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ブラメルド著『日本』について : 教育の人類学的アプローチ序説として

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Academic year: 2021

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(1)Title. ブラメルド著『日本』について : 教育の人類学的アプローチ序説として. Author(s). 松田, 義哲. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 21(2): 87-102. Issue Date. 1971-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4618. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. ブラメ ル ド著 「日本」 について -教育の人類学的 ア プローチ序説として-. 松. 義. 田. 哲. 北海道教育大学岩見沢分校教育学教室. Yoshiaki M Ar 1 i t ten by Theodore psUDA ; 0n J αゑα7 2 wr Brar neld--As an lntroduction to the AnthropologicaI Approach to Educat ion. 序 ブラメル ド博士は, わが国にも, かなり広く知られてい るアメリカの代表的な教育哲 学者であ る. 現在, ボストン大学において教育哲学を講じている方であるが, 1965年から1966年にかけて , 私 を ボ ス ト ン大 学に 招 い て, ペ ス タ ロ ッ チ 一 に 関 し て 講 義 を し た り,. ま た アメ リ カ の 教 育 哲 学 に. ついて研究する機会を与えてくださった方でもあるので, 私としては, それに対する謝礼として, 博士が今度新しく公にした日本に関する研究, 題して 『日本, 二つの部落における文化 ・ 教育お よび変化』 (Japan, Culture, Education and Changein Two Commumities) を, 広 く わ が 学 界 に紹介する労をとることにしたい, 博士は, 広く知られてい るように, 教育哲学の人類学的ア プローチを試みている方である。 そ の成果としては, 博士の著書すべ てをあげていいのであるが, とくに代表的なもの と し て は, 1959年に出した 『文化の改造-プエ ルト・リコの生活と教育』 (The Remaking of a. Cul ture ;. Li fe and Educat ion in Puerto Rico) と, 1957年 初 版 の 『教 育 の 文 化 的 基 礎』 (Cul I tura ions o Foundat ion) と で あ る 前 者 は プ エ ル ト・ リ コ に お け る 現 地 調 査 の 結 果 を ま と め f Educat .. たものであり, 後者は, それにさき立って理論的に考究したところを体系化 したものである. したがって博士の新著 『日本』 は, これらの研究を基礎として, その上にさらに積み重ねられ た, まったく新しい独創的な研究と言うことができる. 十分の研究費を用いて思うように調査研 究できる点は, まことにうらやましいかぎりであるが, しかし研究というものは, 研究費さえあ れば成功するかというに, 必ずしもそうではなく, やはり研究者自身の能力とか努力とかが大き くものを言う, その意味で, ブラメ ル ド博士が, 遠く離れたわが国に長期滞在 して, 種々の困難 を克服して, なかんずく言語上の困難を乗り越えて, ついに完成されたこの研究成果は, 高く評 価さる べき理由をもっ ている, そのことは, この著書に接した方には十分理解できる こ と と 思 う.. ここで簡単にボス トンについて述べることは, ブ多メ ル ド博士の日本研究を理解する助けにな る だ ろ う.. ボス ト ン と い う ま ち が, アメ リ カ 建 国 の 歴 史 が は じま っ た ま ち と し て, 歴 史 の ま ち で. - 87 -.

(3) . VO I .2 .21 No. i i i i do Uni t t lof Hokka on (Se c on I C) s Journa y of Educat . ver. Feb , ,1971. あり, 数多くの大学があるところとして, 大学まちであり, ボス トン交響楽団 が象徴する音楽の まちであり, 文学史蹟の多いところとして, 文学のまちであることは, 広く知られているが, そ れ は 同 時 に, ハ ー バ ー ド大 学 や ボ ス ト ン 美 術 館 を 中 心 と し て, 日 本 研 究 のメ ッ カ で も あ る, と く に ク ラ シ ッ ク な 研 究 に お い て, ュ ニ ー ク な 地 位 を 占 め て い る, そ の 研 究 の レ ベ ル の 高 い こ と は,. わが国の大学に劣ることはない, と言っていいのではないか, 事実, 日本の学者 が数多くこの地 ・ に居住して, 研究に従事しているのだから, それも当然であろう それはとに かくとして, ブラ メ ル ド博士の日本研究が, ボス トンというまちから刺激を 受け, かつ促進されたことは, 容易に 推察する こと ができる, 彼の日本研究が, とくに2つの部落を中心にお こなわれたことは, これ までのアメ リカにおける日本研究を 十分ふまえて, それとはちがった新しい領域を開拓しようと する意図をもったものであることを示すものである. その意味で彼の日 本研究は, アメリカにお ける日本研究 の レベルを, さらに一段高めたものと見ることができよう. 彼が調査の対象とした 2 つ の 部 落 と い う の は, 1 つ は エ ビ バ ラ と い う 漁 村 で あ り,. もう 1つはカワバラ とい う未解 放部. 落である. これらの研究調査につい ては, わが国の学者も重要な研究対象として取り上げ, すで にそれに関する価値ある研究も, いくつか発表してはいる が, ブラメル ド博士は, 言語上の困難 を克服して, この仕事を成就 したのであるから, まことに驚異的と言わねばならない. ここで, この種の理解にとっ て重要な注意事項をつけ加えておきたい, それは, この書の中で 用 い ら れ て い る 地 名 は, す べ て 仮 称 で あ る, と い う こ と で あ る, エ ビ バ ラ ・ カ ワ バ ラ は, も ち ろ カ ワ バ ラ を 含 む ヤ マ ダ市, ま た, こ れ ら の 地 域 を 含 む 県 と し て の ヨ ネ シ マ 県, 県 庁 の あ る 中 心 都 市 と し て ヒ ロ イ 市 な ど, す べ て 仮 称 で あ る.. ん の こ と, エ ビ バ ラ を 含 む ウ ッ ミ 市,. もちろん, この研究には数多くの日本の学者・教育者の協力があった, それらの人々の名 は, す べて この書の序文の中に あげられているが, それを見ただけでも, この研究が, いかに大規模 の も の で あ っ た か が わ か る.. ブ ラ メ ル ド博 士 と し て は, 日 本 の 文 化 全 体 に ア プ ロ ー チ す る こ と を. 本来の目的としているようであるが, ただ研究に学的価値をもたすために, このようなア プロー チ を用 い た の で あ る.. だ か ら問 題 は, どう し て こ の よ う な ア プ ロ ー チ が 日 本 の 文 化 全 体 へ の ア プ. ロ ー チ に な る か, と い う こ と に し ぼ られ る だ ろ う.. こ の こ と に つ い て は 筆 者 も, ボ ス ト ン 滞 在 中. に, 直 接 ブ ラメ ル ド博 士 に 申 し上 げ た こ と も あ っ た が,. ス ピ ン ドラ ー 博 士 が こ の 書 に つ け て い る. 序文の中でも, やはり博士は, この点を問題に しているようである. 1. ス ピン ドラ ー 博 士 の 序 女. ler) 博 士 は, す で に 広 く 知・ られ て い る よ う に, ス ピ ン ド ラ ー (George D.Spind. スタ ンフォー. ド大学の人類学の教授である. 彼もまた人類学者として, 教育と文化との関係に主な関心を向け, こ れ を 中 心 テ ー マ と す る 価 値 あ る 編 著 を も 公 に し て い る.. ち な み に ス タ ン フ ォ ー ド大 学 は, 日 本. 研究でも, ハーバ ー ド大学などに劣らないだけの業績をあ げているから, その意味か らも, ス ピ ン ドラ ー 博 士 が, こ の ブ ラメ ル ド博 士 の 新 著 に 序 文 を 寄 せ る こ と は, ふ さ わ しい こ と と 言 え る の. である, しかし本質的な考え方をすれば, ス ピン ドラー博士の序文は, 彼の人類学者としての業 績 の ゆ え に, 価 値 を も っ て い る の で あ る.. ブ ラメ ル ド博 士 も ま た, そ の ゆ え に, ス ピ ン ドラ ー 博. 士の序文を期待したのであろう, さ て ス ピ ン ドラ ー 博 士 は, そ の 書 に 寄 せ た 序 文 の 中 で,. ブ ラメ ル ド博 士 に つ い て, 「ブラメ ル. ド教授は正式に訓練された人類 学者ではないが, しかし彼は人類学的な概念と方法とを同化し, ) と 述 べ て い る, 彼 に よ る と, ブ ラメ ル ド ー そ して そ れ らを 彼 自 身 の 目 的 に 合 う よ う に 修 正 した.」. ー 88 -.

(4) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). ・. 昭和4 6年2月. 博士が 普通の人類学者と異なる点は, 彼が証拠の解釈において, 価値に定位 づけられた姿勢をと ることである. けれども彼は多くの情報提供者に接触して, データを蒐 集する点では, 人類学者 と 同 じ 方 法 を用 い て い る,. しか も こ の 点 に 関 し て, ス ピ ン ドラ ー 博 士 は ブ ラ メ ル ド博 士 を き わ め. て高く評価している, その部分を引用する. 「彼の解釈は価値に定位づけられているけれども, そして彼は文化体系の諸 部分のあいだの結合を, 機能的意味よりもいっ そう多く 目標志向的意味 で見ているけれども, 彼は相克や相違を手もとにおいて, あまり持ち出さないようにする ことを, 小心す ぎるほど避けてい る, それ らの相克や相違は, もしそう持ち出さなければ, その解釈にお ) 2 いて早計な結論へと導きかねないものである,」 ス ピ ン ドラ ー 博 士 の 編 著 『教 育 と 文 化, 人 類 学 的 ア プ ロ ー チ』 (Educat ion and Cul ture , Anthropo l i A I h ogca pproac )が 公 に さ れ た の は, 1963年 で あ る が, そ の 中 に は シー ゲ ル (Bernard. l j ege ) の日本研究の論文が含まれている, その論文の題目は,『日本の郡部における社会的構 ,Si i IStructure, SociaI Change, and Education ln 造 ・ 社会的変化および教育, 事例研究』(Soc a Rura IJapan: A Case St udy) である. この研究は, 九州の佐賀市か ら15粁ほどのところにあ. る一山 村と, 同市から2粁ばかりへだたっ たところにある一農村とについての事例研究である, したがっ て編著のス ピンドラー博士には, ある程度, 日本の農村に関する認識がそなわっ ている ことになる. しかし彼にとっ ても, 日本における未解放部落の研究は, まったく新しい知識のよ うに受けとれる. 彼が ブラメ ル ド博士の研究を高く評価す るわけは, この辺にあるのであろう. また ブ ラメ ル ド博 士 と し て は,. こ の 研 究 に よ っ て, ボ ス ト ン の 日 本 研 究 を 代 表 し て, ス タ ン フ ォ. ー ド大学における日本研究の レベルに挑戦したかっ たのであろう. 思うに競争の原理は, 資本主 義社会を支える根本原理であるから, 同じ社会における学問研究も, やはり同じ原理の上に立っ て進 め ら れ る こ と は, 明 ら か だ か ら であ る. l i i ture t 1) Theodore Brameld,japan, Cul t on es , , Educat , 1968 , Ho ,and Change in Two Communi ins Ri t and WJ nehar t on l 1 ,v , New York ,p t t 2) di op V I I I ,. I 1 一般 化 の 問 題 筆者は, すでにボストン滞在中に, 2つの部落に関する事例研究から, 直ちに日本文化全体に 関する結論を導き出すことには, 論理の飛躍が考えられるのではないか, ということを問題にし たが, この筆者の発言がブラメル ド博士には, よほど気になったと見えて, 彼はこの書の序文に おい て, も っ ぱ ら そ の こ と を 問 題 に し てい る.. ブラメ ル ド博士が教育的人類学の体系 化を企図していることについては, すでに言及した, こ の学問体系は, アメリカでも未だ新しい学問体系で, 十分認識されているとは言いがたい. 彼に よると, 「たしかに教育的人類学は, 新しい専門分野として出現しはじめたが, しかしそれは, 代表的人類学者によっ て, 未だりっぱなものとは見なされていない, 代表的教育学者も, 未だそ ) し か し 彼 と し て は, れ を 十 分 認 識 す る に い た っ て い な い.」1. このア プロ ーチ が現 代の 教 育哲 学に. とっ て, もっ とも価値ある ア プローチと信じている, その点に関しては, 筆者もまた同じ考えで ある, ただブラメ ル ド博士と 筆者とのア プローチの上での相違点は, 博士が文化の空間的契機に 重点をおくのに対して, 筆者のこれまでの努力は, 明らかに文化の時間的契機に向けられ てきた, と い う こ と で あ る,. と は 言 っ て も, こ れ ら 2 つ の 契 機 は, 相 互 に 補 い 合 っ て こ そ, 初 め て 文 化 の. 全体的把握が可能になるのであるから, 筆者にも対立的姿勢をとる意向は毛頭なく, む しろブラ ー 89 -.

(5) . Feb ,1971. i ion (Sec i t ido Uni l。f H0kka t on I C) Journa ver s y of Bducat. vo l .2 .21 NO. メ ル ド博 士 の ア プ ロ ー チ の仕 方 か ら, で き る だ け 多 く の こと を 学 び た い と 思 っ て き た し, い ま も. その態度に変りはない. それはとにかく, このようにア プローチの仕方の 上に特性が出てきたの は, やはりアメ リカ文化と日本文化との成り立ちの相違によるものと考えられる. ひとは誰でも, 日本文化のよ うに長い歴史をもった文化のうちに育てを , 当然筆者の用いるような思惟方式のと りこになるであろう, それがいいか, 悪いか, の価値判断は, このさい問題にしないで, ただ事 実問題として受け とめるにとどめる, さてブラメ ル ド博士の用いる方法は, 多くの人類学者と 同様に, 質問紙法である, この方 法は プ エ ル ト・ リ コ の 研 究 に お い て も 用 い ら れ た が, 今 回 の 日 本 研 究 に お い て も 同 じで あ る. そ れ は. 32問から成っ ているが, それらすべ てが巻末に付録としてつけ加えられているので, 関心ある方 は, それを見られる がいい, ここでは設問 の形式を知るために, 第1問のみを掲げることにする, 問1 2 2才のしょう子さんは, 彼女のつとめている工場で出会 った青年の吉田さんと恋愛に陥りました, 2人は結 婚したいと思うが, しょう子さんの父が強く反対します. しょう子さんの父は, しょう子さんの相手として, も っといい家庭の青年を選んでいる, と申します. a しょう子さんは吉田さんと結婚すべきである. しょう子さんは (父・母・2人の兄および結婚した姉を含めて) 家族と十分に, その問題について話し 合うべきである. c しょう子さんは父の願望を尊重すべきである. b. この間に答える者に対して, 次のような注意書きがついている, ある場合には, 次の3つの選択肢のうち, どれにも満 足できないこともあろうが, とにかく自分自身の意見 を表現するのに, も っとも近い選択肢にチェックしてください. 家族の者と話し合うことは自由だが, 話し合 ったか否かを, 余白に書いてください. こついて集計したものを示すと, 次のとおりである, さて問1のみに; ‘( 1 ) I. 2 { ). ( 3 ). 4 ) (. 6 ( ). ( 5 ). ”}. ( 8 1. ) ( 9. ⑩. ⑪. F 1. 42,9. 47. 40.0. 30. 40,0. 2. 46.2. r 4 、. 48,0. 44. 57.5. 68. 54 ,4. 1. 53,9. T. 9.2. 8. 2,5. 2. 5.4. 3. 0. 1 ) 間. 注 ( { 2 ) 間の種類. Fは家族を示す. ( 3 ) 選択肢. ) 価値的選択, 1 革新的, M 牲. 膜健, T 伝統的.. ) エ ビバ ラの%, { 5. ( 6 ) カ ワ バ ラの %, ”) ウッミ市の% (エ ビバ ラを含む市) . { 8 1 ヤマダ市の% (カワバ ラを含む市) , ( 9 ) 以上4区域の平均, 回 以上4区域の選択の平均. 1 も っとも強い, 2 側. 次に強い, 3 もっとも弱い.. 指導者の%.. さて集計の結果から見る と, この間に関するかぎり, 穏健なbの見解をとる者が, もっとも多 い, その次が革新的なaの見解をとる者 が多く, そして伝統的cの見解を とる者は, きわめて少 ない. ただ1つの例外は, カワパ ラでは, 革新的なaの見解をとる者の数が, 穏健なbの見解を 一9 0-.

(6) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. と る 者 の数 を, わ ずか ば か り, ぅ わ ま わ っ て い る, とい う こ と で あ る け れ ど も そ の 差 が わ ず , ,. かであるのには, 注意がひかれる. 以上はブラメ ル ド博士の調査方法の一端をあげたにすぎないが, これによっても, 彼の方法が いかなるものであるかは, ほぼ見当がつくだろう. この間だけを取り上げても, 人類学者の関心 のあるところが何であるかは, 明らかである. つまり彼らは, もっぱら文化のあり方を問題にす る, そして多くのデータを蒐集したあげくは, 文化の改造にまで想到する, そうなってくると, すべては教育哲学の問題になるわけである, ブ ラメ ル ド博 士 は, す で に, こ の 方 法 を プ エ ル ト ・リ コ の 調 査 に 適 用 し た しか し彼 自 身 も 言 . っ てい る よ う に, プ エ ル ト ・ リ コと 日 本 と で は, 根 本 的 に 異 な っ た と こ ろ が あ る, そ れ は, 日 本 が 古 い 歴 史 をも っ た 国 家 で あ る, とい う こと で あ る,. ブ ラメ ル ド博 士 は, 両 者 に 共 通 す る 点 は,. い ず れ の文 化 も急 速 に 変 化 し て い る, と い う こと で あ る と し て,. あえ て日 本 を プエル ト・ リ コ に. なぞらえて考えようとしているが, その辺の類推は, ややあぶなっかしい. ただ農村的秩序から 都市的・産業的秩序への転換に関するかぎりは, 両者に共通するものがある, というブラメ ル ド 博士の推察は正しいであろう. それにしても, この転換の歴史 の深浅の問題は, 依然として残 る, この局面における掘り下げをブラメ ルド博士に期待することは, 少なく とも現段階では, 無 理 と い う ほ か は な い だ ろ う,. さて ブラメ ル ド博士は, 2つの下位文化をもった社会の研究から, 日本文化全体に関する一般 的な見解を確立しようと狙った, しかしそれが果して可能であるか. もっとも大きな問題はここ にある. 筆者としては, さきにもふれたように, 2つの特殊な 部落から日本文化全体に関する結 論を導き出すことは, かなり危険を伴う, と考えている, というのは, これら特殊な部落は, と くに1つの部落は, いわゆる未解放部落として, これまで社会的に差別扱いを受けてきていると こ ろ か ら,. も っ と も 民 主 主 義に お け る 人 間 平 等 観 に あ こ が れ を も っ て い る 人 々 の グ ル ー プ で あ る. からである, だから, これらの部落についての調査をもとにして, 日本民族全体の民主主義への 志向を測定することには, 危険が随伴することになる, すなわち少なくともこの場合には, 個即 普遍の論理は成り立たない, もっとも一面では, これらの個に全体のすがたが投影さ れているこ と も, 考 え られ な い こ と で は な い で あ ろ う,. し か し そ れ は, あく ま で 一 面 に お い て で し か な い.. だからブラメル ド博士としても, 個即普遍の論理をもって, その全体の構造と過程とを説明しよ うと す る も の で は な い. た だ ブ ラメ ル ド博 士 と し て は, こ れ ら 2 つ の 部 落 に 関 す る 調 査 の 結 果 が ,. ある程度は日本文化全体にあてはまることを主張す ることに, 力点をおいている. 彼の論拠は次 の諸点におかれている, まず第一に, 「とにかく日本の場合は, 人口が極端に細密である. それ は世界第3位といわれ ている, その一つの結果として, あらゆる社会は相互に密接な関 係をもっ ているだけでなく, い わゆる疎外された社会でさえも, 周囲の社会と不断に交渉を保っている, このことは, エ ビバラ や カ ワ バ ラ に つ い て も 同 様 に あ て はま る。」 と い う こ と で あ る, 第 二 の 点 は,. ブ ラメ ル ド博 士 は, か ね て か ら アメ リ カ に お い て も, い わ ゆ る 「少 数 グ ル ー プ」. i ty g (minor r oup) の研究に力を注いできた. 彼が日本研究において, 2つの部落を取り上げた. のも同じ関心からきている, ところが, 「漁民や部落民でさえも, 『少数グルー プ』 がもっている 特徴と類似した特徴をあらわしているとすれば, そこから日本文化に関す る一般化を試みること 3 ) にも十分の理由はある,」 もう一つの点は, ブラメ ル ド博士は2つの部落について綿密な調査をしたほかに, 事実, 東京 一9 1-.

(7) . Vol .2 ,21 No. i i t i i on I C) i do Un f Hokka t on (Sec lo s Journa ver y of Bducat. は も ち ろ ん の こ と, ウ ッ ミ 市 や ヤ マ ダ 市, さ ら に 広 く は, ヨ ネ シ マ 県 に つ い て も,. Feb . ,1971. かなり念の入. った調査をしているので, 日本文化全体についても, ある程度の認識は獲得している, というこ とである, だから, そういう認識をもたないで, 特殊から一般を導き出す一般化とは, 当然区別 さ れ る べ き で あ る.. つ ま り ブ ラメ ル ド博 士 の 場 合 の 一 般 化 は, そ の 他 の デ ー タ に よ っ て も, あ る. 程度, 正当化されている. とは言 っても, ブラメ ル ド博士としては, 人類学的方法の長所 と限界とを十分わきまえている ので, さい ごのところでは, 「日本の文化と教育との全体に関する重要な一般化は, 十分弁明で きるとしても, もともと, このような一般化に到達することが, われわれの主要な目的ではな 4 ) と, つ け 加 え る こ と を 忘 れ て い な い. い.」. 注 1) 2) 3) 4). l d Th ,xv1 , Brame ,Japan p di t t I 1 op V × . di t to p I 1 .×VI di t t l l op ,×vl. 皿. この 書 の 構 成. この書の構成を ブラメ ル ド博士の全体系から説明するために, 便宜上, この書全体の目次を掲 げる こ とに した い. ス ピン ドラーによる序文 著者の序文 第1部 漁民の社会 ロ エ ピバ ラにおける相克と協同. 1 エ ビバラの横顔 m エ ビバラの価値型相. 第2部 部落民の社会 V カワパ ラにおける解放闘争. カワバ ラの横顔 W カワパ ラの価値型相. W. 第3部. 展望 棚. m 下から. 社会全体の展望 \ 以 女化の働きとしての教育. 上から. 指導の展望. 付 録 1 調査方法. エ ビバ ラとカワバ ラ 皿 調査方法. 指導者のパ ネル. ロ 価値的研究, モデルと調査結果 ′ 女 献 n. V 日本語解説 索. 引. こ の 目 次が 示 して い る よ う に,. ブ ラメ ル ド博 士 は, エ ビバ ラ と カ ワ バ ラ と の 両 部 落 の 分 析 に お. いて, 彼がその著 『教育の文化的基礎』 において体系化した方 式を用いている, そこで一応, 彼 de 1 ) 彼は客観的文化を秩序 (o r ) oc e s ) および目標 r s の体系を概説する ことにする。 , 過程 (pr l (goa s ) の3つの局面から考察する. そのア プローチの仕方は, あくまで操作的である. 秩序は t t ruc e) と同義である, それは空間的秩 序と時間的秩序との2つに分けて考えることが 構造 (s ur できる. 空間的秩序は, さらに水平的と垂直的との2局面をもつ, 水平的関係として の秩序にお いては, 各文化に共通な個々の現象, 血族・国家・文化領域・文化型相などを考察の対象とし, 垂直的関係としての秩序においては, 血族・地位・階級・カス トなどを問題にする, そのほかに - 92 -.

(8) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和4 6年2月. 空間的秩序としては, 生活態度としての文化形態の問題が含まれる. 時間的秩序としては, 文化 に 対す る 進 化 的 ア プ ロ ー チ な ら び に 歴 史的 ア プ ロ ー チ が 考 察 の 対 象 と な る.. 歴 史的ア プローチに. ついては, とくに次の点に注意することが必要である, 歴史は, 上に述べたように, 文化的秩序 の時間的局面であるが, それはまた, 操作的のものとして理解され得る. すなわち過去は, 永遠 にす ぎ去った客観的出来事の記録ではなく て, 人間的進化の過程を解釈し, さらに再解釈する無 限に豊富な機会にほかならない, 歴史的な出来事が客観的に現実的でない, というので はない, . ただ現実は, 不断の操作的な再解釈と, 不断に新たな利用とに, 向けられている. したがって歴 史的現実それ自体は, 不断に変化を受けることになる, さ て ブ ラメ ル ド博 士 の ア プ ロ ー チ の 方 式 を ふ ま え て, 彼 が 新 しい 著 書 に お い て 用 い た ア プ p ‐ チ を 吟 味す る に, 第 1 部 の エ ビバ ラ の 研 究 に お い て, ま ず エ ビバ ラ の ,横 顔 を も っ て き た の は, 秩. 序もしくは構造を問題としたものにほかならない. そしてその次に, エ ビバラにおける相克と協 同とについて述 べたのは, その地域の文化の過程を追求したものである, そ して, さいごに, エ ビバラ の価値型相を考察の対象としたのは, 目標について考察したものである. 同 じ手 続 きが, カ ワ バ ラ 部 落 の 分 析 に お い て も 用 い ら れ て い る, た だ カ ワ バ ラ は, 部 落 民 の社. 会であるだけに, その区域の文化の過程を解放闘争としてとらえている点が, われわれの注目を ひく,. 第3部は, 2つの部落を全体的にとらえて, これを社会学的に把握しようとしたものであ る. それに2つの道を設けた. 1つは社会の分析から出る道であり, もう1つは, 指導者 の地位にあ る人々 が考えていることから出る道である. 人間は誰でも, 立場を異にすると, その考え方の上 にも変化が生ずる, 同じ人間が, その考え方において, すっ かり変 ったものになる場合がある, この態度の変化は, 社会人一般についても, 同様にあてはまる, ブラメル ド博士は, その社会学 的 分 析 に お い て, こ の 論 理 に した が っ た ま で で あ る,. ただ第9章の教育と文化との関係についての考察は, 彼にとっ ての基礎理論であって, 2つの 部落の事例研究も, けっきょく は, この基礎理論を正当化するため のものにす ぎなかった, しか し経験論的ア プローチは, 反面では, 先験論的ア プローチを前提するので, 彼のこの経験論的ア プローチが可能になるためには, あらかじめ彼の基礎理論が準備されていなくてはならなかった ことも事実である. ブラメル ド博士自身は, 秩序と過程と目標との3局面のうちで, 過程にもっ とも重点をおいた, と述 べている, それは, 文化をその動的なす がたにおいてとらえるのが, 彼の主眼点であるから である. 文化を動的なも のとしてとらえることができるかぎり, それは教育と結びつくことがで きる. けっきよく, 文化の問題が教育の問題として展開してゆく点で, この研究が教育哲学的に 興味あるものとなるのである, 2年, 協同出版)9 2ページ 1) 拙著 『改訂教育哲学』(昭和4. W. エ ビバラ の分析. エ ビバ ラ と い う 部 落 を と ら え て い る. こ の バ 6 つ の角 度 は, カ ワ ラ に も 同 様 に あ て は ま る. そ れ は, さ きに 述 べ た よ う に, け っ き ょ く 秩 序 ブ ラメ ル ド博 士 は, 大 きく 分 っ て 6 つ の角 度 か ら,. ・過程および目標 の3局面にまとめられる. その観察の細かさは, まさに驚異的である, われわ れ に と っ て は 何 で も な い こ と で も,. アメ リ カ か ら きた 人 々 に と っ て は, す べ て 物 珍 し い も の と し. 一 93 -.

(9) . vo l .21 N0 ,2. ido Un i i i i ーof H0kka J0uma t ver s t on (Sect o l l c) l y of Educa. Febリ ー971. て目に映ずるのであろう. それは, われわれが 外国へゆくと, おのずから観察が細かになると同 じ論理で ある. エ ビバ ラはウッミ市の一部分であるが, ウッミ市は人口約5万人の都市である. その5万人の うちの約1 ,200人が漁業に従事している. そして漁業は市の重要な産業となっ ている. ヨネシマ 県で最大の漁業会社は, このエ ビバラにある. 波止場で働く者のうちには, 部落民がま じっ てい ることに, 著者のブラメル ド博士は注意を向けている. 著者にとっては, 漁民の生活は, よほど 興味があったものと見えて, その一日の生活についての描写は, きわめて詳細である, 7人が自民党, 2人が社会党, 1 政治的には, ウッミ市には30人の市会議員がいて, そのうち2 人 が公明党である. 市長は自民党に属している人である. この関係からもわかるように, ウッミ 市は, 全体として, 政治的には保守的傾向が強い. ウッミ市の社会構造は, 自治会組織によ っ て説明される. 自治会の鍵は組である, 組は約5家 族の隣組である. 伝統的には, 各組は1人の指導者を選び, 選ばれた者は他の5人の指導者と組 んで, 1人を選び, その選ばれた者 が他 の4人の指導者と組んで指導の任に当り, そしてその中 から2人を選んで村の長とする, しかし現在では, 1つの粗は13家族から成っ ている, 5の寺がある. そして市民の半分は真言宗である. しかし興味 宗教については, ウッミ市には2 あることは, 漁民の大部分は禅宗を信奉している, ということである. その次に多いのが真言宗 である, 真言宗を信ずる者が多い理由は, 筆者にはよく わかるが, ブラメル ド博士の認識は, そ こま で は 徹 底 し て い な い. 事 実, 彼 は 弘 法 大 師 の こ と に は, ほ と ん ど ふ れ て い な い.. も っ と も,. のちに1箇所その名が出るところがある. ウッミ市には小さなキリスト教会が1つあり, 会員は 100 人く らい で あ る,. エ ビバ ラ の 人 で, キ リ ス ト教 に は い っ た 人 は, た だ の 1 人 ら し い が, そ の. 人も, 結婚後は, 日蓮宗に転向したらしい, そのほかウッミ市には, 寺と同数く らいの神社があ る.. エ ビバ ラ に も 2 つ の 神 社 が あ る, そ こ に は 海 の 神 の 龍 神 と, 富 の 神 の エ ビス と を ま つ っ て あ. る, 港に面した丘の上には, 大きな神社 がある. これは15世紀に建立されたものである. 娯楽として重要なのは, 毎年6 月 に お こ な わ れ る 祭 り で あ る, そ の と きに 出 る ミ コ シに, 著 者 の ブ ラメ ル ド博 士 は 特 別 の 注 意 を 向 け て い る.. そ の ほ か 彼 は, パ チ ンコ ・ 花 見 ・ トル コ 風 呂 ・ ス. トリ ッ プ ・ 花 札 な どに も 言 及 し て い る.. 教育については, ウッミ市には, 小学校9, 中学校3, 高等学校3 (普通課程1, 商業高等学 校1, 定時制1) , 幼稚園8, 保育所5, 公立図書館1がある. そのほか, 定時制の私立学校が 16あ る,. 大 学は な い が, 近く 短 大 が つく ら れ る こ と に な っ て い る. し た が っ て, 大 学 に ゆく た め. に は, ヒ ロイ 市 ま で 赴 か な け れ ば な ら な い,. も っ と も ヤ マ ダ市 に は 4 年 制 の 大 学 が あ る が, そ こ. へゆくには, 1時間かかる. 家 族 関 係 と して は, 婿 養 子 の こ と に 言 及 し た の ち,. エ ビバ ラ に ュ ニ ー ク な 養 子 制 度, 方 言 で ヨ. ポツ ゴと言 われているものを紹介している. 本家・分家については, 他書にも説明したものがあ る が, この書の著者もやはり, それを取り上げている. 寝宿の制度は, すたれ つつ ある, と述 べ ら れ て いる.. 次に, エ ビバラの文化的過程を分析してみよう . それは相克と協同という言葉によっ て説明さ れる. エ ビバラ が維持することができる安定性の多く は, きびしい長い労働時間によるものであ る ,しかもエ ビバラの漁夫す べてが, 船団に乗り込むことができるとはかぎらない. 大きな舟を もつことのできない家族に属する者は, 海岸で釣りをして, 収入を助ける, 他方, 漁業組合が戦後つく られているが, それに属するためには, 年に少くとも90日は漁業に - 94 -.

(10) . 第 21 巻 第 2 号 マ. ヒ海 教糎大学紀要 (第一部C) 北海道教桝大学紀要(. 昭和4 6年2月. 従事しなければならない, そして各人5株以上の株をもた ねばならない , 1 株 は 5 ドル60セ ン ト である. その上, 組合員は一定の規則に従わねばならない 今日では , 組合員は300人以上であ . る. 1950年代 に, の り の 栽 培 が 始 ま っ た , そ の 時 期 は, 10月 か ら 翌 年 の 2 月 に ま た が る が, こ の こ. ろは漁業のひまなときであるので, それだけ都合がよい. ところが, その事業も, ウッミ市の工 場 か ら流 れ 出 る 汚 水 の た め に, 危 機 に 陥 っ た こ う し て ま た 新 た な相 克 が お こ っ た こ ん ど の . , .. 相克は, ウッミ市の工場と, エ ビバラの漁民とのあいだである その問題を研究す るために 九 , , 州大学から専 門家が招かれた, こうして種々の工夫が重ねられている . エ ビバ ラ の 生 活 の ダイ ナミ ッ ク な 性 格 は, 教 育 の 上 に 反 映 し て い る で あ ろ う か ,. ウッミ市 の公. 立学校は, 今や文化的革新の中にある, それは, エ ビバラの子供たちが親よりも高い レベルの教 育 を 受 け る こ と が で きる よ う に な っ た こ と か ら き て い る .. 今 日, エ ビバ ラ の 子 供 た ち は, 中 学 校. までゆくだ けでなく, ますます多く の者が, 高等学校にまで進学するようになりつつある . ところが, 困ったことは, 高等学校を出た者は, もはや漁民になりたがらない という ことで , ある, こうしてェ ビバ ラが, いかにして歴史的連続性を維持し得るかの問題は 未解決 のままで , ある. さ い ご に, エ ビバ ラ の 価 値 型 相 に つ い て 著 者 ブ ラ メ ル ド博 士 が , , い か なる まと め方 を し て い. るかを, うかがっ てみよう, 価値の問題は教育の目標とかかわりをもつ事がらであるから われ , われにと っ ては特別な関心の対象となる. 彼は, とくにここで, 見合結婚と恋愛結婚とを対象的に考察し, 国家的傾向としては 恋愛結 , 婚の方が一般化しつつあるが, エ ビバラでは, 反対に, 見合結婚の方が増加しつつあることを指 摘している. それは一つには, 漁民に対する偏見が, 以前よりは減少していることによるが も , う一 つの理由としては, 恋愛結婚は恩の道徳と矛盾することがあるからである 要するに 見合 , . 結婚それ自体は, あまりに封建的であり, あまりに本家・分家とか, 仲人の権威によっ て支配さ れす ぎる. それに対して, 純恋愛結婚は, あまりに民主的すぎる それは家族に対す る忠誠と義 , 務との感情をす べて拒否するように思われる . 彼はここで, 教育における価値型相を決定する上で演ずる教員の組合の役割に注意を向けてい る.. ウ ッ ミ市 では, ヨ ネ シ マ 県 の 他 の 地 域 に お け る よ り は, 日 教 組 が 大 き な 力 を も っ て い る 日 .. 教組と教師会とのあいだの争いは, ウッミ市の中学校に集中している それは 校 長が教師会の , , 指導者であることと, 日教組の有力者が同じ学校にいること, とのためである , こ の2 つ の 組 合 の 争 い は, イ デ ィ オ ロ ギ ー の 相 違 か ら き て い る 日 教 組 の 方 は マ ル ク ス 主 義に . ,. よりどころをおいている, そして指導者たちは, たいてい社会主義者 であり, ときには共産主義 者である, だから彼らは, 教育を階級闘争と考えている これに対して 教師会は 教師が労働 , , , 階級の一員であると考えることを拒否する, それは 「民主的なヒ ューマニ ズム」 の哲学に依存し て い る,. ここで道徳教育 の問題を取り上げている ことにも, 問題の核心に迫ろうとする著者 ブラメ ル ド 博士の態度がうかがえる. 19 58年以後, 小学校でも, 中学校でも, 週1時間の道徳を特設するこ とが, 文部省によって定められた, 日教組は最初から, これに対して反対の態度をとっ てきてい る. しかし道徳的価値について, ある程度, 明確な認識をもたせることは必要なことである, と 彼は結んでいる, この点に関するかぎり, 筆者の見解と一致している.. - 95 -.

(11) . i i i ido Univer lof Hokka ty of 取iucat on 工 C) on (Sect s Journa. Vo l ,2 ,21 No. V. Feb , ,1971. カ ワ バ ラ の分 析. カワバラについて考察することは, わが国に昔から存在している困難 な問題に取り組むことで も あ る か ら,. ブ ラ メ ル ド博 士 は 特 別 の 熱 意 を 示 し て い る よ う で あ る, 書 評 を し て い る 筆 者 も, -. つの重要な社会学的研究に立ち向うことであるの で, 少なからず緊張をお ぼえる。 しかし, この 問題に関する研究女献は, わが国では, かなりあらわれている. だから, われわれとしては, そ れらを自由に利用できるが, ブラメ ル ド博士は, 言語上の困難のために, その恩恵を受ける こと ができてい ない, 彼の研究 の功績は, 文献によるのではなくて, 直接, 現実の中に飛 び込んで, 体当りで調査した点にある, その意味で, 彼の苦労に対し て十分高い評価をすべきである, また そ れ と は 別 に,. アメ リ カ の 学 者 が, こ の 問 題 を ど の よ う に 受 け と め て い る か を 知 る こ と も, わ れ. わ れ に と っ て は 興 味 あ る こ と で あ る.. カワバラはヤマ ダ市に属する一つの部落 で, 人口 900 人, 150 の 家 族 か ら 成 り 立 っ て い る, そ れについての第一印象は, それが外界 から, ヤ マ ダ市か らさえも隔離された, 沈滞した, 貧困な 部 落 だ と い う こ と で あ る ヤ マ ダ 市 は 人 口 3万4千人で, 美しい五重の塔で有名である. 戦前, ,. .. ここには真言宗の総本 兵舎であったところには, 現在2 ,500人くらいの自衛隊が駐屯している. 山 が ある. それは千年以上の歴 史をもっ ている. この市には30の寺のほかに, 僧 侶のいない15の寺 がある. それらの寺は, 日蓮宗・天台宗・浄 土真宗の寺である. それらのうち で, もっとも信徒の多いのは, 浄土真宗で, 第2位の真言宗の 2 倍 の信 徒 を か か え て い る.. 神 社 は13あ る, キ リ ス ト教 会 も, カ トリ ッ ク の 教 会 が 1 つ, 新 教 の. 教会が1つある, 主な職業は農業である. 農業の50%以上が兼 業である. 6人であるが, うち5人が社会党, 1人が共産党, 1人が公明党, 5人が無 市会議員は全部で2 所属, 14人が自民党である. ヤマダ市の自治会組織の目的は, 市民に地方の政治問題についての知識を与え, 彼らの意見を 市議会に 反映させることにある, その単位は組で, もっ とも大きな組で, 150 の家族から, もっ と も 小 さ い 組 で, 5 家 族 か ら 成 っ て い る.. , 教育に関しては, ヤマ ダ市全体として, 幼稚園8 (うち私立1) , 保育所2 (いずれも私立) 制のミ シ ン・カ 1である 大学は4年 ッ ョ 小学校8, 中学校3 (うち私立1) , , 高等学校2, 大学 レ ッ ジ で あ る. カ ワ バ ラ に は 部 落 民 で な い 者 も 住んでいる, しかし大部分は部落民 である. 主 な仕事は屑屋で. / ある. ヤマダ市の全世 帯の1 3が部落民であるが, その75%の者は生活保護を受けている, 非部落 民で, 生活保護を受けている者は, ヤマダ市の人口の約6 %である, この部落では, 共産主 義の影響力は顕著である, 政治団体としては, 社会党の勢力がもっとも 大 き い.. 国家的な組織と しては, 部落解放同盟と同和会とがある. 前者は社会党と密接につながっ てお り, 後者は自民党に近い関係をもっている, 勢力と しては, 前者の方が 強い, いずれにしても, 両者のあいだの勢力 争いは, きわめてはげしい. もちろん, 自治会組織もある. それは7つの組 から成っ ている. 7人の絹の指導者のうち, 4 人は同和会員 であり, 他の3人は解放同 盟に属している. これら7 人の指導者は, ヤマ ダ市の自 治会の プロ グラムに参加する. 自治会は政治的には中立である. -9 6-.

(12) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和46年2月. カワバ ラでは, 部落民同志で結婚がおこなわれるので, 同じ家名をもったのが多い. あらゆる 家族が, 少くとも数軒の親戚をもっている. 多いのになると, 1家族で30近い親戚をもってい る. ここには本家・分家の型が一般的で, 長男は父の財産の半分をもらい, 残りの半分が弟たち に分けら ・れているような家もある, ここには非部落民の女性で, 40人ばかりの者が部落民の妻となっている. それは主として恋愛 の結果である. たいていは中学校出身である. それ以上の学歴をもっ た者はいない, 結婚式は, 同 棲 して, か な り綴 っ て か ら, お こ な わ れ る の が, 普 通 で あ る.. 宗教については, 80%の家に仏壇がある, 日本の他の地方の部落民と同様に, カワバラの部落 民も, ほとんどが浄土真宗に属する, ヒ ロイ市に, 部落民によって主宰されている寺が, 2つあ る. だ か ら 葬 式 の と き と か, 法 事 の と き に は, そ の 2 つ の 寺 の僧 侶 が や っ てく る,. 娯楽については, 部落民が他の社会の人々の中に入って楽しむ機会として, 毎年2月2 0日にヤ マダ市でおこなわれる真言宗の祭りがある. パチンコも彼らの娯楽である. 何よりも彼らを楽し ま す も のは, テ レ ビで あ る,. 学校は 部落民にだけ限られているわけではない. 小学校は, カワバラから歩い て, 1 0分くら い のところにある. 中学校は, 2 0分くらいのところにある. 小学校は’ 全体で300人くらいの児童 がい るが, それらのうち, 80人が 部落民である. 中学校の生徒は1 ,000人くらいであるが, その うちの55人が 部落民である, 2つの高等学校には, カワバ ラ出身の6人の生徒がいる, 大学には カワバ ラ出 身が2人い る. いずれも部落の有力者の息子である, ヤマダ市では, 中学校を出て, 85%が高等学校 にゆく が, 部落民の子供で高等学校にゆくのは, 約10%である, 小学校と中学校には, それぞれ1学級の特殊学級があるが, それらの学級の約半分は, 部落民 である. それは同族結婚による結果と判断される. 中学校の3年で, 進学組と就職組との2つに分れるが, 後者は, 部落民のほとんどす べてを含 む こと に な る.. 同和教育は, 部落民に限られるものではない が, 数多くの部落民児童をかかえている, この地 の学校では, それが 他の学校よりは重視されている. 中学校のPTAの副会長3人のうち, 1人はカワバラ出身の人である, 小学校の方は, 22人の 役員のうち, 7人が カワバラ出身である. 次に, カワバ ラ文化を過程としてとらえるとき, それは解放への闘争として特徴づ けられる, それは当然のことであるが, それが, い かに困難な問題を含んでいるか, を明らかにすることは, 日本文化の発展の見地から, きわめて重要なことである, 部落民の起原については, 種々の学説がある. 一つの説は, 彼らが朝鮮やシナからの移民の子 ‐世 紀 孫,も しく は フ ィ リ ッ ピ ソ人 と か,ヘ ブ ライ 人 の 子 孫 で あ る, と い う こ と で あ る. こ の 説 は,19. の終りごろまで, そ して1930年代の国家主義時代にも, ふたたびおこなわれた, しかし今日では , 部落民が純日本人である, という点では, 意見が一致 している. もっとも有力な説は, 部落民が 2千年の歴史において種々の変化を受けた階 級の所産である, という説である, たとえば第1世紀 において, 奴隷は一般に認められていた. そしてそれらの奴隷は, たいていア ジア大陸 との戦争 の捕虜であった. 階級的に区別されるようになったのは, 3, 4世紀ごろである, 7, 8世紀ま でに, 騰民なるものが出現していた, しかし醸民は, それ以前の奴隷よりは, 階級的には上であ った, というのは賎民のうち には, 絵画・彫刻・音楽・庭園術・演劇の方面で, す ぐれた才能を 発揮した者がいたからである, とにかく彼らは, 能や歌舞伎を形成する 上で, 重要な役割を果し - 97 一.

(13) . vol .2 ,21 No. i i i i do Uni t l。f H0kka on IC) Journa ver on (Secヒ s y of Bducat. Feb , ,1971. た. しかし大部分の者は技能をもっていな かった. 部落民のことを磯多 (エタ) という. それは 「きたない」 とい う意味である が, そ の言葉は, もと 「えと り」 からきている, 「えとり」 とい うのは, 食物をとらえる者という意味である, 「え とり」 が, けがらわしいと考えられるようにな ったことには, 神道と仏教との影響がある. 神道 は精神的・肉体的な清らかさを尊重したので, 血を嫌悪した. また仏教も肉食を禁じた. こんな わけで, しぜん動物の肉を取り扱う者は, けがらわしいと見なされるにいたったのである. しか し, こ の よ う な 賎 民 が,. 今 日 の 部 落 民 の 祖 先 で ある と 考 え る こ と は, 誤 っ て い る. 騰 民 の. 中には, その後, 地主になった者もいる, とにかく身分の低い職人や, 技能をもたない労働者が, 町のはずれの方に, 織多という名の下に, お しやられた. そこへ乞食や, ならず者がつけ加わっ て, いわゆる繊多・非人と総称されるようになった. 江戸時代には, 稼多・非人の中には, 武士や地主に なった者もいるが, 多くの者 は, 徹底した 封建制のゆえに, 区別された地域に追いやられた, そしてその主な仕事は, 皮革の仕事であった. しかしこの仕事は, 武士の時代には, とくに重要な意味をもっ ていた, 明治4年, すなわち1871年に, 解放令が出た, それは織多・非人にも平等の権利を認めたもの 0年経って, 部落民自身において解 であったが, 実は形式的なものにす ぎなかった. それから約3 放への運動 がおこってきた, 島崎藤村の 『破戒』 は, 多くの読者の目を部落民の問題に向けさ せ る の に, 大 い に 役 立 っ た.. 192 1年から1922年にかけて, その運動は力強く前進した. 京都で約2千人が集ま って, 水平社が 5年に, 部落民のもっ 組織された, それは最初から, マル クス主義からの影響を受けていた. 192 とも有名な指導者であった松本治一郎が, 毎年おこなわれる水平社の大会の議長に選ばれた. そ のときから, 196 7年の 彼の死にいたるまで, 左翼社会党員および参議院議員としての彼の影響力 は, き わ め て 大 き か っ た.. しかし水平社は, 部落民の闘 争をマルクス主義の階級闘争理論で解釈するのが正しいか, 否か に関して, 内部分裂を招いた. 戦時中その運動は弾圧を受け, ついに1940年に, その組織は解散 した.. 戦後, 新憲法の成立とともに, 新しい組織 がつく られた. こう して1946年には, 部落解放国内 委員会が組織され, 参議院に3人, 衆議院に6人の代表者をおく り, 9年後の1955年には, 名称 を変更して, 部落解放同盟と呼ばれるようにな った, しかしその組織は, 左翼的傾向が強かった ので, 1960年までに, 新しい組織として, 同和会がつく られた, そ してその指導者には, 自民党 の政治家がなっ た. さ て, ふ た た び カ ワ バ ラ の こ と に も どる が,. こ の 部 落 が つく ら れ た の は, 徳 川 時 代 で ある, こ. の部落にも, 解放同盟と同和会との対立が存在する. 同和会の方は, 「啓蒙」 することに主眼を おく. したがって同和教育を重視する, これに対して, 解放同盟の文書の中には, 「啓蒙」 とい う字は, 見いだされない, そこに用いられている言葉は, 「闘争」 とか, 「戦い」 などである. それは部落民間の統一だけでなく, 労働階級の他の人々 との結合に力を入れる. その政策は, 社 会党や共産党の政策に一致する. しか しカ ワ バ ラ に つ い て 言 え ば’ こ のイ デ ィ オ ロ ギ ー の 上 で の 対 立 は,. け っ して 絶 対 的 の も の. ではない. 部落民の品位に関 することになると, い ずれの立場にある者も, 容易に結合して, 彼ら 自身の利益を 守ろうとする. また事実, 同族の中でも, ある者は同和会に, ある者は解放同 盟に 属する, という場合 があり得る. たとえばカワバ ラの同和会の 会長は, 解放同盟の県全体の指導. - 98 -.

(14) . 第 21 巻 第 2 号. 昭和4 6年2月. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 者のいとこである. また義理とか, 親分子分の関係で, ある者は同和会に属するが, 投票は社会 党の方を選ぶ, という場合もあり得る. ブラメ ル ド博士は, ここで, 部落民が差別扱いさ れた具体的な例を, いくつかあげているが, そ れ らは, い ず れ も, わ れ わ れ の 興 味 を ひ く デ ー タ で ある, 差 別 扱い の ゆ え に, 総 じて ヵ ヮ バ ラ. の住民は, 外界に対して敵対的である, それだけに, その教育は困難である. この地の小学校の 教師が語るところによる と, 非部落民の児童たちは, 入学すると間もなく, 部落民が 「つねに戦 闘的」 であるので, 彼らに対して恐怖をいだくようになる, しかし学級の友人関係の調査では, 部落民の児童が必ずしも嫌悪されていない, という結果が出ている. さい ご に, 著者 の ブ ラメ ル ド博 士 が 明 ら か に した カ ワ バ ラ の 価 値 型相 を紹 介 す る,. この社会では, 「攻撃的であること」 が一 種の道徳である, 次に重要な資質は, 「超過敏的であ ること」 である, この社会では, 出された菓子や茶を口にしないと, それは部落民を 嫌悪してい るしるしと受け取られる, 次にあげられる特質は, 総じて考え方が現在的である, ということで ある, 彼らは未来のことは, ほとん ど考えないよう である. もう一つの特性は, 「無責任」 とい うことである, 彼らは, 市からいろいろ給与を受けても, それは当然である, と考えている. そ れに対して報いることは考えない, 彼らの考え方は 一般に不安定であるが, この傾向は, 最近ま すます顕著になった, とい うのは, 皮革の仕事も, 最近は機械化されて, 彼らの専売特 許ではな くなりかけているからである, 寄食癖も彼らの特 生の 一 つ で あ る. しか しこ の 点 に つ い て は, た い ていの部落民は, 経済的援助に依存する必要はない, 彼らが安定した仕事を得ることができな いのは, 彼らに対する偏見のためよりは, むしろ仕事に 「辛抱しない」 不幸な習慣によるもので ある, と言う者もいる, 結婚や性に関する道徳としては, ある者は, 男女とも, 結婚までは, 純潔である べきである, と考え, ある者は, 愛している かぎり, 結婚前の性関係は認めてよいとする. ただ男のみが性的 自由を楽しみ, 女性はそうい う自由をもつことができないのは誤っている, とその人はつけ加え る, もし性道徳が弛緩している とすると, それはカワバ ラだけに限られたことではなく, 日本文 化全 体 に つ い て 言 え る こ と で あ る, 宗教 的価 値は, カ ワ バ ラ の 住 民 に と っ て は, 他 の 日 本 人 に と っ て よ り も, い っ そ う 重 要 で あ る.. 浄土真宗は, かっ て部落民の味方となっ たことがあった, それは他の宗派も認めている. しかし 解放同盟に属する人々は, マルクス主義のゆえに, 宗教を有害と見なしている. しかし, それら の人々でさえ, 家には仏壇をおき, そして祖先のために法事もいとなむ, 947年公布さ 社会的・経済的および政治的価値に関して, 部落民がよりどころとするものは, 1 1条・第13条・第14条・第18条・第 れた憲法である, とく に彼らにとって価値をもつものは, 第1 6条である, 2 4条・第25条・第2 こ の 憲 法 の 精神 に も と づ い て, カ ワ バ ラ の 住 民 の 中 に は, 子 供 た ち は 東 京 に 出 さ せ て, 出 世 さ. せ, 非部落民と結婚させてやりたいと思っ ている者 もある. しかし, それは部落民の闘争から脱 落す る こと に な る か ら, 彼 ら に と っ て は, 一 つ の デ ィ レ ン マ を 意 味 す る,. しか し, た と え 都 会 に. 出ても, やがては出身地が 知られて, 願望通りにゆかない場合が多い, というのは, 都会にあっ ても, やはり仲間意識が働い て, 部落民同志のつき合い が始まるからである, 教育においては, できるだけ部落問題にふれないのが, 安全な道だ, と考えられている. 「寝 た子をおこすな, 」 という諺が, そのままあてはまる, しかし, この大きな社会問題を, そのまま に放任していたのでは, 永遠に同じ状態をつづけることであろう, そこで, 一つの対策として打 -9 9-.

(15) . Vo l ,21 No ,2. ido Un i i i journa l of Hokka i ty of Educat s ver on (Sect on I C). Feb , ,1971. ち出されているのが, 同和教育である, 同和教育は国家的規模をもっ ている, それは2つの部分をもっている, 一つの部分は, 全同教 として知られている運動であり, もう一つの部分は, 文部省によっ て支えられている運動である. それは, 1953年以来, 毎年2千人か3千人の会員を集めて開催されてきている. それは, これま でのところ, 方向づけとしては, 左翼的であった, というのは, 解放同盟が計画を立ててきたか ら であ る.. 文部省の計画は1958年から始ま った, その指導方針は, 全同教よりは, はるかに穏健である, それは, 現存の経済的・政治的秩序を改善することによ っ て, 同和の目的を達しようとする試み である. だから自民党に結びつく同和会は, 全同教よりも, 文部省の方針を支持する, 同和会は 京都の浄土真宗の寺である本願 寺にセ ンターをおいている. ヨネ シマ県における同和教育の計画は, 1 958年から始ま った, 同和教育が道徳教 育と重複することは, 容易に想像することができる, だから道徳教育を同和 教育に転用することは, 十分可能である. しかし非部落民の児童の親の中には, 同和教育は少数 グ ル ー プ に あ て は ま る も の で あ る か ら, と の 理 由 で, 反 対 す る 者 もい る.. カワバ ラの中学校では, とくに同和教育をおこなっ ていない. それは民主教育の中に含まれて い る の で, とく に 差 別 意 識 を か き 立 て る の は, 教 育 的 で な い, と い う 考 え に も と づ い て い る . ま. た中学校では, 準備教育もしなければならないので, とく に, このために時間をとる ことは, 困 難のようである. もっとも PTAでは, 年に1回, 同和教育に関する講演をもつことになっ てい る. 以 上 の ほ か, 次 の よ う な 試 み を あ げ る こ と が で き る,. 1. 部落問題に関するヤ マ ダ市研究 グルー プの設立, ヤ マ ダ大学において, ときどき会合が開 か れ て い る。. 2 3 4. 生徒会の強化. 道徳教育の強化。 道徳教育の時間を1週2時間にすべきである, とい う意見がある. 芸 術 の 重 視. 中 学 校 の カ リ キ ュ ム に お い て, 3 7時間のうち, 2時間が芸 術にあてられてお り, ・学校では, 3 1時間のうち, 2時間が, これにあてられているが, これだけでは不十分 で あ る, と す る 意 見 で あ る,. 5 6 7. ヤ マ ダ市の文化の研究の重視.. 児童の発達に関する研究センターの設置0 これは, すでに実施に移されている. 小学校における, 児童の向上のための, 親と教師とから成る会の設置. こ れ は, 毎月 集 ま っ て, グ ル ー プ で 話 し合 う 会 で あ る.. 8. 学級会の設置. 道徳教育の同和教育の専門家の援助を仰いで, 児童のガイ ダンスを強化す る. こ れ も, す で に 発 足 し て い る.. 狐. 2つの部落の比較. 両者の相違は, 支持政党の相違によって端的に示される. ほとんどす べ ての漁民は, 自民党支 持であるのに対して, 部落民の方は社会党支持である. 問題は, 彼らの労働に対する態度である. 漁民の方は, 少 しでも多く働 いて収入をふやそうとするのに対して, 部落民の方は, 生活保護に 依存する者が多い. 価値に関する定位 づけにおいては, 両者は明確な対立を示す, すなわちカワバラでは, 1>M -100-.

(16) . 北海道教育大学紀要(第一部C). 第 21 巻 第 2 号 > T で ある の に 対 して,. 昭和4 6年2月. エ ビ バ ラ で は, M > 1 > T で あ る, し か し カ ワ バ ラ を 含 む ヤ マ ダ 市 に つ. いては, M>1>Tである, 伝統的を意味するTは, いずれの社会においても, つねに最下位で ある こ と は, 注 目 さ れ て い い,. 次に, 指導者たちが考える価値の定位づけをまとめてみよう. 一般 にヨネシマ県の人々は穏健 である が, その性質は指導者たちによって代表されている. この県から首相が出ていないのも, そんな県民性からきているかとも思われる, この県の人々は, 冒険的なことは, あまりやりたが ら な い,. こ の 性 格 は, も ち ろ ん, 2 つ の 部 落 の 人 々 に も 分 け も た れ て い る が, た だ 2 つ の 部 落 の. 人々は, 一般の人々よりも, 革新的価値を選ぶ傾向が強い点 で, 異なっている. 指導的地位 にある人々も, 部落民に対して非常な偏見ををもっ ている. とくに, 部落民との結 婚には絶対反対と言う者が, ほとんどである. 日本では, 結婚のとき, 戸籍調べをするので, 部 落民であることをかくすことは, むずかしい, 指導者の中には, 部落民の問題よりも, まだ黒人 の問題の方が容易である, 部落民の問題は, これから少なく とも50年間は解決しないだろう, と 言う者もいる, 部落民が社会福祉に依存する習慣をつ づけるかぎり, 彼らの地位は向上しない, と思われる. W. 教 育 と 女 化. この研究は, ブラメル ド博士がその著 『教育の女化的基礎』 において体系づけた理論の正当性 を実地に検証したものである. したが って中心のテーマは, 教育と文化との関係を明らかにする ことにある. すなわち文化上の一大問題を教育によって解決することができるか, できるとすれ ば, そ の 教 育 は, い か な る 教 育 で ある べ き か,. こ れが, こ の 書 の 中 心 テ ー マ で ある.. ここで著者の ブラメル ド博士は, 徳川時代以後の教育史を 概観している. そして 戦後の教育に まで論及した彼は, さい ごに, 4つの問題, すなわち学校の統制・教授・学習過程・カリキュラ ムおよび教育の目標にしぼって考察を進めている, これらの問題を文化的脈絡の中で考えてゆく の が, 彼の 狙 い で あ る.. 学校の統制については, 1950年代の高度に中央集権化された制度も, 1947年に設立された日教 組の地方分権の原理も, ともに大多数の者には受け容れられない, 残された仕事は, 重力の中心 を, 極端な中央集権から中間的なところへ移すことである. 教授・学習過程については, 形式的な文化化の方法が, 最近は, 伝統的方向へもどってきたよ う に 思 わ れ る,. カリキュラムにおいて, もっとも問題 になるのは, 道徳教育である, 欧米では, 性道徳は宗教 的命令に基礎 をおいているが, 日本では, そうではない, 日本の文化は確乎とした宗教的基礎を 欠 い て い る か ら, そ れ だ け 道 徳 教 育 と い う も の が 必 要 で あ る こ と に な る. こ の 点 に つ い て は, 筆. 者も賛成である が, われわれとしては, ここにわが国の道徳教育が困難である理由が存すること し か しアメ リ カ の 文 化 に お い て も, 宗 教 が 強 い 支 配 力 を も っ て い る と は, 必 ず しも 言 い 得 ない, と く に プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 哲 学 に お い て 然 り で あ る, した が っ て 道 徳 教 育. を 知 ら ね ば な らな い,. の困難性は, アメ リカについても言えることである, この問題は, 政権が民主党から共和党に移 ったこととも関係をもつかも知れない. そこで現代の文化の根底に, キリス ト教によっ て確立さ れた人格哲学を再認識することは, 世界に対する共通の要請となっ ており, わが国もその一環で な け れ ば な ら な い こ と を 知 る べ き で あ る,. そ の 点 は, ブ ラ メ ル ド博 士 と は 独 立 に, か ね て か ら 筆. 者が強調 してきているところてある, -10 1-.

(17) . VO I .21 No ,2. l of Hokka do Uni i i i i Journa t ヒ veis on (Sec on I C) y of Bducat. Feb , ,1971. 教育の目標は 文化の目標と一致する, ところで, 現代日本の文化の目標は, 戦前の画一的であ たの に比 べ て, はるかに多元的である, 何よりもたいせつなことは, 文部省も日教組も, とも っ にそれぞれの政策を再評価することである. 両者が相克することは, 両者が正 しく機能すること が でき ない 原因 と な っ てい る ,. そ こ で両 者 に 要 求 した い こ と は, ブ ラ メ ル ド博 士 の 研 究 か ら 導 き・. 出された価値定 位づけの方式, すなわちM>1>Tを想起することである, と著者は言う. 日本の未来に希望を つなぐことができるか, という間に対して, ブラメ ル ド博士は, 漁民のあ いだに発見される文化の存 続と実験とに関する能力, 部落民が人間と しての権利のために闘うそ のエネルギー, なかんずく民衆と指導者 との双方において見いだされる生き生きとした知性のう ちに, 日本の未来がある, と言っ ている, 要するに, 日本の希望は, 人道と実存との哲学のもつ 希望である, それは未だ十分実現されていない現代哲 学であるが, そこには未来がある, さいごに, この問 題に関するわが国の研究との比較を試みたかったが, この部分は, 制限を超 過 す る こ と に あ る の で, こ こ で は 省 略 す る .. -102-.

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参照

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