1.は じ め に
─視覚表象として表紙デザインを見る─
「人工知能」誌の一新された表紙デザインをめぐり, 発表直後から多くの反響がネット上に寄せられ,議論が 湧き起こっていることを知ったのは,池田が担当する「コ ミュニケーション・リテラシー」と題する演習形式の授 業中のことだった.2014 年の年明け早々,1 月 8 日に, 学部 1 年の A さんがこれを取り上げたことに始まる.女 性表象のステレオタイプと人々の意識や社会のジェン ダー規範との関係に関心があった A さんは,それまでに ネット上で発信された意見や応答に目を通していた.そ のうえで,このイラストが女性と家事労働を結び付け, 「性役割分業」を発信・再生産する危険性があると述べた. しかし,討議中の発言を聞き,最後に書いてもらったコ メント(全員で共有)を読むと,A さんを含めほかの受 講生の多くが,表紙のイラストについて,ジェンダーの 観点から良いのか・悪いのかといった議論にとどまらず, これを「表象」*1として受け止め,モチーフの構成や表 現に反応していることに気付いた.言い換えると,なぜ このデザインがコンペで選ばれたのか,肯定する人はど こに「魅力」を感じるのか,またこれが流通し話題にな ると社会にどんな影響が及ぶのかといった問題に,学生 達は関心を寄せていたのである.また,(ジェンダーの 観点から問題があることを理解したとしても),表紙の 女性像には親しみを感じると述べた学生が,男女を問わ ず複数いたことも印象的だった. 表紙デザインをめぐる議論が交わされた場の一つとし て,この授業の内容をもう少し説明しておこう.それは, 日本美術史・視覚表象論,ジェンダー史を専門領域とす る池田が,総合大学である勤務校において,いわゆる教 養教育(全学向けのカリキュラム)の中で半期開講して いるものである.同じ専門の学生が受講する各学部での ゼミとは異なり,開講から 2 年目の今年度も文学部,教 育学部,工学部,園芸学部,看護学部などから 15 名ほ どが参加している.受講生は広告やゲームからアートま でさまざまな素材をもち寄り,各自の分析・考察内容を まとめたプレゼンテーションに対し全員で討議する.基 礎的な表象分析の方法を学び,視覚表象が流通する場, 媒体の特徴などを踏まえて,受容者や社会への影響を考 えるよう促してきた.特に今年度の「コミュニケーショ ン・リテラシー」では,ゆるきゃら,ご当地アニメ,多 種の広告などを素材として,表象のステレオタイプに注 目した議論が続いていた.「ステレオタイプは,それを 批判することは易くとも,多くの人にとって魅力的なの はなぜか」.また「女性像のステレオタイプの創出や享 受に女性自身も深く関与しているのはなぜなのか」,そ して「個々の流通や賞味期限は短くとも似たような表象 が次々と現れるのはなぜか」,などの問題について考え てきたのである. この授業のための素材選びや運営方法,学生の反応の 受止め方などについて,池田と山崎はメール上で相談し, 意見交換を重ねていた.山崎は「ハローキティ」や「リ 「「人工知能」表紙問題における議論と論点の整理」「人工知能」誌の表紙デザイン意見・議論に接して
─視覚表象研究の視点から─
Analyses on Opinions and Arguments of the Cover Design of
“Journal of the Japanese Society for Artificial Intelligence”
─ From the Viewpoint of Visual Representation Studies ─
池田 忍
千葉大学文学部Shinobu Ikeda Faculty of Letters, Chiba University. [email protected]
山崎 明子
奈良女子大学生活環境学部Akiko Yamasak Faculty of Human Life and Environment, Nara Women’s University. [email protected]
Keywords:
design, representation, gender.*1 表象(representation)という言葉には,表現,描写,代表, 代理,上演などの意味があるが,ここでは,社会が共有する制 度や物語,既存の図像や表現技法を参照して「再構成された世界」 と捉える.また重要なことは,表象が現実の反映や記録ではなく, 享受者をして自らの生きる世界を仮想せしめ,現実社会を駆動 させる力を帯びるという,その意味と機能である.
カちゃん人形」をはじめとする現代の複製メディアやサ ブカルチャーを研究対象にしていることもあり,二人の 間では「人工知能」の表紙問題についても話題にのぼっ た.その過程で,この件に関する言説の広がりに注意を 払い,新聞記事,学会ホームページ上に掲載された学会 誌編集委員会の見解,および作者自身による意図説明, さらにはネットで発信された複数の社会学者のコメント などを共有し,意見交換を重ねてきたのだった. そのタイミングで「人工知能」編集委員の方からの依 頼を受けて,本稿を引き受けることにしたのだが,ジェ ンダー表象の研究者という立場から,この表紙絵を「ジェ ンダー」と「表象」に深く関わるものであると認識し, 二人の議論をベースに論じてみたい.
2.フェミニズムの立場からの批判
─性別役割分業の固定化をめぐる議論─
まず述べておきたいのは,この表紙絵の件に関する学 会側の反応(少なくとも批判的な論稿を寄せてほしいと いう編集委員の姿勢)は真摯であるとは思いつつも,女 性研究者の発想や活躍に対して学会内外の期待が大いに 高まる現在,今回のデザインが「性役割分業」を発信, 再生産するものであるとする批判は極めてまっとうであ ると考える点で,私達の意見は一致している. こうした視点に立つ論はすでにいくつか提出されてい て,瀬地山角氏や開田奈穂美氏の論考をぜひ参照してい ただきたい*2 .これらの中で,瀬地山氏は「これが狭義 の「性差別」とは呼べなくても,少なくとも女性の視線 を無視している」という文脈で違和感があると述べ,「ず いぶん古典的な性役割分業を前提」としていると指摘し ている.開田氏も「女性と家事労働を結び付けて表現し てしまったこと」が,今回の批判の一番の原因であると したうえで,「女性という記号と家事労働という記号的 表現の組合せがまずかった」と述べている.さらに開田 氏の指摘で重要な点は,学会誌の表紙として「それを使っ てどのような未来を描くべきなのかは,もっと慎重に議 論されてもよかったのでは」ないかという部分である. 私達もまた人工知能学会に対しては,学会が考える未来 のビジョンの描き方──表象のつくり方──の再検討を 改めて望みたい. このように端的な問題点の指摘はすでになされている し,学会内でのより深い議論の必要性も提言されている わけで,問題はここで終わり……としたいところである. だが,私達の研究領域から見ると,もう少し根の深い課 題をはらんでいるように思われる.もし仮に表紙のイラ ストにおいて,家事労働をしているロボットが「男性」 だったら問題にならなかったのか,「動物」だったらどう なのだろうと考えると,今回ほどではなくとも何らかの ──性別役割を反転したに過ぎない,動物愛護に反する などの──批判はあったかもしれない.また,一部の報 道にあったようにイラストの作者が女性であるというこ とが「ゆえに性差別ではない」という解釈を導くわけで はない.男女問わず「性平等」を描くことは可能であり, また同じように「性差別」を描いてしまうリスクは常に 負っている.さらにネット上や授業内のコメントを見る と,ロボットが「女性」の型をもっていても「別にいい んじゃない?」という反応が,男女を問わず多く出てい ることから,この表象の受容プロセスは単に「女性」と「家 事労働」の記号的組合せによってのみ支配されているわ けではなさそうである.視覚表象の生成と受容という点 から少し考えてみよう.3.ノスタルジックで親密な室内空間,そして
女性身体
学会誌の表紙デザインを改めて,じっくり見てみよう (小特集「「人工知能」表紙問題における議論と論点の整 理」にあたって,p. 166,図 1 参照). 多くの批判では,ロボットが女性であること,背面, 腰のあたりでコードにつながれている点,そして箒を もっている点に注目が集まった.女性身体をかたどった 掃除機として表されたロボットの表象は,女性が家事労 働を担うという現実社会に残存するステレオタイプを肯 定的に反復し,固定化する危険があるとも指摘された. 繰返しになるが,この表象が「女性」と「掃除機」とい う記号を重ねることで,女性と家事労働の結び付きを自 明視するものであるゆえに性差別的であるという批判は 妥当であろう. 女性に家事労働という不払い労働を担わせるというこ とを,現在の社会においてそれが望ましいと大手を振っ て言える人は,あまりいないだろう.少なくとも大学教 育の現場で学生達と接していて,私達はそのように実感 している.おそらく,学会の会員の方々が仮にジェンダー 論を学んでこなかったとしても,そうした役割の固定化 が差別である可能性を理解することはできるだろうし, 過去にはそれを絶対視する価値観が存在していたことも ご存知であろう.この記号的連想は,ジェンダー論を学 んだ経験があれば比較的容易なものだが,そうでなくて もこのこと自体を理解することは,さほど難しいことで はないと思われる. さて,上記のように性別役割分業を固定化する危険性 があること,そしてそうしたイメージを無意識であれ強 調してしまったことが批判としてあがっていることは理 解できるとして,私達はジェンダー表象の研究者という 立場からここでもう一歩踏み込んだ議論をしたい.もし, *2 瀬地山角『「女は家事,男は仕事」は,誰に対する差別 ? 女を 閉じこめ男を酷使する,古い価値観』(http://toyokeizai. net/articles/-/28139).開田奈穂美『人工知能学会関係者 の皆様へ』(http://researchmap.jp/jo74edhxd-1807390/)上記のような批判があったとしても,それは誰かが現実 に女性に掃除をさせ続けた,あるいは家事ロボットのよ うにこき使ったという話ではない.「あくまでイラスト」 であり人の想像力の賜であるところの作品である.この 1枚の絵から「かわいくて従順な女の子が毎日掃除して くれる光景」を妄想した人もいるかもしれないが,その こと自体が別に法的にも倫理的にもとがめられることで はない.では,一体何が問題で,なぜこのような批判が 出て,そして表紙に対する意見が二極化するのだろうか. 表紙デザインは「あくまでイラスト」である.しかし イラスト(=表象)であるからこそ,記号に還元されな い要素を含んでおり,見る者はそのほかのモチーフの形 や色,表現のニュアンスを読み取る.画面に戻ると,黒 髪をうなじの少し上部で一つに束ね,シンプルな襟付き でウェストをマークしたオフホワイトの半袖ワンピース に白いソックスを着用した若い女性は,清楚である.ま た箒を手にして掃除をする態勢ながら,赤い表紙の小型 本を片手に少しうつむき加減でまなざしをこちらに向け る.画面全体を淡いセピア色の色調にまとめ,室内もま たレトロ感を醸し出す空間として演出されている.板敷 の洋室で,低めの籐の椅子が配され,白いカーテンは共 布で仕立てられたタッセルで両側に寄せられ,窓は開い て木立の緑と青空がわずかにのぞいている.女性の服装 から判断して初夏だろうか.だが,冷房はない.壁一面 のつくり付けの本棚のみならず,窓のそばのキャビネッ トや床にまで厚い本(専門書)が積まれている.本とい う記号によって知性を表しているにせよ,それは人工知 能の発達が拓くディジタル化された未来の世界ではな く,ノスタルジックな,私達がどこか懐かしさを覚える レトロな空間と身体なのだ. 学会のホームページ上に掲載された「デザイナーによ るデザインの意図」によると,「作者は,人工知能を描 くにあたって,昭和な感じを出すことを意識した」と述 べ,部屋は「和風な洋室」を描いたと言っている.その 意図のとおりに,このイラストには受容者を過去へと回 帰させる大きな力が働いている.その意味では,短い文 章ながらこのデザイナーは,人工知能の技術が発達した 世界を,人の日常生活や文化に溶け込むものであってほ しいと述べ,自らの明確な意図を言葉とイメージに具現 化しており,画面はその意図を裏切っていない. この過去へと回帰させる力はノスタルジックな様式 (=スタイル)によって引き出されている.近代以降繰 り返されてきた機械化による人間的空間の喪失という問 題は,常に人間存在自体を脅かすのではないかという危 機感に立脚している.その都度人間は「機械」に対置す るものとして「人間的」な表象を求めてきた.そこには 機械化=未来,人間化=過去という対立軸が必然的に あって,不確かな未来への不安は過去のイメージを引用 することによって払拭されてきた.この表紙デザインは その対立軸を利用した形で描かれており,それは機械的 なモノが常に「人間的」な表象を借りて社会に参入して きた歴史の一部をなぞらえている*3. とはいえ,過去へのノスタルジアは常に芸術の原動力 の一つであり,ノスタルジックな画面は見る者に心地良 い感覚を与えてきた.画家やデザイナーが美しい線,豊 かな色彩,正確なデッサンを自在に駆使できる技術をも つことは,自己の表現を確立するためであり,そうして 実現された表現を私達は平易な言葉で「上う手まい」と呼ん でいる.この上手さがなければ美しく,素敵で,心地良 い画面空間は成立しない.また同時に,表象は常に過去 を引用することで成り立っており,過去のイメージにイ ンスパイアされたり,そのオマージュを制作するように, 過去の優れた表現に依拠しつつそれを引用したり反転 させたりしながら乗り越えてきた歴史が表象の歴史であ る.今回の例でいえば,現在の日本社会で広く受容され ている「萌えキャラ風」もしくは「ジブリアニメ風」の 様式と,箒で掃除をする清楚な女性像や昭和の家屋(ご 存知の漫画・アニメ『めぞん一刻』や映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などに共通する)というモチーフによっ て,掃除ロボットという見慣れぬ未来を現在と親和的で 心地良いモノとして受容させることに成功しているとい える. 学会側がこうしたノスタルジックなイメージを使用し たデザインを採用したのは,まさに未来的なイメージが もつ先進性や非日常性が現在の社会と乖離してしまうこ とを恐れ,身近な(という言葉で表される過去)イメー ジによって広い受容層を求めたということだったのだろ う.そしてこのノスタルジアの様式は,今を生きる女性 達にとっても心地良さを感じるものであることも否定で きない.論理的に考えるならば受け入れがたい性別役割 分業であったとしても,表象においてノスタルジックで 見慣れたスタイルが用いられると,それすらも心地良い ものに転換されてしまう可能性がある.フェミニズムや ジェンダー理論を学び,それを理解し共感を抱く人達で あっても,表象が用いてきたノスタルジアの様式は,箒 で掃除をする女性を心地良いものとして受容させてしま うかもしれない.たとえ知識として家事労働と女性の結 び付きを知っていたとしても,一般読者の記号的判断 を鈍らせているのがイメージの操作であり,心地良いイ メージの受容を支える「美化」こそが,表象の力の一つ だといえるだろう*4 .今回フェミニズム批評,ジェンダー 論の立場に立つ批判に反論した人々,あるいはその論理 を理解してもなおこの表紙デザインを否定しがたく感じ *3 ペニー・スパーク:パステルカラーの罠─ジェンダーのデザ イン史,法政大学出版局(2004).山崎明子:戦後手芸ブーム と新たな「主婦」規範,『表象/帝国/ジェンダー─聖戦から冷 戦へ─』,千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書, 第 175 集(2008) *4 キャロリン・コースマイヤー:美学─ジェンダーの視点から, 三元社(2009)
た人々の中には,生身の人間が疎外される未来よりも, 保守的で親密な空間のほうを好ましいとする感覚が宿っ ているのかもしれない. しかし,この表紙に用いられるノスタルジアの様式は, 単なる様式の問題にとどまらず,社会的影響力を帯びる. 性別役割分業という過去のイメージを美化し,延命する 力を備えていることは紛れもない.ノスタルジアはその 心地良さによって,受容者に「異物」を飲み込ませるた めの重要な装置である.刷新された「人工知能」誌の表 紙絵では,その「異物」が「未来イメージ」,「未知の科 学技術」であり,学会はそれを,学会員に限定されぬ広 範に存在する潜在的な読者が心地良く受容することを目 指し,人間的なイメージを用いたわけだ.だが,(不本 意にも)「人間が掃除をする過去」ではなく「女性が掃 除をする過去」の表象を選択した.「掃除をする女性」は, より古典的な性役割であるため多くの人々の目に親し く,ノスタルジックなイメージを補完する.「過去」を 引き寄せるノスタルジアの表現様式を選択したところ, そこには女性と家事労働を自明視してきた社会の「過去」 が必然的に含み込まれていたということであろう. おそらく,機械と人間を対置する思考が機械に人間の 「型」を与え,未来と過去を対置する思考が未来に過去 の「型」を与えている.さらに過去とより親和的な存在 として女性身体は選択されているのである.ゆえに,女 性身体を用いていることだけが問題なのではない.機械 と人間の対置,未来と過去の対置という二つの思考をリ ンクさせている限り,「未知の科学技術」の新しい表象 に出合うことはないのではないだろうか.
4.表象の社会的流通と「表紙」という固有の場
先に「人工知能」の表紙を,表象全体を視野に入れ, ノスタルジアの様式を備えたものとして捉え,その機能 や社会的な影響力について論じてきた.こうしたイメー ジは,近年の日本に盛行するサブカルチャーにおいて主 要な一角を占め,メジャーなスタイルの一つになりつつ あるといえよう.ただし,この様式を用いた表象作品は, 通常何らかの物語の形を成すことが多く,それぞれ独自 の設定,文脈をもつ.人物の造形も特定のコンテクスト の中でつくり上げられていく.また,前述したように表 象は過去の表象を繰り返し引用され再構成される際,現 代社会ではイメージは複数のメディアを超えて複製され 模倣されていく.それゆえに,「学会誌」という出版界 ではマイナーなメディアにおいては異例の表紙イメージ であったとしても,現在の日本社会において,今回の表 紙のイメージはあまりにも既視感のあるイメージであっ たといえよう. このようなイメージは,現在国内で大量に生産・消費 され,他方で日本が世界に発信し売り出しているサブカ ルチャーだけでなく,ハイアートと呼ばれる領域まで横 断的に共有されている.いわゆる「萌キャラクター」の 美少女は,日本のハイアートの旗手的作家である会田 誠氏の作品の中では,より残虐に鎖につながれ,自由を 奪われた姿で表現されているにもかかわらず,国内の代 表的な美術館で展示されてきた.もちろんジェンダーや フェミニズムの視点から表象の暴力性を取り上げ,議論 を挑む人はいたが*5,あくまでも表象の自律性,表現の 自由の枠組みのもと,作家や美術館は批判をかわしてき た.会田作品が私達に示すのは,この社会でメジャーな 表象の型や様式を反復・引用することで,受け入れがた いモチーフをも「作品」として成立させ,見る者に受容 させてしまう力であろう.性差別と結び付く表象のステ レオタイプを反復・引用する表現は,ハイアートの強固 な枠組み,制度によって社会から切り離され,固有の作 家の想像力の問題,創造力の質(クォリティ)に還元さ れ論じられてきた. しかし一般の表象の享受者の立場に立てば,こうした 表象によって,見る者の身体感覚が揺さぶられ,自己の 身体が脅かされる恐怖にさらされる場合もある.残虐な 女性身体の表現を,女性身体をもつ者が見たときに,そ れが「あくまで絵画」であるとわかっていても生身の自 己身体と完全に切り離せる人ばかりではない.既存の人 間身体を描くということは,常に現在の社会を生きる生 身の身体との関係性が問われることを意味している. 人工知能学会誌編集委員会は,ホームページに掲示し た文章「「人工知能」の表紙に対する意見や議論に関し て」において,人工知能という技術は,知能や知識に「身 体性やインタラクション,言語,社会,Web などがどの ように関わるかという目に見えないものを研究する」学 問分野であると述べている.繰返しになるが,科学技術 を「目に見える」ように表そうとする目的に添って表紙 の刷新を試みたときに,人々が長きにわたって規範とし てきた記号と,現代文化において心地良さを感じさせる 既知の様式によって,ノスタルジーを喚起する今回のデ ザインが採用されたということになろう. そう考えれば,この表紙はおそらく多くの人にとって は,社会に大量に流布する類似のイメージを享受してき た経験を上書きするに過ぎないともいえる.ここに示さ れた,技術力の飛躍的な革新と向上の後にもなお古い規 範を残す表象の「型」──性別をもたないはずなのにジェ ンダー化された人間の身体をなぞる表象──を,果たし て私達は面白いと思えるのだろうか.学会は,現代の表 象文化がもつ様式の受容しやすさ,視覚的親和性に頼り, 真に「見えないもの」が具現化された未来の姿を見極め なくてよいのか,それこそが問われているのではないだ ろうか.使い古された表象の「型」の利用が,一律に良 くないという意味では決してない.現代では,一見する *5 ポルノ被害と性暴力を考える会 編:森美術館問題と性暴力表 現,不磨書房(2012)と「型」を引用するかのような表現の中にも,それが内 包してきた価値に疑問を突き付け,あるいはそれを笑い, ずらし,砕いて,新たな価値を築こうとする意志を読み 取ることのできる作例が増えてきている. さて,あくまで一つの表象にすぎないイラスト作品に 対して,私達自身を含め,コメントを寄せた多くの人々, そして学会側がここまでこだわるのは,これが学会誌の 「表紙」だからである.学会誌に限らず本や雑誌の表紙 には,その内容もしくは執筆・編集集団の活動が象徴的 に表されてきた.それゆえに表紙のイメージは象徴化さ れたものとして受容され,その前提が成立しているから こそ表紙絵の分析が可能になる*6 .この出版文化の歴史 から導き出されるルールから逸脱して,もし内容や活動 とは関係ないイメージを提示すれば,それは表紙絵とし て「失敗」と読み取られても不思議ではない.もちろん, 今回は表紙イメージを学会活動において重要なものとし て選び取られたわけだから,このイメージに学会の意志 が凝縮されていると考えるのが妥当であろう.つまり, 受容者がこの 1 枚に学会のコンセプトや意志,そして学 会が展望する未来をも読み取ることが過剰な反応である とはいえない.「批判」はまだ見ぬ未来の技術を担うで あろう学会への期待の反映であり,学会が描く未来が現 存する差別を温存する社会であってほしくないと願う意 識から生まれたものである. 既存の社会に大量に流布するイメージを引用・反復す ることは,一見,現代の主流文化への参入を通じ,受容 の間口を広げる可能性や期待を浮上させる.確かに,こ のようなタイプの表象は,より多くの人に語りかける力 をもち得るかもしれない.他方で,大量反復されてきた イメージだからこそ,今回のように,より多くの人に予 期しない影響を与え,反響を呼び起こす場合もある.心 地良く,見慣れた画面は,仮にそこに矛盾──未来を描 きながらそこに過去のジェンダー規範を引用するという ──を内包させていたとしても,より好ましいものとし て美化する力をもち,矛盾を言い当てる行為を無粋なも のの位置に追いやる. 冒頭に取り上げた学生達は,今回の件からそれを学ん でいる.そして一つの表象がお互いの立場や感性の違い に気付くための,すなわちコミュニケーションの機会を つくるきっかけになると積極的に評価することで,表象 の暴力──現実を生きる誰かを脅かしたり,他者化した り,不可視化したりする──を乗り超えていこうとして いるように思われる. 現代の表象文化は,もはや固有の場を越えてサブカル チャーからハイカルチャーまで,出版物からネットの画 像まで,アニメ雑誌から学会誌まで横断的に流通し,受 容されている.場の論理や公私のメディアの性格,視覚 文化の制度などによって切り分ける議論は,そのような 場を超えて流通する表象の力にさらされている者にとっ ては,ご都合主義で受け入れがたく感じられるのではな いだろうか.学会誌にサブカルチャー的イメージだから 駄目なのではなく,現代のサブカルチャーイメージの中 に内在する女性表象の在り方や,その受容をめぐる課題 も視野に入れたうえで,今一度「表紙」に何を描き出す べきかを問い直すことから,すべては始まるのではない だろうか.一つのイメージを選択するということは,そ の背後にある表象の力学の選択であり,そこに自らの研 究の未来像を凝縮する行為であることを,私達は肝に銘 じる必要がある. 「人工知能」表紙の表象をめぐる議論の地平は広く, 射程は遠く及んでいる.表象を生み,用いる行為が,目 に見えないメッセージを誰かに伝えるものであるなら ば,その内容とともに,伝える実在の相手について深く 想像をめぐらすほかなかろう.そして進むべき未来を描 くときに,どんな過去を参照しながら再現(=表象)す るのかを模索する必要があろう.それは人工知能学会が 考える未来のビジョンを,既存のイメージに安易に頼ら ず考えることによってしか解決できない問題であると思 われる. 2014年 2 月 10 日 受理 *6 若桑みどり:戦争がつくる女性像─第二次世界大戦下の日本 女性動員の視覚的プロパガンダ,筑摩書房(2000)ほか 池田 忍 千葉大学文学部史学科,教授.専門は日本美術史, 視覚文化論,ジェンダー論. 山崎 明子 奈良女子大学生活環境学部生活文化学科,准教授. 専門は日本近現代美術史,視覚文化論,ジェンダー 論.