末廣昭・大泉啓一郎 編著
『東アジアの社会大変動
――人口センサスが語る世界
』
名古屋大学出版会 2017年 v+343頁 SUEHIRO Akira and OIZUMI Keiichiro (eds.),
Drastic Demographic and Social Change in East Asia,
Nagoya: The University of Nagoya Press, 2017.
石井 由香
人口センサスというと,一般的な印象は無味乾燥な数字が並ぶ統計資料,であるか もしれない。しかし,国家が実施する人口センサスはすぐれて政治的に作られるもの であり,その国の社会の特徴をとらえる上で豊饒なデータを提供するものである。評 者も長年研究対象国の人口センサスを参照し,その読み方に腐心してきた。本書の副 題にもあるように,人口センサスはその社会を「語る」のである。 本書の最大の特徴は,東アジアの人口センサスが語るその国・地域の社会変動お よび人口センサスそのものの政治・社会的特質を,共同比較研究により実証的に明ら かにした点にある。本書の編者および執筆者は,人口学を専門とする研究者ではなく 地域研究者が中心である(333 - 334頁)。このことは,人口動態を人口学的に分析す るところにとどまらず,人口センサスを社会科学的な考察対象とするところにつなが っている。また,人口センサスそのものを直接対象とする研究がこれまで乏しかった なか,本書が日本を含めた東アジアの11の国・地域を分析し,コラムによりさらに広 範な国・地域(北朝鮮,台湾,シンガポール,カンボジア,ミャンマー)を視野に入 れていることは,共同比較研究としてまず高く評価されるべきだろう。 本書の構成は次の通りである。 序 章 なぜ,人口センサスなのか?(末廣昭) 第 1 章 東アジアの人口動態と人口センサス(大泉啓一郎・末廣昭) 第 2 章 中国:人口大国の発展の軌跡と新たな課題(木崎翠) 第 3 章 香港:少子高齢化に与える「越境者」の衝撃(澤田ゆかり) 第 4 章 韓国:人口の高齢化と高まる長寿リスク(金炫成)第 5 章 タイ:バンコク・メガリージョンの誕生(末廣昭) 第 6 章 マレーシア:崩れゆく民族構成と増える外国籍人口(鳥居高) 第 7 章 インドネシア:高齢化と人の移動のダイナミズム(増原綾子) 第 8 章 フィリピン:遠い少子高齢化と越境する労働者(鈴木有理佳) 第 9 章 ベトナム:「若者の国」の現在と未来(坂田正三) 第10章 東ティモール,ブルネイ:公用語,母語,そして民族問題 (小林磨理恵) 終 章 東アジアの社会大変動と日本(大泉啓一郎) 広範な国・地域の分析にあたって,本書は明晰にして丹念な検討を行っている。評 者がとくに感銘を受けた点を,本書の内容紹介も兼ねて 3 つ述べたい。 第一の点は,本書の比較にあたっての項目,枠組みが明確に示され,各国・地域の 事例研究に通底していることである。本書の内容は編著にありがちな各筆者の関心に よる論文の寄せ集めではなく,周到に考えられた枠組みにより適切に方向づけられた 考察となっている。編者によれば,共同研究で設定した共通の検討課題は,( 1 )人 口センサスの調査項目の変遷と2010年(2009年,2011年)の実施体制の特徴,( 2 ) 人口構造の基本的特徴,( 3 )少子化と高齢化の実態とその動向,( 4 )家族構造の 変化(拡大家族と核家族,若者や高齢者における単独世帯の増加),( 5 )人の移動 (国内での移動,外国人労働者や海外就労者の動向),( 6 )首都圏や首位都市の範囲 を超えるメガリージョンの形成,( 7 )民族・宗教・使用言語の分布,の 7 項目であ る。さらにこれらの検討課題に基づいて,本書の各章は,人口センサスの経緯もしく は略史,人口センサスで採択された調査項目の内容とその変遷,2010年を中心とする 人口センサス調査の実施体制の紹介(第 1 節),人口センサスからわかる基本的な人 口動態の変化,共通の検討課題としての 7 項目からとくに取り上げるべきテーマを各 国・地域の状況に合わせて 2 つ選び詳述(第 2 節),人口センサスで問題の所在は示 されるが,人口センサスからは具体的な分析ができない分野の指摘(具体的には外国 人労働者,自国民の海外出稼ぎ労働)(第 3 節),の 3 つの部分, 3 節から構成され ているとする(8 - 9 頁)。 7 項目の共通の検討課題には,経済開発・発展に伴い東アジア諸国・地域で進行 する社会変化が如実に反映されている。「少子高齢化」,「小家族化」,「メガリージョ ンの形成」は,豊かになった,もしくは豊かになりつつある東アジア諸国・地域にお いて,あまりにも急速に進む社会変化に国家の政策的対応と人びとの意識変化のどち らも追い付かない状況をもまた浮き彫りにするキーワードである。 2 人の編者のこれ までの経済,福祉研究からくる確かな知見が反映された課題でもあろう。また,「民
族・宗教・言語的多様性と政治」はこれまでも検討を要する課題であったが,階層分 化の進行と都市の新興富裕層の成長,世俗化とそれに対する宗教の復興などにより, 既存の枠組みが問い直されている。国語の浸透とその一方での経済的価値を持つ英 語および民族言語の位置づけの変化にも注意が必要である。また,外国人と国民の多 様性との関係,調整も一部の国で政治的対応が必要となってきている。 こうした変化を的確にとらえる項目から,各国別に特に重要なテーマを 2 つとりあ げて論じるという構成をとっているため,各国の特徴,また全体の狙いもわかりやす くなっている。しかも各章の重要テーマは,章の副題にほぼ示されている。東アジア に共通のテーマを示しつつ,各国・地域の独自性を理解しやすくする工夫であるとい える。 さらに,図表が適切に作成されていることで,本書の内容のわかりやすさが一層増 している。たとえば序章では,「図表序 - 1 人口・住宅センサスからわかる項目」 ( 6 頁),「図表序 - 2 各章の構成と内容」(11頁)により,本書の要点は文字通り一 目でわかる。また,「図表序 - 3 人口センサスからみた東アジアの人口構造と家族構 造の変化:1990∼2010年」(12 -13頁),「図表序 - 4 各国・地域の人口センサスの実 施体制の比較」(14 -15頁)も,比較に基づく東アジアの状況理解に大きく貢献する 表である。第 1 章以降の本編でも,図表の効果的な使用により,各国の人口構造, 人口をめぐる社会状況が,比較項目に沿って明瞭に示されている。 第二の点は,人口センサスそのものの実施方法への目配りである。本書では,各 国・地域における聞き取り調査に基づき,人口センサスの調査対象,実施方法,調査 員の資格と人数,実施予算について整理している。人口センサスの実施は技術と費用 を必要とする。経済的に国家に一定の豊かさがなければ厳しく,東アジア諸国・地域 の多くはその条件を充たしていることがよくわかる。東ティモールで,国際協力によ り人口センサスが支援されているという指摘(282頁)は,またそれを逆に証明する ものでもあろう。こうした人口センサスの「経済学」は,各国・地域の人口センサス 遂行能力を考える上で重要であり,貴重な内容である。 第三の点は,人口センサスにおける,多様なエスニック集団と外国人,在外自国民 の把握についての指摘である。エスニック研究,マイグレーション研究を専門とする 評者にとって,こうした情報は非常に有用である。調査票の使用言語,民族・人種の 調査,家庭で使用する言語の調査からは,各国・地域の人口構成におけるエスニック 集団の多様性と,各国・地域の政府が政治的に規定する公定エスニック集団[石井 2016]の構成が浮き彫りにされる。マレーシア,インドネシア,ブルネイの事例はま さにそれを示すものである。 また,東アジア諸国・地域のうち,日本,香港,台湾,韓国,シンガポール,ブル
ネイは外国人人材,外国人労働者の受入国であり,マレーシア,タイも受入国として の性格を強く持つ。一方でフィリピン,インドネシアをはじめとして,自国民を労働 者として送り出している国もある。人口センサスは,従来当該の国家領域内に居住す る人びとの管理を目的の一つとしてきたが,グローバリゼーションの時代において, 国境を越えて移動する人びとを把握することもまた意図されていることがわかる。自 国籍者のみを調査対象とするベトナム以外の国・地域では国籍の調査が行われており, 自国のエスニック集団の言語に加えて外国語を含む多言語による調査票の作成が一 般的である。在外自国民の把握という点では,フィリピンの事例が興味深い。家族が フィリピン国内に残っていることから,出国から 5 年以内である者,船舶の乗組員な ど 5 年以内に帰国する予定と家族に認識されている者は調査対象者に含め,研修等 一時的滞在の場合には出国してから 1 年以内に帰国する予定である場合は世帯員に 含む,といった扱いがなされている(234頁)。自国民の送り出しを政策的に進めるフ ィリピンにおける,在外自国民の把握範囲の基準をここから見てとることができる。 こうした情報を得ることができることも本書の意義であるといえよう。 以上 3 点に加えて,終章に付されている「コラム12 東アジア人口センサス・コレ クション紹介:アジア経済研究所図書館から」(土佐美菜実)に,知の蓄積という点 で大切な示唆があることも指摘するべきだろう。特に発展途上であるアジア諸国にお いて,資料の保管,蓄積は,かならずしも十分に行われているとは限らず,古い資料 の探索は時に困難な作業である。このコラムではアジア経済研究所図書館に所蔵され ている東アジア各国・地域の人口センサス資料の所蔵一覧と,日本国内の大学図書 館・研究所図書館の所蔵状況が示されている。この所蔵一覧を見ると,専門家の手 による継続的な資料収集とそのための予算措置がいかに大切なことかを改めて意識さ せられる。人文社会系の研究への理解が必ずしも十分にない状況において,研究の 基礎となる資料の充実の必要性への目配りは,これもまた人口センサスおよび地域研 究をめぐる政治・社会状況理解につながるのではないだろうか。 本書は東アジアの人口センサスおよび社会変化を知る上で,多岐にわたる豊富な情 報を的確に整理した編著であり,地域研究における比較の方法論を示している点でも 高く評価されるべき書である。ただ,これは評者の関心からの指摘になるが,国家と 人口センサスとの関係について,本書の情報を基礎としてさらに論じることが可能な のではないかと考える。国家による統計の収集はそもそも18世紀半ば以降に近代化を 進める国家が自国民を把握し,国内「秩序」を維持することと関わって行われていっ たものであった[Giddens 1985]。また,ベネディクト・アンダーソンは,植民地国家 の想像の仕方を示す権力の 3 つの制度の 1 つに人口調査(census)を挙げている [Anderson 2006]。国民国家が自国の領域に居住する者をとらえる上で,人口センサ
スは大きな役割を担ってきた。誰が国家のメンバーであるのかを確定し,支配管理の 意図を持って分類するための制度であったともいえる。多くの東アジア諸国も,まず 自国民を確定し,どう分類把握していくかということを国家建設上の課題としてきた。 現在,この状況と並行して新たな人の越境移動が起こっている。それが外国人の受 け入れであれ,自国民の越境移動であれ,各国は完全な把握が困難であることを承知 の上で把握のための努力を続けている。そこで想定されるメンバーは国民であるとは 限らず,もしくは国民であってもトランスナショナルな領域性を持った人びとである。 こうした現状について,本書の各国・地域の記述は十分な情報を与えてくれている。 グローバリゼーションの時代において想定される「秩序」とはどのようなものか。ま た,それはどういった新しい社会の想像につながるのか。他地域,たとえば欧米と比 較した場合に,東アジアにおける国家と人口センサスの関係はどのようにとらえられ るのか。「東アジアの社会大変動をとらえるための人口センサスの活用」が本書の意 図であることを承知の上で,東アジア域内の比較を踏まえて,さらに地域間比較から 見えてくる東アジアの人口センサスと国家との関係,人口センサスが描き出す社会像 についての考察があれば,本書の内容への関心もより高まるのではないだろうか。今 後の研究のさらなる発展に期待したい。 参考文献
Anderson,Benedict. 2006. Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of
Nationalism (Revised Edition). London and New York: Verso. (『定本 想像の共同体――ナシ
ョナリズムの起源と流行』, 白石隆・白石さや訳 . 書籍工房早山 . 2007.)
Giddens,Anthony. 1985. The Nation-State and Violence. Cambridge: Polity Press. (『国 民 国 家 と暴力』, 松尾精文・小幡正敏訳 . 而立書房 . 1999.)
石井由香 . 2016. 「アジアにおける〇〇系概念:国民構築とエスニック・アイデンティティ」 駒井洋監修・佐々木てる編著『移民・ディアスポラ研究 5 マルチ・エスニック・ジャパ ニーズ――〇〇系日本人の変革力』 70-85. 明石書店 .