都立文化財庭園における庭園ガイド ボランティ ア
導入による多面的効果に関する実証的研究
Substantial study on multifaceted effect by the introduction of the
garden guide volunteer in the metropolitan cultural assets garden
2016 年
東京農業大学農学研究科環境共生学専攻
菊池正芳
目 次 序論 1 研究の背景 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 1. 1 市民の社会参加、 ボランティ ア活動に対する関心の高まり ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 1. 2 高齢化社会に向けて生涯学習の必要性や社会活動に関する意欲の高まり ・ ・ ・ ・ 2 1. 3 文化財庭園の管理の変化、 保全と 活用のバランス ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 2 研究の目的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 3 論文の構成及び研究方法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 6 第1 章 都立庭園の管理経緯と都立庭園ガイド ボランティ アの誕生 1. 1 本章のねらい ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 1. 2 都立庭園ガイド ボランティ アの組織、 制度について ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 9 1. 3 都立庭園の創設と現在までの経緯 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 0 1. 4 都立庭園ガイド ボランティ アが誕生する背景と公園協会の動き ・ ・ ・ ・ ・ 1 7 1. 5「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 の誕生 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 9 1. 6 本章のまとめ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 1 第2 章 庭園ガイド ツアーに参加し た来園者の意識からみた都立庭園ガイド ボランテ ィ アの有効性について 2. 1 本章のねらい ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 3 2. 2 本章の目的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 3 2. 3 研究方法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 5 2. 4 アンケート 結果と 考察 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 7 2. 5 本章のまとめ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3 8 2. 6 今後の取り組むべき事項 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 0 第3 章 庭園ガイド として活動するボランティ アの意識調査 3. 1 本章のねらい ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 3 3. 2 研究の目的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 4 3. 3 研究方法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 5 3. 4 アンケート 結果と考察 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 8 3. 5 本章のまとめ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 7 8
第4 章 文化財庭園の管理運営を都立庭園ガイド ボランティ アと協働する意義 4. 1 本章のねらい ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 0 4. 2 文化財庭園の管理を市民協働で行う 意義 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 0 4. 3 都立庭園ガイド ボランティ アの活動が自己実現の場であることの意義 ・ ・ ・ ・ 8 1 4. 4 本章のまとめ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 2 結論 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 4 1 . 文化財庭園の新たな管理手法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 5 2 . 自己実現の場 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 5 謝辞 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 7 参考文献 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 8 8 Summary ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 9 0
序論
1 . 研究の背景 1 . 1 市民の社会参加、 ボランティ ア活動に対する関心の高まり 2011 年3 月に発生した東日本大震災は、 巨大な津波により東北地方と関東地方の太平洋 沿岸部に壊滅的な被害を与えた。 震災後、 多く のボランティ アが被災地に駆けつけ、 救援 活動から被災者の精神的ケアまで、 様々な分野にボランティ アの活動が及んだ。 今ではボ ランティ アの活動無く しては大災害の復旧・ 復興活動は成り 立たないまでになってきてい る。 最近では、2016 年4 月に発生した熊本地震の際にも多く のボランティ アが駆けつ け、 被災者への支援は大きなものがあった。 日本国内におけるこのよう なボランティ アに対する関心は、1995 年に発生した阪神・ 淡 路大震災を契機として高まった。 当時、 震災直後から 100 万人を超えるボランティ アが駆 けつけ、様々な領域にわたって支援活動が行われた。しかも、そのボランティ アのう ち6 割 から7 割がボランティ ア経験のない初心者のボランティ アであり 、 1995 年をボランティ ア 元年とも呼ぶよう になった。 このよう な状況の中、2000 年の国民生活白書1 )のテーマはボランティ アであった。 しか し、1956 年の発行以来、 国民生活白書でボランティ アの活動が主要課題として取り上げら れたのは初めてであり、サブタイト ルは「 ボランティ アが深める好縁」であった。なお、1993 年の国民生活白書2 )にもボランティ アは一部取り上げられたが、 その際は、「 豊かな交流 人と人のふれあいの再発見−」 をテーマに、バブル経済衰退後、経済的にも豊かさが増した 日本社会にあって、物質的な欲求より も精神的な満足を求める人が多く なった中で、精神的 満足を求める一つの手段と してボランティ アの活動が取り 上げられているに過ぎなかった。 また、2000 年に発行された「 国民生活選好度調査」 3 )( 2000 年) で行った、 15 歳以上 70 歳未満の男女5,000 人に対するアンケート 結果( 有効回収率79.4%) によると、 ボラン ティ ア活動に参加意欲を持つ人は3 人に 2 人で、 約半数の人が阪神・ 淡路大震災をきっか けとしてボランティ ア活動の関心を高めていた。そして、参加動機としては「 テレビなどマ スコミ を通じてボランティ ア活動をする人を見」 たことに影響を受けて参加したいと思っ たのは10 台が 4 割強と最も多く 、「 地域社会に参加したく て」 ボランティ ア活動に参加し たいと思う よう になった人の割合は50 代が最3 割弱と最も高く 、次いで 60 代が25%とな っていた。1 . 2 高齢化社会に向けて生涯学習の必要性や社会活動に関する意欲の高まり 21 世紀に入った現在、 我が国の平均寿命は世界一の水準にあり、 歴史上経験したことの 無い速さで高齢化が進み、今や「 超高齢化社会」 を迎えつつあるといわれている。このよう な状況の中で、文部科学省は、高齢者教育の現状と課題について整理するとともに、超高齢 化社会においてプレ高齢者を中心とする成人が取り 組むべき学びの在り 方について検討を 行い、2012 年3 月に「 長寿社会における生涯学習の在り方について」4 )の報告書を作成し た。 その中で、「 豊かな高齢期を迎えるための準備として、 人々は、 生活水準の向上に伴う 物質的な豊かさに加え、生き方の多様化にみられる精神面での豊かさの追求など、生涯を通 じて健康で生きがいのある人生を送ること や、 自己実現を求める傾向が強く なってきてい る状況であり 、 人生100 年時代の長寿社会が到来しつつある中で、 全ての人が自己実現を 果たし、生きがいを持って、より 自分らしい豊かな人生を選び取ることができるよう にする ことが、 これからの生涯学習に求められている」 としている。 生涯学習政策の今後の方策と して、 学習機会の提供に当たっては、 これまでのよう な趣 味・ 教養といった自己完結型の学習だけではなく 、身に着けた知的情報や技術などを、地域 活動の現場で実践することにより、周囲の人を巻き込んでいく とともに、地域活動の現場で 出てきた課題を解決するためにさらに学びを深めていく といった「 学びの循環」 を構築する 必要性を述べている。 2012 年には、「 生涯学習に関する世論調査」5 )が内閣府によって行われた。調査は、全国 20 歳以上の日本国籍を有する者、 3,000 人に対して行われたもので、 2008 年に実施した同 様調査に対して、生涯学習を行った人の割合は、47.2%から 57.1%に増加し、この一年間に 社会問題に関する学習を行った人の割合は8.9%なのに対して、今後実施したい人の割合は 19.5%と高く 、生涯学習や社会活動に関する機運が高まってきていることが研究の進展とと もに明らかとなった。 1 . 3 文化財庭園の管理の変化、 保全と活用のバランス、 少子高齢化が進む現代社会において、生活の豊かさに対する価値観が変化し、物の豊かさ から心の豊かさを求める社会となり つつある。その動きとしては、社会参加、地域社会への 貢献、自己実現といった具体的な社会行動を求めるよう になってきている。このよう な市民 の社会参加、 高度の情報を望む意識の高まり といった社会状況にあって、1997 年に、 東京 都で管理する都立庭園が公益財団法人東京都公園協会( 1997 年当時は財団法人東京都公園 協会、 以下公園協会とする) に業務委託されることになった。
文化的に価値ある 9 箇所の都立公園を都立庭園として管理している。 具体的には、 浜離宮 恩賜庭園、 小石川後楽園、 六義園、 旧芝離宮恩賜庭園、 清澄庭園、 殿ヶ谷戸庭園、 旧古河庭 園、 向島百花園である。 これら 9 箇所の都立庭園はさまざまな特徴、 生い立ちを持ってお り 、全てが国や東京都によって文化財保護法による文化財( 史跡、名勝等) として指定され た文化財指定庭園( 以下、 文化財庭園とする) となっている。 従来、文化財庭園の管理は、文化財としての保全を主体とした施設管理が主な取組みであ ったが、公園協会への業務委託を契機に、文化財庭園の活用にも目を向けた管理手法が展開 されることになった。そこで、文化財庭園の来園者に歴史的、文化的価値を伝え、文化財庭 園に対する理解と 関心を高めることを目的とし た新たな管理手法として生まれたのが、 文 化財庭園の管理を市民との協働により 行う という 都立庭園ガイド ボランティ アであった。 文化財庭園、いわゆる日本庭園と一般的に呼ばれる庭園は、見た目の美しさと共に、作庭 の意図、歴史的経緯などを知ることにより、より 庭園に対する理解と興味が深まるものであ る。施設維持・ 補修といったハード 的な庭園の管理とは異なり 、庭園の鑑賞ポイント 、作庭 意図や歴史的経緯などを分り 易く ガイド をするソフト な庭園管理と呼べるものが都立庭園 ガイド ボランティ アの仕事であり、 文化財庭園への関心を深め楽しんでもらう ことにより 、 利用の活性化を図ることを役割として創出された取組みである。 そして、ボランティ ア活動への参加意欲の高まり、高齢化社会における社会参加、社会貢 献等の機会を求める社会的状況等を背景と して、 都立庭園ガイド ボランティ アは市民によ るボランティ アが文化財庭園のガイド を行う という 、 市民協働による文化財庭園の管理手 法の一つであり 、 市民がボランティ アとし て市民に対して公共サービスを行う といった新 たな管理手法でもある。その仕組みと しては、公募に応じた市民のボランティ アが庭園ガイ ド を行う ものであり、ボランティ アとして活動する市民は、文化財庭園の基礎的知識の教育 を受けた後、 ライセンス試験に合格して初めて都立庭園ガイド ボランティ アになること が できるもので、 いわゆる資格を有するボランティ ア組織とした。 なお、 文化財の管理に関しては、2001 年に文化審議会文化財分科会企画調査会により取 り まとめられた「 文化財の保存・ 活用の新たな展開」6 )の中で、国民一人一人が連携協力し て文化財の保存活用に積極的に参加することが求められなど、 文化財行政への市民参加の 広がり を推進する方向に進められている。 一方で、この都立庭園ガイド ボランティ アは、単に市民との協働による文化財庭園の新た な管理手法という だけではなく 、市民の社会参加、地域社会への貢献、自己実現といった社 会的要求や、高齢化社会の到来にあって、今後望まれる生きがいを求める生涯学習の場とし ても有効な取り組みであると考えられる。 なお、他の地域・ 地方に存在する文化的価値を有する、例えば城郭や寺社、庭園等におい
てそれらをガイド することは、1990 年代から各地域の観光協会が観光ボランティ アとして 実施し ているが7 )、 何れも観光を目的としており 、 その対象の精彩のある部分を説明する に止まっている。東京都が有している9 箇所の都立庭園は、それぞれ成立の背景、これまで の経緯に固有の特徴を持っているため、これらを総合的にとらえて調査・ 分析することによ り 、 ボランティ アによる庭園管理について普遍性を担保することが出来る情報になると 考 えられることから今回都立庭園を研究対象とし た。 2 . 研究の目的 文化財庭園は、歴史的、文化的に重要とされた庭園であり、文化財保護法に基づき管理さ れなければならない。文化財保護法第一条は、この法律の目的を「 文化財を保護し、且つ、 その活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとと もに、世界文化の進歩に貢献するこ と」 と規定しており、 保存と活用は文化財保護の重要な柱と位置付けられている。 東京都は、9 箇所の都立庭園を管理しており 、それらは全て国や東京都によって文化財指 定された文化財庭園である。1924 年に最初の都立庭園( 当時は東京市立庭園) である旧芝 離宮恩賜庭園が開園して以来、 都立庭園は文化財庭園とし て文化財保護法に基づき管理運 営を行ってきているが、管理としては施設の清掃、維持、補修等といった文化財としての保 護に力点が置かれる傾向にあった。 この傾向は文化財庭園に限られたことではなく 、従来の文化財( 建造物) 保護行政では、 保護の力点が保存に置かれており、活用に対しては十分ではない現状があった。そこで、文 化庁では1996 年12 月25 日に「 重要文化財( 建造物) の活用に対する基本的な考え方( 報 告)」8 )として文化財の活用、 公開、 機能や用途の維持等文化財の活用のための基本的な考 え方を示すに至った。 1997 年に 9 箇所全ての都立庭園が、 公園協会に業務委託されたことにより、 東京都にお ける文化財庭園は、活用といった視点を、今まで以上に取り入れた管理運営に変わることに なった。 公園協会では、都立庭園の管理業務を開始するに当たって、公園協会が行う 管理作業につ いての具体的な維持管理・ 運営の方策を検討・ 整理し、それに沿って計画的に作業を進める ことになり、学識経験者も含めた委員会を開催し「 都立庭園の管理運営の方策について」9 ) を取り まとめ答申とした。 その答申では、 今後の管理方針を「 景( 空間) の復元」 と「 利用 の復元」 の二つの視点から取り纏め、「 利用の復元」 において「 都民と共にこれを管理運営 する方策の推進」 をあげ、 具体的には庭園のガイド の導入を提示した。 当時、1995 に発生した阪神淡路大震災を契機として、 ボランティ アに対する認識が高ま
ると共に、高齢化社会への移行、社会参加・ 地域社会への協力を望む声が高まり つつあった。 このよう な社会状況の中で、都民の貴重な財産である文化財庭園の管理運営は、都民と 共に 協働して行う ことが理想であるとの考え方から、その最初の取組として市民( 以下、都民と 限定することなく 一般総称として市民とする) のボランティ アによる庭園ガイド が想定さ れた。 当時の担当者からヒヤリ ングしたところによると、 京都や奈良でも庭園のガイド は観光 を目的とし て春や秋に期間限定で実施されていたが、 定期的な庭園だけのガイド は行われ ていなかったとのことであった。1998( 平成10) 年に公園協会によって立ち上げられた都 立庭園ガイド ボランティ アによる庭園ガイド は、 一般公募のボランティ アが都立庭園のガ イド をするものであり 、 毎週定期的に庭園だけを専門にガイド をするという 今までに無い 制度であった。 その特徴は、先ず、文化財庭園の管理を市民と の協働により 行う という ものであり 、庭園 専属で定期的に庭園ガイド を行う という 取り 組みである。そして、もう 一つの特徴は、一般 公募に応じ たボランティ アが文化財庭園の基礎教育を受講し、 その上で庭園ガイド ライセ ンス試験に合格し た人のみが都立庭園ガイド ボランティ アになれると いう 仕組みであり 、 単に社会奉仕といったボランティ ア活動ではなく 資格者と しての位置づけを持ったボラン ティ アとし たこと で、 活動に対する意欲や自信を持てるインセンティ ブを与えたこと であ った。 1998 年に誕生した都立庭園ガイド ボランティ アは、 文化財庭園を歴史的、 文化的に価値 あるものとして、文化財としての良好な状態で後世に伝えていく ために、多く の市民が文化 財庭園に対する関心を高め、理解を深め、文化財庭園の利用を活発化さ せるという 役割を担 っている。一方で、庭園ガイド としてボランティ ア活動する市民が、自分たちの興味ある庭 園、歴史、文化等の基礎的教育を受けた後、興味ある分野の学習を自ら行い、成果を庭園ガ イド の中で来園者への説明という 形で表現すると いう 、 自らの学習の場と しての性格も持 ち合わせている。 超高齢化社会を迎えよう としている現代日本において、高齢者が、それまでの長い人生の 中で培ってきた豊かな知識・ 経験を活かせる居場所や出番を見出して、地域社会の担い手と して活躍することは、高齢者の生きがいとなるだけではなく 、地域社会が抱える課題の解決 や活力ある社会の形成につながるものであり 、今後ますます少子化が進み、高齢化率が高ま る我が国において重要な視点である。 そこで、本研究は、市民と の協働による新たな文化財庭園の管理手法である都立庭園ガイ
ド ボランティ アの取り 組みが、文化財庭園の魅力や、歴史的、文化的価値を広く 市民に伝え、 文化財庭園を後世に継承し ていく 上で有効な取り 組みであることを明らかにすること 、 及 び、都立庭園ガイド ボランティ アの活動に参加するボランティ アが、活動に生きがいを感じ、 自己実現できる生涯学習の場所と しても有効であることを明らかにすることを目的とする ものである。 この研究により 、 市民協働により 管理する新たな文化財庭園の管理手法を明らかにする ことによって、超高齢化社会を迎えつつある日本社会にあって、市民が生きがいを持って活 き活きと生活できる社会活動の一つのモデルを描く ことができるものと考える。 3 . 論文の構成及び研究方法 第1 章では、都立庭園の開園から現代に至るまでの経過の中で施設管理、管理運営の実態 を調査すると共に、 庭園管理に係る法制度や都立庭園に関する審議会などの行政計画の文 献調査を行う ことにより 、都立庭園創設の時代、都立庭園利用の模索の時代、庭園施設改修 の時代、施設管理と運営管理の分離の時代に区分し、施設管理・ 管理運営の変遷を通して分 析を行った。そして、文化財として施設を修復・ 保全するという 保護に重点が置かれていた 管理の中で、 どのよう な背景から都立庭園ガイド ボランティ アという 組織を立ち上げるこ とになったのか、 その経緯を考察し明らかにした。 第2 章では、 都立庭園ガイド ボランティ アが定期的に活動し ている庭園ガイド ツアーは、 参加者に文化財庭園の歴史的、文化的価値や魅力を十分に伝えることができているのか、参 加者の求める要求を満足さ せているのか等について実態を把握し、 庭園ガイド ツアーの有 効性を明らかにした。調査方法としては、各庭園で活動する都立庭園ガイド ボランティ アに 依頼し、庭園ガイド ツアー参加者に対して任意のアンケート 調査を実施し、 参加者の意見・ 感想の調査、 分析を行った。 第3 章では、都立庭園ガイド ボランティ アとし て活動し ている人々に対して、ボランティ アへの参加動機、活動によって満足感は得られているのか、生きがいを感じているのかなど の意識調査を実施し た。 得られた資料の分析を通して文化財庭園の管理運営の役割を担う 都立庭園ガイド ボランティ アの活動が、ボランティ ア自身にとっても社会参加、自己実現の 場として有意義な場所であることを明かにした。 第4 章では、 文化財庭園を市民協働により 管理運営する意義について明らかにすると と もに、都立庭園ガイド ボランティ アの活動が、社会参加、自己実現といった生涯学習の場で あることの意義を明らかにした。そして、市民との協働による文化財庭園の管理は、保全と
活用が文化財保護法の重要な二本の柱とさ れている中で、 文化財庭園の新たな管理手法と して有効であることを明らかにした。 論文は以下の構成である。 序論 第1 章 都立庭園の管理経緯と都立庭園ガイド ボランティ アの誕生 第2 章 庭園ガイド ツアーに参加した来園者の意識からみた都立庭園ガイド ボランティ ア の有効性について 第3 章 庭園ガイド として活動するボランティ アの意識と自己実現について 第4 章 文化財庭園の管理運営を都立庭園ガイド ボランティ アと 協働する意義 結論
第1 章 都立庭園の管理経緯と都立庭園ガイド ボランティ アの誕生
1 . 1 本章のねらい 東京都の所管する 9 箇所の都立庭園は、 全てが国や東京都により 文化財指定された文化 財庭園であり 、 開設以来東京都が直接管理をし てきたが、1997 年から都立庭園の管理は、 財団法人東京都公園協会( 2010 年より 公益財団法人へ移行、 以下公園協会) へ業務委託さ れることになった。この管理の移管を契機に東京都における都立庭園の管理が、従来の文化 財の保全を主体と し た施設管理から、 庭園の活用にも力点を置いた管理手法に取り 組むこ ととなった。 都立庭園を管理することになった公園協会では、 文化財庭園の管理における新たな取組 とし て、 ボランティ アによる庭園ガイド の組織である都立庭園ガイド ボランティ アを立ち 上げることとした。都立庭園ガイド ボランティ アは、文化財庭園の歴史的、文化的価値、庭 園の魅力、鑑賞ポイント 等を来園者に分かり 易く 伝える役割を担っており、文化財庭園を次 世代に継承していく ために、 文化財庭園に対する市民の理解と 協力を得ること を目的と し て設立された。 都立庭園ガイド ボランティ アは、1999 年に浜離宮恩賜庭園、 小石川後楽園 に初めてが導入された後、 順次各庭園に配置されていき、2009 年に殿ヶ谷戸庭園に導入し 都立庭園9 か所全てにボランティ アの導入が完了した。 そこで、従来、文化財庭園の管理と しては、文化財保護法に基づき適正な管理の下で施設 を修復・ 保全するという 施設管理に重点が置かれていた中で、どのよう な背景から庭園の活 用に目を向けた都立庭園ガイド ボランティ アと いう 組織を立ち上げること になったのか、 その経緯を考察し明らかにすることが本章の目的である。 考察に当たっては、都立庭園の開園から現在に至るまでの経過の中で施設管理、管理運営 の実態を調査すると ともに、 庭園管理に係る法制度や都立庭園に関する審議会などの行政 計画の文献調査を行う ことにより、都立庭園創設の時代、都立庭園利用の模索の時代、庭園 施設改修の時代、施設管理と運営管理の分離の時代に区分し、施設管理・ 管理運営の変遷を 通して都立庭園ガイド ボランティ アの成立の経緯を明らかにした。 文化財保護法第33 条には、 文化財は公開されなければならないと規定されているが、 文 化財の公開とは、文化財を単に見せるという だけではなく 、その価値をより広く 伝え、多く の人に理解してもらう といった意味も含むものであり 、都立庭園ガイド ボランティ アは、文 化財庭園の価値を広く 伝え活用する、 公開活動を市民協働で進めるために生まれてきたも のである。1 . 2 都立庭園ガイド ボランティ アの組織、 制度について 都立庭園ガイド ボランティ アの設置及び運営に関する要綱( 2011 年 3 月 31 日要綱第 7 号、 以下、 設置要綱)」 10)によると、 都立庭園ガイド ボランティ アとは、「 公園協会からラ イセンス証及び委嘱状の交付を受け、 各庭園サービスセンターに登録した都立庭園ガイド ボランティ ア団体に入会し、自らの自由意志に基づき、特別な場合を除き無償でガイド 活動 を行う 者をいう 。( 設置要綱第3 条)」 と定義されている。都立庭園ガイド ボランティ アの活 動内容については、「( 1) 各都立庭園がもつ特徴、 鑑賞方法、 歴史、 文化及び動植物等の案 内、( 2) その他文化財としての都立庭園の愛護精神を育むために必要な活動( 設置要綱第4 条)」 となっている。活動日については、「 都立庭園ガイド ボランティ アの活動日は、都立庭 園ガイド ボランティ ア団体の代表者と庭園サービスセンタ ー長が協議し、 都立庭園ごと に 定める。( 設置要綱第5 条)」 となっている。 具体的には、 表1−1 に示す通り、 実施日時は 庭園によって異なっているが、 概ね土日・ 祝日の週2∼3 回で、 午前・ 午後各 1 回、 1 日 2 回のガイド を行っており 、1 回に約1 時間∼2 時間程度の時間で実施している。 1999 年 10 月、 浜離宮恩賜庭園、 小石川後楽園において都立庭園ガイド ボランティ アに よる庭園ガイド が初めて実施された。 その後、2000 年 10 月から六義園、 2002 年 10 月か ら清澄庭園において都立庭園ガイド ボランティ アが導入さ れ、 各庭園で庭園ガイド が実施 されること となった。 その後、 順次庭園ごとに都立庭園ガイド ボランティ アが養成され、 2009 年4 月に殿ヶ谷戸庭園において都立庭園ガイド ボランティ アが導入されたことにより 全ての文化財庭園に導入された11)。 表1 -1 「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 の活動実態と活動人数( 2016 年現在) *清澄庭園、 向島百花園は2014 年4 月現在の人数 *浜離宮恩賜庭園、 六義園においては英語ガイド を定期的に実施 庭園名 活動日 集合時間( 所要時間) 人数 旧岩崎邸庭園 毎日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 74 旧芝離宮恩賜庭園 土・ 日 14: 00∼( 1 回45∼60 分) 21 旧古河庭園 土・ 日・ 祝日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 41 清澄庭園 土・ 日・ 祝日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 38 小石川後楽園 土・ 日・ 月・ 祝日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 46 浜離宮恩賜庭園 土・ 日・ 祝 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 45 向島百花園 土・ 日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回30 分程度) 28 六義園 土・ 日・ 祝日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回60 分程度) 47 殿ヶ谷戸庭園 日 11: 00∼、 14: 00∼( 各回40 分程度) 21 人数合計 361
1 . 3 都立庭園の創設と現在までの経緯 2016 年現在、 東京都が所管している都立庭園は9 箇所であるが、 それぞれの庭園は作庭 者、作庭年などが多様であり 、例えば、浜離宮恩賜庭園は徳川将軍家の庭園であった12)。ま た、 小石川後楽園は水戸家の上屋敷の庭園13)、 旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府老中大久保忠 朝の上屋敷の庭園14)、 六義園は柳沢吉保の下屋敷の庭園であった15)。 それぞれ、 江戸時代 に作庭された大名庭園と呼ばれる池泉回遊式の庭園である。また、江戸時代の大名庭園を岩 崎弥太郎が買い取り 三菱社員の慰安、 招宴場として利用した清澄庭園16)、 三菱財閥の創始 者である岩崎家の本邸であった旧岩崎邸庭園17)、 古河財閥本邸であった旧古河庭園18)、 江 戸時代の民営の花園であった向島百花園19)、 三菱家の別荘地であった殿ヶ谷戸庭園20)、 こ れらの都立庭園は民間の財力のある人々の屋敷や別邸などの庭園であり 、明治時代、大正時 代を代表する建築物を含んだ庭園となっている。 そして、 これらの都立庭園は、 東京都が一般開放するまでの間、宮内省、 陸軍省、 民間企 業、進駐軍( GHQ) などさまざまな所有者の管理を経て、東京都の管理する庭園となった。 また、1950 年に文化財保護法が制定され、 都立庭園も順次文化財庭園として指定されるこ とになるが、それ以前は、文化財としての位置づけもなく 、施設の所有者の都合によって施 設が改変されるなど、 文化財としての庭園管理がなされていなかった時代があった。 ここでは先ず、都立庭園の文化財としての位置づけを示し、その後、都立庭園ガイド ボラ ンティ アが誕生するまでの経緯について都立庭園の開園当初から考察する。 ( 1 ) 東京都における文化財庭園の指定について 都立庭園の文化財としての指定状況は以下の通り である。 文化財保護法による国の特別 名勝と 特別史跡の二重指定さ れているのが浜離宮恩賜庭園と小石川後楽園で、 特別名勝が 六義園、名勝が旧芝離宮恩賜庭園、 旧古河庭園、 殿ヶ谷戸庭園、 名勝・ 史跡が向島百花園で あり 、清澄庭園は東京都指定の名勝である。以上のよう に都立庭園は、一般開放さ れている 都市公園でありながら、国や東京都の文化財としても位置づけられている。都市計画法上の 都市施設である都立庭園は、特殊公園に属し、その中でも歴史公園にあたるものである。歴 史公園とは、史跡・ 名勝などの文化を広く 一般に供することを目的とする公園で、文化財の 立地に応じ適切に管理することが決められている。
表1 −2 都立庭園の文化財指定及び関連事項等年表 凡例 旧岩: 旧岩崎邸庭園、 旧芝: 旧芝離宮恩賜庭園、 旧古: 旧古河庭園、 清澄: 清澄庭園、 後楽園: 小石川後楽園、 殿: 殿ヶ谷戸庭園、浜: 浜離宮恩賜庭園、百花園: 向島百花園、六義: 六義園 注) 東京都指定の文化財のみ( 都) 年 開園及び文化財指定 行政計画・ 方針等 管理運営等 施設管理等 社会情勢 都 立 庭 園 創 設 の 時 代 1924 年 旧芝: 開園 1931 年 旧芝パンフ: 沿革 1932 年 清澄: 開園 1936 年 清澄パンフ: 概要、利案 1938 年 後楽園、 六義: 開園 後楽園パンフ: 沿革 後楽園: 涵徳亭再建 1939 年 百花園: 開園 1945 年 第二次世界大戦終戦 1946 年 浜: 開園 浜パンフ: 沿革 1948 年 浜パンフ: 沿革、 利案 六義: 心泉停債権 浜: テニスコート開設 1949 年 百花園: 藤棚、小停再建 都 立 庭 園 利 用 の 模 索 の 時 代 1950 年 文化財保護法制定 浜: 大泉水貸ボート 六義: 心泉亭再建 朝鮮戦争 1952 年 後楽園、 浜: 特別名 勝、 特別史跡指定 旧古: 米軍接収解除 1953 年 六義: 特別名勝指定 六義: 各国大公使 浜: 水上バス発着所設置 清澄: 大正記念館再建 清澄: 涼亭改修 1954 年 浜: お伝い橋再建 1955 年 浜: 下賜20 年記念小誌 1956 年 旧古: 開園 都市公園法制定 旧古パンフ: 沿革、利案 後楽園: 園内説明小誌 1957 年 浜パンフ: 沿革、 利案 1959 年 旧古パンフ: 沿革、利案 後楽園:九八屋、丸谷再建 1963 年 六義パンフ: 英語版 1964 年 東京オリ ンピッ ク 1965 年 清澄パンフ: 沿革、利案 旧古パンフ: 沿革、利案 浜: 八橋再建 1966 年 六義パンフ: 沿革、利案 1967 年 浜パンフ: 英語版 1968 年 後楽園パンフ: 英語版 1972 年 都立庭園無料化 庭 園 施 設 改 修 の 時 代 1978 年 百花園: 特別史跡指定 東京都公園審議会 「 庭園の管理のあり 方について」 答申 1979 年 清澄:( 都) 名勝指定 殿: 開園 旧芝: 名勝指定 都立庭園有料化に戻る 1983 年 旧古:( 都) 名勝指定 六義: 知事主催園遊会 六義: 池全面浚渫 1984 年 浜: 中茶屋再建 後楽園: 大泉水浚渫 浜: テニスコート 廃止 1985 年 清澄、旧芝、旧古:池浚渫 後楽園: 涵徳亭改築 百花園: 御成座敷改築 1986 年 清澄: 涼亭改築 1987 年 都立庭園の保存・ 復 元・ 管理等について の調査開始 1988 年 清澄: 大正記念館改築 1989 年 清澄: 大正記念館建替 旧古: 本館改修 1990 年 都立庭園の保存・ 復 元・ 管理等に関する 計画決定 東京都第三次長 期計画に「 名園の 復活」 記載 1992 年 後楽園: 保存管理計画 後楽園: 内庭改修 1993 年 浜: 大泉水浚渫 施 設 管 理 と 運 営 管 理 の 分 離 の 時 代 1997 年 浜: 庭園ガイド 開始( 職) 公園協会業務受託 1998 年 殿:( 都) 名勝指定 公園協会「 都立公園 利用実態調査」 後楽園: 庭園ガイ ド 開始 ( 職) 1999 年 公園協会「 都立庭園 の管理運営の方策に ついて」 答申 公園協会「 庭園ガイド ボランティ ア」 発足 浜、後: 庭園ガイド 開始 2000 年 六義: 庭園ガイド 開始 旧芝, 旧古: ライトアップ 開始 後楽園: 外周塀完成 2001 年 旧岩: 開園 都立庭園におけるバ リア フリーのあり 方について 六義、 浜: ライトアップ 開始 2002 年 清澄: 庭園ガイド 開始 2003 年 旧岩: 庭園ガイド 開始 2004 年 「 東京都における文 化財庭園の保存管理 計画書」 作成 2005 年 旧古: 庭園ガイド 開始 2006 年 百花園: 庭園ガイド 開始 都立庭園利用料金制入 公園協会都立庭園指定管理受託 2008 年 旧芝: 庭園ガイド 開始 2009 年 殿: 庭園ガイド 開始 2011 年 殿: 名勝指定 浜: 松の茶屋再建 公園協会都立庭 園指定管理者
なお、名勝指定とは、芸術上、鑑賞上、学術上の三点で価値の高いものとして選ばれたも のであるが、史跡指定とは、名勝とは異なり 、歴史上、学術上の価値のみが基準であって美 術的基準は問題にされていない。 公園協会では、都立庭園が、一般開放を原則とする自由空間である都市公園と しての公園 行政と、文化財保護法に基づく 保全に力点を置く 文化財行政に属していること で、ある意味、 相反する両者の特性に配慮した保存・ 管理・ 利用のあり方を探っていかなければならない20)。 ( 2 ) 都立庭園の開園から文化財庭園までの経緯 1924 年に旧芝離宮恩賜庭園が最も早く 都立庭園として東京都の管理となり 開園した。 そ の後、1932 年に清澄庭園が開園し、1938 年に小石川後楽園、六義園が開園するなど順次東 京都の庭園として開園し、2001 年に旧岩崎邸庭園が開園したことにより 、 9 箇所の庭園は 全て東京都が所有し管理する都立庭園となった。これ以降、9 庭園は都立庭園として一般開 放され、統一した管理がなされるよう になり 、文化財としての施設管理も始まることになっ た。 各庭園が、開園からどのよう な変遷を経て現在に至ったのかを、開園及び文化財指定、行 政計画・ 方針等、管理運営、社会情勢の項目に分け時系列に「 都立庭園の文化財指定及び関 連事項等年表」 として表1−2 に整理した。 表 1−2 に従って時代の経過による施設の管理 と運営における考え方の変化をとらえることにする。 文化財庭園でもある都立庭園の管理を考えた場合、 歴史的経緯の中で大きな転換点とな る三つの事柄・ 事項がある。 先ず一つ目は、1950 年の文化財保護法の制定である。 文化財 保護法の制定により、都立庭園も文化財として指定されることになり、文化財的価値のある 貴重な庭園であることを広く 国民・ 都民に周知することができたとともに、都立庭園の管理 が、文化財としての庭園管理に方向づけられていった。二つ目は、知事の諮問機関であり 、 東京都の公園・ 霊園に関する整備計画に関することや利用普及に関すること、運営に関する ことを審議し答申する東京都公園審議会( 以下、公園審議会)により 1978 年に出された「 都 立庭園の管理の在り方について」 の答申である。この答申は、文化財庭園としての都立庭園 の管理の基本方針を初めて定めたものである。 三つ目は、1997 年に全都立庭園が東京都か ら公園協会へ、管理等が委託化された都立庭園の業務委託である。この時から、簡易な施設 改修や清掃など日常的維持管理業務や来園者へのサービス向上といった、 文化財庭園の管 理・ 運営面を公園協会が担う こととなった。 この三つの転換点を境として、 都立庭園の管理がどのよう に変わっていったのかについ
て、 四つの時代に区分してその特徴を述べることにする。 a )「 都立庭園創設の時代」( 1924 年∼1949 年) 都立庭園の第1 号である旧芝離宮恩賜庭園の開園した 1924 年から、文化財保護法が成立 する前年( 1949 年) までの時代である。 1923 年に関東大震災( 以下、 震災) が発生し、 東京市( 当時) の約4 割が焼失した。 現 在の都立庭園の多く もその被害を受け、多く の木造建築物が焼失したが、多く の人たちの避 難場所ともなった。 これらのこと から都立庭園は都市にあって貴重な避難場所としての認 識が高まるなど、 公共施設としての役割が見直された時期でもあった。 そのため、1924 年 に昭和天皇のご成婚記念と して下賜された旧芝離宮恩賜庭園が園地復旧、 整備を行い開園 14)したことに始まり 、1932 年には三菱財閥より 都が寄贈を受けた清澄庭園の開園16)、1938 年には文部省から管理の引継ぎを受けた小石川後楽園を開園13)するなど、 宮内庁が所管す る庭園や財閥の所有であった庭園が下賜、寄贈され、順次開園し市民に都立庭園として供用 開始することに努めた時代であった。 公園協会には過去の都立庭園のパンフレッ ト が保存してあり 、それらを調査したところ、そ の内容は庭園の沿革、利用案内といったものであり、今まで一般市民が立ち入ることの出来 なかった庭園を利用するに当たって、利用時間、禁止行為などの規則が書かれたものであっ た。利用規制等の内容も各庭園に共通する項目の説明であり、作庭意図や材料等に踏み込ん だ庭園の特色が現れるものではなかった。 この時代は、震災によって壊滅的な被害を受けた市街地の中に、少しでも多く の緑地を確 保し東京を復興さ せよう と する動きの中で、 都立庭園も貴重な緑地空間と して整備公開す ることが望まれた時代であり 21)、 庭園利用に関しても、 入園するに当たっての禁止事項な どの規制的な側面が強い時代であった。 b)「 都立庭園利用の模索の時代」( 1950 年∼1977 年) 文化財保護法が施行される1950 年から 1978 年に公園審議会より「 庭園の管理のあり方 について」 の答申が出される前年までの時代である。 1950 年に文化財保護法が制定され、1952 年には浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園が特別史 跡・ 特別名勝の二重指定を受け、 翌1953 年には六義園が国の特別名勝に指定されるなど、 東京都における都立庭園の文化財的価値が公的にも認められる時代である。特別史跡・ 特別 名勝の二重指定されている施設は、全国でも鹿苑寺( 金閣寺) や慈照寺( 銀閣寺) など九つ のみでありその内の二つが都立庭園である。 この時代は、1950 年に発生した朝鮮特需による景気回復の後、1954 年の神武景気から始
まり1973 年まで続く 高度経済成長期に当たっている。 この時代は1956 年に首都圏整備法 が施行され翌1957 年には東京都の10 か年の公園整備目標が定められた。また、1956 年に は都市公園法が制定され、 住民一人当たり の公園面積が6 ㎡と定められるなど、 公園整備 が加速された時代であった。この時代を象徴するイベント が1964 年開催の東京オリンピッ クであり 、 駒沢オリ ンピッ ク公園が整備さ れるなど東京都の公園行政にと っても整備拡大 の活発な時代であった21)。 しかし、都立庭園における施設管理等に関しては大きな動きは無く 、清澄庭園に移設した 大正天皇の葬場殿に因んだ大正記念館が戦災により 焼失したため、1953 年貞明皇后の葬場 殿の旧材の譲与を得て大正記念館を再建したことが主な事業であった 21)。 当時の公園行政 は、首都圏における公園・ 緑地の確保を大目標としており 、都立庭園に係る整備事業まで十 分に行き届かなかったものと考えられる。 管理運営においては、1964 年開催の東京オリ ンピッ クに呼応して、 各庭園のパンフレッ ト には沿革部分に英訳が付けられ、 外国人にも分かり やすいパンフレッ ト にするなどの工 夫が見られたが、 内容は従来通りの庭園の沿革と利用案内であった。 このよう な状況の中で、浜離宮恩賜庭園は面積が25ha と都立文化財庭園の中で最も広い ため、1949 年にテニスコート 場の整備、1950 年の1 年間だけではあるが大泉水をボート 場 にするなど、都民の娯楽の場所として様々な試みが進められた。これは都心部における公園 緑地の不足分を庭園が補う といたことの他に、 有料施設使用料の獲得といった意味合いも あった。当時、東京都の公園経営は、浅草公園仲見世使用料などにより 自給自足の独立採算 性の公園経営が、終戦直後まで行われていた影響があり、有料施設使用料の獲得は公園経営 を進めていく 上で重要な要素でもあった21)。 そして、1972 年に都立庭園の無料化が実施されることによって、 都立庭園の荒廃が進む 結果となり、 文化財庭園の管理のあり 方を検討する契機となった23)。 この時代は、高度経済成長とともに公園整備も拡大していく 時期であったが、その影響は 庭園にまでは及ばなかった。また、浜離宮恩賜庭園のよう に都立庭園の一部を改修してテニ スコート の利用や大泉水をボート 場にするなど、 都立庭園を文化財と して保全すると いっ た考え方もみられなかった。 c)「 庭園施設改修の時代」( 1978 年∼1996 年) 公園審議会から都立庭園の管理に係る答申が出される1978 年から、都立庭園の管理が公 園協会に業務委託される1997 年の前年までの時代である。 1978 年に公園審議会から「 庭園の管理のあり 方について」 の答申が出された。 この答申
に基づき東京都において初めて都立庭園の管理の基本方針が定められた。以後、この答申に 基づいて都立庭園は文化財庭園として整備・ 管理がすすめられていく ことになる。その後、 1990 年には更に、 文化財庭園を「 保存・ 復元・ 管理」 するための基本理念や基本方針をま とめた「 文化財庭園の保存、 復元並びに管理等に関する計画」( 以下、 保存管理計画) を行 政計画として決定した。 東京都では、 この保存管理計画を「 名園の復活計画」 と命名し 、当 時、 東京都が作成した長期計画である「 第三次・ 東京都長期計画」 及び「 総合実施計画」 に 搭載し事業化を図ることとした。このことにより 、文化財庭園を貴重な歴史的文化遺産とし て保護し、次世代へと伝えていく ために、計画的に文化財庭園の保存や修復・ 復元等を事業 として実施していく ことが東京都の事業計画として正式に位置付けられることになった 22)。 公園審議会答申の内容及び保存管理計画の概要については以下の通り である。 d )「 庭園の管理のあり 方について」 1978 年の公園審議会答申「 庭園の管理のあり 方について」 は、1972 年から都立庭園の無 料開放に伴い、園内が荒廃してしまったことに対して、改めて文化財庭園の管理のあり かた を明らかにしよう としたものであり、公開に際しては入園料の徴収、時間の制限などが改め て決まった23)。 答申では、有料化の復活と共に、管理運営も含めた庭園管理のあり かたについて明らかに していった。当時の管理運営では、案内板の整備、パンフレッ ト の充実、庭園ガイド の実施 などの案が出されている。それは、文化財庭園の活発な利用と共に啓発活動の一環として考 えられていた。 答申に沿って、1979 年に都立庭園は再び有料となり 、1983 年には浜離宮恩賜庭園のテニ スコート は廃止になった。審議会の答申を受け、1983 年に六義園、1984 年に小石川後楽園、 1985 年には清澄庭園、旧芝離宮庭園と次々に池の浚渫工事が進められるなど、施設の修復・ 改築等が進められていった。 e) 「 文化財庭園の保存・ 復元・ 管理等に関する計画」 および「 名園の復活計画」 震災や第二次世界大戦によって焼失等( 以下、 戦災) の被害を被った文化財庭園の修復・ 復元・ 管理について、「 あるべき将来像」 を提示することこそが、 東京都の公園関係者にと って長い夢であった22)。 東京都は、1987 年に文化財庭園に係る専門家で構成される委員会 を設置し、各庭園の史資料を収集し、その歴史性や文化性を明らかにした上で、保存管理の 検討及び推進を図るために「 都立庭園の保存・ 復元・ 管理等に関する調査」 を開始した。そ の成果として1990 年「 文化財庭園の保存・ 復元・ 管理等に関する計画」 が策定された。 その計画の基本方針は、 ⅰ) 庭園を適切に保存し、次代に伝えていく 、 ⅱ) 庭園を計画的
に修復・ 復元し、 適切に管理していく 、 ⅲ) 庭園を適切に公開する、 ⅳ) 庭園を江戸園芸の 伝承の場としていく ことの四つとした。 そして、庭園の適切な管理については、「 庭園の保存のために利用者を排除することなく 、 保存を第一に優先さ せつつ、 都民が直接に江戸の空間文化に触れ合う ことが出来るよう 庭 園の公開を図る」 とあり 、公開することの重要性について述べるとともに、適正利用に工夫 を凝らすことにも触れている。具体的にはハード 的な面では、通年開園はサービス向上に必 要な措置ではあるが、建築物や植物の維持管理には庭園を休ませる必要があり、公開時間の 制限、短縮などの措置、維持作業職員の充実の必要性も挙げている。また、ソフト な面では、 有料入場制限の継続、総入場者の制限、低年齢層の入場制限、あるいは付き添いの義務の設 定、利用マナーの徹底などを必要としている。さらに、利用者に文化財庭園であることを認 識させる意味でもパンフレッ ト の製作配布、庭園鑑賞への手引きと説明、鑑賞マナーの指導、 案内板の整備拡充といったことが挙げられている23)。 東京都における文化財庭園は、震災、戦災で焼失した多く の施設を従来の姿に修復・ 復元 していく ことが長年の課題とされ、 江戸時代から受け継いできた貴重な財産である文化財 庭園を適切な形で次世代に引き継いでいく ことが行政とし ての大きな目標であった。 管理 に関しても考え方は同様であり 、貴重な文化財を復元・ 保全・ 管理することが重要であり 、 そのために利用者の意識向上や利用マナーの向上を求めるといった、 利用者の満足度を高 めるためではなく 、文化財のための管理に視点が置かれており 、それが結局利用者サービス につながると考えていた。 そして、「 文化財庭園の保存・ 復元・ 管理等に関する計画」 は、1990 年に東京都の長期計 画に「 名園の復活計画」 として位置付けられ、震災や戦災で焼失してしまった施設を、被災 前のより 良い状態に計画的に修復・ 復元する事業として進められることとなった22)。 この時代は、文化財庭園の施設改修等が「 名園の復活計画」 とし て当時の東京都・ 第三次 長期計画に位置付けられるなど、 好況な経済を背景として施設改修が本格的に開始さ れた 時代であり、 施設の維持管理も含め施設の復元が中心であった。 しかし、保存管理計画において利用者サービスの向上策として、具体的な案も提案されて いたが、 利用者へ庭園の意匠や観賞情報を提供する媒体と しての新たなパンフレッ ト を作 成する動きもなく 、 旧来のパンフレッ ト を増刷するに止まっていた。 f ) 「 施設管理と管理運営の分離の時代」( 1997 年∼現在) 1997 年に都立庭園の管理が東京都から公園協会に業務委託されてから現在( 2016 年) に
至るまでの時代である。 1997 年に都立庭園の管理が公園協会に業務委託されると、 公園協会では、 庭園利用の活 性化と来園者サービスの向上が検討されることとなった。 そこで、 公園協会では、1998 年 に「 都立庭園利用実態調査」 を行い都立庭園における来園者の動向を把握するとともに、学 識経験者らによる「 都立庭園の管理に関する専門委員会( 以下専門委員会)」を立ち上げた。 そして、東京都から受託した都立庭園の管理業務について、都の維持管理方針に基づき具体 的な管理運営方策の検討を進め、1999 年に公園協会の専門委員会より 「 都立庭園の管理運 営の方策について」 の答申が出された。 この答申に基づき、1997 年に公園協会の職員によ り 試行的に実施されていた「 庭園ガイド 」 を、1999 年からは「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 による「 庭園ガイド 」 として開始すること になった。 その後、2000 年には都立庭園の 夜間ライト アッ プが開始さ れるなど、 この利用者主体の施策は全都立庭園へと 拡大し てい った。 東京都から公園協会への業務委託の開始にともない、 文化財庭園と して将来を見据えた、 目指すべき姿に向けた計画的な大規模施設整備・ 改修は東京都が行い、日常的管理や来園者 サービスの向上は受託者である公園協会が行う という 役割分担が明確になった。 この時代、 施設管理としては、 大きな施設改修等は無く なったが、2004 年に「 東京都に おける文化財庭園の保存管理計画書」 が策定さ れ、都立庭園の特徴や状況に応じ た都立庭園 ごとの管理方針が定められることになった。 1 . 4 都立庭園ガイド ボランティ アが誕生する背景と公園協会の動き 各都立庭園の開園時期から現在に至るまでの経過の中で、 都立庭園の管理に係る法制度 や、都立庭園に関する審議会答申や行政計画などの事業方針等、及び当時の経済情勢につい て調査し、庭園管理の変化がどのよう な状況、経緯の中で引き起こされたのかについて関連 を整理することで、「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 誕生の背景が明らかになってきた。 次に、 都立庭園の管理を受託し た公園協会において、「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 が どのよう な事情の下に誕生したのかについて分析を進める。 都立庭園の業務を受託すること となった公園協会では、 公園協会理事長の諮問機関とし て、 有識者からなる専門委員会を1997 年に設置し、 都立庭園利用者の動向を把握する為、 1998 年に「 都立庭園利用実態調査」 を行った。 その結果等に基づき、 文化財庭園の管理方 針を策定するため、1999 年に「 都立庭園の管理運営の方策について」 と題する答申を出し た9)。
ここで、都立庭園の管理を実際に行う ことと なった公園協会が、利用者の動向ならびにこ れからの利用者のための管理の方向性を示した「 都立庭園利用実態調査」 報告書及び「 都立 庭園の管理運営の方策について」 の概要について述べる。 ( 1 )「 都立庭園利用実態調査」 公園協会では、1998 年時点でまだ都立庭園でなかった旧岩崎邸庭園( 2001 年開園のた め) を除く 8 個所の都立庭園をその対象として、その管理・ 利用の現状を把握する目的で調 査を行った。 調査は平日と休日の2 日間で総計658 名からの回答を得た。 調査項目として は、来園者の属性、都立庭園が文化財庭園であることの認識度、文化財的価値への期待感と オープンスペースとしての利用実態、都立庭園の制限的利用と利用意識の変化、文化財庭園 の利用・ 目的、来園者が求める都立庭園の管理の形、各都立庭園の立地、あるいは特性と来 園意識の関係の大きく は7 項目であった。 調査結果から、都立庭園が文化財庭園として、金閣寺や銀閣寺の庭園と同じよう に法的に は文化財の位置づけであるという ことを知らない人が多く 、 都立庭園に訪れてその静かな たたずまいの中に憩いを求めている人に、この貴重な遺産が、今日ここに存在している経緯 をほとんど伝えられていない状態であった。 このよう な現状から、 できるだけ多く の人に文化財としての庭園を知ってもらう こと が 大事なこと であり 、 文化財庭園とし ての存在や意義を認識してもらう ことが何より の課題 であることも顕在化し た。 そのためには、都立庭園の景観や建造物、植物などについて、これまでとは異なる手段に よって情報提供することを考慮する必要性があり 、 より 深い理解を図るべきであると いう 指摘がなされた。 ( 2 )「 都立庭園の管理運営の方策について」 の答申 答申では、 文化財庭園における今後の管理運営について必要な方策を、「 景( 空間) の復 元」 と「 利用の復元」 の二つの視点から多角的に検討し てとりまとめ、提言という 形で答申 の方針を示した。「 景の復元」 について、 文化財庭園の管理では、 作庭意図の維持と 継承 が基本であること、 作庭意図の維持と継承には、基本資料の取集ならびに作庭意図の管理 運営への正確な反映と、日本庭園管理に特有であり 公園管理とは異なる庭芸・ 樹芸の技術に よる維持管理の実施及びその技術の時代への継承、 維持管理では、個々の庭園の作庭意図 を尊重し庭園の特性を正確に把握して、 文化財庭園の品格と内容の維持に努めることの三 つの提言がなされた。「 利用の復元」 では、管理運営において、庭園の鑑賞や学習とともに、 庭園の楽し さを現代の利用者が生き生きと 追体験できる庭園と なるよう 努めることや、 都
立庭園は都民の貴重な資産であり 、 都民と ともにこれを管理運営する方策を推進すること 等五つの提言がなされた。 この利用の復元の中で、都立庭園は都民の貴重な財産であり 、庭園を未来へ継承していく 仕事は都民とともに進めるべきであるとし て、 庭園ガイド への参加などを具体的事項の一 つとした9 ) 公園協会では、この答申を受け東京都における文化財庭園の庭園ガイド など、都民との協 働による具体的な管理運営方策を検討することとなった。 1 . 5 「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 の誕生 1997 年に行われた都立庭園の公園協会への業務委託は、 行政が行っていた文化財庭園の 管理を公園協会が代わって行う という 一大転機であった。 東京都では、1978 年の公園審議 会の答申以来、文化財庭園の管理の在り方を検討してきたが、公園協会への業務委託により 、 文化財保護法に基づく 文化財庭園の計画的な大規模施設整備・ 改修は東京都が行い、日常的 管理や来園者サービスの向上と いった部分を受託者である公園協会が行う といった役割分 担が明確になった。 そして、1998 年に公園協会が実施した「 都立庭園利用実態調査」 や、1999 年に策定され た答申「 都立庭園の管理運営の方策について」 に基づき、文化財庭園の歴史的・ 文化的な価 値が高いことを、出来るだけ多く の人に知ってもらう ことが大事なことであり 、文化財庭園 の存在性や意義を多く の人に認識してもらう ことが何より の課題であること が明白になっ た。そのためには、庭園の景観や建造物、植物などについての情報提供の手段を考慮するこ とでより 深い理解を図るべきであるという こと 、加えて、利用の復元の中で、都立庭園は都 民の貴重な財産であり 、 庭園を未来へ継承していく 仕事は都民とともに進めるべきである として、 庭園ガイド への参加などを具体的事項の一つとした9)。 これらの提案を具体化したものと して、 都民によるボランティ アが庭園ガイド を行う 都 立庭園ガイド ボランティ ア組織の立ち上げが現実のものへと進んでいった。 ( 1 ) 公園協会職員による「 庭園ガイド 」 の試行実施 1997 年に都立庭園が公園協会に業務委託された当時、 浜離宮恩賜庭園の管理事務所長で あった職員や庭園の維持業務を担当していた担当係長に当時の状況についてヒ ヤリ ングを 行ったところ次のことが明らかになった。当時、公園協会では、来園者サービスの向上のた めに何ができるかについて、8 箇所の庭園管理事務所長による会議を定期的に行い、何らか の新規施策を早急に打ち出す作業を進めていた。その中で、園内巡回の際や維持管理作業中
に来園者から庭園に関する説明を求められる機会が多いと いった経験などから、 来園者に 庭園の説明を行う ガイド を試行的に実施することになった。 ガイド の説明内容やコースの設定は管理事務所の職員が行い、 あく までも庭園管理事務 所の職務の一つとして行う ガイド であった。職員による庭園ガイド は、来園者サービスの向 上策の一つとして施行されたが、従来からの維持・ 管理業務が煩雑化する中で職員が定期的 に行う ことは困難であり 、 あく までも試行的な実施に留まった。 また、 浜離宮恩賜庭園や小石川後楽園等の特定の文化財庭園の知識を持つ人は学識者や 研究者等に限られており 、庭園のガイド は簡単に市民参加でできる状況ではなかった。文化 財庭園の庭園ガイド を行う ためには、先ず、江戸大名庭園に関する歴史・ 文化の正確な知識 が必要であり 、その上で、各庭園の特徴を理解しなければそれぞれに特徴を持つ文化財庭園 のガイド を行う ことが出来ないため、庭園ガイド を組織化するためには、正しい知識を持っ たガイド の養成が最初に取り 組まなければならないことが条件であった。 ( 2 ) 都立庭園ガイド ボランティ アの養成 文化財庭園のガイド を行う ためには、 池泉回遊式庭園である江戸の大名庭園の知識等そ の文化財庭園の特徴に応じ た基礎的知識が必要であり 、 その基礎的知識と 共に各庭園の持 つ歴史的知識も必要となる。そのため、公園協会では、文化財庭園の基礎的知識の普及拡大 と専門家の養成の目的から、江戸大名庭園等文化財庭園の基礎的な教養講座と、基礎的知識 以上に専門的に深く 知り たい人のための専門講座を用意する二段階構造と した一般都民向 けの教養講座を開設し、広く 都民から受講生を公募することとした。最終目的である庭園ガ イド の養成は、専門講座の受講生の中から希望者を募り、庭園のガイド として意欲のある人 材を発掘する仕組みとした。また、公園協会では、都立庭園ガイド ボランティ アを制度化す るにあたって、庭園のガイド となるためにはライセンス試験に合格することを条件とし、庭 園のガイド は単なる労務の提供のためのボランティ アではなく 、 文化財庭園に係る知識を 持っていると認定さ れた、 ガイド 資格を持ったボランティ アであると いう 重みづけを行っ た11)。 1995 年に発生した阪神淡路大震災を契機としてボランティ アが市民権を得て、 多く の場 所でボランティ アが活動することとなったが、「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 は、 ボラン ティ アであり ながら敢えて資格制度とすることにより 、 文化財庭園の知識を持った専門ボ ランティ アであることを証明するものとなった。 2016 年現在、「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 は、自分たちでガイド コースを設定し、ガ イド 内容を作成し行動する自主運営の団体として活動している24)。
1 . 6 本章のまとめ 本章では、 都立庭園の開園から現在に至るまでの管理の経緯を通して、「 都立庭園ガイド ボランティ ア」 誕生までの背景を明らかにしてきた。都立庭園の管理業務の委託化といった 転換点によって、施設管理者としての行政と、来園者のための管理・ 運営を受け持つ受託者 といった役割分担の明確化が背景にあったことが示唆された。役割の明確化により 、文化財 庭園の公開、活用といった部分の重要性に目が向けられ、文化財庭園を魅力ある・ 価値ある ものと して次世代に引き継いでいく ためには、 文化財庭園に対する市民の理解や協力が必 要であることが課題であることが明かにされた。そして、文化財保護法第一条に法の目的が 文化財の保存と公開にあると記述さ れているが、役割分担の明確化により、文化財庭園の存 在性や意義、特徴を広く 来園者に伝えるといった、文化財の公開という 意味合いを持つ「 都 立庭園ガイド ボランティ ア」 が誕生したと考えられる。一方、行政は「 東京都における文化 財庭園の保存管理計画」 を作成し、文化財庭園の復元・ 保全という ハード 面の管理に特化し て事業を進めることとなった。 役割分担の明確化が、文化財保護法が所有者に課している文化財の保全・ 公開の義務を達 成することとなった。また、ボランティ アによるガイド という 仕組みは、市民協働による文 化財管理の直接参加に叶う ものである。 文化財庭園は文化財保護法に基づき管理しなければならないが、 文化財保護法は、「 現状 の変更」 及び「 保存に影響を及ぼす行為」 に対しての文化庁長官の許可を必要とするなど厳 しい規制があり、文化財の保存、活用を積極的進めることは容易ではない。このよう な厳し い規制の中で、文化財の活用を積極的に進める方策として、庭園ガイド は大いに有効な手段 である。しかも、市民の貴重な財産であり 地域の宝でもある文化財庭園を次世代に伝えてい く 仕事は、 市民参加による協働事業に相応しい取り 組みである。 都立庭園は、 文化財庭園とし て長い年月と 厳し い試練を乗り 越えてきた貴重な文化財で あり、今でも再開発など多く の試練にさらされている存在である。文化財庭園に対する理解 や協力を市民から得ること によって、 さらに新し い活力を吹き込んで次世代へと継承し て いく ことは文化財庭園の管理者としての責務である。 文化財庭園の管理運営の経緯の中から創出されたボランティ アによる都立庭園ガイド ボ ランティ アは、文化財庭園の活用にとって有効な手段であり、市民協働の取り 組みとし ても 有意義な、新たな市民参加による文化財庭園の管理手法であるといえる。これらのこと から、 都立庭園ガイド ボランティ アの取り 組み手法は、 他の文化財施設等の管理にと っても市民
参加による新たな管理手法として取り 入れることができるモデルになると考えられる。