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憲法9条2項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 利用統計を見る

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(1)

憲法9条2項の成立過程とその憲法規範的価値に関す

る考察

著者

清水 虎雄

雑誌名

東洋法学

4

1

ページ

29-80

発行年

1960-06

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007787/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

憲法九条二項の成立過程と

その憲法規範的価値に関する考察

第 憲法九条二項の非武装規定と連合国の敵国民対する非武装政策との関連 (一)憲法九条とマッカ i サ i 草案八条との関連 日本国窓法第九条がその成立過程において、連合国総司令部において起草されたいわゆる﹁マッカ l サ l 草案﹂の 第八条をその原案としたということはマヲカ l サ l 草案が公表された今日では広く知られている事実である。この双 方を対照すれば次の通りである。 マ ヲ カ l サ l 草案第八条(日本政府が総司令部から受領した当時の外務省仮訳による) 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス 他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ永久-一之ヲ廃棄 ス 陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルベク叉交戦状態の権利ハ決シテ国家一一 授与セラルルコト無カルベシ 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 二 九

(3)

東 洋 法 学

日本国憲法第九条 日 本 国 民 は 、 正義と秩序を基調とする国際平和と誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力 行使は、悶際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。 憲法九条の規定中、 マ草案になかった字旬、即ち第一一項の正義と秩序を基調とする国際平和を誠実希求

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﹂と第二 項の﹁前項の目的を達するため﹂の二者は第九十議会における審議の際、衆議院の修正によって加えられたものであ るが、後者は修正案を提案した特別委員会の芦田均委員長の名によって俗に、 ﹁芦田修正﹂と呼ばれ後になって、第 二項により保持し得ない戦力は侵略的戦力のみであり、自衛の為の戦力は保持し得るという、 いわゆる﹁芦田理論﹂ の論拠として利用されるようになったことは周知の通りである。 叉マ草案の第一項では、﹁紛争解決ノ手段トシテノ﹂という字句が﹁武力ノ威嚇又は使用﹂だけにかかり、﹁戦争﹂ にはかかっていないから、戦争を全面的に放棄するように解せられるに反し、憲法の第一項では、 ﹁戦争﹂にもかか っているので、自衛戦争は放棄されないと解し得るようになった。この修正は、 昭和二一年二月二二日に日本政府が マ草案を受領した後、三月六日に憲法草案要綱を発表するまでの聞における稔司令部との折衝過程においてなされた 八 一 ) もので、この条項の起草者は松本一議治国務相であったといわれる。 r-..

、 、J マ ッ カ l サ 1 草案と﹁マヴカ i サ 1 ・ ノ ー ト ﹂ ( マ ッ カ l サ l 三原則)との関連 マ ッ カ l サ 1 草案の起草された過程については、総司郎氏政局の A M 衆同政府に対する公式報告書である﹁一九四五

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年九万より一九四八年九月に至る聞の日本の政治的再編成﹂(司♀

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円邑怠)!以下﹁政治的再編成﹂と略称する

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の公表により明かにされたが、これによれば内閣の﹁憲

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v 法問題調査会﹂において起草された憲法草案

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いわゆる﹁松本案﹂を二月一日に受領したが、総司令部ではこれを ﹁最も保守的な民間草案よりもさらにずっとおくれたものである﹂と感じ、総司令官マヲカ l サ l 元帥は直ちにこれ を全面的に拒否することを決定したが、更に慎重熟慮の結果、﹁彼が基本的と考える諸原則の性質および適用につき、 日本政府に教示する最も有効な方法﹂は﹁この諸原則を具体化した憲法草案を用意することであろう﹂という結論に 到達し、二月三日民政局長ホイヲトニ l 准将に憲法草案の起草を命じ、民政局長は民政局のケ l ディス、ラウエル、 ハ ヲ シ l の三人の幕僚による運営委員会と一連の専門委員会とによって構成された組織によってマ草案起草に当った の で あ る 。 マ元帥は起草を命ずる際に﹁民政局に完全な自由裁量権を与えるが、草案の中に重要な三点を入れたい﹂ という指示を与えた)この三点というのは

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天皇の地位及び権能に関する事項

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戦争放棄に関する事項

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封建 制度の廃止及び予算の型に関する事項であって、 マ元帥は彼自身のノ l トを用いてこれを指示したので、この三点は ﹁ マ γ カ l サ・ノ

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ト﹂或いは﹁マ汐カ l サ

1

三 一 原 則 ﹂ ξ 呼ばれている。とのマ γ カ l サ l ・ ノ l トの第二原則は次 の 通 り で あ る 。 国家の主権的権利としての戦争を廃棄す。日本は紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持す るための手段としてのそれをも放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ね る 。 憲 法 九 条 二 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 芳 察

(5)

東 洋 法 学

回 伺. . いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、 いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。 こ れ を マ y カ l サ l 草案八条と対照して気付くことは、 ノ ー ト の 方 で は 、 一九二八年の﹁戦争放棄に関する条約﹂ (不戦条約)と異り、紛争解決のための手段としての戦争のみなら、ず自衛戦争まで放棄するという趣旨を明記してい るが、草案の方では単に、戦争を放棄すると、のみ規定し、自衛戦争放棄を明記していない事である。これはラウル・ ペ 一 一 一 ﹀ ハ ウ シ

1

部の起草者が意識的に、明記を避けたものであることが明かになっている。その理由は、不戦条約第一条及 び全国際連合憲章第二条など既定の国際法の原則との関連を考慮し、明示的に国家が自衛権を放棄することは、 種 の﹁政治的自殺﹂であって不当であるということであったようである。 憲法九条一項は前に述べたように自衛戦争を放棄していないと解し得るのであるが、同時に二項の戦力不保持の規 定によって事実上自衛戦争は不可能になるというのが通説である。これについて、 アメリカのミネソタ大学教授ハロ ル ド ・

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・ タ l ナ!との共著の中で、 ﹁新憲法の最もユニークな特色である戦争放棄、 平和主義の規定に関し、軍事力を保有し得ないとしても、自衛権までも放棄したものではないと考える。しかし軍事 カをもたずしては、自衛権を有劾に行使することはできない。この戦争放棄の条項が、 日本の独立を回復した後も永 く存続することは、政治的にも不可能であるし、また国際法的にも、このような規定に正当性を与えるには問題があ ( 四 ) る﹂という批判を加えているが、この意味は、自衛権の行使を憲法を以て自ら放棄する結果、自衛権は保有していて も名目的のものになるから、対外主権の事実上の放棄となり、国際法上独立国家としての資格に問題があることにな るということであると解せられる。

(6)

現に従えば﹁不戦(ロ。毛足)非武装官。 ( 五 ) 部民政局によって憲法草案に挿入された﹂のである。 ω

ω ) アメリカのコロンビア大学助教授、セオドア・マヲク、不リ l の 表 マ ヲ カ 1 サーが熱狂的にこれを支持した結果、総司令 の 条 規 は 、 しかしマ一河川はこの第二原則を極めて重視した。 r"'、

、 、J マ ッ カ l サ l 草案と﹁

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・ニニ八号﹂との関連 総司令部民政局がマ元帥から憲法草案起草の命を受けたのは二月一一一日であったが、 ﹁政治的再編成﹂によれば脱稿 したのは二月一

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日 で あ っ て 、 直ちにマ元帥の承認を受け、 一点の修正がされたたけで承認され、 一二日にプリン ト さ れ 、 一三日に日本政府側に交付されたのである。 従って起草作業は僅かに一週間の短時日を以てなされた。 不 眠不休の努力の成果であったとはいうものの、この成果を得ることが可能であったのはマヲカ i サ l ・ ノ i トの外 に依拠すべき基本的の要綱が既に存在していたからである。そしてそれが一九四四年一二月に合衆国政府部内に正式 に設置された ﹁国務陸海三省調整委員会﹂ ( 斗 何 回 。 盟 問 符 14 司 何 回 同

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の の = ) に お い て 、 一九四六年(昭和二一年) 一月七日に承認され、 一一日に総司令官に送付された﹁日本統治体制の改革﹂ ( 問 。 片 足

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と題する重要文書﹁

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・ 一 一 一 一 八 号 ﹂ で あ る と い う こ と は 、 今日では明らかになっている。 マヲクネリ l も﹁民政局の草案の基礎となったのは、 大体において、 マ ヲ カ ー サ l 元帥が自ら行ったいくつかの提案 ( マ ヲ カ l サ l ・ ノ l トをさす筆者) と一月マタカ l サ l に送られてきた アメリカ合衆国国務 H 陸軍日海軍三省聞の文書

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に合まれた諸原別であった﹂と述べているが、 マ γ ク 、 不 リ l は 、 ﹁この三省聞の文書をマヲカ l サ i 憲法草案の基礎に使ったのは、 アメリカ国務省の干渉をよび 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察

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東 洋 法 企とι 寸4 四 ( 五 ) 起す口実を予じめ防ごうとしたためであろう﹂という観測をしている。確かにこの文書を基礎にして起草すれば、合 衆国政府の同意乃至支持が得易いであろうという意図が有ったのに相違ないが、この文書より以前にも同様の内容を 持った文書が合衆国政府から総司令部に幾っか送られて来て居た。﹁政治的再編成﹂によれば前年(一九四五)十月に 行われた総司令官政治顧問アチソン大使(の

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片 岡 o k r R F 2 0 ロマ・)と近衛文麿との非公式会談において、 アチソンは 総司令部が憲法改正について基礎的と考えている諸点を十二項目にわたって述べた、となっているが、このいわゆる ( 六 ) ﹁アチソン十二原則﹂も、こういう文書に依ったものである。国務省刊行文書﹁極東委員会﹂によれば、﹁一

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月一七 日にアチソン大使は、 パ l ンズ国務長官から改正憲法のうちに具体化されなければならない基本的規定のアウトライ ( 七 ) ンを示した重要な訓令を受け取った﹂とあるが、アチソン十二原則は主としてこの文書に依ったものと推定される。 そ し て 、

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・二二八号は、こうした一連の﹁改正憲法のうちに具体化されなければならない基本的規定の アウトラインを示した文書﹂の最終的決定版ともいうべき重要文書であったのである。この文書はマ元帥に対して指 令としてではなく、参考資料として送られたのであるが、 ﹁占領当局が日本においてその実施を主張しなければなら ﹁極東委員会が正式に組織せら へ 八 ) れた以前の期間内において、合衆同政府の見解を支配的と考えたことに自然のことであった﹂わけである。従って、 ない憲法改正に関する合衆国政府の見解を表明したものであった﹂ので、 マ 元 帥 が 、 参考資料とはいっても事実上指令に等しいものであり草架起市の際令一面的にこれに依拠したのは当然であった D ( 四

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ニニ八号の内容をなす憲法事項と問題点

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二 二 八 号 の 内 容 は ﹁ 結 論 ﹂ ( わ 。 ロ 巳 ロ 包

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﹁ 討 論 ﹂ ( 口 町 。 口 一 協 同 。 ロ ) 寸問題に関係ある事実 L ( 司

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-。 V H O B ) の三篇に分れているが、その中核はいうまでもなく、﹁結論篇﹂であって、即ちポツダム宣言 に基く憲法事項として連合国が、 日本に対して改正を要求する権限有るものと解された事項を挙げたものであるから (昭三四・一憲法調査会刊│久保田きぬ邦訳による) その全文を引用することとする。

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日本の統治体制は、次のごとき一般的な目的を達成するため、改革されるべきことを、最高司令官は日本国政府 当局に対し指示しなければならない。 付 政府は、広汎なる代表選出権にもとづく選挙民に対し責任を負うものであること。 同 政府行政部は、その権威が選挙民または国民を完全に代表する立法部に由来し、それに対し責任を負うもので あ る こ と 。

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訪 立法部は、選挙民を完全に代表するものであり、予算の項目を削減し、増加し、 または削除し、あるいは新項 目を提案する完全なる権限を有するものであること。 鞘 予算は、立法部の明示的な同意なくしては成立しない。 伺 日本国民および日本統治権の及ぶ範囲内にあるすべての人に対し、基本的な市民としての権利を保障するこ と 炉守 県政府の職員は、 できうるかぎり多数を民選または地方での任命にすること。 ~ 日本国国民の自由意思を表明するごとき方法で、憲法の改正または憲法の起草をなし、採択をすること。 (b) 日本における最終的な政治形態は、 日本国民の自由に表明せる意思によって決定されるべきものであるが、皇帝 憲 法 九 条 二 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 考 察 五

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東 洋 法 字 ..J_・ ノ、 制度を現在の形態で維持する'ことは、前述の一般的な目的に合致しないと考えられる。

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日本国国民が皇帝制度は維持されるべきでないと決定する場合には、この制度に対する憲法上の保障はもとより 不要であるが、憲法が上記

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に列記された目的に合致し、かっ次のごとき特別の規定を含むものに改正されるべき ことを、最高指令官は日本国政府に対し指示しなければならない。 付 政府の他のいかなる機関も、憲法改正を含めての、国民代表たる立法部の承認する立法措置に関し、暫定的拒 否権を有するにすぎないこと、また立法部は財政上の措置に関し、専権を有すること。 亡 今 国務大臣または内閣閣員は、すべての場合に文民でなければならない。 同 立法部は自由に集会しうること。 他日本人は皇帝制度を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを奨励支持されなければ ならない。しかし日本人が皇帝制度を継続すると決定する場合には、前記の例および

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で列挙せるものに加えて、 次に掲げる保障が必要なることをも、最高指令官に日本国政府当局に対し、指示しなければならない。 付 国民代表たる立法部の助言と同意にもとづき選任される国務大臣が、立法部に対し連帯して責任を負う内閣を 構成すること。

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ヰ 内閣が国民代表たる立法部の信任を失う時には、内閣は辞職するかまたは選挙民に訴えるか、そのいずれかを とらなければならない。 同 皇 帝 は 、 一切の重要事項につき、内閣の助言にもとずいてのみこれを行う。

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制 皇帝は、憲法第一章、第一一条、第一一一条、第一三条および第一四条に規定されるがごとき軍事に関する一切 の権能を剥奪される。 同 内閣、皇帝に助言を与えかっ皇帝を援ける。 伊も 一切の皇室収入は公庫に繰り入れられ、皇室費は、立法部より、歳出予算の中に計上される。 最高指令官がさきに列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは、最後の手段としての場合に限らなけれ ばならない。前記諸改革が連合国によって強要されたものであることを日本国民が知る時には、それらを、将来、 日本国民が承認し、支持する可能性に著しくうすれるのである Q 日本における軍部支配の復活を防止するために行う政治的改革の効果は、この計画の全体を日本国民が受諾する か否かによって大きく左右されるのである。日本国政府の改革に関する連合国の政策を実施する場合、連合国最高 指令官は、前記の諸改革が、確実に、 日本において永続して代議政を強化するものであらしめるためには、この変 革を日本人が容易に受諾できる方法と共に、変革の帰結と前期の問題をも、考慮に入れなければならない。 本文書は公表されてはならない。日本国政府の改革に関する連合国の政策について戸明を発表する場合には、 日 本側自体における前記諸改革の完遂を妨げないため、連合国最高指令官と連絡協議されなければならない。 以上、結論篇に述べられた所を、 マ ヲ カ l サ l ・ノ!ト及びマヲカ 1 サ l 草案成立過程に対照してみると、次の諸 点が注意される。 第一には、この文書自身は秘密文書であるけれども、結論篇の内容について最高指令官は日本政府当局に指示しな 訟 法 九 条 ご 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 考 察 七

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東 洋 法 学 八. げればならないことになっている。そして日本国民の自由意思を表明するような方法で、憲法の改正または憲法の起 草をなし、採択することとなっている D 即ち日本政府はこういう基本的要項について予め指示を受けるならば、民主 的憲法草案の起草が可能であろうということを期待しているわけである。所が、 マ元帥はこの文書を一月一一日に受 取ってから、二月一日に松本案が起出されるまでの二十日間の間に日本政府に右の指示を行う時間的余裕が有ったの に拘らず、その指示を行った形跡がないのは何故であろうか。行うべき指示を怠ったといわざるを得ないのではない で あ ろ う か 。 マ元帥は松本案を保守的な試案として非難じ、拒否したのであるが日本側が民主的憲法草案を起草し得 なかった責任は寧ろマ元帥にあるのではないであろうか。 第二には、天皇制の存廃について、

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二二八号は、天皇制を廃止するか、或いは民主主義的の方向に改革 して存置するか、二者択一的に記述し、その選択は日本国民の自由に表明した意思によることを期待しているが、 ヲ カ l サ l ・ノート第一原則は後者を採るという結論を出していることである。 マ 第 三 に は 、 マ ヲ カ l サ l ・ ノ l ト第二原則に強調する戦争の放棄、非武装主義について、 ﹁結論篇﹂は全く触れて いないということである。 ﹁ 討 論 篇 ﹂ ・ を 見 る と 、 日本国現在統治体制の包蔵する制度上の欠陥の一つとして、第四章 で﹁軍が政府および議会から独立して行動することを可能にした日本悶統治の二元性﹂を挙げ、制度改革に当っては 第一一章で﹁天皇の軍事に関する一切の権能を剥奪する﹂ことを必要とすることを挙げ、更に第十章で﹁日本の統治 機構の中にある軍の権威と影響力は、 日本軍隊の廃止と共に、恐らく消滅するであろうが、国務大臣または内閣閣員 は すべての場合に、 文民でなければならないということを要件とすることにより、 軍部が政府に永久的に従属す

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るという正式の措置のとられることが望ましいであろう﹂と述べ、軍隊は政府に従属し、天皇に直属してはならず、 文官統治でなければならないことを強調しているのは、将来再軍備の可能性のあることを予想しているるわけであ る 唯、討論篇第一章では日本の非武装化政策ということに触れている、が、それは、ポ γ ダ ム 宣 言 が 、 ﹁平和的傾向を 有し、且つ責任ある政府が樹立されるまで、占領軍は日本から撤収されない﹂と明記していることを挙げ、この規定が 単に﹁撤収する以前に連合閏の承認する特定の日本国政府﹂についてのみ言っているのではなく、 ﹁日本の統治機構 の本質﹂についても言っているのであるから、 ﹁最終的の日本の政治形態﹂は﹁日本国国民の自由に表明せる意思﹂ により決定されるべきであるが、連合国は、 ﹁前記の規定﹂にしたがい、 かっ﹁日本の非武装化のための綜合政策の 一 環 ﹂ と し て 、 ﹁日本の基本法が、その政府は事実上国民に対し責任を負うこと、 また政府の文官部門は軍部に優越 することを規定するよう、改正されるべきことを主張しうる権限﹂を完全に与えられている、と述べているのであ る。即ち憲法改正は連合国の日本非武装化政策の一環としての役割を荷うべきであるが、具体的の条項としては、前 記の﹁軍の独立性﹂ ﹁統治の二元性﹂を否定し得るようなものが、予想されて居り、憲法の条項として直接に非武装 規定を入れるということは全く考えられていなかったことが明らかである。即ちポヲダム宣言に基く﹁憲法事項﹂と して解されてはいなかったのである D 然らば非武装政策の具体的方策としてはどういう事が考えられていたかというと、その主要なものは﹁降伏後にお けるアメリカ初期の対日方針﹂に包括されている。 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する芳察 九

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(五)降伏後におけるアメリカ初期の対日芳針との関連 ﹁降伏後におけるアメリカ初期の対日方針﹂(=CEZ仏∞官官

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旬 。 ︼ 宵 可 営 門 官 官 ロ = ) と いう題名の重要文書は、最初は﹁日本の敗北にともなうアメリカの初期対日方針﹂という題名の下に極東分科委員会 で起草され、三省調整委員会(∞当

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及び統合参謀本部で協議され、 日本のポツダム宣言受諾直後一九四五年八 月三一日に三省長官によって承認されて E ∞ 司

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という文書になり、九月六日に大統領の承認を受け、即日 マヲカ!サ l 元帥に通達された。その後多少の修正が加えられ、題名も変更され、九月二二日に﹁降伏後におけるア メリカ初期の対日方針﹂として発表された。この﹁初期の対日方針﹂中の非武装政策に関する部分は、第三部制と第 四部初であって次の通りである口 第三部政治小川武装解除及非軍国主義化 武装解除並に非軍国主義化は軍事占領の主要任務にして即時且断乎として実行さるべし。 日本は陸海空軍、秘密警察組織、又は何等の民間航空を所有することなし。 第四部 例経済上の非軍事化 日本軍事力の現在経済基礎は破壊され、 経 済 且つ再興を許可せられざるを要す。従って下記諸項を合む計聞が実施さ れ る べ し 。 各種の軍事力又は軍事施設の設備維持又は使用を目的とする一切の物資の生産の即時停止及び将来に対する禁止 隠蔽又は偽装軍備を防止する為、 日木総出活動における特定部川に対する防察、管理制皮の設置

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日本にとり其の価値が主として戦争準備に在るが如き特定産業乃至生産部門の除去 戦争遂行力増進に指向せられる専門的研究及び教育の禁止 将来の平和的需要の限度に日本重工業の規模及び性格を制限すること 非軍事化目的達成に必要なる範囲に日本商船を制限すること この﹁アメリカの初期対日方針﹂を通観して感じられることは、連合国の日本に対する非軍事化、非武装化政策が 徹底的に厳しいものであったということである。即ち、これを要約すれば、 (1) 陸海空軍など顕在戦力の全面的禁止 (2) 軍需的産業の禁止 (3) 再軍備の為に利用し得るような生産部門の排除 (4) 重工業の規模と性格を純然たる平和的需要の範囲に限定すること (5) 民間航空の全面的禁止 (6) 商船の大幅の制限 (7) 再軍備の為に利用し得るような専門的研究及び教育の禁止 (8) 秘かに再軍備されることを防止する為、特定専門の経済活動に対する、監察及管理制度の実施 ということになる。要するに軍隊のような顕在戦力の外あらゆる潜在戦力、即ち戦力たり得る可能性を持つ一切のもー のを現在は勿論、将来にわたって排除するというのが、連合国の非武装化政策であったのである。この﹁戦力たり得 憲 法 九 条 ご 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 芳 察 四

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東 洋 法 宇 四 る可能性を持つ一切のもの﹂が、 い わ ゆ る ご 君 民 間 ︼ 。

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といわれるものであって、 直 訳 す れ ば 、 ﹁戦争の可能力﹂であるが、 ﹁戦争遂行への再生産的能力﹂の意味である口こういう概念は第一次世界 大戦後の世界情勢から、将来の総力戦に備える為、西欧諸国によって、いわゆる﹁国防経済﹂

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宵 急 円 官 。 V 乱。の ︿ 九 ) 見地から広汎な人的物的資源を包合するものとして構成されたものである。 所がヴェールサイユ平和条約によって軍備を制限されたドイツは、連合国が注意を怠っている間に、 ヒットラーのナ チス政府によって、あらゆる潜在戦力が蓄養され、 一見平和産業と見える工業、民間航空機、船舶などの物的施設及 び突撃隊

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ユ l ゲントのような組織され、訓練された部隊が、機会到来と共に 一挙にして顕在戦力化し、忽ちにして全欧州を席巻するような戦力が結集された。この苦い経験に鑑み、第二次大戦 後の占領管理政策において、連合国は日、独、伊の枢軸国に対し徹底した非武装化政策を以って臨む事になり、 切 の 2 4 ︿ M W H 1 旬。窓口件宮で.を排除するという周到な計画を立てざるを得なかったわけである。従ってこの一見苛酷と見え るような日本非武装化計画の対象となったものは、即ちこういう意味の E 宅 問 円 安 ) 窓 口 忠 弘 = に 外 な ら な い の で あ る 。 所でマヲカ l サ i ・ ノ l ト第二原則では、 h h 州 戸 ロ ロ 可 . J h h ロ 州 宅 凶 可

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-という軍隊だけが保持禁止の対象 となっているが、 マ γ カ!サ

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草案では更に拡張されて

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﹁其の他の戦力﹂と訳された) までが対象になり、非武装化計画の対象と一致することになった。憲法九条二項の﹁其の他の戦力﹂という諮の英訳 も、この=。己 M O M -者 m H H . 唱 。 件 。 ロ 民 包 が踏襲されている所から見れば、総指令部は﹁其の他の戦力﹂という語を広い 概念と解して承認を与えたものと思われる。

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(六)極東委員会の決議との関連 この﹁アメリカの初期対日方針﹂に包含された非武装計耐の方針は、その後、 一九四冗年二一月のモスクワ会議に お い て 、 日本の最高管理機関として設置が決定され、 翌一九四六年二月二六日に第一回総会を開いて活動を開始した においても照持された。即ち一九四七年(昭和二二年)六月 へ 一 O ﹀ 一九日決議の﹁日本降伏後の基本政策﹂第三部けは次のように述べている。 ﹁極東委員会﹂(と吋宮司民間忠信

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ぽ 乱 。 ロ コ ) 武装解除及び非軍事化は、軍の占領に欠くる所の無い任務であり、急速且つ決意を以て実施されなければならな L

日本国は如何なる陸軍、海軍、空軍、秘密警察組織又は如何なる民間航空又は憲兵を有してはならない、 しかし 充分な文民的警察隊を保持してもよい。 日本国は自己の経済を支持し、公正な実物賠償の取立を可能ならしめる産業を維持することを許されなければな らない。しかし再軍備を可能ならしめるものであってはならない。 この目的の為、原料品のコントロールとは区別し、その入手は許されなければならない。 世界貿易関係への日本国の将来あり得ベき参加は許されるであろう口 更に翌一九四八年(昭和二三年)二月一二日決議の﹁日本における軍事行動の禁止及び日本軍事装備の処理に関す る政策決定﹂においてもこの方針が確認補足された。即ち、後に朝鮮戦争を契機として大きく転換した連合国の非軍 事化的政策もこの時期までは厳しく堅持されたのである。 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 四

(17)

東 j去 止ι ず4 四 四 (七)非武装化条約案との関連 連合同の日本非武装化、非軍事化政策の実施計画として、 アメリカの初期対日方針及極東委員会決議に現われた所 は、厳しいものであるがその有効期間は当然、占領中即ち対日平和条約締結までに限定される事になる。所が連合同 は枢軸国、特に日本とドイツとを危険極まる軍国主義国家と認めていたので、占領管理政策の効果のみに期待せず、 更に日本を非武装化条約によって占領終了後も長期間に瓦って拘束することを考えていた。それが表面化したのは、 一九四六年六月一二一日にアメリカから提案された、 ﹁日本の武装解除及び非軍事化に関する条約案﹂(ロ

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この日本にとっては過酷と思われるような条 監視する為に、 有効期間は二五ヶ年とし そ 約案は、幸か不幸かソ連の拒否により採択されなかった。その理由は、 八 一 一 一 一 ) 州の国際情勢と関連したもの﹂であるが、それはドイツにおいても同様の条約案が考えられていたので、東ドイツに ヒ ュ l ・ ボ 1 トンが指摘しているように﹁欧 も管理委員会が介入することはソ連の好まない所であったのである。 この条約案の骨子は、すでに前年一九四五年二一月のモスクワ会議の際、秘密協定として成立していたのであるが 若しマ元帥がこの﹁モスクワ密約﹂の存在を知悉していたとすれば、 マ 付 ノ カ l サ l 束中に非武装条項を入れた真意 は、日本が二十五年の長期にわたって非武装条約によって拘束されることを防止するにあったのではないか、 という 推測もされるのであるが、 ﹁高柳調査団﹂の海外調査の結必では、総司令部は草案作成可時この﹁モスクワ密約﹂の

(18)

存在について知悉してはいなかったという事実が明らかになった。また山一地法草案が極京委員会に報 ι守された後におい て、この非武装条約案が出たという事実及び前記の極東委は会の決議が行われたという事実は、述人円閃の非武装化政 策が 日本が独立回復後において随時改正することが可能である所の忠法中に非武装規定を置くことによって緩和し 得るような甘いものではなく、もっと苛烈な、 現実的なものであったことを示すものである。ブレークスリ l の﹁極 東委員会﹂(前掲)によれば、その当時、日本政府の憲法草案中の﹁戦争放棄条項は独特のものであったが、 ( 一 回 ﹀ アメリカから来たものと認められた﹂のであるから、アメリカ、が、これを以て非武装政策の保障の一とする意図から 一 般 に は 指示したものと見られていたもので、 日本国民の自主的提案とは見られていなかったのである。従って憲法の戦争放 棄規定により、 日本が完全に軍国主義を排除し、平和国家として再生する誠意を有することについて連合同の信頼を 得ょうとする目的があったとしても、余り効果的であったとはいえないであろう。 非武装化の条約案は不成立となったが、 一九四六年一一月調印の対伊平和条約第六八条に、 ﹁イタリア国は、ドイツ 国および日本国が再軍備のためドイツ国および日本国の領域外において措置をとる事ができないようにするため、同 盟国および連合国と充分に協力することを約する﹂という条項が設けられ、叉対日平和条約中にも非武装条項を挿入 するという試みもなされたが、 一九五一年(昭和二十六年)に調印されたサンフランシスコ平和条約にはこういう条 項は置かれず、寧ろ日本の固有の自衛権を確認する条項(第五条

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が置かれた事、又ソ連が日本の再軍備を前提と する軍備制限に関する修正案を提案した事は周知の事実であるが、これも国際情勢の変化に基くものである。 (八)ポツダム宣言との関連 憲法九条一一項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 四 五

(19)

東 洋 法 学 四 ノ¥ 以上挙げたような一連の日本非武装計画を企画し、又実施した連合国の権利及びこれに服する日本の義務の法的根 拠がポツダム宣言及び、これを内容とする降伏文書にあることは明らかである。然らばポツダム宣言の如何なる条項 がこれに当るのであるかといえば、次の諸条項が挙げられる。 第六項 我等は、無責任なる軍国主義が世界より駆遂せられるに至るまでは、平和、安全及び正義の新秩序が生じ 得ざることを主張するものなるものを以て、 日本国民を欺繭し之をして世界征服の挙に出づる過誤を犯さしめ たる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず。 第七項 右の如き新秩序が建設せられ旦日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連 合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、吾等の弦に指示する基本的目的の達成を確保する為占領せられる べ し 。 第九項 日本国軍隊は、完全武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的旦生産的の生活を営むの機会を 得しめらるべし。 第十項 主 ロ 等 は 、 日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに 非ざるも、吾等の停虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし口日本 国 政 府 は 、 日本国国民の聞に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし D 言論、宗教 及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるベし。 第十一項 日本国は、其の経済を支持し、且公正なる実物賠償の取虫な可能ならしむるが如き産業を維持すること

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を許さるべし。但し日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業は、此の限に在らず。右目 的の為原料は入手(其の支配とは区別す)を許さるべし。日本国は将来世界貿易への参加を許さるべし。 第十二項 前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従い、平和的傾向を有し且責任ある政府 が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし。 前掲の各条項を通観すると、既存の軍隊の解散を含む軍国主義的勢力の排除を前提要件として居り、直接の非武装主 義の規定は無いが、第十一項の経済条項において、再軍備を可能ならしめるような産業を許さない趣旨を明らかにし ているから、再軍備を許さないと共に、潜在戦力も認めない趣旨に解せられる、従って非武装化政策の根拠とするこ とは不当ではない。それにしても、初期対日方針は潜在戦力の禁止について行き過ぎの点が感ぜられるのを免かれな いのは、当時の連合国としては、 日本とドイツとに対し軍国主義国家として恐怖と増悪とを感じて居り、これを民主 化し、非武装の状態に置くことによってのみ、世界平和の確保が可能であるという、国際情勢の判断の過誤が犯され た為である。従って間もなく二つの世界の対立による冷戦状態に入るに及んで、この認識の誤りが訂正され、政策の 緩和を見るようになるのである。 憲法九条二項も、前記のような厳しい非武装政策が堅持されていた状勢下において成立したものであることが注意 される必要がある。ポツダム宣言受諾当時、 日本側としてそれが当然憲法改正を要請しているものであり、憲法改正 を行う義務が有るとは必ずしも考えなかったのであるが、ブレークスリーが﹁極東委員会﹂の中で﹁日本憲法の改正は ポツダム宣言の要求するところであったものの如くである:::軍人が日本をコントロールすることを許した明治憲法 憲 法 九 条 二 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 考 察 四 七

(21)

東 洋 法 字 四 八 ポツダム宣言によって規定せられたごとく、 ︿ 一 五 ) 改革せられねばならなかった﹂と述べているように、連合国としてはそれを必至としていたのである。 b土 日本における民主的傾向を復活強化せしめるためには、 根本的に ﹁政治的再編 成﹂には憲法改正の基礎として、 ポツダム宣言第六項第十項及び第十二項を挙げている。

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三二八号が、当時連合国を代表していた合衆国政府の改憲事項についての決定的見解の表明であること は、前にも述べた通りであるが、今日から見てもポツダム宣言の具現としての客観的妥当性を認めることはできよう。 る。しかし

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コ 二 八 号 と 、 アメリカの初期対日方針とは何れも三省調整委員会

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によって承認 された文書であるに拘らず、後者において強調されている非武装政策が、前者に盛られている改憲事項中にその片鱗 も見せず、僅に﹁文民規定﹂によって文官的政府に軍が従属することにより、非武装政策の一環の役割を果す趣旨が 示されているという事実は改憲に関する合衆国政府の見解を明かに示している。要するに非武装的政策は占領管理政 信用の現実的措置及び条約により実施するという意図であって、再軍備を行わしめないということが連合国の権利であ り、再軍備を行わないことが日本の義務であるにしても、その為に連合国に憲法改正を要求する権利があるわけでは な く 、 日本に憲法改正の義務があるわけではなかった。 (九)大西洋憲章との関係 ポツダム宣言を基礎とし初期対日方針により詳細に具体化された非武装政策は、この時になって突如として生れ出 たものではなく、既に第二次大戦の当初、太平洋戦争開始前の一九四一年(附和一六年)八月一四日にチャーチル首 相とロ l ズヴェルト大統領により英米共同宣言として発表され、九凡二四日のロンドン立一一一一口によりソ連其の他の諸国

(22)

も参加した﹁大西洋憲章﹂(、 H , F O ﹀ 己 m伊豆宵ハ u y m 江 民 ) の中に明示されている。同宏指は戦争目的を宣言したものであ るが、戦争と平和の基本理念を明かにしたもので、休戦後の敗戦闘に対する基本的政策として、 ﹁民主政体の確立の 原則﹂と﹁侵略国非軍事化の原則﹂を強調し、これを以て将来の平和維持の必須の要件としているのである。民主化 の原則(第六項)は軍国主義、権力主義、侵略主義、経済的帝国主義など、要するに政治的、経済的暴逆主義を排除 するものであり、非軍事化原則(第八項)は侵略的性格の同が引続き陸海空の軍備を保有するようでは将来の平和を 一層広汎かつ永久的な一般的安全保障制度が確立されるまでは、こういう国の全面的武装解除は 不可欠であるとしたものでか一信従って両原則共に世界の恒久平和を指向するもので相互に密接な関係がある。ポツ 維持し得ないから、 ダム宣言も要するにこの趣旨の具体化に外ならないのである。 ( 十 ) 五

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政策との関連 大西洋憲章の掲げる原則の実現は敵国の政治体制を改造するに至らなければその目的を達しないから、 休戦条件 (例えばポツダム宣一一一一口)の中にもこれを掲げ敵国がその条件を無条件に受諾する場合に休戦を許す、 という第一次大 戦の場合とは異る方式の﹁無条件降伏﹂(ロロ

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ロ 己 主 。 ロ 巳 ω ロ 円 円 。 ロ 仏 O 円 ) の 方 針 が 、 一九四三年一月カサプランカにおけ る ロ

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ズヴェルト米大統領とチャーチル英首相の会談において大統領の提言に基いて決定された。 いわゆる﹁カサプ ランカ方式﹂である。この方式によれば外交交渉を認めないのであるから敵国は休戦を可能にする為には如何なる不 当な内容を持つ要求でも容れなければならないことになるが、要するに、不当であるか否かの価値判断の問題である がこの方式により敵国に強制される原則は、 アメリカにより五

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政 策 ( 司 言 。 ロ ぱ 司 己 目 。 可 ) と し て 宣 伝 さ れ た も の で 、 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 四

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政策と称するものも、要するに一九四一・一・一六の議会教書において、 ローズヴェル卜大統領が﹁独 裁者が創設しようとする所謂暴逆の新秩序に対する本来の対立物﹂として、 ﹁ 四 つ の 自 由 ﹂ (即ち大西洋憲章にいう 民主体制確立の原則に当る)を説いたのと同一趣旨であって、 人類の幸福の為ナチズムやファシズムの打倒の必要を 強調したものであるから表現も強くなっている。日本の軍国主義もナチズムと同類と見られたわけであるが、結局、 イデオロギーの問題よりも実施された政策面における不当な行き過ぎの有無が問題であろう。 ( 十 一 ) ハ l グ条約との関係 カサプランカ方式による無条件降伏の場合、戦勝国の占領管理政策は当然敵国の政治的体質改善を強行することに なるから、ここにハ l グ条約第四三条に矛盾し、国際法原則に違反する内政干渉であるという非難がでて来る可能性 ︿ 一 -八 ) が あ る 。 一 八 七

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グで締結された、 ﹁陸戦の法規慣例に関する規則﹂と題する条約は敵国領土の占領に 関する唯一の現行国際法規であったが、その第三款﹁敵悶の領土における軍の椴力﹂中に規定される第四三条は次の ような条項である。

(24)

国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的の支障なき限り、占領地の現行法規を尊重して、な るべく公共の秩序及び生活を回復確保するため施し得べき一切の手段をつくすべし D 第二次大戦後の占領管理政策は確かにこの条約に反するように見える。しかしハ l グ条約第四三条は本来局部的な 一時的の占領の場合を念頭に置いたものであるから、 これのみを以て第二次大戦後の占領管理政策を律し切ろうとす ることには無理があるのであって、 マ元帥に対する初期の根本的指令が指摘するように、連合国の権力の根拠となっ ている法規としては、占領に関する一般法規としてのハ l グ 条 約 の 外 、 日本が受諾した降伏文書及びその内容となっ ているポツダム宣言を新たな特別法規として認むべきであろう。従って日本の占領管理政策が国際法規違反であると いう非難は必ずしも当らないと考えられる。 註付佐藤達夫﹁日本国憲法誕生記﹂(昭和三二年二一周﹀四五頁、六二頁。 憲法調査会│憲法制定の経過に関する小委員会第二十六回議事録四頁、六ー六貰 o A W ﹁政治的再編成﹂の記述によれば総司令部の松本案の提出は、二周一日となっているが、松本自身が後に自由党憲法調査 会で口述した所によれば二月八日となって居り、恐らくこの方が事実であり、﹁政治的再編成﹂が二月一日とした事には別 に理由があるものと思われる。しかし二月一日の毎日新聞には松本案の内容をスクープしているし、他の情報入手手段も有 ったと思われるから、二月一日以前において総司令部が松本案の内容を知悉していたことは確実であろう。 骨 憲 法 調 査 会 l 憲法制定の経過に関する委員会第二十六回議事録二三 l 二四頁 同 国 m w g E m ・ 0 H 回目 m E U 1 p ロ 仏 担 。 ロ 開 ・ 4 ロ HSFE 吋 H H O Z 0 4 ﹃ ト ﹃ 8 8 3 5 日 P O H H m w u ・ 凶 ロ ・ 4 H H O Z 0 4 ﹃ の 8 ω 仲 間

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。 ロ ー久保田きぬ抄訳﹁新生日本﹂三頁。 叫 明 吋 F 0 0 白 0 8 冨 o Z 巳

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日 ∞ ( 一 九 五 八 年 四 且 一 一 品 、 l ヨークにおい て開催の﹁アジア研究協会 k r z o o U 昨日 o p 皆 同 ﹀ ω Z P ω Z 2 2 ﹀﹂年次会報告) 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 五

(25)

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February 12 , 1948. Far Eastern Commission , Second Report by the Secretary Genera l. July 10 , 1947-December 1948 , pp. 19.

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(26)

第 憲法九条の成立過程に関連する諸問題 (一)侵略国非軍事化の原則の具体的方策 前節において観察して来たように、ポツダム町一言受諾による無条件降伏は、第二次大戦以前にはその例を見なかっ たいわゆるカサプランカ方式に基く新しい無条件降伏の構想に依ったものであって、第二次大戦において連合国側が 敵国たる枢軸国に対し休戦を許可する場合の方式として予定されたものである。その趣旨は大西洋憲章に規定された 三原則、特に

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自由民主主義政治体制の確立と、

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非軍事化、非武装化の二大原則を実現することであり、その為には 枢軸国の﹁政治組織の体質改善﹂を必須のものとして要求するものである。この二大原則は、究極的には、歳世代に 亙って世界平和の合理的保障を可能ならしめようとするものであり、 ローズヴェルト米大統領の四大自由の宣言にい う 所 の 、 ﹁独裁者の創設しようとする暴逆の新秩序に対する本来の立場﹂である基本的自由に要約され得るものであ って、相互に密接不可分の関係に立つものである。この枢軸国の世界制覇を目指す侵略主義が、 イデオロギーに基く 根強いものである以上、休戦後の措置として、戦争を指導した政府要人を退け、軍隊を解体させるというだけでは、 恒久的平和保障の目的を達し得るとは考えられず、進んで政治的体質改善の要請を必須とされたことは当然といわな ければならない。従って戦勝国の占領管理政策が一見、 ハ l グ条約に反するような、戦敗国の内政干渉に及ぶことも 止むを得ないことであり、 ハ l グ条約を一般法規とする新たな特別法規が創設されるに至ったという見解を採る事も 不当とはいえないであろう。 憲 法 九 条 二 項 の 成 立 過 程 と そ の 箆 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 芳 察 玉

(27)

東 洋 法 字 五 回 問題は戦敗関の民主化、非軍事化を実現するための具体的方策の当不当にある。そこで、具体的方策として考えら れるものとしては、次の三つがある。 (a) 休戦協定(日本の場合でいえば、降伏文書及び、その内容をなすポツダム宣言) に基き、占領管理機関(日本 の場合でいえば、極東委員会及び占領軍総司令官) の行う行政的措置 (c) (b) 根本的方策として、憲法の改正。 講和条約其の他の条約の条項の内容における具体化。 右の何れもが可能であり、有効である方式であるが、問題はその内容にある口 (ニ)ポツダム宣言の拘束力とその限度 ポツダム宣言受諾の場合、連合悶がこれを無条件降伏(ロロ

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丘 ゆ 一 円 ) と 呼 ん で い る の は 、 日清戦争 の時の馬関協定の場合のような、外交交渉を行うことを戦勝国は戦敗因に対して許さ、ずに、戦敗国は戦勝園、が一方的 に提示した条件を受諾するか否かの臼由あるのみという志味においてである。従って戦敗闘が留保条件をつけること も勿論許されず、全面的に受諾しなければならない。これがカサゃフランカ方式である口 しかし、条件が限定されているという意味においては、条件付降伏であるということもいえるのである。即ちポツ ダ ム 宣 一 一 一 一 口 第 五 項 は 次 の 通 り に 述 べ て い る 。 吾等の条件は右の如し。 E 口等は、右条件より離脱すること無かるべし。右に代る条,伴は存在せず。

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﹁高柳報告﹂によれば、ポツダム宣言の起草に関与した人達は、次のように述べているのである。 起草者は条件付降恥のつもりで起草した。かくしてポツダム宣言の諸条件は法的意味を持ち、連合同と日本とは ( 一 ) 権利義務の関係で結び付けられておる。 要するにポツダム宣言中の諸条項ば、当事者双方を拘束するわけである。白木は諸条項を履行し服従する義務を負 い、連合国はこれを要求し実行させる権利を有すると同時に、占領管理政策はこれを離脱してはならないという限度 に拘束されているわけである。勿論ポツダム宣言の法的解釈権は連合同側にあるけれども、良心的に、厳密に解釈さ れるべきことはいうまでもない。 問 題 は 、 日本側の義務が、根本法規である憲法改正の義務までも包含すると解せらるべきかということであり、恐 らく宣言受諾当時の日本政府はそこまで考えていなかったと思われるのであるが、前掲の談話は更に次のように述べ、 連合国側がこれを積極的に解していたことを明かにしている。 従ってまた占領中の日本憲法の改正に対して、連合国はそれがポツダム宣言の諸条項に合致することを要求する 権 利 を も ち 、 日本はポツダム宣一一一一口の各条項に従って憲法を改正する義務がある::・ポツダム宣言は当然日本憲法の 改正を予定しておった。しかし明治憲法の一部改正でよいのか、全部改正を必要とするのかというようなことは、 ( 一 一 ﹀ もちろん当時は考えていなかった。 そしてかく解したことの正当性についても、肯定的に考えられる。しかしながら﹁政治的再編成﹂によれば、連合 国を代表する合衆国政府が最高司令官マヲカ l サ元帥に与えた﹁初期戦後政策指令﹂には、憲法改正を促進すべき旨 憲法九条三項成立過程とその憲法の規範的価値に関する考察 五 五

(29)

東 洋 法 字 五 六 の指令は含まれて居ないで、﹁政治の封建的かっ権力的傾向を修正せんとする方向への変革は許されるべきであるし、 また望ましいところでもある。かかる変革を実効あらしめるために:::状況によっては、貴下は直接軍政の施行をも 合めて、自らの最高権力および最高権威を最大限に行使してよい﹂というように、 マ ヲ カ l サ l 元帥に対し殆んど全 権を与えた形を採り、唯﹁貴下は、統合参謀本部との事前協議、およびそれによって貴下に発せられた助一一一一口なくして 天皇を廃止してはならず、 か つ 、 それへの何らかの歩みもとってはならない﹂

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l ︿ l v 、 4 4 天皇制の問題についての留 保があるのみであるから、憲法改正問題については、その判断はマ元帥に一任されているように見える。そしてこれ に対するマ元帥の判断は、 ﹁民主的制度の発展を促進する重大な責任を与えられて、最高司令官は、その遂行のため の二つの方法に直面した、彼はまず、憲法改正を包摂しない政治的改革が、まじめに考える価値のないものであるこ とをはっきり認めた﹂とあるから、 日本政府に対して行った総司令部側の改憲の勧告は、専らマ元帥の裁断によって 行なわれたように見える。 しかしながら、前章において触れたように、憲法改正についての研究は戦時中から引きつづき、

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中心に 行われており、その成果は、或いは

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文書として参考資料の形で総司令官に対して送付され、或いは政治顧 間アチソン大使に対する国務長官訓令として送ちれているから、総司令官に対する直接指令ではないが、 いわば間接 指令として送られていたようなものである。従って日本側に対する改憲の勧告は、総司令官の権限に基く専断という よりは、ポツダム宣言に基く連合閣の基本方針の一つであったと見て業支無いでおろう。問題はその内容、即ち改憲 事 項 で あ る 。

(30)

(三)改憲事項と非武装条項 マ一見帥に対する合衆国政府の初期戦後政策指令は ﹁日本に対する迎合国の窮極の目的﹂として﹁日本が再び世界 の平和と安全との脅威とならず、 かつ終局的には、立任あり、平和的な成員として間際社会に参加せしめ得るとの、 可能なかぎり最大の保障を与える如き諸条件を助成することにある﹂と述ベ、 ﹁この目的達成の為に重要な若干の方 法 L としてポツダム宣言中に含まれているものを次の五の事項に要約している。 (1) カイロ宣言遂行と日本の主権を四つの主要な島および連合国が決定する諸小島に限ること。 (2) あらゆる形態における軍国圭義と国家主義との廃絶。 (3) 日本の武装解除とその戦争遂行能力に対する不断の抑制による非軍事化。 (4) 政治的経済的および社会的諸制度における民主的傾向と手続との強化。 (5) 日本における自由主義的政治傾向の助長と支持。 ﹁政治的再編成﹂によれば、 マ元帥は憲法改正促進の方策について﹁あらゆるファクターの比較考量の末、 日本政 府に態法の即時改正こそ最も重要であることを促がすことが、最も賢明な方策であるしという結論に達した、'とある から、憲法成案を押しつける意思は無くポツダム宣言の趣旨に従った憲法草案を日本政府に作成させる方針であった わけであり、彼に対する﹁初期戦後政策指令﹂中の﹁合衆国は、 日本政府が、民主的自治の原理にできるだけ密接に ︺致することを望むが、 日本国民がその自由に表明した意思によゥて支持しない何らかの攻治形漫な日本に強要する ことは、占領軍の責任ではない﹂という基本方針に照応するものである。 定法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する芳察 ヨ王 Jじ

(31)

東 i羊 法 字 五 八 この方針が日本政府に正式に伝達されたのは昭和二十年(一九四五)十月四日に行われたマ元帥と東久通内閣の副 総煙格悶務相である近衛文麿との会談の時である。近衛の言葉を借りれば、 へ 一 一 一 ﹀ 義化の必要を決然たる口調を以て述べた﹂という。そしてこの時元帥から示唆された改憲事項は、

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選挙法の改正 ﹁ 一 冗 帥 杖 会 談 勢 頭 、 日本の忍法の自由主 同 州 選 挙 権 の 拡 大 であったが、これは八月二十九日マ元帥に へ 四 ﹀ 伝達された初期占領政策に関する国務陸海合同本部指令第一

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号の基本線に従ったものであった。 内婦人参政権 件労働者の権利の承認 同 教 育 の 権 利 、 この会談に同席したアチソン政治顧問からも、更に改憲の要点として

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衆議院の権限拡張、同内閣の議会責任制原 則の確立、内天皇の不裁可権の廃止、内門勅令発布権の制限、的権利章典の制定、付独立の司法部の確立、等が述べら へ 五 ) れたのであるが、初期占領政策中に強調されている非軍事化政策については右の何れの改憲事項中にも、表示されて いないことが注意される。 その後、十月八日及び二十五日の両度にわたって、 アチソンと近衛の非公式会談が行われた、その間十七日に米国 務長官からアチソンに対する訓令があったことは前述の通りである。この際には更に細目とわたって考究されたが、 憲法改正について﹁

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が基礎的と考えている諸点﹂としてアチソンが近衛に対して述べたのは次の十二項であ っ て 、 いわゆる﹁アチソン十二原則﹂である。 ) 噌 E L ( 衆議院の権威、特に予算に対する権威の増大 (2) 貴族院の拒否権の撤回 (3) 議会責任原理確立

(32)

(4) 貴族院の民主化 (5) 天皇の拒否権廃止 (6) 天皇の、詔勅、命令による立法権の削減 (7) 有効な権利章典の規定 (8) 独立な司法府の設置 (9) 官吏の弾劾世一びにリコールの規定 ) n I U 4Ei ( 軍の政治への影響抹殺

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1) 枢密院の廃止 U

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国民発案及び一般投票による修正の規定 右の十二項を通観すれば、それが悉く﹁自由民主主義制度確立の原則﹂の具体化に帰着し﹁非軍事化の原則﹂の具 体化された事項が見当らないことに気付くであろう。第十項は寧ろ軍の存在を前提としている。この会談に列席した 高木八尺博士の記録(いわゆる﹁高木メモ﹂) あったようである。 によれば、第十項の主要な内容は﹁内閣閣員はシピリアンたること﹂で この問、十月五日東久通内閣は退陣し近衛国務相も退任したのであるが、十月九日成立した新内閣の幣原首相に対 マ元帥は改めて憲法改正の必要を告げ﹁憲法の自由主義化﹂に包含されるべき﹁伝 へ 七 ﹀ 統的社会秩序の是正﹂に関する要点として次の五項目を挙げている。 し、十月十一日の会談において、 憲法九条二項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察 五 九

(33)

東 法 宇 /'¥

(1) 選挙権付与による日本婦人の解放 (2) 労働の組合化促進(搾取と酷使からの防衛と生活水準の向上の為) (3) より自由主義的な教育を行う為、諸学校の解放 (4) 秘密の検察及びその濫用が国民を絶えざる恐怖に曝して来た諸制度の廃止 (5) 経済機構の民主化(独立的産業支配の改善) これを通観すれば改憲の重点とされた所が何処にあったかが分るのであるが、非軍事化に関する事項が該当してい なかったことは明らかである。 ﹁政治的再編成﹂によれば、総司令部において十月二日付一般命令第八号によって設 置された民政局が﹁日本における民政の機構について調査研究し、最高司令官に助言する権限を与えられ、志法改正 問題の非公式な研究も行った﹂とあるから、 その成果が後のマッカ l サ l 草案立案の参考にはなったであろうが、 ﹁日本政府との聞の公的接捗は何ら行われなかった﹂とあるから、 日本政府側の憲法改正草案作成の基礎資料となり 得たものは、右に掲げたようなマヲカ l サとアチソンによって示唆された事項に限定されていたわけである。従って はっきり一言えることは ﹁憲法草案中に非軍事化に関する条項を包含させる義務はなかった﹂ということである。 (四)改憲に関ナる総司令官の権限と

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ニニ八号 マ元帥め幣原首相に対する改患の指示に従い幣原内閣は引統合-十月十三日に改志丁一作の方針な決定し、十月二十五 日に松本恭治阿務相の下に憲法調査委員会を設置して改定工作に羽子し、 忠二十一年三川一日(或いは二月八日)に 総司令部に対し政府案 ( い わ ゆ る ﹁ 松 木

1

来﹂)が叫山されるに五りたのであゐが 川地以政府系をポツダム

σ

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要請に合致させる為の改憲指導若しくは審査の権限が誰にあったかということと指導若しくは審査の決定的基準は何 であったかということである。 後者については、前に述べたように、

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二二八号の﹁結論篇﹂が改窓を要する事項に関オ Z 決定版で去っ たことは、明かである。前年十二月にモスクワで聞かれた三国外相会議において日木の占領管理に関する最高機関と ら な い 政 策 、 してその設置が決定され三二・二七公表)日本の新憲法がポツダム宣言の規定を履行するために準拠しなければな ( 八 ﹀ 原則及規準を決定する権限を有していた極東委員会が、 一九四六年七月二日の総会において決議した ﹁新日本憲法の根本諸原則﹂と題する政策決定の基備として用いられたものも、この

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二二八号に外ならな ( 九 ) かったのであり、又その後を緊密に追うものであった。そしてこの極東委員会の政策決定はマ元帥に対して指令とし て 送 付 さ れ 、 ﹁日本人の採択する憲法がいかなるものにしでもあれ、これのステートメントに定められである諸原則 に合致することを確保するための適当な手段を採らねばならぬ﹂とされたのであるから、

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二二八号が改憲 事項に関する決定的基準であることが確認されたことになるわけである。 ﹁ マ ヲ カ l サ l 草案﹂は﹁マヲカ l サ l ・ ノ l ト﹂に依る外は

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二二八号を基礎資料として用いたのであ るから、これに基いた改正憲法草案は、 八 一 O ﹀ められている。従って改正憲法草案はその成立の手続ば兎も角として内容的に見れば、

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二二八号に合致す ﹁戦争放棄条項﹂を除く外は当然

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二八八号に合致している、と認 る限りにおいてはポツダム宣言の要請に応ずる客観的妥当性を有するものと認むべきであって、不当なものを押しつ けられたと考えるべきではない。 憲 法 九 条 二 項 の 成 立 過 程 と そ の 憲 法 規 範 的 価 値 に 関 す る 考 察 ....L・ ノ ¥

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東 洋 法 ~ 寸・ _,_ ノ、、 そこで問題は次の二点、即ち (1) マ元帥が改府案を拒否しマ草案を勧告(事実上強制)するような改憲指導を行なったことは、極東委員会との 関連において正当な権限に基いたものといえるかどうか。 (2)

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二二八号において改憲事項として提示していない事項である所のマヲカ l サ

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・ ノ ー ト の 諸 原 則 、 特に第二原則の﹁戦争放棄及全非武装条項﹂をマ草案に包含せしめ、これを日本政府に勧告した事は正当な権限の行 使といえるかどうか。 に絞られることになるであろう。 へ 一 一 ) 第一点については、極東委員会とマ元帥との間に改憲に関する権限の解釈につき摩擦が有ったことが知られている が、詳細に検討する余裕がないので、要点を挙げるに止める。 仔) 極東委員会設置以前にも﹁極東諮問委員会﹂という機関が存在したが、単なる諮問機関であったから、 マ 元 帥 が改憲指導についての権限を有することについての疑義は存しなかった。 (司

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二二八号も﹁結論篇﹂において、終局的には日本政府に対する最高司令官の改憲についての指令権 を認めていた。 V¥) しかしマ元帥は、 モスクワ協定(一九四五・一一了二七)の日本の統治組織及び管理制度の根本的変更又は日 本政府全体の変更に関する如何なる指令も極東委員会において合誌が成立するまでは発ぜられない﹂という規定を以 て、極東委員会の設置により、 ﹁改憲指導の権限が剥噂された﹂ものと解し、昭和二十一年一月三十日に極東諮問委

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