• 検索結果がありません。

近世農村における用水,治水に関する諸問題

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "近世農村における用水,治水に関する諸問題"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 近世農村における用水,治水に関する諸問題. Author(s). 石沢, 澈. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 8(1): 62-77. Issue Date. 1957-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3627. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第8巻 第1号. 昭和32年8月. 近世農村にお ける用水◎治水に関する諸問題 -- 資料の紹介 と解説を主眼として -- 沢. 石. 撤. 旭川分校史学研究室. iver improvement al ld Toru lsH1zAWA : Problems on r ion i irr igat n an agricultural districtfrom 1633to 1863 . ials一-- ----ln view of introducing and expounding the Ddater. 目 序論 近世農村 における用水・治水問題 の重要性について 一、 用水路築造・改修に伴う争論 二、 用水利用配分に関する争論. 次 三、 治水工事としての川除の事 四、 新田開発に伴う用水・荒場に関ずる 諸問題 び 五、 結. 、て 序論 近世農村における用水・治水問題の重要性につし 近世に於ける農村の経営に当って、 治水並に濯綴用水の重要なことは、 今更纏述する必要はない と思う。 然もこの事は、 過去における問題であるのみでなく、 今日にもつながる問題である。 近世 ・究は、 次第にその成果をあげつ あるが、 こふで取扱わんとす 農村における治水 ,用水に関する研 るのは、 全国的、 概観的な問題としてではなく、 最も代表的と云ってもよい平凡な貧農村の資料と 調査を基礎にして、 治水・用水に関する具体的な問題 が、 どのように起っているか、 それが大きな 歴史の流れからみれば微細な事 のように思われる が、 当時の農民にとっては生死を握る問題であり 今日でも農村にとってはきわめて重要な事柄であるからである。 然も、 この具体的な問題を究明し て ゆく に 伴って、 近世封建制度の下に於ける農村が、 この問題からも行詰らざるを得なかったと云. う事、 ひいては、 封建制度そのものが行詰らざるを得なかったと云う事を具体的に理解する事が出 来る。 根本資料としては、 江州甲賀郡旧市 原村の資料をもって、 問題点を明らかにしてゆこうと思 う。 尚、 出来るだけ多くの資料を紹介したいのであるが、 紙数に都合があるので、 一部分のみの紹 介 に と どめ ざる を 得 な い。. 一、 用水路築造・改修に伴う争論 市原村は、 主な五つの用水 池を作り、 田畑の用水としていた。 中垣外池は寛保年間につくられた が、 現在は道路のために狭められ、 少しの溜池として残されている。 後垣外 池は、 延享年間に作成 され、 現在も森の下 田附近にある。 向島池は、 宝暦年間につくられ、 現在ひょうたん池と云って大 きな一つの池となってある。 鰯口池は、 明和年間につくられ、 旧杉谷村から流れてくる洩れ水を貯 :代につくられている。 える池である。 これらの主な貯水池は、 江戸崎 - 62 -.

(3) . 近世農村における用水・治水に関する諸問題 用水 と して は、 こ れ ら の 溜 池 の水 の み で は な く む しろ主 と し て 野 州 川 の支 流 で あ る 柚 川 か ら 、 、. 長い用水路をつくって、 他村領内を通過して引用され、 或は、 他村領内の山麓から流れてくる谷水 を、 同じく長い用水路をつくって用水としている。 それらの用水が 水源地或は水の取入口を他村 、 領内にもつが故に、 叉は、 他村領内を通過せ しめねばならぬ所に 他村との間に色々の問題が提起 、 されてくるの である。 今日のようには 巨大なダムを築造する技術の進歩していなかった 且つ 、 、 、 水源地に近い他領内の田畑・山林地をつぶして巨大なダムを造り得ない複雑な封建制度下の当時に あっては、 たゞ谷川 や柚i Hに、 小規模な井手を設けて堰と し、 ある程度の水量を確保する必要があ つ た。. 寛永十年七月二日付の 「乍恐言上仕候」 なる資料をみれば 市原村が昔から杉谷領内で他村と立 、 会でつくっている井手がある。 市原に云わしむれば 杉谷の村山から杭 数柴をとって井手と して 、 、 きた。 杉谷山から杭、 敷柴をとる代償として 毎年三月に ″ 、 、 こごり酒を三斗と肴を二種、 市原から 持参して杉谷村庄屋に渡していた。 然るに、 杉谷村は この旧例を無視 し 今となって 杉谷の村 、 、 、 山から杭、 敷柴を伐らさないと申すので 井手は作れず 甚だ困るから 従来の仕来りのよ 鋤こ 、 、 、 、 させ ても ら いた い と訴訟 して い る。. 資料一、 寛永拾年七月二日、 乍恐言上仕候 一・ 江州甲賀郡杉谷村市原村立合往古よ り立テ来り申井水 御座候. 然ルニ此井手杉谷村領内二而御 座候二付、 而くい敷柴杉谷村山 二而 従先規入次第二切立テ来り申候儀実正歴然ニ御座候 然所二 当年初而 杉谷村よ り新儀二くい敷柴きらせ申間敷候旨申候 市原村よりくい柴持参り立かへ申候 とも井手立させ申間数と被申懸候 左様ニ候へノ ・市原村たいてん仕迷惑仕候 往古より在来り候こ とく被仰付被下候ノ ・>恭可奉存候 右ノ井手立テ申時、 木柴杉谷山二而取中故 毎年三月ニにこ り 、 酒三斗者二種市原村より持参仕杉谷庄屋へ相渡し申候 か様之鱗も従先規唯今二至テ無拠怠仕参り. 候御事 右之趣被聞 召如前々被仰′ 付被下候は 恭可奉存候 江州甲賀郡市原村 百姓中 寛発 く拾年西七月二日 進上 御 奉 行 様 また寛保元 年フ 月付の 「乍恐以口上書ヲ奉願候」 なる資料をみると 市原村は 杉谷村がその領 、 、 内 (杉谷村領内) で、 新規の横堰をしたために、 市原の用水の妨げとなると訴訟 している例もみら れる。 杉谷村が新田開発し、 その新田に水を入れるために、 新堰を設けた そのために市原村は 。 、 用水不足となり困ってきたのである。 市原村の云い分によると 杉谷が新田開発するについて 市 、 、 原は反対して訴 訟したのであったが、 その際に 新田のために新堰は作らせないと云う申入れがあ 、 ったので、 訴訟を引きさげたのであった、 と云う。 然るに 杉谷村のそれに対する云い分は この 、 、 新堰を作ったからと云って、 市原村が少しも文句を云う筋合はない 市原村がそのため困ると云っ 。 ている田地は、 元来、 杉谷村用水路からの貰水をしていた田地であるのだから 新堰しても差支え 、 ないではないかと云う考である。 奉行所の裁決では 分水して 市原にも水を与えるようにせよ 、 、 、 その堰は砂関とせよと云うのである。 砂関ならば、 自由に分水することが出来るからである 市原 。 村の上流に当る杉谷村の新田開発計画に対して反対 した訴訟女で 今残されている最も古いものは 、 元禄八年四月六日付 のものがある。 資料二、 元禄八年四月 乍恐御訴訟口上書. 指上ヶ申候. 江州甲賀郡 平岡四郎左衛門御下 - 63 -.

(4) . 石. 徹. 沢. 市原村惣百姓 ・杉谷村 一、 殿様御下杉谷村領之内ニ新田起 シを順之御訴訟人御座候由間召申候、 市原村用水と申ノ ・字前野湯と申未水二 山川ヲ取り申候、 往古より此川筋二用水数拾ケ所御座候、 其内市原村之用水′ ・市原村田地 、少シ之日早ニも日損 致し迷惑仕候所ニ此川上ニ大分之新田ヲ被起候而ノ 雨御座候得ノ 弥々不作可仕と迷惑奉存御事、 右杉谷村山川御覧被為成候通. 総成細谷川を杉谷村高千三百石余 倉治村高四百石余 市原村高 ・末水ニ而御座候得は 少し之 弐百石余都合弐千石斗之所へ用水段々取り申候 飯分ヶ市原村之儀ノ 日早二も日損仕迷惑千万二奉存 候、 乍恐御慈悲と思召 市原村田地も不作不仕候様二被為成可被下 候ノ ・・難有奉存候 以上. 江州甲賀郡市原村. 元禄八年. 庄屋. 与右ヱ門. 同村 年寄. 久 太 夫. 同. 孫 兵 ヱ. 亥ノ四月六日. 鈴木八右ヱ門様 (註、 これが訴訟を引下げたと市原 が云っているものであろうか。) 資料三、 寛保元年六月 日 乍恐以口上書ヲ奉 願候 ・先年より杉谷村領内より取来り申候 当年新規に字ひの下と申溝口三 一、 江州甲賀郡市原村用水ノ 拾間余さげ被申其下ニ字竹之かひと被申処二溝口三拾間余さがり右二ヶ所新規ニ横ぜき無法之工被 致 市原村之用水妨迷惑ニ奉存候御事、 ‐返事 一、 右之趣 先月二杉谷村庄屋迄相断申候ヘノ\ 手前ニ者不存候ヘハ作主之もの共呼よせ相尋 可申由被申処ニ候御事、 乍主 之もの共申候者 早滝新き 一、 当月二日ニ杉谷村庄屋殿へ参如何被成下候やと相尋申候得者、f 二水口さ げ申候而も市原村之加まひ成申筋も在 之間敷候なとと申様被申事も億心不致候と御申被成 候処. 無是悲罷帰り申候処ニ直ニ其日右二ヶ所へ大石ヲ打込. 石之下二雁ん柱ヲ打市原村用水妨被. 致候時分柄之用水迷惑仕候事、 ・申其上返事可致由御申被成候故 一、 当月十三日ニ御会所様迄 御願申上候得者 杉谷村 ヲ呼寄相扇 二参申候得者 杉谷 会所迄御ぅかかひ 罷帰り候、 御返 じ相尋申候得共 無其儀之処 叉々五日二御 村昨日参申相尋候所 口上ニテハ前後捉り不申候二付 書附以罷出申様二被申付候、 其上市原村へ 返当可申由御申上候御事、 ・先年より杉谷村から販 来り申候処ニ貞享四年卯之年ニ番水なとと被申候処 御 一、 市原村之用水ノ 代官金丸叉右ヱ門様へ御訴訟中上候 就夫御手代衆 鈴 く宇右ヱ門殿六部市右ヱ門殿野本九兵ヱ殿 被為仰付之趣 市原村口上書 之通り段々先現之通二申渡候 杉谷村庄屋平右ヱ門がてん致し候間 左様二心得候処ニ旦那にも御了簡被遊候処 市原村口上書此方へ留メ置申し 若重而杉谷村相違仕 - 猿在之候ヘノ\ 此方へ可参こと御意被遊候 夫より五拾五年此かた平ニ何とも申分無御座候所二 候惇 此度新規に我侭ヲたく み被致候而迷惑二存候御事、 ・市原村用水之さわりと成可申かと存候 、 三拾四年以前杉谷村奥山ニ新田開発頭人在之由承申若ノ 而、 鳥居播磨守様江御願申上候得者 四十町余者奥谷川水少二ても先規之かくを違、 新ぜき致させ 申間敷候と之御書市原村之地頭 松平内記様江被為遣候ヲ村方へ下シ被置候、 所持仕罷有候御事、 一、 加藤和泉守様御代ニ罷成候而新田開発被遊 候節 - 64 ‐-. 市原村用水 之さわりニも成可申やと存候処御.

(5) . 近世農村における用水・治水に関する諸問題. 願申上候得ノ まり候而新田ノ ・さぅそく致させ候得者、 少ニ而も本田之 ・谷川之水少もかまわす溜池ヲを さわりニハなし申間 敷く候由 其節 之御役人 山上肋右ヱ門殿鵡川金兵ヱ殿右御両人様寄御書被遣 ・不及候得共右用水之儀ノ 村方二所持仕候、 是ノ ・申上候ニノ ・上々様二も別而御大切二被思召候処新規 成事ノ ・山奥二てさへも致させ申間敷候と御申附被成候、 一、 右申上候通り少も偽り不申上候 御大切之用水二御座候間 御吟 味之上新規ニ被入候大石ヲ販 出し注口先規之通ニ相違無之様二被為仰付被下候ノ ・・ 難在可奉存候、 寛保元年六月 日 市原村 庄屋. 与 兵 ヱ. 年寄. 谷 兵 ヱ. 年寄 甚右ヱ門 御. 奉. 行. 様. 市原村が川上の杉谷村を訴訟したのと丁度反対に、 市原村が川下の柚中村から訴訟されている事 件もある。 柚中村の字馬場先と云う所は、 市原村領から柚川の水をとってきたのであるが、 この田 地の用水 溝には横堰をしないきめになっている。 然るに市原村では勝手に田地をひきあげ、 それに 伴って、 柚中の用水の妨げとなる高堰をしたので、 水は込み返し、 井手は 度々破損するようになり ズならぬ。 そ 難儀している。 この用水の井堰は柚川井堰と云って、 川幅五十間余の所を芝で固めねる r の芝土は、 古来から、 市原村領の荒場にあった芝土をとって、 それにあてていたのに、市原村では、 その芝土取場を新開せらるる計画である。 それでは井堰の芝土版場がなくなるので困るから、 市原 が計画している新規の開発計画を差止めてくれるようにと云う訴訟である。 市原村が伊賀街道の南 北三百間余の古道を潰 して、 北寄の方へ仙川に沿うて新道をつけ、 古道の所へ、 南寄に あった古土 手を引付けた。 そして古道の所から南方へ一面に、 古田っ ゞきに芝土版場を新聞せんと普請中であ る。 かくては、 柚中村は古来よりの井堰の芝土飯場がなくなり困るから、 新規の計画は差止めてく れるようと云う訴訟である。 市原村の新開は、 同時に柚中村用水を市原村の新開に横どりされるこ とになるので、 その意味に於ても、 その計画は差止めてもらいたいと云うにある。 これらの訴訟女 をみると、 当時一般に、 井堰のための芝士賑場は、 他村領内であっても、 井堰の近くの荒場からと ると云う習慣になっていたようである。 柚中村のこの訴訟に対する市原村の云い分は、 袖川端に新 開地をしかけ柚中の用 水の妨げとなると云われるが、 市原村の田地に水 が入ってくるので、 堰をし て水の入らぬようにせねばならぬのは当然のことではないか。 然も、 その場所は、 当村の領分であ るから、 水除土手をしたからと云って、 とやかく文句をつけらるべき筋合ではない。 水除土手普請 の妨げとなるような事は云わないように申付けてほしいと申述べている。 この市原・柚中の争論は 寛永元年九月 に、 仲介者 (挨拶人) をたてて雨村の話合は治ったのである。 即ち、 五ヶ村の庄屋の 話合により、 荒所芝土飯場の内、 五反歩は新開起しとし、 壱反歩は柚中村芝土坂場に差除き、 其の 外は田地となさず、 畑地とするのは勝手次第ときめたのであった。 新開水田を五反歩までみとめ、 柚中のために芝土飯場を残し, 他は畑にしてよいと云うことで、 新開水田による用水が、 袖中の用 水の妨げとならぬようにと云う事を考慮した仲裁である。 ま た用水路をつくるのには、 水理の都合上、 どうしても、 他人の家敷の中を通さねばならぬこと も起ってくる。 寛政元年六月付、 市原村庄屋・年寄・惣代の名で、 杉谷村の寺井善兵ヱに、 前野井 溝井手の水道が悪く、 両度の早紘に難議したので、 貴殿の家敷の中、 長サ十三間余の所を井溝に し たい。 溝の外は、 垣通り、 家散の内は、 貴殿の支配に相違ない。 万一差支えの出来た場合は、 何時 でも、 元の溝筋にする と云う一札を与えている。 資料四、 延享三年五月.

(6) . 石. 沢. 徹. 此度市原村袖川端ニ少々新開発仕懸ヶ被申候処、4 山中村より用水 之障り二罷成候由ニ而争論二及 候処、 両御地頭様より双方相知之庄屋共江拶拶致済ニ仕候様ニ被仰付候 付、 私共罷出左之趣坂は なし仕候、 一、 柚中村之用水字馬場先井とE ロハ往古より市原村領ニ而仙川より水坂来候 右用水ニ而市原村領 之内儀下之 田地壱町余古来より水懸り申候処 字善太夫田域越下弐 ヶ所之田地市原村より地上ヶ仕 井溝高堰被致候二付、 柚中村井水下り通難儀仕候由 柚中村より被申候 私共見立候処・ 新規二地 上ヶ致候様子ニ茂相見江不申候、 市原村より被申候ノ ・右用水古来より袖中村市原村両村之用水之由 被申候得共、 様子承届ヶ候処、 市原村より井堀人足壱人井堰ノため壱色ニ而も出し被申候事無之由 毎年井堰版立候儀ノ ・袖中村壱ヶ村として版立候由、 然ノ ・井水ノ元ノ蒲”中村より相聞江候、 然共市原 村領より井水通り候ニ付市原村之壱町余之古田江茂水入来り候と相見江候得メム 此儀は在来通り可 被致候、 山中村より被申立候ノ\ 袖中之井堰版立ノ 一、 ヰ ・市原村荒場之芝ヲ版井堰ニ致候由被申候 市原村よ ・井堰之芝飯場と申場所ノ ・少茂無之候由被申候 右井堰之義ハオ 山中村より杭木俵之儀ノ り被申候ノ ・持 合間二古道より西方横拾弐 問凡 参致井堰可被致候、 尤洩水留メ候儀ノ ・市原村芝場之内 南北長サ四才 壱反六畝之処、 私共了簡 之付芝飯場ニ極メ置候間 井芝ヲ版可被申候。 市原村荒場自分畑等ニ発シ被致候共、 右間数之分ノ ・除ヶ置可被申候。 市原村壱町余之古田少々之開 ・可被遣候、 発江茂右用水懸り候上ノ\ 芝出之儀ノ -「 市 =中村より被中候ノ ・古田亡所致候由被申候 市原村より被 ・市原村ニ彩敷新規之開発被致候而ノ 申候ノ ・柚中村ニハ大分之新開発致市原村二少々之開発被差留メ候段不届之由被申候 私共見立候処 柚中村にも島之起返り合 渠等少々之発シハ相見え候得共. 格別之新田も見え不申候 此度市原村二. 弐拾反余之新開発被致懸ヶ候様二柚中村より被申立候得共. 私共見立候処. 櫛々四五反斗ノ ・新田も. 中々弐拾反も田地二可成場所ノ ・無御座候、 畑発シハ少々可成所も在之候、 ・少相違御座候、 依 争諭二及候二付、 双方より過分之中立二候得共見分致候処 両村訴訟之書付とノ 均 ・私共 之此度市原村芝場ノ内 古道通り南北長サ百聞横古道より西之方江拾五間 シ凡五反歩之所ノ 可成場所相見え候得共. 地申候 了簡之ふれを以 新開発致右馬場井之水用被申候様二~. 然共渇水ニ及候節ノ ・両村共ニ古田江. ハ水入新開発ハ差留メ水潤沢之節ハ両村共ニ新開発江も無差別水入可被申候、 市原村此度新開発之 儀ハ反畝歩相極〆置候得共 右之外二田地壱畝壱歩ニ而も我侭ニ発シ被申間敷候、 一、 右之通私共挨拶ニ入順路と存了簡仕候間、 双方共二右之趣得心被致申分桐済候様ニ可被成候、 ・此書附之通 然ル上ノ 相渡置申候. 自今相用双方平ニ出入ヶ間数儀無之様二可被致候 為後日 双方江一紙之書付. 梶而女 ロ件、 挨拶人 氏川原村庄屋 新右ヱ門 同. 三大寺村庄屋 利左ヱ門. 同. - 66 -. 印. 寺庄村年寄 藤右ヱ門. 延享三丙寅年五月. 印. 深川村庄屋 新 太 郎. 同. 印. 杉谷村庄屋 宇 平 太. 同. 印. 印.

(7) . 近世農村における用水・治水に関する諸問題. 市原村 庄屋 年寄 惣百姓. 中. 資料五、 寛延元年九月 此度市原村柚川端二少々新開発仕掛ヶ被申候処 柚中村より用水之障り二罷成候由争論二おょひ 候処両御地頭様より双方相知之庄屋共江挨拶いたし下済二仕候様被仰付候二付私共罷出左之趣版地 仕候、 一、 柚中村用水字馬場 先井と申ノ ・往古より市原村領にて相川iより水取来候. 右用水ニ而市原村領溝. 下之田地弐町程古来より水とり申候処字善太夫田城越下弐ヶ所之田地市原村より地上ヶ仕井溝高堰 被致候二付 和 !中村井水下り兼難鍍仕候由 柚中村より被申候. 私共見候処新規二地上ヶいたし候. 様に相見へ不申候 市原村より被申候ノ ・右用水者古来より袖中市原両村之用水之由被申候得共様子 承属ヶ候処 市原村より井堀人足壱人井堰之道具壱色ニ而も出し被申候事無之由毎年井堰飯立候儀 ▲ ハ柚中村一ヶ村として取立候由 然者井水元ハ柚中村と相聞へ候、 尤市原村領より井水通り候二村 弐町程之古田へも水入来候と相見へ候得者此儀ハ在来候通ニ可被致候、 一、 柚中村より被申立候ノ ・仙川之井堰坂立候ノ ・市原村荒場之芝を飯井堰二いたし候由被申候 市原 ・少も無御座候由被申候、 右井堰之惇や・柚中村より杭木・俵之 村より被中候ノ ・井堰芝飯場と申場所ノ 儀ノ ・持参いたし井堰可被致候. ・市原村荒場之内古道よ り南西之方二而壱反歩之所 尤洩水留メ候義ノ. 私共了簡を以 芝版場ニ相極メ置候間、 井芝版可被申候条 市原村荒場自今畑 起ニ被致候共 右壱 ・除置可被申候、 市原村弐町程之古田此度了簡を相極候 五反歩之新開も右用水とり候上 反歩之所ノ ・市原村領ニ而可被遣候、 右壱反歩之場所井芝之障りニ相成不申候様ニ芝場ニ弐三間ニ ・芝土之儀ノ ノ ・此度残置下はヘハ市原村江伐坂後にも下はへ不致井芝相続いたし候様、 可 披 成 松木壱本之立木ノ 候、 尤立木目通り壱尺廻り二相成候ハ ・市原村より其時二伐取り替り木苗植可被申候、 若伐坂不被 申候者 其節柚中村より市原村江相届ヶ其上二も捨置被申候者 柚中村より伐阪可被申候、 一、 柚中村より被申候者市原村二膨数新規之開発被致候而ノ ・古田亡所二いたし候由被申候 市原村 より被申候ハ袖中村ニハ大分之新開発いた し市原村二少々之開発被差留メ候段不届之由 二被申候 私共見立候様 柚中村二も畑起返 り合墜等少々之発シハ相見得候得共 格別之新田も相見へ不申此 度市原村二弐拾反余之新開発いたし被遂候様. 私共見立候様漸々四五反. 柚中村より被申立候得共. ・新田二も可成場所相見江候得共、 中々弐拾反も田地二可成場所ノ ・無御座候、 畑発ノ 斗ノ ・可成所も有 、少し 之候 争論 二およひ候 二付、 双方より過分之申立二候得共 見改申候様 両村訴訟之書付とノ 相違御座候 依之此度市原村芝荒場之内右道通り南北長サ百間 横古道より両方へ拾五間 平均凡五 反歩之所ハ私共了簡を付遣し、 新開発ニいたし 右馬場井之水用ひ板申候様二閥申候 然者及渇水 候節ハ両村共ニ古田へ水入新開発ハ差留メ水潤沢之節′ ・両村共新開発へも無差別水入可被申候、 市 ・反畝歩相極メ置候得者、 右之タ 原村此度新開発之儀ノ トニ田地壱畝壱歩も我侭ニ発シ被申間敷候、 ・ 右之通私共挨拶二入順路と存了簡仕候間 双方右之趣得心被致申分相済候様ニ可被成候 然上ノ 此書付之通、 自今相用ひ双方平二出入ヶ間敷儀無之様二可被致候、 為後日双方江一紙之版為替証文 傷而如件、 右者私共両村争論仕候処 双方相知之庄屋中板脚被申書面之通雨村百姓末々迄承知いたし毛頭申 分無 御座候、 依之双方一紙書判済証女奉差上候 以上. 寛延元年辰九月 江州甲賀郡 柚中村庄や - 67 -. 文. 吉. 印.

(8) . 石. 撤. 沢. 年寄. 弥 次 兵ヱ. 印. 井子惣代. 久右ヱ門. 印. 市原 村庄や. 鱗 兵 ヱ. 印. 同. 忠 兵 ヱ. 印. 十 次 郎. 印. 同. 年寄. 同. 氏川原村庄屋. 挨拶人. 新左ヱ門. 印. 三大寺村庄や 利左ヱ門. 印. 杉谷村庄や 宇 平 大. 印. 深川村庄や 新 太 郎. 印. 寺庄村年寄 藤右ヱ門 御奉行. 印. 様. 右之通争論 二およひ候処、 坂地ニ而双方和睦いたし相済候二付京都御役所様江 召候趣 相済申候、 然上ノ ・後代迄双方平ニ申分為無之販かわせ証文例如件. 添状差上. 寛延元年辰九月 袖中村庄や. 文. 吉. 印. 同村. 年寄. 弥次兵ヱ. 印. 同村. 井子惣代 久左ヱ門. 印. 挨拶人 氏川原村庄や 新左ヱ門. 印. 三大寺庄や 理左ヱ門. 印. 杉谷村庄や 宇 平 太. 印. 深川村庄や 新 太 郎. 印. 寺庄村年寄 藤右ヱ門 市. 原. 印. 村 庄屋. 鏡兵ヱ. 殿. 年寄. 忠 兵ヱ. 殿. 同. 十次 郎. 殿. 資料六、 寛政元年六月. 一札之事 一、 前野井溝井出に水道悪数候而 両度早魁之節及難儀二候二付、 此度貴殿家敷之内長サ拾三間余 之所 井溝二仕度旨頼入申候処 田地用水之儀故無拠御承知被下恭奉存候、 尤溝之外は垣通り家敷 - 68 -.

(9) . 近世農村 における用水・治水 に関する諸問題. 之内は貴殿 御支配ニ相違無御座候 万一差支等出来候ノ ・・、 何時ニ而も本之溝筋二可仕候、 此溝筋 拾三間余之処を貴殿御差図次第溝堀可仕候 後日何様之鱗御座候共 違乱申懸ヶ間敷候 為後 証燭 、 、. 而如件. 江州甲賀都市原村 庄や. 年寄 惣代. 藤次郎 喜太郎 治 兵 ヱ. 寛政元年 酉 六月 日. 杉谷村 寺井嘉兵ヱ 殿 井手をつくるには、 自領内での井手の敷柴の刈場も必要である 元禄十一年六月五日付の資料に 。 よれ{ r蓋 市原村内の落合井手は、 字吸付川端の草叢を惣村の分の荒場として 井手の敷柴の刈場と 、 していたのであるに、 肋右ヱ門、 彦兵ヱらの先祖が勝手にこれを自己のものにとり込めたので問題 となった。 その際は井手敷柴は刈らせると云ったので 彼らの支配に委せてをいたのに 肋右ヱ門 、 、 と彦兵ヱらは例年の如く敷柴をからせないと云うので 井手が出来ず 田地水損となり 困るから 、 、 、 両人を役所へ呼出され、 敷柴をとらせるように申ふくめてもらいたいと庄屋,年寄から訴訟 してい る。 井手に要する芝場の重要性とその利用権が争論の的となっているのである0 資料七、 元禄十一年六月五日 乍恐御訴訟口上書. 御下 甲賀郡市原村惣百姓共 相手 同村助右ヱ門彦兵ヱと申仁 一、 市原村領之内字吸付川端草薮と申ノ ・古 へ惣村分之荒場二而御座候内吸付と申古より用水之落合 井手と申井手、 敷柴かり場ニ而御座候処を右肋右ヱ門・彦兵ヱ先祖二右之場所を我侭ニ販込支配被 致候二付 村より留メ申候得共 幾年過し共井手敷柴之鱗ノ ・刈せ可申と被 申候二付、 貝仏 道迄支配 ニ為致往右より井手敷柴かり来り申候御事、 一、 然処毎年之通 井手立仕候得ノ ・敷柴を押留メ井手立させ不被 申候二付 右井手用水 掛り之田地 、 日損仕候、 か様二先例を脊新方二我侭を被致候得ノ ・何共何共迷惑千万 二奉存候御事 、 右之通毛頭偽り不申上 ヶ候御慈悲ヲ以 先例之通 ニ井手敷柴を苅井手立仕田地日損不仕候様ニ右 肋右ヱ門・彦兵ヱを被為 召寄被為分聞 召御了簡之上被為仰付可被下候ハ・難有可奉存候 以上 市原村 庄屋 与 兵 ヱ. 年寄. 久右ヱ門 安左ヱ門. 惣百姓 元禄拾一年 寅 六月 五 日. 御役人 中. 様. 二、 用水利用配分に関する争論 用水路をもって谷川の水を引用 し、 或は川に井堰を設けて村内ま で用水を引く際に 殊にその用 、 水版入口を他村領内にもっときは、 用水の分配について争論が起される 然も渇水期となり 早魅 。 、 の時には、 用水配分は農民にとっては死活の問題となり その配分の争論も一層激化されてくる 、 。 - 69 -.

(10) . 石. 沢. 激. の配分に関 その問題は今日でも みられることである。 そのために、 村では二・三百年以来のこれら のであ する村々の取り極メ書類を保存して争論に なると、 それが有力な資料証拠として用いられる る。. 市原の 寛氷十六年七月の 「乍恐言上仕候」 なる資料は、 杉谷村が杉谷・市原両村立会の井水を、 杉谷へその ので 、 方へ水の通らぬように、 水をせきとめたので、 かくては市原の田地は不作となる 前例のよう ある それでは困るから と云うので 。 旨を申出たところが、 一切、 市原へは水はやらない と に水を通 すように仰付けられたいと、 水口城代小堀遠江守に申出ている。 同様の問題は、 市原村 柚中村との間にも起っている。 慶安五年七月の 「乍恐言上」 なる資料では、 市原村に上下二つの井 手があるが、 柚中村はその井手にかかる水を堀りとめ、 市原村の 五町余の水田に水のかからぬよう にしたために、 五町余の田地が不作となる。 それでは困る ので、 先例のようにするよう仰付けられ たいと、 水口城代山口但馬守に訴訟 しているのである。 貞享四年七月の 「乍恐言上」 の資料↓ま、 杉谷村領字前野の井 堰にかかる用水配分の問題である。 である (即 市原村が井堰を設け、 用水を引用 しよ うとしたのを、 杉谷村はそれを妨げ、 これは番水 ち、 水番によって、 水を割当てて使用せ しめる所であると云う意 味である) と主張して、 市原村を 困らせる ので、 先例のように、 市原村へ井堰をもって、 流用することが出来るようにしてもらいた いと訴訟している。 この訴訟では市原村の方が正しかったのか、 勝訴している。 が 寛保元年六月の 「乍恐以口上書ヲ奉願候」 の資料は、 市原村と杉谷村との争論で、 杉谷村 字ひ 杉谷村の の下と字竹のかひと云う所の二ヶ所に新規の横堰をつく り、 市原村の用水の妨となつた。 であるから 、 市原 村 云うには、 横堰を作ったと市原は非難する が、 早滝の水のロを下げただけなの に大石を、 その石の には何の妨げにもならないではないか、 と云って、 その日の中に、 右の二ヶ所 下にがん柱を打ちこんで市 原の用水の妨げとなるようにした。 それでは市原村が困るので、 市原へ の注□の妨げとなっている大石を販除くように 杉谷村に命 じてももらいたいと、 奉行所に訴訟 して いる。. その事件について、 寛保二年三月に奉行所から裁許状が出されている。 杉谷が大石を投げこみ石 堰したと云うがそんなことはない。 市原 が勝手に井波 をやったために、 杉谷の方へ水が来なくなっ 実際 たので、 杉谷の方の田地にも水の入るようにせねばならなくなったのだと、 杉谷村は云うが、 いよ して 市原へは入らな 、 には二ヶ所に大石を投入れて堰 どめし、 双方へ分水す べき井堰を一筋に また市原の方も よ 例のようにせ 大石をとり除き先 、 勝手に井波を 、 うに したのは、 よくないから、 しないようにせよ。 双方へ分水の出来るように砂関にせよ。 また、 市原が二度の井水をとり来った と云う字鰯ノ ロと云う田地は、 元来は天水場で、 杉谷村の用水の したたり水を田越に、 余水をうけ てきたのみであるから、 それは先例のように、 杉谷は田越の 口を明け置いて市原 へもかかるように せ よ、 と 云 う裁 許 で ある。. 資料八、 寛永拾 六年七月. 乍恐言上仕候 ・申井水にて御座候、 然処に唯今に ”杉谷村市原村両郷従往古立合フ 一、 右子細 之儀者 江州甲賀之君 々以便杉 至て杉谷村より新機無駄を申市原村へ水せき留少も通不申候 市原村田地不作 仕二付 度′ 被聞召分前 候ニ 付而申上候 ′ 迷惑いたし申 ヒ 水一切躍り申間数と被申加様なる儀 谷村ヘネ 目届候ヘチ I村板下候ハ ・恭可奉存候御事 A 々ことくに被ィ 市原村 百. 寛永拾六年 卯七月廿四日 - 70 -. 姓.

(11) . 近 世農村における用水・治水に関する諸問題. 進上 小堀遠江. 様. 資料九、 慶安五年七月十八日 乍恐 言 上. 市原村. 惣. 百. 姓. 一、 市原村之内 田地五町余之処二懸り申井出上下二弐つ御座候、 然処ニオ 山中村より新儀をたくみ 其井出ニ懸り申水を堀とめ加え阪申候二付、 五町余之田地不作二罷成めいわく仕候故 去ル丑ノ年 右之子細御代官衆迄申上 候、 其上御けんぶん被成被下候御事、 一、 其以後者しばらく彼方より加へ販不申候故、 其ノ通二而御座候へノ ・叉茂当年中村より寺晴京理不 尽ニ井出の水をほりとめ加へ取申候付五町余之田地不作二罷成めいわく千万二奉 存候御事 、 一、 其近所隣郷之田地二而御座候此川筋二井出十二御座候 惣則-おけもかへ不 申候 中村より新 、 儀仕候段其隣郷之者も明鏡ニ可存候、 今後五町余之田地無 作二罷成候段、 被為聞召分被仰付下候ノ ・ ・難有可奉存候 以上 慶安五年辰ノ七月十八日 市原村 惣 山ロ但馬守様. 百. 姓. 印. 御内. 御奉行 様 資料十、 貞享四年七月 二十九日. 江州甲賀郡市原村 惣百姓中 乍恐言上 一・ 市原村領内江先年より掛り申用水井手ノ横拾四五間高サ八九尺程御座候所二往古よ り市原村一 部として、 井手たて敷柴杭木往古より杉谷ノ山内ニ而入次第きり版右之井手ヲ立 用水販たる杉谷 村領内字前野と市原村領江と平二入来り候 右敷柴の杭木井手溝領として 毎年三月節句前後二に ごり酒 小升三 斗 二種ノ金 相添杉谷村江指造申 其上溝まで市原村一部としてほり水を通し用水を 取来り是迄同之申分も無御座候所二杉谷村より只今新規を工 番之水ニ仕候 我かま } ヲ申市原村 に一水も水こ し不申候ニノ 付\ 市原村田地ことごとく日損仕めいわく千万に率存候、 御慈悲と恩召被 下往古より是迄之通少しつ 余水ニ而も市原村へも水参り候様二被為仰付被下候ノ ・ 難在恭可奉存 候 以上 貞享四年卯七月廿七日 市原村 百姓 進上. 御奉行. 様. 資料十一、 寛保二年三月 (裁許状) 近江国甲賀郡市原村と同国同郡杉谷村水論為検使馬場讃岐守組与力田中方平三井下総守組与力志 野八郎兵ヱ差遣之遂札明令裁許条 一、 市原村庄屋年寄言 斥候は当村用水之儀は杉谷村山内より流出候中川筋より水坂来井堰立候節は杉 谷村山内二而柴杭木当村より伐販人足等者当村より差出其外為井手料毎年樽肴造申候 右井筋字樋 之下 井竹之かいとと申枝溝より杉谷村江茂用水坂候処枝溝二ヶ所二新法二大石を以致横関二筋之井 溝を取横一筋仕用水相妨申候 其上杉谷村字二度之井と申井末々当村字いわし口と申壱町五反余之 田地右井懸り二而養来候処 是叉田越之ロを塞志たたり水関留候ニ付 当村田地及其所難儀仕候 、 右井水之簾三拾五年程以前杉谷村山奥二新聞発願人有之候節 当村用水障ニ不相成様二開発可被仰 付旨杉谷村御 也顔役人中より当村御地頭役人中江之書付等も致所持罷在候儀 証拠二候処 用水相 ノ 、 、 妨候二付、 新法之俵、 不仕候様ニ奉願候旨申之、. 一・ 杉谷村庄屋年寄答候は当村用水之儀は、 当村山内より村中方Z [流出候川節二数ヶ所井堰御座候 一 71 4, ヤ.

(12) . 石. 沢. 撒. 内 拾一番目之字前野と申井堰より水版候井筋 慶長年中市原村頼二付井手相立 候節 当村山内之 木柴を市原村より為伐人足等は市原村より差出当村用水之余水を遣来候故、 為礼毎年羽織袴着用樽 肴致持参 尤右証女茂有之候処此度右井溝二ヶ所二新法之石関仕二筋之井溝を一筋ニ致候杯と市原 村より紛敷申上候得共在来通 二而当村之用水を坂候得は、 差構候儀茂無 之候得共、 我侭二井波等 仕 候二付、 刻而当村井溝江は水入不申候 元来当村領内 二而他之構無之場所之儀其上右之通市原村よ 付 井溝を堰当村田地江も水坂不申候而は難相成候処 大業二申上候、 其外当村 り井波渓ク仕候二, ・市原村江一滴茂水遣不申当村畑荒さへ在之場所二候処 是叉市原村江茂、 用水坂 用水字二度之井ノ. 候様申上迷惑仕候間 横道不申懸候様奉願候旨申之右場所見分之上遂ゑ儀候処 杉谷村山内より流 拾一番目之字前野と申井堰は、 市原村よ り人足等差出杉谷村之不当 ≦を伐版市原村より井堰相立井手料として、 樽肴迄造候ニ付、 当市原村用 水之由申候得 .共、 市原村之者共毎年杉谷村江羽織袴着用樽者致持参候儀、 其上 慶長年中市原村より 杉谷 村江水貰候礼として酒造可申旨有之一札茂遣置候事ニ候、 尤右一札之名前慶長年中市原村之古 村之用水と ・ 検帳二無之ニイ ゴ 、 信用難成旨市原村申といヘとも、 是迄毎年酒肴持参候古例ニ得者市原 は難申、 貰水旨相聞江候 然共市原村二も慶長年中より販来候水之儀二候得者、 貰水二候而茂杉谷 村より今更水遣満しきと申鱗者難相立候 然処字前野井溝ニニケ所大石を以堰留井双方江分水 之井 溝二筋を杉谷村より一筋に致候儀者無相違候得者 致方不宜候、 市原村よりも元来貰水ニ候得者井 出候川筋を所々二而堰留杉谷村田地江水版 候、 井堰之内. 杉谷村江逐断相対之上可致候処 是叉勝手侭ニは致間敷儀二候、 且叉、 字二度之井 水田越二末永坂来候由、 市原村より申候得共、 是者井手元杵井波ニ立会候儀も無之入用等茂不差出 溝波等致候節. 勿論市原村田地江井懸り之井溝筋茂無之儀ニ付、 市原村田地江 末水版候旨者難申候得共、 杉谷村右 井懸り之田地と市原村字いわし口と申田地之間二田越之跡茂在之右字いわしロと申壱町五反余之田 地は外二水懸り無之 天水相見江候 必莞近年及争論田越 之ロを塞候物相見江候得は杉谷村よりも 余水は、 遣ましき簾ニも無之候 市原村より先年杉谷村領内新開発願人在之筋杉谷村地頭鳥井播磨 守役人より市原村地頭松平内記役人江差越候書付、 拝、 加藤和泉守役人より市原村百姓江相渡候書 ・同事二 付を以 右いわし口田地江も用水版候証拠ニ申立候得共 論所前野井水と二度之井とハ源ノ 右之通二候条、 論所前野井溝 筋二杉谷村より致 候右堰二ヶ所版払双方分水之井溝茂二筋二致置杉谷村田地江用水 引候節は砂関二而水販可申候、 尤 市原村よりも井波等致候節は杉谷村江遂断相対 之上杉谷村用水二も不相障様 ニ可致候 井 二度之. 付. 前野井之事二而二度之井之証拠二はリ 肇相成候. ・難申候得共相平ニ田地大切 之事候之間 井水之儀者市原村江水飯候証拠も無之ニ付、 市原村用水とノ 杉谷村田地よ り市原村字いわし口と申田地之間田越之口明ヶ置猶叉濁水、 余水を相者杉谷村田地之 余水叉者志たたり水は、 市原村江遣 向後異論致間錨候事 右之通令裁許為後証 双方江書下之条々永不可違失者也 寛保二. 壬成 年三月 下. 総. 印. 讃. 岐. 印. 江州甲賀郡市原村 庄 屋 年 寄. 惣百姓 同国同郡 杉谷村 庄 屋 年 - 72 一. 寄.

(13) . 近世農村における用水・治水に関する諸問題 三、 治 水 工事 と して の 川 除 の こ と. ・一日付の 「就御尋口 上書」 の資料をみると 柚中村と市原村との争論で 両村領 寛延元年八月廿 、 、 主の方からは、 両村の話合ですますようにと云われたが、 市原村の方には何らの非難をうける筋令 はない。 柚中村の方では、 市原が柚川筋に新開したので、 柚中の用水の妨げとなるように主張 して いるが、 実際は、 仙川の川床が高くなったので、 村々が川端に土手をするようになり 市原村の田 、 地にも満水が強く押しよせる ようになるので、 水除土手を少々はじめたまでゞ新開 したのではない と 市原村は弁じているのである。 延享五年五月の「乍恐口上書」も同様のことを述べている 問題 。 は、 川床が洪水等のために高くなる。 そこで、 村々が水除の土手をして 目領田畑に満水の際も入 、 らないように土手を高くする。 従って川下の村も、 水除の土手を高くせざる を 得 な く な る 市原 。 は、 水除土手をすると共に、 その内側は、 荒場が新開となったのであろう。 柚中より云わすれば荒 場を市原が新開したので、 柚中の方へくる用水がそれにとられて不足を きたすと反対 しているので ある。. また貞享五年四月の市原村とれ ”中村との間の争論は、 市原村と柚中村との境の下河原に 袖中村 、 が新土手をつくったために、 川上の市原領内の昔からの水落しの扉水戸が堰止めされて 市原村領 、 の田地壱反歩余に水がつかり作主が困るので、 扉水戸をあげてもらいたいと云う訴訟事件である 。 近世封建制度の下では、あまりにも、小範囲の封建領内で、 領域内を洪水から防水せんとする治水工 作のために、 他村に迷惑を及ぼすと云う事になり、 叉、 小範囲の領内では 水理に適った治水方法 、 が行われがたいために、 他が迷惑することとなる より大局にたった治水計画が必要である 水理 。 。 に適った必要な場所には、 水 田を潰しても土手をつくり その代りに 他に代替地を与えると云う 、 、 ような事が必要なのであるが、 封建制度下では、 それが出来ない所に問題がある 熊沢蕃山が大学 。 或間に、 捨たる米をすたらぬようにする第一の方法は、 水理に適った治水工事をすることであると 云ったそれである。 或は、 山崎のあたフにあら手土手をつくりその下を洪水から防水すれば 何万 、 石の収納水田をつくることが出来ると集義外書に述べている。 以上は、 新土手をLたために、 両村間に争論となった例であるが、 村は村として治水のために 、 川除をせねばならぬ。 その用材費は領主から出してもらい、 人足は村民負担と云う計一団書が領主に 提出されている。 労力は村民が負担し、 材料費は領主が出すと云う不女律が行われていたようであ る。. 寛政十二年八月の 「乍恐奉願上口上書」 なる資料では、 柚中村領境の滝川筋は小川であって 洪 、 水のときは、 自然に水があふれ川岸はくづれ、 叉、 森尻村、 深川市場村領境の大河筋は 近年森尻 、 村で川除 したために、 洪水のときには、 市原村の川岸へ水が突き当り困るので 右の両 1月1共に、 今 、 回水除けしたいと周 売木、 竹流し木等の費用の見積りを仕用帳をもって順上げる 人 、う。 ついてはオ 。 足は村方でつとめるので、 仕用帳に見積った入用銀を領主の方で出 してもらいたいと 領主役所に 、 願出ている。 寛政十三年三月, の 「乍恐奉差上御受書」 には、 大河筋、 滝川筋の河除 普請の入用 銀が 願の通りに、 銀三百八十二匁四分が下げられたと云う受書である。 また、 川除土手をつくるために、 一部田地の土をとらねばならず、 その地は従って禿となるので その田地の租税免除の願出も必要となってくる。 文化十三年十一月 廿八日付の 「乍恐口上書を以奉 頭上候」 をみると、 滝川筋、 桶川筋の川除 普請の場所、 字小河原川除普請のために 田地が禿とな 、 ったもの、 坪数十八 H除普請の 、坪、 叉、 池川除普請で田地が禿となったもの、 坪数十二坪。 以上はi ために、 大切な田地が、 やむなく三十坪禿となったので、 その三十坪の地面の年貢は 永久に免除 、 されたい。 叉、 この川除に日雇人足百拾五人、 外に五尺の杭三百 本 竹十五貫を使用したので 入 、 、 費の助成を乞うと云うのである。 - 73 -.

(14) . 石. 撤. 沢. 女政七年三月の一札と証文をみると、 前野井堰がふち越でもれる ので、 その五十間程、 川上に新 溝手をつくるために、 弥兵ヱの居屋数畑の内、 長サ十四間、 横中壱間、 叉、 佐吉特のおばの田、 田 地の内長サ廿間、 中壱間、 清八特のいの坂の田地の内、 長サ十八間、 中壱間の田地をつぶし、 溝手 とするために、 永世に溝手として借用するために . 、 弥兵ヱには溝手銀、 井、 年貢手当銀八十四匁、 佐吉には溝手銀、 年貢手当銀百六十匁、 清八には溝手銀、 年貢手当銀 九十八匁を渡すと云う証女を 与 え て いる。. 治水のためには、 川筋の林を保護 しておかねばならない。 元禄二年九月 四日付の 「異見状之事」 なる資料には、 村で川除普請所に、 治水のために、 木を植えてあった。 然るに村民、 西之坊がそれ を薪に伐りとったために訴えられ、 村中から西 之坊はその所に松を植えるように命ぜられている。 また、 宝永・元年申九月 の川除場割林帳では、 中村境から井出ロ迄の長サニ九六間、 横拾間或は八間 の川除場所を管理させる割付が行われている。 それを割付 けるに当って、 鉄輪で二十八歩、 高石に 七歩宛の割付である。 鉄輪では高を考慮せずに、 廿八歩を平等に負担し、 更に高に応じて広く割付 られている。 尤も三歩とか十九歩と云うのもー・二名あるが、 これは特 殊な生活困窮者の場合で、 一般に鉄輪は二十八歩が基準となっている。 戸口税の如きものであろうと推定する。 更に、 かくの 如く村中相談で割付けたのであるから芝木 をとってはならない。 並に、 木苗を植えて、 一切起して は な らな いと 云 っ て い る。. 資料十二、 京都御役人様へ上ル、 寛延元年八月廿一日上、 就御尋口上書. 江州甲賀郡市原村 庄. や. 年. 寄. 柚中村と当村用水出入之儀相続之庄屋中江坂馳之儀、 両地頭より被申渡 依之地村之もの場所見 届、 順路之由ニ而扱状相認両村江見せ被申候処 私共 不得心之旨申上候ニ付、 腿村より其趣被申上 候処、 今日被召出右地村方書付御覧之上双方相続之庄屋共順路と存了簡 之上阪唖候趣ニ候処 ・如何ニ候 順路と申を申破り候道理在之候は可申上旨被仰聞候。 不得心二申儀ノ 此儀御尋之趣. 御尤ニ奉存候. 究極当村袖川端ニ新開発致掛用水之陣二 成候由. 私共. 柚中村より申二. 及出入候由 □之書付二御座候得共、 先達而私共返答書二申上候通 仙川之川床高ク相成川下 村々川端二土手いたし杭二柚中 村ニも土手を仕候ニ付 当村田地江満水強押掛候付水除土手可仕と. 付. 少々仕掛申候迄二雨. 新開発仕候義二而者無 卸座候. 然共五反歩之所ノ魂越村庄屋共了簡を以書ヲ市. ・私共得心二御座候得共 原村にも新開発致し用水用ひ可申旨書付候段ノ. 右之外 一畝歩二而も開発申. 間敷と御座候 柚中村二者近年大分之畑開発し荒場を新聞致其外田地にも可成荒場畑等も余程御座 候得共、 相手村ニハ場所員数等書入無之当村ニ眼開発申間敷と書入候儀何分私共不得心二御座候、 一、 右用水掛り市原村田地凡弐町余御座候処 壱町余と書入御座候二付、 庄屋中江其段申候二者 オ 山中村之書付二壱町余と有之二付共趣相認候得共重而書直し可申上旨庄屋中申候、 ・先年より当村へ遂断相対之上溝波申候所及争論候以後は少茂無之井筋 一、 市原村領之内溝波川筋ノ 之竹木切払我侭ニ溝広 ゲ田地立毛等損候二付、 先年之通致候様二庄屋中へ申候得共無其儀 奉恐ニ 奉存候。 ・市原村領内南北四十間 一、 井堰飯立候儀ノ. 横拾弐間壱反六畝之処. 右庄屋中了簡を以右井堰芝坂. ・往古より一切無御座候 右井堰之簾者古楽 場二極メ置候と御座候 市原村領之内二柚中村芝版場ノ より砂堰ニ致し来候義相違無卸座候処 庄屋中書付ニ市原村二茂五反歩新開発為致候得者其意趣を 以柚中村芝飯場二極メ置候と御座候得共右場所相渡候而者差当水除普請之障り相成勿論永代之底二 相成迷惑二奉存候、 4- -7.

(15) . 近世農村 における用水・治水に関する諸問題. 然者五反歩之所開発不仕候而も芝飯場相極候儀難仕御座候 右之通二御座候二付、 私共不得心二御座候間 共被仰付被下候ハ・難有可奉存候 以上. 御慈悲御吟味被成下当村難儀相成不申候様如何様. 寛延元年辰八月 庄や. 御 奉. 年寄. 鱗 兵 ヱ 忠 兵 ヱ. 同. 十 次 郎. 行 様. 資料十三、 寛政十二年八月 乍恐奉願上口上書 一・ 袖中村領境滝 川筋 尤小川ニ付洪水之制自然二水溢候二付川岸相崩 且叉 、 、 森尻 村深川市場村 領境大河筋近年森尻村よ り川除仕候二付、 洪水之節市原村川岸江水衝当り若河岸 衝崩候而 ・大難渋 ニ相成候間 右両川共此度水除仕度奉存候ニ付 ォ 売木井 竹流シ木 等積上仕用帳ヲ以奉願上ヶ候 尤 、 人足之儀者為 村方相勤 可申候間何とぞ御隣感之上仕用帳之通入用銀被下置候 ハ・村中一同難在 可奉 存候 以上. 御知行所市原村 寛 政十 二 年 申八月. 利 兵 ヱ. 重右ヱ門 . 治 兵 ヱ. 御地頭様御役所 望月五一様 資料十四、 文化十三年十一月廿八日 乍恐口上書を以奉願上候 一・ 先達而御見分被成下候滝川筋袖川筋川除普請場所字小河原川除普請二付田地禿申候 坪数拾八坪 同和川筋字禿池川除普請 二付 田地禿申候. 坪数拾弐坪 右川除普請二付、 御大切之田地二御座候得共、 無拠地面両方合三拾坪禿申候故右境地面之御高永々 御用捨可被成候様偏 ニ奉願上候 尤日雇人足百拾五人相掛其外五尺之杭三百本竹拾五 〆入相置申候 近年村方百姓一統困窮仕甚難渋之百姓二 御座候得者 願上候 以上. 何卒 御憐慾を以相続仕候様御 J販斗可被下候奉. 女化十三年 子 十一月 廿 八 日. 望月. 太八郎. 様. 望月 四郎兵ヱ 様. 庄. や. 藤 兵 ヱ. 年. 寄. 伊右ヱ門. 百姓代. 新右ヱ門. ″. 治 兵 ヱ. ″. 与 兵 ヱ.

(16) . 石. 沢. 徹. 餐科十五、 下知書 (女久三亥年) 一、 用水溜池床普請 字. 小谷. 下田 壱反壱畝拾フ 歩 右者市原村御田地池床として書面之反別之内五畝弐情三歩御年貢其外 共拾ヶ年之間御赦免之儀願. 出候段達 御賄則隙之通御免被成候 就之申達右之趣同 村村役人江中渡候様被仰出候間此段御達申候 以上. 御地頭所 高. 六. 木. 蔵. 印. 女久三奏亥年十一月 望月 太逸郎 殿. ⑩. 望月太郎兵ヱ. 殿. 資料十六、 下知書 (女久三年十月) 市原村. 一、 金拾弐両也. 村. 役. 人 中. 村内一統中談用水溜池普請版掛り出来致候処、 右普請人数井莫 大之入費相懸り村方自力二及兼候ニ付今般普請銀御助成之程願滋候条達 右は其村方御田地撫育之簾ニ付. 御聴 候右不容易大行之儀二付 精々御手記も可罷成処 近来御地頭所御物入多殊ニ昨成年殿様俄二 御粟出し且叉当春より分国之儀二付而も品々御入用相嵩 御行届不被成候得とも前書之通り為御助 罰頂故可有之候 成御下ヶ被成候= [ n出候間 此段同村村役中江御中渡可被成候依之申達候 右之条ベイ. 以上. 御地頭所 高. 木. 六. 蔵. 印. 亥十月 望月太逸郎. 殿. k・荒場の諸問題 四、 新田開発に伴う用’ 3 9頁に述べているようし こ、 草と水とは肥料 すでに古島 敏雄氏も 「近世日本農業の構造」(上巻)2 及び濯灘用水として水田農業の生産条件をな していたので、 それが社会的に大きな問題となったの は当然であるが、 特にこの二つを時代 の関心事たらしめたのは、 新田開発の進展であった。 新田開 発は、 本田への用水の不足と、 肥料用と しての荒場の草木の欠乏をきたらしめることによって、 問 題が提起される。 熊沢蕃山が集義外書で、 新田開発に反対しているのはそのためである。 古島氏の この見解には、 全般的に云って、 大体了承されるが、 市原女書の調査によると、 多少意見を異にす る所もないではない。 新田開発すると、 それに用水がとられるので古田への用水に不足を きたす。 川上の杉谷村が新田開発すれば、 川下に ~ある市原村は、 反対して訴訟をなし、 杉谷村が市原村の古 田に影 響のないようにすると云う一 札をとって川上の杉谷村の新田開発に妥協している。 それと反 対に、 市原村の新田開発や、 土手を川筋寄に変更して起した新田開発さえも、 川下にある柚中村か 山中村はヰ 山中村で、 その川下の村から新田開 らは、 反対され訴訟されて、 長い係争となっている。# 発について反対されると云う有様である。 それにも拘らず、 少しでも新田開発して、 年貢の加重を 軽減しようと努力するのである。 新田開発すれば、 自然に、 川筋の荒場が開発されることになる。 ところが、 この荒場については -7 6-.

(17) . 近世農村における ,用水・治水に関する諸問題. 一般には肥料用採草地としての重要性のあったことは、 古島氏の云う如くであろうが、 市原女書の 示す限りでは、 井手・井堰をつくる場合の敷柴、 芝土の採取場として確保しておく必要があるので 常に問題となっている。 尤も、 この争論は、 他村との間の争論 が主であるからでもあるが、 井堰の 芝土や敷柴を他村領内でとる事になるので、 肥料として他村領内からとり来るわけにもゆかなかっ たであろう。 叉、 井堰・井手の芝土は、 慣習的に、 その井堰・井手を設ける附近の荒場からとって もよいと云う事になっていたようである。 然るに、 新田を開発するとすれば、 その荒場が開発の対 象とされる。 そこで、 川下にある村は、 その荒場から井堰・井手の芝土がと れなくな るので反対す ると云うことになる。 訴訟となって、 その井堰として必要な程度だけの荒場は残すように命ぜられ ま新畑とすることな らば認 他は開発するをみとめるが、 ごく一部だけを新田とするをみとめ、 多く{ ′ め る と 云う こ と で解決 した 例 は、 先に 紹 介 した通 り で あ る。 ) (資料としては、 先に紹介した延享三年五月の資料を参照されたい。. 結. び. 治水・用水に関する訴訟争論を、 具体的な資料に基いて考察し、 近世農村の問題をみてきたので あるが、 小領域の封建領主の支配下にあった近世農村が、 その制度の下にあって、 互に如何に農業 経営の上で、 小ぜり合をつづけていたかがわかるのである。 少くとも県単位ぐらいで、 治水や用水 の問題の解決がはかられるならば解決 し得る問題も、 封建小領主の支配下にあるために、 大局的解 決が出来ないでいる。 井堰の如きでも、 国家的事業として、 大ダムを築造することによって解決す ることが出来る問題も、 封建制下では、 どうにもならぬ問題となっている。 実際、 今日では県境の 山谷に大 ダムを築造して、 近世にみられたノトぜり合を殆ん ど解決 している。 或は治水事業にしても 国家的計画 で、 氷理に応じぇ 二護岸工事、 また、 渇水期には、 吸揚 ポンプを用いて用水とすることも 行われている。 その外、 砂防工事、 護岸工事も、 国家的な見地で行われている。 これと対比して、 封建制度下での用水・治水問題の行詰りも充分に理解されるであろう。. ‐ 77 -‐.

(18)

参照

関連したドキュメント

5世紀後半以降の日本においても同様であったこ

湖水をわたりとんねるをくぐり 日が照っても雨のふる 汽車に乗って

目的 今日,青年期における疲労の訴えが問題視されている。特に慢性疲労は,慢性疲労症候群

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

世界レベルでプラスチック廃棄物が問題となっている。世界におけるプラスチック生 産量の増加に従い、一次プラスチック廃棄物の発生量も 1950 年から

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に