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明治前期における教育制度及び教員の特権・拘束内容

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Academic year: 2021

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(1)明 治 前 期 に お け る 教 育 制 度 及 び 教 員 の 特 権 ・拘 束 内 容. 船. 引. 洋. 志. 社 会 系 コー ス. 兵 庫 教育 大 学 大 学 院 学 校 教 育 研 究 科. 教 科 ・領 域 教 育 学 専 攻. M ○ 七 一七 八 D.

(2) 章. ・. 第 二 節. ﹁節. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ⋮. ・ ⋮. ・. ・. ・. ・. ⋮. .. .. .. .. ・. .. .. 。. 嶺. .. .. .. .. 膠. .. .. .. .. ・. .. ・. 一. 一 二. ・ ・ ・ ・ ⋮. 四 七. 四 〇. 五. . 二 八. . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. . . . . ・ .. 一九. . .. . ・. .. . . . . . . . . ・ . .三. ・ ・ . . . . . . . . .. .. .. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. . ⋮. . . ・ . . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ の 教 員 養 成. .. . ⋮. . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. . . . . . . . . . . . . . . . ・ . . 四 . ⋮. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. 制 ﹂ 頒 布. ・. ﹁明 治 前 期 に お け る 教 育 制 度 及 び 教 員 の 特 権 ・拘 束 内 容 ﹂. ・. ﹁学. の 目 的 と 内 容. 五 年. ﹁学 制 ﹂. 明 治. 近 代教 育 制度 の創 設. ・. 論文題目. 序. 第 に 伴 う 教 員 養 成. ﹁教 育 令 ﹂. 師 範 学 校 設 立. か ら ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布. 三 節. ﹁学 制 ﹂ 二 年. へ の 移 行. 明 治 十 の 意 図 と 内 容. 二 章 一節 教 育 令. 第. 第 {章. 第 第 二 節. ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布. ・ ・ ・ ⋮. 第 明 治. ﹁教 育 令 ﹂ ﹁改 正 教 育 令 ﹂ 時. 十 三 年. 第 三 節 第 四 節. ・. 曝. .. .. .. .. .. 山ハ. ○. 五 〇. ・. .・ ・ . . ⋮. ・. 教 員 の特 権 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. ・. 第 一節. ・. 五 四. ・. . ⋮. ・. .⋮. ・. 教 員 が 拘 束 さ れ て いた内 容 ・ ・ ・ ・ ⋮. ・. 第 二節. 立早. ・. 第 三 章 教 員 と し て の特 権 と 拘 束 内 容. 終.

(3) 序章. 幕 末 の 動 乱 が 終 結 し 、 明 治 維 新 の 名 の 下 に 新 し い 明 治 と い う 時 代 が 始 ま づ た 。 明 治 維 新 は 近 代 統 一国 家. (天. 皇 制 統 一 国 家 ) 日 本 の 出 発 で あ り 、 ﹁学 制 ﹂ は そ の 教 育 政 策 に お け る 最 初 と い っ て い い 結 実 で あ り 、 そ の 意 義 は. 高 く 評 価 さ れ ね ば な ら な い ω。 維 薪 軍 が 先 頭 に 立 っ て 明 治 新 政 府 を 作 り 上 げ た 。 日 本 は 明 治 維 新 の 直 後 に お い て. 一 つ の大 き な 問 題 に ぶ つか った 。 そ れ が 何 で あ る か と い え ば 士 族 に 頼 る べ き か 全 国 民 に 頼 る べ き か と い う 問 題 であ る。. ﹁教 育 令 ﹂、 ﹁改 正 教. 明 治 新 政 府 は 、 多 く の 日 本 の 文 化 や 習 慣 に 対 し て 様 々な 大 改 卓 を 断 行 し て い く こ と と な った 。 そ の改 革 は 教. 育 の 面 に お い て も 容 赦 な く 行 わ れ た が 、 そ の 代 表 が こ れ か ら 述 べ る こ と に な る 、 ﹁学 制 ﹂や. ﹁学 制 は 、 殖 産 に よ る 富 国 の た め だ け で. 旦 廃 絶 し、 私 塾 も す べ て国 家 の 認 可が 必 要 で あ る と規 定. (一八 七 二 年 ) 八 月 の 学 制 頒 布 は 、 徴 兵 令 と 並 ん で 、 廃 藩 置 県 以 後 の 開 明 的 政 策 の 核 心 を な す も の. 育 令 ﹂で あ る 。 明 冶 五 年. で あ った 。 新 し い学 制 の 意 義 は 、 旧 藩 以 来 の 学 校 を. し 、 教 育 の 国 家 統 制 の 確 立 に あ た った 。 学 制 の 意 義 に つ い て 安 川 氏 は. な く 、 強 兵 の た め に も 必 要 で あ る と み な さ れ て い た 。 学 制 ・徴 兵 令 ・地 租 改 正 の 三 大 改 革 の う ち 、 わ ず か の 差. で は あ る が 、 学 制 が 一香 初 め に 実 施 さ れ た の は 、 か な ら ず し も 偶 然 で は な か っ た 。﹂ と 述 べ て い る ω。 政 府 は ﹁学. 制 ﹂ を 発 布 し た こと によ って、 国 民 に対 し て軍 事 の重 要 性 や 国 力 を 高 め るた め にも 強 兵 が 必要 で あ る こと を教. 育 を 通 し て 国 民 に 身 に つけ さ せ る た め に 、 徴 兵 令 よ り も 学 制 を 先 に 実 施 し た の で は な い だ ろ う か 。 教 育 の 面 か. ら 、 富 国 強 兵 と い う 認 識 を 植 え つけ よ う と し た 政 府 側 の 意 図 も 少 な か ら ず 入 っ て い る の で は な い か 。. ﹁学 制 ﹂ の 発 布 は 日 本 の 教 育 史 上 画 期 的 な 意 義 を も つ も の で あ る 。 全 国 民 を 対 象 と す る 教 育 制 度 を 設 け る こ. ﹁学 制 ﹂ の. と は 、 文 部 省 創 設 当 初 か ら の 課 題 で あ っ た 。 文 部 省 で は 、 ﹁学 制 ﹂ を 制 定 す る 準 備 と し て 、 早 く か ら 欧 米 先 進 諸. 国 の 教 育 制 度 を 調 査 す る と と も に 、 全 国 の 教 育 の 実 情 の 調 査 等 を 行 って い る 。 こ れ ら の準 備 の 下 に 起 草 に 着 手 し て い った の で あ る 。. 1.

(4) 八 七 九 年 ). ﹁教 育 令 ﹂ で あ. 二. し か し 、 画 期 的 な 制 度 と し て 発 布 さ れ た ﹁学 制 ﹂は 、 授 業 料 の 負 担 が 民 衆 に は 大 き す ぎ 、 干 渉 主 義 的 な 教 育 を. 行 お う と し た こ と な ど か ら 批 判 が 集 中 し 、わ ず か 七 年 足 ら ず で 改 正 さ れ る 。 そ の後 、 明 治 十 二 年. に 発 せ ら れ た のが 、 自 由 主義 を 掲 げ 国 が 教 育 を 主 導 す る ので はな く 、 地 方 に ま か せ よ う と し た. (一 八 八. っ た 。 だ が 、 天 皇 統 一主 義 が 当 初 の 目 的 で あ っ た の に も 関 わ ら ず 、 ﹁教 育 令 ﹂ で は 自 由 主 義 を 教 育 の 柱 と し て い. ﹁改 正 教 育 令 ﹂ が 出 さ れ た 。. た た め に 、 政 府 に し て み れ ば 見 過 ご す こ と が 出 来 な か っ た と 考 え ら れ る 。 よ つ て 、 翌 年 の 明 治 = 二年 〇 年 ) に 教 育 の 方 針 を 当 初 の 天 皇 統 一主 義 を 基 に し た 干 渉 主 義 的 な. 一連 の 政 府 が 行 っ た 教 育 改 革 に つ い て 井 上 氏 は 、 ﹁近 代 日 本 に お け る 国 民 教 育 制 度 の 起 点 と し て 、 明 治 五 年 八. 月 三 日 公 示 さ れ た 学 制 の も つ制 度 史 的 な 意 義 は 、 も と よ り た か く 評 価 さ れ ね ば な ら な い 。 学 制 は と き の 文 部 卿. 大 木 喬 任 が 学 制 大 綱 に そ の 指 針 を は っ き り 述 べ て い る よ う に ﹃万 国 学 制 ノ 最 善 良 ナ ル モ ノ ﹄ に 範 を も と め て 考. 按 さ れ た 。 こ の舶 来 的 な 学 制 の 制 度 史 的 な 意 義 を 拡 大 し 、 法 と し て は 歴 史 的 現 実 か ら う き あ が っ て い て も 、 も. つば ら そ の 理 念 的 な 結 構 の 善 美 を 称 揚 し 、 法 の 啓 蒙 的 意 味 だ け を 重 大 視 す る の は 、 き か ざ つ た 美 装 に 拍 手 を お. く る の に 似 て い る 。 学 制 は ま さ に 善 美 の 故 に 空 転 し 、 実 施 に お い て 空 文 化 す る 。 し た が っ て 、 外 来 の制 度 を わ. が 国 の現状 にど う 適 応 さ せ る か 、 す な わ ち 、 国 民 教 育 制度 の土 着 化 の過 程 が 学 制 以 後 の課 題 と な る。 さ ら に教. 育 制 度 は 国 家 の 諸 体 制 の 進 度 に 即 応 し て 体 制 内 に 位 置 付 け ら れ 、や が て 教 育 行 政 は 内 務 行 政 の 傘 下 に 抱 合 さ れ 、. 国 家 主 義 的 体 制 の 一翼 を 担 う 。 こ の 意 味 に お い て 、 国 民 教 育 制 度 の 成 立 過 程 は 、 そ の 土 着 化 の 過 程 で あ る と と. も に 、 ま た 、 体 制 化 の 過 程 で も あ る と いえ よ う 。 し か も 、 明 治 五 年 の 学 制 を 発 端 と す る 近 代 日 本 の国 民 教 育 制. 度 は 、 明 治 十 二 年 の教 育 令 か ら 明 治 二 十 三 年 の 小 学 校 令 改 正 に い た る 問 に お い て 、 ほ ぼ そ の 土 着 化 と 体 制 化 を. な し と げ 、 近 代 教 育 の基 本 線 を 構 築 し お わ る 。 国 民 教 育 制 度 確 立 への道 は 、 学 制 の 制 定 以 来 、 決 し て 坦 坦 た る. も の で は な か っ た が 、 学 制 以 後 、 そ れ が 後 退 し た り 再 前 進 し た り 、 さ ら に 再 後 退 し た り す る 一進 一 退 の 模 索 過. 程 で な く 、 公 教 育 制 度 の 確 立 を 目 指 し て ジ ク ザ ク な が ら 歩 を 進 め 、 土 着 化 と 体 制 化 の 方 途 を も と め て ↓ 歩 一喘 す る 漸 進 過 程 で あ る 。﹂ と 論 じ て い る ㈲。. 明 治 初 期 の 様 々 な 教 育 政 策 の 中 で 、 文 部 省 は 教 員 の 養 成 に も 力 を 注 い で い た 。 国 民 に 統 一し た 教 育 を 施 す に. 2.

(5) は ま ず 、 教 授 内 容 を 理 解 し た 人 材 を 育 て る こ と が 第 一の 急 務 に な った の で あ る 。 そ の教 員 は 初 め の こ ろ は 士 族 や 華 族 が 多 か った が 、 次 第 に そ う で は な く な った 。. 教 員 の立 場 が 確 立 さ れ て く る と 同 時 に 、 教 員 を 拘 束 す る よ う な 法 令 が い く つ か 出 さ れ て い く 。 そ こ で 、 実 際. 一∼ 二 頁. 日 本 歴 史 1 5. 近 代 2﹄ 岩 波 書 店. 九 七六 年. 二. 六頁. ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ﹄ な ど の 史 料 を 基 に 教 員 の 実 態 に つ. ﹃岩 波 講 座. 二 四 〇 頁. 一九 六 九 年. }九 七 五 年. に は ど の よ う な 拘 束 ・規 制 を う け て い た の か を. ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 明 玄 書 房. い て 考 察 し て い き た い。. D結 城 陸 朗 ﹁学 校 教 育 と 富 国 強 兵 ﹂ 江 村 栄 一 他. ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 風 間 書 房. 幻安 川 寿 之 助 鋤井 上 久 雄. 3.

(6) 第 一章 第 一飾. 近 代 教 育 制 度 の創 設 明 治 五 年 ﹁学 制 ﹂ 頒 布. 国 民 の 教 育 を 政 府 が 統 一し て 行 う た め に 、 明 治 四 年 七 月 十 八 日 文 部 省 が 新 設 さ れ た 。 文 部 省 は 、 旧 来 の 錯 雑. (今 の 次 官 ) と な っ た 。 そ の 当 時 は 卿. (今 の 大 臣 ) を 置 い て い な か っ た の で 、 江 藤 が 事 実 上 の 文 部 省 の ト ッ プ. し た 教 育 制 度 を 画 一化 し 、 全 国 を 統 一 し た 教 育 行 政 を 施 行 す る も の と し て 出 発 し た 。 そ の 時 、 江 藤 新 平 が 文 部 大 輔. で あ った 。 同 月 二 十 八 日 大 木 喬 任 が 文 部 卿 に 任 命 さ れ た 。 同 月 政 府 は 遂 に 列 藩 を 廃 止 し て 県 と し た の で 、 従 来. 藩 の 自 治 に 任 せ て あ っ た 学 校 行 政 を 全 部 政 府 で 統 一す る こ と と な っ た 。 よ っ て ま ず 七 月 十 八 日 政 府 は 文 部 省 を. 新 設 し て 、 従 来 教 育 行 政 の 府 で あ っ た 大 学 を 廃 し た 。 大 学 が 廃 さ れ た の で 、 大 学 東 校 ・大 学 南 校 は 各 々 大 学 の. 二 文 字 を 省 い た 。 九 月 文 部 省 は 学 制 改 革 の 為 に 東 校 ・南 校 を 閉 じ た が 、 翌 月 又 再 興 し た 。 何 故 、 政 府 が た っ た 一 ケ 月 と い う 早 さ で 大 学 を 再 興 さ せ た か は 明 ら か に さ れ て い な い ω。. 文 部 省 が 設置 さ れ る と 、た だ ち に全 国民 を 対象 と す る教 育 制 度 を創 設 す る 準 備 に着 手 し た 。 そ こに は 三 つの. 側 面 を も つ て い た 。第 一 は 新 し い 制 度 を 設 け る た め に 欧 米 教 育 制 度 の 調 査 研 究 。第 二 は 国 内 の 教 育 の 実 態 調 査 。. 第 三 は 直 轄 の 学 校 を 設 置 し て 新 し い 教 育 を 実 地 に 試 み る こ と で あ っ た ω。次 に 府 県 に 対 す る 文 部 省 達 に よ り 、﹁今. 度 学 制 改 革 致 候 二 付 テ ハ従 前 府 県 等 ニ テ 施 行 イ タ シ 居 候 諸 学 校 病 院 ハ勿 論 其 人 員 等 別 紙 雛 形 之 通 調 当 年 中 二当. 省 へ 差 出 可 相 成 候 事 ﹂と 述 べ 調 査 表 の 様 式 を 示 し て 紛、諸 学 校 ・病 院 お よ び 私 塾 等 に つ い て の 調 査 を 求 め て い る 。. 文 部 省 は 、 こ の よ う な 実 態 調 査 を 学 制 を 制 定 す る 一 つ の 基 礎 と し て 企 画 し た の で あ った 。 こ の 調 査 結 果 が 学 制. に ど の 程 度 利 用 さ れ た か は 明 ら か に さ れ て い な い 。 し か し 、 文 部 省 が 学 制 を 制 定 す る 準 備 と し て 行 な った 調 査 と し て注 目 す べき であ る。. 全 国 民 を 対象 と した 教 育 制度 を 創 設 す る に いた って問 題 が 生 じた 。 廃 藩 置 県 に よ って、 藩 はす べ て 県 に改 め. ら れ た が 、 当 初 は 旧藩 を そ のま ま 県 と し、 全 国 に 三 府 三 〇 二県 が 置 か れ た 。 した が って 旧落 の体 制 が 直 ち に変. 化 し た も の で は な か っ た 。 実 質 的 な 改 革 は 、 明 治 四 年 十 一月 の 府 県 改 置 に よ っ て 実 現 さ れ 、 こ れ に よ っ て 多 く. 4.

(7) の 県 が 廃 合 さ れ て 三 府 七 二 県 と な った 。 こ の よ う な 状 況 で あ った た め に 、 文 部 省 設 置 後 も 府 県 改 置 に 至 る ま で. の 間 は 、 文 部 省 が 全 国 府 県 の 学 校 を 統 轄 し 、 全 国 に わ た る 教 育 行 政 を 実 施 す る こ と は 困 難 で あ っ た ω。 要 す る に. 文 部 省 が 全 国 の 教 育 を 統 轄 す る こ と は 設 置 当 初 か ら の 方 針 で あ っ た が 、 こ れ を 実 質 的 に 行 え る よ う に な った の は 府 県 改 置 後 で あ った と いえ る 。. 文 部 省 と し て は 全 国 民 を 対 象 と す る 学 校 制 度 の 確 立 が 当 面 の 急 務 で あ っ た 。 こ れ と 関 連 し て 、 同 年 十 一月 の. 府 県 改 置 に よ り 、 文 部 省 は 全 国 の教 育 行 政 を 統 轄 す る こ と が 可 能 な 段 階 と な っ て い た 。 そ こ で 文 部 省 は 、 設 置. 当 初 か ら の 方 針 の 下 に 、 近 代 学 校 制 度 の 基 本 法 令 と し て 、 ﹁学 制 ﹂ の 起 草 に 着 手 し た の で あ る 紛。. 文 部 省 は 、 全 国 民 を 対 象 と す る 教 育 制 度 を 設 け る た め に 、 学 制 取 調 掛 を 任 命 し 、 ﹁学 制 ﹂ の 起 草 に 着 手 し た の. で あ る 。 ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 草 に 先 だ っ て 、 国 内 教 育 の 実 態 に つ い て も 調 査 し て い る 。 明 治 四 年 九 月 に 府 県 に 対 し. て 、 管 内 の 学 校 の 調 査 報 告 を 求 め て お り 、 同 年 十 一 月 に は そ の 督 促 を 行 っ て い る 。 (倉 澤 剛 ﹃小 学 校 の 歴 史 ﹄). ﹁学 制 ﹂ 起 草 の た め に 、 ﹁学 制 取 調 掛 ﹂ が 任 命 さ れ た の は 、 明 治 四 年 十 二 月 で 、 そ れ は 府 県 の 大 規 模. 純. 織 田尚 種. 内 田正雄. 河津 祐 之. 長. 瓜生. 斑. 木村正辞. 杉山孝敏. 辻. 新次. な 廃 合 が 実 施 さ れ た 直 後 の 時 点 で あ っ た 。 ﹁学 制 取 調 掛 ﹂ に 任 命 さ れ た 者 は 、 十 二 月 二 日 に 一 一 名 、 十 九 日 に 一. 岩佐 訥. 名 追 加 さ れ て 次 の 十 二 名 で あ っ た 。 (東 京 大 学 所 蔵 文 庫 ). 箕 作麟 祥 西沢. 爽. 長 谷川泰. ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 草 に あ た っ て 、 こ れ ら の 人 々 が ど の よ う な 役 割 を 果 た し た か に つ い て は 明 ら か で は な い ㈲。. こ れ ら 学 制 取 調 掛 に 任 命 さ れ た 多 く は 、洋 学 関 係 の 人 々 が 圧 倒 的 で あ った 事 か ら も 、 学 制 の 制 定 に お い て 欧 米. ﹁之 を 出 す に 就 い て は 江 藤 薪 平 氏 な ど も 余 程 骨 を 折 ら れ た 。 (中 略 )﹂ の 談. の 教 育 制 度 を 参 照 し よ う し て い た 意 図 が 見 え て く る 。 ま た 、 ﹁学 制 ﹂ は 数 人 に よ っ て 分 担 起 草 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 こ の こと は 、 久 保 田譲 氏 の. 話 か ら も 、 多 く の 人 が 手 伝 っ た と い う こ と を 知 る 事 が 出 来 る ω。. ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 卓 は 急 速 に 進 め ら れ た 。 明 治 五 年 一 月 に は す で に ﹁学 制 ﹂ の 大 網 が ま と め ら れ て い て 、 そ. の後 約 二 ヵ 月 後 に は 学 制 原 案 が 成 立 し た と 考 え ら れ て い る 。 た った 二 ヶ月 と い う 早 さ で 原 案 が 成 立 し た の は 、. 5.

(8) 文 部 省 が そ れ だ け 早 急 に 全 国 民 を 統 ﹁し た 教 育 制 度 を 設 け た か っ た の と 、 留 守 政 府 首 脳 部 の 遣 外 使 節 に 対 す る 対 抗 意 識 が 少 な か ら ず 背 景と し て働 い て いた の で はな いか と 考 え ら れ る。. ﹁学 制 ﹂ の 基 本 方 針 を 示 し た も の は 、 明 治 五 年 一月 四 日 付 け で 大 木 文 部 卿 か ら 太 政 官 に 上 申 さ れ て い る 。 こ. れ に よ れ ば 、 国 家 の ﹁富 強 安 康 ﹂ の た め に 学 制 を 制 定 し て 全 国 に 学 校 を 設 け る こ と の 必 要 性 や 、 そ の 学 制 は ﹁万. 国 学 制 ノ最 善 良 ナ ル モ ノ ﹂ を 採 用 す べ き で あ る 事 や 、 人 口 を 基 準 に し て 全 国 を 七 ま た は 八 地 区 に 区 分 し 、 そ こ. に 大 学 を 各 一校 、 中 学 小 学 を 若 干 校 設 け る 事 や 、 着 手 の 順 序 と し て 今 あ る 諸 学 則 を 廃 止 し 、 教 育 の 方 法 を 一新. し、 す べて新 し く定 め た 学 制 に 準 拠 さ せ る こと な ど を あげ て い る。 す な わ ち そ こに は全 国 民を 対 象 と す る近 代. 学 校 制 度 の構想 が 示 さ れ てお り 、 大学 区を 設 定 し て学 区 制 を 採 用 す る学 制 の基 本 方 針 が す で に 明ら か にさ れ て い る のであ る。. 大 学 を 八 つも と い う の は 当 時 と し て は 不 可 能 に 近 い こ と で あ った 。 中 学 は 全 部 で 二 五 六 の 予 定 で あ った が 、. こ れ を 建 て る の も 、 地 方 の財 政 か ら し て 不 可 能 で あ つた 。 そ の 上 、 農 工 商 の 人 達 は 従 来 の 認 識 か ら す る と 学 問. の 必 要 を 認 め て い な か っ た 。 一般 の 認 識 と い う の は 、 学 問 を 学 ぶ も の は 武 士 以 上 の も の と さ れ て い て 、寺 子 屋 ・. 私 塾 な ど が 一般 市 民 の た め に 設 け ら れ て い た 。 た だ 、 こ こ に 通 学 す る か は 自 由 で あ っ て 特 に 拘 束 を 受 け る こ と. は な か った 。 ま た 、 武 士 に 関 し て は 従 来 儒 書 に よ って 修 身 斉 家 治 国 平 天 下 の 道 を 学 ん で き た の で 、 い き な り 実. 用 的 な 学 問 を 学 ぶ こ と を 好 む と は 考 え ら れ な い。 し か も 平 民 の 子 弟 と 共 に 机 を 並 べ る こ と に も 不 平 が 生 じ る 。. 藩 が な く な った こ と に よ って 、 こ れ ま で は 藩 が 違 え ば 隣 村 で あ っ て も 風 俗 が 違 い、 ま る で 仇 敵 の よ う に 感 じ て. い た 事 も あ る の に 、 新 制 度 で は そ ん な 事 に は 一切 か ま わ ず 、 た だ 人 口 平 均 数 に よ っ て 学 区 を 定 め た 。 こ う し た 政 府 のや り 方 に 国 民 が 納 得 し て い た と は 考 え ら れ な い 。. (学 制 草 案 ) と と も に 提 出 さ れ た と 見 ら れ る 文 書 は 、 学 制 の 制 定 に 関 す る 伺 文 の. (の ち の 文. (太 政 官 の 立 法 府 ) で 審 議 さ. (の ち の 師 鎮 学 校 ) の 設 立 関 係 文 書 、 ⑤ 学 校 系 統 図 、. (の ち の 太 政 官 布 告 第 二 四 五 号 ㈲)、 ② 学 制 公 布 に 際 し 、 府 県 へ の 布 達 文. 三 月 の上 旬 ご ろ に 学 制 本 文 ほ か、 ① 学 制 の趣 旨 声 明書. 部 省 布 達 第 一 三 号 ω)、 ③ 学 制 の 着 手 順 序 、 ④ 教 官 教 育 所. ⑥ 文 部 省 予算 書 な ど で あ る。 文部 省 か ら太 政 官 に 上 申 し た学 制 原案 は 、 ま ず 左 院. 6.

(9) れ た 。 左 院 は文 部 省 の原案 を全 面的 に 支 持 し て、 学 制 の即 時 断 行 を 答 申 した 。 そ れ は 三月 二 十 九 日 の こと であ. る 。 そ こ で 学 制 の審 議 は 正 院 に 移 さ れ た が 、 こ こ で 学 制 原 案 は 大 き な 暗 礁 に 乗 り 上 げ て し ま った 。 正 院 の審 議. で 特 に 問 題 と な った 点 は 、 学 制 実 施 に 伴 う 経 費 の こ と で 、 文 部 省 の 提 出 し た 予 算 案 に 対 し て 、 大 蔵 省 は 国 家 財. 政 の 立 場 か ら 強 く 反 対 し た た め で あ っ た 。そ こ で 文 部 省 は 大 蔵 省 と 会 議 を 重 ね た が 決 着 を 見 る に 至 ら な か っ た 。. そ こ で 学 制 は 経 費 の 点 を 未 決 定 の ま ま 実 施 さ れ る こ と に な っ た 。 文 部 省 布 達 一三 号 で は 、 従 来 県 で 設 立 し て い. る 学 校 は 一 旦 こ と ご と く 廃 止 し て 、 学 制 に 従 っ て 改 め て 学 校 を 設 立 す べ き で あ る と 述 べ て い る 。 布 達 ﹁四 号 で. は、 太 政 官 布告 お よ び学 制 を府 県 に 送 付 す る旨 を 述 べ てそ の実 施 を 要 請 し て い る。 し か し、 経 費 の点 は な お未 決 定 と し て いる。. 右 の よ う な 内 容 を 踏 ま え た 上 で 、 六 月 に ﹁学 制 ﹂な る 固 有 名 詞 を 用 い て 、 全 て の 学 校 を 統 制 す る 新 し い 教 育 法. 令 を つく った 。 そ し て 、 六 月 二 十 四 日 付 け で 太 政 官 に お い て 学 制 原 案 が 認 可 さ れ た 。 そ の後 文 部 省 は 学 制 の条. (国 庫 交 付 金 ) に 関 す る 部 分 を 欠 字 と し て 抹 消 し た ま ま 学 制 頒 布 の 準 備 を 進 め た 圃。 こ の ﹁学 制 ﹂ に は 中 央 集 権. 的 な 教 育 制 度 を 布 こ う と す る 意 図 が 含 ま れ て い た 。 同 じ く 六 月 に 、 学 制 の 草 案 が 出 来 上 が った の で 、 文 部 省 か. 厚 ク カ ヲ 小 学 校 二可 用 事 。. ら 太 政 官 へ伺 書 を 出 し 、 学 制 の 着 手 順 序 の 指 令 が 下 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 当 時 の 政 府 の 教 育 方 針 が 明 か に さ れ た 。 一. (o 師 範 学 校 ) ヲ 興 ス ヘ キ 事 。. 速. 二師 表 学 校. 一、. 一般 ノ 女 子 男 子 ト 均 シ ク 教 育 ヲ 被 ラ シ ム ヘ キ 事 。 各 大 学 匪 中 学 ヲ設 ク ヘキ 事 。. 一、 一、. 生 徒 階 級 ヲ踏 ム 極 メ テ 厳 ナ ラ シ ム ヘキ 事 。. 凡 諸 校 ヲ 設 ク ル ニ新 築 営 繕 ノ 如 キ ハ務 メ テ 完 全 ナ ル ヲ 期 ス 事 。. 、 商 法 学 校 一二 所 ヲ 興 ス ヘキ 事 。. 、 生 業 成 業 ノ 規 ア ル モ ノ務 メ テ 其 大 成 ヲ 期 セ シ ム ヘキ 事 。. 一、 一 一. 一、. 7.

(10) 一 、 反 課 ノ 事 業 ヲ 念 ニ ス ル 事 ⋮。. (第 二 一 四 号 ⋮) と と も に. ﹁学. ﹁学 制 ﹂ を 公 布 し 、 文 部 省 は. (太 陽 暦 九 月 五 日 ) ﹁文 部 省 布 達 第 一 三 号 お よ び 第 一 四 号 圓﹂ を 発 し て 右 の 太 政 官 布 告 を 添 え て. 政 府 は 五 年 八 月 二 日学制 の趣 旨 を 宣 言 した 太 政 官 布 告 翌 八 月 三 日. 制 ﹂ を 全 国 に 頒 布 し た の で あ る 。 学 制 を 公 布 す る に 当 た っ て 発 せ ら れ た 太 政 官 布 告 第 二 一四 号 は 、 学 制 の 基 本. 精 神 を 明 ら か に し た も の で あ り 、 学 制 公 布 に つ い て の政 府 の宣 言 書 で あ る 。 文 部 省 は こ れ を 学 制 本 文 の前 に 添. ﹁学 制 ﹂と 共 に 八 月 三. え て 全 国 府 県 に 頒 布 し た の で 、 学 制 の 前 文 に 当 た る も の で あ り 、 当 時 は こ れ を ﹁学 制 序 文 ﹂ と も 呼 ん で い る 佃。. こ こ で 少 し 注 目 し た い の が 、 ﹁被 仰 出 書 ﹂ の 日 付 は 七 月 と な っ て い る 。 し か し 、 実 際 は. 日 に 出 さ れ て い る こ と で あ る 。 本 当 は ﹁学 制 ﹂も 七 月 に 発 布 す る 予 定 で あ っ た が 、 何 ら か の 事 情 に よ っ て 遅 れ た の では な いか と考 え ら れ る。. 被 仰 出 書 の 特 色 と し て 四 民 平 等 か つ全 国 画 一の方 針 は 封 建 制 度 が 廃 止 さ れ た の で 当 然 と し て 要 求 さ れ る べき. で あ り 、 維 新 の 国 策 を 教 育 上 に お い て も 実 現 さ せ よ う と す る 狙 い が う か が え る 。 四 民 平 等 で 全 国 を 統 一し た 教. 育 制 度 を 設 け る こ と は 画 期 的 な 手 段 で は あ っ た が 、 実 際 は そ う 上 手 く は い か な か った 。 前 述 し た が 、 当 時 の }. 般 的 な 教 育 に 対 す る 考 え 方 は 、 学 問 を 学 ぶ の は 武 士 な ど の上 層 身 分 の者 た ち で 、 庶 民 は 寺 子 屋 や 私 塾 な ど が あ. つた が 、 強 制 で は な く 学 び た い も のだ け が 通 う 場 所 で あ った 。 学 校 に 対 す る 考 え 方 を 変 え さ せ る こ と も 重 要 な. 要 因 だ と 政 府 は 考 え 、 学 制 の 根 本 方 針 と し て 太 政 官 布 告 の 中 に も 表 記 さ れ て い る 。﹁自 今 以 後 此 等 の 弊 を 改 め 一. 般 の人 民 他 事 を な げ う ち 自 ら 奮 て必 ず 学 に 従 事 せ し む べき 様 心 得 べき 事 ﹂ と し て、 学 校 への入学 に 関 す る 強 制. 力 を 発 揮 し よ う と し た の で あ る 。 も し 学 制 発 布 後 も 従 来 の よ う な 学 校 に 対 す る 考 え を も って 子 弟 を 取 り 扱 っ て. い た な ら ば 、 学 校 に 入 学 す る 者 と し な い も の と に 二 分 さ れ て 、 結 局 新 し い制 度 は 国 民 全 般 に 開 放 さ れ た こ と に. な ら ず 、 近 代 的 な 学 校 の 成 立 が 危 ぶ ま れ る こ と と な る 。 こ のた め に 小 学 校 に は す べ て の 子 弟 が 必 ず 入 学 し な け. ﹁学 制 ﹂ の 附 法 と し て. ﹁小 学 教 則 ﹂ を 発 布 し 、 科 目 を 定 め た 。 こ の 教 則 の 中 で は 、 下 等 小. れ ば な ら な い と い う 近 代 学 校 制 度 に 欠 く こ と の で き な い 基 本 方 針 が 明 確 に 示 さ れ た の で あ る 間。 明 治 五年 九 月 に は. 学 と 上 等 小 学 で は 何 を 学 ば す か を 明 記 し て い る 。 下 等 小 学 で は 綴 字 ・習 字 ・単 語 読 方 ・洋 法 ・算 術 ・修 身 口 授 ・. 8.

(11) (今 の 物 理 学 ) ・書 槙 や 諸 科 目 の 復 習 科 目 を 学 ば せ た 。 上 等 小 学 で は 習 字 ・洋 法 算 術 ・読. 単 語 藷 諦 ・会 話 読 方 ・単 語 書 取 ・読 本 読 方 ・ 会 話 諸 論 ・ 地 理 読 方 ・ 養 生 口 授 ・会 話 書 取 ・読 本 輸 講 ・ 文 法 ・地 理 学 輪 講 ・窮 理 学 輪 講. 本 輪 講 ・ 文 法 ・ 地 理 学 輪 講 ・窮 理 学 輪 講 ・書 憤 ・ 各 科 目 の 復 習 も 継 続 し て 学 ば せ な が ら 、 新 た に 細 字 習 字 ・書. 憤 作 文 ・史 学 輪 講 ・細 字 速 写 ・罫 書 ・幾 何 ・博 物 ・ 化 学 ・生 理 を 課 し た ⋮。 こ の 科 日 の 中 で 、 江 戸 時 代 に 盛 ん に. 行 わ れ て い た 学 習 方 法 は 輪 講 で あ った 。 そ の 中 で 、 綴 字 や 会 話 や 単 語 、 洋 法 算 術 な ど 洋 風 の 名 称 が 多 く 見 ら れ. る の は 、 西 洋 の教 育 制 度 を 参 照 し た か ら で あ る 。 こ れ は フ ラ ン ス よ り ア メ リ カ の 教 育 制 度 を 多 く 参 照 し た と 考. ﹁小 学 教 則 ﹂ に よ る と 、 習 字 に 分 か り や す い よ う に ≒テ ナ ラ ヒ ﹂ と 記 し て お り 、 か つ 単 語 読 方 の 科 目. え ら れ て い る。 し か し. で は 地 方 往 来 農 業 往 来 ・世 界 商 買 往 来 等 を 教 科 書 と 定 め た 。地 理 読 方 の 科 目 で は 日 本 国 尽 や 世 界 国 尽 を 用 い て 、. 種 で あ る 。 ﹁窮 理 捷 径 ﹂ は 物 理 学 の い ろ は. 書 憤 科 は ﹁啓 蒙 手 習 本 十 二 月 帖 ナ ト ヲ 用 ヒ 簡 略 ナ ル 日 用 文 ヲ 盤 上 二 記 シ テ 講 解 シ 生 徒 ヲ シ テ 爲 シ 取 ラ シ ム 。﹂と 定 め て いた 。啓 蒙 手 習 本 はも ち ろ ん 往 来 本 であ り、十 二月 帖 は そ の を わ か り や す く 説 い た も の で 、 往 来 本 の 一種 と 見 る こ と が 出 来 る 。. ﹁学 制 ﹂は 正 院 で 暗 礁 に 乗 り 上 げ た も の の 、そ の 他 は 頒 布 ま で 順 調 に 進 め ら れ た よ う に 思 え る が 実 際 は そ う で. は な か っ た 。 こ の ﹁学 制 ﹂が 制 定 さ れ る と 、制 度 の 非 現 実 的 な 内 容 を 指 摘 し 、激 し く 批 判 を す る 人 物 が 現 わ れ た 。. そ の 人 物 は 政 府 の 要 人 で 外 遊 中 の 木 戸 孝 允 で あ っ た 。 木 戸 は ﹁学 制 ﹂ の 内 容 を 種 々 抑 楡 し た の ち 、 ﹁西 洋 学 者 も. ﹁学 制 ﹂ の 知 識 主 義 に は 欠 け て い た の で あ る 。 そ の た め 岩 倉 使 節 一 行 の 帰 国. ﹁学 制 ﹂ の 実 施 に 憂 い を 抱 い た 。 政 府 が の ち に 忠 君 愛 国 の 修 身 学 に よ っ て 国 民 を. か え っ て 全 備 に す ぎ 候 を 種 々 狐 疑 ⋮﹂ す る ほ ど 、 ﹁学 制 ﹂ は 当 時 の 現 実 を 無 視 し て 西 欧 化 主 義 を 貫 い て い た 。 ま た 大 久 保利 通 も 、 木 戸 と 同 様. 統 合 し よ う と す るが 、 そ の意 図 が. 以 後、 文 部 省 の急進 的 な 積極 政策 は 次 第 に 影 を ひそ め てゆ く 。. 先 に 述 べ た よ う に 、 学 制 は す ん な り と 頒 布 さ れ た の で は な く 、 激 し い 批 判 を 浴 び て い た 。 こ の批 判 が 影 響 し. て い る か は わ か ら な い が 、 学 制 は 明 治 五 年 八 月 の 公 布 と と も に 実 施 さ れ た わ け で は な か った 。 府 県 に お い て 学. 制 を 実 施 す るた め に学 区 を 定 め 、 学 区 取締 を 置 き 、 小 学校 が 設 立 さ れ は じ めた の はだ いた い六 年 四 月 以 後 で あ. 9.

(12) つた 。 学 制 公 布 後 、 府 県 で は 実 施 の体 制 を 徐 々 に 整 え て い った が 、 旧 来 の伝 統 も 根 強 く 、 ま た 実 施 の た め の財. 政 的 裏 付 け も 十 分 で は な か っ た た め に 、 学 制 を 一気 に 実 施 す る こ と は 極 め て 困 難 と い う の が 実 情 で あ っ た 。 ﹁. 気 に 実 施 す る こ と が 困 難 で は あ った が 、 文 部 省 で は 明 治 六 年 三 月 に 欧 米 視 奈 を 終 え て 帰 国 し た 田 中 不 二 麻 呂 が. 中 心 と な って学 制 の実 施 に 力 を 注 いだ 。 そ れ か ら 同 年 の六 月 に は 文 部 省 顧 問 に ア メ リ カ か ら 招 か れ た ダ ビ ツ. ト ・モ レ ー が 着 任 し た 。 モ レ ー の 協 力 と 指 導 の 下 に 細 部 の 規 則 を 定 め 、 具 体 的 な 施 策 を 講 じ て 府 県 の教 育 を 指 導 し、 実 施 し た 。. 以 上 の よ う な 経 緯 で 公 布 さ れ た 学 制 に お け る 学 校 に つ い て の 考 え 方 は 、 徹 底 し た 近 代 学 校 の精 神 に よ る も の. で あ った 。 学 制 の 手 段 に 基 づ い て 急 速 に 学 校 が 建 て ら れ て い く に つれ て 、 こ の 近 代 学 校 の精 神 が 全 国 の 隅 々 に. ま で 達 し 、 教 育 や 学 校 に 関 す る 思 想 を 次 第 に 改 変 し て い っ た の で あ る 。 こ の 新 し い 教 育 観 ・学 校 観 が 、 そ の 後. 何 十 年 後 に 至 る ま で 人 々 の考 え を 決 定 し 、 学 校 の 性 質 を 規 定 し 、 国 民 生 活 の 根 本 を も 決 定 し て き て い る 。 こ の よ う に し て 学 制 の 公 布 は 日 本 の 教 育 に 一時 期 を 画 す る こ と と な っ た の で あ る 。. 一巻. 学 校 史 要 説 ﹄ 第 -法 規 出 版. 一九 七 九 年. }年 間 の 経 費 を 調 査 し て 記 入 す る こ と と し て い る 。. ﹃学 制 百 年 史 ﹄ で は 、 こ こ に 学 制 の も つ 教 育 史 上 の. ﹁学 制 ﹂は 、 江 戸 時 代 以 来 武 士 の た め の 学 校 と 庶 民 の た め の 学 校 と は 別 々 に 構 成 さ れ て い た の を 、 明 治 維 新 後 は こ れ を 一 つに 合 わ せ て 組 織 し た 。 一 つに 組 織 し た こ と を. -九 七 二 年. 一九 三 三 年. 重 要 な 意 義 を 認 め な け れ ば な ら な い と し て い る 側。. ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 同 文 書 院. ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 帝 国 地 方 行 政 学 会. D高 橋 俊 乗 幻文 部 省. 第. そ の 調 査 票 の 様 式 に よ れ ば 、 校 名 、 教 授 学 科 名 、 教 員 数 、 生 徒 数 、. ﹁法 規 分 類 大 全 官 職 門 ﹂. ﹃学 校 の 歴 史. 幻同 一 } 七 頁 の仲 新 θ文 部 省. 第 [条 木 省 及 附 図 諸 管 斉 区 哲 学 局 大 中 小 学 校 ノ官 員 ヲ 統 率 シ テ 其 事 務 ヲ 哲 理 ス 第 二条 全 国 ノ大 凡 ヲ 教 育 シ テ 其 道 ヲ 得 セ シ ム ル ノ 責 二 任 ス 右 の 二 条 か ら も 文 部 省 の全 国 民 対 象 の学 校 制 度 も 整 備 が い か に急 務 で あ った か を 知 る こ と が で き る の ﹃学 校 の 歴 史 ﹄ 六 五 頁 の国 民 奨 励 会 編 ﹁教 育 五 十 年 史 ﹂ 訓 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 第 一巻 ﹄. 10.

(13) ﹃学 制 百 年 史 ﹄ ﹃学 校 の 歴 史 ﹄ 六 七 ∼ 六 八 頁. 学 政門 ﹄原 書房. 第 一巻 ﹄ 教 育 資 料 調 査 会. 一八 七 ﹁年. 明 治 五 年 ﹄ 原 書 房. -九 三 八 年. 一 一三 二 頁. 三 三八 頁. ﹁勧 学 の 御 布 告 ﹂ と 呼 ば れ 、 ま た 結 び の 文 に. 一九 七 四 年. ﹁右 之 通 被 仰 出 候 ﹂ と あ る と こ ろ. 但 シ 外 国 教 師 雇 人 有 之 場 所 ハ当 省 ヨ リ 官 員 ヲ 派 出 シ 地 方 官 協 議 之 上 可 及 慮 分 候 條 夫 迄 之 慮 生 徒 教 授 向 等 不 都 合 加 無 之 様 可 取 計 尤 当 省 出 張 ヲ不待 学制 之 日的 二依 リ成丈 ケ相 運 候様 可致 事. 依 テ 一 旦 悉 令 廃 止 今 般 定 メ ラ レ タ ル 学 制 二 循 ヒ 其 主 意 ヲ 汲 ミ 更 二学 校 設 立 可 致 候 事. 今 般 被 仰 出 候 旨 モ 有 之 教 育 之 儀 ハ自 今 尚 叉 厚 ク 御 手 入 可 有 之 候 虚 従 来 府 縣 二 於 テ 取 設 候 学 校 -途 ナ ラ ス 加 之 其 内 不 都 合 之 儀 モ 不 少. と し た 。. ﹁学 制 ﹂ 頒 布 と 同 日 即 ち 明 治 五 年 八 月 三 日 に 文 部 省 は 、 同 省 布 達 第 十 三 号 を 以 て 左 の 如 く 従 来 府 縣 に て 設 置 せ る 学 校 を 廃 止 す る こ と. ω 教 育 史 編 纂 委 員 会 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史. 鋤. 第 一編. ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 二 六 ∼ 五 二 七 頁. 第 五 巻 ノ ニ. ﹁被 仰 出 書 ﹂ と 呼 ば れ る よ う に な っ た 。. ﹁後 布 告 書 ﹂、 あ る い は 地 方 で は. 明治 五 年﹄. か ら 後 に. ま た. ﹃法 令 全 書. 蝋 ﹃法 規 分 類 大 全 畑内 閣 官 報 局 蝋 ﹃学 制 百 年 史 ﹄. 第五 巻 ノ ニ. 凶 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 細 ﹃法 令 全 書. 五巻 ﹄ 東京大 学 出版 会. }九 七 -年. 本 書 一六 ペ ー ジ に わ た っ て 、 下 等 小 学 お よ び 上 等 小 学 に お い て 学 ぶ べ き 学 問 を 詳 細 に 記 し て い る 。 一週 間 の う ち に ど れ だ け 学 習 す る か ま で書 か れ て お り 、 い か に 詳 細 か が わ か る。. ω 日 本 史 籍 協 会 編 ﹃木 戸 孝 允 文 書. 明 治 六 年 二 月 三 日 付 の長 三 洲 木 戸 書 翰 に 記 さ れ て い る 。 鋤 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 一 二 七 頁. 11.

(14) 第 二節. ﹁学 制 ﹂ の 目 的 と 内 容. 明 治 五 年 に 発 布 さ れ た ﹁学 制 ﹂ は 、 そ の 後 改 正 追 加 が 行 わ れ た が 、 発 布 当 初 の も の は 全 文 一〇 九 章 か ら な り 、 そ の内 容 は 次 の よ う に 構 成 さ れ て い る 。 (第 一章 ∼ 第 十 九 章 ). (第 二 十 章 ∼ 第 三 十 九 章 ). 大 中 小 学 区 ノ事 学 校 ノ事 (第 四 十 章 、 ∼ 第 四 十 七 章 ) (第 四 十 八 章 ∼ 第 五 十 七 章 ). 教 員 ノ事 生 徒 及 試 業 ノ事. ﹁学 制 二 編 ﹂ に よ っ て 条 文 が 追 加 さ れ 、 ま た 同 年 四 月 に は 専 門 学. (第 五 十 八 章 ∼ 第 八 十 八 章 ). (第 八 十 九 章 ∼ 第 百 九 章 ) ω. 海 外 留 学生 規 則 ノ事 学 費 ノ事. そ の後 の改 正 に つい ては 、 明 治 六 年 三 月 に. 校 お よ び 外 国 語 学 校 に 関 す る 規 則 な ど が 新 し く 定 め ら れ 、 同 年 七 月 ま で 条 文 の 追 加 が あ り 、 ﹁学 制 ﹂ は 全 文 で 二 = 二章 と 想 像 以 上 の 多 さ と な っ た 。. こ の学 制 に 関 し て は 、 頒 布 さ れ る ま で に 様 々な 調 査 が 行 わ れ て お り 、 最 も 力 を 入 れ て い た の が 、 欧 米 の教 育. 制 度 で あ った 。 明 治 維 新 後 か ら 早 く に 欧 米 の 教 育 制 度 は 日 本 に 紹 介 さ れ て お り 、 ま た 学 制 起 草 に 際 し て さ ら に. 調 査 や 研 究 が 重 ね ら れ た の で あ る 。 そ の 学 制 は 、 単 に 特 定 の 一国 の 制 度 だ け を 模 範 と し て 定 め ら れ た の で は な. く 、 多 く の 国 々 の 教 育 制 度 を 参 考 に し た と 考 え る べ き で あ る 。 例 え ば 、 学 区 制 な ど 制 度 の大 網 は フ ラ ン ス の制. 度 を 模 範 と し た と 考 え ら れ て い る が 、 オ ラ ンダ の制 度 と の類 似 点 も あ り 、 ま た 教 育 内 容 に 関 し て は ア メ リ カ の 影 響 が 強 い な ど 、 決 し て 一律 で は な か っ た 。. 学 制 の 内 容 は ア メ リ カ 風 の 実 利 主 義 で あ っ た が 、当 時 の 日 本 は 申 央 集 権 主 義 を 取 り 入 れ よ う と し て い た の で 、. ア メ リ カ の 制 度 を 模 範 す る こ と を 好 ま し く 思 っ て い な か った 。 そ こ で 日 本 の政 府 が 目 を つ け た の が 、 教 育 に お. いて最 も 中 央 集 権 的 な 制 度 を 行 って いた フ ラ ン スであ る。 も と も と フラ ン スと 日本 は幕 末 以来 か ら 深 い関 係 に. 12.

(15) あ っ た の で 、 学 制 は フ ラ ン ス の 制 度 を 模 範 と す る こ と に な っ た と 考 え ら れ る 働。. ﹁ア カ デ ミ ; ﹂ を 模 範 し た も の で あ っ た 。 其 の. ﹁学 制 ﹂は 外 国 の 学 校 制 度 を 参 照 に し て 作 っ た も の に 違 い な い が 、 全 国 を 大 学 区 中 学 区 小 学 区 に 分 け 、 大 学 に 督 学 局 を 置 い て 区 内 の学 校 を 監 督 さ せ る 制 度 は 正 に フ ラ ン ス の. 他 学 校 を大 学 、 中 学 、 小 学 の三 等 に分 け る こと や 、 小学 の在 学 期 を 児 童 六歳 から 十 三歳 ま で に し て いる 点 な ど. ﹁学 制 ﹂ は 規 模 が 大 き く 八 個 の 大 学 、 二 五 六 の 中 学 、 五 万 三 千 七 百 六 十 個 の 小 学 を 建 設 す る と い. か ら 、 主 と し て フ ラ ン ス の 学 制 を 模 倣 し た よ う に 思 わ れ る 。 一方 に は ア メ リ カ の 制 度 も 参 考 に し て い る の で あ る。 と に か く. う も の だ っ た 。 当 時 と し て は 思 い 切 っ た 大 計 画 で あ り 、 一方 か ら 見 れ ば 、 ほ と ん ど が 外 国 の 制 度 の 翻 訳 で 、 し. (明 治 六 年 に 七 大 学 区 に 改 正 ) に. か も 国 力 や 民 情 や 文 化 の 格 式 な ど 周 り の事 情 に 執 着 す る こ と は な か った 。 其 の 他 に も 実 行 も 出 来 な い よ う な 理 想 を 紙 の 上 に 書 き 列 ね た 、 空 文 に 等 し い よ う な も の ま で あ った 。 学 制 に お いて は 、 学 区 制 が 採 用 さ れ た。 学 区 制 によ ると 、 全 国 を 八 大 学 区. 分 け 、 各 大 学 区 に 大 学 校 一 校 を 置 き 、 一大 学 区 を 三 二 中 学 区 に 分 け 、 各 中 学 区 に 中 学 校 ∼校 を 置 き 、 一 中 学 に. さ ら に 二 一〇 小 学 区 に わ け 、 各 小 学 区 に 小 学 校 一校 を 置 く こ と に し た 。 す な わ ち 全 国 に 大 学 校 を 、 人 口 約 十 三 万 に 対 し て 中 学 校 一校 を 置 く こ と を 目 標 と し た も の で あ つ た 。. 大 学 に は 督 学 局 を お い て 区 内 の 学 校 を 監 督 つま り 統 制 を 行 っ て お り 、 こ れ は 学 制 に 統 制 主 義 の 要 素 が あ った. か ら で あ る 。 学 制 に お け る 統 制 方 式 は 、 文 部 卿 を 頂 点 と し て 構 成 さ れ る 督 学 、 学 区 取 締 の教 育 行 政 機 関 の 系 列. 化 と 、 全 国 を 網 羅 細 分 し て 教 育 行 政 単 位 と す る 学 区 の 組 織 化 に お い て 、 と く に 顕 著 で あ った 。 統 制 主 義 の ほ か. に 学 制 に は 知 識 主 義 の 要 素 も 含 ま れ て い た 。 学 制 に お け る 知 識 主 義 は 、 学 令 ・就 学 ・教 科 ・試 験 ・学 資 給 貸 ・. (藩 校 等 ) と 庶 民 学 校. (寺 子 屋 等 ) の 二 重 系 統 の 学 校 体 系 を 統 一化 し 、 全. 留 学 な ど の な か に 、 制 度 化 さ れ て い る ㈲。 知 識 主 義 教 育 の 顕 著 の 現 わ れ と し て は 、 試 験 を 重 視 し た 教 育 に も つ な が っ て い っ た ④。 ﹁学 制 ﹂ は 、 江 戸 時 代 の 武 家 学 校. (校 )、 中 学. (校 )、 大 学. (校 ) の 三 段 階 と し 、 小 学 校 は 下 等 小 学. (四 年 ) ・上 等 小 学. (四 年 ) の. 国 民 を 対 象 と す る 単 一 系 統 の 学 校 体 系 を 基 本 と す る も の で あ っ た 。 こ の 基 本 体 系 は 、 発 布 当 初 の ﹁学 制 ﹂に よ れ ば 、学 校 を 小学. 13.

(16) 四 ・四 制 、 中 学 校 は 下 等 中 学. (三 年 ) ・上 等 中 学. (三 年 ) の 三 ・三 制 で 、 大 学 に つ い て は 年 限 を 定 め て い な か つ. た 。 中 学 校 に 関 し て は 、 商 業 、 工 業 、 通 辮 、 農 業 学 校 は 中 学 校 の 一種 に 数 え ら れ た が 、 師 範 学 校 だ け が こ れ ら の系 統 か ら 外 さ れ た。. も う 少 し学 制 の基 本 的 性 格 を 述 べ ると 、 学 区制 によ って近 代 学 校 制 度 を樹 立 しよ う と した 。 江 戸 時 代 に は 武. 家 の 学 校 と 庶 民 の 学 校 が 別 個 に 成 立 し 、 二 重 系 統 の 学 校 体 系 を な し て い た 。 こ れ に 対 し て 、 ﹁学 制 ﹂ は 全 国 民 を. 対 象 と す る 単 一系 統 の 学 校 体 系 を 基 本 と し 、 こ れ を 学 区 制 に よ っ て 成 立 さ せ よ う と し た の で あ る 。 す な わ ち 階. ﹁学 制 ﹂ の 規 定. (文 部 省 布 達 五 十 七 号 ㈲) さ れ た こ. ﹁学 制 ﹂ の 性 格 を 考 察 す る 際 に 注 目 す べ き こ. 級 的 複 線 型 の 学 校 体 系 を 改 め て 民 主 的 単 線 型 の 学 校 体 系 の 樹 立 を 目 指 す も の で あ った 。 し か し を 詳細 に見 れ ば 、 そ こ に複線 的 要 素 も 含 ま れ て お り、 こ の こと も. と な の で あ る。 し か し 、 明 治 六 年 に 専 門 学 校 お よ び 外 国 語 学 校 の 規 定 が 追 加. と に よ っ て 、 ﹁学 制 ﹂の 学 校 体 系 は 複 雑 な も の と な り 、 学 校 体 系 は 複 線 的 性 格 を 強 め る こ と と な っ た ㈲。. 学 制 の 内 容 と し て は 、第 一 に 義 務 教 育 が と ら れ た 。﹁ 一般 の 人 民 (華 士 族 農 工 商 及 婦 女 子 )必 ず 邑 に 不 学 の 戸 な く 、. ﹁身 を 立 る の 財 本 ﹂ ﹁其 産 を 治 め 、 共 業 を 昌 に す る ﹂ に 置 き 、 従 来 の ひ た す ら 国 家 の 為 に. 家 に 不 学 の 人 な か ら し め ん 事 を 期 す ﹂ と し て 、 従 来 の 学 問 が 士 人 以 上 の も の で あ った 身 分 差 を 否 定 し た 。 第 二 に 学 問 ・教 育 の 目 的 を. と 唱 え る 教 学 的 性 格 を 否 定 し た 。 第 三 に 学 問 ・教 育 が 人 民 の 自 主 自 発 に よ っ て 行 わ る べ き だ と 定 め 、 学 費 衣 食. の 用 を 官 よ り 支 給 さ れ る 善 習 を 否 定 し た 。 重 複 す る 部 分 も あ る が 、 学 制 の中 に 規 定 さ れ た 学 校 制 度 の 基 本 的 性. 格 と し て最 も 重 要 な の は、 維新 以 来 の新 政 府 の教 育 政策 の中 に残 存 し て いた 二重 系 統 の学 校 組 織 に 対 す る考 え. 方 を 捨 て た こ と で あ る 。 す な わ ち 学 校 は こ れ を 小 学 ・中 学 ・大 学 の 三 段 階 に 組 織 し 、 こ れ を 全 国 民 に 対 し て 一. 様 に 解 放 し 、 単 一化 さ れ た 制 度 を 確 立 す る よ う に な っ た こ と で あ る 。 こ の 方 針 は 太 政 官 布 告 の 中 に す で に 明 確. に 現 わ れ て い る ω。 ﹁自 今 以 後 ∼般 の 人 民 ﹂ は 必 ず 学 校 に 入 学 す べ き と し 、 ﹁必 ず 邑 に 不 学 の 戸 な く 家 に 不 学 の 人. な か ら し め ん 事 を 期 す ﹂ と い う 大 き な 抱 負 を 持 っ て 、 学 校 は 立 身 ・治 産 ・昌 業 の た め に 役 立 つ も の で な け れ ば. ﹁華 士 族 卒. (誤 り 訂 正 に よ り 卒 を 追 加 ) 農 工 商 及 婦 女 子 ﹂ と し て 華 族 か ら 農 工 商 に 至 る ま で す べ て の 人 に 対. な ら な い と 宣 言 し て い る 。 そ の 際 一般 の 人 民 と は い か な る も の を 表 わ す か に つ い て 註 釈 を 加 え て い る 。 す な わ ち. 14.

(17) し て 一様 に 教 育 が 施 さ れ る こ と を 制 度 の 土 台 と し た の で あ る 。 ま た こ の 布 告 の 中 に. ﹁高 上 の 学 に 至 て は そ の 人. の 才 能 に 任 か す と い へど も 幼 童 の 子 弟 は 男 女 の 別 な く 小 学 に 従 事 ﹂ を さ せ な け れ ば な ら な い と し て い て 、 特 に. 小 学 校 の 教 育 が 国 民 全 て に 対 し て 一様 に 課 せ ら れ る べ き で あ る と 明 確 に し て い る 。 小 学 校 以 上 の 学 校 教 育 に 関. し て は 才 能 に 任 す と し て い る が 、 そ の 際 に 小 学 校 を 卒 業 し も の は す べ て 一様 に 上 級 の 学 校 に 進 学 す る 機 会 を 持 つも の で あ る こ と を 示 し て い る の で あ る 。. ﹁其 父 兄 の 越 度 ﹂ (﹁被 仰 出 書 ﹂) と し て 、 半 強 制 的 な 就 学 督 促 策 が 実 施 さ. ま た 、﹃文 部 省 第 三 年 報 ﹄ で は 、 就 学 ﹁督 励 ノ 際 梢 強 促 二 渉 ル ノ 跡 ア ル モ 目 シ テ 非 義 ト 称 セ デ ル ハ 識 者 ノ 通 論 ﹂ と 書 い て いる よ う に、児 童 の不 就 学 は れ た こと を 知 る こと が でき る 。. 学 制 の 主 眼 点 は 、 小 学 校 義 務 教 育 制 で あ った が 、 こ の義 務 制 は 当 時 と し て は 驚 く 程 敏 速 に 実 施 さ れ た 。 学 制. 発 布 の 翌 年 に は 、 小 学 校 を 起 し 、 公 立 が 八 千 校 、 私 立 が 四 千 五 百 校 に お よ び 、 以 後 年 々増 加 さ せ て い き 二 八 年. 後 に は 就 学 比 率 が 四 二 ・二 六 % と い う 目 覚 し い も の で あ っ た 。 だ が 、 当 時 に 山 村 僻 地 に ま で 普 及 し た 目 覚 し さ. は 、 当 局 の ﹁頗 る 強 硬 手 段 を 用 い た ﹂ 強 制 と 、 ﹁政 府 の 命 令 と い え ば 、 一 も 是 に 抵 抗 す る 者 な く 、 皆 慎 ん で 命 を. 奉 ﹂ し た 人 民 の 服 従 と の 、 専 制 主 義 的 支 配 ・被 支 配 関 係 に よ つ て 支 え ら れ て い た の で あ る 。. 学 制 の整 然 と し た 学 校 制 度 の 中 心 に は 、 先 に 述 べ た 小 学 校 義 務 教 育 制 度 が あ った か ら で あ る 。 こ の義 務 教 育. 制 を 小学 校 に お い て力 を 発 揮 さ せ る こと を 第 一の目標 であ ると 学 制 に お い て宣 言 し て い る。 国 家 権 力 に よ る就. 学 強 制 が こ の 制 度 を 支 え た の で あ る 。 し か し 、 実 際 の 予 算 面 か ら み る と 、 義 務 教 育 費 は 民 費 つま り 費 用 の 大 部. 分 を 民 衆 の 直 接 負 担 と し て 、 そ れ に 頼 っ て い た の で あ る 。 よ つ て 負 担 に 耐 え 切 れ な く な った 民 衆 に よ る 学 制 反 対 の 一 揆 も 起 こ っ た の だ が 、 こ の こ と は 自 然 な 流 れ で は な い だ ろ う か ㈲。. 小 学 校 を 義 務 制 に し ても 、 児 童 た ち の学 ぶ 場 所 が な け れ ば 実 施 でき な いの で、 学 校 の設 立 と と も に学 齢 児 童. を 就 学 さ せ る こ と が 当 面 の課 題 で あ った 。 府 県 に お い て は 、 小 学 校 の設 立 を 意 味 す る も の で あ った 。 し か し 、. 学 制 の 教 育 観 と 民 衆 の教 育 観 と の距 離 は 男 女 別 の就 学 率 に お い て も 明 ら か に み ら れ た 。 明 治 六 年 に お い て 就 学. 率 は 約 二 九 % で 、 男 子 三 九 ・九 % 、 女 子 一 五 ・ 一% と す で に 開 き が あ っ た 。 男 子 は 八 年 に 五 〇 % を 越 え て い る. 15.

(18) の に 対 し 、女 子 は 一 八 ・七 % に 過 ぎ ず 、就 学 率 は 約 三 五 % だ っ た 卸。学 制 の 実 施 に お い て 小 学 校 の 設 立 に お い て 、. (寺 院 四 〇 % 、 民 家 三 二 ・ 四 % そ の ほ. 明 治 六 年 で は 一万 二 千 余 、 明 治 八 年 に は 全 国 に 二 万 四 三 〇 三 校 と 当 初 の 計 画 の 約 半 数 が 設 立 さ れ た も の の 、 学 制 の 要 求 す る 新 築 完 備 は わ ず か そ の 一八 % で あ り 、 八 〇 % 以 上 が 旧 施 設. 髄. 率. か ) の利 用 で あ っ た 。 小 学 校 の 設 置 は 順 調 に は 進 ま な か っ た こ と が わ か る 。. 平均. 女. 男. zi.o. (ほ か に 三 円 五 〇 銭 ・二 円 )、 小 学 校 は 五 〇 銭. (ほ か に 二. の だ と 考 え ら れ る ゆ。 中 学 の 進 級 法 も 小 学 と 同 じ で 、 上 下 二 等 に 分 け 、 各 三 年 問 で 、 下 等 六 級 か ら 上 等 一級 ま で. 次 等 に 上 が っ て 上 等 一級 を 最 後 と し た 。 こ の 進 級 法 は 、 豊 後 の 日 田 で 廣 瀬 淡 窓 が 開 い た 成 宜 園 を 参 考 に し た も. あ る が 、半 年 毎 と し 、 最 下 を 下 等 八 級 と 名 づ け 、 そ れ よ り 下 等 七 級 ・六 級 と 進 み 下 等 一 級 か ら 上 等 八 級 に 昇 り 、. 石 で 四 円 九 銭 し て い た こ と か ら も 、 援 業 料 が い か に 高 額 で あ った か を 知 る こ と が 出 来 る 。 ま た 当 時 の進 級 法 で. 五 銭 ) と し た 。 こ の 額 は 当 時 と し て は 極 め て 高 額 で 重 い負 担 と な った こ と は 確 か で あ る 。 当 時 の米 の 値 段 が 一. ほ か に 六 円 ・四 円 の 二 等 を 設 け 、 中 学 校 は 五 円 五 〇 銭. 区 で 支 払 う か 政 府 か ら 補 助 し た 、 従 って 各 学 校 は 、 授 業 料 を 徴 収 し た 。 大 学 校 は 月 額 七 円 五 〇 銭 を 標 準 と し 、. 学 制 は ﹁受 業 料 ﹂ (授 業 料 ) に つ い て も 定 め て い た の で 、 学 校 の 経 費 は 民 費 が 原 則 と な っ て い て 、 不 足 分 は 学. 年次. 22.3. 23.5 22.6. の 十 二 級 に 分 け た ⋮。. 16. 1&.7. 学 就 表1 童 の 児 齢 学. 1ア2. 2s.゚ 32.3 35.4 38.3 39.9 41.3 41.2 15正. 39.9 46.2 50.8 54.2 56.0 57.b 5&.2. ∼12年) (明 治6年.

(19) ﹁学 制 ﹂に お い て 特 に 注 意 す べ き は 、 教 育 行 政 上 重 要 な 四 つ の 大 事 項 が 定 め ら れ た こ と で あ る 。. 第 ﹁ は 義 務 教 育 に 関 す る こ と で あ る 。 ﹁学 制 ﹂ は 男 女 に 関 係 な く 六 歳 よ り 十 三 歳 ま で に 至 る 尋 常 小 学 の 課 程 を. 修 め る 義 務 が あ る と し た 。 そ の 義 務 を 負 う 者 が 何 人 で あ る か は 法 文 の上 で は 余 り 明 確 に な って い な い が 、 多 分. 父 兄 お よ び 保 護 者 に 対 し て そ の 保 護 の 下 に あ る 児 童 を 就 学 さ せ る 義 務 を 負 わ せ る 趣 旨 で あ つた だ ろ う 。 義 務 教. 育 の 期 問 等 に つ い て は そ の 後 様 々 な 変 更 は あ る が 、 義 務 制 と す る 精 神 は ﹁学 剃 ﹂の 時 既 に 始 ま っ た も の で あ る 。. 第 二 は 教 育 と 宗 教 と の 分 離 の問 題 で あ る 。 宗 教 を 少 し で も 教 育 の 中 に 入 れ る こ と の 利 害 得 失 に つ い て は 人 々. の 言 う こ と は 一致 し な か っ た 。 欧 州 諸 国 で は 宗 数 的 普 通 教 育 を 行 っ た せ い で 長 年 に 渡 り 苦 い 経 験 を な め 、 フ ラ. ン ス に お い て は 、 革 命 以 来 非 宗 教 教 育 即 ち 世 俗 教 育 を 標 榜 に す る に 至 った 。 し か し 、 フ ラ ン ス に お い て は 宗 教. 教 育 の 必 要 を 唱 え る 者 が 絶 え る こ と は な か っ た 。 こ の こ と と は 別 問 題 と し て 、 ﹁学 制 ﹂は 断 然 教 育 と 宗 教 を 分 離 す る 主 義 を と って い る。. 第 三 は 地 方 公 共 団 体 によ って経 営 さ れ る学 校 の経 費 に対 す る国 庫 補 助 のこと であ る。. 第 四 は 小 学 校 を 総 て の 学 校 の 基 本 と す る 主 義 の こ と で あ る 。 ﹁学 制 ﹂ は 小 学 校 を 総 て の 教 育 の 基 礎 と し 、 如 何 な る 上 級 の学 校 に 入 る に も 必 ず 小 学 校 を 経 由 し な け れ ば な ら な い 主 義 を 取 っ て い る 。. 学 制 頒 布 後 の 学 校 の 設 置 は 各 方 面 の 努 力 に よ り 漸 次 、 校 数 も 整 備 ・充 実 し て い っ た 。 し か し 一方 で は 、 学 制. は高 い指 標 を掲 げ な が ら や が て空 転 し てし ま う のだ が 、 そ の理 由 と し て指 標 を 支 え る政 治 的 な な いし社 会 的 経. (実 作 ) で 、 徴 兵 反 対 、 小 学 校 廃 止 を 叫 ぶ 暴 動 が. 済 的 基 盤 が 変 化 し て い っ た こ と が 考 え ら れ る 。要 す る に 学 制 そ の も の に 、理 由 が 隠 れ て い た と い う こ と に な る 。 そ う い った こ と が 顕 著 に 現 わ れ 始 め た の が 、 明 冶 六 年 北 條 県. 起 こ っ た 。 こ れ に よ っ て 、 管 下 四 十 六 校 が 破 壊 さ れ た の を 発 端 と し て 、 小 学 校 破 壊 の 一揆 が 現 わ れ 始 め た の で. あ る。 そ れ は民 衆 の反 動 性 を 意 味 す る の では な く て、 授 業 料 な ど の重 い負 担 や 、 就 学 の強 制 に対 す る 反抗 であ. 第. 一巻 ﹄. つ た の だ ろ う 。 こ の 騒 動 は 次 第 に 全 国 へ と 広 が り 、 そ れ と 同 時 に ﹁学 制 ﹂ 改 正 の 動 き も 出 始 め て き た の で あ る 。. D ﹃学 校 の 歴 史. 17.

(20) の高 橋. 明 治 三 年 フ ラ ン ス は プ ロ シ ア と 戦 っ て 敗 れ た と は 言 え 、 我 が 国 と の は ア メ リ カ ・イ ギ リ ス ・ ロ シ ヤ に つ い で 深 い 関 係 に あ つ た し 、. ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 三 四 頁. 一九 六 三 年 -九 七 五 年. 二五 二頁. ﹁世 界 は ひ ろ し ﹂ へ. 殊 に 明 治 初 年 の 我 が 国 の 法 律 が フ ラ ン ス 法 を 模 倣 し て 立 て ら れ た と い ふ 事 が 、フ ラ ン ス に 依 ら し め る 有 力 な 原 因 に と な っ た の で あ ろ う 。. 紛井 上 久 雄 ﹃学 制 論 考 ﹄ 風 間 書 房 の結 城 陸 朗 ﹃目 本 教 育 文 化 史 ﹄ 明 玄 書 房. の 転 換 で あ る 。知 識 主 義 的 学 校 教 育 を 全 国 に は り め ぐ ら す こ と に よ つ て 国 民 を 近 代 化 し 、独 立 自 尊 の 人 間 を つ く り 、 国 家 の 近 代 化. 教 科 内 容 は 、 伝 統 的 ・ 儒 教 的 な も の は 一掃 さ れ 、 近 代 西 欧 の 知 識 を も っ て 緑 織 さ れ る 。 ﹁子 ノ タ マ ワ ク ﹂ か ら. 第. 一編. 学 制 門 ﹄ 八 八 頁. ど の臨 席 の も と 厳 重 に お こな わ れ る 。. を は か り 万 国 併 立 を は か った も の と いえ る 。近 代 西 欧 の知 識 内 容 の 注 入 、吸 収 、 そ の 暗 記 が 問 題 で あ り 、そ れ ら の 知 識 を ど れ ほ ど 吸 収 し て い るか が 闇 題 な の で あ り 、 そ れ は 試 験 に よ っ て 判 定 さ れ る 。 そ れ 故 、 小 学 校 の 試 験 が 、 学 区 取 緑 ・区 戸 長 ・県 学 務 課 員 な. ω ﹃法 規 分 類 大 全 第 ↓巻 ﹄. 専 門 学 校 お よ び 外 国 語 学 校 の 規 定 が ﹁学 鰯 ﹂に 追 加 さ れ た こ と は 、 欧 米 の 学 徳 文 化 の摂 取 が 急 務 で あ った 当 時 の 事 情 に よ る も の で あ った と 考 え ら れ る。. 的 ﹃学 校 の 歴 史. α. め に 学 校 は な く て は な ら な い 働 き を も っ て い る 。 そ し て 人 は 学 校 と い う 機 関 を と お し て 勉 励 し て こ そ 、は じ め て 立 身 出 世 で き る の. ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 一 二 四 頁 太 政 官 布 告 は 、 ﹁人 々 自 ら 其 身 を 立 て 其 産 を 治 め 其 業 を 日日に し て 以 て 共 生 を 遂 る ゆ え ん の も の は . ・⋮ ﹂ で 始 め ら れ て い る が 、 ま ず 学 校 を 設 立 す る 主 旨 を 述 べ て い る 。 人 が 立 身 出 世 し 、悔 い の な い 生 殺 を 送 る た め に は 学 問 を 修 め な け れ ば な ら な い 。 こ の 学 問 の た. 明 治 国 家 の 成 立 ﹄ 山 川 出 版 社. ﹁九 六 人 年 一九 九 六 年. で あ る 。 人 間 が そ の身 を 滅 ぼ す の は 多 く 不 学 に そ の 原 因 が あ る と し て い る 。. ﹃日 本 歴 史 体 系 1 3. ﹃日 本 近 代 国 家 の 形 成 ﹄ 岩 波 書 店. 井 上 光 貞 他. ㊧原 口 清. ・習 字 ・地 学 ・史 学 ・ 外 国 語 ・窮 理 学 ・叢 学 ・ 古 言 学 ・幾 何 学. ・星 学 大 意 を 加 え た 。. .修 身 学. 。側 量 学. .奏. .国 勢 大 意 を 加 へ 、 上 等 で. ・外 国 語 ・ 窮 理 学 ・ 罫 豊 古 言 学 ・ 幾 何 ・ 代 数 学 ・ 記 簿 法 ・化 学 . 修 身 学 ・ 測 量 学 . 経 済 学 . 重 學 .. ・記 簿 法 ・ 博 物 学 ・ 化 学. ﹁五 年 任 と 文 部 少 丞 兼 侍 読 艸 額 制 五 篇 上 之 。﹂ と あ る か ら 、 恐 ら く 我 が 国 学 制 に お け る 進 級 法. ﹁フ ラ ン ス 学 制 ﹂ に は 見 ら れ な い も の で あ つ た 。 廣 瀬 淡 窓 は 学 剃 頒 布 の 頃 、 文 部 省 に 居 っ て 功 を 立 て 九 長 芙 が 成 宜. ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄. 俵 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 紛高 橋 こ の 進 級 法 は. 園 に 学 ん だ 人 で あ り 彼 の墓 誌 銘 に も. 一巻 ﹄. は 威 宜 園 の そ れ を 転 用 し た も の で あ ろ う 。 期 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ・数 学. 下 等 お よ び 上 等 で 何 を 学 ぶ か も 決 ま って い た 。 下 等 で は 国 語. 楽 を 課 し 、 上 等 で は 国 語 ・習 字 ・生 理 学. 動 物 ・ 植 物 ・ 地 質 ・ 鉱 山 学 を 学 習 さ せ た 。 但 し 後 に 下 等 で 測 量 学 を や め て 、 代 数 学 ・生 理 学 ・ 政 瞭 大 意 重 学 大 意. 18.

(21) 第 三節. 師 範 学 校 設 立 に伴 う教 員 養 成. 学 校 が 設 立さ れ ても 生 徒 に教 え る 人 間 が いなけ れ ぼ 意 味 が な く 、 文 部 省 も政 府 も そ れ は認 識 し て いた 。教 員. 養 成 政 策 が 行 わ れ 、 政 府 は 小 学 校 教 員 の 養 成 を 第 一の 急 務 と し 、 政 府 は 自 ら そ の養 成 に 乗 り 出 し 、 東 京 以 下 に. 官 立 師 範 学 校 を 七 校 設 置 し 、 教 員 養 成 を 行 お う と し た 。 こ の節 で は 、 教 員 養 成 を 目 的 と し て 設 立 さ れ た 師 範 学 校 の 設 立 過 程 お よ び 教 員 の資 格 に つ い て考 察 し で い き た い 。. 文部 省 は 全 国 に 学 校 を 作 り 始 め た 。 学 制 の条 文 から も わ か るよ う に、 学 校 は寺 を 借 り て も 出来 る が 、教 員 に. 関 し て は そ う 簡 単 に は い か な い 。 し か し 、 日 本 で は 教 師 よ り も 学 校 を 先 に 作 っ て し ま った の で あ る 。 唐 澤 氏 は. ﹁学 校 は 文 部 省 令 で 一 日 の 問 に で も 出 来 る が 、教 師 は そ う 早 く は 出 来 る も の で は な い 。ω﹂と 述 べ て い る よ う に 、. 一般 的 に 考 え れ ば こ の よ う な 事 は 予 測 出 来 た は ず で あ る 。 し か し 、 文 部 省 は 全 国 に 学 校 を 作 る こ と に 焦 っ て い た こと が 見え て く る。. 小 学 校 普 及 の 必 要 性 は 文 部 省 も 認 識 し て い た 。 小 学 校 の 普 及 に 伴 っ て 最 も 困 難 だ った の が 教 員 の 問 題 で あ っ. た 。 ﹁学 制 ﹂ の 定 め に よ れ ば 、 小 学 校 教 員 の 資 格 は 師 範 学 校 の 卒 業 者 で あ る こ と を 前 提 に し 、政 府 に お い て も ﹁学. 制 ﹂ 頒 布 に 少 し 先 だ って 東 京 に 官 立 師 範 学 校 を 設 立 し た 。 明 冶 七 年 に は 数 個 の 官 立 師 範 学 校 を 各 地 に 設 立 し 、. ま た 同 年 東 京 に女 子師 範 学校 を 設 立 し た が 、そ の卒 業者 が 出 る ま でに は 相 当 の時 間 を 要 した 。 卒 業 者 の出た 後. で も そ れ だ け で は 急 激 に 増 加 す る 教 員 の需 要 に 応 じ 切 れ な い た め に 、 士 族 な ど で多 少 漢 学 の 教 養 が あ る 者 を 間. に 合 わ せと し て採 用 し た ので、 物 理 化学 や 博 物 な ど を教 え る 先 生 が そ の事 項 の内 容 は自 分 にも 分 か らず た だ 教. 科 書 の 文 字 の意 味 の 訳 だ け を 教 え る と いう お か し な こ と も 多 々 あ った 。 八 、 九 年 頃 か ら は 各 府 県 で 臨 時 的 に 設. け ら れ た 教 員 養 成 機 関 も よ う や く ま と ま り は じ め 、 教 員 の資 質 も 次 第 に 向 上 す る こ と と な った 。. こ こ で 学 校 設 立 の 概 要 に つ い て 述 べ た い。 諸 種 の 学 校 の 発 達 状 況 と し て は 、 五 年 五 月 に 東 京 に 官 立 師 範 学 校. を 、 明 治 六 年 に大 学 区 が 八大 学 区 から 七大 学 区 に 改 正さ れ 、 大 学 本 部 と な る 大阪 と宮 城 に 官 立 師 範 学 校 を 建 て. た 。 七 年 に は、 愛 知 、 広 島、 長 崎 、新 潟 に も官 立師 範学 校 が 建 てら れ た 。 各 地 に建 て ら れ た 官 立 師 範 学 校 も 目. 19.

(22) 的 は 小 学 校 教 員 養 成 のた め で あ った 。 し か し 、 当 時 の卒 業 生 の 多 く は 、 小 学 校 な ど の 教 師 と し て で は な く 、 官 立 師 範 学 校 の教 師 と し て赴 任 し て いた よ う で あ る 。. こ の よ う に 学 制 期 に お け る 積 極 督 励 策 は 、 教 員 の 養 成 に も 遺 憾 な く 発 揮 さ れ た 。 文 部 省 は 自 ら 教 員 の養 成 に. ﹁後 来 ノ 目 的 ヲ 期 シ 当 今 着 手 之 順 序 ﹂. 乗 り 出 し 、 学 制 の 公 布 以 前 早 く も 東 京 に 官 立 師 範 学 校 を 開 き 、 つづ い て 他 の 六 大 学 区 本 部 に そ れ ぞ れ 官 立 師 範 学 校 を 設 け た と う いう こと か ら も 知 る 事 が 出 来 る 。 ﹁学 制 発 行 ノ 儀 伺 ﹂ を 正 院 に 提 出 し た と き. ﹁速 二 師 表 学 校 ヲ 興 ス ヘ キ 事 ﹂ を 掲 げ た ω。. ﹁当 今 着 手 第 一 中 ノ 尤 急 務 ﹂ と し て 、 何 よ り も 先 に 教 員 養 成 が 急 務 で あ る と 示. ﹁厚 ク カ ヲ 小 学 ヲ 小 学 校 二 可 用 事 ﹂ に つ い で. そ こ で 文 部省 は 、 五 年 三 月 を 上 申 し た が 、 こ こ に こ こ で は、 小学 校 教 員 の養 成 を し て いる点 が注 目さ れ る 。. 小 学 校 教 育 の 発 達 を 図 る た め に は 、 ど う し て も 教 員 養 成 の た め の 師 範 学 校 の 発 達 を 図 る 必 要 性 が あ った 。 学. 制 頒 布 の際 に も 文 部 省 は 実 施 計 画 と し て速 や か に 師 表 学 校 を 興 す べ き だ と 述 べ て い る 。 文 部 省 は 、 学 制 頒 布 よ. ﹁大 概 流 落 無 頼 ノ 禿 人 自 ラ 糊 予 不 能 ル モ ノ ニ シ テ. り 四 ケ 月 前 の 明 治 五 年 四 月 二 十 二 日 に 小 学 教 師 教 導 場 建 立 の 伺 を 正 院 に 提 出 し た の で あ る ㈲。 こ れ は 、 従 来 の 教 育 の欠 点 を 五 弊 に わ た っ て 批 判 し 、 特 に 寺 子 屋 師 匠 に つ い て. 素 ヨ リ 教 育 ノ 何 物 タ ル ヲ 不 弁 其 筆 算 師 ト 称 シ 書 読 師 卜 称 ス ル モ 綾 二 其 一端 二 止 ル ノ ミ 而 其 教 亦 浅 々 ク ト ビ 之 ヲ. 習 フ ト イ ヘト モ 以 テ 普 ク 物 理 ヲ 知 ル ニ 不 足 其 不 学 ル モ ノ ト 相 去 ル 不 遠 ﹂ と 指 摘 し た 。 こ れ に 対 し て 、 新 し い教 育 制 度 の 実 施 に 必 要 な 小 学 校 教 師 の 養 成 機 関 を 設 立 す る 趣 旨 も 述 べ ら れ て い る ω。. 明 治 五 年 五 月 十 三 日 に 正 院 か ら の許 し に よ って 、 東 京 に 日 本 最 初 の師 範 学 校 を 設 置 す る こ と を 決 定 し た 。 文. 部 省 は 、 ﹁東 京 二 師 範 学 校 ヲ 開 キ 規 則 ヲ 定 メ 生 徒 ヲ 募 集 ス ﹂ の 布 達 を 発 し て 、 新 た に 設 け ら れ る 師 範 学 校 の 趣 旨 に つ い て 明 ら か に し 、 生 徒 の 募 集 に 着 手 し た 紛。. ﹁小 学 校 ノ 外 師 範 学 校 ア リ 此 校 ニ ア リ テ ハ 小 学 二 教 ル 所 ノ 教 則 及 其 教 授 ノ 方 法 ヲ 教 授 ス 当 今. 学 制 頒 布 の際 に 師 範 学 棟 を 速 や か に 興 そ う と し て い た こ と は 述 べ た が 、 そ の学 制 に お い て 第 三 十 九 章 で は 、 師 範 学 校 に ついて. 二 在 リ テ 極 メ テ 要 急 ナ ル モ ノ ト 此 成 就 ス ル ニ非 サ レ ハ 小 学 ト 錐 モ 完 備 ナ ル コ ト 能 ハ ス 故 二 急 二 此 校 ヲ 開 キ 其 成. 20.

(23) 就 ノ 上 小 学 教 師 タ ル 人 ヲ 四 方 二 派 出 セ ン コ ト ヲ 期 ス ㈲﹂ と 規 定 し て い る 。 こ の よ う に 学 制 頒 布 に 先 だ っ て 師 範 学. 校 の設 立 を 具 体 化 し た こ と は 、 新 し い 国 民 教 育 制 度 を 実 施 す る た め に は 教 員 養 成 が 重 要 で あ る こ と を 明 ら か に. し た も の で あ る 。 学 制 に よ る 教 育 企 画 に 着 手 し た 第 {歩 が 師 範 学 校 で あ っ た こ と を 示 し て い る で は な い か 。. (東 京 文 理 科 大 学 編 纂 ﹃創 立 六 十 年 史 ﹄ に よ る ) ωを 本 校 付 小 学 生 徒 と し て 入 学 を 許 し 、 授 業 を 開 始. 明 治 五 年 八 月 に 諸 葛 信 澄 が 東 京 師 範 学 校 の 校 長 に 任 命 さ れ た 。 同 月 入 学 試 験 を 行 い 、 翌 九 月 入 学 試 験 の合 格 者 五 十 四 人. し た 。 教 師 に は 米 国 人 エ ム ・ エム ・ス コ ット を 招 き 、 坪 井 玄 道 が 通 訳 に 当 った 。 つま り 創 立 当 時 の師 範 学 校 は. 米 国 の師 範 小 学 校 を 模 倣 し て 、 そ の 授 業 法 を 伝 習 し 、 か つ彼 我 の 事 情 を 理 解 し な が ら 小 学 校 の教 則 を 定 め る こ. と を 目的 と した 。 生 徒 を 上 下 の 二種 に分 け 、 外 国 教 師 はま ず 上 等 生 を 小 学 生 徒 と みな し、 外 国 の小学 科 を授 け. て そ の授 業 法 を 理 解 さ せ た 。 上 等 生 は 理 解 し た そ の 方 法 を 移 し て 、 下 等 生 を 小 学 生 徒 と し て 教 授 し た 。 修 業 年. 限 は 一年 で あ つ た 。 校 舎 は 仮 に 湯 島 奮 昌 平 蟹 の 建 物 で 補 い 、 そ の 講 堂 を 教 室 と し 、 教 科 用 図 書 教 具 器 械 の 類 は 米 国 から 送 られ て き た も のを 使 用 し 、 図 書 の多 く は翻 訳 さ れ た 。. 師 鎮 学 校 は 徐 々 に 各 地 に 建 て ら れ て い った が 、 七 年 二 月 十 九 日 文 部 省 布 達 第 五 号 を も と に 名 古 屋 、 広 島 、 長. 崎 及 び 新 潟 に 師 範 学 校 が 設 立 さ れ た ㈲。 こ れ に よ っ て 、 東 京 、 大 阪 、 宮 城 と 合 わ せ て 全 国 に 七 個 の 師 範 学 校 が 存. 在 す る こ と と な っ た 。 同 年 三 月 四 日 文 部 省 布 達 第 八 号 を 広 島 師 範 学 校 生 徒 募 集 の 件 が 定 め ら れ た 紛。 ま た 、 七 年 三 月 十 三 日 に は 文 部 省 布 達 第 九 号 を 以 て 東 京 に 女 子 師 範 学 校 が 設 立 さ れ た ⋮。. 次 に 小 学 校 教 員 の 規 定 ・資 格 に つ い て 見 て い き た い 。 学 制 に は 、 小 学 教 員 は 年 齢 二 十 歳 以 上 で 師 範 学 校 卒 業. 免 状 あ る いは中 学 免 状 を 有 す る も のと し て いる が 、 これ は 目 標 を 示 した も の で数 年 後 に これ を 行 おう と し て い. た 。 七 年 七 月 大 体 二 十 歳 以 上 の 者 に 全 科 の 試 験 を 行 い 学 力 に 応 じ て 第 一等 ・ 第 二 等 ・第 三 等 の 免 許 状 を 与 え る. こ と と し た が 、 こ れ を 三 年 限 り の 証 書 と し た 。 こ れ が 教 員 資 格 検 定 制 度 の 最 初 で あ った 。 試 験 に よ って 教 員 資. 格 を 与 え る こ と は 文 部 省 も 認 め て い て 、 七 年 七 月 二 十 五 日 文 部 省 布 達 第 二 十 一 号 を 以 て 公 示 し て い る ⋮。. 学 制 に は 、教 員 に つ い て も 定 め ら れ て い る わ け で 、四 十 ∼ 四 十 三 章 、四 十 五 章 、四 十 六 章 ま で が そ れ で あ る ⋮。. こ こ で は 第 } に 、小 中 大 学 教 員 の あ る べ き 資 格 を 定 め る と と も に 、現 在 の 状 況 に 応 じ 過 渡 的 措 置 を 定 め た こ と 、. 21.

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