症例報告 〔東女医大誌 第64巻 第12号頁1057∼1062平成6年12月〕
2回戦妊娠全経過にわたり妊娠悪阻を合併した糖尿病の1.例
一精神的因子の重要性一
プキヒ..サ .リ .マ 秋久 理眞1.) 1聖母病院 内科 2)東京女子医科大学 糖尿病センター サナカマ ユ ミ シミズ メイミ オオモリ ヤスエ ・佐中真由実2)・清水 明実2)・大森 安恵2) (受付 平成6年6.月10日) ADia◎etic Woman with Hyperemesis During the Whole P.eriod of Two Gestations: Importance of.Mental Factor Rima AK田ISAI}, Mayumi SANAKA2), Meimi SHIMIZU.2)and.Yasue OMORI2> 1)Seibo International Catholi(;]日【ospital 2)Diabetes「Center, Tokyo Women’s Medica1ρ011ege Our report concerns a diabetic woman with repeated hyperemesi.s tねr.oughout pregnancy. The diabetes of this woman was first diagnosed when she was 17 years old and has been treated with oral hypoglycemic ag白nt. She marfied at 26 years of age. At the age of 27 years she visited our department. Her fasting blood sugar was 176 rng/dl and the ocular fundi. were both Scott IIIb.. Immediately we changed.to insulin therapy and her blood琴1ucos6, levels improved. Her retinopathy after photocoagulatiQn t恥erapy i耳nproved仁。 bot与Scott II・.When she was.29 years old, she conceived. In the 6th week of gestation she had severe nausea and vomiting which continued durlng the whole gestational period.. She gave birth to a 2,261. @gm baby by induced Iabor in the 40th week of gestation,.At the age of 34 years, she conceived.and again she suffered hyperemesis during the whole gestational period. An infant weighing 2,610 g wa6 delivered by spontaneous labor in t恥e.40th week of gestatio尊. We consider the dnstable feeling th皐t s6metimεs acごompanies pregnancy plus the anxiety associated with increased diabetiρret:i直opathy resulted in e琴cessive anxiety causing hyperemesis throughout the whole period of both pregnancies. 緒 .言 糖尿病妊婦における計画妊娠の普及と妊娠中の 血糖コントロールの改善により,糖尿病と妊娠に 関する多くの問題は解決しつつある..しかし,糖 尿病妊婦の精神医学的な問題が妊娠経過にどのよ うな影響を及ぼすかということは,あまり知られ ていない. 私達は増殖性網膜症治療後に妊娠を許可されて 受胎したにもかかわらず;網膜症の悪化を心配し て精神的不安定となり,それが原因と考えら.れる 妊娠悪阻が2回の妊娠全期間にわたって継続した 糖尿病妊婦の1例を経験したので報告する. 症 .例 患老:27歳,女性... 家族歴:糖尿病(両親,兄,姉,父方叔父). 既往歴:特記すべきことなし. 糖尿病歴:1970年(17歳)口渇,多尿出現.福 島県の某.医で糖尿病と診断され,食事療法,経口 血糖降下剤服用を開始.1971年(18歳)上京.経 ロ血糖降下剤の服用は続けてい.たが血糖検査は受けず,食事療法も守っていなかった.1975年(22 歳)頃から時々,経口血糖降下剤の服用を忘れる ようになつ.た.1976年(23歳)precomaで守門入 院.インスリン治療により軽快した.退院後は再 び経口血糖降下剤に変更.!979年(26歳)結婚. 1980年9月(27歳)妊娠を希望して当センターを 初診した. 初診から妊娠までの経過:初診時,空腹時血糖 値176mg/dl, HbA、値14.4%であり,また網膜症 は両眼ともScott IIIbであった.1980年10月,た だちに当センターに血糖コントロールと教育の目 的で入院した.この時,増殖性網膜症が安定する まで厳重な避妊指導がなされだ.同時にインスリ ン療法に変更した.中間型インスリン20単位と速 効型インスリン6単位の混注(朝1回法)で血糖 コントロール良好となり退院.退院後は食後血糖 150∼250mg/dlであった.同年11月,左眼網膜症 はScott IIIaに改善したが右眼改善認められず, lnsu樋n unit/day lil Monotard ←Actrapid Ocular fundus Scott Proteinuria Body weight(kg) 毯 ・・/・ 譜% 13 11 9 0τ セ ミ セセ マ り セ ドロ ロ ↓, 1 〔11【b,11【b〕〔M紬〕〔IMI・〕〔II職〕〔1騨1・〕〔皿』,田・〕〔田・IH・〕〔Ilrlll・・H∼匪1・x n・ll〕, (一}什} 出什H+) 団 出 出. ㈹ 42 4446 辱7,5 47 47 46,5辱3,5 50 47.5 48,548 FBS 200
−
P.PβS矧
、100 0臼 ノ
\ 発一一一臓×一×
、 \.
\・/へ\
、、.◎/ b_一《)“o ,80Sep. ,81 ,82 ,83 (year> 図1 初診から妊娠までの経過 P.C.:photocoagulation.(光凝固), P.P.BS:post prandial BS(食後血糖). Hosp詫al■zatlon(H)[工1
’Ocular価ndus Scott Proteinuria Body weight(kg) % mgldl ま留。.《o 黙り 8 100誕 o
CSIl Monotard Actrapid CS臨 〔盛,的〔Ii,Il〕 〔Il,II〕 他) 出 吐) 出{±{ 45 44.540.5 39 37 38 (L、、 、r◎隔、 鴨、C」● Delive「y ↓ 〔II,II〕 〔II,II〕 仕) 出 〔一}㈹ 〔一}〔一} 39 41 42.5 42 43 45 43.5 39.5 ℃隔。 、 一一へ、 ℃戸一臥、 ℃ 0 10 20 図2 第1回妊娠経過 30 40(week)1981年4月,キセノンによる光凝固療法を右眼に 施行した.同年5月,右眼網膜症もScott IIIaに 改善した.この頃から患者自身,真剣に血糖コン トロールにとりくむようになりHbA1値も9%前 後になった.1982年9月,網膜症は両眼Scott IIに 改善した.腎機能も2時間クレアチニンクリアラ ンス99.4ml/minと良好なため妊娠を許可した. 同年11月1日から最終月経(図1). 第1回妊娠経過:1982年(29歳)12月15日(妊 娠6週と2日目)頃から嘔気嘔吐出現した.12月 17日,妊娠反応陽性.12月18日,食事摂取できず 低血糖のため当センターに救急入院した(図2). 入院時現症(妊娠7週);身長158.5cm,体重45 kg,血圧102/80㎞mHg,脈拍72/分(整),眼球結 膜 黄疸(一),眼球結膜 貧血(一),心音 清, 心肥大(一),肺ラ音(一),肝脾触知せず,下腿 浮腫(一),腱反射正常,知覚異常(一),足背動 脈触知. 入院時検査成績;尿検査にて蛋白(±),糖(+), アセトン体(冊)であり,血液一般では異常なかっ た.血液生化学では肝腎機能に異常なく,空腹時 血糖76mg/dl, HbA1値9.1%であった(表). 入院後経過;入院時摂食不能であったため輸液 を行いながらインスリン持続皮下注入法を開始し た.インスリン量は1日20∼50単位で血糖コント 表 第1回妊娠時の入院時検査成績 (妊娠第7週) Urinalysis protein (±) glucose (十) aceton (十十) occult (一) sediment n.P. Blood analysis
WBC
RBC Hb Ht Plat. Rt, 7,000 426×104 12.9g/dl 37.7% 28.4×104 4%。 Serum chemistry T.P. (A/GBUN
6,7g/d1 1.1) 11.9mg/dIUA
Creat.GOT
GPT
LDH
T.BiL NaK
Cl Ca P Lipid 』T−ChoI T.G.NEFA
FBS HbA1 2.9mg/dl・ 0,9mg/dI 14U/m1 10U/m1 209U/ml O.6mg/d1 142mEq〃 4.4mEq〃 105mEq〃 8.1mg/d1 2.9mg/d1 154mg/d1 70mg/dl O.5mEq〃 76mg/d1 9.1% ロールは良好であった.入院第8晶晶から少量で はあるが摂食可能となり輸液は中止した.しかし, 嘔気ロ区吐は持続しインスリン持続皮下注入法を継 続した.入院第69二日(妊娠17週),食事がほぼ全 量摂取できるようになったためインスリン持続皮 下注入法は中止した.インスリンは朝食前に中間 型を,各食前の血糖測定値によって速効型インス リンの追加をするsliding scale方式に変更した. 入院第78二日(妊娠18週),嘔気嘔吐は続いていた が血糖コントロールがほぼ良好となったため退院 した.退院時HbA、値は8.0%と改善していた.ま た,網膜症の所見は入院時所見と変わりなかった. 退院後も依然,嘔気ロ区点が続いていた.外来で の血糖値と血糖自己測定の値に基づいて妊娠20週 から朝夕2回の中間型インスリンと速効型インス リンの二二法に変更した.妊娠経過とともにイン スリン量は徐々に増量し,退院後から妊娠36週の 第2回入院までの食後血糖値は82∼129mg/d1, HbA1値は7.1∼7.8%とコントロール良好であっ た.嘔気嘔吐は妊娠週数が進むにつれてやや改善 傾向が認められたが持続していた. 妊娠36週,低血糖による意識低下のため当院産 科に入院した.嘔気ロ区吐は続いていたためインス リン持続皮下注入法を再開,妊娠38週のHbA1値 は7.0%と血糖コントロールは良好であった.『 全妊娠経過中,眼底は両眼Scott IIと安定して いた.尿蛋白は妊娠初期中期は(±),妊娠35週か ら(+)∼(昔)となったが血圧の上昇は認められ なかった.、妊娠中の母体体重は妊娠7週45kg,妊 娠18週で37kgと最低になったが,分娩直前は43.5 kgまで増加した. 妊娠39週と3日目に前期破水し誘導経膣分娩で 男児を出産した. 新生児経過;新生児は体重2,261gであり出生 週数に比し低体重のSFD児(small−for−dates infant)であった.軽度の低血糖,高ビリルビン血 症が認められたが,外表奇形,呼吸障害はなく, 児の経過は良好であった. 分娩後の母体の経過;分娩直後にロ二二したが, その後は嘔気巨二二は全く消失した.後に患者自身 が「妊娠が進むにつれて糖尿病性網膜症が悪化し失明するのではないかという不安感があった.不 安感を持つとロ区気嘔吐が必ず出現した.」と告白し た.また,出産直後の体重は39.5kgであったが, 分娩後1カ月半で43.5kgまで回復した. 第1回分娩後から第2回妊娠までの経過:分娩 後,血糖コントロールはほぼ良好であり,網膜症 は両眼Scott IIと安定していた.1987年頃から第 2子妊娠を強く希望.分娩後尿蛋白(升)が継続 していたが,高血圧はなく,クレアチニンクリア ランス89ml/minと良好であったため妊娠を許可 した.同年8月16日から最終月経. 第2回妊娠経過:1987年9月10日(妊娠5週) 頃から嘔気ロ区吐出現した.9月22日,嘔気嘔吐強 いため外来受診.妊娠反応陽性(妊娠6週)であ り,ただちに入院した.妊娠前体重は47.5kgで あったが,入院時体重は44kgとすでに減少してい た.昼食前血糖値251mg/dl, HbA1値10.7%であっ た.妊娠悪阻症状が強いため絶食療法とし,経静 脈栄養と補液,インスリン静脈内持続注入を行っ た.血糖値は80∼160mg/dlにコントロールされ ていた.妊娠12週から徐々に食事を摂取可能.とな るもロ区気腫区吐は持続.インスリンは朝食前に中間 型,食事摂取可能時には食直後に速効型を使用し た.入院第123病日(妊娠24週),目下気嘔吐症状が 軽快傾向にあったため退院した.その間の血糖値 70∼140mg/dlであり,退院時HbA1値8.1%と改 善していた.退院時体重は41kgと更に減少した. 退院後もロ区気嘔吐は持続.尿蛋白増加のため妊娠 26週で再入院となった.入院時体重37.2kg,血圧 120/88,正球性正色素性貧血,TP 6.8g/dl, GOT 79U/ml, GPT 68U/m至, Cr O.8mg/dl, T−chol 323 mg/dl, Na 138nlEq〃, K 2.8mEq〃, Cl 82mEq/ 1,尿蛋白0.5g/dayであった.胎児の発育はエコー 上,正常下限であった.嘔気ロ区吐は持続したが, うなぎや納豆の好みの食品は食べており推定800
kcalは摂取していた.低K血症に対してはKの
補給を行いK4.4mEq〃まで回復.体:重も41kg と増加し,妊娠29週に退院した. 妊娠32週,尿蛋白増加のため産科入院,34週切 迫早産のためβstimulantの経口投与を開始.し かし,妊娠中毒症が進行したため36週で中止,低K血症に対し経口および経静脈的にKの補給を
行ったが完全な正常化は不可能であった.嘔吐持 続のため血糖コントロールは不安定となりヅ妊娠 39週のHbA、値は10.0%と悪化した.分娩直前体 重は4L5kg,尿蛋白1.6g/day,血圧160/100,尿 酸7.11ng/dl,網膜症はScott IIのままで不変で あった.自律神経の検索で脈拍数は起立負荷で明 らかに増加し,深呼吸に」;って呼吸性不整脈が増 強し,自律神経の障害を認めた.下肢腱反射は保 たれていた.胎児の発育は正常下限ではあるが妊 娠週数とともに増加していた. HOSPItal匡zat■on(H)㌦ii【
[亘コ [=亘コ Actrapid Monotard Ocular fuhdUs Scott 〔II,II〕 〔II,H〕 Proteinuria(g/day) 鮒 0.46 0.6 Body Weight(kg) 47.5 44 42 40.5 40 ♂鳴 % 1 m9/dl BS200 犠. pra“diaの 100 Delivery ↓ 〔II,[1〕 〔至1,II〕 0,43 1.33 1.6 ㈹ 37 39.542 43 4141.5 40 0 10 20 図3 第2回妊娠経過 30 40(week)妊娠39週と3日で自然に陣痛発来し,経膣分娩 で女児を出産した(図3). 新生児経過;新生児は体重2,610gであり,母体 体重が妊娠中6kg減少したにもかかわらず,出産 二二に比し正常下限のAFD児(appropriate−for− dates infant)であった.外表奇形や新生児合併症 はなく,神経学的異常も認められなかった. 分娩後の母体の経過;第1回目の分娩後と同様 に,分娩直後から口二二嘔吐は消失した.分娩6カ 月後には,妊娠前の体重に回復,分娩6年後の現 在,体重51.5kgとほぼ標準体重であり,朝夕2回 のインスリン注射にてコントロール良好づ網膜症 福田AI(P)と悪化は認め.られていない. 考 案 本症例は初診時すでに増殖性網膜症を持ち,妊 娠前の管理を受け計画妊娠を行った1980年代の稀 有な症例である. 妊娠期は女性にとってストレスにみちた期間で ある.妊娠によって内分泌学的および全身の身体 的変化と同様に精神的変化がもたらされるからで ある.妊娠期が情動性に安定していないことはよ く知られている.テスト知見や臨床観察によって 情動過敏,不安,精神的不安定性が妊娠初期や後 期に非妊娠婦人よりも強いことが報告されてい る1)心4>. Leeman5)によると糖尿病患者は病気に対する 負い目,無力感,罪の意識,病気に対する不安感, 自己コントロールについての葛藤をもつ傾向があ り,妊娠のストレスでこれらの症状が悪化するこ とを,Hollingworth6)は糖尿病妊婦は糖尿病と妊 娠という2つのストレスをもっているので精神的 サポートをすべきであると述べている. 次に妊娠前の徹底した患者教育,すなわち計画 妊娠は重要である7).本症例も血糖コントロール の改善と光凝固療法により,糖尿病性網膜症が両 眼底Scott IIIbからScott IIまで改善した段階で 計画妊娠を行った.しかし,妊娠初期の血糖コン トロールが不良な場合,奇形児分娩の頻度が高く, 妊娠中の血糖コントロールが不安定の場合は糖尿 病性網膜症が悪化することがあるという教育を受 けた患者が妊娠した場合,妊娠経過中にさまざま な精神的反応を示す.個人差はあるが「眼底出血 の増悪で失明するのではないか,正常児を産める のだろうか」という不安感を持つ人がいる. 一般的に真面目型,几二面型,権威服従的,保 守的な人はうつ状態になりやすいといわれている が,糖尿病妊婦でもこの傾向は強いようである. 本症例は基本的に真面目型であり,患者教育後 真剣に血糖コントロールにとりくむようになり, 受胎後は眼底出血で失明するのではないか「という 不安感が強かった.うつ状態の前景症状として消 化器症状は一般的であり,精神的不安定性がロ二二 嘔吐の大きな要因であると考えられた. 忌た,罹病期間の長い糖尿病に伴う自律神経障 害の1つとして嘔気口区吐をきたす糖尿病性胃症が あり,妊娠による子宮の増大に伴って症状が悪化 しやすいといわれている8)9).Hare9)は,糖尿病性 胃症を合併した3例の妊婦を報告している.1例 目は罹病期間13年目34歳の女性で,妊娠中に嘔気 嘔吐出現.肺水腫,敗血症を合併し死産した.2 例目は妊娠前からロ二二巨区吐があったが,妊娠中は 経静脈栄養を施行し,生児を得た.3例目は胃無 力症のために誤えん性肺炎になり母体死亡にい たった.これらの経験から,糖尿病性胃症を合併 した女性は,三児両方の危険が高いので軽々しく 妊娠すべきではないと述べている.. 本症例は第1回妊娠までの罹病期間12年,第2 回妊娠までの罹病期間17年で,第2回妊娠時には 明らかに自律神経障害を合併しており,口区気嘔吐 の原因は糖尿病性胃症も一因であると考えられ た.しかし,妊娠判明直後から口区気目区吐が出現し たこと,出産後は症状消失したことから嘔気嘔吐 の原因は心因性のものが主因であると考えちれ た. 結 語 精神的不安定性が大きな要因となって,2回の 全妊娠経過にわたり重症の妊娠悪阻が継続した, 罹病期間が長く網膜症を合併した糖尿病妊婦の1 例を報告した.現在,糖尿病妊婦における精神医 学的管理は未開拓の分野であり,今後は精神医学 的対応も重要である.
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