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H25第1回世界遺産講座(1)

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Academic year: 2021

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(1)

相川金銀山と鉱山集落

上相川の調査事例から-

佐渡市世界遺産推進課

宇佐美 亮

(2)

暫定一覧表記載

推薦書案作成

推薦書提出

現地調査

世界遺産登録

平成22年「金を中心とする佐渡鉱山の遺産 群」の名称で、我が国の世界遺産暫定一覧表 に記載。

世界遺産登録までの流れ

国が推薦書を作成し、ユネスコ世界遺産セン ターに提出。 新潟県・佐渡市が協力して作成。 ユネスコからの依頼により、イコモス(国際 記念物遺跡会議)が専門的な見地から現地調 査を実施。 現地調査やその後のイコモスでの審議結果を ふまえ、ユネスコ世界遺産委員会において最 終的に登録決定されます。 2

(3)

世界遺産登録に向けた

佐渡金銀山遺跡の調査

1.

鉱山遺跡の調査 〈構成資産〉

2.

石切場跡の調査 〈構成資産〉

3.

近代化遺産・近代遺跡の調査 〈構成資産〉

4.

文化的景観・町並みの調査 〈構成資産〉

5.

寺院・神社の調査 〈構成資産〉

6.

絵巻・絵図・古文書等の調査 〈補完資産〉

7.

佐渡奉行所跡出土遺物の調査 〈補完資産〉

8.

文化財の指定と保護(保存管理計画の策定)

3

(4)

鶴子銀山跡 新穂銀山跡 吹上海岸石切場跡 片辺・鹿野浦海岸石切場跡 金銀山 砂金山 銀山 石切場

佐渡金銀山遺跡と関連遺跡の分布状況

相川金銀山跡 西三川砂金山遺跡 4

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鶴子銀山と相川金銀山の鉱山集落変遷

中世 江戸時代 前期 江戸時代 中期 江戸時代 後期 明治 大正 昭和 鶴子銀山 鶴子銀山 鉱山集落 相川金銀山 上相川 (鉱山集落) 相川 (上町・下町)1542年発見 1946年閉山●1601年大規模開発22の町1600年金山町当起15の町1873年人口89人1900年大山祇神社廃社 ●上相川番所成立 ●上相川番所廃止 ●1603年相川に陣屋移転 5

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鶴子荒町遺跡の概要

所在地:佐渡市沢根五十里地内(佐和田地区) 代官屋敷の東、しなみ沢右岸の丘陵、標高約80~135m付近に立地。 鶴子銀山に関係する鉱山集落跡の一つです。 遺跡背後(北側)の山中に鶴子銀山があり、代官屋敷を通って採掘地へ 向かうことができます。 安土桃山時代後期頃に成立し、江戸時代中期から急速に衰退して、廃絶 したと考えられます。 安政5(1858)年に描かれた絵図中の当該地域に、かつて集落があり、勝 場(選鉱場)・床屋(製錬場)があったとの注釈が書かれています。 現在、集落は廃絶していますが、斜面を造成した平坦地や道路跡、石段 等が残されています。 6

(7)

鶴子荒町遺跡(北部)の地形図

(S=Free) 地形に合わせて平 坦地を造成してい るが、大規模な改 変はみられないこ とが特徴。 鶴子銀山代官屋敷跡 鶴子荒町遺跡 7

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『佐渡古実略記』に書かれた相川金銀山の記述 「・・・銀山立始リ他国者大勢来リ銀山ノ稼所々ニテはへ木を伐是ヲ以穿 立ニ住所ヲ拵稼所ニ変アラハ崩シ又稼所ニ立テ居住セリ是ヲ山小屋ト云 其後人家定り府中に成事ハ大久保石見守長安御支配ニ成・・・」 銀山(稼所)の近くに掘立柱の「山小屋」とよばれる簡単な住居(掘立柱 建物)を建てていたことが推測されます。 島内外よりたくさんの鉱山労働者が集まりました(北陸では佐渡への渡 海禁止令が出されたことも)。 → 鉱山が不景気になったり、他に好景気の鉱山があると移転。

鉱山にはどのような住居があったのか?

8

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中世鉱山集落の一例

(山梨県湯之奥金山博物館展示)

(10)

相川金銀山跡

(11)

相川金銀山跡の概要

所在地:佐渡市下相川、相川銀山町地内(相川地区)ほか 立地:大佐度山脈の山中及び濁川流域。 慶長元(1596)年頃、相川で鉱脈が発見? 慶長5(1600)年、羽田村より上相川の鉱山集落が登記。 慶長6(1601)年、道遊の割戸・父(てて)の割戸・六十枚間歩で開発が始 まります。 慶長8(1603)年、大久保長安が佐渡奉行となり、鶴子の陣屋を相川に移 転(後の佐渡奉行所)。この頃から相川市街地の整備が進められます。 史料によると、最盛期には約300ヵ所の間歩跡があったとされます。 元禄期(17世紀末)には坑内排水のため、全長約1㎞にわたる南沢疎水道 が開削されました。 明治2(1869)年に官営「佐渡鉱山」となり、近代化に伴い様々な技術導入 が図られたことで、国内の模範鉱山となります。 平成元(1989)年に操業を中止。金78トン・銀2,300トンが採れました。 11

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相川金銀山の絵図

「相川右沢左沢向山銀山図」 元禄7(1694)年 ㈱ゴールデン佐渡所蔵

(13)

相川金銀山の絵図

(14)

「佐渡一国海岸図」天保13(1842)年[部分] 相川郷土博物館所蔵 相川金銀山とともに発展した相川は、当初、「山之内」と呼ばれる金銀山に近い 山間部に集落が形成されましたが、大久保長安の就任以降、佐渡奉行所を中 心として町割が行われました。台地上に「上町」、海岸線沿いに「下町」があり、 T字状に市街地が形成されていきました。 14

相川の鉱山集落

(15)

山ノ内

上相川

相川金銀山 佐渡奉行所跡 寺・寺社等 寺町域 上町 下町 宗太夫間歩 下町の町並 15

(16)

「上相川一筆絵図」(享保18年ヵ) 「上相川絵図」(宝暦2年作成・文化9年調製) 「相川町町墨引」(文政9年) ○『佐渡年代記』 ○『佐渡国略記』 ○『佐渡相川志』など

上相川の史料と絵図

16

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上相川の絵図

17

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上相川に存在した町名

山之神町:修験者居住に由来 鍛冶沢町:沢鍛冶が居住 鍛冶町:鉱山道具の鍛冶職人が居住 鍛冶裏町(街区不明) 田町:農民が居住したことに由来? 田町後町 弥左衛門町:人名。山師に由来? 尾張町(街区不明) 九郎左衛門町:人名。山師に由来? 九郎左衛門裏町 床屋町:製錬所に由来 外記町:人名。山師に由来 外記裏町(街区不明) 番屋町:番所役人の役宅に由来 本町:初期の中心地 小右衛門町:人名。山師に由来? 相川町:「相川」発祥となった町 柄杓町:比丘尼が居住したことに由来 柄杓裏町(街区不明) 茶屋町:茶屋に由来 奈良町:奈良の人が居住したことに由 来? 岩崎町(茶屋平の下) 山崎町(茶屋坂付近) 松入町(所在地不明) 七軒町(所在地不明) 18 人名や職種、出身地に由来する町名が多く残されるが、早くに町並みが消滅 し、現在では所在不明なものがあることに特徴があります。

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大山祇神社 上相川番所 六十枚番所 卍専念寺 卍玄徳寺 卍法花寺 妙恩寺卍 卍専照寺 調査範囲 北 南 西 東

上相川地区の調査

絵図にみる上相川の様子と調査範囲 「上相川絵図」文化9(1812)年調整 相川郷土博物館所蔵 19

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上相川地区の調査概要

所在地:佐渡市上相川町・相川小右衛門町・相川柄杓町・相川奈良町地内 (相川地区) 立地:濁川左岸の標高150~250mの高位段丘上に立地し、東西約800m、 南北約300mで、総面積は約20haです。 安土桃山時代末期に成立し、江戸時代初期に最盛期を迎え、明治年間に廃 絶したと考えられます。 平成15~18年度に調査を実施しました。総調査面積34,900㎡(うち発掘 調査面積291㎡)です。 調査によって、テラス165基・石垣158基・石段3基・道跡9条・水路跡1条な どを確認しました。このほか、炉跡・土坑・ピットが検出されています。 採集・出土した遺物は、16世紀末~17世紀を中心とする陶磁器(肥前陶磁 器、中国産磁器、瀬戸美濃焼ほか)、土器、煙管、銭貨、石磨、扣石、羽口、 鉱滓などです。 20

(21)

上相川

道遊の割戸

約800m

約300m

(22)

上相川地区分布調査の作業風景

作業前

作業後

(23)

九郎左衛門町跡のテラスと道路跡

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本町跡のテラス群

24

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小右衛門町跡の石垣

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弥左衛門町跡のテラス

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九郎左衛門町跡のテラス

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弥左衛門町跡の道跡と石垣

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小右衛門町跡の石段

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弥左衛門町跡の石垣

再利用された石臼

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九郎左衛門裏町跡の窪地

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小右衛門町跡で出土した炉跡

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上相川調査範囲外に残る遺構(専照寺の墓地跡)

(36)
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上相川地区採集陶磁器

―主な陶磁器の産地―

中国産陶磁器(景徳鎮窯、漳州 窯) 肥前産陶磁器 〔佐賀県〕 備前焼(陶器) 〔岡山県〕 京焼(陶器) 〔京都府〕 信楽焼(陶器) 〔滋賀県〕 瀬戸美濃焼(陶器) 〔愛知県・岐 阜県〕 越中瀬戸焼(陶器) 〔富山県〕 金太郎焼(陶器) 〔佐渡〕 中国産陶磁器 肥前陶磁器 備前焼 京焼 信楽焼 瀬戸美濃焼 越中瀬戸 37 金太郎焼

(38)

石磨(左)と扣石(右)

灯明皿(油皿) フイゴの羽口

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テラス ズリ分布 鉱山臼・扣石分布 道跡 水路跡

上相川調査区内遺構分布図

上相川地形図(S=Free)

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鉱山集落模式図(例)

○床屋

製錬設備または製錬場 があった場所。

○勝場

鉱石の粉砕や選鉱を 行った場所。

○山師の家

鉱山経営者。お抱えの 技術者がいた。

○鍛冶小屋

タガネなどの鉱山用具 の作成などを行った場 所。 40

(41)

絵巻にみる勝場内の作業

磨場・粉成〔選鉱〕の場面 「佐渡銀山往時之稼行絵巻」[部分] 佐渡市所蔵

(42)

下磨

42

鉱山集落の鉱山臼と扣石

(43)

調

種 別 個 数 鉱山臼 粉成用上臼(1) 276 粉成用下臼(2) 115 その他の臼 粉挽臼(3) 7 不明臼(4) 3 扣石 扣石(5) 240 その他の石製品 石塔(6) 1 石製品(7) 2 総 計 644 石製品(7) 0.31% 石塔(6) 0.16% 不明臼(4) 0.47% 粉挽臼(3) 1.09% 粉成用下臼(2) 17.86% 粉成用上臼(1) 42.86% 扣石(5) 37.27% 43

(44)

本町石製品比率 1 41% 2 17% 3 37% 7 2% 5 3% 1 2 3 4 5 6 7 小右衛門町石製品比率 1 62% 2 15% 7 1% 6 1% 4 1% 3 20% 12 3 4 5 6 7 九郎左衛門裏町石製品比率 1 24% 2 8% 3 68% 1 2 3 4 5 6 7 九郎左衛門町石製品比率 1 45% 2 12% 3 37% 4 4% 5 2% 1 2 3 4 5 6 7

上相川の町ごとにみた石製品比率

上磨×53 下磨×13 扣石×17 石製品×1 石塔×1 粉挽臼×1 上磨×6 下磨×2 扣石×17 扣石×22 扣石×19 上磨×24 上磨×24 下磨×10 下磨×6 粉挽臼×2 不明臼×2 不明臼×1 石製品×1 44

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上相川地区の調査成果

斜面を造成した平坦地や石垣等が現在も良好な状態で保存されていました。 絵図と現地形を比較した結果、絵図に描かれている道が現在も多く残されて いることが判明しています。 20ヘクタールという広大な鉱山集落遺跡は、国内的にみても類例がないとい われています。 上相川からは、16世紀末~17世紀を中心とする近世の碗、皿、すり鉢等の 陶磁器類や灯明皿等の土器、羽口等の土製品、煙管等の金属製品、鉱滓な どが出土・採集されています。 石磨や扣石、ユリカス、ズリ、鉱滓、羽口等の鉱山の選鉱・製錬に関係する遺 物が集中している区域が見られ、職種別の住み分けがあったことが推測され ます。 45

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江戸時代の製錬技術

灰吹法(鉛を使った製錬)

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江戸時代の製錬技術

焼金法(塩を使った製錬)

長竈跡

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鶴子荒町遺跡と上相川の違い

荒町遺跡では大規模に地形を改変しない不整形のテラスが多くみられます が、上相川では道路に面して長方形のテラスが連続しており、より大規模な 地形の改変が行われていると考えられます。 → 為政者による意図的な町づくりの意識 荒町遺跡では、町名が残されていませんが、上相川では、人名・職名・出身 地名を指す町名が多く見られます。 → 有力山師や職種ごとのまとまった単位で町が形成 上相川では、分布調査の際に、羽口や鉱滓(製錬場or鍛冶場)扣石や石磨 ・ズリの集中する(選鉱場)テラスが見られるため、職業ごとに住み分けが行 われていた可能性が考えられます。 上相川の発掘調査を行うことで、近世の鉱山集落の様相や当時の鉱山技 術が明らかになる可能性があります。 48

(49)

近世の構成資産体系図

佐渡を支えた経済基盤

佐渡奉行所

鶴子銀山 鉱山都市相川 寺社 能舞台 相川往還などの旧道 西三川砂金山

相川金銀山

新穂銀山 佐渡=一国天領 鉱山を中心とする独立した 社会・経済システム 八幡砂丘の畑 姫津漁村 海岸段丘の水田 御林 港 その他の鉱山 食糧供給 木材供給 石材供給 歴史的な景観・補完資料 金・銀など 石切場 古文書 絵巻 絵図 銀 金・銀 銀 砂金 鉛 49

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一般的に鉱山集落は、鉱山の消長と共に移転・廃止するため、短期間で終 わってしまうものが多いようです。 しかし、佐渡金銀山の場合、鶴子銀山の発展により、人・物が佐渡へ集まり、 相川金銀山の発見・発展と上相川の成立につながります。 相川金銀山では、長期間にわたって金銀の採掘が行われたことで、上相川 から市街地が拡大し、やがて、現在の相川市街地が形成されていきました。 上相川は、安土桃山時代から江戸時代初期における、鉱山集落の変遷、鉱 山技術史を考える上で、重要な遺跡であり、今後の調査成果が重要な意味 をもつと考えられます。 上相川は、一大生産・消費地であった「佐渡金銀山遺跡」の全容を知るため に重要な構成資産であるため、今後も多角的な観点から調査を継続していき たいと考えています。

鉱山集落の変遷 ~鶴子から相川へ~

50

(51)

ご静聴ありがとうございました。

神事芸能「やわらぎ」

参照

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