藤原 繁 先 生 の 思 い 出
▲ 両 親 、 姉 と一 緒 に(宇 都 宮 ・小 学 生 の こ ろ) 〓 宇 都 宮 中 学 (現 宇 都 宮 高 校 ) 時 代 〓 宇 都 宮 中 学 時 代 ( 生 前 写 真 屋 に 複 写 を 頼 ま れ 、 逝 去 後 に 写 真 屋 が 届 け て 来 た も の )▲国士館専門学校 時代
▲ 徴 兵 に よ っ て 入 隊
▲ 国 士 館 専 門 学 校 学生 主 事 の こ ろ(左 ・三 原 朝 雄 現 衆 議 院 議 員 、 中 ・三 輪 健 児
▲ 頭 山 満 翁 を 囲 ん で(満 州 国 政 府 代 表 団 と。 最 後 列 真 中 が藤 原 先 生)
▼ 伊 勢 参 宮 徒 歩 隊 の 折 の ス ナ ップ (右 ・藤 原 先 生 、 中 ・副 島 先 生)
▲ 杵 築 大 社(武 蔵 境)第 一 回 節 分(前 列 右 か ら3人 目が 藤 原 先 生) 〓 自 宅 で 原 稿 を 書 か れ る 先 生 ( 昭 和 25 年 ) 藤 原 先 生 に と っ て も 、 大 学 に と っ て も 最 も 苦 し い 時 代 だ っ た ▲ 学 長 室 事 務 室 の 執 務 机 に 置 か れ て あ っ た ハ ガ キ
▲ 興 亜 会 館 の 前 で 菊池 武 夫 先生 、 太 田耕 造 先 生 を 囲 ん で
▲ 本 館(現4号 館)工 事 現 場 で
▲ プ ロボ ク シ ン グ全 日本 フ ラ イ 級 初 の 学 生 チ ャ ン ピ オ ン とな っ た飯 田健 一 君(41年 度 卒)の 祝 勝 記 念
〓 還 暦 を 迎 え て ご 夫 妻 で ( 昭 和 42 年 ) 〓 宮 崎 県 で の 父 兄 会 の 時 ( 昭 和 四 十 三 年 )
▲ 美 声 を披 露(北 海 道 青 々 会 総 会) ▲ 香 港 中 文 大 学 に て 記念 植 樹(昭 和50年11月 吹 奏 楽 団 香 港 親 善 演 奏 会 団 長) 〓 剣 道 部 記 念 撮 影 ( 剣 道 部 顧 問 )
▲洋 上 大 学 ア ジ ア セ ミナ ー を引 率 イ ン ドネ シ ア へ(昭 和51年)
▲教 職 員運 動 会(昭 和51年 セ ミナ ーハ ウ ス)
▲ 先生の 野球 好 きは有名 だっ た。 シー ズン にな ると興亜 神 社へ必 勝祈 願 され る
▲岡倉 天心 「亜 細亜 は― な り」の碑 を ご夫 妻 で訪 ね られ た (昭和52年 、茨 城 ・五 浦)
▲ ご夫 妻 で食 事
▲ 自宅 で密 葬(昭 和53年11月)
▼ 密 葬(11月4日)
▲ お通 夜
▼棺 は吹奏 楽 団 の"第 一 学生歌"に 送 られ た
▲ 大 学 葬(昭 和53年11月19日 、青 山 斎 場) 〓 悲 し み に 沈 ま れ る 奥 様 と 太田 学長 〓 学 生 も 半 旗 を 掲 げ て 列 席
▲ ご 遺 族(前 列 右 よ り二 人 目長 女 淳 子 さ ん 、 四 人 目奥 様 、 一 人 お い て 長 男祥 雅 氏 次 男 秀 勲 氏 、 三 男康 隆 氏 、 中列 右 よ り二 人 目四 男 伸 介 氏)
絶 筆
亜 細 亜 学 園 の歩 み
▲ 日輪 舎 の前 にて(学 生 の手 に よって造 られ た記 念すべ き建 物 で あ る)
▲
岩田愛之助先生 (興亜協会専務理事) 菊池武夫先生
(
興 亜 協 会 理 事 長 ・ 興 亜 専 門学 校 校 長)
頭 山満翁 (興亜 協会 顧問) 太 田耕 造先生 (興亜協 会理事)副島義一先生 (興亜科科長)
▲ 「青 々 寮 」
〓 教 室 ・宿 舎 に 借 用 し た 愛 国 学 生 連 盟 本 部 (渋 谷 ) ▲竜 源 寺 畔(指 田 邸 別 棟)の 宿 舎 〓 日 輪 舎 、 教 室 棟
▲ 是政 線(現 西 武 多摩 川線)の ガ ソ リン カ ー
▲第 一期 卒業生 〓 第 二期 卒 業 生
〓 興 亜 専 門 学 校 ▲校 舎 全 景(現 在 の 南 門付 近)
〓 完 成 間 近 か の 八 紘 塾 〓 突 風 で 倒 壊 し た 八 紘 塾 ▲ 再 工 事 で 完 成 した 八 紘 塾
▲明 光塾
〓 道 場 (後 に 合 併 教 室 ) 〓 興 亜 会 館 (後 に 興 亜 寮、 昭 和 38 年 取 壊 し ) 〓 白 日 荘 (昭 和 38 年 取 壊 し )
▲ 入 学 式(第3期 生)
▲ 朝 礼(壇 上 は 藤 原 先 生) 〓 "起 床 "の 太 鼓 〓 朝 の 点 呼
〓 銀 輪 つ ら ね 浦 和 農 場 へ ▲ い よ い よ収 穫 〓 農 場 視 察 ( 左 か ら 二 人 日 藤 原 先 生 )
▲ 食 堂
〓 三 本 杉 。 こ れ は 学 校 か ら 田 無 又 は 小 金 井 堤 へ 抜 け る 時 の 雑 木 林 の 左 手 に あ っ た 。 こ の あ た り 一 面 の 芋 畑 、 遙 か に 見 え る の が 寮 の 屋 根 で あ る ▲勉 学 に励 む
〓 木 工 班 〓 政 治 経 済 研 究 部 〓 射 撃 部 〓 相 撲 部
〓 ハ ー モ ニ カ 部 〓 銃 剣 術 部 ▲海洋 班
▲ 運 動 会
〓 表 彰 式(右 に 見 え る得 点 板 に注 目)
▲富士 山を背 に野外 軍事教練 〓 は た め く 校 旗 ▲第一期生卒 業祝賀演 芸大会
▲ 興 亜 神 社 の 前 で(右 よ り松 尾 忠 二 郎 氏 、荒 木 貞夫 氏 、 菊 池 武 夫 先 生 、 太 田耕 造 先 生 、 匝 瑳 胤 次 氏 、穴 水 熊雄 氏)
▲ 回 教 関係 派遣学 生 ハ ッヂ ・オ マ ル ・ファ イサ ル 師(小 林 哲 夫 氏)を 中 心 に記 念 撮 影 ▲ 第 一 期 セ レ ベ ス 渡 航 ( 昭 和 17 年 3 月 ) 利 根 丸 ( 200 ト ン ) に て 2 カ 月 か か っ て セ レ ベ ス に 到 着 し た ▼ モ ン ゴル 派 遣 学 生(昭 和18年2月)
〓 セ レ ベス へ 出 発 す る 興 専 生 〓 寄書 き ▼ 学校 か ら武 蔵 境 駅 まで 見 送 りを 受 け
▲興 亜 専 門 学 校 に は一 年 制 の 専修 科 も開 設 され て い た
▲財 団 法 人 興 亜 協 会 は 、 興 亜 専 門 学 校 と興 南 学 院 南 方 語 学 校 を経 営 した
これ は 興 南 学 院 の 開校 記念 の 写 真(昭 和16年9月15日)、 最 後 列 左 か ら
〓 戦 況 を 報 ず る 各 新 聞 ▼学徒 出陣!校 内で先生方 と記念写真
▲ 学 徒 出 陣(い よ い よ戦 線 へ)
▲勤 労 動 員(長 野 県 へ 農 業 作 業 の 手 伝 い)
〓 須 藤 斉 治 校 長 〓 校 門 を バ ッ ク に ▲ 日本経済専 門学校 の教職員
▲ 皇 居 の 奉仕 活 動 で皇 后 陛 下 か らお 言 葉 を賜 る
▲ 戦 争 が 終 り卒 業 生 も戦 地 か ら引 き揚 げ て 母 校 へ 帰 っ て き た
笹森順 造学長 〓 創 立 15 周 年 記 念 学 園 祭 ▲ 日経 短 大 の 正 門
▲新装 なっ た武 道館
▲ 国 際 柔 道 学 校 の ポ ス タ ー ▲ 道 場 での 演 武 会
▲ 中 国 留 学 生 部 第 一 期 入 学 式 〓
歓 迎 の ア ー チ(武 蔵 境 駅 前)
〓 留学 生 寮(現 体育 館 の とこ ろ)
学 長 太 田耕 造先生 〓 学 生 募 集 ポ ス タ ー ( 漢 字 に フ リ ガ ナ が あ る ! ) ▲本館建 築工事
五島慶 太前理事長
▲ 岩 田愛 之 助 先 生7回 忌(東 急 との 提 携 が この 時
か ら具 体 化 した)
〓 学 生 食 堂 ( 現体 育 館 の 場 所 ) ▲ 亜 大 ・香 港 新 亜 書 院 第 一 回 交 換 留 学 生 来 る(昭 和34年) ▲ 第 一 回 全 国 高 校 雄 弁 大 会(昭 和35年)
▲創 立20周 年 記念 式 典(昭 和36年)
▲ 高 橋 政 義 氏(3期 生)、 早 田 清 高 氏(5期 生)、 イ ン ドネ シ ア よ り"無 言
の 帰 国"(昭 和38年7月1日 、 東 京 駅)
▲ 「戦歿 校 友 の 面 影 」
「昭 和41年11月 刊 行)
▲ 第1次 ア ジ ア ハ イ ウ ェ ー 踏 査 隊(隊 長 ・深 沢 実 教授 、 昭和37年)
〓横浜港 を出発
〓 4 号 館 竣 工 ( 昭 和 37 年 ) 〓 ア ジ ア 会 館 ホ ー ル 〓 ア ジ ア 会 館
▲ 発 展 の シ ンボ ル 、 本 館 工 事 着 々 と進 む(昭 和40年 右 側2号 館)
▲ 東 都 大 学 一 部 リー グ で 初 優 勝(昭 和41年10月)
▲戦 歿 校 友 慰 霊 大 祭 (昭 和41年11月3日)
〓式 場 か ら興 亜 神 社 へ
▲"ア ジ ア砂 漠"と い わ れ た 時 代 もあ っ た (昭 和41年) ▲満 員の聴衆 〓 明 治 百 年 記 念 特 別 連 続 講 座 ( 福 田 恒 存 氏 、 昭 和 四 十 二 年 )
▲ 創 立30周 年 記 念 武 典(昭 和45年) ▲ 祝 辞 を述 べ る五 島 昇 理 事 長 〓 30 年 の 歴 史 を 経 て い ま 大 樹 に 成 長 ( 一 期 生 植 樹 ・ 3 号 館 裏 )
▲研 修会講師の 先生方 (昭 和42年)
〓木 蔭 で ミー テ ィ ン グ
▲FOC結 団 式
▲ 短 大 第1回FOC(奥多 摩 ・御 岳 山 、
昭 和44年)
▲散策
▲ 第1回 洋 上 大 学(昭 和44年)
〓 セ ミ ナ ー ハ ウ ス 竣 工 ( 昭 和 四 十 五 年 ) ▼ 部 屋 は2段 ベ ッ ド ▼ 研 修 会(留 学 生 別 科FOC)
▲学生総 会
五 号 館 〓
▲ リー ダ ー ス キ ャ ン プ結 団 式
〓 昭 々 寮 〓 全 日 本 寮 歌 祭 参 加 ▼ 静 和 寮(女 子 寮) ▼ 仁 風 寮(女 子寮) ▼光風寮 ▼輔 仁寮 ▼ 日新 寮 ▼亜 細亜寮
▲ ア ジ ア 祭
▼学友 会館
▲ ア ジ ア祭 の 展 示
▲体 育祭
▲図書 館 ▲体育 館
刊
行
の
辞
藤 原 繁 先 生 が 亡 く な ら れ て か ら 、 間 も な く 一 年 を 迎 え よ う と し て い る 。 そ し て 今 、 関 係 者 一 同 が 集 っ て 、 先 生 の 追 悼 集 を 刊 行 し よ う と 準 備 を す す め て い る 。 本 当 に 信 じ ら れ な い 思 い で あ る 。 先 生 が す っ か り 病 床 に つ か れ た の は 、 わ ず か 二 、 三ヶ 月 間 の こ と で あ り 、 そ れ ま で は 、 ご 病 気 と は い え 、 時 に は 、 大 学 に 、 時 に は 、 卒 業 生 の 会 に も 、 お 元 気 な お 姿 を 見 せ て お ら れ た だ け に 、 亡 く な ら れ た こ と 自 体 が 夢 の よ う で あ り 、 ま し て 、 こ こ に 先 生 の 追 悼 集 を 編 も う と は 、 全 く 思 い も か け ぬ こ と で あ る 。 思 え ば 、 先 生 の ご 生 涯 は 、 亜 細 亜 学 園 に 捧 げ 尽 く さ れ た ご 生 涯 で あ っ た 。 学 園 の 創 立 に 始 っ て 今 日 に 至 る ま で の 約 四 十 年 間 、 亜 細 亜 学 園 は 、 先 生 に と っ て 夢 寐 に も 忘 れ る こ と の で き な い 存 在 で あ り 、 心 魂 を 傾 け 尽 く さ れ た 結 晶 で あ っ た 。 し か も そ れ は 、 た だ 単 に 一 大 学 の 外 形 の 盛 大 さ を 願 っ て の も の で は な く 、 真 の 教 育 の 在 り 方 を 追 求 す る こ と に よ っ て 、 祖 国 日 本 に 尽 く そ う と す る 先 生 の 愛 国 の 精 神 が 根 底 と な っ て い た 。 先 生 を 憶 う と い う こ と は 、 残 さ れ た わ れ わ れ が 、 先 生 の 志 を 継 い で 、 亜 細 亜 学 園 か ら 真 に 日 本 を 背 負 う よ う な 人 材 を 輩 出 す る こ と に あ る と 思 う 。 ま た 、 そ の よ う な 学 園 に 仕 上 げ て い く こ と に あ る と 思 う 。 そ う 思 う が 故 に ﹁ 追 悼 集 ﹂ とし て は 誠 に 異 例 な こ と で は あ る が 、 先 生 が 、 ご 生 前 に 、 亜 細 亜 学 園 の 同 窓 会 ﹁ 青 々 会 ﹂ の 依 頼 に よ っ て 、 ﹁ 青 々 会 報 ﹂ に 連 載 ご 執 筆 下 さ っ た ﹁ 本 学 園 生 い た ち の 記 ﹂ を 中 心 に 、 学 園 の 写 真 、 そ れ に 文 字 通 り 諸 氏 の 追 悼 の 記 を 並 べ 編 纂 し 、 以 て ﹁ 藤 原 繁 先 生 追 悼 集 ﹂ と し た ゆ え ん で あ る 。 先 生 の 御 志 が 那 辺 に あ っ た か を 知 る こ と が で き れ ば 幸 い で あ る 。 謹 ん で 本 書 を 故 藤 原 繁 先 生 の 御 霊 前 に 捧 げ ま す 。 願 わ く ば 、 在 天 の 霊 来 り 受 け 給 わ ん こ と を 。 昭 和 五 十 四 年 十 一 月 二 日
藤
原
繁
先
生
追
悼
集
刊
行
委
員
会
目
次
刊 行 の 辞第
一
部
本
学
園
生
い
た
ち
の
記
藤
原
繁
第
一
章
興
亜
専
門
学
校
前
史
15
教 室 ・ 寄 宿 移 転 状 況 16 国 士 館 ﹁ 興 亜 科 ﹂ 17 第 一 期 生 入 学 ( 豪 徳 寺 時 代 ) 20 伊 勢 参 宮 徒 歩 隊 21 原 宿 時 代 22 竜 源 寺 時 代 23 新 校 地 ・ 新 校 舎 24 日 輪 舎 25 第 二 期 生 入 学 26興 亜 科 と そ の 環 境 29 中 島 飛 行 機 会 社 と 校 地 移 転 問 題 30 現 校 地 選 定 34 地 鎮 祭 ( 起 工 式 ) 38
第
二
章
興
亜
専
門
学
校
設
立
39
興 亜 専 門 学 校 設 立 趣 意 46 訓 育 重 点 47 入 学 試 験 ・ 入 学 式 52 洪 水 52 校 地 拡 張 54 塾 生 活 55 大 東 亜 戦 争 突 入 61 武 蔵 野 時 代 の 回 想︱ 藤 田 庄 一 郎 62 第 一 期 生 セ レ ベ ス 渡 航 65 第一 回 ボ ル ネ オ 派 遣 学 生 65 海 軍 ﹁ 花 ﹂ 機 関︱ 小 林 賢 三 66 あ あ ! 鎌 倉 丸 70あ あ ! 万 光 丸 72 蒙 古 ( モ ン ゴ ル ) 派 遣 学 生 73 回 教 徒 と し て︱ 栗 城赳 74 学 徒 勤 労 動 員︱ 農 場 に 工 場 に︱ 84 浦 和 農 場 88 悔 恨︱ 山 田 哲 義 89 深 川 学 徒 動 員 の 思 い 出︱ 高 橋 平 太 郎 92 特 別 攻 撃 隊= 海 軍 上 田 隆 保 君 の こ と 96 西 田 博 治 君 の こ と 99 西 島 淳 二 君 の こ と 102 ﹁ 雲 な が る る 果 て に ﹂ 103 特 別 攻 撃 隊 = 陸 軍 江 副 保 郎 君 の こ と 105 興 亜 魂︱ 現 実 生 活 の 自 戒 な く し て 光 輝 あ る 理 想 の 実 現 は あ り え な い 108 終 戦 時 の 想 い 出 111 第 三 章 興 亜 か ら 日 経 へ 117 終 戦 の 道 は 険 し 127
日 本 経 済 専 門 学 校 要 覧 129 武 蔵 野 に 荒 れ る 終 戦 の 激 浪 131 菊 池 前 校 長 召 喚 さ る 135 混 乱 か ら 立 ち 上 る 学 生 達 138 学 生 自 活 援 護 会 138 復 興 奉 仕 会 139 東 京 駅 無 料 宿 泊 所 140 二 代 目 校 長 須 藤 斉 治 先 生 を め ぐ っ て 143 セ レ ベ ス 島 に 校 地 一 万 町 歩 144 日 本 ・ イ ン ド ネ シ ア 合 同 大 学 建 設 の 構 想 148 須 藤 校 長 時 代 149 寄 付 金 十 五 万 円︱ 旱 天 の 慈 雨 150 終 戦 後 の 本 学 152 続 ﹁ 復 興 奉 仕 会 ﹂ 154 イ ン ド ネ シ ア ・ 日 本 語 辞 典 の 発 刊 155 こ ん な こ と が あ っ た (1) 戦 後 の 想 い 出︱ 平 田 四 郎 159 (2) 日 本 経 済 専 門 学 校 の 末 ご ろ︱ 夜 久 正 雄 161 (3) 日 経 短 大 草 創 期 の こ ろ︱ 山 崎 三 郎 165
(4) 苦 し い 時 代︱ 半 沢 耕 貫 168 相 馬 日 記 169 理 事 会 の 議 事 録 か ら 172 第 四 章 猶 興 学 園 か ら 亜 細 亜 学 園 へ 175 国 際 柔 道 学 校 を 開 設 177 理 事 会 で 柔 道 学 校 開 設 承 認 179 寄 付 集 め に 奔 走 す る 182 柔 道 学 校 開 設 で 学 園 に 活 気 185 突 発 し た 留 学 生 問 題 187 留 学 生 受 入 れ を 心 に 決 め る 188 青 大 人 に 相 談 190 留 学 生 招 致 に 関 す る 暫 定 的 協 約 書 192 協 定 事 項 194 校 友 の 反 対 196 香 港 の 焦 慮 198 資 金 難 と 受 入 れ 準 備 の 苦 心 199 終 に 入 国 許 可 下 附 さ る 202
地 獄 で 仏 203 香 港 華 僑 子 弟 留 学 生 本 学 招 致 受 入 れ に 関 す る 件 204 香 港 情 勢 好 転 209 留 学 生 第 一 陣 八 十 八 名 着 く 212 若 き 友 へ︱ 柳 内 滋 216 活 躍 す る 留 学 生 O B 218 再 び 手 を 握 る︱ 山 崎 健 太 郎 221 当 時 の 理 事 会 222 太 田 理 事︱ 学 長 ・ 理 事 長 に 就 任 224 国 際 善 隣 倶 楽 部 か ら 寄 付 金 二 千 万 円 226 募 金 計 画 趣 意 書 232 第 五 章 い よ い よ 亜 細 亜 大 学 設 置 235 亜 細 亜 大 学 商 学 部 認 可 さ る 235 亜 細 亜 大 学 を 志 望 す る 諸 君 に 236 初 の 鉄 筋 本 館 を 建 設 237 三 十 年 来 一 夢 の 中 239 亜 細 亜 大 学 設 置 ( 昇 格 ) 認 可 に つ い て 241
国 際 善 隣 倶 楽 部 の 寄 付 金 に つ い て 247 学 校 債 発 行 249 五 島 育 英 会 と の 提 携 成 る 251 亜 細 亜 大 学 創 立 準 備 の 思 い 出︱ 夜 久 正 雄 254 本 学 初 代 校 長 菊 池 武 夫 先 生 十 三 回 忌 259
第
六
章
発
展
へ
の
着
実
な
歩
み
262
五 島 理 事 長 と 校 門 263 五 島 育 英 会 よ り の 借 入 金 265 ︿ 資 料 ﹀ 亜 細 亜 大 学 設 置 申 請 当 時 の 教 員 陣 容 268 生 原 監 督 の こ と 270 昭 和 三 十 二 年 273 東 経 大 教 授 本 学 へ 277 編 入 学 生 問 題 を め ぐ り 紛 糾 す 279 昭 和 三 十 三 年 282 昭 和 三 十 四 年 285 昭 和 三 十 五 年 286 終 に 病 魔 に 犯 さ れ 入 院 す 288武 蔵 栗 林 万 葉 落 290
第
二
部
藤
原
繁
先
生
を
偲
ん
で
短 歌 ・ 藤 原 先 生 哀 悼 夜 久 正 雄 294 藤 原 繁 先 生 略 伝 295 弔 辞 太 田 耕 造 302 弔 辞 依 田 清 一 303 弔 辞 中 原 稔 305 弔 辞 後 藤 喜 八 郎 308 永 遠 に 忘 れ る こ と の で き な い 人 平 田 四 郎 310 藤 原 先 生 を 億 う 粟 屋 義 純 312 亜 大 道 統 の 創 始 者 小 田 村 寅 二 郎 313 留 学 生 受 入 れ の こ ろ 王 子 愉 315 別 れ 山 田 清 市 317 決 断 の 人 で あ っ た 工 藤 重 忠 319 脳 裏 に 残 る 叱咜 の 声 長 尾 美 延 321藤 原 先 生 を 億 う 柏 原 享 322 悼 み の 歌 神 沢 有 三 324 藤 原 先 生 は 心 の 支 え だ っ た 田 中 六 助 326 学 監 ・ 藤 原 繁 先 生 関 口 甲 子 男 328 君 達 腹 一 パ イ 食 べ ろ 林 勲 329 夢 は 今 も め ぐ り て 飯 島 正 331 追 憶 鰺 坂 芳 文 332 あ の 笑 い 声 が 今 も 耳 に 稲 葉 幹 次 335 魂 の 鍛 練 千 々 和 純 一 336 ﹁ 藤 原 釜 足 で す ﹂ 島 津 和 夫 340 藤 原 先 生 の コ ー ト 山 本 忠 士 342 悲 し み を 乗 り 越 え て 岡 部 篤 厚 345 藤 原 先 生 と ﹁ 本 学 園 生 い た ち の 記 ﹂ 鯉 淵 信 一 347 持 っ て ゆ き 場 の な い 気 持 中 村 義 彦 350 先 生 の 教 え を 永 遠 に 才 川 晋 353 思 い 出 は 尽 き ず 加 藤 伸 吾 355 藤 原 先 生 と の 出 合 い 河 村 譲 357 藤 原 先 生 と 私 蔵 本 重 春 359
故 藤 原 繁 先 生 略 年 譜 361 編 集 後 記
第
一
部
本
学
園
生
い
たちの
記
藤
原
繁
第
一
章
興
亜
専
門
学
校
前
史
今 日 は 五 月 五 日 、 端 午 の 節 句 だ 。 武 蔵 野 特 有 の 雑 木 林 の 新 緑 が 目 に し み る ほ ど 美 し い 。 麦 も 青 々 と す く す く の び て い る 。 一 む ら の 欅 、 櫟 と 杉 に 囲 ま れ た 農 家 に は 、 鯉 幟 が 爽 か な 五 月 の 風 を 朶 ん で の び の び と 青 空 の 中 を 泳 い で い る 。 丁 度 二 十 七 年 前 の 今 日 ( 昭 和 十 四 年 五 月 五 日 ) 所 は 世 田 谷 の 松 陰 神 社 畔 の 丘 上 に お 寺 の よ う な 大 き な ﹁ 国 士 館 ﹂ の 講 堂 が あ る 。 そ こ で 五 十 名 の 青 年 を 前 に 熱 弁 ? を ふ る っ て い る 青 年︱ こ れ が 私 ( 当 時 三 十 歳 ) で あ り 、 そ の 五 十 名 の 青 年 が 第 一 期 入 学 生 、 即 ち 本 学 の 第 一 期 生 の 入 学 式 の 一 齣 で あ る 。 さ て 本 学 同 窓 会 機 関 紙 ﹁ 青 々 会 報 ﹂ か ら 私 に 、 我 校 の 辿 っ て 来 た 道 を " 本 学 園 生 い た ち の 記 " の 題 名 で 書 く よ う に と の 注 文 を う け た 。 十 年 前 に も 青 々 会 報 の 第 一 号 に " 風 雲 録 " の 題 名 で 本 学 園 の 草 創 期 の 実 況 に つ い て 書 い た こ と が あ る が 、 殆 ん ど 皆 様 の 記 憶 に な い こ と と 思 う の で 学 校 の こ れ ま で の 歩 み を 記 す こ と と す る 。 そ の 内 容 か ら 見 て 立 派 な " 学 園︱ 風 雲 録 " が 出 来 上 る と 思 う が 、 い か ん せ ん 私 に は そ の 肝 腎 な 文 才 が な い 。 時 々 誰 か 脚 本 家 が と り あ げ て く れ た ら 、 面 白 い 実 の あ る 劇 作 が 生 れ 、 そ し て 新 国 劇 あ た り で 上 演 し た ら ⋮ ⋮ と さ え 思 う こ と が あ る 。 今 急 に 私 に 出 来 る 芸 当 で も な い か ら 、 あ き ら め て 歴 史 的 な 事 実 を 逐 次 思 い 出 る ま ま に 書 き と ど め て 行 く こ と にす る 。 教 室 ・ 宿 舎 移 転 状 況 第 一 回 昭 和 十 四 年 五 月 五 日 よ り 宿 舎 世 田 谷 豪 徳 寺 青 々 寮 (南 里 家 所 有 ) 。 教 室 同 松 陰 神 社 畔 国 士 館 借 用 。 第 二 回 同 年 九 月 三 十 日 よ り ( 渋 谷 区 竹 下 町 十 五 ) へ 移 る 。 宿 舎 原 宿 東 郷 神 社 畔 愛 国 学 生 連 盟 寮 。 教 室 同 寮 八 ・ 六 畳 間 借 用 ( 在 学 生 十 五 名 ) 。 第 三 回 同 年 十 月 十 三 日 よ り 竜 源 寺 へ ( 近 藤 勇 菩 提 寺 ) 。 宿 舎 現 三 鷹 大 沢 竜 源 寺 畔 ( 指 田 邸 ) 。 教 室 現 調 布 市 上 石 原 明 光 塾 借 用 ( 多 磨 墓 地 東 ) 。 第 四 回 同 十 五 年 三 月 二 十 五 日 よ り 現 在 の 調 布 上 石 原 ( 現 キ リ ス ト 教 大 学 敷 地 内 ) へ 。 宿 舎 現 調 布 市 上 石 原 日 輪 舎 ( 三 〇 坪 ) 教 室 同 地 新 校 舎 ( 一 三 〇 坪 ) 竣 工 。 第 五 回 同 年 十 月 二 十 五 日 よ り 北 多 摩 郡 武 蔵 野 町 の 現 校 地 借 用 ( 高 橋 次 平 氏 所 有 ) 、 昭 和 十 六 年 四 月 八 日 、 興 亜 専 門 学 校 設 置 認 可 、 同 四 月 二 十 八 日 八 紘 塾 一 七 八 坪 、 食 堂 一 四 〇 坪 ( 昭 和 三 十 二 年 取 壊 し ) 、 武 道 場 四
二 ・ 五 坪 竣 工 。 昭 和 十 六 年 五 月 五 日 興 亜 専 門 学 校 開 校 入 学 式 入 学 受 験 者 九 七 〇 名 本 科 生 入 学 許 可 二 六 〇 名 入 学 者 二 〇 七 名 。 国 士 館 ﹁ 興 亜 科 ﹂ 本 学 の 前 身 は い わ ば 興 亜 専 門 学 校 で あ り 、 興 亜 専 門 学 校 の 前 身 は こ の ﹁ 興 亜 科 ﹂ で あ る 。 私 は 国 士 館 の 第 一 期 生 で 卒 業 後 満 六ヵ 年 同 校 の 学 生 指 導 に 当 っ て い た 。 さ て 同 校 に ﹁ 興 亜 科 ﹂ の 設 立 を 計 画 し た 動 機 の 概 要 を 当 時 私 の 書 い た 設 立 趣 意 書 の 内 容 を そ の ま ま 掲 げ れ ば 、 一 、 教 育 は 国 家 興 隆 の 原 動 力 で 、 国 家 の 盛 衰 は 教 育 の 成 否 に か か っ て い る こ と 。 一 、 日 本 は 必 ず 近 い 将 来 未 曾 有 の 大 国 難 に 直 面 し て 興 亡 の 岐 路 に 立 つ 。 こ の 秋 に 備 え る た め 優 秀 青 年 人 材 の 輩 出 を 計 ろ う と し た こ と 。 一 、 教 育 界 の 弊 風 即 ち 生 活 訓 練 を 忘 れ た 、 知 育 偏 重 の 教 育 を 打 破 し 、 身 心 強 靱 な 青 年 の 輩 出 を 願 っ た こ と 。 一 、 昭 和 六 年 十 一 月 、 同 九 年 二 月 渡 満 、 同 十 三 年 渡 支 の 経 験 か ら 、 新 東 亜 建 設 が 非 常 に 困 難 な こ と 。 そ し て 、 こ の 聖 業 の 成 否 は こ れ に 従 事 す る 日 本 青 年 の 人 物 如 何 に よ っ て 決 定 さ れ る こ と 、 従 っ て 真 に ア ジ ア 建 設 に 挺 身 す る 青 年 の 養 成 が 急 務 で あ る こ と 。 一 、 当 時 の 思 想 混 乱 期 殊 に 人 民 戦 線 と 称 さ れ る 所 謂 赤 化 思 想 の 滔 々 た る 流 れ を 、 日 本 精 神 教 育 に よ っ て 防 ぎ 払
拭 し て 、 烈 々 た る 憂 国 青 年 を 輩 出 さ せ た か っ た こ と 。 一 、 そ の 為 に は 微 力 な が ら 自 分 の 教 育 に 関 し て の 僅 か な 経 験 を 生 か し て 、 同 憂 の 士 と と も に 教 育 界 革 正 の 一 実 体 を 明 示 し た か っ た こ と 。 等 々 で あ る 。 国 士 館 と 別 箇 の 独 立 し た 新 し い 学 園 を 建 設 し た い と 願 っ た が 、 種 々 な 事 情 が あ っ て 、 責 任 上 、 国 士 館 を 離 れ る こ と が 出 来 な か っ た こ と や 、 新 学 園 の 創 設 に は 相 当 の 資 金 と 時 日 と を 必 要 と す る こ と 、 更 に 当 時 の 文 部 省 で は 新 し く 大 学 、 専 門 学 校 殊 に 文 科 系 の 学 校 を 創 立 す る こ と は 許 さ れ な か っ た こ と 等 の 理 由 で 、 一 時 国 士 館 に ﹁ 興 亜 科 ﹂ と し て 併 設 せ ざ る を 得 な か っ た 。 当 時 の 国 士 館 に は 特 殊 な 学 内 事 情 が あ っ て 裁 判 所 指 定 の 代 行 理 事 に よ っ て 監 督 経 営 さ れ て い て 、 尾 高 代 行 理 事 が 校 長 事 務 取 扱 を し て い た 。 従 っ て 、 先 ず 末 永 、 尾 高 両 理 事 に ﹁ 興 亜 科 ﹂ 設 立 の 趣 旨 及 び 私 の 決 意 を 述 べ て 了 解 を 得 た が 、 第 一 の 問 題 は そ の 経 営 費 で あ る 。 当 時 の 国 士 館 は そ れ 自 体 経 営 費 に 全 然 ゆ と り が な い の で 、 同 科 併 設 に 伴 う 経 費 の 支 出 は 不 可 能 な 実 状 で あ っ た 。 や む を 得 ず 経 費 は 一 切 国 士 館 に は 御 迷 惑 を お か け い た さ ぬ と 申 し 出 た 。 こ れ が 同 科 の 必 要 経 費 の 御 援 助 と 深 い 精 神 的 な 御 指 導 を 恩 師 岩 田 愛 之 助 先 生 ( 昭 和 二 十 五 年 三 月 十 五 日 逝 去 ) に 直 接 仰 ぐ こ と と な り 、 物 心 両 面 の 甚 大 な 御 迷 惑 を お か け す る こ と と な っ た 。 即 ち 岩 田 先 生 は 本 学 ﹁ 生 み の 親 、 育 て の 親 ﹂ で あ っ た 。 直 ち に 理 事 会 が 開 か れ 末 永 一 三 、 立 花 定 、 細 川 潤 一 郎 、 尾 高 末 治 の 全 理 事 出 席 し て 、 興 亜 科 設 置 の 件 は 満 場 一 致 承 認 さ れ た 。 直 ち に 設 置 認 可 申 請 書 を 作 成 し て 文 部 省 に 提 出 し た 。 文 部 省 で は 国 士 館 の 現 状 か ら み て 頗 る 難 点
が 多 か っ た が 終 に 認 可 さ れ た 。 昭 和 十 四 年 二 月 の こ と で あ る 。 興 亜 科 の 科 長 に は 前 国 士 館 専 門 学 校 長 の 法 学 博 士 、 副 島 義 一 先 生 ( 昭 和 二 十 二 年 一 月 二 十 七 日 逝 去 ) に 御 就 任 を 願 っ た 。 副 島 博 士 は 人 格 高 潔 、 著 名 な 大 学 者 で あ り 、 又 熱 列 な 愛 国 の 志 士 で あ っ た 。 嘗 て 早 稲 田 大 学 教 授 時 代 蒋 介 石 総 統 の 要 請 に よ っ て 、 そ の 顧 問 と な り 所 謂 支 那 大 陸 で 活 躍 さ れ た こ と も あ っ た 。 さ て 興 亜 科 の 教 授 陣 容 ・ 学 科 ・ 授 業 時 間 の 原 案 に つ い て は 大 陸 研 究 会 に 御 協 力 を 願 っ た 。 大 陸 研 究 会 と は 岩 田 先 生 を 中 心 に 五 来 博 士 、 時 子 山 ( 早 大 ) 赤 神 ・ 森 吉 ( 明 大 ) 等 錚 々 た る 諸 学 者 連 の 集 会 で あ っ た 。 私 も そ の 世 話 人 の 一 人 で あ っ た 。 更 に 森 先 生 の 応 援 を 得 て 準 備 も 大 体 整 っ て き た 。 青 木 晋 先 生 に は 内 々 の こ と を 御 相 談 願 っ た 。 又 中 原 稔 先 生 ( 現 日 本 短 大 協 会 事 務 局 長 ) に は 特 に 教 務 関 係 に つ い て 御 尽 力 を 頂 い た 。 文 部 省 関 係 は 特 に 当 時 の 専 門 学 務 局 の 久 住 先 生 ( 元 私 学 会 館 ・ 福 祉 研 修 会 事 務 局 長 ) に 多 大 の 御 指 導 と 御 援 助 を 受 け た 。 教 授 陣 容 は 左 の 通 り で あ る 。 ( 順 不 同 ) 科 長 ・ 法 博 副 島 義 一 、 主 事 藤 原 繁 、 修 身 副 島 義 一 、 日 本 国 家 学 ・ 憲 法 森 吉 義 旭 、 東 亜 建 設 原 理 山 県 初 男 、 東 亜 経 済 地 理 森 凱 雄 、 東 洋 思 想 史 副 島 義 一 、 満 蒙 支 民 情 宗 教 山 県 初 男 、 経 済 学 時 子 山 常 三 郎 、 簿 記 金 田 実 、 商 業 数 学 相 馬 堅 次 、 珠 算 山 崎 与 右 衛 門 、 商 業 通 論 森 凱 雄 、 英 語 柴 田 玉 宗 、 支 那 語 山 県 初 男 、 支 那 時 文 青 木 晋 、 同 高 森 強 太 郎 、 同 楊 偉 昌 、 剣 道 斉 村 五 郎 ( 範 士 ) 、 柔 道 飯 塚 国 三 郎 ( 九 段 ) 、 軍 事 教 練 入 江 義 郎 ( 大 佐 ) 、 同 村 松 杲 ( 中 尉 ) 、 生 徒 主 事 堀 井 哲 英 。 生 徒 主 事 堀 井 君 は 後 日 渡 支 、 病 魔 に 冒 さ れ て 昭 和 十 七 年 、 春 秋 に 富 む 有 為 の 身 を も っ て 、 故 山 熊 本 で 永 眠 さ れ た 。 本 当 に 惜 し い 快 男 児 で あ っ た 。 駒 大 出 身 、 学 生 時 代 愛 国 学 生 連 盟 の 名 委 員 長 で あ り 、 当 時 若 冠 二 十 三 歳 、 常 に 良 き 学 生 の 指 導 者 で あ り 同 志 で あ っ た 。
第 一 期 生 入 学 ( 豪 徳 寺 時 代 ) 陣 容 決 定 と と も に 直 ち に 学 生 募 集 に と り か か っ た 。 四 月 三 日 か ら 入 学 試 験 、 受 験 者 数 七 十 四 名 。 試 験 場 は 国 士 館 の 一 教 室 を 借 用 す 。 そ の 入 学 試 験 は 所 謂 入 学 試 験 と い う よ り は 、 現 下 の 国 情 を 憂 え 、 熱 心 に 我 等 の 理 想 と 決 意 を 説 い て 同 行 の 志 を 求 め る と で も い う よ う な 同 志 を 一 人 で も ﹁ 逃 す ま い ﹂ と す る 入 学 勧 誘 の 観 が あ っ た 。 昭 和 十 四 年 五 月 五 日 開 校 入 学 式 を 行 な う 。 参 列 新 入 学 生 五 十 三 名 。 所 は 国 士 館 の 講 堂 で あ る 。 早 速 寄 宿 舎 ( 全 寮 制 度 ) に 世 田ヶ 谷 豪 徳 寺 ( 井 伊 大 老 菩 提 寺 ) 畔 の 南 里 邸 付 属 の 一 家 屋 を 選 ぶ 。 こ の 学 寮 を ﹁ 青 々 寮 ﹂ と 名 付 け た 。 ﹁ 青 々 ﹂ と は ﹁ 雪 中 の 松 柏 愈 々 青 々 ﹂ ( 謝 枋 得 ) と ﹁ 山 是 青 々 花 是 紅 ﹂ ( 西 郷 南 洲 ) よ り と っ た 。 こ れ が 本 学 々 寮 の 元 祖 で あ り 、 青 々 会 の 名 の 出 た 所 以 で あ る 。 こ の 家 主 は ア ジ ア 先 覚 志 士 宮 崎 滔 天 先 生 の 息 女 で あ る 。 六 畳 間 十 室 で あ る 。 邸 内 に 剣 道 々 場 が あ り こ れ が 講 堂 兼 修 練 道 場 で あ っ た 。 校 舎 は 松 陰 神 社 畔 の 国 士 館 の 一 教 室 を 充 て た 。 毎 朝 五 時 起 床 、 直 に 七 町 程 離 れ た 国 士 館 武 道 々 場 に 行 き 、 武 道 専 門 ( 学 生 三 百 余 名 、 全 員 有 段 者 ) の 中 に 入 っ て 猛 烈 な 朝〓 古 を 受 け た 。 朝 八 時 半 か ら 午 後 三 時 半 ま で 学 科 、 夜 は 七 時 点 呼 、 毎 日 三 十 分 位 注 意 事 項 を 話 し 、 九 時 半 消 灯 ま で 学 習 。 禁 酒 、 禁 煙 、 坊 主 刈 。 私 も 同 邸 内 に 寄 寓 す 。 環 境 頗 る 佳 く 暁 の 松 陰 神 社 に 参 詣 ﹁ 誓 っ て ア ジ ア の 礎 と な ら ん ﹂ と 誓 願 を こ め 又 武 蔵 野 に 屹 然 と し て 夕 焼 に 映 え る 富 嶽 の 秀 峰 を 仰 ぎ 、 豪 徳 寺 の 晩 鐘 に 気 を 澄 ま す 。 さ て ﹁ 興 亜 科 ﹂ は 三 年 制 、 一 方 ﹁ 武 道 国 漢 科 ﹂ は 四 年 制 、 武 道 国 漢 科 の 上 級 生 に 興 亜 科 学 生 は 時 々 、 当 時 国 士
館 名 物 ? の 鉄 拳 制 裁 を 加 え ら れ る 。 次 第 に 学 生 は 興 亜 科 に 愛 想 を つ か し 、 或 は 猛 烈 な 訓 練 に へ こ た れ て 一 人 去 り 二 人 逃 げ 出 し て 行 っ た 。 勿 論 そ の 責 任 感 に 苦 し ん だ が ひ た す ら 建 学 の 理 想 を 説 い て 奮 起 を 促 す の に 精 魂 を 傾 け た 。 そ し て 学 生 に は 一 人 で も 二 人 で も 良 い 。 永 久 に 続 く 後 輩 に 対 し て 、 数 は 少 く と も ﹁ 兄 貴 は 矢 張 り 偉 い ﹂ と 言 わ れ る 程 の 人 物 に な れ ば そ れ で 良 い ん だ と 話 し た 。 終 に 六 月 末 に は 三 十 三 名 に 減 っ た 。 伊 勢 参 宮 徒 歩 隊 第 一 学 期 も 終 り に 近 付 き 錬 成 第 一 期 の 決 算 を 行 う こ と に な る 。 七 月 七 日 支 那 事 変 の 一 周 年 記 念 日 を 卜 し て 、 第 一 線 将 兵 の 辛 苦 を 偲 び そ の 武 運 長 久 を 伊 勢 神 宮 に 祈 願 し 、 又 途 中 戦 死 者 の 遺 族 を 慰 め る 為 、 東 京 松 陰 神 社 を 出 発 、 伊 勢 神 宮 ま で 徒 歩 参 拝 す る こ と に 学 生 の 衆 議 が 一 決 し た 。 同 行 二 十 三 名 。 先 づ 靖 国 神 社 に 参 拝 し て 一 路 東 海 道 を 下 る 。 七 月 二 十 五 日 全 員 元 気 で 伊 勢 神 宮 に 到 着 し て 神 前 に ぬ か ず く 。 途 中 炎 天 下 百 数 十 里 し か も 全 然 降 雨 な く 、 寺 に 泊 り 、 小 学 校 に 寝 て 、 蚊 軍 の 強 襲 に 、 足 の 肉 刺 に 、 灼 け つ く 舗 装 道 路 に 悩 ま さ れ 一 日 の 休 息 も せ ず 整 然 と 行 っ た あ の 長 距 離 行 軍 は 決 し て 生 や さ し い も の で は な か っ た 。 次 第 に 増 す 疲 労 足 痛︱ 靴 を 、 下 駄 を 、 地 下 足 袋 を 草 履 を と 次 々 に と り か え て み る が 。︱ 食 糧 統 制 時 代 二 貫 匁 の 全 食 料 を 負 い 、 学 生 服 は 当 時カ ー キ 色 ス フ 、 溢 れ 出 る 汗 で ボ ロ ボ ロ 。 私 も 堀 井 君 も 同 行 。 私 は 昼 間 は 最 後 列 に お っ て 日 射 病 に 気 を く ば り 、 夜 は 先 頭 に 立 っ て 速 度 を 進 め 、 十 八 日 間 軍 歌 に 明 け 暮 れ た 。 と も す れ ば 弱 気 の 出 て 来 る 全 員 を 士 気 鼓 舞 の 為 些 細 の こ と で 隊 長 小 松 君 に 鉄 拳 制 裁 を 加 え た こ と も あ っ た 。 小 松 君 も そ の 後 豊 橋 予 備 士 官 学 校
在 学 中 の た よ り に ﹁ 炎 天 下 の 演 習 に は 矢 張 伊 勢 行 軍 を 想 い 出 し て 頑 張 っ て い ま す ﹂ と 書 い て き た 。 そ の 一 期 生 快 男 子 小 松 君 ( ﹁ 鬼 小 松 ﹂ と 下 級 生 か ら 畏 敬 さ れ た ) も 南 方 洋 上 で 戦 死 し た 。 読 売 新 聞 社 は 行 く 先 々 オ ー ト バ イ で 連 絡 し 、 連 日 私 達 の 状 況 を 紙 上 に 掲 載 し 、 非 常 な 反 響 を 呼 ん だ 。 暑 中 休 暇 後 、 寄 宿 舎 も 国 士 館 校 舎 内 に 移 転 し た 。 こ の 当 時 種 々 複 雑 な 事 情 に よ っ て 国 士 館 に 興 亜 科 の 分 離 独 立 問 題 お き る 。 私 は 直 ち に 理 事 会 の 承 認 を 得 て 近 い 将 来 国 士 館 よ り 分 離 、 独 立 す る こ と を 約 束 し た 。 遂 に 昭 和 十 四 年 九 月 三 十 日 一 台 の ト ラ ッ ク に 全 学 生 の 荷 物 を 満 載 し て 国 士 館 に 別 れ を つ げ た 。 今 で も ト ラ ッ ク の 上 に 毅 然 と し て 采 配 を ふ る っ て い た 一 期 生 の 姿 が 目 に 浮 ぶ 。 原 宿 時 代 そ し て 仮 の 宿 を 当 時 空 い て い た 原 宿 駅 傍 ( 渋 谷 区 竹 下 町 十 五 ) の 愛 国 学 生 聯 盟 寮 ( 十 四 室 ) に 選 ぶ 。 一 行 僅 か 十 五 名 。 さ れ ど 学 生 は 独 立 の 意 気 に 燃 え 頗 る 軒 〓 、 更 に 四 名 ( 宮 地 君 の 家 に 分 散 し た ) 加 わ る 。 八 畳 、 六 畳 二 間 を 通 し た 十 四 畳 が 当 時 の 教 室 で あ り 、 こ こ で 先 生 方 の 講 義 が 行 わ れ た 。 併 し 教 練 だ け は 直 ぐ 隣 の 代 々 木 練 兵 場 ( 元 ワ シ ン ト ン ・ ハ イ ツ ) で 広 い も の だ っ た 。 東 は 東 郷 神 社 、 西 は 明 治 神 宮 に 隣 接 し た 聖 域 で あ る 。 毎 朝 五 時 起 床 、 引 続 い て 炊 事 当 番 を 除 い て 全 員 暁 の 明 治 神 宮 に 参 拝 、 幽 邃 な 神 域 は 身 心 を 浄 化 し て す が す が し い 気 持 に な る 。 明 治 天 皇 御 製 あ さ み ど り 澄 み わ た り た る 大 空 の ひ ろ き を お の が 心 と も が な
さ し の ぼ る 朝 日 の ご と く さ わ や か に も た ま ほ し き は 心 な り け り を 社 前 に 斉 唱 す 。 帰 寮 後 直 ち に 附 近 一 帯 の 道 路 を 清 掃 す る 。 当 時 附 近 の 奥 さ ん 、 女 中 さ ん 達 に ほ め ら れ 又 愛 さ れ た も の だ 。 ( こ の 寮 は 戦 災 に か か っ た 。 ) 竜 源 寺 時 代 文 部 省 に 対 す る 手 前 か ら も 、 又 学 校 の 体 面 上 い つ ま で も こ こ に 安 住 す る わ け に は い か な い 。 予 め 想 定 し て あ っ た 調 布 町 上 石 原 ( 多 磨 墓 地 東 方︱ 元 駐 留 軍 科 学 農 場 北 方 ) の 明 光 塾 の 一 部 借 入 を 所 有 者 の 松 尾 忠 二 郎 先 生 ( 元 播 磨 造 船 社 長 後 に 本 学 設 立 者 理 事 ︱ 昭 和 二 十 八 年 十 一 月 逝 去 ) に お 願 い し て 教 室 と し て お 借 り す る こ と に な っ た 。 ( こ の 明 光 塾 は 後 に 松 尾 先 生 か ら 頂 戴 し て 現 校 地 に 移 築 、 そ の 後 留 学 生 部 事 務 所 、 教 授 研 究 室 と な っ た 。 又 、 明 光 塾 道 場 は そ の 後 図 書 館 と な っ た 。 ) 当 時 明 光 塾 は 小 学 校 卒 業 の 少 年 達 を 収 容 し て 、 晴 耕 雨 読 、 厳 格 な 塾 教 育 に よ る 少 年 錬 成 道 場 で あ っ た 。 一 方 、 宿 舎 は 近 藤 勇 ( 幕 末 新 撰 組 隊 長 ) の 菩 提 寺 で あ る 竜 源 寺 の 本 堂 を 借 り 受 け る こ と と し て 、 十 月 十 三 日 再 び ト ラ ッ ク に 全 員 の 荷 物 を 積 み 原 宿 に 別 れ を つ げ 多 摩 に 移 っ た 。 直 ち に 分 担 が 決 め ら れ 炊 事 道 具 補 充 班 、 食 糧 補 給 班 、 整 備 班 、 炊 事 班 等 に 別 れ 、 そ れ ぞ れ 分 担 事 項 の 処 理 に か か る 。 当 時 の 買 物 は 調 布 或 は 武 蔵 境 迄 往 復 し な け れ ば な ら な い 。 絵 の よ う な 武 蔵 野 の 夕靄 の 中 か ら 買 出 部 隊 の 帰 り︱ 遠 く 近 く 放 歌 朗 吟 が 聞 え て 来 る 。 炊 事 班 は 食 料 を 受 取 り 直 ち に 炊 事 の 用 意 に と り か か る 。 さ て 食 事 の 用 意 は 出 来 た が 食 卓 が な い 。 大 銀 杏 の 下 で 狭 い 本 堂 の 薄
明 る い 電 灯 を た よ り に 野 天 夜 食 で あ る 。 頭 上 に は 星 が 秋 の 清 澄 な 空 に 輝 い て い る 。 直 ぐ 近 所 に 宮 川 と 言 う 近 藤 勇 の 生 家 が あ る 。 彼 の 青 年 時 代 を 偲 ぶ よ す が と も な る 。 一 同 就 床 、 枕 辺 に す だ く 虫 の 音 に 、 一 騎 当 千 と 自 負 す る 若 人 の 胸 も さ ぞ 郷 愁 に か ら れ た こ と だ ろ う 。 今 も な お 亭 々 た る 大 銀 杏 は 深 い 思 い 出 の 一 つ だ 。 翌 日 幸 に 前 の 農 家 指 田 さ ん の 離 れ ( 養 蚕 小 屋 併 用 ) が 空 い て い る こ と を 聞 き 早 速 金 二 十 円 也 で 拝 借 移 転 す 。 十 畳 八 畳 二 間 、 漸 く 落 ち つ く 。 更 に 前 の 家 の 一 部 も 借 り 二 班 に 分 れ た 総 員 十 九 名 。 十 六 日 よ り 明 光 塾 で 授 業 を 開 始 す 。 先 生 方 も 遠 路 恐 縮 に 堪 え な い 。 武 蔵 境 よ り 是 政 線 乗 換 、 多 磨 墓 地 前 下 車 徒 歩 十 分 で あ る 。 新 校 地 ・ 新 校 舎 明 光 塾 北 方 ( 新 小 金 井 駅 と 多 磨 墓 地 駅 前 と の 中 間 東 方 ) 雑 木 林 の 中 に 松 尾 忠 二 郎 先 生 の 広 大 な 所 有 地 が あ っ た 。 岩 田 、 松 尾 両 先 生 に 随 行 、 新 校 地 ︱ 新 校 舎 建 築 敷 地 の 候 補 地 を 次 々 に 物 色 し 、 遂 に 松 尾 先 生 の 御 懇 情 に よ っ て 多 磨 墓 地 東 方 山 林 中 の プ ラ タ ナ ス 植 林 地 千 坪 を 決 定 す 。 早 速 学 生 諸 君 に よ っ て 開 墾 に 着 手 す 。 岩 田 先 生 の 新 宅 が 直 ぐ 傍 に あ る 。 先 生 も 朝 暗 い う ち か ら 来 ら れ て 先 頭 に 立 た れ 、 学 生 を 無 言 の う ち に 指 導 激 励 さ れ た 。 新 校 地 の 開 墾 は 非 常 な 希 望 を も っ て 毎 朝 四 時 か ら 着 々 と 進 め ら れ て 行 っ た 。 十 月 二 十 一 日 平 沼 騏 一 郎 閣 下 来 校 御 講 演 を 拝 聴 す 。 新 校 地 に 行 く 雑 木 林 の 小 径 に 岩 田 先 生 、 平 沼 閣 下 、 菊 池 閣 下 の 順 に 並 ん で 簡 素 な 別 宅 が あ っ た ( 現 在 国 際 キ リ ス ト 教 大 学 関 係 宿 舎 ) 。 や が て 新 校 地 の 開 墾 整 地 も 終 了 し 、 昭 和 十 四 年 十 二 月 八 日 地 鎮 祭 が 大 国 魂 神 社 の 神 官 に よ っ て と り 行 わ れ た 。
副 島 、 岩 田 、 末 永 、 太 田 ( 現 学 長 ) 諸 先 生 は じ め 教 職 員 、 国 士 館 関 係 者 等 多 数 参 列 さ れ た 。 末 永 一 三 先 生 の 手 に よ っ て ﹁ 鍬 入 れ ﹂ を 行 い 、 直 ち に 成 田 頭 梁 、 大 工 連 を 指 揮 し 校 舎 建 築 に 着 工 す 。 ( こ の 校 舎 は 昭 和 十 六 年 、 現 校 地 に 移 築 さ れ 第 三 教 室 と な っ た 。 ) 日 輪 舎 内ヶ 原 よ り 古 賀 弘 人 先 生 来 校 。 学 生 宿 舎 に は ﹁ 日 輪 舎 ﹂ を 建 て る こ と に 学 生 の 衆 議 一 決 す 。 岩 田 先 生 、 島 崎 氏 、 小 生 と 学 生 全 員 内ヶ 原 満 蒙 開 拓 青 少 年 訓 練 所 を 見 学 、 日 輪 舎 を 調 査 研 究 す 。 帰 校 後 直 ち に 学 生 自 身 夫 々 設 計 す 。 ( 三 〇 坪 、 岡 崎 君 の 設 計 図 最 も 緻 密 な り ) 一 月 三 十 一 日 よ り 材 料 蒐 集 に と り か か る 。 二 月 十 五 日 、 日 輪 舎 建 築 担 当 学 生 八 名 を 残 し 、 他 は 新 入 学 生 ( 二 期 生 ) 募 集 の 為 夫 々 帰 郷 す 。 一 方 新 校 舎 も 着 々 進 捗 す 。 八 名 ( 小 松 、 遠 藤 、 梅 野 、 江 藤 、 川 本 、 湯 川 、 近 藤 、 岡 崎 ) は 馴 れ な い 俄 大 工 に 手 を 傷 だ ら け に し な が ら 、 早 朝 よ り 夕 刻 ま で 孜 々 と し て 希 望 を 胸 に 抱 き し め な が ら 基 礎 工 事 、 鉋 削 り 、 組 立 は 勿 論 の こ と 敷 居 作 り 、 天 井 張 り 等 々 一 切 本 職 の 手 を 借 り ず に 鳩 首 協 議 を 重 ね つ つ 、 自 ら の 手 で 一 歩 一 歩 築 い て い く そ の 奮 闘 ぶ り は 涙 な く て は 見 る こ と が 出 来 な か っ た 。 こ れ は 実 に 尊 い 本 学 の 精 神 的 基 礎 工 事 で あ り 、 本 学 発 祥 の 塾 舎 で あ り 、 互 助 自 立 の 記 念 塔 で あ っ た 。 岩 田 先 生 は 毎 日 来 ら れ て 激 励 さ れ 奥 さ ん は ﹁ お や つ ﹂ を 作 っ て 運 ば れ 慰 労 し て 下 さ っ た 。 遂 に 三 月 二 十 五 日 竣 工 す 。 新 校 舎 ( 一 三 〇 坪 ) も 同 時 に 落 成 し た 。 新 校 地 わ き に 長 谷 川 信 太 氏 の 所 有 地 四 二 九 坪 あ り 。 岩 田 先 生 に お 願 い し て 買 っ て い た だ き 校 地 に 加 え た 。 な お 付 近 の 一 町 歩 程 を 岩 田 先 生 よ り 拝 借 し 、 学 校 農 場 と し て 学 生 自 ら 耕
作 す 。 初 収 穫 物 は 講 義 に 来 ら れ た 先 生 方 に 献 上 し 、 又 毎 日 炊 事 当 番 に よ っ て 調 理 さ れ 、 学 生 の 食 卓 を に ぎ や か に し 、 栄 養 の 補 給 源 と な っ た 。 学 習 の 余 暇 は 交 替 で 文 字 通 り 耕 し て 食 う 農 生 活 で あ っ た 。 菊 池 閣 下 も 時 々 来 ら れ た 。 そ の 頃 の 思 い 出 の 一 つ ⋮ ⋮ 学 生 が 少 し 風 の あ る 日 、 庭 で 焚 火 し て 、 す る め を 焼 い て 食 べ な が ら 雑 談 を し て い た 。 そ の 焚 火 が 知 ら な い 間 に 飛 火 し て 、 気 の つ い た 時 は燎 原 の 火 の よ う に 拡 が っ て い た 。 四 辺 は 一 面 の 枯 野 で あ る 。 周 章 て て 、 渾 身 の 力 を ふ る っ て 消 火 に つ と め た が 及 ば な い 。 遂 に 大 分 離 れ た 道 路 ま で 燃 え ひ ろ が っ て や っ と 消 し と め た 。 そ の 途 端 全 員 疲 労 困 憊 の 極 、 真 黒 な 顔 に 目 だ け パ チ パ チ 動 け な く な っ て 焼 跡 に の び て し ま っ た 。 し か し 、 幸 い に も 生 命 よ り 大 切 な 新 校 舎 は 無 事 で あ っ た 。 そ こ へ 菊 池 閣 下 と 岩 田 先 生 が 来 ら れ た の で 、 こ い つ は ひ ど く 叱 か ら れ る と 観 念 し て し ま っ た 。 菊 池 閣 下 曰 く ﹁ い い こ と を し た の う ﹂ ⋮ ⋮ 予 想 に 反 し て ニ コ ニ コ し て 居 ら れ る 。 真 黒 な 、 失 火 犯 人 の 学 生 達 も ヤ レ ヤ レ と 言 っ た 顔 で あ る 。 い つ か 湯 川 君 ( 死 亡 ) が そ の 時 の こ と を 述 懐 し て い た 。 菊 池 閣 下 の ﹁ い い こ と を し た ﹂ と は 大 事 に な ら ず に 良 か っ た 。 あ あ い う こ と の あ っ た 後 は 緊 張 す る も の だ よ 。 良 い 経 験 だ と の 意 味 で あ っ た 。 さ て 続 い て 簡 単 な 食 堂 の 建 築 に も か か っ た 。 西 山 さ ん の 住 ま れ る 家 も す ぐ わ き に 岩 田 先 生 の 書 生 さ ん 達 が 手 伝 っ て 始 め ら れ た 。 第 二 期 生 入 学 応 募 者 六 十 余 名 。 入 学 試 験 を 三 ヵ 所 ( 三 月 二 十 四 日 福 岡 武 徳 殿 、 同 二 十 六 日 京 都 三 高 、 同 二 十 九 日 東 京 国 士 館 ) で 行 う 。 第 一 期 生 は 九 州 組 は 福 岡 、 近 畿 組 は 京 都 に 来 て 手 伝 う 。 そ れ ぞ れ 受 験 生 に 自 分 達 の 抱 負 と 生 活 の 意 義 を
熱 心 に 説 明 し 、 或 者 は 伊 勢 徒 歩 参 宮 の 写 真 を 、 或 者 は 日 輪 舎 を ⋮ ⋮ そ し て 同 志 学 生 を 求 め 入 学 を 熱 心 に 勧 誘 す る 母 校 愛 の 状 景 は 他 に 見 ら れ な い 珍 入 学 試 験 風 景 で あ っ た 。 昭 和 十 五 年 四 月 十 一 日 新 舎 校 で 第 二 期 生 の 入 学 式 を 行 う 。 入 学 生 四 十 三 名 。 二 年 生 は 自 製 の 日 輪 舎 を 宿 舎 と し 、 一 年 生 は 新 校 舎 ( 現 第 六 教 室 ) を 宿 舎 と し た 。 当 時 人 里 離 れ た 林 の 中 の 一 軒 家 だ か ら 電 灯 が 引 け な い 。 電 灯 会 社 も 相 手 に し な い 。 し か た が な い ラ ン プ 生 活 よ り 他 に 方 法 が な い 。 漸 く 日 本 橋 の ガ ラ ス 物 問 屋 を さ が し あ て ラ ン プ 三 ダ ー ス を 購 入 し た 。 店 の 主 人 の ﹁ 南 洋 へ で も 持 っ て 行 く の で す か ? ﹂ に は 少 々 返 答 に 困 っ た 。 早 速 ラ ン プ 掃 除 当 番 、 石 油 当 番 が 設 け ら れ た 。 四 十 数 畳 の 室 の 中 央 に ズ ラ リ 並 ん だ ラ ン プ の 光 、 蓋 し こ れ ま た 珍 風 景 で あ る 。 な に し ろ 危 険 な の で 気 を 使 う こ と夥 し 。 岩 田 先 生 に 折 角 建 て て い た だ い た こ の 大 事 な 大 事 な 校 舎 を 、 火 事 で も 出 し た ら 切 腹 し て も 間 に 合 わ ぬ 。 そ の う ち に 中 原 先 生 が 渋 谷 の 夜 店 か ら 直 径 一 寸 五 分 位 の 看 板 ロ ー ソ ク を 発 見 し て こ れ を ゆ ず り 受 け る こ と に 成 功 し て か ら 大 ロ ー ソ ク と ラ ン プ を 併 用 す る こ と に し た 。 何 は と も あ れ 昔 の 人 の 様 に 太 陽 と と も に 起 き と も に 寝 る こ と が 、 火 災 予 防 に も 学 習 に も 健 康 に と っ て も 最 良 の 方 法 だ と あ き ら め た 。 日 の 長 い 時 は 起 床 四 時 、 就 床 八 時 、 窓 辺 に 入 る皎 々 た る 月 光 、 松 籟 に 和 し て 妙 味 一 入 で あ る 。 寝 な が ら そ の 窓 辺 に 感 ず る 四 季 の 遷 り は 興 味 深 い も の で あ る 。 時 々 、 日 下 部 君 の 林 中 で 吹 奏 す る 尺 八 の 音 も 忘 れ ら れ な い 思 い 出 の 一 つ で あ る 。 中 原 先 生 ( 現 日 本 短 大 協 会 事 務 局 長 ) の 立 志 第 一 号 の ﹁ 興 亜 専 門 学 校 創 立 以 前 ﹂ の 名 文 を 拝 借 す れ ば ⋮ ⋮ ﹁ 又 人 里 離 れ た 此 の 地 は 四 季 の 移 り 変 り が 良 く 感 じ ら れ た 。 春 は 全 校 舎 一 面 の 新 緑 に 囲 ま れ 、 蕨 が 数 限 り な く 新 芽 を
出 す 。 夏 は 〓 時 雨 と 、 草 い き れ の 中 に も 松 の 梢 に 吹 き 渡 る 風 に 涼 し さ を 覚 え た 。 秋 は 満 目 黄 葉 、 栗 拾 い 、 山 芋 掘 り に 、 竹 や 鍬 を 担 い だ 学 生 が ち ょ い ち ょ い 見 ら れ た 。 獲 物 は 御 出 講 の 先 生 に 差 し 上 げ る 事 を 常 と し て い た 。 冬 は 全 部 で よ く 炭 焼 を や っ た 。 木 炭 製 造 法 も 一 ・ 二 期 生 は 大 略 知 っ て い る 事 と 思 う 。 ⋮ ⋮ 学 校 の 糞 尿 は 全 部 自 分 達 で 始 末 を せ ね ば な ら ぬ も の だ か ら い つ も 交 代 で 肥 料 槽 を 担 い で い た 。 ⋮ ⋮ 炊 事 は 無 論 生 徒 の 手 で 全 部 や っ た 。 豆 腐 屋 へ 半 里 、 肉 屋 へ 一 里 の 山 中 生 活 、 不 便 な こ と夥 し い ⋮ ⋮ ﹂ と 。 学 校 は 武 蔵 境 か ら ガ ソ リ ン カ ー で 多 磨 墓 地 下 車 、 林 と 畠 の 中 の 細 い 一 本 道 を 約 十 五 分 歩 か ね ば な ら な か っ た 。 天 気 の 日 は 非 常 に 気 持 が 良 い が 、 雨 の 日 、 又 は 冬 の 霜 解 け は 泥濘 で 大 難 渋 、 講 義 の 為 御 来 校 の 先 生 方 に は 誠 に お 気 の 毒 で あ っ た 。 副 島 老 博 士 を は じ め と し て 赤 神 、 時 子 山 、 相 馬 、 青 木 ( 普 ) 、 森 、 山 崎 (与 ) 、 森 吉 、 金 田 、 増 山 、 呉 沈 、 李 、 配 属 将 校 奥 貫 中 佐 、 村 松 中 尉 の 諸 先 生 で あ っ た 。 や が て 食 堂 の 仮 屋 も 、 西 山 先 生 の 家 も 出 来 あ が っ た 。 二 期 生 玉 城 君 ( 物 理 学 校 学 生 ) が 早 朝 来 校 、 こ の 学 生 生 活 の 状 況 を 見 て 感 激 し 入 学 を 志 願 し た 。 夕 方 点 呼 時 間 に な る と 周 囲 の 林 の 中 か ら 三 々 伍 々 帰 っ て 来 る 。 当 時 の 数 え 歌 ( 一 期 生 湯 川 君 作 ) ﹁ 一 つ と せ 、 人 も よ く し る 武 蔵 野 の 、 三 鷹 ヶ 原 に ゃ 虎 が 住 む ⋮ ⋮ 、 五 つ と せ 、 い ら ぬ じ ゃ な い か 名 も 金 も 西 郷 ど ん は 縄 の 帯 ﹂ で あ る 。 当 時 の 学 生 の 意 気 は 誠 に 悲 壮 な も の が あ っ た 。 ハ イ キ ン グ に 来 る 青 白 い ハ イ カ ラ 連 中 か ら 山 男 と 間 違 え ら れ た こ と も あ っ た そ う で あ る 。 し か し 志 を 立 て よ く 勉 強 し よ く 身 体 を 鍛 え 、 無 駄 な 時 間 は 殆 ん ど な い 様 な 苦 し い 生 活 で あ っ た 。 前 に も 書 い た が 武 蔵 野 の 自 然 は 、 夫 々 の 野 趣 を 持 ち 言 い 知 れ な い 美 し さ は こ の 学 生 達 に 深 い 慰 め を 与 え て く れ た こ と だ ろ う 。 此 の 生 活 は 一 般 の 大 学 生 に 較 べ て な ま や さ し い も の で は な か っ た 。 一 人 去 り 二 人 離 れ 全 員 僅 か 四 十 名 と な っ て し ま っ た 。
昭 和 十 五 年 九 月 、 ハ ル ピ ン の 同 志 平 田 四 郎 氏 に 連 絡 、 応 援 を 求 む 。 同 氏 快 諾 万 難 を 拝 し 来 校 、 生 徒 主 事 に 就 任 さ れ た 。 更 に 教 務 関 係 に 堪 能 な 中 原 稔 先 生 に 、 前 々 か ら 協 力 し て い た だ い た が 、 正 式 に 就 任 を お 願 い し 御 快 諾 を 得 た 。 同 十 月 外 務 大 臣 ( 第 二 次 近 衛 内 閣 ) 松 岡 洋 右 閣 下 来 校 。 雑 木 林 の 中 に 筵 を 敷 き 菊 池 閣 下 、 岩 田 先 生 と 会 食 長 時 間 談 笑 さ れ た 。 四 囲 の 情 景 を 外 遊 時 代 の 西 欧 に 〓 え て 嘆 賞 さ れ て 夕 刻 ガ ソ リ ン カ ー で 帰 宅 さ れ た 。 興 亜 科 と そ の 環 境 ( 規 則 書 よ り ) 我 が 興 亜 科 は 申 す ま で も な く 、 ﹁ 亜 細 亜 は 一 つ な り ﹂ の 大 旗 を か か げ 、 焦 眉 の 急 務 た る 興 亜 の 大 聖 業 を 完 遂 せ ん が 為 に 、 東 亜 経 論 の 人 材 を 養 成 す べ く 唯 一 無 二 の 修 錬 道 場 と し て 武 蔵 野 の 奥 深 く 新 設 さ れ た の で あ る 。 自 然 程 人 間 を 尊 く し 、 人 間 の 魂 を 雄 大 に し 、 愛 撫 し て く れ る も の は な い 。 西 郷 南 洲 先 生 は ﹁ 人 を 相 手 に せ ず 天 を 相 手 に せ よ ﹂ と 教 え た が 私 達 の 生 活 は 天 を 相 手 に す る こ と に よ っ て 、 は じ め て 正 し く 、 朗 か な 生 き 方 を 見 出 す 。 田 園 生 活 は 天 を 相 手 と す る 生 活 で あ る 。 田 園 に 生 き る こ と 、 自 然 に 還 る こ と に よ っ て 私 達 の 生 活 は 人 間 本 然 の 真 実 さ を 取 り も ど す 。 自 然 は い つ も 正 直 で あ る 。 自 然 は 決 し て 偽 ら な い 。 自 然 は 決 し て 懸 引 し な い 。 大 塩 平 八 郎 は ﹁ 太 虚 に 居 る ﹂ と い う 言 葉 を 使 っ て い る 。 こ れ も 南 洲 先 生 の 言 葉 と 同 じ く 、 天 地 幽 玄 の 間 に 身 を 処 す る 謂 で あ る 。 天 地 に 居 り 、 大 自 然 の 中 に 位 し て 、 悠 々 人 生 を 思 い 、 永 遠 を 考 察 す る 。 即 ち 哲 人 の 生 活 で あ る ⋮ ⋮ と 。 即 ち 我 が 興 亜 科 は 都 塵 を は な れ て 一 は 体 育 上 よ り 一 は 精 神 上 よ り 自 然 の 感 化 を 享 受 せ ん が 為 に 、 満 目 蒼 然 た る 大 武 蔵 野 の 一 角 欝 蒼 た る 森 に 囲 ま れ し 新 天 地 を 選 ん だ の で あ る 。 鶏 鳴 暁 を 告 ぐ る 時 、 秩 父 、 丹 沢 、 大 山 更 に 双 子 、 伊 豆 の 山 々 の
上 に 富 士 の 霊 峰 が 夢 か ら 抜 け 出 た よ う に 雲 表 に そ そ り 立 ち 千 石 の 雪 の 頂 か ら 万 里 の 長 風 が 颪 す 時 、 我 等 は 武 蔵 野 の 原 頭 に 立 ち て 、 宛 ら 神 の 洗 礼 を 受 く る が 如 く 一 種 無 限 の 神 秘 的 な 霊 感 に 打 た れ る 思 い が あ る の で あ る 。 此 の 大 自 然 の 恩 恵 に 育 ま れ つ つ 静 か に 雄 々 し く 学 び の 道 を 辿 り 行 く 者 又 幸 な る か な で あ る 。 広 瀬 淡 窓 先 生 の 詩 に 休 道 他 郷 多 苦 辛 同 袍 有 友 自 相 親 柴 扉 暁 出 霜 如 雪 君 汲 川 流 我 拾 薪 と 言 う の が あ る 。 こ の 詩 は 最 も 我 々 の 塾 生 活 を 如 実 に 表 現 し て い る 。 尚 校 地 は 南 に 五 拾 万 余 坪 の 新 設 調 布 飛 行 場 、 西 に 東 郷 元 帥 の 永 久 に 眠 ら れ る 多 磨 墓 地 公 園 に 隣 し 、 幕 末 新 撰 組 近 藤 勇 の 生 家 及 び 墓 地 も 亦 同 地 に あ る 。 即 ち 我 興 亜 科 学 生 は 此 の 地 に 静 か に そ し て 最 も 強 く 真 に 東 亜 経 綸 の 有 材 と し て 、 祖 国 の 重 責 を 一 身 に 担 う べ く 希 望 に 燃 え な が ら 烈 々 た る 気 魄 を 以 て 一 意 建 学 所 期 の 目 的 貫 徹 に 向 っ て 一 致 団 結 和 気 靄 々 た る 中 に も 他 校 の 追 従 を 許 さ ざ る 猛 烈 な る 精 神 鍛 錬 の 道 を 辿 っ て い る の で あ る 。 そ し て 同 志 諸 君 の 来 り 集 い 共 に 学 ば ん こ と を 切 望 し て い る 。 中 島 飛 行 機 会 社 と 校 地 移 転 問 題 さ て こ れ よ り 先 ( 昭 和 十 五 年 五 月 ) こ の 校 地 付 近 一 帯 を 中 島 飛 行 機 製 作 所 の 建 築 予 定 地 と し て の 校 地 買 収 交 渉
あ り 。 そ の 時 の 交 渉 顛 末 の 一 部 を 語 る 書 類 が あ る か ら 参 考 ま で に 掲 載 す る 。 昭 和 十 五 年 六 月 二 十 日 東 京 都 北 多 摩 郡 調 布 町 上 石 原 字 野 水 国 士 館 専 門 学 校 興 亜 科 主 事 藤 原 繁 中 島 飛 行 機 製 作 所 社 長 中 島 喜 代 一 殿 今 般 調 布 町 工 場 設 立 に 伴 ふ 当 校 移 転 に 関 し 、 貴 殿 秘 書 太 田 繁 一 氏 よ り 当 校 宛 の 提 案 は 単 な る 平 常 物 権 売 買 の 類 を 出 で ず 、 特 に 教 育 に 与 え る 影 響 を 思 惟 せ ざ る 如 く 愚 考 せ ら れ 、 小 生 頗 る 不 満 に 有 之 候 間 左 記 事 情 御 賢 察 の 上 、 更 に 御 熟 考 相 煩 し 度 此 御 段 御 願 に 及 び 候 也 。 貴 工 場 調 布 町 設 立 に 伴 ひ 当 校 の 受 け た る 影 響 に 於 て ⋮ ⋮ (一) 環 境 教 育 に 於 て 其 の 環 境 の 重 大 な る は 今 更 言 を 俟 た た ざ る と こ ろ に し て 、 現 校 地 を 不 便 な る に も 不 拘 選 び し と こ ろ の も の は 勿 論 、 環 境 を 慮 り た れ ば な り 。 所 謂 武 蔵 野 特 有 の 雑 木 林 に 囲 ま れ 、 又 亭 々 た る 松 樹 あ り 閑 静 無 二 の 地 に し て 、 春 夏 秋 冬 夫 々 に 応 じ 、 千 変 万 化 す る 四 囲 の 状 景 は 、 松 籟 と と も に 居 住 す る 者 の み が 味 得 し う る も の に し て 、 在 住 の 学 生 現 地 に 執 着 し 移 転 を 好 ま ざ る 所 似 な り 。 (二) 地 鎮 祭 当 初 現 校 地 選 択 に 当 り 、 貴 工 場 当 地 設 立 の 計 画 あ る を 突 然 聞 き 、 将 来 支 障 を 来 す あ る を 慮 り 、 地 鎮 祭 ( 既 に 通 知 済 ) を 目 前 に 控 へ 急 遽 他 地 を 選 定 買 収 の 相 談 成 立 せ し も 、 又 貴 工 場 当 地 設 立 中 止 の 通 報 あ り た る 為 、 再 度 現 校 地 に 於 て 地 鎮 祭 を 挙 行 し た り 。
(三) 校 地 現 校 地 中 四 二 九 坪 は 岩 田 愛 之 助 先 生 の 所 有 地 、 他 の 七 三 五 坪 は 松 尾 忠 二 郎 先 生 の 所 有 な り 。 松 尾 先 生 所 有 地 は 同 氏 の 御 好 意 に 依 り 、 無 償 に て 借 用 せ る も の に し て 謂 は ば 校 地 は 永 久 的 の も の な る を 以 て 無 償 に て 永 久 的 に 提 供 を 受 け た る と 同 意 義 に 解 す る は 当 然 な り 。 然 る に 当 校 移 転 に 際 し て は 新 校 地 を 購 入 せ ざ る べ か ら ず 。 (四) 農 場 ( 興 亜 第 一 、 第 二 農 場︱ 二 、 五 八 五 坪 ) 当 校 使 用 農 場 は 前 記 松 尾 先 生 の 所 有 地 な る を 無 償 に て 借 用 せ り 。 移 転 後 は 新 し く 購 入 せ ざ る べ か ら ざ る も の な り 。 殊 に 農 作 物 は 学 生 自 身 耕 せ る も の に し て 其 の 収 穫 を 楽 し み 居 れ り 。 自 ら 額 に 汗 し た る の 結 果 、 農 場 に 格 別 の 執 着 心 を 起 す は 又 当 然 な り 。 (五) 寄 宿 舎 右 は 現 在 附 近 明 光 塾 を 無 料 に て 借 用 せ る も 現 校 地 を 移 転 せ ば 急 遽 新 築 せ ざ る べ か ら ず 。 殊 に 本 校 教 育 は 塾 生 活 に 重 点 を 置 き 全 学 生 入 塾 す 。 (六) ラ ン プ 生 活 明 光 塾 借 用 以 前 は 現 校 舎 の 一 室 に 起 居 し あ り た る も 、 移 転 遠 か ら ざ る を 慮 り 、 電 気 工 事 を 延 期 し 、 三 ヶ 月 間 電 灯 な く ラ ン プ 生 活 を な し 充 分 に 学 習 し 得 ざ り し な り 。 (七) 日 輪 舎 校 地 内 に あ る 日 輪 舎 は 約 三 十 坪 円 形 の 建 物 に し て 学 生 自 身 帰 郷 せ ず 、 休 暇 を 利 し 一 切 職 人 の 助 力 な し に 、 馴 れ
ざ る 手 を 傷 け つ つ 、 自 分 等 の 住 居 を 自 か ら の 手 に て 苦 心 し 建 造 せ る も の な り 。 然 れ ど も 素 人 の 建 築 な る を 以 て 寸 規 合 致 せ ざ る あ り 。 他 に 移 転 す る に 於 て は 再 建 は 相 当 困 難 な る と と も に 金 円 に て 算 定 し 得 ざ る も の な り 。 (八) 落 成 式 現 校 舎 落 成 後 盛 大 な る 落 成 式 を 挙 行 す べ く 種 々 計 画 し 学 生 一 同 其 の 日 を 待 望 し 居 た る も 幾 何 も な く 移 転 の 余 儀 な き に 致 る べ く 終 に 未 だ 挙 行 し 得 ざ る 情 況 な り 。 (九) 山 林 開 拓 現 校 地 山 林 を 伐 採 し 、 盤 根 を 発 掘 し 現 状 校 地 と な す 迄 の 労 力 は 多 大 な り 。 (一〇) 教 育 上 現 校 舎 の 移 転 問 題 は 当 然 予 想 以 上 の 動 揺 不 安 を 学 生 に 及 ぼ し あ る は 事 実 な り 。 又 小 生 は 訓 育 指 導 の 重 任 に あ り な が ら 新 校 地 の 選 定 に 相 当 の 時 間 を 費 し 、 更 に 貴 社 と の 接 渉 、 移 転 に 伴 ふ 将 来 の 計 画 等 々 の 為 、 朝 夕 近 く に 在 り て 指 導 す べ き に も 不 拘 意 の 如 く な ら ざ り し は 、 当 校 移 転 準 備 の 結 果 に し て 遺 憾 な り 。 又 行 事 と し て 、 前 年 同 様 夏 季 休 暇 を 利 し 皇 軍 の 苦 辛 を 忍 び 其 の 武 運 長 久 を 祈 願 す る 為 、 伊 勢 大 廟 迄 徒 歩 行 軍 を な す べ き 予 定 な り し も 移 転 決 定 後 の 新 校 地 計 画 準 備 及 び 設 立 に 尽 力 せ ざ る べ か ら ざ る を 以 て 本 年 は 実 施 す る を 得 ず 。 炎 天 下 百 数 十 里 の 行 軍 は 身 心 の 鍛 錬 に 非 常 な る 好 結 果 あ る を 思 ひ 、 残 念 な り 。 願 は く は 新 校 地 の 選 定 購 入 、 新 校 舎 の 設 立 を 一 切 貴 殿 に 於 て 御 引 受 相 願 ひ 、 小 生 教 育 に 専 念 致 し 度 。 殊 に 現 校 舎 の 移 転 運 搬 再 建 、 寄 宿 舎 新 築 等 に 要 す る 日 数 を 考 慮 せ ば 、 今 に し て 授 業 に 支 障 な か ら し む る は 殆 ん ど 不 可 能 な り と 思 考 す 。 又 現 地 に あ れ ば 何 等 支 障 な き に 移 転 に 伴 ひ 、 莫 大 な る 出 費 を 要 す る に 到 る は 、 学 校 現 財 政 下 に 於 て