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― 主な陶磁器の産地 ―

ドキュメント内 H25第1回世界遺産講座(1) (ページ 37-51)

中国産陶磁器(景徳鎮窯、漳州 窯)

肥前産陶磁器 〔佐賀県〕

備前焼(陶器) 〔岡山県〕

京焼(陶器) 〔京都府〕

信楽焼(陶器) 〔滋賀県〕

瀬戸美濃焼(陶器) 〔愛知県・岐 阜県〕

越中瀬戸焼(陶器) 〔富山県〕

金太郎焼(陶器) 〔佐渡〕

中国産陶磁器

肥前陶磁器 備前焼

京焼

信楽焼

瀬戸美濃焼 越中瀬戸

37 金太郎焼

石磨(左)と扣石(右)

灯明皿(油皿)

フイゴの羽口

相川金銀山の鉱石 38

テラス ズリ分布 鉱山臼・扣石分布 道跡 水路跡

上相川調査区内遺構分布図

上相川地形図(S=Free)

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鉱山集落模式図(例)

○床屋

製錬設備または製錬場 があった場所。

○勝場

鉱石の粉砕や選鉱を 行った場所。

○山師の家

鉱山経営者。お抱えの 技術者がいた。

○鍛冶小屋

タガネなどの鉱山用具 の作成などを行った場 所。

40

絵巻にみる勝場内の作業

磨場・粉成〔選鉱〕の場面 「佐渡銀山往時之稼行絵巻」[部分] 佐渡市所蔵

41

下磨

42

鉱山集落の鉱山臼と扣石

上磨

上 相 川 調 査 区 内 石 製 品 比 率

個 数

鉱山臼 粉成用上臼(1) 276

粉成用下臼(2) 115

その他の臼 粉挽臼(3) 7

不明臼(4) 3

扣石 扣石(5) 240

その他の石製品 石塔(6) 1

石製品(7) 2

644

石製品(7) 0.31%

石塔(6) 0.16%

不明臼(4) 0.47%

粉挽臼(3) 1.09%

粉成用下臼(2) 17.86%

粉成用上臼(1) 42.86%

扣石(5) 37.27%

43

本町石製品比率

1 41%

2 17%

3 37%

7 2%

5 3%

1 2 3 4 5 6 7

小右衛門町石製品比率

1 62%

2 15%

7 1%

6 4 1%

1%

3

20% 1

2 3 4 5 6 7

九郎左衛門裏町石製品比率 1 24%

2 8%

3 68%

1 2 3 4 5 6 7 九郎左衛門町石製品比率

1 45%

2 12%

3 37%

4 4%

5 2%

1 2 3 4 5 6 7

上相川の町ごとにみた石製品比率

上磨×53 下磨×13

扣石×17

石製品×1 石塔×1

粉挽臼×1

上磨×6

下磨×2 扣石×17

扣石×22

扣石×19

上磨×24 上磨×24

下磨×10

下磨×6 粉挽臼×2

不明臼×2

不明臼×1 石製品×1

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上相川地区の調査成果

斜面を造成した平坦地や石垣等が現在も良好な状態で保存されていました。

絵図と現地形を比較した結果、絵図に描かれている道が現在も多く残されて いることが判明しています。

20ヘクタールという広大な鉱山集落遺跡は、国内的にみても類例がないとい われています。

上相川からは、16世紀末~17世紀を中心とする近世の碗、皿、すり鉢等の 陶磁器類や灯明皿等の土器、羽口等の土製品、煙管等の金属製品、鉱滓な どが出土・採集されています。

石磨や扣石、ユリカス、ズリ、鉱滓、羽口等の鉱山の選鉱・製錬に関係する遺 物が集中している区域が見られ、職種別の住み分けがあったことが推測され ます。

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江戸時代の製錬技術 灰吹法(鉛を使った製錬)

鉛板 46

江戸時代の製錬技術 焼金法(塩を使った製錬)

長竈跡 47

鶴子荒町遺跡と上相川の違い

荒町遺跡では大規模に地形を改変しない不整形のテラスが多くみられます が、上相川では道路に面して長方形のテラスが連続しており、より大規模な 地形の改変が行われていると考えられます。

為政者による意図的な町づくりの意識

荒町遺跡では、町名が残されていませんが、上相川では、人名・職名・出身 地名を指す町名が多く見られます。

有力山師や職種ごとのまとまった単位で町が形成

上相川では、分布調査の際に、羽口や鉱滓(製錬場or鍛冶場)扣石や石磨

・ズリの集中する(選鉱場)テラスが見られるため、職業ごとに住み分けが行 われていた可能性が考えられます。

上相川の発掘調査を行うことで、近世の鉱山集落の様相や当時の鉱山技 術が明らかになる可能性があります。

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近世の構成資産体系図

佐渡を支えた経済基盤

佐渡奉行所

鶴子銀山

鉱山都市相川

寺社

能舞台

相川往還などの旧道

西三川砂金山

相川金銀山

新穂銀山

佐渡=一国天領

鉱山を中心とする独立した 社会・経済システム

八幡砂丘の畑

姫津漁村

海岸段丘の水田

御林

その他の鉱山

食糧供給

木材供給 石材供給

歴史的な景観・補完資料

金・銀など

石切場

古文書

絵巻 絵図

金・銀

砂金

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一般的に鉱山集落は、鉱山の消長と共に移転・廃止するため、短期間で終 わってしまうものが多いようです。

しかし、佐渡金銀山の場合、鶴子銀山の発展により、人・物が佐渡へ集まり、

相川金銀山の発見・発展と上相川の成立につながります。

相川金銀山では、長期間にわたって金銀の採掘が行われたことで、上相川 から市街地が拡大し、やがて、現在の相川市街地が形成されていきました。

上相川は、安土桃山時代から江戸時代初期における、鉱山集落の変遷、鉱 山技術史を考える上で、重要な遺跡であり、今後の調査成果が重要な意味 をもつと考えられます。

上相川は、一大生産・消費地であった「佐渡金銀山遺跡」の全容を知るため に重要な構成資産であるため、今後も多角的な観点から調査を継続していき たいと考えています。

鉱山集落の変遷 ~鶴子から相川へ~

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