68 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告
Ⅰ.はじめに
商業高校で「経済」「貿易実務」などを教えていた こともあって,私が当学会誌に書いてきたテーマは, 金融政策,株,GDP,統計で見る日本経済の歩み, 南北問題,EU,国際通貨などであった。 ところが最近は「農と食の歩み」や「長野・阿智村 の歩み」を書いた。現役時代(1951 〜 90 年)には教 えなかったテーマであり,家内には「教えられる の?」と言われた。しかし,高度成長の矛盾が多くの 分野で噴き出したこともあり,そういうテーマも教え るべき時代になったのである。 そして今,「原発問題」は,どうしても教えなけれ ばならない。 新しいテーマを自信を持って生き生きと教えるため には,まず教師が,現場を見学したり,統計・新聞記 事を探す,いわゆるリアリズムの姿勢が必要である。 生徒も,原発問題を含めて社会の実態とその背景を 見抜く力を身につけ,自分や家族を守り,社会に役立 ち,生きがいを感じる人間になってほしい。つまり消 費者としては,ヘンな広告に流されず,ヘンな添加物 入りの食品を食べず,飲む水,着るもの,住む家にも 問題意識を持ち,生産者としては,ヘンな広告を作ら ず,ヘンな添加物を加える側に立たず,各自のスタイ ルで,貧困や不正や不当労働に立ち向かってもらいた いと思う。そういう市民を育てるのが教育であろう。 しかし原発問題について私が実際に見学したのは燃 料の成型加工工場だけで,統計も意外に見つからな かった。新聞記事だけは,縮刷版の拡大コピーを含め て,貼り付けた大学ノートは十数冊になる。なお市立 や県立の図書館で検索ソフト「聞蔵」を使った。 というわけで新聞記事が多く,50 コマを超えるパ ワーポイントになってしまった。2013 年 9 月の当学会 全国大会(滋賀大学教育学部)では,それを映しなが ら報告したのであるが,本稿は,残念ながらスライド を省き,そのナレーションをコマ順(番号は省略)に 並べ,文章に多少手を入れた。そして新聞記事(特記 のないかぎり朝日新聞)の日付・見出し,若干のグラ フと図表,その資料名を添えた。 なお本稿は,原子力資料情報室の共同代表・西尾漠 さんに助言と添削をいただいたが,その後,若干の資 料を加えて加筆した。Ⅱ.日本の原子力発電の歩み
1.ATOMS FOR PEACE1945 年,アメリカは,戦争とはいえ,広島と長崎 に原子爆弾を落とすという,人類史で最も残酷な実験 をしました。 その 8 年後,アメリカのアイゼンハウアー大統領は 国 連 で, 平 和 の た め の 原 子( 力 ),ATOMSFOR PEACE という演説をしました(1953.12.9 夕 ア大統領, 国連総会で演説)。どういう背景があったのでしょうか。 2.米戦略に組み込まれて 原子力の技術が,アメリカだけでなく,ソ連やイギ リスでも開発されてきたので,国際的に管理しようと したのです。そして国際原子力機関(IAEA:Inter-nationalAtomicEnergyAgency)ができましたが, その後,米ソの対立が激しくなり,ソ連は共産圏諸国 を取り込み(1955.1.18 ソ連で技術援助),米国は資本 主義諸国を取り込みました。日本はアメリカと原子力 協定を結び,その技術を導入しました(1955.5.27 米 国も日本もなぜ急ぐ 6.13 ソ連の進出に対抗)。 日本は,その前,1951 年 9 月 8 日午前 11 時から,サ ンフランシスコのオペラ・ハウスで,48 か国と講和 条約を結びました(1951.9.9 講和条約ここに調印)。そ して独立の回復と引き換えに,その日午後 5 時,プレ シディオと呼ばれる米第 6 軍司令部で,アメリカに従
原発問題の政治経済学を
高校生に教える
The Journal of Economic Education No.33, September, 2014Teaching High School Students the Political Economy of Nuclear Power Generation Problems
Minowa, Kyoshiro
経済教育33号 69 属する安全保障条約を結びました。その第 1 条に「ア メリカ合衆国の陸軍,空軍および海軍を日本国内およ びその付近(沖縄?)に配備する権利を日本国は許 与」する,と書いてあります(9.10 日米安保条約全 文)。 原子力の研究・開発・利用は,1955 年の原子力基 本法で,民主,自主,公開をうたいましたが,技術導 入に伴い,対米従属が強まりました。同年 11 月に結 んだ日米原子力協定には,日本政府はウランの燃焼記 録を米政府に毎年提出し,米原子力委員会の代表が視 察 に 来 日 す る の を 認 め る, と 書 か れ て い ま す (1987.1.26 夕 日米原子力協定の改定 煩雑さ減る代わり 厳しさ)。トルコなどもアメリカの点検を認めました (1955.5.14 米側の点検認む 受入国の義務)。 アメリカは,ソ連との核開発競争のなか 1946 〜 58 年,世界の誰もが自由に航海できる公海で 67 回も核 実験をしました。54 年 3 月 1 日には,近くの住民のほ か,多くの日本漁船が死の灰を浴びました(1954.3.2 夕 米の新原子爆発実験)(読売 3.16 邦人漁夫,ビキ ニ原爆実験に遭遇)。 マーシャル群島のビキニ環礁です(高校地図)。被 曝の 2 週間後,第五福竜丸が焼津港に戻り,それが報 道されました。神奈川県の三崎,宮城県の塩釜などに も多くの漁船が帰ってきて,放射能が検出されました。 魚屋・料理屋・学校給食はパニックに陥りました。 公海に,立ち入り禁止区域を設けてよいものでしょ うか。しかも第五福竜丸は,その禁止区域外にいたの です(1954.3.17 国際法上の問題に 日本側に落度なし)。 それを,日本政府は追及しませんでした(読売 1955.1.4 夕200 万㌦で妥結 政治的“示談”でケリ)。汚 染マグロは廃棄されましたが,その基準を毎分 100 カ ウント以上から 500 カウント以上に緩和し,やがて閣 議決定で検査自体を打ち切る,という姿勢でした。一 方,アメリカは,この後も水爆実験を続けたのです (毎日2014.3.2 ビキニ事件 米,日本政府に圧力 米公文 書「死の灰」報道に不満)。 第五福竜丸が被曝した翌日にあたる 1954 年 3 月 2 日, 日本では原子炉予算が急きょ国会に上程され,4 月 1 日,成立します。前年にアメリカで原子力研究状況を 視察した中曽根康弘氏たちが,原子炉を作るかどうか の研究もないうちに提案したのです(1954.3.4 学会 「早い」と反対)。 1955 年 8 月の 2 週間,国連主催の原子力平和利用国 際会議がジュネーブで開かれ,各国政府や企業の博覧 会もありました(毎日 1955.8.14 夕 各国代表引っ張りダ コ 連日招待宴やカクテル・パーティー 米英の原子力売 込み宣伝)。オブザーバーとして参加した中曽根氏ら 4 人の代議士は「ちらりと顔を見せて閉会式までどこか へ消えて」いたそうです(毎日 1955.8.21 原子力国際会 議の成功)。(静岡 2014.2.28 ビキニ核実験翌年の原子力 会議 被ばく研究発表 日本政府が阻止 米国の反対に追 従)。 中曽根康弘氏を委員長とする衆参合同の原子力合同 委員会が作られ,1955 年 11 月から,日米原子力協定 の締結,原子力基本法の成立。56 年に入って原子力 委員会が発足,読売新聞の正力松太郎が,その委員長 になり,科学技術庁,日本原子力研究所も発足し,一 気に原子力体制の骨格ができました(1955.4.14 原子炉 用濃縮ウラニウム 米から配分申入れ,財界,大いに乗気)。 日本の原子力研究の拠点になる日本原子力研究所は, 原子力委員会が三浦半島の武山に設置を決めていたの を,有力者を背景に各地の誘致合戦があり,閣議で茨 城県の東海村に変えました。その後,東海村には多く の原子力関係機関が設けられました。なお原発推進派 で,97 年から 2013 年まで村長をやっていた村上達也 氏は,3.11 大震災で考えを変え,全国の市区町村の 「脱原発を目指す首長会議」(約 80 人)の世話人にな り,各地の集会や講演会に招かれました。 1957 年,「その東海村の松林の一角に遂に日本最初 の原子の火がとも」りました(1957.8.27 夕 “原子の 日”点火の興奮)。これは研究炉で,発電はしません。 アメリカの会社から買った炉で,技師 3 人が来て炉を 組み立て,運転の指導をしました。 その後 60 年に 2 号炉が臨界,62 年に 3 号炉(国産 1 号)が臨界。1963 年には米国の GE から導入した発 電炉が,発電の 3 日後に GE の申し出で運転停止。研 究炉→発電炉→国産炉という段階を踏む慎重な姿勢に 業界はいらつき,結局は閣議で,官民で出資する日本 原子力発電株式会社を 57 年に作りました。 一刻も早く大型実用炉を導入して政治家として実績 を挙げようとした正力松太郎の音頭で,英国炉を導入 しましたが(別表「原子力発電所の運転状況」の日本原 子力発電の東海第一),その日本最初の発電用原子炉は, 工事の遅れ,トラブル続き,予算の大幅超過など,さ んざんで,電力会社はそれぞれ,アメリカの原子炉を 導入し始めました。 3.原子力業界の編成 別表「原子力発電所の運転状況」の「炉・その型」
72 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 tor(沸騰水型炉)が並んでいます。これは三井系の東 京電力が東芝・GeneralElectric の炉を導入し,東 北・中部・北陸・中国の各電力が,これに従ったから です。関西電力から下は PressurizedWaterReactor (加圧水型炉)が並んでいます。三菱系の関西電力が 三菱重工・WestingHouse の炉を導入し,北海道・四 国・九州の各電力が,これに従ったわけです。 2006 年に激変がありました。アメリカの原発運転 開始は 1970 年代に 51 基,80 年代に 46 基,90 年代は 5 基,2000 年代はゼロ,2,012 年は 34 年ぶりに 2 基の 建設・運転の許可が出たような状況で(2012.2.12 原 発認可 でも逆風 米,費用増え新設に慎重),原発業界 に活気がなくなり,売りに出ていた WH を,入札合 戦の末,東芝が買収しました。世界の大勢は PWR で, 東芝は,WH の PWR によってアジアなどへの輸出を 目指したのです。慌てた三菱重工は,フランスの Areva 社(PWR)と提携しました。日立は従来どお り GE との提携を続けています(2006.2.7 海外原発攻 勢へ道)。 同じく別表の「運転開始順」の欄を見ると,5 番以 前は,運転開始後 40 年を超過した老朽炉です。21 番 以後は,米スリーマイル島事故後に運転開始,34 番 以後は,ソ連チェルノブイリ事故後に運転開始した炉 です。 プルサーマルの発電所・発電期間なども,別表の備 考を見て下さい。 4.関係機関の立地 別表では,原子力発電所の分布・立地状況にも問題 を感じて下さい。東京電力も関西電力も,それぞれ電 力供給範囲外の,貧しい地域で発電しています。そし て福島・新潟・福井に集中し,さらに 1 発電所に 6 基, 7 基もの炉があります。 なお,青森県の六ヶ所村は,下北半島の付け根にあ り,発電所がないので別表に記載されていませんが, 高レベル・低レベルの放射性廃棄物を埋めたり貯蔵す る施設,ウラン濃縮工場,全国の発電所から出る使用 済み核燃料を再生させる再処理工場などを,日本原燃 (電力会社や原発プラントメーカーが出資)が経営し ています。その再処理工場は,完成予定の 97 年が, 延期に延期を重ねています(2013.10.29 夕 完成延期 20 回目)。 5.原子力発電量の推移 図 1「電力会社の電源別発電量の推移」では,まず 電源を記入してない折れ線を示し,電源名を生徒に当 てさせながら,推移の背景を解説したいです(日本エ ネルギー経済研究所『EDMC/ エネルギー・経済統計要 覧』)。 ①水力は,ずっと横ばいです。 ② 74 年の石油危機までは石油が急上昇,石炭が減。 ③石油危機で原油価格が急騰し,電源は石油が減り, 原子力が急上昇します。74 年に電源三法が成立し て自治体が原発を誘致したこともあります。安全・ クリーンという宣伝もありました。 日本の株価は 90 年からのバブル崩壊で急落しま したが,発電総量は GDP に連動的で,08 年のリー マン・ショックまで波はありながらも上昇,原子力 も上昇を続けます。 ④ 97 年は消費税増税,山一証券破たんなど,日本経 済の転換期でした。98 年から GDP は下がる年も多 く,電力需要も弱含みになり,またチェルノブイリ 事故の後,各地で原発反対の動きが強まったことな どから,97年に運転を始めた九州の玄海4号機は53 番目の原発になり,このあと 4 つしか作られていま せん。石炭,LNG が伸びました。 ⑤ 2002 年,東電のトラブル隠しが発覚して,福島第 一の 1 号炉が運転停止処分になり,翌年は東電の原 発 17 基すべてが運転を停止しました。 ⑥そして 2011 年 3 月の大震災以後は原子力激減です。
Ⅲ.ウラン採鉱→発電→核ゴミの処理
オーストラリア北部のRanger露天鉱床の写真(略) です。鉱石は製錬されますが,そのときに出る廃水な どで,下流の原住民族アボリジニの村や湿原が汚染さ れます(しんぶん赤旗 2012.1.1 ウラン鉱山ゼロめざす 先住民たちのたたかい 1.8 土地汚し日本へも輸出)。ア 図 1 電力会社の電源別発電量の推移経済教育33号 73 メリカのウラン鉱山でも原住民は被害を受けています。 ひところ日本で掘られた人形峠の周辺の住民は,今 でも困っています。 製錬されたウランの流通経路を見る前に,ひとつ予 備知識です。製錬されたウランが含む燃えるウラン 235 は,わずか 0.7%です。これを気体にするなどして 3 〜 5%に濃縮して燃料にするのです。90%以上に濃 縮すると原爆になり,これが広島に落ちたのです。 99.3%もの燃えないウラン 238 に中性子を当てると 4 〜 9%がプルトニウムに変わり,原爆にもなります。 長崎に落ちたのはこれです。広島とは別の原爆です。 さてオーストラリアで採掘・製錬されたウランは, アメリカやフランスやイギリスで転換・濃縮され,粉 末状になったものが,図 2 のとおり,日本の加工工場 へ来ます。それが燃料集合体に成型加工され,全国の 発電所に運ばれます。 図 2 核燃料サイクル 発電所から出る使用済み核燃料は,約 95%のウラ ン 238 と,わずかなプルトニウム,ウラン 235,核分 裂生成物を含んだまま捨てるのが世界の主流です。 ところが,これを捨てないで,図 2 の灰色の矢印の とおり,英・仏の再処理工場に送り,プルトニウムが 4 〜 9%,ウラン 235 が 1%,燃えないウラン 238 が 90 〜 95%の MOX 燃料(MixedOxidefuel)に加工して 送り返してもらいます。これを発電所で燃やすのがプ ルサーマル(Plutonium と ThermalReactor を合わせ た和製語)です。その使用済み燃料を,また再処理し て燃料として使う。こうすれば,もう日本は燃料を輸 入しなくても済む,と有頂天になりました。 1980 年から使用済み核燃料をイギリス・フランス に送り始め,99 年,01 年,飛んで 09 年などに MOX 燃料が送り返されてきたのですが,イギリスや日本で トラブルがあり,やっと 09 年,玄海 3 号機で初めて MOX 燃料が使われました。しかし MOX 燃料を使っ た発電所は今まで 4 つしかなく,使う MOX 燃料も一 部,8 〜 32 体で,しかも短期間でした(別表参照)。 3.11 前は,プルサーマルの原発数や燃料数を増やし, その期間も長くする計画でした。 図 2 の成型加工の工場が久里浜駅(横須賀市)から 徒歩 10 分のところにあります。GlobalNuclearFuel, Japan といい,GE・東芝・日立の出資です。Global NuclearFuel,Americaから粉末の濃縮ウランが送ら れてきます。 その工場を,横浜の「経済を学ぶ会」で見学しまし た。記念写真(略)です。左端が広報部長さんです。 前に置いてあるのが燃料棒集合体の縮尺模型です。 輸入した粉末を,高さ 1㎝,直径 1㎝の円筒に焼き 固め,精密に削り,傷がないか検査して,長さ 4㍍, 内径 1㎝のジルコニウムのパイプ(下関のジルコ・プ ロダクツ社製)に詰め,両端の栓を溶接,これを 10 本× 10 本などの集合体に組み立てます。パイプの両 端と中心部でペレットの濃さ(?)が微妙に違います。 展示室を撮影。燃料集合体です。柏崎刈羽の 6・7 号炉は大規模で,これが 872 体も入ります。燃料集合 体 4 体に制御棒 1 本,核反応を抑えます。4 年半に 4 分の 1 ずつ取り換えます。1 本ずつは取り換えません。 高温の炉の中で,ペレットは縮んだり,膨れたり, ヒビが入ったり,パイプを押し広げたり曲げたりする ので,管理が大変です。利益を考え,経済性を追及す るので,とかく安全性がおろそかになります。 この燃料棒集合体を全国の発電所へ運ぶのも大変で す。トラックを連ねて街の中を運びます。各発電所の 使用済み燃料の一部も六ヶ所村に運ぶわけです(『ス トップ原発④原発と私たちの選択』大月書店,2012 年)。 使用済みの核燃料の約 6 割は,各原発のプールで冷 やしながら貯蔵しています。強固な容器には入ってお らず,増え続け,あと数年で満杯,これ以上は発電で きなくなります(2013.11.18 原発ごみ行き場なし)。 本来は再処理工場に運ばれますが,その六ヶ所再処 理工場の建設がトラブル続きで,1989 年から 20 回も 完成を延ばしています。英仏および東海村の再処理工 場への委託契約分は終わっています。 原発といっても,蒸気を沸かし,タービンを回して 発電する点では,ふつうの火力発電所と同じです (『原子力発電がよくわかる本』ポプラ社,2012 年)。 燃料のきわどさは前に見ましたが,原発には危険が いっぱいです。絶えず事故を起こし,たとえば福島第 一原発は,1981 年に 10 回,82 年に 7 回,などと記録
74 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 されています。事故の内容はさまざまで,配管にヒビ, 制御棒の脱落,炉心を覆う shroud にヒビ,ボイラー やケーブルの火災,循環水ポンプに貝がついて流量が 低下,燃料にピンホール,などです。 そうしたトラブルを隠すのは業界の体質です。2002 年に,それが発覚して大問題になり,東電は社長も会 長も退任に追い込まれました(2002.8.30 東電 原発ト ラブル隠す, 浜岡もトラブル隠し, 9.2 夕 福島第一・ 第二でも停止)。
Ⅳ.原子力ムラ(政・官・財の癒着)
1.電力会社は地域独占 2007 年には再び,東電の検査データの改ざん・も み消しが発覚しました。発覚しても東電の電力販売は 落ちず,株価も好調,これは地域独占だからです。 我々は,東電をやめて他の電力会社から買うことはで きません。この記事(略)で比べられている不二家は, 期限切れの牛乳でシュークリームを作ってしまったの ですが,不二家など一般企業は,不祥事があれば売り 上げが減り,株価が下がります。電力会社には,地域 独占にアグラをかいている社風があります(2007.3.1 夕 東電改ざん,計 200 回, 3.2 縦割り改善課題)。 図 3 のとおり,日本の電気料金は欧米より高いです。 2000 年代には独伊などが高くなりましたが(2013.11.13 日欧の電力価格,米の 2 倍。下記グラフは OECD/IEA, Energy prices and taxes による。2013 年の数値は第 2 また は第 3 四半期),これは固定価格買い取り制度によるの ではないでしょうか。 米国以外がギザギザになっているのは,ドル換算値 が為替相場の変動で細かく動くからです。日欧が米に 対して傾向的に上昇している一因は,円・ユーロがド ルに対して高くなっているからです。 図 3 電気料金(家庭用)の推移の国際比較 図 3 は家庭用の電気料金です。企業用の料金もある のですが,ここでは省略します。 ところが,もともとの円表示では,図 4(資料は図 3 と同じ。2013 年の数値は第 3 四半期)のとおり,日 本の電気料金は 86 年以後,下がっています。原価の 3 〜 5 割を占める燃料の輸入価格が大幅に下がったから です。たとえば原油のドル建て輸入価格は 81 年から 98 年まで 3 分の 1 に下がったうえに,3 倍もの円高 (85 年の 240 円から,2012 年には 80 円)になったので, 輸入価格は 81 年の 5.2 万円 /kl から,98 年には 1.0 万 円に下がりました。LNG も石炭も同じ傾向です。 その後はマネーの暴走で,これらの国際価格は高騰 し,円高にもかかわらず輸入価格は 80 年代初頭とほ ぼ同じ高水準に戻っています。 また,電気料金が高いので自家発電をしたり,海外 へ行く企業があるなど,需要が伸びていません。90 年代までの燃料安からいえば,電気料金はもっと下が るべきだったのかもしれません。電力会社は,ずっと 儲け頭で,株価・配当も安定していました。 なお 2012 年 9 月から電力料金は上がりました。 また,どこの国も企業用より家庭用が高いです (2012.5.24 東電大口料金,家庭の半額)。 図 4 日本の電気料金の推移 電気料金は電気事業法により,総括原価方式で決め られます。原価に 4.4%(2012 年 2 月現在。『ストップ 原発④原発と私たちの選択』大月書店,2012 年)の報酬 率を掛けるのです。トラブル続きの発電所を作っても, 明細が不明な再処理委託費を英仏へ払っても,原発を 抱える自治体に寄付しても,その分,原価に含まれる のです(2014.5.26 核のゴミ 1 本 1.28 億円 英に委託の処 理費 95 年の 3 倍)。資材・サービスを納めるファミ リー企業に甘い汁を吸わせたり,重電メーカーに発電 施設を高額で発注するという問題もあります(朝日新 聞経済部『電気料金はなぜ上がるのか』岩波新書,2013経済教育33号 75 年)。 東電が高値で工事を発注する体質は,大震災の後も 続いています。高い分も原価として,電気料金に上乗 せされるわけです(2014.1.9 東電工事 なお高値発注, 抜けない浪費癖 天下り先と共存関係 痛まぬ懐)。 ①電力の小売り自由化は,2000 年から,ほんの少 し行われました。②大手電力会社の間で余った電力を 融通し合うのも,ごく僅かです。③発電と送電の分離 とは…電力をビールに例えて言えば,1 本しかない道 路が,あるビール会社専用になっている,これを改め るのです。その道路(送電線)を国か,ある機関が買 うか借りて,どの会社でも使えるようにするのです。 これら 3 つの問題は世界の大勢なのに,大手電力は執 拗に拒んできました。今回も,「骨抜きになる恐れも 十分残っている」「法案提出が先送りされる恐れも」 と報じられています(2013.11.13 自然エネ推進・電力 選択に向け 改正電事法成立へ 大手電力は依然抵抗)。 2.マネー かつて電力は,鉄鋼・銀行と並ぶ政治献金の御三家 といわれました。1974 年,石油危機で電気料金が一 斉に上がりました。消費者の反発が強く,東電は,会 社としての政治献金をやめ,他の電力やガス会社もや めたはずでした。 ところが 1993 年,経団連が業界別に,自民党への 寄付を依頼したリストが明らかになりました。リスト に書かれている D は電気,G はガスです。自民党の出 版物への広告費として出した,というのです。翌日の 新聞の見出しは「広告費という名の献金」でした。献 金の見返りは何か(1993.10.5 夕 電力・ガス,巨額献金 か)。 1974 年に企業献金を自粛した代わりに,電力会社 の総務部の担当者が,新しく重役になった人へ「前任 者はいくら払っていました」などと伝え,6 〜 7 割の 重役が払っていたという記事があります。電力会社が 自民党の政治資金団体「国民政治協会」からの要請を 受け,それをこなすのです(2011.10.6 東電,役員の献 金差配)。 朝日新聞の初めての原発広告です(1975.3.24 原子 力発電は,なぜ必要なのでしょうか 9.29 私は科学者の 信念と良心で原子力発電を推進しています)。メディアは, 広告費収入が大きな財源です。電力会社は独占企業で すから,本来なら広告など要らないはずですが,新聞 は 1975 年から原発の PR を出し始め,電力会社は普及 開発関係費という名で巨額の広告費を払います。そう なると,事実を報道すべき新聞も,広告主である電力 会社に遠慮した記事になるわけです。新聞記者を電力 会社の広報誌の編集者などに迎えた例も多いです。 作家・広瀬隆さんは 1987 年に,原子力の危うさを 指摘した『危険な話』という本を書きました。日本テ レビの「11PM」という番組に出て,コマーシャル休 憩で作家の藤本義一さんと一緒に控室にいたとき,突 然,営業部が入ってきて「こんな内容では困る」と藤 本さんに文句を言った。関西電力から抗議が入ったの です。藤本さんが立派。怒鳴りつけて営業部を返し, 引き続き話すことができた,というのです。電力会社 は常に目を光らせ,まずい報道を抑え,メディアはそ れに従うのです(2012.10.3 夕 原発とメディア マネー 22)。 関西電力と強い関係を持つ関西原子力懇談会から, 大飯原発の再稼働の是非を判断する福井・大阪・名古 屋・元京都などの大学の教授を含む委員が寄付を受け ていました。記事には教授の名前,弁明も書いてあり ます(2012.3.25 教授ら 37 人に 5895 万円)。 九州や四国などの原発関係のシンポジウムで,電力 会社が社員や下請け会社の社員に参加を依頼し,ある いは例文を示して発言を依頼し,それも原発の監視 役・番人のはずの経産省の安全保安院が,電力会社に 賛成の発言を増やすように指示する「やらせ」があり ました。監視は骨抜き,規制側が東電の虜,と国会事 故調査委員会の報告書は書いています(2011.7.30 夕 保安院,やらせ依頼, 2012.7.6 癒着 監視骨抜き)。 震災後の2012年9月から制度を変え,原発推進側と は別の,環境省の外局(公正取引委員会と同じような 3 条委員会)に 5 人から成る原子力規制委員会,その 事務局として原子力規制庁を設けました。しかし 4 分 の 3 が旧保安院の職員です(2013.1.12 職員の 4 分の 3 が旧保安院系)(14.5.28 規制委員に原発推進派 「厳格審 査」の 1 人退任 政府人事案)。 3.天下り 官庁から電力・重電メーカー・ゼネコンなどへの天 下り。官と財の癒着です(2011.5.3 経産省からの天下 り 電力 12 社へ 68 人 過去 50 年)。 もと経済産業事務次官の望月氏が,原子炉メーカー でもある日立に天下りしました。例えば,東電の原価 の見積もりが過大なのを,経産省は見過ごしてきまし た。経産省は業界に甘いのです。なぜ甘いのか。天下 りを認めさせるためです。これではエネルギー政策の 信頼を失うと,当時の民主党政権に対処を促す,朝日
76 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 の編集委員の意見です(2012.5.26 元次官の天下りエネ ルギー政策の信頼失う)。 ほぼ 1 年後に,その小森編集委員は,天下りなどに ついての質問状を出し,望月氏にインタービューを申 し込みました。望月氏は席に着くなり,1 年前の,あ の記事は「心外だ」と批判し,天下りに関する質問項 目を外さないとインタービューには応じないと言い, インタービューは成り立たなかった。すごい記者もい るのです(2013.4.30 プロメテウスの罠 原発維持せよ 17)。 天下り先には,電力会社・原子炉メーカー・建設会 社や,その関連法人もあります。官庁や電力会社は, 天下りポストを兼ねて,下請け機関を作ります。そこ へ天下った人たちが高額の報酬をもらいます(東京 2011.5.16 関連法人にも天下り 高額報酬 原資は電気料 金,税)。 新聞記事(2011.5.20 加納時男さん「使い走り」とは 失礼千万)を,コピーして生徒に配り,感想を書かせ, 生徒数人に編集させるのも一案です。加納時男さんは 元東電副社長で,自民党参議院議員を 2 期勤めました。 選挙のとき,東電社長・東芝会長・三菱重工会長もね じり鉢巻き姿で駆けつけてくれたとか,「癒着」でな く「協調」です,などと問わず語りという感じもあり ますし,インタービューした記者も素晴らしいです。 電力会社の社員のまま地方の議員になっている人が 99 人います。そのうち 91 人は議員報酬と会社からの 給与も受け取っていました(2012.11.25 電力社員兼議 員 99 人)。 4.電源三法 電源開発を促進する電源三法が田中角栄内閣により 1974 年に制定されてから,原子力発電がグングン増 えたグラフを前に見ました(図 1)。いやなものを地 方に押し付けるために,国は電気料金に込めさせて電 源開発促進税を徴収し,自治体に交付金を出しますが, 使い道は,2003 年まではハコモノ限定でした。その 維持費がかさみ,自治体は困っています。 柏崎刈羽 1 号機の着工は 78 年度で,それから 30 年 の柏崎市の原発関連収入は 2,300 億円,図書館や体育 館・道路が整備され,雪を消すパイプの整備で初詣は 車で行くのが当たり前になり,冬場の出稼ぎも減った。 だが,柏崎市の人口はピーク時の 95 年から 10 年間 で 3,000 人減り,65 歳以上の高齢化率は 27%に,交付 金は原発の運転年数がかさむにつれて減り続け,老朽 化で固定資産税も激減。原発以外の産業は停滞し,市 が自主的に使える財源はほとんどない。今となってみ れば,原発から抜け出せない体質になってしまった (2011.8.17 自立奪った電源三法)。 福島第一の大熊町も同じです。駅名は大野です。そ の周りにスポーツセンター,町役場,民俗伝承館,ふ れあいパーク,ステーションプラザなど立派なものが 建ちましたが,事情は柏崎と同じです。発電所展望台 というのも建ちました(『ストップ原発④原発と私たち の選択』大月書店,2012 年)。 大熊町の北隣,双葉町の大通りにかかる横断幕「原 子力明るい未来のエネルギー」。役場は震災後,何回 も移転して,今はいわき市です(2011.6.9 夕 原発標語 24 年後の悔い)。 双葉町がさいたま市のスーパーアリーナにいたとき の記事です。そこで開かれた臨時の町議会。11 人の 議員は苦渋の表情を浮かべていた。第一原発が稼働し たのは,40 年前の 1971 年。「出稼ぎの町」だった双葉 町にとって,原発は金の卵を産むニワトリだった。… 議会も 7・8 号機の増設を求める決議をした。ところ が 2002 年のトラブル隠しが発覚し,決議を凍結した。 しかし交付金の味が忘れられず,07 年に凍結を解除 すると,毎年 9.8 億円の初期対策交付金が町に入り始 めた。そこに震災がきた。 町に住民をとどめるために誘致した原発のせいで, いまは逆に,町に近づくこともできない。議員たちの 責任,そして無念と後悔(2011.3.29 原発選択 後悔の 念)。
Ⅴ.おわりに
東電は2011年4月に汚染水漏れの防止策を公表しな がら,2 年以上も放置していました。この対応の遅れ が,汚染水問題を深刻にしたのです(2013.8.1 汚染水 漏れ口2 年放置)。また,2013 年 6 月に汚染水が海に漏 れていることがわかったのに,参議院選挙があった 7 月 21 日の後まで公表を延期しました。自民党に配慮 したわけです(7.27 東電社長,公表遅れ陳謝)。 東電は,作業員に対しても冷酷です(2011.3.26 夕 東電,作業員に汚染伝えず)。 下請け会社の役員が,作業員が携帯する線量計に, 厚さ数㍉の鉛板でカバーさせます。同意しないで帰る 人もいますが,たいていは仕事ほしさに同意してしま います(2012.7.21 線量計に鉛板,被曝隠し)。 経済評論家・内橋克人氏は『世界』という雑誌で, 協同組合の話の冒頭に,東電の株主総会の様子を紹介経済教育33号 77 しています。402 人の個人株主が脱原発を共同提案し たとき,勝俣会長は表情を変えることなく宣告した 「私たちは大株主から委任状をいただいている。それ は出席なさった株主の皆さんより議決権が多い。また 事前委任状を 2 つの大株主から預かった。いずれも原 発継続,推進の強い意思だ。会場のあなた方がいくら 声を挙げても通りません」。社会的公器であるはずの 東京電力を制しているのは,人間ではなく,マネーで あった。…協同組合ならば 1 人 1 票…なのですが。 震災の 40 日後,東京電力の清水社長は福島方面を 訪れ,写真(略)のように手をついて住民たちに謝り ました。この時の気持ちを忘れず,そして責任をとる べきではないでしょうか(2011.4.23 住民「なんで,悔 しい」)。 * * * * 付 1.小出裕章「原子力ムラの犯罪─問われるべき個人 責任」から (小林圭二「『熊取』からの提言─怒れる 6 人の原子力研究 者たち」世界書院,2012 年,第 1 章) 〈京都大学原子炉実験所は大阪府熊取町にあるので, 原発反対を貫いている同実験所の研究者に「熊取 6 人組」という異名がついた〉 福島第一原発の 1 〜 4 号機の現状については,正確には 分かりません。データが揃っていないからです。原子炉に 近づいて破損状況や各種の工事が行えるようにすることが, 第一歩です。 こういう事態を招いた関係者,責任者に対して,厳格に 責任を問い,厳重に処罰すべきです。「想定外」などと 言って逃げようとしていますが,…「万が一にもそんなこ とは起きない」と警告を無視してきた経産省,原子力委員 会,原子力安全委員会,原子力安全・保安院,東電,そし て,原発の設置許可の取り消し訴訟を退け続けてきた裁判 所も責任を明確にすべきです。責任を明確にすることで, いわゆる「原子力ムラ」のような,もたれ合いで,責任を あいまいにし,回避してきた仕組みを解体する第一歩が踏 み出せるでしょう。 付2.「安倍政権は 11 日,民主党政権が掲げた『原発 ゼロ』を転換する方針を正式に決めた」「これが原発事故 を起こした国が再出発する指針なのか」(2014.4.12 政権 「原発ゼロ」を転換 エネ計画 新増設,否定せず なし 崩しの原発回帰 福島事故 忘れたのか)。 付3.渡邉格「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」 (講談社,2013 年)を,高校生だけでなく広く奨めたい。 原発については一言,二言触れている程度であるが。