量刑における行為の非構成要件的結果の考慮
著者名(日)
ルネ,ブロイ/高橋,則夫[訳]
雑誌名
東洋法学
巻
39
号
2
ページ
219-248
発行年
1996-03-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000511/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja︻講 演︼
量刑における行為の非構成要件的結果の考慮
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目 次 一 序 説 二 行為の結果と構成要件的結果 三 行為の構成要件的結果と非構成要件的結果 四 行為の非構成要件的結果の問題性 e 二つの基本的状況 口 構成要件的結果不法を超過する行為結果 a 問題状況の精密化 b ﹁聞接処罰﹂の問題と保護目的論によるその解決 c 行為の非構成要件的結果と結果的加重犯 219量測における行為の非轍要醐蟻探の考慮 日 構成要件的に前提とされた結果関係的な行為不法を下回る行為結果 四 二重の観点で非構成要件的な行為結果に対する帰結 五 量刑において行為の非構成要件的結果を考慮することのその他の問題領域についての展望 一 序 説 量刑法が独立の法分野として承認されたのは、ほんの最近のことでありました。第二次世界大戦後、ドイツに おいて量刑解釈論についての一連の基礎的論文があらわれ、それらがこの発展を導いたのです。その中でここで は代表的なものとして、ギュンター・シュペンデルの著作である﹃刑量の理論︵N霞9ぼΦくoヨω嘗臥旨践︶﹄ ︵−︶ ︵一九五四︶だけを挙げておきます。この段階が頂点しかも有意義な統合に達したのは、一九六七年に第一版が 刊行された、ハンス・ユルゲン・ブルンスの量刑法の立派な全体的叙述によってでありました。その後の約三〇 年の間、量刑は、以前にはなかった大きな関心を呼び起こしました。このような比較的短期間における量刑法の 解釈論が、多数の関連文献の存在にもかかわらず成熟した状態に至り得なかったことは、ー長い伝統を背景に した 一般的犯罪論の場合とは異なるのであり、ほとんど驚くべきことではないでしょう。 ︵2︶ このような状況から分かることは、量刑法の基本的関心すなわち量刑の合理的な解明が、努力されたとはいえ 現在まできわめて不十分でーしかも急を要する1課題として残されているということです。もちろん、量刑 における合理性を求める努力は、原則的な問題との議論においてのみならず、実務が日々直面している数多くの 220
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︵3︶ 個別的な量定の問題についての細かな具体的作業においても示されなければならないでしょう。その場合には、 まったく異なる側面があらわれます。刑法解釈論的にみて、ドイツにおいては、量刑法の根本規範である刑法四 六条が中心に位置します。日本においては、状況はもっと困難となるでしょう。なぜなら、日本の刑法典にはド イツに相応する規定が存在しないからです。ドイツ刑法四六条二項後段は、量刑の際に考慮しなければならない ︵4︶ 観点のカタログを挙げています。ここで取り上げるのはとくに﹁行為の遂行態様および行為の有責な結果﹂であ ります。しかし、これらの事情が量刑においていかなる役割を果たすべきかを明らかにできたとしても、法律で 規定された基準と実務における裁判官の現実の量刑判断との間にどの程度一致があるかという問題はいまだ未解 決のままでしょう。おそらくこの場合、法規には拠り所のない、隠れた量刑観点が事実上重要な役割を果たして いると思います。たとえば、同じような事案において平均的に科された刑というものが、無批判的に指導的視点 として寄与していると考えることができるでしょう。もちろん、このような推測が正当かどうかは経験的にのみ 解明できることでしょう。 合理的な量刑への要請という課題はその範囲が大きいので、まず、見通しうる問題設定に限定することにまっ て、明確な成果を得ることが期待できます。したがって、以下では、輪郭的に明確となった問題点のわずかな部 分の解釈論的側面だけを取り扱うことにします。その際、これまでその射程距離について意見の一致に至ること ができなかった、とくに重要な量刑因子が重要です。その点で、刑法四六条二項後段のカタログに挙げられてい る﹁行為の有責な結果﹂については、より詳しい考察をしなければならないものといえます。なぜなら、この量 221量溺における行為の非轍要俘6蟻探の考慮 刑因子は、人的不法論が有力になった以降、まったく疑わしいものとされた結果刑法の一片を代表するものだか らです。驚くべきことに、刑法における結果の役割および量刑法に対する結果帰属の基準をめぐる議論は、ほと んど実り多いものになりませんでした。ここでは、各種の結果帰属に与えられた疑念がむしろ強まったにもかか わらずです。なぜなら、考慮することのできる行為結果については、法律上具体化されていないからです。法律 の文言上逐語的に見れば、行為から生じた責めに帰すべき結果のあらゆるものが量刑にとって重要となりうるの で、すべての非構成要件的結果も考慮されることになります。もちろん、大まじめに、何らかの非構成要件的結 果があれば加重事情として十分とするならば、現代の帰属論が構成要件の領域にもたらした利益は、かなりの部 ︵5︶ 分について再び失われることになるでしょう。したがって、客観的結果帰属の原理を、量刑における行為結果の ︵6︶ 帰属の場合においても妥当させるという必要性があり、このようなアプローチを展開することが以下の考察の中 心となります。 前述したプログラムは、量刑解釈論がある意味で犯罪論の継続と理解されうるという基本思想によって広範囲 に形成されています。量刑法へのこのようなアプローチの有効性をめぐって、ドイツでは数年前から論争が巻き 起こり、それは、この分野での新たな発展段階への移行を示すものです。この関係で確かに徴候的なのは、量刑 法の独自性を強調する確立した理論の代表者であるハンス・ユルゲン・ブルンスが、ヴォルフガング・フリシュ ︵7︶ ︵8﹀ によって指導的に促進された新たな方向づけに対して明確に限界を画したことにあります。ある程度の距離をお いてこの論争を眺めると、次のような印象をもちます。すなわち、確かに、量刑法の独自化は画期的な成果をも 222
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たらしましたが、いまや限界に突き当たり、それは、さらなる進歩が、犯罪論体系のカテゴリーから独立した法 効果の視点を完成させることによるのではなく、むしろある種の犯罪論の知見を継受することによって期待でき るということを示唆している、というのがこれです。このことを示すとくに分かりやすい例が、﹁行為の有責な 結果﹂です。しかし、この問題を検討する前に、量刑法において﹁行為の結果﹂とは一般的にどのように理解さ れるべきかという問題に答えなければなりません。 二 行為の結果と構成要件的結果 ︵9︶ 基本モデルとして結果犯から出発した場合、犯罪行為は、有責的に実現された行為不法と結果不法を通して構 成されます。もっとも、ドイツ刑法四六条二項後段は、量刑にとって重要な行為結果をあらわすために、 ﹁卑8飼﹂という概念ではなく、﹁︾島惹詩巨鴨5﹂という概念を使用しています。したがって、まず第一に、 ﹁︾仁ω慧爵彗鴨どという量刑因子と﹁田8薗﹂という構成要件要素との関係を詳しく決定することが適切であ るように思われます。 ︵−o︶ まず、確かなことは、構成要件的結果の発生それ自体は量刑法の意昧での行為の結果ではないということです。 もっとも、このことは、行為の﹁国ほ○薗﹂と﹁︾5&詩目晦﹂との言語上の微妙な区別によって、構成要件的な 結果不法の側面が量刑の領域から排除されることを意味するものでは決してありません。すなわち、構成要件と ︵11︶ その要素が、犯罪成立要件および量刑事由として二重に機能することを正当に評価することがもっぱら問題とな 223量刑κおける行為の非轍要傑的繰の考慮 ります。構成要件要素が刑罰根拠づけ的に機能するという限りでのみ、それは、個別事例において一定の法定刑 の枠内でどの程度の刑量が適切であるかを共に決定することはできません。この機能の点では、構成要件要素は、 全体として法定刑の適用可能性についてだけ述べるだけです。なぜなら、構成要件要素は、構成要件にそもそも 属するそれぞれの事実において存在するからです。しかし、構成要件要素は様々な態様で充足され得るので、こ の観点で確認されるべき差異は、もはや構成要件該当性と関連せず、量刑にとって重要となる異なった評価を受 ︵12︶ け入れることができます。これによって、構成要件的な不法の量および責任の量が把握されます。すなわち、 ﹁行為の結果﹂を考慮することによって、結果不法の可能な段階づけが把握されます。法益侵害︵ないし法益の 危険︶の程度ーたとえば、詐欺罪における惹起された財産損害の程度ーが、量刑にとって重要であることは ︵13︶ 容易に理解できることです。問題なのは、このような 構成要件的結果の概念と区別して存在する 行為の 構成要件的な結果を量刑の考量過程に包含することではなく、構成要件的不法の外部に存するような結果を考慮 するということのみにあります。 224 三 行為の構成要件的結果と非構成要件的結果 もちろん、行為のいかなる結果を構成要件的結果として、あるいは非構成要件的結果として特徴づけ得るかは、 思うほど明確なものではありません。この区別がドイツの文献上しばしば使われているにもかかわらず、︵いま だ︶統一的な言語慣用は生み出されていません。この点は、この分類に法的な帰結が結びつかない場合にだけ無
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害でありましょう。しかし、まさにーともかく部分的にせよー法的帰結に結びついているのです。論争点は、 量刑にとって重要な行為結果の﹁有責性﹂という要件が、故意犯の構成要件的結果と非構成要件的結果の場合に ︵14︶ 異なって評価されるのか否かということにあるのです。 以上によって提起された問題はいまだ広範に不明確といわざるを得ないので、ここで基礎となる、行為の構成 要件的結果と非構成要件的結果との区別は、論究されるべき対象の限界づけにのみ役立ち、それによって一定の 解決が示されるものでは決してありません。機能的に意義がありうるのは、行為結果が立法者によって類型化さ れた不法の内部に存するのかあるいは外部に存するのかという点に従って区別を行うことです。このような重要 な分離線は、1ともかく、人的不法観の立場からはー消滅してしまいます。というのは、行為の結果は、切 り離されて考察され、異なったカテゴリ!に配分されるからです。すなわち、故意の法益侵害と過失の法益侵害 とは、既に不法内容の点で区別されるわけです。 これに対して、ドイツの学説上、純粋に客観的な区別基準を基礎にする説が通説です。これによれば、構成要 件的な結果とは、結果不法を特徴づける法律上のメルクマールの具体的な形態として示されるすべての行為結果 ︵15︶ ということになるでしょう。しかし、これは納得のいくものではありません。なぜなら、構成要件の領域に結果 を包含することは、当該構成要件上前提とされた結果関係的な行為不法が存するか否かということにも依存して いるからです。それ故、行為の構成要件的な結果は、構成要件的結果︵国牒9閃︶に関連した法律上のメルクマー ︵16︶ ︵1 7︶ ル全体の具体的な形態を示すものだけをいいます。したがって、この﹁構成要件要素のヴァリエーション﹂は客 225量刑における行為の非轍要件的霜渠の考慮 観的側面と主観的側面とを具備します。なぜなら、結果犯の場合、故意ないし過失の要件はまさに結果要素にも 及ぶからです。構成要件は、場合により、故意のみによって惹起された結果あるいは過失のみによって惹起され た結果︵国ユ○芭を把握します。したがって、純粋な故意犯の結果不法に当たる要素については、行為者がその 実現に関して過失に行為したに過ぎないとしても、けっして構成要件的な性質を有するものではありません。た ︵18﹀ とえば、窃盗犯人が、絵画を盗んだが、その価値を認識できたにもかかわらず、過小評価していた場合、行為の 有責な結果の観点においては、故意と過失の結合が存するのであり、純粋な故意犯ではないのです。 したがって、量刑において故意犯の構成要件的結果を考慮できるのは、その結果に関しても故意が存する場合 ︵19︶ だけなのか、あるいは過失で十分なのかどうかという、異なって判断される問題を提起することは間違っていま す。故意犯の構成要件的結果は、言葉の定義によれば、故意によって包括され、それ故、量刑においてまったく 問題とされません。問題は、非構成要件的結果が重要である場合にのみ存し、それは、確かに構成要件的結果 ︵国昧o色の形態として示されるが、それに関して過失だけが存するような結果が、故意犯によって引き起こさ れたという形態でもあらわれます。 226 四 行為の非構成要件的結果の問題性 O 二つの基本的状況 行為の非構成要件的結果は、 以上述べたところから、二つの異なった形態で生じます。なぜなら、構成要件の
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限界は、客観的に超えられることも、主観的に下回ることもありうるからです。まず、もっぱら客観的に、構成 要件的結果︵卑8一ひQ︶を超える結果が存在します。たとえば、過失致死によって、客観的かつ主観的に予見可能 な状況で、被害家族に対する財政上の損害を引き起こしたという場合がこれです。あるいは、窃盗犯人が、まれ な病気にかかっている人から、直ちには調達するのが困難な薬を盗み、それによってその人を故意に生命の危険 に陥らせた場合がそうです。 客観的にではなく主観的に構成要件の外部に位置するのは、故意が及んでいない、故意犯の結果不法のすべて の具体的形態であります。それ故、既に言及した絵画窃盗事例において、次のような問題が生じます。すなわち、 絵画の実際の価値と認識した価値との差異に関して、量刑において行為者の不利益に考慮しうる﹁行為の有責な 結果﹂が存するのか否かという問題がこれです。 ︵20︶ 非構成要件的結果の二つの基本形態の結合が存することはまれではありません。なぜなら、構成要件的結果 ︵卑8芭を超過し、しかも故意によってもはや捕捉されないような結果をも、故意犯が引き起こすことは自明 だからです。例として、刑事訴訟における偽証の結果、誤判が下され、それに基づいて、無罪の者に対して自由 ︵21﹀ 刑が執行されるという場合が挙げられます。過失で引き起こされた自由剥奪を考慮して、偽証に対する刑を重く することが許されるか否かは、二つの観点で非構成要件的な行為結果をどのように判断するかということに依拠 するのです。 227量刑における行為の非轍要存的結果の考窟 ⇔ 構成要件的結果不法を超過する行為結果 a 問題状況の精密化 構成要件的結果︵卑8芭を超過する行為結果を量刑において考慮できることは、ドイツにおいて一般に承認 ︵22︶ されています。これは立法者の立場でもあり、立法者はこの点に関し意識的に、刑法四六条二項後段において ︵23︶ ﹁結果︵︾霧&詩琶㎎窪︶﹂という広い概念を選択しました。見解がはじめて分かれるのは、この種の事情が量刑 にとって重要かどうかの限界をどこに引くかという問題に関してです。その場合、確かに、﹁有責性﹂という 1多様に解釈されるi要件が主に問題とされますが、ともかく注目に値するのは、客観的な限界も議論され ていることです。しかし、このような、行為の非構成要件的結果に対する有責性基準の展開の前に、その客観的 ︵24︶ な帰責可能性が実証されなければなりません。ここでは、立法者がそれぞれの構成要件の中に取り込まなかった 諸事情の発生が処罰の対象とされるので、それらの諸事情が﹁行為の有責な結果﹂として量刑において重要とな り得ることは決して自明なことではありません。すなわち、この点に、各則の構成要件を通して引かれた、刑罰 によって補強される法益保護の限界を、許されない形で超過してしまうことが見い出されるのです。 もちろん、このような異論は、非構成要件的結果が別の犯罪の構成要件を充足するという特別な事例にははじ めから妥当しません。たとえば、薬剤窃盗事例において、少なくとも傷害の未必的故意が存し、被害者が薬を奪 われたことにより実際にも彼の健康状態の悪化を被った限りで、ドイツ刑法二二三条の故意の傷害の事例が同時 に存在します。同じことが、故意の自由剥奪の場合の偽証事例に対しても妥当します。これらの場合は、犯罪の 228
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競合の次元で問題が解決されます。すなわち、窃盗と傷害の観念的競合の場合、行為者が窃盗によって健康障害 を引き起こしたという事情は刑罰加重的に考慮することが許されます。このことは偽証と自由剥奪との観念的競 合の場合にも当てはまり、供述犯罪によって他人が刑事施設に入らされたという事情も同様となります。しかし、 このために、﹁行為の有責な結果﹂という量刑の観点を援用することは必要ではありません。なぜなら、このよ ︵25︶ うな帰結は、観念的競合の際の量刑に対して妥当する規定の適用から既に生じるからです。 b ﹁間接処罰﹂の問題と保護目的論によるその解決 これに対して、非構成要件的結果の惹起がーいずれにせよそれ自体としてみればf可罰的でない場合に、 それを量刑において考慮することは、問題がないとはいえません。前述の事例によれば、過失致死の結果として 発生した財産損害、あるいは窃盗による生命の危殆化が刑罰加重的に働くとした場合、これは結局、ドイツにお いて︵さらに日本においても︶一般的な財産損害の構成要件も、一般的な生命危殆化の構成要件も存在しないに もかかわらず、まさに過失による財産損害および故意による生命の危殆化を処罰することを意味します。 これによって、量刑において行為の非構成要件的結果を考慮することの中心間題、すなわち、構成要件に該当 ︵26︶ しない事情の間接処罰という間題に入り込むことになります。その場合、量刑因子と各則の構成要件を形成する 構成要件要素との関係を解明することが重要です。量刑において﹁行為の有責な結果﹂を無制限に考慮すること は、刑法の断片的性格が刑罰を加重する慣習法によって部分的に崩されてしまうという危険があります。しかし、 これは、可罰性には法律上の基礎が必要であるという原則と相容れないものです。したがって、各則の構成要件 229量刑’こおける行為の非轍要件的結果の考慮 ︵27︶ によって可罰性を一定の不法実現形態に限定していることは、量刑においてまで維持されなければなりません。 この点は、量刑にとって重要な行為結果の範囲が、それぞれの実現された構成要件との関係において決定される ことによってのみ保障できます。それ故、行為の非構成要件的結果の全体の中から選択しなければならない場合、 このような限定を行うことのできる基準が必要となります。求められる基準は構成要件関係的であるべきなので、 この場合に指導的観点となり得るのは規範の保護範囲だけです。行為者によって侵害された規範が阻止しようと する行為結果だけが、正当にその可罰性に︵﹁もっぱら﹂量刑を通してであっても︶影響を与えることができま 漉︶ す。このような見解は、ドイツの学説上確かに既に何度もあらわれましたが、それに与えられた帰結はこれまで ︵29︶ まだ完全には認識されませんでした。たとえば、フリシュは、保護目的論を最初に量刑法の領域へと移行させた という功績が与えられる論者ですが、彼は、侵害された刑法規範の保護範囲の中に存する結果だけがそもそも刑 ︵30︶ 法的に捕捉された不法に属することを明確に述べています。にもかかわらず、彼は、この要件から同時にほとん どすべての独立した意義を再び剥奪します。というのは、構成要件的行為によって生じた相当な危険から保護す ︵3 1︶ るという意思が法規から基本的に読み取ることができると考えているからです。これに対して、もちろん、疑問 が提起されなければならないでしょう。なぜなら、刑法上の規範の保護範囲は、その規範によって保護された法 益に限定されるからです。このような出発点から離れるならば、これは次のような原則を放棄することに等しい でしょう。すなわち、構成要件はそれぞれ個々の法益の保護にのみ向けられ、つまり細分化されているのであり、 各構成要件は法的に保護されたすべての財の侵害を阻止することを目的とするものでは決してないという原則が 230
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︵3 2︶ これです。したがって、犯罪固有の不法は、当該構成要件がおよそ保護していない法益の侵害によって高まるこ ︵33︶ とは決してあり得ないのです。 確かに、規範の保護範囲の理論という基準によって﹁行為の有責な結果﹂を決定することは、量刑における非 構成要件的結果の考慮を強度に限定することになりますが、完全な排除にまで至るわけではありません。すなわ ち、結果不法を超過する結果は、まさに構成要件的に保護された法益を侵害し、しかも量刑において正当な役割 を演じることができます。これは具体的危険犯の場合に、立法者がまさに侵害結果の確実な回避のためにその発 ︵34︶ 生を禁止した危険が実現するに至った場合に生じることです。ちなみに、同様なことは、およそ構成要件的に前 提とされた結果を示さない抽象的危険犯に対しても妥当します。それ故、たとえば、偽証に対する刑をその結果 として実際上不正な判決が下されたことを根拠に加重することは、問題がないように思います。この場合、法律 上の基礎のない間接処罰の禁止に反するものではありません。なぜなら、危険犯の創設によって可罰性の早期化 が生じ、その意義はまさに当該態様の法益侵害に対してとくに強く保護することにあるからです。 これに対して、まったく異なると思われるのは、構成要件的に保護された法益にはもはや関係しない、行為の 非構成要件的結果です。前述の事例、すなわち、生命の危殆化を伴う窃盗や遺族に対する財産侵害的効果を伴う 過失致死の場合、次のような確認を避けて通ることはできません。すなわち、これらの結果を刑罰加重的に考慮 することは、ドイツ刑法典においても、日本刑法典においても存在しない、裁判官による二次的な構成要件の形 成に至るというのがこれです。確かに、この種の事例において、構成要件的行為によって相当な危険ないし侵害 231量刑における行為の非薄成要件的繰の考慮 が生じたことは争いのないところです。しかし、構成要件的にもはや保護されていない法益への侵害に至った一 定の経過の類型性を確定することによって、当該結果が規範の保護範囲に存すると結論づけることは許されませ ︵35﹀ ん。相当性は、客観的帰属の必要条件にすぎず、それだけでは十分条件ではないのです。どのような追加的な帰 属基準が充足されなければならないかは、どのような特別な帰属問題が解決されるべきかという点に依存してい ます。 ︵36︶ ところで、確かに正当であるのは、刑法上の構成要件が法益保護によって社会的に有意義な行動を保障し、 それ故、法益はつねに、法益保持者︵個人法益の場合︶もしくは公共︵超個人法益の場合︶に対するその意義と いう点に求められねばならないということです。たとえば、窃盗の構成要件は、所有権者に一個の人格的自由を 保障します。なぜなら、所有権を有することにより、所有権者は、当該財物が生活形成の手段に関して有する性 ︵37︶ 質によって付与される事柄をも保障されるからです。しかしながら、所有権は、特別な個人法益であり、決して ︵3 8︶ 生命および健康の保障をも包括するものではありません。窃盗として処罰することが許されるのは、所有権侵害 だけであり、窃盗を通して場合によっては生じるその他の法益への侵害ではありません。行為が一般的意味でと くに重大だと思われたとしても、この侵害が付加的な構成要件を充足しない限り処罰することはできません。 規範の保護範囲が構成要件的に保護されてもいない法益を決して把握するものではないというテーゼは、法益 に方向づけられた考察方法が構成要件該当性の次元に限定され、量刑に対しては損害に方向づけられた視角が妥 ︵39︶ 当されるということによって、せいぜい疑問視されます。その結果、客観的に非構成要件的な結果の帰属は、そ 232
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れが決して孤立的にではなく、法律上規定されて確定的に存在する犯罪行為との関連で生じるということによっ て正当化されなければならないでしょう。しかし、このような確認は、法律上の基礎がこの場合に刑罰を根拠づ ける事情に対してではなく、﹁ただ﹂刑罰を加重する事情に対してのみ欠けているという点を強調するにすぎま せん。このことも法律主義に違反するので、構成要件と量刑とのこの種の機能的差異を考えることによって、構 成要件の実現との結合だけを根拠としてその他の点で可罰的でない不法を処罰することの正当性問題は、解決さ れません。せいぜい、ドイツ刑法四六条二項後段が、ドイツの裁判官に対して、二次的な構成要件の創設のため ︵40V の権限の基礎を与えているということが考えられるでしょう。しかし、こうしたことはないのです。この点につ いては、構成要件要素と量刑事由との間には確固たる限界がないという事情によっても変わりません。構成要件 ︵41︶ 要素がつねに一個の先取りされた量刑をあらわしているならば、確かに逆な意味で、量刑は一個の構成要件の形 成であります。その場合、量刑事由は、法律上輪郭のあまり明確でない補充的な構成要件要素、そしてそれは個 別事例で構成要件の記述を完全なものにするという意味を機能的に獲得することになります。しかし、これは、 量刑事由が構成要件的に類型化された不法の枠内にはめ込まれ、それをおよそはみ出さないという限りでのみ許 容できることです。﹁行為の有責な結果﹂が、各則のその限りで開かれた犯罪記述を一般条項的に把握した一般 的要素であると考えるならば、確かに、それぞれの不法類型を具体化するー拡張されない1要素だけが問題 となり得るだけです。 233量洞’における行為の非薄成要件的線の考濾 c 行為の非構成要件的結果と結果的加重犯 こうした理由によって、刑法典における結果的加重犯の存在からも、行為の客観的に非構成要件的な結果を量 刑を通して帰属することの正当性を導くことはできません。確かに、すべての結果的加重犯が統一的原理に還元 ︵4 2︶ し得るということは正しいかもしれません。しかし、量刑に際して考慮されるべき行為結果の領域において構造 ︵43︶ 上あり得る類似性は、ドイツで好まれている、結果的加重犯に妥当する規制への依拠に対して十分に確固たる基 礎を与えるものではありません。すなわち、このようなアプローチは、まず証明されるべき事柄、つまり非構成 要件的な結果は一定の要件の下で一般的に帰属可能であるということを既に前提としています。しかし、これは、 結果的加重犯の規定を含むドイツ刑法典からまさに引き出すことはできません。結果的加重は、各則で記述され ︵44︶ た個々の事例においてのみ刑法上重要となります。ドイツ刑法典の総則において、行為の特別な︵非構成要件的 な︶結果が、一般的に定義された一定の帰属要件が存する場合に、一般的に刑罰を加重するに至るという規定は ︵45︶ 存しないので、各則において規制された個別事例を一般化することはできません。刑法上重要な結果的加重の個 別規制の原理からは、それとはまったく逆に、非構成要件的結果は特別な法律上の規定によってのみ考慮し得る という結論となります。 さらに、結果的加重犯の構造的特徴を行為の量刑上重要な非構成要件的結果に対して役立たせるという試みは、 単に、危険増加理論を量刑法において確立することに帰着します。この見解に対しては、確かに原則として異論 ︵46︶ をはさむ余地はなく、まさに逆です。しかし、この場合、あまりに簡単な帰属原理が適用されることになります。 234
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なぜなら、この帰属原理は、発生した結果を行為者に帰属させるためには、遂行された行為と発生した結果との 結びつきがいかなるものでなければならないかだけを指示するだけだからです。その場合、当該結果それ自体が そもそも帰属されること、すなわち、当該規範によって把握されることを既に前提としています。したがって、 危険増加理論の助けを借りて、帰属客体をまず第一に決定するという課題を解決することはできません。構成要 件の次元では、これは当然のことと思われます。すなわち、殺人罪の構成要件の領域で財物を殿損したことを帰 属できないのは、危険増加の考え方からは導くことができず、むしろ、この法益侵害が殺人罪の構成要件におい て記述された結果︵田8一閃︶の外に存するという確定から生じます。つまり、危険増加理論においては、一定の 種類の結果が特定の構成要件の枠内で帰属の対象となりうるか否かが問題ではなく、当該結果それ自体が帰属に 対して考慮されることが確定された場合に、どのように︵すなわち、いかなる基準で︶この帰属が行われるかが 問題となるのです。 結果的加重犯から借用したアプローチは批判的な検討に耐えられないので、それは、許されない間接処罰とい ︵47︶ う異議を論破することもできません。したがって、量刑において行為の客観的に非構成要件的な結果を考慮でき るのは、詳論した意味での規範の保護目的によって許容される、数少ない事例に限定されることになります。結 論として、前述した事例においては︵すなわち、遺族に対する財政上の不利益な結果を伴う過失致死、および、 生命の危険をもたらす窃盗︶、その場合、量刑にとって重要な行為結果ははじめから問題にならないといわざる を得ません。 235一量刑’ごおける行為の非轍要犀的結栗の考療 日 構成要件的に前提とされた結果関係的な行為不法を下回る行為結果 行為結果は、それに関して構成要件上前提とされた主観的な行為不法が欠如していることを理由に、非構成要 件的な性質を帯びることもあり得ます。故意犯の場合に、結果不法を特徴づける法律上のメルクマールの具体的 形態に関して過失だけが存する場合がこれに当たります。この例として、前述の絵画窃盗事例が挙げられます。 このような、主観的な観点でのみ構成要件的不法の外に存する結果が、非構成要件的結果のカテゴリーに含まれ る場合、これは用語上の精密さの点で有益であるということだけを意味するものではありません。それによって、 とりわけ、これらの事例群の量刑法上の判断にとって基準となる視点が意識されることになります。すなわち、 立法者が刑罰を付与しなかった事情を処罰の対象とすることがこの場合に考慮されるという事実がこれです。こ の点に、行為の客観的に非構成要件的な結果との共通点が存します。客観的領域と同様に、主観的領域において ︵48︶ も構成要件の拡張を行うことは許されません。その結果、この種の結果の量刑上の重要性を支持する論者によっ て行われた、故意構成要件を故意と過失の結合へと変換することは許されません。したがって、この場合、多く ︵49﹀ の異なる見解に反して、故意の要件に固執すべきです。これによって依然として解決されていないのは、過失犯 の構成要件を同時に充足する、過失で惹起された結果です。これはたとえば、故意の傷害が単なる過失で惹起さ れた重大結果に至ったような場合です。故意の傷害を理由に行為者を処罰する場合、量刑の枠内において、同時 に過失の傷害が存することを考慮することができます。 これに対して、行為によって侵害された法益が故意の侵害に対してのみ刑法上保護されている限りでは、過失 236
で惹起された侵害を帰属することは排除されます。これによってとくに、過失で惹起された財産侵害もしくは財 ︵50︶ 物侵害は、量刑においては原則として考慮されてはならないという帰結に至ります。そうでなければ、刑法上の 法益保護の体系は一般的で二次的な過失犯にまで拡張されてしまうでしょう。この場合つねにあるいは少なくと も一定の要件で過失で十分と解するドイツの通説は、実際には、結果刑法の影響が残っているものといえます。 ︵51︶ 刑法典の過失構成要件で把握される結果を広く超えて、行為結果を刑罰加重的に考慮する要請は、法的な承認を 得ることはできません。これに対して、きわめて重要視されるべきことは、単に予見可能な結果の場合に、刑法 外の不法の間接処罰が行われる危険があるという点です。なぜなら、刑法は注意違反をきわめて限定的に刑法上 ︵52︶ の不法として位置づけているからです。実際上、過失で惹起された結果の帰属可能性の問題は、既に刑法上の不 ︵53︶ 法の次元で決定されているのです。
東洋芸学
四 二重の観点で非構成要件的な行為結果に対する帰結 行為結果が客観的にも主観的にも同時に構成要件的不法の外に存する、このような事例の判断に対して、ここ では、展開された諸原則を背景とするものであり、新しい観点を提示するものではありません。当該結果が既に 客観的に帰属できない場合、過失の惹起で十分かどうかの問題はもはやまったく問題とならないのです。たとえ ︵54︶ ば、前述した、過失による自由剥奪を引き起こした偽証の事例がこの場合です。これに対して、非構成要件的結 果が例外的に︵客観的に︶侵害された規範の保護範囲内に存する場合は、量刑においてそれを考慮できるかにつ 237量刑における行為の非轍要1孝的結果の考窟 いては、当該法益がそのような態様の過失的侵害に対しても刑法上保護されているか否かによって決定されます。 客観的かつ主観的に非構成要件的な結果の発生によってさらに第二の構成要件が充足される場合には、再び犯罪 競合の際の量刑に妥当する規制が適用されます。薬剤窃盗事例の一つの修正事例によって、この点は明瞭になり ます。すなわち、窃盗によって、被害者である患者の健康侵害が過失的に惹起された場合、窃盗を理由とする処 罰の際に、それとの観念的競合として過失の傷害が存することを考慮することができます。 五 量刑において行為の非構成要件的結果を考慮することのその他の問題領域についての展望 量刑において行為の非構成要件的結果を考慮できるかという、ここで行われた考察をもう一度全体的に想起し た場合、二つの点で不完全であることが直ちに確認できるでしょう。しかし、なお未解決なこの二つの問題は私 の考察の目的を既に超えるものであり、ここでは概観するだけにとどめ、詳細には取り扱わないことにします。 第一の点は、故意的な惹起あるいは過失的な惹起の場合においても刑法上把握される不法を示さないが、量刑の 際には重要となり得るような行為結果に関連するものです。その際、まず考えられることは、犯罪の結果として、 ︵55︶ 被害者あるいは第三者に生じた精神的損害、たとえば、子供の交通事故死についての両親のショックなどです。 この種の結果を考慮することを、量刑においても維持されるべき法益関係的考察方法によって簡単に排除するこ とは明らかに誤っているでしょう。さらに、この点で﹁故意犯の結果が問題とされる限りで1故意の要件 を維持することが適切かどうかは疑問であるようにすら思われます。疑問は次の点から生じます。すなわち、こ 238
東洋法学
の場合、これまで取り扱った結果とはまったく異なるカテゴリーの結果が問題とされており、なぜなら、犯罪の ︵56︶ 心理的な結果現象は、犯罪行為による付加的な法益の侵害としても、また結果不法の特別な形態としても理解す ることはできないからという点がこれです。ここから結局、どのような帰結が引き出され得るかは、人間心理の 侵害の分野における刑法の機能と限界がいかなるものかという点に依存するのです。 さらに、ここでせいぜい言及できることは、一般人にとって意味があり、それにより一般予防との接点を形成 ︵57︶ するようなその他の行為結果です。法秩序の確固たる妥当性への国民の信頼が持続的にゆさぶられるような、こ の種の﹁精神的損害﹂の問題によって、量刑法は、付加的な問題に直面することになります。ある種の結果が一 般予防上あるいは特別予防上重要な量刑事由として重要な役割を果たす限り、行為を不法および責任に従ってラ ンクづけるという課題はもはやなくなり、ここでは新しい量刑法上の側面が開かれることになります。したがっ て、ドイツの学説において、しばしば次のように強調されることは一貰しています。すなわち、ある種の結果が 量刑における責任加重的事情として重要性をもつか否かとは独立して、予防にとって重要な量刑事由としてそれ ︵5 8︶ を考慮する可能性が探求されるべきであるというのがこれです。もっとも、このことは、量刑における行為結果 の考慮についての前述した限界を、ある程度まで再び相対化します。しかし、予防目的という視点で、行為の非 構成要件的結果の考慮に対する独立した帰属規制の展開がどの程度必要なのかは、別の考察が必要であり、ここ ではもはや行うことはできません。 239量刑におげる行為の非轍要件的)結栗の考濠
321
︵4︶
65
>亀一お置︸ψ器である。さらに、ω霞魯雪譲R貸N幹譲o たとえば、とくに、UおぼさO︾お零︶漣を参照。これに賛同するのは、零琶ρωq緯塁B窃磐轟ω冨o拝る. とくに、卑巨ρω霞臥墜B8雲躍ωおo窪口88ω﹂舞を参照。 歴史的展開についての簡潔な概観をするのは、写一零ダぎ.置。冒ぼΦ○>口8鯉ω﹂眺hである。。刈︵一〇胡yωO認も参照。 しかし、これと類似した規定は、日本の改正刑法草案︵一九七四年︶の四八条二項に存する。 [訳者注]ドイツ刑法典四六条は次のように規定している。 ﹁︵一項︶行為者の責任は、刑の量定の基礎である。刑が社会における行為者の将来の生活に与えると期待し うる効果を考慮するものとする。 ︵二項︶刑の量定にあたり、裁判所は、行為者にとって有利な事情および不利な事情を相互に比較衡量する。 その際にとくに次のことを考慮する。 行為者の動機および目的 行為によって表示された心情および行為に際して向けられた意思 義務違反の程度 行為の遂行態様および行為の有責な結果︵&①<Rω畠巳α98>5蔑詩琶ひq窪αR↓琶 行為者の前歴、その身分および経済的状態、ならびに 行為後の行為者の態度、とくに損害を賠償するための努力、ならびに 被害者との和解を達成するための行為者の努力 ︵三項︶すでに法律上の構成要件の要素となっている事情は、これを考慮してはならない。﹂ 同様の見解として、とくに、ωΦ蚕Zω蕊這。 。ρo 。㎝がある。 この場合、解釈論的な類推がきわめて大幅であることはまったく問題とならない。たとえば、津魯R\日議民一ρ ωa切当︾亀H這3﹄&力αづ器びは、とくに、零一零戸O︾一。認る曽斥のあまり厳格でない見解に関して、そ 240
東洋法学
︵7︶98
13 12 11 101514
︵16︶ ︵17︶ のように述べている。 牢δoFNω叶譲8︵這o 。刈γψω。 。窪酒刈㎝合蕊鐸為OごαR9冒”一お冒酵Φ○︸一〇〇ω”ψ一臣それ以前に、とりわ け、=o鼠鑛8U器U8需ぞ段毒段9轟磐Rσ9げ巴馨轟坤魯日9獣箆Φ民窪d筥ω感民ΦP一㊤。 。ρψo 。o 。宗がある。 騨§ρZ窪8ωq緯墜ヨΦωω§ひq霞8毫這。 。。 。︸とくに、ψ屋舜 不法概念における結果の役割については、周知のように議論の余地がないわけではない。しかし、本講演の枠内 で、このような原則的問題に立ち入ることはできない。これについての詳細は、たとえば、鼠巴名巴9営あoま畠 ︵=議西ン薫冨号茜葺日8げ信轟仁&誓蚕坤8窪︸這。 。刈︸ψ窒味参照。議論の現状をまとめたものとして、ゆo臥P>↓ Hる。︾亀一﹂O逡﹄H。園αPQ 。o 。律およびそこに挙げられた文献参照。 とくに、Oユ薯9ヨ﹂≡い堺F︾仁噛一・お3﹄お勾αP一&参照。 国Φ症鑛R︵前掲注︵7︶参照︶”ψo 。。 。律に詳しい。 これは一般的な見解であるが、とくに、ω霊拐︵前掲注︵3︶参照yψω$律参照。 ただし、次の見解に従う場合は別である。すなわち、結果発生は﹁偶然の事象﹂として、実現された不法に対し て意義を有さず、その結果、発生した損害の程度は刑の量に影響を与えるべきでないという見解がこれである︵た とえば、N一Φ一ぎω匹︸=四昌色二昌閃甲gp血南同8蒔霊p≦R江Bd員8算ωσΦ喰凶採這お”ψ曽o o牢︶。 これを肯定するのは、たとえば、=自Pぎあ因ωお切ゆ&勾αPερH8である。 詳細な根拠づけをするのは、牢一零プO>お認︸ωま悶島昌。8である。さらに、勺唇冨﹂§男8富o鐸トω需且9 一8ρψお合9まげ9ヨ﹂づ一げ内﹄&即α昌一閏参照。 これは、冨雲轟号\曽葺︾↓ρS︾q中おo 。P吻8幻身。謡に依拠した定式化である。さらに、国o旨﹂冥ω囚 ωおω﹄お即身﹂9参照。 これは、ω歪拐︵前掲注︵3︶参照︶︶ψ紹。 。己RgU霧園9窪αRω霞緯塁ヨ8ω琶鵬﹄。︾亀一●這。 。9ψ嵩Hによる 印象深い言い回しである。 241量刑における行為の非轍要件的結果の考慮
1918
︵20︶2221
︵23︶2524
︵26︶ この例は、ω需&9Nξ需ぼΦ<○ヨω霞駄ヨ﹄口3倉ω﹄旨による。 故意を要求するのは、たとえば、類9P冒あ国ωお切ゆ含園αP一8であり、過失で十分とするのは、たとえば、 家き声魯\曽鳳博︾↓ρ吻禽囲αP酷hと○瓜浮魯ヨ﹂Rい拷ゆま”αP一竃である。 構成要件的結果および非構成要件的結果のこのような定義に対して、牢巨ダ○>お葺ωま男ま昌る。9ψ器。 勾島P認が疑問を提起しているが、それは根拠のあるものではない。なぜなら、それによって、故意犯における過 失で惹起された結果の問題はけっして解決されるわけではないからである。反対に、この限界づけの利点は、この 種の結果が︵同様に︶構成要件によって画された不法の外部に存することを明確化した点にある。これを通しては じめて、構成要件の限界を客観的に超える犯罪結果との結合線が明瞭となり、その結果、問題の所在がきわめて明 確となる。ここで展開した視角に近いのが、甲一零ダN望薯8︵這o 。刈ンω.胡㎝hである。 この例は、牢一零戸O︾一〇認る曽による。 とくに、冨霊轟魯\§葺︾↓N﹄8勾9園旧9喜魯β冥いぢ護。寄P一“曾浮鼻ざ幕﹂N曇ρH謡 参照。 ω。訂臣Φ邑ρぎ一零。8ぎ一一Φ浮R9Φω一g§ひQ窪山①ωω・&R雲ωω。言ωωΦω︷費象Φω嘗織お。拝ω8︷。吋β9 ≦魯一冨はoαρω●G 。qω. 同旨、閃ユ零プO>一零ρ逡卸αR碧N誓名8︵おo 。﹃ンψ胡ω 観念的競合の際の量刑については、劇歪霧︵前掲注︵3︶参照︶︾ω。&o 。宍に詳しい。さらに、OΦ①&ρN貫冨ぼ① <2αR内o良ξお目一ヨ9﹃畦おo窪口8どψω認も参照。ここで取り扱った状況は、即一零プO︾一〇認る器によっ ても言及されている。 問題の発見者は、<’薫Φげ9寓U勾5鍋08である。それ以来、確かに様々な形で問題とされてきた︵零一零ダ ○︾一〇認る島廿℃后冨︵前掲注︵15︶参照yψ合一ごω益器︵前掲注︵3︶参照yψ合o 。一参照︶。しかし、量刑におけ る犯罪の非構成要件的結果の考慮にとって、それがどのような全体的意義をもつかについては、これまでまったく 242東洋法学
︵27︶ ︵28︶ ︵29︶323130
正当に評価されなかった。 量刑において刑法外の不法を考慮することを断固として拒否するのは、写一ωo戸○>這鐸謹駅である。しかし、 彼は、ここで支持される範囲よりもはるかに広範に、刑法的に捕捉された不法の限界を画している。 宰一ω。戸O︾一。蝿。 。ωω忌9 DヨロρNωけ薯。 。。︵一。ヨ︸ω。ωω。 。R旧妻巽量冒轟一。刈。る。 。9︼WΦ螢Zω什N一。。 。ρ。 。ご ︼W窪鱒Φ\ω。ぼααΦお2ωけN一8どω。㎝あ霞窪堕ωq鋤暁お魯象倉Φωき窪8Φp一8どψ嵩9ωo鼠噛Φき即貰一ωαR ω霞駄墜B8豊轟﹄卜象口。3︸労αP謹ご=9P営あ内ωaω﹄&勾qPH8.判例においてはじめて明確とされ たのは、ωO拝2ω蕊這8るω試である。さらに、閃O耳Zω§お旨る旨も参照。しかし、保護目的論に批判的な のは、○ユσぴ9βぎHU界ゆ&勾血Pにωであり、オーストリアの文献において同旨なのは、℃鋤田PU一Φ ω霞畦墜日8霊昌鵬営お魯島oびR腔o耳口Oo 。ρ園αP曽旧国自房け﹂歪ゑ姻5。 。①﹄器勾αP望である。 もっとも、既にまず、ω冨且巴︵前掲注︵18︶参照︶あ●器民は、 ω&轟”Uδ需ぼΦ︿○ヨ<R再8冨P一8ρψ 潔舞に依拠して 、量刑にとって重要な事情の構成要件関連性を強調していた。ともかく、9①&巴︵前掲書お よびZ﹃妻一8倉嵩8︶は、この点を基礎として、道路交通における過失致死の際に惹起された重大な物的損害が 刑罰加重的に作用するとした判例︵国O揖く菊ωB&F器舞︶を批判した。その際、彼は、過失による器物損壊 は﹄般的に刑罰根拠的に働くものではない﹂という重要な観点も挙げている。 甲凶ωoFO>お認るωωる藤一己RgNωけ薫8︵一〇〇 。刈ンω’謡累 甲凶零戸O︾お認る器。その限りで、悶唇需︵前掲注︵15︶参照yの臨鼻の批判は正当である。 とくに、<’ゑ①げ9冨U勾這竃ふ8参照。各構成要件の解釈を通して法益保護の範囲を個別的に確定するという、 牢一零プN望譲8︵お・ 。刈ンω﹄9㌔困︵既に、αR碧O︾お認る。 。“律︶によって支持された見解も、決定的な進展を 示すものではない。たしかに、それによって、構成要件における法益保護の分化をまったく放棄することを防止す ることはできる。しかし、伝統的な意味での構成要件的に保護された法益および構成要件的に類型化された侵害形 態︵故意/過失︶を超える限りで、いかなる尺度がこの場合に解釈されるべきかはまったく不確実のままである。 243量刑における行為の非轍要件6蟻探の考慮 ︵3 3︶ ︵3 4︶ ︵35︶
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これに対して、ゆ磐BきPZ︸薫一。爵﹂お課は、非構成要件的な法益を侵害する事後行為は不法を高めるもの として考慮できるとも解している。しかし、これによって、構成要件的に形成された不法ではなく、不法事情の異 質な寄せ集めが処罰の対象となってしまうであろう。 同旨なのは、たとえば、牢凶零FO>一。謡る巽茸ω9鋒R︵前掲注︵28︶参照y勾号。謹どオーストリアについて は、勺巴一ぎ︵前掲注︵28︶参照︶一国号。認である︵侵害結果の過失的惹起が故意の危険犯の実現の場合にいかなる範囲 で考慮できるかについては、本稿ではなお未解決とせざるを得ない︶。 しかし、これと異なるのは、零δoFO>這鳶器含己Φ冴︸N望ミ8︵50 。刈︶層ω気㎝ωhである。彼は、法律上の 犯罪形式から完全に離れ、危険増加と発生結果との結びつきについての一般的な考察を行っているだけである。 牢一8FO>一SNるおも、その帰属モデルが法律上の基礎を欠いていることを明らかに認めている。これに対して、 この重要点は既に端緒的に、ダ薯oび9冨∪閃一。鍋$ωによって考慮されていた。彼は正当にも、たとえば、刑法 二四〇条︵強要︶の保護機能から、生命を危殆化することの刑罰加重効果は導くことはできないと断言している。 にもかかわらず、彼は、﹁全体的考察をした場合﹂このような結果が強要行為を加重的にさせ得ると考えている。 ちなみに、これに賛同するのは、騨琶ω︵前掲注︵3︶参照yω﹂置である。しかし、問題を行為不法の領域へと移 しても何も得られなかった。なぜなら、そうしたとしても、刑法上捕捉された不法の法益関連性という原則に固執 しなければならないからである。これと調和するのが、オ⋮ストリアにおける諸見解であり、それによれば、︵道 路交通における︶過失傷害の場合に、事情により生じる重大な物的損害を量刑において考慮することは拒否されて いる。ゆR邑\ω3類巴讐99αω窃霞緯園ω↓Hる.>鼠一お8﹄。 。o 。園身。旨およびそこに列挙されている文献参照。 しかし、異なるのは、内巨貫ぎ”薯〆ゆ認勾身6群旧○の炉国く匪這・ 。①\一。ごこの論争についてのまとめとして、 囚一Φ轟鳳9富窃q緯幻ω↓H”9︾9一﹂8ρ㈱o 。ω勾身60参照。 これについては、菊&○σ亘ぎ”男8房oぼ。い=o乱四一零ρω9一①一律に詳しい。 一≦巴類巴ρURN昂蒔p巨閃筈紹ユ欺一日ω窃5ヨαR国一鴨昌gヨ盆呂耳ρ一零ρω。o 。O強参照。 244東洋法学
︵38︶414039
) ) ) ︵4 2︶ ︵43︶ ︵4 4︶474645
︵48︶ しかし、写一零戸O︾這認るG 。刈は、財物犯および財産犯の構成要件の保護方向を、彼のアプローチに基づいてこ うした方向に拡張する。 たとえば、内轟蕊﹂≡ω魯9只寓お鯨︶”薫冨紆葭暮日8げ毒鵬q&ω霞織おo窪口OO 。8ψま参照。 牢一曽FO>HO認る合も参照。 霞巴≦巴9ぎ扇8富oぼ﹂φ巴一器口箋ρのに。 。。これについても、牢冨oFO>お誌るωど逡一およびそこに列挙さ れている文献参照。 詳細については、零一零プO︾一。認︸ωω一顕参照。その際もちろん、結果的加重犯のみを特徴づける特別な原理が 問題となるのか否かは、別の問題である。重要な論拠を示してこれを否定するのは、たとえば、勾窪讐9卑− 8首沼巴強銭R5UΦ一幹串仁呂<Φ﹃≦磐警Φ卑ω9Φぎ9p鵯団O吋BΦP一〇〇 。ρω﹂8律である。 包括的なものとして、ω歪冨︵前掲注︵3︶参照yo o●島に節閃鼠零戸O︾一。認る謡埜認。ごさらに、名曽こ辞 一霞曽一〇おるo 。O参照。 閃ユ零FO︾一。鋼器一すら、﹁結果的加重犯の限定的な形成﹂に言及している。結局、彼の構成の基礎は実定法 をまったく予定するものではない。彼は、それを正義に方向づけられた個別事例判断から獲得し、その判断を一般 化し、結果的加重犯という解釈論的形態を通して1方法論的に確かに疑問がなくはないがー、現行法と調和さ せようとする。しかし、立法論的な提案として見たとしても、フリシュの構想に対しては、可罰性の限界に対する 構成要件的に類型化された不法の意義が、あまりに簡単に奪われるという異論が依然として提起されことになる。 同旨、℃后需︵前掲注︵15︶参照yω﹂認。 この点は、℃唇冨︵前掲注︵15︶参照︶あ﹂誤斥のーその他の点では鋭いー構想に対しても妥当する。 反対なのは、1彼の立場からは正当にも1閃鼠零FO︾一鶏Nるホであり、彼に賛同するのは、切歪霧︵前掲注 ︵3︶参照︶︸ω﹂謹五段ψ︵前掲注︵17︶参照︶︸ω﹂臼である。 たとえば、霞窪建畠\N6抽︾↓ρまω肉αP合却旧后℃Φ︵前掲注︵15︶参照︶あ﹂宝h旧のユ喜9βぎ“[国﹄& 245量刑におげる行為の非轍要件的繰の考窟 ︵49︶ ︵50︶ 54 53 52 51 ︵5 5︶ 勾号藁曾,判例も同旨である。たとえば、㊥O国ωけω8一〇 。9切○餌Zω蕊這o 。①vo 。9ω○炉誓く這津ふ合ωO=博 Zω臼Zき親墜励&ωお尉9異なる見解は、牢一零FO︾お蚕。 。8顕これに賛同するのは、ω控房︵前掲注︵3︶ 参照yψ島ωh己Rψ︵前掲注︵17︶参照yψま県ζ8畠9F>日卜>象一﹂Oo 。o 。一ψお全さらにまた、譲窪α僧甘轟 一〇おるo 。Oである。 同旨、幻o図一P︾日H︶ゆ旨勾身﹂ω9=9P一目ω内幹○炉ゆ&園α昌﹂090声BR鮮ω霞Φρぎあ畠曾訂\ωo▽ a号おω5切謹︾仁中おOどゆ扇勾αP竃¢諭&菊αPN9さらに、ミΦωωΦ坑営”閃8富Oぼトζ蝉ξ碧F這認︶ψ ω。窯●︵挙げられていない ﹁重大な事案﹂に関する同一の問題について。しかし、その点で異なるのは、 冨巴ゑ巴92誓Nおo。鰹蕊刈である︶。 したがって、絵画窃盗事例において、絵画の価値は、それが認識されなかった限り、量刑に際して行為者の不利 益に考慮してはならない。同旨、ミ胃審堕冒轟一箋。る・ 。9結論のみ一致しているのは、津一零Fの>お蚕器。 。旧 ω凄拐︵前掲注︵3︶参照yω﹂曽である。 これを明確にいうのは、牢一零戸○︾一。認る認である。 この点は、悶践零戸○︾お認る島において警告されている。 閃ユωOプ○︾お認”ω鼠. さらに、自aPぎあ区ωおφ吻&勾身﹂8参照。これに対して、故意犯の過失で惹起された︵客観的にも︶非 構成要件的な結果を一般的に考慮できると解するのは、○ユ喜魯βぎ”UF貿①肉身’まご9魯R\早曾α5 ωお切貿。園号﹄o 。πさらに、ミ①ωωΦ一ω︵前掲注︵49︶参照yψω。一●オーストリアについて、℃毘冒︵前掲注︵28︶参 照︶劾号ミ執§ω烹目名内﹄認勾号竃ド①民磐ぐ望①ぎぎ碧Nもω窃お塑ωレ魯﹂。貫饗卜。盈⇒﹂。。、 ζき声畠\曽R︾↓Nまω勾3ミにおいて言及されている。量刑事実としての被害者の人間的状況への殺害 結果についての詳細は、Oユ喜9β言。び界貿O園号﹂ミおよびそこに挙げてある文献参照。この関連でしばし ば取り上げられるのが、性犯罪の心理的結果である。たとえば、9まび9B営”一ぢ吻&勾仙づ﹂お訪魯弩段︵前 246
東洋法学
掲注︵28︶参照y勾αP曽ごωO声2ω臼2唇㎝㎝墜貿①ωδ甲 ︵56︶ 人間心理が刑法二二三条︵傷害︶の保護法益として承認され得るか、認められた場合にどの範囲でかは、きわめ て不明確といわざるを得ない。この点について、包括的で発展的なのは、≦○歴σ豊勺亀魯o浮R8一Φ営α雪 Oお目窪α8男8算ρピo 。㎝”ωる臣参照。いずれにせよ、精神的侵害の量刑重要性は、刑法二二三条の意味での健 康侵害とのあらゆる可能な限界線のはるか下方において真剣に考慮されなければならない。 ︵57︶ 明確なのは、冨き声魯\睡R︾↓N﹄8園身’鴇h ︵58︶ ω歪拐︵前掲注︵3︶参照yψお段埜蕊舜己R9︵前掲注︵17︶参照yω﹂器㍉曾昼Rω‘2一名一零♪嵩&葺幹おρ 3一ωoプα5屏Φ\ωoぼαα①ぴω60切ゆ“勾αPNo o甲○ぴの囚胃5毎﹃ρく閃ω“P認①●さらに、ゆ田>びω.一ω乙 。>国−誓Oωお よびω魯妻巴B寓∪勾一〇紹為8および勺8冨︵前掲注︵15︶参照yω﹂3h参照。 ︵訳者あとがき︶ 本稿は、フライブルク大学法学部、ルネ・ブロイ教授が、平成七年一〇月一一日に東洋大学比較法研究所の主催 で行った講演の原稿を邦訳したものである。原題は、U一①切震蔚冨8算蒔§閃玖似匡磯臣津雲ゆR蜜号8$⇒島魯段 ︾仁ω&詩ニロ鴨昌αR↓簿げ蝕α①同ω實臥鐘目霧霊⇒堕である︵なお、その後、Nωけ白一ミ︵這3︶ψ竃①律に掲載された︶。 ブロイ教授は、一九四七年四月一九日、ハンブルクで生まれ、一九七五年にハンブルク大学において、マイヴ ァルト教授の下で博士号を取得した︵博士論文は、U一Φ9閃日簿一零ぎ切巴①暮§閃αR望轟貯拐零嘗&§ひqω出呂 ωq畦碧守①ゴ轟詔三巳ρ一。まである︶。一九七六年から一九八三年まで、ゲッティンゲン大学においてマイヴ ァルト教授の助手をつとめ、 一九八三年に教授資格を得て︵教授資格論文は、90切①8臣磐鑛俄9ヨ巴ω N霞Φ9壼轟ω蔓讐巴日ω茸緯おo拝這o 。㎝である︶、その後、フライブルク大学教授に就任した。 247量溺におげる行為の非轍要件的線の考慮 私は、フライブルクのマックス・プランク外国・国際刑法研究所に留学中︵一九八九年∼一九九〇年︶、経済 刑法研究所のティーデマン教授をしばしば訪ねたが、その際、同研究所に研究室のあったブロイ教授にもときど きお会いする機会があった。ブロイ教授は、いわゆるドグマーティカーであり、細かい刑法解釈論を展開した多 くの論文を執筆している。とりわけ、教授資格論文である、前掲﹁刑法における帰属類型としての関与形式﹂は、 私の博士論文の作成にとって不可欠な文献であった︵拙著﹃共犯体系と共犯理論﹄︵成文堂︶︶。地味で控えめな 人柄から生まれでる、職人芸のような解釈論の展開は、私にとってきわめて魅力的なものである。 さて、講演のテーマである、結果帰属と量刑の問題は、量刑論を犯罪論の知見で捉え直そうとする近時の傾向 に対応した重要問題の一つである。わが国においても、既に重厚で貴重な諸論文がある。たとえば、井田良﹁量 刑事情の範囲とその帰責原理に関する基礎的考察︵1︶︵2︶︵3︶︵4︶︵5︶﹂法学研究︵慶応大︶五五巻一〇号 六七頁以下、同一一号三四頁以下、同一二号八一頁以下︵一九八二年︶、五六巻一号六二頁以下、同二号六〇頁 以下︵一九八三年︶、岡上雅美﹁責任刑の意義と量刑事実をめぐる問題点﹂早稲田法学六八巻三・四号七七頁以 下、六九巻一号一一頁以下︵一九九三年︶などである。とりわけ、岡上論文は、本講演で言及されている、ブル ンス教授とフリシュ教授との論争を丁寧にフォローしており、本テーマの研究にとって不可欠な論文といえよう。 なお、講演の機会を設けていただいた、比較法研究所の谷原修身所長をはじめ、当日お手伝い下さった、本学 大学院の池田栄氏、坪井秀暁氏、佐々木聰氏、さらに、完壁な事務手続をしていただいた、比較法研究所の大戸 玲子さんに対しても、この場をかりて感謝申し上げたいと思う。 248