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現代俳諧の可能性

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Shonan Institute of Technology

NII-Electronic Library Service Shonan  工nstitute  of  Teohnology

  MEMOlES  OF SHONAN

INSTITUTE

 

OF

 

TnCHNOLOGY   Vol

28

 No

 L 1994

現 代俳 諧

可 能 性

山  

Possibilities

 of 

Contemporary

 

Haikai

Akira

 

YAMAGucHI

 

Ihave

 performed  renku  that 

is

 

formally

 called

haikai

 no renga

as a 

haiku

 writer  

for

 nearly  

50

 years

1

 consider  that  it should  

be

 an urgentissue  how  we  can  nt the style of that traditional  art to the present

coarse

time in which  we  are 1量ving

 

In

 the past

 this art 

has

 

been

 supported  

by

 the 

love

 of the populace  for true poesy

 humor

 and  the comics

 

In

 this point

1

 

find

 

importance

 of reviving  

haikai,

 or the origin of haiku

 

in

 the present era

 

As

ahaikai  poet

 I wish  to establish  a form of haikai that applies  to the present complex  society  and  is

accepted  by a wider  range  of modern  people

 This article  dares to propose what  I have always  felt at our  past haikai performances

 I would  like to add  that our  renku  party 

has

 operated  the performance  applying  the 

trial

 method  

described

 

in

 the

following,

 with  as much  success  and  pleasure as our party and  

I

 can expect

目 次

。 概論

………・

………・

…………・

…・

…・

……・

…………・

s…・

…………’

………・

…・

…………・

…・

153

二。 俳句と俳 諧の現 状

………・

………・

…・

………・

………・

………・

………・

…・

………・

……・

…153

三。 式 目論

……・

…………・

………・

……・

……・

……・

…・

………・

………・

t−t………

155 四。 禁忌 (タブ

開 放

…………・

………・

……・

……・

………・

………・

………・

…・

…155

五。 季 語

……・

…・

…・

…・

……・

………・

…・

…・

………・

………・

………・

………・

…・

156

六。 口語

………・

…・

……・

…・

………・

……・

……・

…………・

………・

………・

156

何 を残す か

………・

…………・

………・

………・

…………・

……・

………・

……….

………_

156 概

  私は俳諧の連 歌とい う 正式名称を持っ 連 句の興 行を い わ ば実 作 者と して半 世 紀 近 く も続けて きたもの で あ る

こ の伝 統 的な芸 術の ス タイルどの ように現 代とい う蕪 雑な時代にマ ッ チ さ せて ゆ く かを探ること が現 在に おい ては急 務で あると考えて い る。  か っ て い つ の代に も庶民のの 詩心や笑いや

滑稽 を愛 する気持ち がこの芸術を 根 幹 か ら支えて き た

い ま の時 代に 「俳句」の 本 来の姿である 「俳諧 」 を復活 する ことの重要性 を 私は

その点に求めて い る。

人の俳 諧 の実 作 者 と して現 代の錯 綜 した社 会に対 応 する

より 幅 広 く現代 的な市民に対 応す る 「俳諧 」の方 式確立をと 願っ てい る。   論 稿は俳 諧 興 行の さいにっ つ ね感 じて い ること ど も を, 思い切っ て 試案とし て提 言し てい るもの で あ る。 当 然な が らすで に この 方式に し た が っ て わ れ わ れの連句会 は運 座を し そ れ なりに楽 しく成 果を上 げて い ることを 付 言し ておこ う

課 程  非 常勤 講 師 講師紹 介 )   平成

5

10

30

日受付 俳 句 と

諧の 現 状  俳 句の盛 況はすで に世 界 的 な もの になっ て い る 日本 の伝 統 的な

わ ずか十 七 音の世 界で完結する定 型の もっ と も短い

世界の人々 に

種の憧 憬 を 抱 か せ る よ う で あ る。 フ ラ ン ス の文 化 人が 「日本 人は み ん な詩 人だ」 とい うの は ま さに句の隆盛を物語 る

 し か し第二次 大 戦の直 後に フ ラ ンス文 学の合 理 主 義 者 桑原武夫の主 張に よっ て 「俳句第二 芸術論」が 起 こっ て

153

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湘 南工科 大 学紀 要  第

28

巻 第

1

号 以来

その芸 術性非常な疑問を 提出されて きたが

そ れ に は まっ と う な解 答を用意 し ない で流さ れ

社会の大 衆 化と い う ま ことに芸 術 的契 機以外の理由によっ て現在 に立ち至っ て い る。

 

問題 は俳句の 醸 成の 基 盤で あ る 「結社」の閉鎖 性に あっ た 多 くの 俳 句 作 者 とい う名の 「俳 人 」たちは自 己 の属 する結 社の な か での み通 用 する俳句を作り, その結 社の で の み批 評をしあ う

結社は自 己 増 殖に ま か せて 人 を集め

果て は その な かで賞 を も う けて仲 間 内に それ を 授 けたり する。 要す るに こ れ は

種の仲 良し グル

プ である。  俳 句の芸術 性を向上させ る と いう方 向に で は な く

だ れもが加で きる とい うこと を利 点と して の文 学サ

ク ル に変身しっ っ る のであ る。 俳 句が現在の よ う に盛ん に なっ たの は

じっ は本 来の 芸術 的な欲求が強まっ た た めで は な く, 例え ば高齢者の生 き甲斐の 目標の

っ と て設 定され, そ れ が俳句の社会化を と呼 ば れて い るにす ぎない。  とりあ え ずの況 を前 提としてにす すむことに し よ う。

俳諧

近 代化

  明 治 維 新は西 欧 化 を 錦 旗 と し た革 命で あ る とい わ れ る。 新しい合理 主義の導入である

その近 代化は当然な が ら文 学の世 界にも及ん だ。 長 谷 川二葉 亭の言文

致に はじ ま り

詩の世 界で も藤村ほ かの近代 詩の息吹があっ たが

当 然の よ うに俳 諧の世 界に も革 新のが吹き す さ ん だ。  俳 諧の世 界で は新傾 向 を もっ て正 岡子 規らが俳句革新 を唱え だ し たの は明治二十年 前後の こ とである

彼らは 雑 誌 「日本」に よっ て 「新 派」を結 成して俳 句

俳 諧の 刷 新 を 唱え た。 伝 統 的な俳 諧の世界の

と くに俳諧師の 役 割を 決 定 的に批 判し た。 い わ ゆ る伝 承に よ る解明 不能 な部分を徹底 的に拒 否 し た。

  

「発句は文学な り

連俳 (俳諧)は文学に非ず。

……

  

連俳 固 (もと)より文学の子を有せ ざ るにらず    と いへ も 文 学 以 外の分 子 を も併有す るな り。 而 し    て 其の文 学の分子の みを 論ぜん に は発 句 を 以て足れ     り と な す。」    「連 俳に貴ぶ所 は 変化な り。 変 化は則ち文学以外の    分 子なり。 蓋し此の変 化な る者は終 始

せ る秩 序    と 統

の間に変 化 す る者に非ず して前 後相 串 聯 (か

  

んれん)せ ざる急 遽 倏 忽 (しゅ くこっ )の変 化を な     れ ば な り。 た と え ば歌 仙は 三十 六 首の俳 諧 歌 を 並べ    た る と異な ら ず して 唯両首の 間に同

の上 句 若 しく    は下 半 句 を有す るのみ 」

……

  明 治二 十 八 年。 青 年の活 気が み なぎる よ うな

そ して 旧態依然た る俳 諧 師の現 状に歯が み し てい る よ うな 文 章 で はある。 そ して こ のとき 同時に子規は 「写生の論」を 提起して尾芭 蕉を批 判し

与 謝 蕪村を称 揚して い る。  連 句は文 学で は ない

とい い切る颯 爽と し た子 規の 説があ る。 俳 諧に は文 学 以 外の要素が あっ て

俳 諧の世 界で は連句の第

句である

発 句だけが文学とい うこと がで き る とい っ て い る。 「文 学」とい う概念が真 新しい時 代の象 徴的な言 葉であっ た ろう。 ここにも西 欧の影 を 見 ざ る を得ない の で あ る。  「文 学 」の範 囲の ス タン スを ど う 取るかで こ の論は崩 壊 する。 こ こ に は文 学は個人で完結する もの だ とい うド グマ が色 濃く に じ み出てい る。 もち ろ ん

当時の伝 統 的 な俳諧師の腐 敗 堕落や無能力

表現の うえで は姑 息な表 現

月 並 みな付け あいな どの陳腐さは充 分に承 知 し た う えで い う な ら ば

他 者との関わ り を断っ て 自己完結型の 詩を創造 すること を 好 む 性向を 子 規 が持っ て い たに過 ぎ ない とい うことで あ る

あ えて言え ば病者 ら しい潔癖を 誇っ てい る性 向が明らかである   第二段で規の述べ て い 「変 化文 学 以 外 い う ア クセ ス は まっ たくの素人 談 義である。

般 的にい っ て 俳 句, 短歌, 詩, 散 文, 特に小説そ の ど れ を とっ て みて も変化を求め ない文学な どは考え られ ない。 個 人の

っ の作 品で も

ま た他の作 品との関 連で でも 変 化は実 作 者の必 然 と して考 え られる。

 

子規は具体 的に は連 句の付 け あい

句と前 句

また は その 逆の 関 係を言っ て いるに違い ない。 「指しあい」 「観 音 開 き」など とい う禁止条項 は 連 句の作法の

然な が ら考 え られることで ある。 べ っ の名で は 「打 越 」 とい う変 化の ないべ っ た りの内 容に は

変 化 を求め る必 要が あ ろ う。 いか なる文 芸でもこ れ は必 要な ものであ る。   これ以 上 正 岡 子 規に か か ず ら う必 要は ない が

少なく も明治の 中 期に俳 諧の衰 亡がお き た とい う 歴 史的な事 実 にっ い て は認識してお く必要があろ う。 ち なみ

1

こ子 規の 俳諧のお手並み拝 見とい くこ とに しよう。    歌 仙 「草 庵」 初オ 門口に桧の下 枝の茂 りか な          衣を更へ て薪わ る人       渺々 と田の面の 風のわ た る ら ん

     

湖にの ぞ み し小 城灯と もす 規 緑 緑 子 子 紅   虚

一 154一

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現 代俳諧の 可能 性 (山囗 章 )        羽 織 着て名 主へ 夕 月 夜                案 山 子の顔の何に驚く        緑       以 下 略  これは当 時の俊秀たちの あっ まり での連 句である

子 規

佐藤紅 緑, 高浜 虚 子 が 催 した俳諧の興行で あ る が詩 心 は低 劣

し か も月並 み 以 ヒの ものを越えて い ない。 こ こ で思いすの は松尾芭蕉が言っ た 〈発 句は其 角と い う

ヒ手が いる が

俳諧は私が ほん もの〉 とい う意 味の 「発 句 は門 人の中

予に お と ら ぬ句 する人 多し。 俳諧に おい ては 老 翁が骨 髄 」と述べ た ことで ある

連句に よっ て人 生の深 部ま で照ら す芸 術を目指して い た松尾芭蕉の 巨大 さ は子規らの 当 時の新 派が唱え る浅薄 な写生のを 越 え て い た。  また 「俳 諧は只 風 雅 也

風 雅に論は少 しも無 御 座 (ご ざ な く)候」と言い切っ た芭蕉に は く連 俳は文学に非ず〉 と目く じ らをたて る子規 などに は 理解で き ない達 成 が あっ たのである が

松 尾 芭 蕉 去っ て後二百 年 近 く

蕉 風 も ま た す た れて俳 諧 は芸 術の域 を 外 れていた。 その と きの 日本の近 代 化を背 景に し た追風を背 負っ て の子規の 断言であっ た  し か して ま さに子 規は成 功 した

 た だ し私に は子規の こ の言説に よっ て 「俳諧 」が衰亡 した の で はな く内 部 要 因と して はそ のあ ま りに煩 雑な 式 目に よっ て

俳 諧に とっ て もっ とも重要と見なされて来 た庶 民 的な 自 由な 発 想 が 遮 ら れて きた こ と が

最大の変 化 と考え られ る。 とき あた か も 明 治維新 後の転換の時で あ る

こ の ときあま りに も堅苦しく

事 大主 義 的な

し かも古 臭い諧の ル

ルが来 通りに尊 重さ れるわけが な い

 

さらに外部要因 と して は

生活の西欧化に よ っ て 時間 の 観念が圧倒 的に発 達し て来た ため に 万 事理化さ れ る時 代に な っ た とい うこ とで あ ろ う。 「俳諧 」のごと き 不 急 不 用の文 芸は次 第に遠ざ け ら れ た と見るの が正 しい だ ろう

 その さい に特に注 目 すべ は俳 諧 を 支 えて 来た階層の 社 会 的な変 化であ る。 都市型武士

富裕 な商人 な ど が 主 に俳諧 をささ えた身 分とい え る が そ れ ら が 「御

新 」の た め に混 乱 し

改 革 さ れた

社 会 的な大幅な変革に も ま れ た感 性が 旧態 依然の俳諧面 倒約 束を守ること を肯 定 する はずが ない。  かくして

さ まざま な要 素が複雑にみ合っ て 発句 は独 立 して 「俳 句 」 とな り現 在のを 迎えて い る。 俗 説で は詩 人

歌 人

三万

俳 人三十 万 といわ れて い る よう だ。 だ が 俳 句 人冂の お お くは俗 世 間の桎梏をその ま ま 引 きずっ て

主 宰と称 する人 間が か っ て の職場の 上 司 で あっ たりする。 その種の人物が俳 句の歴 史の理解 者で あっ たため しが ない

しか し俳 壇の人 間 関 係に だ け は や た ら と関心 を示すことは事実で ある が これ は けっ して誉 め ら れ たこ とで はな い。  し かも俳諧の歴史に は ま っ たく興 味が な く

当然な が ら古典 に は疎 く し か も そ れ を 恥 ず か しい と も何と も 感 じ て いな い とい う人間が俳句 世 界の リ

で あ る とい のが残 念な が ら真実で あ るようだ

式   目  論  この項で は紙 数の関 係か ら個々 の式目を検 討す る余裕 が ないが

,一

般に現 代 も行わ れて い る と思わ れ る俳 諧の 式 目の中か ら, 重要な もの にっ い て の考 察を展開して み よ う。  ともか く も

連 句 (俳 諧 ) を 巻こうとい う話が出た と きにかならず と 言っ て い い反 応 は 「あ れ は 難 し くて」 と い うこ とで あ る。 これは ど う して 起きる反 応で あろ う か。 まこ とに不 思 議 とい うほかはない。 以 下はい くっ か の分 析 を 経て私な りの要 約である

 その ま えに俳 諧の道に入る もの は ま ず は連 句の運座に 馴 れ る とい うこと が大 前 提で あ る。 初心の もの は, 連句 が さ ば き手に よっ て流れ が作られるとい う その進 行に戸 惑う

す ぐに馴れ ることで あるが

さ ば き手が座の流れ を作っ て い くそ の方 式に よ っ て

文 芸の本質が現わ れ る ことにれて い ない こと が大き く作用 する。 禁忌 (タ ブ

)の 開 放   俳諧が原則五七五

七七の音を持っ 言 葉を重ね て

巻 (三十 六

または) を巻き上 げる事は大原 則で あ る

しか しそれ 以 ヒに大 変 な 数の タ ブ

に よっ て包 囲さ れて い る事は実 際に 占典 的な俳諧 (連句 )と ぶっ か っ て 見るまで は理 解で きない 古 典な式 目に従っ ての 俳 諧 興 行の

員に なっ た と き に は

すべ て そ れ は詩心の開 放 を 願 っ て の ことの筈であ る もの が

た だひ た す ら タブ

にが ん じ が ら めになっ て困惑して い る自己を発 見 ずるに ち がい ない。 そ れ は もう重症を通 り越して 危 篤状 態で

形 式を 整 える た めに短句, 長 句を交互に並べ てい る よ う な ものであっ て無味乾燥この う え もない   詩心 が俳諧 文 芸の な かに失わ れ たとい うこ とはこの よ うに

形式 主 義の陥 穽に おちい っ て 作られてい る か らで あ る。 試みに これ らの禁 忌を羅 列して そ れ がい ま

文 芸

155

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湘南工科大 学紀要

 

28

 

第 1 号 の心 とは は るかに逸脱して形 式に こ だ わ り, 形 式を充足 する た め の道 具に なっ て い る実態を考察して みよう。

語  俳 諧に語 は必 要

かっ 不 可 欠の もの で ある。 しか も 句の付け合いが同様に季語 を 必 要 と するの は論 を もた な い だ が 伝 統 的 な 季 節 感 を 大切にする の あま り, 季語を 細 分 化し て使 用 する, 〈例え ば春を浅春

と か 三春な ど細 部 化して用い る〉必要が あるだろ うか。 まして や そ の付 け合いが

その順をおっ ていないか ら とい っ て付 け句 と して 就 し ない とい うの は無 意 味である

  現 在は季 節 感の希 薄な時 代である

都 会の 暖 冷 房は都 市 市 民の生 活 を変え, 意識を変え る。 もち ろ ん規模は小 さい とはいえ地方の 生活も変 化して い る。 そ れに従っ て 享 受 する自然 も

松 尾 芭 蕉の 代や そ れ 以前の 自然 と現 代は か なり異なっ て きて い る。 現 代の感 覚で人間を

ま た自然を俳諧 として 唱っ た とき 「季 語の抑 制」 は おのず か ら緩や かに ならね ばな ら ない 口 語  俳 諧は い っ の世に も

そ の時 代 を 風 刺 し

滑稽し てい わ ば時代の庶 民 的エ ルギ

を 吸 収 し発 展 して き た。 そ の とき俳 諧に用い ら れ る言 葉は

日常の言 語 感 覚に基 ず い て いる。 これは用い ら れ た言 語の 内に潜む時 代性とで もい うほ かに表 現の し よ うが ない ものでは あ る。     〈茅 舎 買 水 〉     氷苦く偃 鼠 (え ん そ)が咽を うる ほ せ り  芭蕉  この句は形式的には松 尾 芭 蕉が強い影 響 を受 けた とい わ れ る漢 詩を基 底におい て い る

「荘 子』逍 遙 遊 篇に ある 「偃鼠河ヲ飲ムモ満 腹二 ギ ズ」 と う詩 を 下 敷 き て い る。 芭蕉の転 換 期を準備 する漢詩

謡 曲に多 く題材 を求あて い る もの の

つ で ある。  こ のよ う な漢詩の世 界を ナラタ

ジュ したこ の句にお い て も

松 尾 芭 蕉の代 感覚は鋭く江 戸時代の 口語 感覚 の 上にあ る と私は感得する。 明治以後の言 文

致の文芸 風 潮の な かで

当 然の ことな が ら 日常の語を取り入れ るこ とによっ て 「文学 」は進展し てきた  これか らの 俳 諧はい っ そ う積 極 的に 口語に よ る表 現 を 追求す る必要が あ ろ う。 現 代の複 雑 怪 奇な世 情は現 在 使 わ れて い る日常の言葉で 表 現 しなけ れ ば 真 実は伝わらな い。 効 果 的 な文語 を交え な がら口語 表現が もっ とも効果 的に芸 術 性を発 揮す るで あ ろ う。

すか

 

い ま は危機的な状 況にあ る

庶 民 芸 術として の俳 諧の 存続の た めに も難 しい式 目の整 理が必 要である

宗 教や 中世 的な規範の た あ影響されて できあが っ た式目が お のずか ら神 仏 信 仰や

自然の ア ミニ ズ ムを崇 拝して いた と してもこれは やむ をえ な い。  だ が現代は人 間の時 代で あ る。 これ を荘 重なバ ロ ッ ク の 音楽で満た そうとして も意 味 が ない 人間不 在の 空 虚 さが目立っ ば かり で あ る 。  現 代は人間 が中心の時で あ る。 式 目も ま た当 然な が ら現代の意 識に よ

て 変え られる必 要 が あ ると私 は 考 え る。 い ま は何を残すか と真 剣に模索 すべ き時で あ ろ う

 具体的に その 基本的ない くっ か を列 記 する の も

興で あ ろう。 こ こ では単に実 際に作 品 を 作る場 合に感じてい る こと を個 条書き に し

そ の 理由な どにつ い て は 別の機 会に譲る。    

巻 三 十 六 句 (歌仙の場 合)。    二

春 秋 五 句

夏冬二 句 去り。    三。 恋句は制 限な し。    四。 神 紙

釈 教は考慮 し な い。

  

初折 り

名 残の 気分は尊重 する。       (こ の項 終 り)

一 156一

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参照

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