一、はじめに
江戸時代後期の日蓮宗僧侶である本妙日臨(一七九三~一八二三)は、日蓮宗において律師と称される数少ない存 在である。法臘十三年、僅か三十一歳にして遷化した日臨だが、草山元政(一六二三~一六六八)の唱導した法華律 の 継 承 者、 及 び 草 山 教 学 の 大 成 者 と し て 位 置 づ け ら れ て お り (1) 、 ま た 近 世 日 蓮 宗 学 の 大 成 者 と 称 揚 さ れ る 優 陀 那 日 輝 (一 八〇〇~一八五九)に師と仰がれ、充洽園出身者で明治維新期において日蓮宗の指導者として活躍した諸師をはじめ 後世にも大きな影響を及ぼしている。先行研究においても、 元政、 日臨、 日輝は一つの系譜とみなされているが (2) 、 日 臨が元政を如何に慕い、そこから如何なる影響を受けていたのかについては、従来十分な研究がなされているとは言 い難い。 元政に私淑した日臨は、自らを草山の末流と称し、続種護法を第一とする元政の精神を受け継ぎ世に活現すること に努めた。したがって、草山教学の展開並びに日臨の教学を考究しようとする時、日臨が元政から如何なる影響を受本妙日臨における元政の影響
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受戒の作法とその精神
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桑
名
法
晃
身延論叢第二十五号 令和二年三月けていたのかが、第一に問われなければならないであろう。 そこで本稿では、まず日臨にみられる元政の影響を概観し、その上で、元政の三学分修の行法を継承し、律師と称 された日臨の受戒に主眼を置き、その作法と精神について考察を進めることとする。 日臨の主著には三大秘法について詳述した『本化別頭教観撮要』があり、 その中で「戒法」 「受者の位階」等、 日臨 の戒観が論じられているが、ここではまず日臨の具体的な受戒の行儀が示された『本門自誓受戒作法草案』一巻に着 目したい。本書は日臨の戒律関係の代表的著作として挙げられるものの (3) 、 その内容について触れた研究は、 小野文珖 氏 の 論 考「 「 本 門 自 誓 受 戒 」 に つ い て (4) 」 及 び「 醒 悟 園 の 思 想 と 信 仰 ― 近 世 日 蓮 宗 教 学 の 研 究 よ り ― (5) 」 な ど 僅 か し か な い。そこには、日臨の戒法 ・ 戒律観については、 『本化別頭教観撮要』 『本門十重禁戒の事』において述べられている ことから、 自誓受戒の作法という特殊な内容について書かれた本書はしばらく措いて考えるという傾向が窺える (6) 。し かし、 本『本門自誓受戒作法草案』において「今何 ン貴 ソ ン フヤ イ 作法 ン ヲ ア 乎 (7) 」という問いに対し、 「一向 ン斥 ニ ン コトハ イ 作法 ン ヲ ア 大 ン失 ニ ン セリ 、 夫本門之 重者唯一心之妙法也、 作法 ン第二義門之重也、 ハ 然約 ン スレハ イ 行者 ン修行 ノ ン ニ ア 因 ン テ イ 作法 ン ニ ア 発 ン スルカ レ 之 ン故 ヲ ン」と答え、 ニ(8) 文政三年(一八二〇)の四 月八日、 深草を離れ身延に戻り醒悟園を開いた折に「時々読 ン マハ イ 受戒作法艸山要文等 ン ヲ ア 、 清浄心常 ン 一 ニ ン ナラン 、 請 ン 勤 フ ン メヨ レ 之 (9) 」と記し たように、日臨は受戒作法を極めて重視している。そしてそこに元政からの大きな影響が認められるのである。 『本 門 自 誓 受 戒 作 法 草 案』 は 、 は じ め に 心 性 院 日 遠 (一 五 七 二~一 六 四 二) か ら 一 妙 日 導 (一 七 二 四~一 七 八 九) に 至る先師の受戒本尊を含んだ七種の本尊勧請形態を挙げ、次いでそれぞれの本尊相について解釈を加えている。小野 文珖氏の「 「本門自誓受戒」について」は、 本書に依拠しながら、 日遠、 元政、 日導、 日臨と、 日蓮宗の自誓受戒の儀 相 に つ い て 述 べ た も の で あ る が 、 後 述 す る よ う に 『本 妙 日 臨 律 師 全 集』 所 収 本 の 資 料 上 の 問 題 も あ って か 、『草 案』 に 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
記 さ れ た「 日 慧 師 )(1 ( 」 に つ い て は 取 り 上 げ て い な い。 ま た、 「 醒 悟 園 の 思 想 と 信 仰 ― 近 世 日 蓮 宗 教 学 の 研 究 よ り ― 」 で は、 元 政 を は じ め と す る 草 山 の 自 誓 受 戒 の 儀 相 と 日 臨 の 行 儀 の 相 違 を 強 調 し、 「 草 山 と 別 立 す る 醒 悟 園 の 意 義 が 存 す る )(( ( 」ことを論じているが、この点についてはすでに指摘したように再考の余地があるものと考えられる )(1 ( 。 本 稿 は 、 筆 者 が こ れ ま で 深 草 瑞 光 寺 に お い て 行って き た 研 究 調 査 に よ る 成 果 に 基 づ き な が ら 、『本 門 自 誓 受 戒 作 法 草 案』に若干の検討を加え、そして日臨における自誓受戒の意義について考察を行い、もって草山教学の展開並びに日 臨教学研究の一助とするものである。 なお、論題を「元政」の影響としたが、日臨は元政の嗣である草山第二世慧明日燈(一六四二~一七一七)と元政 の両師を「瀉瓶之師弟 )(1 ( 」として捉え、 慧明を通じて元政の教え体得に努め、 草山の教学を継承していった )(1 ( 。その一方 で、元政亡き後、次第にその精神が失われ、形骸化し頽廃していった草山において、元政の流れを直接に汲む者とし て、そこに戻ろうとする意志が日臨には窺える。したがって、ここでいう元政の影響とは、元政から起こりその精神 が正しく伝えられ展開していった草山教学 ・ 法華律をも含むものとして用いることとする。
二、元政の影響
日 臨 が ど の よ う に し て 元 政 の 教 え を 学 び 、 い つ 頃 よ り 惹 か れ て い った の か は 定 か で な い 。 た だ 日 臨 の 兄 弟 子 で あ り 、 日臨を「我戒師 )(1 ( 」と称する最誠(體蓮院日凝)が、 文政六年十月二十三日、 日臨の五七日忌に際して諷誦した願文に おいて、 「而十有九出 イ 塵網 ア 。 爾已来慕 イ 艸山大和尚之徳 ア )(1 ( 」 と記すように、 少なくとも十九歳で出家して以来、 元政の 徳 を 慕って い た よ う で あ る 。 こ れ 以 降、 日 臨 の 元 政 に 対 す る 追 慕 の 念 は い よ い よ 増 し て い く こ と と な り 、「元 政 上 人 の 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)風 儀 を し た い 候 て 艸 山 ニ 隠 居 仕 候 )(1 ( 」「又 法 門 の 事 ハ 私 ニ お い て ハ 異 風 な る 事 少 し も こ れ な く 、 尤 草 山 の 風 儀 を 学 び 候 )(1 ( 」 と述べるように、日臨の中において元政の教風は血肉化していき、信徒に対して自身の教えを説く中にあっても、元 政を彷彿とさせることが少なくない。 したがって、元政の教学にも深く通じていなければ、その関連を十分に指摘することは難しいが、ここでは日臨が 元政 ・ 草山に直接的に言及し、また元政や慧明の著述からの引用がみられる点を主として、日臨における元政の影響 を概観することとする。 このような視点から作成したのが、 表「本妙日臨にみる元政の影響」である(本論文末に掲載) 。これは、 日臨の生 涯及び教学を知る上で根本資料となる『本妙日臨律師全集』 (以下、 『臨全』と略記)所収の、日臨の著作 ・ 書簡並び に同全集に収載された日臨の「遺物現在目録」を中心に元政の影響をまとめ、系年順に配列したものである。 先引の日臨の文も、表の③に該当する一文であるが、日臨の受戒の作法について考察を進めていく前に、受戒の精 神とも、また日臨の教学全般においても直接的に関連する、 「某尊者に上る書」 (表の⑩)の次の一節について触れて おきたい。 且艸山開祖の立意は、宗門の表をば諸山之官僧に任て、艸山之一派は宗門の内法を相続する意にて候、是を表具 の表荘厳とうら打とに譬られて候( 『臨全』一八六頁) これは、草山教学が生まれた、その元政の意を日臨が端的に表したもので、望月歓厚氏の『日蓮宗学説史』におい て 「蓋 し 艸 山 の 真 意 を 悟 る も の と い ふ べ し )(1 ( 」 と 評 さ れ る 一 文 で あ る 。「宗 門 の 内 法」 と い う 語 は 、 同 じ く 「某 尊 者 に 上 る 書」 (表 の ⑩) の 文 で 併 記 さ れ た 「事 観 の 妙 処」 と 同 じ 意 味 を 持 ち 、 本 化 の 教 学 を 指 し て い る 。 こ れ を 表 具 の 裏 打 ち 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
という譬喩をもって表しているのであるが、この譬えは日臨自身の表現ではなく、日臨は元政の言葉として捉えてい る。 瑞 光 寺 に は 元 政 の 自 筆 本 を は じ め と す る 多 く の 資 料 が 現 存 す る が 、 そ の 中 に 瑞 光 寺 第 五 世 知 量 日 充 筆 の 『開 祖 法 語』 (分 類 番 号 B2481 )、 慧 明 日 燈 の 弟 子 で あ る 離 幻 日 覚 筆 の 『政 公 語 艸』 (分 類 番 号 B2482 ) が 存 す る )11 ( 。 書 名 の 表 記 は 異 な るが、開祖及び政公は元政を指しており、法語 ・ 語艸も同じ意味を有する、いずれも瑞光寺開山元政の教示がまとめ ら れ た 書 で あ る 。 両 書 を 対 照 し て も 若 干 字 詰 が 異 な る 程 度 で ま った く 同 じ 内 容 で あ る 。 日 臨 の 『教 観 雑 篇』 (表 の ⑰) に も 右 二 書 に 類 す る「 霞 谷 法 言 」 と い う 資 料 か ら の 引 用 が み ら れ )1( ( 、 そ こ に 引 か れ た「 以 イ 一 段 (ママ) ン工 ノ 夫 ン ヲ ア 得 ン ルト レ 之 ン」 ヲ の 一 文 は、両書においても確認することができる。したがって、書名自体は異なるが、開山元政の弟子等に対する法言とし て代々書写され、その教えが伝えられていったものと考えられる。そして日臨も瑞光寺において、これらの資料を閲 覧していた。今は離幻の『政公語艸』によってその内容を示すと、本書には次の説示が認められる。 一今世説法人ナク、仏法弘マラスハ、吾不 肖ナリトモ、世ニ出テヽ随力ノ化導ス ヘシ、亦化導多キ世ニハ、随分自行ヲツ トメテ、宗旨ノウラウチヲセヨ(一丁裏) ここには、 法を説く者がなく、 仏の教えが弘まらない世にあっては、 不肖の身であっても、 世に出て自らの力に随っ て化導をすべきである。しかしその一方で、化導多き世には、分に随って自行を努め、もって宗旨の裏打ちをせよと いう、 草山の立場が示されている。 「表具の表荘厳とうら打とに譬られて候」という日臨の文は、 元政の教示であると 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
いう認識のもと示された表現であり、日臨において元政の意を忠実に継ごうとする意図が窺えるものといえよう。 日臨は「某尊者に上る書」において、先の一文に続いて、宗門の内法を継承し、護法の任を果たすため、自行を表 に、そして化他は随力演説の分といわれた元政の教えに勤めていることを述べている。 又野生事を人々二乗根性の様に申候、これは尤の事に候、はじめ申如く艸山は宗門の内法事観の妙処をつがんが ために、世縁をさけてひまを得んが為に、自行を専ら面にして化他は随力演説の分と云はれ候跡を学び候間、表 には其相をあらわし候へども、底意は護法の心盛んにて候( 『臨全』一八七頁) 表 の ⑩ に 記 し た よ う に 、「事 観 の 妙 処 )11 ( 」 と は 、『艸 山 集』 「与 浄 心 澄 公 書」 に み ら れ る 表 現 で 、 こ こ か ら 表 の ① 「惟 ン学 タ ン ハ 也 者 要 ン ス ウ 直 ン窮 ニ ン ンコトヲ イ 乎 根 源 ン ヲ ア 矣 )11 ( 」 と い う 日 臨 自 身 も 随 っ た 宗 学 研 鑽 の 態 度 が 出 て い る。 そ の 他、 表 か ら も 分 か る 通 り、 『 艸 山集』からの影響が強く認められるが、本書状において宗旨の裏打ちという表現と自行化他の精神が合わせて説かれ ることからも、 『政公語艸』 (『開祖法語』等の元政の教訓。以下、 単に『政公語艸』と記す)が、 日臨において、 元政 が自らに対してなした化導の言葉として )11 ( 、極めて重く受け止められていたことが指摘できよう )11 ( 。 この『政公語艸』は、右の自行化他 ・ 随力演説の精神、また護法の心等とともに、後に日臨の受戒の精神について 考える上においても重要な資料となってくる。次に、まずは日臨の受戒作法について説かれた『本門自誓受戒作法草 案』について見ていくこととしたい。
三、
『本門自誓受戒作法草案』
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受戒の作法
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本書は「先道場者随分尽 レ 力可 イ 荘厳 ナ 之、 次本尊者為 レ 二、 初出相、 次料簡 )11 ( 」という文言から始まり、 続いて先述の 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)如く七種の受戒本尊の勧請様式が挙げられる。なお、本書全体の構成は次の通りである。 先、道場 次、本尊 二、初、出相 ― 七箇の本尊相 次、料簡 ― 上の本尊を料簡す 次、好相を祈求 二、先、自誓の因縁を述す 次、好相を弁ず 自下正受戒日 先、道場に入り、運想すべし 次、坐心念す 次、勧請 次、請師 次、説戒 次、懺悔 次、三帰 次、正受戒 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
次、略法誓受 次、白竟 次、読誦作法受得本門円頓戒経文 次、発願 普回向 ここでは、実際の受戒作法の次第 ・ 所作等が記された「先、道場に入り、運想すべし」以降の内容についての詳細 な検討は別稿に譲ることとし、日臨が如何なる本尊を勧請して自誓受戒を修したのか、元政からの影響が特に顕著に みられる「本尊」の記述を中心に考察を進めていく。 さ て、 「 七 箇 の 本 尊 相 」 第 一 か ら 第 三 ま で は、 そ れ ぞ れ 神 力 品 に 依 拠 し た 本 門 戒 の 本 尊、 普 賢 経 に 拠 っ た 迹 門 の 本 尊、 『 授 職 灌 頂 抄 』 所 説 の 本 尊 で、 第 四 か ら が 先 師 の 勧 請 と な る。 第 四 と し て、 心 性 日 遠、 続 い て 慧 明 日 燈、 日 慧 (ママ) 、 一妙日導の四師の儀相が挙げられる。このうち、 第四の日遠の儀相は、 「遠師自誓受戒 ン依 ハ イ 梵網普賢観 ン ニ ア 、 本尊之相如 イ 上 ン 普賢観 ノ ン ノ ア 、 蓋開権開迹之意也 )11 ( 」、 第七の日導については、 「日導師者以 イ 大曼荼羅 ア 為 イ 本尊 ア 、 自然具 イ 五師 ア )11 ( 」と、 一文 のみで簡潔に示されているが、日燈、日慧二師の勧請については、その形態もが詳細に記されている。 日 燈 師 之 勧 請 者 兼 イ 備 ン本 ス 迹 ン ヲ ア 、 但 ン三 シ 大 秘 法 辨 ン中 ノ ン不 ニ ン ルコトハ レ 挙 イ 文 殊 弥 勒 ン ヲ ア 者、 随 ン テ イ 本 門 戒 之 正 意 ン ニ ア 且 略 イ 其 名 ア 歟、 或 ン又 ハ 有 イ 別 意 ア 歟、 開山 ン ノ 本門大戒牒亦如 レ 是、 南無文殊師利菩薩羯磨師 南無久遠釈迦牟尼仏大和尚 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
南 無 妙 法 蓮 華 経 南無本化上行大薩埵 南無弥勒菩薩教授阿闍梨 此本尊 ン兼 ハ イ 得上 ン本迹二門 ノ ン ヲ ア 者、 一証者十方応化無量 ン諸仏也、 ノ 一伴 ン者本化迹化諸大菩薩也、 ハ 開山之勧請亦応 レ 如 レ 是、 開山之自筆 ン ハ 未 レ 拝定 ン テ 有 レ 之歟 、 日慧師所 イ 勧請 ア 者有 イ 三幅 ア 、表 ン スル イ 三大秘法 ン ヲ ア 也、 久 遠 実 成 釈 尊 并 四 大 菩 薩 画 像 左 南 無 妙 法 蓮 華 経 中央 久遠釈尊 并 文殊菩薩弥勒菩薩 画 像 右 是亦可 レ 有 イ 証一伴 ア 如 レ 上、 (『臨全』一一九~一二〇頁) ま ず 第 五 の 日 燈 の 本 尊 に つ い て 、 日 燈 の 勧 請 は 本 迹 を 兼 ね 備 え た も の だ が 、『三 大 秘 法 辨』 の 中 で は 文 殊 ・ 弥 勒 を 挙 げていない。これは本門戒の正意にしたがって、しばらくその名を略したものか、或いはまた別意があるかとその理 由を推し量り、 開山即ち元政の「本門大戒牒」もまたこれと同じであるという。そして、 日燈図顕の受戒本尊を書し、 日臨は開山元政の自筆は未見であるが、元政の勧請もまたこれと同様であろうと述べている。この記述から、日臨は 日燈の受戒本尊を拝してこの勧請形態を記したことがわかる。また、 この本尊のみならず、 日燈の『三大秘法辨』 、 元 政の「本門大戒牒」をも瑞光寺にて閲覧していた。 そしてこれは、第六の「日慧」の勧請についても同様にいえることであって、先に誤植を訂正するならば、ここに 燈日 印 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
「日慧」 とあるのは、 「日英」 即ち元政並びに慧明日燈が常に崇め 「我宗持戒修懺 ン 第一祖 ノ )11 ( 」 と称した本覚日英 (一五八 四~一六四七)のことである。日英が勧請した受戒本尊は三幅あり、これは三大秘法を表すもので、中央の一幅に一 遍首題が、そして左右には画像にてそれぞれ一尊四士、久遠釈尊並びに文殊弥勒菩薩が懸けられるというのである。 日 臨 は 身 延 か ら 深 草 平 楽 庵 に 勤 学 の 場 所 を 移 し た 当 初、 「 此 方 に て は、 身 延 よ り も 書 も つ は 自 在 に て 一 切 経 蔵 も 有 之 )11 ( 」「拙子艸山へ来りてより、 勤学大に進み、 書物たくさんにて、 何よりもよろこばしく候 )1( ( 」等と述べており、 瑞光寺 において書籍の閲覧が許されていたようである。日臨は単に庵主と記しているが、当時は第十一世宣修日摂代であっ たと考えられ、 「瑞光寺之庵主より、 急の書き物他の頼まれ候 )11 ( 」 や 「関東へ相下ル積りニて候処、 庵主達而留られ候ニ 付(中略)艸山庵主立本寺日延上人等之御助力ニて、 五両程之普請夢之如くニ成就致し候 )11 ( 」と、 両師の交流がみられ るとともに、日臨が重用されていたことが窺える。 このような中で、日臨は大蔵経の典籍から、元政 ・ 日燈の著述、さらには大曼荼羅等の軸物に至るまで、多くの資 料を拝見する機会を得ていたのである。本草案に記された日燈、日英の受戒本尊は現在も瑞光寺の宝蔵に格護されて おり、その相貌を拝することができる。 日燈図顕の受戒本尊は複数瑞光寺に所蔵されるが、写真資料①はその中でもウハマキに「燈師受戒マンダラ」と記 さ れ た 日 燈 の 受 戒 曼 荼 羅 で あ る 。 法 量 は 、 縦 二 四 ・ 一 セ ン チ メ ー ト ル 、 横 一 二 ・ 〇 セ ン チ メ ー ト ル 、 中 央 首 題 下 に 「日 燈 」 の 朱 印 が 捺 さ れ て い る。 写 真 資 料 ② も 同 じ く 日 燈 の 受 戒 曼 荼 羅 で、 法 量 は 縦 二 三 ・ 七 セ ン チ メ ー ト ル、 横 一 一 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル、 「 日 燈 」 の 朱 印 が 認 め ら れ る。 大 和 尚 の 表 記 が ① と ② で は 異 な る が、 同 じ 勧 請 様 式 で あ り、 こ の 他、 少 な く と も 上 C 154 、 上 C 172 に も 同 じ 様 式 の 受 戒 本 尊 が 確 認 で き る。 上 C 154 の 法 量 は 縦 三 六 ・ 四 セ ン チ メ ー ト 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
ル、横一六 ・ 七センチメートル、中 央首題の下には「慧明」の朱印があ り、 ②と同じく「大和尚」とある )11 ( 。 上 C 17 2 の 法 量 は 縦 二 四 ・ 一 セ ン チ メートル、横一二 ・ 一センチメート ルで、①と同様「大咊上」とある。 日 臨 は 「南 無 久 遠 釈 迦 牟 尼 仏 大 和 尚」 と 記 し 、「日 燈」 の 印 を 有 す る も の を 拝していたようである。若干表記が 異なるものの、やはり同じ勧請様式 である。 続いて、日英の受戒本尊は写真資 料③の三幅である。中央一遍首題の 下には日英の自署花押があり、日臨 が記した勧請様式と一致する。ウハ マキには、中央 ・ 左 ・ 右にそれぞれ 「授戒本尊英師一遍首題」 「授戒本尊 ①日燈 受戒曼荼羅 上 C162 ②日燈 受戒曼荼羅 上 C138 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
(中央) (右) (左) ③本覚日英 受戒本尊 C41 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
脇侍四菩薩」 「授戒本尊脇侍文殊弥勒」と直書されている。法量は、 中央が縦五三 ・ 六センチメートル、 横二二 ・ 九セ ンチメートル、左が縦四五 ・ 一センチメートル、横三〇 ・ 六センチメートル、右が縦四五 ・ 二センチメートル、横三 〇 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル。 三 幅 一 対 で 箱 が あ り、 表 に は「 受 戒 本 尊 」 と 墨 書 さ れ、 箱 の 内 側 に は、 「 受 戒 本 尊 荘 厳 施 主 妙詢童女妙影童女/玉圓童子幻栖童子夢省童子/聞法院妙讃」と墨書された貼付がある。 日 臨 は 、 こ れ ら の 大 曼 荼 羅 を 瑞 光 寺 に お い て 拝 し 、 そ し て 自 ら の 拠って 立 つ 受 戒 本 尊 に つ い て 熟 考 を 重 ね て い った 。 こ れ ら 七 種 の 本 尊 相 を 挙 げ た 後、 「 次 料 イ 簡 ン セバ 上 ン 本 ノ 尊 ン ヲ ア )11 ( 」 と、 日 臨 は そ の 一 々 に 解 釈 を 加 え て い る の で あ る。 こ こ で は、 日臨が自らの受戒本尊として拠った、第五の日燈の本尊に対する釈をみておきたい。 問 第 五 燈 師 之 本 尊 有 ン ルハ ウ 一 証 伴 及 推 ン スルコト イ 開 山 之 意 ン ヲ ア 因 ン テ レ 何 ン言 ニ ン フヤ レ 之、 答 両 師 者 瀉 瓶 之 師 弟 也、 故 源 流 互 ン推 ニ ン、 ス 開 山 ン本 ノ 門 大 戒 ン ニ 云、 勧 請 十 方 応 化 ン 無 ノ 量 諸 仏 本 化 迹 化 諸 大 菩 薩 唯 願 降 臨 道 場 ン 文 ト 、 予 初 疑 ン 謂 テ ン ラク 於 ン テ イ 此 一 大 事 本 門 戒 作 法 ン ニ ア 勧 請 ン 之 ノ 相 疎 略 ン ナルハ 者 何 ン ゾ ヤ 乎、 盍 ン ソ ウ 別 ン請 ニ ン セ イ 久 成 尊 ン ヲ ア 乎、 後 ン拝 ニ ン シ テ イ 燈 師 之 勧 請 ン ヲ ア 得 ン タリ イ 其 意 ン ヲ ア 、 先 於 ン テ イ 道 場 ン ニ ア 懸 ン ケ イ 本 尊 ン ヲ ア 而 ン シ テ 後 請 ン スル イ 一 証 伴 ン ヲ ア 者 ン ナラン 也、 故 予 互 推 ン ス レ 之 ン ヲ (『臨全』一二一頁) 問答形式によって述べられる中に、先の本尊相において、一証は十方応化無量諸仏、一伴は本化迹化諸大菩薩と定 め、さらに日燈の勧請をもって元政の意を推したことに対する、元政 ・ 日燈両師の日臨における位置づけと、その理 由が示されている。すなわち、日臨は両師を「瀉甁の師弟」として捉え、元政の意を慧明の著述をもって理解してい る )11 ( 。 元 政 の 『本 門 大 戒』 は 、「勧 請」 「懺 悔」 「三 帰」 「戒 相」 と 次 第 し て い く が 、 そ の 最 初 の 「勧 請」 に は 、「至 心 勧 請 十方応化無量諸仏本化迹化諸大菩薩唯願降臨道場」の文のみが記されている。日臨は初めこの文を拝した時、この一 大事の本門戒の作法において、勧請の相がこれほど疎略であるのは何故か、なぜ別して久遠本仏を勧請することがな 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
いのかと疑いを起こした。しかし後に日燈勧請の受戒本尊を拝して、元政の『本門大戒』の意を領解した。なぜなら ば、まず受戒荘厳の道場においてこの受戒本尊を奉安し、その後にこの『本門大戒』所説の作法に則して十方応化の 無量諸仏並びに本化迹化の諸大菩薩を勧請するからであると、そして受戒本尊の久遠実成釈迦如来は和上、本化上行 菩薩は伝戒師、 文殊師利菩薩は羯磨阿闍梨、 弥勒菩薩は教授阿闍梨として現前していることから )11 ( 、 さらに別して勧請 した十方応化無量諸仏、本化迹化諸大菩薩は、尊証師、同学伴侶を意味するものであろうと、日臨の捉え方が示され ているのである。 元 政 自 筆 の『 本 門 大 戒 』( 分 類 番 号 上 C191 ) は 巻 子 本 と し て 現 在 も 瑞 光 寺 に 所 蔵 さ れ て お り、 元 政 自 筆 本 を 書 写 し た 日 燈 筆『 本 門 大 戒 』( 分 類 番 号 上 C192 ) も 確 認 す る こ と が で き る )11 ( 。 ま た、 本 尊 相 を 挙 げ る 中 に お い て、 日 臨 は 元 政 の受戒本尊については未だ拝することを得ず、その勧請様式を実見できていない旨を記していたが、筆者も未見であ る。すでに瑞光寺の宝蔵の悉皆調査は大方終わっているが、 その中において該当するものを見出すことはできない )11 ( 。 一方で、 先引の如く、 日臨は「開山 ン本門大戒牒亦如 ノ レ 是」と述べており、 元政の「本門大戒牒」を拝見していたようで ある。残念ながら筆者は未見であるが、ここに日燈の「本門授仏大戒牒」を紹介しておきたい。 写真資料④の「本門授仏大戒牒」は、雛形となったものであろうが、実際に本門大戒を受戒した者に対して、この ような戒牒が授与されたものと考えられる。法量は縦二九 ・ 一センチメートル、横四二 ・ 四センチメートルである。 元政の『本門大戒』は、総戒である南無妙法蓮華経の五字七字をまず受得し、次いで別戒である十重禁戒を重ねて受 けるものである。この本門の大戒は、久遠実成釈迦牟尼仏の説くところであり、本化別頭上行菩薩、日本の日蓮大菩 薩と次第し、草山元政が相承するところである。日燈は自らの師である元政を伝戒師としてこの本門大戒を受け、そ 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
④日燈「本門授仏大戒牒」 瑞光寺文書93 (朱書 ・ 枠線) 称心庵 本門授仏大戒牒 総戒 南無妙法蓮華経 別戒 不殺生戒 不偸盗戒 不貪婬戒 不妄語戒 不酤酒戒 不説四衆 過罪戒 不自讃毀他戒 不慳 法財戒 不瞋恚戒 不謗三宝戒 久遠実成釈迦牟尼仏 ─┐ ┌ ───────── ┘ └ ─本化別頭上行菩薩 ─┐ ┌ ─── ────── ┘ └ ─日域高祖日蓮大士 ─┐ ┌ ───────── ┘ └ ─伝戒師 日政和尚 ── 日燈( (朱書) 印) ( (朱書) 印) 年号月日何々刻 受仏戒弟子某
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本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)し て そ れ を 弟 子 等 に 対 し 転 伝 し て 授 け た こ と が 窺 え る )11 ( 。 元 政 の 大 戒 牒 と な る と 日 燈 の そ れ と は 当 然 異 な る で あ ろ う が 、 日臨の先の文言に基づけば、 久遠本仏、 上行菩薩が記され、 文殊弥勒は記されていなかったことがわかる。 『本門自誓 受戒作法草案』における日臨の解釈に従えば、 久遠実成釈迦牟尼仏は「戒師 )1( ( 」であり、 「妙戒能説之教主 )11 ( 」、 上行菩薩 は 「伝 戒 師 )11 ( 」「能 伝 之 師 )11 ( 」 と な る 。 今 こ の ④ 「本 門 授 仏 大 戒 牒」 で は 、 草 山 の 徒 は 元 政 を 伝 戒 師 と し て 受 戒 の 儀 を 修 し ていることがわかるが、このことについて、日臨は次のように述べている。 信 ン スルカ イ 仏 ン 常 ハ 住 ン ニ シ テ 而 不 ナ 滅 ン 玉ハ 故 ン 、 ニ 必 請 ン シ テ イ 生 身 釈 尊 ン ヲ ア 為 ン ス イ 戒 師 ン ト ア 、 寿 量 品 云、 雖 レ 近 而 不 レ 見 衆 生 既 ン 信 ニ 伏 ン スレハ 時 ン 我 ニ 及 衆 僧 倶 ン 出 ニ ン ト イ 霊 鷲 山 ン ニ ア 、 又 請 ン コト イ 生 身 ン ヲ ア 普 賢 観 文 明 明 ン タリ 、 但 要 ン スル イ 念 力 強 盛 ン ナランコトヲ ア 已、 高 祖 曰 戒体 抄 、 不 レ 須 イ 泥 木 等 ン ヲ ア 是 也、 疑 曰、 若 ン爾 シ ン自 ハ 誓 是 ン正 レ 意 ン ナリ 、 艸 山 何 ン立 ソ ン ル イ 伝 戒 ン ヲ ア 乎、 答 所 謂 伝 戒 転 伝 戒 之 義 歟、 由 ン ルカ イ 自 不 ン ルニ ナ 知 レ 方 ン故 ヲ ン託 ニ ン シ テ イ 先 受 之 師 ン ニ ア 受 レ 之、 是 即 末 代 先 ン トスルカ イ 易 行 ン ヲ ア 故、 況 復有 ン ルヲヤ イ 結縁戒之人 ア 哉、若 ン 伝戒若 ハ ン 自受共 ハ ン 請 ニ ン ス イ 生身釈尊 ン ヲ ア 云云 (『臨全』一二三頁) これは、 七箇の本尊相に料簡を加えた段に続く、 「次祈 イ 求 ン スルニ 好相 ア 二、 先述 ン シ イ 自誓 ン因縁 ノ ン ヲ ア 、 次辨 ン ス イ 好相 ン ヲ ア 」の段の第一、 自誓の因縁を述べる中にみられる一節である。経釈疏の諸説を挙げた後に、自らの見解を示している。仏は常住にし て滅せずと信ずるが故に、 必ず生身の釈尊を勧請して戒師となすことを、 寿量品等を経証として説き、 それに対して、 自誓が正意であるのになぜ草山は伝戒を立てるのかという問いを設けている。これは、④の「本門授仏大戒牒」に示 されるように、 草山では伝戒師として元政を立てていることを受けての言であろう。この疑難に対して、 日臨は伝戒、 転伝戒の義かとして、自らその作法を知らないために先に受戒した師に託して受戒を行う故であり、これは末代は易 行を先とすることによるものであると述べている。 このように、草山(これは元政のではなく元政以降のものであるが)における受戒作法について、日臨はその意を 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
汲 ん で い る こ と が 窺 え る。 そ し て 自 身 も 七 箇 の 本 尊 相 を 挙 げ、 料 簡 を 述 べ た 上 で、 「 就 レ 中 艸 山 ン 勧 ノ 請 ン 兼 ハ イ 本 迹 ア 最 為 ン ス イ 綿 密 ン ト ア 、 故今憑 レ 之 )11 ( 」と、 自ら自誓受戒を行う上において、 この草山の勧請の本尊に拠ることを明らかにしている。実際 に、日臨が文政二年四月八日夜半に顕した受戒本尊(写真資料⑤)は、先に掲載した日燈の受戒曼荼羅と同じ勧請様 式である )11 ( 。 しかし、 日臨は草山の影響を強く受けるといっても、 「此節之艸山の風、 野生の心には叶不申候 )11 ( 」、 或いは「艸山な そは実に昔の影もなき事に候へ共 )11 ( 」等と述べるように、 当時の草山のありようには堪えかねるところがあり、 転伝戒 というあり方は取っていない。また、元政の末流として自己を規定し、元政に直接連なろうとするが、元政を伝戒師 として立てるのではなく、 本化上行菩薩即ち日蓮聖人を伝戒師として勧請している )11 ( 。また、 元政の『本門大戒』に多 くを拠りながらも、受戒本尊として 久遠本仏等を勧請した上で、さらに 受戒作法の中においても、久遠本仏 か ら 勧 請 を 行って い る )11 ( 。 こ れ ら の 日 臨の受戒作法も、或いは元政自身と 同じく直接本化上行高祖日蓮大菩薩 から受けるという意図が込められた ものであり、また末代の凡師が受戒 の際に自らと同じ疑惑を起こさぬよ ⑤日臨 受戒本尊 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
う「易解」を先とする意識が働いたものかもしれないが、日臨の受戒作法については、改めて元政との関連の中で別 に論じたい。ただやはり自誓受戒の作法においては、元政からの影響が非常に強く認められ、日臨が受けるところの 戒は、 「妙法本円総別二戒」即ち南無妙法蓮華経と十重禁戒であり、元政の受戒と同じである。 『本門自誓受戒作法草 案』では、 十重禁戒については第二戒以降の記載が省略されているが、 全体的に元政の『本門大戒』に基づきながら、 それをさらに詳述し、また項目も付加した印象を受けるものである )1( ( 。
四、受戒の精神
日臨の『本門自誓受戒作法草案』に基づき、日臨の受戒本尊について若干の考察を行い、草山の勧請様式に随って 受戒曼荼羅を図顕し、元政と同じく総戒である妙法五字七字、また別戒である十重禁戒を日臨も受戒したことを確認 した。そこで本項では、 この受戒が日臨において如何なる意義を持つものか、 日臨における受戒の位置づけについて、 さらに考察を進めていきたい。この受戒の精神においても、やはり元政からの影響が強く認められ、したがって元政 との関連の中で論じていくこととする。なお、先にも触れたが、日臨の受戒の精神については、種々の教義が密接に 関 連 し て い る 。 こ こ で は 日 臨 の 主 著 で あ り 、 日 臨 の 戒 観 が ま と ま って 論 じ ら れ て い る 『本 化 別 頭 教 観 撮 要』 の 「戒 法」 の説示の展開を基本とし、そこに他の著作 ・ 書簡等の類文をもって考えていくこととしたい )11 ( 。 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)(一)総別二戒 1、総戒 日臨は、 『本化別頭教観撮要』において「総戒」について次のように述べている。 二 明 イ 戒 法 ア 乃 有 レ 二、 一 総 戒、 二 別 戒、 初 ン総 ニ 戒 者、 夫 本 地 難 思 ン大 ノ 戒 ン者、 ハ 久 遠 如 来 之 所 ン ロ イ 護 持 ン シ 玉フ ア 、 本 化 菩 薩 之 所 ン ロ イ 伝 来 ン シ 玉フ ア 也、 具 ン シ イ 一 切 ン 戒 ノ ン ヲ ア 摂 ン ス イ 一 切 ン 善 ノ ン ヲ ア 、 所 謂 人 天 ン 五 ノ 戒 十 善、 小 乗 ン 二 ノ 百 五 十 戒、 菩 薩 ン 三 ノ 聚 浄 戒 十 重 禁 四 十 八 軽 戒、 及 迹 門 ン ノ 大 戒 三 如 来 衣 座 室 戒、 身 口 意 誓 ン四 ノ 安 楽 行 戒 等 尽 ン在 ク イ 其 中 ア 矣、 経 云 此 経 ン是 ハ ン十 レ 方 ン諸 ノ 仏 ン眼 ノ 目 ン ナリ 、 因 イ 由 ン是 テ ン経 ノ ン ニ ア 自 然 ン成 ニ イ 就 ン五 ス 分法身 ン戒定慧解脱解脱知見 ノ ン ヲ ア 、 諸仏如来従 イ 此法 ア 生 ン、 ス 又云此経 ン難 ハ ン シ レ 持 ン若 チ ン暫 シ ン クモ 持者 ン、 ハ 我即 ン歓喜 チ ン諸仏 ス ン亦然、 モ 是 ン名 ヲ ン ク ク 持 レ 戒行 イ 頭陀 ア 者 ン ト カ 、即 為 コレ 疾 ン 得 ク ン タルナリ イ 無上仏道 ア 已上 経文 (『臨 全』 九 四~九 五 頁) そしてさらに、 日蓮聖人の『観心本尊抄』三十三字段、 『教行証御書 )11 ( 』、 並びに『御義口伝 )11 ( 』の一節を引き、 「当 レ 知 正 直 捨 ン テ レ 邪 ン帰 ヲ ン シ イ 妙 法 ン ニ ア 念 々 無 ン クンハ イ 間 断 ア 則 法 爾 ン具 ニ イ 足 ン万 ス 戒 ン ヲ ア 、 是 ン名 ヲ ン ク イ 総 戒 ン ト ア )11 ( 」 と、 総 戒 に つ い て の 説 示 を 結 ん で い る。 右 に 引 用 した文は、 『本門自誓受戒作法草案』の「正受戒」の段にも見られるが(表の⑦) 、この説示は、廣上塔貫師が指摘す るように、 元政の『本門大戒』に依拠したものである(表の㉑参照) 。元政の「戒相」に随い総戒について述べ、 妙法 五字を造次顛沛にも間断なく受持するところに自然と万戒を具足する、これが総戒であると規定するのである。 この一切の戒を具え、一切の善を摂めた総戒を受けた上で、さらに重ねて別戒として十重禁戒を受持するわけであ るが、では何故に別戒を受ける必要性があるのか。そもそも別戒とは如何に位置づけられるのであろうか。 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
2、別戒 日臨は別戒である十重禁戒は、その根本は法華経本門にあり、その文は『仏説観普賢菩薩行法経』に出づるもので あるが )11 ( 、『梵網経』を借りてこれを十重禁戒と題するという )11 ( 。 総別二戒の関係については、 総戒に別戒があるのは、 実相に諸法があるのと同じであり、 「須 ン ク レ 知 ン総戒 ル ン是正行別戒 ハ ン是 ハ 助 行 也、 而 由 ン テ イ 総 戒 ン ニ ア 立 ン テ イ 別 戒 ン ヲ ア 、 依 ン テ イ 別 戒 ン ニ ア 護 ン ル イ 総 戒 ン ヲ ア 、 事 理 雖 レ 異 ン不 ト 思 議 一 ン ナリ )11 ( 」 と 述 べ て い る。 す な わ ち、 総 戒 と 別 戒 は 正 行 ・ 助行の関係にあり、総戒から別戒が出づるものであって、別戒によって総戒を護ることになる、この総別二戒は 実には同一であるとする。また、二戒を本迹に配すれば、総戒は本門、別戒は迹門となる。これは、結要の五重は本 迹を結要し、擣簁和合は本迹を和合する故に本門はただ総戒であり、普賢観経は流通還迹の故に迹門の戒となるとし ている )11 ( 。日臨には『本門十重禁戒の事』という著述があり、総別二戒について同様の解釈がみられる。 十重禁は観普賢経に出たり、則六重七重と云是なり、然るを十重禁と名を結ぶ事は梵網等の経をかりたる也、然 れば十重禁は迹門の戒なれ共、惣戒が本門より出たる故、開迹顕本して本門の戒と名る也、惣戒とは三学倶伝名 曰妙法と云南無妙法蓮華経是也( 『臨全』一一五頁) 本書では、十重禁戒の第一不殺生戒から第十不謗三宝戒に至るまでの十戒について解説が加えられているが、元政 の『 本 門 大 戒 』 で は、 第 三 が「 不 貪 婬 戒 」、 第 八 が「 不 慳 法 財 戒 」 で あ る の に 対 し て、 「 第 三 不 邪 婬 戒 )11 ( 」「 第 八 不 慳 貪 戒 )1( ( 」と示されること、 また十戒を挙げ、 「十重禁戒の大意略してかくの如し、 然もいろいろの法門ある事なれ共、 在家 のくはたて及ぶ事にもあらざれば皆略す )11 ( 」と述べることからも、 在家者を対告として著されたものと考えられる。故 に『本化別頭教観撮要』よりも平易な内容で説かれているが、この文言に続けて、さらに次のように総別二戒の関係 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
を教示している。 抑法華経の肝心妙法五字は一得永不失の戒とて、能々持てば下根の行者も一生のうちに妙覚の位に入るほどの大 法なれば、仏道を求ん人々は心かけて此十重禁戒を力の及ぶほどに持ちて、正行の妙法をたすけ修行すべき也、 経文に随力演説と云ふ事あり、是は題目を持つ正行の外に自力に及ぶほど人に説きてきかする事也、今も亦その 如く力に随って持戒をも心かくべき也、末法は無戒の時也と云ふて持戒をきらふは経文と御書との修練たらざる 故なるべし、南無妙法蓮華経( 『臨全』一一七頁) 総戒である妙法五字は、能く受持すれば下根の行者であっても即身成仏の大果を得ることのできる大法である。こ の 五 字 を 能 く 持 つ た め に も、 別 戒 で あ る 十 重 禁 戒 を 自 ら の 力 の 及 ぶ 限 り 持 た な け れ ば な ら な い と、 先 と 同 様 に 正 行 ・ 助 行 の 関 係 に あ る こ と が 示 さ れ る 。 そ し て 、「随 力 演 説」 と は 、 持 戒 に お い て も 常 に 心 が け な け れ ば な ら な い 法 門 で あ り 、「末 法 無 戒」 を 標 榜 し て 持 戒 を 嫌 う こ と は 、 法 華 経 並 び に 御 書 の 修 練 が 足 り な い も の で あ る と 厳 し く 戒 め て い る 。 日臨が非常に重視した「随力演説」の精神は、持戒においても転用され、戒の取捨がなされているのである。この考 え 方 は 在 家 者 に 対 し て だ け で な く 、『本 化 別 頭 教 観 撮 要』 等 諸 処 に 説 か れ る と こ ろ で あ り 、 な ぜ 別 戒 と し て 十 重 禁 戒 を 持つのかという答えにもつながっていく。 今云若論 ン セハ イ 法義 ン ヲ ア 須 レ 取 ン ル イ 諸戒 ン ヲ ア 、 約 ン セハ イ 時運 ン ニ ア 者須 レ 取 ン ル イ 十戒 ン ヲ ア 、 若於 ン テハ イ 進者 ン ニ ア 諸戒亦可 ン ナリ 、 猶 ン如 ヲ ン シ ク 叡山 ン制 ノ ン スルコト イ 小律 ン ヲ ア 厳 ン ナルモ 有 ン レハ レ 機許 ン スカ ニ 之 ン ヲ (『臨全』九七頁) 『本化別頭教観撮要』では、 この文によって別戒についての解釈が結ばれており、 教 ・ 時 ・ 機の三つの基準から戒の 取捨を判じている。すなわち、教によれば諸戒を取るべきであり、時によれば十戒を取るべきである。ただもし機根 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
の優れた者、さらに修行が進んで行った者においては、十戒に限ることなく諸戒をも持つべきあるとして、叡山をそ の先例として挙げている。日臨は「行者の意得は、 なるたけ高き方が本意なり )11 ( 」とも述べるように、 志を高く持ち進 んで修行すべきことの重要性を説くが、 大判である時に対して、 機は小判となる )11 ( 。したがって、 時に約して十重禁戒 を別戒とすることを正意とするのである。 『本門自誓受戒作法草案』では、 「諸経 ン所 ニ レ 説戒相甚広 ン、 シ 具 ン取 ニ ン ラハ イ 其相 ン ヲ ア 恐 ン欺 ハ ン カン イ 三 宝 ン ヲ ア 、願 ン約 ハ ン シ テ イ 十重 ン ニ ア 能 ン護 ク イ 持 ン セン 之 ン ヲ ア )11 ( 」と述べ、末法の通機に約して十重禁戒を別戒と定めていることがわかる。 (二)受者の位階 このように末法という時に重きを置いて別戒を規定し、自らの力に応じた持戒の精神を強調するが、初めからこの 別戒受持を勧奨しているわけではない。 然 ン末法 ニ ン行者初心 ノ ン一向 ハ ン本門 ニ ン総戒、後心 ノ ン兼 ハ ン ネ イ 本迹総別 ン ヲ ア 以流 イ 伝 ン正法 ス ン ヲ ア 、故 ン分別品 ニ ン有 ニ イ 兼正 ン六度 ノ ア (『臨全』九七頁) 末法の行者について、機によって受戒の異なることを示し、初心の行者はただ本門の総戒を受持すること、後心の 行者は本迹の総別二戒を兼ねて受持することによって正法を伝弘することができるというのである。そしてこれを分 別功徳品の滅後の五品をもって経証としている。 そこで、 『本化別頭教観撮要』の展開に倣い、 次に受者の位階について考察を進め、 別戒受持の位階を明らかにして いきたい。 三判 ン セハ イ 受者 ン位階 ノ ン ヲ ア 、蓋 ン夫 シ ン戒 レ ン トハ 者諸悪莫作衆善奉行矣、何 ン悪 ノ ン不 カ ン ン レ 制 ン、何 セ ン善 ノ ン不 カ ン ン レ 修 ン、但顧 セ ン ミル イ 機 ン堪不時 ノ ン適不如何 ノ ン ント ア 而已 (『臨全』九七頁) 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
前 項 の 総 別 二 戒 に 続 い て 、「受 者 の 位 階」 の 説 示 は こ の 文 か ら 始 ま って い る 。 機 と 時 の 二 つ が 受 戒 に お い て 大 き な 判 断 基 準 と な っ て お り、 こ れ に よ っ て 如 何 な る 戒 を 持 つ か が 決 す る。 こ の 説 示 は、 『 三 大 秘 法 之 辯 』 に て「 問 戒 ン得 ノ 名 如 何、 答主 ン ル イ 防非止悪 ン ヲ ア 、 受 イ 持 ン スル 妙法 ン惣別 ノ ン戒 ノ ン ヲ ア 人 ン離 ハ ン ル イ 謗罪已去一切 ン諸悪 ノ ン ヲ ア )11 ( 」と、 戒の働きは「防非止悪」であり、 妙法の総別 二戒を受持する者は謗法罪を逃れ一切の諸悪を離れることができると示された後にもみられ、日臨における受戒の根 本的な考え方として提示されている。時 ・ 機に拠るが故に日蓮聖人の教示も一様ではないが、この末法という時にお いて如何なる機に別戒受持が求められるのか。 1、滅後の五品 日 臨 は 、『四 信 五 品 鈔』 や 『得 受 職 人 功 徳 法 門 鈔』 を 挙 げ な が ら 、 末 法 と い う 時 の た め に 説 か れ た 分 別 功 徳 品 の 五 品 に約して持戒を論じている。受戒は兼行六度品 ・ 正行六度品の四五品の機に許されたもの、随喜品 ・ 読誦品 ・ 説法品 の初二三品の機に対しては持戒を制止する、 これを基本としている )11 ( 。『得受職人功徳法門鈔』 の説示から考えれば、 修 学解了の上品下品の二師となる四五品に )11 ( 、 持戒を含む三学をともに修すべきことが求められる理由は、 令法久住のた めであった。 熟思 ン フニ ウ 経文 ン四五品 ニ ン許 ニ ン スコトヲ イ 三学 ン ヲ ア 、 凡 ン諸経明 ソ ン ス イ 法滅 ン相 ノ ン ヲ ア 皆由 ン ル ウ 沙門失 ン フニ イ 威儀 ン ヲ ア 、 後周滅 ン スル イ 仏法 ン ヲ ア 等即是也(中略)僧本 ン化 ト ン スル レ 俗 ン者 ヲ 也、然 ン失 ニ ン スル イ 威儀 ン ヲ ア 故 ン却 ニ ン為 テ ン ル イ 俗 ン所 ニ ナ 制 ン、何 セ ン由 ニ ン法久住 テ ン セン 、涅槃 ン扶律談常良 ノ ン有 ニ ン ル レ 以 ン哉( ヘ 『臨全』九九頁) 僧が威儀を失うことによって、仏の教えが滅尽していく。本来俗を教化教導する僧が、戒律を失うことでかえって 俗に従えられることになってしまう。これでは「令法久住」という大願を果たすことはできない。ここに『涅槃経』 の扶律談常の精神が強く響いてくるのである。 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
按ずるに、 この文も草山の真意を悟るものというべきであろう。 『涅槃経』における扶律談常の精神を重視し、 これ を抜粋して十門に分かって叙したのが、 元政の『如来秘蔵録』である )11 ( 。本書「第九 三法相資門」には、 「仏、 為 ン ニ ク 末 代 ン凡夫 ノ ン定 ノ イ 執 ン一実 シ ン ヲ ア 、 誹 イ 謗 ン シ テ 方便 ン ヲ ア 以 イ 甘露 ン ヲ ア 為 ン ルカ キ 毒薬 ン ト カ 、 故 ン重 ニ ン示 テ ン シ テ イ 三学 ン ヲ ア 令 ン ム イ 即 ン シ テ レ 事 ン而真 ニ ン ナラ ア 、 是 ン三即 ノ ン一、 チ 不 イ 須臾 ン離 モ ン レ ア 、 如 ン シ ウ 衣食処 ン ノ 相 藉 ン持 テ ン スルカ イ 身 命 ン ヲ ア )11 ( 」 と、 釈 尊 が 涅 槃 に 臨 ん で 三 学 を 示 し た 理 由 を 述 べ る が、 こ れ は、 「 如 来 秘 蔵 録 序 」 に て 説 か れ た 次 の 一節を受けている。 蓋 ン 法 シ 華 ン 戒 ノ ン 者 ハ 四 徳 一 心 ン 不 ノ 思 議 戒、 戒 能 ン 持 ク ン ス レ 人 ン 、 ヲ 譬 ン ヘハ 如 ン シ ウ 乗 ン テ レ 船 ン 乗 ニ 到 ン ルカ イ 彼 岸 ン ニ ア 、 所 謂 ン 無 ル 戒 無 持 無 ン ク イ 戒 ン ト シ テ 不 ン ト云コト ナ 備 ン 、 ヘ 無 ン シ イ 持 ン ト シ テ 不 ン ト云コト ナ 完 ン カラ 、 只 ン顧 タ ン ル イ 行者何如 ン ト ア 而 ノ ミ 已 、 昔有 ン リ レ 人、 久 ン事 ク ン フ イ 吉祥天 ン ニ ア 、 遂 ン感 ニ ン ス イ 徳缾 ン ヲ ア 、 缾中 ン ヨリ 出 ン ス イ 一切 ン宝 ノ ン ヲ ア 、 此 ン人忽 ノ ン起 チ ン シ テ イ 驕慢 ン ヲ ア 挙 ン テ イ 双脚 ン ヲ ア 踏 ン ム レ 缾、缾即 ン破 チ ン レテ 矣宝 ン亦尋 モ ン失 テ ン、法華 ス ン行者 ノ ン亦或 モ ン リ レ 類 ン スルコト イ 于此 ン レニ ア 、故 ン吾 ニ ン仏臨 カ ン テ イ 般涅槃 ン ニ ア 重 ン明 テ ン シ テ イ 戒門 ン ヲ ア 、示 ン ス ク 叔世 ン凡夫 ノ ン酔 ノ ン ヘル イ 甘露 ン ニ ア 者 ン ニ カ )1( ( 法 華 経 の 行 者 に お い て も 、 一 切 の 戒 を 摂 し 成 仏 得 道 の 法 で あ る 法 華 経 の 戒 ・ 妙 法 を 持 て ば 、 驕 慢 の 心 を 起 こ し て 却っ て悪道に堕すことがある。故にこの甘露に酔える末法の凡夫に対して、釈尊が『涅槃経』において重ねて戒の法門を 説いたというのである。したがって、法華の戒である妙法五字のみに誤って固執し、戒定慧の三学等を誹謗して、こ の甘露を毒薬と化してしまう末代の凡夫のために、再び三学が説かれたのであって、この三即一の三学を持つことに よって法命が相続されていくのである。 そしてさらに、 元政がこの『如来秘蔵録』とともに尊重し珍敬すべき「大師」と定め遺言した『草山要路 )11 ( 』では、 「嗚呼、 叔世 ン寡薄、 ノ 雖 ン ヘトモ イ 於 ン テ レ 法 ン不 ニ ン ト ナ 全 ン カラ 、 庶幾 ン クハ 三学分 ン修 ニ ン シ テ 、 資 イ 成 ン センコトヲ 正業 ン ヲ ア 、 不 ン ンハ レ 爾 ン何 ラ ン以 ヲ ン令 カ ン ン イ 法 ン ヲ シ テ 久住 ン セ ア )11 ( 」と示されている。元 政は深草に集った門弟に対して、三学を自らの分に応じて修し、正業の題目受持を資成することを要請した。なぜな らば、これによってはじめて「令法久住」の願業を果たすことができるからである。 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
先 の 日 臨 の 説 示 に は 元 政 か ら の 大 き な 影 響 が 認 め ら れ 、『如 来 秘 蔵 録』 や 『草 山 要 路』 の 教 示 を 、 元 政 が 自 ら に 対 し てなした教導として受け止めた日臨の姿が窺えよう )11 ( 。 一方、 弟子の位となる初二三品については、 原則として持戒を制するが、 その故は、 「文句九云初心 ン畏 ハ ン ル ク 為 ン テ ウ 縁 ン所 ニ イ 紛 動 ン セラ ア 障 ン ンコトヲ ニ 修 ン スルヲ イ 正業 ン ヲ ア 、 直 ン専 ニ ン持 ラ ン チ イ 此経 ン ヲ ア 廃 ン シ テ レ 事 ン存 ヲ ン スレハ レ 理 ン所益弘多 ヲ ン ナリト 已 上 、 即其義也 )11 ( 」と述べるように、 初心の者が兼ねて持戒等の 五度を行ずれば成仏の正因である信を妨げるおそれがあるためであり、ただ題目のみを持つことで成仏の利益を得る ことができるからである )11 ( 。但し、 この位においても「戒根有って、 喜んで之を修する者には之を許す )11 ( 」と、 機の堪不 によって判ずべきことが説かれている。そしてさらに、たとえ出家の者であっても、自行 ・ 化他にわたって害がある 場合は、戒が制せられることになる。 然 ン 初 ニ 二 三 品 之 中 有 ン リ イ 出 家 ア 何 ン 故 カ ン 制 ソ ン スル レ 戒 ン 、 ヲ 自 行 化 他 共 ン 有 ニ レ 害 故 ン ナリ 、 自 行 ン 害 ノ ン トハ 者 見 ン ルニ ウ 諸 経 ン 説 ニ ン クヲ イ 末 法 ン 相 ノ ン ヲ ア 宛 ン 如 モ ン シ イ 符 契 ン ノ ア 、 仏 既 ン 知 ニ ン ル イ 甚 ン タ 不 ン ザル ナ 堪 ン何 ヘ ン可 ソ ン ンヤ レ 強 ン乎、 ユ 化 他 ン害 ノ ン トハ 者 初 学 レ 達 ン セ イ 開 遮 ン ニ ア 杻 イ 梏 ン律 シ 儀 ン ニ ア 、 妨 ン ケ イ 化 他 ン ヲ ア 、 下 種 失 ン フ レ 時 ン、 ヲ 況 ン人 ヤ ン機 ノ 漸 ン濁 ク ン強 ル ン拘 テ ン スレハ イ 律 儀 ン ニ ア 、 堂 宇 恐 ン クハ 廃没 ン セン 、如 レ 此之事如 ン シ イ 知見 ン ノ ア 、故 ン但 ニ ン勤 タ イ 五種 ン妙行 ノ ン ヲ ア 也( 『臨全』九九頁) すでに末法という時の機根は釈尊が知見し制しているところであり、ただ題目受持の妙行に勤めることが第一とな る。ただ、 日臨はこれに続けて「当 レ 知内勤 イ 修 ン五種 シ ン ヲ ア 外制 ン ス イ 肉婬等 ン ヲ ア 、 自余 ン随 ハ レ 宜加 ン テ レ 慎 ン可也、 ヲ 若 ン欲 シ ン スル イ 位 ン進 ノ ン ムヲ ア 者 ン又不 ハ レ 制 ン也 セ )11 ( 」 と述べるように、末法という時の機の大判はかくあっても、宜しきに随って行ずべきであり、さらに志をもって進ま んと願う者に対しては、この限りではないと重ねて強調しているのである。 2、六即 『本化別頭教観撮要』では、 さらに受者の位階の説示が続いていき、 日蓮聖人の教示を顕露と深秘の二意から釈して 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
いる。ここでは六即に即し、深秘釈において次のように述べている。 深 秘 ン ヲイハバ 、 自 イ 名 字 ア 至 イ 妙 覚 ア 諸 位 悉 ン説 ク ン、 ク 有 ン次 ハ 位、 有 ン無 ハ 次 位、 次 位 ン約 ハ ン シ テ レ 解 ン説 ニ ン キ レ 之 ン、 ヲ 無 次 位 ン約 ハ ン シ テ レ 信 ン言 ニ ン フ レ 之 ン、 ヲ 而 以 ン テ レ 信 ン決 ヲ ン ス イ 成 仏 ン ヲ ア 、 故 ン位 ニ 々 皆 成 ン ス イ 即 身 是 仏 ン ヲ ア 、 所 ン ノ レ 言 信 ン トハ 者 於 ン テ イ 入 ン ルノ レ 海 ン人 ニ ン ニ ア 尚 ン無 ホ ン シ イ 浅 深 ア 、 又 況 ン海 ヤ ン ヲヤ 乎、 是 決 ン シ テ 非 イ 勧 ン ル レ 信 ン方 ヲ 便 ン ニ ア 、 久 成 ン直 ノ 機 真 ン ニ 若 レ 斯矣、如 ン キ イ 水性 ン冷 ノ ン ナルカ ア 不 ン ンバ レ 飲何 ン知 ソ ン ン (『臨全』一〇〇頁) 顕露釈においては名字即を末法の正位とするが、深秘釈では名字即から妙覚に至るまでの諸位を悉く説き、解にお いては修行の階位を立てるが、信においては立てず、信をもって成仏を決定する故に修行の階位それぞれにおいてみ な「即身是仏」を成ずるというのである。この信と解の関係については後に触れたいが、この六即の階位について、 さらに「本師日啓上人に奉る書」から詳しくみたい。 高祖判 ン シ テ イ 別途 ン 六即 ノ ア 曰 ン 、 ク 頭 ン 頂 ニ イ 戴 ン スル 妙法 ア 時 ン 名字即也、 ハ 聞而修行 ン スルハ 観行即也、 伏 ン スルハ イ 惑障 ア 相似即也、 出 ン ツルハ イ 於化他 ン ニ ア 分真即也 ン ト 略 文 、 所 謂 頂 戴 ン スル 時 ン者、 ト 如 サ キ 向 ン所 ニ ン ノ レ 引 ン ケル 向 記 ン同 ト 意 ン ニ シ テ 、 受 戒 之 時 也、 既 ン受 ニ ン ルトキハ レ 之、 則 向 ン テ イ 本 尊 ン ニ ア 不 ン ンヤ レ 唱 ン乎、 ヘ 既 ン唱 ニ ン フルトキハ レ 之、 則 不 ン ンヤ レ 信 ン セ イ 自己 ン色心本有尊形 ノ ン ナルコトヲ ア 乎、 是 ン名 ヲ ン ク イ 観行即 ン ト ア 、 此 ン信漸 ノ ン深 ク ン トキハ 、 則任運不 ン ン ク 絶 ン チ イ 諸見 ン ヲ ア 成 ン ゼ ニ 忍 ン乎、 ヲ 是 ン名 ヲ ン ク イ 相似即 ン ト ア 、 自行已 ン満 ニ ン ズレバ 則不 ン ン レ 出 イ 於化他 ン ニ ア 乎、 是 ン 名 ヲ ン ク イ 分真即 ン ト ア 、 理即 ン 与 ト ン トハ イ 究竟 ア 不 アラザ ン ルガ イ 今 ン 詮 ノ ン ニ ア 故 ン 、 ニ 暫 ン 置而不 ク レ 論也、 雖 イ 如 ン ク レ 是次第 ン スト ア 、 本 ン 是 ト ン 不思議 レ ン 一 ノ 位 也、 境 ン与 ト レ 行 本 来 妙 法、 行 者 ン亦 モ 復 雖 イ 本 来 自 オ 覚 ン ナリト ア 、 凡 情 自 ミ 見 ン ル イ 迷 ン凡 ノ 夫 ン ト ア 、 然 ン ルニ 持 ン ツトキ イ 妙 法 ン ヲ ア 妙 ン復 ニ ン シ テ イ 性 本 ン ニ ア 、 無 レ 前 ン ナラ 無 レ 後 ン ナラ 、 本 来 寂 静、 而 ン受 モ イ 持 ン スルニ 之 ン ヲ ア 、 信 行 不 レ 能 レ 無 イ 浅 深 ア 、 是 ン所 ノ ユ エ 以 ン立 ニ イ 妙 位 ン ヲ ア 也、 当 ン ニ レ 知 ン吾 ル ン門 カ 順 縁 之 機 ン有 ニ ン ルコトヲ イ 不 思 議 次 第 ア 、 如 ン キハ イ 弘 法 ン ノ ア 是 ン化 レ 他 ン行、 ノ 至 ン テ イ 分 真 ン ニ ア 可 ン シ イ 方 ン得 ニ ナ 之、 如 ン キハ イ 名 字 観 行 相 似 ア 也、 聞 ン テ イ 権 教 不 成 法 華 即 成 之 説 ン ヲ ア 而 堅 権 議 受 持 之 日 ン、 ニ 以 ン テ 要 ン スルノミ レ 不 ン ンコトヲ レ 失耳、 設 ン雖 ヒ レ 有 ン ト イ 少 ン シ キ 化他 ン行 ノ ア 、 未 ン タ レ 得 ウ 名 ン為 テ ン コトヲ イ 化他 ン ト ア 、 其進退無 ン ク レ 過無 ン ク イ 不及 ア 、 可 ン ノミ レ 得 レ 宜 ン已、 ヲ 郷来所 ン ハ レ 述、 本化 別頭絶倒 ン 妙談也、 ノ 六即 ン 唯信 ハ ン 為 ヲ ン ス イ 依地 ン ト ア 、 故 ン 名字最下根 ニ ン 行者 ノ ン ニ シ テ 、 不 ン ルモ レ 得 ウ 歯 イ 牙 ン ニスルコトヲ 一句 ア 、 若 ン 深信深志 シ ン ニ シ テ 、 不 ン ンハ レ 容 ン レ レ 偽 ン 者、 ヲ 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
必定 ン シ テ 於 イ 一生 ン ニ ア 、入 ン ル イ 于妙覚 ン 極位 ノ ン ニ ア 也矣耳( 『臨全』二〇六~二〇七頁) 本書では『御義口伝 )11 ( 』の説示に基づき、 妙法五字の総戒を受戒する時を名字即、 これを受け本尊に向かって唱え自 己の色心を本有の尊形と信ずる時を観行即、信心を深くして諸見を絶ち自行を成ずる時を相似即、そして自行を成就 して化他に出る時を分真即と規定し、ここから、先の『本化別頭教観撮要』の説示と同じく、次位 ・ 無次位について 述 べ る 中 で 、 題 目 受 持 の 信 行 を 修 す 順 縁 の 機 に お い て 不 思 議 の 次 第 が あ る こ と を 主 張 し て い る 。 す な わ ち 、 弘 法 と い っ た化他行は分真即に至ってはじめて行うべきものである。名字即 ・ 観行即 ・ 相似即は法華独一成仏の法を聞いてこれ を堅く一心に受持する段階であって、たとえ一分の化他があってもこれを化他とは名づけないと、厳しく信行の次第 を定めているのである。 本書では右の説示に先立って、日臨の自行化他の精神が説かれており、この六即の次第もこれに依拠したものとい える。 頗 もし 有 ウ 自行未 ン シ テ レ 満 ン先 セ ン ニスル イ 化他 ン ヲ ア 者 ン、大抵他 ハ ン無 ニ ン シ テ レ 益亦損 ン センノミ レ 己 ン、是 ヲ ン名 ヲ イ 破敗 ン菩薩 ノ ン ト ア (『臨全』二〇六頁) これが日臨における自行化他の位置づけである。自行の成就なくして化他の功はないことを強く述べている。それ 故に自行を専ら表にして、化他はあくまで随力演説の分としたのであったが、すでに述べたように、この精神は草山 の立意であり、元政の教えであった。表の③においても挙げたこの文は、日臨自身の言として記されているが、ここ においても元政からの非常に大きな影響をみることができる。 a、自行若 ン満 シ ン スレハ 必 ン有 ス ン リ イ 化他 ア 、豈徒 ン タニ 厭 イ 却 ン シ テ 塵累 ン ヲ ア 耽 イ 著 ン スル 閑淡 ン ニ ア 者 ン ノナラン 哉、斯 ン人遂作 ノ ン ランコト イ 大法 ン柱石 ノ ン ト ア 、此 ン吾 レ ン所 カ ン ナリ レ 期 ン スル 也 (『艸山集』四二頁) 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
b、曰自行 ン 則 ハ ン 可 チ ン ナリ 也、如 レ 無 ン ヲ イ 利他 ア 何 ン 、曰利他 ン ン 在 ハ ン リ イ 自行 ン 中 ノ ン ニ ア (『艸山集』一三二頁) c、 忍力未 ン タ レ 満 ン、 タ 強 ン施 テ ン ハ イ 慈行 ン ヲ ア 、 所謂掬 ン シ テ レ 湯 ン投 ヲ ン ス レ 冰 ン、 ニ 翻 ン添 テ ン フ イ 冰聚 ン ヲ ア 、 化他無 ン シ テ レ 功、 却 ン廃 テ ン ス イ 自行 ン ヲ ア 、 名 ン ク イ 之 ン破敗 ヲ ン菩薩 ノ ン ト ア 、 忍力已 ン満 ニ ン、 テ 斯 コヽ ン施 ニ ン ストキハ イ 慈行 ン ヲ ア 、所謂無 ン ク レ 縁無 ン ク シ テ レ 念普 ン覆 ク ン フ イ 一切 ン ヲ ア 、任運 ン抜 ニ ン キ レ 苦 ン、自然 ヲ ン与 ニ ン フ レ 楽 ン ヲ (『艸山集』一六九頁) これらはいずれも『艸山集』にみられる説示である。aの文は、元政の友であった一相院日守(日蓮宗浄心寺第三 世)に対して宛てられた「南紀澄公に復する書」の一節である。ここでは、自行が成就したならば、必ず化他がそこ に含まれていることが示されている。俗世間から離れた生活を送るのもあくまで自行成就のためであり、自行を成就 した者こそが「大法」を支える、護法の働きをなすことができるのであって、元政自らこれを期しているというので ある。bの文は、妙顕寺時代からの元政の弟子で若干二十歳で化した尊中日勝の生き方について綴った「知足庵日勝 行状」の一節である。ここでは端的に化他は自行の中にあることを述べている。cは元政が弟子の性孝(後の大中院 日孝)に慈忍と名付けた際、性孝の請いに応じてその慈忍の意味を説いた「慈忍説」にみられる一節である。まず冒 頭に、 菩薩の化他を慈といい、 菩薩の自行を忍ということが示され )11 ( 、 さらに教示が進む中で、 「忍力」即ち自行が未だ 成就しないうちに、強いて「慈行」即ち化他を施せば、化他の功がないばかりか、かえって自行を廃することになる と説く。そして、これを「破敗の菩薩」といい、自行が成就して後、化他の行に出づることによって、抜苦与楽とい う真の化他を自然に成すことができると述べるのである。 右の三文はすべて本宗の出家の師に対する教示及び記述であり、ここに元政における自行化他の位置づけを見るこ とができよう )1( ( 。 日臨の自行化他の精神は、元政のcの文と全く同じ内容であり、その表現も元政に倣っていることが明瞭である。 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
表の⑩の文も元政のこうした説示から出たものであり、 「宗門の内法」を継ぐためにも、 真の化他を成すためにも、 ま ず自行に専念しなければならなかったのである。 3、別戒受持の位階 日臨は、時の適不と機の堪不という大小二判から、総別二戒の受持について論を進め、初心 ・ 後心、滅後の五品、 六即に約してその受不のありようを示していた。これらをまとめるとおおよそ次の図の通りである。 五品のうち初二三品、六即の名字 ・ 観行 ・ 相似の三位が、初心の行者にあたり、この階位は持戒を制止しただ総戒 の妙法五字のみを信心受持し自行に励む、弟子の位である )11 ( 。ここには、僧俗共に含まれる。 五品の第四五品並びに分真即が後心の行者にあたり、この階位では総別二戒を受持し、自行をすでに成就し化他に 出づる能化の位である。この師の位において持戒を含む三学を修し威儀を備えることで、はじめて法をして久住せし めることができるのである。これを大則とし、その他、利根等機の堪え得る場合は、持戒 ・ 化他等取捨宜しきを得て 一向にすべきではないことは先述の通りである。 末法の行者 滅後五品 六即 総別二戒受戒 化他の分 師の位 弟子の位 自行の分 持戒を制し総戒のみ 分真即 初 ・ 随喜品………名字即 二 ・ 読誦品………観行即 三 ・ 説法品………相似即 初心 後心 四 ・ 兼行六度品 五 ・ 正行六度品 ⎩⎜⎜⎨⎜⎜⎧ ⎩⎜⎨⎜⎧ ⎩⎜⎨⎜⎧ ⎩ ⎜⎨ ⎜ ⎧ ⎧ ⎜ ⎨ ⎜ ⎩ ⎩⎜⎨⎜⎧ ⎩⎜⎨⎜⎧ 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)
別戒受持 ・ 三学分修の目的は、正業の信を資成し、令法久住という釈尊の大願を継承し実現することにある。 (三)信と解との関係 先に六即の位階についての説示をみる中で、信と解の二つの立場から次位が論じられ、信においては次位を立つこ となく位位に即身是仏を成じ、解においては修行の位階があることが示されていた。また、先には詳しく触れなかっ たが、受者の位階を判ずる中で日臨は『得受職人功徳法門鈔』を引き、五品に配当して末法の行者の位階を論じてい た。そこでは、 出家者は「信行」と「解了」の二位に大別され、 前者にはさらに「始信」 「終信」の二が、 後者におい て も 「上 品 之 師」 「下 品 之 師」 の 二 位 が あ り 、 信 行 の 位 か ら 修 学 解 了 の 位 に 次 第 し て い く こ と が 説 か れ て い た )11 ( 。 こ の 信 と解の解釈は、日臨における受戒の精神について考える上においても極めて重要な問題であり、最後に両者の関係に ついてみておきたい。 日 臨 は 受 持 即 成 に し て 信 の 当 処 に 成 仏 を み て い る 。 そ れ は 、「謹 で 思 ふ に 、 祖 書 は 末 法 の 妙 経 な り (中 略) 若 し 随 順 して一句を証得せば、 即身成仏掌にあらん )11 ( 」「信心と申すはケ様の文を見て、 少しも不 レ 疑を云也、 かくの如く成がた き成仏が、 やすく出来る事は但信心の厚薄によるべし )11 ( 」「忘れても法華経を持つ者をば、 互に毀る可からず歟、 其故は 法 華 経 を 持 つ 者 は、 必 ず 皆 仏、 々 を 毀 り て は 罪 を 得 る な り )11 ( 」 と い っ た 信 徒 に 対 す る 教 示 に み ら れ る 通 り で あ る。 「 不 疑」とは信の「名」であり、 「随順」とは信の「義」である。また、その相として「決定」 、性として「浄心」の四科 があることを述べるが )11 ( 、一方で信を「信心」と「求推」という二つの面からも捉えている。 成仏は信を以て決定し候、信に二あり、信心と求推となり、信心は無疑曰信也、求推とは、深く甚理をたつぬる 本妙日臨における元政の影響(桑名法晃)