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「参照基準」と高校経済教育

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要旨  本論考は,日本学術会議の経済教育に関する「参照基準」と本学会の声明に関して,高等学校の現場か らの見解とそれを生かすための提言を述べたものである。  「参照基準」は高等学校現場にはほとんど影響を及ぼしていないこと,内容に関して筆者としては賛成 だが問題点も感じていることを指摘した。提言を生かすには,「参照基準」に賛成でも反対でも,高等学 校の経済教育を規定している学習指導要領,大学入試などの制約条件をしっかり見据え現状を変える努力 をすること,各学派の見解を踏まえた教科書作りを考えるべきことを述べている。 キーワード:参照基準,学習指導要領,大学入試問題,教科書

Ⅰ.はじめに

 参照基準に関して,高校の現場では全く関心も持た れておらず,論議もされていないというリアルな現実 を踏まえることからこの報告をはじめておきたい。  学術会議という存在が,高校の現場では認識されて いない。学術会議という組織があり,何かをやってい るというところまでは多くの教員は知っているだろう。 しかし,どんなメンバーがいてどんな活動を行い,そ の影響が現場の自分たちにどうかかわってくるか,そ こまでの関心はほとんどない。その意味では,残念な がら,参照基準が高校生にもわかる平易な言葉遣いを こころがけたとしても,その前段階の高等学校の教員 まで参照基準の内容は届いていないので,当の高校生 には当然ながら届いていないことになる。1)また,参 照基準の書きぶりは,この種の文書ではしかたがない としても,強烈な問題意識や訴えを感じるものではな いので,その点からも届いていないということになの ではないかと思う。2)ただし,これはのちに触れるが 批判派の声も,現場教員や高校生にどこまで届いてい るのかという点では,どっこいどっこいであろう。  本当に届けたい対象がどこなのかの確認が必要であ る。その上で,そこにどのくらい届いているかの,そ の確認がないと,大学の経済教育をどうするかという 問題への視野は得られないということである。  そのうえで,本報告では,高校現場の体験を踏まえ て,本当に高校生まで届けたいなら,次の 3 つを検討 すべきであると提言したいと考えている。  第一は,高校までの学習指導要領を視野に入れた参 照基準であるべきである。  第二は,本当に届けたいなら,自分たちの考えを体 現した教科書を作成する必要がある。  第三は,大学入試問題を再検討して,経済学からみ て良問を出題すべきである。  この 3 つである。以下,その理由や背景を述べてゆ きたい。

Ⅱ.参照基準への私見

 本論に入る前に,まずは,参照基準に関する私見を 簡単に述べておきたい。  参照基準を読み,わが意を得たりという肯定的な気 持ちの部分と,これで大丈夫かという心配な部分や欠 落した部分を感じるというアンビバレントな状態が現 在の心境である。

「参照基準」と高校経済教育

-現場からの一考察-

The Journal of Economic Education No.35, September, 2016

Some Thoughts on “Reference Standard” and Economic Education at High School

Arai, Akira

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 前者に関しては,これまで本学会も含め各所で「希 少性と選択」の経済教育の提唱と実践を行ってきた人 間にとって,それと連続する大学レベルの教育の内容 提言が参照基準にしっかり書かれていることがその理 由である。経済学の定義の部分の内容や,基本的経済 概念に「機会費用」が書かれていることについては, 長年その必要性や教育性を訴えてきた人間にとっては, ここまで来たか,という感想である。ただし,著者は 経済学の本質規定に関しての争点については,積極的 に発言する能力はないので,ここに関しては,それ以 上の言及は避けたい。とはいえ,マルクス経済学を学 んだ著者が,責任ある選択ができる生徒を育成するこ とが経済教育の目標であるという立場をどのように とっていったのかに関しては,これまでの本学会の紀 要の論考を参照いただければ有難い。3)  後者に関しては,いくつかの論点がある。  1 つは,アメリカ流の新古典派的経済学教育に純化 していった時の「のっぺらぼー」の世界が来ることへ の心配である。それは,この参照基準に基づく教育を する結果がほのかに見えるからである。これは,学習 内容と到達目標が明確だが,それが一種の知的ゲーム になってしまう風景である。これは主流派経済学のパ ラダイムを肯定した経済教育をすすめる立場を支持す る本報告者の立場から言えば一種のパラドックスであ るが,アメリカの経済教育の実際をみるとそうなるだ ろうなという予感である。アメリカだけでなく,日本 でもすでにその傾向は表れている。4)  この知的ゲーム化に関して言えば,いわゆる主流派 経済学が功利主義のベースに立ち,効用の最大化を経 済活動の目的とする限り,ある種必然でもある。また, 制度化された学問の宿命でもあろう。5)それを克服す るには,主流派経済学に近い研究者ですら問題視して いるように,現実と理論の関係をしっかり見つめた教 育を目指すことが必要となる。その点では,高校まで の教育も同じ課題をかかえている。6)  2 つ目は,参照基準では,導入教育の必要性の箇所 で多少触れているが,大学での経済学教育の水準と関 連する,高校までの経済教育に対して影響を与えてい る大学側の責任が書かれていないことへの欠落感であ る。  参照基準の導入教育の必要性の部分では,「大学入 試の多様化」が学力水準の低下(本文では「学力の背 景や学力水準の乖離」という表現)を招いたとの指摘 がある。しかし,入試の多様化が学力水準の低下を招 いたのは,推薦入試による早期の囲い込みがもたらし た結果であることは事実であるが,他の要因の方が大 きいといえるのではないか。  私見によれば,学力水準の低下は,大学までの学校 教育の失敗である。教育改革の名のもとに,必要な基 礎を学ぶべき時間に多くの無駄な時間(総合的な学習 時間が典型)を費やしてしまっている結果である。そ の最後のつけが大学教育に回ってきているのである。 その意味では,大学は,入試の多様化による制度いじ りをした加害者でもあるが,同時に被害者でもある。 その点に対して,痛切な反省や,学力向上を大学側か らどう高校までの教育に働きかけるかという問題意識 が参照基準からはほとんど感じられないのである。  それを象徴しているのが,高校現場の教育内容を実 質的に規定しているのは,学習指導要領とそれに依拠 する教科書,および大学入試問題であることの認識が, ここからは伺えないことである。そういった枠組みの なかで取り組まれている高校までの経済教育と大学の 経済教育の関連への言及が弱い,ということを指摘し ておきたい。7)この点はこの種の文書では,これ以上 の言及は難しいであろうことを考慮すると,参照基準 を書かれた先生方や批判的な先生方がどこまでこの種 の問題に自覚的であるかということでもある。8)  3 つ目は,教師教育の立場から,教壇に立っている 現役教師及び将来教壇に立とうとするその「たまご」 向けの教育への目線が無いことへの危惧である。これ もこの種の文書では仕方ないことであろうが,経済学 を学ぶ人間のなかに,現役教師や教壇に立とうとする 教師の「たまご」の重要性も視野に入れてほしかった。  教員は,効率だけでなく公正に関しての指向性が強 い。現役の公民科の教員たちは,市場経済の現実は肯 定しつつも,主流派経済学の効率や公正概念をしっか り理解しているわけではない。そのため,これまでの 教員としての体験や大学時代に学んだ経済学(マルク ス経済学)の影響もあり平等指向が強い。また,現実 の経済現象を批判的にとらえたい指向が強い。それら の教員や,その教員に教育を受けてきた「たまご」た ちに対して,参照基準はどこまで自覚的で説得的であ ろうとしているのだろうか。9)

Ⅲ.参照基準と高校経済教育の実際

 ここでは,参照基準に登場する概念や経済学の考え 方が,高校経済教育までのレベルでどのように扱われ ているかを見てみたい。検討の対象は,4 の「経済学 を学ぶすべての学生が身につけることを目指すべき基

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本的な素養」のなかのものに限定する。 1.「すべての学生が獲得すべき基本的な諸概 念」に登場する用語 ①市場経済システム  これは,これまでの高校経済教育では大きなページ を割いてきた。ただし,「市場経済システム」という 概念よりは,「資本主義経済」という概念で経済学習 の冒頭に登場する用語であった。  資本主義は,参照基準では「資本主義経済システ ム」という言葉で,封建制社会の経済システムに対比 されてこの言葉が使われている。しかし,これまでの 高校経済教育では,資本主義経済という言葉は,封建 社会との対比というより,資本主義の次は社会主義で あるというような発展段階論的な扱い,歴史的な扱い をされてきた。それを象徴するのは,学習指導要領の なかの使用法である。  例えば,平成元年版の学習指導要領では,「経済社 会の変容と経済体制」のなかで「資本主義経済の発展 と変容」として扱われ,「社会主義経済とその現状」 と対比させるような形で扱われていた。また,平成 11 年版学習指導用要領では,「経済社会の変容と現代 経済の仕組み」のなかで「資本主義経済及び社会主義 経済の変容」として扱われてきた。  このような資本主義認識がはたして意義があるのか という問題意識から,現在の学習指導要領では,「現 代経済の仕組み」のなかで「経済活動の意義」という かたちで経済社会全般の特色を考察することとなり, 資本主義経済ということばは使われなくなっている。 その意味では,現在の学習指導要領は参照基準の発想 法と同じものとなっている。 ②需要と供給  これも,高校経済教育で大きなページを割いている。 市場における価格の決まり方は中学校でも扱われてい る。その点では,かなりの常識的知識である。しかし, 市場価格の決まり方に関しては,需要量と供給量,需 要と供給の区別がついていない教科書もある。そもそ も価格が需要量と供給量で決まるというのは,完全競 争を前提としたモデルでの出来事であると言うこと自 体をほとんどの教科書は説明しないで,いきなり特定 の商品を事例として需要と供給を説明しようとする。 それが現状である。 ③市場の均衡と不均衡  この概念は,高等学校の経済教育では正確には教え られていない。均衡価格という言葉は登場するが,そ れが安定的であるというイメージで登場するので均衡 は望ましいものという理解が先行してしまう。「均衡 でも完全雇用や資源の最適配分が実現するわけではな い」という参照基準の言葉そのものの内容は,指導要 領でも教科書でもケインズについては言及しているが, それが参照基準の言葉通りの理解に達しているように 書かれているわけではない。その意味では,それを教 える教員も生徒も,内容を十分に正確に把握している わけではない。 ④国民経済計算体系  学習項目としてはかなり重要視されている。大学入 試にも頻出事項である。しかし,その意味や活用方法, 特に三面等価の意義やそこからのインプリケーション が全くないため,単なる暗記事項になってしまってい る。10)マクロ部分では最も教えづらい部分である。 ⑤経済成長と景気循環  ここも学習項目としては重要視されている。しかし, なぜ経済成長がおこるのか,また,景気変動の要因, 原因などはしっかり教えられているわけではない。そ の代わり,景気の波の種類(キチンの波など)がセン ター試験にも登場するように,形式的な暗記事項と なっていて,経済の変動を自分の眼で見る姿勢を十分 に育てているとは言い難い。 2.「日常生活や意思決定や職業人としての経済 活動に役立たせる」に登場する内容 ①機会費用  これまでは,学校教育でほとんど取り上げられてこ なかった概念である。しかし,考え方は学習指導要領 の解説本には書かれていた。平成 22 年版の現行指導 要領で,「経済活動の意義」が入ったことがきっかけ となり,「政治・経済」の教科書では,3 冊が機会費 用という言葉そのものを本文に取り入れたものが出版 されている。11)その概念の理解と普及はこれからの課 題である。 ②「限界」概念  高校までは,全く取り上げられていない概念である。 授業実践の中では,例外的に取り組んだものもあるが, 指導要領,教科書レベルでは全く取り上げられていな い。12)これが取り上げられていないことにより,需要 と供給に関しては,需給曲線のグラフが限界効用,限 界費用を表わすものであるという理解は,高校レベル では全く行われていない。 ③インセンティブ  これも,用語を登場させている教科書はあるが,教

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室の授業ではほとんど取り上げられていない概念であ る。人々がインセンティブに基づいて行動するという ことは時々には取り上げられるが,その意味も含めて 体系的な理解はほとんどなされていない。ただし,最 近の行動経済学などの紹介やテレビ番組(E テレ『オ イコノミア』,『出社が楽しい経済学』)などがあり, 授業で取り上げる先生はいないわけではない。 ④戦略的行動  これまでの経済の授業では,語の正確な意味では取 り上げられていない。しかし,国際政治でゲーム理論 が取り上げられていることもあり,特に,体系的でな くともある程度授業では取り上げられ,生徒は理解し ている。また,センター試験にも出題されるので,受 験校では必須の学習項目になっている。 ⑤不確実性と期待  リスク概念は,金融知識の箇所でリスクとリターン の関係として取り上げられているが,それ以上の広が りで取り上げられることはない。また,期待に関して も,高校までの経済学習で取り上げられることはない。 しかし,私立大学の入試問題では,期待値を計算させ る問題がこの数年出はじめているので,受験生をかか えている学校では,取り扱う項目になりはじめている。  以上,簡単に高等学校までの経済教育のなかで,こ れらの概念がどう扱われているかを紹介した。  ここから言えることは,参照基準が重要と考えてい る概念や経済学の発想法は,高校までの経済教育では つまみ食い的に登場するだけで,体系的に扱われてい るわけではないということである。それがなぜなのか は,高等学校までの教室での授業を実質的に拘束して いる学習指導要領の内容とその独特の力学の存在,お よび大学入試問題が要因となっているからである。そ こへの切り込みが,参照基準を肯定するにしても,批 判するにしても必要になっていると言える。

Ⅳ.参照基準と学習指導要領,大学入試問

 ここからは提言の内容に入る。まず,第一の提言に 関連する,学習指導要領からとりあげる。  参照基準は参照でしかないが,学習指導要領は強制 力をもっている。その違いの認識をぜひ大学の先生方 は持っていただきたい。また,その作成には独特の力 学が働いていることも理解していただきたい。  独特の力学とは何か。学習指導要領は,官庁文書で あるから,基本的に前任者の内容を全面否定すること はできない。したがって,様々な事情で古い部分がの こり,その上に新しい内容が部分的に上書きされてゆ く。その意味では一種の「キメラ」のようなものにな らざるを得ないということである。それは,多様性と はとても言い難い。  また,経済概念も経済理論も,経済史的な内容も, そのうえに日本経済の諸問題も世界経済の諸問題もと いうように内容的にも何でもありありの構成になって いるので,その点からも「キメラ」になってしまうの である。  したがって,指導要領をベースにする教科書が経済 学者の目から見ると,とてつもない雑多な要素を含ん だものとしか見えなくなってしまうはずである。13) たがって,本分科会のコーディネータをつとめられて いる大坂洋先生が「日本の経済学会の多様性が中高の 経済教育から一貫性をうばうネガティブな面があっ た」と書かれているのは,半分は正しいが,半分は学 習指導要領の独特の力学と構成があり,そのもとで作 られる教科書の特異性を十分に認識されていない評価 といえないだろうか。  前半の正しさは,学習指導要領の戦後史を振り返っ た時のマルクス経済学の影響力の強さである。例をあ げてみよう。独占の歴史形態である,カルテル,トラ スト,コンツェルンがいまだ教科書には残っている。 また,価格の下方硬直性や,公共料金の設定の理由な どもそれにあたるだろう。また,大坂先生が指摘され ているように,資本の概念は明確に規定されていない ので,いかようにも解釈が可能であり,教科書では, マルクス経済学的な理解と,主流派経済学の理解が混 在してしまっている。特に中学教科書で特徴的である が,企業の教え方は現在もマルクス経済学の G - W - G' の発想そのものである。  それでも,現在の学習指導要領の「政治・経済」の 部分は整理されていて,項目だけをみてゆけば,参照 基準の内容に近いものになりつつある。これは,ここ 何回かの指導要領の改訂ごとに,主流派経済学とその 影響のもとで成立している米英の経済教育の影響が 徐々に出てきていることの反映でもある。ただし,そ れが全体を包摂していたり,一貫性を持っているわけ ではないので,経済学に対する定義部分のあいまいさ も含め,理論も歴史も現状もと,何でもアリ状態の 「キメラ」となってしまっているのである。これを整 理しないと,実は参照基準の精神は実現されない。  整理の方向は 2 つあると思う。1 つは,参照基準の ような主流派経済学のコア部分だけをやさしく丁寧に 教えて,シンプルなものにしてゆくことである。もう

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1 つは,高校までは経済を教えるのだから,経済の仕 組みが理解できればよいとして,生活経済学風に役立 つもの,そのなかで必要なら経済学の知見を入れ込む という形であろう。後者の発想からさらに飛躍すれば, 高校までは経済を教えずに歴史を通史できちんと教え るとか,問題意識だけを喚起しておけばよいという発 想もでてくる。14)  もし,高校までの経済教育にも自分たちの理念を生 かす教育を実現したいのであれば,肯定派も否定派も, 指導要領作成の力学を承知したうえで,内部的に改善 の努力をする必要があろう。  内部的に改善の努力とは,学習指導要領の作成の協 力委員となるか,提言の第 2 項目として訴えている, 教科書の執筆者となることである。ただし,学習指導 要領では,文科省との関係が悪くては排除されること は容易に想像される。その意味では,どちらの派でも, 自分たちの理念にあう高校教科書もしくは準教科書を, 指導要領を読み解きながら作成してゆくことが一番で ある。15)それを世に問うことで市場競争をしてみるこ とは 1 つの見通しをえることにはなろう。ただし,検 定教科書を作成する場合は,やはり多くの制約のもと で作られ,採用されているので,完全な市場競争には なりえないのだが,挑戦の価値はあると言えるだろ う。16)  次に提言の第三の項目である,大学入試問題を取り 上げる。  指導要領と並んで,現場に大きな影響力をもつのは 大学入試問題である。ただし,大学入試を視野にいれ たいわゆる受験校,進学校は高校全体の 3 分の 1 程度 であろうから,学習指導要領に比べると影響力は当然 小さいものであることがここでの前提となることはあ らかじめ断っておきたい。  大学でも,国立大学の先生方は,センター試験に関 わることもあろうし,私立大学の先生方は「政治・経 済」が選択科目に取り入れられていれば,直接出題者 になることもあろう。  大学入試問題に関しては先にも触れたように,分析 がある。ここでは,経済学の重要概念を入試問題とし て取り上げるプラスとマイナスを指摘しておきたい。  プラス面では,教室での学習の強い動機づけとなる ことがある。先にも触れたが,「すべての学生が学ぶ 基本的概念」とされた,戦略的行動や不確実性は大学 入試問題では出題されている。機会費用に関しても同 様である。これらの大学からのメッセージを高校側も 受け止めて学習指導要領や教科書を超えた「受験対 策」をするインセンティブが与えられている。ただし, これは同時にマイナスにもなる。体系的かつ一貫性の 観点からその部分が問われるのではなく,つまみ食い 的に出題されるのが入試問題であるから,単純な暗記 ではなく応用的に考えなければいけない問題でも,所 詮は暗記という対応になりがちである。特に,日本で は社会科は暗記という通念を生徒はしっかり持ってし まっているから,どんな良問を出してもドリル的な対 応で対処するということになりかねない。  高等学校までの経済教育に関わることは,研究者に とっては余技,雑用であり,どこまで真剣に取り組め るか,それぞれの先生方の立ち位置,指向によると思 われる。しかし,自分たちの教え子たちがどのような 知的環境で育ってきているのかに関心を持つことから 大学の経済教育の基礎は始まるのではなかろうか。17)

Ⅴ.私的体験からみる高校での経済教育と

参照基準

 ここでは,著者の個人的な体験と実践,さらに報告 者からみた高校までの経済教育の実態を報告したい。 したがって,この部分は,エビデンスが求められる教 育論議のなかでのまさに個人的見解,ある種のエッセ イである。 ①経済概念を基盤とする経済教育  本学会の紀要にも何回か書いているので,簡潔に書 く。報告者が主流派経済学に依拠する経済教育をはじ めた背景には 3 つある。1 つには恩師三戸公先生の影 響からドラッカーを知ったことが第一である。第二は, アメリカの経済教育に触れるチャンスを与えられたこ とである。第三は,教科書通りの授業や受験シフトを 強要されず,様々な試行錯誤を許容する学校現場の雰 囲気である。18)それぞれが相まって,希少性と選択の 経済教育が形成された。責任ある選択ができる生徒を 育てるために,希少性,機会費用,需要供給の法則, 比較生産費説の 4 つを徹底的にたたきこめば,あとは 生徒が置かれている状況のもとでそれぞれに伸びてく れるはず,と言うのが報告者の考えである。叩き込む 方法としては,講義もあるが,体験的学習を多く取り 入れ,発見できたものは何かと問いかけながら,概念 を学ばせることをこころがけた。  このような試行錯誤が,結果としては,参照基準が 目指している内容や方法と合致しているのは,半分は 教員生活で出会った人たちからの影響による偶然であ り,残り半分は,その後,主流派経済学の内容や発想 を学びながら教えてきた成果かもしれない。

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 生徒はこのような教育をどう受け止めたのか。10 年前のアンケートであるが,ある程度の評価をしてい ることが分かっている。19)その意味では,十分とは言 えないが,間違った教育をしてはこなかったと現在の 時点では自己総括している。 ②経済学部に進学した卒業生  報告者が自覚的に経済教育に取り組んでから約 30 年たった。その間に,多くの生徒を教えてきたが,経 済学部に進学した生徒はそれほど多くなかった。特に, 16 年間勤務したトップの進学校では,社会科学に指 向する生徒は,法学か社会学系に向かう生徒が多いの が特徴であった。経済学部に進学しようとする生徒の なかに,少数の経済学を学びたいという生徒はいたが, 将来つぶしが効くという功利的な選択をしているケー スが多かったように思う。  何人か経済学の大学院に進学した卒業生はいるが, 残念ながら彼らとのコンタクトはないので,研究者養 成の土台をつくるという点では,私の授業は成功とは 言い難い。 ③学生のタイプからみる経済学部学生  報告者が非常勤講師で出講している上智大学の講座 は,教員養成向けのものなので,多様な学部からの学 生が受講している。とはいえ,大半は教育学,哲学, 神学,心理学など人文系の学生が多い。そこでの, 「論争」を再現してみる。20)  それは,経済の教え方の講義とそのなかで扱った機 会費用概念に関してリアクションペーパーに次のよう な声があがったことからはじまった。  「経済は何かを損することを問う考え方が基本にあ るように感じた。私は大学で経済学の授業をうけてい ないため本当にそうなるかはわからない。だが,少な くとも私が学んでいる教育学は,理想や希望を問う学 問のように思う。…,機会費用の感想としては私はこ の考え方が嫌いです。好き嫌いなどこの考え方に求め られてはいないと思いますが,その間に何を損をした のか,得たのかなど分からないと思うのです。…」(教 育学科,K)。同種の意見が教育学科の学生から複数 でてきた。「…私は教育学科に所属しているため,教 育学の考え方が知らず知らずのうちに身にしみ付けて きている。そして利潤を追求する経済学は,教育学と 全く逆の学問だと学科の先生に習った。経済では利益 のために無駄なものを切り捨てる。しかし,学校で, 落ちこぼれを切り捨ててはいけない。むしろいかに落 ちこぼれを立て直すか,であると」(教育学科,Y)。  それに対して,翌週次のような反論がでた。「リア クションペーパーを見て,経済学を誤解している人が たくさんいるんだなと感じました。例えば,無駄なも のを排除する,情けのない,助け合いができない合理 主義者と書いている人がいましたが,経済学をやって いる人たちは,情けを無駄なものとは思っていません し,排除しようとしていないと思います。…このよう な(一定の仮定のもとで,個人が合理的に行動するこ とで社会的余剰が最大化されることを示す)授業が増 えてこういった経済に対する誤解が少なくなればうれ しいです」(経済学院,Y)。  この反論は,大学院生なのでさすがに経済学の基本 原理と発想をしっかり踏まえている。この種の反論が, 学部学生や他の専攻で経済学を学んだ学生からでてく れば大学での経済学の教育は成功である。しかし,同 種の批判は毎年多くだされてくる。経済学が何を解決 するために学ぶ必要があるのか,それを学ぶことでど んな世界が開かれるのかという経済学をめぐる根本が, まだ本当に理解されていない証拠である。その責任は, 大学教育だけでなく,高校までの教育も負わなければ いけないだろう。

Ⅵ.参照基準と大学教育

 大学における経済学教育に関してはここでの範囲で はないので,『経済学と経済教育の未来』(桜井書店) で印象的だった,高校や大学の経済教育の現状に関す る発言をごく一部だけあげておく。(敬称略)  八木:内容で縛られることを拒否しても,出口で縛 られることがある。(p.53)  大坂:現在の中高の公民分野の教育の現状は,日本 の経済学の多様性の負の側面を凝縮した形で表してい る。(p.59)  浅田:私が勤務する中央大学を含む一部の私立大学 では,学生の需要に応じた科目供給を行えば,ミクロ 経済学とマクロ経済学はなくなり,マルクス経済学が 必修科目になるかもしれない。(p.151)  橋本:国立大学や有名私立大学の多くに存在する経 済学部・経済学科が本当に必要とされ続けるのか,と いう意識をもって,今回の参照基準づくりはなされた のであろうか。(p.241)  このなかで個人的に印象的だったのは,浅田氏の部 分である。正直そうかもしれないと笑ってしまった。 先に触れた経済学部進学の生徒の動機やキャラクター, また,経済学部生の多くが,経済学は文系であると考 えて進学していることを考えると浅田氏が指摘する,

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小難しいモデル操作や計量的な分析などから逃避する ことは十分に考えられるのである。  つまり,現代の経済学部の学生は,やや皮肉すぎる 表現だが,すでにできるだけ合理的に最小の努力で最 大の効果をあげようとする指向をもっているというこ とである。この点では,橋本氏が指摘している現代経 済学部の学生の実態は正鵠を射ている。これは,主流 派経済学による教育が生み出したものというより,現 代の社会,その中の大学が生み出した事態であると同 時に,教育の持つパラドックス,意図せざる結果が生 み出したものなのかもしれない。  マルクス経済学が主流派になった場合は,逆に少数 派の近代経済学にある種の批判精神の回路を見つける ことも可能になり,そちらを支持する学生が多くなる ことも起こるかもしれない。実際,私の卒業した大学 では,経済学部の講義は全員がマルクス経済学であっ たが,圧倒的多くのサラリーパーソン指向の学生たち はダブルスタンダードで,必要な近代経済学の知識を 別のルートで取り入れていた。  その点から考えると,中途半端に経済学の多様性を 持ち込むより,体系的なディシプリンを持つ学問をあ る段階でしっかり教えることが,逆説的だが,社会的 適応にとっては良いことであるのかもしれない。さら に言えば,しっかりした体系の存在そのものが,パラ ダイムシフトを目指す少数の精鋭にとって乗り越える べき壁となるのかもしれない。

Ⅶ.まとめと提言

 最後に,著者の提言を再度強調してまとめとしたい。  参照基準の経済学を,本気で大学および高校までの 学校教育に取り入れるのであれば,また,本当に批判 をしたいのであれば,  ①学習指導要領への関心とそれへの参入を心がける べきである。  ②それぞれの立場にたった教科書を作成すべきであ る。  ③大学入試問題ではすくなくとも経済学から見ての 良問を出題すべきである。 この 3 点にしぼって提言したい。  以上は制度の問題である。ただし,著者は,個々の 教員の問題意識と教育へそそぐエネルギーがどのよう なものなのかが最終的には教育の質を決めると信じて いる。その点では,大学でどのような学問を伝える人 間に出会うのかが最終的に教育の質を決めると思う。 教育は制度ではなく属人的なものであるというのが, 40 年の教師生活の結論であり,経済教育でも同じで あると感じている。 註 1) 参照基準の検討委部会の委員長をされた岩本康志氏は, 参照基準の経済学の定義部分はこれから大学に進学する 高校生のために書いたと述べている。『経済学と経済教育 の未来』桜井書店,2014,p.296 参照。 2) 口の悪い表現でいえば,東大語法である。 3) 本学会には,「経済概念を規定にすえた高校における経済 学習の一例」『経済学教育』第 10 号,1991 をはじめ,「機 会費用の教育性」『経済教育』第 23 号 2004 など,大会で の自由研究発表をベースとした一連の論考を掲載してき ている。ちなみに,1991 年の論考のもとになった大会発 表を行ったときは,報告者のような経済教育は所詮新古 典派のものなんですね,それは生徒の経済認識を深める ものではないと批判された。 4) その点から言えば,公務員試験の経済学はすでに主流派 経済学からの出題となっていて,ドリル的に経済問題を 解くことが当たり前となっている。 5) 経済学の制度化に関しては,すでに 30 年前に佐和隆光氏 が『経済学とは何だろうか』岩波新書,1982 年で指摘し ている。例えば,同書 p.100 などを参照。 6) 例えば,大瀧雅之氏の『景気循環の読み方』ちくま新書 2001 年,には「社会や経済の動きにほとんど無頓着な人 たちが,現実とは無関係の数理パズルコンクールを経済 学と信じており,かつ,そういった「信仰」を持つ人が 決して少なくない」p.6 と言う表現がでてきている。 7) 「大学入試問題と高校経済教育」『経済教育』第 30 号 2011 年,参照。著者の所属する経済教育ネットワーク(篠原 総一代表)では,大学入試問題の分析を継続的に行って いる。その成果をまとめたものが,この論考である。多 くの私立大学の経済学部では,「政治・経済」を入試の選 択科目の 1 つとして出題している。その問題は,大学の 経済学部もしくは社会科学系学部での教育を受けるにふ さわしい学生を選抜するのにふさわしいとはとても言え ない内容であることが分析されている。その意味で,出 題者になったことのある大学の先生方の真意を聞きたい ものであると常々感じている。 8) 『経済学と経済教育の未来』のなかで,学習指導要領と入 試問題に言及しているのは,橋本勝氏のみである。(同書 p.241) 9) 「教育系学生はなぜ経済がきらいか」2008 年度日本社会科 教育学会第 58 回全国大会自由研究発表。この論考では, 筆者が経験した,社会科公民科教育法での学生とのやり とり,学生間の議論から,経済学に対する教育系学生の 忌避感,それを生み出す教育学部系の経済教育の貧困を 指摘してある。また,現職の教員の意識調査では,淺 野・山岡・阿部「高等学校公民科教員の研究:経済教育 の視点から〔1〕および〔2〕」『山村学園短期大学紀要』 第 23 号 2014 年,第 24 号 2015 年,参照。全国 1500 人の 公民科教員の引き裂かれた意識が分析されている。 10) この部分に鋭く迫ったのが,菅原晃氏の『高校生からわ かるマクロ・ミクロ経済学』河出書房新書,2014 である。 同書は,三面等価を切り口にしてマクロ問題と国際経済 問題を説明している。現役の高校教員が書いた本がベス トセラーになっているということ自体が,大学の経済学 者と高校までの教育との乖離を象徴しているかもしれな い。ただし,菅原氏が述べている内容を多くの,いやほ

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とんどの高校教師が教室で教えることができているとは 到底思えない。 11) 東京書籍,実教出版,清水書院の教科書である。著者は, 東書版は間宮陽介氏,実教版は諸冨徹氏と推定される。 また,清水版は新井が書いた。 12) 猪瀬武則「経済的意思決定能力を育成する環境学習の授 業構成―費用便益分析,限界分析の事例を中心に―」『社 会科教育研究』第 70 号 1994 年,日本社会科教育学会, がほぼ唯一の実践事例であろう。 13) 「経済概念学習の可能性-教科書の変遷を手がかりに-」 『経済教育』第 33 号,2014 年,参照。この論考では, 1965 年の学習指導要領の改訂で作られた「政治・経済」 の教科書分析とその後の消長から,教科書がどのような 経済学の流れから作られ,それがどう受け入れられたの か,逆にうけいれられなかったのかを分析している。こ の時点では,当時の近代経済学者も教科書の執筆をして いるが,それらの教科書は全く受け入れられなかったこ とを明らかにしている。 14) 後者の発想を本来持つべき教科として「現代社会」があ るのだが,現行の「現代社会」の経済の扱いは,「政治・ 経済」と同じ構成原理を薄めて書かれたものとなってい る。次回の指導要領で導入が予定されている「公共」と いう新教科はおそらく後者の原理で作られるはずである が,全く未知数である。 15) 教科書を作成する場合は,多人数の著作になるが,望ま しいのは単独執筆もしくは少人数の執筆である。なぜな ら,多人数での執筆ではどうしても一貫したものとはな らないからである。本当に執筆していたかは不明である が,かつては有沢広巳氏の個人名(本人のサインが教科 書に掲載されていた)で刊行されていた社会科の教科書 があり,それなりの支持を獲得していたことがある。も ちろん,教科書会社は,少なくとも採算があうものを条 件とするであろうから,これは理想であるが,大学レベ ルでのサムエルソン,マンキュー,スティグリッツ,ク ルーグマンなどの教科書作成の知恵(基本部分は本人が, 附属部分は協力者が関わる方式)が高校教科書でも必要 となろう。 16) 歴史教科書では,「作る会」の教科書はこの力学を利用し て登場した。逆に,排除されてしまった旧日本書籍版の 著者たちは,『学び舎』の歴史教科書をつくり存在をア ピールしている。 17) 高橋智也・鈴木久美『超入門経済学』ミネルヴァ書房 2014 年,では「経済学を学ぶ経済の常識が欠落している ケースが多い」「経済学に対する理解力がここ数年落ち込 んでいる」「偏差値が 60 以上の大学で教えていても,経 済学の理解力の大幅低下のため,首をかしげるような ケースが多々あります」と言っている。現状は,それほ ど危機的なのである。 18) 学校の雰囲気に関しては,都立高校に勤務していたこと が大きいだろう。ただし,現在の都立高校は学校改革の なかで,私が経済教育に取り組んでいたような時代に あったような自由な雰囲気や環境は狭められている。私 と同じようなスタイルでの授業展開は難しくなっている だろう。 19) 2005 年に卒業生の追跡調査を行いまとめている。2005 年 度科学研究補助金:課題番号 17910002「経済教育の効果 に関する実証的研究」。回収率が 33.3%のアンケートであ るが,以下のようになっている。前半は記憶,後半は生 活のなかでの効果の数字である。     希少性        58.1%     50.2%     機会費用       45.9%     33.9%     コストとベネフィット 91.9%     83.8%     需要と供給      98.1%     89.3%     比較優位       45.7%     37.9% 20) 脚注 9 の「教育系学生はなぜ経済がきらいか」の一部内 容の紹介である。

参照

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