現代ことば遣い小考 (五) : 国語を教えるものの自戒のために
13
0
0
全文
(2) 現代言葉遣い小考︵五︶ −国語を教える者の自戒のために−. お世話になっている︵仕事の邪魔をして、話相手になっても らっている?︶北区の古書店K書林の御主人S氏に、本誌既刊. ういう基準で並んでいるか、と問われたら考え込んでしまう. だろう。凡例には﹁配列は50音順により⋮⋮ ﹂とあるのに. も﹁五十音順﹂と称している.のに、いつも小林さんの後にあ. そと うなっていないからだ。某大学にある小生の連絡用ポスト 号所載の拙文を渡したら、面白くて線を引きながら読んだ、 言ってくださった。このK書林で室生朝子の著作数点を購入し. ●﹁秀徳君が殺害されたとされるアパートは、自宅から約川メー. トル離れた場所にひっそりと居を構えていた。﹂. この記事を書いた記者は、ちょっと酒落た言い回しをしよ うとしたのだろうか。﹁ひっそりと建っていた﹂でいいものを、. こばやし、こみなみ、ごとう、と平仮名で並べてみて、ど ﹁アパートは、⋮⋮居を構えていた﹂などという変な日本語. ●﹁小林微行/小南一郎/後藤秋正﹂. 本中国学会、一九九〇・一〇︶. ①﹁日本中国学会報︵第41集−第50集︶論文執筆者名索引﹂︵日. るので、直してもらった。孤島と後藤ならば孤島が先になる たことが契機となって、彼女の著作の全てを集めようと思い 立 の莱 は当然だが、﹁ご﹂は﹁こ﹂の後ろという認識が先にたって、 ち、現在二十点ほどになった。さらに小堀香奴・森於菟・森 そ太 のあとの﹁と﹂と﹁ば﹂の順序が盲点になってしまうらし 荊・夏目鏡子・夏目伸六・島崎静子・萩原菓子・広津桃子・ い亡 のだ。﹁後藤/小林/小南﹂の順でなければならない。だ 田治子などなど、著名な作家や詩人を父や夫に持つ人たちが かっ らといって、小林さんと小南さんにはなんの恨みもない。 父・亡夫の思い出を書いたものまで集めつつある。少数であ ②ど ﹁秀 ても読んでくれる人のいることがうれしくて、今回も文字 お徳は九歳のまま−両親、無念かみしめ﹂︵毎日新聞、﹂ 九九八・一一・一大付け朝刊二三面︶ りの駄文を載せてもらうことにした。. −53−. 、.
(3) にしてしまった。居を構えるのは人間でしょう。 ③﹁万人の声︵高田保虔〓ブラリひようたん﹄角川文庫、 一九五大・六再版所載の広津和郎﹁解説﹂︶. ●﹁⋮⋮プラリひようたん﹄を読んで私は吃驚した。⋮⋮そ. こで私は東京日日新開の月極めの読者になつた。﹂ 以前にも書いたかもしれないが、﹁月極め駐車場﹂︵もしく. は﹁片極駐車場﹂︶などとあると、どうして﹁月決め﹂と書. ば出かける訳にはいかない身にとって、この本自体はなかな. か楽しく、神田などの古書店歩きを疑似体験できる。. ⑤岡崎武志岩本めぐりはやめられないL︵東京書籍、一九九人・. 一こ. ●一〇一貫﹁暫く時を惜いて問ふこと再三して見たが、﹂. この引用が﹁措いて﹂の誤植であることは見やすい。しかし、 一一人貫の﹁雪月花は、日本の美意識を代表する嘱目なので、. 代表する﹂とでも言いそうなものだ。本自体は変に気取った ところがなく、三千円以上もする古本だと購入をためらって. らば﹁日本の美意識を代表する﹂などと言わずに、﹁俳譜を. かないのだろうかと、常に違和感を抱いていた。もともと 極に ﹂烏困った。この嘱目の意味が分からない。嘱目は、 ⋮﹁ ⋮﹂ には、﹁とりきめる。約束。﹂といった意味がないからだ し動詞として用いられ、﹁①人の将来に期待して、日を 普。 通は かし、日本語としては、決めるの意でも用いる。そのギャ 離ッ さず見守ること。②日に入れること。日を向けること。③ プが意識の中でなかなか埋まらない。しかし、広津和郎で 俳さ 静で、即興的に日に触れたものを吟ずること。嘱目吟。﹂︵盛 ぇこのように表記しているのだから、そろそろ﹁月極め﹂ 林の 21﹄︶といった意味をもつ︵③は初めて知った︶。このうち 悪口はや め よ う か と 思 う 。 どれが該当するのだろう。あるいは③なのだろうか。それな ④池谷伊佐夫﹃東京古書店グラフィティ﹄︵東京書籍、一九九人・ 九︶. ●四三貫﹁デパートで開かれるデパート︹古書︺展も楽しいが、. 編﹃全訳古語例解辞典﹄小学館、一九八七・一初版︶の意味. ⋮⋮これはいささか待ちどうしすぎる。﹂ しまう小生とは完全に波長が合っていて、続編が期待される 以前、﹁遠い﹂を﹁とうい﹂と書く学生に驚いたことをほ記 どなのだが。 した。これも﹁待ちどおしい﹂の誤り。また、五二貫に⑥は ﹁と最 ﹁、 私に っての﹃三国志ヒ︵井波律子三国志鼻茶羅L筑摩 近では本文のほうにも、無用なパターンが入りこむ、ノン 書ブ 房、一九九大・七所載︶ ルの数字が真横になっている、甚だしいのは片貫に二頁●分 二が 三六頁﹁高橋さんが書かれた論文に痛く感動し、できれば ぅってある、⋮⋮なんとかならないものかといつも思う。 自﹂ 分も卒論のテーマにしたいと思っていた⋮⋮。﹂ と言っているのに、この本自体が片貫に二貫分のノンブルが この﹁痛く︵いたく︶﹂は、﹁ひどく。激しく。﹂︵北原保雄 ぅってある︵初めて見た︶。しかし、東京の古書店にしばし. −54−.
(4) であろう。この辞典は、﹁形容詞¶いたし﹄の連用形。り音 便で¶いたう﹄とも﹂として、感氏一夕顔から、﹁いといた. そのつど指摘してきた。それが、権威ある学会誌に活字になっ てしまっては立つ瀬がない。﹃辞林㌘で﹁所収﹂をひくと、﹁. ︵捜神記︶﹂. を調べてみた。確かにこの話は巻一六に載っている。ただし. うルビがふってある。そこで癌神記﹄︵中華書局、一九七九︶. ﹁3﹂﹁三﹂の表記は元のまま。この﹁池﹂に、﹁そ﹂とい. た者があった. てF幽霊が三人、林の中で酔っぱらっていたLと知らせてき. たがある日3人の男が酒を買ってきて飲み立ちさった。やが. ●一一一貫﹁漠の武帝のころ池という男が酒造りを業としてい. 一九九人・二︶. ⑲唐沢商会﹁なんかこわい静﹂︵1脳天気教養図鑑L幻冬舎文庫、. ○ たわけになるが、⋮⋮﹂ ﹁戦争で阻まれた﹂は、﹁阻まれた﹂の誤植だろうと思っ たのだが、﹁汎﹂にも﹁はばむ。さまたげる。﹂の意味があっ ﹁汎止﹂という言葉もあるのだった。不明を恥じる。. ●﹁︹朝鮮、満州を見るという︺この願いは終に戦争で阻まれ. 二︶. ⑨野上弥生子﹁まえがき﹂︵r私の中国旅行﹄岩波新書、一九五九・. 本に所載した作品﹂などと見えている。﹁所有する﹂﹁所管す という青葉はあるから、これとの連想でこのように使ってし まうのだろうか。. る論文や作品が、書物・全集などに収められていること。﹂ くえもとどめず泣き給ふ﹂という用例を引いている。長々と と適切な説明がなされている。この﹁所載する﹂という言葉は 説明したが、要はこのような意味で使い、かつ藻字で書きた いのならば、﹁甚く﹂とするべきではないかということなのだ。 ﹃脳天気教養図鑑L︵後出︶の﹁あとがき﹂にも、﹁この単行 ちなみにこの辞書は、同僚の国語学看であるY教授も執筆協. 力をなさった、簡便だが立派な辞曹なのだ。 ⑦﹁神田の古本屋﹂︵奥本大三郎哀を枕に︼集英社文庫、一 九九人・九 ︶. ●一五頁﹁そのガラス窓からは、文省堂というポルノ専門の書. 店がよく見える。⋮⋮文省堂をそのまま読めば、文ヲ省クに な っ て しまう。﹂ ﹁文ヲ省ク﹂ならば、﹁省文﹂だろうJ多くの賞をとった. 仏文学者も、漢文法にはうといらしい。ただし、こういう素 朴な誤り?があると、なんだかほっとする。. ⑧Y・H氏﹁癌川集L詩考︵中︶﹂︵﹁新しい漢字漠文教育﹂二 七号、一九九八・一一︶ ●﹁痛究資料集文学・辞Ⅲ﹄に所収されている加感敏氏の訳は、 ⋮⋮。r唐詩解釈辞典﹂に所収されている田口暢穂氏の通釈は、. 〇 卒論の中間発表会などで、学生諸君が時おり、﹁00に所. ︰︰..﹂. 収されている﹂とか、﹁00に所載されている﹂などとやる ので、そんな言葉はない、どうしても言うのならば﹁00に 収められている﹂か、﹁00所載の﹂などと亭っべきだと、. ー55−.
(5) 国柳生の里﹄と書いてしまったところ、読者から﹃大和国の まちがいではないか﹄と投書が山積みした。﹂. 酒屋に来たのに﹁酒を買ってきて飲﹂む、というのはおかしい。●四二頁﹁左膳の書き出しで、彼は症戸から百十三里、伊賀 原文では、三人の男が﹁短飯﹂︵小麦粉で作っためし。パン のようなものか︶を持参して酒を求めて飲んだ、とある。そ. 牧逸馬︵林不忘︶の粂に見える逸話。﹁山積︵さんせき︶. した﹂﹁山積みになった﹂ならばわかる。﹁山積みした﹂とい ぅ言い方はどうにも違和感がある。それはともあれ、旺文社 文庫は廃刊になって以来、古書価の上がり方が激しい。この. 本もどうということのない?本なのだが、札幌のS屋の目録. ︵一九九人二二︶では千円をつけている。こうしてみると五. 百円だったK書林は良心的と言えよう。. の脇役?である曹植に、光が当てられたことはうれし. ながら、かの﹁洛神の斌﹂に言及しないという超絶技法?も. かったが、単行本で出たときには買わず、文庫になったのを 機に読んでみた。曹植と、曹杢の妃である覿妃を主人公にし. 国志﹄. 四二頁にも﹁須らく驚嘆せしめた。﹂とある。この小説で、F三. しばしば日にする﹁べし﹂を伴わない﹁すべからく﹂の実例. ●八頁﹁須らく美徳とされるこの時代、⋮⋮﹂. ⑯藤水名子﹃公子曹植の恋﹄︵講談社文庫、一九九九二︶. 以前にも書いたことがある。﹁血腫い﹂か、もしくは﹁血 なまぐさい﹂と平仮名にするべきであろう。. まぐさい世の中﹂︵﹁囁言﹂13︶. ●二八一頁﹁西南戦争までの血生まぐさい内乱時代﹂同﹁血生. 九人一二一︶. ⑬松本克平﹃私の古本大学−新劇人の読書彷径﹄︵育英舎、. れならば意味は通る。それはともあれ、﹁池﹂にどうして﹁そ﹂ などというルビをふったのか。原文でも﹁末葉の人姓は池﹂ となっているが、﹁池﹂が姓であろうと、﹁チ﹂または﹁ヂ﹂ と い う 音しかないのだ。 この漫画、﹁古書街エレジー﹂なども収録していてなかな か面白いので、正月とて帰省していた息子に、唐沢という人 ︵﹁唐沢商会﹂というのは、唐沢俊一と唐沢なをきの兄弟ユニッ. の漫画. ト、とカバーにある。兄の俊一の﹃古本マニア雑学ノート﹄ は以前取り上げたことがある、なをきは弟で漫画家︶. はないのかと尋ねたら、たちどころに、自室から唐沢なをき の屋春﹄宗スピタル﹄﹃ホスピタル2﹄の三冊︵いずれも 白泉社刊︶を出してくれた。敵?もやるわい。 ⑪八木福次郎﹁三つの詩善人気番附﹂︵﹃古本便利帖﹄東京堂出版、 一九九一・七︶. ●九〇貫﹁昭和十年の﹃明治大正新体詩稀本番附﹄は、行司が. 北原白秋・山宮允⋮⋮、世話人が日本詩人協会連中・日本古 本蒐集家連中⋮⋮、といったように顔振れを並べている﹂ この﹁顔振れ﹂は﹁顔触れ﹂だろう。ただし、この本は大 い に 勉 強になる。 ⑫紀田順一郎﹃につぼん快人物烈伝−近代人物エピソード史﹄ ︵旺文社文庫、一九八五・九︶. −56−.
(6) 素晴らしいが、一貫して言葉がピタリと適所にはまっていな. 植は洛妃を︶遅れようもなく細腕を掴み寄せた。﹂、この﹁遁. 愛もない悲鳴﹂とはいったいどういう意味か。一大九貫﹁︵曹. 瞳﹂には、﹁こくとう﹂とルビが振ってある。瞳の音は、漢. れようもなく﹂は﹁遮れられないように﹂だろう。〓ニ四貢﹁黒. いムズムズするような違和感を感じた。九貫﹁寸刻の時間﹂、 二五頁﹁甚だ不謹慎極まりなく﹂、一九九貫﹁一兵でも兵を ことコとく. 音では﹁トウ﹂、慣用音では﹁ドゥ﹂であり、慣用音を排し. 動かせば﹂、二l四貫﹁悉く皆殺しにされ﹂などはいずれ ま も馬から落ちて落馬した式の表現。五一貫﹁いつにも況して﹂、. て漢音でルビを振るなど微細な点にはこだわりを見せている. ト亡−し. 五四・六四頁﹁邪ま﹂などという表記も気になる。六五頁﹁夕 歩く。﹂となると、作者に、自分の影を無造作に踏みながら. 説﹂を番いた北方謙三は、故意にか偶然にか文章日体を誉め. 事がこの調子で長編でもないのに実際読むのに疲れた。﹁解. ︵偶然か?︶だけに落差が激しすぎるヶまだまだあるが、万. 歩いてみろ、と青いたくなる。七九貫では、いっぼうでは﹁彼. てはいない。三〇年ほど前に﹁曹植詩研究﹂という恥多き卒. 陽が伸ばした自らの長い影を無造作に膵みつつ、ゆっくりと. 女らに自分の子を生ましめる。﹂という文語的な表現をしな. 論を書いたことが思い出されて、つい力んでしまった。. ●l一二四真には、﹁不肖の父親である曹操こそが⋮⋮、死ぬべ. 一九九九・一所収︶. ⑯藤水名子﹁曹操の死﹂︵陳舜臣選﹃黄土の群星一光文社文庫、. がら、同じ頁に﹁働突だってしてみせる﹂などという口語的 表現を用いる。同じような例は、一七二頁では﹁渾身の思い で抱きしめんとする﹂と青いながら、一七三頁には﹁曹植の 興奮たるやない。﹂などと俗な言い方をしている箇所にも見 られる。八〇貫から八一貫にかけての′﹁曹操は偏に億しみ、. ずに涙が溢れてきた。枝葉の開から漏れ射す真冬の陽が、容. 全くわからない。八五頁の﹁︵曹植は︶顔を伏せると、知ら. ているのか鳴咽しているのか、はたまた働果しているのか、. トル。その間には高山もあれば大河もある。そんなに速い馬. から呉都の建康︵南京︶まで、直線距離でも約七盲キロメー. ばせば、一日で辿り着くことも可能である。﹂と言う。洛陽. は、子どもが父祖に似ていないの意で、その逆はありえない。 また、同じく二二二頁には、﹁洛陽から呉都まで、早馬を飛. き運命にあったのだ。﹂ これには驚いた。曹操はまぎれもなく曹植の父親。﹁不肖﹂. 赦なく彼の日を射た。﹂となると、涙を流しながら顔を伏せ. がいたら、中国の歴史は変わっていただろう。ただし、この﹁曹. 身も世もなく号泣した。・⋮︰鳴咽を隠さず、激しく身を撮ん. ている曹植の目を、どうして陽が射ることができるのだろう. 操の死﹂のほうが、文章はまだまし。. ⑲﹁本の日記から﹂︵紀田原l郎r耽読日記から﹄三一書房、. か。一四四頁の﹁目線﹂と、一四大貢の﹁視線﹂は区別があ るのか。一六五貫﹁曹植の心を無為に傷めた。﹂、二〓一貫﹁他. で泣く曹操の働実は、⋮⋮﹂という文章では、曹操は号泣し. −57−.
(7) 一九九〇・七︶. ●一五貫﹁原宿の主治医K診療所で検査結果を聞く。﹂. 不自由な初老の役貞がおり、⋮⋮﹂と、全く同じ面接の場. を書いている。ちなみに、群ようこ宰径500mの日ぎ︵文. ではなく痛︵ひとみ︶﹄を用いて、感電点野と書く。﹂. るためか、¶画竜点晴︼と書き誤りやすいが、ギイ﹄は感L. 主治医というのはその患者を主に担当する医師個人を指春す 文庫、九三二〇︶所収の﹁会社を辞めたらヤワになった のだから、診療所や病院を主治医というのはおかしい。 我が体⋮⋮﹂という長い濱名のエッセーには、﹁背広姿の ●一九貫﹁豊肥本線で阿蘇へ。火山灰の地も線路際はセイタカ に毛のあるおじさんと、頭に毛のないおじさんが座ってい アワダチソウに占拠されている。この帰化植物、和名はま ただ ㌔とあって、どうやら慎重にハゲの語の使用を避けてい ないようだが、貴煩草とでも称すべきか。﹂ るらしいのだ。このぶんでは、馬鹿という言葉も使えなく ﹁セイタカアワダチソウ﹂を盛林㌘で引くと、﹁︻背高 て、﹁頭の働きが不自由な人﹂とでも言い換えられていく 泡立草︼ヰク科の多年草。北アメリカ原産の帰化植物で⋮ で⋮ は。 な﹂ いだろうか。ただし、人を不愉快にする語をむやみ とある。漢字では﹁背高泡立草﹂と書くらしい。いっぼう 使、 お﹁ う和 と言っているのではないことを断っておく。 名﹂のほうは、﹁動植物の学名に対する日本語の名称。⑲普 、一郎麿術的な急斜面二東京創元社、一九九二・八︶ 紀通 田順 片仮名表記。﹂︵﹃辞林㌘︶と説明されている。とすると、﹁セ 〇ニー四頁﹁まさに今夕の席における画竜天晴をなす⋮⋮。 イタカアワダチソウ﹂は立派な和名ではないのか。紀田氏は 同僚のY先生の著書忘なたの湊字常識L︵日本実業出版社、 漢字で表記されたものが和名だと思っているらしい。 八九・六︶には、この四字熟語について、﹁字がよく似てい ⑳﹁文蛮春秋ノタメニナル声︵逢坂剛毒物の旅﹄講談社文庫、 二九九八・ 一 二 ︶. 文庫、九五・三︶セも、﹁並みいる面接官の中に、髪の毛の. でつけて。逢坂剛は、﹁脇道の人生﹂︵戒名時代の私﹄文春. ●三九頁﹁池袋あたりの居酒屋で、とつおいつ手酌でやってい. 一九八八・五︶. ●二〇二頁﹁頭の髪が不自由な初老の面接官の一人が、しかめ とある。紀田氏ともあろう人が、点のほうを誤ったわけだ っらしい顔でこう開いた。﹂ ﹁点﹂は、書き入れる、の意。九〇頁には、﹁病膏盲でっ ハゲ︵と言って差し障りがあれば、トクトウ。同じことか︶ とあって、わざわざ﹁こうもう﹂とルビが振ってある。以 という言葉が禁止用語ならば、﹁頭の毛が不自由な人﹂と にで も書いたから詳細は省くが、﹁膏盲﹂ではなく﹁膏宵﹂ も亭っか、などと学生諸君と冗談話をしたことがあった。 てと 、﹁コウコウ﹂と読むんでっせ。﹁古本十番勝負﹂を扱 ころがそれを実践している作家がいたのだ。それも﹁髪﹂ 内だ 容自体は面白かったので、残念。 けでどこの毛かわかるのに、御丁寧に﹁頭の﹂という説⑲明 高ま 森栄次届い出の作家たち−雑誌編集50年﹂︵博文館新社、. ー58−.
(8) ﹁︵﹁取りつ置きつ﹂の転︶あれやこれやと思い迷うようす。﹂︵角. ⋮ ⋮﹁それはさておき﹂の巻し ︵文芸春秋、一九八八・一︶. らしい。なお、この言葉については高島俊男﹃お青葉ですが. はなしはやめにして。それはさておき。閑話休選。﹂とあって、 るうちに、少し廻ってくると無性に山手︹樹一郎︺ さんに会 ﹃水帝伝ゝ の用例を挙げている。このエッセー集には、昭和 い た く なる。﹂ 二九年の夏に河盛氏が伊藤整と札幌に講演旅行をした時の逸 この本、ブック・オフという、この頃よく見かける新古本 話︵﹁伊藤整の辞﹂︶も載っていて、なかなか興味深いのだが、 屋の盲円均一コーナーで見つけたものだが、某古書店では二 千円の値段がついていた。それはともかく、﹁とつおいつ﹂は、 仏文学の碩学も﹁閑話休題﹂の語の来歴については疎かった 川﹃国語辞典﹄︶である。この文脈にふさわしい語だろうか。. を生かすのならば﹁おそらく﹂は不要。. ﹁おそらく﹂を生かすのならば文末の﹁か﹂は不要。﹁か﹂. ろうか。﹂︵﹁還謹心中﹂を抹殺せよ﹂︶. に考察?がなされている。 五七貫の﹁ある夜、とつおいつ池袋の雑沓を歩いている私の ⑳出川直樹﹃現代こホン語探険 増補版ゝ小学館ライブラリー、 背後から、追い駈けるように近づいてきて声をかけた人が 一九九八・六︶ あった。乱歩先生であった。﹂とあるのも、なにやら違和感 がある。﹁とつおいつ﹂とあれば、﹁思案する﹂などと結びつ ●四九頁﹁この ︵﹁無理心中﹂という︶言葉の野放しによって おそらく今までに何人もの子どもがその命を絶たれたことだ く と 考 えるのは、こちらの偏見 だ ろ う か 。. ⑳河盛好蔵﹁宇野浩二と象徴派﹂︵中公文庫﹃回想の本棚㌔一 九八二・一二所収︶. ●一〇貫﹁﹁文芸閑話休題﹄とか﹁文壇事始﹄などという成語. ず い ぶ ん初期の文章から愛用し て い る 。 ﹂ この文章を最初に儲んだ時、宇野浩二は﹁文芸閑話債鬼﹂ とヤっ大文字の青葉を愛用していたのか、と思った。しかし、. という青葉はrあだしごとはさておきしというルビを振って. という人は美術評論家で古陶磁学者なのだそうだ。﹁古来よ. れたコメント。﹁やまる﹂ではなくて﹁やむ﹂だろう。出川. 言葉が真の反省に基づいていないことを指摘した文青に付さ. とんどがこれ。﹂︵﹁世間を蘇がす﹂︶. ●六一貫﹁やま. そうではないらしい。二大貫には、﹁閑話休題。︵うまい言葉. り﹂とか、べし抜きのすべからくの使用など気になる部分は. は宇野︹浩二︺㌢んの創造によるもので、とくに▼r閑話休題L. 庵宇野さんは発明してくれたものである。︶﹂とあるからであ. 00の人だから﹂と題する一文など、なるほどとうなずかさ. れた。確かに﹁私って00がダメな人だから﹂などと言われ. あるが、言葉の感覚は鋭く、納得できる発言も多い。例えば﹁私. ﹁⋮⋮世間をお騒がせして大変申し訳ありません﹂という. る。閑話休題の層は周知のように、なにも宇野浩二の発明に なるものではない。﹃漠誇大詞典﹄ にはこの四字熟語は見え ないが、﹃大湊和﹄には﹁間静休愚﹂の項に、﹁さて。むだの. −59−.
(9) ●一〇大貫﹁小使い室の腰の曲がった老婆は、遠くから来た万. ⑳林真理子雇を読む女﹄︵新潮社、一九九〇・五︶. ると違和感を覚える。これについて出川氏は、﹁本来この言 なのに侠と侍だけが旧字体になっているのも理解しがたい。 い方が表すのはr彼﹄であって﹃私Lではない。⋮⋮ここに というわけで、古本屋で購入したものの、読書意欲が湧かな いまま放置してある。 出る﹃人Lは結局﹃私Lである。つまり私を二回言うから押. しっけがましいのだ。﹂と言う。そうだったのか。 ⑳﹁芥川賞・直木賞の贈呈式﹂︵毎日新聞夕刊、一九九九・二・. 二三付け︶ 亀になにくれと気を使ってくれる。﹂ ●﹁河野さん︵芥川賞選考委月の河野多恵子︶ の言葉を聞いて ﹁なにくれとなく﹂という形で用いられるものだとばかり ますます創作意欲が高ぶってきました。とんだハッタリ野郎 思っていたのでまごついた。しかし、手近の角川古語辞典を だったと思われないように頑張りたい﹂ 見ると、﹁なにくれ﹂には副詞として、﹁あれやこれや。なに 第一二〇回芥川賞を受賞した平野敬一郎の贈呈式でのあい ゃかや。﹂の意味が記載され、﹃源氏物語L若紫の﹁世に見え. けた際に購入したもの。これより以前、古書即売会?をした. さつの青葉。本当にこのように発言したのだろうか。見出し ぬさまの御くだもの、なにくれと、谷の底まで掘りいでて﹂ にも﹁創作意欲が高ぶってきました﹂とある。﹁高ぶる﹂は、 と﹁ い① う用例を引いている。とすると、﹁なにくれと﹂という 気分が高まる。いらいらする。②尊大な態度をとる。﹂︵﹃辞 言い方は古典的なのだろうか。余談にわたるがこの本、女房 林㌘︶の意。①のほうは﹁高まる﹂との区別がもう一つはっ 殿が、小林多喜二の真正のデスマスクの展示が終わるという きりしないが、∴高まる﹂のほケは、﹁物事の程度・度合が高 ことを新開で知ったのをきっかけに、急遽小額文学館へ出か くなる。一段と進む。強くなる。﹂︵﹃辞林21L︶とある。﹁高. ⑳藤水名子﹃あなたの胸で眠りたい−長安遊侠停﹂︵集英社 文庫、一九九大・二︶. てくる。一気に読了。林真理子︵彼女も書店の娘だそうだ︶. 帯の言葉。この﹁璃竣﹂に、﹁ようせん﹂とルビが振って の本はこれまで一冊も読んだことがなかった。反省。 あむ。本文も同様。壇の音読みはケイ。どこからセンなどと⑳﹁勘太郎の本がらみコラム②﹂︵﹁彷書月刊﹂一九九九・三︶ いう読みが出てきたのだろう。サブタイトルの、遊は新字体 ●﹁そのむかし、地方小出版流通センターの某高官が酔って、. ●﹁諷爽、可憐の女詐欺師・璃壇の恋の行く末。﹂. 訳ないような気がする。この本は蒐名に惹かれて買ったの だったが、大正から第二次大戦終了までの、万亀という女性 の半生をテンポよく描いていて秀逸。戦前の中国のことも出. まる﹂ではないのかなあ。﹁高ぶる﹂というと、興奮するの 時のものが、まだ残っていたらしい。河野多恵子の毛筆著名 意が強く感じられ、創作意欲が高ぶるという表現に違和感を 人り¶遠い夏﹄初版ともう一冊で、計千円とちょっと。申し 感じてしまうのはこちらの偏見だろうか。. ー60−.
(10) 育謀以樹石表之﹂. 青田兼任と某日本地名辞書ヒ︵紀. ●四〇頁﹁⋮⋮君嘗著書論刀水後終於其相愛有宿縁故旧門人及. 田順一郎感の職人たち﹄新潮社、一九八五・一一所収︶. ⑳﹁天才学者の一本勝負. うちが強いのは加入出版社から数万円の加入料を預かってい たに建物を建築したときに完成を祝い、賓客を集めて幸いあ れと先祖に祈る祭りのことなのだ。ここから転じて建物がで るからだと言っていた。︰ きあがる意となった。感語大詞典Lは、王安石﹁張侍郎示 いにしえ ていたが、⋮⋮﹂ 無署名の土ッセーの一節。﹁地方小出版流通センター﹂が 東府新居詩困而和酬二首﹂︵其の一︶の未聯、﹁古より落成 官営だとは知らなかった。そうでなければ、高官﹂とは言 には須く善く額すべし、未開を掃除して公の来るを望む﹂を わないだろうから。﹁自慢﹂くらいはちゃんと書いてくれ。 引用している。由緒正しい漢語なのだ。 ⑳首相の記者会見︵NHKラジオの中継。一九九九・三・一七、 午後七時半 こ ろ ︶. ●﹁︵昨年の金大中大統領との会談は︶於いて東京でありますが、 .::.﹂. 来年度予算成立後の記者会見で、明日訪韓することについ 銚子の清水琴平山に立っているという青田兼任の﹁終焉碑﹂ て語ったむの。﹁於東京﹂をそのままの語順で話してしまっ の末尾。これに、﹁君嘗て書を著し刀水を論じ、後に其のみ たのだ。生真面目さがそうさせたのだろうが、﹁於﹂は場所 ぎわに於て終る、ここに宿縁有り、故に旧門人および育と謀 を示す前置詞のようなものだから、これは﹁東京に於いて﹂ り樹石をもってこれを表す﹂という乾田氏の手になる書き下 と読むのです。首相は﹁自札幌至小棒﹂なども、﹁より札幌 し文がついている。﹁刀水﹂は利根川の雅称。細かい部分に は触れないが、まず﹁故に旧門人﹂というのは﹁故旧・門人﹂ 至る小棒﹂と読むのだろうか。 だろうね。また﹁育と某り﹂というのがわからない。﹁背﹂は ⑳星新二気まぐれ読書メモ二実業之日本社、一九八一・六︶ ﹁あい。ともに﹂﹁みな﹂の意味だが、引用に誤りがあるのか こちらの学力不足なのか、どうにも読めない。それよりも﹁樹 ●ニー九頁﹁本家の人が幼稚園を落成した⋮⋮。﹂. 鈴木俊平薯威船爆弾﹄︵新潮社︶の書評。﹁落成﹂は名詞. ヽ▼. LY. 又. 1二︶ 先祖を祭祀す。﹂という説明が見えている。つまり、一新. あ詩 てを にし て宮廟・群寝を、築き既に成りて之に翳り、斯干の 歌てはいけない。 00 学附 病院 ︵NHKテレビなどの字幕、一九九九・ らく て以て之を落す。此れを之 成室と請う⑳ 。﹁宗 廟大成 れ属ば 則﹂ち. か自動詞だから、﹁幼稚園を﹂というのはおかしい。この落 石をもって﹂は変だ。﹁樹石﹂は樹木と石材ではなく、﹁石を 樹て﹂と訓むべし。用例は、例えば曹貌の耶郡浮の 成という青葉、惑経﹄小雅・斯干の﹁斯干は、宣王 室を た に王 、﹁是 遂に に於 斯の石を樹て⋮⋮﹂などとある。紀田氏の文章も セニこ 考すなり。﹂という序に付された鄭玄の箋に、﹁宣. −61−.
(11) で民間にいるやまた、その人。﹂︵﹃新字源ヒの意であり、す. 臓器移植がマスコミを賑わした。その手術が行なわれた大 この﹁在野での﹂が気になる。在野は、﹁官職につかな 学病院の名称について、NHKテレビなどは﹁附属病院﹂と. 着なのか。発着は出発と到着︵着陸?︶なのだろうが、・離が. 飛行機が運休していることを伝えたもの。﹁離発着﹂とは しばしば耳にする言葉だが、離・発着なのか、それとも離. 表記している。付属でどうしていけないのか。﹁付﹂はいでわ に¶書経一大高浜にも見える古い言葉らしい。﹁在野﹂だ ゆる教育漢字で、﹁附﹂も常用漢字で腋あ告だから﹁附属 け﹂ で野に在る、民間にいるの意だから、場所を示す格助詞 と表記しても誤りとは言えない。しかし大学の﹁学﹂を﹁ ﹁畢 で﹂ ﹂は不要なのだ。平易を旨とするならば、﹁民間での とはしないのに、﹁肘﹂だけわざわざ画数の多い字を残し とて すればよい。 おくのは、何やら権威主義的であるように感じられてし ㊨ま ﹁う ニュース特急便﹂︵STVテレビ、一九九九・四・≡午後︶ のだ。わが大学でも、幼稚園、小・中・養護学校、図書●館 、田を離発着する飛行機﹂ ﹁羽 教育実践研究指導センターなど、すべて﹁附属﹂の施設であ 、のストライキ拡大で、羽田と千歳・福岡などを結ぶ Jり AS 近辺の道路標識まで﹁附属﹂となっているのだ。 ⑳ソウル国際女子駅伝︵北海道放送テレビ衛星中継、一九九九・ 四・⊥一午 後 ︶. ●﹁中国の超00選手﹂ わからない。単に﹁発着する﹂でどうしていけないのだろ この00には、扁が辛で寿が色という同じ漢字が入る。テ 離着陸ならば離陸と着陸のことだとわかるのだが。あるい ロップに出た、第二位で走っていた中国の第六走者の名前 こ。 れと混同︵混合?︶したか。 辛は豊と同じで、つまりこの字は﹁艶﹂の簡体字なのだ⑳。 青そ 木正美r古本屋控え帳︼︵東京堂出版、一九九二・五︶ れを知らないものだから、解説者もアナウンサーも﹁チ●ョ 八ウ 大貫﹁界隅の古本屋はみな顔馴染みだ。﹂ ハハ﹂と繰り返す。﹁チョウエンエン﹂なのに。確かに﹁ざ 把ぎ ﹂らわしいが、﹁界隈﹂だね。 という字に似ていないこともないが、確認もせずに平気●で 一誤 四二頁﹁私が読んだ戦後文学の戦争を扱った作品の中で、 りを言って恥じない神経がわからない。 ㊧﹁司法の改革﹂︵﹁憂楽帳﹂毎日新開、一九九九・四二一〇夕刊︶. ●﹁法曹資格を得た者はいったん弁護士となり、在野での経験 を積んだ後に裁判官に任官するという制度が虞曹一元Lで. ある。﹂. 脱帽あたわざる一篇と言えばこの作品をおいてなかったの だ。﹂ 大岡昇平痘火﹄について述べた一節。﹁脱帽あたわざる とはどういう意味か。日本語としてはせめて﹁脱帽するあ わざる⋮⋮﹂だろう。しかし、脱帽は、敬意を表す意だか. −62−.
(12) 遣い先輩である井上靖が身近に感じられたことだった。. 学、現沼津兼高。図書館に井上清書作コーナーがあった︶の. れは旭川でも伊豆で幼少年期を過ごし、母校︵当時は沼津中. 稿には、興奮の奪の字が草冠になっているのもあった。生ま. うに表記されていた。また、幼少年期の思い出をつづった原. ﹁敬意を表すことができない一篇﹂となって、まったく意連 味休を利用して家族で旭川の井上清文学館を訪ねた。前回 同る 僚と訪ねたときには時間が足りなかったのでゆっくり見よ 不明。無理して﹁あたわざる﹂などと言わずに、脱帽せざ うを と思ったのだ。自筆原稿、メモのたぐいが多いのがうれし を得ない、とでもすればよかったのだ。もしこういう言葉 。シルクロード踏査のおりのメモに、ジープ五台がこのよ 使いたかったら、﹁安井息軒をして、垂港措く能わざらしいめ たという⋮・︰﹂︵水沢利息﹁金沢をめぐる史記の先覚者た ち﹂︶ などと言わなくては。. ●一五七貫﹁お福は何くれと緑雨に興味を示し、⋮⋮﹂ への. 前にも書いた。これも古典的用法なのだろうか。 ●一入一貫﹁佐藤の二人の友︵安岡幸太郎と古山高麓雄︶. だったのかと違和感を覚えた。﹁史記L司馬相如列伝には、﹁一. なるが、はて司馬相如と卓文君が酒場を開いたのは実家の前. 陳し 舜臣﹃雨過天青︼︵集英社文庫、一九九九・三︶ 心情、対応は、少しもおもねずへり下らずの、その人柄⑳が ●六人頁﹁漠代の四川成都で、卓文君という資産家の娘で司馬 のばれる も の で 、 ⋮ ⋮ ﹂ 相如 ﹁おもねらず﹂だね。青木氏は古書店主として多くの著 書と駈けおちした女性が、実家の前でバーを開いて父親を あ時 わて を出している。明らかな誤植には一々触れないにしても、 々させている。﹂ 意味不明な言い回しに出くわす。貴重な逸静が盛り沢山の一﹁十八世紀 居酒屋、茶館、旅籠﹂というエッセーの一節。 司馬相如に、﹁しばそうじょ﹂とルビを撮ってあるのも気に 冊だけに、次々とのどに小骨がひつかかる気分。. ⑳銘菓本舗TK堂の貼り紙︵北区篠路、一九九九・五・九︶ ●﹁上生菓子 各 趣 ﹂. 身自ら憤鼻拝を書けて、保庸と雑作し、静を市中に準っ。卓. ▲7. 如は 家族がシュークリームやだんごなどを買っているのを待酒 っ舎を貫いて酒を酷り、文君をして鐘に当たらしめ、あ相ら ている間に気づいた9普通は各種だろうに、和菓子だけあっ. が﹁硯﹂の誤りかどちらかだろう。. 王に 孫開 て之を恥じ、為に門を杜ざして出でず。︶とあって、 て、﹁各趣﹂と酒落たものかと少々感動したのだが、ほか ﹁き大 特使﹂﹁田舎万十﹂などの貼り紙もあったから、単なる誤﹁ 字市中﹂とはあるが、父親の家の前でなどとは見えていない。 ﹁漢書Lの記述もほぼ同様。七二頁﹁得碩亭﹂に、﹁とくけ か当て 字 か も し れ な い 。 んてい﹂とルビがあるのは、﹁とくせきてい﹂とするか、﹁碩﹂ ⑳井上靖 文 学 館 に て ●﹁ジープ五 代 ﹂. −63−.
(13) ⑳﹁連続して聞かされた言葉﹂︵市内某書店で、一九九九・五︶ ●﹁00円からお預かりします。﹂. たがそのままだ。研究費の金額だけを比較すれば本学とT大. 学の差はわずか?かもしれないが、基本図書や学術雑誌など. だ。また、研究費では購入できず、しかも随屋に備えておく. レジで代金を支払うときに言われる、この﹁から﹂は何な を図書館経費で購入しているT大学との差は目も眩むほど のだろう。T書店では消費税を含めて釣りの出ない金額を. れているが、勤務する大学の違いによって、同じ国立でも可. 払ったのに、高校生らしき男子アルバイトがこのように言う。 べき書物は当然自腹で賄うことになる。研究に必要な蓄財は 定額預金などで端数はダメだから、﹁﹂万円からお預かりし 女房殿が嫌な顔をせずにボーナスごとに家計から支出してく ます。﹂というのなら理解できる。B書店では釣りを必要と. したのだが、台詞は同じ。﹁預かる﹂というのは、いったん 処分所得には相当の差が出ていることになる。法人化・民営. ︵其の三︶. 旭川の古書店ブックビックボックスの﹁在庫日録﹂︵九九・. ※蛇足. るのだが。. 預かってその中から代金を差し引き、釣りは返すということ 化とでもなったら、この格差はさらに拡大するだろう。各種 審議会の答申は、大学数貞の能力向上をしきりにうたってい なのだろうか。それにしても面倒くさい ︵変に省略した?︶. 言い回しがあったものだ。 ※蛇足 ︵其の一︶. 要な文献︵最近の例では﹃全唐文補遺﹄﹃隋唐五代墓誌嚢編﹄. 目録に収録されているのを見たのは初めての体験なので、ド. 千円、税別。九人・一〇、研文出版刊︶が載っていた。古書. ここ数年、どうしても必要だが全体のごく一部分だけが必 一こを見たところ、拙著﹃中国中世の哀傷文学﹄ ︵定価七 など︶については、道外のT大学大学院に在学している教え. か、その後だれも購入せずに店晒しになるのやはないかなど. 子に頼むことにしている。するとたいていの場合、コピーし キドキしてしまった。ちなみに古書価は五千八百円でほぼ二 て送りましたと、うれしい連絡がある。日常的に必要な辞書・ 割引き。千円均一などという値付けがされていないのは良 叢書類は学生諸君の為にも備えておきたいのだが、四十万円 かった?のだが、どなたがどこで入手されて処分なさったの ほどの研究費︵この中から﹁中国古代・近代文学研究﹂や﹁中. 国関係論説資料﹂などの定期刊行物だけではなく、講義に必 と考え始めて、複雑な感慨に浸ってしまった。 要な配布資料のコピー代や消耗品費なども賄う︶では、十万. 円を越える書物や叢書類はどう逆立ちしても購入できない。 学生諸君が頻用する﹃大湊和辞典﹄も、ボロボロになってき. −64−.
(14)
関連したドキュメント
二月は,ことのほか雪の日が続いた。そ んなある週末,職員十数人とスキーに行く
従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ
ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を
うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、
今回の授業ではグループワークを個々人が内面化
わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから
ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配
このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた