格に依存しているがゆえに、多頷の賓金を要するような設備投 資を大蔵省はおいそれとはみとめないのである 。. しかし工場長からす. れば、大規模な工場の変革は、保全主任を目己の部下の地位にひきもどす殆 んど唯一の機会であるがゆえに、彼らがとかく. 「建第マニャ」とよばれる行. 動をとりがちなことにも理由がないわけではない 。 逆に保全主任の方は保守的な防衛の立場にまわ っている 。 彼は、. : f l ドの保. 全労慟者達と同様に、権力の源泉である、自己のコントロールの Fにある不 確実性の領域を確保すべく、つとめている。このために、彼はいかなる公式 の、成文化された規則をも無視して、独自の保全システムを確立しようとす る保全労働者の行動を支持し、彼らが作業場における事実上の立法者として ふるまうことを可能にさせた。 現行制度の下では、保全主任の場合は、工場長や次長の場合と昇進の経跨 が異っていて、保全主任の地位はそこまでで行きどまりで、それ以. : Iの昇進. はのぞめない 。 彼がこのような制度につねづね不満をもつのはいうまでもな し ). ゜. かくてここに 一 つの顕著なパラド,;クスがある 。 社会的に保守的な立場に. ある工場長や次長が、大いなる情熱でもって技術的変革と近代化のために奮 闘している。ところが他方、現行の社会秩序の変革をのぞんでいるはずの保. -2 3 8( 4 0 3 5 )-.
(21) 全屯任が、技術の面に関してはきわめて保守的な立場に立っている 。彼らは. f I分達の技能を極力 l 天J閃的に保存しようとつとめており、あらゆる合理化の 導人の努力に、全力をあげて反対している 。 ここに、不確実性を媒介として、 合理化も権力関係の問題ときわめて密接な関連をも っていることが明らかに なってく るっ. i t :. 1 11 M.Crozi e r .The B u r e a u c r a t i cl ' hen omen o 1 1 .o p .c it ..pp .5 8- 1 42. 3 . 組織の権力関係的図式 帷l ?I . ' 場 の 事例から、組織における権力関係の -. 般的図式を展開するにあ. た って、クロ ジェが基本的により所としているのは 、 人間の制約された合理 店本的源泉を見 出 す不確実性ー権 性に根ざしてが可避的な不確実性に権力の 1 カの仮説である っ これを組織の七要な諸局面に展開していくことによ って 、 クロ シェは権力関係的視角にもとづく フ ォーマル組織の 一般的図式化をはか って t¥< O. 3. I.不確実性ー権力の仮説 「Aの Bに対する権力は 、さもな くば Bがなさなか ったであろう何事かを、 < ii. Bになさしめる Aの能力である 」という R.デー ルの定義にも明らかな如く 、 「 権力 」の 本質的意義は、人の行為が他者の意思によ って支配され、それに よって変えられるということにある 。 この点 において、. 古典的合理 t義者. の、いわゆる「完全に合坪的な組織システム」のドでは、論理 I : 、権力関係 の展開する余地がないことはすでに明らかであ った。 ところが煙草 T ー場では、他者の行動が規削によ ってき ゅ うくつに 拘束され 予定可能であ るのに、自己の行動はそうでないかぎりにおいて、人々は 他 者 に対して権力をもっという事態がみとめられた 。 ここに「合理化 」の予期 し ない結果に注 Iすべきであろう 。 合理化の導人によ って問題の構造が明確に なり、ルール化やプログラム化が可能になるや否や 、 その問題の担当者 の 行. -2 3 9( 4 0 3 6)-.
(22) 動は予定可能なものになり、その権力的地位は低ドして くる ^ 「バーゲニン グ上の関係において、自己の行動の予定可能性は、 [ ' I己のおかれている弱い 1 21. 立場のたしかなるあかしに他ならない」のである. m. しかし現実ぱ、古典的合理主義者やマルキスト達が理想とした「完全な事 物に対す る管理」とは およそほど遠い 実情にある 。煙箪「.場の ように,不安 定な環境の影欝から大巾にし ゃ断された恵まれた状況のドでも、やはり不確 実性の領域が存統し、そこから権力関係が生じていた 。 かくて、. 「いかに合. 理化をはか って も、人間の制約された合理性にてらして、不確実性の完 全 な 消滅が不可能なかぎりにおいて、組織につねに権力の問題が生じてくる」と いうクロジェの主張が出てくる 。 そしてこの不確実性をコントロールする人 人の 手にもたらさ れる自由裁 批から、彼は、彼のなす選択の結果によって影 響を受ける人々に対して権力をもつということになり、ここに不確 実性ー権 1 31. カの仮説が成 立してくる。 これを、. 「誰が誰に対して権力をもつか」. レー ショナルに表現したのが、. という権力関係に即し て オペ. 「Aの Bに対す る権 力は、 Bの行動を予定し. うる Aの能力と、 Aの行動に関する Bの不確実性に依存する」というクロ ジ 1 41. ェの規定である 。 かくてここに、「行動の予定可能性」と 「行動の不確実性 」 が、権力関係の重要な二大変数としてあらわれてくる 。 「行動の予定可能性」 は、なすべき行為が規則や手続に 予定さ れており、行動がそれにも とづいて なされる場合に生じてくる 。 「行動の不確実性」は 、情報の配分 方法のいか んにも関係があるが、とくに自由裁 鼠 の有無によって大きく左右される 。 こ の自由裁 量 にも性格の異なる 二種類のものがある 。 一つ は制度的要因にもと づく自由裁鼠であり、 他は、技術的要因にもとづ く自 由裁 鼠である 。 いうま でもなくマネジメントの権力が前者によるものであれば、エキス パート の権 力は後者にもとづいている 。 ところでここで注意すべき 一つの璽要な点は 、 このエキスパートの権力によって、部下にも独自の自由裁鼠の余 地 がある場 合、それはマネジメントの自由裁量を制約する 一 つの大きな要因とな ってく. -2 4 0( 4 0 3 7)-.
(23) ることである り ちなみに、関係 ‘ 片市者 の一 方だけに自由裁鼠があり、他方に それがない場合には、. — • 方I ( り依存 I 関係しか牛じないが、関係当事者の双方が、. それぞれ独目の r lI 廿裁 ! f tをも って いる場合には交渉という関係が出てくるの. J i *者の双方ともに全く自由裁凰の余地がない場合には、 である ^そして関係 , 権力関係が ' 4 'じえ ないのはいうまでもない 。. 3 . 2.権力関係の基本的戦略パターン 洒草「.場の経験的資料にも明らかな、権力をめぐる各個人や下位集団の戦 1 51. 略的行動に 一般的な、某本的 パタ ーンは次の通りである 。 ① 各槌[, 月 (ならびに個人 )は、自己がそれに対 して何らかの自巾裁量を保 { jしている領域の保存と拡大につとめる っ. ② 各槌間はつとめて他の集団への依存を同避しようとする 。 ③ 各鮨 [ l tは、それが、第 : .の、より大きな脅威をもつ集団への対抗. K、必. 要かつ有 / f lなかぎりにおいて、他の特定槌団への依存を受け入れる 。 ④ 各鮨間は、従属以 外 にとる べ き方法がない場令には、むしろ逃避主義の 方をとる 。. 3. 3.監督者一部下の関係 クロジェは、ここでも 、次の想定から論墳に人 っていく 。つ まり、古 典 的 意味で完全に合理化された科学的な作業組織において、課業遂行の方法のみ な らず、その l i 1や質の面でも 、 それぞれに独自の客 観 的碁準がもうけられて おり、報酬もそこから自動的に定まるという課業編成がなされていて、. K位. 者も ド位者もそれらについて 何のイニシャチブももっていないとするならば 、 つまり監督者が部下の行動にかかわりのあるいかなる重要な変数をも、自由 にコントロールできないとするならば、彼は部ド達の産 出の、より以. tの植. 的増加や質的向 卜をもはかることができないであろう 。しかしもし部下達が、 課業の達成をよりたやすくするために、状況に応じて 、弾 力的に作業過程に 手直しを加え、規 削 をおかすことにな っても、それを大目にみられるだけの 自由が監督者にあるならば、そのような寛容性を欲したり必要とする部下達. -2 4 1( 4 0 3 8)-.
(24) は、その点で監督者に依存してくることになる 。 かくてこの場合には、監粁 者は、究極的には権力にも通ずる、何らかの意のままになる影愕力が手に人 れられるのである 。 かくてここに 二種類の相互補完的な自由裁屈が組織内に存在するとクロジ 1 61. ェは指摘する 。第ー は課業それ自体の不確実性から出てくる自由裁殷であり、 第二は、課業をより合理的なものにし、より予定可能なものにするためにも うけられた規則の存在からくる自由裁聾である 。課業の達成にあた って何ら かの不確実性が残るかぎり、最とも地位の低い従業員といえどもいささかの 自由裁鼠の余地はもつ 。 そして「ある意味では、自動機械ではなく人間が活 動の担い手であるかぎり、そこには何らかの不確実性が伴うであろう 」 とク 1 7 1. ロジェは指摘している 。他方、それに応じて、部下の自由裁量を極少化する ために設けられた規削も、監督者によ って、部下との交渉に必要な自己の自 由裁恨を確保するための手段として利用されうるし、かつ現実にも利用され ているのである 。 したが って、部下の自由裁飛の完全な消滅の困難さに対応して、規則の解 釈ならびに適用の面における個人的な 自由裁鼠の存統がみら れる 。 それは部 下達の自由裁鼠が、組織のためになるように発揮されるようにしむける庄カ となりうるのである 。 かくて部下と監督者の関係において次のような某本的 1 81. な戦賂的パターンがみとめられる 。. I l l部下の戦賂 ①自己の自巾裁駄の領域の拡大をはかる 。 ②その自由裁鼠を 、. I . ・ 役をして 1己の協力により大なる代償を支払わし. める圧力として活用しようとする 。 ③監督者の権力を 制限す る新しい規削をもうける圧力をかける , ④同時に、現在、監粁 者の保有するいかな る自巾裁 l 代からも、 i ' l己に可 能な最大限の利益をひき出そうとする 。 1 2) 監倅者の戦略. -2 4 2( 4 0 3 9)-.
(25) ①一 方では合理化と規則の設定によ って 、部ドに自由裁鼠をもたらす不 確実性の領域 の縮 小をはかる. 3. ② 他方では、その規削の存在から「 l己の I 、 Ii l l裁址をひき 出 して、それを 部下に対する交渉力として活用しようとする 。 ③ そして、その交渉力を、合理化されていない問題についてできるだけ 多くの協力を:i~ ドから得るための圧力として活用しようとする 。 1 3) 両 者に共通な表裏背反的行動. ①表 面よ、両者ともに規削を支持し、相手を規則にしたがわせるために 可能なかぎりの圧力をかける 。 ② しかるにその裏では、表面. K、自分達が支持している規削を無視した. やみ取引を行い、自己の自由裁量の維持 ・拡大をはかる 。 ところでこれに関連して、クロジェが、次の . 種類の規則の区別の必要性 1 91. を指摘しているのは重栗である 。 ① 課業の遂行方法を規制する規則 。 (監督者は、この規削の導人につとめるのに対して 、部下は極力、これに 反 対する 。 ) ②人員の 選択、 1 , / 1練、昇進の方法を規制する規則 。 ( 部ドはこの種の規則の導入につとめるのに対して 、監督者はこれに反対 する 。 ) しかし、この 二種類の規削の間には、さまざまの密接な関連があるがゆえ に、当事者達の態度も、実際にはさほど明確には現われてこない場合が多い 。. 3・4. 「かため作り 」 の実践とその権力関係的意義 。 一般に、生産労 1 利者の間で、作業量の某準に関してよくみられる 一 つの実 践に、. 「かため 作り 」 (Ac cu m u l a t ionof k i t ty . or mak i ng ou t : ') とよば れ. るものがある 。 それは 一 Hの基準作業駄の大半を 、最初のうちに頑張 って、 できるだけ早い段階で消化してしまい、残りの作業時間に大きなゆとりをも たせ、自由にすごせるようにするためのもので、ロナルド ・ロイ (Don al d Ro y). -2 4 3( 4 0 4 0)-.
(26) などによってとりあげられた問題であるが、‘洒草工場でもそれが実際になさ 1 1 0. れていた 。 古典的合理主義者の. Hには、そればまさに不合理な行 為の典型として映る. であろう 。 作業者達は、残りの作業時間をのんびりすごすだけのだめに、最 初のうちはずい分に苦労して、無茶ともいえる ペ ースで、できるだけ多くの 課業をこなしてしまおうとする 。 そんなことをしても、金銭的には何ら得る ところはないし、はげしい疲労がのこるだけのことである 。更に、いざのん 気にすごそうという段階にな っ ても、監督者の監視とたえず斗 っていなけれ ばならぬ 。 クロジェによれば、これはとりわけ人間関係論のすぐれた記述分析によ っ て明るみに出された問題領域であるが、彼らの分析にも不満な面がある 。 た しかにそれらの分析は、労 1 動者のもつ安定性のニードや諜業の単調さから逃 れたいという欲求を指摘し、更には彼らが、時計を相手にゲ ー ムを楽しんだ り、監督者に 意趣がえしをしようとすることがあることなどをわれわれによ く教えてくれる 。 これらはいずれも事実であろう 。 しか し 「われわれはこれ らの行動を不合理なものとみなすべきではない 。」という クロシ ェの t 張は、 人間関係論に対する鋭い批判を含んでいる 。 労慟者達の 「かため作り 」 も 、 合目的性という点では経 営 者の行動とさほど変りのない面があ る。たとえば、 ー []の課業を早. 1に消化しておくことは、後で自分のな. したいと思ういかな. る個人的活動にもふりむけるこ と のできる時間的よゆうを作り出す 。 また技 師や時間係が信じるよりも、も っ と多くの課業消化能力を彼らがもち、した が って交渉の資源となりうる時間的自巾があるということをそれとな く監腎 者にみせつけておくことは、自己の立場を強めるうえでも決してまずいこと ではない 。 たしかにこれはあら っぽい計略であ るかもしれない 。 しかしそれはどんな 単純な課業についている労{動者にも可能な、自巾裁 恨 をもたらす — •つの手段. であり、彼に交渉の扉をひらくものである 。. -244 ( 4 0 4 1 )-.
(27) たしかにこの行動は、 ' ! I 己も 交歩の i 廿本だりう る 日巾裁. f i tのもち屯 であ る. と l¥うことを 相「にみ せつけてやるという 心梢的側面 のウ エイトが大きい点 では多分に 象徴的な性格 をもっている へ しかし、もし、か 、る' ! I 己の 独 立性 I りのために活 I l lしよ うとするならば、まず、 を維 持 し、更 にはそれを交渉 I(. そのような交渉の. u木たり. うる I 、 I 己の 独立性 を、―. , 必t l lf :に示して お くこと も. ィ ¥I「欠であ ろう。勿溢 、労働者達 が 「かため 作 り」をなす手のうちの 秘訣 を 、 あまりにもばく露してしまうことぱ 、. より l ヽ っ そうの合 f用化 への •有効な る 武. 料を怜理者に手渡してしまうという危険を伴 っている へこれが、そのような実 践が半ば秘密押になされる. • つの珊 由 であろう. 3・5.権力関係の組織構造的反映 / " I =」は、課 業の '吝観的条件 の 交渉力 と密 接 な関連にある「行 動 の予定可能 ' みならず 、時 にはそれにもまして 、情報 の h じ分方法の l、かんに依存すること があ る. 組織 の令(本の役割のシステムが 、 まさに附柑 的構造 において人々の. 占める 地位 にI i もじて、 情報 が 、 したが って 予定可能 ‘ 性が、ひ lI てはコン トロ ール)) が もたらされると い う構成 にな っているのもこの,, , ' , i ,と決して 佃関係で はない ヘ たしかに、このような、ある 特定の人々が他の人々には. f定できない変 数. をコントロー ル して l¥ると lヽう状況は、全而 ( I りな吝観的店盤 に立つものでは. ,I ,'されたものである な l¥. それは人裕的に牛み '. しかし クロジェによれば、. それは決して訊なる恣慈の I所旅で 1よなく、組織にわける権力争\ヽの間接的結 11. 児に他ならなし\ ^ J関 係の展 間 にj r , fの抑制 もな もし、不 確 ' 共 性 の領域をめぐるパラレルな権 I. されな lヽならば 、 糸l織はコ ンフ リ ク トによ って I V朴 し 、 になるであろう •. J :のつけがた い状況. そこで;j I ; J l ' i :( I り構造 にもとづ く階 I M 的秩序 の確立によって 各. 個人 や ド 位 槌 j.tj を 規律 で げ し 、対ヽ[する i'. •Jk cJ) 』M 倅をなさねばならなし\ ". し. かしかかる 制度的 J , t盤 にもとづくマネジメントの権 I Jと\\えども、 ( H;ドが、 そのエキスパートとしての 権力 にもとづく独 目の' ! ! I l裁 1 , tを もつかぎりにお. -2 4 5( 4 0 4 2)-.
(28) いて、勿論、絶対的なものではありえず、各階層においてその協力が不可欠 な人々との間で交渉と妥協が必要である 。 したが ってそこにはまた、独目の 交渉力がなければならないが、つまるところ、その 屯たるより 1 所は、情報の 操作か、少くとも情報の入手の厳格な規制しかありえないとクロジェはみな il~. している 。 かくてここにエキスパートの権力の抑制の必要性という点から、マネジメ ントの権力の展開がとらえられる 。 エキスパートの権力ぱ、各人が不確実性 の源泉に対処しうる自己の技術的能力をより所として、自己の活動のために 影欝を受ける人々に対してもつ権力である 。 このエキスパートの権力を広い 意味で解すれば、程度の差こそあれ、組織のすべての成員がそれをも ってい るといえる 。 これは最とも地位の低い、単純な課業についている従業員の場 合にもあてはまる 。 たとえば、彼もその気になれば、管理者が責任をとらざ るをえないような失敗や誤ち、あるいは事件をわざとひきおこしてその管理 者の経歴や昇進に傷をつけることもできるのである 。 かくてその内容がいか に粗末であっても. 彼は自分自身のとる方法に関しては 一種のエキスパート. であって、その人間の成功が、いささかたりとも彼自身の決定に依存してい る人々に対して、彼はなにがしかの権力をもつといえるのである 。 ところで、組織が環境への適応を通じて発展していけるためには、組織内 の主張の対立を調停し、部下の行動もある程度、意のままにコントロールし て、組織を臨機応変に動かしていけるだけの自由がマネジメントになければ ならない 。 この必要な自由を確保するためには、マネジメントは部下に権力 をもたねばならない 。 つまり最終的に意思決定を下す公式的権力と、各個人 や集団と交渉して彼らに自己の決定を受け入れさせるインフォーマルな交渉 力をそなえていなければならない 。 この目的を達成するために、マネジメントは相対立する こつの武器の組合 せをもつ 。 第ー は合理化と規則づくりという武器である 。 第 三.は例外をつく ったり、. -2 4 6( 4 04 3)-.
(29) 規削を無視するという武器である 。 彼自身の戦略は、彼の責任をもつ組織単 位の. H標と、この H標に対する部 F達の貢献度に応じて、この 二つの武器の. 最善の組合せを見出すことにある 。 まずやたらと規則を多くすることは自分 自身の権力を削減することにもつながってくる 。 部ドの行動を左右する変数 のコン トロールがそれ によ ってルール 化されるならば、それだけ 自由裁量が 減退するからである 。 また規則に対するあまりにも多くの冽外は、他の人々 の権力を抑制する彼の能力を減退させることになる 。 何故なら、それは規則 のもつ拘束力を、したがってその有効性を減退させるからである 。 いずれに せよ、さきにみた、監督者と部下の間にみられた関係のもつ意義は 、組織全 体に 一般 化しうることがここで明らかである点に注意しなければならない 。. 3・6. 権力関係システムの展開 組織における各個人や集団の権力争いを長い. Hでみると、結局は組織の存. 続に最とも重要なかかわり合いをもつ不確実性の領域に関与している人々の 手に権力が落ちつく傾向があると 一般的にいえよう 。 クロジェによれば経裾 者の役割もしばしばこの種のエキスパートの権力と結びついているのであ っ て、たとえば、そのときどきの 、組織の生存にと って最とも重嬰な戦賂的要 困が何であるかに応じて、財務のエキス パートや 予尊分析の専 門家、生産技 術家やマーケティングの権威などが次々に立ちかわり経営者の座につ くとい う事態の中にもそれがよくあらわれている 。 かくて科学的な管理方法の発展や経済的安定性の向 , -_によって、ある 一つ (!)困難が少くともある程度の合理的な予定にたえうるようになると、それを 担当している集団や個人の権力は滅退傾向を示す 。 クロジェによれば、このような趨勢の分析は、ますます急速な変化によ っ て特色づけられる現代社会におけるエキスパ ー トの権力の問題を鮒 1 1 / jするう , 1 3 1. えに大きな貢献をもたらすことになる ヘテクノクラシーは今もなおヨーロ ; パでは 一つの魅力ある存在ではあるが、同時にたえざる危棋を牛み 出 す渡凩 ともな っている 。 かくてバーナムをはじめとする多くの知識人は、複雑な技. -2 4 7( 4 0 4 4)-.
(30) 術が高度に発展している現代では、技術的専門家あるいは専門経常行などが、 組織の管理 ・運営を司さどるエキスバートとしての役割を通じて、次第に全 体社会 の中でより大なる権力的 地位を占 め、彼らがこれからの 社 会の新しい 支配階級の座につこうとしていると論じている の しかしクロジェによれば、 これらの所説は、科学や技術の進歩の牛み出す状況を必ずしも正しくとらえ 1 1 4 1. ていない 。勿論、どの領域でも、合理化の推進過程では、その機関たるエキ スパートに大きな権 力がゆだ ねられるであろう. r. しかしエキスパー トの権力. はつねに自己破壊的な 一而をもっ 。 合理化の最終的咋物はエキスパートの権 カの減退であることに注意しなければならない , 一つの分 野に合 f 用化が 1 カ に浸透して、 ' ' 1 初の直観や革新がプログラムや規削におきかえられ、ルール 化するや否や、その領域をにな っていたエキスパートの権力は減退するので ある 。 かくて実際には、エキス パー トは合理化の進行過程の前線においてのみ権 力をもつにすぎない 。 彼の権力を支えている甚盤はたえず変化するもろいも のでしかない 。 また近年、素人でも操作の可能な合理化された過程がますま すふえてくるに したがって、エキスパートの権力を支える枯熊はますます不. , r己の権力の. 安定になりつつあるといえるであろう 。勿論、エキス バート は 源泉をなす領域の合理化には抵抗するかもしれない 。. しかし — •般的な考え方. とは逆に、ますます変化の激しい現代社会では、彼らの合理化に対する抵抗 も次第に困難となり、個人としてのエキスパートの交渉力はたえず減退し つ つあるとクロジ ェは指摘 して し \ る。. i 屯 I l l M.Cr o z ier .The B u r e a u c r a t i r Phenomenon.o p .ci t ,p p .t f ; 6-1 5 7 . 1 21 i b id . .p .1 5 8 1 31 i b i d. .p .1 5 8 . 1 41 i b i d. .p .l : i R 1 51 i b i d. .p .t f ; 6 . 1 61 i b i d. .p .1 6 0 1 7) i b i d. .p p .1 6 0- 1 6 1 .. -2 4 8( 4 0 4 5)-.
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