観構築の試み : 「学校歴史」から「地域歴史」へ
著者
須賀 忠芳
著者別名
Tadayoshi Suga
雑誌名
観光学研究
号
13
ページ
95-113
発行年
2014-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006583/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja1.はじめに
今年度、テレビから流れてきたある曲のフレーズは、印象深いものがあった。 「地元に帰ろう 地元で会おう あなたの故郷 私の地元 地元 地元 地元に帰ろう」 これは、2013年度上半期の連続テレビ小説として一般から高い支持を集めた『あまちゃん』に 登場した、仮想アイドルグループ「GMT」が劇中で歌った「地元に帰ろう」の歌詞である。「地元」 を連発するその歌詞は、「帰ろう」「会おう」とし、愛着を持って「地元」を眺めていることがわかり、 なおかつ、その扱いは、振り返る場としての「故郷」ではなく、生活し行動する場としての「地 元」であることにも注目する必要がある。かつて、「都市」に対置される形の「地方」は、高度成 長期以来、都市への一極集中の状況とあいまって、都市の生活を渇望する人々によって、極言す れば、半ば打ち捨てられ、顧みられることのない、希望とは縁遠い存在と化していたともいえる。 「地方」は、そこを去った人びとから、昔を懐かしむ「故郷」として、また、過ぎ去ったかつての 日本の姿をいとおしむ場1)として扱われ、そうした人々にとって、「地方」は、かつて住んだ場所、 かつての日本の面影を残す場所として夢想されることはあっても、そこを、生活の場として想定 することからは距離を置いた場所となった。ところが、現在、若者の動向を含めて、そうした「地 方」を見直す動きが進み、自らの生まれ育った地域を「地元」として尊重し、そこを生活の場と して位置づける動向が進んでいる。こうした状況を証左するものが、先の劇中アイドルの歌う歌 詞であり、また広く一般に好意的に受け止められた同ドラマの展開である。東京出身の女子高生 が、母親の実家である地方の海辺の様子を「カッケー(かっこいい)」と言い、流行語ともなった ような方言を口にし続ける、という当該ドラマの展開は、地方出身の学生がその方言に悩みコン プレックスを持つ、という従前のドラマなり文学作品とは真逆の関係にあり2)、それを視聴者が好 意的に受け入れる状況が見えたことは、ストーリー展開の巧みさは前提とする必要はあるものの、 従来のわびしい「地方観」が変転してきている様相を指し示しているものと捉えることができる。高等教育一般教養科目における多様な
歴史観・地域観構築の試み
須 賀 忠 芳 *
∼「学校歴史」から「地域歴史」へ∼
A Practice to Build the Diversity of Regional View Point and Historical Perspective
in General Education Courses in Higher Education
一方で、そうした事柄は、若者たちが「地元」を、居心地のいい、単なる「居場所」としてしか 捉えていない状況にも連関してくる。地方に住む若者の声をまとめた阿部真大は、「地元びいき」 だという若者が「そこに住んでいる人のことがよく分からず、興味もない」と言うのを受けて、「彼 にとって地元の人間関係とは、友人関係と家族関係のことを指し、地域社会における人間関係はそ こから除外されている」と分析している(阿部、2013、p.48)。若者の保守化と相まって、「ジモティ」 と称し、地元つながりの人間関係を重視する人びとが、近年増えているという。その背景として、 土井隆義は、生産や流通の均一化が進む中で消費文化における都市の優越性が失われるとともに、 かつて「ひしひしと迫ってくるような抑圧感を彼らに与え、人生の可能性を束縛する桎梏のように 思われていた」地元固有の文化やそれに根ざした人間関係をめぐる拘束が喪失し、地元が、個人を 強く抑圧する場ではなくなったことを挙げている(土井、2010)。土井の言を受けて、筆者は、か つて、高度成長期以降、中央志向一辺倒であった状況から、地元、地域が再評価されるこうした現 況は好ましい状況ではあるものの、その要因として、「その時、意識されるべき地域の魅力に起因 するものは、ほとんどない」のであり、「むしろ、地域の魅力そのものが空洞化していて、だから こそ、地元が「居心地がいい」ものになって」おり、「地方都市・村落において、その「顔」を見 出すべき何物もないからこそ、若者はそこに居心地のよさを感じ取っているのであり、そこには、 地域への自覚的態度は全く形成されてはいない」として、若者の地元志向におけるその空虚な実相 について問題提起し、対応が急務であることを論じた(須賀、2011)。地域社会を再構築するため には、そうした空虚な地域認識をより実態のあるものに昇華させることが肝要で、そこにおいて初 めて、地元・地域が固有の位置付けを獲得し、唯一無二の地域としての価値観が形成されることと なる。そのための方策として、とりわけ若者層が、地域における時間的・空間的認識を改めて確認 し、そうした視野から地域の現状を客観視し、その可能性を認識することが求められている。 しかしながら、「自己完結した日常生活」のあり方を追求する現代の若者層は、時間的・空間的 広がりを体感し認識する態度に著しく欠けている状況がみて取れる。筆者は、これまで、高等学校 における社会科系部活動の低迷を取りあげる中で、「多くの生徒が『学び』を忌避し、その存在感 が減退していく中で、(中略)文化系部活動に所属することは、もはや『おたく』の領域とされて」 いる実情を指摘するとともに(須賀、2007)、福島県内のいわゆる進学校とされる高校で、調査対 象者の6割近い生徒が「忠臣蔵」を知らないと回答したことを取りあげて、国民共有の時代物とし ての「忠臣蔵」の位置付けが著しく低落していることを指摘した(須賀、2010)。それらは、学校 文化全体に蔓延する歴史離れの現況と、それと付随して起きている歴史的な事柄全般への若年層の 意識の遊離性を示すものであった。そうした状況においてこそ、地域史認識の深化を通した地域観・ 歴史観の形成が求められるが、いわゆる「詰め込み」「暗記主義」の旧態依然たる歴史教育の現状 において、それらが省みられることはほとんどなかったといえる(須賀、2010②参照)。そうした 現状にあって、本稿においては、若者層における時間的・空間的認識及びその意識の希薄さを確認 するとともに、そこにおいて、「歴史意識の空洞化」ともいえる事態が進行する中で、「学校歴史」 において規定された学習主体の歴史理解を、高等教育一般教養科目における「地域歴史」を通じて、 柔軟かつ多様な歴史認識へと再構築することを試みた授業実践のあり方について明示し、そこから 見えてくる「学校歴史」と「地域歴史」をめぐる諸課題について検討を加えることを目的とする。 同時に、当実践の、大教室講義における学生主体の授業としての特徴に着目し、大教室講義におけ
る効果的なあり方について検討するとともに、大学一般教養科目における歴史教育のあり方につい ても論究することを目的とする。
2.若者層の時間的・空間的認識について
本節においては、若者層の時間的・空間的認識の状況について、勤務校における筆者の開設講義 受講学生への調査をもとに検討することとする。 前節にも触れた通り、筆者は、かつて、地方高校の、とりわけいわゆる進学校とされる高校に通 う生徒でさえも「忠臣蔵」を知らないとする者が多数を占めることを明らかにした(須賀、2010)。 そうした中で、筆者は、開設講義受講学生を対象に、2009年度から2010年度、2013年度において、 「勧進帳」に関する認識度・理解度を調査した。調査対象学生は、一般教養科目「歴史と郷土文化」 2009年度秋学期、2010年度春学期受講者125名、及び、1年次を主な対象とした選択専門教育科目 「歴史と観光」2013年度春学期受講者92名、総計217名、受講者の対象年次は1年次から4年次にわ たり、所属は国際地域学部国際地域学科、国際観光学科である。形式は、「勧進帳」の概要を提示し、 主要語句を空欄にして、語群選択により語句の理解度を確認するもの、及びストーリー全体につい てその認識度を尋ねるというもので、有効回答数は217である3)。 その結果、主要な舞台としての「安宅関」、及びその扮装としての「山伏」を語群選択で答えさ せたところ、その正答率は前者で2割強、後者で3割にすぎなかった(図2参照)。回答を詳しく 見れば、「安宅関」については、単に既知のものとして選択したものと思われる「白河関」「箱根関」 を語群から選択した回答が多くあったが、これは、義経一行の逃避行の経路を全く理解していない ことになる。同様に、その扮装については、いくつか選択語句を用意した中で、「山伏」と「商人」 のほぼ二者択一的な選択形式となっていたが、その中で、5割の者が「商人」を選んでいる。恐らく、 山伏のあり方をデフォルメした「勧進帳」独特の扮装について、ほとんど認識していないのであろ うし、あるいは、「山伏」そのものの理解度も低いものとも思われる。「勧進帳」の認識度については、 実に7割の学生が、「ほとんど知らない」「全く知らない」と回答した(図1)。また、図3の通り、 「勧進帳」の認識度と前記「安宅関」などの語句理解度の相関を見れば、「知っている」とした者で 図 1 「勧進帳」の認識度(N=217) 図 2 「勧進帳」語句の理解度 (設定語句提示順、N=217)も、関連する語句を正確に理解している者は2割程度にすぎず、エピソードの概要は認識していて も、その全体の理解度は、著しく低いものと予想される。さらにまた、「知らない」とし、関連語 句を理解していない者は6割を占め、これら学生の認識においては、「勧進帳」なるものは全く未 知なるものとして位置づけられていることがわかる。調査対象学生の所属学部の偏りやデータ数か ら、限定的な集計データにとどまるものではあるが、当調査が、大学生の歴史理解における一面を 明示するものと考えれば、正に「国民共有の時代物」であったはずの「勧進帳」をめぐる認知度は、 著しく低まっているものがあり、そのいわゆる「歴史離れ」のあり方は、我々、社会科教育・歴史 教育に従事する者の予想をはるかに超える形で、急激に進行しているものと捉える事ができる。 また、2013年度調査では、地名や年代を絡めた、歴史的状況の基盤的理解度についても調査した。 対象者は、前記、当該科目受講者で、有効回答数は92である。まず、歴史的出来事の発生した場所 及び、年代について、既知の者はともかく、それらを認識していない者が、事項に相応するものと して何を選ぶのかを確認した。最初に、「10世紀前半に東国で争乱を起こした人物」として平将門 を挙げ、「彼が起こした争乱の場所」を選択肢から選ぶものを尋ねた(図4参照)。その結果、「常 陸国」を選択できたものは3割程度しかいなかった。「東国」とするリード文によるものか、また、 前九年の役などと誤認してのものか、「陸奥国」を選んだ者が3割弱あった。「東国」としているの にも関わらず、「近江国」「讃岐国」を選んだ者が2割弱あった。選択肢を明示しているにも関わらず、 2割が回答していないことも注目に値する。次に、「1930年代後半、40年代初めの首相」として近 衛文麿を挙げ、「彼が首相であった、1937年に起きた事件」を選択肢から選ぶものを尋ねた(図5 参照)。その結果、4割の者は「盧溝橋事件」を選択できたものの、「柳条湖事件」と混同している 者が2割弱あった。その他の選択肢について、年代の近接する「二・二六事件」を選択する者がい 図 3 「勧進帳」認識度と語句理解度の相関(N=217) 図 4 平将門の乱の発生地認知度 (設定語句提示順、N=92) 図 5 近衛文麿首相在任時1937年に起きた事件の認知度 (設定語句提示順、N=92)
ることは予想されたが、「日比谷焼打ち事件」を2割弱もの者が選んだことは予想外であった。加 えて、城下町の選択肢をいくつか挙げて「徳川御三家の一つである尾張藩の城下町」を尋ねたとこ ろ、「名古屋」を答えることができた者は、4割強であった。「水戸」や「松本」を選ぶ者もあった。 「尾張名古屋は城でもつ」は彼らにとってもはや死語であるといっていいだろう。同時に、ここでも、 無回答の者が目立ち、その割合は5割強にのぼった。筆者からは、すべての項目に記入するように 指示を加えたわけだが、語句認識への自信のなさによるものか、消極的な回答の態度が目についた。 加えて、松尾芭蕉の『奥の細道』について、「出羽三山・白河・平泉・大垣・松島・酒田・金沢」(提 示順)の7つの地名を挙げ、芭蕉が道中で訪れた順番はどのようになるか尋ねた。芭蕉及びその 門弟・曾良のこの時の行程は、江戸深川から下野国黒羽などを経て白河から陸奥国に入り、平泉に 達した後、西に向かい出羽国象潟から日本海沿いに南下し、若狭国敦賀から美濃国大垣に至るもの で、そうした行程に即した主要な場所を設定し、その順路を尋ねたわけだが、「白河→松島→平泉 →出羽三山→酒田→金沢→大垣」として順路を正解できた者は、92名の回答者中わずか5名にすぎ なかった。そもそも、設定語句中の地名で、最初の訪問地として白河を選べた者は、3割程度であ った(図6参照)。また、白河を選んだ後、次の場所として松島を選べた者は5割強にとどまり、2 割の者は平泉を選んでいる。白河から松島、平泉と 並べることができた者も次の場所に出羽三山を設定 できた者は半数に満たない。平泉を最初の訪問地と した者の約半数は次に松島を挙げ、さらに白河、出 羽三山とする経路を設定している。さらにまた、金 沢を最終地点に設定し、大垣から出羽三山、酒田を 経て金沢の順路とする者も数名いたほか、中には、 白河から大垣に入り平泉、出羽三山、松島、酒田、 金沢とする経路を「策定」した者もいた。当該作品 をはじめ、旅に生き、多くの優れた紀行文を世に残 した芭蕉をもってしても、そうした経路で旅するこ とは至難の業であるに違いない。 当調査からは、歴史状況におけるその発生要因としての基本的認識、及び空間的・時間的認識 が、学生らの間で極めて脆弱となっていることがうかがえる。そもそも、平将門の乱が陸奥国で起 こっていれば、その軍勢の矛先は多賀城に向かったことであろうし、その怨霊封じとしての神田明 神が江戸にあることも理屈に合わなくなる。常陸国、近江国といった旧国名の名称、及びその場所 の理解が覚束ないことも予想される。また、斎藤実・岡田啓介の海軍穏健派からの首相の起用が続 いたことが陸軍皇道派らを刺激したその発生要因や、斎藤・岡田に加えて海軍出身の鈴木貫太郎が 襲撃されたことが海軍の反感を買ったことが理解できていれば、年代は近接していても、近衛首相 の下で二・二六事件が起こったとする設定は不可能であろうし、なおかつ、日比谷焼打ち事件をこ の時期に設定することはおよそ無理なはずである。当調査の回答からは、歴史上のトピックをなし たこうした事件の背景やその発生の経緯はもちろん、名称やその内容でさえも、何ら理解していな い者が多くいることが予想される。また、芭蕉一行の行程を尋ねる項目からは、出羽三山はもちろ ん、平泉や松島など、歴史的にもよく知られる地域の認識が不明確であることがうかがえるととも 図6 設定語句における『奥の細道』最初の訪 問地認知度(設定語句提示順、N=92)
に、この時、芭蕉らが大垣まで達していたことを知らないことはまだしも、大垣のおよその場所す らも把握していない者が多くいることが類推される。加えてまた、項目全般に無回答の者が散見さ れることは、誤って回答することを恐れ、忌避するとともに、歴史的・地理的理解を問う設問に取 り組むこと自体から逃避している様子もうかがえる。当調査は、その履修動機は様々ではあるだろ うが、歴史関係科目の履修を希望した者を対象としたものであり、一定程度の歴史理解への関心の ある者に向けられたものであるとみるならば、当調査の全体傾向は、一般学生についてみれば、さ らに拡大して解釈する必要があろうかとも思われる。 歴史的過程において、民衆は、ヤマトタケルを表出させる記紀の時代にはじまり、「平家物語」 に代表される軍記物から、歌舞伎・講談、さらには映画・テレビへと主要な媒体は変わりつつも、 時代物から、その時代相に触れ、その英雄像なり社会意識なりを構想し、主観的ながらも、その歴 史像を構築し歴史意識を保持してきた。歴史的には、娯楽的素材も含めて、民衆が歴史事象に向き 合うことで、いわば民衆と歴史事象との連関性ともいえる枠組みが構築されてきたわけだが、「忠 臣蔵」「勧進帳」といった、国民的題材として人気を博してきた歴史物語の認知度が著しく低下し ていることからわかるように、娯楽としての意味合いも含めて、歴史像に近接した民衆の興味・関 心は、若者層においてはきわめて薄弱となっていることがうかがえる。さらにまた、歴史的事象に ついて、その内容はもちろん、前後関係からのつながりや時代背景、発生場所の洞察など、時間的・ 空間的認識があいまいであることや、その前提としての地理的理解ですら明確なものとなっていな い者が多いことがわかる。一方で、現在、荒唐無稽な人物設定や、一部の歴史小説が喚起する恣意 的な人物像から想起され、それを「歴女」なる一群が支える歴史ブームも展開しているが、それも、 一部の動向にしかすぎず、これもまた、高校生の文化部への認識と同様に、いわゆる「おたく」の 所為として一般には理解されているものとみなすこともできよう。加えてまた、そうした一部の恣 意的解釈に基づく歴史像に向けられた関心事は、歴史像全体の把握へと連関するものとはなりえて いない。こうした圧倒的な歴史離れの現況において、筆者は、地域史認識の深化を通した地域観・ 歴史観形成の意義について論じてきたが(須賀、2010②ほか)、必ずしも定着しているとは言い難 い「学校歴史」における学習主体の歴史理解を、高等教育における教養教育の場で再構築すること が求められているのである。
3.「学校歴史」の現状と課題
「学校歴史」とは、野口剛が、英国における歴史の授業改革に言及しつつ、学校で取り上げられ てきた歴史は「社会の中に存在している多くの歴史の中の一つ」であるとして、その歴史を「学校 歴史」として位置づけたことに由来する(野口、2004)。野口は、英国における「学校歴史」の取 り扱いについて、様々な論争を経ながら、社会史的な内容を重視し、諸資料の解釈に重点をおく方 向への改革が進められ、GCSE(中等教育修了資格認定試験)の出題もその方向性に準じたものと なった状況を論じるとともに、さらに、まるでそれと対比させるように別稿において、日本の「学 校歴史」について論じている(野口、2002)。その中で、野口は、歴史授業が教員の個人的資質に 依拠される面が強く「教える側の多様性」は存立しつつも、単に受験生を選別するための便法でしかないはずの大学入試における出題形式によって歴史授業が規制され、「日本の歴史の授業形式の 大枠は今や非常に均質的であり、多様性に欠けるものとなっている」と指摘している。野口の端的 な指摘にみえるように、現下の「学校歴史」において、生徒たちは、試験対策という名目の下に、 すぐに「覚えるべき事柄」とそうではないもの、すなわち、試験対策として有効なものとそうでは ないものとする峻別をしたがる傾向がある。こうした状況は、前述のように歴史離れが急速に進み、 歴史的な事柄・事項に何ら価値を見出し得ない生徒たちが多くなっている状況の中で当然のことの ように受け取られ、教師に対しても、教科書の内容を効率よく的確にまとめる教師が「いい教師」 であり、自らの歴史論を論じるような教師は煙たがれることさえある。そうした状況に対して、自 らの専門領域を深め、郷土史の専門家としての矜持を保持していたかつての歴史教師ならば、これ に決然と対峙し、言下に生徒の安易で短絡的な姿勢を戒めたものであろうが、近年では、教師の側 でも、自らの研究領域を深めようとはせず、生徒たちの近視眼的な意向に迎合し、生徒たちの求め る「いい教師」であることを受容するような傾向さえある4)。 また、岡野らは、中学生の意識調査を基に、家庭の中で歴史に関わる話題が減り、日常的に歴史 に触れる機会が減少する中で、「学校教育における歴史学習」すなわち学校歴史が、「現代の児童生 徒にとって、数少ない歴史との出会いの場」となっており、だからこそ、「歴史学習を通した歴史 との出会い、触れ合い、追究しようとする態度の育成が重要」であるとする(岡野ら、2010)。家 庭から、地域から、「歴史なるもの」が消失していく中で、生徒の歴史認識形成において、「学校歴 史」の比重が飛躍的に高まっていることが推察される。そうした中、「学校歴史」が、「均質的であ り、多様性に欠ける」授業形態を保持したままでは何の意味もない。 一方で、歴史素材への教師側の熱心な取り組みが必ずしも生徒の歴史認識につながっているわけ ではないことも問題視されている。新木武志によれば、広島・長崎では、原爆学習への取り組みは 強化されているものの、むしろ、若い世代の原爆についての知識は低下していて、原爆投下の理由 も、「広島の場合、多くの学校で教えている『アメリカの対ソ政策』説が生徒に定着することなく、 広島と長崎のどちらも『日本をにくんで』『日本への仕返しのため』という、歴史研究や歴史教育・ 平和教育では語られてこなかった回答が増加している」と指摘している。そうした生徒の偏在した 歴史認識の背景に「学校内外で接する映画やビデオなどの映像のなかの原爆についての断片的な印 象」があるとし、こうした「教科書や教師による原爆についての説明はほとんど定着していない」 状況を通して、新木は、「生徒に、教科書を使って特定の歴史の知識を事実として教え込もうとす る方法のいきづまり」を明示している(新木、2004)。同様の問題意識から、前出の野口は、実際 の教室における「歴史表現」のあり方を重視し、「歴史表現とは教室という小さな空間に閉じ込め」 られるものではなく「生徒が家庭や地域に帰った後にも発展してゆく可能性を持つ柔軟な歴史表現 論でなければならない」と提議した(野口、2002)。どんなに教師が熱意を持って生徒に語り、「的 確な」歴史認識を持たせようと努力しても、単に「おもしろかった」「よくわかった」式の一過性 の感想を引き出すものでしかないのでは何の意味もなく、そうした教師の努力は、一方的な価値観 とともに圧倒的な説得力で迫る映像や、偏った志向性をもつ言説の前にいとも簡単に押しのけられ てしまうのである。 生徒の偏在的な歴史知識への執着とその誤謬をただすための方法の模索は、歴史授業研究におい て、常に課題となる事柄であるが、顕著な歴史離れとともに、一定の価値基準の情報に束縛され、
柔軟な発想を持ちえない生徒が増えていく中で、とりわけ中等教育における「学校歴史」の変革、 さらには、それを経た大学などの高等教育一般教養科目での歴史科目の改善が求められている。歴 史学習を通して、生徒・学生の意識を変容させ、より実感をもって歴史事実に対峙し、より的確に 社会事象を分析する視覚を育成することが必要なのである。
4.「地域歴史」の実践と大教室における参加型講義の取り組み
日本における「学校歴史」の現状をふまえつつ、筆者は大学一般教養歴史科目において、多様な 歴史認識の形成を地域史素材に求めた、「地域歴史」(講義名「歴史と郷土文化」)の講義を2009年 度から2011年度まで担当した。本節においては、その実践の経過と同時に、大教室における参加型 講義の取り組みの一事例について提示することとする。 講義の中心的な素材は、福島県会津地方の歴史展開で、古代から近代に至るまでの地方の歴史を 追いながら、歴史全体を俯瞰するという方針を保持している。なおかつ、大教室における大人数の 受講者を抱えつつも、それらを巻き込んだ参加型授業となることにも留意している。講義内容では、 たとえば、「地域における古代仏教文化」項では、南都六宗からみる真言・天台の新規性を確認し つつ、会津・慧日寺を拠点として最澄と論争を挑んだ徳一のあり方を通して、その相克について認 識させた。「地域における近世のはじまり」項では、関ヶ原合戦前後の状況について、その発端と もなった会津・上杉氏の動向について提示しつつ、戦国争乱の終結と近世のはじまりについて認識 させた。また、「個人レポートグループ発表会」を開催し、地域を素材とした個人レポートを作成し、 グループ内で発表させ、グループ内で各レポートを評価させるとともに、代表発表者を選出させ、 「グループ代表者発表会」を開催した。2010年度春学期における当授業では、100名を越える受講者 があったことから、5∼6人の20グループを作り、「代表者発表会」では1人15分程度の発表で、5 人ずつ20人、4回の発表を実施した。講義のまとめでは、「地域の歴史が現代に投げかけるもの」と して、戊辰戦争で惨禍におかれた会津地域が、白虎隊の称揚などアジア太平洋戦争推進の原動力と なっていく過程を提示し、地域と戦争・歴史のあり方を考察させるとともに、歴史の語られ方が時 代状況において大きく変化することについて地域資料を通して実感させた。 2010年度春学期における講義完結後、講義項目に関する印象度を問うとともに、講義を通して認 識した地域史のあり方に関する意識調査を行った。調査のサンプルとして、受講者数118名に対し て、89名の有効回答者数を得た。その結果、各講義項目の印象度では、グループ内でのレポート発 表及びグループ代表による発表が群を抜いて高かった(図7)。 土屋武志は、大学における歴史教育の役割として、「『歴史』を考えることに対して明確なトレー ニングを受けた経験を持たずに大学に進学する現状」をふまえて「学生を『暗記型』の歴史教育か ら解放すること」に見出しているが(土屋、1998)、本実践は、正に土屋のいう「『暗記型』からの 解放」であって、それを地域の視点からみつめ、地域の現況自体を改めて考えさせていく、という 点に主眼がある。当講義受講後の地域史をめぐる印象において、後述するように、「多くの地方の 歴史を知ってみたい」「それぞれの地域が、様々な歴史を持っていることがわかった」「地域の歴史 を考えることは大切だ」といった項目で、いずれも9割強の学生が肯定感を示している。このことは、地域史認識の深化と地域史を通した歴史理解 を目的とした当講義の趣旨が、受講学生の多 くに理解されたものと捉える事ができる。 また、そうした地域史理解の眼目を、大教 室における学生の主体的な活動で実現した点 についても意義を見出すことができる。前出 の土屋は、少人数の講義においては受講者か らの高い評価が得られたものの、150名の受講 者を数えた講義では、学生からは評価が低く 「大学教育に対する受講者の期待の高さを示すとともに、大教室での講義式授業に対する批判をよ く顕わしている」とし、大教室における講義の難しさを吐露している。また、その評価の差異を講 義形態の違いにも見出しており、「大教室での講義式授業」に対して、「少人数の参加型の体験的授 業」が受講者からの肯定的評価を得る要因であったかと分析している。「少人数」で「参加型」授 業が実施できるのは当然として、どうしても「講義式」になりがちな「大教室」での講義を「参加 授業項目・タイトル 主な内容 時代 1 ガイダンス 地域の歴史と文化を探ることの意味について認識する。 全般 2 地域における古墳文化 「会津からみる古墳時代」 列島最北に位置する前方後円墳の一つである会津大塚山古墳を手が かりに、前方後円墳の分布にみるヤマト王権支配領域の広がりにつ いて考察する。 古墳 3 地域における古代仏教文化 「古代会津の仏教文化」 南都六宗からみる真言・天台の新規性を確認しつつ、会津・慧日寺 を拠点として最澄と論争を挑んだ徳一のあり方を通して、その相克 について認識する。 古代 (奈良) 4 地域における中世領主支配 「中世の争乱と会津の領主支配」 観応の擾乱を通して、南北朝時代の時代状況を把握し、会津南山・ 長沼氏、会津黒川・蘆名氏を通して中世後期領主支配のあり方につ いて認識する。 中世 (室町) 5 地域における戦国大名の成長 「戦国時代の会津の様相」 毛利氏・武田氏ら典型的な戦国大名のあり方を通して時代状況を把 握し、南奥における蘆名氏と伊達氏を事例にその領域支配と対立状 況について考察する。 中世 (戦国) 6 地域における近世のはじまり 「戦国争乱終結と城下町の形成」 関ヶ原合戦前後の状況について、その発端ともなった会津・上杉氏 の動向について提示しつつ、戦国争乱の終結と近世のはじまりにつ いて認識する。 中世 ∼近世 7 個人レポートグループ発表会 地域を素材とした個人レポートを作成し、グループ内で発表する。 グループ内では各レポートを評価し、代表発表者を選出する。 全般 8 地域における藩政の展開 「会津城下の構造と藩政の展開」 会津若松を事例に、城下町の構造と交通体系の整備について考察し つつ、藩政の展開について把握し、幕藩体制のあり方とその時代状 況について認識する。 近世 (江戸) 9 地域における幕末の状況 「戊辰戦争と会津藩」 幕末の状況を概観しつつ、戊辰戦争の性格とその内実について会津 藩の視点から考察し、転換期における時代相について認識する。 近世 (幕末) 10 グループ代表者発表会 各グループの代表者が、個人レポートについて発表する。また、各 発表について、グループごとに評価を加える。22 年度前期は、20 人を 5 人ずつ 4 回実施。 全般 11 まとめ 「地域の歴史が現代に投げかけ るもの」 戊辰戦争で惨禍におかれた会津地域が、白虎隊の称揚などアジア太 平洋戦争推進の原動力となっていく過程を提示し、地域と戦争・歴 史のあり方を考察する。 現代 図 7 講義項目の印象度(N=89) 表 1 「地域歴史」授業実践プラン
型」にはできないものか、とする課題に対して、発表者は次のように対処した。まず、講義ごとに 受講者の感想コメント5行分を、講義後に必ず提出させ、それに対してなるべくコメントを書き加 えるとともに、講義冒頭の10分ほどは、前時のコメント数名分をいわゆる書画カメラで全体に提示 しつつコメントを紹介するとともに、それに対する授業者の意見を付け加えつつ発表することにし ている。こうして、受講者に対して、授業者からの、一方的ではない、受講者を交えた双方向性を 担保した授業形態を心がけた。また、単に講義を聴くのみではなく、自ら主体的に、地方における 歴史状況にアプローチするために、地域の歴史素材を題材とした、個人レポートを作成させるとと もに、前述のように「個人レポートグループ発表会」「グループ代表者発表会」を開催した。グル ープ内の発表会では、各個人のレポートについて、他の学生に批評を加えさせたほか、代表者発表 会では、代表学生の発表を受けて、それを全体で、歴史素材に対する優れた着眼点とは何か、及び レポート作成のあり方、プレゼンテーションの方式等について評価させ、自らの学習態度へのあり 方にフィードバックさせた。その際、グループから、代表発表者に対する「応援演説者」を選出さ せるとともに、発表回で第1位の評価を得たグループにはメンバー全員の評価に加点するという条 件をつけ、グループ全体で代表発表者を後押しし、グループの結束を保持させるようにも促した。 各発表については、提示されたコメントを公開するとともに、受講学生の審査点に授業者の短評 も加えて、その結果、「参加型」であることの意義はもちろん、学部全体として学科単位の授業が 多い中で学科を越えた受講を可としたものであること、一般教養科目としての位置付けで1年次か ら4年次まで多様な年次の学生が集まっていたこと、加えて、留学生を対象とした日本文化の必修 科目としての位置付けも兼ねていて、中国・韓国を中心に数名の留学生も受講していたことといっ た、本授業の特性ともあいまって、学生同士が大いに交流し、刺激しあうという、授業者の想定外 の相乗効果も生まれた。また、それらのグループ活動は、学生を学籍番号順にアトランダムに編成 したグループにおいて行わせたことから、下級年次生は上級年次生の詳細なレポートや的確な発表 に圧倒されていたし、指導役にまわることの多かった上級年次生はそれを通じて自らのレポートや 授業態度を見直すことにもつながっていた。また、留学生からの、海外から見た日本文化への斬新 な視点に大いに刺激を受けた受講生も多かった。 こうしたことから、主体的に授業に参加した、グループにおける活動の時間が、受講者に強い印 象を与えることとなり、講義全体でも受講者の多くが高い評価を加えたのは前述の通りである。当 実践は、いわば「大教室」における「参加型」授業であり、講義の内容はもちろん、そうした授業 形式に多くの学生が意義を見出したことがわかる。地域史認識の深化と地域史を通した歴史理解を 主眼とした当講義の趣旨は、学生主体の講義形態に対して、学生自身が緊張感を持ち、主体的に授 業参加した結果として、貫徹されたものと位置づけることができるのである。
5.「地域歴史」を通した地域認識の深まり
「地域歴史」の受講を通して、学生たちは、果たして、歴史状況全体や地域史のあり方、また地 域の現況について、どれだけ興味・関心を持つに至ったのであろうか。本節においては、当授業実 践の意義について、地方公立高校生に対する調査結果と比較しながら明らかにすることとする。筆者は、「地域歴史」講義後における地域史認識に関する意識等について、以下の観点から調査 を実施した。調査では、①歴史全般に関する認識・興味、②地域の歴史に関する興味・関心、③素 材地域に関する理解・関心、④都市または地元に関する志向の4つの観点を基に、質問項目を無秩 序に配すとともに、機械的な項目記入に陥らないように、同様な内容ながら、相反する質問項目も、 各所に配し、各項目について、その肯定の度合いを4段階で聞いた。その結果は、肯定度の高い順 に4点から1点まで得点化し、平均値で数値化した。当調査は、前節のものと同様に2010年度「歴 史と郷土文化」受講学生に実施したものである。また、同様な質問を既に実施していた、2009年度 の同科目受講者(受講者数28名、有効回答者数21名)、及び、2009年10月石川県能登地方の県立高 校(以下、A高校)2、3年生(有効回答者数115名)、2011年10月北海道根室地方の道立高校(以下、 B高校)1、2年生(有効回答者数115名)に対する調査結果と比較対照した(表2、図8、図9)。 当科目の2009年度実施分については、講義内容にほとんど変わりはないが、比較的少人数で講義を 受講学生年度 A高校 B 高校 2009 2010 受講者数 28 118 ― ― 有効回答者数 21 89 115 115 ①歴史全般に関 する認識・興味 山や川など自然地形も地域の歴史に影響している。 3.6 3.4 3.4 3.0 歴史は人間の営みなので、山や川など自然地形の影 響はあまりない。 1.7 1.9 1.8 2.1 歴史を知っていることが何かの役に立つとは思えな い。 1.5 1.8 2.0 2.1 歴史は教科書に載っていることがわかれば充分だ。 1.9 2.0 2.3 2.5 ②地域の歴史に 関する興味・関 心 多くの地方の歴史を知ってみたい。 3.4 3.4 2.7 2.7 それぞれの地域が、様々な歴史を持っていることが わかった。 3.9 3.5 3.5 3.1 地域の歴史を考えることは大切だ。 3.6 3.5 3.1 2.8 歴史を知って、様々な場所を訪れてみたい。 3.6 3.4 3.1 2.8 地域の歴史に興味はない。 1.5 1.8 2.1 2.4 中心となった地域に比べて、どの地域にも様々な歴 史があるとは思わない。 1.4 1.7 1.8 2.1 ③素材地域に関 する理解・関心 福島県会津地方(※1)には深い歴史があることが わかった。 3.7 3.2 2.9 2.6 福島県会津地方(※2)に行ってみたい。 3.1 2.9 2.7 2.5 福島県会津地方(※3)に行ってみたいとは思わない。 1.8 2.1 2.1 2.4 地域の歴史を知って、自分の地域が好きになった。 3.0 3.1 2.3 2.3 ④都市または地 元に関する志向 地域の歴史を理解し、東京近辺(※4)ではなく地 元に住むこともいいと思った。 3.3 3.0 2.5 2.5 地域の歴史を理解したが、実際に住むのはやはり東 京近辺(※5)がいいと思う。 2.3 2.5 2.3 2.7 表2 地域史認識の意識等に関する調査回答比較表 注 A高校・B高校の調査にあたっては次のように質問項目を置き換えた . ※1 対象の地元地域 ※2、3 歴史の残る地方都市 ※4、5 A高校:大阪・東京など大都市圏 B高校:札幌・東京など大都市圏
実施することができたことから、授業者も受講学生とよくコミュニケーションをとることができる とともに、各人の作成したレポートも個人ごとに発表しそれぞれに批評し合う時間をとることがで きている。また、A高校は、鎌倉時代から列島全体の主要な港としてのいわゆる「三津七湊」の一 つに数えられ、前近代における日本海交通路の拠点として位置づけられてきた、現在の石川県輪島 市における中核校の一つであり、B高校は、道東の中心都市の一つで、アイヌゆかりの出来事や江 戸幕末の外交の舞台となる北海道根室市の市街地にある学校で、歯舞諸島を眼前にする地域の立地 から北方領土学習に積極的に取り組んでいることでもよく知られている。 回答結果を分析すると、全般に、2009年度実施分における肯定度の割合が高い。これは、少人数 での講義実施において、地域歴史をめぐる授業者の意図がよく理解された結果であるとともに、講 義の高い満足度を示すものということができ、前出の土屋のいう、正に「少人数の参加型の体験的 授業」(土屋、1998)における授業成果とみることはできるだろう。一方で、大教室において実施 された2010年度実施分においても、数値において2009年度分にやや劣るものの、回答の傾向にほと 図8 歴史全般に関する認識・興味の対比 歴史は教科書に載っていることが 分かれば十分だ。 歴史を知っていることが何かの役 に立つとは思えない。 歴史は人間の営みなので、山や川 など自然地形の影響はあまりない。 山や川など自然地形も地域の歴史 に影響している。 図9 地域の歴史に関する興味・関心の対比 中心となった地域に比べて、どの 地域にも様々な歴史があるとは思 わない。 地域の歴史に興味は無い。 歴史を知って、様々な場所を訪れ てみたい。 地域の歴史を考えることは大切だ。 それぞれの地域が、様々な歴史を 持っていることがわかった。 多くの地方の歴史を知ってみたい。
んど差異はない。前節において触れたように、少人数講義における受講学生の満足度が高いのはも ちろんのこと、100人を超す大人数の講義においても、受講学生主体の講義を展開することで、そ の理解度、関心度は大きく高まるということがわかる。同時に、両年度の受講学生とも、②項の地 域の歴史に関する興味・関心はいずれの項目においても高い数値を示している。とりわけ、回答者 が「強くそう思う」「ある程度そう思う」とする肯定度の高いものを選んだ割合を算出し、比較す ると、「地域の歴史を考えることは大切だ」として、地域の歴史を認識することの意義を認識した 者、「多くの地方の歴史を知ってみたい」として、地域の歴史を知り学ぶことについて意欲を持つ に至った者がいずれも、両年度平均値で9割を越えていることがわかる(表3)。また、③項「地域 の歴史を知って、自分の地域が好きになった」④項「地域の歴史を理解し、東京近辺ではなく地元 に住むこともいいと思った」とする項目も一定の支持を集めた。 一方で、当科目の受講学生(以下、「学生」)とA高校・B高校生徒(以下、「生徒」)との数値を 比較すると、いくつかの特徴的な事柄が見出せる。例えば、①項の自然地形と歴史状況の関わりや、 ②項の地域における多様な歴史状況など、一般的な歴史理解については、その数値において、ほと んど差異はない。しかしながら、歴史を学ぶことの意味や地域の歴史を理解し学ぶことの意義、及 びその志向性、影響については、その差異が明らかとなる。表3をみれば、①項「歴史は教科書に 載っていることがわかれば充分」とする項目に対する肯定度は「学生」の21%に対して、「生徒」 は47%にのぼる(いずれも平均値。以下同じ)。②項「多くの地方の歴史を知ってみたい」とする 項目については、「学生」の90%が肯定したのに対して、「生徒」のその度合いは61%にすぎない。 「学生」の肯定度の高い、③項「地域の歴史を知って、自分の地域が好きになった」④項「地域の 歴史を理解し、東京近辺(高校調査ではそれぞれA高校「大阪・東京など大都市圏」、B高校「札幌・ 東京など大都市圏」)ではなく地元に住むこともいいと思った」とする項目も、「生徒」の肯定度は、 いずれも高くはなく、とりわけ、地域の歴史を知ることで自らの地域を好ましいと思えるようにな った、とする前者における数値の差は、「学生」81%、「生徒」34%と圧倒的で、そのポイント差は 受講学生年度 受講学生 の平均値 A高校 B高校 A・B高 校生徒の 平均値 受講学生平 均値とA・ B高校平均 値の差 2009 2010 ① 歴史は教科書に載っているこ とがわかれば充分だ。 19% 24% 21% 40% 55% 47% − 26 ② 多くの地方の歴史を知ってみ たい。 86% 94% 90% 63% 59% 61% 29 地域の歴史を考えることは大 切だ。 95% 99% 97% 85% 59% 72% 25 ③ 地域の歴史を知って、自分の 地域が好きになった。 76% 85% 81% 33% 36% 34% 46 ④ 地域の歴史を理解し、東京近 辺 ( ※ ) ではなく地元に住む こともいいと思った。 90% 82% 86% 48% 43% 46% 41 表3 地域史認識の意識等に関する調査主要観点の肯定度比較表 ※高校ごとに以下のように置き換えた。 A高校:「大阪・東京など大都市圏」 B高校:「札幌・東京など大都市圏」
46の大差となっていることがわかる。 「学生」と「生徒」の、こうした数値の差異は、歴史学習における根本的な取り組みの違いに起 因することは明らかで、受験を視野に入れた、いわば「歴史学習の現実的有用性」に束縛された高 校生と、一般教養として歴史を学び歴史事実をどう捉えいかに考察するかを求められる大学生にお いて、その意識の違いが生じることは当然であろう。一方で、以下の図表にみえる、A高校・B高 校生徒の地域の歴史事実への関心度とその理由を勘案すると、先に触れた高校生と大学生の歴史意 識とその捉え方の差異は、看過できないものがある。すなわち、地域における歴史事実について、 その関心の度合いは、A高校生徒は、「関心がある」とした者が53%はいるものの、「関心がない」 とした者も47%を占め、B高校生徒については、「関心がある」とした者は29%にとどまり、「関心 がない」とした者が61%を占めた(図10)。A高校生徒について、自由記述によるその理由を確認 すれば、「関心がある」とする者では、地域の歴史事実そのものへの関心や興味を持っている、あ るいは地元の歴史に誇りを持っているとする事柄を挙げる者が上位を占める一方で、「関心がない」 とする者では、地域の歴史事実を知らないし興味もないとする者が上位を占めるとともに、そうし た歴史事実を知ることについてそれが役に立つものではない、として地域の歴史を知ることそのも のの価値を根底から否定的に捉えている者も一定数いることがわかる。当地は、伝統産業が息づい ていて、その歴史的特色から多くの観光客を集めるとともに、聞き取りによれば、初等教育におけ る総合学習をはじめとした地域学習も盛んに実施されている。しかしながら、そうした学習の成果 はほとんど定着化しておらず、生徒の地域史への認識を深めるものには至っていない。そうした状 況が、生徒の、地域全般の理解にもつながっていってはいないのであり、その点が、「地域歴史」 を受講した大学生との認識の差となって表れているのである。 特定の地方公立高校を調査対象とするとともに、その数値を、知識理解の前提としてのレディネ スも異にする大学生と比較した当調査データは、その正統性を担保することは難しいとみることも できるが、一方で、当該高校生が、深い歴史性なり独特の地域性を有する場所に居住し、初等教育 以来、一定の地域史に関する情報伝達を受け、知識理解を体得する機会を得ながらも、地域史に対 して大きく距離をおこうとするその態度からは、それが、決して特定の地域のみで進行しているだ けのものではなく、広く高校生全般に、その歴史認識及びそれに付随する地域認識の欠落した状況 が広がりをみせているであろうことは想像に難くない。冒頭にも述べた、「国民的歴史認識」とも された歴史記憶の欠落は、地域の歴史認識において、さらに加速度的に進んでいるのであろうし、 図 10 A高校・B高校生徒の地域における歴史事実への関心度 (グラフ内数値は当該数(人)、A高校:N=115 B高校:N=115)
そうした点からの、地域史を土台とした、いわば、「下からの」歴史認識の形成が大きく揺らいで いることがわかる。 こうした状況の背景として、中等教育段階における「学校歴史」において、包括的な地域史に関 する学びを提供してはこなかったという、大きな課題を見出すことも出来るだろう。初等教育から 中等教育にかけて、その「学校歴史」において、「地域歴史」に継続的に取り組ませることが必要で、 なおかつ、それを高等教育においても積極的に教授していくことが必要なのではないだろうか。生 徒の現状において、自ら地域の歴史を学び、その理解に努めようとする者が多くを占めるとは言い 難いし、世代間の交流が途絶している状況にあって「地域の語り」においてなされた地域史の伝承 も断絶したものとなっている。そうした中で、子どもたちの地域史認識は、ほぼ空白の状況にある といっても言い過ぎではない。「地域歴史」の受講学生のデータからは、当科目の受講を通して、 これまでは目を向けることのなかった地域に内在する歴史事実に向き合い、自らの地域のあり方を 改めて評価するとともに、東京を中心とした中央志向のあり方に対しても、改めて捉えなおす契機 となったとする者が多く出てきたことを読み取ることができ、こうした点にこそ、「地域歴史」を 学ばせることの意義を見出すことができる。平板な地域認識から脱却させ、その認識を深めさせる ことの方策として、地域史に対して、生徒・学生に正面から向き合わせることが大切で、そこにお いて、地域のあり方、また歴史像全体について考察させていくことが肝要である。「学校歴史」に おいて、「地域歴史」に意欲的かつ継続的に取り組ませるとともに、「学校歴史」を発展させた場で あるとともに、歴史認識形成の最後の砦ともいえる高等教育の一般教養教育の場において、「地域 歴史」が的確に提供されることが必要となってくるのである。
5.おわりに
筆者は、地域史素材を活用した授業展開に、あえて、「地域史授業」「郷土史学習」とはいわずに、 「地域歴史」と銘打った。従来の、通史授業の展開過程において、添え物のように扱われ、主題学 習の単発的な特殊テーマとしての「地域史授業」に対する抵抗感によるものである。「暗記型」で 通史全体を見通すことを至上命題とした従前の歴史教育のあり方に対して、むしろ、地域の歴史そ のものを探究することで、通史全体を見通すことはできまいか、地域史が、いわば「通史の付属物」 項 目 人数 地域の歴史事実に関心 22 初めて知った歴史事実に興味 9 地元の歴史に誇り 8 地元について知りたい 6 地域の歴史事実を知らない 3 親が地場産業従事 3 歴史事実と現状の相違に関心 3 地元だから 2 歴史を学ぶことに興味 2 その他・無回答 4 項 目 人数 地域の歴史事実を知らない 24 興味がない 8 役に立つことではない 7 地域の歴史事実に関心がない 4 地元(出身)ではない 3 地域の事柄に関心がない 3 その他・無回答 4 表4−1 図10における「関心あり」の理由 表4−2 図10における「関心なし」の理由 (表4−1、2とも自由記述分を集計)として扱われている現況から脱却し、地域史そのもので通史を構成することはできまいか、とする 問題意識によるものである。当然ながら、歴史状況を概観するにあたって、通史的理解は必要で、 それを見通すことなしに地域史のみを考えることは、単にその地域の特殊性を表出させるばかりで 何の意味もない。一方で、通史を展開しつつ、まるで、その添え物のように、「私たちの町にもこ んな歴史がありました」「こんな偉人がいたことを誇りに思いましょう」式の、辺境としての地域 の「意外な歴史状況」を見出そうとする態度は中央中心史観を抜け出すものではないし、あくまで 通史(中央史)に尺度をおいた地域史の見方は、その本質を追究するものとはなりえていない。な おかつ、そうした史観そのものが、都市から垂れ流されてくる情報の洪水に翻弄されつつ、都市に 重きをおき、地方のあり方を軽んずる若年層の一方的な中央志向の現況に拍車をかけているともい えるのである5)。 また、昨今の若者社会のあり方においても、地域の歴史状況の認識を通した地域観の育成は大き な効果を生み出すものと考えることが出来る。冒頭にも述べたように、若者社会の現状として、地 元から脱却して都市に流れ込む従来型の状況に対して、現在、「地元びいき」で地元での生活を優 先する「ジモティ」が増えている。かつては、確固とした地域社会の下で、煩瑣な因習、慣習、人 間関係が存立し、それらに束縛されることを嫌った人びとが地方を去り、その結果生まれた、地域 社会の空転に伴う「物語」のない、しばりがない状況は、人びとを再び地方に呼び戻すこととなっ た。なおかつ、情報へのアクセスや消費行動において、都市と遜色ない生活の営める今日において、 「地元」の価値観はむしろ高まっている。しかし、そこにあるのは、地域社会から隔絶した「自分」 を中心とした人間関係であり、また、きわめて脆弱な地元意識、地域意識でしかない。若者の地元 志向におけるその空虚な実相に対して、それを実体化させていくための方策が求められるべきであ り、そこにこそ、「地域歴史」を提示し、地域文化のあり方を強く認識させ、固有の地域のあり方 を把握させることが必要となってくると考えることができるのである。 加えて、通史から地域史へのいわば上方から下方への視点ではなく、地域史と通史を並立させな がら、それらを双方向に結ぶ地域史教材の扱い、「地域の歴史」そのものに着眼点をおき、そこか ら見える歴史状況から通史を概観する態度こそ、地域史を授業化する中で求められている。それこ そが「地域歴史」の趣旨であり、なおかつ、そこには、地域の歴史状況そのものを扱うのみでなく、 地域の置かれた現状において、それがどのように形作られてきたか、地域の状況の変化は、どのよ うな歴史過程によるものかを巨視的に概観することも含まれる。それらを踏まえて、地域のあり方 を多角的に見つめ、そのあり方を評価することは、その視点を日本列島全体の歴史状況に反映させ ていくことにも連関していくこととなるのである。 あるいは、本実践にみる福島県会津地方のように、歴史過程において通史に関わる出来事と常に 連関していく地域はまれで、地域素材のみで通史を構成することは困難ではないか、とする異論も 出てこよう。確かに、奥州と関東、北陸の結節点としての会津の位置付けは、歴史過程において特 徴的で、地域史研究における多様な素材を提供してくれる。しかしながら、通史に関わりのない地 域史は成り立ちえず、また逆に地域史の立脚点をなしにした通史はありえない。また、「地域」は「地 元」「郷土」と同義ではないと解釈できることにも留意したい。「地域歴史」の素材は、必ずしも地 元の歴史素材に求める必要はなく、一地域の歴史のあり方を概観することでも成り立つはずで、本 実践も、そうした立脚点の上に成り立っていることを強調したい。
地域史授業をめぐる現状は、初等教育における「身近な歴史」の素材を、中等教育でもくり返 し扱うことが多いのも課題であることはもちろんだが、授業時間の削減やいわゆる「受験圧力」か ら、地域史素材自体が扱われないことも多くなっている。そうした状況は、校務の多忙化をお題目 とした教師の側の「地域史離れ」もあって、さらに拍車をかけている(須賀、2010②)。あまつさ え、生徒の歴史離れが圧倒的に進む中、生徒の地域史認識の形成は、さらに困難なものになってい るといえる。依然として硬直した状況にある、日本の「学校歴史」において、地域の歴史状況を踏 まえつつ通史を理解し、なおかつ、地域のあり方そのものを見据えつつ、若者のいわば「空洞化し た」地域認識を補完し、深めるために、通史授業を補うためのエピソード的な扱いにとどめること なく、「地域歴史」を扱うための、一定の授業時数を確保することが必要なのではないだろうか。 そこにおいて、地域における「物語」6)を生徒は感じ取り、地域に関する認識を再構築させること ができるのである。 本稿における「地域歴史」の実践は、高等教育一般教養科目において実施されたもので、そこに おいて「暗記型」からの脱却を目指したものでもあるが、それは中等教育段階でも実践することは 可能であろう。また、大学教育における「大教室」における「講義式」の授業も改めることが必要で、 「大教室」を解消することが困難である場合でも、その授業形式は「参加型」であることが求めら れる。その点において、土屋は「大学の授業研究が行われること」「大学教育における『実践』課題」 を考えることの必要を説くが、正に卓見である(土屋、1998)。今後は、大学教育においても、よ り多様な授業形態が求められていいし、その授業研究がますます進められていくべきである。そう した中で、一般教養科目に限って言えば、歴史研究者による紋切り型の講義形態よりむしろ、歴史 状況全体を見通しつつ多様な授業スキルを保持する歴史教育者こそが授業を担当し、学生諸子に歴 史のあり方を講ずる機会がもっと多くなってもいいのではないだろうか。教養課程を廃する大学が 多数を占める中で、あえて歴史教養科目を受講する一部の学生を除いた若年層の多くは、「暗記型」 の歴史観を克服することなしに成人し、社会に出ていくこととなる。その結果、講談やら歌舞伎や ら、歴史素材の存在感が圧倒的に高かった時代が過ぎ去った社会において、歴史への感慨も、多様 な歴史観をも何ら持ちえない人々が立ち現われてくることとなり、そこに、一面的かつ一方的な歴 史解釈が注入されると、多くの人々がそれに熱狂する事態さえ起こりうるし、現にその兆しもある。 こうした事態に対処するためにも、中等教育・高等教育を通じて、歴史教育者が、より積極的に関 与し、生徒・学生に歴史のあり方を実感させることが肝要となる。そのための方策として、地域の 視点から客観的に歴史像を見つめ、多様な歴史観を構成することを主眼とした「地域歴史」を展開 していくことが必要となってくるのである。 【注】 1)1970 年に国鉄を中心に展開された「ディスカバー・ジャパン」は、若い女性を中心に観光ブームを巻き起こ したが、川森博司は、そうした 1970 年代前半を「本格的な『ふるさと観光』の成立の時期」とするとともに、「『ふ るさとのロマン化』とでもいえるような状況が一般化」したとして、主として都市住民から発せられる地方へ のまなざしについて、「『ふるさとの商品化』(伝統文化の商品化)」が促進されたとしている(川森、2001)。 2)田中ゆかりは、新聞記事や投書欄等の分析から、方言をからかわれての殺人事件が起こるなど、1970 年代末 までは、方言を「恥ずかしい」と感じる「方言コンプレックス」が根強く存在したものの、それ以後、方言が「か
っこいいもの・みせるもの」に変化し、2000 年代以降は、地元の方言を用いることについて、「『方言』を共有 する人々にとっての地域の紐帯として機能」するとともに、「『方言』を共有しない人々にとっても魅力的なも のとして機能」する時代になったと分析している(田中、2011、p.258)。 3)受講生には、中国・韓国からの留学生もいるが、日本人学生の基本的認識を確認する調査の趣旨から、当該 回答は集計から除外した。また、年度を隔てて当該調査を実施し、年度ごとの差異を確認することも当初の目 的としたが、年度ごとにデータ傾向の大きな隔たりは見られなかったことから、当該データは一括して集計す ることとした。 4)社会科教員の現状については、須賀が、福島県を事例に、高等学校の歴史系部活動の低迷と同時に、高校 教員の中で、地域における歴史を専門的に研究する者が著しく減少している現状を指摘するとともに(須賀、 2007)、會田康範は、学校現場で機能していた、教科内での学習会や研修旅行などを通じて先輩教員が若手を育 成する「同僚性」が、多忙を極める現在の学校現場で失われている状況を指摘している(會田、2009)。また、 そうした議論に先立って、岩城卓二は、日本史教員の力量低下の影響を危惧し、「子供の学力低下もさることな がら、教員の学力低下も進行しているのではないか」とする厳しい指摘を加えている(岩城、2004)。 5)こうした観点から、筆者は、現今の地域史授業のあり方について、これまで、たびたび論をまとめてきたが(須 賀、2001、2006、2010 ②ほか)、今般改訂の学習指導要領「日本史B」において、「歴史の論述」項において、「地 域社会の歴史と生活」などの観点からの主題の設定、論述が明記されるとともに、「指導計画の作成と指導上の 配慮事項」においても「地域社会の歴史と文化の学習について」解説項で、「各時代の内容とのかかわりの中で 地域社会の歴史と文化をとらえさせる」ことを求め、「地域社会の歴史を我が国全体の歴史と結び付けるよう留 意して,指導計画を作成することが重要」であると明示された。こうした指摘も反映しつつ、「学校歴史」にお ける様々な制約をふまえつつも、現場教育において、さらに地域史教材を積極的に取り上げていく動向が生ま れてくることを期待したい。 6)ただし、地域を特色づけることに意をそそぐあまり、史実を客観的に見ることなく、後世の判断から、地域の「物 語」が作為的に創られがちであることには注意を要しなければならない。たとえば、筆者は、戊辰戦争におけ る会津藩をめぐる戦い(いわゆる「会津戦争」)において自刃した白虎隊士について、当時の戦争の実相やアジ ア太平洋戦争期における戦意高揚の手段として用いられたことなどを捨象する形で殊更にその「純真さ」のみ を表出させる地域のあり方に疑問を呈してきた(須賀、2006)。また、幕末長州藩の動向に関して、地域の立場 から多く発言してきた一坂太郎は、戊辰戦争後、奇兵隊に属した農民・商人出身の兵士らが、論功行賞が不十 分であったことに憤慨して藩に対して反乱を起こし、藩から武力鎮圧された「脱退騒動」について、山口県か ら依頼された、県外向け広報紙で取り上げたところ、その部分がカットされていたということや、この「脱退 騒動」が学校ではほとんど取り上げられていないことに触れ、「奇兵隊の歴史は、栄光の美談としてのみ教えら れている」ことに驚愕するとともに、「晋作が四民平等を唱え、『人民軍』の奇兵隊を組織したといった、政治 的イデオロギーに彩られた、噴飯ものの評価を信じている者がいまだにいて呆れる」と、厳しい口調で批判的 に述べている(一坂、2010)。地域史の取り上げられ方は、地域の現状にあって、負のイメージを与えると思わ れるものは排除される傾向にある。地域史を教材として提示する際には、地域史の実像全体を客観的に分析し、 生徒に明示する必要がある。 【参考文献】 土屋武志「大学における『歴史教育』実践に関する一考察―愛知教育大学における教養科目『歴史学』・専門科目『史 学概論』を例に―」『愛知教育大学教育実践総合センター紀要』創刊号、1998 年。 川森博司「現代日本における観光と地域社会―ふるさと観光の担い手たち―」『民族学研究』66 巻 1 号、2001 年。 野口剛「歴史教育論から歴史表現論へ」『岐阜史学』第 99 号、2002 年。 野口剛「英国における学校歴史の改革について」『筑波社会科研究』第 23 号、2004 年。 岩城卓二「歴史教育と教員養成課程の現状」『日本史研究』第 499 号、2004 年。 新木武志 「『原爆ギャップ』の克服をめざして―対立する公的記憶と歴史教育―」加藤章編著『越境する歴史教育』 教育史料出版会、2004 年、pp.25-43。 會田康範「歴史教育の現場からみた歴史研究と教員養成」『歴史評論』第 706 号、2009 年。 一坂太郎「長州奇兵隊は理想の近代的組織だったのか」『中央公論』2010 年 10 月号。 岡野英輝・木村勝彦「現代中学生の歴史意識の現状と課題―茨城県土浦市新治地区における地域史に関する意識 調査を事例に―」『茨城大学教育学部紀要(教育科学)』第 59 号、2010 年。
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