公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで(1) : 「地方文化施設整備費補助金」のコンセプトとその意義
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第67巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 67, No.1. 平 成 28 年 8 月 August, 2016. 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴ ~「地方文化施設整備費補助金」のコンセプトとその意義~. 閔 鎭京・佐藤 良子* 北海道教育大学岩見沢校芸術文化政策研究室 *. 昭和音楽大学音楽学部音楽芸術運営学科. A study of subsidies by Japanese government to build public cultural facilities ⑴ ― the concept and the importance of the “subsidy for local cultural facility’s construction costs” ―. MIN Jinkyung and SATO Yoshiko* Department of Cultural policy, Iwamizawa Campus, Hokkaido University of Education *. Department of Music and Arts Management, Showa University of Music. 概 要 国による地方公立文化施設の建設に対する補助は,1967(昭和42)年度に「地方文化施設整 備費補助金」として開始された。本論文では,文化施設に関する政策の変遷を把握した上, 「地 方文化施設整備費補助金」の実態を分析し,それを踏まえて文化庁の地方芸術文化振興関連事 業との関係性を整理しつつ,そこから見出される「地方文化施設整備費補助金」のコンセプト とその意義を明らかにした。 これは文化政策の先行研究において管見の限り行われていないため,非常に有意義な研究資 料となると考えられる。 本研究は地方公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止までを研究範囲とする が,本論文では1945年から1979年まで行われた「地方文化施設整備費補助金」の事業を中心に 取り上げる。なお,本論文で扱う「公立文化施設」は,主に舞台やホールが設置された公立の 劇場,音楽堂等を指す。また「国庫補助」は文部省(当時),のちに文化庁による施策として の補助金を中心に述べる。. はじめに 1968年に国の「一省一局削減」の方針により,文部省の内局である文化局は外局である文化財保護委員会. 141.
(3) 閔 鎭京・佐藤 良子. と統合され,1968年5月1日に外局として新たに文化庁が発足した。ようやく,芸術文化等の諸政策と文化 財政策が一元的に推進される体制が整った(根木2001:14)ことは大きな意義を持つ。いま一つは,中央と 地方および地方間における芸術文化の格差を強く意識することになった。文化庁初代長官である今日出海氏 は,文化庁月報の初刊号に次のように述べている。「わたくしはかねてから,中央と地方の文化格差の是正 こそ緊要であり,それはわたくしの任務の第一と考えています。(中略)地方文化の振興といってもそれは 単に中央の文化を地方に移すということではなく,地方地方に特色のある固有の文化を育成することである と考えます」 (文化庁月報1:1)。これにより,文化庁は創設以来,“1.地方の芸術文化活動の振興をはか る。2.地方における文化施設の整備を促進する。3.地方の人々に対して中央のすぐれた芸術を鑑賞でき る機会を与える”と当面の重点事項の中に掲げて(文化庁月報9:7),地方における芸術文化振興の政策に ついて積極的に取り組んだ。 この政策に関連して事業の統廃合の中でも確固たる位置づけで予算が増え続けていたのは「地方文化施設 整備費補助金」である。この事業は「地方自身の芸術文化活動の発表の場」として,「中央から巡回してく る音楽,演劇等の鑑賞の場」として地方芸術文化振興の拠点となる(文化庁月報15:9)ハードづくり,す なわち建設促進事業として捉えられる。本論文では,政策の意図と関連づけて「地方文化施設整備費補助金」 のコンセプトとその意義について導き出すことを試みる。そのため,まずは文化施設に関する政策の変遷を 把握した上, 「地方文化施設整備費補助金」の実態を分析する。それを踏まえて地方芸術文化振興に関連す る他事業との関係性を整理しつつ,そこから見出される「地方文化施設整備費補助金」のコンセプトとその 意義を明らかにすることを目的とする。 本研究は公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止までを研究範囲とし,「地方文化施設整備 費補助金」の事業を中心に取り上げる。芸術課が設置された1945年から1979年までを⑴に,1980年から本事 業が廃止される1995年までを⑵に区分し,本論文では⑴について研究を進める。1979年を区切りにした理由 は,文化庁の予算項目においてそれまで使われていた「地方文化の振興」が1980年からは「地域社会におけ る文化の振興」に変更となり,政策上において「地域社会」という新しい概念が登場するからである。 なお,本論文で扱う「公立文化施設」は,主に舞台芸術を行うために舞台やホールが設置された劇場,音 楽堂等を指す。また「国庫補助」は文部省(当時),のちに文化庁による施策としての補助金を中心に述べる。. 第1章 「地方文化施設整備費補助金」の政策的背景 本章においては,1945(昭和20)年から1979(昭和54)年まで行われた文化施設に対する政策的取り組み について,文部省年報と文化庁年報の内容に基づいて述べる。1967(昭和42)年から取り組んだ文化施設の 建設への補助事業「地方文化施設整備費補助金」を基準とし,芸術文化に対する政策的な取組が行われ始め た1945(昭和20)年~1965(昭和40)年までと,「地方文化施設整備費補助金」が行われた1966(昭和41) 年~1979(昭和54)年を大別し,その時期の変遷に触れつつ特徴を概観する。 1.1945(昭和20)年~1965(昭和40)年 1-1 芸術文化政策を担当する芸術課の新設 終戦直後の1945(昭和20)年9月15日,文部省は,「新日本建設の教育方針」を発表して,戦後の新しい 事態に即応して日本教育の向うべき方向を明らかにした。すなわち,極端な国家主義的・軍国主義的な思想 および教育施策を排除し,文化国家・平和国家を目途として国民の教養を深め,科学的思考力を養い,平和 愛好の念をあつくし,知徳の一般水準を高め,もって世界の進運に貢献すべきことを宣明したのである(文 部省1955:2) 。. 142.
(4) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. これをもとに,文部省は,社会教育局を復活し(10月13日)1,学校教育の刷新,社会教育の振興,女子教 育の向上,その他体力の増進,芸能・文化の振興など,文化国家・民主国家の再建に向って新しい教育を推 進することとなった。同局の中に文化財関係業務のための文化課2が復活され,その後12月31日に芸術課を 設け3,芸術に関連する政策の取り組みが始められることとなった。芸術課の誕生は,「文化国家としての再 生のために,芸術文化行政の活発な展開を図ろうとして政府のうったささやかな布石であ」り,同課が「誕 生して始められたのは翌年からの芸術祭であ」った(文部省1965a:1066)。 1-2 芸術課の所掌範囲 1949(昭和24)年5月31日,文部省設置法と文部省組織令が施行され,芸術課の所掌範囲が明記された。 芸術課では,文学,音楽,美術,映画,演劇その他の芸術及び国民娯楽のほか,視聴覚教育が所掌範囲とさ れた。なお,ユネスコ関係および日本芸術院関係事務も,所掌範囲に含められている。上に見るように,こ の段階では, 「文化」の範囲は,“文学,音楽,美術,映画,演劇その他の芸術及び国民娯楽”として認識さ れていた模様である。なお,同年には,社会教育法も制定され,社会教育が定義づけられた。すなわち, 「社 会教育」とは, 「公民教育,青少年教育,婦人教育,労働者教育等の社会人に対する教育,生活向上のため の職業教育及び科学教育,運動競技,レクレーション並びに図書館,博物館,公民館等の施設における活動 をいう」ものとされ,公民館が社会教育の中核的な施設として位置づけられるとともに,図書館,博物館も 社会教育施設として明示された。 1-3 社会教育との調和 1952(昭和27)年には,芸術課の所掌事務が改正され,事務内容がさらに整理されるとともに,従前の, (文学,音楽,美術,映画,演劇その他の芸術及び国民娯楽に関し)「その他発達及び普及,奨励に必要な 援助と助言を与えること」という表現が, 「その他芸術及び国民娯楽の向上及び普及に関し,援助と助言を 与えること」に変更された。すなわち,芸術及び国民娯楽の「向上」と「普及」が,直接的に示されたわけ である。この「向上」は,後には「振興」に置き換えられる。従って,ようやくこの時点で,「文化の振興 と普及」という文化政策の対象領域が,まだ曖昧ながら形を表し始めたといえる。 なお,1952(昭和27)年の文部省年報では,芸術行政が社会教育局の所管に属する意味について,「芸術 行政は,広い意味で芸術の一般的向上発展を図るためすぐれた芸術を奨励育成することと,一方には芸術に 対する良識を備えた社会人を育てることから,さらに進んですぐれた芸術を生み出す社会,すなわち文化的 に高い生活が営まれる社会を形成するための芸術教育という二面を持つものである」(文部省1955:44)と 述べられている。すなわち,ここではまだ,芸術それ自体の振興を独立したものとせず,社会教育との調和 を求めようとする意図が垣間見られる。また,同年12月1日に国立近代美術館(現・東京国立近代美術館) が開館し,一般人の美術に対する関心と理解とを高めるために,新しい企画と内容の充実は役に立ち,これ らは芸術教育に大きな役割を果たすとされた(文部省1955:45)。 1-4 「芸術の向上」と「普及」の2本柱 その後,1955(昭和30)年に「芸術の向上」と「普及」が芸術行政の大きな柱として示され(文部省 1957:46) ,1957(昭和32)年には,芸術行政の役割とともに,「芸術の向上」と「普及」とは,「わが国の 芸術水準を高めるとともに,すぐれた芸術を国民のあいだに普及させるためにおこなわれるものであるとの ことで,その一つの役割は,すぐれた芸術を保護し,奨励することであり,他の役割は,ひろく国民によい 芸術に親しませて,その生活をゆたかにすること」(文部省1959:54)である旨が示された。さらに,社会 教育行政の一環として芸術行政を考え,青少年対策の一つとして,青少年音楽,演劇普及のための国庫補助 をスタートさせている。その際,芸術の性格からみて特別の施策を要する(文部省1959:54)として,社会 教育行政と分けた方がよいとも受け取れる意向も表されていた。だが,まだ社会教育の一環の中での取り組. 143.
(5) 閔 鎭京・佐藤 良子. みが続いており,この国庫補助も,社会教育特別助成金として音楽演劇普及補助金が都道府県に支給された。 さらに,1959(昭和34)年には,社会教育施設として国立西洋美術館が開館した。 一方,音楽演劇普及補助金は,地方青少年のためによい音楽あるいは演劇を鑑賞する機会を提供する目的 で,都道府県が主催して行う音楽あるいは演劇団体の公演に対して,補助金を交付するものである。中央の すぐれた楽団・劇団を迎えて行う公演と,地方で種種の困難を克服して育ってきた地方音楽・演劇団体の公 演との2種類に分け(文部省1960:54) ,のちに文化庁の「地方文化の振興」に関する支援の枠組みの先駆 けとなったといえる。 1-5 社会教育からの独立方向の兆し 1960(昭和35)年には,文化の総合政策の考え方が表れ,「芸術文化それ自身の質を高めるための保護奨 励の面とすぐれた芸術文化をひろく国民に鑑賞する機会を与える普及の面とは,必ずしも確然と区別できる ものではなく,両者はお互いに関連し合うものである」(文部省1962:62)とされた。芸術政策は,芸術文 化活動の保護奨励と普及が中心となり,社会教育としての一環として行われる状況から分離,独立する方向 での動きが見られ始めた。 1961(昭和36)年の芸術政策では,芸術文化活動の保護奨励と普及事業とともに,芸術文化施設の充実が 施策の柱になっている。この芸術文化施設は,美術館・音楽堂・劇場等を指しており,社会教育としての政 策から芸術政策が独立していく傾向が窺われるようになった。さらに,芸術文化施設は, 「芸術文化を高揚し, 広く一般市民に普及浸透させる上において,果たす役割は大きいため,充実させる必要がある」(文部省 1963:52)と述べられている。また,「国は,国立博物館のほか,先の直轄美術館2館をもち,設備と展示 内容の充実を図り,民間においても,各地方で思い思いの文化施設の建設が進められている」(文部省 1963:52)として,国と民間の棲み分けについても視野に入れている。 このように,各地方で起きている文化施設の建設を認識しつつ,情報交換のためこれらの連絡機関の必要 性から,同年に公立文化施設協議会(10月25日)・全国ホール協会(10月26日)が発足した。そして,音楽・ 演劇については,群馬フィルハーモニーオーケストラ(現・群馬交響楽団)の県内移動音楽教室,および, 日本児童演劇協会の児童演劇巡回公演に補助金を交付したほか,地方芸術の向上を図るため,地方のすぐれ た自立劇団・楽団を育成するために一県当り平均7万円の補助金の交付も行われるようになった。 2.1966(昭和41)年~1979(昭和54)年 2-1 「地方文化施設整備費補助金」の新設 1966(昭和41)年5月1日,調査局が廃止され,芸術文化政策を推進する文化局が新設された。文化行政 の推進の見地4から,文化に関する総合的な行政の体制の整備をはかるため,調査局(国際文化課5,国語課, 宗務課)と社会教育局(芸術課,著作権課)に分かれていた文化関係事務6を所管する課を集め,文化関係 事務を一元的,総合的に処理するよう機構の整備が図られることとなった7。また,行政の機構面において 教育や学術に関する行政等と並ぶ大きな比重をもつものとなったわけであり,文化行政に専念する局長をつ くったことは,政策的意義が非常に高いと言えよう。 文化局の下部組織としては,文化課,芸術課,国語課,著作権課,国際文化課,宗務課が設けられている。 これにより,社会教育局の芸術課で行っていた事務内容は,文化課と芸術課に分かれて行うこととなり,特 に新たに設置された文化課は局全体の連絡調整を務め,芸術文化の普及を担当している。これに関連して, 文化局が設けられたことによって, 「文化の振興と普及」に関する事務(文部省組織法令第11条文化局の事 務8項)が明記された。また,文化局設置により一段と文化振興のための施策の充実が期されることとなり, 当面の施策として次の方針が表明された。 「1.文化人や芸術家等との意見交換」, 「2.芸術創造活動の促進, 芸術関係団体助成ならびに新人の開発・育成」,「3.地方芸術文化振興と文化施設の整備充実」,「4.青少. 144.
(6) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 年への芸術普及」 , 「5.国際文化交流の活性化」,「6.著作権制度の画期的改正,整備」(文部省1968: 56) 。これをもとに,1967(昭和42)年から,地方芸術文化の振興等に意欲的に取り組むこととなり,その 一環として「地方文化振興費補助金」や「地方文化施設整備費補助金」が設けられ,公立文化施設建設促進 のための国庫補助がスタートした。これは上記の方針の中で,文化施設の設備充実に該当し,文化課の所掌 事務の「4.劇場,音楽堂その他の文化施設に関すること」(表1を参照)を具体化した施策である。また 青少年への芸術普及に関しては,青少年に優れた芸術鑑賞の機会を与えて青少年の芸術鑑賞能力の向上と, 豊かな情操のかん養に資するための青少年芸術劇場(文部省1969:55)を実施し始めた。 2-2 文化庁の設置 一方,1968(昭和43)年,「行政の簡素化等のための総理府設置法等の一部を改正する法律」(昭和43年法 律第99号)により,総理府本府ほか17省庁について,それぞれ内部部局一局を整理削減するという行政機構 の簡素化措置が行われ,同年6月15日,文部省では,内局である文化局と外局である文化財保護委員会とを 統合し,外局として新たに文化庁を置く(文化庁1971a:1)こととなった。文化庁設置の意義は,文化局 所掌の芸術文化行政その他の文化行政と文化財保護委員会所掌の文化財保護行政とを一体化し,古くから伝 えられた文化の伝統を継承するとともに,その基盤の上に立つ新しい文化の振興を図る体制を整えた(文化 庁1971a:1)ことにある。その結果,文化庁は,文化の振興及び普及並びに文化財の保存及び活用を図る とともに,宗教に関する国の行政事務を行うことを任務とすることとなった(文部省設置法第29条)。 組織形態としては,文化庁長官,次長の下に,長官官房(庶務課,会計課,国際文化課),文化部(文化 普及課,芸術課,国語課,著作権課,宗務課),文化財保護部(管理課,記念物課,美術工芸課,建造物課, 無形文化課)及び文化財鑑査官から構成されている。文化庁の文化普及課,芸術課の所掌事務は,文化局時 代の文化課,芸術課の所掌事務を踏襲しているが(表1を参照),文化課の名称が文化普及課に変更された。 このことは, 「文化の普及」という概念を前面に出し,「芸術の振興」と並んで,「文化の普及」にも力点が 置かれることを意味し,国際的にみてもその先駆性は評価できるものである。 表1 文化局の文化課,芸術課と文化庁の文化普及課,芸術課の所掌事務内容 文部省文化局文化課. 文化庁文化部文化普及課. 1.文化(文化財を除く)の振興に関し,企画・連絡. 1.文化(文化財を除く)の振興に関し,企画・連絡 調整. 調整 2.文化の普及に関する企画・援助と助言および文化. 2.文化の普及に関し,企画し,援助と助言 3.生活文化及び国民娯楽に関する事項. 団体との連絡 3.生活文化・国民娯楽および文化施設に関する事項 4.劇場,音楽堂その他の文化施設に関すること。 5.国立近代美術館及び国立西洋美術館に関し,予算. 4.劇場,音楽堂,美術館その他の文化施設に関する こと。 5.国立近代美術館及び国立西洋美術館に関する事務. 案の準備その他の他部局に属しない事務を処理する. 6.文化に関する団体との連絡. こと。. 7.文化部の所掌事務に関し,連絡調整. 6.文化に関する団体との連絡に関すること。. 8.文化部の所掌事務のうち他に属しない事務を処理. 文部省文化局芸術課 ①文学・音楽・美術・演劇その他芸術に関する事項 ②日本芸術院に関する事務 ③芸術団体との連絡. 文化庁文化部芸術課 ①文学・音楽・美術・演劇,舞踊その他芸術に関する 事項 ②日本芸術院に関する事務 ③芸術団体との連絡. 出典:文部省「文部省第94年報(文部省局課別所掌事務(付所轄機関等事務分課一覧) (昭和41年度末現在) ) ,1968年,p.85 文部省「文部省第96年報(文部省局課別所掌事務(付所轄機関等事務分課一覧) (昭和43年度末現在) ) ,1970年,p.93. 145.
(7) 閔 鎭京・佐藤 良子. 2-3 「地方文化施設整備費補助金」の役割 文化庁の創設とともに,1968(昭和43)年の文化庁予算は,大きく3本柱として,①芸術文化の振興,② 文化財保護の推進,③国際文化交流の推進,で構成されていた。また,重点施策として,⑴芸術文化の振興 と普及として,芸術祭の刷新充実,芸術関係団体の助成強化,新人芸術家の開発育成,青少年に対する芸術 鑑賞の機会提供,⑵地方芸術文化の振興として,地方芸術文化の推進,地方文化施設の整備,⑶著作権制度 の改正,⑷国語施策の改善,⑸国立美術館の整備,フィルムセンターの設置,の5項目が取り上げられた。 特に, 「地方文化施設整備費補助金」は,予算の枠組みから見ると,「芸術文化の振興」の中の「地方芸術文 化の振興」において盛り込まれている。施策としては,「中央,地方の芸術文化施設の整備充実」の一環で あるとともに, 「地方芸術文化活動の推進」における施策としても位置づけられており,「わが国における芸 術文化活動は,中央偏重のきらいがあり,中央と地方ならびに地方相互間の格差が著しい。この格差を是正 し,地方住民があまねく芸術文化を享受するとともに,地方にそれぞれ特色のある文化が発展することを期 待するという点からも,また全国的な文化基盤の上にこそ,わが国の芸術文化の真の発展が期待されるとい う点からも,特に地方芸術文化の振興を図る必要がある」(文化庁1971:13)とされている。 なお,芸術文化の振興を図るために行う芸術文化行政は,二つの観点に立って施策を講じる必要があると されている。その一つは,芸術の担い手としての芸術家及び芸術団体に対する施策であり,もう一つは,国 民にすぐれた芸術を鑑賞する機会を提供し,芸術文化を国民に広く拡げてゆく施策である(文化庁1971: 10) 。 「地方文化施設整備費補助金」は,後者に該当する。 これらをまとめると,文化政策において文化施設は「地方芸術文化の振興」と「芸術の普及」の役割が求 められている。さらに, 「地方文化施設整備費補助金交付要項」の目的には「地域の住民に対し,音楽,演劇, 美術等の鑑賞または創作活動を行なう機会を与えるため」と明記されていることから,文化施設は「音楽・ 演劇・美術等の鑑賞する場」,「創作活動を行う場」としての機能を担うものと推察される。 「地方文化施設整備費補助金」の目標については,「地方芸術文化振興の拠点となる,地方公共団体(都 道府県及び人口10万人以上の市)が設置する公立文化センター建設促進助成を行う。そして,この計画は, 現在全国の人口10万人以上の市137のうち公立文化施設未設置の約60市に,少なくとも1館を目標に設置促 進を図ろうとするものである。」(文化庁1971:13)とされている。なお,「地方文化施設整備費補助金」の 推移や実態については第2章で詳しく述べることとする。 2-4 地方文化施設に対する総合的な政策 1969(昭和44)年から,地方と中央ならびに地方相互の連絡を密にし,かつ地方の芸術文化の振興方策を 研究協議するために「地方芸術文化振興会議」が行われた。1971(昭和46)年には「文化の普及」という問 題を統一的なテーマとして研究討議する等にし,1973(昭和48)年からは新たな観点から,公立文化施設, 公立美術館,地方文化行政等に関する基本的諸問題についての研究協議が全国5ブロックにおいて行われる こととなった。1973(昭和48)年には,それまでの都道府県文化活動費補助(1968年から開始)に加えて, 地方文化施設の運営を円滑にし,そこで芸術文化活動の促進を図るため,市立の文化施設の自主事業に対す る「地方文化施設自主事業促進費補助」8が始まり,「地方芸術文化活動費補助」の拡充が図られた。また, 地方文化施設職員研修会が設けられ,文化施設の舞台機構,音響,照明関係,その他施設の管理運営に関す る知識,技術の取得向上のための取り組みが始められた。 だが,1977(昭和52)年に,参加する文化活動の促進が文化行政長期計画懇談会の中間まとめに示され, 市町村が行う,地域住民が芸術文化活動に参加する芸術文化活動事業の中に,「地方文化施設自主事業促進 費補助」は含まれることとなった。なお,都道府県文化活動費は,1978(昭和53)年に県高校文化祭等補助 に統合された。. 146.
(8) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 3.まとめ 1945(昭和20)年,社会教育局内に芸術課が設けられてから,芸術文化を中心とする政策が行われるよう になった。1956(昭和31)年には,文化の「振興」と「普及」という文化政策の基本が形作られ,それに基 づいて施策が講じられるようになった。しかしながら,当時は社会教育に関する政策と芸術に関する政策が 併存していたため,「振興」,「普及」,「教育」の3本柱として取り組まれていた。その後,1961(昭和46) 年から芸術文化施設の役割の重要性が認識されるようになり,徐々に社会教育政策から芸術文化政策は分離 していく兆候が見え始める。また,それまでは地方芸術の向上として取り組まれた事業は,演劇,音楽指導 または芸術団体への支援であったのが,地方自治体の自主事業にも助成が行われ,自治体を中心に地方の文 化全体の底上げする意図が表れ始めた。 そして,1966(昭和41)年,芸術文化政策(文化財関係を除く)を総合的に推進する文化局が誕生した。 その機構改革の背景には,文部省が従来あまりにも教育省であり過ぎたのではないかという反省(手塚 1967:37)もあると言われている。文化局の所掌事務に「文化の振興と普及」に関する事項が業務として明 記されたことに伴い,地方芸術文化振興と文化施設の整備充実の方針が示され,文化施設関連政策に大きな 進展をもたらした。それによって,1967(昭和42)年に文化施設の建設に補助する「地方文化施設整備費補 助金」が初めて計上された。わずか2年間しか存在しなかった文化局であったが,文部省内での行政の機構 面での文化行政の比重を高め,さらにその時代に作られた施策及び組織の所掌事務内容は文化庁の創設時の 政策の基盤作りに極めて大きく貢献している。1968(昭和43)年に文化庁が発足してからは,地方文化向上 の施策に力点を置き,ますますその規模は拡大していくこととなった。さらに,1973(昭和48)年には,施 設建設だけではなく,文化会館で働いている技術職のスタッフの研修,文化会館の自主事業に対する助成が 加わり,地方文化拠点と同時に芸術の普及の役割を担う基盤が形成されることとなった。 1979(昭和54)年までの文化政策は地方における芸術文化振興を図るため, 様々な施策を駆使していたが, 地方の特色を生かすことまでは至らず,とりわけ「普及」の面に力を入れていたのが特徴である。(閔 鎭京) . 第2章 「地方文化施設整備費補助金」の概要と実態 前章で述べたように,国による公立文化施設の建設に対する補助は,1967(昭和42)年度に「地方文化施 設整備費補助金」として開始された。開始当初の所管は文部省文化局であったが,翌1968(昭和43)年に文 化庁が発足し,本補助金は文化庁文化部文化普及課の所管となった。 本補助金の詳細を把握することのできる資料は極めて少ないが,本章では,同課発行の「地方文化施設整 備費補助金交付施設概要」を主たる資料として,その概要と実態を把握する。同資料においては,1967(昭 和42)年度から1976(昭和51)年度までのデータを掲載していることから,本章においても主として同じ期 間を対象とし,その他の資料から可能な限り,1979(昭和54)年までのデータを用いることとする。 1. 「地方文化施設整備費補助金」の概要 「地方文化施設整備費補助金交付要項」は,目的,補助対象事業,補助要件,補助対象経費の範囲,補助 金の額,交付申請書の提出,の各項目を基本的な構成としている。本節では,これらの項目から,必要な部 分を参照して概要を把握する。 1-1 目的 本補助金の交付要項(1969年度)の目的に関する項目を見ると,「地域の住民に対し,音楽,演劇,美術 等の鑑賞または創作活動を行なう機会を与えるため,音楽堂,劇場,展示場等の機能を合わせもつ文化活動 のための総合施設を整備充実する地方公共団体(都道府県および人口10万人以上の都市)に対し,設置に必. 147.
(9) 閔 鎭京・佐藤 良子. 要な経費の一部を補助し,もって地方文化の向上をはかる」とされている。 上記においては,まず「音楽,演劇,美術等の鑑賞または創作活動を行なう機会を与える」とあることか ら,舞台芸術や美術の鑑賞,すなわち芸術家,芸術団体等による公演・展示活動を地域住民が鑑賞できるよ うにすること,あるいは地域住民自ら創作活動を行うことができる場を設けることが,補助金の目的として 挙げられている。そして,そのために「音楽堂,劇場,展示場等の機能を合わせもつ文化活動のための総合 施設」の設置に必要な経費の一部を補助するとしている。ここでは,特定の機能に特化した施設というより はむしろ, 「総合施設」という概念が用いられており,施設内においてあらゆる文化活動が行えるよう,複 数の機能を持つ施設を念頭に置いたものと考えられる。 以上の部分については,1971(昭和46)年度以降の要項においても大きな変更は見られない。つまり,補 助金の基本的なスタンスとして,音楽,演劇,美術等の鑑賞または創作活動を行なうことのできる,各種の 機能を合わせもった総合的な施設の整備を支援するものであったと解される。 また,その設置者としては, 「都道府県および人口10万人以上の都市」とされており,包括的地方公共団 体もしくは人口において一定規模以上の設置者であることが前提となっている。さらに,1971(昭和46)年 度以降の要項では, 「都道府県,人口10万人以上の都市および広域市町村圏振興整備措置要綱に基づき設定 された広域市町村圏における中心市街地が存する都市」とされ,広域市町村圏として施設を設置する場合も 含まれることとなった。 1-2 対象と要件 本補助金の補助対象事業は,1969(昭和44)年度の交付要項で「音楽堂,劇場,展示場等の機能を果す文 化施設のうち,ホールおよび展示場の部分(以下「補助対象部分」という。)の建築事業とする」とされて いる。すなわち,施設の一部建築補助となっている。この「補助対象部分」については,1973(昭和48)年 度以降の交付要項では「ホールおよび展示場ならびにこれらに附帯する施設の部分」とされ,附帯施設につ いても含めている。 補助要件については,1969(昭和44)年度の交付要項では以下のように記載されている。 ⑴ 補助対象部分の総床面積が1,000㎡以上であること。 ⑵ 予算が議決済または議決が確実のものであること。 ⑶ 当該年度内に完成することが確実な建築計画で,当該地域における文化施設として適切な設計であ ること。なお,2年度以上にわたる事業については,最終年度に補助することができる。 このことから,補助金は施設の建築事業の最終年度に交付されるものとなっている。したがって,施設の 計画段階から支援するものではなく,あくまで年度内の完成が確実となっている施設の建築に対する補助で あると解される。 また,⑴の補助対象部分の総床面積については,その後の要項において改訂されており,1973(昭和48) 年度は2,000㎡以上,1974(昭和49)年度以降は1,500㎡以上とされている。 1-3 予算 本補助金の1967(昭和42)年度から1979(昭和54)年度までの予算額を,表2に示す。この表に見る通り, 予算額は年度が下るにつれて増加し,1967(昭和42)年度の6,000万円から,1973(昭和48)年度には10倍 の6億円,1977(昭和52)年度には20倍近い11億8,000万円となっている。 表2では,1館あたりの交付額も次第に増加している。1969(昭和44)年度の交付要項を見ると,「補助 対象部分にかかる床面積に,補助単価(1㎡当りに補助単価は鉄筋造り45,000円,鉄骨造り43,000円。)また は,建築実施単価(補助対象部分にかかる全工事費を当該床面積で除して得た額)のいずれか小さい額を乗. 148.
(10) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 表2 地方文化施設整備費補助金予算額の推移 年度. 予算額(千円). 内 訳. 1967. 60,000. 15,000千円×4館(実行5館). 1968. 75,000. 15,000千円×5館. 1969. 75,000. 15,000千円×5館. 1970. 120,000. 15,000千円×8館. 1971. 150,000. 15,000千円×10館. 1972. 225,000. 15,000千円×15館. 1973. 600,000. 30,000千円×20館. 1974. 805,000. 35,000千円×23館. 1975. 1,012,000. 44,000千円×23館. 1976. 1,044,000. 58,000千円×18館(実行12館). 1977. 1,180,000. 70,000千円×14館+特別文化施設整備費補助200,000千円. 1978. 1,400,000. 75,000千円×16館+特別文化施設整備費補助200,000千円. 1979. 1,900,000. 85,000千円×20館+特別文化施設整備費補助200,000千円. 出典:文化庁文化部文化普及課「地方文化施設整備費補助金交付施設概要」p.429および 昭和52年度~昭和54年度「文化庁年報」を参照し佐藤作成. じて得た額の1/3以下の定額(最高1,500万円)とする」と規定されている。1973(昭和48)年度には,こ の定額が最高3,000万円となっている。 1974(昭和49)年度には,補助単価または建築実施単価の規定がなくなり,「補助対象経費の1/3以下の 定額(最高3,500万円)とする」とされた。1975(昭和50)年度は同じく定額が最高4,400万円となっている。 その後は具体的な額面は要項に示されていないが,表2の通り,1976(昭和51)年度は5,800万円,1977(昭 和52)年度は7,000万円,1978(昭和53)年度は7,500万円,1979(昭和54)年度は8,500万円を定額として予 算計上がなされていたと見られる。 以上に見てきた「地方文化施設整備費補助金」の要項の内容をまとめると,次のような点がポイントとし て挙げられる。まず,各施設は「音楽堂,劇場,展示場等の機能を合わせもつ文化活動のための総合施設」 であり,その設置者は「都道府県および人口10万人以上の都市」もしくは「広域市町村圏における中心市街 地が存する都市」であること。また,補助金は建築事業の最終年度に交付され,定額を限度とするものであ ること。 これを踏まえ,次に本補助金の実態について,分析を進める。 2. 「地方文化施設整備費補助金」の実態 本節では, 「地方文化施設整備費補助金」を交付された施設の個別のデータを参照することにより,補助 金の実態を把握する。 2-1 交付施設数と交付金額 表3(本稿末尾に付す)に,補助金が交付された施設を示す。これによれば,交付施設数は1967(昭和 42)年度から1974(昭和49)年度にかけて急速に増加している。1979(昭和54)年度までで,交付施設数は 合計176館を数える。ただし,1975(昭和50)年度から1976(昭和51)年度の間は,交付施設数が23館から 12館へと減少した。しかし,前節で述べたように,本補助金の予算額は開始時から1979(昭和54)年度にか け, 減少することなく増え続けた。そのため,1館あたりの交付額も大きく増加することとなったと言える。 この1館あたりの交付額は,対象となる施設の規模の大小に関わらず,定額で交付されている事例がほとん. 149.
(11) 閔 鎭京・佐藤 良子. どである。 一方で,本補助金の対象となった地方文化施設についての調査をとりまとめた財団法人日本余暇文化振興 会(名称は当時)の報告書9によれば,1館あたりの建設費は約10億7,730万円とされている(財団法人日本 余暇文化振興会:28)。これに基づくと,1館あたりの交付額は1979(昭和54)年の定額8,500万円であっても, 建設費の1割に満たないこととなる。 また,同じ報告書において,3.3㎡あたりの建設費を,1967(昭和42)年から開設年次別に分析している。 これによれば,1971(昭和46)年から1974(昭和49)年頃までは3.3㎡あたりの建設費は30万円~50万円程度 であったが,1974年以降は同じ単位あたりの建設費が70万円以上の水準に移ったとされる。報告書では「石 油ショック前後から,文化施設の建設費についても明確な上昇傾向がみられる」 (財団法人日本余暇文化振興 会:28)と分析しており,補助金の定額が増加していった背景に,建設費の高騰があったことも考えられる。 本補助金の要項を参照すると,補助金の交付と同時に, 「文化会館建設」を目的とした地方債の起債が可能 とされている。各施設の建築事業実績報告書を見ても,建設費は国庫補助金(本補助金) ,地方債,設置者で ある地方公共団体の支出をベースとし, 施設によってはこれに寄付金等を加えて捻出したことが読み取れる。 2-2 交付施設に見る特徴 交付施設数の推移や1館あたりの補助金交付金額は先の項で述べた通りであるが,この項では表3に記載 の各施設について,各々の規模すなわち客席数をもとに,その特徴を見ることとする。 本補助金の要項では「総合施設」とされていることから,各施設とも複数のホールやギャラリー等を併設 している場合が多い。ここでは,各施設がひとつのホールだけを有している場合はそのホールを,もしくは 複数のホールを備えている場合は大ホールにつき,主たるホールとして,その客席数を分析する。なお,客 席数のデータは1967(昭和42)年度から1975(昭和50)年度までは本補助金の要項と同じ報告書を参照し, 1976(昭和51)年度から1979(昭和54)年度までは2016年現在の各施設のホームページを参照した。そのた め報告書掲載時と現在の客席数が異なっていたり,すでに閉館し客席数が不明な場合もあり,表3における すべての施設のデータがそろっているわけではないことに留意されたい。また,客席数は基本的に固定席の 席数を参照した。 上記を踏まえて,各施設の客席数をとりまとめたグラフが下図1である。 0 1967年度 1968年度 1969年度 1970年度 1971年度 1972年度 1973年度 1974年度 1975年度 1976年度 1977年度 1978年度 1979年度. 5. 10. 15. 20. 25 (館). 1~499席 500~999席 1000~1499席 1500~1999席 2000席~. 図1 地方文化施設整備費補助金交付施設の主たるホールの客席数 作図:佐藤. 150.
(12) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 図1によれば,客席数1000席~1499席の施設が1974(昭和49)年度を境に微減しているのに対し,500席 ~999席の施設が,1975(昭和50)年度と1979(昭和54)年度に大きく増加している。また,客席数1席~ 499席の施設も,1975(昭和50)年度以降に出現している。このことから,1975(昭和50)年頃以降,1000 席以上の施設が減少傾向にあるのに対し,1000席未満の施設が増加する傾向を読み取ることができる。 その理由については明らかではないが,本章で述べてきたように,建設費を総合的に見た場合に,地方公 共団体にとってはその捻出が必ずしも容易ではないために,施設の規模をコンパクトにした可能性や,設置 者として地域住民の要望を踏まえ,独自にコンセプトを考える地方公共団体も現れ始めたことによって,施 設の規模に変化が起きた可能性も考えられる。 例えば,1977(昭和52)年度に本補助金の交付を受け,翌1978(昭和53)年度に開館した兵庫県立尼崎青 少年創造劇場(ピッコロシアター)10は,多目的ホールが全国各地に建ち並ぶ中で,いわゆる「ソフト」面 に先駆的に取り組んだことで知られる。創造機能に対する取組が,「ハード」すなわち施設や設備の整備に どのように影響したかは,別途検証を要することではあるが,設置者である地方公共団体において,施設の みならず創造機能を持つ「劇場」への意識の芽生えがあったことは,この時期の背景として留め置く必要が あろう。 3.まとめ―1967(昭和42)年度から1979(昭和54)年度における「地方文化施設整備費補助金」による文 化施設の設置状況 第2章では,公立文化施設の建設に対する国庫補助の具体的な事例として, 「地方文化施設整備費補助金」 の概要と実態の把握を行った。ここで,今一度まとめると,1967(昭和42)年度に文部省文化局において開 始された「地方文化施設整備費補助金」は,「地域の住民に対し,音楽,演劇,美術等の鑑賞または創作活 動を行なう機会を与えるため」 ,都道府県および人口10万人以上の都市もしくは同規模の広域市町村圏に文 化施設を整備することを目的とするものであった。 そして,この補助金は「音楽堂,劇場,展示場等の機能を合わせもつ文化活動のための総合施設」の建設 経費の一部補助として,当該施設の建築事業最終年度に交付する制度であったが,この「総合施設」が具体 的にどのような施設を指すのかは,要項上では「当該地域における文化施設として適切な設計であること」 という表現にとどめられている。その際,補助対象部分の総床面積については目安となる面積が記載されて いるが,1969(昭和44)年度から1974(昭和49)年度の要項において面積が度々改訂されていることから, 地方文化施設として適切な規模を,制度上模索していたのではないかと推察される。 一方で,本補助金の予算額は1967(昭和42)年度から1979(昭和54)年度の期間に大きく伸びており,国 として地方文化施設の整備の必要性を認め,後押ししていたものと解される。このような追い風のもと,上 記期間中に合計で176館の文化施設が誕生した。 1館あたりの補助金交付金額(定額)は,上記期間においては1979(昭和54)年度の8,500万円が最大額 であり,これは当時の平均的な建設費の1割に満たないものであったが,本補助金に加え,文化施設の建設 を目的とした地方債の起債が可能であったことから,各地方公共団体では地方債も併用し文化施設を建設し ていった。しかし,交付施設数は1974(昭和49)年度・1975(昭和50)年度がピークとなっており,これ以 降は1,000席未満の施設が増加の傾向を見せているものの,全体として施設数が大きく増加しているとは言 えない。 本章では,以上のような状況を把握した。これを踏まえ,次章では,公立文化施設建設に対する国庫補助 のコンセプトとその意義について考察を行う。(佐藤 良子). 151.
(13) 閔 鎭京・佐藤 良子. 第3章 公立文化施設建設に対する国庫補助のコンセプトとその意義 本章では, 「地方文化施設整備費補助金」を中心に,第1章で述べた政策的背景,及び第2章で把握した 当該補助金の実態を踏まえ,公立文化施設の建設補助事業に対するコンセプトとその意義について述べると ともに,課題を考察する。 1.公立文化施設建設に対する国庫補助のコンセプトとその意義 1-1 「地方文化施設整備費補助金」のコンセプトとこれを取り巻く政策 第1章においては,戦後(1945年)から1970年代までの国(文部省・文化庁)の文化政策の変遷を,「文 部省年報」及び「文化庁年報」をもとに跡づけた。これを踏まえると,1945(昭和20)年,社会教育局の中 に芸術課が設けられてから,芸術行政11は政策の在り方を独自に模索しつつも,社会教育政策と並存させる 形で進められてきたことが理解できる。 その後,徐々に芸術文化政策の分離独立の傾向が見え始め,1961(昭和36)年に,「文部省年報」におい て初めて, 施策の中に項目として「芸術文化施設の充実」が提示され,国以外の文化施設も認識しはじめた。 それまで国は設置者としての国立文化施設のみを政策の対象にしていたが,国立以外の文化施設について記 述されたのは最初であり,文化施設に対する国の政策が動き始めたといえる。さらに同年全国ホール協会・ 公立文化施設協議会が設置され,ホール間のネットワーク形成,情報共有等,文化会館の在り方に関する関 心が高まってきたことを裏付ける。 しかしながら,実際に芸術課は1959(昭和34)年から地方芸術文化行政の状況について調べ始め,1960(昭 和35)年からは「文化会館(県民会館,市民会館,公会堂,音楽堂,文化会館的活動を行っている公民館を 含む) 」の設置状況(所在地,県市立別,設置者,設立年月日,収容能力,鉄筋・木造の別)を調査している。 1960(昭和35)年当時は県庁所在地にある県立,市立のもので,400席以上の文化会館だけを調査対象にし, 69館にのぼる。ところが,1963(昭和38)年からは地方の文化施設の在り方について二つの見解を示してい る。一つはこの年から「中央楽劇団等の地方巡回を考慮してその受け入れ態勢を把握するため調査範囲を県 庁所在地以外の全県下に及ぼした」と述べつつ,もう一つは「近年新設されるこれらの施設が,1,200名以 上の収容力を有するという実態がホール運営上の必要と社会の要請を示すと考えているため,1,200席以上 の文化会館の実態を調べた」とのことである。ここでは1,200席の運営と地方巡回公演の関係性は触れられ ていないが,すでに「昭和35年地方文化行政の状況」において「中央の演劇団体や演奏団体の地方公演を可 能にするためには,観客1,000人以上収容でき,鉄筋建ての設備の整ったものが望ましい」と記述されている。 これらにより,巡回公演の受け皿として1,000席以上が必要であると当時の文化会館の関係者は認識してい ただろう。1963(昭和38)年当時は1,200名以上のホールが112館だったのが,さらにその後1964(昭和39) 年は145館(総数180館のうち78%を占める)に,1965(昭和40)年は181館(総数202館のうち89%を占める) に大型ホールの増加が加速していった。 これらの状況の中だったため,1966(昭和41)年に文化局が誕生し,同局文化課の所掌業務に文化施設に 関することが加わることになったのは納得できるものである。そして1967(昭和42)年から地方の文化施設 建設に対して「地方文化施設整備費補助金」が新設された。それまで,国においては,国立近代美術館,国 立西洋美術館等を整備してきたものの,地方公共団体に対しては文化芸術事業への助成のみであったので, 地方公共団体が設置する施設の建設に対して助成を行うのは初めてのことであった。このことは,国と地方 公共団体が文化施設の整備拡充に対して地方芸術文化振興のために,なおかつ芸術の普及のために,連携体 制を構築するための事業であったと考えられる。ただし,地方文化施設の建設や施設内容が確定してから申 請する形式であったため,主導は設置者の地方公共団体であり,国はあくまで補助する立場であったと言え. 152.
(14) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. よう。 1968(昭和43)年には文化庁が創設され,重点施策の中に「地方芸術文化の振興として,地方芸術文化の 推進,地方文化施設の整備」が組み込まれ,文化施設には,地方芸術文化の振興を担う役割が求められるよ うになった。 「地方芸術文化の振興」に地方文化施設の整備が位置づけられ,文化基盤の整備において文化 施設が欠かせない存在となったことは非常に重要である。そして,その政策を具現化するため,全国の人口 10万人以上のすべての市に文化施設を設置し,地方の芸術文化活動を活発化させることによって中央偏重の きらいや中央と地方との間の差異を縮めること(文化の均霑)が企図された。これにより,各地に文化施設 が増加し,文化芸術活動の基盤が形成され,ひいては地方の芸術文化の振興を図ることが狙いであったのは 確かである。 一方,文化局時代の青少年芸術劇場(昭和42年)を皮切りに,文化庁時代に入ってからは移動芸術祭(昭 和46年) ,子ども芸術劇場(昭和49年)のような巡回事業を次々推進していることに注目したい。「地方公立 文化施設整備費補助金」の実施意図を再度述べると,地方自身の芸術文化活動の発表の場として,また中央 から巡回してくる音楽演劇等の鑑賞の場として,地方文化振興の拠点となるすぐれた設備をもつ文化会館の 設置を促進するためである(文化庁1969,11:9)と明記されている。すなわち,連携体制の構築が必要であっ た理由は文化庁が取り組んでいる巡回事業の受け皿として建設する必然性があり,ソフト事業と融合させる ことによって普及につなげ,地方芸術文化の振興を総合的に図れることに「地方文化施設整備費補助金」の 政策的コンセプトが潜んでいると考えられる。単なる「建設促進事業」としてではなく, 「地方芸術文化振興」 と「芸術文化の振興と普及」を実現するために様々な事業を支える,いわゆる文化政策の「基礎」としての 役割だったと考える。 1-2 「地方文化施設整備費補助金」の意義 この施策の意義は3つ挙げられる。第一は,第2章で述べた通り,国として地方文化施設の整備の必要性 を認め,本補助金の予算額は1967(昭和42)年度から1979(昭和54)年度の期間に大きく伸びており,上記 期間中に合計で176館の文化施設が誕生し, 「ハード」の普及を図ったことである。第二は,本補助金が始まっ た1967(昭和42)年から1979(昭和54)年まで1館あたりの補助金交付金額(定額)は,1979(昭和54)年 度の8,500万円が最大額であり,当時の平均的な建設費の1割に満たないものであったが,本補助金に加え, 文化施設の建設を目的とした地方債の起債が可能であったことから,これによって各地方公共団体では地方 債も併用し文化施設を建設することができたのである。第三は,本補助金の創設まで文化施設の具体的な機 能と施設の条件について,明確に提示されたことはなかったが,本補助金では「地域の住民に対し,音楽, 演劇,美術等の鑑賞または創作活動を行なう機会を与えるため」と目的を掲げ,建設対象となる施設は「音 楽堂,劇場,展示場等の機能を合わせもつ文化活動のための総合施設」と明示していることである。これに より,文化施設の受益者(利用者)が明確化され,場が持つ機能および設置者が整えるべき施設概要が具体 的に示されたとともに,文化施設は複合的機能を持つものとしてイメージされたことは注目される。 2. 「地方文化施設整備費補助金」に見る課題 本節では「地方文化施設整備費補助金」交付要項に書かれている補助対象経費の範囲を中心に述べ,課題 を導き出す。 本補助金の補助対象事業は,1969(昭和44)年度の交付要項で「音楽堂,劇場,展示場等の機能を果す文 化施設のうち,ホールおよび展示場の部分(以下「補助対象部分」という。)の建築事業とする」とされ, 1973(昭和48)年度以降の交付要項では「ホールおよび展示場ならびにこれらに附帯する施設の部分」とさ れている。いずれにしろ,「建築事業」とし,施設の一部建築補助となっている。 補助内容は以下のとおりとされており,1969(昭和44)年から1975(昭和51)年の要項まで,変更はほと. 153.
(15) 閔 鎭京・佐藤 良子. んど行われていない(昭和58年4月4日付「地方文化施設整備費補助金交付要綱及び同実施細則の一部改正 について」によると補助内容は同様であったので,昭和51年以降昭和54年まで変更はないと推測する)。 ア 本工事費は,建物の補助対象部分の基礎,床,天井,屋根等の骨組及び壁,造作仕上げならびに補助 対象部分に固定して設けられた舞台,楽屋,物入れ,流し等の付帯設備を含む工事費とする。 イ 付帯工事費は,アの本工事に付帯する電気,給排水,ガス等12の工事費とする。なお,土地購入費, 整備費,事務費等は補助の対象としない。 上記補助内容は,施設施工に係る経費の中で特に工事費への補助に重点が置かれているものと捉えられる。 そのため,舞台の設備を整える備品に関する費目は設けられていない。しかし,実際に舞台芸術等の活動を 行う際には,大道具備品,舞台照明備品,舞台音響備品,楽器その他の備品等が必要となる。本補助金の段 階では, これらの備品の必要性の想定には至らなかったものと推察される。その理由として,本補助金によっ て設置される文化施設の数は増加したものの,要項において,そもそも文化施設の運営の在り方に関する基 準が示されていないことが挙げられる。すなわち,「建築事業」として位置づけていたため,国として,こ の時期はまず建物を普及させることに注力したものの,劇場,音楽堂等が持つ創造機能への配慮も含めた整 備には至らなかったと考えられる。 しかしながら,文化庁は補助内容の不備点に気付き,舞台設備の整備等について概算要求を通じてチャレ ンジするが,全く通らない結果となった。たとえば,昭和44年度,昭和45年度の概算要求に「昭和34年以前 に建設された施設で舞台照明施設の補修または整備」に関する項目を,また昭和53年度,昭和54年度の概算 要求には,参加する文化活動の推進のために,「文化活動ができる練習室の設置や既設の文化施設の音響・ 照明・吊物の設備の改修」に関してあげている。文化会館の建設に使える金額は毎年増額する一方で本来の 機能である舞台芸術の創造活動に必要な設備費が通らないという本末転倒が起きていたのである。 一方で,文化行政長期総合計画懇談会は,1975(昭和50)年7月31日から,文化行政の長期総合計画の策 定について討議をはじめ,1977(昭和52)年3月23日に「文化行政長期総合計画について―文化行政長期総 合計画懇談会まとめ―」を提出した。同「まとめ」の中で,「文化施設の在り方について」の項目では,「新 たな施設の設置」と「施設の運営」の2つの観点から今後の取組の方向性が示唆されている。まず,「新た な施設の設置」の観点では, 「これからの文化施設の整備については,その目的,機能に従って,それぞれ 異なった配慮を行うことが大切である」 (文化庁1977a:43)と指摘されている。その上で,「地域社会に整 備される住民の生活に密着した文化施設」と,「非日常的な高度の文化の伝承発展を目的とする大規模な施 設」 ,各々の在り方を踏まえて「全国的視野に立った施設の総合的配置計画を樹立することが望まし」く, これによって整備を進めるべき旨が述べられている(同1977a:43)。また,「施設の運営」の観点では,「公 立文化施設は,住民の生活に密着した多目的な施設とし,住民が自ら文化活動を行うための『広場』として の機能を備え,性別,年齢,職業を問わず住民が進んでその活動に参加し,地域における『コミュニティー』 づくりに役立つべきものとすること」(同1977a:46-47)とされている。さらに,「人口規模の小さな市町村 において文化会館と公民館との両者を整備することは,財政的にもまた運営上にも困難があるので,ホール や練習場等の文化会館の機能を包含した公民館の設置を奨励し,また,公民館の事業内容に文化活動が豊富 に取り入れられるよう運営することが望ましい」(同1977:47)とも述べられている。同まとめにおいて, 公立文化施設は地域住民の生活に密着した多目的施設とすべきことが示唆されているように,1970年代後半 には,増えつつある公立文化施設の在り方について,一定の議論が行われるとともに,施設整備に際しての 実践も始まっていた模様である。この懇談会の中間まとめを受け,1977(昭和52)年から住民が積極的に参. 154.
(16) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 加する文化活動とアマチュア文化活動の振興に関する事業が推進される。ところが,これによって1973(昭 和48)年から開始した文化会館の自主事業への補助金が統合されてしまった。 本来は,文化施設を整備し,文化会館が主体的に自主事業を行うことによって,のちに文化会館を拠点に して地方の特色を生かした文化事業を創造していくことが期待される。そのために,整備事業とソフト事業 を連携させた総合的な政策が行われてきたが,結局公立文化施設の在り方を具体化するには至っておらず, 「普及」を果たす役割で止まったといえる。この点において,本補助金事業は,公立文化施設に対する国の 施策として,必ずしも成熟したものではなかったと考えられる。(閔 鎭京,佐藤 良子). おわりに 以上,本論文では1945(昭和20)年から1979(昭和54)年に行われた文化施設に対する政策的取り組みを 整理し,併せて1967(昭和42)年度に開始された「地方文化施設整備費補助金」の内容を中心に検討した。 これにより,1945(昭和20)年から1979(昭和54)年までの,文化施設に係る国の政策を跡づけるとともに 「地方文化施設整備費補助金」の実態を分析し,当該補助金のコンセプト,意義,そして課題を考察した。 しかし,本論文では行政刊行物の「文部省年報」, 「文化庁年報」, 「文化庁月報」を基本に政策の分析を行っ たため,行政機関の論理に偏った論述内容となり,その政策を取り巻く社会情勢を多角的な視点から掘り下 げることができていない。また,公立文化施設建設の一助としての,1979(昭和54)年までの「地方文化施 設整備費補助金」の実態を捉えたに過ぎず,同時期に,他の国庫補助金が果たした役割及び1980年代以降の 「地方文化施設整備費補助金」の変遷についても調査が必要である。これらの課題については今後取り組む こととし,これによって公立文化施設の建設に対する国庫補助が果たした役割を明らかにできるものと考え る。. 謝 辞 本研究は筆者閔 鎭京が短期研究専念期間中(2015年10月~12月)に,佐藤 良子と共同で行った研究を 纏めたものである。本研究を進めるにあたり,素晴らしい研究環境を与えて頂くとともに,研究の遂行の際 に,多大なるご指導およびご助言を賜りました故 根木 昭教授(昭和音楽大学)に深く感謝いたします。. 〈参考文献〉 梅原宏司「『行政の文化化』がもたらしたもの-1970年代から80年代までの埼玉県の事例を中心に-」 『文化経済学』第6巻第 2号,pp.47-60,2008年。 衛紀生・本杉省三編著『地域に生きる劇場』,東京:芸団協出版部,2000年。 国立教育政策研究所「平成21年度 社会教育指導者の育成・資質向上のための調査研究事業 公民館に関する基礎資料」 , 2000年。 手塚昇「文化局の紹介」『教育委員会月報No.190』,文部省初等中等教育局地方課,1966年6月,pp.37-40。 財団法人日本余暇文化振興会「地方文化施設の運営状況に関する調査」 ,1979年。 根木昭『日本の文化政策-「文化政策学」の構築に向けて-』 ,東京:勁草書房,2001年。 文化庁『文化庁月報No. 1(昭和43年9月)』~『文化庁月報No.135(昭和54年12月) 』 ,1968年~1979年。 文化庁『文化芸術立国の実現を目指して:文化庁40年史』 ,東京:ぎょうせい,2009年。 文化庁『文化庁年報昭和43年度,昭和44年度』,1971年a。 文化庁『文化庁年報昭和45年度~文化庁年報昭和54年度』 ,1972年~1982年。. 155.
(17) 閔 鎭京・佐藤 良子. 文化庁『文化行政長期総合計画について―文化行政長期総合計画懇談会まとめ―』 ,1977年a。 文化庁文化部文化普及課『地方文化施設整備費補助金交付施設概要』文化庁。 文部省『学生百年史(記述編,資料偏共)』帝国地方行政学会,昭和40年初版a。 文部省調査普及局統計課『文部省第73年報(昭和20年度) 』~『文部省第75年報(昭和22年度) 』 ,1951年。 文部省調査局統計課『文部省第76年報(昭和23年度) 』~『文部省第95年報(昭和42年度) 』 ,1950年~1969年。 文部省大臣官房統計課『文部省第96年報(昭和43年度) 』 ,1970年。 文部省社会教育局芸術課『昭和35年度地方芸術文化行政の状況』 ,1961年,pp.74-82。 文部省社会教育局芸術課『昭和36年度地方芸術文化行政の状況』 ,1962年,pp.66-75。 文部省社会教育局芸術課『昭和37年度地方芸術文化行政の状況』 ,1963年,pp.68-79。 文部省社会教育局芸術課『昭和38年度地方芸術文化行政の状況』 ,1964年,pp.97-104。 文部省社会教育局芸術課『昭和39年度地方芸術文化行政の状況』 ,1961年,pp.106-117。 文部省文化局文化課『昭和40年度地方芸術文化行政の状況』 ,1967年,pp.119-130。 三浦哲司「日本のコミュニティ政策の萌芽」『同志社政策科学研究 9⑵』, 同志社大学,2007年12月,pp.145-160。 森啓編著『文化ホールがまちをつくる』,東京:学陽書房,1991年。 松下圭一,森啓編著『文化行政:行政の自己変革』,東京:学陽書房,1983年。 矢部秀一「文化行政と文化政策」『月刊社会教育』No.187,東京:国土社,1973年6月,pp.16-24。. 156.
(18) 公立文化施設の建設に対する国庫補助の開始から廃止まで⑴. 表3 地方文化施設整備費補助金交付施設年度別一覧. 出典:文化庁文化部文化普及課「地方文化施設整備費補助金交付施設概要」 pp.6-23および昭和52年度〜昭和54年度「文化庁年報」をもとに佐藤作成. 157.
(19) 閔 鎭京・佐藤 良子. 〈注〉 1 文部省の中に社会教育局(青年教育課,成人教育課,庶務課)が新設されたのは1929(昭和4)年7月1日である。その 後,1942(昭和17)年11月1日に国民教育局へ名称変更されたが,1945(昭和20)年10月13日に社会教育局が復活されるこ ととなった。また,文化政策を担った局の変遷をみると,1929(昭和4)年においては社会教育局で行っており,1939(昭 和14)年10月11日に同局内に映画課が設けられる。1942(昭和17)年に映画課は無くなり,その代わりに3月24日に文化施 設課が新設されることとなった。同年11月1日に社会教育局は国民教育局に変わり,文化施設課は教科局で所管することと なるが,1943(昭和18)年2月11日に教科局と一緒に文化施設課も無くなった。1945(昭和20)年10月13日に社会教育局が 復活され,社会教育課,公民教育課(昭和20年11月10日設置) ,文化課,芸術課(昭和20年12月31日設置) ,調査課,宗務課 が設けられた。 2 1949(昭和24)年5月31日に文化財保存課に変わり,1950(昭和25) 年5月25日文化財保護委員会事務局に移管。 「文化課」 は,戦前の文化財保存課が戦時中の文化財業務の停止に伴って廃止(他の課に変更)されたものを復活したものと考えられ る。 3 この当時,現在でいう“組織令”は定められていないままのスタートであった。 4 1966(昭和41)年2月15日衆議院内閣委員会の議会録において,国務大臣中村梅吉氏は文部省設置法の一部を改正する法 律案につき,その提案の理由を以下のように語っている。 「そもそも文部省は,教育,学術及び文化の振興と普及をはかる ことを任務とする国の行政機関でありますが,従来,教育と学術に関する行政について力点が置かれ,文化についてはやや もするとその比重が軽くなるうらみがございました。そこで,関係者はもとより一般国民の閥におきましても,文化に関す る総合的な行政の推進を要望する声が強まっておりまするこの際,文化行政に関する機構の整備を企図することといたした 次第であります。」 5 国際文化課の文化に関する事務としては,文化の国際的諸活動についての各部局の事務の連絡調整を行うことであった。 6 芸術,文化の振興,普及と,その国際交流,著作権その他国語,宗教等に関する事項である。 7 文部省設置法の一部を改正する法律案について,1966(昭和41)年2月15日の衆議院内閣委員会にて初めて議題にあがる。 8 この事業は,1972(昭和47)年に2回(6月,10月)にわたって開かれた「芸術文化懇談会」において,地方における文 化の振興について,文化施設の自主事業に補助するとともに,運営相談等の体制を整備するとの意見があったため,次年度 の概算要求に「文化施設が行う自主事業への補助」を盛り込んだものである。 9 財団法人日本余暇文化振興会「地方文化施設の運営状況に関する調査」 ,1979年。 10 客席数は大ホール396席,中ホール200席,小ホール100席。開館5年目の1983(昭和58)年に「ピッコロ演劇学校」を, 1992(平成4)年には「ピッコロ舞台技術学校」を開設し,1994(平成6)年には日本で2番目となる(最初は水戸芸術館 の事例とされる)公立の劇団を創設したことで知られる。 11 1945(昭和20)年10月13日に新設された文化課は同年12月31日に設置された芸術課の所掌業務を行っていたが,その後芸 術政策は芸術課が担うこととなり,さらに,1950(昭和25)年5月25日に文化財保存委員会が別に設けられ,芸術文化と文 化財政策は完全に分離した政策を行ったため,ここでは, 芸術文化を中心とする政策の意味で芸術行政という言葉を用いる。 12 1971(昭和46)年度以降の要項では,これに空調設備も加えられている。. (閔 鎭京 北海道教育大学岩見沢校准教授) (佐藤 良子 昭和音楽大学専任講師) . 158.
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