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『徒然草』古注釈考 ―『徒然草寿命院抄』と『野槌』の比較を中心として(2) 利用統計は来月からご利用いただけます

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全文

(1)

『徒然草』古注釈考 ―『徒然草寿命院抄』と『野

槌』の比較を中心として(2)

著者

久保田 一弘

著者別名

KUBOTA Kazuhiro

雑誌名

東洋大学大学院紀要

57

ページ

15-38

発行年

2021-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00012704/

(2)

論文要旨   近世には多くの『徒然草』の注釈書が刊行されたが、その嚆矢は 秦 宗 巴 が ま と め た『 徒 然 草 寿 命 院 抄 』 で あ る。 『 徒 然 草 寿 命 院 抄 』 の刊行から一七年後に、次の『徒然草』の注釈書である林羅山『野 槌』が刊行された。これまでの『徒然草』の古注釈書の研究では両 注釈書の一部を取り上げて特徴が論じられており、各章段における 特徴や注釈内容の変化は明らかになっていない。そのため本稿では 近世期における『徒然草』注釈史を考察する端緒として、最初の注 釈書である『寿命院抄』と二番目の注釈書である『野槌』の章段ご との注釈内容の変化を比較し、両注釈書の特徴を明らかにすること を 目 指 す。 論 の 前 段 階 と し て 拙 稿「 『 徒 然 草 』 古 注 釈 考   ―『 徒 然 草 寿 命 院 抄 』 と『 野 槌 』 の 比 較 を 中 心 と し て( 1) ―」 ( 以 下( 1) と 省 略 す る ) で は 序 段 か ら 三 〇 段 を 扱 っ た た め、 本 稿 で は 三 一 段 か ら八〇段を検討対象とした。 キーワード 『徒然草』   『徒然草寿命院抄』   『野槌』 はじめに   拙 稿( 1) で は、 『 寿 命 院 抄 』 と『 野 槌 』 の 特 徴 に つ い て『 徒 然 草』の序段から三〇段までの注釈項目の比較を行った。 1   『 寿 命 院 抄 』 で は、 第 一 段 で『 徒 然 草 』 の 章 段 区 分 の 問 題 に つ い て の 注 記 が 見 ら れ た。 2 ( 1) で 解 説 し た よ う に、 第 一 段 で は 章 段 内の四箇所で章段区分の問題が注記されている。ここからは宗巴が 複数の『徒然草』の写本を参考にして章段区分を定めていることや、 章段内容の解釈を基にして各章段の枠組みを決定していった形跡が 伺える内容であった。この章段区分に関する注記が書かれた背景に は、 『寿命院抄』以前の『徒然草』読解の影響が考えられる。

文学研究科日本文学文化専攻博士後期課程三年

 

久保田

 

一弘

『徒然草』古注釈考

 

―『徒然草寿命院抄』と『野槌』の比較を中心として(2)―

(3)

  現存する『徒然草』の写本類を見ると、烏丸本では改行、正徹本 や 常 縁 本 で は 改 行 や 朱 墨 の「 \ 」「 ● 」 等 の 印 で 章 段 区 分 が 示 さ れ ている。しかしこれらの写本類の章段区分の例からは、正確に章段 区分を示し て い る の か判断が難し い例も数多く見ら れ る。 3 一方『寿 命院抄』では各章段に数字を割り振ることで章段区分を示しており、 前 後 の 章 段 と の 区 分 が 明 確 に な っ て い る。 こ の よ う に『 寿 命 院 抄 』 では各章段という枠組みを明確にするため、章段区分の注記につい ても考察と共に詳細に書かれたと推測される。   また四段・一一段・一四段・二三段・二六段では近接章段間の関 連性について、六段・二一段では遠隔章段間との関連性についての 注 記 が 見 ら れ た。 こ れ ら の 注 記 か ら は、 『 寿 命 院 抄 』 が 各 章 段 に 数 字を振って分ける形式を用いて章段という枠組みを明確にした一方、 各章段ごとに読むのではなく『徒然草』を一冊の書物として捉える 視点が伺える。 4   一方『野槌』では『寿命院抄』にある章段区分に関する注記は見 られず、章段間の関連性についての注記が一四段で見られる。この よ う に 章 段 区 分 や 章 段 間 の 関 連 性 に 関 す る 注 記 が 減 少 し た の は、 『 寿 命 院 抄 』 が 各 章 段 の 区 分 を 明 確 に し た こ と で『 徒 然 草 』 の 各 章 段の枠組みが定まった影響だと考えられる。   また『野槌』の五段・六段・八段・一一段・一八段・二〇段・二 一段・二三段・二四段・二七段・二八段・三〇段では、漢籍等から 類似の例を引用して章段内容の解釈がなされている。このような類 似の例の引用は『寿命院抄』の序段から三〇段までの注釈では見ら れ ず、 『 野 槌 』 の 注 釈 書 と し て の 特 徴 と し て 挙 げ ら れ る。 こ う し た 類 似 の 例 の 引 用 に つ い て 島 内 裕 子 氏 は「 徒 然 草 古 注 釈 書 の 方 法   『 徒 然 草 寿 命 院 抄 』 か ら『 野 槌 』 へ 」 の 中 で、 七 〇 段・ 七 四 段・ 八 八 段・ 九 〇 段・ 九 九 段 を 例 に 取 り 上 げ、 「 林 羅 山 に と っ て 徒 然 草 の 注釈をするということは、彼の自己表現となっているのではないだ ろうか」とし、羅山の持つ知識や教養を披露する対象として注釈内 に類似の例が引用されているのではないかと推測している。しかし 島内氏の論では『野槌』に見られる類似の例の引用については一部 の注記しか取り上げられておらず、いずれの章段にどのような類似 の 例 が 見 ら れ る の か と い う 全 体 像 は 明 ら か で な い。 『 寿 命 院 抄 』 と 『 野 槌 』 の 考 察 を 行 う た め に は、 本 稿 の よ う に 各 章 段 の 比 較 を 通 し て両書の特徴を明らかにする必要があるだろう。   本稿では(1)と同様に、近世期における『徒然草』の注釈史を 考 察 す る 端 緒 と し て、 『 寿 命 院 抄 』 と『 野 槌 』 の 注 釈 内 容 の 比 較 を 行う。本稿では各章段の注釈項目と総数をはじめに挙げ、次に注釈 内で引用されている書名を記し、最後に各章段内で両書の特徴が見 られる場合は特記事項として記した。なお本稿では字数の関係から、 三一段から八〇段までの章段を扱った。

(4)

三一段   雪のおもしろう降りたりし朝   『寿命院抄』では「雪ノオモシロクフリ」 「人ノカリ」の二箇所で 注 が 付 け ら れ て い る。 6 本 段 で は「 人 ノ カ リ 」 の 注 で『 拾 遺 抄 』 異 本歌・五八三番歌が引用されている。また本段の冒頭には「此段カ クレナシカリソメノ一言モ尤可翫味也」とあり、章段内容に対する 評価が見られる。   『 野 槌 』 で は「 人 の か り 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 新 た に『伊勢物語』三八段が引用されている。 7 三二段   九月廿日のころある人に誘われ   『 寿 命 院 抄 』 で は「 九 月 廿 日 コ ロ 」「 ア ナ イ セ サ セ テ 」「 ワ サ ト ナ ラ ヌ ニ ホ ヒ 」「 猶 コ ト サ マ ノ ユ ウ ニ 」「 ソ ノ 人 ホ ト ナ ク ウ セ ニ ケ リ 」 の五箇所で注が付けられている。本段では「九月廿日コロ」の注で 『枕草子』 「ある所になにの君とかや言ひける人のもとに」の段が引 用されている。また「ソノ人ホトナクウセニケリ」の注では「其人 ウセニケリト書テ枕草子ヲアタラシクトリナシテ又哀モナヲ一入深 クオホユル也」とあり、本段が『枕草子』の影響を受けて書かれて いる点を指摘している。   『野槌』では「あないせさせて」 「猶ことさまのゆうに」の二箇所 で注が付けられている。 三三段   今の内裏作り出だされて   『寿命院抄』では「センカウノ日」 「玄輝門院」 「閑院殿」 「エウノ 入テ」の四箇所で注が付けられている。本段では「閑院殿」の注で 『拾芥抄』が引用されている。   『野槌』では「遷幸」 「玄輝門院」 「閑院」 「えうの入て」の四箇所 で注が付けられている。 三四段   甲香はほら貝のやうなるが   『寿命院抄』では「甲香ハホラカイノヤウナル」 「所ノモノハヘナ タリト申侍シトソ」の二箇所で注が付けられている。本段では「甲 香 ハ ホ ラ カ イ ノ ヤ ウ ナ ル 」 の 注 で『 本 草 図 経 』 と『 和 名 類 聚 抄 』 巻一二 ・ 香薬部第一八「甲香」 、「所ノモノハヘナタリト申侍シトソ」 の注で『本草海薬』 「甲香」と『本草図経』 9 が引用されている。   『野槌』では「甲香」 「へなたり」の二箇所で注が付けられている。 三五段   手のわろき人の   『 寿 命 院 抄 』 で は「 手 ノ ワ ル キ 人 ノ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 カ ク レ ナ シ 今 ノ 世 ニ 多 シ 誰 モ ゝ ゝ 可 有 受 用 事 也 」 と あ り、章段内容に対する評価が見られる。

(5)

  『野槌』では立項はされていないが、 「或は生れなから菽麦をわき まへさるもの。或は柳肘姜手なるもの。或は事にいとまなきものな とは。人にかゝすることも有へし」と特定の事情がある場合は代筆 を 頼 む の は 仕 方 な い が、 「 さ も な く は。 を の れ み つ か ら 筆 を と ら ん こと。よかるへし」とそれ以外は自筆の方がよいとの考えが書かれ ている。そして『鶴林玉露』乙篇・巻六の劉光世の字が下手だった ため侍女が代わりに姓名を書いたという類似の例を引用して、本段 の解釈を示している。 三六段   久しくおとづれぬころ   『 寿 命 院 抄 』 で は「 久 シ ク ヲ ト ツ レ ヌ コ ロ イ カ 斗 」「 ワ カ ヲ コ タ リ」 「仕丁ヤアルヒトリナト」 「サル心サマシタル人」の四箇所で注 が付けられている。本段では「仕丁ヤアルヒトリナト」の注で『塩 嚢抄』巻一「仕丁事」が引用されている。   『野槌』では「わかをこたり」 「仕丁やあるひとり」の二箇所で注 が付けられている。 三七段   朝夕隔てなく馴れたる人の   『 寿 命 院 抄 』 で は「 朝 夕 隔 ナ ク ナ レ タ ル 人 ノ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 以 上 三 段、 男 女 ト モ ニ 心 ツ カ ヒ ア ル ヘ キ 事 也 」 と 三 五 段・ 三 六 段・ 三 七 段 の 関 連 性 が 指 摘 さ れ て い る。 三 十 五 段 は、 字が下手なのは良いが、見苦しいので代筆を頼むのは嫌味だという 内容が書かれた章段である。三十六段は、長い間相手の女性の家を 訪れなかったため恨んでいるだろうと反省している際に、女性の方 から「下男を一人貸してください」と言われるのは嬉しいという心 遣 い の 例 が 書 か れ て い る。 さ ら に 三 十 七 段 で は 慣 れ 親 し ん だ 人 が、 ふとした時に遠慮をして改まった様子を見せるのは誠実であり、ま た疎遠な人が打ち解けたことを言うのも良いという心遣いが書かれ ている。以上のように三十五段は字の巧拙が相手にどのような印象 を与えるかという心遣い、三十六段は具体例として女性を挙げてい るが性別の枠組みに関係のない心遣い、そして三十七段も具体例と して女性を挙げているが性別の枠組みに関係のない心遣いであるた め「男女トモニ心ツカヒアルヘキ事也」と三つの章段の関連性が捉 えられる。   『野槌』では立項はされていないが、 「此段。男女朋友の間を云へ り」と『寿命院抄』と同様に性別に関係ない心遣いとの解釈を示し、 「 晏 子 か 人 と よ く 交 る は。 久 し く し て 敬 あ れ は な り 」 と『 論 語 』 公 冶長第五・一七に見られる晏嬰の交際術についての話が類似の例と して引用されている。

(6)

三八段   名利に使はれて   『寿命院抄』では「名利ニツカハレテシツカヽフトモ」 「金ハ山ニ ステ玉ハ渕ニナクヘシ」 「スクレテヲロカナル人ナリ」 「賢人聖人貧 シクイヤシクテヤミヌル又多シ」 「ホマレヲ愛スルハ人ノ聞ヲ悦也」 「 誉 レ ハ 又 ソ シ リ ノ モ ト 也 」「 身 ノ 後 ノ 名 ノ コ リ テ 更 益 ナ シ 」「 智 恵 ヒイテヽハ偽アリ」 「才能」 「煩悩」 「イカナルヲカ善トイフ」 「マコ ト ノ 人 ハ 」「 マ ヨ ヒ ノ 心 ヲ 以 テ 名 利 ノ 要 ヲ 求 ル 」 の 一 六 箇 所 で 注 が 付けられている。本段では「名利ニツカハレテシツカナルイトマナ ク テ 」 の 注 で『 荘 子 』 雑 篇・ 盗 跖 篇、 「 害 ヲ カ ヒ ワ ツ ラ ヒ ヲ マ ネ ク ナ カ タ チ 」 の 注 で『 文 選 』 巻 一 三 鷦 鷯 賦・ 張 華、 「 金 ヲ シ テ 北 斗 ヲ サ ヽ フ ト モ 」 の 注 で『 新 唐 書 』 巻 八 九 列 伝 第 十 四・ 「 屈 突 尉 遅 張 秦 唐段」 、「金ハ山ニステ玉ハ渕ニナクヘシ」の注で『荘子』外篇・天 地 篇 と『 老 子 』 道 経 安 民 第 三、 「 ホ マ レ ヲ 愛 ス ル ハ 人 ノ 聞 ヲ 悦 也 」 の 注 で『 荘 子 』 外 篇・ 天 地 篇、 「 誉 レ ハ 又 ソ シ リ ノ モ ト 也 」 の 注 で 『 古 文 真 宝 』 の 韓 愈「 送 李 愿 歸 盤 谷 序 」、 「 身 ノ 後 ノ 名 ノ コ リ テ 更 益 ナ シ 」 の 注 で『 晋 書 』 巻 九 二・ 張 翰 伝、 「 智 恵 ヒ イ テ ヽ ハ 偽 ア リ 」 の 注 で『 老 子 』 道 経 俗 薄 第 十 八、 「 煩 悩 」 の 注 で『 大 智 度 論 』 巻 第 七 と『 荘 子 』 内 篇・ 斉 物 論 篇、 「 マ コ ト ノ 人 ハ 」 の 注 で『 荘 子 』 内 篇・大宗師篇が引用されている。本段の冒頭では「此段世間ノ名聞 利 欲 ヲ ス テ ヽ ヒ ト ヘ ニ 真 実 ノ 道 ヲ 修 セ ン 事 ヲ ス ヽ ム ル 也 」 と あ り、 章 段 内 容 の 解 釈 が 示 さ れ て い る。 ま た「 ス ク レ テ ヲ ロ カ ナ ル 人 ナ リ」の注では「是マテハ利欲ニ害ノアル事ヲ論スル也是ヨリ下ハ名 ヲ求ル事ヲソシル也」 、「マヨヒノ心ヲ以テ名利ノ要ヲ求ル」の注で 「 是 ヨ リ 一 段 ノ 結 文 也 」 と あ り、 い ず れ も 章 段 内 の 文 章 構 成 に つ い ての指摘が見られる。   『 野 槌 』 で は「 名 利 に つ か は れ て 」「 害 を か ひ 」「 身 の 後 に は 金 を し て 」「 金 は 山 に す て 」「 う つ も れ ぬ 名 」「 お ろ か に つ た な き 人 も 」 「 賢 人 聖 人 み つ か ら い や し き 位 に を り 」「 人 の 聞 を よ ろ こ ふ 」「 誉 は 又そしりのもとなり」 「身の後の名」 「智恵いてゝは為あり」 「煩悩」 「 伝 て 聞 学 ひ て し る は 誠 の 智 に あ ら す 」「 可 不 可 は 一 條 也 」「 何 を か 善といふ」 「まことの人は」 「名利の要をもとむる」の一七箇所で注 が付けられている。本段では「身の後には金をして」の注で『白氏 文 集 』 巻 五 一「 勧 酒 」、 「 金 は 山 に す て 」 の 注 で『 文 選 』 巻 一 東 都 賦・班固「うつもれぬ名」の注で『白氏文集』巻五一「題故元少尹 集 後 二 首 」、 「 賢 人 聖 人 み つ か ら い や し き 位 に を り 」 の 注 で『 孟 子 』 萬 章 章 句 下、 「 人 の 聞 を よ ろ こ ふ 」 の 注 で『 論 語 』 顔 淵 第 一 二・ 二 〇と『荘子』内篇・逍遙遊篇が新たに引用されている。また「名利 の要をもとむる」の注では「発端の詞に応映せり」と章段内の文章 構 成 に つ い て の 指 摘 が 見 ら れ る。 こ の 他 に 本 段 の 末 尾 に は「 此 段。 名利におほるゝものをいましめて。筆にまかする所。おもしろく侍 る 」 と 章 段 内 容 に 対 す る 評 価 が 見 ら れ る ほ か、 章 段 内 容 に つ い て 「兼好は荘老を こ の み て。又台教を う かゝえ り」と『荘子』 ・『老子』 ・ 台教からの影響を受けて書かれている点が指摘されている。

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三九段   ある人法然上人に   『 寿 命 院 抄 』 で は「 或 人 法 然 上 人 ニ 念 仏 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 『 元 亨 釈 書 』 巻 第 五「 大 谷 寺 源 空 」 が 引 用 さ れ て い る。 また本段の冒頭には「此段カクレナシ但文外ニ幽微アルヘシ可翫味 而已」とあり章段内容に対する評価が見られる。   『 野 槌 』 で は「 法 然 上 人 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 ま た 末尾には法然の教えの類似の例として、韋提希夫人・竜樹菩薩・天 親菩薩・遠法師・天台大師・空也上人・恵心僧都などの名前を挙げ て本段の解釈が示されている。 四〇段   因幡国に何の入道とかや   『寿命院抄』では「イヒワタリケレトモ」 「粟ヲノミ」の二箇所で 注が付けられている。本段では「イヒワタリケレトモ」の注で『源 氏物語』東屋巻が引用されている。   『野槌』では「いひわたりけれとも」 「栗をのみくひて」の二箇所 で注が付けられている。本段では「栗をのみくひて」で「京六条町 に老尼あり。常に大豆を食て更に米をくはす。人の所へゆけは。豆 腐 を 烹 て く は せ け り。 人 み な 豆 婆 と そ 云 け る 」 と あ る ほ か、 「 又 伊 豆国三島に。或人のむすめあり。五穀をくはす。たゝ菓をのみくひ けるか。これは或人に嫁しけるとなん」と書かれており、いずれも 偏食であった人物の二つの類似例が紹介されている。 四一段   五月五日賀茂の競馬を   『 寿 命 院 抄 』 で は「 五 月 五 日 賀 茂 ノ ク ラ ヘ 馬 ヲ 」「 ク ラ ヘ ム マ 」 「 世 ノ シ レ 物 カ ナ 」「 尤 ヲ ロ カ ニ 候 ト イ ヒ テ 」「 人 木 石 ニ ア ラ ネ ハ 」 の五箇所で注が付けられている。本段では「世ノシレ物カナ」の注 で『 源 氏 物 語 』 帚 木 巻・ 『 花 鳥 余 情 』 帚 木「 中 将 な か り し は し れ も の の も の か た り せ ん 」・ 『 万 葉 集 』 巻 九 雑 歌・ 一 七 四 四 番 歌、 「 人 木 石ニアラネハ」の注で『白氏文集』巻第四「李夫人」 ・『遊仙窟』 ・『伊 勢物語』九六段が引用されている。また本段の冒頭には「此段無常 ヲスヽムル也」とあり章段内容の解釈が示されている。   『 野 槌 』 で は「 五 月 五 日 賀 茂 の 」「 く ら へ む ま 」「 世 の し れ も の 」 「人木石に あ ら ね は」の四箇所で注が付け ら れ て い る。本段で は「五 月五日賀茂の」の注で『元亨釈書』巻第二八「感應寺」 、「世のしれ もの」の注で『春秋左氏伝』成公十八年が新たに引用されている。 四二段   唐橋中将といふ人の子に   『 寿 命 院 抄 』 で は「 唐 橋 ノ 中 将 ト イ フ 人 」「 気 ノ ア カ ル 」「 ウ チ オ ホヒケレハ」 「二ノ舞ノオモテ」 「カヽル病モアルコトニコソ」の五 箇所で注が付けられている。本段では「唐橋ノ中将トイフ人」の注

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で『 荘 子 』 内 篇・ 大 宗 師 篇、 「 気 ノ ア カ ル 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 若 菜 下 巻 が 引 用 さ れ て い る。 ま た「 唐 橋 ノ 中 将 ト イ フ 人 」 の 注 で は 「 此 段 天 命 ヲ シ ラ シ ム ル 也 」 と 章 段 内 容 の 解 釈 が 見 ら れ る ほ か、 「カヽル病モアルコトニコソ」の注で「此結句奇妙也一段ノ眼目也」 とあり章段内容に対する評価が見られる。   『 野 槌 』 で は「 唐 橋 」「 教 相 」「 気 の あ か る 」「 う ち お ほ ひ け れ は 」 「二の舞のおもて」 「鬼のかほになりて」の六箇所で注が付けられて い る。 本 段 で は「 鬼 の か ほ に な り て 」 の 注 で『 剪 燈 新 話 』 第 四 巻 「 大 虚 司 法 伝 」 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 ま た 末 尾 に は「 此 段 奇 異 の病のあることを云へり」と本段の解釈を示して『寿命院抄』と同 じ く『 荘 子 』 を 引 用 す る ほ か、 『 編 年 通 論 』 や『 酉 陽 雑 爼 』 等 に 見 ら れ る 人 面 瘡、 『 捜 神 秘 覧 』 や『 名 医 類 案 』 に 見 ら れ る 奇 病 に つ い ての類似の例が紹介されている。 四三段   春の暮つかた   『 寿 命 院 抄 』 で は「 春 ノ ク レ ツ カ タ 長 カ ニ ヱ ン ナ ル 」「 エ ン ナ ル ハ」の二箇所で注が付けられている。また冒頭には「此段又枕草子 ノ面カケニテ書タリ」とあり、本段が『枕草子』の影響を受けて書 かれている点を指摘している。   『野槌』では「えんなる」 「花見すくしかたきを」の二箇所で注が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 花 見 す く し か た き を 」 の 注 で 新 た に 『 白 氏 文 集 』 巻 六 十 六「 尋 春 題 諸 家 園 林 又 題 一 絶 」 が 引 用 さ れ て い る。 四四段   あやしの竹の編戸の内より   『寿命院抄』では「アヤシノ竹ノアミ戸ノウチヨリ」 「ツヤヽカナ ル」 「狩衣」 「コキサシキヌ」 「ユヘツキタル」 「サヽヤカナル童ヒト リ 」「 イ ナ ハ ノ 露 ニ ソ ホ チ ツ ヽ」 「 エ ナ ラ ス 」「 フ ミ ス サ ヒ 」「 シ チ 」 「 シ カ ヽ ヽ」 「 女 房 ノ ヲ ヒ 風 ヨ ウ イ ナ ト 」「 虫 ノ 音 カ ト カ マ シ ク 」 の 一 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 サ ヽ ヤ カ ナ ル 童 ヒ ト リ」の注で『源氏物語』帚木巻と『河海抄』巻二帚木巻「さゝやか にて」 、「イナハノ露ニソホチツヽ」の注で『古今集』巻一〇物名・ 四 二 二 番 歌、 「 シ チ 」 の 注 で『 和 名 類 聚 抄 』 巻 一 一 車 部・ 第 一 五 「 榻 」、 「 シ カ ヽ ヽ」 の 注 で『 日 本 書 紀 』 10、「 女 房 ノ ヲ ヒ 風 ヨ ウ イ ナ ト 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 東 屋 巻、 「 虫 ノ 音 カ ト カ マ シ ク 」 の 注 で 『 源 氏 物 語 』 幻 巻 が 引 用 さ れ て い る。 本 段 の 冒 頭 に は「 此 段 又 エ ン ニヤサシキ風情上段ニ通ツル也」とあり四三段との関連性が指摘さ れている。四三段は風情のある家を見かけ入ったところ、容貌の美 しい二〇歳くらいの男が書物を読んでいた話が書かれている。一方、 四四段は若い男が貴族の邸宅へと入っていったことや御堂内の優美 さについて書かれている。両段とも風情のある家屋と優美な男とい う題材で共通しており、三一・三二段と同様に「エンニヤサシキ風

(9)

情」が共通する章段として捉えられる。   『 野 槌 』 で は「 つ や ゝ か な る 」「 狩 衣 に こ き さ し ぬ き 」「 ゆ へ つ き たる」 「さゝやかなる」 「いなはの露にそほちつゝ」 「えならす」 「ふ き す さ ひ 」「 榻 」「 女 房 の を い か せ よ う い な と 」「 虫 の 音 も か こ と か ましく」の一〇箇所で注が付けられている。また本段では「此段と 上の段とをよみて見れは。東坡か李節推を尋て。風水洞にあそひし 景 気 あ る や う に 覚 え 侍 る 」 と あ り、 東 坡 の「 風 水 洞 二 首 和 李 節 推 」 との類似性について言及が見られる。 四五段   公世の二位のせうとに   『 寿 命 院 抄 』 で は「 公 世 ノ 二 位 」「 公 世 の 二 世 」「 セ ウ ト 」 の 三 箇 所で注が付けられている。また本段の冒頭には「此段後人ノ怒ヲ制 止スル也」とあり章段内容の解釈が示されている。   『 野 槌 』 で は「 公 世 」「 せ う と 」 の 二 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 また本段の末尾には槖駝・陶淵明・方玄英等はいずれもあだ名で呼 ばれていたが、本段の良覚僧正のように腹を立てることはなかった という類似の例が紹介されている。 四六段   柳原の辺に強盗法印   『 寿 命 院 抄 』 で は「 柳 原 ノ ホ ト リ ニ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 人 ノ 名 物 ノ 名 道 理 ヲ 問 テ キ ハ ム ヘ キ ト 也 今 モ 柳 原 室 丁 辺ニ腰ヌケ風呂トテアリ打聞タルハ風呂ノタヽヌトイフ名ノヤウナ レトモタツテヰラレヌト云義也トリナシニ依テ、聞アシキ名ヲ付ヘ カラスト云段也」とあり、章段内容の解釈と類似の例が紹介されて いる。   『野槌』では立項はされていないが本段の強盗法印について、 『沙 石集』巻九上「強盜法師之道心有事」が引用されている。 四七段   ある人清水へ参りけるに   『 寿 命 院 抄 』 で は「 或 人 清 水 ヘ マ イ リ ケ ル ニ 」「 ヤ ヽ ハ ナ ヒ タ ル 時」の二箇所で注が付けられている。本段では「或人清水ヘマイリ ケ ル ニ 」 の 注 で『 詩 経 』 国 風 邶 風 篇「 終 風 」、 「 ヤ ヽ ハ ナ ヒ タ ル 時 」 の注で『万葉集』 ・『古今集』巻一九雑体・一〇四三番歌・ 『瑣碎録』 占噴嚏が引用されている。   『 野 槌 』 で は「 清 水 」「 は な ひ た る 時 」「 ま し な は ね は 」 の 三 箇 所 で注が付け ら れ て い る。本段で は「は な ひ た る時」の注で『資暇集』 巻下「嚏呪」と『容斎随筆』第四巻「噴嚏」 、「ましなはねは」の注 で『日本書紀』巻第一神代上が新たに引用されている。

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四八段   光親卿院の最勝講奉行して   『 寿 命 院 抄 』 で は「 光 親 卿 院 ノ 最 勝 講 奉 行 」「 ツ イ カ サ ネ 」「 ヤ ン コトナキ事也」の三箇所で注が付けられている。本段では「光親卿 院ノ最勝講奉行」の注で『東鑑』巻二五・承久三年七月一二日が引 用されている。   『 野 槌 』 で は「 光 親 卿 」「 つ い か さ ね 」「 や ん こ と な き こ と 」 の 三 箇所で注が付けられている。また末尾には「此段の心は。最勝講の 奉行たるにより。儀をつくろふいとまなく。ものくひちらしたるつ いかさねを。其まゝさしをく。ことのいそかはしき時は。かくある へ し 」 と 光 親 卿 の 奉 行 と し て の ふ る ま い を 評 価 し、 「 そ の 日 は。 講 の日なれは。奉行のつとめを専する故なり。それを有職のふるまひ 也とおほせけること。けにもと思ひ侍る」と有職故実に基づいた合 理的な行動だと本段の解釈を示している。 四九段   老来りて初めて道を行ぜんと   『寿命院抄』では「老来リテ始テ道ヲ行セントマツコト」 「スミヤ カニスヘキ事ヲイソカテ過ニシ」 「ツカノマモ」 「禅林ノ十因」の四 箇所で注が付けられている。本段では「老来リテ始テ道ヲ行セント マ ツ コ ト 」 の 注 で「 待 老 来 始 莫 学 道 古 墳 多 是 少 年 人 」 11、「 ツ カ ノ マ モ 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』「 つ か の ま は 」 の 項 目 と『 新 古 今 集 』 巻 一 五 恋 歌 五・ 一 三 七 四 番 歌 が 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段 の 冒 頭 に は 「此段無常ヲスヽムル也」 、「スミヤカニスヘキ事ヲイソカテ過ニシ」 の注で「遁世発心ハ急クヘキ事也然ヲイソカテ過来也アヤマリト後 悔ノ段也」とあり章段内容の解釈が示されている。   『 野 槌 』 で は「 老 来 り て は し め て み ち を 」「 ふ る き 塚 」「 す き ぬ る こ と の あ や ま れ る 」「 つ か の ま も 」「 禅 林 の 十 因 」「 心 戒 」 の 六 箇 所 で注が付けられている。本段では「老来りてはしめてみちを」の注 で『古文真宝』前集・朱文公勧学文、 「すきぬることのあやまれる」 の注で『荘子』雑篇則陽、 「心戒」の注で『新後撰集』巻九釈教歌 ・ 六九四番歌と『新後撰集』巻一八雑歌中・一四五五番歌が新たに引 用されている。 五〇段   応長のころ伊勢国より   『 寿 命 院 抄 』 で は「 応 長 ノ 頃 伊 勢 ヨ リ 」「 ヰ テ ノ ホ リ タ リ 」「 院 ノ 御棧敷」 「タチコリタル」 「ハヤク跡ナキ事ニハ」の五箇所で注が付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 ハ ヤ ク 跡 ナ キ 事 ニ ハ 」 の 注 で『 八 雲 御 抄』 「はやくは」の項目が引用されている。   『野槌』では「応長」 「ゐてのほりたり」 「院の御桟敷」 「たちこみ た り 」「 は や く あ と な き 事 は 」 の 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段では「ゐてのほりたり」の注で『伊勢物語』第六段が新たに引用 さ れ て い る。 ま た 末 尾 に は「 凡 譌 言 妖 言 の。 世 に を こ な は る ゝ 事。

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古 今 な き に あ ら す 」 と 人 を 迷 わ せ る よ う な 噂 は 絶 え な い と し、 『 漢 書』五行志の書名を挙げて類似の例を紹介するほか、 「日本にても。 怪異の物かたりは。人々することなれと。我こそたしかにみたれと いふ者はまれなり。しかれとも。君の徳なく。政あしけれは。天地 の和をやふる故に。非常のことも至るへし」と怪異譚の生まれる要 因は政にあるという解釈が示されている。 五一段   亀山殿の御池に   『寿命院抄』では「亀山殿ノ池ニ大井川ノ」 「水ヲマカセラレント テ 」「 萬 ニ 其 道 ヲ シ レ ル モ ノ 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段では「水ヲマカセラレントテ」の注で『風雅集』巻三春歌下・二 六八番歌と『新後拾遺集』巻三夏歌・二三〇番歌が引用されている。 ま た「 萬 ニ 其 道 ヲ シ レ ル モ ノ 」 の 注 で は、 「 道 ヲ 知 レ ル 事 ヲ ホ メ ン 為ニ亀山殿ノ水車ノ事ヲ書出也」とあり章段内容の解釈が示されて いる。   『 野 槌 』 で は「 亀 山 殿 」「 水 を ま か せ ら れ ん と て 」「 水 車 」 の 三 箇 所で注が付けられている。本段では「水車」の注で『東坡集』巻一 三・蘇軾「無錫道中賦水車」が新たに引用されている。 五二段   仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ   『寿命院抄』では「仁和寺ニアル法師」 「石清水トハ」 「カチヨリ」 「 極 楽 寺 」「 高 良 」「 カ ハ カ リ 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段では「石清水トハ」の注で『元亨釈書』巻第十「大安寺行基」と 『神皇正統紀』巻二・応神天皇、 「高良」の注で『公卿補任』仁徳天 皇御世「武内宿祢」が引用されている。また本段の冒頭には「此段 モ 前 段 ノ 心 也 結 句 ニ 先 達 ハ ア ラ マ ホ シ キ 也 ト 云 ヲ 以 テ 肝 心 ト ス ル 也」とあり、五一段との関連性が指摘されている。五一段では水車 を作らせたが上手く回転しなかった際に水車が多くある宇治の住民 に 水 車 を 作 ら せ た と こ ろ 上 手 く い っ た 話 を 挙 げ、 「 万 に そ の 道 を 知 れる者はやんごとなきものなり」と評して結ばれた章段である。一 方、五二段は仁和寺の法師が石清水八幡宮へと参詣した際に本社へ は 行 か ず に 帰 っ た 話 を 挙 げ、 「 少 し の こ と に も 先 達 は あ ら ま ほ し き 事なり」と評して結ばれた章段である。両段は専門家の不在で失敗 した話が書かれている点で共通しており、また章段末に書かれた評 言に共通性が見られるため関連性のある章段として捉えられる。   『 野 槌 』 で は「 仁 和 寺 」「 石 清 水 」「 か ち よ り 」「 極 楽 寺 」「 高 良 」 「 か は か り 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 石 清 水 」 の注で『公事根源』が新たに引用されている。

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五三段   これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて   『寿命院抄』では「アシカナヘ」 「カナテヽ」 「文ニモ」 「マクラカ ミ 」「 カ ラ キ 命 」 の 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 ア シ カナヘ」の注で『和名類聚抄』巻一六・器皿部第二三「鼎」が引用 されている。   『野槌』で は「あ し か な へ」 「か な でゝ」 「く ぐ も る」 「文に も」 「ま く ら か み 」「 か ら き い の ち 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 あ し か な へ 」 の 注 で『 拾 遺 集 』 巻 七 物 名・ 四 一 八 番 歌、 「 く ぐもる」の注で『日本書紀』巻第一神代巻上が新たに引用されてい る。 五四段   御室にいみじき児のありけるを   『 寿 命 院 抄 』 で は「 御 室 ニ イ ミ シ キ 」「 風 流 ノ ワ リ コ ヤ ウ ノ 物 」 「 破 子 ト ハ 」「 イ タ ウ コ ソ コ ウ シ ニ タ レ 」「 紅 葉 ヲ タ カ ン 人 モ カ ナ 」 「 イ ラ ナ ク フ ル マ ヒ テ 」「 ツ ヤ ヽ ヽ 物 モ ミ ヘ ス 」「 山 ヲ ア サ レ ト モ 」 「 ア マ リ ニ 興 ア ラ ン ト テ 」 の 九 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「破子トハ」の注で『藻塩草』巻一九「破子」 、「イタウコソコウ シ ニ タ レ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 明 石 巻 12と『 花 鳥 余 情 』 明 石「 い た う こ う し 給 ひ け れ は 」、 「 紅 葉 ヲ タ カ ン 人 モ カ ナ 」 の 注 で『 白 氏 文 集』巻一四「送王十八帰山寄題仙遊寺」 、「山ヲアサレトモ」の注で 『 拾 遺 愚 草 員 外 』 一 〇 九 番 歌 が 引 用 さ れ て い る。 13ま た「 ア マ リ ニ 興 ア ラ ン ト テ 」 の 注 で は「 此 結 句 上 ノ 段 ト 両 段 ニ カ ヽ ル 也 」 と あ り、 五三段との関連性が指摘されている。五三段は仁和寺の法師が酔っ て興に乗り鼎を頭にかぶった結果、抜けなくなる騒動が書かれた章 段である。一方五四段は仁和寺の法師が稚児と遊んだ際に、弁当を 紅葉の中に隠してから取り出そうとするも盗まれるという章段であ る。両段は工夫を凝らした結果失敗するという章段構成が共通して お り、 『寿命院抄』が指摘す る よ う に「あ ま り に興あ ら ん と す る事は、 必ずあいなきものなり」という五四段の結句が両段の総括の言葉と して機能している。   『 野 槌 』 で は「 風 流 の わ り こ や う の も の 」「 そ ゝ の か し 」「 い た う こ そ こ う し に た れ 」「 モ 紅 葉 を た か む 」「 い ひ し ろ ひ て 」「 い ら な く ふるまひて」 「つやゝゝものも見えす」 「山をあされとも」の八箇所 で注が付けられている。本段では「風流のわりこやうのもの」の注 で『和名類聚抄』巻一四・調度部中第二二「樏子」が新たに引用さ れている。 五五段   家の作りやうは夏をむねとすべし   『寿命院抄』では「家ノツクリヤウハ夏ヲムネトスヘシ」 「造作ハ 用ナキ所ヲ」の二箇所で注が付けられている。本段では「造作ハ用 ナキ所ヲ」の注で『荘子』雑篇・外物が引用されている。

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  『 野 槌 』 で は「 家 の つ く り や う 」「 夏 を む ね と す へ し 」「 造 作 は 用 なき所を」の三箇所で注が付けられている。本段では「夏をむねと すへし」の注で楊誠斎「午熱登稼亭詩」が新たに引用されている。 五六段   久しく隔りて逢ひたる人の   『 寿 命 院 抄 』 で は「 久 シ ク ヘ タ ヽ リ テ 」「 ア カ ラ サ マ 」「 ラ ウ カ ハ シ キ 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 ラ ウ カ ハ シ キ 」 の注で『源氏物語』夕顔巻が引用されている。本段の冒頭には「此 段カクレナシ但此下ト此段ハ人前ニテ物カタリナトスヘキタシナミ ヲ書タリ」とあり、五七段との関連性が指摘されている。五六段は、 一流の人物と二流の人物の話し方の違いが書かれた章段である。一 方五七段は、他人が語りだした和歌に関する物語のなかに登場する 和歌の出来が悪いとがっかりし、歌道に通じた人間ならば語らない だろうと書かれた章段である。両段はいずれも人前での話し方につ い て 書 か れ た 章 段 で あ る た め、 『 寿 命 院 抄 』 で は 章 段 間 の 話 題 の 連 続性が指摘されている。   『 野 槌 』 で は「 あ か ら さ ま 」「 い き も つ き あ へ す 」「 よ か ら ぬ 人 は 誰 と も な く 」「 ら う か は し き 」 の 四 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 い き も つ き あ へ す 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』 二 条 院 讃 岐、 「 よ からぬ人は誰ともなく」の注で『礼記』曲礼上が新たに引用されて いる。 五七段   人の語り出でたる歌物語の   『 寿 命 院 抄 』 で は「 人 ノ カ タ リ 出 タ ル 歌 ノ ワ ロ キ コ ソ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 歌 物 語 ノ ミ ニ カ キ ラ ス 万 ノ 事 ニ ワ タ ルヘキ用心也」とあり本段の解釈が示されている。一方『野槌』で は本段の注釈および解釈は書かれていない。 五八段   道心あらば住む所にしもよらじ   『寿命院抄』では「道心アラハスム所ニシモヨラシ」 「心ハ縁ニヒ カレテウツル物」 「ソノウツハモノ」 「ヨスカ」 「貧欲オホキ」 「紙ノ 衾麻ノコロモ一鉢ノマウケアカサノアツモノ」 「一鉢ノマウケ」 「菩 提ニオモムカサランハ」の八箇所で注が付けられている。本段では 「 心 ハ 縁 ニ ヒ カ レ テ ウ ツ ル 物 」 の 注 で『 大 乗 本 生 心 地 観 経 』 巻 八、 「 ソ ノ ウ ツ ハ モ ノ 」 の 注 で『 論 語 』 公 冶 長 第 五・ 四、 「 貧 欲 オ ホ キ 」 の 注 で『 妙 法 蓮 華 経 』 巻 二・ 譬 諭 品 第 三、 「 紙 ノ 衾 麻 ノ コ ロ モ 一 鉢 ノマウケアカサノアツモノ」の注で范堯夫「布衾銘」が引用されて いる。また本段の冒頭には「此段遁世ヲスヽメタル也」とあり本段 の解釈が示されている。   『野槌』では「道心あらは住所にしもよらし」 「君につかへ家をか へ り 見 る 」「 心 は 縁 に ひ か れ て 」「 よ す か 」「 貪 欲 お ほ き 」「 紙 の 衾 」 「一鉢のまうけ」 「あかさのあつもの」の八箇所で注が付けられてい

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る。本段では「道心あらは住所にしもよらし」の注で『後漢書』列 伝・巻三〇下「郎顗襄楷列伝」 、「一鉢のまうけ」の注で『古今事文 類聚』前集・巻三五「一鉼一鉢」 、「あかさのあつもの」の注で『六 韜』文韜・盈虚第二が新たに引用されている。五八段では「人と生 れたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほ し け れ。 ひ と へ に 貪 る こ と を つ と め て、 菩 提 に お も む か ざ ら ん は、 よろづの畜類に変る所あるまじくや」と世俗から離れることが推奨 されている。これに対して『野槌』の本段の末尾には「兼好は。世 俗を畜類とすれと。儒よりみれは。かの世をのかれて人倫をみたる 者を。禽獣とす。道は人にあり。人こそよく道をひろむれ。いかん そ人をすてゝ道をえん」とあり、五八段の見解を踏まえたうえで世 俗に生きることが推奨されている。 五九段   大事を思ひ立たん人は   『寿命院抄』では「大事ヲオモヒタヽン人ハ」 「チカキ火ナトニヽ ク ル 」「 命 ハ 人 ヲ マ ツ モ ノ カ ハ 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本段の冒頭には「前段ノ余論也」とあり、五八段との関連性が指摘 されている。五八段は、出家者が住むべき場所として世俗を離れた 所にすべきだとし「世を遁れんことこそあらまほしけれ」との結論 に至る段である。一方五九段は、仏道に専念しようとする人は全て を捨てて精進すべきだという考えが述べられた章段である。両段は いずれも出家に関する内容で共通しているため、前段との関連性を 指摘したと考えられる。   『 野 槌 』 で は「 大 事 を お も ひ た ゝ ん 」「 水 火 の せ む る よ り も 」「 老 た る 親 い と き な き 子 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は 「大事をおもひたゝん」の注で『妙法蓮華経』巻第一・方便品第二、 「 水 火 の せ む る よ り も 」 の 注 で『 孟 子 』 梁 恵 王 章 句 下 が 新 た に 引 用 されている。 六〇段   真乗院に盛親僧都とて   『 寿 命 院 抄 』 で は「 真 乗 院 ニ 盛 親 僧 都 ト テ 」「 ウ ツ タ カ ク 」「 ア リ カ タ キ 道 新 シ ヤ 」「 ト ハ 何 物 ソ ト ハ 」「 法 灯 ハ 」「 時 非 時 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 時 非 時 」 の 注 で『 四 分 律 』「 非 時食戒」が引用されている。また本段の冒頭には「此段徳タケヌレ ハ行跡ニ許シアル義也」とあり本段の解釈が示されている。   『 野 槌 』 で は「 真 乗 院 」「 盛 親 僧 都 」「 い も か し ら 」「 あ し 」「 と は 何者そ」 「法燈」 「とき非時」の七箇所で注が付けられている。本段 の末尾には「此段盛親僧都のいもかしらをこのみてくひたることを いふもろこしにもさるためしあり」と中国にも同様の例が見られる こ と を 指 摘 し、 『 隆 興 釋 教 編 年 通 論 』 巻 第 一 八・ 蘇 東 坡「 除 夕 訪 子 野食焼芋戯作」 ・『遵生八牋』四時調攝箋・冬卷「高子冬時幽賞」が 類似の例として引用されている。

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六一段   御産のとき甑落とすことは   『寿命院抄』では「御産ノ時甑ヲトス事」 「フルキ宝蔵ノ絵ニイヤ シキ人ノ子ウミ」の二箇所で注が付けられている。本段では「御産 ノ時甑ヲトス事」の注で『平家物語』巻第三「御産」が引用されて いる。本段では「御産ノ時甑ヲトス事」の注で「此段胞衣トヽコヲ ルマシナヒ也ト云事ト又大原ノ里ヨリコシキヲメスト委云アラハセ リ」 、「フルキ宝蔵ノ絵ニイヤシキ人ノ子ウミ」の注で「此句イヤシ キ人ノ子ト云ヲ以てミレハ上ノ句ニ下サマヨリコトヲコルト云ハカ ナヘリ平家物語ニ皇子皇女ニカキルヤウニカケルヲ抑テサニハ非ス 下サマヨリヲコレル事ト書タル段也」とあり、いずれも本段の解釈 が示されている。   『野槌』では「御産のときこしき落す事」 「甑」 「御胞衣」 「ふるき 宝蔵の絵に」の四箇所で注が付けられている。本段では「甑」の注 で『 和 名 類 聚 抄 』 巻 一 六・ 器 皿 部 第 二 三「 甑 」、 「 御 胞 衣 」 の 注 で 『 日 本 書 紀 』 巻 第 一 神 代 巻 上 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段 の 末尾には「此段皇后元妃御産の時甑落す事あれともかならすしも貴 き 人 の す る こ と ゝ 定 れ る に あ ら す 卑 賎 の も の よ り 事 お こ れ り と 也 」 と章段内容の解釈が示された後に『詩経』小雅・斯干が引用されて いる。 六二段   延政門院いときなく   『 寿 命 院 抄 』 で は「 延 政 門 院 イ ト ケ ナ ク 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れている。   『野槌』では「延政門院」の一箇所で注が付けられており、 『古今 事文類聚』後集・巻三九「觸牆成字」と『古今事文類聚』続集・巻 一〇「井謎」が新たに引用されている。 六三段   後七日の阿闍梨   『 寿 命 院 抄 』 で は「 後 七 日 ノ ア サ リ 武 者 」「 後 七 日 ト ハ 」「 一 年 ノ 相ハ此修中」の三箇所で注が付けられている。本段では「後七日ト ハ 」 の 注 で『 塩 嚢 抄 』 巻 八「 後 七 日 事 」 と『 公 事 根 源 』 正 月 八 日 「真言院御修法」が引用されている。   『 野 槌 』 で は「 後 七 日 」「 阿 闍 梨 」「 一 年 の 相 は 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 阿 闍 梨 」 の 注 で『 翻 訳 名 義 集 』 巻 第 一・第一三僧伽衆名「闍梨」が新たに引用されている。 六四段   車の五緒は   『 寿 命 院 抄 』 で は「 車 ノ 五 緒 ハ カ ナ ラ ス 人 ニ ヨ ラ ス 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 五 ツ 緒 ノ 事 有 識 ノ カ タ ヘ タ ツ ネ ケ レ ト モ 車

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ノ事ニ五ツ緒ノサタハアレトモサタカニシラスト云ヘリ大臣ナトノ 外ハ用ラレマシキヤウニアリ」と車の五緒がどのような物か調べた が不明であったと書かれている。   『 野 槌 』 で は『 寿 命 院 抄 』 の 注 釈 を 受 け た 形 で「 車 の 五 緒 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 簾   青 編 糸 五 緒 一 つ   文 藍 革 縁   文 小鞆絵   裏の縁は青唐綾   上緒不入革崎   車の五緒の事を長嘯子へ たつね侍けれは右のことく書てたまはれり」と、木下長嘯子から助 言を受けて『寿命院抄』では不明であった車の五緒の注を付けたこ とが書かれている。 六五段   このごろの冠は   『寿命院抄』では「此コロノ冠ハムカシヨリ」 「古代ノ冠ヲモチタ ル」の二箇所で注が付けられている。   『野槌』では「冠桶」 「はたをつぎて」の二箇所で注が付けられて いる。本段では「はたをつぎて」の注で宋濂「日東曲」と『石林燕 語』巻一〇が新たに引用されている。 六六段   岡本関白殿   『 寿 命 院 抄 』 で は「 岡 本 ノ 関 白 殿 紅 梅 」「 下 毛 野 武 勝 」「 返 シ 刀 五 分 」「 花 ニ 鳥 ツ ケ ス ト ハ イ カ ナ ル 故 ニ カ 有 ケ ン 」 の 四 箇 所 で 注 が 付 けられている。本段では「岡本ノ関白殿紅梅」で『河海抄』が引用 されている。また本段の末尾には「此段少シ河海ノ説ヲ書タレトモ 鷹ノ道ハ其家々ノ作法数多アリト云云又時代ヽヽノ習アリト聞ユ一 向シラヌ道ナレハ不及注釈之ヨリヽヽ能ク知レラン人ニ可尋究之而 已」とあり、鷹の作法が時代や家により異なるため更なる考察の必 要性が記されている。   『 野 槌 』 で は「 岡 本 の 関 白 」「 付 鳥 枝 の 事 」「 下 毛 野 武 勝 」「 返 し 刀」 「雪にあとを」 「あまおほひの毛」 「花に鳥つけすとは」 「伊勢物 語」の八箇所で注が付けられている。本段では「下毛野武勝」の注 で『 続 日 本 紀 』 14、「 雪 に あ と を 」 の 注 で『 治 承 三 十 六 人 歌 合 』 五 番 歌、 「 伊 勢 物 語 」 の 注 で『 伊 勢 物 語 』 九 八 段 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 六七段   賀茂の岩本橋本は   『寿命院抄』では「賀茂ノ岩モトハシモトハ業平実方也」 「吉水の 和 尚 」「 月 ヲ メ テ 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 賀 茂 ノ 岩 モ ト ハ シ モ ト ハ 業 平 実 方 也 」 の 注 で『 河 海 抄 』、 「 月 ヲ メ テ 」 の注で『井蛙抄』巻第六が引用されている。   『 野 槌 』 で は「 岩 本 は 業 平 也 」「 業 平 」「 吉 水 和 尚 」「 月 を め て 」 「今出川院近衛」の五箇所で注が付けられている。本段では「業平」 の注で『日本三代実録』巻三七・在原業平卒與但馬國見恠船と『新

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古 今 集 』 巻 八 哀 傷 歌・ 七 九 三 番 歌、 「 今 出 川 院 近 衛 」 の 注 で『 新 拾 遺集』巻一五恋歌五・一三五五番歌が新たに引用されている。 六八段   筑紫になにがしの押領使   『寿命院抄』では「筑紫ニナニカシノアフリヤウシ」 「アフリヤウ シ ハ 」「 土 オ ホ ネ 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 土 オホネ」の注で『和名類聚抄』巻一七・菜蔬部第二七「葍」が引用 されている。また本段の冒頭には「此段信仰ニ奇特アル事ヲ知ラシ ムル也土大根ヲサヘ信スレハカク奇特アリ況ヤ仏神ヲヤノ心也」と あり章段内容の解釈が示されている。   『野槌』では「押領使」 「土おほね」の二箇所で注が付けられてい る。本段では「押領使」の注で『吾妻鏡』巻七「文治三年十月大廿 九日丙申」 、「土おほね」の注で『和名類聚抄』巻一七・菜蔬部第二 七「葍」と『皇朝類苑』巻六八「萊花成仏像」が新たに引用されて いる。 六九段   書写の上人は   『 寿 命 院 抄 』 で は「 書 写 ノ 上 人 ハ 法 華 」「 六 乗 根 ニ カ ナ ヘ ル 人 」 「 大 豆 ノ カ ラ ヲ タ キ テ 」 の 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 書 写 ノ 上人ハ法華」の注で『元亨釈書』巻第一一「書写山性空」 、「大豆ノ カラヲタキテ」の注で『世説新語』上巻下・文学第四が引用されて いる。   『 野 槌 』 で は「 書 写 の 上 人 」「 六 乗 根 」「 大 豆 の か ら を た き て 」 の 三箇所で注が付けられている。本段では「書写の上人」の注で『撰 集抄』が新たに引用されている。本段の末尾には「此段には。非情 のものに。ものをいはせ。前段には。非情のものに。精霊をあらは す」とあり、六八段との関連性が指摘されている。六八段は大根を 万能の霊薬として毎日食べていた人が、敵に襲われた際に人間の形 で現れた大根によって命を助けられる話である。一方六九段は、性 空上人が六根浄の境地に達した人であったため、豆の殻を燃やす音 や煮る音が言葉として聴こえたという話である。両段はいずれも食 物が人の言葉を話す点で共通しており、一連の章段として関連性が 見られる。また末尾の続きには「是陳思王か豆萁詩にもとつき性空 の六根浄を引合すといへとも。又荘子か罔両の問答。櫟社樹の夢語 な と の類。お も ひ出し け る に や」と あ り、 『寿命院抄』と同じ く『世 説新語』に収録されている曹植の「七歩詩」や『荘子』内篇・斉物 論 篇 に あ る 罔 両 と 影 と の 問 答、 『 荘 子 』 内 篇・ 人 間 世 篇 に あ る 櫟 の 神木が棟梁の夢に現れる話等が類似の例として紹介されている。 七〇段   元応の清暑堂の御遊に   『寿命院抄』では「元応の清暑堂ノ御遊」 「清暑堂ハ」 「玄上」 「菊

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亭ノヲトヽ」 「牧馬ハ」 「チウヲサクラレケレハ」の六箇所で注が付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 玄 上 」 の 注 で『 枕 草 子 』「 無 名 と い う 琵 琶 」 の 段、 「 牧 馬 ハ 」 の 注 で『 古 事 談 』 第 六 が 引 用 さ れ て い る。 ま たチウヲサクラレケレハ」の注では「是ノ義此段ノ眼目也用心諸芸 ニワタルヘキ事也」とあり章段内容の解釈が示されている。   『 野 槌 』 で は「 元 応 」「 清 暑 堂 」「 玄 上 」「 菊 亭 の お と ゝ」 「 ち う を さ く ら れ け れ は 」「 き ぬ か つ き 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本段では「清暑堂」の注で『拾芥抄』廃朝部第一八「清暑堂」 、「玄 上」の注で『禁秘鈔』上「玄上」が新たに引用されている。また末 尾には「此段。かねて用心思慮すへき事を云。諸事この心得あるへ し 」 と 章 段 内 容 に 対 す る 解 釈 が 見 ら れ る ほ か、 「 い つ そ や 室 町 家 の 将軍の時。なに阿弥とかやいふ同朋に。画軸をかけさせられけるに。 壁の釘をさぐりて見けれは。其まゝおちけり。打なをして後に。軸 をひらきかけゝるとある人のかたり侍りしを。おもひ出ぬ」と「又 ちかき比人のかたりしは。ある猿楽の山伏のかたちになりて。祈を するとて。あまりにつよく数珠をすりきりて。懐の中より。こと数 珠を取いたし。なをいのりける」という章段内容に即した二つの類 似の例が紹介されている。 七一段   名を聞くよりやがて面影は   『 寿 命 院 抄 』 で は「 名 ヲ キ ク ヨ リ ヤ カ テ オ モ 影 ハ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 カ ク レ ナ シ 誰 カ 心 モ カ ク ア ル ヘ キ 物 也 」 と章段内容の評価が示されている。   『 野 槌 』 で は「 名 を き く よ り 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 熊孺登「贈俟山人」が新たに引用されている。 七二段   賎しげなるもの   『 寿 命 院 抄 』 で は「 イ ヤ シ ケ ナ ル モ ノ 」「 作 善 オ ホ ク 書 ノ セ タ ル 」 「フクルマ」 「チリツカノチリ」の四箇所で注が付けられている。本 段では「イヤシケナルモノ」の注で『詩経』国風豳風篇「七月」が 引用されている。また本段の冒頭には「作善オホク書ノセタル是マ テハ多クテアシキ物ヲ云也オホクテミクルシカラヌハト云ヲ中ニヲ キテ上下ヲコトハリタル文ノアヤ妙也」とあり章段内の文章構成へ の言及が見られる。   『野槌』では「前栽に石草木のおほき」 「家のうちに子孫のおほき は」 「願文に」 「文車」 「ちりつか」の五箇所で注が付けられている。 本段では「家のうちに子孫のおほきは」の注で『荘子』外篇・天地 篇、 「 願 文 に 」 の 注 で『 本 朝 文 粋 』 巻 一 三、 「 文 車 」 の 注 で『 荘 子 』 雑篇・天下篇が新たに引用されている。また本段の末尾には「此段 おほくてあしき物とよき物とをいひつらねて其中におほくて見くる しからぬはといふ是文法也」と『寿命院抄』と同様に章段内の文章 構 成 に つ い て 言 及 し た 後、 「 古 文 に も 此 例 あ り 」 と『 容 斉 随 筆 』 第

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一四巻「張文潛論詩」や『荘子』内篇・養生主篇が類似の例として 引用されている。 七三段   世に語り伝ふること   『 寿 命 院 抄 』 で は「 世 ニ カ タ リ ツ タ フ ル 事 」「 ア イ ナ キ 」「 カ タ ク ナ」 「ウキタルコト」 「ハナノホトオコメキテ」 「ツマヽヽ」 「オソロ シキソラコトナリ」 「我カタメ面目アル」 「ヨキ人ハアヤシキ事カタ ラス」 「カクハイヘト仏神ノキトク権者ノ伝記サノミ信」 「オコカマ シク」の一一箇所で注が付けられている。本段では「アイナキ」の 注 で『 河 海 抄 』 桐 壺 巻「 あ い な う め を そ は め つ つ 」・ 『 源 語 類 聚 抄 』 巻 下「 あ ひ な う 」・ 『 源 氏 物 語 』 桐 壺 巻、 「 ハ ナ ノ ホ ト オ コ メ キ テ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 帚 木 巻、 「 ヨ キ 人 ハ ア ヤ シ キ 事 カ タ ラ ス 」 の 注 で『 論 語 』 第 七 述 而・ 二 〇、 「 カ ク ハ イ ヘ ト 仏 神 ノ キ ト ク 権 者 ノ 伝 記サノミ信」の注で『孟子』盡心章句下が引用されている。また本 段の冒頭には「此段世上ニ云イタス事ノ虚実ヲ分別シテ覚悟スヘキ ト ノ 義 也 」 と 章 段 内 容 の 解 釈 が 示 さ れ て い る ほ か、 「 我 カ タ メ 面 白 アル」の注で「是ヨリ又ソラコトノ定ヌル一ツノ品也」 、「カクハイ ヘト仏神ノキトク権者ノ伝記サノミ信」の注で「是ニテ上ヲヽサヘ テ仏神ノキトクヲ書タル尤殊勝也」とあり章段内の文章構成への言 及が見られる。   『野槌』では「あいなき」 「かたくな」 「うきたること」 「鼻のほと お こ め き て 」「 つ ま ゞ ゝ」 「 よ き 人 は あ や し き こ と を か た ら す 」「 仏 神 の 奇 特 権 者 の 傳 記 」「 お こ が ま し く 」 の 八 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て いる。 七四段   蟻の如くに集まりて   『寿命院抄』では「蟻ノコトクニアツマリテ」 「其来ル事スミヤカ ニシテ念々ノ間ニトヽマラス」 「常住ナランコトヲ思テ変化ノ理ヲ」 の三箇所で注が付けられている。本段では「蟻ノコトクニアツマリ テ」の注で黄庭堅「題槐安閣」 、「其来ル事スミヤカニシテ念々ノ間 ニ ト ヽ マ ラ ス 」 の 注 で『 荘 子 』 内 篇・ 斎 物 論 篇、 「 常 住 ナ ラ ン コ ト ヲ思テ変化ノ理ヲ」の注で『荘子』外篇・知北遊篇が引用されてい る。また本段の冒頭には「此段人間ヲ蟻ニタトヘタル事内外ノ書典 ニ多シ然トモ爰ニテハ世俗ニ蟻ノクマノマイリスルト云如クナル義 ヲ心ニモチテ書タル歟畢竟荘子斎物篇ノ心也」とあり、章段内容の 解釈と『荘子』斉物篇からの影響が指摘されている。   『野槌』では「蟻のことくにあつまりて」 「変化の理を」の二箇所 で注が付けられている。本段では「蟻のことくにあつまりて」の注 で『文選』巻一八長笛賦・馬融と『大槐宮記』が新たに引用されて い る。 本 段 の 末 尾 に は「 此 段 の 結 語 に。 常 住 な ら ん こ と を 思 ひ て。 変化の理をしらねはなりといへる。兼好か見たるところ也」と評し、 『 荘 子 』 斉 物 論・ 第 二 の「 胡 蝶 の 夢 」 や『 金 剛 経 』 第 三 二・ 応 化 非

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真分の「一切有為法   如夢幻泡影   如露亦如電   応作如是観」の偈 等を類似の例として引用し、本段の解釈が示されている。 七五段   つれづれわぶる人は   『寿命院抄』では「ツレヽヽワフル人ハイカナル心ナラン」 「マコ ト ノ 道 ト ハ 」「 生 活 人 事 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「生活人事」の注で『摩訶止観』四巻下「息諸縁務」が引用され ている。また本段の冒頭には「前段余論也静ニシテ性ヲ守事ヲ肝要 トスル義也」とあり、本段の解釈と七四段との関連性が指摘されて いる。七四段は老いと死を忘れて世俗に囚われる人々の愚かしさに ついて書かれている。一方、七五段は世俗で生きることで生まれる 迷 い を 挙 げ、 『 摩 訶 止 観 』 の「 生 活・ 人 事・ 伎 能・ 学 問 等 の 諸 縁 を 止めよ」という言葉を引用して結ばれた章段である。七四段では世 俗に生きる愚かさ、七五段では世俗で生まれる迷いの例が書かれて おり、両段の間には連続性が見られる。   『野槌』では「生活人事」の一箇所で注が付けられており、 『摩訶 止観』の著者である智顗についての説明が新たに記されている。 七六段   世のおぼえはなやかなるあたりに   『 寿 命 院 抄 』 で は「 世 ノ オ ホ エ 花 ヤ カ ナ リ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 カ ク レ ナ シ 前 段 ノ 学 問 等 ノ 諸 縁 ヲ サ ヘ ヤ メ ヨ ト 云ヲ殊更法師ノ上ニ引ウケテ次第シタル也」とあり、本段の評価と 七五段との関連性が指摘されている。七六段は世間で勢いのある人 のもとに世を捨てた聖法師が行く必要はないとし、法師は世俗に疎 遠である方がよいと結ばれた章段である。本段では七五段で主張さ れた世俗で生まれる迷いの例が詳解されており、両段の間には連続 性が見られる。   『 野 槌 』 で は「 世 の お ほ え は な や か な る 」「 な け き も よ ろ こ ひ も 」 の二箇所で注が付けられている。 七七段   世中にそのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること   『 寿 命 院 抄 』 で は「 世 ノ 中 ニ ソ ノ 比 人 ノ モ テ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 前 段 ノ 余 説 也 カ ク レ ナ シ 」 と 七 六 段 と の 関 連 性 が 指摘されている。七七段では片田舎に住む法師が、話題の出来事の 裏事情にまで詳しいのは感心しないと書かれた章段である。七六段 では法師は世間に疎い方がよいと書かれていることから、前段から の連想性の高い内容となっている。一方『野槌』では本段に注は付 けられていない。

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七八段   今様のことどもの   『 寿 命 院 抄 』 で は「 今 ヤ ウ ノ 事 ト モ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 是 又 前 ノ 段 ヲ ウ ケ テ 書 タ リ 」 と 七 七 段 と の 関 連 性 が 指 摘 さ れている。七八段は話題になっている出来事を持て囃すのは感心し ないとし、また新参の人がわからないことを言い合って楽しむのは 教養のない人がやることだと書かれた章段である。七七段では話題 になっている出来事の裏事情にまで詳しいのは感心しないと書かれ ており、本段ではそれらを持て囃す人への批判に繋がっているため、 『 寿 命 院 抄 』 で は「 前 ノ 段 ヲ ウ ケ テ 書 タ リ 」 と 注 記 さ れ た と 考 え ら れる。   『野槌』では「今やうの事」の一箇所で注が付けられており、 『白 氏文集』巻第三・諷諭三「上陽白髪人」が新たに引用されている。 七九段   何事も入りたたぬさましたるぞよき   『寿命院抄』では「ナニ事ニモ入タラヌサマ」 「サレハ世ニハツカ シキカタトハ」の二箇所で注が付けられている。   『 野 槌 』 で は「 よ き 人 は し り た る 事 と て 」「 世 に は つ か し き か た 」 「口をもく」の三箇所で注が付けられている。本段では「口をもく」 の注で『礼記』玉藻が新たに引用されている。 八〇段   人ごとに我が身にうときことをのみぞ好める   『寿命院抄』では「人コトニ我身ニウトキ事」 「エヒスハ弓引スヘ シ ラ ス ト ハ 」「 法 師 ノ ミ ニ ア ラ ス 」「 上 達 部 」「 モ ヽ タ ヒ タ ヽ カ ヒ テ 百 度 勝 ト モ 」「 兵 ツ キ 矢 キ ハ マ リ テ 」「 ク タ ラ ス 」「 死 ヲ ヤ ス ク シ テ ハ シ メ テ 名 ヲ ア ラ ハ ス 道 也 」 の 八 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 15本 段では「モヽタヒタヽカヒテ百度勝トモ」の注で『李衛公問対』巻 下、 「 兵 ツ キ 矢 キ ハ マ リ テ 」 の 注 で『 続 新 編 分 類 諸 家 詩 集 』 懐 古・ 「 李 陵 」 王 希 声 が 引 用 さ れ て い る。 本 段 の 冒 頭 に は「 此 段 ワ ル ク ト モ我カ道ヽヲセヨト云義也」 、「死ヲヤスクシテハシメテ名ヲアラハ ス道也」の注で「武士ト云モノハ名ヲ後代ト云伝ヘタリ然ラハ此世 ニイケランホトナラハ武ヲ好ムヘカラスト也ソノ家ニアラスハト書 タル所眼目也」と章段内容の解釈が示されている。また「法師ノミ ニアラス」の注では「前段ニ法師ハツハモノヽ道ヲタテト云ヲウケ テ書タリノミノ字ニテ上達部殿上人マテモカヽル也」とあることか ら、別の章段としながらも関連性の高い内容として捉えていたこと がわかる。   『野槌』では「夷」 「上達部」 「武をこのむ人おほかり」 「百たひ戦 て 」「 兵 つ き 矢 き は ま り て 」「 敵 に 降 ら す 」「 人 倫 に 遠 く 禽 獣 に ち か き」の七箇所で注が付けられている。本段では「武をこのむ人おほ か り 」 の 注 で『 春 秋 左 氏 伝 』 隱 公 三 年、 「 百 た ひ 戦 て 」 の 注 で『 孫 子 』 謀 攻 篇、 「 兵 つ き 矢 き は ま り て 」 の 注 で『 報 任 少 卿 書 』、 「 敵 に

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降 ら す 」 の 注 で『 資 治 通 鑑 網 目 』 卷 二 上、 「 人 倫 に 遠 く 禽 獣 に ち か き」の注で『孟子』離婁章句上と『荘子』雑篇・説剣篇が新たに引 用されている。また末尾には「此段。其家々の所業をつとめて。良 冶の子は裘つくる事を学ひ。良弓の子は箕つくることをならふこと くすへし」と本段の解釈を示し、 「兼好か禽獣にちかきといへるは。 荘子か庶人の剣の闘鶏に お な し と い へ る こゝろ な る へ し」と『荘子』 雑篇・説剣篇が類似の例として引用されている。 おわりに   以上、本稿では『寿命院抄』と『野槌』の八〇段までの各章段の 注釈項目および総数・引用書名・特記事項についての比較検討を行 ってきた。 ( 1) で 扱 っ た 範 囲 と 同 様 に、 『 寿 命 院 抄 』 で は 近 接 章 段 の 関 連 性 についての注釈が、三七段・四四段・五二段・五四段・五六段・五 九段・七五段・七六段・七七段・七八段・八〇段で見られた。 (1) で扱った範囲では前後二つの章段間の関連性についての注記が中心 であった。しかし三七段では三五段・三六段・三七段という三つの 章段、また七五段から七八段では四つの章段に亘る関連性が指摘さ れており、いずれも二つ以上の複数章段に亘る関連性が注記されて い る。 こ れ ら の 注 記 か ら は、 『 寿 命 院 抄 』 が 各 章 段 の 枠 組 み を 明 確 にしながらも、各章段ごとに読むのではなく『徒然草』を一冊の書 物として捉える視点がより伺える内容となっている。   ま た 四 六 段 で は「 此 段 人 ノ 名 物 ノ 名 道 理 ヲ 問 テ キ ハ ム ヘ キ ト 也 」 と章段内容の概略が記された後に「今モ柳原室丁辺ニ腰ヌケ風呂ト テアリ打聞タルハ風呂ノタヽヌトイフ名ノヤウナレトモタツテヰラ レ ヌ ト 云 義 也 」 と 類 似 の 例 が 紹 介 さ れ て い る。 こ れ ま で『 徒 然 草 』 の 注 記 に 類 似 の 例 を 紹 介 す る こ と は、 『 野 槌 』 か ら 見 ら れ る 特 徴 と して指摘されていた。しかし『寿命院抄』にも類似の例が引用され ていることから、今後は『野槌』独自の工夫としてではなく『寿命 院抄』からの影響を受けて付けられた注釈という視点から考察して いく必要性があるだろう。   一方『野槌』では(1)で扱った範囲と同様に章段内容に関連し た類似の例の引用が、三五段・三七段・三九段・四〇段・四二段・ 四四段・四五段・六〇段・七〇段・七二段・七四段・八〇段で見ら れる。 「はじめに」で記したように、 『野槌』の注釈書としての特徴 である類似の例の引用は数多く見られる。そのため『徒然草』のい ず れ の章段に ど の よ う な類似の例が見ら れ る の か、ま た『寿命院抄』 の類似の例との比較をすることによって、全体像を明らかにしてい く必要があるだろう。   この他に『野槌』の六四段では『寿命院抄』では不明であると説 明 さ れ て い た 車 の 五 緒 に 関 し て、 「 簾   青 編 糸 五 緒 一 つ   文 藍 革 縁   文小鞆絵   裏の縁は青唐綾   上緒不入革崎   車の五緒の事を長嘯子 へたつね侍けれは右のことく書てたまはれり」と、木下長嘯子から

参照

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