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三宅スクールと分類学(甲殻類研究の歩み,<特集>日本甲殻類学会50周年記念)

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Academic year: 2021

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問 調 : 鮒 トU2(:却11)

三宅スクールと分類学

T h e M i y a k e school a n d crustacean t a x o n o m y

馬場敬次

l Keiji B a b a 三宅貞祥先生について語る前に,まず先生が師事 した大島広教授を紹介せねばならない 大島教授 は九州帝国大学農学部動物学第一講座の初代教授で ある 東京帝国大学を修了したあと第5高等学校教 授を務め . 1920 年には九州帝国大学助教授に任命 されたが,英 米 留 学 中 で あ っ たので,帰国した 1922年に昇任して教授とな った. 教授は,はじめ に発生学を,後に系統動物学の講義を行 った 講義 内容は.

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発 生 学 汎 論 至 文 堂 (1930)J.

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系統動物 学 養 賢 堂 (1943)J として出版された. 在職中は, 珊瑚礁動物および船底付着の研究に 主力を注いだ. 東京帝国大学大学院生の頃に手がけたアルパトロス 号探検のナマコの分類は. Proc. U.S. N at Mus., . V ol.

48, 1915に登載されている 大島教授は英語が堪能 であ ったそうである. 達筆な 1915 年論文の草稿が B 5ノート 4 冊に残 っていて,それを実証している. 大島教授のおよそ 25 年間の在職中に指導を受けた 学生は,三宅先生を含めて3名であ った. 三宅先生は,大島教授の沖縄旅行に同行したと き,珊瑚礁動物,とりわけ十脚甲殻類の多様性に魅 惑され,これが先生の甲殻類研究の動機となった 無給副手時代 (1938) には,日本信託統治領であっ たパラオ (ベラウ共和国) の熱帯生物学研究所で半 年を過ごしそこで精力的に十脚甲殻類を観察 ・採 集した. その採集標本がその後の先生の主要な研究 材 料 と な っ た 処 女 論 文 は カ ク レ ガ ニ の 幼 生 (1935) であった. 初めての教授のモノグラフは, 1 熊本大学名誉教授 〒86ト5511 熊本県熊本市楠野町 58 1-2

Professor Emeritus, K u mamoto University, 58 1-2 Kusuno-machi, Kumamoto 861-551 1, Japan E-mai1: [email protected]

Carcinological Socie砂 o fJapan

日本近海のカニダマシ類の分類 (1943 ) で,材料の 多くはパラオ標本であ った. 三宅先生は. 1941 年に助手となり. 1947 年に 「日本およびその近海に産する異尾類の研究」に よって農学博士の学位を得た その後. 1949 年に 助教授へ昇任し . 1961 年に動物学講座の第 3 代教 授とな った. 圃 三 宅 ス ク ー ル の 始 動 助教授時代の 1960 年に酒井勝司氏を指導院生と して受け入れた. 教授に昇任したのはその翌年で, 1961年 11 月には,琉球大学から嶺井久勝助手が着 任し, 三宅教授を補佐した. 1962 年から次の 8 名 の院生が相次いで・三宅スクールに参入した 馬場敬 次, 三矢泰彦,仲宗根幸男,橋口義久,林 健 一, 武田正倫,藤野隆博. . 研 究 テ ーマ 教授は十脚甲殻類の分類 (アルファ分類学) につ いて院生を指導した文献の整備状況 (新しい分野 についての文献収集に時間がかかる ) に鑑み,研究 テーマは教授の手許に文献の揃 った十脚甲殻類の分 類に絞られ,沖縄・パラオコレクションなど比較的 収集数の多い材料の中から,研究の進んでいない動 物群が各院生のテーマとして与えられた. 分類群は お互いに比較的近い関係にあった 当時は,横浜国 立大学の酒井 恒教授がカニ類,東京水産大学の久 保伊

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幸男教授がエピ類の研究者として名高か った 教授の口癖として, 学外も含めて,研究のオーバー ラップを避けることを説いた. そしてむしろ,各自 が入手した自分の研究分野以外の材料は,それを研 日本甲殻類学会6 d "A n n 棚田町

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究対象とする研究者に提供して,自分の分野の材料 りと押さえておく必要がある. よく論文の孫引きに を得やすくすることをすすめた. よ っ て 研 究 を 進 め る 人 を 見 か け る 最 近 は ど の ジャーナルも審査制度を導入していて,投稿論文の 圃 研究環境 当時の動物学講座はコの字型の木造2階建の棟に あり,同棟には蚕学,植物病理学,昆虫学などの講 座があった 。すぐ隣りにあった昆虫学講座との問で は学生の交流がさかんで,いろいろと 学ぶ ことが多 かった . 当時の動物学講座の研究環境はお世辞にも上等と は言えなかった. 学生用の実体顕微鏡は,スペン サー l台とニコン l台のみで,学生が増えるご とに 買い揃えられた. もちろん描画装置なと号無かった時 代である. 標本の描画は,接眼レンズに方眼マイク ロメ←ターを入れて,方眼紙に転写し,それをケン ト紙に トレースした かなり根気の要る時間のかか る仕事であった. 圃 文 献 三宅教授個人の別刷りコレクションの中か ら,必 要文献を湿式コピーしたり,ミニコピーフィルム ( 中間色を飛ばしてコン トラストを強くする ) で撮 影して C H 印画紙 に焼きつけた ゼロックスコピー が出現したのは,三宅スクール後期の頃である 三 宅コレクションにない必要文献は ,文部省学術雑誌 総合目録で探して,学外の文献所蔵大学 ・研究所に コピーを依頼したり,圏内に無い場合は. British M u s e u m, H arvard University Agassiz M u s e u m などに

マイクロフィルムコピーを依頼した 古本屋( 主に オランダの Junk) もよく利用した 蔵書カタログ に必要文献を見つけて注文し,送金,郵送期間など を含めて,入手するのに大変時間がかか った . 教室 から費用を補助してくれるわけでもなく,すべて個 人負担であった ユンクの在庫リストに日本国内に 所蔵されていないモナコ海洋研究所報告 1899 を見 つけ,代金 2 万円を郵便為替で送金したこともあっ た. 当時とし ては,学生が自由にできる金額ではな かった 新しく研究を始めるにあたっては,何がどこまで 知られているか (研究史およびその内容) をきっち

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内容について,かなりのチェ ックが行き届くが,孫 引きに頼るものは,見落 としが多い 論文名,登載 学術誌,論文内容の要約を含むデータベースとして は. Zoological Record (1864-) が知られている. し か し 九 大 図 書 館 に は 戦 前 戦 後 の 部 分30年分程度 しかなかった 早速,動物学講座でも購読を開始し た. . 材料( 標本) 院生の研究は, 三宅コレクション( 八重山,パラ オ諸島) をベースにして,各自が積極的に野外調査 や採集旅行を行ったり,標本所蔵研究機関へ出向い た 当時 は天草臨海実験所の菊池泰二氏が藻場の生 態学的研究を進めていて,そこに出現するエピ・カ ニの同定のために,材料を持って三宅教室へ頻繁に 出入りされていた おかげで,院生にとっては標本 を得るよい機会となった また ,実験所では採集に 便宜を図っていただき, ドレッジなど船の使用も快 く許可してくださった また,当時は西海区水産研 究所( 長崎) が東シナ海のベン トス調査中であった ので, 同定依頼のために採集標本が教室に持ち込ま れた. 院生が個人的に収集した材料も含めて,すべ てが Z L K U の登録番号を与えられて保存され,三 宅教授の元々のコレクションを大きく上回ることに なって,後に三宅コレクションといわれるものと なった. . 分類学のパ ックグラウンド 院生はすべて九大外か らの進学者であり,分類学 に関する基礎知識が不足した. し か し 三 宅 教 授 は 各自の研鍵に託して,直接的な指導は行わなかっ た. 当時参考にした書物には,以下のようなものが あった

Myre, Linsley

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Usinger (1 953) Methods and Prin-ciples of Systematic Zoology. McGraw-Hill.

Simpson (1 961) Principles of A nimal Taxonomy Columbia Univ. Press.

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院生の期間中あるいは少し遅れて実践的な分類学 研究を進めるにあたり,とても参考になる次の 2 冊

の本が出版された.

Myre (1966) A nim al Species and Evolution Belknap Press, Harvard.

Myre (1969) Principles of Systematic Zoology M c G r a w-H ill. 三宅教授はアルファ分類学について,論文を書く にあたっての実際を指導されたが. これら2冊の本 は,我々にと って生物種についての理解を深めるの に役立つと同時に,分類学の面白さを教えてくれ た また,分類論文作成の要点がわかりやすく詳し く解説してあった. 1961 年 に は, 国 際 動 物 命 名 規 約 (International Code of Zoological N om enclature) が 出版された.

1962年,見虫学教室平嶋義宏助教授( 当時) の主 催で,この本の読書検討会が始まり,参加させても らった 問題点が議論され,本にない例を挙げた平 嶋助教授の有益な解説があったりして,動物命名規 約についての理解を深めることができた. 学名の構 成法については,昆虫学教室初代教授江崎先生の小 冊子があ った( 江崎梯三 1932 動物の学名の構成 法 国 際 書 院 福 岡 . 44 pp.) これは,京都帝大で の先生の講義をまとめたもので,ギリシャ語,ラテ ン語の文法を含んで,相当歯ごたえがあったが,大 変役にたった 最近の論文でも,学名にラテン語と ギリシャ語の混血語や,誤った複合語を見ることが ある. 江崎先生の本を一読していればよかったもの をと思うことがある. ただ,英文によるこのような 手引書がないため,外国人の論文中の複合語にも誤 りのあることがある. 三宅教授は,描画の方法 ・墨入れ ・レイアウト, 論文の印刷・校正などについては,ことのほか細か い注文をつけると同時に,少々うるさかった. 当時 は,昆虫の安松京三教授と三宅教授の二人が農学部 紀要と農学部学芸雑誌の編集委員を務めていたの で,動物教室以外からの投稿論文の校正もさせられ た ここで習得した印刷上の注意点はその後に関 わった印刷物の編集にも大変役に立った. 2階には 蚕学講座があり,初代の問中義麿教授は,動物の大 島教授,見虫の江崎梯三教授と親しい関係にあった ので,編集委員の両教授も,論文の書き方に厳格で 三宅スクールと分規学 あったのであろう. 田中教授は ご存知の「科学論文 の書き方」の著者であり ,その第6版では大島,江 崎両教授も共著者となっている 三宅教授は,院生から 研究の進捗状況の報告を 受 けると, 学生 とのやり取りをノートに丁寧に記録し た このような記録は学外の研究者とのメールのや り取りについても向じであったー これを見習って, 私も研究者とのやりとりを記録しているが,大層役 に立っている . 論 文 の 作 成 各自が論文原稿を作成して,教授が添削したた だ,チェックは非常に甘か った 教授はどうしてか 学外の人に原稿を読んで貰うのを好まなかった. 院 生の側では,教室所蔵のタイプライターが不足した ので,各人が買い揃えねばならなかった. 今の若い 世代はタイ プリボンを使う機械式タイプライターを 見た人は少ないであろうータイプミスの修正は,タ イプし直すしか方法がなく ,正確なタイプ技術が要 求された電動タイプライターの登場は随分後のこ とであ ったし,修正機能のついた電動タイプはまた その次のことであった. その後, コンピュータ時代 へ移り,ワードスター (ワ ードプロセ ッサ ープログ ラム ) に電子タイプライタ ーを連動させたものなど を経て,現在はス ペルチェックなど多機能の原稿作 成プログラムを使 って論文が書ける ようにな った 圃 論 文 の 公 表 院生の論文は主として印刷費がかからない農学部 紀要に登載された しかし次第に増えてくる院生 の原稿の印刷のために,教室が発行する Occasional Papers ( O HM U ) の刊行へ踏み切 った これには,九 州大学印刷所を つかった 植字作業が学内の施設で 行われるため,組版料が無料であったからである この刊行物にはもう一つの目的があ った それは, 刊行物を交換することによ って,教室の所蔵文献を 増やそうというものである. 外国の研究機関との刊 行物の交換は順調に増え,たしかに,その目的は達 成されたようである O H M U命名の由来は公表さ れなか ったが,歴代教授

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は後継者と見 られる助

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教 授) の頭文字であることは明瞭で, Temminckia や Sieboldia などを見習えばよかったのにと,学生 の評判はよくなかった 学外の研究者にその由来を 尋ねられて,答えるのに困窮した . この出版物は, 三宅教授の退官とともに廃刊となった 院生の研究 が進んだのは,外国の研究者と論文別刷の交換を始 めてからである 同分野の研究者から激励された か研究のヒントを貰ったりしてよい刺激を受け, 研究材料の提供を受けたりもした 園 学会発表 発表する院生に対しては旅費が支出された. 財源 がどこかはわからなかったが,少なくとも助手の出 張旅費は減額され,院生の方へ廻されていた. . 三宅教授の日常 大島教授は学生時代と助手時代の三宅教授にはや さしかったそうである それに比べると,三宅教授 は学生 の日常生活に対しでもたいそう厳しかった. よく雷がとんだ. 昼食はトーストと牛乳であった. 教授時代の最初の l 年聞は図書室や研究室で院生を 交えて会食したが,説教ばかり続いたので学生が逃 げ出し,取りやめにな った 11 2

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n ωr 2 0 (2011) 昭和天皇へのご進講の話をよく聞かされた. 陛下 との話が終わってから辞する時は,背中を見せずに 後ずさりをすることとか,陛下の相模湾の採集物の ことなど. 下賜された菊の御紋入りのシガレ ッ トを 院生に吸わされたりしたこともあった 酒もたしな まれたようである. ボーナス時には,中洲のマダム が集金にくるとか. われわれも,時折中洲でご馳走 にな った このように,教授は教室では厳しかったが,転出 後の教え子に対しては,丁寧に対応された 教授の 眼が利いていたのか,また時代が必要としていたの か, 三宅スクールで研鎖した 9 名の院生は全員ス クール修了後,それぞれ各地の大学や研究機関に職 を得て,十脚甲殻類( 主として分類学) についての 研究を続けることができた 圃 むすび 三宅スクールは,乏しい研究環境からスタートし た. 研究遂行するにあたっては,今では考えられな い時間を必要とした. 三宅スクールに限らず,その 他の研究機関も ,その他の研究分野もそういう時代 にあったのである ここに科学史のーコマとして, 記録に留めたい.

参照

関連したドキュメント

〔付記〕

三宅島では 1995 年から 2000 年まで、東京都三宅村の施設で当会が業務を受託している

本報告書は、日本財団の 2016

本報告書は、日本財団の 2015

さらに体育・スポーツ政策の研究と実践に寄与 することを目的として、研究者を中心に運営され る日本体育・ スポーツ政策学会は、2007 年 12 月

【 大学共 同研究 】 【個人特 別研究 】 【受託 研究】 【学 外共同 研究】 【寄 付研究 】.

本研究科は、本学の基本理念のもとに高度な言語コミュニケーション能力を備え、建学

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