1.問題と目的 現行の幼稚園教育要領解説(2018)では、幼 児期における遊びについて次の2点が挙げられ ている。 まず、幼児期の生活のほとんどは遊びによ って構成されており、幼稚園における教育は、 「遊びを通しての指導を中心に行うことが重 要」であるとして、幼児期における遊びが重要 なものであると示されている。 次に、遊びの本質について「人が周囲の事物 や他の人たちと思うがままに多様な仕方で応答 し合うことに夢中になり、時の経つのも忘れ、 その関わり合いそのものを楽しむことにある。 すなわち遊びは遊ぶこと自体が目的」であると 明記されている。 幼児期における遊びについての研究はこれま で数多くなされており、遊びの本質についての 捉え方も様々である。例えば岡田(2009)は、 子どもの生活の中における遊びと運動遊びとの 関連を捉えるために、遊びの概念について整 理を行っている。この研究では、遊びを「楽し く、自由であり、強く動機づけられていること、 つまりそれ自体が目的であるということ」とし て位置づけられている。また、原子(2014)は、 子どもの遊び環境の構成と創造について考察す るために、遊びの意義について整理している。 原子(2014)も岡田(2009)と同様に、遊びと は「子どもにとって、楽しさや喜びをともなっ た自発的(能動的)で自由な活動である」とし ている。これらの研究では、「楽しさ」を遊び の本質に置いている点で共通性が見受けられる。 一方、久保・岩本(2014)は、遊びには時代 や社会の影響を受けても変わらない、普遍的な 「面白さ」が存在するとして、遊びの分類を遊 びの本質である「面白さ」をもとに行っている。 他にも、小川(2003)や小原(2011)などの研 究も同様に、「面白さ」を遊びの本質に置いて いる。 このように、幼児期の遊びにおける研究では、 遊びの本質において「楽しさ」「面白さ」が重 要であるとされてきた。しかし、これらの研究 において、遊びにおける「楽しさ」や「面白 さ」とは何かという説明や「楽しさ」や「面白 さ」を捉えるための枠組みについて、十分に検 討されているとは言い難い。また、上述した幼 児期の遊びにおける研究では遊びの本質につい て、「楽しさ」という言葉を用いて説明してい るものと、「面白さ」という言葉を用いて説明 しているものが混在しているように見受けられ た。 三省堂大辞林によれば、「楽しい」の意味と して、「心が満ち足りて、うきうきするような 明るく愉快な気分である」「食物などが十分に あって快い」「豊かである」などが挙げられて いる。また、「面白い」の意味としては、「楽 しい」「愉快だ」「興味深い」「こっけいだ」 「おかしい」など、「楽しい」という言葉が内 包された広義の概念として示されている。遊び
幼児期の遊びにおける個人が感じる「面白さ」の捉え方の検討
竹本 翔
を「面白さを求める行為」として捉えた場合、 遊びは「面白さを求めて」という副詞が付随す る動詞に変換することができる(久保・岩本, 2014)。「面白い」と感じる遊びは個人によっ て異なり、多種多様であるため、「楽しさ」よ りも「面白さ」という広義の言葉を用いること で、個人が「面白い」と感じる遊びを、より広 範に示すことができると考えられる。そのため、 本研究では「面白さ」に焦点を当てることとす る。 以上を踏まえ本研究では、幼児期の遊びにお ける「面白さ」を捉える枠組みが十分に検討さ れていないという問題意識のもと、先行研究を 概観しながら、遊びにおける「面白さ」という 抽象度の高い概念を捉える枠組みを検討するこ とを目的とする。この枠組みを検討することに よって、子どもにとっての「面白さ」とは何か、 ひいては、幼児期の遊びにおける子ども理解に 繋がるだろう。 2.遊びを捉えるための視点 遊びについての研究においてはこれまで、 ホイジンガ(J.Huizinga,1938)やカイヨワ (R.Caillois,1958)の研究を基礎として展開さ れてきた。例えばエリス(M.J.Ellis,1973)は、 遊びとは「覚醒水準を最適状態に向けて高め ようとする欲求によって動機づけられている行 動」であるとして遊びの本質に迫っている。覚 醒水準は個人に対する情報量(新規性・不確実 性・複雑性)などの要因によって、高くも低く もなるとして、個人にとっての居心地の良い最 適な状態があるという。この点を踏まえると、 最適覚醒水準に至ることこそが、個人にとって の「面白さ」を感じられる状況であると言える だろう。 エリス(1973)の論を受けて、チクセント ミハイ(M.Csikszentmihalyi,1979)は、個人が 遊びの「面白さ」を感じられるような経験を、 「フロー(flow)」という概念を用いて説明し ている。フローとは、「全人的に行為に没入し ている時に人が感ずる包括的感覚」である。フ ロー状態にあるとき、つまり何かに集中してい るときに、行為者の技能にとって最適な挑戦を 行うことで「面白さ」を見いだすと想定される。 エリス(1973)の最適覚醒水準やチクセント ミハイ(1979)のフロー理論を受けて、小川 (2003)は、遊びの本質が「面白さ」であると しながらも、その「面白さ」は個人にとって最 適な情報負荷を得るときに生起すると考察して いる。この個人にとって最適な情報負荷を得 るには、シンプル化と複雑化の2つの方法があ るという。シンプル化とは情報負荷を減らす方 法であり、遊びにおいてはルールの設定や時間 と空間の限定によって達成される。複雑化とは 情報負荷を増やす方法であり、遊びにおいては ルールの設定とルールの複雑化・高度化によっ て達成される。小川(2003)の理論は、それま での遊びについての研究と比べて、より「面白 さ」に焦点を当てていることに加え、「面白 さ」を獲得するための具体的な方法を提示して いると言えよう。 以上のことを踏まえれば、遊びにおける「面 白さ」は、複雑化したり単純化したりと、遊び を自分で調節しながら生起すると考えられる。 また、複雑化や単純化を繰り返すことで遊びの 形も変容していくのではないだろうか。さらに 言えば、時間の経過に伴い、遊びの形態が多様 になることで複層性が生まれ、それらが積み重 なった結果、遊びの連続性が生まれるものと考 えられる。 しかし、遊びに複層性や連続性があるという ことは、遊びの目的が移り変わったり、同時に
個々の子どもがもっている遊びのイメージや意 図が混ざり合ったりすることで、複雑になって いくとも言えよう。それらを共有できれば、ス ムーズに遊びを継続・発展させることは可能 であるが、共有が上手くいかない場合もある だろう。その際に起こり得る状況の一つとして、 「いざこざ」が挙げられる。 3.遊びの「面白さ」を捉える視点としての 「いざこざ」 1)「いざこざ」とは 「いざこざ」という言葉は保育・教育現場に おいて、既存の用語として用いられることが多 く、明確に定義している研究は少ない(平林, 2003)。 白石ら(2007)は、いざこざやけんかなどの トラブル場面について「二人以上の子どもがい て、誰かが困った状況になっている場面」であ るとしている。この定義では、いざこざという 状況の説明にとどまっている。他方、濵名ら (2017)は、いざこざを「幼児たちの間で互 いの意見の対立から生じる、口論や身体的攻 撃を伴うもめごと」であるとしており、山口ら (2010)も、いざこざを「二者以上の子どもの 間で何らかの意図や主張のずれがあり、それを 相手に表出し合う場面」であるとしている。濵 名ら(2017)や山口ら(2010)の定義は、白石 ら(2007)の定義した「誰かが困った状況」と いう状況の説明だけでなく、いざこざに対する 対応など、いざこざについてより詳細に示され ている。これらの先行研究からいざこざという 場面は、二者以上の子どもの間で何らかの意図 や主張のずれがあり、それらを互いに表出する ことによって生じると考えられる。 2)遊びの「面白さ」と「いざこざ」の関係 ⅰ)「面白さ」のずれと「いざこざ」 「いざこざ」について山口ら(2010)は、発 生した原因をカテゴリー化し年齢別(2歳か ら5歳)の頻度を示している。その結果とし て、「遊びに関する決定のずれ」「ルール違反 (規範)」「イメージのずれ(一般知識・個 人的)」の項目の割合は、年齢が上がるにつれ て増加傾向にあったことを示している。ただし、 「遊びに関する決定のずれ」や「イメージのず れ(一般知識)」に関しては、4歳から5歳にか けて減少していた。 また、田中・阿南(2008)は3歳児と4歳児の いざこざにおける原因や解決方略、終結方略を 比較し、いざこざの発生と解決過程の発達的検 討を行っている。その結果、いざこざの原因と して、「イメージのずれ」や「決定の不一致」 は3歳児と4歳児において有意差が示された。山 口ら(2010)の研究で差がみられた「イメージ のズレ」については、3歳児と4歳児の比較にお いて差は見受けられなかった。 これらの先行研究より、3歳頃から子どもの 創造性や協同性などの発達に伴い、遊びに関す る決定やルール、イメージにずれが生じること がわかる。しかし、遊びに関する決定やルー ル、イメージのずれは、発達だけでなく個人が 感じる「面白さ」のずれにも関係していると想 定される。なぜなら、小川(2003)が示してい るように、「面白さ」はいかにうまく遊びの状 況・条件設定を作るかに依存して達成されるた め、「面白さ」が遊びに関する決定の要因の一 つになり得るからである。しかし、「面白さ」 を個人の価値観の一つとして考えれば、必ずし も他者と一致するとは限らない。この点を踏 まえると、個人が感じる「面白さ」がずれるこ とによって、ルールなどの遊びに関する決定の ずれやイメージのずれなどの遊びに不調和が生
じ、「いざこざ」に繋がると考えられる。また、 「いざこざ」では、ルールなどの遊びに関する 決定や、イメージのずれを修正すべく、個人が 感じる「面白さ」を他者が感じる「面白さ」と 折り合いをつけながら調節する必要性が生じる こともあるのではないだろうか。 ⅱ)「いざこざ」から生起する活動の複層性と 連続性 山口ら(2010)は、2歳児から5歳児クラスの いざこざにおける使用方略の頻度を年齢別に示 し、さらに使用方略を行動方略と言語方略に細 分化している。それによれば、年齢が高くなる につれて行動方略を用いる機会は少なくなり、 次第に言語方略を用いる機会が増えていること を示している。 また、田中・阿南(2008)によれば、いざこ ざの解決方略の結果として、4歳児では、遊び に関する「決定の不一致」によるいざこざにお いて、「譲歩」による解決方略が最も多く用 いられ、次いで「抵抗」「自然消滅」「ものわ かれ」による解決方略が多く用いられていた。 「イメージのズレ」によるいざこざでは、「も のわかれ」による解決方略が最も多く用いられ、 次いで「自然消滅」「譲歩」による解決方略が 多く用いられていた。 以上の結果から、個人が感じる「面白さ」の ずれによって生じる「いざこざ」において、年 齢が上がるにつれて言語方略を用いるようにな ることや「譲歩」などの解決方略を用いるよう になることがわかる。この点を踏まえると、決 定の不一致やイメージのずれなどの「いざこ ざ」場面において、言語方略を用いることで、 「面白さ」のずれを調節しようとしたことが考 えられる。また、「面白さ」がうまく調節でき た場面では、「譲歩」することによって遊びが 継続することが想定される。一方で、「面白 さ」がうまく調節できなかった場面では、「も のわかれ」や「自然消滅」のように、遊びが途 絶えてしまったり、遊びが分化してしまうこと が想定される。 遊びの過程において複層性や連続性が生まれ るということは、先述したとおりである。しか し、個人の「面白さ」のずれから生じる「いざ こざ」という場面が、遊びを変容させたり分化 させたりすることを踏まえると、「いざこざ」 は遊びの複層性における分岐点、連続性におけ る中継点となっているのではないだろうか。つ まり、「いざこざ」がそれ以降の遊びを方向づ ける要因の一つになっていると考えられる。 4.考察 上述してきたように、幼児期の遊びには、複 層性や連続性といった特徴があり、それらは 「面白さ」と関係していると考えられる。一方 で、複層性や連続性が生まれるということは、 遊びが複雑になっていくとも捉えることができ、 それに伴って個人が感じる「面白さ」のずれが 生じ、「いざこざ」にも繋がることが考えられ る。「いざこざ」では、年齢が上がるにつれて、 個人が感じる「面白さ」のずれを調節するため に、言語方略を用いて相互交渉していくことが 想定される。この場合、うまく調節ができると 遊びは継続・変容して行われ、うまく調節でき ないと遊びは分化ないし途絶えていくことが考 えられる。 以上のことを踏まえると、個人が感じる「面 白さ」のずれから生じる「いざこざ」という 場面に焦点を当てて遊びの展開プロセスを追 うことで、遊びにおいて個人が感じる「面白 さ」を捉えることが可能になると考えられ る。では、幼児期の遊びにおける個人が感じ
る「面白さ」を捉えるために、どのような枠 組みを用いることができるのか。幼児期の遊 びにおける個人が感じる「面白さ」を捉える に当たっては、Van Oers(1998)の提唱する 枠組みを用いることができるだろう。この研 究では、活動理論(Activity theory)をもと に文脈化の概念について論述している。Van Oersは、幼児期の活動においてはある文脈 から一部の文脈を切り離すという脱文脈化の 概念よりも、新しい文脈にその切り離した文 脈を埋め込む連続的な過程、つまりある文脈 の前後を含む過程が重要であると主張してい る。そこで提唱しているのが、水平的再文脈化 (Horizontal recontextualization)と垂直的再 文脈化(Vertical recontextualization)である。 水平的再文脈化とは、遊びにおいてある特定の 目的(テーマ)があり、その目的を変容させず に、活動を新しい状況に適応させ、行為を変容 させるものである。垂直的再文脈化とは、それ までの遊びにおける目的とは異なる、新たな目 的を掲げて新しい活動へ展開させ、新しい行為 パターンを形成するものである。こうした理論 の基礎には、「活動の複層的現実化の原理」が あると言える。この原理は、ある一つの活動が 複数の具現化の行為を有しているというもので あり、活動に複層性が生まれることによって、 活動の連続性が生まれるという原理である。こ の原理は、本研究で示してきた遊びの展開プロ セスや「いざこざ」における遊びの複層性や連 続性と一致する考えであり、幼児期における遊 びの複層性や連続性を捉える視点として使用で きるものと考える。また、Van Oersは、2つの 再文脈化は単純に比較できないと指摘してい る。例えば、ある遊び集団の中で、これまでの 遊びの目的を変容させずに遊びを行いたい子ど もと、新たな目的のもと遊びを行いたい子ども に分かれたとき、水平的再文脈化と垂直的再文 脈化が同時に発生する場合が考えられる。2つ の再文脈化が同時に発生する場合は、1つの遊 び集団が分化し、それぞれの目的に合った遊び を展開するだろう。また、2つの再文脈化によ って、遊び集団にとってその後の遊びの形態が 多様になるかもしれないし、反対に遊びが再文 脈化の生起した時点で収束するかもしれない。 Van Oersの枠組みは遊びの展開プロセスを 捉える枠組みであり、この枠組みを用いた研 究として、岡花ら(2011)の研究が挙げられ る。岡花らは、5歳児における遊びの展開プロ セスを、模倣という子どもの行為に焦点を当て て研究している。しかし、岡花らの研究では模 倣が生起した場面を捉えるための枠組みとして Van Oers(1998)の枠組みを用いているもの の、幼児期の遊びにおける「面白さ」を捉える ための枠組みとしては用いられていない。 先述した通り、「いざこざ」は遊びの展開プ ロセスにおいて個人が感じる「面白さ」のずれ が要因となって生起する。この点を踏まえると、 遊びの複層性においての分岐点、連続性におい ての中継点となる「いざこざ」に焦点を当てる ことで、個人が感じる遊びの「面白さ」を捉え ることができると考えられる。したがって、遊 びの複層性や連続性を捉えることのできるVan Oersの枠組みは、幼児期の遊びにおける個人 が感じる「面白さ」を捉えるための枠組みとし ても活用できるだろう。 5.今後の課題 本研究では、幼児期の遊びにおける個人が感 じる「面白さ」を捉えるための枠組みの検討を 行った。しかし、今回得られた結果はあくまで 仮説であり、理論としてとどまっている。その ため、今後の課題として、Van Oers(1998)
が提唱した水平的再文脈化と垂直的再文脈化の 枠組みを実際に幼児期の遊び場面に用いること が挙げられる。また、枠組みを用いて得られた 結果を分析し、幼児期の遊びにおける個人が感 じる「面白さ」を捉えることで、幼児期の子ど も理解に繋がるだろう。 【引用・参考文献】 B e r t v a n O e r s ( 1 9 9 8 )T he Fa l l a c y o f Decontextualization. Department of Education
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